『源氏物語』 における 「夢のここち」 !紅葉要巻の藤壺の心情考察ー

﹃源氏物語﹄における冒夛のここち﹂
藪
葉
子
腰壺は、おほけなき心のなからましかぱ、ましてめでたく見え
いる
源氏の肖河波の獅を目にした華心の、心噛は、次のように詔られて
明らかに火きいと老yえられる。
る墜輸写の重要性は、魚帯など他の人物たちのそれと比して、
1紅葉賀巻緑壺の心情考察1
若きΠの源氏を賛美する場而として、紅霧Π呑の桐一箒の朱雀院
ましとおぽすに、捗のここちなむしたまひける。(紅籍業﹂
への行髭十"グ面はとりわけ印象ガ強い。紅"米又﹂よ丁1の貳泉こ
女を勿{う4}im力、らi仟り女台材)
三亘
﹁帝、涙をのごひたまひ、上述部、親王たちも、みな泣きたまひぬ。﹂
るリ況において、源氏を行分には貧美し得ない夢亜の複雑な、心持ち
源氏との迩瀬倫果、源氏の子を身管ているというサ司ならざ
C)オーて.﹂3り、ー
き源氏四尖麗は繰﹂頭を避憾なく彩っている。﹁常よりも光ると兄え
(紅菜熊﹂・一一頁)と、梨帯をはじめ居合わせた余ての人々の
に架約されて語りが終了している。熊子の当該文ヘ四在目では、﹁お
は、反{後想の助動詞をもつて叙され、﹁冴ここち﹂という一詔
︹よ1︺
たまふ﹂(紅糖蝶﹂・一二百じと語られるその折の源氏の美しさは、
咸様を誘うという叙述や、﹁神など、空にめでつべき容貌かな。う
しそうだと竺る弘徽殿女御器りをもって、最大限に賛美されて
すのかという検討であり、現行では二通りの解釈が見られる。では、
﹁おほけなき、心L一とは壁券心を表すのか、あるいは源氏の心を表
ほけなき心﹂とい之量についての検討がなされてきた。それらは、
(13
たてゅゆし﹂瓦哲巻・一二頁)という、あまりの美しさに早世
いる。この朱雀院一gの場而は、﹃源氏物語﹄第一部での源氏の超
tゞらむを、飽かずおぽさるれば、鷲ポを御前にてせさせたまふ。﹂(紅
そもそも、この一1の兼ポについては、﹁上も、藤一器見たまは
古では、源氏の子を懐妊した壁劉の罪の意識を表していると捉え
こち﹂とい、つ語に女¥L向けている例は兄当たらない。現行四征釈
関して先キ鬮してみると、まず、十県鞍き当堪剛の﹁冴こ
当珍而倫両市心情を染約している﹁梦のここち﹂とい、つ言柴に
(主3)
人性J袋す大きな支杜と言い得るものなのである。
涼殿四庭で獣り行った由が語られている。ゆえに、当該場卿におけ
繋共巻・一一百ごと、桐一希か慕誉に見せるために、わざわざ清
-23-
。不吉で恐ろし¥0 すなわち。惡夢0 なる解釈か複数の注繋国で
るに会けれぱ、(葵巻'九0頁)
しかば、深くぞ染めたまはましとおぽすさへ、(葵巻・九五頁)
⑤にぱめる御衣たてまつれるも、夢のここちして、われ先立たま
⑥遥かにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦伝ひして
なびけり。(明石夫己・工六五頁)
こちもせず、御けはひとまれるここちLて、空嬰あはれにた
上げたまへぱ、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢のこ
)飽かず悲しくて、﹁御供に参りなむ﹂、と泣き入りたまひて、見
見られる。しかし、古注繋白と同様で、この語を特に注嘉休く検討
場面の﹁夢のここち﹂については注同がなされなかったようであり、
した様子はいっこうに窺えないのである。現在にいたるまで、当水
この語に検討を加えた先行研究は管見に入らない。
だが、源氏の子をどの女君にも先立って宿した鷲お、﹁夢のこ
、情呈そ王見のi羊匁皐は、斗勿言五叩^帝C角〒において﹂勉;三露t奨いと矛ぎ'ノえ
と多からむ。(明石巻・一モ一頁)
夢のうちなるここちのみして、さめ果てぬほど、いかにひがこ
られる。何より、唾空が主体となる﹁夢のここち﹂という語は、﹃源
氏物語﹄中でこの一例のみである。その一例が、須磨退去以前の源
親めきて、﹁年ごろ御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きは
