複雑系 DS 理論

複雑系 DS 理論
花節徹 1.緒言
運動科学総合研究所所長、高岡英夫氏が創始した身体意識学(以下、DS 理論)は、スポー
ツ、伝統芸能を始めとする様々な身体運動文化の現場で実践され、高水準の競技レベル•
文化水準における記録と評価を得つつある。DS 理論の中核にあるのは、高岡氏がディレ
クト•システム(以下 DS)と名付けた、体性感覚的意識の潜在意識領域における構造と機能
の総体である。
DS のトレーニング方法は運動科学総合研究所より各種講座の形で指導され、DS 理論の詳
細は高岡氏の著書において数多く発表されている。
高岡氏の著作は、主に氏の鍛錬経験、多数のトップアスリートの観察経験、実際の指導経
験から帰納的に導かれる DS の構造と機能を、現象論として記述し、重要な原理的概念化
と具体論の展開を達成している。その質量は DS 理論を概念的に理解し、実際のトレーニ
ングにおいて上達をするために本質的な情報を提供している。
一方で、意識の形としての DS がどのように生成、発展、多様化の過程を辿るのか、現象
論的説明を超えて、自然現象としての原理的なモデルに関する研究はほとんど発表されて
いない。その理由の最たるものとしては、意識現象の定量的な測定が難しいため、自然科
学における数理モデルで記述することができず、物理学などが達成して来た各種の解析方
法との接続が不可能であったことが挙げられる。
近年では、複雑系生命科学の分野で、力学系の普遍クラスとして生命の時空間ダイナミク
スをとらえる手法が提唱されている。普遍クラスとは、モデルの細部を本質的な変数のみ
にまとめあげた時に類型化されるダイナミクスのことであり、現存する多様なシステムの
挙動を本質的に似たもの同士にグループ分けすることが出来る。
複雑系生命科学においては、結果として現存する生命システムの生化学的•生理学的•生態
学的な側面が、生命誕生時の海洋環境における原始スープに代表されるような未分化な全
体から、一般性のある非線形相互作用を通してどのように生成•分岐•発展•多様化してき
たかを扱う。一般的なシステム理論が、結果として機能分化した各種システム間の比較か
ら生命システムの普遍的構造について解明しようとするのに対して、複雑系生命科学では、
各種システムが未分化な全体から分岐して行く過程の普遍性を解明することを目的とする。
複雑系生命科学は、具体的なシステム論として生命システムの構造と機能を解明するもの
ではないが、それらの構造と機能の由来を説明するために力学系の普遍クラスを記述言語
として用いている。
単なる微分方程式に過ぎない力学系モデルが生命システムの本質であると主張するために、
複雑系生命科学ではモデルの細部に依存しない、相互作用のトポロジーやある種の非線形
性と言った一般的な仮定から常に広範に再現される性質を、自然界で普遍的に成り立つ現
象とみなして各種生物実験とのアナロジーをとっている。
本論では、複雑系生命科学の方法論を援用し、実践的実証により報告されている現象論と
しての DS の生成•発展•分化の各種性質を、非線形振動子の普遍クラスを言語として記述
することを試みる。
2.複雑系生命科学における重要概念と DS 理論のアナロジー
複雑系生命科学においては、生命システムに見られる一般的な生成•発展•多様化のダイナ
ミクスとして、複数モデルのシミュレーション結果から以下のように4つの類型的概念化
を行っている。
同一多様化(Isologous diversification)
動的共固定化(Dynamic consolidation)
状態間の遍歴(Itinerancy)
少数コントロール(Minority control)
生命システムにおいて提唱されたこれらのダイナミクスの類型が、自然現象として普遍性
をもって成り立つなら、生命システムの一部を成す意識現象においても、DS の生成•発
展•多様化のダイナミクスの類型モデルとして用いることが出来るだろう。
実際、DS 理論の内容とその実践経験からは、以下の対応が直ぐに提案できる。
同一多様化(Isologous diversification):センターからの各種 DS 分化
第三軸センターが形成されると、その他の各種ディレクターが形成可能であることが、
高橋龍三氏により経験的に確認されている。未分化な全体としてのセンターから各種 DS
が分化して行く仮定は、同一多様化の仮定と捉えられる。より具体的な数理モデルとの擦
り合わせは、後の「多重中心構造•瓦重構造」の章で行う。
動的共固定化(Dynamic consolidation):並存する DS 間の関係性
DS 同士の連関は、動的共固定化の性質と定性的によく一致している。DS は互いに独立
には存在せず、常に相互の連関においてバランスをもって成立している。
