ステロイドホルモンによる糞線虫の再活性化 近年、医学の発達とともに免疫抑制療法が多く行われるようになり、潜伏していた感染 症が再燃して重症化する再活性化が問題となっています。特に B 型肝炎ウイルスなどがそ の代表で私たちもその危険性を報告しています1)。再活性化はウイルスのみならず細菌でも 当然起こり得るもので医療従事者は常時注意しています。しかし、意外に忘れられている のが寄生虫です。その代表が糞線虫です。糞線虫は九州南部から沖縄にかけて分布してお り、沖縄在住の70歳以上の高齢者では約10%が感染しているといわれています。九州 ~沖縄ではヒト T 細胞白血病ウイルス 1 型(HTLV-1)感染患者が多く、両者の関連が疑わ れており、HTLV-1 抗体陽性の人は糞線虫の感染率が高く、糞線虫感染者は HTLV-1 抗体保 有率が高いことが報告されています2)。 糞線虫の成虫は人や野生動物の十二指腸および空腸の粘膜および粘膜下層に寄生します。 産出された卵は腸管内腔で孵化し、ラブジチス型幼虫となります。これらの幼虫の大部分 は糞便中に排出されます。土壌中で数日間生息後に感染性のフィラリア型幼虫に発育しま す。この幼虫は人の皮膚を貫通し、血流を介して肺に移行し、肺毛細血管を突き破って気 道を上行し、飲み込まれて腸に達し、約 2 週間で成熟します。土壌中で、人と接触しない 幼虫は自由生活性の成虫となり、何世代か繁殖を続け、やがてその幼虫が人宿主に再び侵 入します。糞線虫は経皮感染をする稀な感染症です。他に経皮感染する微生物はワイル病 の病原菌のレストスピラや日本住血吸虫などがあり、破傷風菌や狂犬病ウイルスは、皮膚 の傷口から侵入して感染します。安里らの研究3)では糞線虫感染者は裸足で農作業する人 に多く、また人糞肥料を使用するひとに多かったことを報告しています。 糞線虫の感染者は通常、無症状か本人が気にならない程度の症状であることが多いとい われています。しかし座覇らの 299 例の報告4)では症状の訴えのない症例は 27.1%で、な んらかの症状を訴えていた症例は 72 .9%と意外に多かったそうです。症状で最も多かった のは関節痛・腰痛(28.4%)で、次いで腹痛・腹鳴(19.3%)、四肢のしびれ感(18.1%)の順であ ったと報告しています。この関節痛は糞線虫を除虫後、消失していることより糞線虫と関 係があるものと考えています。感染性の反応性関節炎と推測しています。一般に糞線虫の 感染症状は無いか、軽く、それを主訴で医療機関を受診することは少ないと思われます。 糞線虫が少ない状態では宿主と共生状態にありますが、免疫抑制状態になると糞線虫は 腸内で爆発的に増加し、一部がラブジチス型幼虫から感染性のフィラリア型幼虫に変わり、 腸壁から血中に侵入します。そのときに腸管内の細菌も一緒に血中に侵入するため全身に 菌と虫体が拡がり髄膜炎や急性呼吸不全、敗血症などの重篤な状態になります。ここで問 題なのは免疫抑制状態といっても COPD に使用する程度のステロイドホルモンの量で糞線 虫の再活性化が起こることです2)。これは日常診療でしばしば使用される量と考えられます。 糞線虫の保虫者は HTLV-1 感染患者が多く、糞線虫を含む線虫感染時には Th2 型の免疫応 答により IgE 抗体、末梢血の好酸球が増加し寄生虫を駆除しますが、HTLV-1 感染時には この免疫応答が低下し、さらにステロイドホルモンが加わることにより再活性化が加速さ れるのでしょう。意外なことに AIDS 患者の播種性糞線虫症は予測よりもまれで、糞線虫 の高度流行地域に住む AIDS 患者でもあまりみられないといわれています。 診断は合併症のない感染の場合に、1 つの糞便標本から幼虫を顕微鏡で発見できる確率は 約 25%と言われています。濃縮便の反復検査、または寒天平板法を用いることにより感度 は 85%以上となります。胃カメラでの十二指腸の所見で疑われることもあり、同部の吸引 や生検で虫体陽性となることもあります5)。血清中の抗糞線虫抗体を調べる ELISA の感度 は 90%を超え、ステロイド治療前のスクリーニング検査として薦められています6)。 治療はイベルメクチン(200μg/kg、経口、1 日 1 回、1〜2 日間、または 2 週間の間隔で 単回投与)は、合併症のない感染に有効で重篤な副作用もありません。しかし再活性化状 態になると細菌感染も加わり、治療を施しても致死的です。 寄生虫感染は本邦では稀なものとなり忘れがちになっていますが、糞線虫は特に九州南部 や沖縄地方出身者ではさほど稀なものではなく、経皮感染という特有な感染形態をとるた め、介護者の便からの感染やペット犬からの感染、レジャーの多様化の影響による淡水遊 泳(カヌー、ラフテイング等)により感染することがあり、再流行する可能性があり忘れ てはいけない感染症であり、通常、病原微生物の再活性化が起こらない程度の量のステロ イド剤投与で糞線虫再活性は起こりうるので、ステロイド剤開始前の高齢者には出身地や 既往歴などを詳しく問診すべきでしょう。 平成26年7月7日 参考文献 1 ) B 型肝炎ウイルスの再活性化が増加しています http://www.nobuokakai.ecnet.jp/5062.html 2)石原 健二ら:COPD 急性増悪に対して副腎皮質ホルモン投与後に糞線虫症が顕在化 した 1 例 . 日内会誌 2009 ; 98 ; 3140 – 3142 . 3)安里 龍二ら:沖縄県における糞線虫新感染の可能性について . 沖縄県公衆衛生研究 1991 ; 25 ; 52 – 60 . 4)座覇 修ら:軽症糞線虫症患者にみられる臨床症状についての検討 . 感染症誌 1992 ; 66 ; 1378 – 1382 . 5)杉田 博二ら:十二指腸粘膜生検にて診断しえた重症糞線虫症の 1 例 . Gastroenterological Endoscopy 1998 ; 40 ; 1190 – 1195 . 6)栗本 拓也ら:呼吸不全で死亡し剖検で診断された糞線虫症の 1 例 . 日内会誌 2014 ; 103 ; 969 – 971 .
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