2011 年四旬節ローマ小教区司牧訪問・献堂式ミサ聖祭説教

2011 年四旬節ローマ小教区司牧訪問・献堂式ミサ聖祭説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
四旬節第2主日ローマ小教区訪問
インフェルネットの聖コルビニアーノ教会献堂式ミサ聖祭
聖父ベネディクト 16 世の説教
2011 年 3 月 20 日日曜日
ベネディクト16世聖下は毎四旬節ひとつのローマ小教区を司牧訪問なさっていたが、2010年四旬節第2主日は、
御自分が司教をしていらしたバイエルン州フライジングの保護聖人コルビニアーノを保護聖人に戴く新しい小教区
であった。出来上がったばかりの教会の献堂式という特別で厳かな機会を迎えた信徒達の心に溢れる喜びを推し
量り、その感動を共にするパパ様の言葉には慈父としての愛情と喜びと感謝と励ましが満ちている。フライジングとミ
ュンヘン教区の前大司教と現大司教のふたりの枢機卿方も参列される中、丹念に新祭壇をオリーブ油で聖別し、
新聖堂を香のくゆりで満たし、主なる神に捧げ、最初のミサ聖祭を執り行われた。
親愛なる兄弟姉妹方!
私は、聖コルビニアーノの名前を戴いたこの教会を神と共同体への奉仕に捧げるという、こん
なに意義深い行事を司るために、あなたがたの間只中におりますのを大変嬉しく思います。御
摂理は、この私達の会合がイエスの変容の福音を特徴とする四旬節第2主日に実現したいと望
まれました。それ故、きょう私達は、どちらも非常に重要なふたつの要素を近づけることにな
ります。そのふたつとは、一方が変容の神秘、他方は神殿の神秘、即ち、あなたがたの家の間
にある神の家の神秘ということです。私達が聞いた聖書朗読は、このふたつの側面を照らし出
すように選ばれています。
変容です。福音史家マタイが私達に語ったのは、イエスが彼の弟子の中の3名、ペトロ、ヤコ
ブ、それからヨハネを連れて高い山に登った時に起こった事についてです。彼らが彼らだけで
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
山上にいる時、イエスの顔面が燦然と輝きを放ち、彼の衣服も同様に輝き渡ったのです。それ
が、
「御変容」と私達が読んでいるものであり、明るく光り、元気を持たせてくれる神秘です。
その意義は何でありましょうか?御変容は、イエスのペルソナの啓示、彼の深奥な現実の啓示
です。実に、出来事の目撃者達、即ち、3名の使徒達は一片の雲に包まれました。その雲も
煌々と光っており、それは聖書の中では常に神の現存を告げるものであり、そして彼らはこう
いう声を耳にしました、
『これは私の息子、愛する者、私が満悦している子である。あなたがた
は彼の言うことを聞きなさい』
(マタイ 17,5)。この出来事によって弟子たちはイエスの過越し
の神秘へと準備されました、つまり、受難の恐ろしい試練を克服し、そして、復活の明るく輝
く事実をよく理解するようにと準備されたのです。
物語はモーゼとエリヤについても語り
ます。出現した彼らはイエスと話し合
っていました。実際には、このエピソ
ードは他にふたつの神の啓示と繋がり
があります。モーゼはシナイ山上に登
り、そこで神の啓示を受けました。彼
は神の栄光を見させてくださいと願い
ましたが、神は、面と向かって直視で
はなく、肩越しに見るしかできないと
答えました(参照:出エジプト 33,18-23)。同じように、エリヤも山上で神の啓示を受けまし
たが、それは、もっと親密な啓示の仕方であり、嵐でなく、地震でも火でもない、そよ風によ
るものでした(参照:1列王 19,11-13)。この両エピソードと異なり、御変容において神の啓
示を受けるのはイエスではありません。それどころか、まさに彼において、神は御自分を啓示
なさるのであり、御自分のお顔を使徒達に啓示されます。ですから、神を知りたい人は、イエ
スの御顔を眺めなくてはなりません、変容した彼の顔です、つまり、イエスは御父の聖性と憐
れみの完全な啓示であるということです。その上、シナイ山上でモーゼは神のみ旨の啓示も受
けました、それが十戒です。そして、毎度のごとく山上ですが、エリヤは神から果たすべき使
命の神聖な啓示を受けます。イエスは、逆に、果たすべき事の啓示は受けません。それはイエ
スが既に分かっていたことであり、雲の中で『彼の言うことを聞きなさい』と命じる神の声を
耳にすべきは使徒達です。神のみ旨は、イエスの人格の中に十全に啓示されています。神のみ
旨に従って生きたい人は、イエスに従わなければなりません、イエスの言うことを聞かなけれ
