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先使用権制度の円滑な利用に関する調査研究
我が国を含む世界の主要 国 の特許 制度においては、他者が特許出願をする前から、事業やその準備をしてい
れば、他 者 の特 許 権 の効 力 の例 外 として無 償 の通 常 実 施 権 が得 られる制 度 、いわゆる先 使 用 権 制 度 が設 けら
れている。
一方、先使用権制度が必ずしも利用しやすい制度になっていないとの指摘があり、平成 17 年度の産業構造審
議 会 知 的 財 産 政 策 部 会 特 許 制 度 小 委 員 会 において、判 例 等 を基 に先 使 用 権 制 度 の明 確 化 、先 使 用 権 の立 証
手段の具体化を図り、先使用権制度の利用の円滑化を図るためのガイドライン(事例集)を作成することが重要と
の答申が出された。
本 調査 研 究では、法 曹界、学 界、産業 界 等からの有識者による委員会を構成し、先使用権制度の明確化、先
使 用 権の立 証 手 段の具 体 化 についての前 記 委員会での議論の結果をまとめるとともに、諸外国(英・独・仏・中・
韓 ・台 )における先 使 用 権 制 度 の運 用 の実 態 や判 例 等 について、現 地 法 律 事 務 所 等 に調 査 を依 頼 し、そのレポ
ートの情報及び見解に基づき取りまとめた。
序
おける先使用権制度の運用状況の実態や判例等の調
査を行った。
我が国を含む世界の主要国の特許制度においては、
開発した技術をノウハウとして秘匿することを選択
Ⅰ.我が国における先使用権制度
した場合であっても、他者が特許出願をする前から、
事業やその準備をしていれば、他者が特許権を取得
したとしても、例外として無償の通常実施権が得ら
1.先使用権制度について
れる制度、いわゆる先使用権制度が設けられている。
(1)先使用権制度の概要
この制度を活用することにより、企業は継続して
我が国は先願主義を採用し、複数の者が独立に同
事業実施を行うことが可能となっているが、
「事業の
一内容の発明をした場合、先に特許出願した者(先
実施」、「事業の準備」を証明するために、どのよう
願者)だけが、特許権を取得し得ることを大原則と
な証拠をどの程度どのように残せばいいのか不明確
する。そして、特許権は、絶対的独占権であり、先
である等、先使用権制度が必ずしも利用しやすい制
願者よりも先に独立して同一内容の発明を行った者
度になっていないとの指摘があった。
にもその効力が及ぶ。
そのため、平成 17 年度の産業構造審議会知的財産
しかしながら、上記の先願主義の立場を完全に徹
政策部会特許制度小委員会において、先使用権制度
底させると、独立して同一内容の発明を完成させ、
の在り方について審議がなされ、判例等を基に先使
さらに、その発明の実施である事業をし、あるいは、
用権制度の明確化、先使用権の立証手段の具体化を
その実施事業の準備をしていた者も、特許権に服す
図り、先使用権制度の利用の円滑化を図るためのガ
ることになり、公平に反する等の結果となり得る。
イドライン(事例集)を作成することが重要との答
そこで、法律の定める一定の範囲で、先願者の特許
申が出された。
権を無償で実施し、事業を継続できるとすることに
より、両者間の公平を図ろうとするのが、先使用権
本調査研究においては、法曹界、学界、産業界等
制度である。
からの有識者による委員会を構成し、判例、通説や
企業の実態等を参考に、先使用権制度の明確化、先
この先使用権に関する特許法 79 条は、先使用権
使用権の立証手段の具体化についての前記委員会で
の要件と効果に関して、
「特許出願に係る発明の内容
の議論の結果をまとめるとともに、併せて諸外国に
を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係
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知財研紀要 2007
る発明の内容を知らないで自らその発明をした者か
は④の段階であったことを、一つの証拠から直接立
ら知得して、特許出願の際現に日本国内においてそ