①いささかも異人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく
心すごく聞こゆ。(明石巻・二七五1六百じ
られて、夢のここちしたまふままに、かき鴫らしたまへる声も、
つりたまひしを、人の上もわが御身のありさまも、おぽし出で
さま、・帝よりはじめたてまつりて、もてかしづきあがめたてま
は声の出でしさま、時々につけて、世にめでられたまひしあり
@わが御心にも、をりをりの御遊び、その人かの人の琴値もし
氏の頂点をなすとも言える紅一谷巻の朱雀院行幸場面において、源
である。以下に検討を試みる。
氏の子の出産を控えた墜"の帯として語られるのは、興味洪の
二
まず、﹃源氏物語﹄における﹁夢のここち﹂の用例の検討を試み
一源氏物語﹄には、﹁夢のここち﹂という栗、先掲の県永業﹂
ナし
べるを、かうて見たてまつるにつけても、夢のここちして、過
(北・ご
ぎにしかたのことども取り添ヘ、忍びがたきに、えなむ開こえ
して
の一讐主休の例の他に二十一例見られる。それらの用例を将
⑧池はいと涼しげにて'の花の畉きわたれるに、菜はいと青や
一頁)
られざりける﹂とて、御目おしのごひたまふ。(玉批巻・三二
みると、主体者の別では、やはり源氏が主体となる用例が最多であ
リ、次の八例かある。
れぱ、夢のここちして、ゆゆしかりしほどのことどもなど聞こ
ヘ。おのれひとりも涼しげなるかな﹂とのたまふに、起き上が
かにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、﹁かれ見たま
③されど、むげに亡き人と思ひきこえし御ありさまをおほしいづ
が、引きかへし、つぶつぶとのたまひしことども、おぽしいづ
えたまふついでにも、かのむげに息も絶えたるやうにおはせし
-
-2
おほゆるをりをりのありしやは﹂と、涙を寺てのたまへぱ、
てまつるこそ、夢のここちすれ。いみじく、わが身さヘ限りと
りて見出だしたまへるも、いとめづらしけれぱ、﹁かくて兒た
ふ﹂(琴・九五頁)という、⑥の十儲心後に叙される左大臣・大
づみ入りて、そのままに起き上がりたまはず、あやふげに見えたま
恥ぢ泣きたまふ﹂罪馨・九三頁)や、厩親である大宮の﹁宮はし
る齢の末に、若く盛りの子に後れたてまつりて、もごよふこと﹄と
騨ナの笑口いは、穏やかなものなのである。⑤直前には、﹁人、一人か、
宮の正体を失うほどの映きの描写に比すれぱ、⑤の源氏の悲しみの
令棄下巻・一Ξ五頁)
あまたしも見たまはぬことなれぱにや、頬ひなくおぼしこがれた
①今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふをり多かるを、
はかなくて積りにけるも、夢のここちのみす。(御法赤﹂・、
り﹂(葵巻九四)という叙述がなされ、身を切られるような身内
い、つ、葵上の死に対する源氏の冷靜な理解が示されている。さらに、
の死というよりも、人の死に直而した体験にょるψ星の悲しさだと
に出産した
四頁)
後、もしや葵上は亡くなってしまうかと思った時の自身の気持ち
、物の小釜に苦しんでいた葵上か小別乏を得て証1i
を、源氏が思い出している例である。ーは、出・誓後のまだ一翁
はしきさまにもなりなましとおぽすには、まづ対の姫君の、さうざ
⑤の源氏の心情秒ナは、﹁かかるほだしだに添はざらましかぱ、願
うしくてものしたまふらむありさまぞ、ふとおぽしやらるる﹂(葵
しい嘉名がら、小康を保っているその様子にメE大臣たちとともに
葵上に関する場面である。葵上が死去して葬儀が終わった後に、葵
源氏が安堵している場面に、﹁梦のここち﹂倫が見られる。(今も
上死去にょって自分が喪服を着ていることが信じられないという源
を示す叙述と直接されて、いっそう非裕感は一溥められているのであ
巻・九上貪)と、源氏との初枕の場面間近の紫上ヘの愛情の大きさ
氏の郭ちが、﹁夢のここち﹂の語で表されている。④⑥ともに、
