島が陥落し、1944年6月には日本まで2400㎞のサイパン島 成功し、その後も南方戦線まで破竹の勢いで勝ち続け、全国民の熱 日のハワイ・オアフ島の米海軍基地であるパールハーバーの奇襲に べきなのか、理由は次の通りである。日本は、1941年12月8 何故、敗戦の1945年の前年6月のサイパン島の戦いに注目す 分析しようとするものである。 サイパン島の戦いの細部を明らかにし、更に日本国としての敗因を の戦いで戦った日米4人の兵士達の目線で書かれた記録に基づいて 現代に活かす提言を行ったものは少ない。本書は実際にサイパン島 たもの、戦いの経過を書いた戦記物が多く、敗れた原因を分析して しかし、これ等の本は戦争の悲惨さを後世に伝えるために書かれ の戦闘についての多くの本が出版された。 因があることが明らかになる。敗戦後70年の間に、太平洋戦争で 一方、敗戦といえばいつの時代になっても、敗れたのであって原 う、大失敗をした事実が薄れてしまう。 万人の尊い人命を失い、国土のほとんどを焼土にしてしまったとい 洋大戦が終わったことになり、日本が重大な過ちを犯して、300 恐ろしいもので、勝手に一人歩きしてしまう。終戦というと、太平 敢えて﹁終戦﹂と言わず﹁敗戦﹂というには理由がある。言葉とは 今年は1945年の太平洋戦争敗戦から70年を迎える。ここで 本書は、サイパン島の戦いでの戦力の差を兵士達の証言で明らか できるものではなかった。 るように、日米の戦力の差は圧倒的なもので、とても精神力でカバー この結果、第3章のサイパン島の戦いでの日米の兵士の証言にあ められ、兵員・兵器・弾薬の補給はできなかった。 たが、すでに制海権は米国が持ち、多くの輸送船が米軍の魚雷で沈 た。1944年になりサイパン島の重要性に気づき、急遽陸軍を送っ は海軍に任せておけ﹂として、サイパン島に陸軍を配置していなかっ るまでは、当時の日本軍の縦割り組織のため、陸軍は﹁サイパン島 ところが実際に起きたことは、サイパン島陥落の1944年にな である。 を決戦の場としてもっと多くの兵器と兵士を集中配備しておいた筈 航空機の戦いに変わっていたことに気が付いていれば、サイパン島 な重要性を理解し、戦艦大和で代表される戦艦の戦いの時代から、 もし、当時の日本における戦争指導部がこのサイパン島の地理的 長崎に原爆を落とした。 年8月に、開発が終わったばかりの原子爆弾を載せて飛来し広島・ 撃を可能にしたのである。そして、このB29が一年後の1945 6000㎞のB29という爆撃機が日本本土に対して無給油での爆 この2400㎞の距離が、当時開発が終わったばかりの航続距離 はじめに 狂の中に、北はアリューシャン列島から、中国の満州、南方にまで にするだけでなく、兵士達はどうして兵士になり、何を考えて戦っ が陥落した。 戦線を広げてしまった。 日本は、﹁日本軍には降伏はあり得ない﹂として、この条約を批 ものである。 分かった時点で現場の判断で降参をして、尊い人命を守ろうとする この条約の前提は、戦争は国と国との争いであり勝ち目がないと 条約﹂という戦時の捕虜取り扱いに関する条約が結ばれていた。 欧米では第一次世界大戦の後、国民の命を守るため﹁ジュネーブ 兵士個人に﹁降伏﹂するという選択がなかったことである。 筈である。具体的には日本軍には国・前線の軍隊の司令官、また、 だったならば、戦いに敗れても太平洋戦争の犠牲者は半分で済んだ ない。当事の日本の戦争指導者が欧米諸国の指導者のようにまとも 戦いに負けたから、犠牲者が出るのは当然だという考えは当たら もなった。このほとんどが現在の日本でも存在し、国・社会・企業 ている間に、日本の敗因について考えて書き出したが、21項目に 第6章では、日本の敗因について考える。著者は、本書を執筆し 終戦について解説する。 ある歴史家の Douglas Westfal の米国側から見た終戦までの戦略と 経過を述べる。日本全土の空襲・米英ソ連三カ国の密約・原爆投下・ 第5章では、サイパン島陥落後の、日米3人の証言と、共著者で る。 言の証言で、サイパン島の戦いでの日米の兵力の差をあきらかにす 第4章では、米海兵隊上陸の激戦についての日米3人の兵士の証 ピーを含めて日本兵の行動・考えていたことを明らかにする。 での日本兵3人の証言であり、特に市川源吉さんの日記の原文のコ ていたかも明らかにしたい。更に、本書ではなぜ300万人もの日 本人が犠牲になったのかも明らかにしたい。 准しなかった。ジュネーブ条約では軍隊でのトレーニングとしてこ て、警鐘を鳴らさざるをえないので、第6章では、これらの21の 日頃、企業の多くの問題を見てきたビジネスコンサルタントとし などで多くの問題の原因となっていることに気が付いた。 しかし、兵站 ロ ( ジスティクス の ) 能力不足のため、1943年 後半から旗色が悪くなってきた。そして1943年11月のタラワ ) の条約を兵士に徹底することを義務付けている。一方日本では、兵 士に﹁生きて虜囚の恥しめをうけるより、玉のように砕ける 死 (ぬ 第1章では、日本の近代史︵明治維新以後︶をご存知でない方の のために捧げたことも評価しなければならない。 一方、本書に登場する日本兵がいかに祖国 す ( なわち天皇 に )対 して忠誠を守り、困難な戦況下で、一糸乱れずに働いて尊い命を国 具体的な解決策を提言する。もちろん、元理系のコンサルタントの こうした問題に付いて、同じ過ちを繰り返さない為に、私なりの で様々な問題がおきていることである。 でも、殆ど同じ原因で相変わらず、社会・国・企業・個人のレベル ﹂なる﹁戦陣訓﹂を叩き込んだ。 為に、日清・日露・第一次世界大戦・シナ事変・日中戦争、そして、 独断と偏見に基づくものであるのは言うまでもないが、これをたた 敗因を述べる。著者が強調したいのは、敗戦から70年経った現在 太平洋戦争の開戦・戦線拡大と敗戦までの経過を要約する。 国側からの豊富な資料を含んでいる。 本書は昨年米国で出版された英語版の日本語 版であるので、米 しては嬉しいかぎりである。 き台にして、皆様の問題の認識と解決策の議論が始まれば、著者と Richard 第2章では、サイパン島の戦い以前の、日本が占領した南方島々 への米軍の反撃であるタラワの戦いにおける米海兵隊員の の証言で明らかにする。 Meadows 第3章では、1944年6月15日の米軍上陸までのサイパン島 4 5
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