腕白関白・改定版 - タテ書き小説ネット

腕白関白・改定版
そる
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︻小説タイトル︼
腕白関白・改定版
︻Nコード︼
N2046BC
︻作者名︼
そる
︻あらすじ︼
この作品はArcadia様に2008年から投稿していて一度
完結した物の改定版です。
※朝起きたら戦国時代! しかし農民。このまま農業で一生を終え
るのもよいと思っていたら、なんと叔父が秀吉だった!
史実で殺生関白と呼ばれた豊臣秀次、切腹回避のために今、戦国時
代を駆け抜ける!
※注意:書籍化していますが、書籍とは後半のストーリーを変更し
1
て書いています。
2
始まりの章
近江国、賤ヶ岳。
この山深い地に二つの勢力が陣を張っていた。
一つは柴田勝家。
織田家の筆頭家老にして、古参の重臣。越前を所領として、越後の
上杉家と争っていた、織田の北方司令官。
織田信長亡き後、信長の三男・織田信孝を推して秀吉に対抗した男。
元織田家臣の中で最強と呼ばれる武辺の男でもある。
妻は信長の妹であるお市。このことから見ても、天下を狙うに十分
な資格のある男と言える。
一つは羽柴秀吉。
信長の草履取りから立身出世。信長が本能寺で亡き者となるときに、
中国方面司令官として毛利と交戦中であった。
史実に有名な﹁高松城水攻め﹂において清水宗治を自刃させ、毛利
と和睦を結ぶやいなや、反転。
﹁中国大返し﹂と呼ばれる大移動によって山崎に布陣。
主の仇、明智光秀を討ち取った男である。
対陣から既にかなりの時が流れている。
互いに自らの篭る山々を要塞化し、いたるところに旗が翻っている
のが見て取れる。
睨みあったまま、完全に膠着している状態である。
︵まあ、勝家のおっさんは負けるんだどね︶
3
秀吉の本陣より遥か向こうの山を眺めていた青年は心中そう呟いた。
︵佐久間盛政が中入りして秀吉がいない間に本陣落とす!って意気
込んで来るんだよな。
で、引き際間違えて秀吉本隊が引き返してきてやられる、と︶
史上でも有名な賤ヶ岳の戦い。十分に覚えていた。
︵まあ、俺は馬周りだし。端っこのほうでこそこそしておこう。
周囲は手柄を立てる絶好の機会ぞ! とか盛り上がってるが、俺
はここは無難に怪我しないことを考えよう・・・︶
彼の名は羽柴秀次。
秀吉の甥である。
ある朝、目覚めたらなんか今にも崩れそうな藁葺きの家にいた。
どうにも、戦国時代であるようだ。
昨日まで中小企業のサラリーマン︵係長補佐︶だったのに。
少し酒飲んで帰って、友人と給料の少なさ、仕事にやる気がでない
ことなどを愚痴って帰っただけなのに。
なんで? いきなり戦国時代??
混乱した。パニックにもなった。
4
が、現実としてこれは受け止めざるを得なかった。
一年ほども畑を耕したり他の家の収穫を手伝いにいったりして、そ
れなりにまったり暮らしていた。
このまま農民で一生を終えるのもいい・・・そう考えていた時期が
僕にもありました。
きっかけは家族、主に母の話である。
﹁わしの弟は武士になんぞなりおってな・・・﹂
武士。侍である。
この時代なら腕に自身があるものなら誰でもなれるものである。
無論、最初から郎党を率いている筋目正しい者もいるが、あぶれ者
なども大名の傘下で戦い、それなりに功を上げれば
知行取りになることも夢ではない。
しかし、叔父にあたる人が武士とは初耳だ。見たこともないぞ。
﹁言ってなかったかぇ? ほれ、最近世間を騒がしとる、織田様の
とこよ﹂
何とぉ! 織田ですか! この時代ならもろ信長! 織田信長だよ!
日本史上、最も高名な人といって過言ではない!
﹁なんじゃ、でかい声だしてからに。その信長様のとこで働いとる
わ﹂
驚いたな。叔父は信長の家臣なのか・・・有名人か?
・・・違うな。実家が農家だし。足軽ってとこか?
﹁まったく、大人しく畑でも耕してりゃーよ、今頃お前に分ける田
畑くらいあったもしれねーのによ。籐吉郎め﹂
・・・おや?
母上殿、叔父の名はなんとおっしゃいましたかな?
5
﹁籐吉郎じゃが?﹂
え、と。籐吉郎さんってのは、猿っぽいっていうか、鼠っぽいって
いうか、そんな風貌してたりします?
﹁猿じゃな﹂
ほほう。
織田家の者で籐吉郎・・・ね。
﹁木下籐吉郎、とか名乗っ取ったわ。まったく、ごんたくれもいい
とこじゃ﹂
木下籐吉郎・・・羽柴筑前守・・・豊臣秀吉!!
後の天下人じゃねーか! ってことは俺は天下人の甥! 超パワー
エリート確定!
天下人、つまり日本国の頂点が叔父! 栄華を極めて最高の生活が
送れること間違いなしか!
・・・果て、秀吉の甥ってどんな奴いたっけ?
歴史小説は学生時代から読み漁っている。
信○の野望は前作やりこんだ派だ。
秀長・・・は父違いの秀吉の弟か。
秀秋・・・はねねの兄の子だったはず。後の小早川。
秀勝・・・は信長の子の一人を養子にしていたはず。
秀次・・・秀吉の姉の子だ。最期は切腹されられる可愛そうな奴だ
6
な、うん。
俺だ。
こいつはお先真っ暗だ。
7
賤ヶ岳の章
初めて秀吉に会ってから、何年たったのか。
人誑しの天才、日本史上最も成り上がった男、どうみても猿。
実はイケメンだった、猿顔よりは鼠顔だったなどということはまっ
たく無かった。
愛嬌のある笑顔がよく似合う小男。
ここまで戦国武将らしくない男も珍しいだろう。
誰からも警戒感を抱かれない、そんな天性の陽気さがある。
史実で天下人だと知らなかったら、おそらく調子のいいおっさんく
らいしか思えなかっただろう。
その秀吉に宮部継潤に養子に出された。
養子と言っても、調略のための人質である。
当時信長と対立していた浅井長政の攻略のため、配下の有力武将で
ある宮部継潤を調略した際、
養子という形を取って人質として送り込まれたのだ。
但し、人質を殺すことはすなわち秀吉との決別、つまり織田家との
対立を意味する。
史実でそんなことはなかったので、安心して宮部継潤の元に行って
暮らしていた。
関白になるまでは死なないしな!
その後は三好康長に養子に出されるわけだが。
天正十年、史実通りに日本史上で三本の指に入るイベント、本能寺
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の変が起こる。
そして、中国から神速の行軍で帰ってきた秀吉が明智を討ち、清洲
会議で主導権を握り。
柴田勝家との間は決定的に悪くなった。
この間、俺はずっと阿波にいたので中国大返しや、その後の天王山
には参加していない。
実際にその時代に立ち会ってみると分かる。柴田か羽柴か。どちら
が織田の版図を継いで天下を狙うのか。
これは避けられない、必然の戦いなのだ。自分こそが天下を担う男
であると示すため。
でも阿波で三好孫七郎としてそれなりに気楽に暮らしていた俺まで
呼び戻さないでくれ。
そりゃあさ! 秀吉には親族が少ないのは知ってるけど! それは
あんたに子供がいないからだろうが!
秀長さん︵超いい人だった︶がいるからいいじゃん! 微妙に親族
と言えんこともない程度の福島とか加藤とかもいるだろうに!
俺まで呼ばなくても!
愚痴ってもしょうがない。ここはマジで戦場。
本陣にいるのでまず命の危険はないと思うが、どうなんだろう?
まあ、別に俺は大名じゃないので、部隊を率いているわけじゃない。
後に﹃賤ヶ岳の七本槍﹄とか言われることになる奴らと秀吉の側周
りとしてうろちょろしてるだけだ。
福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、
糟屋武則。
後半ほど地味な印象だ。
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史実ではこいつらが活躍したのは追撃戦。相手が崩れてからの最後
の一押しだったという。
先陣として戦った記録のある石田三成や大谷吉継より、こいつらと
いるほうが安全だろう。たぶん。
しかし七人とも血気盛んで今にも突撃してしまいそうだ。
加藤清正とか治水や築城にも功績のあった奴だから、もうちょっと
落ち着いているかと思った。
秀吉の側にいても槍働きしか考えていないので、必然的に俺に事務
的な仕事がまわってくる。
秀長さんを手伝いながら、兵糧の数を数えて分配したり荷駄隊の整
理をしたり、結構忙しい。
七本槍は何もしねーし。
福島正則は酒食らいながら眼を血走らせている。
加藤清正は手柄は俺が全て頂くわ、と息巻いている。
加藤嘉明は地味なほうの加藤だからどうでもいいな。
脇坂安治は貂の皮を持ってた。ちょっと感動した。
平野長泰と糟屋武則は顔まで地味だ。
片桐且元は史実だと大坂の陣の前に豊臣と徳川の板挟みになって苦
労する人だから今から同情しておいてやろう。
せめて元養父の宮部継潤でもいれば俺の立場ももうちょっと良かっ
たかもしれんが、あいにく元養父は山陰だ。
毛利氏対策の一人として出張っているので、ここにはいない。
ちなみに秀吉は現在、長浜城に帰っている。
伊勢の滝川一益と賤ヶ岳で睨みあってる柴田勝家、その双方に備え
るためである。
史実だとそろそろ織田信孝が挙兵、美濃戦線が追加され、さらに忙
しくなる。
そして美濃戦線へと主力を率いて出向いた秀吉が、中入りしてきた
佐久間盛政の軍勢に襲い掛かるわけだ。
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現場にいると秀吉の美濃出兵が囮だったことがわかる。
短時間で戻るための用意、沿道に食料の補給地点を作っていたり、
あらかじめ使用する街道を整備していたりするからだ。
それでもかなり綱渡りの策だろう。
もし佐久間盛政がある程度の戦果に満足して引き上げていたら?
いたずらに大兵力を移動して相手に振り回されただけ、との印象を
味方に与えかねない。
もし佐久間盛政の戦果に乗じて柴田勝家が一気に押し出して来てい
たら?
勝負はどっちに転んだかわからない。史実での前田の撤退もなかっ
たかも知れない。
この策は相手の兵力の一部を誘い込み、敵の重厚な陣に穴を開ける
ことが目的である。
だからこその周到な用意なんだが・・・。
危険な賭けでもある。だから秀長さんも本陣を預かっている身だが、
緊張が見える。
一歩間違えば、この本陣まで敵が雪崩れ込んでくる可能性もある。
そうなれば、総崩れだろう。
そりゃあ、緊張するわな。
勝つんだけどね。秀吉の読みどおり。
調略の天才、人の心を取る天才だが、秀吉は戦争の天才でもある。
そのことがこの戦いで証明されるわけだ。
6月。
中川清秀が守る大岩山砦が陥落。中川清秀は討死した。
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高山右近も攻められて本陣に逃げ帰ってきた。
そして秀吉の美濃大返しが始まるのである。
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美濃返しの章
史実通り、秀吉本隊のが美濃攻略に出発した後、佐久間盛政が大岩
山砦に出現した。
中入りである。
中川清秀は猛将として知れている男であり、その名に恥じぬ奮戦ぶ
りを見せたが、陥落。
清秀は自刃した。
その後、大岩山砦の側に布陣していた高山右近も劣勢により退却。
本陣で秀長さん率いる留守部隊と合流し、敵の攻撃に備えた。
このまま戦況が推移すれば、本陣でも戦闘が起こっていただろう。
しかし、丹羽長秀が琵琶湖を越えて2千の兵と共に近江に上陸。
賤ヶ岳砦から撤退しようとしていた桑山重晴の軍勢と合流。
賤ヶ岳砦は死守された。
この間、佐久間盛政は柴田勝家から再三の撤退命令が届いているは
ずである。
ここまでの戦果を挙げたのだ、勝家は一度兵を退き、陣を完全なも
のに戻してから総攻撃に出るつもりだったのだろう。
が、佐久間盛政は戦果を拡大しようとした。この混乱に乗じて、一
気に本陣まで迫れると思ったのかも知れない。
そして、秀吉が戻ってくる。
大垣城から木ノ本まで、たった5時間で軍を戻したのだ。
まさに、美濃大返しと呼べる秀吉の魔術的な戦略行動であろう。
本陣に戻った秀吉は全軍に新たな武具をまとい、すぐさま追撃に移
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る命令を発する。
武具は俺が秀長さんの指示で大量に用意していたものだ。強行軍の
ため具足や槍などを置いてきたので、一度本陣で装備
を整えてから、一気に佐久間盛政の軍に襲い掛かった。
佐久間盛政はその場で踏みとどまり、激戦を展開。そこに柴田勝政
の手勢が救援に駆けつけた。
秀吉本隊は佐久間が奮戦して手強かったので救援に来た柴田勝政に
攻撃目標を変更。
これに苛烈な攻撃を加えるも、圧力の弱まった佐久間盛政の部隊が
これをさらに救援。
秀吉本陣から高山右近隊や秀長さんの部隊、秀吉の与騎部隊などが
戦場に投入されていく。
攻防は一進一退。悪くすれば佐久間盛政と柴田勝政は退却に成功で
きるやも、と思われた。
ここで思わぬことが起きる。
前田利家の軍の戦場離脱である。
この突如として敵の一角が消えるという事態に、前田隊と対陣して
いた部隊が一斉に秀吉本隊の救援に動いた。
それでもまだ佐久間盛政の軍は耐えていた。今にも総崩れになりそ
うな状態から鬼神のごとく奮戦していたのだ。
これを見た秀吉はさらに新しい部隊を投入することによって、戦局
を決定づけようと動く。
手元に予備隊のなかった秀吉は自分の側周りに声をかけた。
﹁お主ら﹂
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七本槍や俺、その他の側にいる者達をぐるりと見回した。
﹁行けぃ!!﹂
その声を聞くや、周囲の荒くれどもは躍り上がって槍を取り、吼え
ながら全力で駆け出していった。
俺も一応飛び出していった。
一族衆として、この状況では行くしかあるまい!
福島や加藤の背後に着いていったらきっと安全だ!
そもそも追いつけませんでした。
槍と具足完全装備で舗装もされてない坂道を全力で走るとか、無理
な話ですよ・・・。
肩で息をしながら、ふらふらになって坂を登りきった頃、夜が明け
て空が白んできた。
上から見ると、柴田勝家の本陣に秀吉の部隊が届こうとしていると
ころだった。
ふっ、七本槍の活躍も先駆衆の活躍も俺には遠い世界の出来事だっ
たぜ・・・。
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その後、手ぶらで帰るのも何なのでそこらに落ちてた槍とか兜とか
拾ってから秀吉に追いついた。
これ誰のだろう・・・高そうな物もなかったけど、こんなもん持っ
て帰って意味あるんだろうか?
良いか、別に俺に武功を期待してないだろ、たぶん。
﹁やあ、孫七郎。そちもよう働いた﹂
うむ、さすが秀吉! 少ない血族を大事にしないといけないから見
てないくせに断定だ!
七本槍も秀吉が子飼いの武将を喧伝するために作り出したものって
言われているしな。
譜代が少ないってのは、大変だな。
一応、俺が羽柴家で一番跡継ぎに近い。今の所はだが・・・。
だから秀吉も山すら登れぬ俺を無下にはできんのだ! 情けない限
りだが!
﹁勝家を追うぞ。ついてまいれ﹂
ああ、そうか。すぐに追撃か。当たり前だが。
﹁途中、前田様に挨拶していきましょう、父上﹂
前田は戦場からほとんど敵前逃亡のように撤退している。
つまり、軍は無傷なわけだ。ひょっとしたら一戦交える可能性があ
る・・・と他の者は考えている。
だが俺は違う! だって結果知ってるからな!
前田利家は秀吉につくから挨拶していくほうが良いのだ。
﹁よう気づいた。又左に顔を見せてから行くかい﹂
稀代の人心掌握の天才、秀吉もことさら大きな声で言ってくる。
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周囲の人間に﹁前田のことはまったく疑っていない。友人である﹂
と宣伝しているわけだ。
そして、後越前・府中城へと軍は進む。前田利家の居城である。
秀吉は一人で逢いに行く、と言って周囲を驚かせている。危険です、
降伏の使者なら拙者が、とか周囲が言ってる。
ここは点数稼ぎだ! 前田が秀吉をどうこうすることはないからな
! 身の危険がないなら点数の稼ぎ時だぜ!
﹁私も共に行きましょう。織田家にその人ありと呼ばれた槍の又座
殿にお会いしとうございます﹂
﹁おお、孫七郎。そちも共に行くか。さあ又左に会いにゆこうぞ﹂
うむ、周囲も驚いてるな。なかなかに豪胆な・・・とか、大丈夫な
のか・・・とか聞こえてくる。
少しは賤ヶ岳で何もしてないのがごまかせたかな・・・。
前田利家は、なんというかイメージ通りの人だった。
豪快な武人で、いかにも実直で義理堅い人に見える。
義理堅いけど、柴田勝家は見捨てて兵を退いたけどな。
まあ、それが最善の選択であったことは自明の理だ。
あ、でも戦国時代でも有名な松さんが奥さんなんだよな。
ひと目みたいなーとか思っていたら勝家攻めの先鋒が前田利家に決
まってた。息子も従軍するらしい。
くそ、まつさんに逢いたかったがよく考えたらもう年増だな。どう
でもいいや。
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さて、前田利家軍を新たに加えて目指すは柴田勝家の居城、北の庄
だ。
勝家軍にはもうまともに抵抗する力は残ってない。
史実通り、天守閣を派手に爆砕して終わりか。
お市の方も勝家に殉じて自害か・・・戦国時代とは言え悲しいもん
だな。
・・・・。
・・・・・・・。
お市。信長の妹で戦国史上最も有名な女性だろう。
傾国の美女と呼ぶ人もいる美人だ。
その娘も波乱万丈の人生を送ることにな・・・る・・・!?
しまった! このままでは茶々が秀吉のとこに来てしまう!
そうなれば茶々が後継ぎ、つまり秀頼を産んでしまう!
切腹の最大の理由が、この秀頼が生まれたことなのは多分間違いな
い!
まずい、まずいぞ!
なんとかしないと!
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北ノ庄全力戦
北ノ庄城。
柴田勝家の居城であり、越前の交通の要衝でもある。
秀吉本隊の到着前に、既に堀秀政が布陣している。
賤ヶ岳から先鋒として追撃していたのだ。
秀吉本隊が着陣し、北ノ庄城を囲むとすぐに賤ヶ岳の戦いで捕らえ
た佐久間盛政などを晒し首とした。
相手の戦意を喪失させるための措置であり、事実、この後は城から
の抵抗が目に見えて衰えた。
元々この北ノ庄まで撤退できた人数は多くない。
天守閣を備えた重厚な作りの城だが、囲んでいる人数からして既に
落城は避けられないことであった。
晒し首の次の日、日が昇ると共に一斉攻撃が始まった。
堀秀政、前田利家らの手勢が攻め寄せる。
この前日、秀次は秀吉に呼ばれ、寄騎の一部を率いることを申し渡
された。
ただ、秀次がまともに戦場に出たのは賤ヶ岳が初めてである。
当然、部隊指揮の経験はない。宮部家、三好家と武家の元で育って
きたのでそれなりに教養はあるが、
実戦指揮となると心許ない。
そこで秀吉は配下の中から実戦指揮官として前野忠康を彼につけた。
歳もそこまで離れていないことと、ゆくゆくは自分の一族を引き立
てていく上で、有能な男を部下につける
ことによって実力不足を補おうと考えたのだ。
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秀次の指揮下に入った兵は200人ほど。
小部隊だが、秀吉の配慮で屈強の者が多く配属され、鉄砲の数も多
かった。
前野忠康。舞野兵庫助とも呼ばれ、一般的には舞兵庫という名で後
世に知られている。
父は前野長康。秀吉の元で奮戦してきた歴戦の士である。
その父より戦については上手であろうと呼ばれる人物であり、秀次
につけられる将としてはこの上ない人選で
あっただろう。
朝日が昇る頃、おそらく午前5時より前から始まった寄せは主に前
田隊と堀隊が行った。
他の部隊も攻めているが、実は前日の夜に城内では最期の酒宴が開
かれており、柴田勝家は自刃で腹が固まっていた。
この後も戦い続けたところで勝ち目はなく、雪崩れ込んでくる雑兵
に首を渡すことは自尊心の強い勝家には耐えられない
ことだった。
その城内の”覚悟”はなんとなく戦場の空気として感じられており、
おそらく最期に派手に抵抗した後、自分で決着をつける
つもりなのは皆分かっていた。
よって寄せ手もこの最期の攻城戦では果敢に攻め立て、相手の最期
を盛大にすることと、各々の武功を誇る機会のために
戦っていた。
いわば、この北ノ庄の戦いは決着が既に見えている戦であった。
が、中には火の出るほどの勢いで攻め立てる部隊もある。
一つは娘を柴田勝家に人質として差し出していた前田利家の部隊。
柴田勝家が冥土の土産に利家の娘を害していくとは考えにくいが、
20
他の兵士にどういう扱いをされるか分からない。
よって前田軍は北ノ庄を落とすことよりも娘の確保のために戦って
いた。
もう一つ、前田隊よりも戦意旺盛な部隊、というか男がいた。
秀次である。
﹁天守閣はっ!! あれかぁぁぁぁ!!﹂
舞兵庫の指揮によって外郭の一部を突破した秀次の部隊。
遥か天空にある天守閣を見上げて秀次は叫んだ。
そこに柴田隊の生き残りが駆けつけてくるのが見える、
﹁兵庫!﹂
﹁御意﹂
駆けつけてくる敵に対して、兵庫は鉄砲を並べると一斉に発射させ
る。
何人かが倒れたようだが、そのまま突っ込んでくる。
既に彼らは死を覚悟してここに残った者のようだ。
舞兵庫は冷静に弓で射撃を加えた後、槍隊を前面に出し、鉄砲隊を
下がらせて弾を込めさせる。
この時代の火縄銃に連発はできない。一度打つ毎に銃口から火薬や
弾を入れる作業を行わないと2発目は打てないのだ。
﹁行け! 蹴散らしてさらに進むのだ!﹂
秀次の激が飛ぶ。
舞兵庫の指揮によって完全に迎え撃つ体制を整えた秀次の部隊と敵
部隊が激突する。
相手は三十人程度。すぐに舞兵庫の指揮によって包囲され殲滅され
た。
﹁すさまじいものですな。わずかの手勢で積極的に切り込んでくる。
死兵というやつですな。
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秀次様、この先に進めばあの手の敵が多く待ち受けておりましょ
う。
我らは小勢。無理に進む必要ないかと存じます﹂
このまっとうな意見に秀次は瞬間、考え込んだが、すぐに返答を返
した。
﹁いや、もっと近づく! ここからでは天守閣には届かん!﹂
﹁さすがに天守閣にたどり着くのは無理ですぞ?﹂
﹁それなりの距離まで行ければいい! 火矢持ってこい! 天守閣
にぶち込め!﹂
だから届きませんて・・・とあきれる舞兵庫だったが、秀次は諦め
ずに隊を前身させた。
秀次に史実で勝家が城に火をかけ長年貯めていた火薬を天守閣にあ
つめて派手に爆破したことを知っている。
最期の時の前に、市の連れ子である三姉妹と最期の別れをしている
ところだろう。
その後で、秀吉の元に送り届けてくるのだ。
つまり! 今なら! 茶々は天守閣付近にいる可能性はある!
あの三姉妹が秀吉に預けられたら、茶々が側室なってしまう!
そして秀頼が生まれたら・・・俺の立場が悪くなり一気に切腹まっ
しぐらだ!
茶々にはこの時点で恨みはないが、俺の今後のためにも!
できればここで憂いを除いておきたい!
﹁火矢と鉄砲! 目標天守閣! 撃てぃ!﹂
﹁だから、届きません。威圧の効果もありませんよ。
どうしても天守閣まで攻め入りたいのであれば、前田隊か堀隊と
共同で大手門から抜くしかありませぬが﹂
それでもどうにか! 天守閣にさえぶち込めれば、一気に片がつく
のに!
22
﹁柴田殿は織田家の筆頭家老にして、歴戦の勇士。今更雑兵に首を
渡すようなことはしますまい
死に際を汚すよりは、自刃して城ごと焼き払うつもりでしょう﹂
いや、柴田勝家の死に方とかどーでもいいから! 市様の上で腹上
死しようが、史実通りの爆死だろうが、何でもいいんだって。
問題は俺にとっての死神の母がここにいるってことなんだよ!
ひょっとして今ならどうにかなるかも知れないってのに!
くそ、200人程度の部隊では奥まで一気に進軍することは無理か。
秀次の部隊が奮戦している頃、前田隊は大手門を破って歓声を挙げ
ていた。
それを天守閣から見下ろしている老将、柴田勝家。
︵猿め。気張りよる。信長様亡き後、織田家の一族を中心にまとめ
ようとしたが、結局は信長様が討たれた時点で
織田の時代は終わっていたということか︶
尾張の半国ほどしか領地がなかった頃から、信長配下の武将として
戦ってきた男である。
︵手取川・・・あの軍神と正面からやりあったのはワシの誇りだ。
あれは酷い戦だったが、今は懐かしい︶
上杉謙信。戦国最強と呼ばれたものと戦い散々に敗れた。
︵だが、死ななかった。そして謙信の死後、越中・越後を切り取っ
ていた︶
そんな中、信長様が今日にて明智に討たれたとの報が入り、全身が
凍るほどに衝撃を受けた。
︵これからどうするのだ︶
そんな事を彼が考えているうちに、中国方面軍だった秀吉は神速の
行軍にて姫路まで引き返し、明智との決戦に向かい、
これに完勝している。
23
本当は分かっていた。あの明智討ちの一件で決定的に我は出遅れた・
・・。
だが織田家の筆頭家老として引けなかった。お市とも夫婦になって
いた。
秀吉の、あるサルの外交術がここまで凄まじいとは思わなかった
それでも、賤ヶ岳で秀吉を討ち取ることは可能だった
討ち取った後、どうするのか? どうすべきなのか? その展望は
漠然としかなかった。
・・・天下布武は、わしには重かったか。
今は穏やかである。晴れやかとも言える。
尾張の守護代に過ぎなかった織田家の将として仕えてきた者が、天
下分け目と呼べる戦をした。
︵男子、その本懐を遂げてなお醜態は晒せぬ︶
先ほどまで三人の娘と別れを行っていた。
秀吉は人情に厚い。少なくとも人情の厚さを政治的にも売りにして
いる男だ。
敗軍から落ち延びる女を悪くはしまい。
﹁伝令は走らせたか﹂
傍らに控える小姓に問う。
﹁茶々様、江様、初様に前田家より人質となっていた姫は秀吉の陣
に送り出してございます。
使者には織田長益殿が立ってくれるそうです
﹁ふむ。ならまずは安心だな﹂
そういった後、彼は傍らの妻を振り返った。
﹁すまんな﹂
勝家の妻、お市はかぶりを振った。
﹁ここに来て、娘も私も安らぎを知りました。あなた様の優しさと
雪が積もり時が止まったような風情に癒されました・・・﹂
勝家が近侍から松明を受け取ると、天守閣に運び込まれた火薬に伸
びている導線へと放り投げた。
24
そして、大ごしらえの太刀を抜いた。
﹁来世では、最初からあなたの元で尽くしとうございます﹂
﹁無骨者ゆえ、迷惑ばかりかけそうであるがな﹂
微笑する勝家にお市ははっきりと言った。
﹁お前様、私は幸せでした﹂
そう微笑んだお市の胸に勝家の太刀が突き刺さった。
悲鳴すら上げずに、お市は崩れ落ちた
即座にその刀を勝家は自らの腹に突き刺した。
そして轟然と
﹁やれい﹂
短く告げた。近侍が首に太刀を振り下ろす。
その後、残っていた小姓や近侍が互いに刺し合って絶命した。
そして動く者のなくなった天守閣で、導線のみはゆっくりと進み火
薬が集積されている場所まで僅かな時間をかけて辿りついた。
その少し前、北ノ庄より織田信長の弟である織田長益が駕籠を引き
連れて秀吉の陣に現れた。
﹁羽柴殿に申し上げる! 主、柴田修理亮勝家はただいまより自害
致す! 天主には火薬があるので距離を御取りくだされ!