尋のここちもせず﹂と、打消L表現となっている@については
る。
後述するとして、④は、﹃源氏物語﹄で一例のみ、﹁劣うちなるこ
写である。ただ、④の﹁夢のここち﹂という語が、葵上の姦にひ
源氏の正妻である葵上の死にまつわる重要な場面で綴氏の帯揣
とまず{女堵し左尋ちを北H京に逃われているのと類似して、①に叙
仙ι例として十灸討したい。@)は、明石の地に移った旨を紫上ヘ伝
こち﹂という表現が見られる例である。ここでは、二券のここち﹂
('6)
つ、などて、つひにはおのづから見なほしたまひてむとのどかに思
される源氏の気持ちもまた、﹁年ごろの御ありさまをおぽしいでつ
都からいっそう速,ざかり、紫上とさらに凱れてしまった{叔しさを
える源氏の手紙の中の嘉永である。ここで源氏は、一鴛の地よりも
﹁条にも1﹂の歌絵んで、紫上に対する脚業倫を訴える。都
ひて、なほ、ざりのすさびにつけても、つらしとおぼえられたてまつ
ぬる﹂(葵巻・九四頁)と'氏に心を寄せなかった生前のーの
なるここち﹂と表現されている。述く肌れはしても、この明石の地
からいっそ嵒のいてしまった状況に対する気持ちが、﹁夢のうち
りけむ、世を吹牡て、うとくはづかしきものに思ひて過ぎ果てたまひ
葵上の父親である左大臣の﹁大臣はえ立ちあがりたまはず、﹃かか
様子を落ち着いて想起しながら源氏が抱く気持ちである。これは、
-25-
るごとく、明石での源氏の住まいの様子を紹介するくだりは、﹁打
から源氏は都に帰還するのである。その明るい先行きを感じ取らせ
六条院の華やぎに一乢貰わせようとする源氏の考えからも、また、
るくさはひにて、いといとうもてなさむ﹂無裟・三四頁)と、
ただ、玉置の消息を知った吽点から、﹁好きものどもの心尽くさす
花散里に﹁あはれと思ひし人の、もの倦じして、はかなき山里に隠
ごろの御住ひょりは、こよなくあきらかに、なつかL。御しつらひ
など、えならずして、住ひけるさまなど、げに都のやむごとなき所々
ぼえぬかたよりなむ、聞きつけたる時だにとて、うつろはしはべる
しかども、え聞き出ででなむ、をうなになるまで過ぎにけるを、お
なり﹂(玉讐﹂・=三九百じと竺るように、周りの者には唱身の
れゐにけるを、幼き人のありしかば、年ごろも人知れず尋ねはベリ
されて、明るさが湛えられている。@もまた、明石の地における場
{夫の娘との感動的な再会ということにしておきたい源氏の気持ちか
に異ならず'にまぱゆきさまは、まさり、ざまにぞ見ゆる。﹂(明石
面である。激しい嵐の後、明石入道四響な邸に落ち着き、初安の
らも、ここの﹁冴ここち﹂なる八兀三口は"をやや払美して源氏
巻・二七0百じと、部ながら都の邸宅に勝るとも劣らぬ様子か強調
の音楽の催しで、かつて自身が姦岨の的になっていたことが思い出
美しい月夜に源氏が琴を弭じる場面である。折々に行われた宮中で
と伍)は、紫上に関わる例である。@)は、小康を得た紫上の様子
か用いた言畢であると捉えられよう。
ぬけたる虫の殻などのやうに、まだいとただよはしげにおはす﹂(若
を喜ぶ源氏の二暴である。元気を取り戻したとは決して言えず、﹁も
道が娘ヘ期する思いを源氏に訴える場面である。ここ一様氏は、﹁枇
されて、﹁夢のここち﹂がするというのである。ψ忌例は、明石入
ぽつかなく思ひつるを、今{肖の物語に聞き合はすれぱ、げに浅から
菜張]・二三五百戻態とはいぇ、六条御息所の死劣ために一時、
智tた後だけに、起き上がって池呈を見る紫上に源氏は涙を浮
さまの罪にあたりて思ひかけぬ批界にただよふも、何の罪にかとお
と、須﹂磨退去にいたった自身呈命との関わりにおいて明石君に大
かべて一業のである。祠じく源氏の発言中の用例である先の①を参
ぬ前の世の契りにこそはと、あはれになむ。﹂(明石巻・ニハ0頁)
いに関心を示す。つまり、当咲場面が契機となって、源氏史輩を
や孝叩張して比麺な三尋ちだと伝える際の、慣用句の一種であっ
照すれば、他者ヘの尋脚で﹁夢のここち一と竺ることは、感動を
