イトヨ湧水調査研究事業報告書

「大槌町の郷土財としての湧水環境に関する研究」
事業名:イトヨ湧水調査研究事業
事業主体:大槌町
平成25年度
2014 年2月 27 日発行
1
「大槌町の郷土財としての湧水環境に関する研究」
事業名:イトヨ湧水調査研究事業
事業主体:大槌町
担当部:大槌町教育委員会
事業小区分:いわて県民計画アクションプラン
30.高等教育の連携促進
31.文化芸術の振興
36.多様で豊かな環境の保全
調査研究代表
森 誠一
岐阜経済大学(環境生態学).理学博士.福井県大野市「イトヨの里」館長.
「環境省環境研究総合推進費ZD-1203研究」代表、「大槌町復興支援の会」世話人
「湧水保全フォーラム」代表
2
目次 はじめに「大槌の郷土財としての湧水環境」森 誠一 1.「中心市街地の湧水・伏流水の調査研究:同位体解析による湧水マップ」 中野孝教 2.「湧水に生きる水生生物:大槌の湧水生態系を構成する生物相」 1)〜4)水質・動物関連:久米 学・森 誠一・北野 潤・西田翔太郎 5)植物関連:星野義延・星野順子 3.「大槌の宝を活かした復興まちづくりに関する意識調査: アンケート調査による住民意識の統計分析」 北島淳也 4.学習会:調査研究成果を住民に公表する機会の提供(啓発事業) フォーラム「大槌町の郷土財:湧水からのまちづくりに向けて」 日時:平成26年2月8日(土)午後1時〜4時 場所:大槌町中央公民館大会議室 1)挨拶 大槌町長:碇川豊 2)はじめに「大槌の郷土財としての湧水環境」森誠一 3)話題提供 ①「水質マップから考える湧水の見える町」中野孝教 ②「湧水に生きる水生生物:イトヨから見た大槌の湧水生態系」久米学 ③「住民による大槌の宝を活かしたまちづくりに向けて」北島淳也 4)基調講演 「大槌学の地平から考える復興」秋道智彌 5.「生き物の物語化:このクニの自然と人」 森 誠一 3
はじめに 「大槌の郷土財としての湧水環境」 岩手県大槌町は 2011 年 3 月 11 日に発生した大津波により、人口のほぼ1割の死亡行
方不明と市街地の 85%以上の壊滅という重篤な被災を受けた。本調査は、この甚大な
津波被害を受けた大槌町において、町の主要な成立要因であり、かつこれまでも重要な
地域資源として活用されてきた湧水と、そこに生息する特徴的な生物多様性の実態解明
と保全活動を通じ、同町の復興に寄与する道筋を提言することを目的とする。同町にお
いて湧水保全し活用することが、三陸リアス式海岸の大槌という土地を先住と現在の
人々が郷土としてきた由縁であり、その思いこそが復興の根幹となりえて、今後も郷土
として伝承保持していくのだろう。 また、恐縮の意をもったままではあるが、震災の惨状は、その発生以前から同町に環
境生態調査に入り地域間交流を続け、町民に友人知人もいる私たちにとっても、非当事
者でありながら身を裂かれる思いであった。この私情をも本調査において私たちは重視
しており、町への少々気負った思い入れをもった研究にしたいと望んできた。 1)地域資源としての湧水を活用した大槌町小史 私たちは 1990 年代および震災直後からも、同町の湧水域に生息するイトヨの生態調
査および水文学的調査を継続してきた。この調査は同町で近年において、湧水と希少魚
種イトヨとの新たな歴史となっているといえる。その歴史は 10 数年あまりに過ぎない
が、地域資源の保全と活用という現代的で、かつ確固たる科学的根拠に基づく伝承すべ
き歴史を形成しつつあるといえよう。 それは公的には「第 17 回全国豊かな海づくり大会」(1997 年)に始まり、総合研究
大学院大学共同研究会(1999 年)や、秋篠宮文仁殿下・川那部浩哉琵琶湖博物館館長
(当時)・花井正光文化庁専門官(当時)・天谷光治福井県大野市長(当時)、山崎三雄
大槌町長(故人)らが登壇された「自然と共生するまちづくりシンポジウム」
(2002 年)
などとして展開された。これらの活動を受けて、源水川産イトヨの実態(淡水型である
確定など)を把握する調査や、大ケ口地区を中心とした学習会の数回実施、および「イ
トヨを守る会」の設立(2002 年)とその日常的な環境保全活動が継続された。また、
役場庁舎にイトヨ展示水槽が設置され、2005 年にはリバーフロント整備センター等に
よって源水川にイトヨ観察デッキが建設された。保全の行政的対応として 2007 年には、
絶滅危惧種や町天然記念物に指定された。このように大槌町では湧水とイトヨの保全に
関して、恒常的な地域活動が実施されてきたのである。震災前年 2010 年 11 月には水環
境とまちづくりを巡って、総合地球環境学研究所と同町によるシンポジウムが開催され
4
ている。 こうした活動の反映として、震災直後に「大槌町復興支援の会」
(2011 年3月)が立
ち上げられ、全国からの寄付と物資による支援が現在も継続されている。その後、秋篠
宮殿下の源水川御視察(2011 年5月)、「大槌の過去、現在、未来を考える車座会議」
(2011 年 10 月)や湧水ツアー(2012 年4月)が実施されている。また、総合地球環境
学研究所による湧水とイトヨの保全と活用に言及した地域づくりの指針に関する提言
書(2011 年)が町行政に提出されている。さらに、2013 年5月には県内外からの参加
者のもと湧水一斉調査が企画され、本調査結果の一部も発表した。 以上のように、大槌町の特徴的な地域資源である湧水および、湧水生態系における生
物多様性を端的に顕示するイトヨは現代的な意義をもって、多くの分野の研究者や他地
域の行政および住民などにリアリティある共通課題として関心がもたれている。これは、
これまでの交流の成果であり、この歴史に基づく地域間関係こそ、かけがえのない地域
資源といえよう。 2)同町における湧水生態学的研究の進捗と意義 現在(2012 年と 2013 年の2年間)、環境省研究推進費(課題番号 ZD1203 研究テーマ
『湧水がもたらす生態系の頑強性と脆弱性の解明:震災後の生態系復元に向けて』)に
よって、大槌町における湧水生態系の特性と希少魚イトヨを中心に生物多様性研究の科
学的意義を明確にし、そのまちづくりへの応用的メニューを示すことを目的にしている。 源水川を含めて生息地の物理的環境の今後についての具体像は、調査(地下水水位と
流量の現地調査)と、これによって河床掘削の状況(深さ・構造)と流量との関係付け
を行い、生物側の必要な流れ場(流量、水位、流速等)の情報から掘削などの方向性を
絞り込むことが肝要である。 津波前後のイトヨの生態・生活史は、寄生虫率や空胃率などで変動が認められた。ま
た、遺伝解析(マイクロサテライト)によって、顕著な遺伝的多様性の低下は今のとこ
ろ見られなかったが、遺伝的組成の変化が示唆された。さらに、市街地に新しく生じた
水たまりで発見されたイトヨ集団は日本海と源水川集団との混在および雑種であり、詳
細な継続的解析が重要であることが明確になった。特に、この新規集団の遺伝的組成が、
今後どうなっていくか解析することは学問的に極めて貴重である。また、この新規イト
ヨ集団は、津波痕跡によると、源水川に上がって行った津波が引いて行く過程で市街地
の方へ流れた津波挙動からも、その際に源水川イトヨが新しい水たまりに進入した可能
性が十分にある。 5
すなわち、これまでの今年度の調査で、著しい新知見として、倒壊した市街地跡には
地盤沈下と湧水湧出によって新規に生じた水たまりでイトヨの生息が確認され、その起
源が形態学的・遺伝学的解析と津波の挙動推定によって整合性をもって考察されたこと
は大きい(2013年3月開催の日本生態学会で2題を発表)。この集団の起源と動向を追
跡していくことは、津波に伴う分布拡散による新規生息地における生物の適応現象を示
す好題材であり、津波が生態系や生物多様性にどのような機能をもつか、ほとんど検証
されていない分野に先鞭をつける自然科学的な意義において極めて極めて価値が高い。 この成果は、大槌町の湾を含む湧水環境が、今後の生物多様性研究の主要な場所とな
る期待を大きくさせる。つまり、この地域資源が、自然科学の素材としても重要な価値
をもつことを意味する。 3)研究の具体と期待されるもの 地域資源としての湧水環境の保全・復元に関する国家的意義の価値を自然科学的に位
置づけるために、以下の研究を展開させることが必要である。「湧水環境を基軸にした
復興まちづくり」をテーマとして、下記の研究内容を実施するものである。また、この
研究成果と発信は、総論や一般論に依るのでなく、震災以前から大槌町を研究題材にし
てきた根拠に基づく、住民にとってリアリティのある性質をもっている。 本調査研究は、すでに大槌町で環境研究総合推進費(課題番号 ZD-1203、平成 24、
25 年度)に依拠して実施している研究者(生態、遺伝、水文)を中心に組織し、関連
専門研究者(社会科学、河川工学など)と共同で下記の調査研究を実施したものである。
(1)市街地域を中心に伏流水動態の同位体環境学的解析 伏流水を含む水文・水環境学的な実態を、人為的な負荷を関連づけながら、山林を含
む河川流域(主たる大槌川と小鎚川は同町内のみを流れる)から解析した。市街地の井
戸約 140 地点の水温分布等のデータをもとに、その変動を伏流水の流れの構造との関係
を明確にする。安定同位体などの解析結果から流れの向きやその起源を知る情報を得る。
また、この水文学的把握によって、震災直後期において大いに湧水利用があったことか
らも、湧水の防災用水としての役割を検討する。 上記の科学的データ収集は同時に、地元の方々の協力を得て、多くの湧水を同時一斉
に採水していただき、同町の水のマッピングデータベース構築の一材料として地元に還
元することができる。この活動を通して地域住民の方々に、地元の水資源・水環境の実
態を自らの参加で理解していただく機会にし、根拠をもって何が「郷土財」であるかを
認知し、その復元・保全が「まちづくり」の基盤となるという理解に繋がるものと期待
6
できる。 (2)湧水生態系における生物多様性の生態学的解明 長期的かつ連続的な調査実施により、イトヨを中心に湧水生態系における生物多様性
(魚類、底生動物、植物)の実態を把握し、その機能復元を提示することを目的とする。
すなわち、湧水・地下水の水循環的構造把握のみならず、それによってもたらされる物
理的環境に生息する生物相の把握によって湧水環境の重要性を明らかにするものであ
る。例えば、魚類の生活史による遡上期や降下期の移動に、湧水域はいかなる機能をも
つのかを水環境の計測をしつつ解析をするものである。特に繁殖期は、定点でのランダ
ムサンプリングや潜水観察を付加した。また、植物相については、レッドリスト種や外
来種などを類型しつつ、群落形成について湧水の存在と関連づけながら解析をした。 (3)住民意識把握のためのアンケート調査実施 活力にみちた「まちづくり」を進めるため、大槌町にある町民憲章(1973年)には、 『1 自然を愛し自然を大切にしましよう 1 産業を興し豊かなまちをつくりましよう 1 健康できまりある生活をしましよう 1 香り高い郷土の文化を育てましよう 1 安全で住みよいまちをつくりましよう』 とうたわれている。この憲章に基づき住民が「復興まちづくり」を推進するため、水
環境への意識や理解および大槌への愛着が、住民活動の参加意識や有効感にどのように
影響するか明らかにする質問紙調査を行う。環境意識の高低差による影響を過小にする
設問形式を検討したアンケート調査を実施し、この統計学的解析により、まちづくりに
対する住民意識を把握し、まちづくり方策を提示する。 先行研究を参照にしてアンケートデータを因子分析(主因子法)し、いくつかの因子
(例えば、大槌への愛着、水認識、環境活動への参加意図、環境活動の規範意識、住民
活動の有効感、環境への理解、年少期の自然体験、市民活動コスト意識、子どもへのふ
るさと教育意向)を得ることが期待される。目的として、「大槌への愛着」(永住意思
や誇り)や「水環境への理解」(湧水、サケ、イトヨ、基本計画への認知)、「住民活動
への有効感」(大槌の課題は住民で解決する)などが、郷土特性について学ぶ学習会およ
び、町や NPO 団体などが主催するイベントへの参加規定因となるかなどを検証する。 7
(4)住民連携のための啓発周知 これまで湧水環境の保全周知啓発事業として、本研究メンバーが世話人もしくは実行
委員として『湧水保全フォーラム全国大会』、『湧くわく水サミット』、『淡水魚保全
シンポジウム全国大会』、『イトヨシンポジウム』などを各地の地元行政や有志ととも
に開催してきた。大槌町もこれらの開催に、町長を始め参加されてきた。これらの事業
は、水を活かしたまちづくりや水環境の保全と活用などの共通の課題をもつ行政や地域
団体とともに、各活動における共通や個別の課題の解決に向けて情報交換し合うという
ものである。主催地内外の市民・ボランティア団体による事例発表や小・中・高等学校
の環境学習への取り組みや活動のパネル展示を通して、湧水再生について地域連携的に
考えることも目的にしている。大槌町においても、この1、2年以内の開催を検討する
ことはあっていいし、そのための素地を作る活動を実施する。その一環として、かつ本
事業の成果報告として、2014年2月にフォーラム「大槌町の郷土財:湧水からのまちづ
くりに向けて」を中央公民館で開催した。今後も、 ①水と人との伝承すべき関わり(歴史・文化・民俗・生活・産業など)の地域特性
は何であり、どのような関係にあるかを検証=人と自然の関係の多様性 ②水環境を活かした活動に、科学的根拠・知見を活用すべく、シンポジウムや学習
会を継続的に開催して情報共有する。 ③それらの地域資源の保全と活用に向けて地域主体の活動促進のための研究。環境
特性を活かす改善事業や景観づくりを、根拠に基づきリアリティのある計画を
する。 を目的として、こうした啓発活動は実施していく所存である。 8
1.中心市街地の湧水・伏流水の調査研究:同位体解析による湧水マップ はじめに:研究目的 地下水は一般に水質が安定しており、良質な地下水は生活や産業に広く利用されて
いる。しかし流速が遅いため、水質汚染や過剰揚水などが生じた場合、その影響は長期
に及ぶ。地下水の持続的利用を図るためには、その涵養から流出に至る地下水全体の流
動系を明らかにする必要がある。 地下水流動系を復元する手法として、近年、元素組成や安定同位体比などの地球化学
的指標を用いた研究が盛んになってきた。これら指標の分布を水質マップという。地下
水やその上流域の河川水や地下水について水質マップを得ることができれば、それらの
比較を通して地下水の涵養域や流動を目で見て捉えられる可能性がある。しかしながら、
地下水の水質は流動に伴い、異なる水の混合、岩石の溶解やイオン交換、沈殿物の形成
といった様々な要因によって変化する。また水質マップの精度は空間分解能に依存する
が、井戸の分布が不足あるいは不均一であったり、涵養域である上流域の河川水や地下
水を十分に採水できないことも多い。水質マップを基にした地下水流動系の研究には、
このように多数の水試料に対して、多くの水質項目の総合的な解析が必要となるため、
