中津干潟三百間砂州における袋詰め石突堤に よる沿岸漂砂の制御実験

土木学会論文集 B3(海洋開発)
Vol.67,No.2,2011
中津干潟三百間砂州における袋詰め石突堤に
よる沿岸漂砂の制御実験
FIELD EXPERIMENT OF CONTROLLING LONGSHORE SAND TRANSPORT
USING STONE GROIN IN SANBYAKKEN REGION IN NAKATSU TIDAL FLAT
酒井和也1・宇多高明2・足利由紀子3・清野聡子4・山本真哉5・三原博起6・
沖 靖広6
Kazuya SAKAI, Takaaki UDA, Yukiko ASHIKAGA, Satoquo SEINO, Shinya YAMAMOTO,
Hiroki MIHARA and Yasuhiro OKI
1正会員
修(工)
2正会員
工博
(財)土木研究センターなぎさ総合研究室(〒110-0016 東京都台東区台東1-6-4)
(財)土木研究センター常務理事なぎさ総合研究室長兼日本大学客員教授理工学部
海洋建築工学科(〒110-0016 東京都台東区台東1-6-4)
3NPO法人水辺に遊ぶ会理事長(〒871-0024 大分県中津市中央町2-8-35)
4正会員
工博 九州大学工学研究院環境都市部門准教授(〒819-0395 福岡県福岡市西区元岡744番地)
5大分県中津土木事務所建設課長(〒871-0024 大分県中津市中央町1-5-16)
6大分県中津土木事務所建設課(〒871-0024 大分県中津市中央町1-5-16)
A field experiment on sand back passing was carried out in Sanbyakken Region in Nakatsu tidal flat in Oita
Prefecture. 3600 m3 of sand was dredged at the tip of the sand spit, which causes the closure of the Kakise River
mouth, and such sand was transported to the west end of the sand spit. To prevent sand from rapidly returning to the
tip of the sand spit, a 24-m-stone groin was experimentally installed at the middle of the sand spit. The effect of
controlling longshore sand transport was investigated. Aerial photographs were taken four times during the
monitoring period. The stone groin had a mild effect on the shoreline changes compared with that of the ordinary
groin because of short length and low crown height.
Key Words : Sand back passing, field observation, longshore sand transport, groin effect
1.はじめに
大分県の山国川および中津川河口沖には広大な干
潟が広がっている.この干潟に流入する中津川と蛎
瀬川に挟まれた三百間地区には,長さ約600mの砂州
が伸びており,その背後には塩性湿地が形成され,
多様な生物の住処となっている1).この砂州は近年
その姿を急速に変えつつあり,とくに蛎瀬川河口で
は砂州の発達に伴い河口閉塞が懸念され,近隣住民
から砂州の安定化や除去の要望が出されている.こ
の砂州は蛎瀬川にとっては河口閉塞の原因となる一
方,三百間地区西部では自然の防波堤として高潮対
策上の機能を果たしている.したがって河口閉塞が
危惧されるという理由で直ちに砂を除去することは
高潮対策や背後の塩性湿地の保護から見て逆効果と
なる恐れがあった.このことから三百間砂州の変形
機構の十分な理解が必要となり,清野ら2)は1947~
2005年の空中写真を用いて砂州の長期変化機構を分
析した.その後,2009年には河口閉塞が著しいこと
から対策として河口前面の堆積土砂を除去する一方,
その砂を三百間砂州の西部へ運んで養浜するという
サンドリサイクルの計画が立てられた.この計画に
基づき,2009年8月以降蛎瀬川河口前面の堆積区域
から砂(3600m3)を採取し,西端の斜路前に投入す
るサンドリサイクルが開始された.その際,投入砂
が先端部へと急速に戻るのを防止するために,西端
の斜路から東に440m地点に袋詰め石製の長さ24mの
突堤を2009年8月31日~9月3日に設置した.砂嘴先
端部の土砂の除去は8月27日~8月30日に行い,突堤
完成後の9月4日~9月15日に養浜を行った.この間,
2007年から2010年までに4回の空中写真撮影と縦断
形測量を行って海浜状況の変化を調べ,サンドリサ
イクルの効果と沿岸漂砂の制御を目的とした袋詰め
石突堤の効果を調べた.