たかと推測される。その復、この場面で羅氏の紫上ヘの則歌﹁契
支える姫を産む明石君と結ばれる展開ヘと発展していくのである。
りなく見えわたれる﹂(明石巻・二七四百じと描写されているごとく、
ニニ六頁)には、源氏の紫上ヘの賠歌では初めて彼女が死にいく予
りおかむこの世ならでも越葉に玉ゐる露の心ヘだつな﹂(若菜下巻
その夜の明石の地の"壱が、﹁のどやかなる夕打夜に、海の上くも
いまだ都を計れている境遇に変わりはないものの、@は、再ぴ都で
鴛末のくだりである。紫上が亡くなり、悲しみにくれつつ御行に
時の+"と源氏自身が自覚していることからも解る。⑥は、御法巻
感が表されており、﹁劣ここち﹂で表した喜びは、ささやかな一
{晶を受ける明る昇釆ヘとつながる場面なのである。
(i)は、六条院に迎えた玉貨と初めて対面した際の源氏の発言であ
る。夕一祭亡くなった時点から十七:八年冏、源氏がその消息を気
に掛け続けきたという、轟言の初対面の際の喜び四豆水である。
-26-
上を失った悲しみはわずかな期開で癒えるはずはないものの、﹁今
まぎらはしに、女方にぞおはしますご(御法繰﹂・一二四再U
と、紫
われながら、ことのほかにほれぽれしくおほし知らるること多かる
叉子る源氏R子が綴られている。﹁すくよかにもおぼされず、
かンもう一・霧νにお見えになるかとわざと{綬人りなさろうとする0
い、つ:夢の小であってもなぜお返Uiをもっと申し上げなかったの
らに側目も介はで、暁かたになりにたりご(明嚢﹂・二六奇じと
いぶせさに、またや兒えたまふと、ことさらに寝入りたまへど、さ
にする。この場面は、源氏が明右の地に移り、姫を儲けて政界ヘの
ていると解され、現・災の帯を語る他の用例の﹁夢﹂とは性質を異
をなさる時が多いのだが、いつのまにか月Uは収社ってしまった)﹂
州を見Ⅱiに来たすという、源氏の人生において於埀要なi云棲とな
なる叙隙らは、当肱例の﹁聖はまさに眠って見る臂ルを意味し
としう、﹁妙のここち﹂に市接する叙述からは、御添﹂の詔り収め
のここち﹂の用例と変わらないのである。しかし、源氏の心内.雫
る一場而である。その点では、疑いなく土美を衣しており、他の﹁夢
日やとのみ、わが身も、心づかひせられたまふをり多かるを、はかな
に際して、紫上の死にょる源氏の悲揃かわずかに落ち着いた惑が梳
ある﹁年ごろ夢のうちにも見たてまつらで恋しうおぼつかなき御さ
くて枝りにけるも(悲しみのあまりもう今日が日穫かと死のだ恬
み取れるのである。
してみる
おぼえたまひて、わかかく悲しひを極め、命尽きなむとしつるを、
まを、ほのかなれど、さだかに見たてまつりつるのみ、おもかげに
以上の、源氏を様とする﹁器ここち﹂の用例をW
と、概して十蔀のb#ちの表出や、明るい先行きの砥として逃わ
りけると﹂(明h赤﹂・二六五1六百C
という、。今まで何年も梦のな
助けに捌りたまへると、あはれにおぼすに、よくぞかかる騒ぎもあ
れているという"徴か見て取れる。悲しみの心井ちを求する川例で
あっても、それらは最大の非候が、やや落ち許き卸まった祭に川い
られているという特徴が兒て取れるのである。
かでもお会いしたく思っていたお姿を、ほんの少しだけどはっきり
るが雷の騒ぎに、さこそいへ、いたう極じたまひにければ、、心にも
感と眠っての拶見がM袋して表現されており、物需中では当水例の
れている。つまり、①の﹁少のここちもせず﹂の﹁一誉には、現実
ノノ
なる叙述力らは、眠って見た芽とはと
ても忠えず、父院に郁かにまみぇたという源氏の尖感と咸朔が表さ
拝見Lたことがだけが
これらの巾で@は、尋のここち﹂が打消された﹁芽のここちも
氏物語﹄中でも当水例のみである。この@は、﹁終Πにいりもみつ
せず﹂という表現になっており鷲北である。このような例は、源
あらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御﹂座所なれぱ、ただ・寄り
繋験にょって源氏四雛栄華ヘの一火転機を拙く、そのまま物語
