レジュメ(PDF)

平成22年度
東京法曹会第2回実務研究会
実践的労働法制
日時:平成22年9月29日(水)午後6時
場所:弁護士会館
508ABC
目
次
Ⅰ
労働者の競業避止義務-使用者・労働者の攻防
担当
青木康洋・中村謙太・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1頁
Ⅱ
非正規雇用
担当
古平江都子・枝廣恭子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27頁
Ⅲ
整理解雇と解雇権濫用法理
担当
清水信寿・南勇成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76頁
Ⅳ
労働者・使用者から見た労働災害
担当
木村康之・星野大輔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91頁
Ⅰ
労働者の競業避止義務-使用者・労働者の攻防
担当
青木康洋・中村謙太
第1 総論
1
競業避止義務とは
労働者は、労働契約の存続中は、一般的に、使用者の利益に著しく反する競業行為を差し控え
る義務があり、これを競業避止義務という。
具体的には、競業事業の実施、従業員の引き抜き、企業秘密の漏洩などがある。
2
労働者の不利益
競業避止義務は、労働者の職業選択の自由を制約するものであり、特に、退職後については、
労働者の退職の自由、自由競争の原理にも制約を加えることになる。労働者としては、退職後も、
今まで培ってきた経験を活かして同業他社で働きたいとの要請は強い。
3
競業避止義務の必要性
しかしながら、従業員は一般的に会社の内部情報に精通しており、営業秘密に近いところにい
る。
このような従業員が所属企業の営業秘密を不正に競業他社に漏洩したり、当該営業秘密を利用
して独自に同種の事業を行うことを許せば、当該企業は本来であれば当該営業秘密等を利用して
獲得できたはずであった経済的利益を得る機会を失い、ひいては経済界における信用の喪失等、
金銭に換価し難い損害を被るおそれがある。また、当該事業のノウハウを獲得している労働者が
不当に引き抜かれることになれば、会社としては従来どおりの事業の継続が困難となり、場合に
よっては再起不可能な損害を被るおそれもある。
したがって、使用者としては上記のような労働者の競業行為を防止する高い必要性があり、現
在も当該会社で就労している労働者はもちろん、既に退職した元労働者に対してもその制限を及
ぼす必要がある。
4
取締役の競業避止義務との対比
取締役は、株主総会に重要な事実を開示し、承認を得ない限り(取締役会設置会社については
取締役会への重要な事実の開示、承認、重要な事実の事後報告)、自己又は第三者の計算におい
1
て、会社と取締役との間で利益が衝突する可能性のある競業行為を行ってはならないと規定され
ている。(会社法356条1項1号・365条)。
このように、取締役の競業避止義務は、労働者の競業避止義務とは異なり、法律上規定されて
いる義務である。
この趣旨は、取締役が、会社の業務執行に関して強大な権限を有しており、それ故企業機密に
も通じていることから、その地位を悪用し、会社を犠牲にして自己又は第三者の利益を図る危険
性が労働者と比べ大きいので、これを可及的に防止する必要性が高いためである。
第2 在職中の競業行為
1
使用者の事前予防策
(1)
競業避止義務の発生根拠
Q・A
在職中の競業行為を規制するためには、事前の取決めが必要なのか。
労働者が、在職中に競業行為を行わない義務については、現在では、就業規則等に明記され
ていればそれにより、また、仮にその旨の規定がなくとも、労働契約における信義則上の義務
として、一般的に認められている(労働契約法 3 条 4 項)。
したがって、使用者が就業規則、労働契約等で、競業行為禁止規定を定めていなくても、労
働者は競業避止義務を負うことになる。
もっとも、使用者の営業上の利益の毀損を予防するという観点かすれば、労働者には競業避
止義務があること、どのような行為が競業避止義務になるのかを就業規則等に規定し、労働者
に周知・徹底することが望ましい。
就業規則等に規定されていれば、競業避止義務となる具体的な行為を認識することが可能と
なり、労働者にとっても予期せぬ紛争を防止できるとのメリットがある。
(2) 就業規則に定めるべき事項
Q・A
在職中の競業行為を規制するために、いかなる就業規則を策定すべきか。
ア 具体的行為態様規定
在職中の競業行為を規制するためには、まず、競業避止義務違反となる労働者の具体的な
行為を規定することが大前提である。競業行為の代表的態様としては、狭義の競業行為、引
き抜き行為、秘密漏洩があるので、これらの行為を念頭において就業規則を作成すべきであ
る。
2
規定の具体例
(競業避止義務)
第A条
開発部門もしくは技術部門に所属する従業員、または営業部門に所属する部長以上の
従業員は、会社の書面による承認なしに、次の事項をしてはならない。
⑴
日本国内において、会社の業務(一時中止している業務も含む。)と競業する業務を
行うこと
⑵ 日本国内において、会社の業務と競業関係に立つ企業の設立、およびその設立に関
与すること
⑶
会社の業務上知り得た顧客と取引すること
⑷
会社の従業員を勧誘し、退職させること
⑸ 会社の業務上知り得た次に例示される情報、その他会社の経営、営業上のノウハウ、
技術、技術上のノウハウ等に関する情報で機密とされているものについて、これを口
外、公表、漏洩、開示すること、もしくは使用すること
ア
製品に関する情報
イ
営業に関する情報
ウ
技術部門の活動に関するノウハウおよび情報
エ
会社が固有に開発し、または保持する技術、知的財産に関するデータおよび情報
オ 財務・人事に関する情報
カ 取引先・関連会社に関する情報
キ 前各号に準じた重要情報
イ
懲戒処分規定
判例は、労働者は労働契約を締結したことによって企業秩序遵守義務を負い、使用者は労
働者の企業秩序遵守義務違反行為に対して制裁罰として懲戒を課すことができるとする(最
判昭和58・9・8-関西電力事件)。もっとも、使用者は規則や指示・命令に違反する労働
者に対しては「規則の定めるところに従い」懲戒処分をなしうるとし、規則に明確に規定し
て初めて懲戒処分を行使できるものとしている(最判昭和54・10・30-国鉄札幌運転
区事件)。
したがって、労働者の競業避止義務違反に対して、懲戒処分をなすためには、使用者は懲
戒の事由および手段をそれぞれ就業規則に明記することが必要となる。
(ア) 懲戒事由
規定の具体例
3
(懲戒の事由)
第B条
会社は、従業員が次の各号のいずれかの事由に該当すると認めるときは、第
C条に定める懲戒の種類の1または2以上を適用し、懲戒処分を行うことがで
きる。
⑴・・・・・
⑵・・・・・
⑶第 A 条(競業避止義務)に違反したとき
⑷・・・・・
⑸その他前各号に準ずる行為があったとき
(イ) 懲戒の手段
一般的な懲戒の手段としては、処分の軽い方から、①譴責・戒告、②減給、③出勤停
止、④降格、⑤諭旨解雇、⑥懲戒解雇がある。
なお、②減給については、一回の減給の額が平均賃金の1日分の半分を超え、総額が
1賃金支払期における賃金の総額の10分の1を越えてはならない(労働基準法91条
)こと、③出勤停止については、7日を限度とする旧工場法時代の行政解釈を基準に現
在でも行政指導がなされていることに注意を要する。
規定の具体例
(懲戒処分の種類および程度)
第C条
懲戒の種類および程度は次のとおりとする。
⑴
戒
告
口頭により、将来を戒める。
⑵
譴
責
始末書を提出させ、将来を戒める。
⑶
減
給
始末書を提出させ、1 回の額が 1 日の平均賃金の半額、総
額が 1 か月分の賃金総額の 1 割を超えない範囲で賃金を減額
する。
⑷
出勤停止
始末書を提出させ、7労働日以内の出勤を停止する。その
間の賃金は支払わない。
⑸
降
格
始末書を提出させ、役職、職位、職能資格等の引下げを行
う。
⑹
諭旨解雇
懲戒解雇相当の事由がある場合で、酌量すべき情状がある
ときは、訓戒を与えた上で解雇する。
⑺
懲戒解雇
予告期間を設けず即時解雇する。労働基準監督署の認定を
4
受けたときは、予告手当を支給しない。また、退職金はその
状況により減額または支給しない。
ウ
退職金不支給・減額規定
在職中の労働者の競業行為を理由とする退職金の不支給・減額は、競業行為を理由として労
働者を懲戒解雇とし、退職金規定等に定められた懲戒解雇の場合の不支給・減額規定を適用す
るという形で行われることが多い。
規定の具体例
(退職金の不支給)
第D条
従業員が次の各号のいずれかに該当する場合には、退職金の全額または一部金
額を支給しないものとする。
⑴
全額不支給の場合
第C条⑺に基づき、懲戒解雇されたとき
⑵
一部金額不支給の場合
ア
第C条⑹に基づき、諭旨解雇されたとき
イ
第 A 条(競業避止義務)に違反したとき
(上記規定の具体例についての参考文献:熊井憲章「就業規則のすべて」、南波・中川・小林「労務
コンプライアンスのための就業規則Q&A」)
(3) 就業規則の一般的作成手続
ア 作成・届出義務
常時10人以上の労働者を使用する使用者は、一定の事項について、就業規則を作成し、
行政官庁に届け出なければならない(労働基準法89条)。
ただし、「制裁」に関する事項は相対的記載事項なので、規定しなくても作成・届出義務
違反とはならない。
イ 労働者の意見聴取義務
当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においては、その労働組合、
労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の
意見を聴かなければならない(同法90条)。
また、使用者は、労働組合または労働者代表の意見を記した書面を添付しなければならな
い(同条2項)。
5
ウ 周知義務
使用者は、就業規則を、常時各作業場の見やすい場所に掲示し、または備え付けること、
書面を交付すること、またはコンピュータを使用した方法によって、労働者に周知させなけ
ればならない(同法106条1項)。
エ 小括
就業規則作成のためには、上記の義務が労働基準法に定められている。しかし、これら全
ての義務を履践しなければ、就業規則の法的効力が生じないというわけではなく、ウの周知
がなされていれば、就業規則の法的効力は生じる。そのうえ、労働基準法第106条 1 項に
記載されている周知方法によらなければならないわけではなく、実質的に見て事業場の労働
者に対して当該就業規則の内容を知りうる状態においていたことが必要であると解されてい
る。(菅野「労働法」111頁)
。
2
事後対応-競業行為がなされた場合の使用者・労働者の対応
具体的事例
X社は、他社からの委託を受け、各種展示会・コンサートイベント等の会場確保、設営を行う
ことを目的とする会社である。Aは、X社の営業部長、B、CはX社の平社員であった。
Aは、在職中にX社と業務が競合する競業会社Yを設立し、本来X社が受注するはずであった
依頼の一部を横流しして自らのY社に受注させ、利益を上げていた。Aと仲の良かったBは、A
からY社のことを聞き、Y社の業務を手伝うようになった。
その後、Aは、Y社の業務も軌道に乗ってきたことから、1年後にはX社を退職してY社に専
念することにし、仲の良かったB、Cに「現在の給料の1.5倍の給料を出すので、一年後にX
社を退職してY社の社員になってほしい。」と勧誘し、B、Cから同意を得た。
Aは、辞める前にX社の顧客をY社に引き込もうと考え、X社の顧客名簿に記載されている顧
客に挨拶状を出したり、Y社の代表取締役として接待するなどした。
その結果、X社の顧客の一部がY社に移ったことから、このようなAの行動がX社の知れると
ころとなった。なお、X社の就業規則には、競業避止義務違反規定、懲戒規定、退職金不支給規
定の定めがあった。
X
雇用
雇用
A
雇用
転職勧誘
設立
手伝う
C
B
6
Y
(1) 使用者の競業行為に対する対応策
Q・A
X社は、営業部長A、平社員B、Cに対し、どのような措置をとることができるか。
ア 前提
前述のとおり、従業員の在職中の競業行為避止義務は、現在では、就業規則の規定があれ
ばそれにより、また、仮にその旨の規定がなくとも、労働契約における信義則上の義務とし
て、一般的に認められている(労働契約法 3 条 4 項)
。
イ
営業中止要求
X社は、まず、A、B、Cがそのような行動をしていることを知ったら、即刻、Y社の営
業を中止するように要求すべきである。これが競業行為への対応策としてもっとも迅速かつ
簡易な方法であり、中止要求に応じて従業員が競業行為を中止すれば会社の損害を極力抑え
ることができる。
A、Bがこの要求に応じて、Y社の営業を中止し、CもY社に転職することをやめた場合
には、中止した時点でのX社の損害等を考慮して、A、B、Cに妥当な種類の懲戒処分をす
ることになるであろう。
ウ 競業行為の差止訴訟、差止仮処分
次に、A、Bが会社の営業中止要求に応じなければ、X社は、競業行為の差止訴訟や競業
行為差止の仮処分を行うこともできる。
しかし、実際には、A、BがX社の営業中止要求に任意に応じる可能性は低く、多くの場
合は競業行為が発覚した時点でX社を退職するか、X社が懲戒解雇することになるであろう。
したがって、在職中の競業行為に対して、差止訴訟や差止の仮処分を行いうことは考えに
くく、差止訴訟や差止の仮処分が行われるのは専らA、Bが退職した後となるので、差止め
についての詳細は後述の退職後の競業行為に譲る。
エ 懲戒解雇
(ア)懲戒解雇の実用性
懲戒解雇は、従業員の生活基盤となっている職を失わせ、収入を無くしてしまうもので
あり、また「懲戒」の名が付されることによって秩序違反に対する制裁としての解雇たる
ことが明らかにされ、再就職の重大な障害となる不利益を伴う。このように、懲戒解雇は、
会社にとって非常に強力な権利であり、会社がこの権利を有していること自体で従業員が
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競業避止義務違反行為を牽制する効果がある。
したがって、前述のとおり、競業避止義務違反を懲戒解雇の事由とし、かつ懲戒解雇を
なしえることを就業規則で定めることが重要である。
(イ)懲戒解雇を行う場合の注意点
次に、実際に懲戒解雇を行う場合には、以下の点に注意しなければならない。
① 懲戒解雇の根拠規定の存在
就業規則に競業避止義務違反を理由とする懲戒解雇をなしえることを規定しなければ
ならないのは、前述のとおりである。
② 懲戒事由への該当性判断
現実に従業員が行う競業行為には、様々な態様があり、厳密には競業行為に当たらな
い場合も考えられる。したがって、従業員の行った行為が、会社が就業規則で定める競
業避止義務違反行為に該当するか否かを慎重に判断しなければならない。
懲戒解雇の有効性が裁判で争われた場合、懲戒事由の該当性判断が中心的争点となり、
当該行為の性質・態様に照らして該当するか否かが判定されることになる。
③ 相当性
懲戒解雇は、競業避止義務違反行為の性質・態様その他の事情に照らして社会通念上
相当なものと認められない限り、懲戒権の濫用となり無効となる。
具体的には、競業避止義務違反行為はあったが、当該行為の性質・態様や被処分者の
勤務歴などを考慮した場合、懲戒解雇処分が重きに失するような場合には、懲戒権の濫
用となるのである。
また、懲戒解雇は、手続的な相当性を欠く場合にも、社会通念上相当なものとは認め
られず、懲戒権の濫用となる場合がある。就業規則や労働協約上、組合との協議や労使
代表から構成される懲戒委員会の討議を経るべきことなどが必要とされる場合には、そ
の手続を遵守すべきことは当然であり、そのような規定がない場合にも、特段の支障が
ない限り、本人に弁明の機会を与えることが要請される(菅野「労働法」402頁)。
(ウ)具体的事例のあてはめ
① 営業部長A
Aは、競業会社であるY社を設立し、本来X社が受注すべき依頼の一部を横流しして
Y社で受注している。また、B、Cを引き抜こうと勧誘し、X社の顧客に営業をかける
等の行為までもしている。
このような行為をしていたAに対しては、Aに弁明の機会を与えるなどの手続を履践
している限り、懲戒解雇処分とすることができるであろう。
(同種の事案で、懲戒解雇処
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分が有効とされた裁判例として、東京地判平成12・11・10-東京貨物社(解雇)
事件参照)。
② 従業員B
Bは、Aの誘いを受け、Y社の業務を手伝っていた。Bに対して懲戒解雇処分が妥当
か否かは、BがY社の競業行為へどの程度加担していたか、どの程度の期間行っていた
かなどを考慮して慎重に判断する必要があろう。検討の結果、懲戒解雇処分は妥当でな
いとした場合には、諭旨解雇、出勤停止、減給等の他の懲戒処分うち妥当な懲戒処分を
なすことになる。
③ 従業員C
Cは、Aの勧誘を受けて、X社を退職し、Y社の社員となることを約したに過ぎず、
実際にY社の競業行為を手伝うなどしていなかった。
このような場合、Cを懲戒解雇とすることは、そもそも懲戒事由がないと判断される
か、懲戒解雇は社会通念上相当でなく懲戒権の濫用となり、無効であると判断される可
能性が高い。
このようなCの行動からすれば、もし、Cに対して懲戒処分をするとしても、戒告・
譴責程度にとどめるべきである。
裁判例(福岡地裁久留米支部昭和56・2・23-福岡魚市場事件)では、在職中に
競業会社の設立を画策していた営業課長とその営業課長から勧誘を受けて退職届を提出
したせり人5名を懲戒処分としたところ、首謀者である営業課長に対する懲戒解雇は有
効と判断されたが、他の5名に対する懲戒解雇は無効であると判断されている。
オ
退職金不支給および減給
(ア)退職金不支給・減額の実用性
退職金の不支給、減額規定も、多額の収入となる退職金を無くしてしまうものであり、
懲戒解雇と同様、従業員にとって重大な不利益となるので、会社がこの権利を有している
こと自体で従業員が競業避止義務違反行為を牽制する効果がある。
したがって、前述のとおり、退職金不支給・減額を就業規則で定めることが重要である。
(イ)退職金不支給措置を行う場合の注意点
① 退職金不支給・減額規定の根拠規定の存在
退職金不支給・減額措置を行う場合には、就業規則等で規定しておく必要があること
は前述のとおりである。
9
② 相当性
従業員の退職金請求権は、懲戒解雇・諭旨解雇になれば、即、請求権がなくなるわけ
ではない。競業避止義務違反により懲戒解雇・諭旨解雇になったとしても、長年の功労
を抹消してしまうほどの重大な非違行為か否かにより、不支給・減額が相当かどうか判
断されることになる。
(ウ)具体的事例のあてはめ
① 営業部長A
Aは、前述のとおり、Y社設立、本来X社が受注すべき依頼の一部を横流ししてY社
で受注、B、Cの勧誘、X社の顧客に営業をかける等の行為をしている。
このような行為をしていたAに対しては、長年勤続した功労を抹消するほどの重大な
非違行為があったと考えられ、退職金の不支給措置は十分に可能であると考えられる。
前掲の裁判例(福岡地裁久留米支部昭和56・2・23-福岡魚市場事件)では、営
業課長の行為は、会社の職場の秩序を乱し、その信用を失墜させ、ひいては会社の企業
としての存立すら危うくしかねないものであって、会社に対して著しく背信的なもので
あり、当時、同市場の課長という要職にあったことも勘案すると、営業課長の25年間
近くにわたる勤続の功すら抹殺してしまう程度の不信行為にあたるとして、退職金不支
給措置を有効と判断している。
② 従業員B
Bに対する退職金不支給・減額措置が妥当か否かは、Bが競業行為へどの程度加担し
ていたか、どの程度の期間行っていたかなどを考慮して慎重に判断する必要があろう。
BはY社の設立には関与しておらず、途中からY社の業務を手伝っているに過ぎない
とこからすれば、退職金を不支給とする措置をとることは相当でなく、減額にとどめる
べきであると判断される可能性は高い。
裁判例(東京地判平成15・5・6-東京貨物社(解雇・退職金)事件)では、在職
中から会社の犠牲において競業他社にマージンが入るように受注すること等で利益を得
ていた労働者には、大きな背信性が認められるものの、21年5か月の功労を否定し尽
くすほど著しく重大なものとはいえないとして、退職金の4割5分の減額までしか認め
なかった。
③ 従業員C
Cについては、前述のとおり、懲戒解雇・諭旨解雇処分は重すぎるため認められない
と考えられる。したがって、この場合には退職金不支給・減額措置をとる余地はない。
しかしながら、A、Bの競業行為が発覚後、CがX社を自己都合退職しY社に転職す
10
る場合もある。このような場合でも、X社在職中にY社の業務に関与していなかったの
であるから、退職金を不支給・減額する措置は不相当と判断される可能性が高い。
裁判例(東京地判平成7・6・12―吉野事件)では、競業会社の設立に関与したも
のの、在職中には競業会社の事業活動をせず、後に自己都合退職した従業員らの退職金
不支給・減額を認めなかった。
カ 損害賠償請求
X社としては、A、B、Cに前述の懲戒処分を加えたとしても、会社の損害が填補される
わけではない。そこで次に、会社の損害を填補するための手段として、①競業避止義務違反
の債務不履行に基づく損害賠償請求および②競業行為を理由とする不法行為に基づく損害賠
償請求をすることが考えられる。
具体的事例においては、A、Bに対して損害賠償請求をすることは可能であろうが、Y社
の業務を行っていないCに対して損害賠償請求はなし得ないであろう。
(2) 競業行為を理由とする処分に対する労働者の対応策
Q・A
X社に懲戒解雇、退職金不支給とされた営業部長Aはどのように争えるか。Cが譴責処分を
受けた場合はどうか。
ア
手続の種類
労働者は、使用者の処分に対し、労働審判、訴訟、民事調停等の手続において争える。
イ
請求の趣旨
① Aは、懲戒解雇、退職金不支給ともに争う場合の請求の趣旨
・従業員の地位確認および賃金支払請求
・退職金支払請求
② Cが、譴責処分を争う場合の請求の趣旨
・譴責処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認
(3) 証拠収集の方法
ア 営業中止要求段階
まず、X社は、A、B、Cがどのような行為をしたのか把握しなければならない。
・ A、B、Cから事情聴取
・ A、B、Cの経歴調査
11
・ Y会社登記簿謄本の閲覧
・ Aの出した挨拶状の取得
・ X社顧客名簿とAが挨拶状を出したり、接待したりした取引先の照合
・ 取引先に対する事実確認