例として、冷性と熱性の気は相互にバランスをとるように導入される潜在的作用が経験さ
れている。また、第三軸センターの強度が他のディレクターの強度の上限を規定している。
状態間の遍歴(Itinerancy):非連続上達過程
DS 理論における上達には、各種 DS がアナログ的に強度を増して行く連続的な上達以外
に、新たなディレクター群を一気に形成することで、DS として一段高い状態で調和を達
成する非連続上達過程が存在する。一般にフリーフルクラムの方向への上達には非常に多
様なシステムが構成可能であり、それらの間を非連続的に遷移しながら総体としての DS
が高度化して行くことが、人生史的に見たときの DS の上達過程である。これは遍歴の類
型に相当すると考えられる。
少数コントロール(Minority control):演繹的システムとしての DS の生成
人間の身体運動を司る高度な演繹的システムとしての DS は、身体内に一様濃度で存在
せず、場所によって濃淡が存在することが DS の構造化の前提になっている。ここでの演
繹的システムとは、認識制御においてそれを優先的に用いれば、その他の部分も制御目的
を満たすように自動的に制御されるようなシステムである。これは始めは支配関係のなか
った要素間に、相互作用を通じて支配関係が生成固定化する過程である少数コントロール
に対応すると考えられる。
また、第三軸センターが他の DS より上位の支配的な位置にあるという経験則も、DS 間に
おける少数コントロールの原理と考えられる。
何故このように身体内における意識の対称性の破れ•局在化が起きるかは、DS の生成を説
明するための本質的課題であり、本論では次章以降この疑問に対して力学系の普遍クラス
としての説明モデルを提供する。
3.演繹的システムとしての DS の生成モデル
本章では、何故意識の自発的対称性の破れを伴う DS の構造形成が生じるのかを、一般的
仮定と身体を抽象化した力学的モデルを用いて考察する。
振動子結合系としての身体モデル
最初に、組織分化モデルを前提に、振り子の結合系としての身体を考える。高岡氏のメソ
ッドには、身体各部を振り子体化するトレーニングが重要な方法として位置づけられてお
り、そこからの抽象化である。ここで、各振り子は身体を任意のスケールに分割した単位
要素と見なし、現象の具体論に応じて、細胞から臓器、身体各部分などの各種解剖学的要
素のスケール間を任意に取れると考える。
各振り子は互いに近傍で結合(下図中緑のヒモ)し、外力に応じて振動する。
図1:振り子の結合系としての身体
ここで、DS の経験的現象論から、振り子の質量を意識の濃さと対応づけることを考える。
実際に意識の濃くなった場所が、振り子として力学的に周期が伸びたり慣性が増す訳では
ないが、DS による制御関係のアナロジーとして振り子間の支配関係の優劣を表すのに、
振り子の質量の大小を対応づけたモデルである。相対的に質量の大きく設定された振り子
は、近傍の振り子の運動に結合を通じて支配的な影響を及ぼす。ここで DS の強度とのア
ナロジーで定義された振り子の質量を、今後便宜的に「意識=質量」と記述する。
ここで問題なのは、実際に意識が力学的質量と見なせるかどうかではなく、運動における
要素間の支配関係という一般的性質が、システムの発展過程においてどのような普遍的性
質を持ちうるかという議論である。
図2:振り子に成立する DS の支配関係を振り子の質量として表現する
フリー/スティフ
DS 理論における身体性の重要概念であるフリー/スティフは、振り子間の結合強度によっ
て表現できる。フリーな身体は振り子間の結合強度を自由に制御できる状態を表し、ステ
ィフな身体は振り子間の結合が極めて強く、外力に対して剛体としてしか反応できない状
態を表す。実際、原子を一種の振動子として見なせば、鋼体は振動子結合系において、結
合強度が強く内部変形をほとんどゆるさない構造として記述される。
一般的な脱力は、振り子間の結合を出来るだけ弱める状況を表している。
図3:スティフな振り子結合系
図4:スティフ、脱力、フリーと振り子間結合強度
4.DS の生成原理:運動に対する不変性と意識の自発的対称性の破れ
現代数学において、何らかの対象を特徴づけるには、ある操作に対する不変性を調べる。
例えば、ある幾何学的集合の対称性を調べるには、その上に構成可能な群と言う操作規則
の集合を記述することで、その操作によっても不変に保たれる性質として対称性を定義す
る。
ある運動の本質を、考慮する運動の総体に対する不変性とするなら、運動の認識制御を司
る演繹システムとしての DS も、運動に対する不変性に基づいていなければならないだろ
う。
ここで、運動を振り子結合系に働く外力と定義するなら、運動によって形成される DS は、