みの特異性を右している。この物語唯一の特呉な表現は、住吉明袖
における特囿荏の表川なのである。
(明石巻・二六四頁)と、嵐の落雷にょる騒ぎに疲れてうとうとす
d)
ゐたまへるに、攸院、ただおはしまししさまながら立ちたまひて、
、 1同〒勺ル朽τ 0)^を目ιこしえ二とし、うU勿、爪ーマアι丘)る。ⅧΣ一1ΞιⅨn.勿,田
こともうち忘れ、夢にも御答ヘを今すこし社Uこえずなりぬることと
﹁胸つとふたがりて、なかなかなる御心まどひに、うつっの悲しき
-27ー
三
次いで、女房や{永臣たちを主体とする例を挙げる。
に連れてこられたことを戸惑っている気持ちである。(月は源氏が明
の供をしていた者との再会の鯵=が﹁夢のここち﹂で表現されてい
石から京の二条院に帰還した際、京に居た家臣と須磨・明石ヘ源氏
ていて、﹁夢のここち﹂の栗戸惑いや不安を表する点において、
る。①は明石姫沿の乳母の、明石に下っ兪の不安な気持ちを表し
母が、夕顔の乳赴子の右近と初瀬で遊遁した際のおどろきと喜ひを
①①と類似した例である。そして⑩は、九州から上京した夕顔の乳
惟光をかこちけれど、いとかけ雜れ、けしきなく一吾ひなして、
①たしかならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、
なほ同じごと好きありきけれぱ、いとど夢のここちして、 もし
以上五例の﹁夢のここち﹂もまた、①①①にしても失望した暗い
表している。
受領の子どもの好き好きしきが、頭の君に催ぢきこえて、 やが
一七
の幸先であり、⑯は源氏の栄華の復活であり、①と⑩も、明石の姫
気持ちばかりの戸惑いではない。①は源氏の大切な女君となる紫上
七頁)
て、率て下りにけるにやとぞ、思ひ{奇りける。(夕顔巻
①小ノ納言、﹁なほ、いと夢のここちしはべるを、いかにしはべる
君の栄誓通じる例、そして源氏の養女となる張お先行きのめで
べきことにか﹂と、やすらへば、﹁そは心ななり。御みづから
わたしたてまつりつれば、保りなむとあらば、送りせむかし"
が死去したことを知らず、突然の失綜を新たな結婚にょるものと想
たさに通じる例である。@でさえ、夕顔の五条の宿の者たちは夕顔
像している。決して暗さばかりを表出しない点においては、これら
とのたまふに、わりなくて下りぬ。(若紫巻・二三五百じ
の用例もまた、先の源氏主体の用例に通じるのである。
(珂二条の院におはしましつきて、都の人も、御供の人も、器こ
リ。(明石巻・三9五頁)
@この御ありさまを見たてまつるは夢のここちして、いつしかと
ざりける。(藤琴響・二九八頁)
見たてまつるにも二眠のみとどまらぬは、ひとつものとぞ見え
⑩いとぅつくしげに雛のやうなる御ありさまを、夢のここちして
れる明石一族に関する場面にΞ例見られる。
他では、﹁夢のここち﹂という曹、物語の中で﹁幸ひ人﹂とさ
四
こちして行き会ひ、よろこび泣きもゆゆしきまで立ち騒ぎた
りけりと見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢のここ
①げにかしこき御心にかしづききこえむとおぼしたるは、むべな
ちしつる暎きもさめにけり。(澪焚ι・一三百じ
一百じ
かたなく思ひきこゆる人に、対面しぬべきことよL一とて、この
⑩皆おどろきて、﹁夢のここちもするかな。いとつらく、言はむ
隔てに寄り来たり。(玉置巻・三0
以上の五例を通覧すると、①の﹁夢のここち﹂は、夕顔の女房た
ちが夕顔の行方が突然知れなくなったことを困惑している気持ちで
あり、①は紫上の乳臥である少納言が、紫上際氏の二条院に強引
-28-
参り近づき馴れたてまつる。介系上巻・九三頁)
①尼姿いとかはらかに、あてなるさまして、目艷やかに泣き睡れ
大尼君が女御に語ってしまった昔話をとりなして、懐妊中の女御の
ことどもも出でまうで来つらむはや。妙のここちこそしはべ
かなるやうなるひがおぼえどもにとりまぜつつ、あやしき昔の
ぶれて、、﹁古代のひ響どもやはべりつらむ。よくこの世のほ