取引先に対し、Y社と取引をしているか否か、Y社との取引に至る経緯、Aから挨拶状
が届いたか、接待を受けたことがあるか等の事実確認することが重要であり、A、B、C
の行為が競業避止義務違反になるか不明確な現時点では、A、B、Cを誹謗中傷するよう
なことを伝えるのは厳に慎むべきである。
この点に関し、使用者が、競業行為を行った労働者を自宅待機させ、その後解雇したこ
とを取引先に通知したことにつき、労働者の名誉を毀損し、社会的信用を失わせる行為で
ある一方、解雇等の事実を通知する必要性は認められないとして不法行為の成立を認めた
裁判例がある(東京地判平成12・11・10-東京貨物社(解雇)事件)。
イ
懲戒処分、退職金不支給措置段階、損害賠償請求段階
・ 就業規則の確認(競業避止義務違反規定、懲戒事由・手段規定、退職金不支給規定)
・ 同種事案の懲戒処分歴
X社において、以前にも同様の事案があり、懲戒処分・退職金不支給をなしたことがあ
るのであれば、過去の懲戒処分・退職金不支給との均衡を図る必要がある。均衡の取れて
ない処分は、相当性がないとして懲戒権の濫用となる可能性がある。
・ Aから勧誘された従業員がB、Cの他にもいるか否かを確認
・ Y社の取引先との契約内容およびその取引額等の調査
この調査は、損害賠償額の算定の根拠となるだけでなく、A、BがX社に対してどの程
度の損害を及ぼしたのかを把握することができ、懲戒処分の相当性の判断資料ともなる。
・ 懲戒処分を行う場合の手続確認
就業規則、労働協約等を確認し、懲戒処分を行う場合にどのような手続を履践する必要
があるかを確認する(懲戒委員会の構成や弁明の機会の付与など)
。そして、そのような手
続を履践した場合には、その状況を詳細に記録する。
ウ
労働者側の証拠収集ポイント
労働者側からすれば、当該行為が懲戒処分該当事由に該当するかどうか、該当するとして
も相当かどうかを判断するための資料を収集することが重要である。
・ 就業規則の確認(競業避止義務違反規定、懲戒事由・手段規定、退職金不支給規定)
12
・ X社における就業規則の周知方法
・ X社における同種事案の懲戒処分歴
・ X社が懲戒処分を行う場合の手続確認(就業規則、労働協約等)
・ 実際にその手続がどのように行われたかをA、B、Cから聴取
・ Y社の取引先との契約内容およびその取引額等の調査(損害の程度)
第3 退職後の競業行為
1
使用者の事前予防策-内規の策定等
(1)規定の要否
ア 規制のあり方
労働者の退職後の競業行為を防止するためには、在職中又は退職時に労働者との間で個
別の合意を締結するほか、就業規則等で事前に規定することが考えられる。
・
在職時合意
・
退職時合意
・
就業規則等(労働協約も含む。)
Point
最も望ましい方法は、就業規則+個別の合意
この点、各労働者との間で個別に合意を締結することに煩雑な面があることは否定できず、
使用者側としては、就業規則等で全体的かつ画一的に競業避止義務を定めておきたいという
要請がある。しかし、後述のとおり、就業規則については、競業避止期間や禁止対象者との
兼ね合いからその有効性が争われることも多く、現に就業規則上の競業避止義務のみに基づ
いて、競業行為の差止めや損害賠償が肯定された例はそう多いものではない。
したがって、使用者側としては、就業規則で規定したことのみをもって安心するのではな
く、可能な限り在職中又は退職時に労働者から個別の合意を取得することが望ましい。
ただし、個別合意を取得する場面においては、労使関係の優劣関係から、後に労働者の任
意性が問題となることもあり得るため(大阪地判平 12.9.22-ジャクパコーポレーション
事件)、使用者としてはその取得の場面では労働者の自由意思を害しないよう注意が必要で
ある。
また、労働者が既に退職を決意した場面では、就職前又は在職中とは異なり、使用者の要
13
望に従うべき必要性が乏しいため、合意を得がたい面も否定できない。
使用者としては、労働者の昇進時等に、競業避止義務に関する合意を締結することなどが、
実効性の点からも望ましいといえる。
このように事前に競業避止義務についての取決めをしておくことは、在職中の労働者への
一種の警告としても機能し、優秀な人材が競業行為を行うべく退職することを抑止する機能
も期待できる。
イ 競業行為の類型ごとの事前の取決めの要否
Q・A
退職後の競業行為を制限するためには、事前の取決めが必要なのか。
(ア)狭義の競業行為
ライバル他社への就職、競業企業の設立等狭義の競業行為については、一般的に就業
規則等における事前の取決めが必要と考えられている。
このような競業行為を禁止することに関しては、労働者の職業選択の自由、営業の自
由といった憲法上の権利と正面から衝突することになるので、少なくとも労働者自身の
同意又はそれと同視できる事情が必要であると考えられるからである。
理論上は、就業規則等における事前の取決めがなくとも、不法行為責任を追及するこ
とは可能であり、実際に事前の取決めがない場合の競業行為に不法行為責任を肯定した
事案も存在するが(横浜地判昭和 59.10.29 等)、事前の取決めがない場合の競業行為に
不法行為責任が認められるのは、自由競争の範囲を超え、社会的相当性を逸脱した極め
て例外的な場合に限られる。
したがって、使用者側としては、労働者の退職後の競業行為を制限すべき要請が存在
する場合には、就業規則等に競業行為の禁止を明確に定めておくことが求められる。
(イ)引抜き行為
退職後の引抜き行為を狭義の競業行為とは別個に禁止することについても、労働者の
営業の自由等の権利との抵触が問題となることから、原則的には狭義の競業行為同様、
就業規則等における事前の取決めが必要と考えられている。
しかし、規定がない場合にも、①同様、不法行為責任までも一律に否定されるわけで
はなく、不法行為の成否は問題となり得る。この点、退職後の引抜き行為は原則として
14
違法性を有しないが、その引抜き行為が社会的相当性を著しく欠くような方法・態様で
行われた場合には、違法な行為と評価され、不法行為責任が生じるという裁判例(大阪
地判平成 14 年 9 月 11 日-フレックスジャパン・アドバンテック事件)も存在する。
就業規則等に定めがない場合、狭義の競業行為と引抜き行為とでは、不法行為責任の
要件にいかなる相違があるかは必ずしも明らかではないが、一般的に、単純に会社の事
業と競業する事業を行い会社の利益を間接的に奪取する①狭義の競業行為に比して、直
接会社内部に侵食し、一回の行為をもって会社に回復不可能な大打撃を与える可能性が
ある②引抜き行為の方が、より不法行為責任が肯定されやすいように考えられる。
(ウ)秘密漏洩
営業秘密の漏洩禁止については、争いはあるものの、一般的には①及び②とは異なり、
事前の取決めがなくとも、信義則上の制限が及ぶと考えられている。
また、不正競争防止法上、営業秘密を不正の競業その他不正の利益を得る目的で、又
はその保有者に損害を加える目的で使用ないし開示する行為は、不正競争行為の一類型
として、差止め(3 条 1 項)、損害賠償(4 条)等の救済措置が認められている。
しかし、上記のとおり、そもそも事前の取決めなく労働者に一般的な秘密漏洩禁止義
務が生じることには争いもあるうえ、不正競争防止法上の権威行使に関しては、後述の
とおりその要件の立証が困難であり、容易に同法上の権利行使が認められるものではな
い。また、就業規則等事前の取決めがない場合には、退職金の返還請求等、一定の救済
策が認められない。
したがって、使用者側からすると、秘密漏洩についても、事前に就業規則等で、禁止
規定及び救済規定ともに定めておくことが適切である。特に、労働者が、会社の秘密情
報が記載された資料・データ等を業務上管理している場合には、その返還、削除等につ
いても明確に取り決めておくことが望ましい。
(2)就業規則の有効性
Q・A
就業規則等で事前に取り決めれば、いかなる競業行為の制限も可能なのか。
ア 総論
前述のとおり、労働者の退職後の競業行為を制限することは、労働者の職業選択の自由、
営業の自由といった権利との抵触も問題となることから、たとえ就業規則等によって事前に
取決めをしたとしても、それが無制限に効力を有するわけではない。
15
退職後の競業避止義務を定める就業規則等の規制が有効であるかは、一般的に、競業を禁
止する期間や区域等諸般の事情を総合考慮し、使用者の競業避止への要望と労働者の諸権利
の調整を図るものとされている。
以下、過去の判例・裁判例が総合判断の際の考慮要素としている諸要素について概観する。
イ 競業避止の期間
Point
少なくとも競業避止期間を 2 年以上とする場合には、その合理性を慎重に判断すべきである。
競業避止義務規定の有効性の判断において、その禁止期間は非常に重要視される。
禁止期間が、半年から 1 年間程度と短期間の場合には、その他の事情がよほど悪質でない
限り、規定の有効性が肯定される可能性が高いが、反対に 5 年間以上の長期間に及ぶ場合に
は他の事情も考慮し相当な合理性が肯定されない限り、規定の有効性が否定される可能性が
高い。
裁判例の中には、競業避止義務期間が無期限である就業規則の有効性を認めるものもある
が(福井地判昭和 62 年 6 月 19 日-福井新聞社事件等)、こられの事案は、一般的に労働者
の行為の悪質性が高い事案であり、例外的な場合と考えられる。
実務的には、競業避止期間を 2 年以上とする場合には、その合理的根拠を慎重に検討する
ことが必要と考えられる。
使用者としては、考え無しに禁止期間を長期間にすることは相当ではなく、禁止対象者の
範囲、禁止区域等との関係を考慮し、慎重に決定することが求められる。
また、後述のように、判例・裁判例は禁止対象者の性質及び禁止区域の範囲等も、有効性
判断の重要な要素と考えていることから、一律に禁止期間を定めるのではなく、禁止対象者
又は禁止区域ごとに異なる禁止期間を定めることも十分に考えられる。
ウ 禁止対象者の範囲
Point
営業秘密(顧客情報等を含む。
)との距離を考慮すべきである。
競業避止義務を定めることは、前述のとおり、労働者の憲法上の諸権利との関係が問題と
なることから、規定の有効性を判断するうえでも、当該労働者に対して、競業行為を制限す
べく合理的な根拠が必要となる。
16
これまでの判例等の傾向からしても、全従業員を広く禁止対象者に含むような規定は無効
となる可能性が高い。
使用者が労働者の退職後の競業行為を制限したい主な理由は、当該労働者が在職中に得た
ノウハウを漏洩したり、在職中の取引関係等を利用して使用者の顧客を奪取することを防止
することにあり、競業の禁止対象者も当該目的を達成するために必要な範囲に限られるべき
と考えられる。
したがって、使用者の営業秘密に近いところにいた労働者や、使用者の顧客を奪取しやす
い職務に就いていた労働者のみを禁止対象者とすることで、禁止規定が有効とされる可能性
は高くなるといえる。
なお、具体的には、労働者が昇進又は部署移動等を理由に企業の営業秘密により接近する
ときなどに、競業避止に関する合意を得ておくと、当該合意の合理性が肯定されやすいと考
えられる。
エ 禁止職種・禁止地域の範囲
この点については、多くの企業で、就業規則等上「競業会社への転職・開業の禁止」との
み規定しているようである。
しかし、前述の禁止対象者同様、無限定に禁止対象を広げることは企業の側からも適切で
なく、後に規則の有効性が否定され、不測の損害を被ることを防止する意味でも、やはり禁
止職種・禁止区域についてもその範囲を合理的範囲に限定して規定することが望ましい。
例えば、競業会社のみでは具体的にいかなる企業までを含むのかが明らかでないため、よ
り職種内容又は事業内容を具体的に記載することが考えられる。
また、禁止区域については、確かに今後当該企業がその活動範囲を拡大していく可能性が
あることを考えれば、同一市町村のみでは不十分であり、国内外全域等としたい要望は理解
できるが、前述のとおり、競業禁止期間を無制限とすることは困難であり、合理的期間に留
めることが適切であることからすると、禁止区域の範囲についても、当該企業が既に参入し
ている地域又は禁止期間内に新たに参入する可能性が合理的に認められる範囲に限定する
ことが適切と考えられる。
オ 代償措置の有無・内容
Point
競業避止の代表措置を取る場合には、その措置が競業避止の代償であることを明らかにする
ことが重要である。
17
代償措置については、その有無のみで結論が決まるわけではないが、昨今の傾向としては
重要な考慮要素として考えられているようである。
具体的な代償措置としては様々なものが考えられるが、例えば秘密保持手当といった名目
で金銭を支給することなどが考えられよう。
ここで使用者側の立場から重要なことは、労働者に対して付与する利益が競業行為等の禁
止に対する代償措置であることを明確にリンクさせておくことと考えられる。
そうすることにより、後に労働者から当該利益は競業避止義務とは何ら関係がなく、他の
対価等として支給されたものであるとの反論を避けることができる。
カ 競業行為の態様
最後に競業行為の態様についても当然に考慮要素に含まれる。
例えば、単純に競業他社に転職した行為と、転職に伴い顧客を大量に奪取することでは、
使用者に与える影響にも格段の差が認められ、使用者の立場からの防止の必要性が異なると
いえる。
キ 小括
前述のとおり、退職後の競業避止義務を定める就業規則等の規制の有効性を判断するうえ
では上記の様な諸般の事情が総合考慮されることになるため、事前にその有効性を明確に判
断することには困難が伴う。
しかし、後に就業規則等の事前の取決めが裁判という公開の場で無効と判断されることは、
その後の事業活動に混乱を生じさせる可能性が高いうえ、企業のレピュテーションという観
点からの悪影響も小さいものではない。
そこで就業規則を定める使用者側には、上記で挙げた要素をそれぞれ慎重に判断し、それ
ぞれ本当に当該企業にとって必要かつ合理性のある範囲で規制していき、使用者の競業避止
への要望と労働者の諸権利の調整を図っていくことが求められているといえよう。
重要な視点としては、企業にとって本当に防止すべき要請がある競業行為とは、誰に、ど
こで、どのような競業行為であるかを十分に検討することである。
(3)具体例に基づく検討
ここで具体的な就業規則の例を紹介し、評釈を加える。ただし、就業規則については各企
18
業の性質によって様々な定め方があり、あくまで一様にその当否を判断できるものでないこ
とには留意が必要である。
第A条(退職後の義務)
(1)退職し又は解雇された者は、退職後も、その在職中に行った自己の職務に関する責任を免れない。
(2)退職し又は解雇された者は、在職中に知り得た機密情報を他に漏洩、開示又は提供してはならな
い。
(3)前項の義務を明らかにするため、会社から要請あった場合には、正社員は、退職時に機密保持に
関する誓約書を作成しなければならない。
第B条(競業避止義務)
(1)正社員は、退職後1年間は会社と競業する企業その他第三者の従業員若しくは役員となり又は会
社と競業する事業を自ら行ってはならない。ただし、事前に会社に届け出て、承諾を得た場合は
この限りでない。
(2)前項の義務を明らかにするため、会社から要請あった場合には、正社員は、退職時に競業避止に
関する誓約書を作成しなければならない。
(3)前 2 項の義務を怠る場合は、会社は、退職金の減額又は不支給、損害賠償請求、差止請求を行う
ことがある。また、退職金を支払い済みの場合には、支払われた退職金の一部又は全部の返還を
求めることがある。
ア 誓約書作成義務について
上記の規定例では、第A条第 3 項及び第B条第2項において、労働者に退職時合意の義務
を規定しているところ、この点については前述のとおり、競業行為を制限するためには、就
業規則のみならず、個別の合意を得ておくことが適切であることから、就業規則上にも明記
し、仮に合意に応じない場合には労働者の義務違反とすることでその実効性を高めているも
のである。
ただし、前述のとおり、退職時合意に関しては、後に労働者の任意性が欠けること等を理
由にその有効性が争われることもあり、当該規定の存在が使用者側に不利益に働く可能性が
あることは否定できない。
イ 競業避止義務期間について
上記規定例においては、労働者の競業避止義務期間を退職後 1 年間に制限しているところ、
この点については一般的には合理的な範囲内と判断される可能性が高く、規定の有効性が認
19
められる方向に働くといえる。
ウ 禁止対象者について
上記規定例においては競業避止義務の対象者の範囲として「正社員」という概念を用いて
いる。
前述のとおり、禁止対象者の範囲を無限定に広げることは合理的理由のない規制として、
就業規則の有効性が否定しやすい方向に働くといえるので、本来であれば就業規則中で「正
社員のうち、役職者、又は企画の職務に従事していた者」等の文言を加えてより適用対象者
を限定する方法が望ましいといえる。
しかし、就業規則という労働者に対する一般的な内規の中で、個別具体的にその対象を規
定することには、困難な面があることも否定できないため、上記規定のように、事前に会社
の同意を得る場合には禁止を解除する旨を規定し、実際にも地位が高くなく従事業務の内容
も余り高度ではない正社員については、競業の承諾を行うという運用を実施することにより、
規定の有効性を否定される可能性を低めることが可能と考えられる。
エ 禁止対象行為について
上記規定例においては、禁止される競業行為の範囲として、「会社と競業する企業その他
第三者の従業員若しくは役員となり又は会社と競業する事業を自ら行ってはならない。」と
規定されており、具体的な競業行為の内容については明記されていない。
競業の範囲については、前述のとおり、その範囲が明確かつ必要性が肯定されるものであ
るほど、競業避止義務規定の有効性も肯定されやすいうえ、その範囲が不明確であると後に
労働者との間でその範囲についての争いが生じる可能性もあるため、可能な限り、具体的な
社名や業務内容を明示し特定することが望ましい。
しかし、この点については、就業規則という労働者に対する一般的規定に個別具体的に詳
細に規定することは一般的に躊躇を覚えがちであるうえ、網羅的に記載することも困難であ
るため、実際の運用としては、就業規則においてはある程度抽象的に規定するとしても、別
途内規等で詳細に「競業」の内容を定義することや、労働社との個別合意の中で、より具体
的な内容について合意することが考えられる。
オ 救済方法の規定について
実際に退職後に競業行為が実施された場合には、使用者としては後述のとおり、損害賠償
のほか、差止めや、退職金の返還請求を求めていくことが考えられる。
20
この点、後述のとおり、退職金の返還については、原則的に事前の取決めがない限り請求
できないと考えられているうえ、差止めについても、不正競争防止法上の差止めのほか、一
定の場合には就業規則に基づく差止めも肯定される余地があることから、これらの点につい
ても就業規則上明記し、その実効性を高めることが望ましい。
また、このように競業避止義務違反に対して会社が取りうる手段を明記しておくことによ
り、労働者に対する警告として機能する面もあるといえる。
2
事後的対応-競業行為が実施されてしまったら
次に、実際に退職した労働者が競業行為を行った場合に、使用者側が取りうる手段について検
討する。
退職後の競業行為の場合には、在職中の競業行為とは異なり、解雇やその他の懲戒、退職金の
減額・不支給は通常問題とならず、使用者側として取りうる手段としては以下のようなものが考
えられる。もちろん、使用者としては実際に以下の法的手段に訴えるまえには、話合い、警告文
の送付等の事実上の防止策を講じるのが一般的である。なお、訴訟に至るまでの交渉資料等は後
に訴訟で重要な意味合いをもってくる可能性もあるため、使用者、労働者双方ともに、訴訟前か
ら訴訟を意識して交渉に当たることが重要である。
・ 競業行為の差止め請求
・ 退職金の返還請求
・ 損害賠償請求
(1)差止め請求
実際に元労働者による競業行為が実施されてしまった場合、競業行為の内容によっては、
継続的に会社の顧客又は事業の機会が奪取されていき、日々会社の損害は拡大していくこと
もある。たとえ後に損害賠償が可能だとしても、会社の信用毀損など金銭による賠償によっ
ては回復し難い損害が発生する可能性もあるうえ、侵害者に常に賠償に応じるだけの資力が
あるとも限らない。
したがって、会社側としてはまずはその競業行為を中止させることを望むのが一般的であ
る。
差止めを求めていくうえで、最も重要であることは何を根拠に差止めを求めるかである。
21
この点、一般不法行為を根拠とすることについては、不法行為に基づく差止め請求につい
ては個人の名誉や信用といった相当に制限された法益に対する侵害に対してのみ認められる
とする考え方が有力であり、競業行為に対しては一般的に認められ難いと考えられる。
次に、就業規則等を根拠として、競業行為の差止めを求めていくことが可能かであるが、
この点については、これを認めた裁判例もあり(東京地判平成 7 年 10 月 16 日)、差止めが認
められる可能性は十分に認められる。
ただし、上記裁判例は、
「差止請求をするに当たって、実体法上の要件として当該競業行為
により使用者が営業利益を現に侵害され、又は侵害される具体的なおそれがあることを要」
すると判示しており、実際に差止めが認められる場合を制限していることには留意が必要で
ある。
最後に、労働者の競業行為が使用者の営業秘密の不正使用に該当する場合には、不正競争
防止法により、その差止めを求めていくことも考えられる。
すなわち、不正競争防止法上の営業秘密(アクセス制限やアクセスした者に営業秘密である
と客観的に認識できる状態で管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な
技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの)を、①詐欺、脅迫その他の不
正の手段により取得する行為又はかかる不正取得行為により取得した営業秘密を使用し、開
示する行為(従業員の行為)、②不正取得行為が介在したことを知って取得し又は使用・開示す
る行為(競業会社の行為)
、③営業秘密を保有する事業者から取得しまたは開示された営業秘
密を、不正の競業その他の不正の利益を得る目的で、またはその保有者に損害を与える目的
で使用・開示する行為(労働者の行為)、④かかる不正開示行為であること若しくは不正開示行
為が介在したことを知って営業秘密を取得し、又は取得した営業秘密を使用・開示する行為(
競業会社の行為)は、同法上、不正競争行為とされており、不正競争行為に対して、営業上の
利益を侵害され、又は侵害されるおそれが認められる場合には、差止めを求めることが可能