ばなりません、彼の言葉を受け入れ、さらに、聖霊の助けによって、その言葉の理解を深めて
いかなければなりません。私が大きな愛情を籠めて、まずあなたがたをお誘いしたいのはこれ
です、親愛なるお友達の皆さん、つまり、キリストに関する知識とキリストへの愛の内に成長
することです、個々人としても、小教区共同体としてもです、エウカリスチアにおいて、彼の
言葉を聴くことにおいて、祈りにおいて、真愛において、あなたがたが彼と出会うことです。
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
第2点は教会です、建物としてもですが、何よりも共同体としての教会のことです。でも、考
察を始める前に、あなたがたの教会の献堂に関し、あなたがたに申し上げたいのは、きょうあ
なたがたとここにいる私の喜びを増大させる特別な動機があるということです。聖コルビニア
ーノは実に、バイエルンのフライジング教区、私が4年間司教を務めた教区の創立者です。私
の司教紋章の中に、この聖人の話に密接に結びついた要素をひとつ入れたいと思いました。そ
れが熊です。一頭の熊が、物語によれば、ローマに向かうところだったコルビニアーノの馬を
八つ裂きにしてしまいました。彼は熊を厳しく叱りつけ、手懐けることに成功し、その時点ま
で馬で運んでいた荷物を熊の肩に載せました。熊はその荷物をローマまで運び、そこでやっと
聖人は熊を放免しました。
聖コルビニアーノの生涯に関してふたこと
申し上げるべき点があります。聖コルビニ
アーノはフランス人です。パリ周辺の司祭
で、パリに修道院を創立しました。霊的な
助言者として大変尊敬されていましたが、
彼はむしろ観想を求め、そのため、ここ、
ペトロとパウロ両使徒の墓の近くに、自分
のための修道院を造ろうとしてローマに来
ました。ところが、教皇グレゴリウス2世
は、720 年前後のことですが、彼の資質を高く買い、よく理解し、彼を司教に叙階し、バイエ
ルンに行って、現地に福音を告げ知らせるように任命したのです。バイエルン、教皇が考えて
いたのは 500 年間ラエティアのローマ属州であったドナウ川とアルプス山脈の間の国、5世紀
末になってようやくラテン民族の大部分がイタリアに戻った国のことでした。そこに残ってい
たのは少数の単純な人々でした。人口密度の低い土地に入ってきたのは新しい民族、バイエル
ン民族で、彼らがそこで見つけたのはキリスト教の遺産でした。なぜならローマ時代にその国
はキリスト教化されていたからです。バイエルンの人々はすぐ、これが本当の宗教だと理解
し、キリスト者になりたいと思いましたが、教養のある人々が不足し、福音を告げ知らせるた
めの司祭が足りませんでした。こうして、キリスト教は当初、非常に断片的な状態のままでし
た。教皇はこの状態を知っており、その国の内にあった信仰の渇きを分かっていたので、聖コ
ルビニアーノにそこに行って福音を告げ知らせるように任命したのです。そして、丘の上にあ
る公爵の都フライジングに、聖人は司教座聖堂を創設しましたが、その前に既に聖母の聖殿が
あった当地に 1000 年以上も司教座が残りました。ナポレオン時代の後になってようやく、司
教座は 30 キロ余り南にあるミュンヘンに移されました。今でもミュンヘンとフライジング教
区と呼ばれており、立派なロマネスク様式のカテドラルは教区の心であり続けています。この
ように、聖人達が教会の一致と普遍性のためにどうあるかが分かります。普遍性、聖コルビニ
アーノはフランス、ドイツ、ローマを結び合わせています。一致です、聖コルビニアーノは、
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
教会がペトロの上に礎を置いていると私達に教えてくれますし、岩の上に築かれた教会の永久
性、1000 年前の教会も今日の教会と同じであり、それは主が常に同じであるからと私達に保証
してくれます。主は常に真実です、常に古くて常に新しく、この上なく今日的で現代的、そし
て、将来のための鍵を開けてくださいます。
今度は、この教会を築くのに貢献してくださった
方々に御礼を申し上げたいと思います。ローマ教区
が、各地区に余すことなく適当な小教区施設を確保
するためにどれほど尽力しているか、私は存じてお
ります。総代理枢機卿、当セクターの補佐司教、信
仰維持と新教会引当金のためのオペラ・ロマーナの
事務局司教に御挨拶申し上げると共に感謝申し上げ
ます。それから何よりも、私の後任者2名に御挨拶