なお、羽柴殿に言付けがありもうす! 故右大臣信長様の妹君、
お市様の娘三人と前田家の姫を・・・
秀吉はすぐにこの使者を手を取って立たせ、決して粗略には扱わぬ。
彼女らはわしにとっても主筋の娘ぞ、と涙を浮かべながら
この頼みを請け負った。
日が傾きかける頃。
秀次は使者が本陣に入ったとの報告を聞いて兵を退き挙げていた。
もはや北ノ庄を振り返ることもせず、ゆっくりと本陣へと戻ってい
く。
25
と、背後で爆発音が響き渡った。天守閣の火薬が爆発したのである。
思わず振り返った舞兵庫。周囲の者もみな、その焼け落ちる天主を
呆然と眺めている。
ふと兵庫が秀次を見ると、彼は北ノ庄を振り返らずにそのままゆっ
くりと本陣へと馬を進めている。
︵動じてはおられぬな。もう興味がなくなったような感じだ︶
事実、秀次の興味は助けられた姫に集中していた。
秀吉が保護して、手元で養育、か。もう何の手も出せんな。
俺の切腹は大きく近づいたと言える・・・茶々は、豊臣秀頼の母な
のだ。
茶々だけは他に嫁にやらずに手元で側室にした・・・お市殿への憧
憬、というよりは秀吉の抱える出自のコンプレックスだな。
卑賎の身から成り上がったからか、秀吉は名家の姫を好む。
そして、秀吉にとって最大の名家とは、織田なのだろう。
織田よりも古い名家やそれこそ皇族の姫などもいるが、それよりも
なによりも、彼は織田家が主家であり、その象徴とも言える
姫であったお市様。
その血を継ぐ娘三人か。秀吉の手の中に入った限り、もう俺にどう
こうできることはない・・・か。
﹁どうかされましたか? 初の実戦指揮で緊張しましたかな? 中々の統率ぶりでしたぞ。これは世辞ではありませぬ﹂
﹁そうか兵庫・・・ありがとうよ。
これからも苦労かけると思うけど、よろしくな?﹂
﹁御意﹂
・・・ほんとに苦労かけると思うけどな。
26
その後、賤ヶ岳の論功行賞が行われ、七本槍が福島正則だけ五千石
貰って加藤清正が怒ったり。
どーせお前らはある程度は必ず出世するんだからこんなとこで文句
言ってるなよ。
秀長さんが秀吉に﹁孫七郎は意外にやりますな。戦局をよく読み、
部隊を率いてもよく人を用いています﹂とか言ってくれたり。
おかげで河内二万石を貰ったよ・・・まあ、俺くらいしか、今のと
ころ手駒がないもんな、秀吉。
とにかく、今後の対策は考えておこう。
切腹はまだまだ先だ。
短絡的に茶々ごと北ノ庄爆破作戦は当然のように失敗した。
やり直しだ。
大名になったんだ、今までよりも何か出来る事は多いはずだ。
ここまでは史実通りに来ている。
つまり、今のままでは切腹は免れない。
だが、なんとかしてみせる! なんとかなる! なればいいなぁ・・
・。
27
河内で考える
茶々。後の世では淀の君と呼ばれた女性。
浅井長政とお市の方の娘。浅井家と織田家の血を引く女性である。
浅井家と織田家、と言うと名家の血を引くやんごとなき姫、と思え
るが、この時代の感性から言うと少し違う。
本当の名家、つまり武家として歴史のある家と言えば、京極氏や細
川氏などだが、浅井や織田などは新興勢力である。
本当の意味での名家とは言えない。
もちろん、羽柴家などから見たら雲の上の名家かもしれないが。
秀次は屋敷でのんびりと横になりながら、つらつらとそんな事を考
えていた。
河内2万石。
秀吉から拝領したのが一月前である。
2万石。大名である。
とはいえ、小さな領地であり、特に兵を多く養える地でもない。
京周辺に親族を配置した、というだけであろう。
史実ではすぐに領地が変わるので、河内の大名であったことすら知
らない人が多いであろう。
本格的に何かが出来るのは、秀吉がもっと自分を引き立ててから。
そこは秀次も分かっている。今の段階は秀吉が天下を完全に押さえ
たわけではない。
つまり、秀吉はまだ天下人などではなく、織田家の遺産を柴田勝家
との戦に勝利したことによって織田の後継者となっただけである。
その後継者の位置も対外的には幼当主の後見人としての地位でしか
28
ない。
秀次は煙管を取り出して口に含んだ。
秀吉の敵はまだ多い。
まずは東海の覇王・徳川家康。三河を中心とした強力な戦力を有す
る武断の家。
それより東には関東の王・北条家がある。
西には四国の長宗我部。精強な土佐兵を中心に四国を平定した家。
四国は全て合わせて石高は100万石に届かない。しかし彼らが淡
路を抑えれば一気に大坂が危なくなる。
その西には九州がある。大友氏が秀吉に臣従する気でいるが、九州
にはあの島津がいる。
北の伊達家などまで考えると、天下統一にはまだまだ敵が多いこと
は一目瞭然である。
︵最大の敵は、徳川殿か︶
秀吉は家康を懐柔しようと官位を贈ったり、使者を出して暗に臣従
を迫ったりしているが、効果はないようだ。
︵一戦してある程度の勝利は挙げられる。そこから交渉すれば有利
な条件での和睦もあると考えているだろうな︶
実際、史実ではそうだったのだ。これは変わらないだろう。
︵ま、徳川殿との戦いに関してはどうにかなるだろう。俺が中入り
部隊を率いて散々な目にあうのはわかってる。
行かなきゃいいんだよな、中入り部隊なんて。それは全力で反対
しよう︶
下手をしたら、討ち取られる可能性すらあるので、秀次は小牧・長
久手の戦いでは出来るだけサボろうと考えていた。
秀次が中入り大将として出陣しなければ、歴史がどう変わるかわか
らないが、秀次にとっては討たれる可能性がある戦場には行きたく
なかった。
︵まあ、小牧・長久手の戦いは大人しくしておくに限る。それより
29
も茶々か︶
秀吉は浅井三姉妹を保護した。旧主筋の娘である、との理由で。
︵こういうとこは分かりやすいよな、秀吉って︶
秀吉は名家の娘好きである。織田家時代より多くの戦場に赴いてき
たが、その場で必ず名家の娘を側室に迎えている。
単に好色というのもあるが、嗜好として名家の娘を好むのだ。
しかし、元が農民の秀吉。室町の世から続く名家や、公家などの名
家にはさほど興味を示していない。
恐らく、公家などは別世界の者だと思っているだろうし、武家で言
えば織田家が秀吉にとっての名家なのである。
守護の下の守護代の家老程度ではあったが、秀吉にとって”上様”
は信長のみであったし、その妹も市と顔を合わせたこともないだろ
うが、憧れはあっただろう。
織田の姫が手の届くところにいる。
噂では茶々は母のお市の方に似ているそうだ。
︵まあ、秀吉はじっくりと攻めて落としてしまうだろうな︶
こればっかりはどうしようもない。
史実通りなら彼女は秀頼を生む。
秀頼が生まれたら秀次が邪魔になった、という説が根強いので、秀
次は秀頼が生まれたらさっさと隠居してしまおうと考えていた。
隠居して身を隠して生きていけば、それなりの暮らしはできるだろ
う、たぶん切腹はないんじゃないか、と思っているのだ。
まあ、秀吉が茶々に興味を持たない、というのが一番の理想ではあ
ったのだが。
︵それは無理だろうしな︶
ほとんど完成している大坂城に、いずれは呼ばれるだろう。
︵考えてもしょうがないか︶
今の段階では秀次が出来ることはほとんど何もない。
ただの親戚の一人であり、せいぜい2万石の大名であるだけなのだ
30
から。
河内2万石。歴とした大名である。
大名と言っても、史実ではすぐに領地が変わるので、あまり意味は
ないか。
領地は史実通りだったが、史実にはなかったことが起こっている。
俺は三好孫七郎から羽柴秀次に名前が変わった。
史実よりも早かったわけだ。少しは北ノ庄で頑張ったのが評価され
たのか? それとも気まぐれかはわからない。
河内の大名になったが、どうせ領地が変わると思ったので、彼は河
内では田中吉政に戦国時代のやり方から変えたほうがいいと思うこ
とを実行させた。
﹁治安維持に勤めること。街に見回り組を置いて領民の安全を守る
こと﹂
﹁犯罪者は捕らえた後、しっかりと取調べを行って記録を残してか
ら裁くこと﹂
﹁親の罪は子に及ばないことを徹底すること﹂
﹁検地を行い台帳を作成すること﹂
﹁新たに城は作らない。領民の労働は街道整備を行う。報酬をきち
んと支払うこと﹂
﹁税率を下げること﹂
治安維持は後に大きな領土を持った時に警察のような組織が必要だ
と思ったので、その試験導入。
犯罪者の裁判記録は少しでも公平な裁判を行うため。
親の罪が子に及ばないのは、現代人の考え方である。
検地を行うのは台帳を作る経験を積ませることによって文官の実力
の底上げを狙って。
31
どうせすぐに出て行くので城は作らない。街道整備はあったほうが
便利そうだったから。
税率を下げるのは人気取り。軍費が減るが次の戦は小牧・長久手で
ある。
いくつかの大名をまとめる立場になるだろうから、自分の配下はさ
していらないと思われるので問題なしと判断した。
しかしいくつかの不安はある。
まず、人材が足りない。
兵士は領地が変わったら大幅に増強できるだろうが、将はなかなか
難しい。
譜代の家臣などいるわけもない。
田中吉政と舞兵庫だけでは心もとない。
領地替えでたぶん秀吉から何人かお目付け役として派遣されてくる
だろうが。
自分で部下を何人かは持っておきたい。
とは言え、何の伝もなければ難しい。
宮部の父ちゃんと三好の爺さんに頼むのが早いな。
完成間近の大坂城にでも行きますか。
32
大坂城
日本史上最高の城、と喧伝されて築城中の大坂城。
あらた
秀吉が﹁古今東西にない巨大さ、防御力、そして重厚さと機能美を
備えたものを造れ﹂と言って自ら何度も図面を検めて作っている城
である。
既に八割が完成しており、側衆や文官などは城の中で慌しく動いて
いる。秀吉の側衆である宮部継潤などはそこにいるはずである。
︵誰かいい人材を紹介して貰わないとな︶
さて、その大坂城である。その巨大さは古今比類なきものであり、
日本史上この城を超える巨城は存在しない。
別名、錦城。石山本願寺の跡地に築かれた、秀吉の権力の象徴であ
り、天下を治める中心となる城である。
北に淀川が流れ、天然の要害となっており、淀川を利用した水運に
も都合がよく、その淀川を溯れば京へと到る。
経済の中心となる大坂にふさわしい城である。
ただし、この時点ではまだ本丸しかない。二の丸、三の丸などはこ
れから造られる。今は五重の天守閣に漆が塗られ、金を貼り、その
豪華さを際立たせている。
この城に、秀吉に味方している諸将が集っている。柴田勝家を滅ぼ
したと言っても、まだ秀吉の政権は安定していない。
東に徳川家、さらに東に北条家、四国に長宗我部、九州に島津氏と
秋月氏もいる。東北には伊達。もっと近場で言えば雑賀衆も秀吉の
配下になったわけではない。佐々成政も反秀吉の姿勢を崩しておら
ず、柴田を討った時点での秀吉は近江から京、姫路などを押さえた
だけで、友好関係にある毛利を含んでも京周辺から中国筋までが支
配の及ぶ範囲であった。
それらの勢力に対する示威もあっただろう。最も、今の段階でこの
城が囲まれるような事態になれば、秀吉の天下など夢物語だが。
33
秀次は徒歩で本丸へと進んでいく。
特に秀吉に逢う事が目的ではなく、かつての養父に逢い腕のいい将
を紹介してもらおうということが目的である。
番兵に軽く挨拶しながら御用部屋などを回ったが、あいにく三好康
長は不在であった。
宮部継潤とは逢えたので、早速用件を切り出す。
﹁ふむ、武将を紹介してほしいと?﹂
﹁そうなんだよ、宮部の父ちゃん﹂
父ちゃん、という言葉に宮部継潤は少し頬を緩ませて微笑んだ。
思えば、不思議な子だった。養子という名目の人質として自分の所
に来た男。人質という立場をまったく感じさせないような立ち振る
舞いで、周囲から貪欲に知識を習得していった。穏やかな性格で人
から好かれる、何か独特の雰囲気を持っている少年だった。父ちゃ
ん、という言葉に宮部継潤は少し頬を緩ませて微笑んだ。
ふと、あの頃のことが頭に浮かぶ。
浅井・朝倉の連合軍。さらには本願寺勢力に寺社仏教勢力まで加わ
り織田家は完全に包囲されていた。普通に考えれば武田の侵攻によ
って完成した織田包囲網によって信長は滅ぶ。そう観測するのが普
通であろう。それをこの人質に意地悪く告げた家中の者がいたが、
彼はこう返した。
﹁武田は織田に勝てません﹂
はっきりと言い切られて言われたほうが怯んだ。
なぜだ、武田の強さを知らぬのか、となおも言い募ったとき、この
少年は堂々と言った。
﹁上杉がいる限り、武田は全軍を尾張に持ってくることはできませ
ん。途中には徳川家がいます。これは負けるでしょうが。時を稼ぐ
という意味では勝つでしょう。信長様は﹂
そこで彼は質問者を初めて振り返った。
﹁信長様は勝ちます。武田信玄との戦こそが、信長様の本当の強さ
34
が知れる戦いになるでしょう﹂
そう言って秀次はまた書物に戻った。
完全に勝つ、と断言するまだ元服すらしていない少年。ただの子供
の戯言ではなく、何か確信を持っている。
﹁虚勢を張っているのよ。可愛い奴ではないか﹂
そう言う声もあった。しかし、その後の武田の撤退、そして織田家
中に流れた﹁信玄が果てた﹂という話。
ここまで読んでいたのか? どうやって情報を知りえたのか、それ
とも我らが武田の動きを見る眼とこの少年が見る眼はまったく違う
というのか⋮⋮。
﹁で、誰かいない?﹂
﹁⋮⋮ん。そうじゃったな。前野殿、田中殿は軍の統率を取るとな
ると、お主がほしいのは、さしずめ豪傑かの? 前線にて兵を叱咤
しながら斬り進む者か﹂
﹁さすが父ちゃん! そうなんだよ。小隊の頭が欲しいんだ。でき
れば強い奴﹂
﹁ふむ、要は先駆けじゃな。一人紹介できるぞ﹂
﹁お、それなら是非! どんな人?﹂
こういうとこは無邪気だ。⋮⋮しかし武田戦だけではない。その後
の情勢などもほぼ的確に当ててきた。孫七郎よ、わしは今でも人質
ではなくおぬしを羽柴様の元へ帰しておくべきだったと思っている。
そうすればきっと。この男は竹中半兵衛、黒田官兵衛と並び立つこ
ともできたろうに⋮⋮。
﹁まあ、二万石になったのじゃ。確かに前線の将も欲しかろう。よ
し、わしから話しておこう。ただ、石高は千石ほど与えてやってく
れ﹂
﹁千石? それはまた、二万石しかない俺には結構なもんだな。誰
?﹂
﹁美濃の出だ。元は明智や柴田殿の下で働いたこともある。名を可
児才蔵という﹂
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可児才蔵。﹃笹の才蔵﹄と呼ばれた豪傑である。なんでも首を多く
取るので持ち運べずに、取った首の口に笹の葉を差し込んでおいて
後から首の数を数えたという。筋目もはっきりしており、織田家の
兵卒としても戦歴は長い。
︵うってつけだな。大名になってないのに、後世に名が伝わるほど
の豪傑だ。これで小牧・長久手の戦いでの危険が減るな︶
小牧・長久手の戦いでは基本的ににらみ合いになる。だが、万が一、
史実通りに秀次が総大将として別働隊が編成されたら命の危険があ
る。
可児才蔵は、史実で別働隊の撤退時に秀次に﹁馬をよこせ﹂と言っ
たら﹁雨降りの傘にて候﹂とか言って馬を貸さなかったという逸話
もあるが・・・強いのは間違いない。
もし撤退しなればならないような状況になれば、彼のような豪傑を
側に置きながら退くのが安全だろう、と秀次は判断した。
︵千石取りか。侍大将としてはそれなりの地位だけど、今の二万石
から出すのはなかなか厳しい。それでも雇っておくべきだな︶
﹁わかった。千石、約束しよう。取次ぎをお願いしていいかな?﹂
﹁それはわしから話しておこう。日を見てお主の下へ馳せ参じさせ
よう﹂
こうして可児才蔵が新たに秀次配下に加わることになる。
﹁じゃ、俺は秀吉様に挨拶してくるよ﹂
﹁ああ﹂
そう言って秀次は部屋を出て行った。その後姿を見ながら、宮部継
潤は目を細めていた。
︵立派になっていく。相変わらず、肩の力の抜けたいい雰囲気を持
っておる。今の世にわしは大した功績は残せまいが、そのわしを父
と呼んでくれる。優しい子じゃ。しかし羽柴様が天下を目指せばお
のずとあの子の立場も上がってしまう︶
できれば戦などと無縁の場所で過ごさせてやりたかった、と考えて
しまう宮部継潤であった。
36
宮部継潤と別れた秀次は秀吉に会うために謁見の間へと歩いていく。
︵ほんとに無駄に広いな・・・︶
謁見の間までにどれだけの部屋があるのか、数えるのもうっとおし
いのですらすらと進んでいく。
秀吉が諸将を謁見する公式の場所が謁見の間である。広大な畳敷き
のその部屋の前には取次ぎの男がいた。
﹁よ、ご苦労さん﹂
秀次は気軽に声をかけるが、相手は表情を動かさずに返した。
﹁上様がお待ちです。規則でありますゆえ、刀などは全てここに⋮
⋮﹂
﹁持ってないよ、もともと﹂
普通、武士はどこに出かける時も帯刀している。が、秀次は、今日
は刀を帯びていなかった。どうせ使えないので、公式行事に臨む際
の、帯刀の必要な時以外はほとんど刀を外していた。
それを聞いた取次ぎの男、石田三成は少し驚いたようだ。
﹁刀を持っておられぬのですか﹂
﹁使えないからな﹂
平然と答えると謁見の間へと進んでいく。
ふと、秀次が振り返って三成の顔を見た。
﹁なにか﹂
﹁いや、なんでもない﹂
そう言ってさっさと行ってしまった。
︵あれが石田三成か。これまであんまり関わってなかったけど、文
官筆頭で後にあの家康と関ヶ原の戦いでやりあう男なんだよな︶
いまさらながら、ここは戦国時代なんだよな、と再認識していた秀
次であった。
さて、顔を見られた石田三成は若干怪訝そうな顔になっている。一
応、秀次は秀吉の甥であり、現在では唯一の﹁後継者候補﹂である。
三成は秀次の評価を関係ある人々からいくつか聞いたがほとんど同
37
じであった。
﹁時に驚くべき洞察力を発揮なさるが、基本は心証穏やかにて知に
長けるお人ですな。
古典や古事にも詳しく、気さくな人柄で下々の者からも慕われて
おりますな﹂
まず高評価と言っていい。
実際には﹁知に長ける﹂と言っても、人質時代は勉強くらいしかす
ることがなかっただけである。
驚くべき洞察力、と言われても秀次にとっては﹁最初から知ってる﹂
だけなのだが。
︵わざわざ振り返って私を見た意味はなんだ?︶
三成は理論的な男である。ゆえに、相手の行動にも理論が伴ってい
ると考える。
︵私という男を見極めようとなされていたのか︶
それとも何か別の思惑があったのか。
衆道にはまるで興味がない人物と聞いている。
思考の海に沈みながら、三成は秀次を見送った。
﹁来たか、秀次﹂
秀次が対面した秀吉は上機嫌だった。
大坂城が完成間近であり、着々と進む天下統一へと向けて鼻高々と
言ったところであろうか。
︵来年には家康&信雄という智将&愚将コンビとやりあうことにな
るのに・・・︶
史実での小牧・長久手の戦いである。
信雄だけなら楽勝なのになぁ、今からでも家康を懐柔できないもん
か。
そう考えることもある秀次だが、家康の懐柔はこの時点では不可能
である。
別に徳川家康は秀吉の部下ではない。かつての秀吉の主君、織田信
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長の同盟者である。
言い方を変えれば、秀吉の主君だった男と同格なのだ。
秀吉が信長の敵討ちという偉業を成し遂げようが、﹁それは重畳﹂
と一言祝いを寄こして終わりでも、無礼にはならない。
秀次は新たな領地のことや新規召抱えの部下の話などを秀吉にした。
それを聞いて秀吉はうなづいてから本題を切り出す。
﹁秀次、来月にはこの大坂城に諸大名を招いて宴を催そうと思う﹂
﹁はっ﹂
﹁秀長を補佐してやってくれ。出迎えの饗応を怠るな﹂
﹁承りましてございます﹂
かしこまって受ける秀次だが、目線は少し上げていた。
﹁何か存念があるようじゃの、秀次﹂
秀吉は秀次の能力を買っている。
身内の少ない秀吉ゆえの身贔屓でもあるが、秀次はまずそれなりの
評価を得ている男である。人質に出した宮部、三好ともにこの若者
を大いに評価していた。古典を学び、政治学も学び、誰彼問わず気
さくに話しかけるということで、大層評判が良かった男だ。
何せ秀吉には親類縁者が少ない。一族郎党が少ないのはこの時代で
は弱みである。
宮部などは﹁なんど上様の元へお返しようかと思いました。彼の者
であれば、竹中半兵衛様、黒田官兵衛様と並び称させる軍師となり
えたと、私は未だに悔やんでおります﹂
そんなことを言っていたが、最初は人質とはいえ自分の手で養育し
た者を売り込むことによって自分の立場を押し上げようと考えてい
るのか? と邪推したが、どうも本気のようだ。
三好は養子縁組をしていたことを﹁孫七郎様、この三好、つまりは
源氏の名を継ぐものであります。ゆえに孫七郎様にも源氏としても
格式や歴史を学んで頂きます﹂
そう言って様々な文献などから源氏の講釈を受けたようだが、色々
と秀次の返しに驚かされたという。
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﹁源氏も平氏も全国に散ってしまっているが、この三好家と他は明
智殿が正統なる家系のひとつですな。関東に座る北条家は元は伊勢
家より出ているそうですし、それを隠すどころか誇りにしています
な。彼らは西には興味なく、鎌倉幕府時代のように東に強大な政権
を確立しようとしているのでしょう。しかし、源氏、平氏であれば
朝廷から官位が貰いやすいという利点はありますな﹂
いつ北条家の元が伊勢家などということを知ったのか。これには皆
驚いたという。
様々な秀次の評判を聞き、秀吉はこの若者に期待せずにはいられな
かったのだ。
﹁織田信雄殿もお招きになるのでしょうか﹂
その答えに秀吉は満面に笑みを浮かべた。
﹁さよう、招くことになろう。でだ、秀次。信雄めは来ると思うか
?﹂
﹁来ないでしょう。大阪城で宴を貼るから招く、とは主家が臣下に
対して行う行為に等しいと存じます。あの方は、織田家の後継者を
諦めてはおりますまい﹂
その明確な答えに秀吉も深く頷く。
﹁そうだな。信雄は来ない。だが、いつかはあの男にも立場を教え
てやらねばならん﹂
﹁一戦しても⋮⋮ですか﹂
﹁聡いの、秀次。まあ見ておれ、今に信雄からわしに挑戦してきよ
るぞ﹂
自信たっぷりの秀吉。
秀次は当然知っているが、信雄の重臣が秀吉に懐柔され寝返った、
との噂が流れる。
むろん、噂を流すのは秀吉陣営であり、その噂を真に受けた信雄は
重臣を殺してしまう。
これを口実に秀吉は信雄討伐の軍を起こすのである。
つまり、尾張に軍を進める。
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これはいいが、秀次はやはりこの戦いは気が乗らなかった。
﹁何か存念がありそうじゃの、秀次﹂
﹁は。信雄殿と戦となれば、信雄殿は徳川殿を頼るでしょうな﹂
徳川、という単語を聞いた秀吉は瞬時に真顔になった。
﹁おそらくな。信雄は徳川殿を頼りに兵を挙げるであろう。
しかし徳川殿にどれくらいやる気があるかは疑問じゃの。
勝ち目も薄い、勝っても信雄が自分の領地を割いてまで徳川殿に
報いるとは思えんしの﹂
徳川家康は無駄を嫌う。織田信雄と羽柴秀吉の戦いなど﹁織田家の
内部争いでございましょう。我々は手出しせぬことをお約束しまし
ょう﹂とでも言っておけば無視できてしまう。
﹁それでも、信雄殿は徳川殿が応援せねば、単独での戦は無理でし
ょう。
徳川殿が兵を出したとして、国力では上様が勝っておりますが﹂
ふん、と秀吉は鼻を鳴らした。
﹁まあ、それでも徳川殿は信雄殿と組んで立つであろうな。
徳川家単体では戦にならん。信雄の百万石があってこそ、様々な
戦略も立てられよう﹂
それは確かにそうである。
既に国力の差がついている以上、信雄の百万石の兵力あってこそ、
秀吉陣営と対陣しえるだろう。
﹁それと外交によって全兵力を尾張に向けれないようにするでしょ
うな。
そして有利な場所を選んで対陣する。というところですか﹂
秀吉は苦笑した。
﹁そこまで読んでおるなら話は早いわい。わかっておろうが、徳川
殿の狙いはわしの首などではない。
ある程度の勝利を飾り、こちらに高く自分達を売りつける算段よ。
封土を削らず、我らからの干渉を受けないような戦後交渉のため
の戦じゃで。
41
信雄はそれに利用されるだけじゃろう﹂
﹁役者が違うでしょうからな﹂
﹁左様﹂
ここで秀吉は秀次に顔を近づけて低い声で言った。
﹁これはの、秀次﹂
鋭い眼光で秀次を見据える秀吉。
﹁織田信長公亡き後、この日の本を誰が導いていくのか、それを天
下に知らしめる戦ぞ。
必要な戦じゃ。信雄など、脇役に過ぎぬ。織田家の名を持っていな
ければ、この舞台に上がることすらできぬ﹂
そこまで言って秀吉は扇子で自分の肩をぽんぽんと叩きながら言っ
た。
﹁気張れよ、秀次。よく秀長を補佐せよ。柴田や滝川などの戦いと
はまったく違う戦となろう。饗応の件だけではなく、よく周辺諸国
に手配りせよ。
特に北陸の佐々成政などは頼まれもせずとも勝手に反抗してきよる
わ﹂
佐々成政の秀吉嫌いは有名である。
草履取りが追従と下賤な贈賄によって織田家の将として成り上がっ
たと毛嫌いしている。
﹁承知しました﹂
秀次は平伏して答えた
こうして、小牧・長久手の戦いへと歴史は進み始める。
その中で秀次の足掻きも始まっていく。
42
小牧・長久手へ
小牧山に徳川家康・織田信雄が布陣。
その眼前に秀吉は大軍を配し、互いに強固な陣を引いて睨みあう。
後の世に言う、小牧・長久手の戦いは静かに推移していた。
楽田と呼ばれる小牧山を見上げる地に布陣を引き、砦や物見櫓を作
っている秀吉軍。
小牧山を要塞化して待ちうける徳川・織田連合軍。
この膠着状態になるまでに秀吉、家康の駆け引きがあった。
信雄が重臣を斬って、家康と共に立つまでに双方共に外交において
有利を得ようと動いた。
ここで秀次は自らの持つ知識を生かして秀長を補佐する。
北陸の佐々成政は上杉景勝、前田利家に任せ、四国の長宗我部対策
に千石秀久を淡路島に配置した。
史実でも無理な力押しで戦局を切り開くことを得意とする千石秀久
には﹁淡路に多数の砦を作り、四国からの渡海軍を止めよ。こちら
から討って出てはならん﹂
と秀長から訓示させた。
秀吉の持つ水軍を淡路から大阪湾にかけて展開し、四国からの渡海
に対して備え、家康の長宗我部を使った後背をつく戦術を封じる。
雑賀衆に対しては中村一氏、藤堂高虎をして防衛線を構築。南から
の大坂への進軍経路を先に閉ざしておく。
もう一つの鉄砲傭兵集団、根来衆は先に家康に雇われてしまったが、
それでも史実より遅れを取ることなく、秀吉軍は背後を気にしなく
43
て良い状況が出来ていた。
これに対し徳川家康は神速の行軍により小牧山へ進出。
先鋒として進出していた森長可を蹴散らして小牧山に布陣。
史実よりも少し早く出陣していた秀吉より先に陣地構築をなすこと
に成功した。
小牧山の布陣を見た秀吉は急戦を諦め、楽田に陣を築く。
ここに戦線は完全に膠着し、睨みあったままの我慢比べの様相を呈
してきた。
徳川側に急ぎ決戦する意思はない。三河の背後を脅かす勢力はなく、
信雄と合わせて糧食も十分である。
むしろ秀吉のほうが決戦を望んでいたことを知っている家康は動か
ない。
秀吉はなるべく早くこの戦を片付けたい。
九州の大友氏から救援要請が来ているからである。
秀吉はこの戦の後、四国と九州を征伐しようと思っている。
そのためには自分に臣従すると明らかにしている大友氏を救援する
形で九州に出兵したかった。
救援要請を行っているのに九州へと兵を差し向けなければ、秀吉は
信用を失うことになる。
まだ時間的な余裕はあるとは言え、九州征伐にはまず四国を押さえ
なければならない。九州の前に長宗我部氏の押さえる四国を平定す
る必要があった。
徳川を臣従させれば、東の敵は当面いなくなる。関東の王たる北条
氏は遠く、目先の脅威になり得ない。尾張の織田信雄、三河の徳川
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家康の脅威を取り除けば秀吉は西へと進軍できるのである。
徳川は背後の北条氏とは縁戚関係となっており、同盟関係にある。
秀吉に対し国力で劣るとは言え、徳川側には﹁待つ﹂という戦術を
取れる十分な理由があった。
対陣している秀吉は陽気に﹁やあ、さすが三河殿よ。蟻の這いいる
隙もないわ﹂と笑っていたが、内心は焦りがある。
何か、きっかけが欲しい。
そう思いながら、そのきっかけを自らが動くことによって事を起こ
すのは危険すぎる。
焦れる心中を悟られぬよう、秀吉は努めて陽気に振舞っていた。
秀吉とは別に秀次は策を考えていた。
策と言えるほどのものではない。
史実とは違い、睨みあったまま別働隊を織田信雄の領地である尾張
へ差し向け、清洲城を囲んでしまうというものだ。
自分の本拠地が囲まれている状態では信雄はこの戦線に止まれない。
あの男にそこまでの胆力はないと秀次は見ている。
三河に中入りすれば史実通り、家康に察知され襲撃を受けるのは間
違いない。
ようは家康の部隊とはここ、小牧山で睨みあっておいて、別働隊を
尾張にまわすだけで信雄の部隊はここを去る、と考えたのだ。
秀吉はこの戦いで家康を臣従させることを戦略目標として持ってい
る。天下に天下人はただ一人。
自分こそが天下人であることを満天下に知らしめる戦いとこの戦を
位置づけている。
秀次は後世の歴史小説や検証本で知っている。徳川家康がいかにし
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ぶとく、いかに戦上手で、政治と謀略に長けた者なのかを。
この戦いの前に秀次は秀長を補佐しながら家康の外交政策のいくつ
かを頓挫さしている。あわよくば、史実より大きく有利な状況で戦
えるかと思ったが、現実はそこまで甘くなかった。
︵まともにやりあったら、このまま双方動けないまま秀吉の時間切
れ敗北、だな︶
今は動けないが、秀次は頭の中で尾張奇襲部隊の人員を考えていた。
︵中入りで三河へと進軍したときに、家康は討って出た。尾張への
奇襲時も討って出る可能性はあるが、自分の根拠地ではない。信雄
の部隊が慌てて救援に向かう可能性が高い。家康の武将がつくかも
知れぬが、信雄の部隊なら十分に破れる部隊構成にすれば⋮勝てる
可能性は高いよな︶
秀次は対陣している武将を書き記した書を前に考え込んでいた。
︵堀秀正、通称名人久太郎。それに森長可は緒戦の汚名を注ぎたい
だろうから、加えていいだろう。あとは池田恒興もだな。別働隊の
総大将を誰にするかだが⋮俺はいやだ。となると、秀長さんか? もしくは黒田官兵衛という選択肢もあるな︶
采を振るうのが黒田官兵衛、名人久太郎を目付けとして汚名を注ぎ
たい森・池田を先鋒として秀吉子飼いの福島正則、加藤清正などの
七本槍も参加させれば後の論功行賞であいつら子飼いの者を出世さ
れる口実にもなる。
︵蒲生も行かすか? 戦はうまいことに定評はある。家康との対峙
は秀吉本軍、それに俺の部隊と堀尾・山内などの古参武将たちで十
分だろうし︶
2万程度の軍を編成して尾張に進撃すれば信雄は気が気でないだろ
う。
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家康と信雄は建前上は同格、むしろ信雄が家康に援軍要請をして家
康は加勢に来ているわけだから、信雄の部隊がごっそり尾張に取っ
て返せばますます小牧山での睨み合いは膠着することになる。
家康まで尾張救援に向かえば、それこそ秀吉本隊が小牧山に火の出
るような攻勢をかければいいだけである。
︵あとは信雄の戻ってきた部隊を叩く事を主目的とし、清洲城を囲
んで降伏させれば⋮家康に戦う理由はなくなる。史実でも信雄が秀
吉と和睦した事によって戦の大義名分を失ってあっさりと手を引い
ている。
家康ではなく信雄を攻める。何も強力な徳川軍にぶつかることは
ない。弱い箇所を攻めることで勝利を得る。それで十分だ。
史実ではこの戦いで別働隊を率いて三河で散々に負けるのは、俺
なんだから。下手したら死ぬ。うん、機会を見て無理はしないで尾
張を攻めましょうと秀吉に具申しよう!︶
対陣しながらなんとか自分が戦に出なくていい勝ち方を模索した秀
次。
とは言え、この策を秀吉に具申するタイミングをまだ計っている最
中であった。
秀次は自軍の陣から小牧山の陣を仰ぎ見ている。
直参である舞兵庫、田中吉政、新たに先鋒として加わった可児才蔵
も呆れたように子牧山の陣を見ている。
﹁これはうかつに動けませんな﹂
田中吉政があごに手を当てながら困ったような声を出した。
﹁拙速を尊ぶ戦では、こちらの被害が大きくなるばかりですな。し
ばらくは睨みあいになりましょう﹂
舞兵庫もそう言いながら小牧山の陣を見つめている。戦術家である
彼はもし攻めるならどこから攻めるべきか、一部に攻撃を集中しつ
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つ、夜間に別働隊に背後へと回りこませるか、いやあの陣立てから
して、うまくいくとは思えない、やはり正面からにらみ合うのみか、
などと頭を巡らせている。
﹁拝領したこの来国俊、まだ振るう時はきていないということです
な﹂
低い、唸るような声で答えたのは可児才蔵である。
﹁千石と来国俊、万石級の大名が持つ槍を頂いた恩、家康の首を取
ることで返さして頂こうと思っておったのですがね﹂
来国俊、日本刀の流派の一つであり、鎌倉時代に名刀を多く世に出
した。
その太刀や短刀などは名物や名刀を集めていた織田信長も多く収集
しており、織田家の財を引き継いだ形になっている秀吉も多く所有
している。
可児才蔵に秀次から渡されたのはその来国俊の槍である。
当然貴重なものであり、﹃万石級の大名﹄が持つという評価もあな
がち間違いではない。
︵その槍、来国俊だったのか⋮⋮︶
心の中で呟く秀次。
実は大坂城から帰る際、ふと立ち寄った宝物蔵でなんとなく立て掛
けてあった槍を持って帰ったのだ。
︵可児才蔵が来るっていうから、まともな武具の一つでも送って忠
誠心を得るって簡単に考えて、俺は目利きなんてできないし、ここ
にある物なら変なものはないだろ、と簡単に考えて槍持って来たが
⋮⋮来国俊とは。やべ、後で怒られないかな︶
今更ながら勝手に持ってきた事を少し後悔する秀次。
既に渡してしまったものなので、今更返してくれとも言えず、まあ
怒られたら謝っておこうと割り切った。
秀次の陣の周囲には、豊臣直参ともいうべき者達が各々陣を作って
いる。
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加藤清正、福島正則など俗に言う﹃賤ヶ岳の七本槍﹄、堀尾茂助、
山内一豊、などが秀次の陣の前方を埋め尽くすように陣を張ってい
た。
秀次の陣は秀吉本陣から見て右翼に配置されている。左翼には豊臣
秀長。
左翼を弟の秀長が、右翼を甥の秀次がまとめ、自らは中央に陣どる
ことで小牧山に圧力をかけている。
子飼いの武将を多く右翼に置いたのは、秀次が若く他の大名を扱い
にくかろうという秀吉の配慮である。
連日、午前中に秀吉の本陣で軍議があるのだが、有効な手はなく大
体が現状報告で終わっている。
その後、本陣での様子を周囲の武将が秀次のもとに聞きに来るのが
毎日の流れであった。
対陣して10日目、その日も秀次の元には武将が集まっていた。
﹁特に大きな動きはなさそうですな﹂
柔らかい物腰で笑みを浮かべて秀次に話しかける壮年の武将。
﹁動きようがない、と言ったところですね、山内殿﹂
秀次が答えると、山内一豊は苦笑して水を入れてくれる。
受け取った水を飲みながら秀次は山内一豊を見ていた。
︵浪人の身から織田家に仕えて、秀吉の元で功名を重ねて、大きな
手柄こそないが堅実に生きている。史実では奥さんの千代さんが賢
妻でずいぶん助けられたことになっているが、実際はどうだったの
かな?
少なくとも織田、豊臣、徳川の全てに仕えて土佐藩主になる人だ。
それなりに政治的なセンスや世の情勢を見ることはできた人だった
のかも︶
しばし水をゆっくりと飲みながら考える秀次。
︵この人、いい人だよな。信義を重んじる。派手な言動も行動もな
いが、その分どっしりと構えているように見える。律儀な人、とよ
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く言われているが、まあその通りの雰囲気を持ってるんだよな。少
なくとも一度した約束を翻すような人ではないと思える。
もっとも、秀吉亡き後は徳川家康についたのだが、冷静に見て家
康に着くのが正解なのは当たり前だし。
幼君と家康じゃ相手にならん。だったら城ごと差し出して恩を売
っておいて、後の恩賞に期待か。実は策士なんじゃねぇか?︶
そう思っても見るが、篤実を絵に描いたような人柄を見ているとそ
うとは思えない。
﹁どうかされましたか?﹂
山内一豊が秀次に語りかける。ずっと見られていて気になったよう
だ。
﹁いや、山内殿はこの戦、動くとしたら何がきっかけになるか、ど
うお考えですか?﹂
聞かれたほうは少し考えてこう言った。
﹁さて、これほどの規模での睨みあいは私には経験がございません。
名人の囲碁のようにお互い動けぬまま、相手の失策を待つ、あるい
は失策を犯したと見せかけて敵を引き寄せる⋮⋮どうにも、わかり
ませぬな﹂
その答えに秀次は苦笑した。
﹁しばらくは動きがなさそうですな⋮⋮そういえば、千代さんは息
災ですか?﹂
そんなことを聞いてみる秀次。山内一豊は顔を赤くしながら笑って
言った。
﹁息災です。いや、秀次様の耳にまで千代の噂が入っていましたか。
どうにも、あれは子供っぽいところもある奴でして⋮⋮﹂
︵うお、普通に惚気られた。なんつーか、本格的にいい人だな、こ
の人︶
ひょっとしたら、自分を知恵者と思っている者よりも、正直に生き
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ている人間のほうが乱世では生きられるのかも知れない。
ある程度の功名しか立てられなくとも、人それぞれの役割がある⋮
⋮そう思いながら暖かい気持ちで秀次は山内一豊の話を聞いていた。
と、そこに伝令が駆け込んでくる。
﹁秀次様! 上様がお呼びです!﹂
一瞬、いやな予感がする秀次だったが、すぐに行くと返事をして可
児才蔵を供に陣を離れた。
51
長久手の戦い
いやな予感が当たった。
秀次の目の前で池田恒興が秀吉に向かって﹃三河への中入り﹄を熱
弁している。
思わず頭を抱えたくなる秀次だったが、さすがにそこは自重してと
りあえず話を聞いてみることにした。
﹁徳川軍は小牧山に陣取って動きませぬ。主力も全て小牧山に集結
しており、岡崎は空き地同然。ここを攻めれば焦って軍を動かしま
しょう。その隙に攻撃すれば勝利は間違いありませぬ!﹂
何が勝利間違いなしだ、アホ! と全力で叫びたい衝動を抑えてと
りあえず大人しくしている秀次。
秀吉が﹁中入りは危険じゃ﹂と一応の反対はしているので、口を挟
まないほうがいいと思っていたのだ。
︵というか、史実では秀吉が積極的にこの中入りを進めてたんじゃ
なかったのかよ! なぜあんたが言い出すんだよ! このままもう
少し睨みあってから信雄の尾張を攻めれば、何事もなく戦いも終わ
って俺も安全! 無事に大坂に帰還できるってもんよ! とか考え
てた俺の安心感返せ、コノヤロー!︶
池田恒興が凄まじい熱意で秀吉を説得しており、森長可がそれに同
調している。
森長可は緒戦で負けている。何とか挽回の機会をと強く願っていた
のだ。
彼にとって池田恒興の策は渡りに船。まさに汚名挽回の絶好の機会
に見えていた。
︵結局、史実通りに中入りになるのか⋮⋮。いいや、もう。勝手に
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行って勝手に負けて来い。池田恒興、お前のことは忘れないぞ、三
日くらいは︶
尾張に兵をまわす案を言い出せなくなった上に、史実で負けを知っ
ている策が実行されそうになっているが、秀次は放っておいた。
自分が総大将として行かなければ、別に関係ねーとばかりに無視す
ることにしたのだ。
池田恒興と森長可、両武将だけで中入りをしても大した兵力にはな
らないので、たぶん堀秀政は行くことになるだろうが、名人久太郎
と言われた彼が後詰ならある程度の兵力は無事に帰ってくるだろ、
と秀次は考えたのだ。
︵兵力は1万2千くらいか? ひょっとしたら史実より少ない兵力
で行ったら見つからずに岡崎城を取れるかもしれないし。取れなく
て史実通りに負けたら、そのときはそのときだろ︶
別にこの一戦だけで秀吉軍が壊滅して敗走するような事態にはなら
ないのだから、勝手にやってくれ、という気持ちで秀次は軍議を聞
き流していた。
この事はすぐ後に後悔することになる。
﹁さて、行きましょうぞ、殿﹂
⋮⋮そうだね、兵庫。地獄まで行こうか。
﹁縁起でもないですぞ﹂
なんで俺が総大将なのさ! 別働隊の!
﹁これだけ大規模な別働隊ですからな。秀吉様の一族であられる殿
が総大将なのは道理かと﹂
くっ、このままではまずい。秀吉からは﹁くれぐれも気をつけよ﹂
とか言われたが、何をどう気をつけろってんだ!
史実通りだと、奇襲されて壊滅、命からがら逃げるはめになる!
53
いや、命が助かるとは限らない。馬まで失って逃げるくらいの壊乱
だ。史実通り逃げられるとは限らん!
兵庫! 兵庫!
﹁何か?﹂
奇襲されると思うけど、どーしよう?
﹁ほう⋮⋮徳川殿はこの中入りを読んでいると? 殿がそう仰るの
であれば、奇襲を逆手に取ってご覧に入れましょう﹂
マジ!? なんて頼りになる奴だ! ほら、采配持って!