とされている。
ただし、不正競争防止法上の差止め請求に関しては、一般的に営業秘密性及び不正競争該
当性の立証が困難と考えられており、会社からみて実際に使い勝手が良い制度とはいい難い。
(2)退職金返還請求
次に使用者としては、退職時に支給した退職金の返還を求めることが考えられる。
この場合、法律構成としては、就業規則等の中で、退職後の一定の競業行為を退職金支給
規定の中で、返還事由として定めておき、当該規定に基づき返還を求めることや、不支給・
22
減額事由として競業避止義務を定めておき、不当利得返還請求権としてその返還を求めてい
くこととが考えられる。
ただし、退職金の返還を求める場合には、いずれの構成によるとしても、事前に退職金支
給規定等で定めておくことが必要であり、何らの規定又は合意なく、その返還を求めること
はできない。
また、仮に就業規則等に規定があったとしても、退職金の全額返還については、退職金と
いう労働の対価たる性質から、労働者の競業行為が当該労働者の長年の勤続の功労を抹消し
てしまうほどの重大な義務違反でない限り、認められないと考えられる。
(3)損害賠償請求
最後に使用者としては、競業行為を行っている労働者に対して損害賠償請求をしていくこ
とが考えられる。
この場合、就業規則等に競業行為を制限する規定があり、当該規定の有効性が否定されな
い限りは、債務不履行に基づき損害賠償を求めていくことができ、事前の取決めがない場合
にも一定の場合には不法行為に基づき損害賠償請求を求めていくことができる。
ただし、前述のとおり、秘密漏洩を除き、競業行為に不法行為が成立するのは、当該競業
行為の悪性が極めて強い場合に限られており、実際に使用者が不法行為に基づき労働者に対
して損害賠償を求めていくことは困難である。
また、不正競争防止法に基づく損害賠償に対しては、損害額の推定規定の適用があり、義
務違反者が義務違反行為に基づき取得した利益等を損害額として推定することが可能である
が(不正競争防止法第5条)、就業規則違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求又
は一般不法行為に基づく損害賠償請求をしていく場合には、その損害額の立証が非常に難し
いといえる。
この点については、あまり、一般的ではなく、その効果にも疑義は残るものの、就業規則
等事前の取決めの中で賠償額の予定又は損害額についても推定規定を規定しておくことも考
えられる。
(4)具体例に即した検討
最後に、実際に労働者の退職後に競業行為が行われた事例を想定し、使用者の視点から取
りうる手段等を証拠収集にも配慮の上検討する。
23
事例
A社は、工場機械の製造販売を事業内容としている設立50年の老舗企業であり、広範にわたる
顧客網と独自の工法による特徴的な製品を事業の優位性としている。
A社には、10年ほど前に入社し、製造部門、営業部門と各部門で活躍してきたB氏という従業
員がいたが、B氏は3ヶ月前に突然A社に辞表を出し、勤続分の退職金の支給をうけたうえA社
を退職した。
この度、A社の重要な販売先であるC社から、A社に対して「今後はB氏が設立した会社と取引
をすることにしたので、A社との継続的な取引は終了する。」との申し出がなされた。
A社が調査したところ、B氏はA社を退職後、A社と同種の事業を行う会社を設立し、A社の取
引先に対して、A社よりも安い値段で同様の製品を提供すると宣伝して周っているようである。
ア 初動調査
B氏の競業行為の存在を認識したA社としては、まずは今後の対応のための調査を実施
する必要がある。
具体的には少なくとも以下の点については、可及的速やかに調査を図るべきである。
・A社の就業規則その他、A社がB氏と締結した競業避止及び職務発明等に関する合意
の有無・内容
・B氏がA社に在職した当時、どのような業務に携わっていたか。A社の事業に関して
のどのような営業秘密に触れる機会があったか(工法に関する資料、顧客リスト等)。
・B氏の設立した会社に、A社の他の(元)従業員が関与しているか(同時期に退職し
た従業員の有無等)
。
・B氏からA社の従業員に対して、転職の勧誘がなされていないか。
・C社以外の他の顧客への連絡の有無及び宣伝方法
・B氏が設立した新会社の事業内容(A社の営業秘密を利用したものか否か、又はその
利用の程度)
・C社等主要な取引先との契約内容(中途解約の可否、損害賠償権の有無等)及びその
取引額等
A社としては上記情報を入手するために、他の従業員や取引先へのインタビュー等を実
施することが考えられるが、その際には、あくまで冷静に事実のみを聴取し、会社側の評
価ないし感情といったものを不用意に出さないことが重要である。
24
仮に、B氏の誹謗中傷を含めてインタビューするような場合には、B氏から後に名誉毀
損を主張される可能性もあるうえ、場合によっては業務妨害を主張され、反対に損害賠償
等を求められる可能性も否定できない。
反対に、B氏側としては、自己の行為が義務違反にならないと考える場合には、A社側
の言動・調査等により、自己の正当な利益が侵害されないよう、A社の言動に目を見張り、
不当な行為が発見された場合には、警告文の送付等を積極的に行うべきである。
イ 調査後にA社が取るべき行動(訴訟前・訴訟提起)
前記ア記載の調査により、B氏の競業行為がA社の就業規則等事前の取決めに違反して
いる場合又は不正競争防止法等法律上、違法な権利侵害となる可能性がある場合、A社と
しては、前述のような法的な手段に出ることが考えられるが、その前に事実上以下のよう
な措置を実施することが考えられる。
① B氏に対する説得・警告
A社としてはまずは競業行為を実施しているB氏と話合いの場を持つことが重要であ
る。場合によっては、B氏が自己の行為が義務違反であることを認識しておらず、A社
から合理的な説明を受けることによって、任意に競業行為を中断することも考えられる。
また、A社としては、B氏が話合いの場を設けることを拒み、又は話し合いの場にお
いて、A社の言い分に全く聞く耳を持たない場合には、B氏に対して、B氏の行為がA
社との関係で違法となることを説得的に記載した警告文を送付することが考えられる。
なお、警告文については後の訴訟において証拠として使用するためにも配達証明付内
容証明郵便を使用することが望ましい。
② C社に対する説得
A社としては、C社に対して、B氏の本件行為がA社との関係で違法となることを説
得的に説明し、B氏との取引を中断し、自己との取引を継続するよう要請することが考
えられる。
当該説得に関しては、仮にB氏の行為が何ら違法なものでなかった場合、Bの事業に
対する業務妨害と判断される可能性が高いため、A社としてはC社に対して説得を図る
場面では、相当程度資料を集め、B氏の行為が義務違反となることを説得的に論じるこ
とが重要である。C社としても今後B氏との取引が突然終了することは困るため、A社
の説得が合理的である限り、その説得に応じてくれる可能性は高いといえる。
25
③ 他の取引先に対する説明・説得
A社としては、C社以外の取引先に対しても、B氏が取引を持ちかけ顧客の奪取を図
ることを防止するために、事前にB氏の勧誘に応じず、自己との取引を継続するよう説
得を図ることが必要である。
ただし、A社の性質又は取引先との関係によっては、この際にあまり下手に出たり、
B氏の事業の内容(代金等)を詳細に説明したりすると、かえって、取引条件の改善を
求められることや、B氏の会社に移行されることにも繋がりかねないので、A社として
は、「お願い」ではなく、「説明」といった姿勢で、端的にB氏の事業はA社との関係で
義務違反となることを資料に基づいて説明していくことが重要である。
なお、他の取引先に対する説明・説得の場面でも、B氏に対する名誉毀損又は業務妨
害とならないよう留意が必要である。
ウ 訴訟等の提起
以上のような方法を得てもなお、B氏が競業行為を中止せず対決姿勢を崩さない場合、
A社としては法的手段に出ざるを得ない。
前記のとおり、使用者であるA社の取りうる法的手段としては差止め請求、退職金の返
還請求、損害賠償請求等があり得るが、それぞれ要件も異なるので、A社としては調査結
果に基づき、可能な手段を実施していくことが考えられる。
第4 結語
先にも述べた通り、競業避止義務を巡る法律関係は、使用者の営業の利益と、労働者の職業選択
の自由等の諸権利を如何に調整するかの問題であり、本来「勝ち負け」が問題となるものではない。
わが国では従来、使用者たる企業がその優越的地位から労働者の権利を必要以上に制限してきた
歴史があり、そのことは競業避止を巡る問題でも同様であった。しかし、近年、裁判例を見ても労
働者の職業選択の利益等をより重視し、使用者側に厳しい態度を取る傾向が見てとれる。
このことは、労働者の地位の向上の一貫とも見てとれ、労使間の規制を定めるうえでの使用者の
意識にも影響を与えてきているといえる。
就業規則等事前の取決めが後に裁判等で効力を否定されることは法的安定性という観点からする
と決して望ましいことではなく、やはり、事前の取決めを策定する段階から労使間で積極的に交渉
を繰り返し、双方の利益を合理的に実現する取決めを策定することが望ましい。
以上
26
Ⅱ
非正規雇用
担当
古平江都子・枝廣恭子
第1 労働者派遣制度の概略
1
序説
①労働者派遣契約
・偽装請負
・交代要求権
・守秘義務
・使用者責任
派遣元
派遣先
②雇用関係
③指揮命令関係
・解雇
・黙示の労働契約の成立
・雇い止め
・法人格否認の法理
労働者
(1)労働者派遣の基本的概念
労働者派遣とは,
「自己の雇用する労働者を,当該雇用関係の下に,かつ,他人の指揮命令を
受けて,当該他人のために労働に従事させること」をいう(ただし,当該他人に対し,当該労
働者を当該他人に雇用させることを約してするものを含まない)
(労働者派遣事業の適正な運営
の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(以下,略)2 条1号)
。
この定義に基づき,供給元企業(派遣元)と労働者に雇用関係(労働契約関係)があり,供
給先企業(派遣先)と労働者に指揮命令関係のみがある場合は,労働者派遣法の規制のもとに
おかれる。
これに対し,派遣先が派遣労働者に対して指揮命令を超えるような関与を行う場合には,職
業安定法(以下「職安法」という。)の規制が及びうることになる。また,派遣先が派遣労働者
をさらに第三者のもとに派遣する場合(二重派遣)には,派遣先は第三者に派遣するのみで派
遣労働者との間に雇用関係がないので,労働者派遣にはあたらず,労働者供給として,職安法
27
の規制を受けることになる。
他の労働制度と比較した場合の労働者派遣の特徴は,このように労働者を雇う者と使用する
者が異なる点,雇用責任と使用責任とが分離している点にあり,これがゆえに派遣労働特有の
様々な問題が生じる。
① 派遣元と派遣先との関係(労働者派遣契約)における論点
~ 使用者と指揮命令権者が分離しているが故に生じる問題
・偽装請負
・交代要求権
・守秘義務
・使用者責任
② 派遣元と労働者との関係における論点
~
派遣先は,景気変動の影響を受けて仕事の量が少なくなったときは,派遣社員について
1)派遣元に対して新規に派遣を求める派遣者員の数を減少する,2)派遣社員の新規受
け入れを停止する,3)派遣契約期間が満了したら再契約しない,4)派遣元に対して労働
者派遣契約の中途契約を申し入れるという手段をとることが考えられる。
そして,4)によって派遣元と派遣先との派遣契約が中途解約された場合に,派遣元と
派遣労働者との関係がどのような影響を受けるか。派遣元は派遣先との労働者派遣契約の
中途解除を理由に派遣労働者との派遣労働契約を解除出来るかが問題となる。
③ 派遣先と労働者との関係における論点
~
派遣先と労働者との間に契約関係がなく,継続的な指揮命令関係しか存在しないが故に
生じる問題
・黙示の労働契約の成立
・法人格否認の法理
2
三者(派遣元・派遣先・労働者)の関係
派遣元と派遣先がそれぞれ,労働者に対してどのような権利・義務を有しているのかという点
を中心に,三者間の関係を二者間ずつに分解して,法律上どのように保護・規制されているのか
を考察する。
(1)派遣元と派遣先との関係
あ)労働者派遣契約(26 条 1 項)
派遣元と派遣先とは,派遣労働者が従事する業務内容,就業の場所等の就業条件について
定めた労働者派遣契約を締結しなければならない。
28
<具体的条項>
・ 法定記載事項(26 条 1 項各号)のほか,派遣料金に関する条項,損害賠償条項,派遣労働
者の変更要求権,(派遣先)企業の機密保護のための条項等を定めることが考えられる。
・ 正当の理由なく,派遣元と派遣労働者との間の派遣労働契約終了後に,派遣先が派遣労働
者を雇うことを禁じるような条項を定めることは禁止される(33 条 2 項)
。
い)派遣元・派遣先がそれぞれ相手に対して負う義務
・ 派遣元は,派遣を行う際に,派遣労働者の氏名や健康保険の被保険者資格の確認等に関す
る事項を派遣先に通知しなければならない(35 条)
・ 派遣先は,派遣労働者をあらかじめ特定しようとすることを目的とするような行為をしな
いよう努めなければならない(26 条7項)。具体的には,派遣労働者の事前面接や,派遣元
に対して派遣労働者の履歴書を送付するよう求めるような行為は許されない。
・ 派遣元は,派遣労働者の個人情報のうち業務遂行能力に関する情報しか派遣先に対して提
供することができず,派遣先が提供を求めることができる情報も原則として,当該派遣労
働者の業務遂行能力に関する情報に限られる。
・ 安全配慮義務については,派遣元・派遣先それぞれが,派遣労働者との関係に応じて負う
(詳細は後述する)ので,場合によっては,双方が損害賠償請求の対象となりうる。ただ
し,派遣先のみに安全配慮義務が認められるような場合に,派遣元がその損害賠償責任に
ついて連帯して補償すると解する余地はない。
∵ 派遣元と派遣労働者間の労働契約は,派遣先での労務契約を前提としている。
う)期間途中での派遣労働者の交代要求
派遣先は,派遣された労働者が不適格なときは,期間途中でも,その交代(派遣契約の定
めに従って一定の職務遂行能力を持った労働者の派遣)を派遣元に対して請求できる。
∵ 派遣契約で定められている能力や適格性を充たさない労働者の派遣は債務不履行。
え)派遣労働契約の解除
<法令上の規制>
・ 派遣元は,派遣労働者の国籍,信条,性別,社会的身分,労働組合としての正当な行為を
したこと等を理由に労働者派遣契約を解除することはできない(27 条)。
・ 派遣先が労基法等の規定に違反した場合は,労働者派遣を停止し又は労働者派遣契約を解
除することができる(28 条)。
<中途解除>
派遣先が,派遣契約を中途解除する場合に講ずる措置については,厚生労働省が,
「派遣先が
講ずるべき措置に関する指針」
(平成 11 年労働省告示第 138 号)の第2の第6項において定め
29
ている。(
【別紙1】
)
① 派遣労働者の新たな雇用機会の確保
② 派遣元に対する契約解除の申入れの期限
③ 派遣労働者に対する損害賠償金の支払い
④ 派遣元への事情説明
(2)派遣先と派遣労働者との関係
あ)指揮命令関係
派遣先の労働者に対する指揮命令権限は,①派遣元と派遣労働者との間の雇用契約などに
おいて派遣元の権限として根拠付けられていることを前提に,②派遣先と派遣元との労働者
派遣契約によって派遣先から派遣元に与えられるものであるので,その権限の範囲等が派遣
元と派遣労働者,派遣先と派遣元のそれぞれの関係において明確にされていることを要する。
い)派遣先の義務
派遣先は,労働者が現実に就労していることに伴う全責任を負う。
ただし,使用者責任はその労働者との間に雇用関係がある者が負うのが大原則であり,派遣
先に責任を負わせる場合には特例規定が定められることが必要である。
(44 条~47 条により,
労基法,安全衛生法,じん肺法,男女雇用機会均等法等上の責任を負う。
)
・ 労働者派遣契約に定める就業条件に反することのないように適切な措置を講じる義務。
・ 派遣労働者の適正な就業環境を確保するための様々な措置を講じる義務。
☆ 労基法に基づく使用者責任も,原則として雇用主である派遣元事業者が負うが,派遣労
働者の具体的な就業に関して派遣元に責任を問うことが困難な事項などは,派遣先事業主
あるいは派遣元,派遣先の両社が責任を負うこととなっている。
・ 派遣先社員と均等に待遇する義務
う)派遣先の権限
① 時間外労働命令について
派遣労働者には,原則として,雇用契約を締結している派遣元の就業規則が適用され,
派遣先が自社の就業規則に基づいて,派遣労働者に対して時間外労働や休日労働を命じる
ことはできない。
そこで,派遣先は,派遣元が派遣労働者との雇用契約によって得た命令権を,労働者派
遣契約によって譲り受ける,または代理行使する権限の授与を受けるという措置を講ずる
ことによって時間外労働を命じることが可能となる。
<法定労働時間(1週間 40 時間・1日8時間)内の時間外労働を命じる場合>
30
ⅰ) 派遣元と派遣労働者との間の雇用契約,派遣元の就業規則,あるいは労働協約によっ
て派遣元の派遣労働者に対する時間外労働命令の権限が根拠づけられていること。
ⅱ) 派遣先と派遣元との間の労働者派遣契約において,時間外労働の命令権を派遣先に移
転することについての合意,及び当該派遣労働者の就業条件として時間外労働を命じう
る時間の上限が定められていること。
<法定労働時間外の時間外労働を命じる場合>
上記ⅰ)ⅱ)に加えて
ⅲ) 時間外・休日労働に関する労使協定(三六協定)が派遣元と派遣労働者との間で締
結されており,実際の法定時間外労働・法定休日労働が協定で定められている範囲内
にとどまっていること。
② 懲戒処分について
派遣労働者を懲戒する権限は,使用者である派遣元の専権であり,派遣先が譲り受ける
こともできないと解すべきである。
そこで,派遣先としては,派遣元に対して派遣先の企業秩序を乱した派遣労働者の交代
を要求するという手段を講じることが考えられる。また,派遣先の企業秩序を遵守させる
ため,派遣元が派遣労働者を指導・教育する義務を負うことについて合意をした上で労働
者派遣契約に明記するべきである。
(派遣就業の場所ごとに派遣労働者が遵守すべき規律が
ある場合にはその旨も明らかにするべきである。)
え)労働条件の管理,安全衛生管理に関する派遣先の義務
・ 就労中の派遣労働者からの苦情の申し出を派遣元に通知するとともに,派遣元と連携し
て,遅滞なく苦情の処理を図る義務(40 条 1 項)
・ 派遣先の労働者が利用している福利厚生施設を,派遣労働者が利用できるよう努める義
務(40 条 2 項)
・ 省令で定められた要件をみたす派遣先責任者を選出する義務(41 条)
・ 派遣先管理台帳の作成(派遣労働者の業務内容,就業日,就業時間等を記載)
・保存(期
間は3年間)義務(42 条1項,2 項。
)
・ 労基法によって保障されている,公民権行使,労働時間,休憩,休日,時間外・休日労
働等についての労基法上の責任(44 条 2 項)
∵ 派遣労働者の具体的就業に関するものであるため,派遣先の事業のみを派遣中の労働
者を使用する事業とみなして適用し,派遣先事業者のみが負う。
・ 労働安全衛生法上の義務については,原則として派遣元が責任を負うが,派遣中の労働
者に関する具体的な措置については派遣先が責任を負う(45 条 1 項,3 項)
。
31
・ 雇用機会均等法上のセクシュアル・ハラスメント防止の為の措置義務(47 条の2)
・ 労務提供の過程における安全配慮義務
∵
安全配慮義務は,特定の社会的接触の関係に入った当事者間に信義則上生じる義務
であり,必ずしも直接の雇用関係を前提とするものではないので,派遣先も安全配慮
義務を問われる可能性がある。
※ これら,派遣先が講ずべき措置に関しても,上記「派遣先が講ずべき措置に関する指
針」(
【別紙1】)に定められている。
お)派遣先の直接雇用義務
派遣労働者が一定の要件を満たすに至った場合には,当該派遣労働者を直接雇用する等の
義務が生じる。
・ 1年以上であって派遣可能期間以内の期間につき継続して労働者派遣を受けてきた場合,
その業務を行わせるために労働者を雇い入れようとする場合,派遣先は,継続して当該業
務に従事してきた派遣労働者をその希望により雇い入れる義務を負う(40 条の3)。
・ 派遣先は,派遣元から派遣可能期間を超えて派遣を行わない旨の通知を受けた場合,通知
を受けた労働者を継続して使用しようとするときには,その労働者の希望に応じて,雇用
契約の申込みをしなければならない(40 条の4)
。
・ 派遣先は,派遣先の事業所その他派遣就業の場所ごとの同一の業務について,派遣元事業
主から3年を超える期間継続して同一の派遣労働者に係る労働者派遣の役務の提供を受け
ている場合において,当該同一の業務に従事させるため,当該3年が経過した日以後労働
者を雇い入れようとするときは,当該派遣労働者に対して雇用契約の申込をしなければな
らない(40 条の 5)。
・ 期間制限に違反して派遣を受け入れ,または雇用契約の申込みを行わない派遣先に対し,
厚生労働大臣は,助言・指導を行い,応じない場合には是正勧告を行うことができ(49 条
の2第1項)
,さらに,派遣労働者が派遣先で雇用されていることを希望している場合には,
厚生労働大臣は,助言・指導を経たうえで,雇い入れを勧告することができる(同2項)。
そして,勧告に従わなかった派遣先については,企業名を公表することが出来る(同 3 項
)。
か)派遣労働者の守秘義務
派遣労働者は,派遣先との関係では,雇用契約関係の付随義務としての守秘義務は負って
いないが,使用関係に基づいて,信義則上,派遣先に対する守秘義務を負う。また,派遣労
働者が派遣先の企業秘密を漏えいした場合には,派遣元が派遣元との関係での守秘義務違反
32
として懲戒処分の対象とし得る。
退職後の守秘義務については,そもそも派遣先と派遣労働者との間には契約関係がないた
め,派遣先が派遣労働者に対して誓約書等の提出を義務付けることはできない。そこで,派
遣元と派遣労働者との間で派遣先の企業秘密を守る守秘義務特約などを締結することによっ
て,退職後の守秘義務を課すことになる。
(3)派遣元と派遣労働者との関係
あ)派遣(労働者派遣事業,2 条 3 号)の種類
派遣元(=労働者派遣事業主)は,労働者を派遣労働者として雇い入れる場合には,その労
働者にあらかじめその旨を明示しなければならない(32 条 1 項)
。
◎ 特定労働者派遣事業(2 条 4 号)
= 派遣労働者がその事業に常時雇用されている者のみである事業。
(労働者が最初から派
遣元と常用雇用契約(期間の定めのない労働契約)を結び,常時雇用される。)