申し上げます。どこかの小教区教会を聖コルビアー
ノに捧げるというイニシアティブを発案し、プロジ
ェクト実現のために価値ある支援を提供してくださったヴェッター枢機卿に御挨拶申し上げま
す。猊下、ありがとうございます。Herzlichen Dank. Ich freue mich, daß so schnell die
Kirche gewachsen ist [本当にありがとうございます。教会がこんなに早く出来あがって、私
は嬉しいです]。ミュンヘンとフライジングの現大司教マルクス枢機卿に御挨拶申し上げます。
枢機卿は聖コロンビア―ノに対してだけではなく、ローマにある聖コロンビアーノの教会にも
愛を抱き続けてくださっています。Herzlichen Dank auch Ihnen [あなたにも、本当にあり
がとうございます]。一般信徒のための評議会事務局長でパダーボーン教区担当のクレメンス大
司教様にも御挨拶申し上げます。主任司祭のアントニオ・マニョッタ神父には、私に賜ったお
言葉に対し、真心からの感謝が籠った特別な思いを送ります。ありがとうございます!もちろ
ん副主任司祭にも御挨拶申し上げます!ここにおられる皆さん全員を通じ、小教区の管轄区域
にお住いの約1万人の住民方にも、愛情に満ちた言葉をお届けしたいと願っています。エウカ
リスチアを囲んで集まっていると、あらゆるキリスト共同体の使命とは、全ての人々に神の愛
のメッセージを届け、神のお顔を全ての人々に知らしめることであると、もっと容易に気が付
きます。さあ、これがなぜエウカリスチアが常に信徒の生活の心臓部である理由なのです。た
とえ全員が個人的にそれに参加することができなかったにせよ、きょうこの日あなたがたの小
教区にとって心臓と同じです。
私達はきょう重要な一日を過ごしています、今や決定的に神の礼拝に聖別される教会を持つこ
とができるような、成熟したキリスト教兄弟として自分達を築き上げていこうとする、ここに
お住いの方々の御尽力、実行された諸々の努力、苦労、犠牲の栄冠となる一日です。そのよう
な目標が達成されたことに私は大喜びです。それは、この地域の信徒達の家族が仲間入りし、
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
成長していくのに大いに役立つことでしょう。教会は、人々が暮らして働く界隈にはどこでも
存在したいと思っています、言行一致で忠実なキリスト者の福音的証しと共に、それにまた、
祈りや秘蹟のために、キリスト者の養成のために、そしてまた、友情や兄弟達の繋がりを確立
し、少年少女や青年達、家族やお年寄り達をキリストが私達に教えてくださり、世界が大変必
要としている共同達の精神において育てるために、集まることができる建物と共に教会は存在
していたいのです。
小教区の建物が現実となった
ように、私の訪問も、あなた
がたという生きた石の教会を
ますます素晴らしく実現して
いくのに、皆さんの励ましと
なりたいと願っています。そ
れを、私達は第2朗読の中で
聞きました。『あなたがたは
神の畑、神の建物です』と、
聖パウロがコリント人達(1
コリント 3,9)と私達に宛て
て書いています。イエス・キリストという唯一の真の土台の上に築くようにと勧告しています
(3.11)。このために私も、あなたがたの新しい教会を神のみことばに聞き従うことを学ぶ場
所、キリスト教生活の恒久的な「学び舎」とするようにと、あなたがたにお勧めします。そこ
から、この若くて熱心な小教区のあらゆる活動が始まります。この側面に関しては、第一朗読
で披露されたネヘミヤの書の文面が啓蒙的です。その文面の中に、イスラエルとは、律法の中
に書きこまれた神のみことばを聞くために召集された民である、ということが良く見えます。
この書は係の者によって厳かに読み上げられから、民に説明されました。民は立って、両手を
天に向かって上げ、それから、跪き、崇拝の印として地に顔を付けて平伏しました。それは、
話してくださる神への信仰、主の律法への不忠実だった自分に対する痛悔の念、しかし何より
も、主のみことばの布告は、主が御自分の民をお見捨てにならなかった印、主が近くにいて下
さる印であるという喜びに鼓吹された真の典礼でした。あなたがた、親愛なる兄弟姉妹の皆さ
ん方も、どうか集まって神のみことばを信仰と根気を以て聞いてください、日曜日が来るたび
に、神のみことばに内的に養成され、形成される教会になってください。これは何という大き
なプレゼントでしょう!その事に、どうかいつも感謝の思いを抱いていらしてください!