証できる場合は多くない。日付入りの証拠資料によ
の発明の実施である事業をしている者又はその事業
り、上記③又は④の段階にあったことを認定してい
の準備をしている者は、その実施又は準備をしてい
るように考えられる裁判例もあるが、裁判の過程に
る発明及び事業の目的の範囲内において、その特許
おいては一連で上記①∼④の経緯を立証することが
出願に係る特許権について通常実施権を有する」と
重要である。
規定している。この条文は、①「特許出願に係る発
(ⅱ)発明者以外にも先使用権が認められるのか
明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許
先使用者が発明者以外の場合には、完成した先使
出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明を
用発明の「知得」が必要であり、これと特許法 79 条
した者から知得して」、②「特許出願の際現に」、③
の他の要件を満たしていれば先使用権が認められる。
「日本国内において」、④「その発明の実施である事
我が国のほとんどの発明が、職務発明であることか
業をしている者又はその事業の準備をしている者」
ら、このケースがむしろ普通となる。
は、⑤「その実施又は準備をしている発明及び事業
通常、企業においては、発明者が完成させた発明
の目的の範囲内において」、⑥「その特許出願に係る
に基づき、企業内で、その発明の実施事業に向けた
特許権について通常実施権を有する」という形で、
活動が開始され事業化に至るので、このような発明
区切って把握すると、より理解しやすい。このよう
の完成から実施に至る過程において、報告書、仕様
に、前半の「特許出願に係る・・・・・・準備をしている
書及び指示書等により発明が知得されていくことが
者」
(①、②、③、④)が、先使用権の主体につき規
多い。
定し、後半の「その実施・・・・・・通常実施権を有する」
(ⅲ)「事業の準備」とは、どのようなことをいうのか
(⑤、⑥)が先使用権の内容について規定するとい
「事業の準備」とは、いまだ事業の実施の段階に
う形になっている。
は至らないものの、「即時実施の意図を有しており」
上記の特許法 79 条の解釈の明確化、先使用権の立
かつ「その即時実施の意図が客観的に認識される態
証について注意すべき点や参考となる点、先使用権
様、程度において表明されている」ことをいう(ウォ
の証拠の確保に取り組んでいる企業の実例等は、次
ーキングビーム事件最高裁判決)。
項目以降でまとめている。
ただし、日常用語として「即時」というと非常に
短い時間であることが想起されるが、この「即時実
(2)先使用権制度の明確化
施の意図」における「即時」とは時間の長さだけで
(ⅰ)「特許出願の際現に」とは、どのようなことか
必ずしも判断されるものではなく、先使用発明の対
特許法 79 条は「特許出願の際現に・・・」と規定
象の性質、発明の完成から事業の準備、事業の開始
している。よって、他者の特許出願時に、現に日本
に至る一連の経緯を総合的に考慮して、認定される
国内で発明の実施である事業をし、又はその事業の
ものと考えられる。
準備をしていることが必要となる。
(ⅳ)先使用権が与えられる「発明の範囲内」とは
一般に、上記事業又はその準備に至る経緯は、下
ウォーキングビーム事件最高裁判決では「先使用
記①∼④をたどると思われる。
権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使
①
先使用発明に至る研究開発行為
用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけ
②
先使用発明の完成
でなく、これに具現された発明と同一性を失わない
③
先使用発明の「実施である事業」の準備
範囲内において変更した実施形式にも及ぶものと解
④
先使用発明の「実施である事業」の開始
するのが相当である。」と判示している。
上記①∼④のうち、
「特許出願の際」すなわち特許
主な裁判例の判断手法を検討すると、当該「実施
出願の時に、先使用権が認められる要件である③又
形式に具現された発明」が特許発明と一致するか、
