手仕事復興 に 拍 車 か け る か

手仕事復興に拍車かけるか
鎌倉期優品を完全復元した
﹁幕張五輪塔﹂粛々と開眼
幕張霊園
■千葉市花見川区
見 川 区 の 幕 張 霊 園 で 供 養 塔﹁ 幕 張
合わす供養塔を﹂
小林氏﹁誰もが手を
去 る 九 月 七 日、 千 葉 県 千 葉 市 花
五輪塔﹂の建立法要会が営まれ
た。 同 塔 は ま ず、 奈 良 県 に 現 存 す
は、キーパーソン三人の信念と熱
く手技という魅力的な組み合わせ
らではの先端技術と、古来から続
石工が手作業で復元した。現代な
にその3Dモデルを参考に、熟練
3 D モ デ ル︵ 模 型 ︶ を 製 作。 さ ら
レーザーで測量し、そのデータで
プトに地域密着型の霊園利用を提
してお墓参りができる﹂をコンセ
の 住 民 に 向 け て、﹁ 生 活 の 一 部 と
霊園は人生後半を考え始める世代
入した人な ら六十 代になる。 幕張
て約三十年、 仮に当時三十歳で転
園 ﹂。 幕 張 エ リ ア の 開 発 が 始 ま っ
園 は 幕 張 副 都 心 初 の﹁ 都 市 型 霊
る鎌倉時代の五輪塔の形を三次元 今年五月にオープンした幕張霊
意によって実現した。
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11.15/2010「石材」-
案している。
霊園の総面積は四二一九㎡。う
良などを旅し、古刹や歴史的な石
存に貢献する研究活動も多い。
寺の責任役員で幕張霊園管理者の
造 物 を 訪 ね て﹁ 霊 園 の 本 質 と は 何 ﹁ 幕 張 五 輪 塔 の 基 に な っ た 五 輪
の正面最奥に設置された。 続いて
た供養塔は九月七日朝、 その墓域
区 画。
﹁幕張五輪塔﹂と命名され
の 種 類 は、 亡 く な っ た 人 々 の 成 仏 ﹁ 監 修 は 大 和 郡 山 市 教 育 委 員 会
塔 を 建 て た い と 考 え た の で す。 塔
徳を積むことのできるような供養
もう一つ、誰もが手を合わせて功
たという。
たいと考えプロジェクトを起こし
たれ、幕張に同形のものを復元し
ご先祖の墓所にお参りされますが、 会ったある五輪塔の神々しさに打
大和形式に連なる立派な作でした。
も調査して みると、十三世紀 末の
にもまだ指定されていません。 で
かというと地味な存在で、 文化財
祀 ら れ る 優 品 で す。 以 前 は ど ち ら
塔 は、 奈 良 県 天 理 市 の あ る 古 寺 に
小林隆氏は語る。
か﹂を模索した。 その際にめぐり
歓 照 寺・ 岡 本 日 響 住 職 を 導 師 に 迎
主任の山川均先生にお願いしまし
ち 墓 域 は 二 八 九 五 ㎡、 全 四 百 三 ﹁ ご 来 園 の 皆 様 は、 そ れ ぞ れ の
えて建立の法要会が行われ、魂の
を祈願するということで、 五輪塔
た。 本物の五輪塔をよくご存じで 石造文化財の調査は従来、 実測
こうごう
入った五輪塔にさっそく参列者が
を選びました﹂
がある﹄と伺って、ぜひそれを試
す し、﹃ 3 D モ デ ル を 使 う 復 元 法
川氏 の発案によ り、 初 めて三次元
さ れ て き た。 今 回 の 五 輪 塔 は 山
図や 拓本、写真 などを 用いて記録
に使ったレーザーで五輪塔を立体
レー ザー測量技 術を採 用。三次元
していただきたいと思いました﹂
保存状態もいい﹂
お参りした。
塔建立について、宗教法人歓照 小林氏は霊園を開発する前に奈
︻ 上 ︼ 九 月 七 日、 幕 張 霊 園 で 営 ま れ た 供 養 塔
﹁幕張五輪塔﹂の建立法要会のようす
︻左︼幕張霊園管理者・小林隆氏
山川氏﹁伝承すべきは
的に計測し、 その数字をもとに硬
るというものだ。
質ウレタン製の3Dモデルをつく
精神性と手仕事﹂
本誌でも連載中の山川氏はご存