→ 派遣元事業主が厚生労働大臣に届け出ることが必要となる(16 条)。
◎ 一般労働者派遣事業(2 条 5 号)
= 常時雇用でない労働者を含む事業。
(ex)労働者が派遣元に登録をしておき,仕事が発
生したときに,その期間の雇用契約を派遣元と結ぶもの。)
→ 派遣元事業主が厚生労働大臣から許可を得ることが必要となる(5 条)。
い)派遣元の義務(派遣労働契約に基づく義務)
労基法等に基づく使用者責任等,雇用主としての義務は原則として全て負う。すなわち,
派遣先事業主が派遣法や労基法に違反することなく適切に派遣労働者を就業させるよう,派
遣先との連絡体制を確立し,関係法令を周知するなど,派遣労働者を保護し,あるいはその
雇用を安定させるため様々な措置を講ずることを義務付けられている。
また,労働者派遣を実施する際には,派遣先の名称や場所,派遣先での業務の内容,派遣
期間,および就業時間などの条件を,あらかじめ派遣労働者に明示しなければならない(34
条)。
う)労働条件の管理,安全衛生管理に関する義務
・ 派遣労働者の就業の機会や教育訓練の機会の確保,労働条件の向上その他雇用の安定を
図るために必要な措置を講じることにより,派遣労働者の福祉の増進を図る努力義務(
30 条)
・ 派遣先が派遣法や派遣先に適用される労基法・労働安全衛生法などの規定に違反しない
よう適切な配慮を行う義務(31 条)
33
・ 省令で定められた要件を充たす派遣元責任者を選任し,派遣労働者の就業に関し必要な
ことをさせる義務(36 条)
・ 派遣元管理台帳の作成・保存(期間は3年)義務(37 条)
・ 個人情報を適切に取り扱い,業務上知りえた秘密を守る義務(24 条の 3・4)
→ 社会的差別につながるような情報,思想・信条,労働組合への加入状況などを収集す
ることはできず,また,派遣先に提供できるのは,「業務遂行能力に関する情報」に限
られる。
(⇔ 派遣先は,派遣労働者の個人情報は派遣元を通じてのみ収集し,独自には収集して
はならない。
)
・ 変形労働時間制やフレックスタイム制における就業規則・労使協定の整備,時間外・休
日労働規定を整備する義務
(∵労働時間の枠組みを設定するものであるから,派遣元が責任を負う。)
・ 割増賃金支払義務
・ 労働安全衛生法上の義務のうち,職場における安全衛生を確保するための規定は,派遣
先の事業主に適用されるが(45 条 1 項)
,一般的な健康管理に関わる部分については,
派遣元が義務を負う。
・ 派遣労働者の配置を適正に行うべき配慮義務(安全配慮義務)
※ 以上のような,派遣元が講ずべき措置については指針(
「派遣元事業主が講ずべき措置
に関する指針」(平成 17 年厚生労働省告示第 235 号)
)が定められている。(
【別紙2】
)
え)派遣労働契約の終了
<解雇>
=(期間の定めのない)労働契約を使用者が一方的に解除する意思表示
これは,派遣先が労働者派遣契約の期間中に同契約を解約した場合,あるいは派遣労
働者の交代を命じた場合に,これを理由として,派遣元と派遣労働者との間の派遣労働
契約も終了させられるかというような場面で問題となる。
<雇い止め>
= 期間の定めのある労働契約(有期労働契約)を反復更新した後に期間満了を理由とし
て労働契約を終了させること
34
第2 労働者派遣法の制定及び改正
1
制定
労働者派遣法が施行される以前は、派遣は、職業安定法制定昭和22年以来、労働者供給事
業の一つとして、44条によって一貫して禁止されていた。しかし、労働力を求める市場の要望に
応え、昭和60年に労働者派遣法が制定され、労働者派遣は労働者派遣法の規制を受けつつも、一
定限度で許容されるに至った。もっとも、労働派遣法制定当初は、同法が規定する派遣の対象は1
3業務のみで、かつポジティブリスト(派遣の対象業務を限定列挙する方式)だったため、かなり
範囲は限られていた。
*「労働者供給」:
「供給契約に基づいて、労働者を他人の指揮命令を受けて労働に従事させること」
(職業安定法
4条6号)をいう。
←歴史的にみて中間搾取や強制による過酷な労働が強いられたり、雇用責任・使用者責任の所在
が不明確・不十分となることが多かったことから、禁止されている。
*職業安定法4条6号との関係
労働者派遣は本来同号の一類型にあたるはずだが、同条同号によって労働者派遣法に規定す
る労働者派遣(自己の雇用する労働者を他人の指揮命令のもとに労働させること
労働者派
遣法2条1号)が除外されている。このため、職業安定法による規制を免れるに至っている。
2
主な改正
昭和61年10月 対象業務が16業務に拡大
平成 8年12月 対象業務が26業務に拡大
ただし、依然として、ポジティブリストが維持されていた。
平成11年12月 ネガティブリスト(派遣禁止業務のみを限定列挙する方式)への転換が図ら
れる。
ただし、派遣はあくまでも一時的な労働力として、政令26業務以外に解禁
になった業務についての派遣期間は1年に制限された。また、派遣の期間の
判断として、派遣の利用を停止して3か月のクーリング期間を置かなければ
継続して派遣の利用を受け入れているとみなすとされていた。
平成16年3月
【期間制限の見直し】
:1年に制限されていた業務が3年まで派遣可能となっ
た。政令26業務の派遣期間制限はなかったが、行政通達で3年に限ってい
たものを、かかる制限も撤廃した。
【対象業務の拡大】
:「物の製造」業務が許されるに至った(ただし派遣期間
35
を1年とする制限は平成19年まで継続していた。
)医業関係業務が部分的に
認められるようになった。
平成22年2月
「専門 26 業務派遣適正化プラン」を策定・実施
契約上は専門 26 業務と称しつつ、実態的には専門 26 業務の解釈を歪曲した
り、拡大したりして、専門性がない専門 26 業務以外の業務を行っている事案
への対応を図った。
3
今後の動向
平成22年3月 通常国会提出案
→結果:衆議院では審議されたものの継続審理案件扱い(平成22年9月1日現在)
常時雇用される労働以外の労働者派遣、製造業務への労働者派遣の原則的禁止
派遣労働者の保護・雇用の安定のための措置の充実等、抜本的見直しを図る内容となっている。
【平成 22 年の通常国会提出
労働者派遣法改正案まとめ】
(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律の一部を改
正する法律案要綱)(【別紙3】)
■ 登録型派遣の原則禁止(例外:専門26業務等)
■ 製造業務派遣の原則禁止(例外:1年を超える常時雇用の労働者派遣)
事業規制の強化
■ 日雇派遣(日々又は2か月以内の期間を定めて雇用する労働者派遣)の
原則禁止
■ グループ企業内派遣の8割規制、離職した労働者を離職後1年以内に派遣
労働者として受け入れることを禁止
36
■ 派遣元事業主に対し、一定の有期雇用の派遣労働者につき、無期雇用への
転換推進措置を努力義務化
■ 派遣労働者の賃金等の決定にあたり、同種の業務に従事する派遣先の労働
派遣労働者の無期雇
者との均衡を考慮
用化や待遇の改善
■ 派遣料金と派遣労働者の賃金の差額の派遣料金に占める割合(いわゆるマ
ージン率)などの情報公開を義務化
■ 雇入れ等の際に、派遣労働者に対して、一人当たりの派遣料金の額を明示
■違法派遣の場合、派遣先が違法であることを知りながら派遣労働者を受け入
違法派遣に対する迅
速・的確な対処
れている場合には、派遣先が派遣労働者に対して労働契約を申し込んだものと
みなす
■処分逃れを防止するため労働者派遣事業の許可等の欠格事由を整備
その他
目的規定
法律名称・
■ 法律の名称に「派遣労働者の保護」を明記し、「派遣労働者の保護・雇用
の安定」を目的規定に明記
■ 公布の日から6か月以内の政令で定める日
施行期日
(登録型派遣の原則禁止及び製造業務派遣の原則禁止については、改正法の
公布の日から3年以内の政令で定める日(政令で定める業務については、施行
からさらに2年以内の政令で定める日まで猶予))
37
第3 労働者派遣をめぐる法制度
1
法制度
(1)関係法令
労働者派遣法
(「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律)
施行令
職業安定法
厚労省派遣事務取扱要領、各種指針
労働基準法(6条 中間搾取の禁止)
(2)労働者派遣法以外の規制
あ)雇用契約は、使用者による募集に対して労働者が応募し、使用者がこれを選考し採用決定を
するという方法で成立させるのが典型的である。
しかし、広く雇用及び就労の機会を得たいという要請から、上記成立パターンとは異なる方
式が認められており、使用者が主体となり雇用の契機を提供する場合(「募集」)と、第三者が
主体となる場合(「職業紹介」)がある。
【使用者が主体の労働者の募集】
(職業安定法36条1項、3項)
直接募集: 原則自由
委託募集: 厚生労働大臣の許可または届出が必要
求人者が報酬を与える場合には「許可」、
無報酬の場合は「届出」
【第三者が主体の場合:「職業紹介」】
意義:
「求人及び休職の申込を受け、求人者と求職者との間における雇用関係の成立をあっせ
んすること」
(職業安定法4条1項)
従来は、職業紹介は、公共職業安定所(通称「ハローワーク」)が行うものとされていた。
↓
平成11年の職業安定法の改正により、
「一部の業務」を除き(職業安定法32条の11)有
料職業紹介事業が原則として自由となった。紹介手数料をとることも許されているが、求職
者から徴収することは原則として禁止されている(職業安定法32条の3第2項)。
無料の職業紹介事業を行おうとする場合にも、厚生労働大臣の許可を得ることが必要である
が(職業安定法33条)
、特定の主体・条件の下でなす場合には、届出で足りるとされている
38
(職業安定法33条の2ないし4)
*「一部の業務」
:港湾運送業務に就く職業、建設業務に就く職業、その他優良の職業紹介事業
においてその職業のあっせんを行うことが当該職業に就く労働者の保護に支障を及ぼすおそ
れがあるものとして厚生労働省令で定める職業
い)二重派遣の禁止
:職業安定法44条が禁止する労働者供給事業
A社
B社
労働者派遣
雇用契約
C社
労働者派遣
↑
違反
X
・第一次派遣先は雇用主としての責任を負わないから、派遣元とはいえない。
・二重派遣にあたる場合、請負における孫請負や孫々請けに類する形態は認められない。
→実際の現場において、多重構造になっている場合も多く「請負」を選択せざるをえない場
合が生じる。
2他の法形式との区別
(1)序説
他企業労働者の労働力の利用形態:①労働者派遣 ②請負(業務処理請負)③出向の3種類
cf「派遣店員」:大型店舗が、複数の企業の売り場を設け、それぞれの企業の店員の派遣を
受けている形態
←それぞれの売り場は各企業の事業場と解される結果、他企業労働者を受け入
れていないとされるため、上記類型にあたらない。
cf「出張」
:自企業内で、他の事業所で就労する形態
←出張労働者は、自企業の指揮命令を受けて「自企業の業務に従事」するに過
ぎず、他企業の労働者の利用にはあたらない。
39
ポイント
労働者派遣
請負
業務委託
出向
派遣先との間に雇用関係があるか
なし
なし
なし
ある
受ける
受けない
受けない
受ける
→労働者に対して履行請求権があ
るか
雇用関係のない派遣先からの指揮
命令を受けるか
(2)偽装請負:派遣法の適用を避けるために請負や出向の形式をとるもの
あ)出向との区別
出向協定
出向元
出向先
同意
出向命令(雇用関係)
労働義務履行請求権(雇用関係)
労働者
在籍型出向:形態は労働者派遣と同じ→「業として」行われる場合には労働者派遣
移籍型出向:
(転籍)形式上も元の事業者との雇用関係は終了し、労働者派遣にはあたらない
*労働者派遣法2条1号は、
「相手方企業に自らの労働者を雇用させて労働させる形態」を労働
者派遣の定義から除外している。
*参考:労働基準法:各権限に応じて適用される。
(例えば、解雇予告 20 条:出向元,時間外労働 36 条:出向先)
労災保険法・労働安全衛生法:出向先
雇用保険等各種社会保険法規:賃金支払義務者(出向協定で定められたもの)
労働組合法:各権限に応じて両者が使用者としての地位に立ちうる。
40
い)請負との区別:
ポイント
・請負であれば、発注者と受注者の労働者との間に指揮命令関係が生じない。
労働者派遣であれば、派遣先と労働者との間に指揮命令関係が生じる。
・請負の形式をとっていても、実質が労働者派遣であれば、派遣先は派遣元と労
働基準法、労働安全衛生法及び男女雇用機会均等法等の責任を分担して負う。
★偽装請負のパターン
代表型
発注者が業務の細かい指示を労働者に出したり、出退勤・勤務時間の管
理を行う。最も典型的なパターン。
形式だけ責任
現場には形式的に責任者を置いている、その責任者は、発注者の指示を
者型
個々の労働者に伝えるだけで、発注者が指示をしているのと実態は同
じ。単純な業務に多いパターン。
使用者不明型
業者Aが業者Bに仕事を発注し、Bは別の業者Cに、請けた仕事をその
まま出す。Cに雇用されている労働者がAの現場に行って、AやBの指
示によって仕事をする。誰に雇われているのかよく分からないというパ
ターン。
一人請負型
実態として、業者Aから業者Bで働くように労働者を斡旋する。しかし、
Bはその労働者と労働契約は結ばず、個人事業主として請負契約を結び
業務の指示、命令をして働かせるというパターン
(参考:東京労働局 HP)
<偽装請負と労働者派遣との区別基準>(【別紙4】)
【
「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準」
(労告示37号)
】
「請負」であるためには、
①請負事業主が自己の雇用する労働者の労働力を自ら直接利用すること、
②請負業者が発注企業から業務を独立して処理すること、が要件となる。
①:業務遂行、労働時間、秩序維持・確保等に関する指示管理を自ら行うこと
②:業務の処理に要する資金調達及び支弁を自らの責任で行うこと、
41
業務の処理につき法律上の事業主としての責任を負うこと、事業主として自己の責
任と負担で業務を処理し、かつ単なる肉体的な労働力を提供するものでないこと
(3)個人請負
:個人が請負契約・業務委託の形式で、事業者から発注をうけて業務を遂行するもの
請負を偽装する点で、偽装請負に関連する。ただし、個人請負は、雇用関係そのものを潜
脱するもの
<区別基準>労働者性の判断
42
第4 労働者派遣における三者の攻防
①労働者派遣契約
・偽装請負
・交代要求権
・守秘義務
・使用者責任《 裁判例1 a 》
派遣元
派遣先
②雇用関係
③指揮命令関係
・解雇
・黙示の労働契約の成立
・雇い止め
・法人格否認の法理
《 裁判例2 b~f 》
《 裁判例3 g~j 》
労働者
《参照判例等「第5」》
a
1 パソナ事件(東京地裁 H8・6・24)□
2 ラポール・サービス事件(名古屋高裁H19・11・16)b
プレミアライン(仮処分)事件(宇都宮地裁栃木支部 H21・4・28)c
社団法人キャリアセンター中国事件(広島地裁 H21・11・20)d
アデコ(雇止め)事件(大阪地裁 H19・6・29) e
東方技研事件(東京地裁H21・1・30)f
3 パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件(最判H21・12・18)g
伊予銀行・いよぎんスタッフサービス事件(最高裁 H21・3・27)h
マイスタッフ事件 (東京高裁 H18・6・29)i
ジェイエスキューブほか事件( 東京地裁 H21・3・10 )j
43
1
派遣元と派遣先の間での攻防
(0)偽装請負→(派遣先と労働者間の攻防)
(1)交代要求権をめぐって
<派遣先が講じるべき措置>
・派遣契約において,求める専門的能力・知識,経験等を可能な限り詳細かつ具体的に
定め,さらに交代要求権を有することを明記しておく。
★ワンポイントアドバイス
派遣先は,派遣された労働者が不適格なときは,期間途中でもその交代を派遣元に対して請
求出来るが,派遣先が期待していた水準に達していないという程度では交代は難しい。さらに,
事前面接や,履歴書の提示を求めること等,派遣労働者をあらかじめ特定するような行為は許
されない。そこで,派遣先としては,自己の事業に従事するに足りる能力等を備えた人員の派
遣を円滑に受けられるよう,派遣契約において,可能な限り具体的に明記しておくことが肝要
である。
<派遣元が講じるべき措置>
派遣先との間で求められている専門的能力・知識,経験等を可能な限り詳細かつ具体的な
点まで協議し,派遣契約において明記するべきである。
★ワンポイントアドバイス
派遣元としては,不適格な派遣労働者を派遣すれば,派遣先との関係で債務不履行責任を問
われることになる。他方で,交代要求権を根拠に,派遣先に労働者をより好みされることを回
避する必要がある。さらに,派遣労働者の交代は,
(登録型派遣契約においては)派遣元と派遣
労働者間の雇用契約の解消にもつながりうるので,派遣元としても,派遣先に任せ切りにする
のではなく具体的な点まで協議することを求め,その結果を派遣契約において明記することが
必要である。
44
(2)守秘義務をめぐって
<派遣先が講じるべき措置>
・派遣契約において,
「派遣元は,派遣労働者から派遣先の企業秘密保持規定を遵守
する旨の誓約書を取得し,さらにその制約内容について十分に教育した派遣労働者
を派遣すること。」というような条項を定める。
・派遣先がかかる義務を遵守しているか,派遣元に誓約書のコピーを提出させたり,
社員教育の実施を報告させたりすることにより確認する。
・派遣契約に派遣元がその損害を賠償する旨の条項を入れておく。
・上記定めを置いたにも関わらず派遣労働者に違反があった場合には,当該派遣労働
者の交代あるいは派遣元の債務不履行を理由に派遣労働契約の解除も検討せざる
を得ない。
★ワンポイントアドバイス
派遣先は,派遣労働者との間に雇用関係がないので,派遣労働者に対して雇用関係の付随義
務としての守秘義務を課すことはできず,退職後の守秘義務についても誓約書等の提出を義務
付けることはできない。そこで,派遣元に対して,派遣労働者との間で守秘義務特約等を締結
して,派遣労働者に対して派遣先の企業秘密についての守秘義務を課すよう要望する必要があ
る。
そこで、守秘義務を守るという誓約条項を定めることにより,間接的に遵守を求めるという
ようなことが考えられる。そして,実際に派遣先がかかる義務を遵守しているか,確認するこ
とが必要となる。さらに,仮に派遣労働者の守秘義務違反によって派遣先に損害が生じた場合
に備えることも考えるべきである。
かかる定めを置いたにも関わらず派遣労働者に違反があった場合には,当該派遣労働者の交
代あるいは派遣元の債務不履行を理由に派遣労働契約の解除などにより対応するべきである。
<派遣元の講じるべき措置>
・派遣労働者が守秘義務を遵守するよう教育・監督する。
・派遣労働者に守秘義務違反があった場合には,派遣労働契約の債務不履行を理由に派遣
労働契約を解除することができる。
45
★ワンポイントアドバイス
派遣元は,派遣契約において上記のような定めを置いた場合には,その債務不履行を理由に
労働者派遣契約の解除あるいは損害賠償を請求されうるのであるから,派遣労働者が守秘義務
を遵守するよう教育・監督する必要がある。そして,仮に,派遣労働者に守秘義務違反があっ
た場合には,
(派遣先との間で上記のような合意がない場合であっても)派遣労働契約の債務不
履行を理由に派遣労働契約を解除することができる。
(3)派遣元の使用者責任(民法 715 条)をめぐって
<派遣先の講じるべき措置>
「事業の執行につき」の点
・派遣元との労働者派遣契約に基づく業務の範囲内で、就労させる。
・労働者派遣契約の締結時、派遣元に担当してもらう予定の業務内容を充分に説明す
る。
「派遣先の監督が充分であったか」の点
・同様の業務に従事している他の従業員に対する監督と、少なくとも同程度の監督を
行う。
・派遣労働者が従事している業務に沿った形での監督・検査体制を確立しておく。
「派遣先に過失があるとして過失相殺がされるか」の点
履歴書
遣労働者
住
や身
保
書
提
求
★ワンポイントアドバイス
派遣労働者の担当する業務の確定は、労働者派遣の基本的要素となるため当然必要ではあ
るが、派遣元の使用者責任を追及する場面においても重要な意味をもってくる。
また、派遣先として充分な監督を行っていたかについては、過去に同種の不正事件があっ
たか否かも考慮される。そのため、過去に不正事件などがあった場合には、同種の事件を防
ぐための監督・検査体制を確立しておくことが特に大切である。
46
<派遣元の講じるべき措置>
「事業の執行につき」の点
・派遣労働者の従事する業務を明確化した契約書を作成する。
・労働者派遣契約締結時、担当させない業務についてきちんと申し出る。
「過失相殺の可否」の点
・定期的に、派遣労働者の就労の現場を実際に見に行き、業務状況及び内容を把握す
る。
・派遣労働者に業務についての報告をさせる。
・契約外業務に従事させられていた場合には、即刻申入れをする。
・派遣労働者の雇用に際し、労働者の能力や適性をできる限り正確に把握する。
・派遣労働者の雇用に際し、派遣労働者から住民票や身元保証書まで提出してもらう。
★ワンポイントアドバイス
労働者派遣契約を継続的に締結してきた企業間であっても、その都度、契約書の内容を精査
することが望ましい。例えば、従前の契約書では除外されていた業務が、今回は含まれていた
などということもあるため、担当業務内容の範囲には特に注意するべきである(裁判例にも、
その点を考慮され、事業の執行の要件が肯定されたものがある。
)。
また、派遣元が想定している担当業務と異なる業務への就労が予定されている、或いは現
に就労させられている場合には、直ぐに派遣先に申し出ることが必要である。この場合、後
日トラブルになることを避けるためには、書面による申入れをなすことが望ましい。
さらに、実際に派遣元の使用者責任が問題になった場面では、使用者責任が報償責任であ
ることから、派遣元がどの程度の監督を果たしなすべきことをなしていたかも、重要な考慮
要素となる。
派遣元の監督の状況は、過失相殺の可否の場面でも具体的に検討されている。この派遣元
としての監督を尽くしているというための対策の一貫として、派遣先から派遣労働者の住民
票等の書類の提出が求められた場合には、要求が不当なものでない限り応じることが望まし
47
いといえよう。
Q
そもそも労働者派遣契約上は、派遣社員は派遣先の監督に服する義務があり、
派遣先は派遣労働者に対し、指揮命令権を有し派遣労働者を業務に従事させるのだ
から、当初から派遣労働者に問題があった訳ではない以上は、派遣元は使用者責任
を負わないのではないか?
