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富島運輸

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ーズ
事
業
承
継
富島運輸㈱
西原 勝洋
経済評論家
﹁カイカ﹂と聞いてすぐに理解できる人は少ないので
は な い だ ろ う か。 こ れ は﹁ 海 貨 ﹂ と 書 い て﹁ 海 運 貨
物 取 扱 業 ﹂ を 意 味 す る 業 界 専 門 用 語 で あ る。 横 浜 港
を 拠 点 と す る 富 島 運 輸 ㈱ は、ト ー タ ル 輸 送 シ ス テ ム
︶と豊富な経験、
︵ Tomijima Total Transportation System
実績から輸送・輸出梱包・保管・通関・船積・海外ユー
ザ情報提供など物流全般にわたるサービスを提供す
る﹁ 海 貨 ﹂ 企 業 で あ る。 ロ ボ ッ ト 主 体 の 梱 包 用 鋼 材
の 加 工 工 場、 梱 包 工 場、 隣 接 す る 岸 壁 を 越 え て 海 に
せり出す トン、 トン、130 トン天井クレーン、社内設計
し た トン積 み ト レ ー ラ ー、 長 尺 爪 特 殊 フ ォ ー ク リ フ
ト︵バンデバン︶などの設備群が、物流のプロフェッ
ショナルを自負する富島運輸をよく物語っている。
60
戦後復興景気の中で海運は急速に立ち直ったとは
いえ、大阪商船という偉大な傘の下その一部の業務
に嫁いで安心していた。
労を見て育ったから、
﹁安定した銀行員﹂のところ
は許されない会社であった。八木氏の夫人も親の苦
ター導入などイノベーションの連鎖を断ち切ること
る富島運輸は、ドイツ製自動釘打ち機、コンピュー
ち、時には日本郵船を凌駕することさえあった西の雄、大阪商
で一緒に潰れてはいけないから﹂というのが理由だった。
など入ってはいけないよ﹂と言った。
﹁俺だけでなく、お前たち夫婦ま
といった話は全くされなかった。それどころか山口社長は﹁俺の会社に
現在の2代目社長、八木庄三郎氏は山口社長の娘婿に当たる。結婚
当初は東京都民銀行に勤務しており、
﹁将来は事業承継を⋮⋮﹂など
30
を担っていた元富島組の一支店が独立した会社であ
戦後、GHQ の財閥解体令が出た時、富島組は日本各地の支
店長に﹁独立できるところは独立するように﹂という方針を伝
えた。若干 歳の若さで富島組鶴見支店長だった山口中氏が社
長に就任し、
﹁富島組﹂の業務を継ぐ形で創立されたのが横浜
33
港を拠点とする富島運輸株式会社だ。
1948 年創業当時の写真
海上輸送の草分け的存在であり、日本郵船よりも長い歴史を持
54
船の荷役業務を請け負っていた﹁富島組﹂をルーツにしている。
ま﹂の名が付く港湾輸送会社がある。
﹁富島○○﹂は、日本における
港湾、海運の関係者なら誰でも知っていることだが、横浜、神戸、
大阪など大きな港を持つ都市に行けば必ず﹁富島﹂あるいは﹁とみじ
スタートはイノベーション
取材・構成
●
海を越え、
日本の誇る先端技術を世界へと運ぶ
プロフェッショナル集団
シ
リ
4
TOMIN MANAGEMENT BUSINESS 21 2013 . 1・2
事業承継
富島運輸を創立し、
先頭に立ってイノ
ベーションを推進し
た山口社長であった
が、 そ れ に 要 す る 資
金面で婿を頼って東
京都民銀行に融資を
求めることはなかっ
た。 そ れ ば か り か、
婿の成績の足しにな
時だった。夫人はビックリし、
猛反対した。しかし八木氏は﹁
、もう言っ
てしまった。武士に二言はない﹂
︱。
年が明けてから八木氏は銀行を退職し、すぐに取締役で富島運輸に
入った。八木氏は、埋立地の購入を担当しつつ、昔取った杵柄﹁原価
意識﹂の大切さを社内に説いて回った。
﹁銀行から来た素人が⋮⋮﹂と最初は冷めた反応だったが、社内に
は次第に﹁原価意識﹂が定着していった。温厚で誠実、粘り強い
︱
八木氏の性格の勝利だった。
との関係はそれだけ
れ た。 東 京 都 民 銀 行
の定期預金をしてく
と幅広く事業を展開している。数ある港湾・海上物流企業の中で、こ
の据え付け、さらには取引先の倉庫管理︵部品の仕分けと発送︶⋮⋮
包資材の自前燻蒸・加工、貿易書類作成、海外での陸送手配、現地で
︱保管︱通関︱船積みと
港湾・海上物流業というと門外漢は、梱包
いう業務を連想する。富島運輸はこれら業務に加え重量物の陸運、梱
物流業を曳航するプロフェッショナル集団へ
だ っ た が、 娘 夫 婦 の
