<手記> 三人の子供たちへの想い

<手記>
三人の子供たちへの想い
高倉
がくせいせいかつ
まんきつ
やきゆう
せいしゆん
か
さい
ちようなん
年美
ちゆうがくさんねんせい
学 生 生 活を満 喫しながら野 球に青 春を賭けている十九歳の長 男、中 学 三 年 生になり、
し ぼうこうごうかく
め ざ
べんきよう
はげ
ちようじよ み な
ことし
しようがつこうせいかつ
さいご
志望校合 格を目指し、勉 強に励んでいる長 女美那、今年で小 学 校生 活も最後、サッカーを
あま
ぼう
だつしゆつ
すえ
つばさ
かんが
しながらも、なかなか甘えん坊から脱 出できない末っ子の 翼 。
そうぞう
いま
しかた
あきら
わかっていても、どうしても想 像してしまい、今でも 諦 めがつかないでいる。
じゆうにねんまえ
わ が や
おつと
しようがつこうにねん
ちようなん
さい
こと
考 えても仕方のない事と
げつ
ちようじよ み な
せんぎようしゆふ
十 二 年 前、我が家は、 夫 と小 学 校 二 年の長 男、二歳十一ヶ月の長 女美那、専 業 主 婦だ
わたし
なか
さんにんめ
こども
にんしん な な か げ つ
むか
かぞく
み
った 私 のお腹には、三人目の子供が妊 娠七ヶ月を迎えていた。どこの家族にも見られるごく
いつぱんてき
こうけい
おも
ちようなん
しようがつこう
ず が
さくぶん
しよう
うんどうかい
一 般 的な光 景だと思うが、長 男は、小 学 校で、図画や作 文で 賞 をもらってきたり、運 動 会
いちい
に い
よろこ
はげ
がんば
でも一位だ、二位だと、ひとつひとつに 喜 んで、励ましたりもっと頑張らせたりしていた。
ちようじよ
み な
おとな
ふつう
かいわ
かみ
の
に あ
長 女の美那は、ようやく大人と普通に会話ができるようになり、髪が伸びてリボンなども似合
さか
としごろ
てづく
す
わたし
ようふく
つく
う、かわいい盛りの年 頃になっていた。手作りが好きな 私 は、たびたび洋 服やぬいぐるみを作
み な
よろこ
かお
み
たの
っては、美那の 喜 ぶ顔を見るのが楽しみだった。
おつと
まいにち
こ ども たち
せいちよう
おさ
こども
夫 は、毎 日のように子供達の成 長をビデオに収め、子供べったりのマイホームパパ。
かんたん
りようり
しようがつ
いわ
こどもたち
たんじようび
いつしよ
つく
簡 単なおせち料 理でお正 月を祝い、子供達の誕 生 日やクリスマスには、一 緒にケーキを作
まつ
ひなさま
こども
ひ
かざ
なつやす
かぞくりよこう
く
り、ひな祭りには「お雛 様」、子供の日には「かぶと」を飾り、夏 休みには、家族旅行をし、暮
おお そう じ
かぞく
すがた
とうじ
わ が や
すがた
れは、みんなで大掃除…と、どこにでもある家族の 姿 が当時の我が家の 姿 。
こども
さんにん
ふ
へいぼん
にぎ
たの
こどもちゆうしん
ふつう
せいかつ
子供が三 人に増えて、平 凡ながらますます賑やかで、楽しくて、子 供 中 心のごく普通の生 活
さき
つづ
おも
がこの先もずっと続くものと思っていた。
ひ
じかん
いつしゆん
さかい
ちが
じんせい
か
しかし、ある日のある時間、ほんの一 瞬を 境 にまったく違った人 生に変わってしまう。
へいせいさんねん
なつやす
はじ
ころ
とうきよう
か ぞく ぜんい ん
あそ
ゆ
平 成 三 年の夏 休みも始まったばかりの頃、東 京のテーマパークに家族全員で遊びに行く
けいかく
で き あ
はちがつはじ
りよこう
たの
計 画も出来上がり、八 月 始めの旅 行をみんなが楽しみにしていた。
とし
さい
たんじようび
むか
み な
だいす
あ
ゆ
その年は八月十八日に三歳の誕 生 日を迎える美那のために、大好きなキティちゃんに会いに行
よてい
なか
なか
こども
じゆんちよう
く予定だった。もちろん、お腹の中の子供も順
いつしゆん