運動の大きさに対して反比例して形成されると仮定してみる。つまり、外力によって操作
されてしまう部分は、運動に対する不変性が低いため、DS 形成がしにくくなると考え、
その部分の振り子の意識=質量を時間減衰させる。反対に、想定する外力に対してあまり
影響を受けない部分は、 運動に対する不変性が高いため、その部分の振り子の意識=質
量が時間増大すると考える。
このように運動の不変性に基づく本質として、外力に対する振り子の意識=質量としての
DS の強化原理を導入すると、様々な外力に応答する結果として、意識=質量の振り子結
合系内での局在化(意識の自発的対称性の破れ)が起こり、DS の構造化のプリミティブ
な説明モデルと見なせる。
実際に、どのような構造が自発的に生成されるかを、外力の種類に応じて調べてみよう。
球体に対する外部刺激
海の中に漂う海綿のような球状の身体を考える。それに対して外部から様々な刺激を受け
た時、そこから生成される DS はどのような構造だろうか。
外部刺激が身体表面に全球的に加えられるとすると、その平均における不変部分は球の中
心である。実際は、球の中心をゼロとして、体表に放射状に近づくにつれ不変性は失われ
る。典型的には、水圧変化などが近似的に全球刺激と見なせる。各振り子の平均変位の逆
数を DS の強度である意識=質量とすると、その構造は球の中心をピークに放射状に薄ま
って行く。
このような一点を中心として球形に形成される意識は、丹田系 DS の類型と見なせる。
図5:球体に対する外部刺激から生成される DS の一次元断面
回転運動
実際の生物は完全球形をしておらず、長軸方向が存在している。長軸方向の出現が先か
DS としての軸の出現が先かは議論が難しいが、身体形状に長軸方向がある場合は、空気
や水など気体•液体の摩擦抵抗力が発生する場合、慣性運動は一般に長軸周りの回転運動
と平行移動成分に収束する。分かりやすい例で言えば、アメフトのボールを最も抵抗無く
飛ばす方法は長軸周りの回転を与えて長軸方向に投げる方法であり、それ以外の成分はよ
り早く減衰してしまう。
2
このような長軸周りの回転運動では、長軸から遠ざかるにつれ、遠心力 F =mrω (m は
意識=質量、r は長軸からの半径、ω が回転角速度)が働く。従って、運動の不変性を前提
2
とする DS の生成速度は定性的に 1/ F=1/mrω で与えられるため、構造的に身体長軸と
重なる部分において発散する。これはセンターやレーザーなどの軸系 DS の類型と見なせ
る。
図6:長軸周りの回転運動の遠心力から生成される DS の一次元断面
対重力制御(倒立振り子)
水中など水圧や回転系慣性運動が主体となる環境に比べ、陸上では重力が恒常的に最も大
きな外力として作用する。重力環境下において転回運動以外で移動運動を実現するには、
身体を平行移動させることが必要条件となるため、二足直立歩行でなくとも倒立振り子制
御に相同な状況が成立している。そこで、陸上における移動運動の本質的運動のモデルと
して、倒立振り子制御における外力成分を考える。
ある程度の幅と高さのある身体が、車輪のように転がることなく、傾くことで移動し、移
動することによって傾きを回復する一連の動作を考える。DS 理論で言えば、フルクラム
シフトにおける重心点と支持点の運動関係である。
このような身体の重心点に原点をとり、そこから垂直方向に伸ばした座標軸に対する各振
り子の位置する角度を θ で表す。各振り子には、鉛直方向に mg の重力( m は振り
子の意識=質量、 g は重力定数)が外力としてかかっている。
この外力を重心点方向と、重心点方向と直行する方向に成分分解すると、直行方向の成分
は mgsin(θ ) で与えられる。これは傾いた局面における身体の横断面方向における外力
であるから、外力に対する不変性に基づく DS 生成速度は、 θ のマイナス領域まで含め
ると定性的にその絶対値の逆数の 1/∣mgsin(θ )∣ で与えられる。これを移動運動の全局面
で平均化すると、重心点の真上に位置する振り子において発散し、身体横断面方向で表面
に近づくにつれ減衰する。これは、鉛直方向のセンターの類型と見なせる。
図7:対重力制御における外力成分の分解
図8:対重力制御における定性的 DS 生成速度
このようにして、一般的な自然現象もしくは生物の運動における典型的な刺激パターンか
ら、最重要な DS であるセンターと丹田系の構造が得られることが確認された。これをも
って DS の生成過程を解明した訳ではないが、組織分化しつつ緩く結合した身体モデル内
に、運動の不変性に基づく簡単な生成則を入れるだけで、重要 DS の構造と幾何学的に一
致する構造が得られたことは興味深い。