こまで複合企業化している存在はほとんどない。
れ ば と、 い く ば く か
知 ら な い と こ ろ で、
山口社長は当時の会
富島運輸の場合、扱う品目で言えば、重量のある大型工作機械や発
電機などの専業に近い。こうした品目は精密度が増す一方だ。船舶の
ピッチング・ローリング︵縦揺れ・横揺れ︶に負けない安全な梱包が
社の規模からすれば、
信じられないような資金を要するプロジェクトを進めていたのだ。
重要になる。加えて防湿・防錆も不可欠だ。まず、荷主から運搬する
機械の特性を十分に聴き取り、寸法を精密測定。それに合わせて梱包
沼津に営業所とパネル製作工場を開設。さらには、横浜市が進めて
いた埋立地の購入・本拠地の移転をも計画していた。
て行った。ある日、八木氏が家にいる時、山口社長が﹁休ませてくれ﹂
態にする。輸送と現地での開梱・引渡しまでの長期にわたる防錆のた
鉄の基盤の上に何十トンもある大型機械を載せ、固定し、要所を緩
衝手当てしてから、アルミバリアで全体を密封し、中を真空に近い状
資材を準備する。
とやって来た。その時の山口社長は本当に疲れ切った様子だった。そ
めだ。イメージとしては大型機械をアルミバリアの袋に入れた状態で
娘婿八木氏の家は茅ヶ崎にあった。横浜︱沼津を車で往復していた
山口社長は、しばしば八木氏の家に立ち寄り、休憩してから横浜に戻っ
の姿を見て、八木氏の口から﹁お義父さんの仕事を、僕も手伝いましょ
ある。それから腰下︵機械の載るベース部分︶以外の残りの 面をス
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う﹂という言葉が自然に出た。八木氏が東京都民銀行の支店長代理の
5
左よりご長女で常務取締役・八木順子氏(49)
、代表取締役社長・八木庄三郎氏(81)
ズ
リー
シ
富島運輸㈱
チール板で覆う。大変な工程だが、実は
あった懸念の声を押し切り売却地の 倍強の広さの土地の購入を決断
ンストップで行う﹁国際物流と鉄工場ハイブリットイノベーション﹂を
2
8
具現化する横浜物流センター︵通称・グリーンセンター︶の青写真が鮮
明に描かれていた。平成 年に開設したグリーンセンターには ・ ト
60
ある機械装置を艀に直接載せることができる。物流業でこのような天
井クレーンがあるのは全国でもここだけである。クレーン車やクレー
ような梱包場に機械を運び込んで梱包作業
をするのは、業界にとって革命的な出来事
であった。このグリーンセンターは、物流
センターというよりも工場の様相を呈して
いる。センター2階には何台もの溶接ロボッ
トが働き、次々と一定寸法のパネル枠を生
み出している、その隣ではベテラン社員が
匠の技を発揮して調整・組み立てを行って
いる。ここはまさに﹁原価意識﹂に基づく
イノベーションの集合体なのである。
ワンストップ物流サービスへの決断
八木社長にとって、 つの分岐点は、重機械専門でいくか、コンテ
ナーによる物流に乗り出すか、だった。
業界の集まりでは、誰もが﹁特に海上物流はこれからはコンテナー
だ﹂と言っていた。ある出席者は八木社長に、﹁これからはコンテナー
の時代なのに、お宅は大変だね﹂と声を掛けた。
﹁その時、僕は思ったんです。皆がコンテナーなら、うちは非コン
テナー部門で生きようと、ね﹂
まさに﹁人の行く裏に道あり、花の山﹂だった。
もちろん、
コンテナーによる輸送も行っている。荷主は一般的に﹁コ
ンテナー=頑丈で安全﹂と考え、コンテナーに入る﹁荷物﹂はコンテ
ナーでの発送を好むからだ。
ただし、機械の場合は、コンテナー内部に木材で固定する作業が欠
かせない。これまた富島運輸の得意の分野だ。非コンテナー部門とは
かつ大貨物︵制限以上の大きさや重さの貨物︶輸送である。かつ大貨
物輸送部門に活路を見出す革命的な設備の つがグリーンセンターの
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木材で梱包するよりもコストが安い。梱
包後の容積も木材のときより少なくな
り、その分、船賃を減らせる。富島運輸
のスチール梱包は、関係業界で高い評価
を得ている。
まだまだ木材梱包が主流のこの業界
で、スチール梱包という技術革新を成し
遂げたのは、物流業務を大きなシステム
として捉え、構想をめぐらし、新しい技
術や設備を積極的に導入したイノベーション社長がいたからだ。
﹁スーパー中枢港湾﹂構想で指定された横浜港南本牧埠頭整備に伴
う臨港道路事業に協力するかたちで本牧工場の / の敷地︵約500
3
