奇跡とは

10
奇跡とは
10-1
聖書の奇跡
(ユダヤ民族のこと)
10-2
イエスの奇跡
10-3
人間の奇跡
(創造か進化か)
1
10-1 聖書の奇跡
1、聖書は奇跡の記事で一杯の書物です。奇跡という言葉は、聖書では、他に、しる
し、とか不思議な業、とおなじ意味で用いられています。奇跡に関する記事を聖書から
取り除けば、聖書はうすっぺらい、どこにでもある一冊の道徳と説く書物に変わるでし
ょう。
奇跡とはわれわれの常識では考えられないような不思議なできごとと一般には指しま
すが、反対に常識とは科学的や合理的と言われていて殆ど現在の人々が納得できるもの
としていることでしょう。自然の法則に合うといってもいいかもしれません。
しかし、聖書の奇跡は普通に使われる意味の他に、神の力とその支配を示すものも込
められています。奇跡を起こせないようなものは、神でないと。いずれにしても人間に
知識や常識の理解を越えた出来事を指しています。自然の法則を凌駕する力、常識を超
えた超常識の世界なのです。そして、ここが重要なことがらですが、聖書の奇跡は、事
実あったこと、そしてそれがその時、その状況でただ一度の出来事であったことが、い
わゆる魔術、マジックと違うことなのです。マジック、魔術は繰り返しが可能です。な
ぜなら種も仕掛けをあるからです。
しかし、神の奇跡は、神がその時、その状況で行われたことですから、繰り返しはあ
りません。聖書に記載された奇跡は全部一度の出来事で、二度と同じ奇跡の記事は出て
こないのです。例えば、旧約聖書に出てくる、モ-セに伴われたユダヤ人の、葦の海の
渡海(第4章に出てきました)の奇跡、新約聖書にでてくる、イエスのマリヤの処女
懐胎(第6章に出てきました)の奇跡等々すべての事実がそうなのです。
したがって、歴史的な事実としては残りますが、後になっての、いわゆる科学的証明
は不可能なのです。聖書で奇跡を読む人間はただ事実の出来事を受け入れる対象とする
かどうかが、聖書の奇跡に遭遇ときの態度というべきかもしれません。
聖書の奇跡は、わたしたちの常識や知識とはほとんど無関係に、いやそれを無視して、
2
まさに神の常識のごとく、当然に、さらりと奇跡の記事を載せているのも特徴です。われ
われ人間が受け入れるかどうかに関係なく、超然、悠然と奇跡のかずかずを載せているの
です。
聖書の成立についてはすでに、説明しましたので、ここでは聖書と切り離せない、ユ
ダヤ民族の奇跡についての記事についてみていくことにしましょう。
2、ユダヤ民族は、聖書によれば、神から特別選ばれた民族でした。これを選民といい
ますが、ユダヤ民族を抜きに聖書は語れないのです。聖書の登場人物もユダヤ人、書いた
人もユダヤ人が主流です。そして、このユダヤ人がどうなっていくかについても、聖書は
きめ細かく書いています。ユダヤ民族は、アブラハムを始祖として生まれ、400年あま
り、エジプトに奴隷として厳しい状態に置かれましたが、指導者モ-セによって、エジプ
トを脱出したことはすでに説明しました。(参照3-3章)
これについては「あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、かれらは
奴隷とされ、400年の間、苦しめられよう。そして、そこから出てくるようになる。」
(創世記15:13)と書かれ、その後、ユダヤ民族が他国に征服され、ユダヤ人が離れ
離れになることも、
「主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを
散らす。」(申命記28:64)と預言し、「エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
」(ルカ21:24)と異邦人すなわち外国の人々、具体的にはロ-マ帝国にほろぼされ
ことも預言しています。
ユダヤ民族は135年に国家としては滅亡します。そしてユダヤ人は全世界に離散しま
す。すなわち、散らされたのです。イエスも、エルサレムの悲劇的な最後を預言して「ま
ことにあなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決
してありません。」(マタイ24:2)当時あったエルサレムの神殿をさしていいました。
