2011年8月19日 国際青年の日マドリッド大会十字架の道行後の講話

マドリッドWYD2011十字架の道行
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
2011 年 8 月 18-21 日 第 26 回世界青年の日
十字架の道行後の講話
マドリッド・シベーレス広場
2011 年 8 月 19 日金曜日
熱意に溢れた約 60 万人の会衆とともに催行された十字架の道行にベネディクト 16 世は、教皇としてWY
D史上初めて全行程に参加された。会場となったシベーレス広場に繋がる通りには、Paseo de Recolectos
と呼ばれる 17-18 世紀にスペイン各地で作成され、聖週間に展示される等身大の人形の美術表現による
14 留が設えられた。十字架の道行を締めくくる教皇の講話は以下の通り。
愛する若者の皆さん、
敬虔な信心と熱心をもって私達
はこの十字架の道行を行いなが
ら、キリストの受難と死に付き
添って歩きました。最も貧しく
必要に事欠く人々に仕える十字
架の姉妹たちのコメントが、キ
リストの栄光に輝く十字架の神
秘の中に深く入り込めるように、
私達を助けてくれました。この
キリストの十字架は、自分が賢
いと信じる人々とこの世界を裁
く神の知恵を携えています(参照:1コリント 1,17-19)。このカルヴァリオに向かう行程
で私達を助けてくれたのは、スペイン各教区の宗教的財産である特別に素晴らしいこれら
の人形像です。信仰と芸術がそこで互いに調和し合い、人の心に達して回心へと招こうと
する人形像です。信仰の眼差しが透き通っていて真正であ
れば、美はこの眼差しに仕えるようになりますし、私達の
救いの神秘を表象し、ちょうど傷だらけのイエズスのお姿
を観想したイエズスの聖テレジアに起こるように(参照:
命の書 9,1)、私達を深く感動させ、この心を変化させる力
があります。
イエズスがカルヴァリオでご自分を明け渡される頂点に至るまで、彼と共に進みながら、
私達の頭に浮かんできたのは聖パウロの言葉です。
『キリストは私を愛し、ご自分の命を私
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
のためにお与えくださいました』(ガラテヤ 2,20)。これほ
どに無私無欲な愛を前にして、驚嘆と感謝の思いに満たされ、
私達は今度は自分に問いかけます。彼のために私達は何をし
ようか?どんな答を彼にしようか?聖ヨハネがそれを明快
に教えてくれます。
『これをもって、私達は愛を知りました。
つまり、彼はご自分の命を私達のためにお与えくださったの
です。ですから私たちも兄弟のために命を与えねばなりません(1ヨハネ 3,16)。キリスト
の受難は私たちを急き立て、世界の苦しみを私達の肩に担がせようとします。神とは人と
その悲運逆境から隔たり遠くに離れている何者かではないと確信してです。それとは反対
に、神が自らを私達のひとりと成してくださったのは、人とともに苦しむことができるた
め、それも非常に現実的に、肉と血によって苦しむことができるため…そこから人のあら
ゆる苦悩の中に、苦悩と辛抱とを分かち合う人が入られたのであり、そこからあらゆる苦
悩の中に、con-solatio 共に慰むる事、神の共有する愛の慰めが拡散するのであり、こうし
て、希望の星が昇るのです』(Spe salvi「希望による救い」39)。
親愛なる若者の皆さん、私達に対する神の愛が君
たちの喜びを増し、あまり気に入らない人々の身
近に留まるように君たちを駆り立ててくれますよ
うに。他の人々と人生を分かち合うという考えに
とても敏感な諸君、人間の苦しみの前を通り過ぎ
ないでください。そこで神は君たちをお待ちにな
っているのであり、それは君達が君達自身の最善
を提供するため、つまり、愛して共に苦しむという君達の能力を提供するためなのです。
十字架の道行に沿って、私達の目の前に次から次と現れた苦しみの様々な形態は主の呼び
声であり、それは人生を主の足跡を辿りながら築き、私たちを彼の慰めと救いのしるしと
するためです。『他者のために、もう一人とともに苦しむことであり、真理と義への愛のた
めに苦しむことであり、愛が原因で、真に愛する人格となるために苦しむこと– これらは
人類の根本的要素であり、これらを放棄する事は人間自身を破壊するでありましょう』(同
上)
。
私達がこれらの教えを受け入れ、それを実践することができるようにと念願します。それ
ゆえ、粗木の上に掛けられているキリストに眼差しを向けましょう、そして、この十字架
の神秘的な知恵を私達に教えてくださるように、彼にお願いしましょう。この知恵のおか
げで人間は生きているのです。十字架は挫折の結果ではなく、むしろ自らの命の途方もな
い贈与に至るまでの愛の申し出の顕示の仕方です。御父は、愛のために十字架に付けられ
ている御子に抱擁された人々を愛したいとお望みになりました。十字架はその形態とその
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
意義において、この御父とキリストの人々に対する愛を表象しています。十字架において
至高の愛のイコンを認識しましょう。そこで神が愛される事を愛し、神がそれを愛される
ように愛することを教わるのであり、これが世界に希望を改めて与える良い知らせなので
す。
さあ今度は私達の眼差しをおとめマリアに向けましょう。彼女はカルヴァリオで私達に母
として委ねられました。その愛に満ちたご加護で、人生の歩みにおいて、特に悲嘆の夜を
過ごす時、私たちを支えてくださるように、彼女に懇願しましょう。私達が彼女のように
十字架の足元にしっかりと自分を保ち続けるように力を振り絞ることができますように。
ありがとう。