A
労働者派遣であるからといって当然に使用者責任を負わないという訳ではな
い。裁判例では、使用者責任の要件検討の中で、派遣元の監督の状況が具体的に検
討されている。その中では、
「派遣元が得ていた派遣料には、派遣労働者の指導監督
の対価の意味も含まれていた」ことも挙げられている。使用者責任が報償責任であ
ることに基づく判断であると思われる。
2
派遣元と労働者の間での攻防
(1)解雇をめぐって
派遣労働契約が終了するか否かは,
(派遣元と派遣労働者との間の)当該労働契約につき解雇
事由が認められるかによって判断される。
当該労働契約が,派遣先との間の労働者派遣を前提とする登録型派遣契約において,派遣先
との間の労働者派遣契約が期間内に終了した場合でも同様であり,また,派遣契約の終了のみ
をもって,解雇の要件としての「やむを得ない事由」があるとは言えない。
cf派遣契約の中途解除については、
「派遣先が講ずべき措置に関する指針」
(厚労省告示第 138
号)あり
(2)雇い止めをめぐって
有期雇用契約は,期間の定めが有効である限り,原則として期間満了によって終了する。た
だし,当該有期雇用契約が,当然更新を重ねるなどして,あたかも期間の定めのない契約と実
質的に異ならない状態で存在している場合,あるいは期間満了後も使用者が雇用を継続すべき
ものと期待することに合理性が認められる場合には,当該有期雇用契約の更新拒絶をするにあ
たっては,解雇の法理が類推適用され,当該雇用契約が終了となってもやむを得ないと言える
ような合理的な理由が必要となる。
特に,登録型派遣において労働者は契約が期間満了により終了した場合には,派遣労働契約の
期間も同時に満了することが多いことから,これによって,労働契約自体が終了するのかとい
うことが問題となる。この場合には,雇用継続への期待の合理性の判断において,労働者派遣
48
の特色を考慮することが考えられる。
3
派遣先と労働者の間での攻防
(1)偽装請負をめぐって
偽装請負が為されている場合には、労働者に対する責任を誰が負担するかが不明確になって
いることが多く、大きな社会問題ともなった。
<派遣先の講じるべき措置>
・適正な請負形態であるか、厚労省の指針等で再度確認する。 (前述【別紙1】)
・実態が労働者派遣である場合には、派遣元と責任の分担について改めて協議・確認し、
契約書に明記しておくことが望ましい。
★ワンポイントアドバイス
様々な分野において、形式と実質のズレが許容されなくなり、そのズレの存在が発覚すると
直ちに大きな社会問題化する昨今においては、請負を偽装することで受ける企業ダメージの大
きさを認識することが肝要である。ズレをなくし実質と形式を一致させることが必要であろう。
<労働者の講じるべき措置>
・労働者自らも意識をもって、自分の就労が偽装請負でないのか、をチェックすることが
必要である。(【別紙4】)
49
(2)黙示の労働契約の成立をめぐって
<派遣先の講じるべき措置>
①派遣元との関係
・派遣元とは別個に営業を行ない、収入・経費の会計も別にしておく。
・役員の兼任が避けられないのであれば、その労働者の雇用契約締結に際しての面談
は外れるなどするのが望ましい。
・募集・採用手続は派遣元に主体的に進めてもらうこと
・「広告や連絡等の主体の記載」が「派遣元」になっているか、を確認する。
・書類審査は派遣元がなすようにする
・面談の際の会議室は、できる限り派遣元の会議室等を使用するのが望ましい。
・派遣元に、面接試験の通知の記載「派遣先の役員とも面談してもらう」旨の記
載をしないよう申し入れておく
★ワンポイントアドバイス
「派遣元が形式的かつ名目的な存在か」が判断の大きな要素のひとつとなるため、このよう
な事実を疑われない体制を作ることが重要である。実際は、派遣先と派遣元との間には同一企
業グループ・親子会社関係等が認められることが多く、派遣先にとって派遣元が常に1社であ
ったり、派遣元の売上高の中で派遣先が極めて高い比率を占めていることも少なくない。また
役員の兼任も多く行われている。裁判例でも、兼任の役員が面談をしたからといって、直ちに、
派遣元が形式的・名目的なものとされるわけではない。
②実質的な使用者でないこと
・賃金の決定・支払い等は派遣元に委ねる。
・社会保険料の徴収手続は派遣元に行ってもらう。
・派遣元に、しっかりと派遣労働者の具体的な勤務状況を把握し、労務管理をしても
らう。派遣元の監督が不十分な場合には、労務管理を派遣元も行うよう申し入れる。
・派遣労働者と派遣元との連絡が充分であるか、超過勤務、休暇、欠勤等を fax など
で派遣元にも報告しているか等、定期的に派遣労働者に確認する。
・通常の業務指示を超えて、派遣労働契約の内容と異なる別部署へ配置転換したり、
懲戒解雇等をしたりしない。
・不用意に、自社の従業員であるかのような名刺や身分証明書を交付しない。
・派遣労働者が使用者が誰であるかについて不明確な認識を有している場合には、派
50
遣元が雇用主であることの確認は行っておく。
★ワンポイントアドバイス
黙示の労働契約が成立するためには、派遣元が形式的・名目的であることに対応して、実質
的な使用者が派遣先であると認められることが必要である。このため、派遣先が実質的な使用
者であると疑われないためには、派遣元に、雇用契約の使用者の義務をしっかりと果たしても
らうことが不可欠である。そのためには、派遣元にきちんと申し入れていくことと同時に、派
遣労働者からも派遣元との関係がどうなっているのか聴き取ることもポイントとなるだろう。
その一貫として、派遣労働者がどのような意識を有しているかも把握しておくのが望ましい。
勿論、実態が異なるにも関わらず、
「雇用主は派遣元である」との認識を強要するようなことが
あってはならないことは言うまでもない。
<労働者の講じるべき措置>
・自己の雇用契約書の内容をまずチェックし、雇用主が誰であるかを確認する。
・雇用契約の締結に際して、面談の通知等の送り主が誰になっているか、面談にお
いて主導的役割を果たしているのは誰かを確認・記録しておく。
・賃金についての交渉等を、派遣元としているか、社会保険料の徴収を誰がしてい
るかを確認する。
・出勤時間等の管理を派遣先しか行わず、派遣元が行っていない場合は、派遣先の
会社の自己の扱い等に注意を払っておくこと。
・派遣先の従業員であるかのような名刺や身分証明書が用意された場合は、その趣
旨の説明を求める、ないしはその説明を注意して聞いておくこと
・その他、派遣先が自己の被用者であるかの言動を行った際には、後のトラブル防
止のために日時・内容等を具体的にメモなどの記録を残しておくこと。
・予定された派遣業務の内容と異なる業務に就労している場合には、派遣先及び派
遣元に申し入れるのが望ましい。
★ワンポイントアドバイス
派遣労働者が自己の地位を派遣先に問いただす等の行動に出ることは、実際上はなかなか困
難であることも少なくないと思われる。
しかし、派遣元が雇用主でない実態があるのであれば、その旨の申入れを行うのが望ましい。
そこまでできない場合には、後日、突然更新を行わないとして雇用関係を終了される場合に備
51
えて、自己の勤務実態や、派遣元・派遣先会社の自己に対する言動等を具体的に記録しておく
べきである。
(3)法人格否認の法理による雇用契約の成否をめぐって
考慮される事実関係は、ほぼ上記(2)と同様である。
52
第5 判例からの考察
1
派遣元と派遣先間の責任分担が問題となった事案
a
パソナ東京地裁 H8・6・24(判タ971号190頁)□
①
事案の概要
使用者責任(民法715条)
派遣元(パソナ=被告会社 Y1)
派遣先 (原告 X)
労働者(被告 Y2)
不法行為(709条)
人材派遣会社である株式会社パソナ(被告会社)から原告に派遣された被告は、派遣先で
ある原告方において、派遣業務内容である社会保険手続の一環として各種給付金の手続事務
を担当していた。その後、原告において、保険金未支給の苦情が相次いだため調査した結果、
被告が健康保険組合から支給を受けた明細表記載の不明金を領得した事実が明かとなった。
そこで、原告は、被告に対して、金員を不正に領得したとして、不法行為(民法709条
)に基づく損害賠償請求を、派遣元である被告会社に対し、使用者責任(民法715条)な
いし原告との間で締結した労働者派遣基本契約(以下「本件契約」という)第7条(派遣労
働者が故意または重大なる過失により派遣先に与えた損害の損害補償条項)に基づく損害賠
償請求をした。
②
争点
ア
被告の担当すべき業務に現金業務が含まれるか
イ
被告の本件領得行為は、「職務の執行につき」なされたものといえるか
ウ 被告会社は、被告に対する選任及びその職務執行の監督につき相当の注意を尽したか
エ 過失相殺の可否(原告の過失の有無)
③
判旨
ア
被告の派遣業務に現金取扱業務も含まれる。
∵社会保険手続に付随しての本件現金取扱い業務程度の現金業務は予測できること、本件契
約締結に際しての原告側の派遣業務についての説明、本件契約書に現金業務の除外規定がな
いこと、原告への派遣労働者が本件現金取扱い業務を行なっても被告会社や派遣労働者から
何らの申し出もなかったこと等に照らすと、本件契約に基づき被告甲野が担当すべき仕事の
53
範囲に現金業務が含まれていると解される。
イ
被告会社の職務の執行につきなされたものといえる。
∵被告の本件現金取扱い業務が本件契約に基づく業務内容であること、同人は、被告会社に
雇用されて原告へ派遣され、同会社から給与の支払いを受けていたこと、同会社の派遣担当
が定期的に原告を訪れ、被告の仕事振りを見て監督していたこと、実質的な派遣料(派遣料
から同人への給与を控除した額で給与の約三分の一にも及ぶ)は、被告会社による派遣労働
者の指導監督の対価の意味もあると考えられること、同会社は、原告から被告の住民票の提
出の要請があったのに拒んだこと、本件契約第七条で損害補償を規定すること等からすると、
同人の本件領得行為は、本件契約に基づく派遣業務としての被告会社の職務の執行につきな
されたものと解される。
ウ
被用者の選任及び監督に相当な注意を尽くしたとはいえない。
エ
原告の過失相殺を認めるのは相当でない。
被告との関係では、本件不正行為の発覚の経緯の特性に触れた上で、原告の一定の監視が
及んでいると言えることを認定し、不正行為が経理担当者が隣にいる机の上で作成されてい
ること、過去において各種給付金の領得の事故はなかったこと、不正行為が故意行為である
ことを挙げ、原告の過失相殺を認めるのは相当でないとした。また、被告会社に対しては、
被告から住民票の提出も受けないで雇用して原告に派遣し、派遣後は被告を監督し派遣料を
得ていたことをあげ、この関係でも過失相殺を否定した。
54
2-A
派遣元と労働者との間の派遣労働契約の解約の可否が問題となった事案
(1)ラポール・サービス事件(名古屋高裁H19・11・16)b
①事案の概要
派遣元(㈱ラポール・サービス=Y 社)
派遣先(A 社)
期限の定めのない労働契約
労働者(X)
Y 社は,設立以来,A 社に対してのみ労働者派遣を行っており,40 名~50 名の派遣社員を A
社での製造業務に従事させていた。当時の製造業派遣の上限期間1年の制限を回避するため,
派遣期間の合間に3カ月間だけ A 社が派遣労働者を直接期間雇用するクーリング期間を設けて
いた。
X は,H16・9 に,Y 社に期限の定めなく雇用されたが,同年 9・20 から翌 H17・8・31 ま
で Y 社から派遣されて A 社で就労し,同年9・1から 11・30 までは,他の派遣社員とともに,
A に直接雇用されて就労した。しかし,12・1以降,X 以外の派遣者員は Y 社と雇用契約を締
結したが,X は雇用継続を拒否された。
X は,Y 社による雇用継続の拒否が解雇に当たるとしてその無効を主張した。これに対して,
Y 社は,A の受け入れ拒否は,A に対して他社への就労を X に勧めたのに断られたためやむな
く解雇したものであると主張した。
②争点
ア
X が H17・9 に A 社に直接雇用された際に,Y 社との間の雇用契約は合意解約されたか。
イ
12 月の雇用継続拒否が解雇権濫用に当たるか。
③判旨
<原審>
(ⅰ)本件雇用契約を解約する旨の明示的合意はなく,そのような黙示の合意があったとも認め
られない。
∵ A 社との雇用契約が成立したからといって Y 社との間の本件雇用契約が解約されたと
は言えず,実態に鑑みると A 社との雇用契約期間中は Y 社に在籍したまま出向してい
るにすぎないというのが当事者の合理的な意思である。
55
(ⅱ)派遣先である A 社が X の受け入れを拒否したというだけでは,客観的に合理的な解雇の
理由があるとは言えず,本件解雇は,権利濫用にあたり無効である。
∵・本件雇用契約と Y 社と A 社との間の派遣契約は別個の法律関係であって直接影響を受
けない。
・複数の派遣先に所定の期間,労働者を派遣する方法ならば支障がなかったはずなのに,
Y 社が A 社に協力して派遣可能期間を超えて同一の職場で同一の労働者を稼働させて
いた結果,そのような事態を招いた。
・派遣先である A 社が原告の受け入れを拒否したという理由による解雇を無効とすれば,
私的な理由での解雇が可能になり相当でない。
<控訴審>
(X と A 社との雇用契約が成立した時点で,Ⅹと Y 社との雇用契約が終了したと主張したとの
Y 社の主張に対して)A 社による直接雇用は,X の事情によるものではなく,短期の 3 カ月
契約による雇用終了は X にとって不利益が大きいことから,本件雇用契約が解約されたと認
めることはできない。
(2)プレミアライン(仮処分)事件(宇都宮地裁栃木支部 H21・4・28)c
① 事案の概要
派遣元(㈱プレミアライン=Y)
派遣先(いすゞ自動車=I 社)
有期の派遣労働契約
労働者(原告 X)
X は Y との間で有期の派遣労働契約を締結し,H20・10・1 に,期間を平成 21・3.・31 まで
として契約を更新して雇用された。Y は I 社との間の労働者派遣契約に基づき,X を含む 37 名
の労働者を I 社の工場に派遣していたが,H20・11 中旬に,I 社から同年 12・26 付で労働者派
遣契約を解除するとの通知を受けた。Y は,同社を派遣先とする派遣労働者全員との間の派遣
労働契約をすべて解除することとして,同年 11・17 付で,同年 12・26 を解雇日とする解雇予
告通知書,退職届,休暇届書をあらかじめ用意した。Y のマネージャ-が同年 11・17 に X ら
に解雇予告通知書(引き続き他の就業先の確保に努める旨の記載があった。)を交付し,内容を
口頭で告知し,了解したら,
「右内容を承諾致しました」との文言の下の氏名欄に,署名押印(
又は指印)するよう指示した。
56
X は,本件解雇は無効であるとして,H21 年1月~3月分の賃金の仮払いを求めた。Y は,
上記手続において合意解約が成立しており,仮に合意解約が認められず,解雇と解される場合
であっても,Y の業績悪化は深刻であり,民法 628 条ないし労働契約法 17 条 1 項の「やむを得
ない理由」があると主張した。
② 争点
ア 本件労働契約の合意解約の成否
イ 本件解雇の有効性
③ 判旨
(ⅰ)本件労働契約の合意解約が成立していないことは明らかである。
∵ H20・11・17 に,Y は解雇予告通知書の交付等により正規に労基法 20 条1項に則っ
た解雇の予告通知をし,かつ,派遣労働者各人にその内容の了知と Y が今後就業先の確
保に努め責任を全うすることに対する了承を求めたものの,解雇予告通知書の領収後に
は,各人の有給休暇の残日数を使用した「解雇の不利益軽減措置」を説明したに過ぎず,
その説明に沿って,退職届及び休暇届出書の記入の仕方を指示しただけであって,先の
解雇予告を撤回し,あるいはこれとは別個に,新たに X ら派遣労働者に対して希望退職
を募集したり,解雇によらず,任意に合意退職することを提案し,これを勧奨するよう
な言辞は全くしておらず,そのような説明が全くなされていないことは明らかであって,
派遣労働契約を合意解約する新たな申込みの意思表示を口頭でしたとの Y の主張事実に
反することは明白である。
C の逐一の指示に従って退職届と休暇届けに記入したことを捉えて,直前に正規に通
知された本件解雇予告とは異なる,Y による派遣労働契約の合意解約の新たな申込みと
意思表示をしたとみる余地もない。
※
Y は,後日,X ら派遣労働者から解雇の効力を争われることのないよう,任意の合意
解約の体裁を整えて,派遣労働契約を全て解消することを企図し,その意図を費して,
派遣労働者全員に対し,退職届の作成指示・徴収をするに至ったものと推認できるので
あって,このような Y の解雇手続は,労使間に要求される信義則に著しく反するもので
あり,明らかに不相当である。
(ⅱ)本件解雇は無効である。
∵
有期労働契約の期間内の解雇は「やむを得ない事由」がある場合に限り認められ,こ
のことは,当該労働契約が登録型を含む派遣労働契約であり,派遣先との間の労働者派
57
遣契約が期間内に終了した場合であっても異なることはなく,また期間内解雇の有効性
の要件は,期間の定めのない労働契約の解雇が権利濫用として無効となる要件の「客観
的に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められない場合」(労働契約法 16
条)よりも厳格なものである。
Y は,①I 社の契約解除通知を受けた後,希望退職の募集・勧奨をせず,X ら派遣労働
者を解雇していること,②X との間の派遣雇用契約書や本件解雇予告通知書の記載に反し
て,本件解雇の予告以降,X に対して新たな就業機会の確保のための具体的な努力を全く
していないこと,③解雇手続において,解雇の不利益軽減措置をとったものの,I 社との
労働者派遣契約終了を一方的に告げるのみで,人員削減の必要性について全く説明してい
ないこと,④Y の経営状況は相当に厳しいものと評価出来るが,同社の財務の状況は健在
であることが一応認められること,などの各事情を総合すれば,本件解雇につき「客観的
に合理的な理由を欠き,社会通念上相当であると認められない場合」に該当することは自
明であり,したがってまた,本件労働契約の期間途中の解雇(解除)につき「やむを得な
い事由」があるとは解し得ない。
(3)社団法人キャリアセンター中国事件(広島地裁 H21・11・20)d
①
事案の概要
派遣元(社団法人キャリアセンター=被告 Y)
派遣先(マツダ㈱=M 社)
労働者派遣契約(登録型)
労働者(原告 X)
Y と M 社との間には,Y が雇用する労働者を M 社に派遣することを目的とする派遣基本契
約が締結されており,別途,個々の派遣ごとに個別派遣契約を締結していた。
派遣期間中の中途解約については,
①当事者双方は,派遣期間満了前に派遣労働者の責に帰すべき事由以外の事由によって個別
契約の解除が行われた場合,M の関係会社等での就業を斡旋する等により,当該派遣労働者の
新たな就業機会を確保する。
②M 社の責により派遣期間満了前に個別契約の解除を行う場合であって①の義務を履行でき
ないときは,M 社は Y に遅くとも 30 日前に予告する。予告を行わない場合,M 社は Y に 30
日分の当該派遣労働者の賃金相当分を支払う。
③Y から求めがあれば,M 社は中途解約の理由を明らかにする。
58
との取り決めがなされていた。
X は,H18・12 上旬頃に Y に派遣労働者として登録し,H19・3・12 から約 2 ヶ月弱 M 社に
派遣され,その後同年 6・1 から同年 10・31 まで5ヶ月間の派遣労働契約を,さらに,同年 11
・1 から H20・10・31 まで1年間の派遣労働契約を締結した。
H20・4・7 に M 社から Y に対して,業務量の縮小という理由により同年 5・31 をもって X
に対する個別契約を解約する旨の通知があり,これを受けて,Y は X に対し,電子メールによ
り,同日付で X との本件労働契約を中途解約する旨を通知。
X は,本件労働契約に基づく期間満了までの賃金の支払い,及び本件解約通知は正当な理由
のないものであり,債務不履行ないし不法行為に当たるとして慰謝料の支払等を請求する訴え
を提起した。
② 争点
☆ 本件解約通知により本件労働契約が終了したか。
ア 登録型派遣労働の性質上,派遣契約の解消は労働契約の当然終了事由となるか。
イ 本件労働契約において,X・Y 間に一定の事由(同上)があった場合に,契約期間満了前
であっても解雇できる旨の合意が成立したか。
ウ 派遣先である M 社からの派遣契約の解消は,「やむを得ない事由」として中途解雇が認
められるか。
エ 本件解雇通知に対し1ヶ月間 X が応答しなかったこと等をもって本件解約通知を承諾し
たものと解されるか。
③ 判旨
ア
登録型派遣労働契約であるからといって,一般の労働契約の場合と異なり,当該労働者
に関する派遣契約の終了が当然に派遣労働契約の終了事由となると解することは相当でな
い。
∵ 労働者派遣契約と派遣労働契約とは別個の契約であり,派遣労働契約は労働法規によ
って規律されるものである。
イ 本件労働契約締結に当たり,X・Y 間に黙示の合意があったものとは認められない。
∵ 労働者派遣契約(個別契約)解消の申入れがあった場合には,
(派遣)労働契約が終了
する旨の合意が明示的に成立していたとは認められないし,かかる旨の黙示の合意が成
立していたと解する余地はないではないが,X に交付された本件通知書には雇用期間が
H20・10・31 までであることのみが明記されていたのであるから,X は,派遣契約の中
途解約の可能性については明確には認識していなかったものと推認される。
59
ウ
本件労働契約について,あえてその期間満了前に解消しなければならないようなやむを
えない事由を認めることはできない。
∵
本件労働契約は派遣労働契約であるが,期間の定めのある契約であり,期間満了前の
解雇は,
「やむをえない事由」がある場合に限り許される。そして,M 社から個別契約の
解約があったことのみで本件労働契約解消のやむを得ない事由と評価することは相当で
なく,M 社による個別契約の解消が,その事業場の必要等からやむを得ないものであっ
たか否かによって解約申入れの正否を判断するのが相当であり,したたがって,期間満
了前における契約終了がやむを得ないものであるかの判断においては,派遣元と派遣先
を一体とした「使用者側」とみてその事由の有無を検討すべきである。
本件については,M 社が X にかかる個別契約の解消を申し入れたのは,前者的な経費
削減の方針によるものであることが推認され,少なくとも,本件労働契約にかかる個別
契約締結時点においては到底予想し得なかったようなその後の経済状況の激変等やむを
得ない事情によるものであったとまでは認められない。
エ X の解約通知の承諾を否定
∵
本件解約通知は電子メールによる単なる連絡であり,X が積極的に応答しなかったと
しても,契約終了を承諾したものと解することはできない。
(4)アデコ(雇止め)事件(大阪地裁 H19・6・29) e
①
事案の概要
派遣元
派遣先
(アデコキャリアスタッフ㈱=被告 Y)
(三井住友カード㈱=M 社)
労働者(原告 X)
X は,平成 14 年 11 月下旬に Y に雇用され(雇用契約書上の契約期間は,平成 15 年 1 月 1
日から同年 12 月 31 日までの一年間)
,同年 12 月 3 日,Y において就労を開始し,SV として
の研修を受けた。SV(=テレマーケティングスタッフのマネジメントを実施する者)には,高
いマネジメント能力のほかに,マーケティングセンス等も求められる。Y のマネージャ-C は,
X に対し,H14・12・11,M 社に提出する X の経歴表を見せたが,同経歴表には,
「H14・4~
11,教材関連,アウトバウンド」と記載されていが,X には係る経歴はない。X は,H15・2・
60
3 から M 社のコールセンターで就労を開始し,SV 業務に従事したが,うまくこなすことがで
きなかった。
M 社の D 及び Y の営業担当従業員 E は,X に対し,H15・5・16,M 社における就労の中止
を申入れ,同年 6・30 に X は M 社での就労を終えた。
X は,H15・8・1,Y のニューキャリア事業部に配属され,Y 日本支社で再就職支援業務に
就いた。その後,X と Y との契約は,H16・1・1,同年 4・1,同年 7・1,同年 10・1,H17
・1・1 の合計5回更新された。就業場所は,H16・1・8 以降,神戸キャリアセンターとなった。
X は,H17・1・25,Y より,H17・3 末で雇止めになる旨を伝えられた。
その後,神戸東労基署から,Y に対し,X の雇用継続について話し合いの機会をもつよう指
導があった。そこで,X と Y は雇用継続について話し合い,H17・4 以降に更新する旨の雇用
契約を締結した(契約書には,H17・9・30 を最終とする旨が記載されていた。)
X は,雇用契約上の地位にあることを確認するよう求めるとともに,H17・10 以降の賃金相
当額の支払いを求めた。これに対して,Y は,H17・9・30 に雇用期間が終了し,X との雇用契
約は終了したと主張している。
②
争点
ア
XY 間の雇用契約が期間の定めのない雇用契約か。
イ
H17・8・31 に,同年 10 月以降も契約関係を継続する旨の合意が成立したか。
ウ 解雇ないし雇止めの効力
③
判旨
ア
XY 間の雇用契約は,期間の定めのあるものと認められる。
∵
面接の際,期間の定めのある契約社員として雇用される旨の説明を受けた後,H14・
12・18,契約期間に 2003・1・1 から 2003・12・31 までとする旨の一義的な明確な記
載がある契約書を作成している。
イ 雇用契約の更新する旨の合意が成立したとは言えない。
ウ 雇用契約終了の原因は契約期間満了によるものであって,解雇によるものではない。
期間の定めのない労働契約と同視することはできないのみならず,H17・10 以降の雇用
継続に対する X の期待利益に合理性があるとは認められない。
∵ ①契約期間満了に際して契約書が作成されていること,②M 社での SV 業務終了を告
61
げる際,X は,
「自分でも就職先を見つける努力をして欲しい。新しい就職先がみつから
ない場合,契約期間を短縮することになるかもしれない。
」旨伝えられていたこと,③そ
