カンタベリー大主教との荘厳晩課説教

カンタベリー大主教との荘厳晩課説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
聖グレゴリウスのトランジトゥス記念とカマルドリ会創立 1000 周年記念
カンタベリー大主教との荘厳晩課
ベネディクト16世の説教
チェリオの聖グレゴリウスのバジリカ
2012 年 3 月 10 日土曜日
大聖グレゴリウス1世教皇が聖アウグスティヌス(カンタベリー)とベネディクト会修道士総勢40名を
英国宣教に送り出した修道院は現在はベネディクト会系カマルドリ会士が保有・居住しているが、今年は
カマルドリ会創立者聖ロムアルドによるカマルドリ聖隠遁所の創立 1000 年記念に当たり、その慶祝に招待
されたカンタベリー大主教 Rowan Williams は、3月 10 日土曜日夕、同修道院付属チェリオの聖グレグリ
オのバジリカでパパ様と共に大聖グレゴリウスのトランジトゥス(帰天:天国への移動)とカマルドリ会
創立 1000 周年を記念して荘厳に挙行された。ラテン語で詩編が歌唱され、2編の聖書朗読後、まず大主教
が英語で、続いてパパ様がイタリア語で説教された。大主教は説教の中で、英国国教会の父祖の地であり、
御自身がローマ留学中に滞在された懐かしい修道院でパパ様と一緒にカマルドリ会創立 1000 年を祝う喜
びを表明しながら、観想修道生活の今日のエキュメニズムにおいても重大な意義を明察し、真の信仰生活
のためにも観想修道生活のためにも肝要な謙遜と忠実の徳を強調された。なお、大主教は今秋の新福音宣
教のためのシノドに参加され、年末に大主教を辞職される予定である。また、今年の聖ペトロ・パウロの
大祭日には、前晩の荘厳晩課と当日の教皇ミサ祭儀で、システィナ礼拝堂聖歌隊と並んで英国国教会の誇
るウエストミンスター大聖堂聖歌隊が史上初めて歌う予定が発表されている。
聖書朗読:2コリント 6, 1-4a(英語);コロセイ 3, 12-17(イタリア語)
(大主教)閣下、
敬愛する兄弟の皆さん、
親愛なるカマルドリ会の修道士・修道女の皆さん、
親愛なる兄弟姉妹の皆さん!
カンタベリー大主教との荘厳晩課説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
ここにきょう、このチェリオの聖グレゴリウスのバジリカに、大聖グレゴリウスのトランジトゥ
ス記念の荘厳晩課のためにおりますのは、私にとって大きな喜びの理由です。あなたがた、親愛
なるカマルドリ・ファミリーの兄弟姉妹の皆さんと共に、聖ロムアルドによってカマルドリの聖
なる隠遁所の創設 1000 年を記念して、神に感謝を捧げます。私は、この格別の機会において、
カンタベリー大主教閣下ローウァン・ウィリアムズ博士のご臨席を心から喜んでおります。キリ
ストにおける親愛なる兄弟である貴方に、親愛なる修道士・修道女の皆さん、あなたがたお一人
おひとりに、そして、ここにおられる皆さん全員に、私は心を込めて御挨拶申し上げます。
私達は聖パウロの抜粋2編を聞きました。最初のは、コリント人への第2の手紙から引用された
もので、四旬節という私達が今まさに生きている典礼時期と特別に一致しています。この部分は
実際、神の恩寵を受け入れるために好意的な時機を活用するようにという使徒の勧告を含んでい
ます。好意的な時機とは当然ながら、イエス・キリストが、御自分の受肉、受難、死、そして、
復活によって私達への神の愛を啓示され、お与え下さるために来られた時の事です。
「救いの日」
とは、聖パウロが他の箇所で「時の充満」と呼んでいる現実の事であり、神が自ら受肉為さいな
がら全く特異な仕方で時間の中にお入りになり、御自分の恩寵で時間を満たし尽くしてくださる
時の事です。それでは、この賜物を、イエス御自身、つまり、彼の御人格、彼のお言葉、彼の聖
霊であるこの賜物を受け入れるかどうかは、私達次第です。その上、また私達が聞いた第一朗読
においてですが、聖パウロは私達に彼自身について、彼の使徒職について語ってくださいます。
つまり、どのように彼の役務において神に対して忠実であるために努力したかについて、なぜ彼
の役務は本当に効果があり、信仰にとって障壁とならなかったかについてです。この言葉が私達
に考えさせるのは大聖グレゴリウスについて、福音のための熱意に満たされ、非の打ちどころが
ない奉仕によって、ローマの民と教会全体に彼が与えた光り輝く証についてです。パウロが自分
自身について書いた事は本当にグレゴリウスにも当てはめることができます。それはつまり、神
の恩寵は彼において無駄ではなかった(参照:1コリント 15,10)という事です。これこそ、現
実に私達の一人ひとりの生活の秘密です。つまり、神の恩寵を受け入れることと、心を尽くして、