﹁采を我に預けてくださいますか。これは期待に答えなければなり
ますまい﹂
その場で兵庫は伝令を走らせる。堀秀政に連絡して連携するつもり
のようだ。
あれ、池田は?
﹁彼らには何を言っても行軍の歩調を合わせることはかなうますま
い。目先の功名に捕らわれております。むしろ彼らと我らの間に距
離を置き、そこに徳川殿の軍勢を誘い込みます﹂
なるほど、なんて頭いいんだお前。
俺の本軍と堀秀政の軍、池田と森の軍で奇襲してきた徳川軍を挟撃
するのか。
でも相手は徳川家康だし。三河兵、甲州兵の強さは天下に響いてる
からな。
俺のほうでも保険はかけておこう。七本槍とか可児才蔵を俺の周囲
に配置しておこう。
乱戦になってしまったら守ってくれそうな強い奴を⋮⋮。
秀次が舞兵庫に采を預けて出発してまもなく、家康は秀吉が別働隊
を動かしたことを掴んでいた。
家康は配下に伊賀者を多く抱えている。彼らが秀吉の組織した別働
隊の情報を持ち帰ったのだ。
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情報を得ると即座に別働隊を迎撃すべく密かに軍を動かす。
夜間に榊原康政、水野忠重、大須賀康高、丹羽氏次を先鋒として送
り出し、自身の本隊と織田信雄の部隊も出撃する。
小牧山に残る将たちに、厳重に守りを固め絶対に敵の挑発に乗らぬ
ように注意してから、家康は動いた。
伊賀者からの続報が入ったのは家康が進軍を開始してまもなくであ
る。
﹁敵方の先陣は池田恒興、森長可。両隊は岩崎城を目標に急進して
いる模様﹂
﹁後発の部隊の進軍速度は先陣より遅く、周囲への警戒を密にして
いる模様﹂
︵全軍が同じ速度で行軍しているわけではないのか?︶
不審に思う家康。
史実では秀次の部隊は油断しており、背後から急襲を受けて壊滅状
態になっている。
秀次は厳重に警戒しながら行軍しているため、家康は後続の部隊を
急襲することは諦めた。
︵むしろ急進している先陣部隊を叩くべきだ︶
家康は岩崎城を目指している池田・森の両部隊を急襲し、これを叩
いた後、後続の部隊を待ち受けて決戦すべきだと判断した。
先鋒部隊に奇襲が成功すれば兵力差からいって壊滅的な打撃を与え
られる。その後に陣を敷き後続の部隊を待ち受ければ有利に戦える。
家康は各隊に行軍速度を上げるように指示を出すと、伊賀者にさら
なる情報を求めた。
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後続の部隊を率いるのは誰か、主だった将は誰がいるか、先陣の両
将はいつ頃に岩崎城への攻めを開始するか。
それらの情報を集めるべく、伊賀者は颯爽と駆けて行った。
︵さて、どうでるか︶
馬を走らせながら、家康は考えていた。
一方の秀次が率いる部隊。
既に堀秀政の部隊と合流し、周囲を警戒しながら進んでいるがただ
ゆっくりと進んでいるだけではない。
先陣の池田・森の両将には﹁岩崎城を囲んでも決して攻撃を開始す
るな﹂と伝令を走らせている。
岩崎城には大した兵力はない。攻めれば簡単に落とせるだろうが、
岩崎城を攻めている最中に家康に奇襲されればたまらない。
理想は岩崎城を囲んでいる部隊を急襲した家康軍を秀次本隊と堀秀
政の部隊で挟撃、包囲殲滅の形に持っていくことである。
︵うまくいくといいな⋮⋮うまくいくかな⋮⋮いや、舞兵庫と堀秀
政がいるんだ。こっちは奇襲があることを前提で動いている。きっ
とうまくいくはずだ!︶
秀次の不安はつきないが、部隊は周囲を警戒しながら進んでいく。
このとき、家康は伊賀者から先陣の詳細な情報を掴んでいた。
怒涛の勢いで岩崎城へと進軍していること、その戦意が燃え上がら
んばかりに盛んなこと。
それを聞いた家康はしばし眼を閉じて考えを巡らす。
︵岩崎城はもたん︶
岩崎城を囲んでいる間に急襲できれば最高だったが、行軍速度を考
えるとぎりぎりのところで間に合わない、と判断した。
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︵捨てるか︶
とっさにそう思った。岩崎城を捨て石として、勝利に沸く先陣部隊
を叩いたほうが良いのではないか、そう考えていた。
岩崎城に篭るのは小勢。しかし精強で知られた三河兵である。
最後まで抵抗し、城に火を放って壮絶に散るであろう。
︵相手の戦意が高い。岩崎城を落とすことによって、勝利に沸き立
つであろう。そこを討つ。急激な戦況の変化にあの両将はついてい
けまい︶
考えをまとめた家康は伝令を呼ぶ。
﹁物見の報告によれば、岩崎城は既に落城寸前。このまま我らが急
進しても間に合わぬ。
よって、岩崎城を落とし一息ついている敵を襲う﹂
そのために多少行軍進路を変えよ。そう命令した。
城攻めの最中に援軍として家康本隊が現れれば、一時城攻めを中断
して後続の部隊へと合流するために兵を退く可能性がある。
そのため、直行せずに部隊を旋回させてより確実に城攻め後の敵を
襲えるように行軍進路を変えたのだ。
勇気のいる決断であったが、家康は伊賀者の報告から敵の先陣部隊
の情報を確実に掴んでおり、十分に勝算があった。
︵後続の部隊は堀秀政⋮⋮名人久太郎か。それに羽柴秀次。秀吉の
甥とのことだが︶
別働隊の総指揮官はこの羽柴秀次だろう。警戒しつつ先陣部隊と距
離を持ったまま進軍しているという。
先陣部隊の池田・森は客将。秀吉の譜代の家臣などではないために、
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扱いずらいのであろうか? そのために、彼らに武勲を立てさせる
ために行軍速度を遅らせているのか?
それとも、何か別の意図があるのか。
︵どのような意図があったとしても、先陣を砕いてから万全の陣を
敷いて待ち受ければ良い。この一戦で勝ちを得れば、当初の目的は
果たせるな︶
家康の目的は秀吉の首などではない。
ある程度の勝利を得て、後の交渉を有利にすること。この一点のみ
に主眼を置いている。
国力の差を考えれば、家康は秀吉に勝てない。いずれは臣従を強い
られる。
臣従を強いられる時、一定の勝利を得ていれば強気に出られる。同
盟に近い形での臣従も有りうるだろう。
︵岩崎城は餌だ。餌に池田・森が群がった後、一網打尽にする。そ
の後、後続部隊を迎え撃つ︶
家康は精鋭と言える部隊を率いている。
本多忠勝、酒井忠次も従えて来ている。
問題はない。
家康は部隊を旋回するように動かして岩崎城へ迫っていた。
岩崎城には小勢しか篭っていない。
武功に逸る池田恒興、森長可は秀次より届いた﹁城を囲んでも攻撃
は行うな﹂との命をあっさりと無視した。
戦力は圧倒的であり、眼の前に功名が転がっている。小牧山に徳川
軍が布陣する前に戦で負けている森長可などは今こそ汚名を返上せ
んと、すぐさま岩崎城に猛攻撃を仕掛けた。
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当然、池田恒興も続く。家康に忠誠厚い三河兵は、兵力差など無い
かのように奮戦し、最後まで降伏しなかったが、最後には城に火を
放って果てた。
勝鬨を上げる池田、森勢。
彼らはここで休息を取ることにした。
後続の部隊を待つ意味もあるが、両将ともに家康が軍を動かした事
を知らない。
電撃的に岩崎城を落とした今、一気に岡崎城まで攻め寄せ、慌てて
救援の軍を岡崎に家康が派遣すれば秀吉本隊が小牧山を攻める。
家康が動かなければ、岡崎城を落として焼き払って帰るつもりであ
った。
秀次からの連絡による﹁家康が既に中入りに気づいている可能性が
ある﹂ことは考慮に入れていなかった。
小牧山から家康が迎撃部隊を出したなら、それこそ好機、その部隊
を岡崎まで引き付けてしまえばお味方大勝利間違いなしよ、と休息
しながら話し合っていた。
休息のための天幕などが出来上がっていく頃、馬蹄の轟きが聞こえ
てきていた。
﹁敵襲! 敵襲!﹂
外から聞こえる声に池田、森の両将が外に飛び出る。
そこでみた光景は、圧倒的な数の徳川軍が殺到してくるものであっ
た⋮⋮。
﹁池田恒興様、森長可様、両名ともに討ち死!﹂
慌てた伝令が秀次の本陣に駆け込んできた。
堀秀政が先鋒部隊が壊乱して逃げている兵をまとめている間に後方
の秀次の陣へと伝令を走らせたのだ。
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この報告を聞いた秀次は横に座る舞兵庫を見る。
﹁池田様らは敗れたようですな。東海一の弓取り、さすがですな。
最も、池田殿も森殿も我らの言を聞き入れて下さらなかったようで
すが﹂
﹁城を囲んでも攻撃はするな、と言っておいたのにな﹂
﹁抜け駆けは戦場の常といいますが少しはこちらの事も考えて欲し
かったですな﹂
冷静だなーこいつ。そう思いながらこれからどうするかを秀次は舞
兵庫に問うた。
﹁先行している堀様の部隊に合流します。どうせ我らが追いつくま
では敗残兵を収容することで堀殿も手一杯でしょう。伝令からの情
報では、池田様たちを急襲した部隊はこの先に陣を敷き決戦の構え。
堀殿と合流し、戦力を整えてから進軍すべきです﹂
一瞬、このまま敗残兵を収納してから帰ってしまおうかと考えた秀
次だったが、そうなると羽柴方は大規模な中入り部隊を派遣してお
きながら、一戦で先陣が破られると残りは戦わずして帰ったという
ことになる。
そうなれば総大将の秀次の責任問題となる。
︵さすがに死を持って償え、とかにはならんだろーけど。普通に見
切られそう。嫌でも兵庫の言うように全軍を進めるしかないか。
っと、家康が小牧山から出たのは確かなんだ。一応、秀吉本陣に
使者だけ出しておこう︶
秀次が伝令に秀吉本陣に相手が別働隊を動かしていること、その規
模が意外に大きいこと、池田恒興、森長可が討死したことを伝える
ように命じる。
60
︵あとは秀吉が動くまで、別働隊をこの地に拘束すればいいのか?
いや、こっちが戦う意思が低いと見れば、家康はさっさと小牧山
に戻るな。対陣するだけじゃ何にもならん。
⋮⋮やっぱ一戦するしかないか︶
﹁しょうがない。軍を進めよう﹂
﹁御意﹂
こうして秀次本隊は進軍速度を上げ、先行する堀隊に合流する。
すぐに堀秀政が秀次の元にやってきた。
﹁逃げてきた兵のうち、手傷を負っている者はこのまま戻らせます。
戦える者は順次編成しておりますが⋮⋮物見の話では敵は岩崎城前
に鶴翼の陣にて決戦の構え。
いかがいたしましょう?﹂
この軍勢の決定権はあくまで秀次にある。
ほとんど飾り物に近いとは言え、退くか戦うかという決断は秀次が
行わなければならない。
﹁鶴翼か。三好の父ちゃんに習ったな。中央を薄くして、翼を広げ
るように部隊を展開して、中央を破ろうとする敵を挟み込んで殲滅
するための陣、だったよな?﹂
﹁さようです。しかし、中央に家康殿の旗印が見えます。むしろ中
央こそ強固かと。
うかつに当たれば相手の思う壷です﹂
︵鶴翼⋮⋮現代の戦争ではこんな陣はほとんど使われないんだよな。
まあ、絶対的な火力差があるからだろうけど。航空戦力がまったく
無かったとしても、遭遇戦でもない限り、要塞や塹壕に篭って待ち
受けるのが普通だもんな。しかし今は天正の世だぞ。火力は火縄銃
61
しか⋮⋮︶
ぶつぶつと何かを呟いて考えている秀次。
どうしたのか、というような視線を向けてくる堀秀政、舞兵庫にも
気づかずに考え続ける。
︵火力が火縄銃なんだよ。でも、鉄砲は鉄砲だ。相手が攻めかかっ
て来ても、全部隊の鉄砲をずらっと並べて中央にぶちこめば、俺が
逃げるくらいの時間は稼げるかも!︶
そんでもって七本槍や可児がいれば! と思わず声を出す秀次。
すると舞兵庫がおもしろそうに笑った。
﹁ほう、大胆な策ですな。この兵庫、感服致しましたぞ﹂
堀秀正も驚いたような顔で続ける。
﹁鉄砲の中央火力集中、その後に騎馬武者のみで本陣へと斬り込む
とは⋮⋮秀次様の周囲に若き武者たちが多いのはその策のためでし
たか!﹂
︵え、あれ? なんか話が勝手に進んでね?︶
自分がぶつぶつと口に出していたことに気がついていない秀次。
しかもうまいことに﹁逃げる時間くらいは稼げるかも!﹂と思った
部分は聞こえなかったようである。
﹁では相手の右翼は我がほうで対応しよう﹂
﹁お願いできますか、堀様。左翼は私が。兵力は先陣部隊の生き残
りを合わせればほぼ同数。片翼ずつを我らが押さえれば、勝機はあ
りますな﹂
62
そう話した二人は秀次のほうに顔を向ける。
自信に満ちた表情が全てを物語っていた。
両翼は閉じさせない。その間に秀次配下の武将が敵本陣を突ける、
と。
いや、もっとセーフティにいこうよ、と言える雰囲気ではなくなっ
たので、秀次は破れかぶれに命を下す。
﹁福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、
片桐且元!﹂
呼ばれた七人が馬を秀次の側に寄せてくる。
﹁可児才蔵!﹂
側に控えていた可児才蔵が槍をぐるりと回してにやりと笑った。
﹁そちら、郎党の騎乗の士のみを引き連れて本陣へと突撃せよ! 全部隊の鉄砲持ちをここへ集めよ!﹂
もうやけくそである。
すぐに部隊の鉄砲が全て集められてくる。
その数、千丁。
ここより、運命を変える戦いが始まる。
63
長久手激戦
鶴翼の陣を敷いた家康は敵が動き出したと言う報告に腰を上げた。
魚燐の陣のような突撃形態にてこちらの陣を突き破るように来るの
か?
あるいは同じ鶴翼の形にて正面からぶつかるか?
どちらにせよ、ほぼ同数の上、緒戦に勝って士気が上がっている自
軍は十分に敵を打ち破れることに疑いは抱いていなかった。
相手の行動を見るまでは。
﹁なんだ、あれは!﹂
両翼に対して、敵の部隊が二つに分かれて掛かって来る。
鶴翼の両翼を抑えに来ているのだが、異様なのは中央である。
鉄砲を抱えた多数の兵が中央の本陣目指して一直線に全力疾走して
来るのだ。
重い鉄砲を抱えているので速度はそれほどでもないが、数が多い。
おそらく千ほどではないだろうか?
その全ての手には鉄砲が握られており、一心に本陣へと肉薄して来
る。
本陣前に配置された大須賀康高隊から鉄砲が放たれる。
この時代の鉄砲は極端に命中率が悪い。
大須賀康高隊が持つ鉄砲はせいぜい五十丁。それでも何人かが鉛の
弾を受けて倒れたが、それらを踏み越えて千人は肉薄して来る。
大須賀康高隊は鉄砲の射程ぎりぎりで撃ったが、そこを踏み越えて
彼らは前進してきた。
やがて彼らは一斉に鉄砲を構えた。
千の銃身すべてが家康本陣前を守る者たちに向けられていた。
鉄砲の射程より十間ほど踏み込んでの発砲。
凄まじい破裂音と共に、千の鉛弾が飛ぶ。
64
命中率が悪かろうが、千もの弾丸は面となって敵を討つ。
瞬間的に大須賀隊は大きな損害を出して兵が倒れる。
最も、攻撃がこれだけか、あるいはその後に来るのが通常の攻撃か、
足軽たちの突撃なら十分に立て直して反撃できただろう。
しかし、千の鉄砲隊を飛び越えるように現れたのは、全て騎馬であ
った。
大須賀隊を踏み潰すような勢いで突入した騎馬軍団は、速度を落と
さずに家康本陣へと突入した。
家康の眼が驚愕に開かれた。
機先を制された家康の旗本はまともに迎撃体制を取ることも出来ず、
秀次が送り込んだ若武者達に蹴散らされていく。
彼らは首を取らない。敵をなぎ倒し、槍で切り払い、馬で蹂躙して
ただひたすらに本陣の奥へと進む。
家康の周囲には腕自慢の者達が、旗本の精鋭中の精鋭がいる。
それらはさすがに主君の危機とあって奮戦した。
福島正則が、加藤清正が、七本槍の全てが一騎打ちのような形で進
路を遮られた。
だが、一人の男だけが眼の前に躍り出た旗本を槍の一撃で絶命させ
ると、さらに踏み込んだ。
可児才蔵。彼の眼には敵の総大将、徳川家康が捕らえられていた。
獰猛な笑みを浮かべた可児は一気に家康の首に迫る。
ここで家康の首を取れれば、戦いは秀次軍の勝利、それだけではな
く秀吉にとっても完全勝利となる。
秀次からも可児が家康に迫るのが見えていた。
︵勝った! 俺の人生も勝利間近だ!︶
思わず騎乗でガッツポーズを取った秀次。
いかに武術を趣味として、剣術を修めているとはいえ、相手は可児
才蔵である。
65
家康も刀を抜くが、眼前に迫る相手が尋常な相手ではないと悟った
のか、覚悟を決めた表情を見せる。
せんこう
可児が槍を引き、一撃で決めようと必殺の一撃を放つ、その寸前。
可児の視界の端に閃光が走った。
﹁!!﹂
瞬時に槍を跳ね上げて、横から繰り出された槍の一撃をなんとか受
け流す。
馬が流れて、家康からは少し距離が空いた。
が、可児は既に家康を見ていない。横合いから槍を繰り出した男を
見据えていた。
鹿角脇立兜に肩から下げた大数珠。
油断無く構えられた槍、あるいは可児以上の体格、静かな殺気。
﹁名を聞いておこう﹂
鹿角脇立兜の男が可児に問う。
﹁羽柴秀次が家臣、可児才蔵吉長﹂
名乗りながら槍を構える可児。
﹁ほう、貴殿が笹の才蔵⋮⋮美濃にその人ありと言われた男か﹂
互いに馬は止まっている。
﹁へっ、あんたがここで出てくるとはな。ま、当たり前か。家康あ
るところに、本多忠勝あり⋮⋮﹂
家康に過ぎたるものが二つあり。唐の兜と本多忠勝。
後の世で戦国最強と呼ばれた男。戦場にて傷を負ったことすらない
という。
その手には彼の代名詞たる槍、蜻蛉切が握られている。
槍の先に止まった蜻蛉がそのまま真っ二つに裂けたという逸話を持
つ名槍である。
歴戦の将にして最強の武士、徳川家の誇る忠義の士が家康を守る壁
66
として可児才蔵の前に立ちはだかっていた。
並の男ならば、素手で猛獣に出くわしたに等しい存在だが、可児才
蔵もまた生涯を戦場の最前線で過ごした男。
二人の剛勇は馬の手綱を操り、互いにその一歩を踏み出した。
﹁﹁参る!﹂﹂
同時に叫んだ瞬間、来国俊と蜻蛉切が空中で激突した。
岩崎城前での戦闘は家康の予想を大きく裏切った。
鶴翼にて秀吉方の後続部隊を包み込んで潰す。
池田・森隊を撃破して士気が上がっている自軍であればそれは容易
に思えた。
だが、相手は鶴翼に対して中央への集中射撃、間断を置かずに騎馬
のみでの突撃という新戦術にて本陣が破られた。
︵秀次という男、見誤ったか⋮⋮この家康ともあろうものが!︶
家康の周囲では乱戦が続いている。
一度はもはやこれまでか、と覚悟もしたが寸前で本多忠勝が救援に
来た。
忠勝が率いてきたのは僅か五十人ほどである。だが突入してきた敵
もそこまで数は多くない。今はなんとか旗本と力を合わせて敵を防
いでいる。
家康の眼前にまで迫っていた可児は本多忠勝が抑えている。彼が時
間を稼いだ間に、家康の周囲に側周りが集まり、どうにか壁を作っ
ていた。
家康が他の戦況を見ると、左翼は堀秀政と一進一退の攻防を繰り広
げている。
︵さすがは名人久太郎と呼ばれるだけの者よ。しかし、何より問題
67
は右翼だ︶
右翼では舞兵庫の指揮で家康陣営、特に織田信雄の軍を圧倒してい
のぶかつ
た。
信雄に軍才がないことを知っている家康は信頼する宿将の酒井忠次
かくよく
を右翼に配していたが、舞兵庫は的確に酒井隊を牽制しつつ、信雄
を叩いていた。
︵右翼があの調子では鶴翼の意味はもはやないな︶
家康は沸きあがる激情を抑えつつ、冷静に戦場を判断していた。
本陣が急襲されているこの状況では、周囲の将も気が気でないだろ
う。まともな指揮が執れるわけがない。
︵⋮⋮なんとか軍の体裁を保ったまま退くことだ。もはやここから
勝利はなし︶
家康は周囲を励ましつつ、退くタイミングを図っていた。
68
蜻蛉切対来国俊
︵ぞくぞくするなぁ︶
可児才蔵は眼前の強敵と槍を合わせながら、湧き上がる愉悦を抑え
きれずにいた。
長く戦場を往来してきた。幾度となく死線をくぐってきた。
数多くの剛勇と腕を競ってきたが、目の前の男はその中でも飛び抜
けている。
本多忠勝。そこらの葉武者とは格が違う。
思わず笑みが浮かぶと、相手から怪訝な問いが来た。
﹁貴殿、何がおかしい﹂
﹁なに、あんたに出会えた事が嬉しくてね。秀次様より拝領した来
国俊。家康の首を取ることによって恩義に報いようと思っていたが、
あんたなら十分だ﹂
忠勝から凄まじい一撃が飛んできた。寸前で弾く。
﹁この本多忠勝、殿の前で破れるような男と思うてか﹂
﹁いいねぇ、心行くまでやろうか、忠勝さんよ!﹂
馬を進めて槍を横殴りに叩きつける。
膂力には自信のあった才蔵だが、忠勝はそれを自身の槍で受け止め
ると弾き返した。
﹁化け物だねぇ﹂
才蔵は宝蔵院流の槍術を修めている。
単純に槍の技では自分に分があると思っているが、相手は桁違いの
膂力と動物的な反射神経でこちらの槍を強引に返してくる。
一撃の重さが尋常ではない。空振りの衝撃が空気を叩いて肌を打つ
ほどだ。
何より、本陣まで敵に攻め入られているというのに冷静だ。
69
ここで才蔵を止める。家康さえ守れば徳川は、徳川軍は負けないと
確信しているのだ。
﹁そうは⋮⋮させっかよ!﹂
才蔵が馬上から槍を薙ぐ。薙いだ槍は忠勝にかわされるが、そこか
ら跳ね上げるように忠勝の顔を打ちにいく。
それを忠勝に防がせ、その隙に槍を流れるように回転させて石突で
さらに忠勝の顔面を狙う。
﹁むん!﹂
気合と供に忠勝が蜻蛉切を振り回す。人外の膂力で振り回されたそ
れは、たやすく可児の槍を跳ね飛ばしていた。
相手の意図に気がついた才蔵が槍を引き戻していなければ、来国俊
は宙に舞っていただろう。
両手で構えた槍が才蔵に迫る。が、才蔵はそれを馬の上で上体を大
きく倒して回避した。
その姿勢のままで才蔵の槍が円を描く。正確に、測ったように忠勝
の体をかするように放たれたその技は、忠勝が後ろに馬を下げるこ
とと同時に上体を反らすことで回避された。
忠勝重い鎧をつけていない。身を守る鎧を厚くせずに動き安さを優
先しているところに彼の自信が伺える。
才蔵は無理な体勢から技を放っている。忠勝はそこを逃さず、槍を
振り下ろしてきた。
並の将であれば、この一撃で頭を砕かれて終わりだが、才蔵は並の
将ではない。
兜を飛ばされながら、彼は馬の鐙を外して自ら馬から転がり落ちた。
一瞬、才蔵が乗っていた馬に体が隠れる。
驚いた馬がその場を離れた瞬間、才蔵が踏み込んで馬上の忠勝を突
く。
突き出された槍を受け、跳ね上げる忠勝。
70
跳ね上がった槍を見て、忠勝から必殺の一撃が才蔵を襲う。
﹁甘ぇよ!﹂
槍が跳ね上げられる事は才蔵にはわかっていた。来国俊から手を離
すと、全力で忠勝の馬に体当たりを仕掛けた。
﹁ぐっ﹂
体勢を崩し、蜻蛉切が空を斬る。才蔵は腰から刀を抜くと忠勝の太
腿めがけて斬りつけた。
瞬間、才蔵の視界から忠勝が消えた。
﹁マジかよ!﹂
太腿を斬られれば勝負あり。そう咄嗟に判断した忠勝が、鐙を蹴っ
て才蔵と反対側へ跳躍したのだ。
忠勝と才蔵の間には忠勝が乗っていた馬が壁となっている。才蔵は
来国俊を拾い上げた。
馬の向こう、忠勝が構えるのが分かる。嘶いた馬が走り出した瞬間、
来国俊と蜻蛉切がまたも空中で激突した。
堀秀政は自分の部隊を巧みに操って徳川軍の左翼を抑えている。
相手左翼とほぼ同数を指揮下に戦っているが、さすがに相手も歴戦
の徳川軍、容易に隙を見せれば逆撃を掛けられる恐れがあった。
︵最も、本陣が奇襲を受けている状況では徳川の将も眼の前の敵ど
ころではないか⋮⋮︶
鉄砲を大量運用し、戦局を変える戦はかつての主君、織田信長の頃
からよく見てきた。
が、鶴翼の中央に火力を一点集中し、その後騎馬のみで突入とは。
︵羽柴の俊英、羽柴秀次か。確かにかなり出来るな︶
堀秀政は織田信長の直参だった男である。秀吉とは直接の主従関係
にはない。最も、明智光秀を討った山崎の戦い以来、秀吉に味方し、
秀吉を盛り立てることで自家の発展を図ってきた男でもある。
71
秀吉の一族で若き英才が現れた事は、いよいよ秀吉が天下を統一す
る条件が整ったように思える。
優秀な後継者足りえる男がいるならば、秀吉が天下統一した後もま
ずその天下は安定と見てよい。
織田信長にも、嫡男織田信忠がおり本能寺の変時には家督も継いで
いたが、信長と同じく京で明智光秀に討たれた。もし嫡男信忠が生
き延びていれば、明智の謀反は無残な失敗に終わっただろう。
︵秀吉殿は信長様という前例を見ている。あのように転ぶことはあ
るまい。実子はおられぬが、羽柴秀次、十分にその資質はあるな︶
眼前の徳川軍を抑え込みながら、堀秀政はそう考えていた。
秀次の評価に関しては、盛大な勘違いであったが⋮⋮。
舞兵庫は与えられた部隊を率いて徳川軍の右翼を叩いていた。
特に織田信雄の率いている部隊は、徳川の将が率いている部隊より
もかなり劣る。
他の徳川軍の部隊との連携も取れていない。舞兵庫はここを徹底的
に叩いている。
信雄の軍勢が押し込まれることにより、右翼は乱戦状態となってい
る。織田信雄は名目上、織田・徳川軍の盟主である。誰もが信雄に
注目していなくとも、この戦は織田信雄が反秀吉を掲げて徳川と同
盟を組んで起こした戦争である。
故に、織田信雄の首が取られた場合、家康は戦の大義名分を失うこ
とになる。
﹁精強なる三河兵に守られていれば安全と思いましたかな、信雄様。
戦場では弱き箇所を徹底的に叩くのが常道。お恨みなされるな﹂
織田信雄と共に右翼に配されていた一人が、酒井忠次である。
酒井忠次、徳川四天王の一人に数えられる名将だが、彼は乱戦とな
っている右翼で自軍をなんとかまとめていた。
72
︵殿は! 本陣は!︶
周囲を叱咤しながら酒井忠次は本陣を顧みる。
そこには、幕が倒され、多くの旗本たちが次々になぎ倒されている
光景が広がっていた。
﹁なんたることだ!﹂
叫んでみるが、状況は悪い。
敵は執拗に信雄様の部隊を叩いている。なんとか連携を取って押し
返したいところだが、いかんせん押し込まれすぎている。
左翼は五分の戦いをしている。そして右翼は押し込まれている。
︵このままではまずい︶
酒井忠次は押されている織田信雄を見て、決断をした。
﹁本陣へと退け!﹂
鋭く叫ぶと真っ先に馬を駆って本陣へと駆け出した。
このまま戦っても乱戦状態が続くだけである。その間に自らの主君
が討ち取られる可能性がある。
これ以上、織田信雄に構ってはいられなかった。幸い、敵は信雄軍
に集中的に攻撃を加えている。
今なら戦場を離脱し、迂回して本陣へと駆けつけることが出来る。
︵信雄様も、側面からの援護がなくなれば壊走しよう。運が良けれ
ば逃げ切れる︶
酒井忠次は駆けた。主君の元へと。
可児才蔵と本多忠勝の一騎打ちは続いている。
来国俊と蜻蛉切は幾度となく空中でぶつかり合い、火花を散らして
いる。
その周囲では忠勝の部下と七本槍を中心とする突入部隊が激戦を展
開していた。
本多忠勝という、一種の怪物を可児才蔵が抑えている。この機に家
康の首を取らんと、血気に逸る若武者達が家康の周囲を守る者に槍
を合わせていた。
73
敵大将に肉薄し、まさにその首を取れるところまで来ている七本槍
達。
主君を守るため、命賭けで奮戦する忠勝の部下と家康旗本勢。
一進一退の攻防だが、勢いは攻め込んだ秀次勢にあった。
ここまでは、おおむね秀次勢の思惑通り戦が進んでいる。敵本陣に
斬り込んでいるのだ。いやが応にも士気は上がる。
このまま押せば、家康の首は取れる。
七本槍を初めとした突入部隊が更なる攻勢を掛けたとき、新たな馬
蹄が鳴り響いた。
酒井忠次の部隊が到着したのだ。
﹁忠次か!﹂
一言叫んだ家康は、即座に決断した。酒井隊と本多隊、それに旗本
を纏めて陣を退くことを。
酒井忠次が本陣へと駆けつけた、それは右翼部隊が薄くなったこと
を意味する。ここで本陣から突入部隊を押し返したとて、その間に
右翼が破られれば瞬く間に本陣は瓦解する。
難しくとも、この戦力で壊乱せずに退くしかない。
家康は周囲を見渡し、その時を図ることに集中した。
一方、戦いを見ていた総大将、秀次は右翼から一部の部隊が本陣へ
と駆け戻るのを見ていた。
すぐさま、秀次は叫んだ。
﹁退き鐘を鳴らせ!﹂
その命により、一斉に鐘が鳴らされる。全軍に退却を命じる鐘であ
る。
一見、新たな部隊が本陣へと救援に現れたのをみて、総大将である
74
秀次が何かを感じ取ったと思われたが、実際は秀次の精神が限界だ
っただけである。
︵これ以上は無理! なんか新しい部隊が本陣に出現したし! も
う十分やっただろ! 徳川家康とこれ以上戦っても勝てる気がしね
ぇ! 俺が死ぬ!︶
相手は史実にて天下を取った男である。
﹁退けぇぇぇ!﹂
秀次は心の底から絶叫した。
75
長久手の戦い・終戦
徳川軍右翼。酒井忠次の部隊が本陣への救援へと向かったため、織
田信雄は配下の兵をほとんど討ち取られ、壊乱寸前であった。
舞兵庫は退き鐘を聞きながら、最後に一押し、織田信雄を押し込ん
だ。
この攻撃により、総大将、織田信雄は逃げ出した。彼の重臣に周囲
を守られながら必死に壊走した。
彼程度の頭ではこの戦場で何が起こったのか、理解できなかっただ
ろう。戦の常道で言えば敵の先鋒部隊を奇襲し、森長可、池田恒興
を討ち取ったのだ。
あわてて救援に来る本軍を万全の陣を敷いて待ち受ける。兵力はほ
ぼ同等、先鋒部隊が敗走した敵本軍は士気が下がっているはず。
逆にこちらの士気は上がっている。現に信雄は家康と共に本陣にい
るのではなく、自らの兵を率いて右翼を構成する部隊として出陣し
た。
手柄を挙げる機会だと捉えたのだ。本来、総大将である織田信雄は
手柄など求めなくともいい。同盟者である徳川家康に戦ってもらい、
自分は予備部隊で十分のはずであった。
しかし、彼にも織田信長の息子という矜持があった。
76
同盟者である家康が大きすぎた。つい、自らの手柄を求めた。
手柄を上げる、できれば目に見える大きな形で。
そうすれば、今後も家康はこちらを軽んじる態度は取れないだろう。
そんな気持ちからの右翼への配置志願であった。
周囲は屈強な三河兵、名将と名高い酒井忠次もいる。左翼よりも早
く右翼が敵を包み込んで、できれば自らの部隊で敵将を討ちたかっ
た。
気が付けば、目の前に敵の一軍がおり、執拗に攻撃を仕掛けてきて
いた。
︵なぜ私がこんな目に!︶
全部自分のせいなのだが、そんな事を考える暇もない。
織田信雄は全力で逃げた。ただ自分の命を拾うためだけに。
﹁こんなものだろう。退くぞ﹂
舞兵庫は冷静に指示を出した。織田信雄の軍勢は壊乱しているが、
さすがに天下に名高い三河の徳川軍団は秩序を保っている。
今、信雄を追えばあるいは首が取れるかもしれないが、退却の命が
出ている以上、自軍のみで突出しても大きな損害を受けるだけであ
る。
77
︵それに、我が主君は完全に勝つ気はないらしい。まあ、この中入
り自体に反対のご様子だった。何か考えがおありなのだろう︶
全軍を纏めて緩やかに後退させながら、舞兵庫は少し笑っていた。
︵おもしろい方だ。鉄砲の集中運用による敵防御陣の切り崩しから、
騎馬のみでの敵陣突入とは。その戦術を取ってなお、完全な勝利に
固執せずに退くか。これは得難い主君に仕えたのやもしれぬな︶
敵左翼に当たっていた、堀秀政も退き鐘を聞いて自軍を後退させて
いた。
﹁追ってはこぬか。まあ、当然か﹂
敵はこちらに攻撃を仕掛けてこない。どうやらこちらと合わせて退
くようだ。
敵本陣に突入した部隊もどうやら退き鐘を聞いて戦場を離脱するよ
うだ。
﹁突入部隊が退く際に、一矢報いようと動いたならば、兵庫殿と連
携してもう一撃、ということもあるかと思うたが、さすがに東海の
覇王たる徳川殿か﹂
家康本陣が撤退の気配を見せている。さすがに突入部隊を追う余裕
はなかったようだ。
78
﹁兵庫殿もどうやら手仕舞いか。突入部隊の撤収を援護せよ﹂
互いの軍勢が距離を少しずつ離していく。
︵それにしても、先鋒の池田殿、森殿が敗れていなければ完勝もあ
ったかもしれぬな。いや、先鋒が敗れたからこそ秀次殿の才気が見
られたと思うべきか︶
十分な戦果も上げた。
堀秀政は悠々と軍を後退させた。
戦場に退き鐘が鳴っている。
本多忠勝と対峙していた可児才蔵にもそれは聞こえていた。
ふん、と鼻を鳴らした才蔵は乗り手を失って彷徨っている馬を見る
と、手綱を掴んで馬上の人となった。
﹁楽しかったぜ、忠勝さんよ。またやろうや﹂
来国俊を肩に担いで馬を反転させ、片手を挙げて去って行く。
﹁あーあ、勝てなかったかよ。ま、秀次様にはもうしわけねぇが今
日はこんなとこだろうなぁ﹂
その姿を眺めていた忠勝もまた、戦いの途中で降りた自分の馬の手
綱を掴んだ。
79
﹁可児才蔵、恐ろしき使い手であったな⋮⋮退くぞ、殿をわが手で
努める﹂
馬上から周囲に指示を飛ばす。
見れば、連れてきた僅かな手勢はみな満身創痍であった。
それらを一瞥してから、さして急ぐでもなく去って行く可児才蔵の
背中を見た。
﹁またやろう、か。我はそんな日が来ぬ事を祈るとしよう﹂
事実、両名が敵同士で相まみえるのはこの戦場が最後となった。
史実ではこの中入りは秀次が一方的に打ちのめされて終わっている。
死にたくない一心で、秀次は舞兵庫にすがり、偶然とは言え、家康
を撤退にまで追い込んだ。
家康は池田恒興と森長可を討ち取ったが、最終的な損害は家康軍の
ほうが多かった。
何より、家康・信雄ともに自身が討ち取られる寸前まで追い詰めら
れている。
家康は酒井隊に周囲を固めさせ、殿に本多忠勝を置いて両翼に展開
していた部隊を纏めながら撤退している。
80
︵敗けたな。引き分けと言えぬこともないが、酒井隊が救援に来た
ところで相手が退いてくれたからこそ、拾った命にすぎぬ。酒井隊
が抜けた右翼は長くは持たなかっただろう。そうなれば、最初に突
入してきた騎馬部隊を退けている間に右翼を抜いた敵は本陣を洪水
のように踏み潰していたはず。いや、必ずそうなっていた。なぜあ
そこで兵を退いた?︶
家康は軍を小牧山に進めながら、馬上で考えていた。
︵わしと信雄殿の首を取れば、この戦は秀吉殿の完勝ではないか。
それがわからぬか、あの若者は⋮⋮いや、これほどの戦術を駆使す
る男だ。甘くは見れぬ。となると、何か退く理由があったか。もし
わしが討ち取られておれば、秀吉殿はそのまま三河へと攻め入る、
いや、まて、それを嫌ったか!︶
三河は治めにくい土地である。土着の三河兵は郷土出身の徳川家以
外の支配を簡単には受け入れまい。
︵なるほど、わしは生かされたか⋮秀吉殿は西にまだ敵を抱えてい
る。これ以上、戦線を東に伸ばして三河支配に時を取られるよりは、
わしを臣従させる事で東の厄介ごとを片付けるつもりだな。しかし、
わしが臣従せねば今回以上の兵力を動かして三河に乱入し、主だっ
た城や砦を落として、京へと動けぬように致命的な損害を与える戦
法を取られる︶
三河支配をせず、徳川家の力を大きく削ぐだけに留め、その間に西
の問題を片付ける。
︵今回の戦、総大将は信雄殿。わしは同盟者として兵を出したのみ
81
⋮⋮対外的にはそう通すつもりか。あの別働隊を相手に勝っておれ
ば、大きな譲歩も引き出せただろう。さらに相手から様々な懐柔策
があったはず⋮⋮今の状況でそれは望めぬ。このまま信雄殿と行動
を共にするのは危険だな︶
秀吉と信雄では役者が違う。
おそらく、信雄はこの敗退により秀吉に潰されるはずだ。
﹁小牧にいる部隊へ伝令を走らせよ。引き揚げの準備を進めておけ
と。我らが小牧に到着次第、三河へと帰還する﹂
家康は決断した。ここは我慢のしどころだと。
三河へと帰還して兵を休ませる。戦後の交渉で秀吉は臣従を迫って
くるだろう。
︵現領地を全て安堵すること。その条件のみなら、秀吉殿はあっさ
り?むだろう︶
徳川家の領地はおよそ百万石。それに家康の名声。それらを秀吉は
粗略には扱わぬはずである。
︵降ろう、秀吉殿に。年月をかけて秀吉殿の政権で力を蓄えるのだ︶
82
小牧・長久手始末︵前書き︶
書籍化ですが、5/24発売となりました。
既にamazonで﹁腕白関白﹂と検索すれば出てくるようになっ
ています。
興味がおありの方、ぜひとも一度見てみてください。
83
小牧・長久手始末
秀吉軍本陣。
中入り部隊から早馬が駆け込んできた。
﹁徳川家康率いる部隊と接触、岩崎城前にて戦闘が発生し、森長可
殿、池田恒興殿が討死!﹂
思わず秀吉は腰を浮かせかけた。
森、池田の両将が討たれた、それはつまり大敗したと言う事か?