合コンサルタントの㈱アコード
じのとおり、 現在の中世石造物研 計測とモデル製作は、 文化財総
究 の 第 一 人 者 で あ る。 額 安 寺︵ 大
の復元は初の試みだが、遺跡や古
和 郡 山 市 ︶ 宝 篋 印 塔 の 解 体 調 査・ ︵ 大 阪 市 西 区 ︶ に 依 頼 し た。 石 塔
修理など、石造文化財の修復や保
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墳、仏 像など の研究 で はす でに 多
くの実績がある。
山川氏の指揮のもと、 原物五輪
どだけではなくて、スピリチュア
石造物個々の歴史や形態的特徴な
タン製なので、混色の石肌の上よ
ルな部分を含めた石造文化だと
い大きさでもある。また白いウレ
りノミ跡や意匠の詳細が読み取り
何を表そうとしたか。見た人は何
思 っ て い ま す。 造 立 者 は そ の 塔 で
ご と に 計 測 し、 原 寸 二 分 の 一 サ イ 先端テクノロジーを生かした結
を受けとめるのか。できるだけ往
やすい。
果、 高精度で使い勝手のいい復元
時と同じ方法で、 同じ苦労を経験
塔の解体と調査が行われた。部位
ズの硬質ウレタン3Dモデルを製
モデルが出来上がった。
しながらつくったほうが、 そこに
作した。
原 物 の 半 分 サ イ ズ で も、 高 さ は こ こ か ら 機 械 で 石 を 成 型 加 工 す
しやすいのではないでしょうか﹂
込 め ら れ た 精 神 的 な も の も、 理 解
は 完 成 し た よ う な も の だ ろ う。 昭
るコースへ進めば、すでに五輪塔
約 一 m を 超 す。 つ く り 手 に と っ て
は ち ょ う ど、 全 体 像 を 把 握 し や す
を﹁ 最 も 現 代 的 で 合 理 的
めるのは重要なことである。
点の姿に復する︵戻す︶か﹂を決
損はないほうがいい﹂
手を合わせて祈るものだから、 欠
山 川 氏 は 最 初 か ら、 機
変わろうとしている。
代、 時 代 の 潮 流 は 大 き く
を加えないほうが制作時の美しさ
遺品として見るなら、後世の補修
一 隅 に 欠 損 部 分 が あ る。も し 美 術
ろう。
できるだけ修理したほうがいいだ
事 故 や 遅 延 を 招 き そ う な 欠 陥 は、
界へ届ける乗り物だったとしたら、
寺島氏﹁緊張した。
が損なわれない、 というスタンス
しかし山川氏は欠損部を反映さ
けど面白かったね﹂
械仕上げにすることを
かったという。
﹁私たちが伝承してい
か な け れ ば な ら な い の は、 を予測して幕張五輪塔をつくった。
せ る こ と な く、製 作 当 時 の 完 全 形
もある。
か っ た。 し か し 平 成 の 現 今 回 の 原 物 の 五 輪 塔 は、 火 輪 の たとえば石造物が人の祈りを天
な製法﹂と信じて疑わな
和 時 代 な ら お そ ら く そ れ 復 元 や 修 復 を す る 際、﹁ ど の 時 ﹁ 信 仰 の 対 象 だ か ら で す。 人 が
細部に至るまで手仕事で復元された
選択肢にさえ入れていな
原物の 1/2 サイズの 3D モデルを使って説明する山川均氏
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したのは、 茨城県桜川市にある石
実際に幕張五輪塔を叩いて製作
種 の 石 材 を 使 い、 役 も の、 石 仏、
を使用。 普段は真壁石をはじめ各
入れている。
ステンドグラスなど異素材も採り
材工房﹁寺島﹂の寺島真司氏である。 照明、オブジェなど何でもつくる。
小林氏と山川氏が手技で幕張五
輪塔を作成できる工人を探したと
こ だ わ っ て い な い と い う。 ど ち ら
き、幕張に最も近い石材産地であ 機 械 と 手 工 業 の 差 に は、 あ ま り