力を尽くして、神の恩寵の働きに同意することです。これこそ、真の喜びの、奥深い平和の秘密
でもあります。
第2朗読は代わってコロセイ人への手紙から引用されています。その言葉は-いつもの事ながら
その言葉の霊的かつ司牧的着想には実に感銘を受けますが-使徒が共同体のメンバーを福音に
従って養成するために向けるものであり、それは何をするにしても、『言葉と行いにおいて、全
てが主イエスの御名において行われるためです』
(コロセイ 3, 17)。
『完全でありなさい』と全き
師は御自分の弟子達に仰せになりましたが、今や使徒は、この聖性というキリスト者生活の高い
尺度に従って生きるように勧告します。それをすることが出来るのは、自分が振り向いている兄
弟達は「神から選ばれた者、聖なる愛されている者」だからです。ここでも全ての基盤に神の恩
寵があり、召出しの賜物が、生きているイエスとの出会いの神秘があります。しかし、この恩寵
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ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
は洗礼を授かった者達の答を求めます。つまり、キリストの思いを身に纏うように真剣に取り組
む態度を要求し、キリストの思いとはつまり、温もりのある優しさ、善意、謙遜、温和、高潔鷹
揚、相互の赦し、そして、全ての上に、総論かつ仕上げの冠として、アガペ、神がイエスを介し
て私達に賜った愛、聖霊が私達の心に注ぎ込んで下さった愛があります。そして、キリストを身
に纏うために必要なのは、彼のみことばが私達の間に、私達の内に、その豊かさの全てをもって、
たっぷりとお住まいになる事です。地道に感謝をお捧げする雰囲気の中で、キリスト者共同体は
みことばで養われ、また、賛美の歌のように、共同体を神に向かって昇らせてくれるのはキリス
ト御自身が私達に下さったみことばです。そして、あらゆる活動、あらゆるジェスチャー、あら
ゆる奉仕が成し遂げられるのは、この神との深い関係の内側であり、三位一体の愛の内的動きに
おいてであり、この三位一体の愛は私達に向かって降りて来て下さり、神に向かって再び昇って
いき、その動きはエウカリスチアの生贄の祭儀においてその最も高尚な形態を見出します。
この言葉は、私達がきょう大聖グレゴリウスの名前において集まっているのを見て喜んでいる状
況をも照らし出します。主の忠実さと慈愛のおかげで、聖ベネディクト修道会のカマルドリ修道
士の会は 1000 年の歴史を歩き抜くことが出来ま
した。日毎に神のみことばとエウカリスチアで自
分を養いながら、創立者聖ロムアルドが教えたよ
う に 、 孤 独 と 共 同 生 活 と 福 音 宣 教 の “triplex
bonum-3重善”に従ってです。神の男達と女達の
模範的姿、聖ピエール・ダミアーニ、グラチアー
ノ – Decretum の著者– 、クエルフルトの聖ブル
ーノ、5兄弟殉教者、ロドルフォ1世と2世、福
者ゲラルデスカ、バーニョの福者ヨハンナ、福者
ジュスティニアーニ、それから、科学と芸術の人々としては兄弟マウロ天地宇宙学者、ロレンツ
ォ・モナコ、アンブロジオ・トラヴェルサーリ、ピエトロ・デルフィーノ、そして、グィード・
グランディ、著名な歴史学者達としてはカマルドリ会年代史家のジョヴァンニ・ベネデット・ミ
ッタレッリとアンセルモ・コスタドーニ、さらに、教会の熱烈な牧者達、その中では教皇グレゴ
リウス16世が一際目立っていますが、彼らはカマルドリ的伝統の展望と素晴らしい肥沃さを見
せてくれました。
カマルドリ会士の長い歴史のあらゆる段階がその福音の忠実な証し人を知っています、隠遁生活
と孤独の静寂においてと兄弟達と共に分かち合う共同生活においてだけではなく、全ての人々に
対する謙遜で寛大な奉仕の中においても知っています。特に実り豊かなだったのは、カマルドリ
会の客室で提供されたもてなしです。フィレンツェ人文主義の時代にはカマルドリ会修道院の囲
いの壁は数々の有名な議論や論争を歓待し、そこにはマルシリオ・フィシーノやクリストフォ
ロ・ランディーノなどの偉大な人文学者達が参加していました。第2次大戦中の劇的な歳月にお
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いてでは、修道院の回廊は有名な「カマルドリの法典」、イタリア共和国憲法の最も重大の源泉
のひとつである法典の誕生をもたらしました。第2ヴァチカン公会議中も劣らず実り豊かな年月
であり、その間、カマルドリ会士の間で非常に価値ある個性が熟成され、彼らは会と教会をさら
に豊かにし、新しい飛躍をもたらし、アメリカ合衆国、タンザニア、インド、ブラジルに修道会
を定着させました。この全てにおいて、実り豊かさの保証だったのは、絶えざる地道な祈りで数々
