小川町の鐘 第21回 (表) - 横須賀小川町教会 / Yokosuka Ogawacho

2015 年 8 月号
横須賀小川町教会新聞№127
2015 年 8 月 1 日発行
小川町の鐘
小川町の鐘(第 21 回)
敗戦後70年。あの日、この国が思い知
らされた自らの傲慢を忘れること無く、
しかも繰り返さずにいたいと願ってや
みません。中学2年生の冬、当時のロー
マ教皇ヨハネ・パウロ2世の「平和アピ
ール」を(生中継の映像ではなかったと
思いますが)テレビで視ました。風が吹
く広島平和記念公園でしっかりと原稿
を持ちながら教皇が話していました。私
発行者 日本キリスト教団
横須賀小川町教会
牧師 寺 田 信 一
住 所 横須賀市小川町7
電 話 046-822―2463
e-mail [email protected]
http://ogawacho-church.sakura.ne.jp/
「戦争は人間のしわざです」
は寝転がって視始めたのですが、気がつ
くと正座をしていました。聴く姿勢を変
える言葉が語られていた、ということで
しょう。上に表題として掲げたのは、そ
のときに聴いたアピールの語り出しの
言葉です(*以下はその全文)
。罪の赦
しに基づくかたい決意を、これに続く一
言一言に伺うことができるのではない
でしょうか。
どなたもどうぞ味読なさってくださ
い(以下カトリック中央協議会ホームペ
ージ「公文書」から転載)
。ちなみに、
ヨハネ・パウロ2世は本名をカロル・ユ
ゼフ・ヴォイティワと言い、先の大戦で
ドイツに侵攻されたポーランドのご出
身でした。
(牧師 寺田信一)
教皇ヨハネ・パウロ2世
広島『平和アピール』
(広島にて 1981年2月25日)
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の
生命の破壊です。戦争は死です。この広
島の町、この平和記念堂ほど強烈に、こ
の真理を世界に訴えている場所はほか
にありません。もはや切っても切れない
対をなしている2つの町、日本の2つの
町、広島と長崎は、
「人間は信じられな
いほどの破壊ができる」ということの証
として、存在する悲運を担った、世界に
類のない町です。この2つの町は、
「戦
争こそ、平和な世界をつくろうとする人
間の努力を、いっさい無にする」と、将
来の世代に向かって警告しつづける、現
代にまたとない町として、永久にその名
をとどめることでしょう。
広島市長をはじめ、ここに集まられた
友人の皆さん、私の声に耳を傾けている
すべてのかたがた、私のメッセージが届
くすべてのかたがたに申します。
1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、
「平和の巡礼者」として、この地にまい
り、非常な感動を覚えています。わたし
がこの広島平和記念公園への訪問を希
望したのは、過去をふり返ることは将来
に対する責任を担うことだ、という強い
確信を持っているからです。この地上の
ありとあらゆるところに、戦争のもたら
した惨事と苦しみのゆえに、その名の知
られている場所が数多く、あまりにも数
多く、存在しています。それは、人類の
犯した悲しむべき行為だといわねばな
りません。戦勝記念碑-- それは一方
の側の勝利の碑であると同時に、数多く
の人々の苦しみと死を物語るものです。
国のために命を落とした人々、崇高な目
的に命をささげた人々が横たわる墓地
があります。同時に、戦争のもたらす破
壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般
の人々が横たわる墓地もあります。強制
収容所や死体処理場の跡-- そこで
は、人間と侵すべからざる人権とがいや
しめられ、野卑と残酷とが最も強く表さ
れたところでした。戦場-- そこでは、
自然が慈悲深く地上の傷をいやしてい
ますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し
去ることはできません。こうした数多く
の場所や記念碑の中でも、特に広島、長
崎は、核戦争の最初の被災地として、そ
の名を知られています。あの陰惨な一瞬
に生命を奪われた、数多くの男女や子供
たちのことを考えるとき、私は頭をたれ
ざるをえません。また、身体と精神とに
死の種を宿しながら、長い間生き延び、
ついに破滅へと向った人々のことを思
うときにも、同様の気持ちに打たれるの
であります。この地で始まった人間の苦
しみは、まだ終わっていません。人間と
して失ったものが、全部数え尽くされた
わけではありません。人間の考えやもの
の見方、ないし人間の文明に対して、核
戦争がもたらした実害を目のあたりに
し、将来の危険性を考えるとき、特にそ
うした想いに駆られるのであります。
2.過去をふり返ることは将来に対する
責任を担うことです。広島市の皆さん
は、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢
明にも平和の記念碑とされました。わた
しは、この英断に敬意を表し、その考え
に賛同します。平和記念碑を造ることに
より、広島市と日本国民は、
「自分たち
は平和な世界を希求し、人間は戦争もで
きるが、平和を打ち立てることもできる
のだ」という信念を力強く表明しまし
た。この広島でのできごとの中から、
「戦争に反対する新たな世界的な意識」
が生まれました。そして平和への努力へ
向けて新たな決意がなされました。核戦
争の恐怖と、その陰惨な結末について
は、考えたくないという人がいます。当
地でのできごとを体験しつつも、よく生
きてこられた人々の中にさえ、そう考え
る人がいます。また、国家が武器を取っ
て戦い合うということを、実際に経験し
たことのない人々の中には、核戦争は起
こりえないと考えたがる人もいます。さ
らに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の
均衡を保つため、いたし方のないものだ
とする人もいます。しかし、戦争と核兵
器の脅威にさらされながら、それを防ぐ
ための、各国家の果たすべき役割、個々
人の役割を考えないですますことは許
されません。
3.過去をふり返ることは将来に対する
責任を担うことです。1945年8月6
日のことをここで語るのは、われわれが
いだく「現代の課題」の意味を、よりよ
く理解したいからです。あの悲劇の日以
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