述からは、明石君にはわか娘四一歪の碓信があることが読み取れ
に、開こえも知らせむとこそ思ヘ。﹂介案上巻'九六頁)という叙
ている例であるとともに、﹁今はかばかりと御位を極めたまはむ世
いることよって、大尼君の発言を冗談ごととして明石君が取り成し
と同様に、誇張した表現として読めるものである。大仰な表現を用
に見える例は、曾中の用例として先述の源氏主体の用例(圏)
ル希ちを落ち着かせようとやさしく語りかける、①の明石君の言畢
れ﹂と、うちほほゑみて見たてまつりたまへぱ、いとなまめか
たるけしきの、あやしく昔思ひ出でたるさまなれば、胸うちつ
しくきよらにて、例よりもいたくしづまり、ものおぽしたるさ
る。ならぱ、①の﹁夢のここち﹂という雪m例は、疑いなき大願成
残りの五例を挙げる。
五
就の喜びを抱く明石君の心中の表出とも解されるのである。
まに見えたまふ。介右菜上繰﹂・九五1六頁)
④は明石君が入内後の明命君と禦ス巻で別れて後に、再び対面
した場面である。春宮妃となった姫と、八年程後に再び冏近でまみ
で表現されている。@は、出産のため明石女御が六条院の冬の町に
えた明石君の母としての竺=の気持ちが、﹁夢のここち﹂という語
移った際、明石火尼君が女御を拝し奎一びを抑えられずに、女御出
見たてまつりしものをと、恋しくおぽえたまふに、また限りの
④風野分だちて吹く夕慕れに、昔のことおぼし出でて、ほのかに
ほどの夢のここちせしなど、人知れず田ぎ一机けたまふに、堪ヘ
生の話を聞かされた後に、物忠いに沈む女御の気持ちを取りなそ、つ
とする明石君の一呈である。一見して、大きな喜びの気持ちを表L
焚﹂・一一九頁)
がたく悲しければ、人目にはさしも見えじ、とつっみて、(御
生の際の昔話を語るという倫である。①は、大尼君から自身の出
る田1のみならず、@)もまた物.^叩展開上、自^子敲正生や明石力臣君
①右近、﹁などて、このままをとどめたてまつらずなりにけむ。
の立后という、明石一、族の長年の祈願につながっていく場血であ
る。源氏主体の用例では、心内語に﹁冴ここち﹂が"れる場合
は、感極まっミ凹びの帯は抑えられており、表面的には悲しみゃ
うの人をそしるなめり。げに憎き名ありかし、とおぼし出づる
老いぬる人は、むつかしき心のあるにこそ﹂と憎むは、乳母や
を、夢のここちするに、やうやう、そのをりのつらかりし、年
⑤はじめよりあらぬ人と知りたらば、いかがいふかひもあるべき
も、おここちぞする。(浮製・二五1六頁)
寂しさの感情を表していた。しかし、﹁幸い人﹂とされる明石大尼
て、遺壁'く鱗=の気持ちが表されているのである。これは、皇子
君・明石君主体の例では、忠のごとく﹁夢のここち﹂倫にょっ
誕生や明石姫君立后の展開に先立尋ぎ塁傑とも理解できよう。
-29-
打ごろ思ひわたるさまのたまふに、この{呂と知りぬ。令仔舟巻
わりなかりし御心なれぱ、ひたぶるにあさまし。一令牙巻・一九百じ
けれど、声をだにせさせたまはず。いとつつましかりし所にてだに、
舟は匂宮を受け人れていき、二人は恋に酔いしれるのである。前夜、
は、浮舟のM陽を余さず表している。しかし、この次論を契誓浮
ニブ頁)
①その人々には、とみに知らせじ、ありさまにぞ従はむ、とおぼ
.虐く二と、ヨ呈日には昌↓﹂くも乍J一呂の恬弐1、に・辧いていき、一﹁いとを力
とは、かかるを言ふにやあらむ、と思ひ知らるる﹂(浮県﹂・三二
無体な振る凱いをした匂宮に対する浮舟の気持ちは、﹁心さL、深し
せど、うち見む夢のここちにも、あはれをも加ヘむとにやあり
ことなれど、むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さはまことに
@さてこそあなれと、ほの倒きて、かくまでも問ひ出でたまへる
かくてあらばや﹄などのたまふも、一嘱稲ちぬ。﹂(浮舟繰﹂上呈貪)
しげなる男女、もろともに添ひ臥した急を揣きたまひて、﹃常に
けむ。(手業﹂・二五五士<亘
つつみもあへず涙ぐまれたまひぬるを、禽禪使:二六下1