水質マップ法の有効性について十分な検討はなされていない。 東日本大震災により甚大な災害を被った岩手県大槌町は、その中心であった沿岸の
平野部に多数の自噴水が分布し、飲用やサケ養殖、豆腐や酒つくりなど様々な用途に利
用されてきた。この自噴水は大槌自噴水とよばれ、その水質については半世紀前に詳細
な研究がなされている(後藤・伊勢、1965)。今回の津波被害により家屋が流出した地
域において、自噴水が数 10m 程度の高密度で現れている。湿地となっている地帯も多く、
その中には天然記念物であるイトヨの新規集団も確認されている。震災復興に向けて、
自噴水の持続的な利用と共に、イトヨをはじめとする新たな湧水生態系の調査研究が必
要になった。 そのためには、飲用の可否に加えて、地下水流動系の姿を町民でも捉えられる水質
マップによる検討が有効と考えられる。大槌町の河川水や地下水は大槌湾と船越湾に流
入している。自噴水は町の中心部であった大槌川、小鎚川、城山に囲まれた平野部に分
布している。家屋流失により自噴水調査が容易であることを利用し、本研究では、これ
らの湧水を主な対象としその流動系の解明を目的とした。この目的を達成するため、自
噴水と共に、大槌湾に流入する大槌川、小鎚川、鵜住居川の主要河川のほか、周辺の山
地からの小さい河川および谷水を採取し、その地球化学的特徴の解明を行った。 9
1)調査地域と分析 大槌自噴帯の湧水は 2013 年 5 月 19 日また 6 月 1-2 日に採水した。採水地点の名称
は大同大学の鷲見哲也准教授の定義に従っており、採水も同准教授を中心に行われた。
安渡など他地域でも採水した。これらの中には 2009 年からの調査で採水した試料も含
まれている。いっぽう流域の河川のうち、小槌川と鵜住居川は 2013 年 8 月に、大槌川
や周辺の小河川については 2009 年 3 月および 2012 年 7 月に採水した。試料数は 324 に
及ぶ。採水地点を図 1 に示す。 大槌自噴水の帯水層は砂混じりのレキ層であり、深さ 26m から 31m にあることが知
られ、帯水層の上下は粘土層が分布している(加藤・伊勢、1965)。水質は地質の影響
を強く受ける。本地域の地質は北部北上帯に属し、山地域は古生代から中生代の砂岩と
頁岩を中心にチャートを伴う堆積岩と、白亜紀の花崗岩を主に閃緑ひん岩などからなる
火成岩類から構成されている。水質と地質の関係を見るため、本流と共に、流域面積が
狭く地質の影響がより強く表れる支流の河川水を採取した。本流の水質は上流域の水質
の影響を強く受けるために、主要三河川において数地点において採水した。 水試料の多くは、現地で気温、水温と酸性度(pH)、電気伝導度(E.C.:Electric
Conductivity)を測定した。水は現地でディスポーザブルフィルター(Acetate Cellurose 0.2mm)を用いてろ過し、6ml、50ml、100ml、のポリエチレン製ボトルに採取した。 水の水素と酸素の安定同位体比はキャビティーリング方式の装置(PicarroL2130-i)
を用いて分析した。主要溶存陽イオンと陰イオン)はイオンクロマトグラフィー装置
(ICS-3000、日本ダイオネクス社製)を用いて、また陽イオンと微量元素は誘導結合プ
ラズマ質量分析装置(ICP-MS 7500cx、アジレント・テクノロジー株式会社製)を用い
て分析した。ストロンチウム同位体分析は、Sr 濃度を定量後、陽イオンクロマトグラ
フィー法を用いて Sr を分離したのち、表面電離型質量分析装置(TRITON)および二重
収束型マルチコレクタ ICP-MS(NEPTUN、共にサーモフィッシャーサイエンティフィッ
ク株式会社)を用いて分析した。分析結果を表に示す。 水質分析の結果は、ARC-GIS(ESRI ジャパン社製)を用いて地図上に表示した。水質
成分の全体的な分布をより視覚的にとらえるため、各成分の濃度や安定同位体比が同じ
ような地点を統計的に処理した。この解析の目的は水質成分の再現性の向上にあるが、
統計的な処理方法によっても表現は異なる。本研究では Inverse Distance Weight 法と
Kriging 法を主に用いて検討した。 2)結果 (1)自噴帯は水質成分の違いから三地域に分類できる。それらの涵養域は大槌川、小
10
鎚川、城山にあると考えられ、それぞれ大槌川自噴水(黄色)、小鎚川自噴水(青
色)、城山自噴水(赤色)とよぶ(図 2)。 (2)Inverse Distance Weight 法と Kriging 法も同じような分布パターンを再現する
が、水温においては Kriging 法のほうが実際の分布とよく合っている(図 3)。こ
れに対して Sr 同位体についてみると、Inverse Distance Weight 法のほうが高い
同位体比 (赤色部)を良く再現できており(図4)、他の水質成分についても同
様であった。水温を除き水質の全体の特徴は Inverse Distance Weight 法を用い
て表示した。 (3)水の中で陰イオンとして溶存している塩素と臭素は、城山自噴水、小鎚自噴水、
大槌自噴水の順序(図 5)で、いっぽう硝酸イオンと硫酸イオンは、城山自噴水、
大槌自噴水、小鎚自噴水の順序(図 6)で濃度が低くなっている。 (4)支流河川の Sr 同位体比は、西部の上流域で低く東部の下流域で高い(図 7)。こ
れは花崗岩および砂岩頁岩の分布と調和的である。本流の河川水の Sr 同位体比は
支流の影響を受け下流に向かって高くなるが、流域に占める地質の違いを反映し
て、下流地点では大槌川、小鎚川、鵜住居川の順序で低くなっている。三地域の
自噴水で見られた Sr 同位体比の相違は、大槌川、小鎚川の下流地点の値、および
城山の谷水の値とよく一致している。 (5)水(H2O)を構成する酸素(O)と水素(H)の同位体比は、水そのものの起源を
示すトレーサーとして利用されている。両同位体比は共に、城山自噴水、小鎚川
自噴水、大槌川自噴水の順序で低くなっているが、小鎚川自噴水と大槌川自噴水
の違いは明瞭ではない(図 8,9)。大槌湾流域における支流河川水の両同位体比は
沿岸から上流域に向かって減少しており、高度効果や雨量効果によると考えられ
る。本流河川の両同位体比も下流に向かって高くなるが、同位体比の変動幅が小
さいこともあり、Sr 同位体比ほど明瞭な違いは見られない。 (6)水同位体過剰値と呼ばれる酸素・水素同位体から求められる数値(d値)は、小
鎚川自噴水、大槌川自噴水、城山自噴水の順序で低い(図 10)。支流河川水のd値
は沿岸から上流域に向かって増加しているが、大槌川、小鎚川、鵜住居川の順序
で高い。本流の河川水の下流におけるd値も、小鎚川では 16‰程度であり、大槌
川の 14‰程度に比べて明らかに高い。城山周辺の谷水のd値は 14 以下であり、城
山自噴水が低いことと調和的である。 (7)ケイ素は地質に由来する代表的な水質成分である。城山自噴水、小鎚川自噴水、
大槌川自噴水で濃度に明瞭な違いが見られる(図 11)。流域の支流河川水のケイ素
濃度の分布は大槌川で低く、本流の値にも反映されている。城山周辺の水はケイ
11
素が高い。自噴水のケイ素濃度は、これら三涵養域の値を良く反映している。 (8)陽イオンの主成分であるカルシウムまたカルシウムとよく似た地球化学的挙動を
するストロンチウムの濃度も、三自噴帯で明瞭な違いがあり、城山、大槌川、小
鎚川の各自噴帯の順序で低下する(図 12,13)。城山地域における両元素の濃度は
必ずしも高くないが、大槌川本流のほうが小鎚川本流より高濃度であり、涵養域
の特徴を保持している。両元素の濃度は大槌川では北から南に向かって濃度が増
加、いっぽう小鎚川では北北西から東南東に向かって濃度が減少する傾向が見ら
れる。 (9)マグネシウムも三自噴帯での違いが見られるが、大槌川自噴帯では北から南、小
鎚川自噴帯では西北西から東南東に向かって共に濃度が増加する傾向が見られる
(図 14)。しかしケイ素のように、涵養域の水質とは必ずしも一致しない。高いd
値は、冬期の降雪の寄与の違いを反映している可能性がある。 (10)ナトリウムやカリウムも三自噴帯で異なる濃度を示す(図 15,16)。大槌川自噴
帯は共に最も低濃度であるが、小鎚川自噴帯では北部に向かって濃度が高い傾向
が見られる。この特徴は、陰イオン(塩素、臭素、硝酸、硫酸)でも同様である。
大槌川自噴帯の最南部で塩素、臭素、ナトリウム、マグネシウム、カルシウムが
高い。 (11)表にあるように、自噴水の鉛、カドミウム、ヒ素、マンガン、ウランなどの重金
属の濃度は水質基準以下であり、いずれも飲用に適している。 (12)自噴水の 5 月と 6 月における同一地点の水質に有意な違いは見られない、いっぽ
う図書館など他年度に採取した値とは分析誤差以上の違いがあることから、季節
的変化があると考えられる。 3)考察 (1)三地域の水質成分の値が、大槌川と小鎚川の下流および城山の谷水とおおむね良
い一致を示すことは、これらが三自噴帯の涵養域であることを示している(図 2)。 (2)小鎚川自噴帯では北北西から東南東に向かって、また大槌川自噴帯でも北から南
に向かって、水温が 0.5℃ほど低下している(図 3)。この低下は季節変化あるい
は現在に向かう気温増加を示唆している。大槌自噴帯では最南部において水温が
上昇しており単調な低下でないことから、前者の季節変化による可能性が高い。 (3)大槌自噴帯の最南部では、塩素、臭素、カルシウム、マグネシウム、ストロンチ
ウム、ナトリウム、カリウム、モリブデン、バナジウムなどが高濃度である。水
やストロンチウムの安定同位体比に違いが見られないことは、海水の寄与による
12
可能性が小さいことを示している。 (4)大槌川自噴帯では北から南、また小鎚川自噴帯では西北西から東南東に向かって
マグネシウムやホウ素の濃度変化が見られるが、この違いは安定同位体比や他の
水質成分では見られないことから、涵養水の時間的変化を反映している可能性が
高い。 (5)城山起源の水は北部から涵養されているが、小鎚川地下水の西北西から東南東に
向かう流れに支配されて流動している。三自噴帯の分布域が比較的明瞭であるこ
とは、各水体の混合があまり起こっていないという考えを支持する。このことは
流速が 1 年程度と速いという水温からの推測と調和的である。 (6)図書館や町役場においては、2009 年からの水質データが得られている。これら
のデータと比較すると、2011 年 6 月は、塩素やナトリウムなど海水に由来する成
分が高くなっている。このことは涵養域で津波の影響を受けたことを示唆してい
る。津波後 3 ヶ月程度で自噴水に影響が表れたとすると、かなり速い流速が考え
られ、上記した考えと矛盾しない。 (7)微量元素においても上記した特徴が見られる。たとえばセレンは三自噴帯の特徴
が良く表れている。ホウ素も同様な傾向が見られる。バナジウムやモリブデンな
ども水質トレーサーとして利用できる(図 17,18,19.20)。 (8)三種類の自噴水は電気伝導度や酸性度でも識別可能である。採水できない場合は、
水温と共にこれらの簡易機器を用いることで現場で地下水を識別できる。しかし
流動方向の推定には、水質項目による検討が不可欠である。涵養域での水質の季
節変動をより短い時間精度でモニタリングすれば、流速などに関する情報が得ら
れると期待される(図 21)。 4)結論 大槌川と小鎚川および城山に囲まれた大槌町の自噴水の特徴、涵養域、地下での流
動を明らかにするため、自噴水を高密度で採水すると共に、流域全体にわたって河川水
を採水し、さまざまな水質項目について分析し、その結果を水質マップに表示して検討
した。 その結果、①本地域の河川水は両河川の下流域と城山から涵養されていること、②
大槌川起源の自噴水は北から南、小鎚川起源の自噴水は西北西から東南東に向かって流
動していること、③自噴域内での時間間隔は 1 年程度であり、流速が速いことが明らか
になった。両河川の下流域および各自噴帯の代表的な地点において、水質項目の季節変
13
化を明らかにすることが望まれる。この点が明らかになれば、涵養域のさらなる特定と
共に涵養量など水資源の持続利用に有益な情報が得られると期待される。 14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
2.湧水に生きる水生生物:大槌の湧水生態系を構成する生物相 1)大槌川・小鎚川水系の水質モニタリング (1)調査方法 大槌川・小鎚川水系の水質を調べるために,多項目水質計により 2012 年 2 月から 2014
年 2 月にかけて 1~2 か月おきに計測した。計測項目は,水温,電気伝導度(以下,EC),
pH,溶存酸素濃度(以下,DO),塩分濃度の 5 項目である。ただし,大ヶ口川とふれあ
い川については,淡水域であるため塩分濃度は計測していない。 (2)結果および考察 水温については,湧水の湧出が確認されており,干満の影響がない地点である源水川
1~3,マスト川 3 湧水と 3~4,ふれあい川,大ヶ口川では,その他の地点と比して水
温変動が少ない(図 1~6 水温)。一方,新規水域ではいずれの地点も水温変動が大きい
が,これは,海水の流入の影響に加え,水深が浅いために外気温の影響を受けやすいこ
とが原因であると考えられる(図 7 水温)。しかしながら,いずれの地点も水温が 20℃
を超えることが少なく,水温の観点からは北方系の淡水魚であるイトヨの生息には概ね
適していると言える。 マスト川では地点 1 と 2 まで,小鎚川では地点 1 まで干満の影響が及び,EC と塩分
濃度の変動が大きい(図 2 と 6EC および塩分濃度)。一方,干満の影響が及んでいない
淡水域では,いずれの地点でも EC と塩分濃度は低い値で安定している(EC および塩分
濃度 in 図 1~6)。また,町方にできた新規水域については,いずれの地点でも干満の
影響があり,EC と塩分濃度の変動が大きい(図 7EC および塩分濃度)。 一般に,水生生物は水中の DO が 4 mg/L 以下になると低酸素状態に対する忌避行動や
生理的な適応変化が生じ,2 mg/L 以下になると生存が困難になる(例えば,Edy and
Crowder, 2002; Bell and Eggleston, 2005)。本研究では,ほとんどの地点,時期において 4 mg/L 以下になることはなく,水生生物の生息環境として,好適であると言える(図 1
~7 DO)。 2)湧水が水上気温に与える影響 (1)調査方法 2013 年 8 月(夏季)および 2014 年 2 月(冬季)に自作の水上気温計(図 8)によっ
て,河川横断方向にとらんセクトを 3 つ設定し,トランセクト上を 1m ごとに水上気温
および水温を計測した。水上気温は,0cm,10cm,20cm,30cm,40cm,50cm,70cm,100cm
25
の 8 か所を計測した。調査地点は,源水川 1,マスト川 4,大ヶ口川,大槌川,小鎚川