﹁その後、森・池田隊の残兵を秀次様の本体が吸収、岩崎城前にて
陣を敷く徳川軍との戦となりました!﹂
﹁それで、どうなったのじゃ!﹂
秀吉は急かした。この中入り、もし大敗しようものなら、徳川強し、
の印象のみがこの戦で世間に残ってしまう。
それだけではなく、秀吉は家康に敗けた、と評価されればまずい。
家康は簡単には秀吉に臣従しないだろう。四国と九州を早く片付け
たいこの時に⋮!
が、次の報告で秀吉は眼を見開いた。
﹁秀次様の策により、敵本陣へと精鋭部隊を突入される事に成功!
徳川軍は本陣に乱入された事により、軍を退きました! お味方、
大勝利であります!﹂
おお︱!! と周囲から歓声が上がる。
秀吉も胸を撫で下ろしていた。
84
︵ようやった秀次! あやうくこの出兵が無駄になるところじゃっ
たわい。報告に敵の首をあげたとの報告がないと言うことは、家康
の軍勢を追い払ったというところか。こちらから追撃をかけるだけ
の余裕はなかったのか? いや、元々あやつはわしと同じく中入り
に反対じゃった。十分な成果を挙げた上で、これ以上敵領で戦う愚
を避けたか。なれば、これから小牧山に攻撃をかけても大した戦果
はなかろうな⋮⋮あの狸の事だ、さっさと三河へ兵を退くであろう。
信雄に十分に付き合ったのだ。これ以上深入りすれば損害が大きく
なりすぎる事くらいわかっておろう。ふむ⋮⋮ならば︶
秀吉は立ち上がると周囲の者に明るい笑顔で言った。
﹁どうやら我が甥は徳川殿を退けることに成功したようじゃ。小牧
山の陣にはほとんど兵は残っていまいが、戦の勝敗をつけるために
も、今日中に小牧山を占拠せよ。その後、秀次が戻ってから、わし
は尾張へと兵を動かす﹂
﹁殿、尾張とは?﹂
秀吉の周囲にいる小姓が問いかけると、秀吉はことさらに鎮痛な表
情を作った。むろん、演技であるが。
﹁信雄めがこの戦を起こした。確かに信雄は織田の嫡子、しかし織
田家の当主は三法師君じゃ。それは清洲での合議にて決まったこと。
それを不服として、旧来より織田家と同盟状態であった徳川殿を味
方につけ、三法師君に歯向かった。徳川殿は義理厚き人ゆえ、断る
ことはできなんじゃ。その徳川殿が三河へ戻られた今、信雄めは孤
立しておる。ゆえに、尾張に侵攻し、信雄を掣肘する。それでこの
戦はしまいじゃ﹂
最後はひらひらと手を振って語る秀吉。
元々、この小牧・長久手の戦いは秀吉が仕掛けた謀略に踊らされた
信雄が起こした戦である。信雄は単独では膨大な領地を持つ秀吉に
抗えない。必ず家康を頼る。
85
そこを叩けば、徳川家康といえど、おとなしくならざるを得ない。
秀吉にとってはそのための戦であった。
秀次の率いた中入り軍により家康本人が率いた軍勢を敗退させた。
こちらも森・池田の二人を失ったが、秀吉にとってこの二人は外様
といえる存在である。元は信長配下の将として同格に近かった。何
かと秀吉にとっても遠慮がある相手だったが、その二人を失う替わ
りに甥の秀次があの徳川家康を打ち破ったという実績を作った。
︵我にとってはおいしい話よ︶
秀次が調子に乗って家康を追撃しなかったのも評価できる。三河ま
で兵を進めるには兵力も補給も足りない。下手に追撃して逆撃など
食らったら先の勝利など吹き飛んでしまう。
ことさらに﹁徳川殿は義理によって信雄に付き合わされただけ﹂と
強調しているのも、自分は徳川に遺恨はない、悪いのは織田宗家に
歯向かった信雄である、と周囲に向かって﹁そういう事にしておけ﹂
と言っているのである。
︵家康とまともに戦えば、一年はかかるわ。あの狸、既に落としど
ころを探っておろう。それなりにこちらが譲歩してやれば、臣従し
よう。我の寛大さの宣伝にもなる︶
たとえ一度敵対しても寛大にそれを許す態度を取れば、後々その評
判が役に立つと秀吉は思っている。
︵が、信雄はここで潰しておく必要があるな。あやつは愚鈍。その
くせ信長様の血を引く貴種としての誇りだけが高い。今回の戦で家
康もしばらくは動くまい。あの馬鹿に尾張一国は大きすぎる。幸い、
三法師君に逆らったと言う大義名分はある︶
殺してしまえば後々人の噂でやっかいな事になるかも知れない。織
田家を完全に潰して天下を盗み取るつもりだと囃し立てられるのは
御免だった。
86
︵⋮⋮僧にでもさせるか。出家させてお伽衆にでもしてやって捨て
扶持をくれてやろう︶
実権のない名誉職にでもつけておけばいい。
今後の方針を頭の中でまとめた秀吉はつぶやくように言った。
﹁秀次が戻ってからだな⋮﹂
彼の甥が戻れば、自分が軍勢を率いて尾張を平定する。
秀次は秀長の補佐として先に大坂に戻らせ、西への準備をさせよう。
そう考えている秀吉に周囲の者が意見を述べる。
﹁殿、ここは徳川をも一気に叩ける好機ではございませぬか﹂
﹁左様、徳川は痛手を受け撤退中です。今三河へ兵を進めればまと
もな対応はとれないかと⋮⋮﹂
口々に三河への侵攻を訴える側近達に秀吉は軽く笑みを浮かべて言
った。
﹁徳川殿は東海一の弓取りよ。その徳川殿を我が配下として遇した
い。それにわしと徳川殿は金ヶ崎以来の付き合いよ﹂
しんがり
金ヶ崎の退き口。朝倉、浅井の両軍に包囲されかけた信長が電撃的
な撤退をする際、殿に残ったのが他ならぬ秀吉だった。
先鋒として最前線にいた家康もこの撤退において秀吉を助けている。
ゆうぎ
とはいえ、その後は信長の一武将でしかなかった秀吉と対等の同盟
者であった家康の間に特別な友誼があったわけではない。
そう言っておく事で周囲の意見をやんわりと否定しただけである。
︵それにしても、秀次はよくやる︶
この後、秀吉は秀次帰還後に即軍勢を尾張へと向けた。
なお、戻ってきた秀次も秀吉の方針を全力で支持した。
深い考えがあるわけではなく、単純に家康が怖かったからである。
87
﹁秀長、秀次は大坂に戻り城代として職務をまっとうせよ。
秀長、お主は毛利との交渉じゃ。信雄が片付いたら次は四国、綿密
に打ち合わせをな。
秀次、お主はわしが率いる六万以外の兵を預ける。雑賀、根来、佐
々を降しておけ。
さて、小牧も取ってこの戦いの決着はついた。尾張の信雄に三法師
君に楯突いた報いを受けさせねば、な﹂
秀吉周囲の者が一斉に平服し、恭順の意を示す。
﹁よし、ではゆくとしよう﹂
そう言いながら、秀吉は天幕から出て行った。
頭を下げてそれを見送った後、それぞれも立ち上がって行動に移っ
た。
88
小牧・長久手始末 その2
秀吉は小牧山を占拠し勝鬨をあげるとそのまま手勢六万を率いて尾
張へと向かった。
秀次は秀長と共に大坂へと帰還。秀長を城代としてその補佐を秀次
が任された。
大坂に戻った二人はまず毛利との交渉を本格化。
来る四国、九州への遠征には毛利との連携が不可欠であり、密に打
ち合わせる必要があった。
毛利との交渉は主に秀長が行い、秀次はその他の懸念事項を片付け
る仕事にかかる。
︵この仕事が多いんだよな、また⋮⋮︶
まず、家康と組んで大坂を脅かす気配を見せていた雑賀。
家康が撤退してなお、抵抗する構えを崩していなかった。
元々、雑賀は独立独歩の気風が強い。
信長時代ですら、その下風に立つ事を良しとしなかった。
秀次は、交渉は無駄とみて、大坂に残している六万の兵の半数を雑
賀へと差し向ける。
総大将に堀秀政を指名し、雑賀の抑えに配していた中村一氏、藤堂
高虎と共に討伐を命じた。
雑賀衆の中で恭順の意を示した者は所領安堵の上、官職を与えて遇
するが、あくまで独立独歩を望む勢力は全て各個撃破し、攻め潰し
た。
はいじょ
名人久太郎と呼ばれたほどの戦争の名手は与えられた兵力を存分に
活用し一月ほどで雑賀平定に成功。
ようへい
これにより秀吉の本拠地である大坂は南からの圧力を完全に排除し
た事になる。
雑賀衆と並ぶ鉄砲傭兵集団である根来衆。
彼らは雑賀ほど独立気風が強いわけではない。より現実の利を重視
89
する集団である。
秀次は根来衆に対して使者を立て、抵抗を辞めれば寺領を安堵し、
今後は鉄砲隊として継続して雇う事を通達。
﹁雑賀と同じように平定しないのか?﹂
そう秀長に聞かれたが、秀次は明確に答えた。
﹁雑賀は独立独歩の気風が強すぎます。それでも、こちらについた
ほうが利があると恭順する者もいますが、大多数は逆らい続けるで
しょう。兵力を見せて平定するしかありません。対して根来衆はよ
り純粋な鉄砲傭兵。今後の戦では鉄砲の数はさらに重要となります。
その専門家たちを纏めて雇っておく事は、他の勢力に彼らを使われ
ないという利点があります。それに、根来衆は既に徳川殿が三河へ
戻られたのを知っておりましょう。金払いがなくなった雇い主に忠
節をつくす集団ではありますまい。佐々の件もあります。ここは取
り込むべきでしょう﹂
その答えを聞いた秀長は深く頷いて、﹁ではその件はそちにまかす。
佐々への対応も考えてくれ﹂と言って自分の仕事に戻って行った。
︵佐々成政か⋮織田重臣達の中でも秀吉嫌いの筆頭って感じだよな。
後世の創作かと思っていたよ。実際にめちゃめちゃ嫌ってるな。一
応使者は出したけど、ほとんど中身も見ずに破り捨てて﹁人が猿に
頭を下げるなどという事があるか!﹂との捨て台詞を吐いたらしい
し。なんなんだ、この佐々って人。こっちが小牧まで出兵している
間に、きっちり上杉と前田に抑え込まれて何も出来なかったくせに
⋮⋮ああ、もう、面倒だ。手元には三万ほど兵力が残ってるけど、
これを動かして討伐ってなると、俺が総大将で行く事になるから、
それはパスだ︶
暫し他の報告に目を通しながら考える秀次。
︵てか、佐々の領土ってそんなにでかくないのに⋮⋮援軍もどっか
90
らも来ないのに、何を意地になってるのかわからんかったが、どう
やら本気で秀吉が嫌いなだけか? ほっとくと家康に再起を促した
り、信雄にも同じように再起を促すんだよな。そこまでして対抗し
たいかね? あ、徳川に渡りをつけられると後々面倒かも。家康が
臣従するときに自分は家康と組んで抗したんだから、家康が本領安
堵とかだと自分も、とか言い出しかねんな︶
史実では最終的に十万の兵を率いた秀吉が越中に進軍し、ようやく
降伏するのだが、小牧・長久手の戦いの結果が史実と違ってしまっ
ている。
︵家康は史実みたいな臣従の引き延ばしはできないだろう。本領安
堵くらいが落としどころになるだろうって秀長さんが言ってたしな。
佐々は⋮⋮もういいや、前田と上杉にやらせよう。奪い取った領土
をそのまま前田と上杉のものにするお墨付きを与えておけばやる気
もでるだろ︶
この時期、佐々陣営は重臣の離反が相次いでいた。
佐々成政は血気盛んだが、その重臣たちはそうでもない。
圧倒的な国力差、周囲は敵だらけ、さらに秀吉はほぼ東の面倒事を
片付けつつある。
どう考えても尾張に攻め込んでいる秀吉軍か大坂に残っている残留
部隊がいつか自分達を攻めて来るとしか思えないのだろう。
勝てない戦いに固執する主君より、前田か上杉に一族郎党ごと逃げ
込んで、情報提供や兵力として自分たちを売り込む事によって取り
成しを頼むほうが生き残れる可能性は高い。
逃げ込んだ重臣たちにとって、秀吉から﹁越中から切り取った領土
の安堵﹂は渡りに船だろう。逃げ出した重臣に領地はないのだから。
結果、秀次が起案し秀長の名で出された﹁越中切取﹂の命により、
前田、上杉の両家は佐々成政が籠る越中へと進軍を開始。一月ほど
で富山城を囲み、佐々成政は降伏した。
その後、佐々成政は秀吉に許され、御伽衆の一人として召し抱えら
91
れた。
無論、捨て扶持が与えられただけであり、実権など何もない職であ
る。
彼にとっては屈辱だったであろうが、本来なら首をはねられていて
もおかしくはなかった。
あれだけ秀吉に敵対した佐々成政でも許される、そう周囲に印象付
ける事が秀吉の狙いであり、それは完全に成功した。
佐々成政に対して前田、上杉をけしかけた頃、大坂城の一角にある
茶室。
﹁よう無事に帰ってきなさいましたな、秀次殿。心配しておりまし
た﹂
そう言いながら茶の支度をしているふくよかな女性。
﹁さ、どうぞ﹂
俺の前に茶が出てくる。それをぐっと飲み干す。
﹁結構なお点前で⋮⋮﹂
こだわ
とりあえず、作法らしいものをなんとかこなす。てか、これで合っ
ていたはず⋮⋮。
まあ、身内しかいないこの茶会で特に作法などに拘る必要はないの
だが。
﹁なんとか戻りましたよ、寧々様﹂
寧々。
秀吉の正室にて、秀吉の奥向きの事を差配する女性である。
かなりの女傑で、政治センスもある。情に厚く、特に尾張からずっ
と秀吉に従ってきた者たちを我が子のように可愛がっている。
⋮⋮あるいは、ご自身に御子がないからかな⋮⋮。
俺、つまり羽柴秀次にとっては養母である。実際の血縁で言えば、
俺は秀吉の姉の子なので寧々様との血の繋がりはない。
92
﹁上様は尾張をほぼ平定したとのこと。もうすぐ戻れると文にあり
ました﹂
はえー。小牧で別れてから一月くらいだぞ、まだ。率いる兵力が圧
倒的と言っても、それにしても早いな。
まあ、秀吉は神速の行軍で知られた織田家の武将だったんだ。清洲
城に籠った信雄なんぞ、一蹴したか。
史実では経済封鎖のような形に持って行ってから降伏させたんだっ
け。史実より有利な状況の今、そんな搦め手を使う必要もなかった
って事か。
つーか秀吉、寧々様にはマメだよな。戦場からでも可能な限り文を
送るし。
﹁さすがですね、上様は﹂
出された茶菓子を食べながらそう言った。
﹁秀次殿も大いに働いているではありませんか。戻ってすぐに雑賀、
根来を平定したのですから。それに今回の戦、徳川殿の軍勢を退け
た功、天下に鳴り響いていますよ?﹂
﹁たまたまです。二度は無理ですね﹂
きっぱり、はっきりと否定しておく。
あんなもん、奇襲みたいなものだ。奇襲の上に博打だった。
もし本陣に突入した部隊が瞬く間に殲滅されていたら?
そもそも鉄砲の一斉射撃で本陣の前が思ったより崩れなかったら?
大体、相手は徳川家康だ。
同じ手が通じる相手じゃない。鉄砲の集中運用、騎馬のみでの突撃
部隊、どちらも家康ならさらに効果的に使ってきそうだ。
﹁あなたは昔から自分の事を誇りませんね。東海一の弓取りと名高
い徳川様を打ち破った事、大坂でも大層評判ですよ?﹂
おかしそうに笑いながら言わないで下さい。
史実の偉人、二百年から続く幕府を作った人だぞ。本来俺なんか相
手にならん。
﹁堀殿と兵庫の功ですよ。あの二人がいなければ私は死んでいたか
93
もしれません﹂
心の底からそう思う。
あの二人の戦術指揮能力がなければあの勝利はありえなかっただろ
う。
両翼を閉じさせない、言うは易いが実行するには相手を完全に抑え
込んでしまうだけの力量がいる。
相手が本陣に突入されている状態で浮足立っていたとしても、彼ら
の指揮能力がなければ勝利はなかった。
特に信雄を壊滅状態に追い込んだ舞兵庫、史実でも戦上手として名
を残しているが、ここまで出来る奴だとは思わなかった。
﹁上様からの手紙、ほとんどはあなたの事でしたよ。よほど嬉しか
ったのでしょう、何度も何度も、秀次はわしらの子じゃ、わしらの
子じゃ、と﹂
ふむ、秀吉が自分の心の中を明け透けに見せるのは寧々様くらい。
その寧々様に宛てた手紙でそれほど嬉しそうに報告していたのか。
⋮⋮ああ、そっか。
秀吉の縁者の中で誰からも敬われているのは、秀長さんだ。という
か、秀長さんしかいなかった。これまでは。
年齢的に今の段階では俺が最も跡継ぎに近い。秀吉に実子がいない
からだ。
その跡継ぎ︵仮︶があの徳川家康相手に勝ったんだ。嬉しくもなる
か。
ついでに今回、突入部隊として本陣へかちこんだのは、秀吉子飼い
七本槍と俺の部下である可児だ。
福島正則、加藤清正はあの乱戦で首を三つも取ってきた。他の七本
槍もそれぞれ好敵手を見つけて、槍を合わせて討ち取っている。
若い子飼いの者たちに手柄をあげさせた。賤ヶ岳の七本槍、という
がこれは秀吉陣営が宣伝に使った名だ。
秀吉の下にも剛の者がいる、そう世間へ宣伝するために作られた英
雄。なんで七人なのかはさっぱりわからんが、その七人が今回の戦
94
で徳川家康の本陣へ躍り込んで奮戦したと言う事実は秀吉に取って
は重い。半ば作り物の英雄が真に武勇を発揮したのだ。
⋮⋮実際に最も大きな手柄は本多忠勝を抑えた可児才蔵だろうけど。
﹁すいませんね、本多忠勝の首、取れませんでした。ありゃ、なか
なかの化け物ですな﹂そんな事を言ってたけど、本多忠勝と互角に
戦うって、可児も十分化け物だよ。
﹁正則、清正らも明るい顔で挨拶に来ていましたよ。しきりにあと
少しで徳川殿の首をこの槍にかける事ができたと笑っていました﹂
ま、確かにあのまま攻め続けていれば徳川本陣はさらに被害甚大だ
ったかも知れない。
しかし、他の部隊が途中から援軍として現れた。戦力は拮抗した。
その状況で長く留まれば、七本槍の何人かは戻ってこられなかった
可能性がある。
というより、あれ以上は俺の精神状態が持たない。だから退いただ
けだ。
最も、後に﹁徳川と正面から野戦でぶつかり撤退に追い込んだ﹂と
してあの戦い後、俺の評価は勝手に上がっていた。
おまけ程度と思っていた信雄の部隊が最も被害が多く、兵のほとん
どを見捨てて逃げて行った事もあって秀吉からお褒めの手紙を貰っ
ている。
この戦は信雄が秀吉に反旗を翻した、それに同盟者として徳川が答
えた。
世間も武将たちも俺もみんな勘違いしていた事がある。この戦の主
将は秀吉であり、信雄なのだ。
家康はあくまでも過去の誼によって組しただけであり、戦の主役は
信雄と秀吉。
その信雄を命からがら逃げるほどに追い詰めた秀次の功は大きい。
と手紙に書いてあった。
95
⋮⋮秀吉、戦前から状況が変わったから論点をずらしたな。
戦の前は信雄の挙兵に家康が手を貸す、しかし実際に戦場で相対す
るのは秀吉と家康。
秀吉は家康を叩いておき、配下に置きたい。
家康はある程度の勝利をもぎ取り、今後の交渉で優位に立ちたい。
信雄の事などほとんどの人間が眼中になかった。が、俺があの中入
りで家康を退かせ、信雄を壊乱状態にしてしまった。
秀吉は思っただろう。家康は一度敗けた。この上は三河へ退き兵を
整えるしかないと。それを叩いて完全に征服するには時がかかる。
ならば、形だけとはいえ主将であった信雄が壊乱して尾張に逃げ込
んでいるのだ。この信雄を叩き潰す。その上で三河へは手を出さな
い。
信雄が降伏してしまえば、家康に戦う理由はなくなる。
その上で家康には﹁不幸な行き違い﹂があった、とでも書状を送っ
ておき、三河へ攻めるつもりがない事を匂わせる。
徳川家の中では連日のように﹁どこを落としどころとするか﹂が話
し合われているであろう。
まあ、後は秀吉が決める事だ。俺は十分やった。そう、やったはず
だ。たぶん⋮⋮。
96
四国征伐
長久手の戦いから二月。
大坂城、秀吉の私室に秀吉、秀長、秀次が揃っていた。
﹁これが書状よ﹂
そう言って秀吉は一枚の書状を秀長、秀次に見せる。
﹁徳川殿が拝謁に来られる、との事ですな﹂
淡々と書かれている事のみを述べる秀長。
徳川家康は秀吉の提示した条件、領地安堵と大老として扱うことに
同意。
東海の覇王が成り上がりの秀吉に膝を折ったのである。
史実では結婚していた妹を離縁させてから嫁がせ、さらに実母まで
人質に出してようやく臣従の形を取った家康だが、小牧・長久手の
戦いで自身が撤退に追い込まれた事実が効いていた。
最も、家康は全ての領土を安堵されたわけなので、実質の国力はま
ったく下がっていない。
家康は今後、秀吉政権下で力をゆっくりと蓄える事になる。
へいたん
﹁これで東が片付いたわけですから、次は四国ですか?﹂
秀次は四国征伐の兵站を担っていた。
既に四国征伐軍の総大将は秀長と決まっている。
﹁ま、そうなるな。わしは大坂におる。徳川殿は心配なかろうが、
信雄の奴がよからぬ事を企むやもしれぬ。が、わしが大坂におれば
下手な真似はできまい。予定通り、四国征伐は秀長、そちにまかせ
るぞ﹂
﹁はっ!﹂
いささか力の入った返答をする秀長。
いくさ
秀吉の裏方として生きてきた彼にとって、大軍の将となって大きな
戦に望むのは初めてである。
人生初の晴れ舞台と言っていい。感動と失敗できないといった感情
97
が秀長に交錯していたが、その多くは感動だった。
﹁秀次は四国征伐に当たり、後方を支えよ。何か存念はあるか?﹂
﹁そうですね、後方に予備兵力として配するのは前田殿、上杉殿で
す。福島正則や加藤清正らは秀長様の軍に編成し、手柄を競って貰
ったほうがよいかと。
あと、淡路の仙石秀久が窮地に陥っています。福島正則ら七本槍に
兵をつけて先行して淡路に援軍として送るというのは?﹂
﹁ふむ⋮⋮仙石も無能ではないが、四国の雄相手ではなかなか難し
いじゃろう。よかろう、秀長の本陣が着く前に淡路を取られては手
間取る事になる。彼奴らを先に増援として送っておこう。少し兵を
増やして送るか﹂
それを聞いた秀長が意見を出した。
﹁五千ほどであれば、即座に淡路へと送れます。船はある程度整っ
ておりますゆえ。秀次、兵站に問題はないな?﹂
﹁ありません。五千であれば、一月ほど籠城できるだけの糧食を持
たせられます﹂
﹁そこまで長くはならんよ。一月後には私が淡路に本隊を率いて入
っている﹂
﹁⋮⋮問題ないようじゃの。では手筈通り、秀長は淡路から、宇喜
多秀家は讃岐から、毛利は伊予からじゃ。ああ、長宗我部には土佐
一国だけは安堵する。讃岐、伊予、阿波を落とされれば降伏するじ
ゃろう。土佐には攻め込まぬようにな﹂
秀吉が長宗我部元親に突き付けた条件、それが﹁土佐一国のみの保
有を認める。他の三国に関しては返上せよ﹂とのものであった。
それを拒絶し、長宗我部元親は秀吉を迎え撃つべく軍を動員してい
る。その数、四万。
対して秀吉の四国征伐軍の総勢は十万を超える。
四万で三方から攻め来る大軍を相手取る。四国の英雄と言えど、苦
しい戦いになるのは明白であった。
98
秀吉が発した四国征伐軍。
その陣容は総大将に羽柴秀長。副将に羽柴秀次。
秀長は本隊を率いて淡路より渡海し阿波を攻める。その数、三万。
これに元より淡路で長宗我部の牽制に当たっていた仙石秀久の部隊
に、増援として先行させた七本槍の部隊が加わり、総数は三万五千
となる。
秀次は姫路に本陣を置き、全体の補給線の維持と戦況の把握、大坂
との連携役となる。
姫路から讃岐へと渡海する軍勢は二万三千。宇喜多秀家を総大将と
しているが、実際の戦略、戦術両面で黒田官兵衛が指揮を執ってい
る。
伊予へと渡るのは中国八ヵ国の領主、毛利の軍勢である。小早川隆
景を先鋒に、その数三万。
これだけで総勢八万を超えているが、姫路の秀次の下にはさらに二
万を超える兵が予備として残されている。さらに言えば残っている
予備部隊は前田利家、上杉景勝が率いている精鋭であり、長久手の
戦いで勇名を馳せた堀秀正、舞兵庫などを温存しているとも言える。
長宗我部は四万の兵を三方へ振り分けねばならず、それぞれに均等
に兵を配したとして一万を少し超える程度。最も戦力が近い讃岐方
面ですら倍の兵力を相手にする必要がある。加えて讃岐方面はいつ
でも予備兵力を渡海させる事が可能である。
長宗我部家の当主、長宗我部元親は阿波の西、四国の境にある白井
城にて指揮を執っている。地理的には各方面と連携が可能な地であ
ったが、絶望的なまでに不利な戦を強いられていた。
姫路に本陣を置いている秀次は姫路城の一室で予備部隊の将である
前田利家、上杉景勝と茶席を設けていた。
茶を立てるのは古田織部。秀吉の茶道頭、千利休の高弟であり、現
在は秀次の茶の師匠である。
最も、師匠と言っても秀次は基礎的な作法を習っただけで、もっぱ
99
ら古田織部の器作りや新たな茶席の創立の後援者のような立場を取
っている。
︵うまいよなー、織部さんの茶。この時代にきて最大の発見は抹茶
がうまいってことかも知れん︶
そんな事を考えながら茶を飲む秀次。
姫路で兵站を維持しつつ、戦況を大坂へと報告する役目の秀次。
とは言え、本人にさほど仕事があるわけではなく、結構暇だった。
︵黒田官兵衛が宇喜多秀家についているんだ。何も問題ないだろ。
秀長さんは張り切っているし、伊予は小早川隆景だ。つか、長宗我
部にとっては完全に罰ゲームだろ、これ︶
宇喜多秀家はまだ若い。秀吉の参謀として長く仕えている黒田官兵
衛にはそれほど遠慮もないだろうし、素直にその軍略を受け入れる
だろう。
しかし前田利家、上杉景勝といえば宇喜多秀家よりも格上である。
その戦歴、率いる兵の練度などを見ても宇喜多秀家はどうしても遠
慮が入ってしまう。
秀吉がそう判断して秀次の下に残したのだが、万が一、大坂で変事
が起こった場合は秀次が両将を率いて大坂に引き返す役目もあった。
最も、秀次は史実で四国征伐が特に滞りなく終わる事を知っていた
のでしっかりと暇を持て余していた。
﹁いや、古田殿の茶はさすがにうまいですな﹂
豪快に一息で茶を飲んで笑うのは前田利家。
﹁前田殿も佐々の件ではご苦労をおかけしました﹂
秀次が頭を下げる。それを見て利家は照れたように頭を掻きながら
言った。
﹁なに、佐々の下から逃げてきた重臣達、これが秀次殿よりの越中
切取の命ありましたところ、血眼になって進撃を訴えてきましてな。
わしらは兵を貸しただけですわい。後は彼らが自領を確保しようと
躍起になって奮戦しておりまして、後方であきれてみておりました
わ﹂
100
この言葉に上杉景勝も静かに頷く。こちらも同じだった、と言いた
いのだろう。
︵ほとんど喋らないんだよ、この人。いつも全身からピリピリした
空気放っているし。敵対的な空気じゃないからいいけど、この人か
ら殺気込めた視線向けられたら、俺それだけで失禁するね、間違い
なく︶
喋らない景勝に代わって、その横で優雅な動作で茶を嗜んでいた青
年が口を開いた。
﹁我らも同じく、佐々より降ってきた者たちが先陣を切って越中へ
と踏み込んだもので、先へ先へと争うように進むゆえ、宥めるのに
苦労したものです﹂
涼しげな容貌だが、その体躯は一流の武人である事を示すようにが
っちりとしている。それでも着物を着こなして茶席で静かに語る彼
はどこかの貴種と言われても信じてしまいそうになる。
直江兼続。上杉家の筆頭家老にして、上杉の頭脳。
恐らくは、この時代で五本の指に入る軍略家。
︵直江兼続だよ。愛を被って戦った人だよ。いや、あの愛の一文字
は愛染明王から来ているのは知っているけど、現代人から見ても斬
新すぎるデザインだ、あの兜。さっき見せてもらったけど⋮⋮︶
史実の偉人を目の前にして少々失礼な事を考えている秀次。
︵戦国時代なんだよなぁ。今更ながら実感してるな。前田利家、上
杉景勝、直江兼続⋮⋮それに黒田官兵衛、小早川隆景か。今戦って
いる長宗我部元親も歴史に名を残す英傑だ。それに長久手で戦った
のは徳川家康⋮⋮やめよう、なんか考えすぎると俺の死亡フラグが
乱立してる気しかしない︶
101
とりあえず世間話を続けながら茶を飲む秀次。四国に関しては本当
にやる事が大してないのだ。兵站を維持する仕事と言っても実務は
家老の田中吉政が大坂にいる石田三成と調整しながら取り仕切って
いる。
と、そこに田中吉政がやってきた。
﹁失礼します、秀次様﹂
﹁吉政か、なんだ?﹂
﹁は。小早川隆景殿より金子元宅を討ち伊予を平定したとの報せに
ございます﹂
︵史実通りか。そろそろしまいだな︶
秀次は史実通りに戦況が推移しているのを見て、そろそろ四国征伐
が終わる事を悟った。
﹁ご苦労。小早川殿にはそのまま土佐の国境いに留まるように連絡
を﹂
秀次がそう指示すると田中吉政は下がって行く。
﹁やあ、さすがに毛利の誇る知将ですな。これは我々の出番はなさ
そうですな﹂
前田利家が豪快に笑うと直江兼続も同意するように微笑した。
その言葉通り、讃岐、伊予、阿波を制された長宗我部元親が断腸の
思いで秀吉に降伏したのはそれから一月後の事であった。
長宗我部元親、土佐一国を安堵され秀吉に臣従。
せいばつ
これにより四国は秀吉の物となった。
四国征伐より戻った諸侯は今、大坂城の大広間に集っていた。
102
論功行賞
秀吉より小牧・長久手の戦いから四国征伐までの間の論功行賞が行
われる。
この時代、主君から家臣へと授けられる褒美は主に三種類である。
まず何よりも土地、つまり領地。石高として目に見える報酬である
が、単純に石高だけでは測れない事もある。
石高は増えても重要な地、京を中心とした中央より遠ざけられたり
する場合もあり一概には言えないが、ほとんどの場合、石高が多い
ほど厚遇されている事になる。
ほうしょう
そして次が報奨金。つまり金や銀などである。これは分かりやすい
報酬であり、主に大名級ではない者の個人的な手柄に対して与えら
れる事が多い。
そして最後は物、つまり茶器や名刀など、所有しているだけでも価
値がある物。これらが論功行賞によって配下の者に振り分けられる。
今回の論功行賞は小牧・長久手から四国征伐までの長い期間のもの
であり、各々期待を持っていた。
﹁皆の者、大義であった。四国も落ち着き、来年には九州へと出陣
する。さらに励むがよい﹂
そう口火を切った秀吉から論功行賞が発表されていく。
ちなみにこの論功行賞前、秀吉は朝廷より関白位を授けられている。
秀次は歴史を学ぶ上で秀吉は征夷大将軍を望んでなれなかった、も
とから征夷大将軍を望んでおらず、朝廷を背景にした政治を行うた
めに最初から関白を望んだ、などの説は知っていたが、どうやら秀
103
吉は最初から征夷大将軍を望んでおらず、関白位を求めたことに少
し驚いていた。
︵信長が滅ぼした幕府、あれを見ているからかな? 征夷大将軍っ
て言ってもつい最近踏み潰されて京から叩き出された存在、武家の
頂点としての仕事すら出来なくなっていたのを見ているからか?︶
そんな事を考えているうちに論功行賞が始まった。
まずは羽柴秀長。長年、秀吉を支えた弟であり四国征伐の総大将を
務めた事、当然のことながらその恩賞も大きい。
﹁秀長には紀伊、和泉、大和を与える。また、官位を従三位権中納
言とする﹂
京周辺三カ国、百万石を超える石高以上にその地理的にも重要な場
所を任せた事となる。
これは秀長の立場を考えれば当然であり、特に驚きがあったわけで
はなかった。
次に発表されたのが羽柴秀次。秀吉の甥であり、長久手の戦いで東
海の覇王と呼ばれた徳川家康を撤退させ、織田信雄を壊乱させた事、
その後の雑賀攻め、根来の懐柔、四国征伐時の後方支援を行ってき
た事などが秀吉の口から語られた。
この時、秀次は史実通りなら近江か∼と暢気に構えていた。
しかし秀吉の口から発せられた恩賞で思わず吹き出しそうになって
しまう。
﹁秀次には尾張、美濃、伊勢、伊賀を与える。官位は従四位下右近
兵衛少将とする﹂
104
﹁は、はっ!﹂
思わず何かの間違いじゃないですか? と聞き返そうとしてしまっ
た秀次は慌てて平服した。
驚いていたのは秀次だけであり、他の諸侯は多少過分な恩賞だが秀
吉様の甥という事を考えればこれくらいは当然であろう、とさして
驚きはなかった。
秀次が考えるより秀次がなした功績は大きい。秀吉にとって、家中
で重きを置き政権の中枢を担うには若く、長久手での声望があり他
の武将との仲も良好な秀次により大きな権限を与えるのは当然とい
えた。