しかし、崩壊滅亡の後奇跡はここでも起こるのです。
3、世界中に散らされてユダヤ人はふたたびパレスチナに集められ国家として再建する
ことも聖書に預言されていたのです。「主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散ら
3
された者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
」(イザヤ1
1:12)イザヤ預言と言われるものです。
つぎにエゼキエル預言もこう言います。「主は私に仰せられた。
『これらの骨に預言し
て言え。干からびた骨よ。
』『息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつ
けて、彼らを生き返らせよ。』私が命ぜられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはい
った。そしてかれらは生き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。
主は私に仰せられた。『人の子よ。これらはイスラエルの全家である。』
」(エゼキエル
37:4~10)干からびた骨、枯れた骨とは、イスラエル(ユダヤ)民族を指していま
す。散らされてまた、ふたたび集められるのです。それも1800年もたって。
4、1948年聖書の預言どおり、イスラエル共和国が誕生します。また、一度は消滅
したユダヤ語=ヘブライ語も復活します。しかし、イスラエルの建国に賛成しないアラブ
諸国(イスラム教国)は、イスラエルに対して戦争をしかけます。ちなみに、第1次中東
戦争当時、イスラエルの人口は60万人、兵士6万人に対し、対アラブ諸国は兵隊の数だ
けでも50倍の300万人はいたといわれています。
イスラエルは現在も日本の四国ぐらいの大きさですが、四方を取り囲むアラブ諸国の大
きさはその300倍の大きさとなっています。回りをアラブ諸国に取り囲まれ、4度にわ
たる戦争の末、今もイスラエル国家は滅びていません。聖書も「エルサレムの平和のため
に祈れ。」(詩篇122:6)とありますが、大海のなかの孤島と呼ぶにふさわしい小国
イスラエルが4度の戦争に勝ち抜いたのです。そればかりか、現在世界第5番目の戦力を
有し、ノーベル賞の受賞者の20%がユダヤ人を占め、現在世界の最先端産業のコンピュ
ターの先進国になるとは、聖書以外のだれもが予想できなかったでしょう。
5、聖書の奇跡はその存在事態も奇跡というほかないものです。イスラエル建国の1年
前、1947年現在のイスラエルの死海の近くクムランの洞窟で羊飼いの少年が壺に入っ
た書物を発見します。のち死海写本とよばれるものです。書物=本はグーテンべルグが印
刷機を発明するまでは、全部手書きでそれを、一冊一冊写す方法でした。これを写本とい
いますが、これが見つかったのです。この写本は研究によれば、紀元前2世紀のものとわ
4
かりました。
それまで、聖書の写本と死海写本と比べても殆どの狂いもなく正確だったことが証明さ
れています。現在わたしたちの手にする聖書と、もともと書かれた聖書の原本、仮に原聖
書とよんでもいいとおもいますが、それと写本との誤差は99・99%で殆ど正確だとさ
れています。一冊の書物が100%近く、2000年以上もそのもとの姿、形を維持する
ことも奇跡的なできごとといってよいでしょう。なお、聖書の写本は、現在確認されてい
るだけで、数百冊あると言われていますが、2000年前の現本の写本がこれほど多いのも奇
跡といわざるえません。
その死海写本が発見される1947年そのとき、1800年前、一度は消滅した言葉と
なっていたヘブライ語がユダヤ人ベン・ユフダ(エリエゼル・ベン・イエフダ-)の手に
より復活します。ヘブライ語は、ユダヤ教の祈りの言葉としては、残っていましたが、日
常会話としては、ほぼ死滅していたのです。ユダヤ人は、世界の国々に散らされていまし
たから、自分達が住むその外国の言葉を話すことでしか、生きていくことができなかった
からです。ベン・ユフダの超人的努力により、ヘブライ語は復活したのです。ユダヤ民族
が1800年を経て、自分たちの母国語で旧約聖書のを読めるようになるとは、これまた