と、匂宮の愛惜の深さに涙して、燕から匂{呂ヘと心を移していく。
あるにこそは、とおぼすほど一のここちしてあさましければ、
四頁)
の僧都のもとヘ赴くくだりである。小君はもとより、泙舟と再会し
①は、浮肉が出'家を遂げた後に、熱だ行剣の弟の4沿を伴って横"
た時R内身の喜びの七尋ちが、﹁夢のここち﹂という語で推しは
れらは、全て恋町号にⅡUする胴例である、(①は、夕謬か亡きル糸上
が忘れられず、その後は﹁いかならむ世に、ありしばかりも見たて
を追想する場面である。かつて野分の夕ベに垣問見た紫上契しさ
かられているのである。そして@は、一度はすでに亡き人として諦
めていた浮舟が、実は生きていたのだと知った折の熱の感動のル尋
まつらむ、ほのかにも剣戸をだに聞かぬこと、など、心にも部れず
,川に対する強い塾心を1舌るのである。
忠ひわたりつる﹂(御焚﹂・一一吾じと、紫上工小ってきた。そ
1ι,Uミ塁夫﹂・^^^<一貝^^あった^糸﹂二の夕毛迦iの而丁惨
部居1に入り、強引に浮.殉.と逢瀬を1寺つ。(亘)はその"亘瀬
しくて、﹁夢のここち﹂がするというのである。当咲場而で匂宮は
だと硫信し、恋い焦かれてきた女性のもとにたどり着いたことか嫡
例も完全には悲憾だ支配されておらず、必ず明るく幸せな見通し
面的には悲しみや戸窯の気特ちを表するものもあるが、それらの
特徴がある七言える。すでに鴫叩したように、用例にょっては、表
ける﹁器ここち﹂という"は、やはり概ね"尿恬を表する
以上のごとく、全用例の検討を通してみても、﹃N物語﹄にお
六
の折'一だと思い込み、弓て匂宮と契ってしまっむ浮の帯で
(住7︺
ある。﹁女汎は、あらぬ人なりけり、と恩ふに、あさましういみじ
ちの△瓢を耳にしたことから、その女房たちと共に居る女對か浮殉
いた匂宮が、宇治を訪れた際に一浮を見つける場面である。女房た
さを迫想している際の気持ちである。①は、浮舟との両会を望んで
ーーL一ノ
ちである。こらえられずに涙ぐんだ燕を見て、枇川の僧都は熱の浮
0-
の気持ちは槌せることなく、﹁飽かずうつくしげに、めでたうきよ
-
の苦お梦'に示して危うい暗さを有している。それに反して、
ならぱ、荘水業﹂の膝壺の帯における﹁おここち﹂もまた、
に繋がっているのである。
倫にょって、その奥には岡るい兆Lが賠示されているのである。
紅郭松の﹁おほけなき心の・:﹂なる壁冴、心情には、﹁夢のここち﹂
る。そして、そこに叙される紅糖只探﹂の﹁おほけなき心の・:﹂とい
紅蕃父﹂と花宴繰﹂の両深﹂は、赤秋の晏を一対にした趣句になってい
,悪夕なる陪いばかりの解釈では不適七リであろう。後に冷尋Wと
なり源氏の栄華を支える・呈子の謹正生は当該巻で揣かれ、行十¥試楽の
う壁亜の心山と、花要繰﹂の﹁おほかたに:・﹂の吠圈の泳歌もまた同
場面は、一馨お県子出産の冏嚇厶のである。源氏の子の誕生は物語
においてこれか披初であり、試楽の際の源氏の超絶的巻夫しさと扣
て、両者はそれぞれ明るさ・時さを対象的に含み持つ貞において
様の八悲と表現法に扶づく一双のものであるが、本稿の検討にょっ
3
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←ミー勿i吾プく
h父、
﹁源氏物江詳釈﹂・﹁新古典大系﹂・﹁新編古典<索﹂でなされ、
藤誘心を表するとすゑ輪は、﹁古典火系﹂・﹁古典全条﹂
を"しる
i1又1勿1吾﹂.弓くーゞて:の田^<同の市窕i忍は=﹃湯i
氏編染・巾央公論社)で硴認する隈り異文はない。以下、本
ψ晟本文の﹁夢のここち﹂には﹃源氏物語大成﹄(池田屯鑑
日木硫<集成﹂にょる。
木稲の添氏物超木文の引用は、特に断らない限り﹁新潮
、、ノ
も、俳かに一双のものであると解ざれるのである。
まって'壺の帯揣1の﹁夢のここち﹂とい、つ語もまた、将来
るい先行きの表細と読めよう。﹁おほけなき、心のなからましかぱ:・﹂
帝となる畠子の;延生、源氏の一屡四峯の幸先といった、物語の明