︵なんかめっちゃ出世したぞおい! 尾張と美濃、それに伊勢と伊
賀って何万石だ? 秀長さんより石高だけなら上じゃねーか! 官
位も無官からいきなり右近兵衛少将って! 朝廷を抑えているのは
分かるけど、いろいろ飛ばしすぎじゃね!? いや、それに尾張っ
てあんたの故郷でもあるし、織田信長の根拠地だった場所だしって
俺も尾張出身か。美濃もついてきたけどあそこってかなりの穀倉地
帯じゃなかったっけ? 伊勢、伊賀はどういうわけだ? 俺、なん
かしたっけ?︶
訳が分からず考えも纏まらない秀次を置いて、論功行賞は進む。
四国征伐にて長宗我部より召し上げた三カ国のうち、伊予は小早川
隆景に、讃岐は仙石秀久に、阿波は蜂須賀家政に与えられた。
宇喜多秀家には備前一国が与えられ、佐々成政の領地は切り取った
上杉景勝、前田利家に約束通り与えられ、残った地は秀吉の直轄地
となった。
その他、七本槍の中では福島正則、加藤清正が五千石の加増、他は
三千石の加増となった。
秀吉は最も信頼できる弟と甥に大坂から尾張までの、いわば日本の
中心地を与え各地の金山、銀山を直轄地として抑えた。その上で織
田政権時代から自らの下で戦ってきた仙石秀久、蜂須賀家政などを
105
国持ち大名とし、山内一豊、中村一氏なども数万石の小大名にする
事で恩に報いた。
その上で小牧・長久手の戦いの時から明確に味方になっていた前田、
上杉に佐々成政の領土を約束通りに与えておき、﹁このわしは約定
をたがわぬぞ﹂と言うメッセージをこの沙汰に込めている。
事実、恭順した徳川家康は三河のほか、支配していた地域から一片
の領土も削られる事なく本領安堵され、長宗我部元親も当初の突き
付けた条件通り、土佐を安堵されている。
︵こうしておけば今後の九州、さらには遥か東に赴いたとき、約定
が守られ本領は安堵されるとなればこちらに転ぶ輩も出てこよう。
せいぜい我らは寛大であると見せておく事だ︶
﹁皆の者、先に言うたとおり、次は九州じゃ。大友より救援要請が
届いておるゆえ、島津を征伐に行く。各々、準備を怠るでないぞ。
九州への征伐はわしが総大将として采を取る。残りの将は近いうち
に申し付けるゆえ、そう思うておけ﹂
居並ぶ将は一斉に頭を下げた。一人、考えがあちこちに飛んでいた
ために頭を下げるのが遅れかけて慌てて下げた事によって畳にした
たかに鼻をぶつけた者が一人だけいたが⋮⋮。
論功行賞が終わった後、秀吉は秀長を私室に呼び、話をしていた。
秀次はまだ若くいきなり大きな領地を貰ってしまったために、家臣
が足りなくなる事が確定していたため、︵宮部の父ちゃんと三好の
父ちゃんと⋮⋮田中吉政、舞兵庫に⋮⋮可児か? だめだ、あいつ
に領地経営なんてやる気があるわけない。あああ、人材どっから持
ってくるんだよ! 信雄についていた奴らなんて秀吉に攻められて
いる時にほとんど信雄を見限って秀吉について側衆とかになってい
るし。⋮⋮いいや、誰かに誰かを紹介してもらおう︶
なんかぶつぶつと呟きながら出て行ったので秀吉も何かあるかと思
106
い呼ばなかった。
﹁秀長、ようやってくれたな。お主に与えた国じゃが、いろいろ面
倒事が多い地でもある。なんとかうまく切り盛りしてくれ。まあ、
お主の事じゃ、うまくやるとは思うが﹂
﹁ご期待に添えるよう、全力を尽くします﹂
大和国などは昔から寺社が多く、寺社が領地を寺領として保有して
いた歴史があり、ここ数十年続いた戦国の世で戦国大名に力で奪い
取られた、と恨み骨髄の節がある。
平定されたのなら寺領を返せ、などと難癖をつけてくるのは明白で
あった。よって天下の調停人と呼ばれる調停名人の秀長を国主とし
たのだ。
﹁秀次には尾張と美濃、それに伊賀と伊勢をつけた。我が甥であれ
ば十分に三河殿の牽制になる。国力で上回り一度勝っておるからの﹂
秀吉は上機嫌である。しかし、気がかりな事があった。
﹁秀長、お主最近は体調が思わしくないと聞いたが⋮⋮﹂
﹁いえ、大事ありませぬ。余計な心配をお掛けしたことをお詫びし
ます﹂
﹁こりゃ秀長、ここにはわしとぬしの二人しかおらん。遠慮はいら
んぞ⋮⋮悪いのか?﹂
秀吉が気になっていること、それは秀長の体調であった。秀長の侍
医からは長年の戦塵が溜まり病に対して弱くなっていると報告が来
ている。
心底心配そうな秀吉の様子に秀長も折れた。
﹁兄上には隠せませぬな。左様⋮⋮最近は時折起き上がるのも苦痛
である時があります。また、夜になると咳が止まりません事が多く
⋮⋮﹂
﹁それを大事ない、とはいわんな秀長﹂
秀吉が苦笑する。
﹁申し訳ありません。ですが、政務に支障が出るほどではございま
せぬ﹂
107
秀長はそう答えるが、秀吉は秀長に無理をさせるべきではないとこ
の時に決めた。
秀吉にとって秀長と秀次は欠かせぬ両腕である。体調が思わしくな
いならまずは養生させるべきだと決めた。
﹁秀長、九州にはわしと秀次で行こう。お主は大和にて養生しなが
ら政務を取り仕切ってくれ﹂
﹁兄上、それは⋮⋮﹂
﹁なに、お主は先の四国征伐にて総大将を見事に勤め上げた。これ
以上戦場で無理を重ねてお主に倒れられては、わしはどうすればよ
いのじゃ﹂
﹁そのような⋮⋮﹂
﹁今回はまかせよ。なに、先の四国征伐以上の兵にて九州へと発つ。
わしが本隊、別働隊を秀次が率いれば問題ない。あれは十分にやれ
る男ぞ﹂
﹁確かに秀次は大軍を率いるに十分な力量を持っておりましょう。
長久手の戦いでの武功、それに四国での各方面への手配りといいま
ず間違いはないかと⋮⋮わかりました。私は大和にて中央を抑える
役ですな﹂
秀吉は柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
﹁ああ、それともう一つ、相談があったのじゃ﹂
﹁相談でございますか?﹂
﹁左様、それも秀次の事じゃ。それとなく探らせてみたのじゃが、
あやつ、側女の一人もおらんらしい。かつては池田恒興の娘と縁組
させようかと思った事もあったが、どうにも池田の娘にやるには惜
しい気がして、乗り気になれなんでの。まあ、今にして思えばそれ
は良かったのじゃが⋮⋮﹂
﹁確かに秀次もいい歳。誰ぞといい縁談を、との仰せでありますな﹂
﹁左様、衆道でもしておるのかと思ったがそれもないらしい。わし
と違っておなごに対してはなかなかに奥手じゃの﹂
秀長は思わず﹁兄上と比べれば誰でも奥手です﹂と言いそうになっ
108
たが我慢した。
﹁しかし秀次もいまや四ヵ国を拝領した大名です。官位も右近兵衛
少将⋮⋮家内の誰ぞ、とはいきますまい﹂
﹁それよ。声望も高くわしの甥でもある。下手な者と縁戚になるの
もまずい。かといっていつまでも独り身では格好もつくまい。秀次
が子をなせば一族の者が増えるのじゃからの﹂
そう言った秀吉は少し寂しそうに笑った。
︵兄者はご自身の子が出来ぬ事に苦しんでおられる⋮⋮︶
秀吉には正妻の寧々の他に大勢の愛人がいたが、誰一人として秀吉
の子をなしていない。
︵それでも今は秀次がいる。あれだけの器量だ。兄者の肩の荷も少
しは下りたか⋮⋮︶
﹁実は相手として考えている者はおるのはおるのじゃ﹂
﹁相手がおるのですか?﹂
秀長が驚く。てっきり秀次の嫁には誰がいいかを相談されていたと
思っていたのだが⋮⋮。
﹁うむ、これはまだ本人にも相手にも話しておらぬ。お主にのみ話
す事じゃ。秀長、九州が片付いたら秀次に正室をとらせる。その段
取りをわしが九州に行く間にやっておいてほしいのじゃ﹂
﹁兄上、それは構いませんが、その相手とはどなたの娘です?﹂
﹁それはの⋮⋮﹂
相手を聞いた秀長は驚愕し、いや、それはどうかと⋮⋮などと慌て
るが秀吉から子細を聞いて納得した。
﹁分かりました。滞りなく婚儀を行えるように手筈を整えておきま
しょう。それで、その話は私から彼の御仁へ?﹂
﹁いや、やはり話はわしから持っていく。寧々にもな。まあ、全て
は九州が片付いてからの事よ。秀長、しっかりと養生せいよ。今は
体を治す事が我らの力を保つことに何より必要なことじゃ。有馬に
湯治に行け。朝鮮人参なども手配して精をつけよ、良いな﹂
﹁痛み入ります、兄上﹂
109
こうして秀次の知らないところで婚礼話が勝手に進んでいた。
110
領地経営
四ヵ国を拝領し、押しも押されもせぬ大大名となった秀次。
朝廷から関白位を賜った秀吉は姓を﹁豊臣﹂に変えて豊臣秀吉、と
名乗りを変えていたが秀次は秀吉の養子とはいえ甥であることを考
慮し、まだ羽柴姓を使っていた。
秀吉からは豊臣性に変えるべきではないか、と言われたが秀次は甥
である自分は分家の一つとしてしばらく羽柴姓を持っておくべきだ
と秀吉に語る。
せいばつ
豊臣姓は秀吉と秀長が名乗る。その分家として羽柴の名を残す事に
よって、たとえば今後の九州征伐などで新たに臣下が増えた場合、
羽柴に縁組すれば分家の一員として厚遇されていると思うだろうし、
ふずい
豊臣姓は朝廷より賜った正式な姓であるので、これにより貴重な価
値を付随させるためにも、羽柴姓を残してはどうか、と提案したの
だ。
この提案を聞いた秀吉は喜び、今後は羽柴の家長としての働きを期
待しておる、と上機嫌に告げた。
秀次は切腹を避けるために、豊臣秀次って名前にならなければひょ
っとして切腹しなくてすむかも、というなんとも自己保身ともいえ
ぬ低い次元での豊臣姓辞退だったのだが⋮⋮。
四ヵ国を貰った秀次はその本拠地を尾張の清洲城に定めた。これは
信雄が使っていた城であるが、戦火にさらされていない事、元から
かなりの規模を持つ城であった事、単純に秀次が有名な城を自分の
居城にしたかったなどの理由が入り混じっての決定である。
さしあたって秀次には当面の課題があった。
領土は増えたのだが、家臣が増えていないのである。
︵舞兵庫と田中吉政に五十万石ずつ与えて俺は何もしなくていい⋮
⋮ってのは無理があるな、さすがに︶
111
そんな事を考えながらも、伝手を頼って広く人材を求める事にした
秀次。
とりあえず、舞兵庫の義父である前野長康とその子前野景定を家老
として召し抱えた。
さらに史実では長久手の戦いで戦死していたはずの木下祐久と木下
利匡を家老にし、相談役として秀吉の御伽衆から宮部継潤と三好康
長を迎えた。元養父二人は高齢だったが、秀次からの嘆願に快く頷
いてくれたので、筆頭家老とした田中吉政の補佐役をよく務めてく
れるだろうと秀次も期待している。
三好康長の紹介で牧野成里、森九兵衛、安井喜内、高野越中、大山
伯耆などが新たに家臣団に加わり、舞兵庫には十万石を与えて戦場
では采をまかせる、と軍事関係に関して丸投げした。
︵半年後くらいには九州に出発か。内々に別働隊の大将に決まって
しまったからには行かないわけにはいかんけど、薩摩とやんのか⋮
⋮あの化物集団とガチで真正面からやりあうなんて真っ平ごめんだ。
ま、それは後で考えよう。とりあえず新領土での内政だ。秀吉が茶
々の元に通い始めたらしいし、いよいよ俺の死のカウントダウンも
始まってるかもしれん⋮⋮史実より功績を上げているからそう簡単
には排除されんと思うけど、油断はできん︶
考える事は多いが、秀次の目の前には領地経営と言う難題が横たわ
っている。
まず、彼は領地の他に秀吉から論功行賞で賜った金銀や名器、名刀
などを財源として領地改革を始めた。
名器など見てもよくわからなかったし、名刀も自分で振れないから
いいや、と手元に部下の褒賞用として少し残して京の豪商を通して
売り払った。
家臣団をある程度形にした秀次は、領地経営に取り掛かる。
112
まず彼は伊賀の道を整備する。秀長の大和国との交通の便を大幅に
向上させ、尾張∼大坂間の移動時間を短縮したのだ。
この道は商業的にも大いに役立つ事となる。
同時に伊勢・尾張の港を拡張。この時代は、港によって商業規模が
決まるのでこれは重要であった。
さらに尾張に京や堺から招いた鉄砲鍛冶、船大工、刀鍛冶、窯大将
などを集めた工業都市と言うべき街を造る。
これは単純に作って運んで売る事を目的に津島港に隣接するように
作られた。
また津島の港は拡張され大規模な造船所が造られる事になる。秀次
は単純に水軍が欲しかったのである。
大名である九鬼嘉隆の協力を得て、軍船の建造ができる技術者を移
住させてもらったのだ。
安宅船のほかに、彼はバテレンの船を検分させガレオン船を造る事
を命じる。
仙台の伊達政宗が慶長遣欧使節を江戸幕府初期に行っている事を思
い出したため、たぶん作れるだろうとの目論見である。
最も、秀次はガレオン船を造っても何に使うか考えていなかったが
⋮⋮。
検地も順調に進み、清洲城の改築工事も始まった。領内は可児才蔵
に新たに信雄浪人の中から腕の立つ者を集めて自警団を組織させた。
領内の治安維持を目的とし、有事の際には共に出兵する役割を持つ
集団である。
可児才蔵は長久手の戦いでの恩賞として五千石を与えようと秀次か
ら言われたが、前線で戦えるほうがいい、自分は千石でいい、と言
って断っている。
代わりに秀次より﹁名刀・二つ銘則宗﹂を賜っている。
秀次は名刀だから喜ぶだろう、くらいの気持ちで与えたのだが、愛
宕神社に奉納してあった刀なので愛宕権現の厚い信仰者である可児
113
は落涙するほど喜び、この殿のためならいつでも死ねる、と朋輩に
語ったと言う。
新しい家臣団も三好・宮部の両相談役が調整役を買って出てくれて
おり、うまく機能している。
忙しく領地経営をしつつ、九州征伐への出兵準備も整えなければな
らなかったが、こちらは舞兵庫に丸投げしていた。
︵あ、戸次川の戦い忘れてた⋮⋮いや、史実より早いから気にしな
くていいか?︶
どちらにせよ、秀次が戸次川の戦いを思い出したのが天正十三年に
なってからであり、既に先遣隊として仙石秀久を軍監として派遣す
る事が決定されていた。
︵ま、まあ史実より早く九州征伐が起きているし、ひょっとしたら
戦闘にならない可能性もあるよね?︶
とりあえず自分にできる事はないな、と割り切って別働隊指揮官と
して出陣する秀次。
秀吉本隊が十二万、秀次の別働隊が九万、総勢二十一万の軍勢が九
州へと出発した。
ちなみに秀次は﹁島津と正面からぶつかるのはやだ﹂と舞兵庫に言
っており、兵庫を呆れさせていた。
鬼とか西国最強とか言われる島津の兵と戦うのが怖かったのである。
逆に可児才蔵は新たな強敵とまみえる予感に胸躍らせていた。
114
九州征伐
秀次率いる別働隊九万は日向方面から進軍していた。
島津は豊臣勢が九州に上陸するや戦線を後退させ、薩摩方面へと退
いていた。元々の数が違いすぎるため、防御線を構築するためには
後退してその範囲を狭めるしかなかったのである。
極論すれば秀次率いる別働隊は後退していく島津勢の後ろをゆっく
りと追いかけているだけであり、ほとんど散発的な戦闘しか起きて
いない。
肥後方面より進軍している秀吉率いる本隊も同じような状況である。
島津勢は速やかに北九州を放棄、南九州にて防衛線を構築する事は
明白であった。
︵ここまでは史実とほぼ同じ。秀勝、秀康が秀吉の本隊にいるのも
史実通りなんだけど⋮⋮どうしてこうなった?︶
秀勝とは秀次の弟である。このたび元服し従軍している。
秀康とは史実の結城秀康。徳川家康の息子にして、秀吉に人質とし
て差し出された。秀吉はこの人質に自らの﹁秀﹂の字を与え養子と
している。家康の心を取ろうとする秀吉らしい差配と言えた。
この二人は秀吉本隊におり、それは史実通りなのだが、秀次の心労
の種は自ら率いる別働隊にあった。
﹁山田有信が高城を守っているようですな、秀次殿。おそらく島津
は後詰に来るでしょうから、そこを叩くのがよろしいでしょう﹂
﹁それがしも、それでよろしいかと存じます﹂
先に発言した者こそ、徳川家康。
威厳ある声でその案に賛同を示したのは小早川隆景である。
この他に黒田官兵衛、細川忠興などが軍議に参加している。
﹁そ、そうですね﹂
115
別働隊指揮官とは思えない声で答える秀次。
︵せ、精神持つかな、俺⋮⋮︶
とにかく、史実の九州征伐を思い出してみる秀次。
︵高城を山田有信が守っているって事は、その南にある根城坂での
島津義弘との攻防って流れは同じか。史実通りなら秀吉の本隊が、
秋月を降して肥後方面から迫っている状況で日向方面に兵を集中さ
せていた島津勢が高城を救援するためにこっち側との決戦を選択す
るのは当たり前か︶
事実、秀吉本隊は既に筑後の秋月氏を降しており、肥後から薩摩へ
とその足を進めようとしていた。
︵⋮⋮確か島津の総勢って三万三千くらいだったっけ? こっちは
九万、高城を囲む兵もいるけどそれでも圧倒的に有利だよな、数だ
け見れば。う∼ん、よくわからんけどまあ史実通りに根城坂での決
戦でいいだろ。後は家康にまかせればいいや︶
適当に配置を発表し自分の部隊は高城を囲む事にした秀次。
あくまでも島津勢と正面から自分が戦う事だけは避ける秀次であっ
た。
高城を囲んでから三日後。
ついに島津義弘率いる三万三千の部隊が根城坂に現れた。
それを遠望しながら徳川家康は事前の軍議を思い出していた。
﹁先鋒に小早川殿、二の陣に徳川殿を。細川殿、黒田殿は戦闘が始
まってから行動を開始し、敵の横腹を突いてください﹂
⋮⋮この短い命令にどれほどの意味があるか、わかっているものが
116
何人いるか。
家康は穏やかな顔で頭を下げながらそう考えていた。
先鋒に小早川隆景。その後ろにこの徳川。戦場は坂であり、敵は下
から来る。
この場合、敵が坂を駆け上がりながら戦うのだが、こちらは駆け下
りながら戦う必要はない。
坂の中腹より少し上に空堀を作り、柵を並べる。防御陣地を構築し
てしまえば、坂を駆け上がって来るのが如何に勇猛で知られた島津
兵でもその勢いは鈍る。堀や柵を越える前に大量の火縄銃、弓、そ
して防御陣地から繰り出される槍に対してまともに進む事すらでき
まい。
ここに集まった将の中で、先鋒を小早川殿にしたのがまず見事であ
る。
毛利の中でも抜きんでた名将である小早川隆景。彼を前に配し、後
ろをこの徳川家康が持つ。
どれほど重厚な陣になるか⋮⋮。島津はその深き陣を抜き、城の救
援をしなければならない。
他の経路を通って行こうとも、大軍の動きはすぐに察知される。
察知されないほどの小勢で救援に近づいても、秀次殿率いる本隊の
前に絶望を知るだけだ。
この坂を通れば地獄。そしてその地獄はこの坂で島津が躓いている
間に細川殿、黒田殿が横槍を入れる事で真の地獄へと化す。
これだけの陣容、無造作に配置を決めたように見えて、戦の先が見
えていないとできない事だ。
さらに秀次殿は後ろの城の包囲部隊を指揮する。
⋮⋮我らに活躍の場を与えてくださっていると言う事だ。ここまで
大きな戦、手柄が欲しいのは誰も同じであろう。
秀次殿はこれまで戦力の移動、糧食の補給、それらを差配されてい
ただけで、大きな戦いには参加していない。
自国の兵を温存したいのか、とも思ったが、どうやら積極的に他の
117
将に活躍の場を与えているようだ。
⋮⋮将の将たる器、か。自らの武勲を求めず他者に武勲を立てさせ
る。それがどれだけ難しいか。
誰しも功名は欲しい。まして、あの若さなら一つや二つ、武功話が
あっていいものだが、秀次殿にはそれがない。
⋮⋮長久手にて相まみえたあの戦、秀次殿は﹁恐ろしかった。二度
と家康殿とはやらん﹂と言ったと聞いた。
功名心に逸った馬鹿な若武者なら大声で自らの武勲を喧伝するとこ
ろだ。
冷静だ。常に冷静。後にわしが秀吉殿に臣従した時、秀次殿が武勲
を喧伝しておれば、血気の多い三河兵の事だ。衝突があったやもし
れん。しかし、勝った本人が﹁恐ろしかった﹂そう言っているのだ。
その後、噂をさりげなく集めたが、﹁あれは鉄砲を集中運用してそ
こに騎馬武者を突撃させると言う、常識では絶対にやらないような
事をやったから勝てただけだ。失敗する可能性も高かった。第一、
同じ戦法で徳川殿に挑んでみろ、今度こそ完膚なきまでにこっちが
やられるぞ﹂そう言っていたと言う。
新戦法を編み出した事で勝ったが、もう一度同じ方法で戦いを挑め
ば徳川はそれに対処してみせるだろう、と。
勝ったのは豊臣、だが秀次は僥倖によって勝ったのであり、徳川殿
はやはり恐ろしき戦人である、と。
徳川家が降った後、徳川家を決して下には扱うな、少なくとも自分
はもう二度と徳川殿とはやらない、と人に聞かせる事により、自然
と豊臣側から徳川を立てるような空気がある。
やられっぱなしだな、秀次殿には。
横槍を入れる部隊に血気盛んな細川殿、冷静沈着な黒田殿を置くか。
突入の間は黒田殿が読み、細川殿は火の出るような勢いで乱戦に突
入してこよう。
それでいて、自らの子飼いの将は手元に置いている。
⋮⋮もし、わしが密謀にて小早川、細川、黒田を引き入れ逆撃すれ
118
ば? 兵力では互角。しかも相手は城を囲んでいる最中。
まと
背後からわしらが襲い掛かる可能性も考えていないはずはあるまい。
その可能性すら考えた上でわれらを戦場に送り出した。纏まっての
裏切りなどない、と見切った上でだ。
秀吉殿の親族にあれほどの器を持つ者がおろうとは⋮⋮幼き頃に宮
部、三好と人質として渡り歩いたというが、あるいはそこで何かを
得たのか。
それとも元よりの才が開花したのか。いずれにしても秀吉殿の政権
はしばらく安泰、とみてよい。
そう、信長様の天下よりも安定した権力の座にいることになろう⋮
⋮やはり秀次殿だな、この豊臣政権での核は。あれだけの手腕を持
つ若者だ。
いよいよ秀吉殿も重きを置く事になるのは必定。それを考えた上で
我ら徳川家もどうあるべきかを考えねばなるまい⋮⋮。
もしもこの家康の考え全てを知る者が聞いたらこう言うであろう。
あいつはただのカンニング野郎です、と。
119
九州征伐 その2
夜が明け始める頃。坂の下に布陣した島津勢が動いた。
﹁あれが島津の矢の陣か。まさに正面から粉砕するためだけの陣。
よほどの兵の強さの自信の現われか﹂
家康が坂の上の本陣から見下ろしながら言った。
矢の陣。
島津が得意とした攻めの陣形である。
文字通り、矢のような陣形を組み真正面から突き破る陣形である。
魚燐をさらに正面攻撃力に特化した陣形と言える。
反面、魚燐以上に側面攻撃に弱い。島津の兵の強さを前提にした陣
形である。
﹁来るか、島津﹂
家康が独語したとき、矢の陣を組んだ部隊がいくつも坂を駆け上が
って来る。
さながら弓から放たれた矢の如く、凄まじい勢いである。
こばやかわ
一気に敵陣を貫かんと迫る島津軍。そこに、最前線に陣を張ってい
た小早川から雨のような鉄砲が発射された。
瞬く間に血に染まる根城坂。しかし、僚友の屍を超えて島津の兵は
陣に迫る。
﹁鉄砲、弓兵、まだ次は撃つなよ! 堀まで引きつけよ!﹂
小早川隆景の大声が響く。その統率力によって完璧に制御された小
早川隊は、鬼の形相で迫る島津に対して静かに構えていた。
ついに島津の先駆け部隊が堀に取り付く。その瞬間、短いがよく通
る声で小早川隆景は叫んだ。
﹁撃て!﹂
一斉に放たれる鉄砲と弓。至近距離から受けた先駆け部隊はほぼ全
120
滅していた。
こばやかわたかかげ
﹁防げ!﹂
次の小早川隆景の命令で鉄砲部隊が退き、変わりに槍隊が前に出る。
隆景は先駆け部隊を討ち取っても次の射撃の前に島津軍が堀を超え
て来る事を見抜いていた。あの程度の損害で留まる相手ではない。
まして、退く事などありえない。
坂の下から上って来る島津も鉄砲や弓で反撃しながらなんとか陣を
崩そうと突撃して来る。
しかし、小早川隆景の熟練の指揮になかなか前進できない。
さらに榊原、石川の徳川重臣率いる部隊が前進して小早川隊の救援
に回る。
家康は後方から素早く指示を飛ばし、手薄になった場所を自らの兵
で埋めていく。
前線で敵を蹴散らす小早川隆景、後方から支援する徳川家康。
島津の損害は加速度的に増えていったが、いまだに最初の空堀すら
突破できずにいた。
戦闘開始からおよそ一刻。
島津の側面をつく形で黒餅の紋が翻る。
黒田考高の部隊が戦場に到着したのである。
さらにその後方より細川忠興の軍勢が現れ、戦場に乱入する。
ついに崩れた島津軍に、家康は陣から出ての全面攻勢を命じる。
細川勢に島津忠隣が討ち取られ、全面壊走となった島津軍を家康と
隆景は追撃し多くの戦果をあげた。
こうして、根城坂の戦いは秀次別働隊の大勝利となった。
最も、総大将の秀次は特に何もしていなかったが。
救援にきた部隊が敗走した事により、高城は降伏。開城の使者を受
け入れ、豊臣に降った。
壊乱した島津義弘は事がここに至ってはしかたなし、と剃髪して秀
121
次の下に訪れて降伏。
徹底抗戦を決めた島津義久や新納忠元を説得し、秀吉に島津全てが
服する事に決まったのがそれから一月後。
秀次は事後処理を石田三成、増田長盛、山内一豊の三人に申し付け
た。
実務面では有能な官吏である石田三成、増田長盛が取り仕切るが、
島津はまだ敗けたばかりである。こういう場合、感情面での配慮も
いる。そのために秀次は山内一豊を残した。
122
立花宗茂
九州征伐の事後処理も秀吉本隊と秀次の別働隊が大坂へと戻る道に
ついてから、一月ほどで終わる事となる。
秀吉は降伏した秋月、島津を集め、国割りを発表していく。
まず、救援目的であった大友宗麟は豊後が安堵される。秋月は日向
に移封。島津には薩摩、大隅が残された。
この時、大友宗麟は中央への政治的な結びつきを保つために、秀吉
にある懇願を行っていた。
﹁宗麟、お主は本気か?﹂
秀吉が少し呆れたように尋ねたが、尋ねられたほうは至極真面目で
あった。
﹁はっ、我が重臣のうち、立花宗茂を秀吉様の直参として頂きたく
存じます﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
︵大友宗麟が中央に伝手を置いておきたい、というのは分かる。が、
実際の問題としてこれは島津や秋月に差をつけるため、か。最近ま
で島津に九州の端まで追い詰められていたのだ。それを考えると誰
が背後にいるのか、それをはっきりさせたいと言う事か︶
正確に大友宗麟の思考を読む秀吉。
︵しかし立花宗茂と言えば大友家一の弓取りではないか︶
それが問題である。立花家と言えば亡き立花道雪は西国一と言われ
た武将。養子である立花宗茂も父と協力して島津の攻撃を押し留め
ていた、隠れもなき名将である。
︵確かに豊臣直参、ともなれば家格で主家を上回ってしまうがこれ
以上の繋ぎはないとみたか? だが、直参の連中は若く、今回も手
柄を立てたのはほんの僅か。ここにいきなり立花、というのは⋮⋮
123
それにその忠誠が誰に向けられておるのかが定かではない者は直参
には入れられん⋮⋮おお、そうじゃ!︶
そこまで考えて、秀吉は人懐っこい笑みを浮かべて大友宗麟に向き
直った。
﹁宗麟、お主の忠義、真に嬉しく思う。しかし、わしの直参は小姓
や親戚連中の集まりのようなもの。世に聞こえた立花宗茂が与えら
れる場所ではない﹂
﹁それでは、お聞き届けいただけませぬか?﹂
落胆する大友宗麟に秀吉は笑いながら告げた。
﹁今回、別働隊を指揮した我が甥、秀次の下で家老と言うはどうじ
ゃ? あれはなかなかおもしろき男での。仕えるには良き主君とな
ろうぞ﹂
この言葉に大友宗麟は頭を回転させた。
︵豊臣直参はかなわぬか、しかし別働隊を指揮し実質的な後継者と
いえる秀次様の家老となれば、秀吉様の直参より息は長いかもしれ
ぬ︶
﹁わかりました。立花宗茂、秀次様の家老へとご推薦のほどをお願
い致します﹂
かくして、秀次の知らぬところで立花宗茂が家老として派遣される
事が決まった。
尾張の清洲城に帰った秀次は新たな家臣となった立花宗茂を謁見し
ていた。
﹁立花宗茂にござる。以後、お見知りおきを﹂
︵⋮⋮なんで立花宗茂? 九州から動きたくないから秀吉の配下に
なるのを断ったとか言う逸話なかったか? てか立花道雪の義理の
息子だぞ。嫁さんが美人で勝気と有名なあの西国の傑物だぞ。あれ
か、大友義統がなんかヘマしたら俺が庇う事になるのか? 面倒事
124
だけが増えていくような⋮⋮しかし、秀吉が俺に立花宗茂をつける
とは、俺の陣営の強化も目論んでるよな、これ。朝鮮出兵とかでお
前が総大将とか言われたら絶対に断るぞ、俺。あんなもん、誰が行
くか︶
色々と混乱はしていたが、秀吉が決めた事なので立花宗茂は秀次の
家老として迎えられた。知行は舞兵庫と同じ十万石。
むしろこいつに百万石与えて俺は半隠居でいいんじゃね? と言っ
たら筆頭家老の田中吉政に蹴り食らったのだが。
秀吉と大友宗麟の思惑はあったが、舞兵庫と立花宗茂と言う軍略の
傑物が秀次陣営に揃った事は確かであった。
立花宗茂は秀次と言う人間を計りかねていた。
若くして大領の主になっているが、決して秀吉様の身贔屓だけでは
ないと言う。
事実、長久手の戦いでは徳川家康を撤退に追い込んでいるのだ。
尋常な男ではない。
その上、諸大名からその人柄を慕われ、秀吉様に陳情するより秀次
様に陳情する者のほうが多いほどだと聞く。
秀吉様からの信頼も絶大なものがあり、病気がちな秀長様に代わっ
て豊臣家の中核を担っている。
彼の領地に来てその斬新な政策にも驚いたが、彼の言動にも驚いた。
いきなり百万石与えると言われた時は場をほぐす冗談かと思ったが
⋮⋮。
後で筆頭家老の田中吉政殿に聞くと﹁あれは本気だったんでしょう。
秀次様は能力のある人間には惜しみなく与えます。その分、働かさ
れますが﹂と言っていた。
それが彼のやり方なのだろう。家柄やそれまでの経歴を問わず、能
125
力のあるものにはそれなりの仕事場所を。暢気そうな顔をしている
が、これはなかなか大物やも知れん。
家中にもおもしろい者が多い。あの舞兵庫と言う戦術家、語るのが
楽しみなほどの才を感じる。
他にも馬を並べて戦うのが楽しみな者が多い。これはひょっとして
大友家よりおもしろいかも知れんな。
一度、秀次様とゆっくり話してみたいものだ・・・。
126
お見合い
九州征伐が終わり、論功行賞が行われた。
七本槍の中では加藤清正が肥後半国を、福島正則は仙石秀久が蟄居
させられたため空になった讃岐を拝領した。
加藤嘉明、小西行長らも躍進。脇坂安治や片桐且元、糟屋武則も一
万石ながら大名に列した。平野長泰は史実通り大名になれなかった。
ふと他に差をつけられた平野を憐れんだ秀吉は彼を秀次の下へとつ
けた。秀次は﹁まあ、腕は確かみたいだからいいか﹂と気軽に引き
受けた。これにより平野長泰は、今後は秀次の配下として働く事に
なる。
豊臣秀長の病状は落ち着いている。それでもやはり起き上がるのが
つらい日があったり咳が止まらない事もある。秀次は史実で彼の寿
命が長くはない事を知っている。
九州征伐に参加しなかった事で病状の進行は遅れたかもしれないが、
決して良くなっているわけではなかった事から、やはり史実通り死
病にかかっていると判断せざるを得なかった。
見舞いの品を送ったり時には大坂と尾張の往復の間に大和へと立ち
寄って病床の秀長を見舞ったりしていたが、やはり緩やかに病状は
進行しているとしか思えなかった。
何かと世話になった人であるしその人柄を失うのは惜しかったが、
秀次にできる事は少なかった。
秀次は秀次で領地経営に忙しい。
九州征伐でかかった戦費はそれなりだったが、今回の論功行賞で秀