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それとも一部に相当するかを判断し、一部に相当す
(2)日常業務で作成される資料において、先使用権の立
る場合には権利行使を受けている実施形式に具現さ
証に有効と思われる資料例
れた発明が、その一部の発明に該当するかという判
(ⅰ)技術関連資料
断手法を採用するのではなく、特許請求の範囲との
①研究ノート
関係も考慮しつつ、
「特許出願の際に現に実施又は準
ここでは、研究者が発明や考案の創造を目的とし
備していた実施形式に具現された発明」と「権利行
て研究をする際に、その創作の過程と結果を記録す
使を受けている実施形式に具現された発明」の同一
るものとする。特に先使用権の立証のための証拠と
性の有無を判断している。
いう観点から、長期保存に耐えるものを使用するこ
(ⅴ)先使用権が消滅する場合とは
と、差し替えできないノートを使用すること、筆記
発明の実施事業やその準備を中断等することによ
具にはボールペンなどを使用すること、連続頁番号
り、いったんは成立した先使用権が放棄され、ある
順に使用すること、貼付する資料には日付とサイン
いは消滅したと認められるような場合があるのかと
を記載すること、研究ノートを適切に管理すること、
いう問題について、実施の事業の廃止、長期の中断
第三者が理解できるように記録することに留意すべ
は放棄に当たるとする学説もあるが、いったんは先
きである。
使用権の成立していたことを認定した上で、この先
②技術成果報告書
使用権の放棄や消滅を明確に認定した裁判例は現在
ここで、技術成果報告書とは、企業等の研究・開
のところはない。
発部門において作成される研究・開発の成果に関す
ただし、これに関連する裁判例として、東京高裁
る報告書を広くいい、定期・不定期は問わない。一
平成 13 年 3 月 22 日判決があり、その判示から、特
般的には実験報告書、試作実験評価書、研究開発完
許出願の際の「事業の準備」は認められたとしても、
了報告書、開発研究期末報告書、研究開発月報、発
その後にその事業を断念した場合には、更にその後
明提案書などと呼ばれているものが挙げられる。
に、
「事業の準備」を再開して、その事業を開始した
③設計図・仕様書
としても先使用権は認められないといえる。
仕様書は、製品が備えるべき要件を記した文書で、
設計図は、製品等に係る形状・構造・寸法を一定の
2.先使用権の立証について
きまりに従って記した図面である。
(1)総論
(ⅱ)事業関係書類
先使用権の立証のために証拠を確保するに当たり、
各企業は自社の事情に合わせて、その方針や体制を
①事業計画書
少なくともある時点で企業等が事業化に向けて行
確立していくことが望ましい。そして、各社で、ど
動を開始することが示されている。
のような資料を確保し、どのように保管しておくか
②事業開始決定書
等について、予めそれぞれの担当部署、責任者を明
組織における実施事業の開始の最終的な意思決定
確にしておき、そのことを社内の研究者や開発者が
を示す書面である。
認識できるように、文書化し、社内に周知しておく
③見積書・請求書
ことが有益と考えられる。
製品開発においては、通常、外部企業と多くの取
どのような証拠があれば先使用権が認められるか
引が行われる。外部企業との取引に関する見積書・
は、一概には言えないが、発明の完成から、事業の
請求書は、先使用権を立証するための証拠になり得
準備、実施に至るまでの一連の事実を認識できるよ
る。
うな形で資料を残しておくことが望ましい。
その他にも、納品書・帳簿類、製造部門(工場な
ど)での作業日誌、カタログ、パンフレット、商品
取扱説明書等も有効と思われる。
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知財研紀要 2007
(ⅲ)製品等の物自体や工場等の映像を証拠として残す
えば、物体の動き、液体の流れる様子若しくは音な
手法の例
どは、映像として残して保存することが、証拠を残
①文書以外の証拠
す簡便な手法と言える。
文書(書証)によることが最も一般的であるが、
文書で残すことが難しい場合のために、文書以外で