あなたがたの共同体は若く、大部分が結婚したばかりでこの地区に引っ越ししてきたカップル
ですし、子供や少年がたくさんいます。家族や若いカップルの同伴に捧げられている注意や尽
力を存じています。どうか新しい核家族を迎える心が籠っていて開かれた態度に特徴付けられ
2011 年四旬節ローマ小教区司牧訪問・献堂式ミサ聖祭説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
た家族司牧を創り出してください。お互い知り合うように勧め、それによって小教区共同体が
もっともっと家族達の家族となり、家族達の喜びによって、初期の段階に避けられない困難を
分かち合うことができますように。いろいろな信徒グループが祈るため、福音の教えに沿って
自分を形成するため、秘蹟に与り、真愛というキリスト者生活にとって本質的次元を生きるた
めに集まっているということを、私は存じています。カリタスと共にこの地区の沢山の必要を
満たそうと出かけていき、特に最も貧しい人々や困っている人々の期待に応えようとしている
方々のことを考えています。
あなたがたがキリスト者生活の各秘蹟に向け
た少年や青年達の準備として行っておられる
事に私は大喜びしており、少年・青年達の親
御さんにも、特に幼い子供達を抱えた親御さ
んにますます関わってくださるように、お勧
め致します。小教区はこのような親御さんに
も、都合の良い時間や方法で祈りや養成の集
いを、何よりも洗礼やキリスト教入門の秘跡
を受けなくてはならない子供達の親御さん方
のために、いろいろ提案してあげてください。困難の中にある家族、不安定か変則的な状態に
ある家族に対する特別な注意と配慮もお願いいたします。彼らを放っておかないでください、
愛を抱いて彼らの傍にいてください、婚姻と家族に関する正真正銘の神の御計画を理解できる
よう、彼らを助けてあげてください。特別な愛情と友情の言葉をパーパは、私の言葉を聴いて
いる親愛なる青少年の皆さん、それにこの小教区で暮らす君達と同世代のみんなに送りたいと
思います。教会かつ民間の共同体のきょうと明日は特別に君達に委ねられています。教会は、
君達の熱意に、君達の前向きな能力と人生の選択における徹底的願望に、大変期待していま
す。
聖コルビニアーノの親愛なるお友達の皆さん!祈るために使徒達を山の上に連れていかれ、彼
らに御自分の栄光を見せてくださった主イエスは、きょう私達をこの新しい教会の中に招いて
くださいました。ここで私達はイエスの言う事を聞くことができます、ここでエウカリスチア
のパンを裂く中にイエスの現存を認識することができます、このようにして、生きた教会、聖
霊の神殿となり、世の中で神の愛の印となることができます。感謝と喜びに満ちた心を抱き、
お宅にお帰りください、なぜなら、あなたがたは教会という大いなる霊的建物の一部だからで
す。おとめマリアに、私達の四旬節の歩み、それに教会全体の歩みをお委ねします。十字架に
至るまで御自分の御子イエスに従った聖母が、キリストの忠実な弟子であるように、私達を助
けてくださいますように、そうして、彼女と一緒に過越しの喜びに与ることができますよう
に。アーメン。
2011 年四旬節ローマ小教区司牧訪問・献堂式ミサ聖祭説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
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