2.袋詰め石突堤設置前後の砂州形状の変化
I_1075
勾配1/8の砂州上のDL+4mまでの間に設置した.なお,
中津干潟の潮位条件としてHWLはDL+3.45m,LWLは
DL+0.8m,MSLはDL+1.95mにある.また突堤の沈下防
止のために干潟面上にはセル型グラベルマットを基
礎として敷設した.突堤の縦断形の詳細については
後述の図-12(a)のX=400m断面に詳しい.
2009年10月3日の空中写真を図-1(b)に示す.蛎瀬
川河口方向に伸びていた砂嘴が中央部で除去され,
対岸との間に70mの開口部が形成された.この付近
から除去された土砂は三百間砂州の西端の,図1(b)に示す養浜区間へ運ばれて投入されたため,
2007年には護岸が露出していた西端部付近で前浜が
広がった.とくに2007年ではPA間の汀線は窪んでい
たが,そこでは汀線が大きく前進した.対照的に突
堤の東側隣接部では汀線が後退した.また砂州の東
端が東向きに移動し,2007年には砂州先端の東17m
にあった地点Bが砂州と繋がると同時に,地点Bを南
側に回り込んだ場所に半径25mの円形状砂州が形成
された.
2009年10月15日では(図-1(c)),突堤西側の汀
線の突出量が増大し,また三百間地区西端の三角形
状の護岸前面での堆砂量が増加したが,10月3日以
降この付近では養浜は行われていないので養浜によ
るものではなく,中津干潟沖合での覆砂が波の作用
で岸へと運ばれたためと考えられる3).一方,砂州
東端部では半円形状砂州の規模がさらに増大してい
る.
2010年2月28日になると,養浜砂が投入された三
百間砂州の西端部では砂が東向きに運ばれて汀線が
後退する一方,突堤の西側では汀線の前進が続いて
いる(図-1(d)).また突堤を越えて東向きに沿岸
漂砂の一部が流れ出したため,一時は侵食された突
堤東側隣接区域で再び汀線の前進が起きている.砂
州東端部では,地点B南側の砂州が蛎瀬川河口側へ
と移動した.
(a) 2007年12月9日
N
P A
Y
B
X
0
200
蛎瀬川
(b) 2009年10月3日
N
A
養浜区間
B
0
200
(c) 2009年10月15日
N
A
B
0
200
(d) 2010年2月28日
N
区域①
A
区域②
B
0
200
3.袋詰め石突堤周辺の海岸状況
図-1 中津干潟三百間砂州における袋詰め石突堤設置前
後の砂州の変化
最初に袋詰め石突堤設置前後の砂州の変化を空中
写真により調べた.図-1(a)は2007年12月9日撮影の
三百間砂州の空中写真を示す.この時点では三百間
砂州の東端部から幅31m,長さ105mの砂嘴が南向き
に大きく伸び,蛎瀬川右岸護岸との間にわずかに
15mの開口部を残すのみであった.この砂嘴の発達
により蛎瀬川の流路は右に大きく蛇行して流れてい
た.この状況のもとで蛎瀬川下流域の住民から砂州
の除去の要望が出された.なおこの当時の砂州の汀
線は矢印Pの先で段差を有していたが,これは当時
この付近に固結した潟土が露出し,それが小規模な
突堤の機能を発揮していたためである.一方,矢印
Aは突堤の設置位置を示す.袋詰め石製突堤は長さ
が24mであり,ほぼDL+2mの干潟の平坦面より,前浜
2010年6月4日,三百間砂州に設置された突堤周辺
の現地踏査を行った.まず,図-2は堤防斜路の基部
から突堤を東向きに遠望したものである.西側では
沖合に礫が散乱しているが,その先では矢印位置に
ある突堤が東向きの沿岸漂砂を阻止しているため汀
線が大きく前進していた.突堤に接近すると図-3の
ように,西側から運ばれてきた砂が堆積したため突
堤中央部は砂に埋まっていたが,突堤先端部が砂浜
上に姿を現していた.突堤中央部では砂浜の高さは
突堤の天端高よりわずかに高いため,沿岸漂砂の一
部が突堤を越えて流れている状況が観察された.突
堤上での砂の越流状況を突堤の付け根から望んだの