なる吠空の、心惜は、源氏との男女の関係を否むぱかりの非裕的なも
のではなく、セ叩中の弓のここち﹂の他例と同じく、その阿人には
紅恭只巻の壁劉の、心情﹁おほけなき、心のなからましかぱ・:﹂は、
やはり明るさが湛えられている二肌めるのである。
花章﹂に見える墜空の次の独、験と同じ火態のものと捉えられる。
中宮、御目のとまるにつれて、李口の女御のあながちに辨みた
し返されける。
まふらむもあやしう、わがかう思ふも、心妾しとぞ、みづから思
おほかたに花の姿を見ましかば露も心のおかれましやは
御、心のうちなりけむこと、いかで漏りにけむ。(一徒巻・五一丙じ
現行の輪の大半を占めている。それらの中で﹁古典集成﹂
藤壺の﹁おほかたに・・・﹂の歌は、紅蕃貝誘﹁おほけなき心の・・・﹂
なく見ることか出来ない我が身の辛さを歌っている。この歌は現前
なる帯表現と同じく反実仮想の構文で詠まれ、源氏の姿を気兼ね
木船亟鵬氏﹁紅菜の賀長誘宮﹂覆氏物牙研究冠﹄
は、源氏の心を表するとしている。
1 ﹃源氏物
令奈良火学紀要一二五・.平成九年五月)は源氏の、心を表した
火黛輯店・剛和四八年)や、山本利達氏﹁おほけなき心考﹂
、ノ
語﹄においては、若熊﹂の北山での紫上の登場場面など、一貰して
の桜の花にょそえて源氏の美しさJ瓢えてはいるが、
禁じられた恋を表象する祭物であるため、この歌もまた源氏と藤壺
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語とされる。針本正行氏﹁紅一鬢巻における墜月像1
璽空
も満たない。歌に詠まれた尋のここち﹂の初例は、凡河内
繁叩としての用例は小ノなく、平安中期以降の用例も十例に
一粉語・ニハ0)
し、と思すに、夢の心地なむしたまひける。﹄を中心として1﹂
の繁二・Ξ句﹁散りぬるときは見もはてで﹂で載り、二度
躬恒の歌である。勅撰集には、﹃金葉和歌集﹄初度本に躬恒
は、おほけなき、心のなからましかぱ、ましてめでたく見えま
(﹁駒木原国文﹂一・一九八九年十月)は'壷の、心であると
歌においても、いずれの例も﹁夢のここち﹂は美しく甘美よ
なるらん﹂(四五・叉人知らず)が見えるのが早い例である。
本に﹁たまさかにあふ夜は夢の心地して恋しもなどかうつっ
夢を詠むという特徴が窺えるのである。
であると叙される物語中の他例から、私
上の物語登場の場面(若紫巻)、修壺崩御の場面(葉云巻)、
源氏にとっては禁忌の恋の相手である一讐の形代としての紫
。おほけなきこと0
源氏と藤壺との関係では、源氏が藤壺を亦業することが
らない語であると述ベられている。
か、源氏の心を表しているとかといった二者択一の立場をと
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は県亦貝巻の当心例の﹁おほけなき心﹂もまた、源氏倫壷
に対する心と考える。
の女三宮かいま見の場面介棄上巻)など、﹃源氏物語﹄で
源氏と朧河夜との禁忌の逢瀬の始まり(花,纂巻)、また柏木
﹁新古典大成﹂(岩波書店)・﹁新編古典全集﹂(小学館)で見
られる。
(やぶ・ようこ木学非雋剃講師)
は桜と禁忌の恋は重ねて描出されている。
﹁夢のうちなるここち﹂(明石巻・二七一百じの一例を含む。
れの用例にも異文はない。
そして、﹃源氏物語﹄における﹁砂のここち﹂の語にはいず
当該本文の﹁夢のうちなるここち﹂には、青表紙本・河内本
歌語としての﹁夢のここち﹂を参照すると、﹃源氏物語﹄と
ともに﹁冴中なるここち﹂の木文が見られる。
同時代までの用例には次の三首がある(歌牙蟹と歌集の
歌番号・本文の引用は﹃新編国歌大観﹄に拠る)。
(躬県・二三八)
桜花散りなむのちは見もはてず覚めぬる夢のここちこそせめ
うたたねの見はてぬ夢のここちして語りあはする人だにぞな
き(為信染・五五)
税もなく雲となりぬる君なれぱ昔の夢のここちこそすれ(栄
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