めちやくちや
そだ
わたし
たいせつ
みらい
調に育っていた。そんな 私 たちの大 切な未来
いんしゆうんてん
じようしゆうしや
さい
おとこ
を一 瞬にして滅茶苦茶にしてしまったのが、飲 酒 運 転の常 習 者である三十九歳の 男 だっ
た。
けんちく
の
たずさ
か が い しや
ひ
じようとうしき
きゆうけい
いんしゆ
よる
う
あ
さけ
建 築に 携 わっていた加害者はその日の上 棟 式で休 憩ごとに飲 酒し、夜も打ち上げで酒を
くるま
うんてん
いえ
かえ
いぜん
いんしゆうんてんじこ
お
飲んだにもかかわらず、車 を運 転して家に帰るところだった。以前にも飲酒運転事故を起こし、
ひと
お お けが
めんきよ と
け
しよぶん
う
けいけん
もの
じたくちか
どうろ
こうつう
人に大怪我をさせ、免 許取り消し処 分も受けた経 験のある者が、自宅近くの道路を交 通ルール
まも
ある
わたし
ちようなん
むすめ
いつしゆん
は
と
に
い
み な
そくし
を守って歩いていた、 私 と長 男と 娘 を一 瞬にして跳ね飛ばし逃げて行った。美那は即死、
なか
なか
つばさ
じなん
よ
せい
う
よ ん か げ つにゆういん
こと
お腹の中の 翼 (次男)はこの世に生を受けることはできなかった。四ヶ月入 院する事となっ
わたし
さき
こども
やど
な
た 私 に、この先、子供が宿ることは無くなった。
ま
う
のこ
さんにんかぞく
ほうかい
さらに待ち受けていたものは、遺された三人家族の崩 壊だった。
ふうふ
じぶん
き も
こころ
い
夫婦それぞれが、自分の気持ちをどうしようもなく、 心 をコントロールできなくなり、生き
きぼう
うしな
いま
つ
かさ
こと
なん
かがいしや
しやかいぜんぱん
たい
いか
る希望を 失 い、今まで積み重ねてきた事が何だったのか、また、加害者や社 会 全 般に対する怒
にく
こと
げんじつ
かぞくかん
あ
な
おつと
りや憎しみをどこにもぶつける事ができない現 実を、家族間でぶつけ合うしか無かった。夫 は、
わたし
せ
ははおや
なん
み な
まも
わたし
かお
み
ことば
私 を責めた。母 親がついていながら、何で美那を守れなかったんだ。私 の顔を見れば、その言葉
くち
で
が口をついて出るようになる。
わたし
ひごろ
しんぱいしよう
みち
ある
くるま
とお
み な
て
はな
こと
私 は、日頃から心 配 性で、道を歩いていて 車 が通っていなくても美那の手を離すという事
こうつうりよう
はげ
ところ
だ
あんしん
せいかく
がなかった。交 通 量の激しい 所 では、抱っこしていないと安 心できない性 格だったのにそん
わたし
けつきよく
み な
し
な 私 が、結 局は美那を死なせてしまった。
じけんとうしよ
わたし
くるま
じぶんたち
つ
こ
かんが
みちはば
事件当初、 私 はまさか 車 が自分達に突っ込んでくるなんて 考 えもしていなかった。道 幅
おも
みぎはし
ある
なに
こどもたち
まも
じゆんび
もそこそこあるし、思いっきり右 端を歩いているし…。何があっても子供達を守れるという準 備
おこた
しゆじん
せ
わたし
とき
もど
しゆんかん
み な
とお
つ
は 怠 っていた。主 人に責められるたび、 私 はあの時に戻り、ぶつかる瞬 間、美那を遠くに突
はな
じぶん
そうぞう
いま
み な
たす
に ど
で き
き放す自分を想 像ばかりしていたが、今となっては美那を助けることはもう二度と出来なくな
じせき
ねん
つぶ
じぶん
じぶん
わる
じぶん
まも
じぶん
ってしまった。自責の念に潰されそうな自分と「自分は悪くない」と、自分を守ろうとする自分
こうさく
まいにち
が交 錯する毎 日だった。
わたし
ちようなん
こそだ
じぶんじしん
ささ
ていつぱい
ちようなん
また、 私 たちは、長 男の子育てができなくなる。自分自身を支えることが、手一杯で、長 男
き も