2 の 5 地点である。 (2)結果および考察 ここでは,源水川 1 の結果を示す。夏季には,水面から 10~20cm 程度までは,水温
の影響を受け,気温が比較的低く保たれていた(図 9)。一方,冬季には,水温の明確
な影響は認められなかったが,やや外気温よりも水面付近の気温が高かった(図 10)。
これらの結果から,少なくとも夏季には水面から 20cm 程度までは水温の影響を受け,
陸生昆虫に好適な安定した温度環境を形成している可能性がある。湧水は年間を通じて
水温変動が小さく,湧水生態系独自の特性として,水面付近の温度変動が小さくなって
いるのかもしれない。 3)大槌川・小鎚川水系の生物相モニタリング (1)調査方法 2013 年 8 月および 10 月に魚類を含む水生生物の採集調査を行った。採集には,タモ
網,ミノートラップ,小型定置網を用いた。また,潜水目視観察も行った。 (2)結果および考察 2013 年に行った魚類採集調査において確認された魚種を表 1 に示す。その結果,全
17 種の魚類が確認された。採集に定置網を用いたマスト川 1 と新規水域では,網羅的
に採集できていると考えられるため,大槌町の低平地における出現する可能性のある魚
種はほとんど確認できたものと思われる。 加えて,魚類以外の生物で特筆すべきものとしてマスト川 5 において,トウホクサン
ショウウオが採集されている。 4)既存生息地および新規水域のイトヨの形態的特徴 (1)調査方法 2013 年 2 月から 2014 年 2 月にミノートラップを用いて採集した既存生息地および新
規水域のイトヨについて,標準体長(以下,体長)を計測した。これらのデータを基に,
体長組成の季節変化を調べた。加えて,遡河イトヨの降海期(Kitano et al。, 2012
参照)である 8 月以降(8 月と 10 月に実施)については,小型定置網を用いて降海個
体を,タモ網を用いて残留個体(未降海個体)をマスト川と新規水域で採集し,それら
の特徴をクラスタル・ウォリス検定により調べた。 26
また, 2013 年 5 月に採集した新規水域の一部の個体については,体長の他に,頭長・
眼径・体高・尾柄高・第 2 背棘長・左右の腹棘長を計測し, 背びれ鰭条数・臀びれ鰭
条数・鰓は数を計数した。加えて,対照群として,源水川およびマスト川の個体につい
ても同様の計測・計数を行った。これらのデータを基に主成分分析を行い,新規水域に
生息するイトヨの形態的特徴を調べた。 (2)結果および考察 体長組成の結果から,体長 30 ㎜以下の稚魚が,マスト川 1・3・4(図 12),大ヶ口川
(図 14),小鎚川・ライギョ沼(図 15)で確認された。また,源水川 2 と 3 およびマス
ト川 5 ではイトヨの営巣・産卵行動を確認しており(森ほか,未発表データ),源水川,
ふれあい川では震災以降,継続的にイトヨを確認している(久米ほか,2013)。これら
のことから,既存のイトヨ生息地では,いずれにおいても再生産が行われていると考え
られる。 源水川 2 では 2013 年 3 月に明瞭な二峰型の体長組成であったのが,5 月になると単
峰型もしくは一方の峰が不明瞭になった(図 11)。これは,大型群が早期に繁殖した個
体が死亡したこと,および小型群が成長したこと,が要因であると考えられる。また,
源水川 3 では,10 月末でも体長 30~35 ㎜の小型個体が採集されている(図 11)。これ
らの個体は,繁殖期後期に産まれた個体であると推測される。 マスト川 3 と 4 では 2013 年 3 月に明瞭な二峰型の体長組成であったのが,5 月にな
ると単峰型もしくは一方の峰が不明瞭になった(図 12)。これは,大型群が早期に繁殖
した個体が死亡したこと,および小型群が成長したこと,が要因であると考えられる。
また,マスト川 1 では,イトヨが少数しか採集できていないこと,降海個体と思われる
個体も少数のみであったこと,および流量変動が大きいことから,この地点で採集され
た個体は,河川内移動した個体であると考えられる。 ふれあい川では,2013 年 3~5 月は体長の範囲が大きいのに対して,6 月以降は非常
に狭い範囲にのみ体長が集中していた(図 13)。大ヶ口川では,年間を通じて 8 個体の
みしか採集されることがなかった(図 14)。この大ヶ口川個体群は,大槌川を通じて侵
入した少数の個体が 2013 年に再生産したため,稚魚および成魚が確認された可能性が
高いと思われる。一方,小鎚川の個体群は,堰堤の下流に生息し,流速が比較的早く,
生息適地は散在している。そのため,本研究での採集個体数は少ないが(図 15),個体
群サイズは経年的に個体群を維持できる程度に大きいと考えられる。 新規水域において,体長 30 ㎜以下の稚魚が確認された(図 16)。加えて,2012 年か
ら継続的にイトヨを確認している(久米ほか,2013;森ほか,2013)。これらのことか
27
ら,震災時に新規水域に侵入したイトヨは,再生産を繰り返し,個体群を維持している
ことを示唆される。6 月に新規水域 1 では稚魚が大半を占め,新規水域 2 では稚魚のみ
しか確認できなかった理由としては,水域に土砂が堆積し,水深が浅くなったため,成
魚の生息には不適であったことが考えられる。それぞれの水域は水路で繋がっており,
水深が深い場所があり,成魚の生息に好適である新規水域 3 に移動したものと推察され
る。 マスト川では,降海個体と残留個体との間には,体長組成に違いは認められなかった
(P > 0.05;図 17)新規水域でも同様に,降海個体と残留個体との間には,体長組成
に違いは認められなかった(P > 0.05;図 18)。よって,本研究の結果からは,降海個
体の形態的特徴は明らかにできなかった. 一般に,イトヨの降海時期は個体群によって異なるものの,7~12 月までとされてい
る(Kitano et al., 2012).マスト川および新規水域では,降海時期を過ぎた 12 月以降に
もイトヨが採集されていることから(久米ほか,2013;森ほか,2013),淡水性の生活
史を有する個体も存在し,いずれの新規水域も感潮域(図 2,7 塩分濃度)であること
から,残留個体が河川内移動したものと降海個体を混獲している可能性もある. 主成分分析の結果,第 3 主成分までで 78.1%の説明力が認められた(表 2).第 1 主
成分は体形および外敵からの防衛・忌避に関する形質,第 2 主成分は鰭の鰭条数,第 3
主成分は摂餌に関する形質をよく説明していた(表 2)。第 1 主成分によって,源水川
個体群とその他の個体群を分けることができたが,第 2・第 3 主成分では,重複が大き
く個体群を分けることは困難であった(図 19)。2012 年 10 月と 11 月の標本を用いて解
析を行った結果では,高確率で源水川・マスト川・新規水域の個体群を判別できている
(森ほか,2013)。源水川には淡水性の太平洋イトヨのみが生息するのに対して,マス
ト川には淡水性の太平洋イトヨと遡河回遊性の日本海イトヨが生息している(Takamura
& Mori, 2005)。これまでの遺伝解析によって,新規水域には日本海イトヨの遺伝子を有
する個体が確認されていることから(森ほか,2013),新規水域では,太平洋イトヨと
日本海イトヨの交雑が生じ,両者が生息するマスト川の形態的特徴と類似してきている
のかもしれない。 引用文献 Bell, G. W. & D. B. Eggleston (2005) Species-specific avoidance responses by blue crabs and
fish to chronic and episodic hypoxia. Marine Biology 146: 761-770.
Eddy, L. A. & L. B. Crowder (2002) Hypoxia-based habitat compression in the Neuse River
Estuary: context-dependent shifts in behavioral avoidance thresholds. Canadian Journal
28
of Fisheries and Aquatic Sciences 59: 952-965.
Kitano, J., A. Ishikawa, M. Kume & S. Mori (2012) Physiological and genetic basis for
variation in migratory behavior in three-spined stickleback, Gasterosteus aculeatus.
Ichthyological Research 59: 293-303.
久米学・北野潤・鷲見哲也・西田翔太郎・森誠一(2013)東日本震災後の湧水生態系の
回復~岩手県大槌町のトゲウオ科イトヨを中心に.日本生態学会年会ポスター発
表 P2–351. 森誠一・久米学・西田翔太郎・北野潤・鷲見哲也(2013)東日本大震災後の湧水生態系
の回復:水域復活によるイトヨの生息域拡大.日本生態学会年会口頭発表 J1-07. Takamura, K. & S. Mori (2005) Heterozygosity and phylogenetic relationship of Japanese
threespine stickleback (Gasterosteus aculeatus) populations revealed by microsatellite
analysis. Conservation Genetics 6: 485-494.
29
30
31
32
33
34
35
36
8
37
38
39
40
41
3
8-9 Aug. 2013
N =8
2
1
0
0
10
20
30
40
50
(mm)
14
42
60
70
80
43
44
45
46
47
48
49
5)市街地における植物相と群落 は じ め に 大槌町の津波被害地にできた湿地には様々な植物が生育している。ここにどのような
植物が生育しているのかを把握するためのフロラ調査と、どのような植物群落がみられ
るのかを把握するための植生調査を、震災後3年目の 2013 年夏・秋期に実施した。 ( 1 ) 調 査 方 法 ①フロラ調査 調査対象地に生育する維管束植物を記録した。なお、絶滅危惧種に関しては維管束植
物以外の植物も調査の対象とした。
②植生調査 植生調査は植物社会学的な方法によった。 ( 2 ) 調 査 結 果 ① 植物種 今回の現地調査によって確認された植物は、調査地域全体で 55 科 264 種であった。
その出現種の内訳を表 1 に、また植物目録を表2(1〜4)に示す。 表 1 植物出現種内訳
大分類
科数
種数
レッドリスト種数
ゼニゴケ植物門
1
1
1
シダ植物門
2
3
離弁花類
27
102
2
31
合弁花類
13
68
1
30
12
90
4
11
55
264
8
72
被子植物門
双子葉植物
単子葉植物
合計
外来種数
* 種数:ここでは種以下のタクソン数を
示す
* 外来種数には逸出種数も含む
調査地域は津波被害を受けた海沿いの市街地であったが、潮をかぶりまた地盤沈下で
50
地下水位が上昇したことにより塩性湿地、淡水性湿地、そしてその中間的湿地などが出
現している(写真1a, b)。 写真1a:調査地概観 写真1b:調査地概観(湿地景観) 湿地で無いところは住宅跡地の造成跡地的環境や道路などがほとんどである。 調査地域全域で確認された主な植物は、塩性湿地などではナデシコ科のハマツメクサ、
ウシオハナツメクサ、ウシオツメクサ、ウスベニツメクサ、アカザ科のホソバノハマア
カザ、ホコガタアカザ、ウラジロアカザ、それ以外はチシマドジョウツナギやアキノミ
51
チヤナギなどが出現した。 淡水性湿地では、ミソハギ、エゾミソハギ、チョウジタデ、ヒメサルダヒコ、カワヂ
シャ、タウコギ、ヘラオモダカ、オモダカ、ミズアオイ、イグサ科のタチコウガイゼキ
ショウ、ハリコウガイゼキショウ、イ、ドロイ、ホソイなど、イネ科のヨシ、ツルヨシ、
クサヨシなど、カヤツリグサ科のマツバイ、フトイ、サンカクイ、アブラガヤなど、多
くの種が出現した。それ以外にはミクリやガマ科の 3 種、滞水している場所にはアオウ
キクサやシマウキクサなども見られた。 住宅跡地や道路沿いなどには、エゾノギシギシ、ミチヤナギ、シロザ、シロツメクサ、
カタバミ、メマツヨイグサ、オオバコ、ヨモギ、オオヨモギ、コセンダングサ、ヒメム
カシヨモギ、セイタカアワダチソウ、メヒシバ、スズメノカタビラ、エノコログサ類な
どが出現した。またヤマオダマキなど、人家に植えられていたと思われる種も生育して
いた。 外来植物の種数は 72 種で、外来植物率(全出現種数に対して外来植物の占める割合)
は 27.3%であり、都市域の河川敷ではこの値が 30%を超える場所もあるといわれてい
るがそれに近いかなり高い値であった。 外来植物が生育する環境としては、自然界でも都市などの人工的環境でも攪乱を受け
た場所が多く、今回の調査においては、市街地であった当時の都市的な環境の攪乱もあ
るが、現在の外来種数の多さは津波による攪乱も大きく起因していると考える。 調査地域でみられた主な外来植物としては、エゾノギシギシ、オランダミミナグサ、
ウシオハナツメクサ、ウスベニツメクサ、ホコガタアカザ、ウラジロアカザ、ハルザキ
ヤマガラシ、ミチタネツケバナ、シロツメクサ、アカツメクサ、アメリカセンダングサ、
コセンダングサ、セイタカアワダチソウ、オオアワダチソウ、セイヨウタンポポ、オニ
ウシノケグサ、ナガハグサなどが見られた。 ② レッドリスト種について 今回の調査で確認された環境省及び岩手県のレッドリスト種は 8 種であった。 岩手県レッドリストのランクは下記のようになっている。 Aランク…環境省絶滅危惧ⅠA類に相当 Bランク…環境省絶滅危惧ⅠB類に相当 Cランク…環境省絶滅危惧Ⅱ類に相当 Dランク…環境省準絶滅危惧に相当 出現したレッドリスト種について述べる。 52
・イチョウウキゴケ(環境省:準絶滅危惧種NT) ウキゴケ科の植物でイチョウの葉形に似た形となる。別名イチョウゴケ、イチョウ。 ウキクサともいわれ、日本全国、世界中に分布する。水田や池の水面に浮遊し、水
を抜いた水田にも生育する。今回は滞水している場所に見られた。 ・サクラタデ(岩手県:Cランク) 低地の日当たりのよい水辺に生える多年草で、水田や放棄水田などにも生育する。
花色がサクラに似ていることからの名前である。本州から沖縄にかけて分布する。
今回は湿っている場所に生育していた。 環境省のレッドリストには挙がっていないが、岩手県以外に秋田県や東京都などの 地域レッドリストでは対象になっている種である。 ・タコノアシ(環境省:準絶滅危惧種NT、岩手県:Bランク) 湿地生の多年草で、泥湿地、沼、水田、川原など、水位の変動する場所に多い。花
序の枝に多数の花が並び、タコの吸盤のように見えることからこの名前がついた。
本州から奄美大島、東アジアに分布する。今回は湿っている場所や滞水している場