、聖書の奇跡といわざるを得ません。「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことば
は永遠に立つ。」
(イザヤ40:8)のです。
6、イスラエルと中東アラブの国々とくにパレスチナとの争いは、宗教戦争の面を色濃
くしています。イスラエルのユダヤ教と中東アラブの国々のイスラム教の争い、その昔、
アブラハムの子のイシュマエル、その子孫であるイスラム教の祖、マホメットと彼を救い
主と崇めるアラブ人、片やアブラハムの正当な子孫を継いだと自認するイサク、ヤコブの
子孫のユダヤ人、同じ父の血を受け継ぎながら、数千年を経てなお争い、解決の糸口すら
見いだせない現状をみるとき、聖書にこそ、その出口が用意されていると願わざるを得ま
せん。
イスラム教は、マホメットを開祖(宗教の1流派を起こした人)で7世紀起こりますが
、その教えをまとめたのが、コ-ランです。しかし、イスラム教では、旧約聖書も尊重さ
5
れるのです。なぜなら、マホメット自身、旧約聖書を学び、それによる影響が大だとされ
ているからです。ただし、コ-ランと矛盾しないかぎりです。また、旧約聖書のアブラハ
ムの子のあつかいは全くちがうのです。すなわち、旧約聖書によれば、神の約束の子はイ
サクで、そのイサクが藩祭にささげられたのですが、イスラム教によれば、イシュマエル
が藩祭にささげられたとなっているのです。そのイシュマエルがアラブ人の祖とされてい
るのです。
なお、現在ニュ-スにもよく登場するエルサレムの中心にある金のド-ム(イスラム教
の会堂)はアブラハムがその子イサクを神に捧げた(イスラム教の立場ではイシュマエル
です。
)場所を記念してたてられたものです。しかし、同時にその場所は、ユダヤ教の神
殿(エルサレム神殿)があった場所でもあるのです。
7、
「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖な
る所に立つのを見たならば、そのときは、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」
(マタイ
24:15・16)この言葉はイエスがダニエル書から引用して、これからエルサレムに
起こることを預言したものです。「荒らす憎むべき者」とは、終末に現れる反キリスト=
サタンを現し、聖なる所とは、エルサレムの神殿をさしています。現在はエルサレムに神
殿はありません。イスラム教のド-ムが立っています。その金のド-ムは696年イスラ
ム教によるエルサレム征服を記念して建てられたものです。
聖書の預言だと、このドーム=神殿あとに新しい神殿が建てられ、この神殿が蹂躪され
るとあります。ともあれ、135年にユダヤ国家が滅亡し、1948年にイスラエル国家
が再建され、1967年に旧エルサレム市街地と神殿跡地をイスラエルが獲得するのです
が、このあと金のド-ム=モスク跡にイスラエルの神殿が建設されることになる、とだれ
が予想しえるでしょうか。はたして、実現するのでしょうか。ひとり、聖書のみがその未
来を預言できるのです。なお、イスラエルについては、13-5でもふれています。
6
10-2 イエスの奇跡
1、聖書の奇跡で切り離せないのが、イエスの奇跡です。イエスの活動から奇跡を取り
除けば単なる偉人の伝記にすぎなくなります。ここでもう一度奇跡について考えましょう
。聖書でいう奇跡はまず、人間の手による奇跡を問題にしないことです。聖書の奇跡は神
の奇跡についてです。イエスは神です。だからイエスを人間とのみとらえる見方からは説
明できませんし、また、する必要もないというのが聖書の立場です。
「神のことばは生き
ていて、力がある」
(ヘブル4:12)からだとするのです。
ここでイエスと奇跡との関係を、少し違った角度から、とらえて見ましょう。イエスの
奇跡は、4つの福音書に書かれていますが、この福音書は、12弟子(マタイ、ヨハネ)や
その他の弟子(マルコ、ルカ)によって書かれたことは、定説になっています。そして、
この福音書は、イエスの死後、昇天してから、割合短期間(イエスは西暦30年~33年死に、
それから約30年後に最初の福音書が出来たとされています)のうちに書かれたことも、
現在では、多くの聖書学者によって明らかにされています。ここで、まず、福音書はイエ