る 茨 城 県 真 壁 の 企 業 か ら﹁ 真 壁 一
も、 つ く る 製 品 に よ っ て 向 き 不 向
い作品になるときもある。
きがあるし、両方を生かすと面白
の腕前﹂と紹介された。
﹁最初は大丈夫かなと緊張した
け ど、 仕 事 と し て 面 白 そ う だ と
場に据えるときの微調整とかもや
﹁ オ レ は 既 製 品 の 加 工 と か、 現
い会社ほど、 手仕事の出番がなく
場が機械化を進めた。羽振りのい
景気で忙しくなるとほとんどの職
れたところに置いてたけど、 工房
めは汚しちゃいけないと思って離
みと か勾配が手 触りで わかる。 初
図 面 や 写 真 と は 全 然 違 い ま す。 丸
の間にかいなくなったそうだ。
思った。やっぱり手でつくるのは だが、手仕事をする仲間はいつ
楽 し い。 い ろ い ろ 考 え な が ら つ く
るから﹂
石は扱い慣れている真壁の中目
るから自然と手を使い続
なった。
ととおりを仕込んでも
新米のときに手仕事ひ
石のJAFだよ︵笑︶﹂
意味でも3Dモデルの存在は大き
業 者 は い な か っ た と い う。 そ の
が、 細かい部分まで相談できる同
幕張五輪塔の仕事を引き受けた
れて﹂
どん汚していいんですよ﹄と言わ
デルはそばに置いて触って、どん
に来てくれた山川先生が﹃3Dモ
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け て き た だ け。 便 利 屋、
ら っ た、 お そ ら く 最 後 の
疑問があるときは3Dモデルを見、
依 頼 を 受 け て か ら 半 年 で 完 成。
かった。
ん な 習 っ た は ず だ が、 好 ﹁ な か っ た ら、 ど う な っ て た か。
世 代 で あ る。 同 年 代 は み
幕張五輪塔を手技で制作した
寺島真司氏
て 感 無 量 で す。 来 園 さ れ た 方 が、
自然と手を合わせていらっしゃる
または山川氏や小林氏に質問すれ
ば解決したが、いくつか迷ったこ
んです﹂
価する。
山 川 氏 も﹁ 期 待 以 上 ﹂ と 高 く 評
と も あ る と い う。 た と え ば、 表 面
をどの程度叩くか。
﹁今までオレがやってきたのだ
に﹃ こ れ は 違 う ﹄ と 言 わ れ た ら、
か く 叩 い て み た ん で す。 山 川 先 生
物 っ ぽ い。 か ら 四 枚 ビ シ ャ ン で 細
と凹凸がきれいになりすぎて江戸
と が 多 い。 で も 何 と な く、 そ れ だ
じの色だったでしょうね﹂
時代に完成したときは、こんな感
真壁石でなく奈良石ですが、 鎌倉
再 現 し て い る と 思 い ま す。 原 物 は
の五輪塔がもつ優美な部分をよく
張 り の あ る 球 形 の 水 輪 な ど、 原 物
と、 八 枚 ビ シ ャ ン で 仕 上 げ る こ ﹁蓮弁のバランスがいい反花座、
やり直せばいいと思って﹂
ひき締まる。幕張五輪塔は霊園と
結 果 は 山 川 氏 も 小 林 氏 も﹁ O 立 派 な 石 造 物 が 座 す る と 空 気 が
K ﹂。﹁ ホ ッ と し た け ど、 ま た 別 の
ともに年を重ねていくのだ。
叩き具合でつくってみたい﹂と寺
千
= 葉 市 花 見 川 区 幕 張 町 3︲
◎幕張霊園
︲6
住所=茨城県桜川市大国玉4505
◎石材工房・寺島
http://www.m00.jp/
2241︲1
住所
島氏は思っている。
小林氏は半年間に三度、仕事後
の真夜中に車を飛ばして寺島氏の
工房へ行ったという。
﹁今どんな状態だろうと気にな
り ま し て︵ 笑 ︶。 無 事 に 開 眼 で き
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