次は新領地がもらえたわけではなく、金子や名物によって褒賞を受
け取っていた。
戦費は賄えたのだが、領地経営に手を抜くわけにはいかず、筆頭家
127
老の田中吉政などと協力しながら内政に精を出していたのだが、彼
は史実の大きなイベントを忘れていた。
天正大地震である。
結果、史実通りに甚大な被害を領地に被り、彼が秀吉から貰った恩
賞は復興資金として全て消えた。
きんす
これにはさすがに落ち込んだ秀次であるが、すぐさま恩賞として賜
った名物を金子に変え、復興資金とした。
さらに領内の今年の年貢を全て免除するとの布告を出した。
さすがにこれには重臣が反対するが、﹁復興を優先しなければ来年
の年貢も取れん﹂と秀次が押し切った。
これらの手を打ちつつ、京の豪商、津田宗及に名物を売ったりしな
がらなんとか財政を維持していた。
ちなみにこの地震で山内一豊の一女、与祢が亡くなっている。彼は
長浜城の城代にはなっていなかったが、歴史の修正力なのか、屋敷
が潰れ与祢がその犠牲となったのだ。
秀次は一豊と千代のために比叡山の高僧を呼んでやり、与祢の供養
を手伝った。
年が明けて天正十四年。新年の祝賀に諸大名は全て大坂に集まって
いた。
秀吉の前に並ぶ諸侯には席次が決められており、中でも特に先頭に
座る五人は家中で重い地位を持つ者と言える。
順に、豊臣秀長︵大納言︶、前田利家︵権大納言︶、徳川家康︵中
納言︶、羽柴秀次︵権中納言︶、毛利輝元︵権中納言︶。
次列に小早川隆景、上杉景勝、宇喜多秀家、黒田考高、豊臣秀勝、
豊臣秀康、細川忠興。
さらに次列に大友宗麟、堀尾吉晴、中村一氏、生駒正親、小西行長、
島津義久、加藤清正、福島正則、加藤嘉明。
128
その後ろに小身の石田三成、増田長盛、長束正家、山内一豊、大谷
吉継などがずらずらと続く。
関白たる秀吉を迎えるにあたって、壮観な眺めと言っていい。秀吉
は満足げに﹁皆の者、大義である﹂と声をかけていた。
一通りの儀式が終わると、最前列に並ぶ五人以外は退出して行く。
残った五人に対し、秀吉は布告を出す事を宣言し、一枚の紙を渡す。
その内容は伴天連の追放令公布、刀狩り、検地、大名同士の婚姻は
事前に公儀へと届け出る事の法令化、そして聚楽第の建設であった。
伴天連の追放令は民が自主的に改宗する場合には黙認する、大名が
改宗する場合は公儀へと届け出を行った上で秀吉が判断する、と言
う布告である。
九州征伐において、一部の宣教師と称する者たちが日本国民を奴隷
として売っていた実態を見た秀吉は伴天連追放令を出す事によって、
これを完全に駆逐しようと考えていたが、一部のキリシタン大名よ
り本物の宣教師まで追い出すのはやめてほしい、との懇願が出てき
たので一般大衆がその教えを信じるのは認めるが、今後は国内での
活動を制限し、奴隷貿易などの罪状明らかな者を追放したのである。
刀狩り、検地に関しては史実通りであり、兵農分離政策の一層の推
進である。
また、大名同士の婚姻の届け出制は各々が勝手に結びつきを強める
のを防ぐ
ための策であった。
実際にこの触れを全国へ展開し、守らせるのは石田三成や増田長盛
などの文吏の仕事である。彼ら五人は三成、長盛を別室へ呼び布告
のための準備と実作業を命じた。
その後、部屋を出たところで秀次は家康に呼び止められる。
129
﹁秀次殿、茶でもどうですかな﹂
突然の家康の茶席への誘いに、とても断る勇気など持っていなかっ
た秀次はほいほいとついて行く。
実は、これは秀吉が家康に頼んでいた事であった。
そう、秀吉のおせっかいというか親心。
嫁取り話である。
大坂城には多くの茶室がある。その中でも大坂城の北、城の中程の
森に作られた茶室に秀次は案内された。
すでに茶席の用意は古田織部が整えていた。
驚いた事に、そこには寧々がいた。
そしてもう一人。
幼いが気の強そうな、凛々しい美少女が一人。
なんだこれ、と思う間もなく、寧々が紹介する。
﹁こちらは家康殿の養女、小松姫です﹂
︵小松姫? 誰だっけ、家康に小松姫なんて娘いたっけ? あれ、
でも今養女って言ったよな。小松、小松⋮⋮思い出した! 本多忠
勝の娘だ! 幼名稲姫!︶
ようやく自分の知識からその名を掘り起こした秀次。でもなんで本
多忠勝の娘がここに? と思ったがとりあえず挨拶する事にした。
﹁羽柴秀次です﹂
﹁⋮⋮小松、と申します﹂
頭を下げながらじっと秀次を見る小松姫。ちょっと気圧された秀次
は若干腰が引けていた。
︵なんか微妙な間があった上に睨まれた! 美人が睨むと怖いね。
つか、この時代の姫には珍しくほとんど化粧っけがないな︶
とりあえず茶でも飲んで落ち着こう、と茶を飲んだ時、家康が朗ら
130
かに話しかけてきた。
﹁このたび、関白様よりお話がありましてな。我が娘を秀次殿と娶
わせてはどうか、とのありがたい申し出でありました﹂
思わず茶を吹き出しそうになる秀次。
︵娶わせるってことは俺、この娘と結婚すんの!?︶
131
婚姻準備
思わず小松姫のほうをまじまじと見てしまう秀次。視線があっても
小松姫はじっと秀次を見つめたままだった。
﹁私には娘が幾人かおりますが、あいにく歳が幼いか、妙齢の者は
嫁いでおります、と申し上げたのですが、なんの徳川殿とわしの仲
ぞ、だれぞ家中の者より良き娘を養子としてもよいとのおおせにて﹂
︵え、さすがに秀吉、それはどうなの?︶
養女に迎えたとはいえ、実の娘ではないのだから、血縁関係はない。
秀吉からすれば家臣の一人である家康の、ましてや養女を自分の甥
と結婚させようと言うのだ。
︵一応、関白であり天下人を謳っているのに、甥に家康の養女? 待てよ、徳川殿は、今は臣従しているとはいえ、天下を狙っていた
御仁。未だに、何かまた変が起きれば⋮⋮たとえば本能寺のような
⋮⋮最も天下に近い人と言える。その徳川殿と甥を親戚にする事で
より深く繋ぎとめ、なおかつ養女を嫁に取らせる事によって相手に
これだけ信用していると見せると共に、甥には嫁とはいえ養女を、
それほど深入りさせないつもりか︶
秀吉の考えをほぼ正確に読んだ秀次であるが、ため息をつきたい思
いだった。
︵考えたつもりなんだろうけど、墓穴掘っているような気がするぞ
秀吉⋮⋮まあ、悪い考えじゃないと思うけど、ちょっと家康に遠慮
しすぎな感があるな。いや、俺も家康は怖いけどさ︶
﹁仰々しく対面させるより、こういった場のほうがよいと思いまし
てな。寧々様と古田殿にお願いした次第﹂
132
家康が笑顔を絶やさずに秀次に語りかける。
︵寧々様も笑いながらこっちを見てるって事は、俺に選択権はない
ってことだな⋮⋮︶
﹁な、なにぶん急な事で驚きましたが、家康殿を父とお呼び致した
いと思います﹂
︵二十歳前で人生の墓場かよ。いや、この時代だと俺は十分に独身
貫いたほうだけど。しかし結婚か⋮⋮何も考えてなかったな。あ、
やっぱ俺が悪いのか⋮⋮︶
常識的に考えても天下人の甥がいつまでも独身でいるのはおかしい。
﹁おお、お受けくださるか。いやこの家康、秀次殿のような俊英を
息子に持てること、存外の極みですぞ﹂
︵嘘つけ、この狸爺!︶
絶対単純に喜んでるわけねーだろ、と思ったがやっぱり口には出せ
なかった秀次。
こうして精神をすり減らしまくった茶会が終わり、秀次は大坂の屋
敷へ戻った。
︵戻ってきたら田中吉政と家康の重臣である井伊直政が婚礼の日取
り決めとかやってやがった⋮⋮。色々考えるのは明日にしよう。そ
れがいい︶
そう自分に言い聞かせながら秀次はその日、ふて寝した。
尾張・美濃・伊賀・伊勢の四ヵ国を治める秀次の治世は天正十四年
より本格的に始まった。
史実での北条征伐は天正十八年。それまでは大きな戦はない。
﹁とりあえず小松姫との婚礼はまかした! 俺はしばらく食って寝
133
て暮らす!﹂
清洲城でそう高らかに宣言する秀次。
﹁まず、現在の領内の復興状況ですが⋮⋮﹂
筆頭家老である田中吉政に華麗にスルーされても泣かなかったそう
な。
天正大地震の復興を、九州征伐で得た恩賞と名器を売り払った金で
凌いだ秀次。
他の地域は地震の被害があっても堂々と年貢を取り立てていたが、
秀次は一年の年貢免除を打ち出して復興を優先する。
この時代、天災があっても領主は年貢を取り立てる。戦費が重んだ
あとなら当然である。それが領主の権利なのだから。
しかし秀次はそれをしなかった。あまりにも現代の感覚で普通に災
害の後は税免除しなきゃ、と思ったからだ。
領民の秀次に対する評価はこれで極まったと言っていい。
復興が順調に進むとそれまで手をつけていた事業も成果を見せるよ
うになっていった。
まずは伊賀街道整備。山に囲まれ﹁隠れ国﹂と呼ばれた伊賀。秀次
はここに大和に通じる街道を敷設した。
美濃経由ではなくなぜ山国の伊賀に? と皆がその理由を図りかね
た。
尾張∼伊賀∼大和の街道が出来上がると、これまで近畿圏ながら大
坂の経済圏から外れていた伊賀にも商人たちが訪れるようになる。
荷を運べる道さえあれば、商魂たくましい商人たちはどこにでも行
く。これによって伊賀も俄かに活気付く。大坂の経済圏に組み込ま
れたのだ。
それまで京の側でありながら片田舎だった伊賀を発展させ、さらな
る利益を上げるとは、と周囲は秀次の先見性を褒め称えた。
実際は現代だと名古屋まで行くのに伊賀通ったほうが近いよね、と
思ったから道を作っただけだが。
134
最も本人は想像以上に山道めんどくせ、とほとんど使わなかったが。
次に津島港拡張工事とでも言うべき事業である。尾張・津島の港は
その規模を大幅に拡張した。
港には船大工達が秀次の援助により立てられた巨大な造船所に数百
人働くようになり、その他の職人たちもこの街に集められた。
鉄砲鍛冶、刀鍛冶、大工、宮大工、薬師、窯大将、酒職人、織物職
人、染師、鉄鍛冶などである。
街の中心部に市場があり、年中賑わう事になる。
大友宗麟より譲り受けた大筒﹁国崩し﹂を秀次は津島に持ち込んで
おり、大砲の改良と製造を命じていた。
いつか誤射でまだ出来てない淀城に叩き込んでやる、と本気で思っ
ていたのだ。
また、秀次の思いつきで建造が始まったガレオン船は足掛け四年を
経て完成。
船体は白一色で統一され、帆は漆黒である。
﹁ほんとに出来たのかよ⋮⋮さすが変態国家だな、日本﹂
秀次の呟きは幸いにも誰にも聞かれなかった。
﹁津島丸﹂と名付けられたその船を秀吉に見せようと堺の港まで持
って行った秀次。
ガレオン船、つまり南蛮船を見た秀吉は眼を丸くして驚き、直後に
歓声をあげて喜んだ。
もともと、目新しい物や巨大な物が好きな秀吉である。すぐさま秀
次に金塊を渡して自分の船も造ってくれと依頼する。
かくして、天正十七年より津島の造船所で﹁豊臣丸﹂の建造が始ま
った。
そして美濃治水事業。
美濃は豊穣な土地である。しかし、河川の氾濫が古来より続く土地
でもある。この河川の氾濫さえどうにかできれば安定した収穫が望
める。
135
そのため、美濃の河川を調べ上げ堤防を築き時には河川の流れまで
変えるほどの大事業を行った。
田中吉政が。
報告書に﹁美濃の治水事業完了に候﹂とあったのを見た秀次は覚え
がなかった。
﹁こんなのいつ頼んだっけ?﹂と聞く秀次に田中吉政は﹁まさか忘
れたのでは⋮⋮﹂と返すと秀次は、﹁いや、覚えてるよ、うむ、ご
苦労だったな吉政﹂と褒めまくった。
覚えていないのは当然で田中吉政がほとんど独断でやったのだが、
怒られるのが怖かった秀次は覚えているふりを必死で続けていた。
どうやら、譜代の家臣は秀次の操作方法を覚えてきたらしい。
それ以外にも警察組織の整備を行ったり、奉行所を各街に建てたり、
領内の盗賊団の討伐を可児才蔵とその配下の精鋭たちに命じたりと
大忙しであった。
また、彼は徳政令禁止を打ち出す。秀次の領地では城主など権力を
持つ者が商人から金を借りて徳政令を出しても無効、と決めた。
むしろ秀次にしてみればそれが未だにまかり通っているふしがある
だけで驚きだったのだが⋮⋮。
こうして彼は内政に励みながら過ごしていく。
天正十五年。京に聚楽第が完成。秀吉が帝を迎える準備が整った。
秀吉に従う全ての大名が聚楽第に集い、帝を迎えた。そこで、秀吉
は全ての大名に誓詞を書かせる。
以後、帝には逆らわない、と言う誓詞である。帝に逆らわないと言
う事は、帝に代わって政治を行う関白にも逆らえない。
その誓詞を全ての大名が差し出し、秀吉からご覧の通り、今後身辺
を騒がす者はこの者たちが成敗いたしましょう、と言上する。
136
秀吉の支配が今、始まったと言える瞬間であった。
137
初夜と思惑
聚楽第での盛大な催しから一月後、秀次の祝言が挙げられる。
花婿は羽柴秀次。花嫁は小松姫。徳川家康の養女である。
秀次十九歳、小松姫十四歳であった。
参列者は秀次の養父であり後見人でもある叔父、豊臣秀吉。同じく
叔父である豊臣秀長。
さらに養母たる寧々、秀吉の妹である旭姫、秀吉の母の大政所。
秀次の重臣からは田中吉政、舞兵庫、立花宗茂、宮部継潤、三好康
永。
花嫁側からは養父である徳川家康、実の父である本多忠勝、婚礼の
儀に骨を折った井伊直政、重臣である本多正信。
さらに公家衆や皇族の参列まであり、派手好きな秀吉が、式が大い
に盛り上がるように金と時間をかけて用意された華燭の典であった。
︵はっはっは。結婚しちまった。小松姫と⋮⋮本多忠勝の娘ですよ。
相手十四歳って、俺はロリコンかっつーの! 現代じゃありえんな
ぁ。
しかし、美人っつーか美少女っつーか。現代日本に居たらいけない
オジサンに狙われそうなくらい美少女だ。親がやばいくらい怖いけ
ど。
それにしてもこの時代の武家の婚礼は長い! 丸二日がかりだぞ!
ほとんど座りっぱなし! 途中で逃げ出そうかと思ったわ! 花
嫁の義父と実父が来ているからそんなこと出来ないけどな! よう
やく終わったと思ったら、そのまま初夜ですよ! いやまあ、この
時代なら十四で子供いる人もいたわけだし、いいんだろうけど⋮⋮。
とりあえず、沈黙に耐えられないから何か喋ろう︶
138
寝室に敷かれた布団の上に、秀次と小松姫は向かい合って座ってい
る。
﹁疲れた?﹂
できるだけ優しい声をかける秀次。
﹁いいえ、私は大丈夫です﹂
小松姫が答えたが、それっきり二人は黙り込んでしまった。
︵世のイケメンたちはこんなときにどんな話してんだ? 精一杯の
勇気を振り絞っていった一言で会話終わるとか、俺どんだけなんだ
⋮⋮︶
それでもいつまでも黙っているわけにはいかない。秀次は気の利い
たセリフも出てこなかったので普段通りの口調で小松姫に語りかけ
た。
﹁え∼と、まあ、これからよろしくな、姫さん﹂
花嫁、小松姫は自分の夫となった人物を興味深く観察していた。
尊敬する父曰く、三方ヶ原以来初めて徳川に野戦で傷をつけた男。
その武才は計り知れないと言う。
家康様曰く、飄々としているがその器量の底が知れないと言う。
九州征伐では家康様の言をほぼ無条件で取り入れ、全ての戦に完勝
した。
﹁おそらく、秀次公なら自分の配下の将のみで勝てただろう。私に
采を取らせたのは、我が武門の名誉を立てさせてくれただけのこと。
それだけの余裕があり、また彼は恐ろしく冷静に戦況を見つめてい
た。彼の人は人を知る。名将を名将たらせるために何が必要かを知
っている。我らと小早川、他の大名にまで下知できるほどの権限を
与えておいて、自らは超然としていた。我らがその気になれば九州
で秀次公を討つことは可能だったかもしれん。そんな事をすれば徳
川も小早川も破滅する事を、彼は知りぬいた上で我らに采をまかせ
たのだ⋮⋮﹂
139
家康様がこれほど恐れる将は武田信玄以来やも知れぬ、と父は言っ
ていた。
この地に来る前に様々な話を聞いたが、民を慈しみ領内の領民から
神の如く崇められる領主。
部下を信頼し、年上の部下をも問題なく使いこなす人使いの天才。
先見性を持ち、新たな戦略をも生み出す戦争の達人。
しかし、今目の前にいる何やら困った顔をしてこちらを見ている若
者とはどれも結びつかないような気がする。
﹁秀次様、ふつつかものですが、これから末永くよろしくお願い致
します﹂
そう言って布団に頭をつける。これから初夜、というのが妙に生々
しく感じられた。
﹁あ、うん。仲良くしような。よろしく、姫さん﹂
少し照れながら笑う秀次様は歳よりも若く見えた。
そしてゆっくりと私を抱きしめてくれる。
優しそうな人でよかった。この人となら夫婦としてやっていけそう
だ。
秀次と小松姫が初夜を迎えている頃。
小松姫の義父、徳川家康の部屋には今回の婚礼に同行した諸将が集
まっていた。
﹁今回の縁談、我らにとっては願ってもない好機である﹂
家康が低い声で一堂に告げる。
﹁秀次公は若くして名声を得ている。北政所様︵寧々︶にも親しく
関白様の跡継ぎになられるかもしれん。最も、関白様に実子がいな
い現状ではだが﹂
140
側に控える徳川家の謀臣、本多正信がその後を続ける。
﹁左様⋮⋮将来的に秀次公と戦うにせよ、共闘するにせよ、まずは
徳川との結びつきを強める事が重要でした。この婚礼、渡りに船で
したな﹂
﹁そうだ。我らが京や大坂に出ようとすれば秀次公が障害となろう。
が、私は戦で天下を取るつもりはない。大義名分もなく戦など起こ
しても徳川を危うくするだけよ。今は力を蓄え、諸将との結びつき
を強くする必要がある。秀次公と縁戚になったこと、これは僥倖じ
ゃ。この機会、逃してはならぬ﹂
小松姫の実父、本多忠勝も口を挟んだ。
﹁娘には何も言っておりませんが、輿入れの際に当家より侍女と側
回りがついております。特に側回りの者は念を入れて選別しており
ます﹂
この言葉に家康は頷くが、まだ満足はしていない。
﹁相手は秀次公だ。彼の御仁、底の知れぬ部分がある。念には念を
入れておく必要がある。彼を徳川家に取り込めれば、我らの天下も
あり得る⋮⋮天下なくとも、天下に最も重き家は徳川、ともなりう
るのだ。ここでしくじるような事はあってはならぬ﹂
家康は本気で秀次を自分の懐へ取り込もうと画策している。
︵敵に回すには底が見えぬ。何より器も大きい⋮⋮関白様も今後何
十年も生きられるわけではない。秀次公を取り込むのだ、徳川寄り
に。それが我が家の繁栄の元になる︶
﹁相手を取り込むには相手を知らねばならぬ。奥向きの事は侍女達
にまかせよう。小松姫と秀次公が仲睦まじく暮らされておれば、奥
向きの事はよい。だが、表向きの事だ。小姓や側回りの者たちでは
何も掴めぬ。正信、何か存念はないか﹂
徳川の誇る謀将、本多正信はしばし眼を閉じて考えを巡らせる。
141
そして、一つの策を思い当った。
﹁我がほうの武将を客将として貸す、というのはどうでしょう? 古来より嫁入り時に配下を重臣の一人として差し出した例は数多く
あります。おかしな事ではありますまい﹂
ふむ、と家康が一つ頷いて続きを促す。
﹁送り込んだ将は徳川との戦以外では大いに働いて貰いましょう。
手柄を立てればそれだけ取り立てられます。何かとやり易くなるの
は間違いないかと﹂
﹁名案なり、正信。確かにその手はあるな。されど秀次公はこちら
からの将を受け入れてくださるかな﹂
﹁そこはおまかせください。この正信、命にかけても口説いて見せ
ましょう﹂
謀将としての誇りを滲ませて答える本多正信。この答えに家康は満
足した。
﹁されど、誰を送り込むのだ、正信殿﹂
本田忠勝が問うが、本多正信にもすぐには浮かばなかった。
﹁万一にも相手に取り込まれぬよう、忠誠厚き者でなければなりま
せぬな。それに余りに天下に名が響いた者では関白様の不審を招き
ましょう⋮⋮﹂
本田正信の脳裏に幾人もの名が浮かんでは消えていく。
︵武骨な武辺一辺倒の三河者ではだめだ。時には内情を探り、こち
らへ密かに連絡するような事もありうる。それだけの器量もいる。
酒井、井伊、だめだな。名が知れすぎている。何かあると教えるよ
うなものだ。無用な警戒を招く⋮⋮わしも忠勝殿も無理じゃな。そ
れこそ秀次殿はともかく、関白様にいらぬ疑いをかけられる︶
﹁なかなかに、人選は難しい事ですな﹂
﹁確かに﹂
142
正信の言葉に忠勝も頷く。
じっと考えていた家康が口を開いたのはその時であった。
﹁お主がいけ﹂
家康が振り返った先にじっと佇んでいた男。
影のように身動き一つしなかった男は短くその命を受けた。
﹁御意﹂
男の名は服部半蔵。家康が持つ忍の集団、伊賀者たちを統率する者。
忍の長にして、武将としても一線級の力を持っている。
その忠誠心は家康に向けられている事は明らかだったが、小松姫と
の初夜を思い出して本多正信の言上をほとんど聞いていなかった秀
次はあっさり丸め込まれた。
かくて、服部半蔵が秀次の配下に加えられる事になった。
143
北条征伐へ
天正十七年。秀吉の側室、茶々が懐妊。
男子を産む。
鶴松と名付けられた。
茶々の懐妊を知った秀吉は上機嫌で﹁茶々に城をやろう。鶴松を大
切に育てるための城を造るのだ﹂と言いだし、それを聞いた秀次は
﹁淀城だな、史実通りじゃねぇか﹂と一人呟いた。
︵どうにも、俺の死亡フラグはまっっったく消えてないな。鶴松は
どうせ数年後には死んじゃうけど。くそ、密かに出産時に茶々が死
なねーかなとか思っていたけど、まったくそんな事はなかったぜ。
やはり最大の敵は茶々か! ちっ、お市と浅井長政が草葉の陰で泣
いているぞ。秀吉の側室になって子を産むとか。実際に会ったけど、
まあ、美人は美人だけどちょっと派手なんだよ、あの女。秀吉もお
市への憧憬がまだあんのか知らんけど、三姉妹の下二人は嫁がせた
くせに⋮⋮それとなーく茶々殿は誰に嫁がせるんですか? とか言
ってた俺が馬鹿みたいじゃないか。というか、派手好きなんだよ、
あの女! 淀城に黄金ふんだんに使った贅沢な作りしやがって! 着てる服とかもなんつーか派手! 夜の女かっつーの、名家の姫の
くせに。俺の嫁さんのほうがよっぽど美人だしな! 大和撫子って
感じで夫を立ててくれる出来た女だし! 十四歳だけど、結構胸も
大きいんだぜ? ロリ巨乳ってやつか? なんつーか俺勝ち組! 今、俺は人生の主役! 小松って呼びにくいなぁって言ったら稲で
結構ですよ、旦那様とかもう可愛いったら!
ロリコンじゃないよ? 俺はロリコンじゃないよ? でももうロリ
コンでもいいよ!
⋮⋮いらんこと考えてないで、秀頼対策も本格的に考えないとな⋮
144
⋮。
あ、とりあえず寧々様に手紙でも書いておこう。何かあった時に寧
々様を味方につけておく事はたぶん重要だ。
前略、寧々様へ。稲は素敵な嫁です、と⋮⋮︶
秀次と稲姫が幸せに暮らしながら、領民の暮らしも災害から立ち直
り落ち着いて来た頃。
世間は動き出していた。
九州征伐を終え、聚楽第に帝を迎えた秀吉の出した﹁惣無事令﹂。
簡単に言ってしまえば、﹁勝手に戦争するな、帝の言う事に従え、
従わないなら関白たるこの豊臣秀吉が相手だ﹂と言うお達しである。
この惣無事令を出した相手は東国の大大名、北条家である。
小田原を中心に関東八州を支配し、今もなお勢力を伸ばすべく佐竹
家や結城家にちょっかいを出している。
秀吉は北条と同盟関係にある徳川家康に北条へ使者を出させる。
﹁上洛して秀吉に従うか、さもなくば督姫を離縁させて戦か﹂と言
う使者である。
督姫、とは家康の実の娘であり、北条氏直に嫁いでいる。それを離
縁して同盟を破棄、攻めつぶすと言うのである。
当然、北条では活発に議論が行われた。
戦か、臣従か。
臣従するのは業腹だが、戦をして勝てるか、と言われると難しい。
声高に戦を主張する者はなんの上方侍程度、我ら真の武士に勝ては
せぬ、頼朝公の時代よりそうであったではないか、と主張する。
当主北条氏直は内心、今と鎌倉時代を比べるな、大体頼朝だって相
手が数十万の大軍じゃなかっただろうが、と思ったが口には出さな
かった。
145
北条氏直も悩んでいたのだ。関東八州を安堵してもらえるなら臣従
すべきか? しかし、その保障はない。
それなら、戦いを選択して小田原の城に寄ってある程度の勝利を得
て大幅な譲歩を引き出すか。
だが相手は大軍である。はたして﹁一定の勝利﹂が可能かどうかは
怪しいところだ。
おそらく、戦となれば督姫を離縁した家康殿が先鋒として攻めて来
るだろう⋮⋮そこに情が入る事はない。
和睦︱︱その考えが北条氏直を支配しかけているが、主戦派の将や
親族が納得しまい。
北条氏直とて⋮⋮一戦もせずに和睦・臣従への道は、はらわたが煮
えくり返りそうになる。
しかし、彼は当主である。無理無謀な戦に家臣を道連れにはできな
い。
そこで、とりあえず一族の北条氏規を秀吉の下に派遣する。氏直と
氏規は考えが近い。
秀吉に拝謁した北条氏規。彼は秀吉に上野沼田領を北条領土にして
貰えれば、当主氏直が上洛する事を約束した。
上野沼田領。真田昌幸が領地である。
もともと、七年ほど前に北条と徳川が戦った際、和睦の条件として
北条へ譲渡されるはずだった土地である。
しかし、真田は徳川家康が上野沼田に変わる代替地を指定しなかっ
たため、これを拒否。当然家康は上野沼田に侵攻した。
大軍を持って真田を押し潰すつもりだった家康は真田昌幸の小勢に
散々に敗れてしまった。
家康が、城攻めが苦手だった事、さらに指揮官の真田昌幸が卓越し
た戦術家であった事が敗因と言える。
146
家康の軍勢を破った後、真田昌幸は抜け目なく秀吉の庇護下に入っ
た。家康も後に秀吉の配下となったのでもう互いに戦えない。
秀吉は真田昌幸の長男である信幸を家康の直臣とする事にし、この
争いを収めたのだ。
余談だが、信幸は史実では秀次の正妻になっている小松姫の夫だっ
た。今は徳川四天王の一人である榊原康政の側室の娘を娶っている。
さて、この上野沼田だが、秀吉は真田昌幸と会談。領土の三分の二
を北条へ渡す事を約束させる。
上野沼田は先祖伝来の土地であるため、全領土を差し出す事は真田
昌幸にも出来なかったのだ。無論、秀吉は真田昌幸に新たな領土と
割譲分に相当する褒賞を約束した。
こうして、北条氏規は小田原に帰還し、後は当主氏直が上洛するだ
けとなったのだが⋮⋮。
天正十七年、年の暮れ。
沼田の名胡桃城、北条勢に囲まれる。
その勢い激しく、城主鈴木主水が奮戦するも自刃。
この報を聞いた関白秀吉は激怒。
一度は北条氏規を派遣して、さらには秀吉の仲介によって上野沼田
の三分の二を得て納得したはずである。
この状況で沼田を攻めたのは、明らかに挑発である。
関白など関係ない、弓矢を持って語ろうではないか。
そう満天下に宣言したと同義である。
秀吉は帝の下へ行き、勅命を得る。
北条討つべし。
147
秀吉は五箇条からなる弾劾状を勅命とともに北条へ叩きつけた。世
に言う、小田原征伐はこんなややこしい事態によって始まった。
148
関東へ
北条氏直は落胆していた。とりなしを頼んだ家康からは﹁督姫離縁﹂
の返事が来ただけである。
氏直が名胡桃城を攻めさせたわけではなかった。
一族の主戦派であった北条氏邦が独断で部下に攻め込ませたのだ。
秀吉との和議が進んでいたが、この和議を壊すには沼田を攻めれば
いい。
それだけで秀吉の面目は潰れ、なし崩しに戦となる。
事ここに到ってはしかたなし、と氏直も覚悟を決めた。
彼も戦国大名である。名も惜しかった。
秀吉は先鋒として羽柴秀次を総大将とする部隊を派遣する事を決定。
自らは後に本隊を率いて小田原へ向かうとした。
﹁小田原か。面倒だなぁ、遠いし﹂
﹁あまり動かないでください、危ないですよ﹂
秀次は大坂の屋敷で稲姫の膝枕でごろごろしていた。
﹁耳掃除しているのですから、少しじっとしていてください﹂
﹁ん∼﹂
言われたとおりに眼を閉じてじっとしている秀次。
﹁小田原ねぇ。義父と一緒に先鋒か﹂
﹁家康様もいかれるのですか?﹂
﹁そ。俺と家康殿が先鋒、別働隊は宇喜多秀家が率いる事になって
いる。あと、毛利の水軍と九鬼水軍、北方から攻めるのが上杉、前
田、真田だな。えーと、総勢でたぶん二十三万くらいの数になると
思う﹂
﹁まあ、すごい数ですね。関東武者は恐ろしいと聞きます。くれぐ
149
れもお気をつけてください、旦那様﹂
﹁家康殿がいるから楽勝だと思うけどね。俺、別にやる事ないかも﹂
あまりやる気を見せない秀次だが、稲姫はそんな秀次に微笑む。
戦国武将らしからぬこの青年と結婚してはや二年。稲姫はこの穏や
かな旦那様にすっかり惚れていた。
﹁ふふ、父にも稲は元気に、とても幸せに暮らしております、とお
伝えください﹂
﹁うん、忠勝殿にも伝えとくよ。でもしばらく会えないから⋮⋮﹂
耳掃除が終わった秀次はくるりと体を反転させて、そのまま稲姫に
覆いかぶさった。
﹁きゃっ! 旦那様⋮⋮まだ外が明るいですのに﹂
﹁しばらく会えなくなるから、稲の温もりを覚えておかないとな!﹂
﹁もう⋮⋮﹂
結婚して二年、いまだに新婚気分でいちゃつく二人であった。
明けて天正十八年、二月。
徳川家康率いる三万と秀次率いる三万三千が駿河の長久保城に集結。
毛利、九鬼の水軍一万も既に関東へと展開を始めており、北方方面
軍の上杉、前田に真田も動き出していた。
宇喜多秀家率いる別働隊も出立。秀吉率いる本隊も着々と出陣準備
を整えている。
秀次は毛利水軍に建造したガレオン船﹁津島丸﹂を貸している。速
度が速く大量の荷を運べる津島丸は兵站を支えると同時に、小田原
の海から威圧を加えるに十分な威容を誇っていた。
そして、秀次は豊臣丸建造と同時にもう一隻、ガレオン船を造らせ
ていた。
一度完成させているので、工房の人数を増やして同時に二隻造れる
150
ようになっていたのだ。
もう一隻のガレオン船は、ある目的を持って小田原征伐中に関東へ
と向かう事になる。
北条側の防衛線の最前線に二つの城がある。
山中城と韮山城である。
ここである程度秀吉の兵を食い止め、出血を強いる。その間に小田
原までの道程に複数の砦を構えて最終的には小田原城へと敵を誘引
しこれを破る、というのが彼らの戦略であった。
秀吉側の兵の動きが思ったよりも早かったため、まず山中城と韮山
城で敵を食い止めて時間を稼ぐ必要があったのだ。
これを察知している秀吉側は山中城に羽柴秀次を韮山城に、宇喜多
秀家を差し向けた。
山中城の近くに布陣した秀次は配下の将に言った。
﹁まずは山中城だ。あれを一日で抜く﹂
これには秀次配下の将も驚いた。
﹁一日で、ですか。また無茶を言われますな﹂
﹁兵庫、無茶じゃないぞ。明日の払暁より攻めて昼には落とす﹂
﹁いつになく気合十分ですな、秀次様﹂
﹁宗茂、俺はいつでも気合十分だ。大体こっちの兵力は圧倒的なん
だ。囲んでからじっくり城攻めなんてやる必要はない。相手に時間
を与えない事が肝心だ。
拙速を尊ぶべし。北条に圧力をかけるためにも、ここは無理押し
でもなんでも踏み潰す﹂
この言葉に舞兵庫、立花宗茂の両将は顔を見合わせたが、すぐに不
敵な笑みを浮かべた。
﹁まあ、秀次様がそこまでおっしゃるなら⋮⋮﹂
﹁半日で落として見せましょう⋮⋮﹂
151
︵頼りになる奴らだなぁ︶
いつも通り、戦は人任せで丸投げの秀次であった。
152
小田原城
秀次の﹁昼までに落とせ﹂との命に舞兵庫、立花宗茂は見事に答え
て見せた。凄まじいばかりの攻撃を仕掛ける秀次勢。負けじと家康
の手勢も大攻勢をかける。
秀次は秀吉から軍資金としてかなりの資金を貰っており、ここで気
前よく恩賞を約束した。
どうせ他人の金、とばかりに﹁一番乗りに天正大判十枚、一番槍に
