2章 啓蒙運動と新古典主義 主に扱っている時代は 18 世紀 *内の

近代建築理論研究会
2章
田邊裕之
啓蒙運動と新古典主義
主に扱っている時代は 18 世紀
*<>内の数字は各節での通しの段落番号
*枠内はコメント
1.フランスの啓蒙運動
<1>
18 世紀フランスの背景
建築-ロココ理論
-記念碑的建築から邸宅の計画へ
社会-ルイ 14 世,ルイ 15 世統治による腐敗,財政破綻
<2>
18 世紀中頃:啓蒙思想がヨーロッパ各地で起こりアメリカにも広がる
パリには
思想
オーストリア継承戦争(1740-8)と七年戦争(1756-63)の間の 8 年で新しい「理性」が
集まった.
(エティエンヌ=ボノー・ド・コンディヤック,アンヌ=ロベール・テュル
ゴー,デニス・ディドロ,ジャン・ル・ロン・ダランベールなど)
建築作品
サント=ジュヌヴィエーブ教会(1756-90)
建築理論
『建築試論』(1753)
<3-6>
『百科全書』
ディドロを中心として.建築分野はブロンデルが担当.検閲との戦いの中で 1751-1759 の間
に第 7 巻まで出版された.
<7-9>
啓蒙思想を決定づけるルソーの 2 本の論文について.
『学問芸術論』(1750)
ディジョンのアカデミーへの懸賞論文(テーマ「学問及び芸術の進歩は道徳の純化と腐敗の
いずれに貢献したか」
)
.まず人間を「自然状態」と「社会状態」の 2 段階に分け,アテネ(学
問と芸術が花開いたがの腐敗した)とスパルタ(学問と芸術を禁止した代わりに道徳や信仰が
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保たれた)などを例に,学問と芸術が人間を腐敗させたとした.
『人間不平等起源論』(1755)
これもディジョンのアカデミーへの懸賞論文(テーマ「人々の不平等の起源は何であるか,
自然法によるものか」
).内容は『学問芸術論』を発展させたもの.オークの木のもとで眠り,
身近なところから糧を得て,脇の小川で乾きを癒す「自然な人」を描いた.
<10>
前提を綿密に調べて合理的に物事を考える動きは建築の理論と実践の分野でも同時期に行わ
れていた.
ロージェの原理思考は,常に物事の本質的な部分と付加的な部分とを分けて考える.
この考え方がそのまま建築の実体にも及び,単純柱にもとづく建築とはいつでも本質
のみによってかたちづくられたものとする.(三宅理一訳『建築試論』p256 訳注より)
ルソーの自然への回帰と同様の思考だと言える.
2.スフロとサント=ジュヌヴィエーブ教会
<1>
ジャンヌ=アントワネット・ポアソン
ポンパドール夫人.ルイ 15 世の公妾.ヴォルテールやモンテスキューといった啓蒙思想家
と親交を結び,ディドロの百科全書の出版にも力を貸し,建築に対しても影響を及ぼした.
弟のマリニ侯爵を王室造営物総監の後継に任命し,イタリア遊学の同行者にスフロを指名し
た.
<2>
1731 建築への興味を追究するためにローマへと旅立った.
1734 フレンチアカデミーの住居を手がけ,ローマの教会の研究を始めた.
1738- リヨンにおける実践.市立病院をローヌ川に沿って延長した,オテル・デューである
(1739-48 年)
.彼はまた様々な家や Logedes Changes(1748-50)
,市立劇場を手がけた.
<ジャック=ジェルメン・スフロ,病院,リヨン,ファサードと
中央部>(*1)
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<3-5>
スフロの 3 つの論文について.
『建築における比例関係の研究』(1739)
ブロンデルとペローの論争を取り上げた.実作ではペローに近いものの,ここでは比例関係
と絶対的美についてブロンデルに共感を示していることが興味深い.ローマの 3 つの教会の
実測から,教会に限って言えば快感を想起させる比例関係はごく限られた幅しか持たないと
している.
*快感:古典主義理論においては,美の知覚に際して惹き起こされる感情を指す.
『ゴシック建築の研究』(1741)
ゴシック建築の構造からの再評価.軽快さと繊細さを称賛した.
デザインとしては
-大きな窓と豊富な採光
-細い支柱とピアの対角配置によるプランの開放性
-エンタブラチャアを分断する水平の突起物がない
などを取り上げている.
3 つめの論文(1744)
「科学の法則よりも建築の趣味が好ましいか,もしくは趣味よりも法則が好ましいか」とい
うテーマに対する論文.スフロの答えは「法則が趣味であり,趣味が法則を決める」とした.
終わりの方でロココ様式を批判している.
*趣味:18 世紀の啓蒙主義芸術論にとって,趣味とは知覚上の感受性として美のもっとも中
心的な規範を立たしめるものであった.
<6>
1750-51 スフロ二度目のイタリア旅行.マリニ侯爵の付添.
マリニ侯爵と別れた後,スフロは友人とともにギリシアの植民都市を訪れ,ギリシア神殿の
遺跡を綿密に測定し,スケッチした.2 人はギリシア建築を研究した最初のフランス人建築家
となった.
<7-9>
スフロがサント=ジュヌヴィエーブ教会を担当するまでの経緯.
1755
スフロはサント=ジュヌヴィエーブ教会のみならず,パリの王室造営物を担当するこ
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とになった.
<10>
スフロの主目的について弟子のマキシミリアン・プレビオンは後に「ゴシック教会の軽快な
構造と,ギリシア建築の壮麗さを統合し,最も美しい形態の 1 つとする」ことであったと書
いている.