が図-4である.突堤を境に段差が付いており,図-5
に示すように突堤の東西での地盤高の差は0.8mで
あった.一方,突堤先端の海浜地盤高はDL+2.0mで
I_1076
図-6 突堤先端部から下手側を望む
図-2 堤防斜路の基部から突堤を東向きに遠望
(2010年6月4日)
図-7 突堤下手側から突堤を望む
図-3 突堤上手側での砂の堆積
あって,東西両側で等しいため沿岸漂砂は東側へと
回り込んでいた.突堤先端部から下手側を望んだの
が図-6である.従来,突堤の下手側は著しく侵食さ
れ,粘性土層が露出していたが,そこでは汀線の回
復が見られた.図-7は突堤下手側から突堤を望んだ
ものであるが,下手側からは突堤の全貌が見て取れ,
突堤を挟んで地盤高の違いが起きていることがよく
分かる.このような標高差が付いていることは突堤
が沿岸漂砂制御効果を有していることを表している.
4.突堤と砂州先端部周辺の詳細地形判読
図-4 突堤上での砂の越流状況
図-5 突堤の左右に形成された段差
図-1(d)に示したように突堤周辺と砂州先端部に
区域①②を設定し,これらの区域の詳細な地形変化
を判読した.図-8は区域①の変化を示す.なお,各
時期の空中写真にはその前回撮影時の干潮時汀線を
破線で示す.汀線位置は,中津近傍の苅田港におけ
る潮位データを用いて潮位補正を行った.なお,後
述の図-9,10についても同様に潮位補正を行った.
2007年には矢印P付近で段差が付いたのち汀線は東
向きに直線状に伸びていた.2009年9月4日に突堤が
完成すると,10月3日までに突堤の西側では汀線が
19m前進した.同時に突堤の下手側では汀線が後退
し,海浜表面下の粘性土層が現われたため黒く写さ
れている.また突堤の東側隣接部には突堤の裏側か
ら流出したと見られる砂が局所的に堆積している.
10月15日には10月3日と比べて突堤西側隣接部で汀
線がわずかに前進している.2010年2月28日では,
I_1077
(a) 2007年12月9日
(a) 2007年12月9日
(b) 2009年10月3日
P
B
B
N
0
50m
N
(b) 2009年10月3日
0
N
0
50m
(c) 2009年10月15日
(d) 2010年2月28日
B
N
0
50m
B
2009 年 10 月 3 日
2009 年 10 月 15 日
2009 年 10 月 3 日
50m
2007年12月9日
C
(c) 2009年10月15日
N
0
N
50m
0
50m
図-9 区域②の砂州変化
N
0
5.汀線変化
50m
2009年10月3日
4時期の空中写真をもとに汀線変化を調べた.対
象地域の汀線は滑らかな曲線状であるが,図-1(a)
に示したように砂州の平均汀線方向にX軸,これと
直角方向にY軸を定め,X軸から汀線までの距離を読
み取った.その上で初回の2007年12月9日の汀線位
置からの変化量を求めた.図-10はこのようにして
N
求めた2010年2月28日までの汀線変化を示す.突堤
の西側隣接域では汀線が前進し,その前進量は10月
0
50m
2009年10月15日
3日には11m,10月15日には16mとなり,その後2010
図-8 区域①の変化
年2月28日には19mまで前進した.突堤西側では時間
10月15日と比べ突堤の西側直近では汀線が前進し,
経過とともに前浜前進域が増加しているが,突堤の
突堤先端を超えて砂が東側へと流出し,一時的に粘
東側面では10月15日から2月28日の間は汀線変化が
性土層が露出した部分にも突堤側から砂が被さった. 見られず,その東側のX=430~460m間で堆積したこ
図-9は区域②の変化を示す.2009年10月15日以降
とから,10月15日までに既に汀線は平衡状態に達し,
の空中写真には汀線位置も示す.2007年に蛎瀬川河
突堤を越えた沿岸漂砂が生じていたと推定できる.