おも
ちようなん
じようねつ
そそ
の気持ちを思いやることも、長 男に情 熱を注いでやることも。
せいせき
よ
わる
かんしん
さいだい
くつう
わたしたち
うんどうかい
がくげいかい
ふけいさんかん
ひと
あ
こと
成 績が良かろうが悪かろうが関 心がなくなり、運 動 会、学 芸 会、父兄参観など、人に会う事
い
す
い
き も
う
が最 大の苦痛である私 達には、行かないで済むものなら行きたくない、という気持ちが生まれ
た。
はんたい
ちようなん
い
み な
こと
反 対に長 男がちょっとでも、わがままを言ったなら、「美那はそんな事もできなくなったの
がまん
ことば
くち
で
ちようなん
み な
こと
かんしん
な
そ ぶ
に、我慢しなさい。」という言葉が口をついて出る。長 男が美那の事に関 心が無いような素振
み
こ
あに
つめ
こ
いつぽうてき
ちようなん
りを見せようものなら、この子は兄として、冷たい子なのではないかと、一 方 的に長 男をた
み な
か
ぼく
し
ことば
しなめてしまう。そしてとうとう、「美那の代わりに僕が死ねばよかったんだよ」という言葉さ
い
え、言わせてしまった。
いま
れいせい
かんが
ちようなん
たいせつ
せいちようき
だいな
じせき
ねん
今、冷 静に 考 えてみると長 男の大 切な成 長 期を台無しにしてしまったという自責の念で
いつぱい
じけんいらい
なんねん
なんねん
たが
きず
いき
き
一 杯だが、事件以来、何 年も何 年もお互いを傷つけあうことで息をしてきたような気がする。
ばせい
な
さけ
と
か
ほんとう
じごく
せいかつ
罵声と泣き叫びが飛び交い、本 当に地獄のような生 活だった。
み な
むねん
おも
じ ぶ ん たち
しあわ
こと
美那の無念さを思うと、自分達だけが 幸 せになる事は、ぜったいにあってはいけないことだ
み な
な
いじよう
かてい
つづけ
み な
もう
わけ
おも
し、美那が亡くなった以 上、家庭を 続 けることさえ、美那に申し訳ないと思った。
あと
しら
かがいしや
ひ
に
りゆう
まえ
とき
めんきよ
と
け
その後の調べで、加害者が引き逃げをした理由が、前の時みたいに免 許を取り消しになるの
こわ
し
じぶん
て
ひと
きず
めんきよ
が怖かったからだと知った。自分の手で人を傷つけたかもしれないというショックより、免 許
と
け
きようふ
あたま
めんきよ
にんげん
い
を取り消される恐 怖が 頭 をよぎるとは…?免 許がなくても人 間、生きていけるではないか。
ば
に
じぶん
し で
ひさん
げんば
め
や
つ
ほ
じけんいらい
その場から逃げることなく、自分の仕出かした悲惨な現場を目に焼き付けて欲しかった。事件以来
かぞく
くるし
し
ほ
ぜんぶ う
と
かがいしや
の家族の 苦 しみをすべて知って欲しかった。全部受け止めてほしかった。これほどにも加害者
まも
よ
なか
ひがいしや
くる
りかい
こと
りふじん
なつとく
どうじ
が守られる世の中で、被害者の苦しみが理解される事がない理不尽さに納 得がいかないと同時
さいだい
もんだいてん
おも
に最 大の問 題 点だと思っている。
ごにんかぞく
しあわ
に ど
かな
こと
げんじつ
うら
た
いま
よ
五人家族の 幸 せが二度と叶えられる事がないという現 実を恨み、十二年経った今でも、世
なか
ぜつぼう
じぶん
いつぽう
いのち
なに
たいせつ
だれ
りふじん
かな
の中に絶 望している自分がいる一 方で、「 命 が何よりも大 切ということ」、「誰にも理不尽な悲
うつた
つづ
けつしん
しみがあってはならないということ」をずっとずっと 訴 え続けていこうと決 心している。そし
ひが いし や し え ん
わ
ひろ
き
て被害者支援の輪が広がるためにできることをやっていこうと決めている。
出典:「もう一度会いたい(遺族の手記)」第3集
公益社団法人被害者支援都民センター発行