スのことについての目撃証言が基になっていることです。したがって、イエスの弟子たち
が、仮にウソのことを書いたとすれば、したがって、イエスの奇跡をウソのデッチ上げを
かいたとすれば、どうなっていたかです。
まず、第1に言えることは、彼ら弟子たちは、いずれも旧約聖書を読み、信じ、其のうえ
で、イエスを信じていたバックボーンがあります。旧約の律法、そのうち10戒の一つ、
「うその証言をしてはならない」ことも、当然守ったはずです。かれらが、そのそれを
無視して、ウソのことを書くことは、彼ら自身が自己矛盾を犯すことになります。第2に
目撃証言に対する反論です。すでに述べたように、福音書の事実の目撃は、イエスのこと
を知っていた、信者だけでなく、信じていなかった反対者もいたはずです。もし、書かれ
たことが事実でなければ、反対者とりわけ、ユダヤ教徒の中から事実でないとの反論がで
たはずですが、それも歴史の記録にはありません。まして、4人の異なった記者が、異な
った角度から福音書を書いているので、当然数多くの目撃者がいたはずですが、これらの
人からの反対の証言はなかったのです。すなわち事実だったからです。ここで、事実につ
いてですが、福音書には、彼ら(弟子たち)の不利になるようなことが多く書かれている
7
こと、事実性を高めます。弟子の筆頭のペトロがイエスを裏切ったことなど、もし弟子た
ちがウソを書こうとするといくらでも、自分たちに不利なことを書く必要がなかったので
す。かれらは、本当のこと、真実しか書けなかったのです。
最後の第3ですが、目撃証言は事実だったこと、真実だったことには、弟子たちや、それ
を信じる者の命がかけられていたことをあげなければなりません。福音書が出来る過程で、
ローマを中心にクリスチャンに対する、迫害や弾圧があったことです。とりわけローマ皇
帝ネロの迫害はすざましいのもので、クリスチャンとわかっただけで死刑がまっていまし
た。そんなか、福音書が完成されますが、もし、福音書の中身にウソがあれば、ウソのた
めに人間は死ねるかということが、問われます。それも、少人数ではありません。死をか
けても守ることは、それが真実、まことと言えるからではないでしょうか。もちろん、自
分の身を守るために、命がけでウソを言う人は今もいますが、自分といわば関係のないこ
とで、その事実のために命をかけることは、それが真実だからこそと言えます。人は他人
のウソのために命はかけられないからです。
2、イエスは数々の奇跡をおこないました。なんの目的からでしょうか。人々をあっと
いわせたかったのでしょうか。それとも喝采を浴びたかったからでしょうか。イエスの奇
跡は自己顕示や自己礼賛をうけたかったからではありません。あくまで目的は、人の救い
のためでした。イエスは「この書では書かれていないが、まだほかのしるしをも弟子の前
でおこなった。しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであるこ
とを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたを信じて、イエスの御名によっていの
ちを得るため」
(ヨハネ20:30)に奇跡をおこなうのです。
しるしとは奇跡をさします。奇跡はイエスこそ救い主であること、それを信じれば救わ
れることをあきらかにするためだったのです。苦しむ人を見逃せないイエスの愛もその奇
跡のなかにみることができます。また、イエスの奇跡の特徴はそのほとんどが、言葉によ
ってなされていることです。「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。こ
とばは神であった。」
(ヨハネ1:1)イエスの奇跡はいわゆる魔術的な方法では行いま
せんでした。いつも簡単なことばや動作によって行いました。そして、その結果を他の人
に見せないようにされました。イエスが喝采をうけるのてなく、神が喝采=賛美をうける
8
ためです。これを教会では神に栄光を返すと表現していますが、目に見える出来事を、目
には見えない神の栄光=出来事ととらえたのです。
3、イエスの奇跡は非常にバラエテ-に富んでいました。イエスの奇跡はまず、
(1)