(3)証拠を確保する契機(タイミング)
の証拠の残し方として有力な手法を二つ紹介する。
(ⅰ)日々作成される資料から証拠を確保する契機
②製品等の物自体を残す手法
①総論
ノウハウとして秘匿したい発明の要旨が、製品等
特許出願日前に、研究開発により発明を完成し(そ
の物自体に少なからず化体している場合や、製品等
の発明を知得し)、その発明の実施事業を準備し、そ
の物から推認することができる場合には、その物を
の事業を開始するに至った経緯を、時系列的に証明
残しておくことは非常に有益な先使用権の証拠とな
できるように、作成された資料を保管しておくこと
り得る。そして、その物が、いつから存在していた
は、極めて重要である。保管する資料の種類、その
かを証明することができる状態にしておくことが重
作成時期、保管方法及び保管期間などを定めるなど、
要となる。
企業内における組織的な資料の管理体制を整えてお
(a)小型の製品等を封筒に入れて封印し、確定日付を付
くことが望ましい。
してもらう手法例
一般的には、ある権利を立証するための証拠資料
公証人役場において、署名又は記名押印のある私
を保存する場合、要件となる事実が認められる証拠
文書(以下、「私署証書」という。)に確定日付を付して
が確保可能な時点ごとに、その証拠資料を収集し保
もらい、次に、製品等を入れ、開口部の部分をしっ
存することが望まれる。先使用権の立証においても、
かり糊付けした封筒に、封筒の口及び継ぎ目が隠れ
必要な事実が認められる時点ごとに、段階的に資料
るように私署証書を糊付けし、公証人役場において、
を確保していくことが好ましい。
私署証書と封筒の境目に確定日付印を押印してもら
②研究開発段階
う。
研究開発段階の資料は、研究開発が行われ、秘匿
これにより、糊付けした私署証書を破損しない限
ノウハウとした発明が完成に至った経緯を証明する
り、封筒内に手を加えることはできなくなる。
資料として有効である。
(b)やや大型の製品等を段ボール箱に入れて封印し、確
③発明の完成段階
定日付を付してもらう手法例
発明の完成は、事業の実施に先立つ要件として必
公証人役場にて、私署証書に確定日付を付しても
要になる。
らい、次に、大型の製品等を段ボール箱に入れて、
④事業化に向けた準備が決定された段階
段ボール箱の各開口部の閉じ目にしっかりとガムテ
先使用権の認められる可能性が生じ始める最も早
ープを貼り、封を閉じる。
い段階と位置付けられる。
さらに、開口面を通るように、途中で途切れるこ
⑤事業の準備の段階
となく一周以上ガムテープを巻いて貼る。続いて、
どのような行為を行っていたかを時間的経緯を追
それと十字に交差し、やはり開口面を通るように、
って、正確に立証できるようにしておくことが重要
一周以上、ガムテープを巻いて貼る。
である。
最後に、ガムテープが十字に交差した部分を覆う
⑥事業の開始及びその後の段階
ように、私署証書を糊付けし、私署証書と段ボール
製品を製造、販売している段階は、発明の実施で
箱の境目に確定日付印を押印してもらう。
ある事業をしている段階と認められる。
③映像を証拠として残す手法
⑦実施形式などの変更の段階
文書(文字や図面・絵)で表現しにくいもの、例
発明の実施事業の開始後に、発明の実施形式を変
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知財研紀要 2007
更することになった場合には、その変更により先使
②公証サービス
用権が認められなくなるおそれもあるので留意する
(a)確定日付
必要がある。
私署証書に確定日付印を押印してもらうことによ
(ⅱ)他社の特許出願や特許権の存在を知った際の対処
り、その私署証書がその日付の日に存在していたこ
方法
とを証明でき、裁判においても十分な証拠力を有す
る(民法施行法 4 条)。
他社が出願人の特許公開公報や特許公報に、その
特許出願日より前から自社が実施事業又はその準備
確定日付を付与してもらえる文書は私署証書であ
をしている技術と抵触するような発明が発見された
り、企業で作成される多くの文書について、確定日
場合には、その段階で、証拠資料をさかのぼって収
付を付与してもらうことができる。