所、湧水ポイントの近くなどで生育していた。 ・カワヂシャ(環境省:準絶滅危惧種NT、岩手県:Cランク) 川べりに生えるチシャという意味で付けられ、若葉は食用になる。田のあぜや川岸、
用水路のふちなど湿った場所に生える。分布は本州から沖縄にかけて分布している。 今回は湧水ポイントの近くで水の流れの脇で見られた。 ・ミズアオイ(環境省:準絶滅危惧種NT、岩手県:Aランク) 沼、溝、水田などの浅い水中に生える大型の抽水植物の 1 年草である。葉の形がア
オイ(カンアオイ)に似ていることによる名前である。東南アジアなどでは野菜と
して利用され、日本でも昔は食用にされた。分布は北海道から九州、朝鮮、中国、
ウスリーである。 今回は滞水している場所で見られた。 ・ハナビゼキショウ(岩手県:Cランク) 原野や休耕田などの湿地に生える多年草である。 この種も環境省のレッドリスト種ではないが、東京都や鹿児島県などではよりラン クの高いレッドリスト種に指定されている。 ・チシマドジョウツナギ(岩手県:情報不足) イネ科のチシマドジョウツナギ属の種で、特にシベリアに種類が多い。株立ちにな る多年草で、分布は北海道の海岸湿地、東京湾、九州北部である。 53
今回は塩性湿地と思われる場所に多く見られた。 ・ミクリ(環境省:準絶滅危惧種NT、岩手県:Dランク) 池沼などの止水的環境に生える抽水植物の多年草で、実が栗のいがのような形から の名前である。 アジア・ヨーロッパ・北アフリカの温帯まで広く分布し、日本でも北海道から九州 まで分布しているが、ほとんどの都道府県でレッドリスト種に挙がっている。日本
でのこの属は、湧水起源の流水もしくはミクリのような止水に生育する種がほとん
どで、湧水環境が保全できなければこれらの種の生育が難しくなるものと考えられ
る。今回は滞水している場所で見られた。 参 考 文 献 奥田重俊編(1997)日本野生植物館.小学館. 佐竹義輔他編(1994)日本の野生植物 草本Ⅰ.平凡社. 佐竹義輔他編(1994)日本の野生植物 草本Ⅱ.平凡社. 佐竹義輔他編(1994)日本の野生植物 草本Ⅲ.平凡社. 日本生態学会編(2002)外来種ハンドブック.地人書館. ③植物群落(表3) 得られた 185 の植生調査資料をもとに表操作により、12 の植物群落を抽出した。調
査地点を図1に示した。 図1.植生調査地点
54
確認できた植物群落は木本群落がタチヤナギ-オノエヤナギ群落でそれ以外は草本
植物群落であった。以下に群落の特徴や種構成について述べる。タチヤナギーオノエヤ
ナギ群落についてのみ確認地点や群落識別種などを表4で示すが、他の群落においても
同様の調査資料に基づき確認している。
タ チ ヤ ナ ギ ー オ ノ エ ヤ ナ ギ 群 落 (表4)
タチヤナギ、オノエヤナギ、バッコヤナギ、イヌコリヤナギといったヤナギ類とネズ
ミホソムギなどを識別種とする群落である。主な出現種にエゾノギシギシ、イ、オオバ
コ、タコノアシ、ヨモギなどが出現する。旧大槌駅近くで確認された(図2)。植物社会
学的な群落分類ではタチヤナギ群集 Salicetum subfragilis Okuda 1978 に同定され
る群落と考えられる。
カ ワ ヂ シ ャ - タ マ ガ ヤ ツ リ 群 落 (写真2)
マツバイ、タマガヤツリ、イヌタデ、カワヂシャ、スカシタゴボウ、コゴメガヤツリ、
アゼテンツキ、スズメノカタビラ、ヒメコウガイゼキショウ、トキンソウを識別種とす
る低茎の植物からなる植物群落である。タガラシ、チョウジタデ、アオガヤツリなどが
出現するタガラシ下位単位とこれらを欠く主部とに分けられる。主な構成種にはアメリ
カセンダングサ、イヌビエ、オオイヌタデ、エゾミソハギなどがあげられる。植物社会
学的には、小川の岸部や耕作放棄水田などに分布するスズメノテッポウ-タガラシ群集
Alopecuro-Ranunculetum scelerati Miyawaki et Okuda 1972 に相当する。カワヂシ
ャ-タマガヤツリ群落は内陸側の湧水湧出地点近くに点在する(図3)。
図2.タチヤナギーオノエヤナギ群落分布図
55
図3.カワヂシャ-タマガヤツリ群落分布図
ガ マ 群 落 (写真3)
ガマを識別種とする植物群落で、ガマの他にヒメガマ、サンカクイなどが出現する。
このほかにアメリカセンダングサ、クサヨシなどが出現する。ガマ群落は調査地西側の
淡水からなる泥質土の堆積した浅い池に分布している(図4)。
図4.ガマ群落分布図
ヒ メ ヌ マ ハ リ イ 群 落 (写真4)
ヒメヌマハリイを識別種とする群落である。ヒメヌマハリイが優占する植分やエゾミ
ソハギやサンカクイなどが上層を占め、その下にヒメヌマハリイが生育している植分も
含まれる。塩性湿地と淡水性湿地の境界部に発達することが多い(図5)。
56
図5.ヒメヌマハリイ群落分布図
ヨシーヒメガマ群落
ヨシを識別種とする群落でありヨシやヒメガマが優占する植分が多い。サンカクイ、
エゾミソハギなどが出現する。図6に分布図を示した。
図6.ヨシ-ヒメガマ群落分布図
ヒ メ ガ マ ー イ 群 落 (写真5)
イを識別種とする群落であり、相観的にはヒメガマ群落であり、下層にサンカクイを
伴う、本調査地では最も普通な淡水性の湿性植物群落である。図7に分布図を示した。
57
図7.ヒメガマ-イ群落分布図
ミクリ群落
ミクリが優占する植物群落である。一か所で調査された。
ヒ メ ガ マ ー オ オ ク サ キ ビ 群 落 (写真6)
オオクサキビ、ヤナギタデ、ドロイ、タコノアシなどを識別種とする群落で、相観的
にはヒメガマやサンカクイの優占する湿性植物群落である。
図8.ヒメガマ-オオクサキビ群落分布図
58
図9.ヤマハギ-ノコンギク群落分布図
ヤ マ ハ ギ ー ノ コ ン ン ギ ク 群 落 (写真7)
ヤマハギ、ノコンギク、ススキなどを識別種とする群落である。湿地ではなく中性立
地にみられる群落で、調査地東側の防潮堤近くに大きな広がりがある(図9)。
ヨモギーアキノエノコログサ群落
アキノエノコログサ、キンエノコロなどを識別種とする群落である。ヨモギ、シロツ
メクサ、アカツメクサなどが出現する。湿地性の植物群落ではなく中性立地に発達する
植物群落で、調査地の東側と西側に分布している(図 10)。
図 10.ヨモギ-アキノエノコログサ群落分布図
59
オオイヌタデーアメリカセンダングサ群落
アメリカセンダングサ、コブナグサなどを識別種とする群落で、ヨモギが優占する植
分が多い。塩湿地の周辺に分布する傾向がある(図 11)。
図 11.オオ イヌタ デーア メリカ センダ ングサ 群落分布図 図 12.ホコガタアカザーウスベニツメクサ群落分布図
ホ コ ガ タ ア カ ザ ー ウ ス ベ ニ ツ メ ク サ 群 落 (写真8)
ウスベニツメクサ、ホコガタアカザ、ウラジロアカザといった塩湿地生の外来植物を
識別種とする植物群落である。調査地の中央部を中心に旧線路を超えてかなり内陸域ま
で分布している(図 12)。ケアリタソウ、オオバコ、シロツメクサなどを識別種とする
オオバコ下位単位とウシオツメクサ、ホソバノハマアカザ、チシマドジョウツナギ、ア
キノミチヤナギを識別種とするウシオツメクサ下位単位に下位区分することができる。
このウシオツケクサ下位単位は、在来の塩性地湿地生の植物が識別種となっていて、植
60
物社会学的にはチシマドジョウツナギ群集 Puccinellietum kurilensis Ko. Ito 1963 に
同定可能な群落である。
表2−1.植物目録 !"#$%&'(
ÄÅ9
2345%&6789:
JK%&6
ÇÉ%&6$7ÑÉÖ%&Üá
àâ9:
=*
Marchantiophyta
;<45=
FGH=
IJK=
MED=
YQV<=
GN=
>OGH=
Xd=
CoTcp=
EdJL=
_Yu=
cp=
<\ä;x=
q|Orw=
iGKa=
5J=
_^OE=
p<VJX=
QO=
)*
>?@;;<45
CDE
FGH
L;MNOP
QRLMED
>SLTMED
UVWMED
X?MED
MZ[\V<
GNGH
MZ]N
M^ZU
_UYO`J
abc<
HGOXd
MEDXd
UU>SXd
>SXd
MVf]H
aghQ
a?MED
_<Va?MED
>XiT
_j?DJDJ
EnQDJDJ
DJDJ
WgVDJDJ
CoTcp
UO\KaaE]H
aaE]H
qIGH
[ZqIGH
`JFTEdJL
rJ]s
;JU[EqIGH
;JUqIGH
;Co3qIGH
;J[Lo
thQV[Z_Yu
tLnX_Yu
Jsu
5_TXh;
4;Jv;_TXh;
;Ows_Yu
>SPp
cp
th_Ux>F;
MZUKZ<
{X\|}
5<qfV{X\
XnOJ
_Uq|Orw
iGKa
GHVU;
X53]H
[}u<MZnOJ
EbE
Xfq5QE
a?Xfq5QE
ZI]\Q>EbE
UO\KnOJ
>SnOJ
CYJX4{;
XLV_J
P>?4
M^P>?4
+*
Ricciocarpos natans
Equisetum arvense
Equisetum hymale
Onoclea sensibilis v.interrupta
Salix bakko
Salix integra
Salix sachalinensis
Salix subfragilis
Alnus hirsuta v.sibirica
Fatoua villosa
Morus australis
Boehmeria japonica v.longifolia
Boehmeria nipononivea f.concolor
Antenoron filiforme
Persicaria conspicua
Persicaria hydropiper
Persicaria lapathifolia
Persicaria longiseta
Persicaria nipponensis
Persicaria thunbergii
Polygonum aviculare
Polygonum polyneuron
Reynoutria japonica
Rumex conglomeratus
Rumex crispus
Rumex japonicus
Rumex obtusifolius
Portulaca oleracea
Cerastium glomeratum
Cerastium holosteoides v.angustifolium
Sagina japonica
Sagina maxima
Silene armeria
Silene firma
Spergularia bocconii
Spergularia marina
Spergularia rubra
Stellaria aquatica
Atriplex gmelinii
Atriplex hastata
Chenopodium album
Chenopodium ambrosioides
Chenopodium carinatum
Chenopodium glaucum
Amaranthus lividus
Amaranthus mangostanus
Amaranthus patulus
Aquilegia buergeriana
Clematis apiifolia
Ranunculus cantoniensis
Ranunculus sceleratus
Cocculus orbiculatus
Houttuynia cordata
Chelidonium majus v.asiaticum
Macleaya cordata
Barbarea vulgaris
Capsella bursa-pastoris
Cardamine flexuosa
Cardamine hirsuta
Lepidium virginicum
Nasturtium officinale
Rorippa indica
Rorippa islandica
Penthorum chinense
Duchesnea chrysantha
Duchesnea indica
,-.
AB
/01
e
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
klm
yzm
klm
klm
klm
klm
klm
AB
~
61
表2−2.植物目録 62
表2−3.植物目録 63
表2−4.植物目録 64
表3.群落識別表 65
66
67
!"#$%&'()*+,-'()./
GPS103a
2013/11/04
16
3
50
1.1
20
0.4
80
34
GPS103b
2013/11/04
16
4
20
1.5
45
0.7
75
22
S
K
S
K2
K2
S
K
K
K2
22
1
22
+
33
22
11
+
1
1
11
11
+
22
22
1
1
+
K2
K2
K
K2
K2
S
K2
K2
K2
K2
K
K
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K2
K
K2
K2
K2
K
K2
22
11
+
1
11
11
11
+
12
+
+
22
1
+
+
+
+
11
+
+
+
+
+
+2
+
+
+
+
+
1
1
1
1
22
22
1
+
11
11
11
11
+
+
11
33
+
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
11
22
+
+
{|}~
{|ÄÅ
{|ÇÉ(Ñ)
ÖÜhiop(m)
ÖÜhijkl(%)
fghiop(m)
fghijkl(%)
fghmnhiop(m)
fghmnhijkl(%)
qrst
%&'()u+,-'()./vws
%&'()0
Salix subfragilis
2345'()0
4(670
89:;<=)0
>?4'()0
Salix integra
Lysimachia japonica
Lolium x hybridum
Salix bakko
++@A&,)B0
Conyza sumatrensis
xyzys
20
-C,)D)D0
-C:<E)0
Juncus effusus v.decipiens
Rumex obtusifolius
Lythrum salicaria
++>40
+,-'()0
BF20
FGHB20
DIJKBF0
%4,@D0
LKMN0
OP)0
Plantago asiatica
Salix sachalinensis
Juncus tenuis
Scirpus triqueter
Trifolium repens
Penthorum chinense
Typha angustifolia
Artemisia princeps
28Qsp.
H%>:0
4R(SF0
T2OU%GVV0
%&4UM2WXDYU0
JZBF0
[B\:0
[I20
E]^X'NM_D0
R%(0
`_G6)B0
a72&b0
::(SF0
K[E)0
KNJO2SF0
'RN+0
+cUD,dSF0
BFOD0
T2%H@e\&<U0
LKa72&b0
Poaceae sp.