坪︶を横浜市に売却した。八木社長は、社内はもとより同業者にすら
1
トンの 基の天井クレーンは、海にせり出す構造になっていて、重量の
22
ン船を頼んで船積みするのとは、かかる時間もコストも全然違う。
40
1
横浜物流センターの 130 トン天井クレーン
した。クリスマスの日にゼロが 個並んだ小切手を持参し某石油会社
10
と買収契約を結んだ八木社長の胸には搬入・組立て・梱包・通関をワ
9
ン∼130トンの天井クレーンが 基ある。そのうち トンと130
10
富島運輸が先鞭を付ける昭和 年代初期までは、梱包作業員がメー
カーに出向いて行う出張梱包が当たり前だった。グリーンセンターの
1
2
130トンクレーンである。道路交通法には河川通
行の重量制限があり、一般の申請許可では最高でも
トンの重量物しか運送できない。仮に許可を得た
としても輸送には多大な時間と費用を要する。イノ
ベーション社長はここに着目した。許可の出る範囲
の重さに分解して物流センターまで運び、それをこ
こで再度組み立てる、組み立てられたものが100
ト ン 以 上 に な っ た 時 に 活 躍 す る の が13 0 ト ン ク
レーンである。
﹁荷主さんにとっても国内輸送に要する費用ととも
に海外での組立て作業に要する費用をかなり軽減で
きる。またこれは流通業のコンプライアンスにも貢
献している﹂と八木社長は語る。
富島運輸のホームページを見ると﹁富島運輸の営業に依頼すれば、
上記一連の業務を一元管理することができます﹂とあり、その上段に
は﹁梱包﹂
﹁保管﹂
﹁搬出﹂の梱包・保管業務、
﹁書類作成﹂
﹁通関﹂
﹁船
積み手配﹂の貿易手続き業務が並んでいる。つまり、ハードとソフト
両面のサービスをワンストップで提供できるのである。
イノベーションの大切さを熱く語った八木社長は、
会社と自らの﹁夢と志﹂を引き継がすべく幹部社員
を集めて、ドラッガーの講読会を主宰している。
初代社長の山口氏は昭和 年、脳梗塞で倒れ、遺
言をすることもなく世を去った。その時、専務だっ
た八木氏は、﹁お義父さん、
僕も手伝いましょう﹂
と言っ
たのと同じように、ごく自然に﹁明日から、僕が社
長をします﹂と社員に言った。それを誰もが当たり
前のことと受け止めた。個人的な相続手続きはもち
ろん大変だったろうが、
﹁事業承継﹂はごく自然な一
言だけで完了だった。
八木社長の長女、順子さんは常務に育ち、現在、管
理部門を担当している。最初は関連会社の富島商事︵輸入建材品販売
及び保険代理店業︶に入社し、社員に保険の勧誘に歩いたから、社内
の隅々まで知っている。社員についても、全員の顔と氏名が一致する
し、海外の提携先の〝癖〟も掌握している。
なんて決めていませんよ。
しかし八木社長は笑顔で語る。﹁後継者に、
事業承継なんて、僕のように自然に行くのがいいのです﹂と。
︵にしはら
かつひろ︶
6
今や物流企業も、荷物・貨物の保管や通関などで一段とセキュリ
ティーを求められ、また社会的存在として環境問題にも積極的に取り
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組まなくてはならない時代になった。これらについても富島運輸では、
例えばリサイクルが可能なスチール梱包材料の使用、艀輸送による排
20
気ガス対策などでCO 2削減に貢献し、セキュリティーに関してはテ
11
フォークリフトとコンテナー
︶
ロ対策として求められる﹁AEO ︵ Authorized Economic Operator
﹂にも
2
0
1
挑戦中である。
56
■ 代表取締役社長 八木庄三郎 ■ 常務取締役 八木順子
■ 創業・設立 昭和 年 月
■ 資本金 、 00万
■ 従業員 188名
■ 売上高 億円
■ 事業内容 港湾貨物の輸送・梱包・保管・通関・船積業、輸出製品の
引取から海外ユーザーへの納品、海外製品の輸入から納品までの
物流のトータルプロデュース
■ 本社 〒236 ︱0003 横浜市金沢区幸浦
︱
︱
■ TEL 045 ︱778 ︱4741︵代︶
■ http://www.tomijima-unyu.com/
︵東京都民銀行横浜支店会員︶
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今でもイノベーションを継続する富島運輸にとって分岐点とは﹁ワ
ンストップ物流サービス﹂業への一里塚であったのかもしれない。
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