は病人に対して、(2)は悪霊に対して、
(3)自然界に対して、(4)は死人に対して
です。
当時は現在とはことなり、大した医学的技術も進んでいませんでした。したがって、金
のある人はともかく、多くの人にとり、病気にかかることは、死を意味していました。ま
た、なにより病気そのものを、汚れたものとして忌みきらう風潮がありました。イエスは
当時不治の病とされていた病気を治しました。この病気を治すことを「癒し」という言葉
で、聖書は表現しています。現在は癒しのブ-ムですが、元祖癒し主はイエスだったので
す。
イエスは、悪霊に対しても、其の力を示されました。また、自然界にも、そして最後は人
間が絶対克服できない、死に対しても、奇跡を起こされるのです。
4、なお、ここで、いわゆる従来の聖書で用いられてきたのいわゆる「差別語・
不快語」の問題に触れておきましょう。例えば以前聖書で使われていた「めくら」
「おし」「つんぼ」「ちんば」等の言葉は、
「目の見えない(人)・盲目・盲人」「口
のきけない(人)
」「耳の聞こえない(人)
」「足の不自由な(人)」などに変更され、
またはしなければならないということです。もちろん神の言葉である、聖書が人間
を差別することなどありえないことですが、翻訳上の制約等の理由により、いままで
使用されてきたのです。
また、「らい病」もその一例です。これは、現在日本の公的機関が、ハンセン氏病と
いう病名に変更していますが、聖書は、むしろその表現は適切でなく、原典のヘブル語
「ツァラアト」・ギリシャ語「レプラ」に相当する日本語を見いだすことは困難だとし
て、ツァラアトは重い皮膚病という意味がありますが、翻訳しずらいとの認識から、例
えば新改訳聖書の3版からは、翻訳せず「ツァラアト」という表現にしています。しか
し、このように訳語を改めても、人の心が変えられない限り、また、神の前で悔い改め
ない限り、それが再び新たな差別語や不快語になり得ることを我々は心に切り刻んでい
なければならないでしょう。
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聖書の記載によるイエスの奇跡(4 つ福音書に記載がある)
1、王室役人の息子、ヤイロの癒し。
2、38年の病気の人の癒し。
3、ペトロのしゅうとめの癒し。
4、ツアラアトを清める。
5、中風の人を癒す。
6、片手のなえた人を癒す。
7、百卒長の僕を癒す。
8、二人の目の見えない人の癒し。
病人に
9、耳が聞こえず口のきけない人の癒し。
対して
10、ベッサイダの目の見えない人の癒し。
11、エルサレムの目の見えない人の癒し。
12、18年の病気の女の癒し。
13、長血の女の癒し。
14、水腫の病人の癒し。
15、10人のツアラアトの癒し。
16、目の見えないバルテマイの癒し。
17、祭司長の僕の耳の癒し。
1、会堂での癒し。
2、目の見えない人につかれた霊の癒し。
悪霊に
対して
3、ゲサラでの癒し。
4、口のきけない人の癒し。
5、ツロ・フニキャヤの女の癒し。
6、てんかんの息子の癒し。
1、カナで水をぶどう酒に変える。
2、カペナウムで大漁。
3、別の大漁。
自然に
対して
4、嵐をしずめる。
5、5000人の給食。
6、水の上を歩く。
10
10-3 人間の奇跡
1、聖書の奇蹟を紹介するときに、是非とも触れなければならないことがあります。そ
れは、人間誕生の奇蹟です。人間の誕生については、現在世界で2つの考え違いがあり、
それが聖書と大いに関係します。1つ目は、人間は進化の結果として誕生したとする考え
、2つ目は、人間は神により造られたとする考えです。前者は、通常進化論に代表される
ものであり、後者は聖書にもとずくもので、創造論という場合があります。
進化論は、チャールズ・ダウインが1859年、発表した「種の起源」が考えの土台で
す。この考えは、すべての生命は自然に発生し、適者生存(強いもの勝ち)で進化したと
いうのです。すべては、偶然によって生まれ、最初アメバーから、クラゲ、魚、そしてワ
ニや恐竜、猿に進化し、現在の人間が誕生したとすると結論づけています。
2、聖書は神がその計画にもとづいて、人間を造ったとしています。聖書の箇所を、か
い摘んで、見ていきましょう。
第1日目、神が「光をあれ。」と仰せられた。するとひかりができた。光を造りました。