Oxalis corniculata
Arthraxon hispidus
Taraxacum officinale
Juncus krameri
Commelina communis
Houttuynia cordata
Juncus gracillimus
Barbarea vulgaris
Hypochoeris radicata
Chrysanthemum leucanthemum
Duchesnea chrysantha
Cerastium holosteoides v.angustifolium
Lespedeza cuneata
Oenothera biennis
Boehmeria japonica v.longifolia
Festuca arundinacea
Phalaris arundinacea
Solidago altissima
Potentilla centigrana
K:草本層、K2:第二草本層、S:低木層 68
69
付記:確認された主な植物種 70
71
72
73
3 . 大 槌 の 宝 を 活 か し た 復 興 ま ち づ く り に 関 す る 意 識 調 査 はじめに 大槌町は震災の被害地域内で比較しても高い人口減少率となっている。町復興戦略会
議資料でも、それを裏付ける様に低い定住意向(世帯主の 6 割~7 割、中学生以上の学
生ではわずか 3 割)が示されている。復興まちづくりを進める上で、定住意向を高める
事は決定的に重要と考えられる。一方で同資料によれば、定住希望の理由として「生ま
れ育った故郷だから」をあげた方が最多であった。したがって、「故郷」らしさ、大槌
らしさを活かしたまちづくりが、復興に向けて定住意向を高めるために、決定的に重要
と言える。 また、住民の主体的なまちづくり活動への参加が復興には重要とされる。先行研究に
より、住民参加と「地域への愛着」は密接な関係があると考えられている。そこで、大
槌町の住民のみなさんの大槌に対する愛着をキーワードとした調査として、①愛着の源
泉となる「大槌の宝物」(森、2011)聞き取り調査と、②大槌に対する愛着とまちづく
り活動への参加要因を明らかにする質問紙調査を行なった。さらに、サケの孵化や近海
漁業、人々の生活に大槌町の成立から貢献してきた③湧水やそこに生息するイトヨと地
域への愛着の関係についても解析した(図1)。 図1.大槌に住みたい理由(町復興戦略会議資料より) 74
1)聞き取り調査 (1)聞き取り調査の概要 聞き取り調査は、2013 年 9 月~11 月に行なった。出来るだけ様々な方々のお話しを
伺うため、仮設住宅の談話室や、集会場での行事の前後、田畑や漁港で作業中の方から
バス停で待ち合わせの方まで、出来るだけ自然体に「あなたにとって大槌の宝ものとは
何でしょう?」とお声をかけさせて頂いた。大槌の歴史・文化、自然、産業にとって特
に重要だと思われる「湧水」と「イトヨ」についても関わりや思い出など質問させて頂
いた。これらの質問は殆どの場合、ふるさと大槌への想いや、今後の定住意向、悩み、
復興まちづくりについてお話しいただく糸口となった。また、調査中、大槌の文化や自
然に詳しい方やまちづくり活動を行って居る方を調査中ご紹介頂いた際には、訪問して
詳しくお話しを伺った。調査中 9 歳~89 歳まで約 140 人の方にお話しを伺う事が出来
た。 (2)聞き取り調査の結果 聞き取り調査によって、大槌の宝物や、イトヨ、これからの大槌や定住意向など様々
なお話しをお伺いする事が出来た。以下例示する。 ・大槌の宝物について 「わかめ、鮭、ひょうたん島」(40 代女性) 「きれいな空気と水」(70 代女性) 「イトヨ、我慢強さ、思いやり、自然、空気、里海、マツタケ、自然の宝、住んだらす
ばらしい人情味」(60 代男性) 「かき、さんま、湧水、安渡小学校の桜、孵化場の桜、安渡の大仏様」(60 代男性) など、町内の様々な事物をお教えいただいたと同時に大槌の宝物に関わる住民によるま
ちづくり活動を聞くことが出来た。 ・イトヨについて 「見たことはある」(40 代女性) 「孵化場の周りに住んでる」(70 代女性) 「みんな知ってる。わざわざ(秋篠宮)殿下がおいでたから」(60 代男性) 「昔はいっぱいた。今もいんのケ?」(70 代男性) 「中学にいた」(10 代男性) 「震災後に知った。専門家が調査してくれているから安心」(40 代男性) 75
など、殆どの町民の方が認知していたり実際に見ていた。一方で見たことはあっても、
直接触れあった方は「主人と一緒にイトヨ生息地の掃除を毎月行って居た(60 代女性)
など少なかった。 ・定住意向 「大槌町に愛着があって離れがたい。野菜ができるような場所がほしい」(70 代女性) 「人間や地域のつながりがあるし、代々ここで商売をしてきたから離れられない。離れ
てしまったら、残った人たちに仲間を捨てたと思われる」(60 代男性) 「津波が来て怖いけれど、海のあるこの町がいい」(20 代女性) 「仮設の人は、生きているうちにちゃんとしたところに住めるのかなという不安をちょ
くちょく言う」(40 代女性) などの想いを聞くことが出来た。 ・仕事について 「これからやっていくには水産。なんとしてでも企業誘致しなければ」(60 代男性) 「冷蔵庫の仕事がもう少しあるとましになる。足があって仕事があればみんな元気にな
る」(40 代女性) 「サケ、マスがダメになったから、まぐろに変えた人もいっぱいいる」(20 代女性) 「家を建てたいと思っている人が多い。貯金する人が多く、売り上げが落ち困っている。
食材だけしか買わない人が多い。」(60 代男性) ・復興まちづくりについて 「贅沢でなくてもいい、普通の町でいい。大槌らしい海と山があれば」(60 代男性) 「(このままでは)出て行った者は戻ってこない。出て行きたくて出て行った者はいな
い。帰ってこれるまちづくりを行政が考えて欲しい」(60 代男性) 「海が見えなくなるのは返っておっかなくなる、海の様子がみえないと…。津波が堤防
を越えたら滑り台状態になって返って危ないのでは。海の町なのに海が見えないなんて
悲しい。」(40 代女性) 「釜石に子供がいる。いつか帰ってきてくれるまちにもどってほしい」(60 代女性) 「震災で大槌の大事な物がなくなりそうになっている。大槌の鮭を描いた中学校の卒業
制作とか、ゆかりのある詩人の作品とか…町行政もそこまで手が回らないけど、町民に
とっては一番大切なものを守ってほしい」(60 代女性) 76
2)質問紙調査 (1)愛着:物理的環境と社会的環境 聞き取り調査により、定住希望の理由として、「生まれ育ったふるさとだから愛着が
ある(70 代男性)」
「大槌の海や浜がすき(30 代女性)」
(「先祖代々住んできたから(60
代女性)」
「(将来)息子が東京からふるさと大槌に帰りたがっているから(60 代女性)」
などふるさと大槌への想い、地域への愛着が定住希望の理由として。また、さまざまな
先行調査でも大槌町民の故郷への強い思いが定住希望の理由として挙げられている。ま
た、生物多様性保全活動など、地域住民による、まちづくり活動においては地域への愛
着が重要な役割を果たしている事が考えられた。これまでも、嘉田(1995)では、住民の
小河川への愛着から河川浄化運動が発展した事例が取り上げられている。また、新玉
(2009)では琵琶湖への愛着が地域住民の水環境保全活動の重要な規定因となった事が
示されている。地域への愛着向上をうながす事は、復興まちづくり活動へ住民の参加を
促し、発展させる上で有効であると考えられる。 一方、愛着に関しては、住民の職業や居住形態、年齢(世代)や学歴、子ども時代の
遊びとの関係など、個人属性による差異が指摘されている(高橋 1982 他)。しかし、愛
着を促すはたらきかけを通じ、まちづくり活動を発展させて行く効果的なアプローチを
検討するためには、個人属性以外の愛着形成の要因を明らかにする必要がある。鈴木ら
(2008)は風土との接触が愛着の規定因となることを示し、Brown et al.(2003)は環境
が荒廃する中で住民の愛着が低下することを報告している。このことは物理的な地域環
境の改善・変更により、愛着が促進・衰退する可能性を示唆している。 他方、社会的アイデンティティ理論では、自集団の優れた要素は自尊心を向上させる
と考えられる。したがって、自地域への評価が高まるほど、愛着が強まると予測される。
引地(2009)はこの立場から、地域に対する評価を「物理的環境に対する評価」と「社
会的環境に対する評価」に区分し、ともに愛着形成を促すことを示した。 これらの先行研究からは図2のプロセスが考えられる。 図2.愛着を促進するアプローチによるまちづくり活動の進展 77
「物理的環境への評価」や「社会的環境への評価」を高める効果的な働きかけ(①)
を行う事により、地域の愛着が促進し、復興まちづくり活動が発展する。まちづくり活
動による物理的環境の改善(②)は物理的環境への評価を高める事を通じて愛着を向上
させる。また、まちづくり活動を通じた住民交流の進展(③)は社会的環境への評価を
高める事を通じて愛着を向上させる。さらに、まちづくり活動を通じた地域風土とのふ
れあい(④)はやはり愛着を向上させる。愛着を促す効果的なアプローチにより、複合
スパイラル的に地域住民による、復興まちづくり活動が発展していくことが考えられる そこで、「大槌住民の地域への愛着」と「住民による復興まちづくり」をキーワード
に質問紙調査を行ない、「愛着がもてるまち大槌」への資料とする事を目的とした。 (2)質問紙調査の目的 以下の項目によって質問紙調査を行なった。 質問項目 A) 震災前後における地域への評価 先行研究(引地 2009 他)を元に、地域への評価として、都市機能や交通の利便性、
自然的・文化的景観、医療・福祉や文化・スポーツ施設、防犯、交通安全対策、住民との
交流、人柄の評価について尋ねた。 B)地域への評価と愛着 地域に対する愛着として、定住意向、生活満足、ルーツ意識、住民への連帯感、存続
願望を尋ねた。 C)まちづくり活動の参加規定因 まちづくり活動の参加規定因として、地域への愛着の他に、広瀬(1994)より、リス
ク認知、責任帰属認知、対処有効性認知、実行可能性評価、コスト評価、社会規範評価
とともに、まちづくり活動への参加意図および、まちづくり活動への参加行動を尋ねた。 D)地域の子どもへのふるさと教育意向 各地の環境保全活動、まちづくり活動において、子どもたちへ地域への愛着を高める
取り組みが実施されている。そこで、取り組む側(大人)に「子どもへ地域の事を伝え
たいとの思い」がそれらのまちづくり活動の参加規定因になっているのではないかと考
え、本研究では、視点を変えて取り組む大人の意向を尋ねた。また、その規定因として、
子どもの頃の自然体験や遊びについても尋ねた。 78
E)湧水への認知 大槌町において極めて重要な「郷土財」である湧水の認知について、自噴湧水や海底
湧水の存在、湧水に生息する淡水型イトヨ、サケの産卵との関連などの認知について尋
ねた。 F)個人属性など 個人属性として、年齢や性別、職業、家族構成、居住年数、主な収入を得ている地域
とともに、現在のお住まいが、仮設住宅(みなし仮設含む)かどうかなど尋ねた。 (3)調査の概要 2014 年 1 月に仮設住宅と旧来からの行政区合わせて約 1500 世帯に大槌町教育委員会
から行政連絡員の方を通じ配布し、回収した(表1)。調査票には、世帯主または、地
域活動に参加されている方に記入していただくようお願いを記載した。調査対象区域は
大槌川沿いの仮設住宅にお住まいの方と、町内においては津波による家屋への被害が比
較的少なかった大ヶ口周辺およびイトヨの生息地である源水周辺の旧行政区と、大槌川
沿いの仮設住宅群および町内の主な産業である漁業に従ずる方が多く在住している赤
浜地区と安渡地区を対象とした(図3)。 図3. 質問紙調査対象地域 79
質問紙は、大槌町行政連絡員によって配布され、表1の回答が得られた。回収率は行
政区で 52%、仮設住宅で 19%、総計で 41%であった。震災以後多数のアンケート調査
が行なわれており、住民への負担が重なっていること等が比較的低い回収率の理由とし
て考えられた。 表1. 質問紙調査配布数と回収率 3)アンケート調査結果 (1)回答者の属性 回答者の属性を表2に示した。 表2.回答者の属性 表 1 回 答 者 の 属 性 サンプル数:584 名 性別:男性 264 名 女性 294 名 不明 26 名 年齢:平均 62.9 歳 (SD 13.6 歳、最高 92
歳、最低 25 歳) 居住年数:平均 49.9 年 (SD20.3 年、最高 150
年、最低 0.5 年) 80
・回答者の年齢(図4) 回答者は 60 代の方がもっとも多く、次いで 70 代、50 代の順であった。 図4.回答者の年齢ヒストグラム ・性別(図5) 回答者の性別は女性 294 名(53%)男性 264 名(47%)であった。 図5.回答者の性別 81
・職業(図6) 回答者の職業は無職(年金生活含む)が 301 名(55.4%)、会社員などが 118 名(21.7%)
次いでパート・アルバイト 67 名(12.3%)、自営業 33 名(6.1%)、漁業 11 名(2%)
であったが、聞き取り調査でも多くの方から「冷蔵庫の仕事(水産加工場)」に関する
お話しをお聞きした事から、会社員の方やパートの方の中にも漁業関係者が含まれると
考えられた。 図6.回答者の職業 ・主な収入地域(図7) 回答者の主な収入地域は大槌町内が 183 名(34.1%)、釜石など周辺地域が 95 名
(17.7%)であった。 図7:回答者の主な収入地域 82
・家族人数 回答者の家族の人数は回答者本人を含め、二人が 158 名(30.4%)と最も多く、以下
一人(回答者のみ)116 名(22.3%)三人 109 名(21.0%)であった(図8)。 図8:回答者の家族人数(回答者本人も含む). ・居住年数 居住年数は図9の通りとなった。50 年以上の方が約半数を占めた。 図9.回答者の大槌への居住年数 83
(2)アンケートの単純集計 ・震災前後における大槌への評価(図 10) 震災により都市機能や施設だけではなく、歴史や文化、自然に対する評価も大きく低
下していた。また、人々の交流や人柄に対する評価も低下している。 図 10.震災前後における大槌への評価 ・大槌への愛着(図 11) 愛着に関わる設問では「大槌への生活を気に入っている」が比較的低かった一方で、
「これからも住み続けたい」が高かった。『できれば』と条件を付けたためか、大槌で
の先行調査に比較した、定住意向は高かった。 図 11.大槌への愛着 84
・大槌の自然環境に関する評価 大槌の自然環境の評価に関する設問では、図 12 の結果となった。貴重な自然が震災
によって被害を受けたとのコメントもみられた。 図 12.大槌の自然環境について ・湧水の認知 図 13 の項目について湧水認知を尋ねた。イトヨの生息に関する認知が最も高かった。
一方で、サケと湧水の関係や、海底湧水については比較的知られていなかった。事前調
査でも「大槌は鮭の町」「海の町」などの声が多数聞かれた事を考えると、これらの認
知を広げる事がまちづくりに重要であると考えられた。 図 13.湧水の認知 85
町の成因として湧水によって生起し、過去における津波に対して何度も復興しえた基
盤的理由でもある豊かな湧水(森、2012)への認識が過少であることは驚くべきことさ
えいえよう。しかも震災直前まで中心市街地である町方地区では、自噴もしくは揚水し
た湧水・地下水を日常的に利用してきたにも関わらず、イトヨという希少魚との関連の
中で認知されていたこと(写真1)は、この町の湧水の意義を矮小化する起因となりか
ねない。そのため、湧水および地下水の問題は、科学的・合理的な根拠をもって広く継
続的に住民に周知理解を求める必要がある。もっとも一般住民にとっては自分たちの地
下にある伏流水は湧水や地下水という認識ではなく、井戸水という認識が大きいからか
もしれない。 写真1:新庁舎玄関ルームに 2013 年5月に設置されたイトヨ水槽 ・身近な自然環境や湧水の価値認識 自然環境や湧水の価値認識について尋ねた設問では下記の結果となった(図 14)。自
然環境全体に対して、湧水の価値認識が高いと想われた。一方観光的価値については若
干低い傾向がみられた。これらは大槌の住民にとって、湧水や自然は身近な当たり前の
物である事の現れであると考えられた。社会学等の地域資源開発の分野では、地域にと