も同じく十枚、松田康長の首に三十枚、間宮康俊の首に十枚﹂とい
ったところである。
天正大判は秀吉が作ったかなり大振りな大判である。十枚といえば
一兵卒には眼も眩むほどの大金である。
突撃合図と共に、まずは山中城の出城である岱崎を襲撃。後ろから
見ていた榊原康政が﹁ただ河が流れるが如し﹂と評したほどの突撃
であった。
岱崎の城主、間宮康俊は懸命に防いだが元々兵力がまるで違う。一
刻もしないうちに岱崎はぼろぼろになった。
間宮康俊は最後に武士の意地、敵に突入して討ち死にせんと決意し
たが、その前に金に目が眩んだ足軽数十人が雪崩込んで来て討ち死
にしてしまった。
岱崎を落としている間、家康率いる徳川旗本部隊と秀次率いる羽柴
旗本部隊が山中城に延々と射撃を繰り返していた。
尾張で生産された一万近い鉄砲を持ち込んできた秀次は、部隊を六
段構えにわけ、間断なく城に向かって射撃させていた。
このため、岱崎に山中城からの援軍は出せず、一部の部隊がそれで
もなお射撃の雨の中を岱崎に向かおうとしたが、家康旗本に軽く蹴
散らされた。
岱崎で間宮康俊が討ち取られた後、兵たちはこぞって山中城へ殺到
する。
153
一番乗りを果たしたのは秀吉の配下で先鋒に加わっている上田佐太
郎と言う武士であった。
松田康長を討ち取ったのは、なんと平野長泰であった。
秀次ですら﹁え、あいついたの?﹂と呟いてしまったが。
こうして、戦意十分な兵を抜群の用兵で生かした舞兵庫と立花宗茂
の活躍により、本当に太陽が真上に来る頃には山中城を落としてし
まった。
さて、なぜ秀次が山中城を一日で落とす事にしたかと言うと。
︵確か史実では山中城を落として小田原まで一気に進軍。小田原城
を包囲して相手に余裕を見せ付けるために様々な事を秀吉がやる。
その中には大名が妻や側室を呼ぶってのがあったはず!︶
稲姫を早く呼びたいだけだった。
不純な動機でやる気を見せている秀次だったが、一日で小田原城へ
の最短ルートを確保した事は確かである。
その報が届くと、秀吉本隊も前進。﹁我が甥は九州での鬱憤を晴ら
そうとしておるようだ。北条も気の毒な事よ﹂と上機嫌な秀吉であ
った。
この本隊は豊臣秀吉を主将として、黒田考高、蒲生氏郷、細川忠興、
池田輝政、堀秀政、浅野長政、石田三成、増田長盛、生駒親正、蜂
須賀家政、大友吉統、島津久保。
この中で石田三成、増田長盛などは兵站の手配や各将の宿場の分配
などを行う奉行職である。
154
先鋒は先に述べたように羽柴秀次、徳川家康に加えて福島正則、加
藤清正、片桐且元、大名ではないが平野長泰。
こちらの奉行職は片桐且元。
別働隊に宇喜多秀家、吉川広家、大谷吉継、長束正家。
水軍に小早川隆景、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。
北方方面部隊に前田利家、上杉景勝、真田昌幸、依田康国。
長束正家が奉行職として秀吉より遣わされている、
なお、小早川隆景は秀次より貸し出された﹁津島丸﹂に乗船してお
り、人一倍張り切っていた。
興味津々だった九鬼嘉隆も同乗していたが⋮⋮。
宇喜田秀家率いる別働隊は、秀次が山中城を攻撃した次の日、韮山
城を攻撃したが、寄せ手の十分の一の兵力で韮山城は驚異的な粘り
を見せる。
結局、史実通り包囲戦となり、戦線は膠着していた。
小田原に着陣した秀次率いる先鋒部隊。小田原城を見下ろせる小高
い丘の上に秀次は舞兵庫、立花宗茂と共に立っていた。
﹁北条早雲以来、栄光の時を刻んできた小田原よ! 私は帰ってき
た!﹂
﹁来た事があるのですか、秀次様﹂
﹁ない。言ってみたかっただけだ。気にするな、宗茂﹂
﹁⋮⋮いちいち気にしませんが。山中城からここ小田原まで、ろく
な抵抗もありませんでしたな﹂
﹁うむ、まあ小田原城の防御に絶対の自信があるんだろ。ほとんど
の兵をここに集めてるんだろうよ﹂
実際、山中城を抜いた別働隊は抵抗らしい抵抗もなく小田原城に辿
り着いた。山中城が一日で落ちた事によって防衛線の構築が間に合
わなくなった事もあるが、北条は天下一の堅城と名高い小田原城に
155
籠って抗戦する事を優先したようである。
小田原城を見下ろしながら舞兵庫が口を開いた。
﹁ここで籠城し、戦の潮目が変わるのを待つ、と言ったところです
か﹂
﹁大方、そんなとこだろ。兵糧切れとか狙ってるのかもな。最も、
海路で兵糧は山ほど運んでこれるから意味はないが、ね﹂
﹁関白様は二十万石分ほども買い占められたとか?﹂
﹁主に俺の領地の尾張、美濃からな。おかげで金は大量に入ったけ
ど⋮⋮関白様は全国の金山、銀山を抑えてるからな。俺の領地には
ないけど﹂
﹁尾張、美濃は元より実りの良い地です。領内での商人達の活動も
活発なので問題ないのでは?﹂
実際、秀次の領内では津島を中心に経済活動が活発であり、領地経
営はうまくいっている。
﹁徳政令禁止が効きましたな。今や京、堺の豪商が津島に店を構え
ております。此度の遠征に必要な弾薬なども融通してくれたとか﹂
﹁関東を平定したらまた商売の機会が広がるから、先行投資だな。
俺に恩を売っておいて関東に進出する足掛かりにするつもりだろ﹂
そんな事を話していると、小田原城を見下ろしている立花宗茂が言
った。
﹁しかし、見れば見るほど堅牢な城ですな。これは力押しは無理で
すな﹂
﹁やっぱそうか﹂
﹁力押しでは損害はかなりのものになりましょう。攻め落とせぬ、
とは申しませぬが被害甚大となれば割に合うかといわれると、さす
がに正面からの短期での攻略は諦めるべきかと﹂
﹁ま、そうだろうな。力押しなんて関白様も考えてないだろうから、
しばらく俺たちの出番もないよ。兵の士気が緩まないように気を付
けてくれ﹂
156
﹁御意。さて北条は何を考えていますかな⋮⋮﹂
呟くように言った立花宗茂に秀次が答える。
﹁いくつかの要因があってまだ動揺もないんだろ。小田原城の伝説
的な堅牢さ、奥州の伊達がまだ動いていない事、大軍ゆえの糧食の
消費の早さとか、まだ北条に有利に見える状況もある﹂
﹁奥州の伊達も含めて、希望的な観測にすぎませぬな。さ、そろそ
ろ降りましょう﹂
三人は小田原城を見下ろしていた丘から降りて行った。
三月二十一日。秀吉が本隊を率いて小田原に到着する。
本陣を早雲寺に置き、小田原城包囲網が敷かれた。
そして、秀次が秀吉に呼び出された。
157
調略
﹁やあ秀次、山中ではようやった。さすがよのぅ﹂
﹁ありがとうございます、関白殿下﹂
秀吉が機嫌よく秀次を招く。
﹁さて、我が甥よ。小田原城をどうみた﹂
﹁天下の堅城、とは誇大表現ではないようで﹂
ふむふむ、と秀吉が頷く。
﹁されば、力押しは無益じゃろうな﹂
﹁そうですね、攻めかかって来るのを中の兵は今か今かと待ち構え
ているようですし﹂
なればよ、と秀吉が楽しそうに言った。
﹁諸大名には屋敷や書院を造るように触れを出せ。万事ゆったりと
物事を進めようぞ。
笠懸山から小田原は見下ろせるらしいな?﹂
﹁はい。城を築くならあそこかと﹂
さすがは我が甥、すでに我の策を見切っておるわい、と秀吉はます
ます上機嫌になった。
﹁普請奉行は黒田にまかせるとしよう。秀次、おぬしも屋敷を建て
よ。あと、ここに集結した部隊から利家の別働隊へ合流する部隊を
選んで出発させておけ﹂
﹁御意。早速取り掛かります﹂
うむうむ、と頷いてからさらに秀吉は付け加えた。
﹁兵を楽しませるため、遊女を呼ぶぞ。市も建てよう。大名達には
妻や側室を呼ぶように言え。わしも茶々を呼ぶとしよう﹂
︵あ、やっぱり呼ぶのは茶々なのね⋮⋮知ってたけどさ︶
こうして、小田原城の周囲には大名屋敷、歓楽街、市場などが突然
158
沸き立つように現れる。
海上はすでに水軍が封鎖しており、兵糧や物資は次々と運ばれてく
る。
中でも津島丸は秀吉のいる笠懸山からも見え、﹁おお、我が甥の船
ぞ。なんとも凄まじきものよ﹂と喜ばせた。
ちなみに豊臣丸はすでに完成して堺に入っているが秀吉は今回、そ
の船を堺に置いてきていた。
船足が速く巨大なその船を何か大坂であったときのために置いてき
たのだ。
秀次はすぐに稲姫を呼ぶ早馬を走らせる。
その後、屋敷を建てる事を田中吉政に丸投げすると、秀吉から言わ
れた北方方面軍への増援の選抜を行った。
自軍の配下から、木下兄弟。本隊から浅野長政、家康率いる三河勢
から榊原康政を抜き出して増援とした。
豊臣の中では俊英と名高い浅野長政だが、実戦経験がより豊富な榊
原康政を同じように向かわせる事により色々と本人も勉強になると
思った上での人事であった。
増援はこんなもんでいいか、と思っていた秀次のところへ石田三成、
長束正家が訪ねて来た。
要件は自分達も北方方面軍の一部として出陣させて欲しいとの事だ
った。兵站の事もあるから能吏である彼らはここに置いておこうと
思っていた秀次。
﹁我ら二人のどうしても武功が欲しいのです﹂
彼らは強く訴えてきた。
︵三成と正家が北条征伐でやった事って、忍城か。たしか失敗して
たよな。じゃあ、別に行かさなくていいか。本陣に置いておいたほ
うが便利だし︶
159
そう考えた秀次は二人の願いを却下する。
﹁お前らにはこの小田原で仕事があるだろう﹂
そう言ってまだ納得のいっていない様子の二人を下がらせた。
その夜、与えられた仮の詰所に徳川より来た客将、服部半蔵を呼び
出した。
﹁風魔⋮⋮でございますか﹂
﹁そう、風魔。風魔小太郎だ。北条にいるんだろ?﹂
﹁確かに風魔は北条に仕えております。それが何か﹂
にやっと笑う秀次。その口から出た言葉に、不覚にも半蔵は驚愕の
色を表情に出してしまった。
﹁調略する﹂
﹁⋮⋮!! 本気、で、ございますか?﹂
﹁ああ、どうせ北条じゃろくな使われ方してないんだろ?﹂
﹁それはまあ、伊賀者と同じ日陰者。大した禄も褒賞も貰っていな
いようでございますが。徳川殿の元にいる伊賀者と違い、今の北条
は忍を使いこなせる人材もおりませんようで﹂
ふむ、と秀次はもう一度考える。
﹁不遇なんだよな?﹂
﹁それは間違いなく。伊賀者は徳川殿に、甲賀者は関白様に雇われ
ておりますので、十分に働き場所もありますが、どうも北条は風魔
に夜盗でも出来るような夜討ちなどしかやらしておらぬようです﹂
﹁だろうな⋮⋮北条に忍を使いこなせる人材がいれば、こんなに簡
単に小田原を囲めてないだろうし、こちらの情報を漏らさぬために
お主ら伊賀者はもっと忙しかっただろうからな﹂
︵確かに。北条と戦、となった時より風魔をどう牽制するかを考え
ておったのだが、何も仕掛けてこない。ちらちらと、それらしき者
が、建設が始まっている大名屋敷の周囲に溶け込んでいるが⋮⋮た
だ情報を集めているだけのようだ。攪乱に火つけくらいはしてくる
160
かと警戒していたのだが⋮⋮︶
考え込む半蔵。どうやら、本気で北条の忍集団、風魔は使いこなせ
る主すらいない状態のようだ、と結論づけた。
﹁しかし、調略できましょうや?﹂
﹁ああ、だからとりあえず風魔小太郎と連絡を取ってくれ。俺が直
接会いたいと言っていると伝えてくれ。それと、召し抱えるにあた
っては一万五千石とする、とな﹂
﹁い、一万五千石ですか! それは⋮⋮﹂
半蔵が驚愕している間に、秀次は畳みかけるように言った。
﹁で、どうだ。なんとか接触できるか?﹂
﹁⋮⋮分かりました。風魔小太郎に接触致します﹂
︵やっかいな仕事になりそうだ︶
風魔の忍は伊賀者や甲賀者以上にその所在や上忍の居所が掴めない
存在だ。それが彼らの強みでもあるのだが。
︵手練れを使えばなんとか上忍級には辿り着ける。後は⋮⋮秀次様
の話をそのまま話すしかないか。秀次様から署名入りの書状も頂い
ている。とにかく連絡をつける事だ︶
こうして現在の主君から無茶な命令をされた服部半蔵は部下の伊賀
者を使いなんとか風魔に接触するために努力する事になる。
この夜、秀次に嘆願しても埒が明かないと思った石田三成と長束正
家は秀吉の元を訪れ、北方方面軍への増援に自分達を加えてくれる
ように懇願した。
基本的に北方方面軍の事は秀次にまかしていた秀吉だが、子飼いの
二人からせめて一度、戦場での武功を立てる機会を、と切に訴えら
れたため、これを許可した。
︵まあ北方軍は前田に真田、上杉と戦上手が揃っておる。秀次がこ
こから送るのも浅野長政に榊原康政じゃ。間違いはあるまい。この
二人が功名を立てられるかどうかはわからんが︶
161
ありがたき幸せ! と頭を下げて去っていく二人を見て、秀吉は近
侍の者に言った。
﹁秀次に三成と正家を北方方面軍に向かわせる事にしたと伝えてお
け﹂
四月。完全に小田原を包囲し、その周囲に屋敷やら書院やら茶室や
ら城やらを豊臣方が建てまくっている。
遊女が歓楽街を開き、商人が市に店を出して兵たちは長い対陣にも
飽きる事がない。
糧食は消費できないほど積みあがっており、小田原城へはときおり
適当に挑発してみる程度である。
その最中、一人の伊賀者が風魔の里の上忍と接触。羽柴秀次から風
魔小太郎への親書を渡した事により、風魔の里では当主の下に里の
実力者たちが集結し、この申し出を議論していた。
﹁皆、既に聞いておろうが、伊賀者から接触があった。内容は羽柴
秀次からの寝返りの誘いだ﹂
当主、風魔小太郎が集まった者たちに語った。
﹁これが親書だ。羽柴秀次の署名もある。接触してきた伊賀者はか
なりの腕利きだったようだ。そういう意味でも、この親書が偽物で
ある可能性は低いと思う。が、問題はその内容だ。皆、遠慮する事
なく意見を述べてくれ﹂
そう言ってから、皆に親書を見せる。集まった者は皆その内容を読
み、口々に意見を述べだした。
﹁一万五千石。にわかに信じるわけにはいかんな。我ら日陰の者に
大名と同じ待遇など聞いた事もないぞ﹂
﹁大体、なぜ調略など? 既に小田原城は完全に包囲され、海上も
抑えられた。抵抗しているのは僅かに数城。奥州の伊達もあてには
できない。小田原が降るのは時間の問題だぞ﹂
﹁確かにそうだ。しかし、そう考えるとこれが罠である可能性は低
162
いのではないか? そもそも調略を仕掛けるなら小田原に籠る諸将
だろう。我らは北条家からろくな扱いを受けておらん。夜盗崩れと
でも思っている者のほうが多かろう。そんな我らをなぜ調略する?﹂
﹁いや、その羽柴秀次と言う者、聞けば秀吉の甥であるとか。つま
り成り上がり者だ。その上で領地は多い。単純に人材を広く集めて
いるだけという事もある⋮⋮しかし、それでも忍を調略するなどと
は聞いた事もないが﹂
﹁秀次と言う者の領地には伊賀も含まれている。今回、我らに渡り
をつけたのも伊賀者だ。なぜわざわざ忍の者を新たに雇う必要があ
る?﹂
﹁⋮⋮まて、伊賀の頭領は服部半蔵だ。今は秀次の下にいるが、あ
れの忠誠心は徳川に向けられておろう。甲賀は秀吉が使っている。
秀次と言う者は自前の忍が欲しいのではないか?﹂
﹁ふむ、伊賀者を使えば情報は徳川に筒抜けか。それなら自前の忍
が欲しくなったというのはあり得るか⋮⋮確かに大領を持つなら忍
の技は欲しかろう。我らの技が高く売れるというのは分かる。が、
一万五千石とは、それでは大名ではないか﹂
﹁むう⋮⋮真田や上杉のように自前の忍軍を持つには確かに我らを
調略するのが手っ取り早いのは道理。どうせ北条はもう終わりだ。
一万五千石は無いにしても、我らを高く売りつける機会である事は
確かではあるが⋮⋮﹂
﹁高く売りつける、それはいい。だがこれが罠である可能性も捨て
きれない。確かに破格の条件でも我らを買いたがっているかもしれ
ん。しかし、油断はできんぞ﹂
﹁しかし、彼の者の領地は百万石を優に超えますぞ。一万五千石程
度、と考えているやも⋮⋮﹂
﹁それはあるかもしれんが⋮⋮﹂
﹁いや、それは⋮⋮﹂
議論が行われている間、風魔小太郎は眼を閉じて全ての意見を聞き、
163
整理していた。
︵罠の可能性は低い。北条にろくに使われていない我らを罠にかけ
るなど、意味のない事だ。だが、どうにも読めぬ︶
意見を聞きながらも考え続けていた風魔小太郎に、論議していた一
人が話しかけた。
﹁小太郎様、皆の意見は出尽くしたと思われます。小太郎様はどう
お考えですか?﹂
﹁うむ⋮⋮まず、これが罠である可能性は低いと思っている。理由
は先ほど、皆が言っていた通り、我らに罠を仕掛ける理由がないか
らだ﹂
そこまで言ってから一度会話を切って周囲を見回す。
﹁そこで、だ。親書には羽柴秀次は我に直接会いたいとの事だ。我
は会うてみようと思う。無論、これが何らかの罠であった場合⋮⋮
つまり、我が帰らぬ場合、次の頭領を決め羽柴秀次に報復せよ。よ
いな﹂
﹁﹁はっ﹂﹂
こうして風魔小太郎は羽柴秀次に会うため、里を出て彼の下へと行
く事になる。彼にとって運命の瞬間が迫っていた。
164
三成の嘆願
功名が欲しい。
際限なく欲しいわけではない。
ただ、周囲の者達を黙らせるだけの手柄が欲しかった。
私は知っている。同時期に関白様に召し抱えられた者達の中で、私
と長束正家などは軽ん持られている。
まともに戦に出た事もない、能吏としての仕事しか出来ぬ男だと、
嘲りを受けている。
変えてみせる。
覆してみせる。
この北条征伐、小田原城で戦いはない。あっても小規模。
ここにいては功名の場はない。
小田原ではなく、周辺の付城を叩く。その作戦には前田様、真田様、
上杉様と歴戦の豪傑たちが揃っている。
急がねば。このままでは我らが小田原で安寧な日を過ごす間に全て
の小城が落とされてしまう。
⋮⋮四国征伐の時、福島、加藤などは最前線で戦った。その後の九
州征伐でもだ。
遅れている。出世争いなど興味はないが、この豊臣を中心とした秩
序を構築するためには、自分のような人間が
権力を行使できる立場になることだ。
そうなれば、豊臣体制は盤石な物となり、この世に天下泰平が訪れ
る。
165
⋮⋮この北条征伐が最後の機会かも知れない。
この後、おそらく大きな戦はない⋮⋮だからこそ、今。
今しかない。
秀次様に出陣の願いを申し出たが、却下されてしまった。
秀次様配下の木下様、徳川様配下の榊原様、本隊からは浅野長政が
選ばれたと聞く。
関白様から北方方面軍への援軍を秀次様が選抜して送り出す。
それを聞いた時、正家と共に秀次様に嘆願に行った。
﹁我ら二人、どうしても功が欲しいのです﹂
我らの訴えを聞いた秀次様は少し考えておられたが、認めていただ
けなかった。
﹁お前らにはこの小田原で仕事があるだろう﹂
やはり、秀次様も我らをただの能吏だと思っておられる。
悔しかった。
福島、加藤などただの猪武者ではないか。
槍を振いながら敵に突っ込んでいき首を取ってくる。
あいつらはまだ、長浜にいた頃に聞かされていた信長様の桶狭間の
戦いのような事をしている。
世は変わった。
兵卒と共に槍を振るう大将など時代遅れ。
関白様のやりようがそうだ。軍勢をぶつけ合う戦いではなく、調略
を含めた事前準備を完全に終わらせてから戦いに赴く。
166
新時代の新戦法。それは我らの世代が関白様から受け継いで行かな
ければならない。
だからこそ、機会が欲しかった。
結局、秀次様の前から退くとそのまま関白様の元へと懇願に行った。
﹁せめて我らに戦場での武功を立てられる場をお与えくださいませ﹂
二人して平服する。
関白様も少し迷っておられたが、結局許しを得た。
﹁ま、よかろう。前田、真田、上杉は北から小田原へと進軍してお
る。こちらから出す部隊は小田原の近くにある城を落とすことが目
的じゃ。
許す。大谷吉継もつけてやろう。三成、お主を大将として⋮⋮そ
うじゃな、ここを落としてまいれ﹂
関白様が机上の地図の一点を指す。
﹁忍城という城がある。かつては上杉謙信に攻められても落城しな
かったという、中々に名高い城よ。気張って参れ﹂
ようやく機会を得た。
必ずこの城攻めで新たな時代の戦を見せてくれる。
私は静かに闘志を燃やしながら、大谷吉継、長束正家との軍議へと
向かった。
︵入れこんどるな、三成は︶
三成と正家が退出した後、秀吉は屋敷の部屋で大の字になっていた。
167
︵まあ、大谷吉継もつけ、兵力も十分に与えた。小城程度、どうに
かするであろう︶
この時点では、秀吉はその程度にしか思っていなかった。
忍城で三成たちが苦戦するのはまだ少し先の話である。
168
風魔小太郎
小田原城を囲む秀吉軍の作った包囲網の中にある、秀次の屋敷。元
は名のある武家の家だったのだろうが、今は秀次が多少の改装を加
えて自分の本陣としている。
その広間にて、秀次は風魔小太郎と対面していた。
︵でけぇな。マジで身長二mくらいあるんじゃないか?︶
秀次の前に座る大男、風魔小太郎を見た秀次の感想である。風魔小
太郎は供の者二人を背後に、秀次に正対していた。
﹁さて、風魔小太郎。俺に仕えてくれる気はあるか?﹂
﹁⋮⋮お聞きしてよろしいですかな?﹂
小太郎は羽柴秀次と言う男を見ながら言った。
︵若い⋮⋮二十歳程度と聞いていたが、顔だちのせいか幼く見える。
東海一の弓取りと呼ばれた徳川家康を破った男には見えぬが⋮⋮影、
か? いやそれにしては妙だ。こうまで明け透けな態度を取れる影
などいるものか?︶
思考を巡らせながら、小太郎は秀次に質問する。
﹁我ら風魔に一万五千石、との事ですが、正気ですかな? 我らは
忍。日陰者ですぞ?﹂
あえて自らを蔑むような言葉を吐いて相手の反応を見る。表情と言
葉で嘘はつけても、忍の前では身体は嘘をつけない。
小太郎はあくまで自然体に語りかけているが、その実、全身の神経
を目の前の男に集中していた。
﹁俺にとっては、忍の持つ技術も侍の持つ技術も等価値だがなぁ。
169
戦にも外交にも経済にも情報がないと戦えないだろ? その情報を
集めるには忍が一番だ。そう思わないか?﹂
秀次は自分の考えをそのまま語っただけだが、小太郎は少なからず
衝撃を受けていた。
情報こそ、要。正しい情報に基づいて正しい分析を行う事、それこ
そが最も重要な事だとする風魔の教えと合致している。
︵北条氏政が我らの訴えを正しく取り上げていれば、秀吉の力を侮
らなければ、北条はこのような無様な日を迎えてはいなかったろう
な︶
﹁忍を使う道を知っておられる。北条に貴方様がおられれば、我ら
を無為に過ごさせる事はなかったでしょうに⋮⋮しかし、忍の者が
大封をもてば反発を買うのではありませぬか? 我らは足軽以下の
扱いの者ですぞ?﹂
小太郎は衝撃を悟られぬように話を続けた。目の前の男が影でない
確証はまだ持てないのだ。自分の言葉には里の者全員の明日が掛か
っている。性急に答えを出すわけにはいかなかった。
﹁気にするな。有能な奴に、技量を発揮するだけの条件を整えてや
るのが俺の仕事だからな。それに、反発って言うなら、俺なんて農
民の子だが?﹂
秀次が不思議そうに言った言葉、それに何の嘘も含まれていなかっ
た事に小太郎は気づいた。
︵本心から我らの技を欲しておられるようだ。それはわかった。だ
が、我も風魔の頭領。そう簡単に決断する事はできん︶
170
小太郎はさらに言葉を続ける。
﹁⋮⋮我ら、風魔の者は北条では敵の背後で焼働きをする夜盗崩れ
程度の扱いでした。それをあなたは、一万五千石と言う高禄で養う
と仰られる⋮⋮﹂
迷う。
小太郎は確かに迷っていた。
だから途中で一度言葉を切ったのだが、秀次はすぐに答えてきた。
﹁おう、俺の直轄地は余りまくってるからな! ほんとは全部人任
せにしたいとこだが、それをやろうとすると筆頭家老に怒られる。
ま、だから石高は気にしなくていい。俺の直轄地からどっか割譲す
るだけだ。あ、そうそう、俺の家臣になってくれるなら、家名を変
えて貰うぞ。風魔、じゃ領民が怖がるから、風間、って名にしてく
れ﹂
﹁︱︱︱︱︱!!﹂
︵今、家名と言ったか? 我らに? 足軽以下の、夜盗のような扱
いの我らに?︶
頭は混乱していたが、小太郎は必死に言葉を繋ぐ。
﹁家⋮⋮? 我ら風魔に、家名を、頂けると?﹂
小太郎の背後の供の者、実は里の中でも飛びぬけた腕利きだが、そ
の二人からも動揺が伝わってくる。
﹁一万石超えるから、大名になるわけだし。あ、関白様に頼んで官
位の内諾も貰っといたぞ。従四位下按察使だ。諸国の民情などを巡
回視察する官、らしいからいいかなーって﹂
﹁官位!! わ、我らに風魔が朝廷の臣と認められると!﹂
さすがに小太郎も今度ばかりは叫んでいた。
朝廷の官位を持ち出してきた。これは罠などと言う事はまずありえ
ない。ただ我らを罠にかけるだけなら、領地の話だけでよく、朝廷
171
への反逆の危険を冒してまで官位を与えるなどと言う話はする必要
はない。
﹁まあ、大名だし﹂
小太郎はここに至って理解した。
このお人こそ、我らが求め続けた主君。
我らが忍と言うだけで蔑まれてきた、その歴史を変えるお人。
﹁我、風魔小太郎、いや、風魔忍軍の全て、秀次様に永久の忠誠を
!﹂
それは風魔小太郎という一人の男の、そして風魔忍軍頭領としての
魂からの言葉。
︵この秀次様こそ、我らがその全てを捧げるべきお方なのだ!︶
小太郎の背後の二人も肩を震わせながら平服している。必死に嗚咽
を我慢しているのだろう。
﹁我らの力、存分にお使いください。これよりは秀次様の配下にて
我らは命を賭して働く所存であります﹂
そう言って深く頭を下げる。
その表情は晴れやかだった。
﹁そっか、良かった。よろしくな、小太郎﹂
北条の抱える忍集団、風魔忍軍。
それが秀次についた瞬間であった。
﹁風魔忍軍を調略。風魔小太郎を風間小太郎として家臣に加えまし
てございます﹂
秀次から届いた書状を見た秀吉は大笑いした。
﹁あの甥はやる事が突拍子もなくて面白い! 北条の忍を頭領ごと
寝返らせたとはな!これで北条はいよいよ追い詰められたぞ。我ら
の糧食を焼くなどの汚れ仕事をやる者がごっそり抜けたのだからな。
172
いや、風魔なら小田原城の構造や食糧庫、武器庫などの位置も把握
しておるな。ふっふっふ、氏直め、今頃顔を青くしているだろうて
⋮⋮﹂
もう少し対陣が長引くかと思っておったが、意外に早く片付く可能
性も出てきたのう、などと側仕えの者たちに楽しそうに語る秀吉。
さっそく手柄を褒める書状と小田原城の精巧な図を秀次に求めた。
そしてそれは直に届けられた。それを秀吉は他の諸将にも配り、も
はや小田原は丸裸よ、いよいよ北条も終わりだ、と上機嫌に語った。
この時代の忍は待遇が悪い。
武士とは比べ物にならず、足軽以下の扱いを受ける者がほとんどで
あった。
それが突然、大名になり官位まで宣下された。
彼ら忍にしてみれば、人以下だった存在から一気に主人が大名とな
り自分達も武士階級として認められた。
風魔はこの先、﹁秀次のためならば敵陣に潜入して中で爆死する﹂
と言われるほどの狂信的な忠誠を秀次に捧げていく。
173
思惑と思いつき
小田原を囲む陣には当然徳川家康もいる。
自分の屋敷で家康は物思いにふけっていた。
服部半蔵からもたらされた情報、風魔小太郎の調略。半蔵は秀次か
ら小太郎に繋ぎをつける事を命じられた時、家康に報告しそのまま
この仕事を続けていいか伺いを立てていた。
家康はそれを即座に実行せよ、と命じている。忍をその頭領ごと丸
抱えに調略してしまうという発想にも驚いたが、その役目を半蔵が
果たせなければ、今後秀次の不興を買う可能性がある。あくまでも
秀次のために働いてこそ、重要な情報に触れる機会も増える。
今回の調略は別に徳川家を害するものではない。半蔵よりも使える
忍が手元に加われば半蔵が無用になるわけでもない。むしろ、徳川
家との連絡役に今後は仕事が変わっていくだろう。
︵あの婿殿の事だ。伊賀者を使えばこちらに筒抜けである事くらい
分かっておろう。むしろ、関白様と繋がりの強い甲賀者を使わなか
ったと言う事は、半蔵は信頼されておるな。つまり、徳川をあから
さまに警戒してはいない。少なくとも、敵意や害意は持っておらぬ。
それが分かった事が此度の一番の収穫よな︶
家康はさらに考えを進める。
︵徳川が天下にその力を揮えるようになるには、関白様の下でまず
は力を蓄える。もはや関白様に戦で勝つ事は不可能。ならば耐える
事だ。わしのほうが長生きする事、それしかない。世継ぎの鶴松は
そのころ何歳になっているだろうか? おそらく、まだ元服してお
るまい。いや、たとえ元服していたとしても、自分に勝てるほどの
才覚はあるまい。ならば隙はある。
今はひっそりとその隙を探る事だ⋮⋮。
秀吉が執心している茶々。亡き信長公の姪だが、あれは富と権力が
174
欲しいだけの女⋮⋮秀吉が死去すれば必ず自らが子を使って権力を
握ろうとする⋮⋮。
そして、自分に従っていない者⋮⋮譜代の家臣や尾張者を遠ざける
はず⋮⋮そうすれば、北政所はどう動くか。
北政所は聡明な女性だが、情に厚い。自分が育ててきた、例えば加
藤清正らを見捨てる事はしないはず。豊臣の生母として実権を握ろ
うとする女に対抗するには、北政所はただ一人に囁けばよい。茶々
をどうにかしろ、と。
そう、羽柴秀次。あの若者を動かせばほとんどの大名は動くだろう。
やはり、あの若者が鍵⋮⋮あの若者を徳川寄りに取り込むためには、
北政所にも接近しておく必要がある。小松姫とは仲睦まじくやって
いるそうだが、それだけで徳川に協力するほど甘い男でもあるまい。
さらに秀次殿の心を得るために手を考えねば⋮⋮︶
家康が自らの思考に沈み、少し考えが飛躍してしまっていたころ、
鍵と思われる若者、秀次は⋮⋮。
ようやく到着した稲に往来で抱きついて、一緒に来た立花宗茂の妻
立花?千代に蹴り倒されていた。
﹁?千代様は私が心配で一緒に来てくださったのですよ﹂
﹁わかってるって、稲。相変わらず二人は姉妹みたいだなぁ﹂
﹁ええ、頼りになる姉だと思っております﹂
︵頼りになりすぎるけどな! 可児才蔵に﹁かなりの腕前ですな、
?千代様の薙刀は⋮⋮﹂とか言われるってどんだけだよ!︶
﹁ふふ、秀次様も元気そうで何よりです。やはり、逢えないのは寂
しいですね。便りが来たときは本当にうれしかったです﹂
︵稲∼! なんて可愛いんだ! じゃあ早速その寂しさを俺が埋め
175
てあげ⋮⋮︶
﹁失礼します。領国の田中吉政様からの報告と、風間殿からの報告
を持ってまいりました﹂
空気を読まない家臣に稲と秀次の久しぶりの逢瀬は邪魔されていた。
一応、夜まで我慢する事にした秀次は、稲と共に来た領地からの報
告を受け取る事にした。
領地からの書状以外にも風魔が集めた情報、対陣中の武将達からの
書状など、結構な量がある。
ただ対陣して日々遊んでいればいいものではないのである。
︵ふむ、風魔からの情報では奥羽の伊達政宗は来るのを先延ばしに
しているらしいが⋮⋮結局は来る事になるだろう、って書いている
な。
領地から来た手紙に津島級三番艦を送り出しました、と書いてあっ
たから予定通りに伊達政宗が来るまでには着くな。
奥羽の独眼竜⋮⋮伊達政宗。俺の死亡フラグクラッシュのためにも
是非とも懇意にしておかねばならん。
実力や交易以外にも、最悪奥州まで逃げるって事も考えないとね!
そのためにも、あの独眼竜のハートをキャッチ大作戦だ!
それはそれとして、領地では津島級四番艦と五番艦の製造も始まっ
たし。
小田原が終わったら造船所を拡大しよう。津島級は役に立つ。俺が
逃げないと行けない時とか。国崩しの生産もなんとかなりそうだし、
改造も職人達が頑張ってるらしいからどうにかなるかな?