の後,X は,Y に対し,経歴書の虚偽記載をめぐって明確な不信感を表明して非難をし,
今日に至っていること,④X は,病気休暇を取るなどして約2ヶ月間休んだりしたこと,
⑤X は,H15・11 頃に Y と話し合いの機会をもったものの,経歴書の虚偽記載をめぐっ
て Y を非難し,担当業務について SV 業務に就きたい旨の希望を表明しても,その希望
が直ちに受け入れられないとされる状況にあったこと,⑥Y は,X の就労先であった神
戸事務所の閉鎖に伴い,H17・3 末をもって X との雇用契約を終了しようとしたところ,
X が労基署へ和解の申立てをする等し,
同監督署の指導がされた結果,X と Y との間で,
更新条件につき H17・9 末を最終とする旨の記載のある雇用契約を締結していること,
等の諸般の事情が認められる。
62
2-B
派遣労働契約の成否(契約の性質)が問題となった事案
東方技研事件(東京地裁H21・1・30)f
①
事案の概要
中国会社(A 社)
↓
基本契約(X ら2名を派遣)
派遣元(東方技研㈱=被告 Y)
派遣先
労働者(原告 X1,X2)
Y は,A 社との間で,A 社が雇用した技術者を Y の仕事に従事させるため,以下の内容の基
本契約書を作成。
・A 社は,技術者と3年間雇用契約を締結し,日本でのすべての活動に関して Y が管理するよ
う委託。
・技術者1人に対し,Y は毎月 A 社に対し35万円の派遣費用を支払い,技術者が個人的な理
由で仕事をしなかった場合には,Y は派遣費用を支払わない。
・ビザの申請,延長について,A 社は,Y に対し必要な資料を提供して手続を委託する。
・A 社の授権の上で,Y は,A 社と技術者が締結した契約書に基づき,技術者に生活費用と交
通費を支払う。
・技術者が個人的な理由で一方的に Y の仕事を辞める場合には,Y は直ちに A 社に通知し,技
術者に生活費用と交通費の支給を停止し,A 社と協力して技術者を中国に帰国させるよう催促
する。
平成 16 年,A 社と X1,X2 との間で雇用契約書が締結され,3 年間にわたって研修が行われ
た。H18・3・2 付で X1 が,同 3 付で X2 が A 社との間で,雇用契約書を作成し,ビザの発給
を受けた。その後,Y の下で3カ月官研修を受け,Y から指示された派遣先で働き始めた(H19
・5 まで各延べ4社)。
H19・5 頃,X1らから辞めたいという希望が出たので,Y はX1らに派遣先での仕事をやめ
るよう指示し,A 社をやめることはできないと伝えるとともに,派遣先には派遣を更新できな
い旨を伝えた。X1らは,日本国内の別の会社に就職した。Y は,A 社から5月以降は 35 万円
を払わずによく,X1らが違約金を払わない限りは4月分,5月分の賃金は払わなくてよいと
言ってきたので,X1らが未払い賃金の支払いを求めた。
63
② 争点
ア X1 らと A 社との関係
イ
X1らと Y 社との関係(雇用契約の成否)
③ 判旨
ア X1 らは,A 社の従業員として Y に派遣されたと認めるのが相当。
∵
A 社においては,日本における派遣先の確保,Y においては,人材確保と中国への発
注先の確保という両社の利益が一致するところから基本契約の締結に至ったと認められ
る。
イ Y と日本の派遣先企業との関係も派遣元と派遣先の関係にあるということができるので
X1 らは,A から Y 社へ,Y 社から日本の派遣先企業へと二重に派遣されていたといえる。
∵ Y の立場は,A 社からの派遣先であるが,派遣先でありながら,雇用契約書を作成し
たり,源泉徴収票を発行したりしたのは,A 社からの派遣という形態では X1らが日本
に就労ビザで入国することが出来ないため,Y の従業員であるとの形式を整えるためで
あったと認められるが,Y は研修を行って X1らを受け入れるか否かの判断をし,X1ら
の派遣先を探し,そこで X1らに対して就労を指示して就労させた上,派遣先での就労
についても報告を求めていたこと等に照らすと,労働者派遣における派遣先としての位
置づけにとどまらず,X1 らに対して指揮命令していたとみるのが相当。
ウ X1らと Y との間にも雇用契約が存在したものと認められる以上,賃料の支払義務があ
ることは当然。
64
3
派遣先と労働者との間の労働契約の成否が問題となった事例
(1)パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件(最判H21・12・18)g
①
事案の概要
派遣元(C 社)
派遣先(Y 社)
労働者(原告 X)
X は,H16・1に Y 社の請負会社の一つである C 社に採用され,Y 社の工場での就労を開始
した。契約は2カ月で更新あり,持久性,本件工場内での就労等を内容とし,H17・7 まで契
約書等を作成しないまま更新された。X は,H17・4 頃から Y 社に対して,直接雇用を申し入
れるとともに,組合に加入して団体交渉を通じて直接雇用を働きかけた。大阪労働局に対し,
職安法 44 条ないし労働者派遣法違反があるとの申告を行い,大阪労働局は,Y 社に労働者派遣
への切り替え等の是正指導を行った。Y 社は,製造ライン従事者を派遣労働者に切り替えるこ
ととし,C 社は,請負業務から撤退することとなった。X は C 社から他部門への移動を打診さ
れたが断り,7月 20 日限りで退職した。この前後を通じて,組合と Y との交渉がなされ,X
は期間の定めのない契約締結を求めたが,Y 社は H18・1 末日までの有期契約とすることを譲
らなかったため,X は別途意義をとどめる旨を示した上で,契約書に署名した。
X は,8月 23 日から Y に直接雇用されて本件工場で就労した。従前の業務と異なる作業に
従事することを命じられたことから,11 月になって,期間の定めのない雇用契約上の地位にあ
ることの確認等を求める本件訴訟を提起した。Y は,本件工場での当該作業が終了すること等
を理由として,H18・1・31 の期間満了により契約が終了する旨を 12 月初旬に通知し,同日以
降の X の就労を拒否した。
X は主位的には,Y との間に期間の定めのない黙示の労働契約が成立しているとして解雇無
効を主張し,予備的に雇い止めは信義則に反することを主張して,地位確認,賃金支払等を求
めた。
② 争点
ア X と Y との間の労働契約の成否
イ 雇い止めの適法性
ウ 慰謝料の支払義務の存否
65
③
判旨
<1審(大阪地裁)>
X の Y における就労の実質は労働者派遣である。(労働契約は成立していない。
)
ア
∵
X らは Y に出向中の B 社の従業員から指揮命令を受けており,その実態は「偽造請負
の疑いが極めて強い」とはいえ,X と Y との間に賃金支払い関係はなく,資本関係等の
面で Y と C 社とが実質的に一体であるとも言えない。
製造業派遣の解禁から1年後以降,労働者派遣法に基づいて Y に雇用契約申込義務が発
生したとしても,申込みが実際になされていない以上雇用契約が締結されたわけではない
し,違法状態をもって直接雇用に転化するわけでもないので,Y との雇用契約は成立しな
い。
イ 雇い止めは有効
∵ X と Y との間で直接締結された雇用契約は H18・1 末の終了が予定されていたとこ
ろ,期間の定めが無効であるとは言えないし,雇用継続が期待されるような状況では
なかった。
<控訴審(大阪高裁)>
ア
Y と C 社との間の契約は「労働者供給契約」というべきであり,仮に労働者派遣契約に
当たるとしても,改正前の労働者派遣法では製造業務への労働者派遣が一律に禁止されて
いたことからすると,「脱法的な労働者供給契約として,職業安定法 44 条及び中間搾取を
禁じた労働基準法6条に違反し,強度の違法性を有し,公の秩序に反するものとして民法
90 条により無効」となり,製造業派遣解禁後も派遣法違反状態が継続していたから,当初
の違法状態を引き継いで,Y・C 社間,X・C 社間の各契約は,締結当初から無効。
黙示の合意により労働契約が成立したかどうかは,当該労務供給形態の具体的実態によ
り両者間に事実上の使用従属関係,労務提供関係,賃金支払関係があるかどうか,この関
係から両者間に客観的に推認される黙示の意思の合致があるかどうかによって判断するの
が相当であるところ,無効な契約関係かの就労実態を基礎づけられるのは,両者の使用従
属関係,賃金支払い関係,労務提供関係等の関係から客観的に推認される XY 間の労働契
約のほかなく,両者の間に黙示の労働契約の成立が認められる。そして,その雇用契約の
内容は,X・C 社間の契約における労働条件と同様と認めるのが相当。
このように,X と Y との間に更新を前提とした黙示の期間契約が成立し,契約書の期間
の定め,従事業務に X が異議をとどめていたのであるから,本件契約書により合意内容が
変更されたとはいえず,Y が 1・31 付で契約を終了したことは解雇に当たるところ,解雇
66
権の濫用に当たり無効。
イ 仮に雇止めに当たるとしても無効。
<最高裁> 原判決一部破棄・自判
ア
請負人による労働者に対する指揮命令がなく,注文者がその場屋内において労働者に
直接具体的な指揮命令をして作業を行わせているような場合には,たとい請負人と注文
者との間において請負契約という法形式が取られていたとしても,これを請負契約と評
価することはできない。そして,上記の場合において,注文者と労働者との間に雇用契
約が締結されていないのであれば,上記3者間の関係は,労働者派遣法 2 条 1 号にいう
労働者派遣に該当すると解すべきである。そして,このような労働者派遣も,それが労
働者派遣である以上は,職業安定法4条6項にいう労働者供給に該当する余地はない。
X は C 社と雇用契約を締結し,Y 社の従業員に具体的指揮命令を受けていたから派遣
労働者に当たるところ,仮に労働者派遣法に違反する労働者派遣が行われた場合におい
ても,特段の事情のない限り,そのことだけによっては派遣労働者と派遣元との間の雇
用契約が無効になることはないと解すべきである。そして,X と C 社との間の雇用契を
無効と解すべき特段の事情はうかがわれないから,上記の間,両者間の雇用契約は有効
に存在していたものと解すべきである。
イ Y は,C 社による X の採用に関与していたとは認められないのであり,X が C 社から
支給を受けていた給与等の額を Y が事実上決定していたと言えるような事情もうかがわ
れず,かえって,C 社は,X に他の部門に移るよう打診するなど,配置を含 X の具体的
な職業態様を一定の限度で決定しうる地位にあったものと認められるのであって,以上
の事実を総合しても,H17・7・20 までの間に,X と T との間において雇用契約関係が
黙示的に成立していたものと評価することはできない。
ウ 直接締結された X と Y との間の雇用契約は一度も更新されていない上,上記契約の更
新を拒絶する旨の Y の意図はその締結前から X 及び組合に対しても客観的に明らかにさ
れていたということができる。そうすると,上記契約はあたかも期間の定めのない契約
と実質的に異ならない状態で存在していたとはいえないことはもとより,X においてそ
の期間満了後も雇用関係が継続されるものと期待することに合理性が認められる場合に
当たらない。X と Y との間の雇用契約は,H18・1・31 をもって終了したものと言わざ
るを得ない。
67
(2)伊予銀行・いよぎんスタッフサービス事件(最高裁 H21・3・27)h
①
事案の概要
派遣元(伊予銀ビジネス(株)=
(いよぎんスタッフサービス(株)=
A社)
被告 Y2)
派遣先
(伊予銀行(株)=被告 Y1)
労働者(原告 X)
Y2 はその親会社であるY1と関連会社に対して労働者派遣を行うことを目的として設立さ
れた会社である。X は,S62・2 に,A社に派遣労働者として雇用されたが,H1・12・1 にA
社は派遣事業部門の営業をY2に譲渡し,Xとの雇用関係もY2 に承継された。Xは,S62・5
以降,雇用契約期間を6カ月として,Y1 に派遣されてその支店業務に従事していた。その後,
契約が更新されて,H12・5・31 までY1において就労していた。Y1 が勤務していた支店の
支店長は,H12・3・31,Xに対して同年5末に期間が終了する労働者派遣契約を更新しない
旨を伝え,Y2 にもその旨を通知した。さらに,Y2 は,Xとの派遣労働契約も同年5月末の期
間満了をもって更新しないこととして,退職手続書類をXに送付した。
Y2 が,H12・5・31 をもって X の労働者派遣を終了したこと(本件雇止め)に関し,雇止め
に至る経過に,Y1,Y2の種々の違法行為が存在し,雇止め(更新拒絶)は違法,無効である
などと主張して,また黙示の労働契約が成立しているとして,雇用契約関係存在確認,賃金請
求及び,損害賠償の請求をした。
②
争点
ア X と Y2との間の雇用契約関係が登録型か常用型か,また本件雇止めに解雇権濫用法理
が適用されるか。
X と Y1との間に黙示の労働契約が成立しているか。
イ
③
判旨
<一審(松山地判H15・5・22)>
ア
X と Y2との間の雇用契約は登録型の雇用契約であり,H12・5・31 の経過により終了
している。
∵ 有期雇用契約が当然更新を重ねるなどして,あたかも期間の定めのない契約と実質的
68
に異ならない状態で存在している場合,あるいは期間満了後も使用者が雇用を継続すべ
きものと期待することに合理性が認められる場合には,当該有期雇用契約の更新拒絶を
するにあたっては,解雇の法理が類推適用され,当該雇用契約が終了となってもやむを
得ないと言える合理的な理由がない限り許されないというべきであり,そのことは登録
型派遣契約の場合でも同様である。
本件において,Xが派遣による雇用継続について強い期待を抱いていたことは明らか
であるが,派遣法は,派遣労働者の雇用の安定だけでなく,派遣先の常用労働者の雇用
の安定(常用代替防止)をも立法目的とし,派遣期間の制限規定を置くなどして両目的
の調和を図っているところ,同一労働者の同一事業所への派遣を長期間継続することに
よって派遣労働者の雇用の安定を図ることは,常用代替防止の観点から同法の予定する
ところではないので,Xの雇用継続に対する期待は,派遣法の趣旨に照らして,合理性
を有さず,保護すべきものとはいえない。
XとY2 との登録型派遣契約は,Y1とY2との派遣契約の存在を前提とする契約で
あるところ,この基本的性質が変容したと認めるに足りる特段の事情は認められず,派
遣契約は期間が完了し,更新がなされなかったことにより終了したと認められる。
そして,当該雇用契約の前提たるY1 とY2 との派遣契約が期間満了により終了したと
いう事情は,当該雇用契約が終了になってもやむを得ないと言える合理的な理由にあた
る。
イ X と Y1との間に黙示の雇用契約が成立したとも認められない。
∵ 派遣元の存在が形式的名目的なものに過ぎず,派遣労働者の業務の分野・期間が派遣
法で定める範囲を超え,派遣先の正規職員の作業と区別し難い状況となっており,また,
派遣先において派遣労働者に対して作業上の指揮命令,その出退勤等の管理を行うだけ
でなく,その配置や懲戒等に関する権限を行使するなど,実質的に見て,派遣先が派遣
労働者に対して労務給付請求権を有し,かつ賃金を支払っていると認められる事情があ
る場合には,明示の派遣契約は有名無実のものに過ぎないというべきであり,派遣労働
者と派遣先との間に黙示の労働契約が締結されたと認める余地がある。
本件において,Xの雇用及び派遣体制には少なから問題があることは否めない(派遣
法が禁止する事前面談等の派遣労働者の特定行為が行われた可能性が極めて高い,派遣
対象業務外の業務を行わせてきた。雇用契約の更新が繰り返されてきたことにより派遣
が 13 年もの長期にわたっていて,派遣法の趣旨に反した取扱がなされている。
)が,他
方,Y2 は社会的実体を有する企業であり,Xの就業条件,採用の決定,さらにはXへ
の賃金の支払いはすべてY2 において行われているのであるから,XとY2 との雇用契
69
約が有名無実ものであるとは言い難い。
<控訴審>
アについて,Y2 と X との間の雇用契約は,派遣先での就労を前提として,半年ごとに契約を
更新する登録型の雇用契約であって,常用型の雇用契約とは言い難く,解雇権濫用法理が類推
適用されることはなく,X に対する雇止めは有効。
<最高裁> 上告不受理
(反対意見)
X が当初は特定労働者派遣事業を行っていた伊予銀ビジネスサービスに雇用され,その
ア
後 13 年にわたり伊予銀ビジネスサービスないし Y2との間で雇用契約を更新され,継続的
に Y1社に派遣されていたこと等から,X が常時雇用される労働者であって,X と Y2社
との雇用契約関係が常用型にあたると解する余地がある。
イ
長期にわたって雇用契約の更新が繰り返されてきた労働者については,派遣労働者であ
っても雇止め法理が適用される場合があり得ることから,更新拒絶について合理的な理由
の存否の判断が必要となる。
70
(3)マイスタッフ事件 東京高裁 H18・6・29(労働判例921号5頁)i
①
事案の概要
派遣元(㈱マイスタッフ=被告 Y2)
派遣先(一橋出版)被告 Y1
労働者(原告 X)
X は、マイスタッフに登録した昭和62年から、合計4年間に渡り、各種出版社で派遣社員
として就業していた。平成12年、マイスタッフは,一橋出版から,本件編集業務等の遂行の
ための派遣社員1名の派遣依頼を受けたが,派遣希望登録者に適当な人材がなかったため、改
めて募集を行い、すでにスタッフ登録してた X を採用することに決定した。これによって、X
はマイスタッフとの間で、派遣先を一橋出版、業務内容を編集業務(家庭科教科書校正及びそ
れに付随する業務),雇用期間を 6 か月とする派遣労働契約を4回締結し、派遣先の一橋出版
において継続して通算2年間就労した。その後、派遣労働契約の派遣期間満了により労働契約
は終了した、とされた。
これに対し、X が一橋出版との間における黙示の雇用契約の成立を主張し,かつ労働契約関
係の終了の効力を争い,被控訴人ら各自に対し,マイスタッフとの間の派遣労働契約の存在及
び一橋出版との間の労働契約の成立を前提とする労働契約上の地位の確認を求めるとともに,
同契約に基づき,未払賃金の支払いを求めた事案である。
原審は,控訴人の本件請求をいずれも棄却したので,これを不服とする控訴人が控訴した。
②
争点
ア 黙示の労働契約の成否(X と派遣先との関係)
イ 法人格否認の法理による労働契約の成否(X と派遣先との関係)
*「法人格否認の法理」の適用
一橋出版が,その子会社であるマイスタッフの法人格と労働者派遣事
業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法
律(以下「労働者派遣法」という。)を濫用している。
↓
控訴人との関係においてマイスタッフの法人格が否認され,一橋出版
と控訴人との間の労働契約の成立が是認できる
→マイスタッフと X との間の派遣労働契約の派遣期間満了によって、
労働契約関係は終了しておらず、X は労働者としての地位を有する。
71
ウ 雇い止めの有効性(X と派遣元の関係)
③ 判旨
ア 黙示の労働契約は成立していない。
労働契約も他の私法上の契約と同様に当事者間の明示の合意によって締結されるばかり
でなく,黙示の合意によっても成立し得るところ,労働契約の本質は使用者が労働者を指
揮命令及び監督し,労働者が賃金の支払いを受けて労務を提供することにあるから,黙示
の合意により労働契約が成立したかどうかは,明示された契約の形式だけでなく,当該労
務供給形態の具体的実態により両者間に事実上の使用従属関係があるかどうか,この使用
従属関係から両者間に客観的に推認される黙示の意思の合致があるかどうかによって判断
するのが相当である。
そして,・・労働者が派遣元との間の派遣労働契約に基づき派遣元から派遣先へ派遣さ
れた場合でも,派遣元が形式的存在にすぎず,派遣労働者の労務管理を行っていない反面,
派遣先が実質的に派遣労働者の採用,賃金額その他の就業条件を決定し,配置,懲戒等を
行い,派遣労働者の業務内容・期間が労働者派遣法で定める範囲を超え,派遣先の正社員
と区別し難い状況となっており,派遣先が,派遣労働者に対し,労務給付請求権を有し,
賃金を支払っており,そして,当事者間に事実上の使用従属関係があると認められる特段
の事情があるときには,上記派遣労働契約は名目的なものにすぎず,派遣労働者と派遣先
との間に黙示の労働契約が成立したと認める余地があるというべきである。
→マイスタッフは,形式的かつ名目的な存在ではなく,派遣先とされる被控訴人一橋出版
との関係においても,派遣元としての独立した企業又は使用者としての実質を有しており,
具体的な被控訴人一橋出版への労働者派遣という場面においても一体ではなく,その企業
又は使用者としての独立性があり,本件全証拠によっても,被控訴人一橋出版が実質的に
控訴人の募集・採用を行い,賃金,労働時間等の労働条件を決定して控訴人に賃金を支払
っていたと認定することはできず,そして,控訴人も自己が被控訴人マイスタッフの派遣
社員であることを理解していたのであるから,就労の具体的実態から,被控訴人一橋出版
と控訴人との間に事実上の使用従属関係があり,労働契約締結の黙示の意思の合致があっ
たものと認めることはできない。
したがって,控訴人と被控訴人一橋出版との間に黙示の労働契約が成立したと認めるこ
とはできない。
イ
被控訴人一橋出版が,被控訴人マイスタッフの法人格と労働者派遣法を濫用していると
72
は認められないから,一橋出版と控訴人との間の労働契約の成立を認めることはできない。
∵ 一般に,法人格濫用の法人格否認の法理は,法人格を否認することによって,法人の
背後にあってこれを道具として支配している者について,法律効果を帰属させ,又は責
任追求を可能にするものであるから,その適用に当たっては,法人を道具として意のま
まに支配しているという「支配」の要件とともに,法的安定性の要請から,「違法又は
不当な目的」という「目的の要件」も必要であると解される。
→マイスタッフにおいては,一橋出版への労働者派遣という場面においても独立性があ
り,他方,被控訴人一橋出版は,マイスタッフとの間の労働者派遣契約に基づき,労働
者の派遣を受けていたものであって,・・・一橋出版が労働者派遣という雇用制度を悪
用し,派遣会社である被控訴人マイスタッフを上記のような直接雇用の責任回避という
不当な目的を実現するために利用していることを具体的に裏付ける事情を認定すること
はできない。
ウ 雇い止めは有効で、雇用は終了している。
∵
本件派遣労働契約が期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態で存在している
場合、あるいは本件最後の派遣労働契約の期間満了後も使用者が雇用を継続すべきものと
期待することに合理性が認められる場合には当たらないというべきであるから、・・・マ
イスタッフによる当該労働契約の不当な更新拒絶(いわゆる雇い止め)はなく、解雇の法
理を類推すべき前提も欠いているので、・・同雇用期間満了により本件最後の派遣労働契
約も・・有効に終了したというべきである。
73
(4)ジェイエスキューブほか事件 東京地裁 H21・3・10 (労働経済判例速報 2042 号 20 頁)j
① 事案の概要
派遣元(ジェイエスキューブ被告 Y1)
派遣先(ドコモ・サービス被告 Y2)
労働者(原告 X)
X は、平成8年にジェイエスキューブ(Y1)と雇用期間を原則3か月とする雇用契約を締結
し、更新を重ね、平成13年には期間の定めのない派遣型正社員となった。平成10年以降は
派遣先のドコモ・サービス(Y2)で、携帯電話の未払い料金回収業務に従事していた。Y2 では
回収金額に応じて報奨金を支払う個人インセンティブ制度を実施しており、Y1は Y2の依頼を
受け、報賞金相当額を Y2 に請求・受領し、X に対して派遣料に含めて支払っていた。しかし、
平成20年3月をもってかかる制度が廃止された。
そこで、X は、Y2 に対し雇用契約上の地位確認を求めるとともに、Y1Y2 に対しインセンティ
ブ報酬の請求権を有する雇用契約上の地位の確認と、かかる額を含む賃金支払を求めた。
② 争点
ア X と Y1 との間の雇用契約の関係の存否
イ X の Y らに対する報酬請求権の存否
③判旨:いずれも否定。
ア Y2 が労働者派遣法40条の5の規定に基づく雇用契約の申込義務を負ったということは
できない。
∵ X が、
「労働者を雇い入れようとするとき」という要件に該当する事実について、具体
的な主張・立証をしていない。
イ いずれに対してもかかる請求権はない。
(ア)Y1 との間で、報酬支払の合意はなく、本件報奨金は賃金でもない。
∵ Y1 の従業員就業規則及び賃金規程上、本件・・報酬に関する規定はなく、Y1 から毎
年交付される給与辞令上も給与として取り扱われていない。Y1 は、本件インセンティ
ブ制度に基づく報酬についての詳細を承知しておらず、Y2から受け取った金員をその
まま「能率給」の名目で・・支払っていた。本件インセンティブ制度に基づく報酬は、
74
Y2 が X に対し、Y1 を通じて支払っていたものにすぎない。Y らの間で、同報酬の支払
事務の委託という関係を超えて、同報酬又はこれに相当する金員にかかる履行請求権
を X に与えるという内容の合意が存したとまで認めることはできない。
(イ)Y2 の本件インセンティブ報酬の支払が雇用契約上の義務の履行ということはできない。
∵(X が Y2 において労務を提供したことに対する対価であるとの性質を否定することは
できない、とした上で)Y2 は派遣先事業主にすぎず、労働者派遣法40条の5の規定
により雇用契約関係が生じるものでもない。・・・(本件報酬の支払は)一種の恩恵的
な給付といわざるを得ない。Y2 が X に対して約10年にわたって同報酬を支払ったか
らといって、当然にその性質に変化が生じ、当事者間に契約上の権利義務関係が生じ
るものでもない。
以上
75
Ⅲ
整理解雇と解雇権濫用法理
担当
清水信寿・南勇成
第1 はじめに
1
整理解雇と解雇権濫用法理の現代的意義
(1)整理解雇とは
「企業経営の合理化、またはその整備に伴って生じる余剰人員を整理するために行われる
解雇」を指し、使用者の経営上の理由による解雇で、労働者にその責めに帰すべき事由の
ないものをいい普通解雇の一種である。
cf).