って当たり前の事物が他地域にとって当たり前で無い場合に、最もその地域資源開発の
効果が高いと言われている。 86
図 14.身近な自然環境や湧水の価値認識 ・子どもに期待すること 子どもに関する設問では、自然の中で遊ぶ事や魚採り・虫取りや文化、自然を体験す
る事を期待する結果となった(図 15)。これらは回答者の子ども時代の体験と関連が見
られた(図 16)。 図 15.子ども達に期待すること 87
図 16.子どもの頃の経験 ・まちづくり活動への参加意向と参加行動(図 17) まちづくり活動への参加意向と参加行動に関する設問では、体験講座や学習・講演会
が参加意向に比較して実際の参加が低かった(図 18)。体験講座や学習・講演会の機会
や内容、参加の働きかけ次第では、さらに多くの参加が見込まれると考えられた。 つまり、まちづくり関連事業には参加意向はあるが、参加できる、あるいは参加しや
すい活動メニューが少ないことが伺い知ることができる。もちろん、それらのメニュー
は与えられるものではなく、平常時ならば住民自ら創造・構築していくべきであろうが、
震災という異常な緊急時に加え町長始め多くの行政職員の喪失した大槌町においては、
困難な部分があると言わざるをえない。 図 17.参加意向 88
図 18.まちづくり活動への参加経験 (4)まちづくり活動への参加規定因 住民の復興まちづくり活動への参加規定因を明らかにするため、聞き取り調査や先行
調査・研究より下記の仮説モデルに基づき分析した(図 19)。 図 19.まちづくり参加モデル 89
「まちづくり活動参加意図」の規定因として「地域への愛着」の他に、広瀬(1994)
他より地域の「リスク認知」、まちづくり活動の「責任帰属認知」、「対処有効性認知」
を、聞き取り調査より「自然・湧水の価値認識」、
「地域の子どもへのふるさと教育意向」
と「子ども時代のふるさと体験」を想定した。また、「まちづくり活動参加行動」の規
定因として広瀬(1994)他より「実行可能性評価」
「便益費用評価」
「社会規範評価」を
想定した。 (5)大槌町への愛着と評価仮説 先行調査や聞き取り調査により町内への定住意思の理由として、大槌への愛着があげ
られた。そこで、復興まちづくりの前提となる住民の定住意向を高めるために、地域へ
の愛着を下記仮説モデルに基づき分析した(図 20)。 図 20.地域への愛着と評価仮説 愛着の前提となる地域への評価を自然や文化など「ふるさと評価」、医療、福祉施設
など「インフラ評価」、交通や買い物など「生活の便評価」をそれぞれ想定した。 (6)因子分析 質問項目に対する因子分析(主因子法・バリマックス回転)行った。因子負荷量が.40
以下の2項目を除外し、固有値 1.00 以上の因子を採択した結果 17 の因子が抽出された。
それぞれ第 1 因子を「自然・湧水の価値認識」因子、第 2 因子を「地域への愛着」因子、
90
第 3 因子を「震災前の大槌への評価」因子、第 4 因子を「まちづくり活動参加意図」因
子、第 5 因子を「震災後の大槌への評価因子」、第 6 因子を「湧水の認知」因子、第 7
因子を「まちづくり活動参加行動」因子、第 8 因子を子どもへの「ふるさと教育意向」
因子、第 9 因子を「責任感・対処有効感」因子、第 10 因子をまちづくり活動の「社会
規範子因子」、第 11 因子を大槌の「自然環境評価」因子、第 12 因子を「コスト・実行
可能性評価」因子、第 13 因子を「生活の便評価」因子、第 14 因子を「子どもの立身希
望」因子、第 15 因子を「子ども時代の自然体験」因子とした(表3−1〜3)。 91
表3-1.因子分析の結果
92
表3-2.因子分析の結果 93
表3-3.因子分析の結果 94
(7)まちづくり活動参加意図と参加行動 ・まちづくり参加意図と参加行動 まちづくり活動参加意図と参加行動を明らかにするために、仮説モデルに従い、第 4
因子「まちづくり活動参加意図」と第 7 因子「まちづくり活動参加行動」をそれぞれ従
属変数とし(それぞれ分析1、分析2)、他因子を独立変数とした重回帰分析(ステッ
プワイズ法)を行なった。 ・地域への愛着と評価 震災前の大槌への評価に関する質問項目(質問紙問2)を因子分析したところ、3つ
の因子が抽出された。それぞれ、第1因子(歴史、文化、生き物、自然に関する質問項
目)を「ふるさと評価」、第2因子(医療・福祉施設、文化・スポーツ施設に関する質
問項目)を「インフラ評価」、第3因子(都市機能、交通に関する質問項目)を「生活
の便評価」と名付けた後、仮説モデルに従って、「地域への愛着」を従属変数とし、上
記3因子を独立変数とした重回帰分析(ステップワイズ法)を行なった(分析3)。 ・まちづくり活動参加規定因のパス図 上記分析1~3に基づいてまちづくり活動参加規定因のパス図を作成した(図 21) 図 21.まちづくり活動参加規定因 95
・愛着とまちづくり活動の参加意図 まちづくり参加意図は、「自然・湧水の価値認識」「社会規範評価」「地域への愛着」
「責任感・対処有効感」が規定因となっていた。 ・まちづくり活動参加 まちづくり活動参加は「まちづくり活動参加意図」と「地域への愛着」「子ども達へ
のふるさと教育意向」が規定因となっていた。 ・地域への愛着とまちづくり活動 「地域への愛着」は「まちづくり活動参加意図」「まちづくり活動参加行動」双方の
規定因となっており「地域への愛着」は「まちづくり活動参加行動」にとって重要であ
ると考えられた。「地域でのふるさと教育意向」と「地域への愛着」が高い相関(.400 p<0.01)が見られる事からも考えても、地域への愛着を促進する効果的な働きかけを行
う事が、地域住民のまちづくり活動への参加を広げるうえから、大切であると思われる。 「地域への愛着」を高めるためには「ふるさと評価」や「インフラ評価」「生活の便
評価」それぞれを高める取り組みが必要であると考えられが、特に「ふるさと評価」は
地域への愛着に大きな影響を与えていた。 ・まちづくり活動への参加と地域への愛着 実際にまちづくり活動に参加する事で、地域の環境が改善し、住民との交流が進むこ
とによりさらに地域への愛着が高まると考えた。そこで「地域への愛着」を従属変数と
して、「ふるさと評価」「インフラ評価」「生活の便評価」に加え実際の「まちづくり活
動への参加」を独立変数として重回帰分析を行ない、パス図を作成した(図 22)。まち
づくり活動への参加は地域への愛着を促すとの仮説が確かめられた。 図 22.地域への愛着規程因 96
まとめと考察 聞き取り調査を通じて、大槌の宝物として多くの事物とそれに関わる思い出や、住民
によるまちづくり様々な活動をお聞きする事が出来た。「サケ」や「湧水」など水環境
をあげる方多かった。ある女性は大槌町出身の詩人による「大槌川(鮭川)の詩―カム
バックサーモン」を自費でファイルケースにして配布しておられた。また、
「仮設では、
荒巻も作れないし、大槌らしい暮らしが出来ない。親父が生きている内になんとかした
い」など多くの住民が大槌らしいくらしの出来る復興を望んでいる事が浮き彫りとなっ
た。 質問紙調査では。地域への愛着が住民のまちづくり活動参加に重要な役割を果たして
いることが明らかとなった。愛着と住民の定住意向を高め、住民による復興まちづくり
をすすめるために、住民の大槌への評価を高めるアプローチが重要であると考えられた。
地域への愛着に与える影響としては、生活の便やインフラ評価以上に自然や文化などふ
るさと評価が大きく影響していた。自然や文化への評価も震災後大きく低下していた点
から、それらを重視した復興をすすめる事は重要であると考えられた。また、住民のま
ちづくり活動参加意図形成過程に湧水やイトヨの認知が影響していた。 参 考 文 献 岩手大学震災復興プロジェクト(2012)大槌町仮設住宅住民アンケート調査報告書~大
槌町の人と地域の復興のために~ 大槌町(2013)第二回復興戦略会議資料大槌町のこれからの復興の考え方 Brown, B. Perkins, D. & Brown, G. (2003) Place attachment in a revitalizing
neighborhood: Individual and block levels of analysis, Journal of Environmental
Psychology 23, pp.259-271.
Handa city (2011) Population statistics of Handa city. Accessed from
http://www.city.handa.lg.jp/contents/99999964.html. on 29 January, 2011.
広瀬幸雄 1994.環境配慮行動の規定因について、社会心理学件空、第 10 巻 1 号、44-55. 引地博之・青木俊明・大淵憲一(2009) 地域に対する愛着の形成過程-物理的環境と社会
的環境の影響-、土木学会論文集 D, Vol65, No2,pp.101-110. 嘉田由紀子(1995) 生活世界の環境学.琵琶湖からのメッセージ、農山漁村文化協会 森誠一(2011)郷土力を培う淡水魚の保全:大槌町のイトヨから.秋道智彌編.大槌
の自然、水、人―未来へのメッセージ.東北出版企画所収
森誠一(2012)生き物の物語化:このクニの自然と人.ビオストーリー(生き物文化
97
誌学会).17:69—76.
新玉拓也 (2009) 地域に根ざした水環境保全事業が住民の環境保全意識に及ぼす影響
についての社会調査-高島市の湖岸集落を事例として. 高橋準郎(1982) コミュニティ・センチメントに関する一考-地域への愛着意識を中心に
-、淑徳大学研究紀要 Vol.16,pp.45-63. 野波寛・池内裕美・加藤潤三 (2002) コモンズとしての河川に対する環境配慮行動の規
定因:集団行動と個人行動における情動的意思決定と合理的意思決定. 社会学部紀
要、第 92 号、63-75. Suzuki, H. & Satoshi, F. (2008) Study on effects on contact level to regional
environment during travel on emotional attachment to local areas. Doboku
gakkai-ron bunshū D, 4.
鈴木春菜、藤井聡(2008)「地域風土」への移動途上接触が「地域愛着」に及ぼす影響に
関する研究、土木学会論文集 D, Vol64, No2,pp179-189. 渡邊勉 (2006) 地域に対する肯定観の規定因 ‐愛着度、住みやすさ、地域イメージに
関する分析. 地域ブランド研究、 第 2 号, 99-130. 98
4.学習会:調査研究成果を住民に公表する機会の提供(啓発事業) フォーラム「大槌町の郷土財:湧水からのまちづくりに向けて」 1.日時:平成26年2月8日(土)午後1時〜4時 2.場所:大槌町中央公民館大会議室 3.主催:大槌町・大槌町教育委員会 いわて県民計画アクションプラン「イトヨ湧水調査研究事業」調査会 4.後援:「大槌町復興支援の会」 5 趣旨: 本フォーラムは,重篤な津波被害を受けた大槌町の主要な成立要因であり,かつこ
れまでも重要な地域資源として活用されてきた「湧水」と,そこに生息する特徴的な
生物多様性の実態解明と保全活動を通じ,同町の復興に寄与する道筋を議論し提言
することを目的とする.同町において,おそらく湧水保全し活用する営為が,三陸リ
アス式海岸の大槌という土地を先住と現在の人々が郷土としてきた由縁・「郷土財」
であり,その思いこそが復興の根幹となりえて,今後も「大槌の宝」として伝承保持
していく原動力となるのではないだろうか. 6.内容: 1)挨拶 大槌町長:碇川豊 2)はじめに 「大槌の郷土財としての湧水環境」 森誠一:岐阜経済大学院地域連携推進センター教授・理学博士 3)話題提供 ①「水質マップから考える湧水の見える町」 中野孝教:総合地球環境学研究所教授(京都)・理学博士 ②「湧水に生きる水生生物:イトヨから見た大槌の湧水生態系」 久米学:岐阜経済大学研究員・水産学博士 ③「住民による大槌の宝を活かしたまちづくりに向けて」 北島淳也:名古屋大學大学院生 4)基調講演 「大槌学の地平から考える復興」 秋道智彌:総合地球環境学研究所名誉教授・理学博士 5)質疑応答 対応研究者 各発表者以外に,鷲見哲也:大同大学・水文学・工学博士 北野潤:国立遺伝学研究所(三島)・分子生物学・医学博士 西田翔太郎(岐阜経大,調査補助),山形県遊佐町や福井県大野市からも参加 99
話 題 提 供 ① 水 質 マ ッ プ か ら 考 え る 湧 水 の 見 え る 町 中野 孝教(総合地球環境学研究所) 大槌町の沿岸域は地下水が豊富で,生活用水だけでなくサケ養殖や豆腐,酒つくりな
どの産業に利用されてきた.地下水は主に大槌川と小鎚川の間に分布し,170 ほどの湧
水が知られている.この地域は町の心臓部であったが,巨大津波によりたくさんの尊い
命が失われ,家屋も破壊・流出してしまった.復興に向け同地域を盛り土する提案がな
される一方で,湧水を生かした町づくりが期待されている.そのためには地下水の涵養
域,量,質,流動,流速,人為影響,さらにイトヨをはじめとする生物等に関する様々な研
究が必要である.これらに関する基礎情報を得るため,沿岸の地下水と共に大槌町全域
にわたり河川水や沢水を採取し,最新の同位体環境学手法を用いて分析した.分析デー
タを水質地図として解析した結果,以下のような新知見を得ることができた. 1. 地下水の水質は地点によって異なり多様性にあふれているが,大槌川,小鎚川,西部
の城山を起源とする三種類(①大槌川地下水,②小槌川地下水,③城山地下水)に分
類できる.どの地下水も水質基準を満たし,硝酸やリン,重金属元素などの濃度が低
く,人為影響も余り見られない良質な軟水である. 2. 涵養域により異なる三タイプの水質を示す主な要因は流域の地質にあるが,降水や
降雪,また地下の帯水層も関与している.水温は,城山地下水が 11.5℃前後である.
これに対して大槌-小鎚の両地下水は 10-11℃とわづかに低く,共に本流の下流域か
ら涵養されたものである.小槌川地下水は大槌川地下水に比べて降雪の寄与が強い
と考えられる. 3. 大槌川地下水は北から南に向かい,小鎚川地下水は西から東に向かって流れている.
この流動方向は水位測定から予測された結果と矛盾しない.大槌川地下水は流動と
共に地下の貯留層との化学反応による水質変化が見られる.これに対して小鎚川地
下水は,北西から南東に向かって流れる城山地下水との混合が強い.町の水道水源
である浅層地下水は津波により塩水化したが,沿岸の自噴地下水は現在のところ津
波影響は見られない. 壊滅的な被害を被った湧水地域は,現在イトヨが住み,その周辺に花が咲き新しい命
の営みが見られる.震災時に水道は止まり,湧水や井戸水が人々の命をつないだ.沿岸
湧水は津波に負けなかった地下から湧き出る命の水である.本研究は大同大学の鷲見准
教授が実施した町民参加による水位同時観測を基にしているが,研究者と市民との協働
により,これまで難しかった地下水の流動に伴う水質変化の実態を可視化できるように
なってきた.こうした協働研究は世界的な地球環境研究を先取りしており,湧水を介し
100
てさらに生き物や人,産業とのつながりが見える町づくりに向けた取組みに貢献できれ
ばと思う. ② 湧 水 に 生 き る 水 生 生 物 : イ ト ヨ か ら 見 た 大 槌 の 湧 水 生 態 系 久米 学(岐阜経済大学) 岩手県大槌町が誇る豊富な湧水は,大槌の人々の生活に密接にかかわっている.例え
ば,多くの家庭にある自噴井戸は生活用水として利用されているし,地域産業であるサ
ケのふ化・増殖事業にも利用されてい
る.また湧水の存在は,当地に独自の
生態系を形成し,豊かな生物多様性を
支え,希少魚であるトゲウオ科イトヨ
の生息地ともなっている.そのため大
槌町では,湧水地,およびそこに生息
するイトヨを保全の対象としてきた.
すなわち,湧水およびそこに形成され
た生態系は,大槌町の貴重な財産であ
ると言えよう.なお,これまで同町には,一生を河川で過ごす淡水イトヨが大槌川・小
鎚川支流の湧水域に定着し,河川で繁殖し海で成長する遡河イトヨが春に遡上すること
がわかっている. しかし,2011 年 3 月 11 日に発生し
た東日本大震災に伴う津波により,
大槌町の湧水生態系は壊滅的なダメ
ージを受けた.震災当時,河川では
イトヨをはじめとする水生生物を目
視確認できないほどに汚濁していた.