第2日目、神は、大空を作り大空の下にある水と、大空にある水を区別された。空と水
を造りました。
第3日目、神は地と海を造り、地に植物を造りました。
第4日目、太陽と月と星を造りました。
第5日目、空の鳥と水の中の魚等を造りました。
第6日目、地上の動物と人間を造りました。すなわち、人間は猿からでなく、はじめか
ら、人間として、造られたのです。
(以上、創世記1-3から31まで)
11
日にちと出来事を順をおって纏めますと以下のようになります。
日にち
第1日
出来事(誕生)
光
←・→
↓
第2日
出来事(誕生)
第4日 光を帯びている
↓
空と水
←・→
↓
第3日
日にち
星(太陽・月・星)
第5日 空の鳥と水の中の生き物
↓
陸地と植物 ←・→ 第6日 地上の動物と人間
★最初の3日(1日~3日)最下等の生命(植物)の出現準備
★あとの3日(4日~6日)最高の生命(人間)の出現準備
★1日と4日(1日は4日のために)2日と5日(2日は5日のために)3日と6日が
対応(3日は6日のために)
★7日目は安息日
進化論と異なり、聖書の人間誕生は非常に計画的であることがわかります。人間は、6
日目に、造られましたが、それはすべてものが、人間誕生のために用意されたことが分か
ります。偶然でなく、計画されたものだったのです。
3、ここでいくつかの、誤解を解いておきましょう。まず、第1日目の光は、太陽の光
でなかったのです。これは、現在の天文学や物理学なら当然のことなのですが、太陽は銀
河系に属し、銀河系は小さな小宇宙を造り、小宇宙は沢山あつまり、大宇宙を構成してい
ること、そして、太陽の存在以前に、宇宙の誕生の際、ビックバンのようなおおきな爆発
により宇宙が誕生したこと、したがって、太陽の光以前に大きな爆発による光があったこ
と、したがって、太陽の光以前に光があったことは、現在の科学では不思議なことではな
いのです。
12
次に、太陽は4日目に出来ています。それでは、太陽は地球よりあとにできたのでしょ
うか。これも現在の天文学や物理学によると、太陽から地球が発生したものでないことは
ハッキリしていることです。ハッキリしていることは、地球は火星と同じく太陽系の一つ
の惑星だということだけです。我々が小さい時学んだこと(太陽から地球がうまれたもの
とする説)は間違いであったことが現在の科学では証明されているのです。科学の発展は
皮肉にもますます聖書が正しいことを証明しています。
また、鳥と魚が同じ5日目にできたことになっています。進化論によれば、魚から鳥が
進化したことになっていますが、(無生物→単細胞動物・アメバ-→無脊椎動物・クラゲ
→脊椎動物・魚→両性類・カエル→爬虫類・トカゲ→人間の順とされています)進化から
取り残された魚が現在も存在する理由が説明がつきません。日本の山形県で1500万年
前の魚の化石が発見されましたが、現在の魚となんら変わっていなかったのです。魚は魚
として進化することなく、聖書のいう「その種類により造られた」(創世記1:21)も
のが生きつづけてことを現します。
6日目に動物と人間が誕生しましたが、動物、聖書では野の獣と表現されていますが、
それでは、化石も出て、その存在がみとめられている恐竜と人間とはどのような関係にあ
るのでしょうか。進化論によれば、恐竜は約2億年前に、人間は200万年前に現れてい
るので、両者がこの地球上で会いまみえる、すなわち出会わすことなど考えられないこと
です。しかし、近年シベリヤの雪の中から、発見された恐竜(氷詰めでほぼ現物のままの
状態)の胃袋のなかから、現在の地球環境に類似した、草木が見つかっています。当時は
人間も恐竜も同じような木の実を食べていたのです。
すなわち、2億年という時間でなく、つい最近、人類と恐竜が地球上で併存していたこ
とが、発見されています。恐竜については、聖書にもその存在がわかる記述があると、あ
る方は述べています。ヨブ記の41ー21や41ー26を参照ください。それにしても、
聖書はいかにして現在の最も進んだ科学が知りえた知識、事実を書きえたのでしょうか。
ひとり神のみが天地を創造した故に、その事実を知り、聖書の記者に書かしめたのでしょ
う。