集して、それを保管する方法もある。
(b)事実実験公正証書
そのような証拠収集のために、予め、各段階のタ
事実実験公正証書は、公証人が実験、すなわち五
イミングにおいて、日常的に、研究開発、工場及び
感の作用で直接体験した事実に基づいて作成する公
販売などの関連資料を組織的に管理する体制を整え
正証書で(公証人法第 35 条)、法制度上もっとも強
ておき、必要な時には、それらの資料にアクセスで
い証拠力が認められていると言われている。
事実実験公正証書は作成された翌年から 20 年間
きるようにしておくことが望ましいと言える。
(ⅲ)取引先との取引をするタイミングにおける自社実施
公証人役場の書庫に保存されるので、紛失や改ざん
の証拠の確保
の心配がない(20 年以上の保管も可能な場合があ
製品を販売したり、製造に関連して下請企業に部
る)。
品を発注したり、親会社に部品を納入したりする時
例えば、工場における薬品等の化学物質の製造方
点で、サンプル、図面若しくは仕様書など、先使用
法について、公証人を現地に招き、使用する原材料
権の確保のための証拠資料を収集し、保管しておく
や機械設備の構造や動作状況、製造工程等について
ことは有益である。
直接見聞してもらうことで、公証人が認識した結果
を記載してもらうことなどができる。
(4)証拠力を高めるための具体的な手法の紹介
(c)私署証書の認証
(ⅰ)総説
私署証書の認証とは、認証対象文書の署名又は記
先使用権を立証するための証拠としては、実施事
名押印が作成名義人本人によってされたことを証明
業若しくはその準備の内容を証明できるとともに、
するものである。
いつ作成されたのか(作成日)も証明できることが
認証日における証書の存在に加え、作成名義人が
重要である。その場合、改ざんされていないこと(非
署名又は記名押印をしたとの事実が認められ、文書
改ざん性)を証明でき、また、誰が作成したのか(作
の成立の真正についての証拠力が与えられる点につ
成者)も証明できることは、その証拠力を高める上
いては、確定日付と比べ、証拠力が高い。
で重要である。
その他にも、契約等の公正証書、宣誓認証、電子
(ⅱ)公証制度
データに対する公証サービス等がある。
①公証制度の概要
(ⅲ)タイムスタンプと電子署名
公証制度とは、公証人が、私署証書に確定日付を
①タイムスタンプ
付与したり、公正証書を作成したりすることで、法
タイムスタンプは、電子データに時刻情報を付与
律関係や事実の明確化ないし文書の証拠力の確保を
することにより、その時刻にそのデータが存在し(日
図ることで、私人の生活の安定や紛争の予防を図ろ
付証明)、またその時刻から、検証した時刻までの間
うとするものである。
にその電子情報が変更・改ざんされていないこと(非
改ざん証明)を証明するための民間のサービスであ
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知財研紀要 2007
Ⅱ.諸外国における先使用権制度
る。
このタイムスタンプには、法的な確定日付効はな
1.英国
い点に注意する必要があるが、時刻の先後に関する
特許法第 64 条に規定されている。先使用権成立の
一つの証拠として有益であると考えられる。
②電子署名
ためには、①優先日以前に、②イギリス国内におい
電子署名とは、実社会で書面等に行う押印やサイ
て、③善意に、④特許の侵害を構成する筈である行
ンに相当する行為を、電子データに対して電子的に
為を実行し、又はその行為を実行するために現実か
行う技術である。一定の要件を満たした電子署名の
つ相当な準備を行っていなければならない。
施された電子文書等は「電子署名及び認証業務に関
「現実かつ相当な準備」は、侵害行為の準備が行
する法律」により「本人の意思に基づいて作成され
為を実行する段階に達していることを要している。
たもの」であると推定される。
実施形式の変更は、現実かつ相当な準備がなされた
また、内容証明郵便、引受時刻証明郵便等の立証
出願前の行為と実質的に同一な範囲で認められると
手法もある。
解される。生産規模の拡大に関する判例はなく、特
許法 64 条は量的制限を課さないとする学説があり、
(5)企業の実例
一侵害製品を製造していた先使用権者は、その製造