そのような状態から比較的早い段階
で河川において水生生物が目視確認
できる程度に水質が回復した背景に
は,湧水の存在が大きな役割を果たしたものと考えられ,震災後の湧水生態系,および
そこに生息する生物相の変化の調査は貴重な知見であり,大槌町の復興にも貢献できる
と期待される. 101
一方で,倒壊した市街地跡には地盤沈下と湧水湧出によって新たな水域が広い範囲で
生じた.新しい水域自体は震災当年にも出現していたが,現在よりも小規模で湧水量も
少なく,水質は大変汚れていた.2012 年 7 月に演者らはこの新しい水域で汽水性ハゼ
類とともにイトヨを発見した.過去にも幾度となく巨大な津波を経験している三陸地方
では,このような現象が繰り返され
てきたと考えられる.この集団の起
源と実態を解析していくことは,津
波に伴う分布拡散による新規生息地
における生物の適応現象を示す好題
材ともなるだろう. そこで本講演では,まず震災直後
から行ったイトヨを中心とした水生
生物および水環境のモニタリング調
査の結果を基に大槌町の湧水生態系をイトヨの視点から概説し,次に市街地跡で発見し
た新規イトヨ集団の形態学・遺伝学的解析を周辺集団と比較し,推定されたこの集団の
形成過程を概説する.なお,演者らは 2011 年以前からも当地で調査を行って来たこと
から津波前のデータとの比較が可能であり,現在,津波が生態系に与えた影響やその復
元状況,および生態系の回復に湧水が果たす役割の詳細を解析中である. ③ 住 民 に よ る 大 槌 の 宝 を 活 か し た ま ち づ く り に 向 け て 北島淳也(名古屋大学院生) 大槌町の歴史・文化や自然を活かした復興まちづくりにむけて,住民への聞き取り調
査と質問紙調査を行なった. 聞き取り調査は,2013 年 9 月~11 月に行なった.出来るだけ様々な方々のお話しを
伺うため,仮設住宅の談話室や,集会場での行事の前後,田畑や漁港で作業中の方から
バス停で待ち合わせの方まで,出来るだけ自然体に「あなたにとって大槌の宝ものとは
何でしょう?」とお声をかけさせて頂いた.大槌の歴史・文化,自然,産業にとって特
に重要だと思われる「湧水」についても関わりや思い出など直接質問させて頂いた,ま
た,大槌の文化や自然に詳しい方やまちづくり活動を行って居る方を調査中ご紹介頂い
た際には,訪問して詳しくお話しを伺った.調査中 9 歳~89 歳まで約 140 人の方にお
話しを伺う事が出来た. 質問紙調査は,仮設住宅と旧来からの行政区合わせて約 1500 世帯に大槌町教育委員
102
会から行政連絡員の方を通じ配布し,回収した.質問項目として,年齢,性別,職業や
住宅の形態(仮設住宅やみなし仮設かどうかなど)の個人属性と,聞き取り調査から,
「サケ」や「湧水」などの大槌の地域特性の存続が地域への愛着や定住意向と強い関係
にあると考えられた事から,震災前と現在の大槌町にたいする「評価」
(QOL,文化,自
然など)や「大槌への愛着」
(定住意向,ルーツ意識など),地域資源の中でも特に重要
と思われる「湧水」に関する「認知」と様々なまちづくり活動への参加意図と実際の参
加状況,定住意向を質問した.また,先行研究からそれらの活動の参与に関係すると思
われる「責任」や「対処有効性」に関する認知や「実行可能性評価」「便益費用評価」
「社会規範評価」について質問した.さらに,聞き取り調査では「地域の子どもたちに
大槌らしさを伝えて行きたい」との声が多数聞かれたため,子ども時代の体験や,地域
の子ども達にして欲しい体験についても質問した. 調査を通じて「仮設では,荒巻も作れないし,大槌らしい暮らしが出来ない.親父が
生きている内になんとかしたい」など,多くの住民が,大槌らしいくらしが出来る復興
を望んでいる事が浮き彫りとなった.また大槌の宝物としては「サケ」や「湧水」など
水環境をあげる方が多かった.質問紙調査の結果は現在解析中ではあるが,当日は中間
結果を含めて報告し,住民による大槌の宝を活かした復興まちづくりに向けてお役に立
ちたい. 基 調 講 演 「 大 槌 学 の 地 平 か ら 考 え る 復 興 」 秋 道 智 彌 ( 総 合 地 球 環 境 学 研 究 所 ) 東日本大震災からおよそ 3 年が経過しようとしている.東北の各自治体では災害から
の復旧・復興事業が進められるなかで,時間経過とともにいくつもの問題が露呈してい
る.復興途上にある現時点で結論めいたことはいえないが,1999 年以来,大槌における
自然と人びととの関わりについて取り組んできた外部者の一人として,あえていくつか
の問題点を「大槌学」の視点から指摘してみたい.ここでいう大槌学は,大槌に関する
自然(陸域と海域を含む環境,生態)と,広義の文化(歴史,文化,教育,民俗,経済を含む)
に関わる幅広い分野を包摂する知の体系を指す.つまり,大槌学はまちの憲章に謳われ
ている内容にほぼ相当するといってよい. 大槌学がそこに住む住民と自然に関する情報を含むとして,その分野はじつに多様で
ある.そのなかで,大槌学を構成するさまざまな要素をつなぎ,全体を俯瞰するうえで私
は湧水がもっとも重要なキーワードになると確信するようになった. 大槌の湧水は,北上山地に発する水が大槌川・小鎚川だけでなく,地下水脈を経由して
103
河口部や沿岸海底から自噴するものであることがたしかめられている.大槌の湧水は住
民の飲料水,生活用水,産業用水(サケふ化事業,豆腐・漉きコンブ製造)としてだけで
なく,自然界の淡水型イトヨの生息を可能にしている.さらに,沿岸の海底湧水は藻場を
含む豊かな沿岸生態系の形成に貢献している.そこでは海藻,アワビ,ウニなどの底生資
源が育まれ,仔稚魚の成育場ともなっている.人間にとっては,磯漁業やカキ,ワカメ,
ホタテの養殖業に利する.森から海にいたる循環系が自然の恵みをもたらすことは三陸
地方で実証されてきたことが知られており,大槌においても水循環が人びとの生活を保
障してきたといえる. 震災前年の 2010 年 11 月に,大槌で共同研究を実施してきた仲間とともに湧水の意義
を考えるシンポジウムを実施した.シンポジウム冒頭のあいさつで加藤宏暉町長は大槌
にとっての湧水の重要性を指摘し,研究者との連携によるまちづくりの可能性を提言さ
れた.残念なことに加藤町長は津波で殉職されたが,町のリーダーによるご理解と未来
への視座は津波からの復興を焦眉の課題とする大槌町にとり,いまもなお継承すべきと
考える. 津波後にまちとその環境を今後どのように復興するのかについては,短期的な処方策
もさることながら,長期的な視点からの洞察が不可欠である.この点で防潮堤や盛土の
是非についての議論を大槌学の視点から再検討することも肝要である.つまり,大槌学
は政策実現やまちの復興と将来にとって参照すべき地域の宝物なのである.学とつくか
らといって,生活と無縁の知をさすのではない.大槌学が包括的かつ未来志向の意義を
もつ点を政策立案上,再認識すべきである.その意味での学なのである. 最後に大槌学をもっともよく理解し,まちづくりに生かすのは地域の住民であり,大
槌の未来をになう子どもたちであることを明記しておきたい. 編集付記 なお、
「大槌学」を唱導した著書として震災前に『大槌の自然、水、人』
(秋道智彌編、
東北出版企画)が 2010 年 12 月に刊行され、それを受けた形で震災後『天恵と天災の文
化誌』(森誠一編、東北出版企画)が 2012 年9月に刊行されている。 104
5.生き物の物語化:このクニの自然と人
はじめに
我が国の最大の自然特性の一つとして、地震という大地の揺れ自体と、それに付随す
る津波という激烈な水の流動にあるといえる。地震は、規模を問わなければ、これまで
毎年何回も国土のどこかしこの地面を揺らし、平安時代の記録以来、この 20 年間でも
大きな被害を起こしてきた。地震は津波を伴うことも多く、近年になって、明治三陸津
波(1896 年)、昭和三陸津波(1933 年)、チリ地震津波(1960 年)の3つの大津波
が、3、40 年ごとに三陸地方を中心に来襲している。昨年(2011 年)3月には、東北
太平洋岸でプレート地震が発生し、巨大な津波により重篤な被害を、我々は経験したば
かりである。これは、まだ気持ちを含め、まったく終息などには、ほど遠い現状である。
災害は未然に防ぎ、起きた場合は最小限に留めることを前提としつつも、同時に洪水
や地震・津波による被害は起きるという前提も必要である。生命の確保は保証されなけ
ればならないが、それと同等のレベルで土地や家屋への被災をなくすような完璧な管
理・整備を現実的には求められないであろう。むしろ今、その生態系の中で人間生活を
位置づける、自分が生活する地域の自然環境といかに付き合っていくかの再考こそを、
根底の部分では求められているような気がする。
1)災害文化としての石碑
2012 年、京都で、非被災者に向けて、大槌町の被災者を含めた座談会に参加した。
そこで非被災者である私は、被災者の彼に「三陸地方は津波の常襲地帯であるが、これ
まで地域にあった伝承や、教育の効果や成果が、なんらかの形であったか」という旨の
質問をした。そうした地域にある日常生活の意識や対応が、災害時の行動や意識に影響
を与えたかを問うたのである。言い換えれば、それまでに経験してきた地域災害の記
憶・記録が機能したかを知りたかったのである。そこに、自然環境と付き合い方を再考
する、具体の一つがあるように思われるからである。
実際、大槌町内にも過去の津波を刻む石碑が、今回被災した役場近くに建立されてお
り(写真1)、津波を直接的に被りながらも現存していた。昭和三陸大津波後に設置さ
れた、それには「地震が起きたら津波に用心、津波が来たら高い所へ逃げろ、危険地帯
に住居をするな」といった内容が三段論法的にリズムよく記されている。こうした石碑
や民話・口伝などは災害伝承として、災害を身近なものに感じさせ、日常的な防災対策
の意識を高めることになっているのだろう。つまり、津波伝承は、日常生活を送る人々
の精神にも、少なからず影響を与える伝承文化でなければならない。この大槌町の石碑
105
が町民にどのように認識され、災害伝承としての機能をいかほどにもっていたかは未調
査であるが、今後検討されるべき対象であろう。
徳島県には、1707年の宝永地震や1854年の安政南海地震などに、応答した石碑があ
る。当時の被害状況を記した「春日神社の敬渝碑」や警告文が書かれた「蛭子神社の百
度石」、昭和南海地震後の具体的教訓を込めた「津波十訓の碑」などがある。紀伊半島
西岸の和歌山県には、避難ルートなど現代のハザードマップに相当する内容が示された
石碑「大津なみ心え之記碑」がある。また、明和大津波(1771年)によって、3分の
1の人口が浚われたという沖縄県石垣島にも津波慰霊碑がある。三重県鳥羽市にも、津
波到達地点を示す石碑が何カ所かあり、日本でもっとも古く津波災害を避けるために、
家屋を高所に移した集落(同市国崎町)がある(村山、2005)。なお、鳥羽市史によ
ると、その高所移転をしたため、江戸時代中・後期に起きた津波でも、「家屋や人的被
害を受けずに済んだ」とある(鳥羽市史編纂室、1991)。
首藤(2011)によれば、「大正12年の関東大震災以後、『災害の対策や教訓を伝承
すべき』という動きが盛んになり」、「特に、三陸地方では明治に1回、昭和に2回と
大津波による甚大な被害を受けているため、石碑や昔話のような形での津波伝承が多く
存在しています。ほかにも千葉県や静岡県など太平洋沿岸地域をはじめ、全国各地に同
じような津波の伝承」が散見されるようになったという。
このように全国には、津波を忘れないための石碑や、慰霊のための祠・社寺などの災
害文化の一端が、広く分布していることがわかる。いわば、目に見えるハードな事物に
よって記憶を記録し、災害伝承を継続させて、その教訓を活かそうという意味がある。
それは今後、モニュメントとしての石碑、記念碑や住民が利用できる記念公園や資料記
念館の設置、あるいは災害家屋や自然物を、災害伝承の保持として残す現代的な価値は
十分にあろう。
2)物語を作る
神話と民話あるいは説話の差異について、私は理解していないが、今回の甚大な被害
をもたらした三陸津波に対して、自然との付き合い方を据える視座のために、記憶から
記録する物語を構築する重要性を感じている。ここでは、用語法として正しいかわから
ないまま、神話や民話・説話あるいは伝説などを総称して、物語といっている。物語は
伝承として、後世に日常生活のなかで広く言い伝えていくものとする。つまり、その物
語は、記念碑としての記録に留まらない現代的な価値を、意識的に付帯させるものでな
ければならないことを意味する。
106
津波としての文書記載は、『駿府記』にある1611年が最古と言われるが、文字のな
かったアイヌにおいても、口碑伝説として津波は伝わっている。漁労を中心に生計をた
てるアイヌの人々にとって、津波は自然の悪意に満ちた脅威であったろうし、また自然
への畏れを尊ぶ規律を生起する教えでもあったろう。津波除け呪術や、津波現象にまつ
わる言い伝えが残っている(高清水、2005;新里ら、2006)。
今の登別市に位置するトンケシ(現・富岸町)という村の近くを通りかかったトヌウ
オウシという者が、沖の方に両手を突き出して何かを招き寄せる身振りをしているウサ
ギを見て、津波の予兆と察し、その旨を村人に知らせたが、「へん」として無視されて
しまう。その結果、その村は津波によって壊滅されてしまったという(知里・山田、1958)。
宮城県仙台市にある「浪分神社」(標高数m、海岸から数km)は、かつて津波が到
達した場所の直上に建立された神社であるという。この建立は、これよりも下に家屋を
建てることを回避すべきという教訓が込められていたが、現在は、この神社よりも低地
に家並ができ、今回の津波で、多くの犠牲者を出してしまった(河北新報、2001年4
月10日付け)。今回の震災においては、この神社よりも海寄りにある盛り土された道路
が堤防の機能を果たして、当地まで津波は来なかったが、その建立後、人はより低地に
人家を構えていき、甚大な被害を受けた。災害伝承が、その効力を発揮しなかったこと
になる。伝承を正しい形で根付かせ、震災被害への遺恨を繰り返さないためには、有形
物を、後世に残す教訓という役割を担う災害文化として、文化に昇華させることが必要
となる。
すなわち、災害文化がハードな施設整備による伝承だけとすると、それは早晩、意義
が忘れ去られて、当座の施設目的だけに即応した箱モノになってしまう傾向があるので
はないか。例えば、記念公園をあつらえても、キャッチボールや散歩をする広場のある
施設という位置づけになってしまう。石碑を建てても、過去の出来事を記録するだけの
構造物という、将来への発信の乏しいものになってしまう。南三陸町にあるような一本
松の残存にいくら苦労を重ねても、その実際に被災を経験した人々が代替わりを重ねて
いけば、その記憶は薄れ、単なる過去を記す記録だけになってしまう。そうなってしま
えば、未来に向かった事物にはなりえず、教訓は持続しない。記憶を記録することは自
明ながら重要であるが、生々しい記憶を継続する手立ての構築もまた重要なのである。
一本松の物語化が、その松の保持することともに有用である。
それは、地域に独自にある物語として伝承され、意識化されることを意味する。その
物語は、方言という意味だけでなく、地域が共有する文脈での言葉で作成されているこ
とがいい。ここでの伝承とは、単に記録として残ることでなく、地域共有され日常的に
意識化されるものでなくてはならない。意識という目に見えない事象を定位することが、
107
物語化といってよい。
何十年、何百年と伝承が、その地域の構成員によって共有され、保持されている地域
は、現在に近づけば近づくほど加速的に減少している。次第に、自然への強烈な記憶は
一つの世代だけで終了してしまう。「忘れた頃に災害はやってくる」世代スパンでも生
きている個々人は、日常的には「正常性バイアス」を働かせながら現代にいる。つまり、
安全が当たり前で、自分だけは危険に直面しないというバイアスがかかり、危険を感知
する能力を下げてしまっている。それは直面したくないという希望であって、その個人
だけに有意な差をもって起きない危険などない。いわば安全神話に酔って、その根拠性
や維持への検証を回避したままにしてきた。それは確固として、見なくてはならないの
に、見たくないという理由から、見なくなり、あるいは見えなくなってしまったのであ
る。このため、災害伝承の教訓を後世に伝えようとしても、脳裏に残りにくくなってい
る。結果として、残念なことに、先人たちの経験や知恵が生かされず、伝承は風化して
いく。記念碑的なハード施設だけでの伝承は、この風化速度が速いことになろう。