この考えはスフロ 1 人ではなく,例えばピエール・コンダン・ディヴリ(1698-1777)はコルド
モワの理念を発展させサン=ヴァノン教会やサン=ヴァ教会を設計した.
<ピエール・コンタン・ディヴ
リ,サン・ヴァノン教会,コン
デ=シュール=レスコ,内部>
独立柱が水平の石造楣を支え,
その上に円筒ヴォールトが架か
る.(*1)
サント=ジュヌヴィエーブ教会の特徴
-平面はギリシア十字形.
-コリント式の列柱が身廊と側廊を区切り,コラムの上にはエンタブラチュアが一直線に切
れ目なく続き,そこに 5 つのドームが載る.
-鉄の使用と上部に隠されたバットレスの使用による軽快な構造.
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<ジャック=ジェルメン・スフ
ロ,サント=ジュヌヴィエーブ
教会>
上:石造ペディメントを内部で
補強する鉄構造の詳細
下:最終平面
(*1)
<11>
現代的な構造理論の萌芽
スフロはサント=ジュヌヴィエーブ教会に先立ってルーヴル宮東翼の修理と完成を手掛け,
構造実験の場とした.
-エンタブラチャアの金属製つなぎ材の補修
-鉄の引張試験
-石の圧縮強度試験
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1770 年にピアの細さに対して批判された際には構造計算に基づいて反論した.
<12>
デザインの「ギリシア的な」面はもちろん興味深いものであった.
3.マルク=アントワーヌ・ロージェ
<1>
サント=ジュヌヴィエーブ教会とロージェの建築試論(1753)の合致.
ロージェの提案する教会デザイン
単一あるいはペアの独立柱が側廊に沿って 1 列あるいは 2 列に並び,その上にコーニ
スが全くないエンタブラチャアが架かり,さらにその上を円筒ヴォールトが覆ってい
る.
ルソーとの相関
試論冒頭の「本能のままの初源の人間」⇔ルソーの「自然な人間」
ルソーの「自然な人間」の描写⇔ロージェの原始の小屋の口絵
<2-3>
ロージェの経歴.
<4-5>
試論の概略.
初源の状態の人間が小屋を作るまでの「自然な過程」を描き,この原始の小屋を建築におけ
る本質的な部分とし,ルネサンス,バロック,ロココ的な形態や装飾は取り除かれた.
原始の小屋
建築における本質的な要素の抽出
-独立柱(荷重支持)
-楣(梁)←エンタブラチャア
-ペディメント(勾配屋根)
ロージェが理想とする建築
ニームのメゾン・カレ
ルーヴル宮殿東側ファサードの列柱(ペロー)←ペローは当初の案を修正した程度?
ヴェルサイユ宮礼拝堂(マンサール)
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欠点
ルーヴル宮殿東側ファサード:中央のペディメントが水平な手摺の線を分断するべき
でない.
ヴェルサイユ宮礼拝堂:地上のアーケードが不要.
理論:ペローとコルドモワの著作を繰り返し引用.
左上:メゾン・カレ(*2)
左下:ルーヴル宮東面(*2)
右:ヴェルサイユ宮礼拝堂(*1)
<7-12>
建築の美についてのロージェとペローの違い.大まかにはロージェは「建築のうちに本質美
が存在する」としたがペローは「慣習や教育に左右される」とした.1750 年代にはペローの
立場は少数派であったことを示唆しており興味深い.
これは生得観念と経験論の議論とパラレルであり,経験論は近代の科学的探究の核心だとさ
れる.
<13-15>
スフロとロージェの共通点
ロココ様式への非難とゴシック様式の構造的優位性の擁護
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←さらに言うと時代的なもの
-ロココへの批判は早くから存在(ブロンデル 1737)
-ペローとコルドモワの影響
スフロとロージェ
ヴェルサイユ宮礼拝堂の模倣
Chateau de Luneville(1703-19, rebuilt1740)
Germain Boffrand による.類似した比例関係を持ちアーケードを柱に置き換えて
いる.
Charch of Norte-Dame-de-Bonne-Nouvelle(1718)設計案
Guillaume Henault による.ベルサイユの内装をゴシックの外装で覆う.
ラ・マドレーヌ設計案
ピエール・コンタン・ディヴリー
<16-19>
ロージェの各国での反響.
フランス
グリムによる好意的な言及
ブリズー,フレジェの批判『建築試論の考証』←試論第二版は反論として増補された
ブロンデル,スフロ,ル・ロイによる支持
イギリス
ジョージ・ダンスやジョン・ソーンといった次世代に影響
ドイツ
ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテは純粋さを反ロココには共感したものの,
原始の小屋やそれに基づく合理主義者をあざけった.
1780-90 年代までデヴィッド・ギリーとフリードリッヒ・ギリーらによって読まれた.
イタリア
Andrea Memmo はロージェがヴェネツィアを訪れカルロ・ロードリの考えを盗用したと
したが,その根拠はなく,それだけ影響を及ぼしたと言える.
ロードリの考えはロージェよりもさらに過激で,木造建築に端を発する古典主義の言
語の多くは石造建築の原理にふさわしくないとした.
ローマのフレンチ・アカデミーでも熱心に読まれ,フランス新古典主義の特徴となる
円柱の様式を発展させた.
<図版>
*1 新古典主義・19 世紀建築 / ロビン・ミドルトン, デイヴィッド・ワトキン著 ; 土居義岳訳
*2 西洋建築史図集