「普通解雇」とは、使用者の一方的意思表示により行う労働契約の解約
をいい、「懲戒解雇」と対比する意味を込めて「普通」「解雇」という。
(2)解雇権濫用法理
日本食塩製造事件(最小二判昭50.4.25)
「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是
認することができない場合には、権利の濫用として無効になる。」
↓
上記法理は、平成15年労基法改正にて労働基準法18条の2で明文化
↓
労働契約法16条へ
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、
その権利を濫用したものとして無効とする。」
(3)両者の関係
解雇権濫用法理における「解雇の合理的理由」とは
①労働能力または適格性の欠如・喪失
②労働者の規律違反
③経営上の必要性
④ユニオン・ショップ協定に基づく組合の解雇要求
のいずれかが存在する場合を指すものとされ、整理解雇の上記③に該当するかが問題となる。
(3)現代的意義
整理解雇の正当性は、解雇自由の原則を前提とした終身雇用制・年功序列制に基礎を置
く解雇権濫用の法理との関係から判断される。
76
そのため整理解雇と解雇権濫用法理は、従前、大企業における使用者対労働者の関係を
念頭においた議論がなされてきた。
ところが、終身雇用制・年功序列制の崩壊と共に、多様な雇用形態が形成され労働力の
自由化が進む昨今、従前の議論を改めて見直す必要が生じてきた。
とはいうものの、大企業における使用者と労働者の関係は、中小零細企業におけるそれ
や、パートタイマー・期間雇用者との関係とは現代においても厳然とした差異が存在して
いることは忘れてはならず、本稿では大企業における使用者と労働者という基本的対立軸
を念頭に、以下、分析をしていく。
2
整理解雇の4要件の確立からその後の裁判例の状況
(1)4要件の確立はオイルショック後の昭和50年代から
①客観的に人員整理の業務上の必要性があるか
②整理解雇回避努力は尽くされたか
③被解雇者選定基準に合理性はあるか
④整理解雇にあたり労働者と誠意ある協議をつくしたか
(2)最高裁事務総局 昭和56年当時の考え方
「解雇自由」
「経営権優先」が基本であり、4要件は解雇権濫用を判断する考慮要素に過ぎな
い。
(3)東洋酸素事件(東京高判昭54.10.29)
「解雇が右就業規則にいう「やむを得ない事業の都合」によるものと言い得るためには、第
一に、右事業部門を閉鎖することが企業の合理的運営上やむを得ない必要に基づくものと認
められる場合であること、第二に、右事業部門に勤務する従業員を同一又は遠隔でない他の
事業場における他の事業部門の同一又は類似職種に充当する余地がない場合、あるいは右配
置転換を行つてもなお膳企業的に見て剰員の発生が避けられない場合であって、解雇が特定
事業部門の閉鎖を理由に使用者の恣意によつてなされるものでないこと、第三に、具体的な
解雇対象者の選定が客観的、合理的な基準に基づくものであること、以上の三個の要件を充
足することを要し、特段の事情のない限り、それをもつて足りるものと解するのが相当であ
る。」
※この裁判例は4要件説を確認したものか、3要件説を打ち出したものか、と評価に争
いがあるが代表的な裁判例であるため紹介する。
77
(4)バブル崩壊の平成初頭から「4要素説」ないし「総合考慮説」の台頭
ア 潮流の変化
平成初頭のバブル崩壊からの事業再構築の中で、東京地裁を中心として整理解雇に対する
裁判所の考え方が強く主張されるようになる。
すなわち、
「整理解雇の4要件は、あくまでも解雇権の濫用にあたるかどうかを判断するた
めの類型的な判断要素にすぎないから、その1つひとつを分断せずに全体的・総合的にとら
えるべきである」(三浦隆志「現代裁判法体系21」
「12整理解雇」新日本法規)との指摘
を受け、裁判所の判断は、いわゆる4要素説ないし総合考慮説と呼ばれる判断枠組に依拠す
るようになる。
イ
裁判例
・ ナショナル・ウエストミンスター銀行事件(東京地判平12.1.21)
4要素説を採用したうえで、4要素のみならず整理解雇における「退職条件の有無・程度
」も考慮の対象にしている。
「いわゆる整理解雇四要件は、整理解雇の範疇に属すると考えられる解雇について解雇権
の濫用に当たるかどうかを判断する際の考慮要素を類型化したものであって、各々の要件が
存在しなければ法律効果が発生しないという意味での法律要件ではなく、解雇権濫用の判断
は、本来事案ごとの個別具体的な事情を総合考慮して行うほかない」
・ 角川文化振興財団事件(東京地判平11.11.29)
(5)平成13年4月以降の裁判例における判断枠組
4要件説を明示的に採用する裁判例は極く少数であり、4要素説、総合考慮説を採用する
ものが多数
① 4要件説を採用する裁判例
・マルソー上田木材事件(津地上野支決平14.9.3)
・乙山鉄工事件(前橋地判平14.3.15)
・東北住電装事件(長野地上田支決平15.11.18)など
② 4要素説、総合考慮説を採用する裁判例
・平和学園高校(本訴)事件(東京高判平15.1.29)
「整理解雇も普通解雇の1類型であって、ただ経営状況等の整理解雇に特有な事情があ
ることから、整理解雇の適否を判断するに当たっては、それらの事情を総合考慮しなけ
ればならないというものに過ぎないのであって、法律上整理解雇に特有に固有の解雇事
由が存するものとして、例えば、上記4要件がすべて具備されなければ整理解雇が解雇
権の濫用になると解すべき根拠はないと考えられる。
」
78
・労働大学(第2次仮処分)事件(東京地決平13.5.17)
・東洋印刷事件事件(東京地判平14.9.30)
・大誠電機工業事件(大阪地平13.3.23)
・鐘淵化学工業(東北営業所A)事件(仙台地決平14.8.26)
・ミニット・ジャパン事件(岡山地決平13.5.22)
・奥道後温泉観光バス事件(松山地判平14.4.24)
・北海道交通事業協同組合事件(札幌高判平14.4.16)
・宝林福祉会(調理員解雇)事件(鹿児島地判平17.1.25)など
79
第2 基本4要件の整理
1
人員整理の業務上の必要性
(1) 背景
オイルショック後、ブルーカラーを中心とした工場の整理解雇事案が多かった
→ 第2次産業などの資産を持った会社を念頭に置いている
cf).ベンチャー企業
(2) 人員整理の業務上の必要性を判断する際の経営内容3パターン
ア 防衛型
倒産の危機に瀕しているため、緊急に人員整理を行う必要性がある場合
イ 予防型
将来、経営危機に陥る可能性があり、その危険を避けるために今から人員整理を行う必
要性がある場合
ウ 攻撃型
将来的にも経営危機に陥る可能性はないと予想されるが、採算性の向上を図る目的で余
剰人員の整理を行う必要がある場合
(3)上記3パターンと解雇回避措置との関係
2
解雇回避措置の実施
(1)整理解雇回避の具体的措置(原則として順に行われることが望ましい)
ア 経費削減
イ 時間外労働の削減
ウ 新規採用の中止
エ 昇給停止
オ 賞与支給の中止
カ 配置転換
キ 労働時間の短縮
ク 一時帰休
ケ 非正規社員の労働契約の解消
コ 希望退職の募集
(2)具体的措置の方法・程度は企業規模・従業員構成・経営内容から検討する
80
3
被解雇者選定基準の合理性
(1)合理的な基準とは
①人選の基準が設定されていること
②設定された基準に合理性があること
③適用の公平性
密着度・貢献度・被害度をもとに設定する
「密着度」
・・・雇用形態(正社員か、契約社員か、パートか等)
「貢献度」
・・・能力・人事考課・出勤率・スキル等
「被害度」
・・・解雇されることによる労働者が脅かされる生活
の程度、経済的打撃の程度
(2)具体的に解雇対象者を選定するにあたり
密着度を第1基準に、貢献度を第2基準に、被害度は貢献度が同等な従業員の場合の判
断基準とする
←適用には公平性を重視し、使用者の主観的判断の入り込む余地が少ないようにできる
だけ客観的具体的な基準を適用する
(3)基準を明示することの是非及びその必要性
4
手続きの合理性
(1)手続的プロセスの相当性
・手続的当否の判断であるため裁判所の判断に親しむことを意識
・労働者に対し整理解雇のリスクを判断するための情報を提供するとともに、労働者の受
ける生活上・経済上の不利益となる事情を十分ヒアリングする
(2)労働組合への対応と解雇協議約款・同意約款の存在
(3)資料等の開示
81
第3 整理解雇の時的経過に沿った労使間の攻防
1
あるべき整理解雇手続きとは
飛鳥管理(仮処分)事件(東京地立川支部平21.8.26)のケースを踏まえて
事案の概要
本件は債務者Y社が経営する自動車教習所の八王子校で教習指導員として
勤務していたXら6名が、Y社に対し、平成21年4月15日の各解雇が無
効であるとして、仮の地位の確認および賃金仮払いを求めた事案である。
決定要旨
整理解雇の有効性につき、人員削減を必要とする合理的事情は一応認めら
れるもののその必要性の程度が高度とは言えず、また、選定基準自体には特
段不合理な点は認められないものの、十分な解雇回避措置が講じられたとは
言えず、債務者が債権者らに行った説明・協議手続きは相互理解のうえで行
われたものとは到底いえないのであり、これらの事情からすると、本件各解
雇は解雇権の濫用として無効である。
Y社概要
Y社は、首都圏に事業基盤を有するタクシー事業、自動車教習所事業等の
関連会社からなる企業グループの一員であり、自動車教習所の経営等を目的
として設立された株式会社である。Y社は、八王子校のほか、川口校、ひば
りが丘校を開設して運営していたが、平成20年2月にひばりが丘校を平成
した。Y社の従業員数は、ひばりが丘校閉鎖前の平成20年1月時点で17
3名(八王子校は60名)
、平成21年2月末時点では135名(八王子校は
63名)であった。
時系列
経営状態の悪化?
18年8月
経費削減を実施(正社員の新規採用停止、賃金カット)
20年7月
労働組合と協議し以下を合意
① 平成20年の夏季賞与の不支給
② 「職員数の適正化を図り、人件費年間7000万円を削減する」こと
などを内容とする再建案につき合意
③
希望退職者を募集し予定数に達しない場合には整理解雇を行うことを
告げる
20年10月1日~15日
希望退職者の募集(基準内賃金の2か月分相当額を特別退職金として支給
82
する旨の条件)したが、応募者はおらず
20年12月4日 組合と団体交渉により以下を合意
①
当面の間、再建案の凍結
②
再建案を実施せざるを得ない場合の組合との誠実協議、諸資料の開示
21年2月24日・3月3日
整理解雇を行う方針を決めた会社が組合と団体交渉
組合は整理解雇に反対
21年3月4日~5日
Xら6名に対し、4月15日付で解雇する旨の意思表示
21年3月17日・4月15日
転籍の申し入れをしたが、Xらからは回答なし
2
整理解雇の必要性
(1) 裁判所に考える業務上の人員削減の必要性の程度は
「企業の維持・存続が危殆に瀕する程度に差し迫った必要性があること」から
「企業の合理的運営上やむを得ない必要に基づくものと認められる場合」へ緩やかに変化。
→ 背後には総合考慮説の台頭。整理解雇の必要性の程度が小さければ、他の要素で厳格に
判断される。
(2) 不採算部門等の閉鎖と人員削減の必要性(全体をみるか一部をみるか)
ア 企業の不採算部門の閉鎖に伴う余剰人員の削減につき、
「企業全体として黒字であったとしても、事業部門別に不採算部門が生じている場合に
は、経営の合理化を進めるべく赤字部門について・・・経営改善を図ることは・・・経
営判断として当然・・」(鐘淵化学工業事件
仙台地決平14.8.26)
イ 業務の運営システムの機械化により生ずる余剰人員に対する対策につき、
「GPSシステムを採用することは企業運営上合理的なものと認められるし、GPSシステム
の採用によって無線センターに採用された職員のうち6名が余剰人員となる判断も不合
理とは認められない」(北海道交運事業協同組合事件 札地判平12.4.25)
ウ このとおり、整理解雇のためには、合理的必要性が要求され、単に採算性の向上や利益追求
目的のみでは人員削減の必要性ありとは認められない流れ
→→しかしながら
・ ナショナル・ウエストミンスター銀行(第二次仮処分)事件(東地決平11.1.29)
「企業が単に余剰人員を整理して採算性の向上を図るだけであっても、企業経営上の観点
83
からそのことに合理性があると認められるのであれば、余剰人員の削減の経営上の必要性
を肯定することができる。」
・ ナショナル・ウエストミンスター銀行(第三次仮処分)事件(東地判平12.1.21)
「リストラクチャリングは限られた人的・物的資源を戦略上重要な事業に集中させ・・・
・競争力の強化を図ることを目的とするものであり、
・・・・企業において余剰人員の削減
が俎上に上ることは経営が現に危機的状況に陥っているかどうかにかかわらず、リストラ
クチャリングの目的からすれば当然ともいえる。」と判示し、採算性向上を図るためのリス
トラクチャリングに伴う人員削減も肯定しうるとしている
(3) 賃下げと整理解雇
ア 賃下げと整理解雇の前後関係
法律上は使用者が解雇を自由に行うことが出来るに対し、使用者が一方的意思表示により労
働契約の内容を変更する賃金切下げをすることは、理論的には許されない。
ところが、裁判所は、解雇権濫用法理により整理解雇を規制する反面、例外的に、事象とし
ても位置付けであるが、労働条件の不利益変更法理を確立して賃金切下げの可能性を認めてい
る。
つまり、解雇と労働条件の不利益変更は表裏一体の関係にある。
イ 実務での対応
実務では、労働組合に整理解雇か賃下げかを提示してその選択を委ねる。
いずれも拒絶された場合には、会社としては整理解雇を選択する。
→→例外的に整理解雇を選択すると会社再建自体が危ぶまれる場合には、賃金切下げを選択す
ることも許容されうる。
・みちのく銀行事件(最判平12.9.7)
「経営上、賃金切下げの必要性があるならば、各層の行員に応分の負担を負わせるのが通
常であるにもかかわらず、高年齢層の行員の賃金だけが大幅に(約33%~46%)削減
され、他の行員の基本給などは増額されており、結果として全体の人件費は上昇してい
る。
・・・・賃金の減額に応じて業務量が削減されていれば、全体的にみた実質的な不利益
は小さいといえるが、所定労働時間の変更もなく、業務内容も賃金削減が正当化されるほ
ど軽減されているとはいえない」と判示し、賃金切下げの余地を残している。
・ 第四銀行事件(最判平9.2.28)
新たな就業規則の作成や変更は原則として許されないが、賃金の低下を含む労働条件の変
更をせざるを得ない事態となることがあることはいうまでもなく、就業規則の変更に合理性
84
が認められる場合には個々の労働者が同意をしなくとも変更後の就業規則が有効に適用さ
れることもある。
そして、その場合の合理性の有無は
変更により労働者が被る不利益の程度
使用者側の変更の必要性の内容・程度
変更後の内容自体の相当性代償措置
その他の労働条件の改善状況労働組合との交渉経緯
他の労働組合や労働者の反応
同種事項に関する社会の一般状況
などから総合的に判断する、とした。
→→上記最高裁判例の考え方は、労働契約法10条に生かされている。(H19.11.27付 参議院
議員の質問に対する内閣の答弁書)
(4) 雇用形態と整理解雇法理
① 非正規雇用と整理解雇
正社員を整理解雇する際、一般にはまずは非正規社員の労働契約を終了させるべきとさ
れる。非正規社員(派遣労働者、パートタイム労働者、契約社員)の共通性は長期雇用シ
ステム化にないため雇用保障が極めて弱い点である。
まず、派遣労働者については、派遣会社と自社との間の労働者派遣契約に基づき派遣さ
れたに過ぎず、当該労働者派遣契約は企業間における取引契約の性格を持っているに留ま
るため、その解消にあたっては長期雇用システムを考慮する必要がない。
これに対し、パートタイム労働者や契約社員と自社とは契約当事者の関係に立つも正社
員と比較すれば当然その雇用保障は弱いこととなる。
② 非正規社員の労働契約を残して正社員の整理解雇をする余地もある
整理解雇事案のうち、高度の経営危機下の状況では解雇回避努力義務の内容も緩やかに
なりうるし、また、具体的な会社の財務状況や雇用形態のバランスによっては非正規社員
を残して正社員を整理解雇することが最も適切かつ合理的な場合もある。
ナカミチ事件(東地八王子決定平11.7.23)では、派遣労働者が残っていたこと
から解雇回避義務を履行していないとの正社員たる被解雇者の主張に対し、賃金と派遣料
金の差が大きいことを理由に、当該企業の財務状況では、派遣労働者を残すことも相当で
あると判断している。
85
3
整理解雇の準備
(1) 解雇回避策と配転・出向拒否
ア 使用者に配転命令権・出向命令権がある場合
原則として配転命令や出向命令は有効であり、これを拒否した場合には、普通解雇でき
る(業務命令拒否の解雇の正当性の問題)。
もっとも、転勤や出向の真の必要性がない場合(任意退職することを見越して転勤命令、
出向命令を出した場合)には、その実質は退職勧奨とみられることに注意(整理解雇法理
の問題)。
イ 使用者に配転命令権・出向命令権がない場合
配転命令・出向命令拒否を理由として普通解雇は許されない。
その場合の解雇については、一般の整理解雇法理で判断する。
(2) 希望退職と退職勧奨
ア 希望退職の募集と退職勧奨の共通点と相違点
①
意義
希望退職の募集とは、使用者が何らかの上積み条件を提示して労働者の自発的な退職の
意思表示を待つ行為。
退職勧奨とは、使用者が労働者に退職を働きかけて労働者に退職の動機付けをする行為。
② 共通点
いずれも労働者の退職の意思表示・申込を誘引する事実行為であり、結局は合意退職
を目的とする行為であること、解雇回避義務の最終段階に位置づけられる措置であるこ
と、等の点で共通点を持つ。
③ 相違点
希望退職は制度的・画一的であり、退職勧奨は個別的・非類型的であること。
会社の態度として希望退職は消極的であるのに対し、退職勧奨は積極的であること。
イ 希望退職の募集の際に注意すべきポイント
(ア)あるべき希望退職条件
・対象者を限定した希望退職者の募集は許されるが、性別による限定は避けるべき
※
雇用対策法10条との関係(同条は採用における年齢差別を禁止する
のみで、出口(労働契約の終了時)を規制しているものではない)
※
退職勧奨との関係(性別を限定したものは男女雇用機会均等法6条4
号違反となることとの均衡)
86
・退職金の上積みの要否
・退職金の上積みを評価して解雇の有効性を認める裁判例(前掲東京地決平12.1
.21ナショナル・ウエストミンスター銀行(三次仮処分)事件)が存在する一方
で、それを評価しない裁判例が存在(東京地判平15.9.25PWCファイナンシ
ャル・アドバイザリー・サービス事件)
・上積み額について、実質的には2.5ヶ月分の給与額に過ぎず、
「当初から必要な
応募者の確保を期待できないようなもの」だとし、解雇回避措置としては不十分と
した裁判例(東京地判平13.12.19ヴァリグ日本支社事件)に対し、会社負
担による転職斡旋会社のサービスを含む希望退職パッケージ、通常退職金の5割増、
基本給および職務手当の各12ヶ月分、求人情報の提供をした場合で「解雇回避努
力を欠いたということはできない」とした裁判例が存在(大阪地判平12.6.2
3)
・募集期間の扱い
・団交拒否がなされ説明・強力要請もなされずにした10日間の考慮期間は
「性急に過ぎる」とした裁判例(東京地決平7.10.20ジャレコ事件)
・一次、二次の募集期間が各4日間で、二次募集締切後に予告解雇したこと
が疑問である旨判示した裁判例(高松地判平10.6.2高松重機事件)
(イ)会社承認規定の必要性と実務的ポイント
希望退職を募ると、会社にとって有能な人材の流出を招きうる
→そこで、
「希望退職に応募した従業員のうち、会社が承認した者に限って退職とする等の
条項を盛り込んでおく」
・ 神奈川信用農業協同組合事件(最判平19.1.18)
選択定年制による退職に伴う割増退職金について、これは退職の自由を制限
するものではないため、従業員がした選択定年制による退職の申込みに対して
会社が承認しなければ、割増退職金債権の発生を伴う退職の効力を生じる余地
はない。
→ ところが、会社承認規定を加えると希望退職の応募者数が減少する。というの
も希望退職に応じても、会社から承認されない労働者は、ただ「退職する意思が
ある」ことだけ会社に知られることとなってしまうためである。
会社としては有能な人材が流出しないよう、会社承認規定の有無に拘わらず、
水面下での根回しが必要となる。
87
ウ 退職勧奨の際に注意すべきポイント
(ア)退職勧奨を行う前に希望退職の募集を行う
まず、従業員に退職するかどうかの選択の機会を与えることが重要。
(イ)退職上積金を提示
退職勧奨として退職の動機付けをしたのは会社なのであるから、退職上積金を提示す
べき。
(ウ)具体的な退職勧奨の方法
①勧奨する上司は特定人1人か2人程度。従業員の自由な意思を尊重できる雰囲気で行
う。
②時間は20~30分。就業時間中に行う。
③場所は会社施設とし、自宅への押しかけや電話はしない。
④回数は、希望退職募集期間の開始時から終了時まで2、3回。
・下関商業高校事件(最判昭55.7.10)において、従業員からの慰謝料請求訴訟
において退職勧奨行為の違法性を基礎付けた具体的事実
「退職勧奨は・・・単なる事実行為で・・被勧奨者は何らの拘束なしに自由にその意
思を決定しうる」
「Xらは第1回の勧奨(2月26日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明してい
た」
「YらはX1に対しては3月12日から5月27日までの間に11回、X2に対して
は3月12日から7月14日までの間の13回、それぞれ市教委に出頭を命じ」
「Yほか6名の勧奨担当者が1人ないし4人で1回につき短いときでも20分、長い
時には2時間15分に及ぶ勧奨を繰り返した」
「本件以前には例年年度内で勧奨は打切られていたのに本件の場合は年度を超えて引
続き勧奨が行われ・・・Xらに際限なく勧奨が続くのではないかとの不安感を与え心
理的圧迫を加えた」
エ 希望退職と退職勧奨の方法
①第一次希望退職の募集
・予定人員に満たない場合には退職勧奨を実施する可能性を示しておく
②第二次希望退職の募集と退職勧奨の実施
・退職勧奨したにも拘わらず予定人員に満たない場合に指名解雇を実施する可能性
88
を示しておく
③退職勧奨を拒否した従業員と面接
・拒否した理由を十分に精査
・出向等の方法を模索
④指名解雇
・指名解雇の正当性は業務上の必要性で判断される
オ 希望退職・退職勧奨と損害賠償請求
・退職の強要や脅迫、暴行、長時間の監禁、名誉毀損行為が行われた場合
・執拗に退職を迫った場合
・業務命令による退職勧奨を行った場合
・近親者などを介して退職勧奨を行った場合
(3) 賃上げや設備投資と整理解雇
ア 賃上げと経営上の必要性
・同業他社並みの賃金引上げを行うことは、労働者のモチベーション維持のため許容
イ 設備投資と経営上の必要性
・事業再生のため、適切な新規設備投資は必要不可欠
ウ 新規採用や配当等と経営上の必要性
・企業の若返り化や後進を育てる観点から必要最小限の新規採用も許容
・安定株主を確保するために相当な配当は必要
4
その他の問題点
(1) 訴訟における立証責任
ア 最高裁事務総局 昭和56年当時の考え方
使用者が主張立証責任を負うのは、人員整理の必要性と解雇手段がやむを得ないこと(目
的と手段・結果との均衡)であり、人選の合理性、解雇回避努力、解雇手続の相当性等は、
権利濫用の考慮要素として労働者が主張立証責任を負う。
イ その後の実務
4要件のうち、使用者が①から③の、労働者が④の、主張立証責任をそれぞれ負う。
・ゼネラル・セミコンダクター・ジャパン事件(東京地判平15.8.27)
・東京自転車健康保険組合事件(東京地判平18.11.29)
①から③の3要素を「総合して整理解雇が正当であるとの結論に達した場合には、次
に原告である従業員が、手続の不相当性等使用者の信義に反する反応等について主張・
立証する責任があることになり、これができた場合には、先に判断した整理解雇に正当
89
性があるとの判断が覆ることになる」
(2)組織再編と整理解雇
ア 合併の場合には雇用関係は当然承継され、会社分割の場合には「会社分割に伴う労働
契約の承継に関する法律」に従うことになるため、整理解雇の問題は直接には生じない。
イ 会社解散の場合においては、そもそも整理解雇法理が適用されるのかという問題意識
が根強いが、仮に適用される場合でも実質的な争点として残るのは、4要件のうちの最
後の「手続の合理性」となっている。
・東北造船事件(仙台地決昭63.7.1)
会社が「事業廃止、解散に踏み切ったことは誠に止めを得ない選択であったという
ことができる。・・かかる場合は、一般の整理解雇と異なり、解雇が許されるための
類型的な要件を論ずる余地はな」い。
ウ 会社解散が偽装と認められる場合には、解散した会社における雇用関係が新会社や別
会社へ承継されることがある。
5
事案に沿った検討・分析
第4 おわりに 整理解雇法理の今後の展望
以上
90
Ⅳ
労働者・使用者から見た労働災害
担当
木村康之・星野大輔
第1 労災保険の概要
1
労災保険の制度趣旨
・
労災保険制度は、労働者災害補償保険法に基づいて、国(厚労省)が被災労働者やその遺族
などに対し、所定の災害補償を行う制度
・
実際に運用しているのは、地方労働局や労働基準監督署である。労基署長は被災労働者や遺
族などの補償請求に基づいて労災認定を行い、OK となれば保険給付を行う
2
労災保険の適用
-実際の運用の流れに沿って-
(1)労災保険への加入
・
労災保険の適用を受ける「労働者」は、原則として労基法に規定する労働者と同一(労災
保険は労基法 75 条以下の災害補償を行うための制度。労働者が一人でも制度の適用はある。
)
・
但し、特別加入制度で拡張されている(中小事業主、一人親方など。労災保 33 条各号)
・
保険料は事業主が負担(労働者に支払う賃金総額に労災保険率を乗じて算出された金額を
納付)
(2)労災の発生
労災=業務災害+通勤災害
ア
業務災害
・ 業務起因性(業務と傷病との因果関係)が認められることが要件
・
業務起因性の前提として、業務遂行性(労働者が労働契約に基づいて事業主の支配下に
ある状態)が必要(業務遂行性があっても業務起因性はないことがあるので注意)
イ
通勤災害
「労働者が、就業に関し」
「合理的な経路及び方法により」通勤している間の災害であるこ
とが必要。
(3)給付請求
労災給付は、原則として被災労働者や遺族などの請求があって初めて行われる。請求書は、
所定の書式を使用して労基署に提出する。
※
請求権には以下の時効が存在する(会計法)ので、注意する必要がある。
①
時効期間 2 年の保険給付
91
・ 療養(補償)給付 - 療養に要する費用を支払った日の翌日から起算して 2 年
・ 休業(補償)給付 - 労働不能となった日の翌日から起算して 2 年
・ 介護(補償)給付 - 介護を受けた月の翌月の初日から起算して 2 年
・ 障害(補償)年金前払一時金 - 傷病が治った日の翌日から起算して 2 年
・ 遺族(補償)年金前払一時金 - 労働者が死亡した日の翌日から起算して 2 年
・ 葬祭料(葬祭給付) - 労働者が死亡した日の翌日から起算して 2 年
・ 二次健康診断等給付 - 労働者が一次健康診断の結果を知った日の翌日から起算して 2
年
② 時効期間 5 年の保険給付
・ 障害(補償)年金 - 傷病が治った日の翌日から起算して 5 年
・ 障害(補償)一時金 - 傷病が治った日の翌日から起算して 5 年
・
障害(補償)年金差額一時金 - 障害(補償)年金の受給権者が死亡した日の翌日か
ら5年
・ 遺族(補償)年金 - 労働者が死亡した日の翌日から起算して 5 年
・ 遺族(補償)一時金 - 労働者が死亡した日の翌日から起算して 5 年
(4)不服申立制度
給付請求を行ったにも関わらず、労基署長が不支給を決定した場合の不服申立制度としては、
ア:審査請求、イ:再審査請求、ウ:行政訴訟という手段がある。
ア 審査請求
不支給決定に不服がある場合には、決定を知った日の翌日から 60 日以内に労働者災害補償
保険審査官に審査請求をすることができる。
イ 再審査請求
アの審査請求でも給付が認められなかった場合、又は、3 ヶ月経過しても審査官の決定が
ない場合には、労働保険審査会に再審査請求をすることができる。
ウ 行政訴訟
イの再審査請求でも給付が認められなかった場合には、行政処分の取り消しを求める行政
訴訟を提起することになる。
第2 労働者から見た労災補償
0
全体像
労災補償の基本的構造は,
「1 労災保険金の請求」
,
「2 民事上の損害賠償請求」という大き
な2つの手続からなる。
92
1 労災保険
労基署
給付の請求
労災事故
労働者
2 民事上の
使用者
損害賠償請求
1
労災保険給付の請求
1 労災保険
労基署
給付の請求
労災事故
労働者
(1)労災保険給付の特色
・ 無過失責任
故意,過失,債務不履行の主張・立証は不要
→ 「業務災害」(労災保7①一)に該当すれば足りる。
※
関連する制度として,
「通勤災害」
(同7①二)
・ 定額(定率)給付
給付は,定額(定率)化されている。
→ これを超える部分については,(2)の民事上の損害賠償請求によらなければならない。
(2)請求手続
93
労働保険
裁判所
審査会
③’不支給決定に
④取消訴訟
対する不服申立
審査官
労基署
労災事故
①請求
労働者
②(不)支給決定
③給付
政府
① 請求
・
請求権者
請求権者は,被災者である労働者又はその遺族(労災保 12 の 8②)
※
実務上,事業主が手続をすることがあるが,事実上手続を代行しているにすぎな
い。
・
事業主の証明
請求書には事業主証明書欄があり,被災事実や賃金関係の証明をしてもらう。
※
事業主が証明を拒否するときは,事業主の証明が無くても,証明を拒否された旨
の上申書を添付することにより請求可能。
・
請求書の提出先
療養補償給付-労災病院及び労災保険指定病院で治療を受ける場合は,病院での
現物給付となるので,病院に提出。
病院の窓口を経て,労基署に提出される。
上記給付以外-労基署に提出。
② (不)支給決定
労働基準監督署長が,支給又は不支給の決定を行う。
→
この決定による,初めて具体的な請求権となり,請求者は保険給付を求める権利を
有することとなる。
※ では,支給のための要件は何か?