へと斜めに大きく伸びていた砂州が除去された後,
なお図-10において突堤西側のX=250mと突堤間では
2009年10月3日には地点Bの南側に半径約25mの半円
汀線が単調に前進してきているので,この地点まで
形状砂州が形成された.10月15日には半円形状砂州
突堤による沿岸漂砂制御効果が現われていると考え
の南側側面に砂が堆積し,その頂点が南側に10m移
られる.そこでX=250m地点から突堤までの区間につ
動した.また2010年2月28日には砂州の膨らみの頂
いて海浜面積の増加量を求めると,2007年12月9日
点の位置が南側に22mずれ,10月3日および10月15日
から2009年10月3日までが403m2 ,10月3日から15日
には砂州として砂が堆積していた東部が削られた.
で 646m2 ,10月15日から2010年2月28日で 557m2 と
一方,砂州の膨らみよりさらに奥まった場所にあっ
なった.
た突起はその先端部が削られ,砂が入り江の奥へと
突堤の東側では突堤による東向きの沿岸漂砂の阻
移動した.結局2つの突起が発達しつつ奥へと移動
止により突堤からX=560mまでの区間で汀線が後退し
したことが分かる.ここで人工的改変が行われてい
ているが,砂州の東端では汀線が単調に前進してい
ない2009年10月3日以降の空中写真をもとに直線BC
る . そ こ で X=560m か ら X=700m 地 点 ま で の 長 さ
より東側区域の砂州面積の増加量を求めると,10月
(140m)と2007年12月9日から2010年2月までの汀線
3日から10月15日までで166m2,10月15日から2010年
前進量(8.6m)から方向角の変化を求めると,汀線
2月28日までで412m2となった.
は約3°反時計回りに回転したことが分かる.
(d) 2010年2月28日
I_1078
X=0
400
300
450
600
700
汀線変化量 ΔY (m)
20
2009年10月3日
2009年10月15日
2010年2月28日
15
10
5
0
-5
突
堤
-10
-100
0
100
200
300
400
B
500
600
700
800
沿岸方向距離 X (m)
図-10 2007年12月9日を基準とした2010年2月28日までの汀線変化
(a)
5
6
X=300m
5
Z (DL m)
Z (DL m)
(b)
6
X=0m
4
3
2007年11月30日
2009年8月24日
2009年9月28日
2010年2月14日
2
1
0
20
40
4
3
2
X=395m
4
3
2
凡例は(a)と同一
1
60
80
Y (m)
(c)
5
Z (DL m)
6
凡例は(a)と同一
1
100 120
0
20
40
60
80
Y (m)
100 120
0
20
40
図-11 縦断形変化(X=0, 300, 395m)
6
X=400m
4
3
2007年11月30日
2009年8月24日
2009年9月28日
2010年2月14日
2
1
0
6
20
40
4
3
(c)
X=450m
4
3
2
凡例は(a)と同一
100 120
0
20
40
60
80
Y (m)
凡例は(a)と同一
1
1
60
80
Y (m)
100 120
5
2
100 120
0
20
40
60
80
Y (m)
100 120
図-12 縦断形変化(X=400, 405, 450m)
(a)
(b)
6
X=600m
X=700m
5
Z (DL m)
5
Z (DL m)
6
X=405m
5
Z (DL m)
Z (DL m)
5
(b)
Z (DL m)
6
(a)
60
80
Y (m)
4
3
2007年11月30日
2009年9月28日
2010年2月14日
2
1
0
20
40
4
3
2
凡例は(a)と同一
1
60
80
Y (m)
100 120
0
20
40
60
80
Y (m)
100 120
図-13 縦断形変化(X=600, 700m)
突堤の西側では時間経過とともに堆砂が進んだ.