5.多重中心構造•瓦重構造
DS 理論においては、軸系や丹田系などの幾何学的に単純な構造以外に、それらが階層的
に枝分かれしたもの、入れ子状に発展した構造、解剖学的構造と対応した複雑な形状もの、
更には身体外まで延長された DS などが存在する。これらの多様な DS は、一般的な外力に
対する応答原理だけから導けるのだろうか。
ここで、解剖学的構造が身体の力学的応答に反映され、それが解剖学的構造に沿った意識
の対称性の破れを引き起こしていると仮定するなら、このような複雑な DS の生成とそれ
らが織りなす多重中心構造をつなげる原理が、境界条件問題として設定できるように思う。
身体において骨格が他より剛体に近い物性を持っている以上、何らかの外力が加わった時、
骨格における不連続点で身体は非連続な力学量を受ける。いわば、一つの骨とそれに付随
する身体組織は、それ自体ある程度力学的に独立した部分として運動している。
このように、身体を力学的応答の性質に応じて分けて行った時、それぞれの分け方に応じ
た範囲で、運動の不変性に基づく DS の生成を考えることが可能である。振り子結合系モ
デルにおいて、どこまでを一つの身体部分と見なすかの境界条件によって、生成する DS
は多様化する。このモデルでは、アーダーのような末端における DS の構造化も、その部
分を中心とする身体の分節化が境界条件として設定された層では、センターと同様に中心
構造化の原理から導くことが出来る。
一例として、図9にセンターから側軸系の分化過程の類型を、身体部分の境界条件ととも
に示す。図中では、各層における境界条件の範囲で、最も意識=質量の大きい振り子を
DS として表示している。
図9:多重中心構造としてのセンターからの側軸系の分化過程の類型
DS 理論における実践経験からは、このような多重中心構造の分化過程が、顕在意識と潜
在意識の深さに対応することが知られている。力こぶに代表されるような身体の部分的認
識は、経験的に顕在意識優位な意識状態を引き起こし、また能動的な顕在意識によって支
えられる。逆に、身体全体の微細かつ大局的な極相的認識は、潜在意識優位な変性意識状
態でなければ不可能であり、また変性意識によってそのような体性感覚が惹起される。
このように、多重中心構造の階層構造は意識の深さに対応しており、それはどこまで身体
を統一的に認識するかという境界条件に対応している。運動の不変性に基づく DS の生成
過程の原理と、モデルの前提となる身体分節化の境界条件を合わせると、多重中心構造と
その階層構造である瓦重構造が同時に導き出される。
これを更に潜在意識の方向に拡張し、身体が肉体外の空間領域も含むことを想定すると、
センターを始めとする DS が肉体の外まで延長されるという経験的事実と整合性のある論
理体系が得られる。つまり、肉体のみを身体と見なすならばセンターは身体内に留まるが、
肉体を超えた空間も拡張された身体として捉えるなら、センターが肉体外の空間まで存在
するという DS 理論の知見と対応させることができる。これは演繹的に証明することは難
しいが、高橋龍三氏の DS を利用した整体の体系におけるコンフォートゾーンの瓦重構造
理論と定性的に一致し、実践経験を伴うという条件付きで帰納的な整合性は見いだすこと
が出来る。
6.結語
組織分化を単純化した振り子結合系としての身体のモデルに、運動の不変性に基づく演繹
システムとしての DS を振り子の運動の支配関係における質量にあてはめてモデル化し、
DS の生成•発展•多様化過程の類型を導き出す試みをして来た。最終的には、DS 理論のシ
ステム論的本質である多重中心構造と瓦重構造まで至る手がかりを得た。
DS 理論においては、DS はその幾何学的構造であるストラクチャーだけでなく、モビリテ
ィとクオリティという属性も定義されている。今回のモデルは DS の幾何学的構造の生成
過程を扱ったが、モデルに用いた意識=質量変数 m を、一般の変数にまで抽象化すれ
ば、DS を定義する3つの属性も相同な論理で扱えるはずである。
客観厳密科学には、変数の実際の定量的測定が不可欠であり、DS 理論においてはそれが
人間の主観を介在してしか行えないため、20 世紀に成功を収めた範囲での客観科学化は
原理的に難しい。
しかし、経験的に得られた身体運動の描像を抽象化したモデルにおいて、単純で一般性が
期待できる仮定と相互作用から、DS 理論の多様な発達段階と整合性のある知見が導き出
されるシミュレーション結果からは、知的遊戯を超えてある種の原理的普遍性が垣間みら
れるように感じられる。
参考文献
書籍
『センター•体軸•正中線』高岡英夫 著
『生命とは何か−複雑系生命科学序説』金子邦彦 著
DVD
『TL テクニック②理論と実践』高橋龍三 著