H25 三学期始業式 挨拶 H 26・1・8 皆さん、新年 明けましておめでとうございます。 新しい年の出発にあたって、今、各学年の代表の皆さんから、新年の決意や 三学期に向けて発表がありました。 学年の代表として発表をしてくれた三名の人たち、それぞれが三学期の時を惜しみ、 自分を見据え、自分の目標を確かに持ってスタートしたことが分かりました。 全校の皆さんも、同じように力強く新年や新学期の一歩を踏み出したと思います。 私は、元旦から、朝起きてからの読書を今年も始めました。皆さんや先生方、 周りの大人の皆さんに生かされている自分を少しでも高め、 「お返し」をしたいと 思いを新たにしました。その思いを漢字で表してみました。まずこの字です。 この「一滴水」の意味は、「おかげさまの心」です。 『おかげさまで』という思いは、多くの恵みによって自分自身が『生かさ れている』という悦(よろこ)びの中で、自然にいただける尊い心です。 この「一滴水」について、岡山市の円山にある禅寺曹源寺(そうげんじ) に「曹源の一滴水」という有名な話があります。 明治の初め、京都嵐山の天龍寺の管長になられた滴水(てきすい)宜牧 (ぎぼく)禅師は、修行時代を岡山、曹源寺の儀山(ぎざん)禅師の下に 過ごします。ある日の夕方、師が入浴中、宜牧に問います。 「わしが風炉から出たら水をどう始末するのか」 「老師の次の人が入ります」 「それがすんだら」 「私たち小僧たちが入ります」 「それがすんだら」 「捨てます」 答えるが早いか、儀山の大喝(だいかつ)一声が飛んでまいります。 「バカモノー、なぜ木の根にかけぬ。一滴の水をも粗末にしてはならぬ」 「その水を拾え」と命じたという話です。 水を拾えというのは、今捨てたお前の「粗雑な心」を戒める言葉です。 水ばかりでなく何事においても、「祖雑に無駄ばかりしていないか」私自身 の「粗雑な心」を問われ戒められているように思います。 「粗雑な心」を乗り越えるために、私は、この一年次の言葉を大事に励ん でいきたいと思います。 「心で見る」という言葉を思い浮かべたのは、フ ラ ン ス の 小 説 家 サ ン ・ テ グ ジ ュ ペ リの書いた童話「星の王子さま」の中の次の言葉です。 -1- 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、 目に見えないんだよ。」という言葉です。宇宙の小さな星から地球の旅をして きた王子様が、一匹のキツネと友達になり、いよいよ別れる時、キツネが王子様 に秘密の贈り物とした言葉です。 皆さんの中にも、この本を読んだ人がいるでしょう。 私は、この「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かん じんなことは、目に見えないんだよ。」という言葉の中に、人生の一つの真実 が含まれているように思えてなりません。 「心で見なくちゃ」ということについていろいろ考えてみましたが、これ は、「心が通じ合わなくちゃ」と解釈した方が理解しやすいように思います。 つまり、キツネが言ったことは、どんな仕事をするにも、その対象と心が通じ 合うことが大切だと言っているように思えるのです。 学習や生活・部活動の中で、自分の目の前にある対象と自分が一体となるような 努力をしてはじめて、良い仕事ができるものだと言っているように思います。 私の経験でも、一つの仕事を粗雑にしないためには、その仕事の内容や相手を よく知っていないと良い仕事はできないことと通じるものがあります。 今、皆さんは、自分を伸ばそうと目の前の仕事や人との「心の通じ合い」を 心の中で無意識の中で望み、友や先生方や親を見ているのではないでしょうか。 皆さんの方が、心のどこかで謙虚に大人を見つめているように思います。 私たちは、日々の生活の中で、物事を正しく見て、正しく考え、嘘を言わず正しく 話し、正しく行為し、正しく生活することによって、自分の精神を鍛え、磨くことが できます。 キツネが、王子様に最後に「人間というものは、この大切なことを忘れている。 」 と言っています。 自分の目の前や足下にある対象や人と「心が通じ合わなくちゃ」ということを 教え示してくれる「心で見る」ことを常に大事にしていきたい。 そして、「一滴水」の意味である「おかげさまの心」がこの一年の終わりに 持てる自分になる努力を精一杯していきたいと思います。 三年生は、勿論、全校の皆さん、今、自分の心にある新年の決意や具体的 な目標に向かって励み、四月、この一年に、自分の花を大きく咲かせるため に、目の前の対象や人と心を通じ合わせ、一日一日と良い仕事を積み重ねて いきましょう。 -2-
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