の新しい修道院創立に付き添った修道士・修道女達の支えであり、その祈りは時に英雄的でさえ
あった彼らの隠棲の深みにおいて生き抜かれたものだったのです。
1983 年 9 月 17 日、福者ヨハネ・パウロ 2 世はカマルドリ会の聖隠遁所の修道士たちと会見し
た際に、当時彼らが目前にしていた総会のテーマ「希望を選ぶこと、将来を選ぶこと」について、
こうコメントなさいました。『希望と将来を選ぶことが意味するのは、結局のところ、神を選ぶ
こと…意味するのは、あらゆる人の希望なるキリストを選ぶこと』です。それから付け足して『そ
れが実現するのは、とりわけ、神ご自身が教会の中に起こした生活様式において、聖ロムアルド
に隠遁所と隠世修道院、孤独な生活と隠世修道共同体生活間で調整された補完性を特徴とするカ
マルドリのベネディクト会家族を創立するように霊的な促しをお与えになって起こした生活様
式においてです』
。私の幸いなる前任者が強調したのはその上に、
『神を選ぶという事が言おうと
しているのは、謙遜に、忍耐強く―まさしく神の様々な時を受け止めながら-エキュメニズム対
話や諸宗教間対話を培っていくということでもあり』
、それは常に聖ロムアルドから受け、1000
年の多様な伝統を通じて伝えられたカリスマへの忠実さから始まります。
ペトロの後継者の来訪と言葉に励まされて、あなたがたカマルドリ会修道士修道女の皆さんが御
自分達の歩みを辿り続けつつ、常に探求してこられたのは隠遁精神と隠世修道精神との正しいバ
ランス、孤独の中であなたがたを全面的に神に捧げる切実な要求と、共同の祈りにおいてあなた
がたを支える切実な要求と兄弟達を受け入れる切実な要求との間の正しいバランスであり、兄弟
達を受け入れるのは彼らが霊的生活の水源から霊水を汲む事が出来るように、そして、世間の出
来事や事件を本当に福音的良心をもって判断する事が出来るためにです。こうしてあなたがたが
獲得しようとしていらしたのは、大聖グレゴリウスが信仰のあらゆる表出の到達点を考えておら
れた perfecta caritas-完全な真愛-、あなたがたの紋章の銘の内に確証を得ている真剣な取り
組みであり、“Ego Vobis, Vos Mihi-私はあなたがた、あなたがたは私”という銘は神と神の民の
間の契約の標語のシンテジーであり、あなたがたのカリスマの常しえの永続的な活力の源泉です。
チェリオの聖グレゴリウス修道院はローマの情勢と繋がっており、私達はカマルドリ会の 1000
年をカンタベリー大主教閣下と御一緒にお祝いします。カンタベリー大主教閣下は、私たちと共
に、この修道院を英国の地のキリスト教とローマ教会の縁の誕生の地として御認識下さっていま
す。それで本日の祭儀は深いエキュメニズム的性格を帯びているるのですが、このエキュメニズ
ム的性格は、周知の通り、現代のカマルドリ会精神の一部となっています。このローマのカマル
カンタベリー大主教との荘厳晩課説教
ベネディクト16世―ヨゼフ・ラツィンガー
ドリ会修道院はカンタベリーと英国国教会集団と共に、特に第2ヴァチカン公会議後、今や伝統
的となった数々の縁を発展させてきました。3度目としてきょう、ローマ司教はカンタベリー大
主教と大聖グレゴリウスの家でお会いします。そして、こうであるのは正しい事なのです。なぜ
なら、まさにこの修道院から、教皇グレゴリウスはアウグスティヌスと彼の40名の修道士をア
ングロ人達の間に福音をもたらすのに派遣するために、1400 年余り前に選んだからです。この
場所に修道士達が絶えず存在している事、し
かもこれほど長い期間、それ自体が既に御自
分の教会に対する神の忠実さの証であり、私
達は全世界にこの神の忠実さを宣言できるの
を幸いに嬉しく思っています。これからグレ
ゴリウス自らエウカリスチアの生贄を捧げ祝
っていた聖なる祭壇の前に一緒に供えるしる
しが、単なる私達の兄弟的会合の記憶として
だけでなく、カトリックとアングリカン、全ての信徒達にとっての拍車として残るように願いた
いと思います。それは、ローマで聖なる使徒達や殉教者達の墓所を訪れながら、一致のために、
イエスが御父に懇願したあの“ut unum sint-彼らがひとつでありますように”に従って十全に
生きるために、地道に祈って活動する真剣な熱意を新たにすることが出来るためにです。
この深い願い、私達が分かち合う喜びを戴いたこの願いを大聖グレゴリウスと聖ロムアルドの天
の取り成しにお委ねしましょう。アーメン。
原文© Copyright 2005-2012 – Libreria Editrice Vaticana
邦訳© Copyright 2012 – Cooperatores Veritatis Organisation
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