「業務災害」とは,「業務上の負傷,疾病,障害又は死亡」(労災保 7①一)
94
→ 「業務上の」とは何か?
・ 業務と傷病等との間に,
「相当因果関係」
(あるいは「業務起因性」)があること
が必要。
・ 「相当因果関係」
(あるいは「業務起因性」
)が認められるためには,
「労働者が
労働契約に基づいて事業主の支配下にあること(=「業務遂行性」
)に伴う危険が
現実化したものと経験則上認められること」が必要。
※
「業務上の疾病」のうち,労働基準法施行規則別表1の2(のうち1~8号)
に該当する場合には,
「相当因果関係」
(あるいは「業務起因性」
)が推定される(
=立証責任の転換がなされる)。
ただし,9号については推定が働かないことに注意が必要。
※
なお、「業務災害」か否かの認定に関しては、各種の通達1が存在し、これらの
基準に従って認定がされる。労働基準監督署長の認定や、後述の審査官による審
査等は、通達に従って行われる(通達に反する主張は容れられない)点には注意
が必要である。
③ 給付(②において支給決定がなされた場合)
「業務災害」に関し,以下の保険給付がなされる。(労災保 12 の 8①)
・
療養補償給付(一号)
・
休業補償給付(二号)
・
障害補償給付(三号)
・
遺族補償給付(四号)
・
葬祭料(五号)
・
傷病補償年金(六号)
・
介護補償給付(七号)
③’不支給決定に対する不服申立手続(②において不支給決定がなされた場合)
労働基準監督署長の決定に不服がある者(労災保 38①)は,原処分をした行政庁の所
在地を管轄する都道府県労働局に置かれた審査官に対して審査請求を行うことができ(
労保審 7)
,さらにその決定に不服がある者は,労働保険審査会に審査請求をすることが
できる(労災保 38①)
。
④ 取消訴訟
労働基準監督署長の処分については,取消訴訟(行訴 3②)の提起が可能。
ただし,以下の点について注意が必要。
1
例えば、平成 11 年 9 月 14 日基発第 544 号、平成 13 年 12 月 12 日基発第 1063 号など。
95
審査請求前置主義(労災保 40,行訴 8①但)
・
→
上記③’のうち,労働保険審査会の裁決を経た後でなければ,原則として取消訴
訟を提起することはできない。
原処分主義(行訴 10②)
・
→
取消訴訟の対象は,労働保険審査会の裁決ではなく,労働基準監督署長の決定と
なる。
・
出訴期間
→
2
処分(又は裁決)があったことを知った日から6ヶ月(行訴 14①)
民事上の損害賠償請求
2 民事上の
労災事故
損害賠償請求
労働者
(1) 債務不履行責任
使用者
(2) 不法行為責任
(1)債務不履行責任
安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求
→ 安全配慮義務とは,労働契約の付随義務として,
「労働者が労務提供のために設置する
場所,設備,もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程に
おいて,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務」
(最判昭和 59
年 4 月 10 日民集 38 巻 6 号 557 号〔川義事件〕。
※ 現在は,労働契約法 5 条により明文化。
※
なお,判例によれば,安全配慮義務とは「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触
の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双
方が相手方に対して信義則上負う義務」
(最判昭和 50 年 2 月 25 日民集 29 巻 2 号 143 頁
)であるとされており,必ずしも直接の労働契約関係にあることまでは要求されていな
い。
(2)不法行為責任
・ 民法 709 条に基づく損害賠償請求
・ 民法 715 条(使用者責任)に基づく損害賠償請求
(3)両者の異同
ア 消滅時効期間
96
・
債務不履行責任:10 年(民法 167)
・
不法行為責任:3 年(民法 724 条)
イ 遺族固有の慰謝料の成否
・
債務不履行責任:請求不可
・
不法行為責任:請求可
ウ 遅延損害金の起算点
3
・
債務不履行責任:履行請求時
・
不法行為責任:不法行為時
両請求権の調整
現行法上は,業務上の災害に対し,労災保険給付を請求することも,民事上の侵害賠償請求を
することも可能。したがって,両請求権の調整の必要が生じる。
1 労災保険
労基署
給付の請求
3 両請求権の調整
労災事故
労働者
2 民事上の
使用者
損害賠償請求
(1)加害者が使用者の場合
使用者は,労働災害に遭った労働者に政府から労災保険給付が支給された場合には,その
支給された限度で,その労働者に対する民法上の損害賠償責任を免れる(労基 84)2
(2)加害者が第三者の場合
政府が労災保険給付を行った場合,政府は,その給付額の限度で,労働者が加害者に対し
て有する損害賠償請求権を代位取得する(労災保 12 の 4①)
(3)調整の対象
調整の対象となるのは,「同一の事由」(労基 89,労災保 12 の 4)
→
労災保険給付と民事上の損害賠償請求権の調整がなされるのは,同じ性格を持った保険
給付と損害賠償の間のみ。
※
例えば,精神的損害に対する損害賠償である慰謝料については,労災保険給付にこれと
2
但し、使用者が損害賠償責任を免れるには、現実に労災保険金が給付されたことが必要である(最判昭和 52 年
10 月 25 日・三共自動車事件)
。従って、労災保険金が年金給付となる場合には、将来給付される年金額をもって
民法上の損害賠償責任を免れることはできない。
97
同じ性格を持った給付は存在しないことから,調整の問題は生じない。したがって,労働
者は,労災保険給付を受けたとしても,なお使用者(第三者)に対して慰謝料を請求する
ことができる。
4
労働者側弁護士として留意すべき点
(1)労災保険の適用関係
・ 労働者 5 人未満の農林水産業を除いた全ての事業について,労働者を1人でも使用して
いれば,事業開始の日から当然に保険関係が成立する(労災保 3,徴収法 3)
。
・ 事業主は,保険関係成立の日から 10 日以内に保険関係成立届を所轄の労基署長に提出し
なければならないが,事業主がこの届けを提出せず,保険料を納めていない場合でも労働
者は保険給付を受けることができる(政府は保険料を追徴し,さらに保険給付に要した費
用の全部又は一部を事業主から徴収することができる。労災保 31①一)
→
会社が労災に加入していないから,あるいは保険料を納付していないから労災保険給
付が受けられない,ということはあり得ない。
(2)手続の選択
現行法上は,労災保険給付の請求も,使用者に対する民事上の損害賠償請求も並行して行
うことが可能。(どちらか一方に絞ることも可能)。
では,どのような手続を選択すべきか?
・
労災保険のメリットとして,給付の請求から給付まで数ヶ月程度で行われること,立証
の負担が少ないこと,労災には,労災福祉事業としての特別支給金があることが挙げられ
る。
・
他方で,労災保険における給付は定額(低率化)されており,これを超える部分や,労
災保険給付に含まれない慰謝料等については,民事上の損害賠償請求に寄らざるをえない。
※
ただし,民事上の損害賠償請求を先行させた場合,労災給付の支給停止がされる可能性
があることに注意。
→
したがって,手続の選択としては,労災保険給付を請求し,当面の生活基盤の確保と
必要な療養の給付を受けつつ,使用者に対する損害賠償請求(交渉を含む)を検討する
ことが通常であろう。
第3 使用者から見た労災補償
1
労災保険給付
第2で述べた通り、労災保険給付は労働者が請求するものである。このため、労災保険給付に
関して使用者が行うことは、労基署への報告等となる。もっとも、これらの処置を行わないと、
98
後日「労災隠し」を行ったと評価されてしまう危険がある点に留意が必要である。
また、その後の処理に必要となるので、労災現場の保全・記録を行っておくことも重要である。
2
民事上の損害賠償責任
(1)民法上の損害賠償責任
使用者の立場からすると、労災において最大の問題となるのは、自らが直接の損害賠償責任
を負う(民法上の損害賠償責任を負う)か否かであると思われる。民法上の損害賠償責任にお
いては、労災保険給付と異なり、損害が労働者の業務従事によって生じたか否かという相当因
果関係以外に、使用者の安全配慮義務違反が大きな論点となる。そこで、以下、安全配慮義務
について検討する。
なお、使用者の責任としては、債務不履行責任と不法行為責任の双方が問題となり得るが、
第2の2(3)で述べた点に相違はあるものの、使用者の義務違反・過失の認定基準に大きな
違いはないとされている3。
ア 一般的な労働災害における安全配慮義務
労働契約法 5 条に基づき、使用者が安全配慮義務を負うことは、1(2)で述べた通りである。
ここでは、かかる安全配慮義務の具体的な内容を検討する。
<裁判例>
安全配慮義務に関する裁判例としては、下記がある。
ア) 安全配慮義務のリーディングケース
¬
陸上自衛隊八戸工場事件(最判昭和 50 年 2 月 25 日)
「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間」における付随
義務として、公務員の安全配慮義務を認めた。
¬
川義事件(最判昭和 59 年 4 月 10 日)
宿直勤務中の労働者が盗賊に刺殺された事案において、使用者の安全配慮義務違反が
認められた事例。民間企業における安全配慮義務違反のリーディングケースであるが、
安全配慮義務の内容は、「労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を
使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体
等を危険から保護するよう配慮すべき義務」と抽象的に述べているに留まる。
イ) 安全配慮義務の内容
¬
日鉄鉱業事件(福岡高判平成元年 3 月 31 日)
「行政法令等の定める基準を遵守したからといって、信義則上認められる安全配慮義務
を尽くしたものということはできない」と判示した。
3
西谷敏『労働法』365~366 頁
99
¬
三菱重工神戸造船所事件(最判平成 3 年 4 月 11 日)
「労働安全衛生法上の前記各規定に基づき右安全配慮義務違反の事実を主張すれば、債
務不履行の事実としての安全配慮義務違反の事実の主張としては十分であり、右以上に
一審原告らに具体的な安全配慮義務違反の事実主張を要求することは、安全配慮義務を
認めた前記趣旨に反するというべきである」と判示した。
ウ) 立証責任
¬
航空自衛隊芦屋分遣隊事件(最判昭和 56 年 2 月 16 日)
自衛隊ヘリコプターの墜落事故によって自衛官が死亡した事案において、
「国が国家公
務員に対して負担する安全配慮義務に違反し、右公務員の生命、健康等を侵害し、同人
に損害を与えたことを理由として損害賠償を請求する訴訟において、右義務の内容を特
定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張・立証する責任は、国の義務違反を主張す
る原告にある、と解するのが相当である」として、安全配慮義務の立証責任が労働者側
にあると判示した。
エ) 安全配慮義務の対象となる労働者の範囲
¬
三菱重工神戸造船所事件(最判平成 3 年 4 月 11 日)
元請企業の造船所でハンマー打ち等の作業に従事していた下請企業の労働者が難聴障
害に罹患した事案において、労働者が元請企業の管理する設備、工具等を用い、事実上
元請企業の指揮、監督を受けて稼働し、その作業内容も元請企業の従業員とほとんど同
じであったとの事実関係の下では、元請企業は下請企業の労働者に対して安全配慮義務
を負うと判示した。
オ) 安全配慮義務の限界
¬
陸上自衛隊第 331 会計隊事件(最判昭和 58 年 5 月 27 日)
安全配慮義務の履行補助社が法令上当然に負う通常の注意義務は使用者の安全配慮義
務の内容に含まれない旨を明らかにした。
イ
使用者の健康管理義務・労働者の自己保健義務
ア) 使用者の健康管理義務
使用者の安全配慮義務には、労働者の健康状態を管理し、それに応じた措置をとる義務(
健康管理義務)も含まれる4。
健康管理義務には、①健康診断を実施する義務、②把握している労働者の健康状態に応じ
て業務内容を調整する義務が含まれる。
<裁判例>
4
西谷敏『労働法』371 頁
100
¬
システムコンサルタント事件(東京高判平成 11 年 7 月 28 日)
脳幹部出欠により労働者が死亡した事例で、使用者が「雇用契約上の信義則に基づい
て」労働者の健康管理のため、
「健康診断を実施した上、労働者の年齢、健康状態等に応
じて従事する作業時間及び内容の軽減、就労場所の変更等適切な措置を採るべき義務を
負う」と判示した。
イ) 労働者の自己保健義務
他方、労働者も、自己の健康を管理し、その保持を図る自己保健義務を負うと解される。
その根拠は、民法上の信義則に求められる。
<裁判例>
¬
システムコンサルタント事件(前掲)
脳幹部出血により死亡した労働者が、健康診断結果の通知によって自らが高血圧であ
って医師の治療が必要なことを認識していたにも関わらず、全く医師の治療を受けてい
なかった事案で、50%の過失相殺を認めた。
¬
真備学園事件(岡山地判平成 6 年 12 月 20 日)
脳血管障害によって死亡した労働者が、自己の健康状態を使用者に報告せず、医師か
ら勧められた入院もしていなかった事案において、75%の過失相殺を認めた。
ウ
いわゆる過労死・精神疾患
近年問題になることが多い労働災害として、過重労働を原因とする、脳・心疾患による過
労死や、うつ病などの精神疾患がある。どちらも、因果関係、安全配慮義務の内容において、
通常の労働災害とは異なる問題があるので、独立して論じる。
なお、労災保険給付の場合は、過労死、精神疾患が「業務災害」になるか否かの認定に関
して、通達によって詳細な基準が定められている。
ア) 脳・心疾患
脳・心疾患は、一般的な労働災害と異なり、通常は何らかの素因や基礎疾患などの素地
がある場合に問題となる。従って、安全配慮義務は、
「増悪防止義務」という形で問題とな
る。
なお、使用者が脳・心疾患に関わる素地を把握し得ない場合には、発病や増悪を予見で
きないので、そもそも防止義務が発生しないという問題がある。
<裁判例>
¬
システムコンサルタント事件(前掲)
労働者が高血圧に罹患していることを使用者が認識していながら、労働者の業務を軽
減する措置を採らなかったために「同人の高血圧を増悪させ、ひいては高血圧性脳出血
101
の発症に至らせた」として、使用者の安全配慮義務違反を認定した。
¬
旺文社事件(千葉地判平成 8 年 7 月 19 日)
労働者が就業中に心筋梗塞によって死亡した事例で、労働者の従事していた業務が過
重なものであったとは言い難いこと5、労働者の健康診断の結果に大きな問題はなかった
ことなどから、使用者の安全配慮義務違反を否定した。
イ) 精神疾患・自殺
労働者が精神障害に罹患したことをもって、使用者の安全配慮義務違反が認定された裁
判例のほとんどは、精神障害(うつ病など)に罹患した労働者が自殺した事例である6。
労働者の自殺について使用者が安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任を負う場合、因
果関係としては、①従事した業務と精神障害の発症との間の相当因果関係、及び、②その
精神障害と自殺との間の相当因果関係という、2 つの相当因果関係が認められることが必
要となる。
また、使用者の義務違反の前提となる予見可能性としては、自殺などの重大な結果が発
生することが予見可能であったことが必要となる。
<裁判例>
¬
電通事件(最判平成 12 年 3 月 24 日)
長時間にわたり残業を行う状態を 1 年以上継続した労働者がうつ病に罹患して自殺し
た事例で、使用者は、当該労働者が「恒常的に著しく長時間にわたり業務に従事してい
ること及びその健康状態が悪化していることを認識しながら、その負担を軽減させるた
めの措置を採らなかったことにつき過失がある」と判示した。労働者の過労自殺に関す
るリーディングケースである。
また、本件では、労働者の心因的要因が損害の発生又は拡大に寄与したとの主張がな
されたが、労働者の性格が「同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想
定される範囲」を外れるものでない場合には、損害賠償額を減額する要因として心因的
素因を考慮することはできないと判示している。
(2)民法上の損害賠償責任と労災認定との関係
労災が生じた際、労働者から使用者に対して、労災保険給付を請求するための書類として、
勤務状況の報告書等の提出が要求されることが多い。しかし、
(特に過重勤務が労災の原因であ
る場合など)使用者が労働者の勤務状況を開示することは、後に民事上の損害賠償請求を受け
5
6
本件では、労働者が死亡するまでの 155 日間において勤務日は 99 日であった。
冨田武夫・牛嶋勉『最新実務労働災害 ―労災補償と安全配慮義務―』207 頁
102
た際に不利益な証拠として使用される恐れがあるという問題がある7。但し、①誠実な開示を行
わないと、後になって損害賠償請求を受けた際に裁判官の心証を害して認容額が高額化する危
険がある、②どちらにしろ、文書提出命令などによって開示しなければならない状況になる可
能性が高い、といった理由から、使用者が開示を拒む余地はほとんどない。
また、労災によって労働者が死亡した場合などは、かなり高額の労災保険給付がなされる8。
しかし、第2の3の脚注で述べたように、労災保険給付が年金により支給される場合には、使
用者の損害賠償額から将来支払われる年金額を控除することはできない。このため、労災保険
給付が年金により支給され、かつ、被災労働者がまだ若い場合には、使用者は非常に高額の損
害賠償額を支払う必要が生じてしまい、使用者の負担は大きい。
このため、実務上は、使用者側が労災認定に協力する代わりに、一定(約 3000 万円程度)
の慰謝料或いは示談金を支払うことで民法上の損害賠償については解決するということが行わ
れる。示談の際には、示談の対象が何であるか(慰謝料を含むのか否か、未払の年金給付額を
含めて示談しているか否か)ということを明確にすることが重要である。この点が不明確であ
ると、示談が錯誤無効とされたり、後になってさらなる損害賠償請求が行われる可能性がある。
3
被災労働者の処遇
被災労働者の身分は労基法で保証されており、労働者が労災の「療養のために休業する期間及
びその後 30 日間」は、原則として労働者を解雇することはできない(労基法 19 条 1 項本文)。
(1) 「療養のために休業する期間」の解釈
本条の「療養」には、治癒(症状固定)後の通院等は含まれない9。したがって、症状固定
後にマッサージを受けるため通院しているような場合は、
「療養のために休業」していること
にはならない。
(2) 打切保証を支払う解雇
もっとも、労基法 81 条の打切保証を支払った場合には、「療養のために休業する期間及び
その後 30 日間」であっても、労働者を解雇することができる。但し、打切保証の一部を支払
ったにすぎない場合や、支払を約したのみの場合には、解雇は認められない10。
(3) 解雇制限期間経過後の解雇
労基法 19 条の解雇制限期間が経過しても、通常の解雇権濫用法理(労働契約法 16 条)の
適用はあるので、合理的な理由がない限りは被災労働者の解雇はできない。従って、労働者
が業務に従事可能であれば、解雇することは難しい。また、労働者が業務に従事することが
7
第2で述べた通り、労災保険給付の限度で経済損害の賠償額は減額されるが、慰謝料は別途請求される。
例えば、妻と子供がいる労働者が死亡したような場合、月例給与の 80%程度が生涯支給される。
9
昭和 24 年 4 月 12 日基収 1134 号参照
10
厚生労働省労働基準局『改訂新版 労働基準法 上巻』275 頁
8
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難しい場合でも、解雇制限期間が経過してからさらに一定の休職期間が経過した場合に初め
て解雇の効力が生じるものとしたり、解雇の際に一定の補償を行うなどの配慮が必要となる
と考えられる。
4
保険金の処理
使用者としては、労災が発生した際の補償(仮に示談を行った場合でも、数千万円の出費が
必要となる可能性はある。
)に備え、団体保険等を掛けることが考えられる。しかしながら、こ
のような団体保険の趣旨を明確にしておかないと、保険金の帰属について労働者側とトラブル
になる危険がある。このため、社内の災害補償規定を作成し、保険金は損害賠償の内金とされ
ること等を明確にしておくことが必要となる。
以上
104