むろん、ここで重要なことは、危険に合う確率は万人に平等であろうが、用心の程度
によって差異が生じるであろうことだ。その用心の精度や強度を引き上げるためには、
石碑や施設など目に見える有形物に加えて、リアルに直感できる物語やそれに基づく行
事など目に見えない無形物を、災害伝承という地域文化として意識的・系統的に確固と
据えていくことが切望される。その据え方の土台は、つまり地域において石碑や伝承が
災害文化として作用する単位は、一種の風習的・宗教的要素を共有する、また日常的に
見聞きする小さな地縁的共同体であるということになるだろう。
3)津波と生き物伝承
ところで生物を由縁とする津波伝承があまり見当たらないのは、単に、津波が海で発
生する現象であるため、伝承が起こる契機がないのだろうか。あるいは、津波は、地震
ほど頻度は多くなく、また発生した場合の災害規模が大きく、あまりに破壊的で悲壮的
であるがゆえに、人間以外の他への「生き物」への視線が滞り、生き物文化を成立させ
ないのであろうか。しかしながら、それでも、いくつかの津波に絡む生き物伝承は、渉
漁することができる。
「阿波の民話」にある伝説によると、千戸ほどの集落を構える亀島という島の中ほど
に祠があり、入口の両脇に狛犬ではなく、二頭のシカ像が祀られていたという(徳島新
聞、2008)。毎日、参拝をしていた老夫婦に、ある晩、夢に神様が現れ「シカの目が
赤くなったら島が沈むので、シカを連れて逃げなさい」というお告げがあった。この話
を聞いた村の若者がシカの目を赤く塗る悪戯をしたところ、老夫婦は急いで船にシカを
108
乗せて島を離れた。島の人たちは老夫婦を馬鹿にして笑っていたが、その晩に大津波が
襲い、島が沈んでしまった。その後、この老夫婦は自分たちが助かったのは、シカの報
恩として神社に奉納をする。これが、徳島市にある四所神社の起こりといわれ、境内に
は今、「神鹿」として色鮮やかな二体のシカ像がある。
岩手県や島根県などには、キジの子太郎物語がある(花部、2011)。優しく勇敢な
キジから生まれたキジの子太郎が鬼退治に行った帰りの船上で、戦利品の「鬼の肝」を
誤って海に落としてしまい、キジの子太郎は肝を探しに海に入り住み着くようになる。
それ以来、海に津波などの変化が生じると、その鳴き声で人々に、その襲来を告知する
という。また、北海道阿寒町では水神としてのカメ、長崎県小浜町では島原城主に殺さ
れたヘビなどが、津波の予告者として一つの物語となって口伝されている(林田、2001)。
三浦半島・横須賀市内の走水神社の裏手に奉られる河童大明神についての伝説が、地
元の民話などを古老たちから聞き集めた『観音崎物語』に記されている(田辺、1993)
観音崎物語。地元の住民に迷惑をかけ続けた河童たちが、この地が地震と津波に襲われ
た際に堤防を造り、津波を押し留めて村民を守ったというものである。
これらの河童を含め生き物は、すべからく人が住む陸域内の生き物たちである。津波
が海起源の現象であっても、多くが陸生および淡水生物を由縁とする伝承であり、むし
ろ、夢現つであれ、人が知覚・経験したことが伝承の土台となる以上、人が住む陸域に
きた津波現象との間で物語が形成されることは道理であり、多く形成されるといえる。 もちろん、南日本を中心に、海洋生物と関連する口伝もある。沖縄や石垣島あるいは
八重山諸島など南方の島々には、人魚もしくはジュゴンが登場する口承が、ユナタマ(人
魚のような神聖な魚)伝説として多くある。この捕獲は禁じられているが、漁師がその
禁を犯して、ユナタマを食べようとすると(あるいは食べた)、すぐさま男が住む島は
大津波にのみ込まれてしまうというものである。これらには、漁師が海で人魚を捕らえ
た際、人魚は命乞いし、助けると明日津波が押し寄せる、と教えてくれるという定型が
ある(藤井、2006)。
こうした海霊や霊魚について、後藤(1999)は「言葉を話すという人間的特性を付
与し、水を司る霊的存在と考える思考は東南アジアや南太平洋地域では一般的である。
オーストロネシア民族を中心に海霊的な観念が発達し、その流れが日本の南島にも及び、
さらにもっと深いところで、日本各地の 『物言う魚』の観念と関係しているのではな
いか」と記している。
シカ、キジ、ヘビ、ジュゴン、河童、人魚など「物言う生き物」は、人に親近感や馴
染みをより得やすく、自然界に抱く畏れを規律化および共有化する際の媒介物としての
機能があるといえる。生物と人の間に何らかの親和性が生じ、そこに文化が生じる。例
109
えば、イヌを出産から人工飼育する人は、すぐにも飼育感覚より子育て感覚になり、お
そらく見知らぬ他人よりも、その愛称をもって呼ぶ子イヌの方を尊ぶかもしれない。ま
た極論すれば、どちらを助命するかの選択の際に、結果として人の命を選ぶにしても、
若干の躊躇をするであろう。その人は、子イヌについて他者に語るとき、親しみをもっ
て彼もしくは彼女と人称をもって語る。そうした感応をもつ対象は、「生物」というよ
り「生き物」という位相にある。そこに、生き物を介する文化の端緒を垣間見ることが
できる。
押し寄せる大波という物理現象の津波単体では、後世に語り継ぐ物語とは成りにくく、
石碑など記念碑などは、どこそこの高さまで波が到達したという記録しか残らないであ
ろう。その地域の者にとって「浪分神社」は日常的にそこにあるが、物語が付随しない
場合、将来にわたって広く伝承されにくく、結果として、なぜその神社がそこにあるの
かの意味が、これまでと同様に減退していくことであろう。
おそらく、民俗学として口伝・説話は、広く収集・整理し、あるいは類型化し、せい
ぜい現在が過去からの連続態であることを示す対象であったといえる。民俗学の当初と
しては、
「昔話に託して語られるその生活と経験とを分析すること」が重要であった(藤
沢、1960)。しかし今、いくつもの風化しやすい(あるいた風化した)口承を整理し、
昔を解釈する学問からは逸脱することが、緊急的に重要な作業となっているのではない
だろうか。古えにおける用語や事象の解釈だけでなく、それが今後どのように意味をも
ち、例えば、地域づくりにいかに活用できるのかを、一定の根拠をもって展開していく
必要こそが求められている。「生き物文化誌」学は、その展開に寄与するものといえ、
そうでなければならないと、ここであえて位置づけておきたい。すなわち、伝承には、
先述のハードな施設整備に加えて、「物言う生き物」たちの存在によって風化しにくい
口承・物語を作っていくことが、「生き物文化誌」の一つの役割なのであろう。
4)津波震災を乗り越えた湧水イトヨからの発信
大槌町の中心市街地は、大槌川と小鎚川の2河川によって形成された小さな沖積平野
にあり、平地のみならず大槌湾にも湧く豊かな湧水に、おそらく縄文時代から依拠し、
地域資源として生活利用されてきた町であるといえよう。また、吉里吉里の前の沿岸域
にも豊富な湧水が湧き、海産物の豊穣を保証して、そうした湧水環境は生物多様性の密
度も頗る豊かにしてきた。 2011年3月の巨大津波で、重篤な人的・物的被害を受けた大槌町は、自然環境にお
いても大きな負荷を被った。しかも、近代の多種の燃料や雑排水に満ちた市街地を破壊
しながら、押し寄せた劇的な津波は、これまでにない性質の膨大な瓦礫と人為的な汚水
110
による負荷を生物に与えているに違いない。それは暴力的でさえあった。
同町には、トゲウオ科イトヨ淡水型という、体長 10cm に満たない小魚が生息する湧
水河川水域が、海岸線から3km 程度離れた範囲にある。また当地は、春の繁殖期にな
ると海から遡河型イトヨが遡上し、淡水型と同所的に営巣をする特異な生息地となって
いる。このような水域に生息するイトヨも、おそらく有史以来これまで何度も、場合に
よっては今回以上の劇的な環境変動を経験して現在に至っているはずである。そうした
激変の中でも、彼らは生き延びてきたことになるが、特に特有の生物多様性に富む湧水
域においては、津波による塩水化を含めた負荷は極めて著しく、その後の生息状況が大
変懸念された。
実際、津波前には、1000 個体のオーダーで生息していたイトヨは激減した。しかし
ながら、外傷を受けた個体もいながらも、数十個体が生き残っていたのである。それは
湧水が途切れず、水環境をいち早く元に戻す作用があったことと関連している。そのお
かげで、繁殖は可能となり、その年の夏には想定していた以上の稚魚が確認された。世
代の交代がみられたのである。現在、すでに私は、同地において、過去 10 年間イトヨ
の生態学・遺伝学的研究を背景として、生態系を形成する基盤として水文学的視点をも
って、震災直後1年間の資料も取り続け、何がどの程度の津波の影響であるかを比較研
究している。もちろん、この研究は、イトヨの生息する湧水水環境から、町にとって重
要な水産資源の保全を踏まえる視点をもち、水環境を基盤にした復興ビジョンの提示を
目的にして実施しているものである。
このイトヨ回復においては、同時に、多くのボランティアによる環境改善も実施され
(写真2)、大いに寄与している。それは水産有用魚種のためだけない、特徴ある地域
の湧水環境の保全整備活動として行われ、それ自体が「ただものではない」営為という
ことになろう。それによって引いては、水産的に有用でない「ただの魚」イトヨが、
「た
だものでない魚」になったともいえる。ここに、物語が誕生するのだろう。
そうだとすれば、今回の震災にも。物語の題材として当てはまる動・植物や事物とし
て、再生産が確認されたサケ、ワカメ、ホタテと同様に、早急に湧水やイトヨも定位す
ることがあってもいい。この地域における地震・津波において、紛れもなくイトヨとい
う「生き物」は、伝承文化としての一連の役割を担い、その地域の日常生活に一定の位
置を付帯できる対象となるだろう。大槌町に即して言えば、その豊かな湧水という環境
特性をもって、たとえ湧水公園を単にこさえたとしても、それが先述した目に見える有
形の、しかも物語のないハコ物であっては、記念碑的な役割以上のものにはならない。
それは、近い将来において、伝承文化としての機能が働かないものとなろう。
繰り返すが、ひょっこりひょうたん島(蓬莱島、写真3)、イトヨ、サケ、湧水とい
111
う逞しいとさえいえる素材(写真4)が、大槌にはある。こうした豊かな地域資源を活
用しない手はないだろう。ひょうたん島周辺を泳ぐサケとイトヨが登場人物として物語
化することは、自明の「生き物文化誌」的作業としていい。おそらく、宮沢賢治を生ん
だ岩手県から、そうした物語が誕生することは容易であるに違いない。
5)湧水による健全な水循環の確保による震災復興
湧水は概して、生物にとって安定的な生息環境を生み出すことから、環境激変に対す
る生態系の頑強性に寄与することが推察される。実際、大槌町において、健全であり続
ける湧水が津波後の水域生態系の復元に重要である事例が見出されている。一方、震災
後、他県の事例で、湧出量の激減や塩分濃度が高くなった湧水の持つ脆弱性も確認され
た湧水域もある。 おそらく大槌町に生息するイトヨは、これまで何回も今回のような劇的な地震・津波
を経験して生き延びてきたと想定される。しかし、近代の多種の燃料や雑排水に満ちた
市街地を破壊しながら押し寄せた今回の津波は、これまでにない性質の負荷を生物に与
えているに違いない。すなわち、津波という環境激変において、湧水の生態系にもたら
す頑強性と都市開発化に対する脆弱性を解明することは、生物多様性の維持および人の
生活にも大きく関与する湧水に依拠した生態系サービスや、特徴ある国土環境を保全す
る観点から社会的かつ現代的に極めて重要な課題といえる。 今後、大きな変化を受けた生物相や湧水環境の変化過程を、震災前の成果と比較しつ
つ明らかにする研究は、復元・回復のために効果的に科学的・合理的根拠を提供し、湧
水生態系を特徴とした根拠ある「まちづくり」をしていく過程で貴重な知見となる。
「つ
い散歩したくなるまち」のためには、その動機となる地域がもっている特徴ある歴史・
文化・民俗に根ざした『郷土財』で構成された馴染みある景観・風景が必須である。 ここで留意しなくてはならないことは、その景観・風景というものは、復興に向けた
「まちづくり」の様相によっては、むしろ震災による影響以上をもたらすことがあり得
ることだ。すなわち、復興における人為的改変にこそ、より大きな負荷が景観・風景に
起きることが想定されるからである。復興過程において生物環境を含む景観・風景は、
甚大な改変を受ける可能性がある。それは大槌という「風土」の否定にもなりかねない。 少々言い過ぎれば、大槌という土地は、湧水の存在によって津波に強く回復し、これ
まで幾度もの被災にも関わらず存続しえたといえるのではないか。しかも、今後、この
湧水は「防災水資源」としても位置づけられ、現代的な役割も担うであろう。大槌町に
おいては現在、湧水生態系の特性と生物多様性研究の科学的意義を明確にし、湧水環境
を特徴とした根拠ある「まちづくり」を実践していく復興シナリオを構築することが強
く求められている。 112
参考文献
秋道智彌・佐々木健・中野孝教・森誠一(2012)自然と文化の震災復興にむけてー岩
手県大槌町を歩く.SEEDer、6:46—58.
知里真志保・山田秀三(1958)幌別町のアイヌ語地方名.噴火湾社
藤沢衛彦(1960)図説日本民俗学全集2.伝承説話編.あかね書房
藤井佐美(2006)亀の教え -民間説話「人魚と津波」の視座より.尾道大学日本文学論
叢(2): 51-71.
後藤明(1999)「物言う魚」たち 鰻・蛇の南島神話.小学館
花部英雄(2011)三陸地方に伝わる防災譚「津波でんでんこ」とは?日刊SPA! 5月3
日付け
林田秀晴(2001)島原半島の神社を訪ねて.長崎出島文庫
河北新報(2001)2011年4月10日付け
森誠一(2011a)郷土力を培う淡水魚の保全:大槌町のイトヨから.秋道智彌編.大槌
の自然、水、人―未来へのメッセージ.東北出版企画所収
森誠一(2011b)東北太平洋岸震災からの復興のために.ビオストーリー(生き物文化
誌学会).16:72—81.
村山眸(2005)
「講演記録」志摩国(現鳥羽市・志摩郡)の津波記録について.歴史地
震、20: 13-21.
新里忠史・重野聖之・高清水康博(2006)北海道における地震に関するアイヌの口碑
伝説と歴史記録.歴史地震、21: 121-136.
首藤伸夫(2011)「此処より下に家を建てるな」津波から人々を救う言い伝え.日刊
SPA!5 月3日ニュース
高清水康博(2005)北海道における津波に関するアイヌの口碑伝説と記録.歴史地震、
20: 183-199.
田辺悟(1993)観音崎物語.暁印書館
徳島新聞(2008)お亀磯伝説 シカ津波から夫婦守る.6月 16 日付け
鳥羽市史編纂室(1991)鳥羽市史、下巻.鳥羽市
なお、本稿は「ビオストーリー 17:69-76」(生き物文化誌学会編)を大幅加筆し収
録した。 113
写真1:大槌町役場近くの昭和8年の大津波に関する石碑 2011.10.9
写真2:大槌町源水川のボランティアによる湧水環境復元作業 2011.7.9
114
写真3:大槌湾の蓬莱島(ひょっこりひょうたん島のモデル) 2011.11.8
写真4:大槌町役場近くにあった御社地の池とサケのモニュメント噴水 2008.1.14 115
謝 辞 本研究を実施するにあたって、大槌町および大槌町教育委員会の皆様に大変なご支援
をいただいた。特にアンケート調査に関して多くに住民の方々に御協力をいただいた。 野外調査中にも声をかけていただくことも再三あり、あるいはまた缶コーヒーを差し入
れいただくこともあり、逆に大変心強く励まされた。ここに一刻も早い復興を祈念しつ
つ、皆様の多大なご支援ご協力に心より謝意を表するものである。 今後も、湧水やサケ、イトヨなど自然生物に限らず、「虎舞」などの祭り行事、鯨山
の由来など生き物が何らかの関連をする歴史・文化・民俗・伝承・産業に関する情報を
調査収集し、大槌らしさを活用した「復興まちづくり」に一助できるよう通い続ける所
存である。 森誠一 大槌町安渡地区にある港近くの湧水槽.このことからも海底湧水の存在が
容易に想像できる.2009 年 11 月8日
116
調査研究体制
森誠一(研究代表者):岐阜経済大学地域連携推進センター教授、理学博士 専門:進化生態学、社会行動学、環境保全論 大垣市北方町5-50、電話/ファックス:0584-77-3575(センター室) e-mail: [email protected] 中野孝教:総合地球環境学研究所教授、理学博士 北野 潤:国立遺伝学研究所准教授、医学博士 久米 学:岐阜経済大学研究員、水産学博士 星野義延:東京農工大学農学部准教授、農学博士 北島淳也:名古屋大学大学院生
調査補助:西田翔太郎(水生動物担当)、星野順子(植物担当)
117