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4、進化論は、存在するものは偶然の産物とする仮説にたっています。仮説とは、まさ
に科学で証明されない前提をもとに立てられた学説、考えです。その点では信じれば分か
るということですから、聖書とおなじ立場と言えます。言葉をかえれば、進化論教か、聖
書の教えかということになるでしょう。進化論教は1859年にはじまったのですから、
新興宗教でしょう。聖書の教えは、3500年前から始まっています。進化論教の最大の
弱点は、つじつまをあわせるために定説をもちません。最初、地球の誕生は20億年前と
していましたが、現在の見解では45億年または100億年になっています。なぜなら、
生命の誕生には時間がかかると言う前提があるからです。
じつは現在のすべての科学をもってしても、たとえば放射性同位元素測定というような
方法でも、億と言う単位の時間を観測するのは不可能とされています。ただ、進化論教は
時間が必要なのです。では時間があれば、生命は誕生するのでしょうか。しかし、簡単な
細胞が偶然にできる確率は、計算上では不可能とされています。地球の年齢をいくら長く
しても、数学の確率からでは、細胞は生まれないことが、分かっているのです。例え地球
の誕生を100億年の昔にしても、1000億年前にしても。
5、しかし、進化論は一般に科学として受け入れられ、学校でもそう教え、私たちも過
去は正しい考えとして受け入れてきたことは事実です。なぜでしょうか?聖書への反発が
第一の理由でしょうが、次に進化という言葉やそのニュアンスが、現在社会の一般常識と
マッチするからでしょう。わたしたちの歴史は非常に簡単な道具を使うことからはじまり
、現在の最先端の科学にいたる、いわゆる人類の進歩発展の歴史があります。すべての科
学技術は発展進歩する、これが一般常識です。これと進化論の生き物の進化=発展進歩の
歴史と重ねあうとする考え方です。
しかし、人類の歴史と人類の誕生とは、全然違う問題です。生まれることと成長発展す
ることは別の世界のことです。人は神により、生命を与えられました。次に人類が進歩発
展したことは、神がわれわれに与えた霊、すなわち精神活動の結果生じたものです。
「す
べてのものを支配させよう」(創世記1:26)と神がされた結果として人間はこの地の
支配者となったのです。
6、猿は何億年、いや何百億年かかろうが、人間に進歩発展=進化しません。人間のた
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った一つの細胞のなかに50億個の遺伝子情報があると、現在の科学で解明されて、なお
人間の体には60兆の細胞があるといわれいるなかで、一体どれくらいの時間の経過や進
化があれば、猿から人間に発展していくのでしょうか。細胞一つの進化にかかる時間を考
えれば、気の遠くなるような時間が必要で、それが60兆となると永遠の時間が必要でし
ょう。それを信ずるには進化論教の信者にならねば到底出来ないことでしょう。人間誕生
の奇跡は、人間の考えや科学では絶対解明のできない、神の手の業(わざ)=創造としか
言いようがありません。
7、最後に蛇足になりますが、聖書と科学の関係についてハッキリしておきましょう。
聖書と科学は敵対するものでないことです。近代科学の成立、発展はキリスト教=聖書の
考えの結果といってよいと言うことです。ニュ-トンやガリレオ、ケップラ-もみな熱心
なクリスチャンであり、聖書を信じる態度を崩していません。科学は、神の自然に対する
支配、計画を探究するものとの態度でした。ニュートンも「いかなる世俗の歴史における
よりも、聖書の中には確かな真理が存する」と言っています。
現在でも進化論の考えに反対する世界の多くの科学者は、創造論と言う立場で聖書を支
持しています。神が創造し、神が支配つづける神の計画を知ることぬきに、いかなる前進
もないと信じているからでしょう。アメリカの宇宙飛行士が、宇宙から地球をみて、あま
りの奇跡な姿に感銘し、その後キリスト教の伝道師になったことは有名な話です。科学の
発展はますます聖書を我々に近づけるのかもしれません。
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