この区域よりX=300mと395m断面の縦断形変化を図6.縦断形変化
11(b)(c)に示す.X=400mに位置する突堤に接近する
に従い堆積量が増大しており,地形変化はDL+2.0m
図-11(a)は砂州西端部に位置するX=0m断面におけ
からDL+4.4mまでで起きており,この間海浜縦断形
る縦断形変化を示す.X=0mは三百間砂州の西側で,
はほぼ平行移動している.このことから当地での漂
沖向きに三角形状に張り出した護岸を通る位置にあ
る.ここでは2007年11月30日には前浜がなかったが, 砂の移動高はほぼ2.4mであることが分かる.また
2009年9月28日までに三角形状の前浜が形成された. X=395mにおいて各時期の前浜勾配を測定すると,
1/7.2(8月24日),1/9.5(9月28日),1/7.0(2月
しかし,その後侵食され元の縦断形に戻った.これ
3)
14日)であり,平均では1/8となった.
は沖合での覆砂が波の作用で岸へと運ばれ ,その
図-12(a)は,突堤を横断するX=400m断面の縦断形
後沿岸漂砂により運び去られたことを表すと考えら
を示す.ここでは当初複断面形で造られた突堤が変
れる.
I_1079
この突堤は地盤高の変化に追随する沈下を許してい
る.このように本研究で設置した袋詰め石突堤は,
従来の突堤と異なり地形変化に柔軟に対応し,一部
の沿岸漂砂の流出を許すことにより下手側で著しい
侵食を生じさせない機能を有している.従来型の突
堤では,下手側直近で汀線が楔状に後退する例が多
いが,本研究の突堤では砂の堆積量に応じて下手側
へ砂が供給されるため,当初後退した下手側汀線が
時間経過とともに再び前進する現象が観察された.
この突堤では,下手側への砂移動が起こることから
サンドリサイクルの土砂が蛎瀬川河口へと再び戻る
ことになるが,それを完全に阻止するのではなく,
緩やかな回帰を認めるという設計思想を有している.
またマットと袋詰め石を設置するのみなので順応的
管理が容易なことも特徴の一つである.
7.沿岸漂砂量の推定
サンドリサイクルについては,総掘削量3600m3の
うち10月3日から2月28日までに1387m3の砂が三百間
図-9に示したように,砂州東端部の区域②では砂
砂州の東端部へと移動し,全掘削量の39%が再堆積
嘴先端部を除去した後再び砂嘴の発達が見られた.
している.ただこの砂は突堤の西側に投入された砂
そこで図-9(d)に示すように,砂州先端部を通る直
線BCの南側に堆積した砂浜の面積変化量を求めると, が先端部に戻ったのではなく,砂州先端部の地形が
不安定となったためその隣接域が削られ,砂州先端
2009年10月3日から15日で166m2,2009年10月15日か
2
へと流れ込んだものである.突堤の西側海浜を広げ
ら2010年2月28日で412m の増加となった.一方,縦
る目的で投入された砂は突堤により流出を抑制され
断形変化から漂砂の移動高は2.4mと得られているの
つつ緩やかに東向きに流出している.このように砂
で,これを海浜変化面積に乗じて変化土砂量に換算
3
3
すると,土砂増加量はそれぞれ398m ,989m ,また, 州先端部での堆砂は起きたものの,2010年2月28日
段階では蛎瀬川河口は掘削前と比べて大きく開いて
10月3日から2010年2月28日までの総変化土砂量は
3
3
おり,河口閉塞防止の意味では効果を上げている.