開発した技術について戦略的にノウハウとして秘
行為をどのような規模でも(例えば新しいプラント
匿し、先使用権の証拠の確保に取り組んでいる企業
の購入を含むものであっても)拡大することができ
の実例を以下に紹介する。
ると考えられる。
ノウハウ秘匿を選択するか否かは、他社が独自に
Forticrete 対 Lafarge Roofing 事件(特許裁判所
技術開発することが困難な技術であること、製法に
2005 年 11 月 25 日判決)では、被告の優先日前の実
関する技術であること、加工方法など、製品から発
施行為と、侵害行為が実質的に同じとは認められな
明内容が漏れないこと等にかんがみ検討が行われて
いとして、先使用権が認められなかった。
いる。
2.独国
先使用権の証拠の確保の取り組みとしては、工場
のラインの映像や事業開始決定書などを DVD に保
特許法第12条に規定されている。先使用権の成立
存し、これを封筒に入れ公証人役場で確定日付を取
要件は、①特許出願時に、②ドイツ国内において、
得すること、最重要のノウハウについては、弁護士
③発明を所有し、④この発明の実施(発明の「使用」)
や弁理士を立会人として公証人に事実実験公正証書
又は発明の実施を開始するための真剣な準備(「必要
の作成を依頼、電子文書管理規程を設け、その中で
な準備」)により発明の所有が確認されることである。
民間タイムスタンプ・サービスの活用を規定するこ
「実施のために必要な準備」は、発明を後になって
と、電子化された設計図などに使用、技術部が作成
実施することを意図するものでなければならず、発
の作業指示書と、現場が行った試行錯誤の成果を記
明を近い将来に実施する真剣かつ明確かつ無条件の
載した作業履歴書をセットにして公証人役場で確定
意図を示すものでなければならないと解される。ま
日付を取得すること等が行われている。
た、先使用権は、一般に先使用権者が実際に実施し
また、ノウハウ秘匿する場合にも、特許クレーム
ていたか又は近い将来実施するために必要な準備を
及び明細書と同様のものを作成してノウハウの範囲
行っていた同種の実施又は特にこれらの具現化を対
を明確化すること、ノウハウ秘匿した技術に関して、
象とするものである。先使用権についての量的制限
中国等で生産する場合、その生産工場には最新技術
は存在しないと解され、生産規模並びに輸入規模を
を投入しない、顧客に対しても製造ラインの見学を
拡大することは可能である。
Elektrische Sicherungskörper 事件(フランクフ
厳しく制限すること等も行われている。
6
知財研紀要 2007
ルト地方裁判所 1965 年 11 月 18 日判決)では、販売
っては元の範囲内で行われているという、四つの要
目的ではない幾つかの試験サンプルの手作業による
件を満たさなければならない。
製造は、ヒューズの大量生産を開始するための発明
北京市高級人民法院の「特許権侵害判定の若干の
の有効な実施又は発明を実施するための十分な準備
問題についての意見」第96条は、必要な準備とは、設
とはみなされなかったため、先使用権は認められな
計図面と技術文書を既に完成し、専用設備と金型の
かった。
準備を終え、又はサンプルの試作等の準備作業を完
成すること、従前の範囲内とは、特許出願前に準備
3.仏国
した専用生産設備の実際の生産量又は生産能力の範
知的財産法典第 613 条−7に規定されている。①
囲内を指すとしている。
地域的要件(フランス領域内で)、②時期的要件(特
製造、使用の行為以外の、その他の行為、例えば、
許の出願の日又は優先権の日に)、③善意要件(善意
輸入の行為には先使用権は認められず、従前の範囲
に)、④客体的要件(特許の対象である発明を所有し
を超えた製造は、特許権の侵害を構成する。
ていた)という、四つの要件を満たさなければなら
高圧隔離スイッチ実用新案特許権侵害紛争事件で
ない。
は、特許出願日前の製品試作任務書には、解決しよ
発明の所有を立証するための制度として、ソロー
うとする課題のみが示され、具体的な技術考案に及
封筒制度がある。これは、同一の写しを2つ作成し、
んでおらず、被告は出願日までに必要な準備を整え