1387m と な っ た . こ れ は 総 掘 削 量 3600m の 39% で
7.で述べたように,砂州先端部の地点Bを東向きに
あった.またこの間の沿岸漂砂量については観測期
通過した沿岸漂砂量は,年率換算で約3400m3/yrで
間が短いことから年率換算することにはやや疑問が
あった.1年間の堆積量は砂州先端部の掘削量
あるが,一応年率換算すると3398m3/yrとなった.
3600m3とほぼ等しい.すなわち,砂州先端部の詳細
一方,突堤周辺でも砂の堆積が起きたことから,
形状は別として採取量とほぼ等しい砂の流入がある
X=250m地点から突堤までの区間での海浜面積の増加
ことになり,蛎瀬川河口部での過剰堆積防止の観点
量を算出すると,2007年12月9日から2009年10月3日
2
2
から見ると突堤を造ってもその効果が長続きしない
までが403m ,10月3日から15日で 646m ,10月15日
2
という課題がある.砂州先端部への砂の流れを抑制
から2010年2月28日で 557m の増加となった.同じ
するには,突堤位置を地点Bに近づけることが必要
く移動高2.4mを乗じて土砂量に換算すると,それぞ
3
3
3
である.一方で,突堤と養浜により三百間砂州の西
れ土砂増加量は967m ,1550m ,1337m となる.総計
3
部での浜幅を広げる上では効果が出ているのも確か
では3854m となった.うち10月3日から2010年2月28
3
3
である.このように突堤設置場所についてはtrade日までの堆積土砂量は2887m で,総掘削量3600m の
offの関係があることとなる.これらの点について
80% で あ っ た . ま た , 沿 岸 漂 砂 量 は 年 率 換 算 で
3
は現在もモニタリングを継続しているので,それら
7120m /yrであった.
のデータも含めて今後の課題としたい.
形し,先端ではほぼ直角な断面が沈下に伴い1/7と
緩くなった.また複断面の勾配変化点では施工後
31cm天端高の低下が起きた.また突堤から5mのみ下
手側のX=405m断面では,9月28日から2月14日の間に
砂が堆積している(図-12(b)).通常の不透過突堤
ではこの付近では著しく侵食されるのに対し,この
突堤では沿岸漂砂の一部が下手側へと流れることが
可能なので緩やかな変化が起きた.しかし突堤から
離れたX=450m断面では侵食が起きた(図-12(c)).
さらに,砂州の東部のX=600m断面ではほとんど変化
が生じないが,X=700m断面ではDL+4.3mからDL+2.3m
間で堆積が生じた(図-13(a)(b)).
8.まとめ
参考文献
三百間地区では,海浜縦断形に沿わせて突堤が設
置されたが,初期海浜地盤高と突堤天端との標高差
は2mであった.このため突堤上手側では沿岸漂砂が
阻止されて地盤高が上昇すると標高差が次第に減少
し,上手側海浜の地盤高と突堤天端高が一致すると
沿岸漂砂の一部が越流により下手側へと流出した.
また突堤の先端部両側の地盤高はDL+2mと同一なの
で,突堤先端まで砂が堆積すれば一部の砂は突堤先
端を下手側へと回り込むことが可能であった.また
1) 清野聡子・宇多高明・足利由紀子・神田康嗣・和田太
一・城野博之:干潟縁辺部における砂州で囲まれた塩
性湿地の生物環境条件,海岸工学論文集,第 54 巻,
pp.1271-1275, 2007.
2) 清野聡子・宇多高明・足利由紀子・神田康嗣・城野博
之:中津干潟三百間地区における砂州の大変形の機構,
海岸工学論文集,第 54 巻,pp.566-570, 2007.
3) 足利由紀子・清野聡子・宇多高明・畦津義彦・菖蒲明
久・三原博起・小森信二・渡辺誠治・酒井和也:中津
干潟沖での覆砂の岸向き移動機構, 海岸工学論文集,
第 57 巻, pp.1181-1185, 2010.
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