かかる二つの写しを産業財産庁に送付し、産業財産
ていなかったため、先使用権が認められなかった。
庁により受領日を記入及び穿孔された後、一方が送
5.韓国
付者に返却され、もう一方は産業財産庁の記録保管
特許法第 103 条に規定されていて、我が国の特許
所において保管されるというものである(知的財産
法 79 条と同様の規定である。①特許出願に係る発明
法典規則第 511-6 条)。
発明に関する知識があるだけで先所有権が認めら
の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出
れるが、その発明に関する完全な知識があったこと
願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし
の証拠を提出しなくてはならないとされている。他
た者から知得し、②特許出願時に、③韓国国内にお
人の特許取得に先立ち所有していた発明の具体的な
いてその発明の実施である事業をし、又はその事業
形態と均等なものにまで先所有権が及ぶと解される。
の準備をしていることを要件としている。
先所有権者による正当な実施は何ら量的な制限を受
「事業の準備」とは、少なくともその準備が客観
けることなく先所有権者が必要とする限り拡大する
的に認められる程度のものを必要とするものと解さ
ことができるものと考えられる。
れる。実施形式を変更した場合に先使用権が認めら
Case CONCEPT K Ltd (Hong Kong) 対 Mr.
れるかどうかについて、明確な規定はなく、また判
MOULIN 事件(パリ大審裁判所、2003 年 12 月 19
例も出ておらず、実施又はその準備行為を通じて具
日)では、出願日前に同社自らが当該発明をフランス
現化された技術思想を抽出して得られた発明の占有
において開示していることが証明され、海外で行わ
範囲内で肯定されるとする学説がある。先使用権者
れた発明について外国企業に先所有権が認められた。
はその事業目的の範囲内でならば事業規模を拡張し
て発明を実施しても問題にならないと考えられる。
最高裁 1993 年 6 月 8 日判決は、出願前に事業を
4.中国
特許法第63条に規定されている。①特許技術と同
実施していたが、事業不振のため廃業しており、出
じ技術を実施又は実施のための準備を行っている、
願時にその実施事業を持続していない場合の事案で
②実施又は実施の準備は出願日までに行われている、
ある。出願時にその実施事業を持続していない場合
③先使用行為が善意で行われている、④実施に当た
には先使用権が発生しないと判示された。
7
知財研紀要 2007
6.台湾
特許法第57条に規定されている。先使用権の成立
要件は、①特許出願前に、その発明を中華民国にお
いて実施していたか又はその目的のために必要なす
べての準備を完了させていたこと、②発明の実施又
はその準備は善意で行われたものであること、③発
明の実施は先使用者が行っていたもともとの事業の
範囲に収まるものであること、である。
「專利侵害鑑定要點」(台湾経済部知的財産局)は、
「「必要なすべての準備を完了」とは、同様の物品の
製造又は同様の方法の実施のために中華民国におい
て行われた必要な準備を指す。」と言及している。
「必
要なすべての準備」の具体的意義を論じている判例
はないが、製造するのに必要な機械と鋳型を購入し
たことは必要な準備を完成したと認めることができ
る、と判決理由の中で言及する判決がある。実施形
式を変更した場合に先使用権が認められるかどうか
に関する判決はなく、先使用権が狭く解釈されがち
である台湾の実務状況からすれば、発明の実施形式
を変更した場合には、先使用権が認められ難いと考
えられる。
2006月10月13日台湾士林地方裁判所判決では、雑
誌広告、出荷表、領収書及び小切手等を証拠として
提出し、出願以前に既に関連する電子装置と関連す
る方法を使用して製造を行っており、係争のマウス
を公開で販売していたことが認められるとして、先
使用権が認められた。
(担当:研究員
池嶌裕介)
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知財研紀要 2007