関ヶ原があるかどうかわからんけど、戦力は増強しておかんと⋮⋮
淀君が小細工しても正面からは攻められない程度には! そのため
にはこの長い対陣が行われる小田原でいろんな大名と親しくなって
176
おかんといかんな。
一応、三成も失敗するよりはここに残したほうがいいと思ったけど、
まさか関白様に直接嘆願してまで行くとは⋮⋮。
忍城に関しては、史実通りになるのか? いや、一応風魔の者を偵
察に出しておこう。何があるかわからんからな︶
風魔小太郎に忍城の偵察を命じると、次の書状を手に取りながら、
ふと思った。
︵そういえば、この小田原に俺の家族がほとんどいるのか︶
秀次の義父、秀吉。
秀次の妻、稲姫。
稲姫の義父、家康。
稲姫の実父、忠勝。
︵一度、家族で一席設けるか、稲も親父さんに会いたいだろうし︶
秀次は手に取っていた書状を置き、秀吉に﹁家族で一席囲みません
か﹂と書状を出すことにした。
こうして秀次の思いつきで後に﹁小田原会談﹂と呼ばれる場が設け
られる事になる。
177
一席を設ける意味
﹁秀次様からの文でございます﹂
取り次ぎの者が秀吉に差し出したのは、甥である秀次からの文だっ
た。
すぐに広げ、眼を通すと、秀吉は部屋から小姓や護衛の者達を追い
出し、一人物思いにふける。
︵家族で一席、か⋮⋮なるほど、確かにこの小田原には秀次の舅殿
がおる。ならば稲姫も同席し家族での一席、筋であろうな。
問題は家康がこれを受けるかどうか⋮⋮受けなければ考える事も
ない。家康側は態度を決めかねている、ということになろう。
この秀吉や秀次に完全に臣下の礼を取るのかどうか、決まってい
ないのであればこちらもやりやすい。恩を売るもよし、この北条の
後に徳川を脅すもよし⋮⋮。
しかし、この一席をあっさり受けた場合、警戒せねばならぬ︶
そして秀吉にはこの一席の件、徳川はあっさり受けるだろうとの
読みもあった。
︵問題は受けた後よ⋮⋮徳川の真意を探る、同様に徳川は豊臣の真
意を探りにくる。迂闊な事はできん⋮⋮ふむ、しかしこの時に場を
設けるのは良い。
北条が滅べば天下の事は治まる。それを前に決めておかねばなら
ぬ事がある、と秀次はこの文で儂に言っておるのじゃな︶
くくっ、と少し可笑しそうに秀吉は笑った。
178
﹁出来ておる。やはり秀次は出来ておるのぅ。そうじゃ、北条が
滅んだ後、関東をどうするか、徳川をどうするか、決めねばならん。
さて、徳川殿にどう馳走するべきかのぅ﹂
そう呟いた後、秀吉は身を起こして小姓を呼んだ。
﹁秀次に文を書く。支度をせい﹂
秀吉は秀次に対し、﹃その一席、儂が用意しよう。誰が上座で誰が
下座などとのくだらぬ事を抜きに語り合いたいものだ。おって日付
を言い渡す。徳川殿にもよろしく
伝えておくように﹄と書状を届けさせると、すぐに茶道筆頭の千利
休を呼び、その日から場所と会場作りに入った。
書状を受け取った秀次は、徳川家康に向けて﹃家族で一席、囲みま
しょう。今、関白殿下が席をご用意しておりますゆえ、日時につい
てはまた後日﹄との書状を送る。
﹁久しぶりに父上にも会えるぞ、稲﹂と暢気にその日を待っていた。
書状を受け取った家康。すぐに重臣を集めその内容を見せた。
﹁どう見る﹂
その一言だけを言うと鋭い目で重臣達を見た。
しばしの沈黙が落ちる。
重い口を開いたのは本多正信だった。
﹁まず⋮⋮関白様と秀次様が来られる以上、これが殿を害するよう
179
な罠ではありますまい。同じ席についている殿を害するような事に
なれば、我らも当然、関白様か
秀次様に刃を、となるのは必定。今、そのような危険を冒してま
で殿を排除するような事はございますまい﹂
﹁それはわかる、が、ならば何が目的の席ぞ﹂
家康が重ねて問うが、重臣達もなかなか反応を示さない。
こういう時、家康は臣下を焦らせない。じっくりと待ち、考えの纏
まった者の発言を待つ。
なんでも自分で決める秀吉とは対照的である。
﹁⋮⋮稲も来るのですな。つまり、その場に私も同席する事が許さ
れていると?﹂
発言したのは本多忠勝である。
﹁それよ、忠勝殿。徳川は殿とお主、あちらは関白様と秀次公、そ
れに秀次公の正妻である稲姫様じゃ。
稲姫様はお主に久方の挨拶といったところであろうが、関白様と
秀次公は何かこちらに話があると考えるのが普通じゃ。
そうなると、お主と稲姫を何らかの理由をつけて席から外して、
殿に関白様と秀次公からの内々の話があるのやもしれん﹂
本多正信はそう言って顔を顰めた。
︵わしが同席できればの⋮⋮どのような話になろうとも躱して見せ
るのだが︶
謀将としての自負が強い正信は、このような場に同席できないこと
が不満であった。
が、すぐに気を取り直すと話し出す。
180
﹁思いますに、関白様は我が殿に何らかのお話があるのでしょう。
内々にそれを伝える為に、このような席を設けたと考えるのが妥当
かと。
そして、話の内容ですが、この小田原攻めの後の事ではあります
まいか?﹂
﹁後の事、か﹂
﹁左様です。関東の北条は最早命運尽きております。北条家が存続
する事はありえませぬ。となれば、そう、この関東八州。
これがそっくり空国となります⋮⋮もしや、関東八州のどこかに
我ら徳川家を転封する気では﹂
関東八州はざっと200万石。その半分ほどを今回の戦の恩賞とし
て徳川に遣わす。代わりに三河は取り上げる。
そういう腹積りではないのか。
﹁⋮⋮考えられるな﹂
家康は冷静に言葉を吐き出した。
︵天下が治まってしまえば、後は総仕上げとして外様の大名を国替
えする。ありそうな事だ。恩賞として今より大きな領土となれば断
るのも難しい。
しかし、我ら徳川の強さの源泉は三河武士にある。先祖伝来の土
地を離れてしまえば、一から国を造り直す必要がある。今ほどの勢
力を維持できるかどうか⋮⋮︶
﹁他にも、関東に我らを抑えるための者を配置するためやもしれま
せぬ。席上で関東は恩賞としてこういう者達に振り分ける、どう思
181
われるか? と問われましたら
殿はどうお答えになられますか﹂
﹁よほどのわけの分からぬ輩でない限り、それは結構な事、と答え
る他あるまい﹂
﹁そうなると、その者達が関東へと移り我ら徳川の背後を固める事
になります。前方に秀次公、背後に関白様の子飼いの将だとなかな
かに動きにくくなりますな﹂
﹁ふむ。しかしそれなら我らは慣れ親しんだ三河を中心に今まで通
りじゃ。背後に来るのが誰かにもよるがの⋮⋮﹂
﹁そこでござる。おそらくは⋮⋮上杉を中心とした者達ではないで
しょうか。あの義に生きる上杉景勝と直江兼続が中心となり、そう、
真田などがその周囲に配される
可能性もあります。こうなれば我らは東西を挟まれた形になり、
その力は抑えられるでしょう。もっとも⋮⋮﹂
そこで正信は一度茶を飲んだ。そして続ける。
﹁やはり一番可能性が高いのは、我ら徳川を三河より引き剥がす、
という事ではありませぬか。我らの力を削いでしまえば、関白様に
憂いは無くなりましょう﹂
家康は面白くなさそうにその意見を聞いている。
﹁ではどうするのだ﹂
﹁⋮⋮しばし、この正信に猶予を。むしろこの席を好機として、仕
182
掛けるのもありかと存じますゆえ﹂
深々と頭を下げる正信に、家康も頷いた。
﹁どうなるかは、当日になってみねばわからぬ。が、各々気を抜く
でないぞ。正信、半蔵にも連絡をつけておけ﹂
そう言って家康は下がって行った。
その数日後、五月の上旬。
秀吉より正式に家康、忠勝への招待が届く。
小田原会談の場となったのは秀次本陣横に作られた茶室である。
183
知恵者は思案する
秀吉本陣は笠懸山にある。
今は北条から見えぬように森に隠れながら城を造っているところで
あり、多くの人間が一日中働いており、大層賑やかだ。
その笠懸山の麓には秀吉の甥、秀次の本陣があり、万が一に小田原
から敵が秀吉本陣に突撃してきた場合、秀次の率いる兵三万が盾と
なる布陣であった。
秀吉本陣から見て左翼に展開し、小田原包囲網の一角を担っている
のが徳川家康。
秀吉本陣から見て右翼に展開し、同じく包囲網を形成しているのが
蒲生氏郷、黒田孝高、宇喜多秀家、細川忠興など。
とはいえ、小田原包囲網は完全に完成しており、北条方は外への連
絡手段を断たれた状態である。
海上には毛利水軍、九鬼水軍が多数の船を並べ、その中には秀次が
製造を命じたガレオン船も浮いている。
各大名は妻や側室を呼び寄せるための屋敷を構えており、各大名の
陣中には遊郭や賭場まで出来上がっている。
さすがに大名級の人間は遊郭などに遊びに行くわけにはいかないが、
陣中の兵たちは豊富な糧食と大盤振る舞いされる一時金で毎日騒が
しく過ごしていた。
これは当然、戦略の一環である。わざわざ小田原に聞こえるように
騒ぐ兵たちによって小田原城に籠る兵たちの士気は次第に削がれて
いる。
小田原城の北条は外の様子や他の支城の様子、奥州の伊達などの様
子を探りに何度も人を放っているが誰も戻ってこなかった。
秀次が引き抜いた風魔が効いている。忍を失った北条は外部との連
184
絡手段を完全に失ったのだ。
それでも多くの兵を放ち、情報を集めようとする北条氏直は凡将で
はなかったのだろうが、小田原から密かに脱出した密偵は、風魔が
捕えてしまった。
全てが後手後手であった。
秀吉にしてみれば、後は北方攻略軍が支城を落とし、小田原城を丸
裸にしてしまうだけである。
既に秀吉の元には松井田城や厩橋城、箕輪城を開城させたとの報告
が入っている。
他の支城も順調に落城、あるいは降伏している状況。
秀吉は戦勝報告に満足そうに頷くと、﹁もうすぐしまいじゃな﹂と
呟き、風魔よりもたらされた関東の地図を広げた。
︵広いの。広さだけなら十分じゃ︶
風魔の地図には支城だけでなく、誰がどこの領主であったかも書き
入れられている。
︵ざっと⋮⋮二百五十万石か。大領じゃ。褒美には困らぬな︶
無論、秀吉もこの関東八州を褒美として子飼いの者達に切り分ける
気はない。
二百五十万石を子飼いの十人に分けたとして、単純計算で二十五万
石。それなりの勢力が多くできるだけであり、関東が不安定になる
だけだと考えている。
︵ふむぅ、むしろ関東八州は誰か一人が抑えたほうが良いか? 奥
州の伊達もおる。駿河国や遠江国などの徳川の背後に配する役とし
てはある程度の大領を有しているほうがよかろう︶
徳川が未だ心の底から臣従していないとわかっている秀吉は、最低
でも百万石の大名を関東に作る必要があると考える。
︵人選が難しい。官兵衛はいかんな、あれに関東で百万石など与え
185
れば、へたを打てば東西に割れるわ。
器量でいえば蒲生氏郷などがおるが、家康相手では厳しい。福島、
加藤も無理か。翻弄されるだけじゃろう。︶
この人選を間違う事はできない。秀吉は地図に手を置きながら考え
続ける。
︵上杉家を持ってくるというのもあり、か︶
かつて関東管領を名乗っていた事もある上杉家。これを関東に持っ
てくる事によって家康の牽制とするのは良い案に思えた。
︵しかし、上杉家は義の旗を掲げる家ではあるが、この秀吉の譜代
ではない。むしろ豊臣よりよほどの名家じゃからの。徳川の背後を
まかせて良いものか?
それに上杉に関東で百万石与えるという事は、国替えとなる。あ
の越後の名家がそれを飲むであろうか︶
言えば飲むかも知れない。が、そこにしこりは残したくなかった。
世は未だ戦国乱世の気質が残る時代。
なにから崩れるかもしれぬ、という不安は常に秀吉にあった。
と、そこまで考えて秀吉にある考えが浮かんだ。
︵家康を関東に移封するか?︶
駿河や遠江、三河など今の領土を全て取り上げて代わりに加増して
関東へと移す。
上杉は波風を立てたくないので移封できないが、家康はどうせ放っ
ておいても波風は立つ。
ならいっそ⋮⋮そこまで考えて秀吉は苦笑した。
︵移封するにしても石高を削るわけにはいかんのだ。家康は此度の
戦でも功があった。
先祖伝来の地を捨てさせるには大幅な加増、それこそ関東全てを
186
渡す事になるか。無理な話だな︶
徳川家が有する領土の総石高は約百五十万石。これに加増してやる
から先祖伝来の土地を捨てよ、となると関東八州全てとなってしま
う。
百五十万石にたとえば二十万石ほど加増しただけでは動くまい、と
いうのが秀吉の読みだった。
︵家康に今以上の力をつけさせる事はない。三河武士や旧武田家臣
を力の源泉と見ている男だ。むしろ縛りつけておく事が大事だな。
関東も含めて家康を身動きできぬように包囲してしまうことだ︶
そうなるといよいよ関東の配置が難しい。
︵さて秀次はどう考えておるのかの⋮⋮待てよ、秀次。そうか、秀
次か︶
秀吉が思案している頃、徳川家の重臣、本多正信も思考を巡らせて
いた。
︵駿河や三河を離れて関東への移封はありえぬ話ではない。もしそ
の話が出ればどう躱す?
断ればしこりを残す。加増もあるのに断れば他は我らをどう見る
か⋮⋮今、他の有力大名と距離を置かれるのはまずい。
しかし受ければ我らは先祖伝来の土地を失い、関東を一から耕さ
せねばならぬ︶
187
じっと虚空を見つめながら徳川家にとって最も良い結果を引き出す
ための策を練る正信。
手元に置かれた酒にも手をつけていない。
︵関東八州。北条が滅んだ後にできる二百五十万石。つまり二百五
十万石分の移封が可能となる。
中央は大坂を中心として関白様、大和大納言様が抑え、尾張と美
濃という中心部は秀次公が抑えている。
殿は戦で天下を取る事はないと仰せられた。今の状況ではそれが
正しい。が、鶴松君が成長し秀次公が後見となればもはやつけいる
隙はない。
殿がご存命の間は良いが⋮⋮その後は徐々に徳川家の力を削ぎに
来る可能性が高い。それだけは避けねばならん。
天下を狙うおつもりがなくとも、徳川家が将来にわたって大きな
地位を占められるような⋮⋮!!︶
そこまで考えて正信の脳裏に電光が走った。
︵いける⋮⋮か? 実現すれば我らは更なる窮地に陥るかも知れぬ。
だが、関白様亡き後を考えれば⋮⋮︶
今を耐えて、関白秀吉亡き後の世に力を残すにはどうすればよいか。
その一点のみに絞って考えた場合、正信の頭に一つの選択肢が浮か
び上がった。
深く息を吐き、手元にあった酒を一気にあおる。
﹁忠勝殿、あなたの娘が秀次様と仲睦まじい夫婦である事、それが
188
後の徳川の天下に繋がるやも知れませぬぞ⋮⋮﹂
天正十八年五月十八日。
秀次本陣に千利休が建てた茶室にて、豊臣家と徳川家のごく身内だ
けの素朴な茶会が開かれた。
出席者は豊臣秀吉。
その甥、羽柴秀次。
秀次の妻、稲姫。
秀次の義父、徳川家康。
稲姫の実父、本多忠勝。
以上五名である。
189
知恵者は思案する︵後書き︶
会談まで書けませんでしたので、小田原会談は次回となります。
すいません。
190
小田原会談
﹁茶は儂がいれよう、利休、下がってよい﹂
秀吉がそう言うと、千利休は静かに茶室を出て行った。
﹁殿下に茶を頂くとは、光栄の極みでありますな﹂
柔らかい笑顔で秀吉に語りかける家康。
どこからどうみても﹁主君に忠実な家臣﹂にしか見えない。
邪気も深謀遠慮も見えない、それでいて決して侮られるような事の
ない笑顔であった。
秀吉は家康を見ずに茶の支度をしている。その顔にも穏やかな笑み
がある。
どこか無邪気さを思わす、人誑しの笑顔が。
﹁まあ、ここは身内しかいない場ですから、ゆるりと過ごしてくだ
さい﹂
秀次が家康と忠勝を見ながら言った。
彼の場合、本気で何も考えていない笑顔である。秀次はこの茶会は
自分と妻の家族の憩いの席、と本気でそう思っている。
まさかこの茶会で北条征伐後の、つまりは天下統一後の国分けや統
治方法が決まるとは露にも思っていなかった。
﹁⋮⋮ま、そうじゃの。今日は家族団らんの場よ。肩肘を張ったよ
うな茶にはせず、ゆっくりと楽しもうぞ﹂
初めて家康の顔を見ながらそう言った秀吉は、出来上がった茶を家
康の前にそっと置いた。
﹁そう言って頂けると、真に秀次公との縁あったこと、この家康に
とってありがたき幸せに存じます﹂
出された茶をそのままゆっくりと落ち着いた動作で飲む家康。
そこに一片の緊張も感じられないのが、家康の凄味であろう。
191
次に忠勝の前に茶が出される。
﹁ありがとうございます﹂
実に落ち着いた声で答えた忠勝もまた、ゆっくりと茶を飲んだ。
器を置くと、いつもの口調で娘に語りかけた。
﹁息災のようだな、稲よ﹂
﹁はい。旦那様には本当に良くして頂いております﹂
そう言って頭を下げる稲姫。
﹁いや、良くしてもらっているのは私のほうです。本当に稲は出来
た嫁でして。私にはもったいないほどです﹂
照れながらのろける秀次。
﹁まあ旦那様⋮⋮﹂
稲姫も頬を赤くしながらうつむいてしまった。
それを見て家康も忠勝も微笑んでいた。
︵忠勝の娘とは本当にうまくいっているようだな。子が出来るのも
近いとなると、やはり⋮⋮︶
︵我が娘ながら、この俊英をここまで惚れさせるとは。あっぱれよ︶
﹁お主らは結婚した時から変わらんのぅ。ま、稲はよいおなごじゃ。
寧々には負けるがのぅ﹂
秀吉も秀次と稲の仲を茶かす。
ますます赤くなってしまう稲姫と、苦笑しながら﹁義母上にはかな
いませぬからな﹂と返す秀次。
︵⋮⋮これほど相性が良いとはの。いかに義理の娘とはいえ、徳川
の女にのみこうも傾倒するのは良くないの。
北条が片付いたら側室を持たせねばならんの︶
この時代、大名となれば正室と側室がいて当然である。
192
秀吉のように側室の数が際限なく増えていくのは例外としても、秀
次のような立場の者なら側室を持つ事がむしろ当然であった。
︵まあ、その事は後だ。誰ぞ儂が見繕ってやればよいだけの事。そ
れよりも、だ︶
すっ、と秀吉は居住まいを正して家康に正対する。
それを見た家康も同じように秀吉に正対した。
﹁家康殿、少し昔語りをせぬか? 信長様にお仕えしていた儂と信
長様の同盟者であった家康殿。様々な戦場を駆け巡ったものでござ
った﹂
﹁まことに、何やら遠い昔のような、されとて昨日の事のような気
が致しまする﹂
﹁うむ、思えば長き道のりであった。桶狭間での信長様の勝利によ
って時代は開けた。戦国の世を終わらせ、新たな時代が開けると思
った。
儂はこのお方にどこまでもついていこうと思った⋮⋮﹂
﹁はい。私もあの戦以来、今川から離れ、織田家につき申した﹂
﹁それから浅井、朝倉、本願寺、武田、上杉、毛利と長きに渡り戦
い、ようやく天下布武がなると思われた時、あの本能寺が起きた⋮
⋮﹂
秀吉の眼には少し涙が浮かんでいた。演技ではなく、本当に哀しか
ったからだ。
気を取り直したように秀吉が言葉を繋ぐ。
﹁あの後、儂は明智を討った。そして信長様の意志を継ぐ事に決め
た。信忠様までお亡くなりになったと知った時、織田は分解するで
あろうと思うた。
案の定、柴田や滝川、信雄に信考と勝手な行動をとり始めた。三
法師君を織田の当主とし盛り立てていかんと決めたあの清州での約
束を忘れてな⋮⋮﹂
193
実際のところ、三法師を当主に推しその後見人となって好き放題や
っていたのは秀吉のほうである。
が、いつの時代も勝者が敗者を語る。その逆は誰の耳にも届かない。
﹁その後は信雄のせいで家康殿と一戦やるはめになってしもうたの﹂
﹁あの時は生きた心地がしませんでした。はからずも殿下の敵にな
ってしまうとは⋮⋮この家康、不覚でありました﹂
二人とも全てを信雄のせいで片付けてしまっているが、どちらも互
いを明確に敵と認識して戦に臨んでいた。
実際に秀次率いる中入り部隊が家康本隊を敗走させたため、なかば
秀吉が勝っていたのだが、秀吉も家康を滅ぼすよりも信雄に主力部
隊を送り込み降伏させた。
内実はともかく、形式上は﹁信雄が秀吉の覇権を認めず、かつての
同盟国であった徳川家を引き込んで起こした戦﹂であり決着も﹁秀
吉に信雄が攻め落とされ降伏した﹂という戦であった。
この辺り、あまり突っ込んで話すと色々と両家にとってまずい事に
なるため、秀吉は軽く流した。
﹁じゃが、ようやく信長様が目指した世が、天下が治まる時が来た﹂
﹁はい。北条も長くは持ちますまい。奥州には伊達正宗がおります
が、北条が落ちる前に殿下に臣従を誓いにまいりましょう﹂
﹁ああ、奥州の伊達か。そのうち来るであろう。時期によってその
処遇を決めれば良いだけの事じゃ。
それでこれからの事じゃが﹂
茶菓子は何がいい、とでも言ったかのように軽い口調で秀吉は言っ
た。
﹁このような場での話じゃ。忌憚のない意見を聞かせてほしいのじ
ゃが、関東をどうしようかと思うての﹂
秀吉は体の力を抜いて茶飲み話のように語りかけているが、家康の
表情や気配など、どんな事も見逃すまいとしている。
194
それに対して家康は、あるいは秀吉以上に穏やかで軽い口調で答え
た。
﹁関東でございますか。何せ北条が抑えていたのは関八州ですから
な。これの扱いとなりますと中々に難しい事とは思います﹂
答えたようで何も答えていない。
すると秀吉がすぐに被せてきた。
﹁わしはの、今回の家康殿の功に報いるために関東全てを差し上げ
ようかと思うておった﹂
この発言には家康も幾分、体を緊張させたが、何も言わず先を促す。
﹁じゃが、家康殿は三河の名門にして源氏の流れを組むお方。先祖
伝来の土地を離れて関東に行け、とはなんとも情のない話じゃ。
無論、関東ではなく家康殿の近くに加増するゆえ安心してほしい﹂
そこまで聞いた家康は深々と頭を下げた。
﹁ありがたき幸せにございます。して、関東はいかがなりましょう
や?﹂
﹁それよ。それを相談しようと思うての。なにせ広大な土地じゃ。
どうするかと思うてのぅ﹂
秀吉は家康を抑え込める者を関東に移封するつもりである。
万が一、家康がこの豊臣政権に反旗を翻した場合、その背後をつく
役目を負う者を。
譜代ではない上杉家や譜代でも家康に対抗できそうにない福島、加
藤などは無理だ。
第一、家康を背後から抑えるには関東全てを手中に収めておく必要
があると思っていた。
それに適任の者が一人だけいる。
かつて徳川を敗走させた、自らの最も信頼する親族が。
195
家康はまだ気を抜いていない。
﹁適任者が誰もいない。ならば自分が行きましょう﹂という言葉を
秀吉が待っている可能性もあるのだ。
︵秀吉の魂胆は知れている。この家康を、徳川を関東に追いやるか、
関東に徳川を抑え込める者を持ってくる事だ。
それをこの席で私に認めさせようとしている︶
家康は関東に動く気はない。たとえ二百五十万石全てを貰っても、
先祖伝来の土地を離れる事を嫌がるであろう家臣団の事や政治の中
心である京、大坂から遠ざけられるのは御免である。
この問題は茶会を持ちかけられた時から重臣達と策を練っている。
そして、謀将本多正信が一つの案を家康に伝えていた。
関東に徳川を抑え込める者を持ってきたい秀吉。しかも家康がそれ
を了承したという事実が欲しいのだと。
この状況を回避する方法はない。ならばあえて最も強大な選択肢を
選ぶべきであると。
﹁これは賭けです。しかし、勝算は十分にある賭けです。今は最悪
の一手に見えるやも知れませぬ。
しかし殿が常に考えていた事、つまり、太閤殿下亡き後の時代に
おいては最善の一手に変わる手であります﹂
本多正信はそう言って家康を説得した。
そしてこの一手は家康も賭ける価値があると判断した。
家康は答える。
﹁さて、私などの意見をお聞き下さる事、まことにありがたいこと
196
ですが、何を迷う事がありましょう。
殿下の御養子にして我が義理の息子でもある、秀次公がいらっし
ゃるではありませぬか﹂
197
面倒事
小田原城の天守閣からは物が良く見える。
周囲の山々も美しい海もなだらかな尾根が海へと続く伊豆の景色も。
普段なら海には漁師の船が浮かび、周辺の山には静寂な新緑がある。
そして小田原城の周辺は民の賑わいが遠望できた。
そう、普段なら。
北条家当主、北条氏直は天守閣からの景色を見て溜息をついた。
﹁⋮⋮もはや長くはないか﹂
氏直の眼前には海に浮かぶ大量の戦船と巨大なガレオン船が浮かん
でいた。
﹁これほどとはな⋮⋮﹂
見通しが甘かった、そうとしか思えない。
氏直の中には後悔があった。
﹁いや、まだだ。まだ伊達も動いておらぬ⋮⋮﹂
口にしてから苦笑する。
いまさら伊達が来たからなんだというのか。
北から伊達が攻めかかって来たとして、この重厚な陣を抜けるわけ
がない。
﹁伊達はそもそも我らの味方ではないか⋮⋮﹂
伊達と北条がこの戦前に何らかの盟約を結んでいるわけではない。
天下の舞台に躍り出たいと思っているであろう伊達が北条と組んで
太閤と戦うというのは、北条の勝手な希望でしかない。
﹁しかし最早引くに引けん。最後まで意地を張るしかないか﹂
氏直は天守閣からゆっくりと小田原城の周囲を見渡す。
その顔には疲労の色が浮かんでいた。
198
氏直が天守閣で思案していた頃。
秀次は風魔から報告を受け取っていた。
﹁ふ∼ん、北条の兵は今だ戦意旺盛か。伊達を当てにしてるのか?
伊達は上様に臣従すると思うがな﹂
﹁御意。伊達政宗殿ですが、どうやら小田原へと出陣した模様。い
ずれは上様に拝謁なさるかと﹂
答えているのは風魔小太郎。巨漢の忍びである。
﹁まあ、伊達政宗はこちらでも歓待するから問題ないよ。で、忍城
だけど⋮⋮なんだ、総囲い? 堤を造って包囲? おいおい⋮⋮﹂
史実通りじゃねーか、とこめかみを抑える秀次。気を取り直して小
太郎に聞く。
﹁どんな様子だ?﹂
﹁ご報告の通り、長大な堤を作り、そこへ利根川の水を流し込み巨
大な湖の中に忍城を沈めようとしているようで﹂
﹁⋮⋮一応聞くけど、うまくいきそうか?﹂
﹁利根川のこの時期の水量は少のうございます。また雨季ではあり
ませぬので、湖のようにはなりませぬかと。それに⋮⋮﹂
一度口を閉じた小太郎に秀次は続きを促す。
﹁堤を造るために集められた人夫の中に、かなりの数の忍城の手の
者がおります。まともに堤ができておるとは思いませぬ﹂
それを聞いた秀次は頭を抱える。
﹁絶対無理だろ、それ。水が溜まったら溜まったで、決壊するぞ。
あいつ大丈夫か?﹂
﹁石田殿ですか。堤が完成すれば忍城が降伏すると思っておられる
ようですが﹂
うーん、と秀次は思案する。
﹁その報告、関白様にも届けておいてくれ﹂
﹁御意﹂
小太郎は音もなく退出していく。
199
︵史実通りの忍城攻略になってるな。堤を造るのは秀吉が指図した
との説もあったが、三成がやったのか。
なんかあいつ、手柄を欲しがってるみたいだから、秀吉のやった
高松城の水攻めを再現して自分の力を示そうとしてんのか?︶
秀次はなんとなく三成に危うさを感じていたが、史実でも忍城は小
田原城が落ちるまで持ちこたえたので、史実通りになっているんだ
ろうと気にしない事にした。
それよりも秀次には考えなければならない事があったからである。
︵関東八州か⋮⋮なんでそうなるのか⋮⋮︶
そう、先の小田原会談で決まった秀次の関東移封である。
︵関東の⋮⋮二百五十万石か。えーと、やっぱり江戸を開発するべ
きなんだろうな。この小田原もそのまま残せばいいか。わざわざ崩
すのはもったいないし。
てか、なんで俺が関東⋮⋮なんか茶の席の後で秀吉は﹁わかって
おる﹂みたいな顔してたけど、意味不明だっつーの。家康もにこに
こしてたから二人にとって問題ないのか?
大坂に秀吉、三河や駿河、遠江に家康、一番遠くに俺か⋮⋮あ、
まだ来てないけど奥州の伊達がいたか。
あれ、俺の役目って奥州の伊達への押さえと徳川への牽制か? 徳川への牽制と考えれば、家康から見た場合、義理の息子だからま
だ安心できるって事なのか?
⋮⋮わかんねぇや。まあ、大坂からさらに離れたってことは、切
腹時に逃げやすくなったとも考えられるな。それはめでたいと思っ
ておこう⋮⋮
あ、ついでに中央にいないから俺が関白にならないかも!︶
自分が関東に移封された理由はいまいち秀次にはわからなかったが、
とりあえずこの北条征伐後は忙しくなる事は確実であった。
尾張、美濃、伊賀、伊勢は召し上げとなるのだから、そこから関東
200
へと引っ越す必要がある。
配下の将は全て連れて行くとしても、石高が増えたのでまた部下を
増やす必要があった。
︵風魔は関東のどっかで一万五千石⋮⋮面倒だな、三万石くらいは
経営してもらおう。後は、正直北条の遺臣を取り込むしかないか︶
さらには津島で育成していた職人達をどうするか、江戸に再度ガレ
オン船の建造場所を造るかどうかなど、悩みはつきない。
﹁やれやれ、面倒事が増えるな、まったく﹂
面倒事が増えたのは秀次が家族での茶会などを提案したからなのだ
が、彼はそこまで考えていなかった。
そして小田原会談からおよそ半月後。
奥州の伊達政宗が小田原へと着陣した。
史実通り、白装束で秀吉に謁見し、会津領没収だけで許される。
秀吉との謁見後、政宗は秀次に招かれる事になる。
201
龍との対面
﹁確か、明日じゃったのぅ、秀次と伊達の小僧の対面は﹂
石垣山城で秀吉は近侍の者と、今日ここに招いている二人に行った。
すかさず近侍の者が答える。
﹁はっ。本日正午前には港にてお会いになられるそうです﹂
ふむふむ、と秀吉は上機嫌に頷いた。
﹁伊達の小僧はの、まだ天下への野望を捨てておらん。儂に心から
従っとるわけでもない。
じゃが今日、秀次によって豊臣の力を知るであろうよ、景勝殿﹂
﹁⋮⋮﹂
無言で軽く頭を下げる男。上杉家当主、上杉景勝である。
﹁何やら、秀次様は伊達殿に贈り物があると伺いました。この兼続、
その場に立ち会って見とうございました﹂
もう一人の男は、直江兼続。
上杉の軍師でありその智謀は広く全国に名が知れている。
上杉の当主と軍師が共に秀吉の本陣である石垣山城に居るのは、八
王子城を陥落させた報告の為である。
上杉景勝と直江兼続は秀吉のお気に入りである。直江兼続に至って
は﹁直参にならんか﹂と勧誘したこともある。
景勝はその義理堅い性格が秀吉は気に入っている。﹁この男だけは、
一度結んだ信義を裏切ることはあるまい﹂それが秀吉の景勝の評価
である。
﹁昨日はなかなかにおもしろき場であったな﹂
秀吉は機嫌がいい。昨日、伊達政宗が小田原の秀吉に対して臣従の
202
意を示すために奥州より参上した。
対面の時、政宗は白装束に身を包んでいた。
白装束に身を包んで現れてた事、これが意味するものは﹁死装束﹂
である。
﹁どのような処罰でも受ける。例えそれが死を賜るものであっても﹂
そういう覚悟の表れであると、諸将の眼には映った。
が、秀吉は見抜いていた。わざわざ白装束で自分の前に来たのは、
演出であると⋮⋮。
︵なるほど、これが伊達か。わざわざ芝居がかった事をしよる。﹁
死を覚悟して来ました﹂とこうもあからさまな態度で来ると興ざめ
じゃな︶
ここで秀吉が政宗に対し、遅参を理由に首を撥ねれば秀吉には不利
益しかない。
死装束で現れた男の覚悟を汲み取らなかったとして、秀吉の評判は
下がる。そして政宗が斬られれば奥州は動乱を起こすだろう。
︵こやつ、わしが許す事を計算済みでこの場に来ておる。ふっ、斬
られる心配がないなら死装束など纏っておっても堂々とした態度で
いられるのは当然じゃ。
奥州で動乱が起ころうとも、儂の率いる大軍で踏み潰せるが⋮⋮
これ以上、この国で戦乱を広げても得るものはないの︶
﹁よう参った、伊達政宗﹂
﹁はっ、関白殿下に拝謁賜りました事、恐悦至極に存じます﹂
︵よう言うわ。本心から従うような玉ではなかろうに。ま、かまわ
ぬか。最早奥州など伊達が臣従しようがしまいが天下統一に障害と
はならん︶
203
秀吉は立ち上がって、ゆっくりと政宗のもとへと歩いて行く。
﹁少しばかり遅かったが⋮⋮ま、良かろう。許す、これよりは我が
臣下となれ﹂
ぽんぽん、と扇子で肩を叩きながら秀吉はそう言った。
﹁ははっ!﹂
頭を下げる政宗。
︵乗り切った、そう思っておろうな。この小僧、死を恐れておる気
配がないわ。天下への野心、まるで失っておらぬな。まあ、こうい
う臣下も一人くらい居てもよかろうて︶
使い道はある、秀吉はそう思っている。
実際、奥州に居た伊達政宗と、中央で天下を争って勝ち抜いて来た
秀吉とではくぐった修羅場や経験の数が違う。秀吉から見れば政宗
はまだひよっこであった。
︵秀次ほどの器量もないな。真に器量があるものなら、北条攻めに
合わせて豊臣に降り、武勲の一つでも挙げておったじゃろう。そう
してこそ発言権が得られたものを︶
﹁励め﹂
﹁はっ!﹂
それだけで、伊達政宗と豊臣秀吉の対面は終わった。
秀吉との対面を終えた政宗は場所を与えられ、陣所を構えた。その
陣所に使いの者が現れ、秀次からの招待状を持ってきた。
港で対面しよう、との事がその文には書かれてあった。
︵羽柴秀次⋮⋮豊臣秀吉の甥、かぁ。えらく風変わりなお人らしい
から逢ってみたかったもんよ。招きとは嬉しいねぇ。しっかり観察
させて貰おうかい⋮⋮。しかし、なんで港かねぇ?︶
傲岸不遜な考えを腹の中に持ちつつ、秀次の家臣に案内されて港へ
入る政宗。
204
港に入った政宗は、そこで動きを止められた。
︵こ⋮⋮こいつは⋮⋮南蛮船か! でけぇ、俺が見てきた船なんぞ
比べものにならねぇ!︶
そう、港には津島級三番艦が泊まっていたのだ。
﹁よう、奥羽の竜。羽柴秀次だ﹂
船の前にいた若者が声をかけてきた。
慌てて下馬する政宗。
﹁伊達政宗。お招きに預かり恐悦至極﹂
﹁まあ、固い挨拶はいいよ。奥羽とはこれから交易や何やで仲良く
していきたいと思っているんだ。ついては、お近付きの印としてこ
の船貰ってくれ﹂
その秀次の言葉に、不覚にも政宗は固まってしまった。
︱︱︱今、この人は何と言った?
︱︱︱貰う、何を? 船、船は目の前にある。
︵この南蛮船の事か⋮⋮?︶
﹁い、いやぁ、ちょっと待ってくだせぃ。その、いきなり過ぎて何
が何やら⋮⋮﹂
混乱する政宗。それに気づかずに話を進めていく秀次。
﹁んー、奥羽とは交易したいし、北の方とは俺も付き合いがまった
く無くてさ。伊達殿なら今後いろいろとお互いの利益になりそうな
付き合いができると思って。この船、いい船だぞ?﹂
﹁そ、そりゃぁ、くれるってんなら是非貰いたいシロモノだけどよ
⋮⋮﹂
政宗の眼は港に入ってきた時から津島級に釘付けだ。
﹁政宗殿は結構派手好みって聞いたからな。気に入ってくれると思
ったよ。そうそう、帆はちょっと凝ってみたんだ。おーい、帆を下
ろしてくれ!﹂
205
その声でメインマストから帆が下ろされる。
風を受けて膨らんだ帆には、巨大な刺繍がなされていた。
﹁こ、こいつは⋮⋮すげぇ!﹂
思わず、政宗は叫んでいた。
そこに描かれていたのは、黄金の鷲。
金刺繍で帆一面に今にも飛び立つ寸前、と言ったふうの黄金の鷲が
描かれていた。
︵まいった⋮⋮まいっちまった⋮⋮。俺は、この船にまいっちまっ
た! 今まで、秀吉を油断させておいて天下を狙おうとか考えてい
たが、甘かった! この秀次って人は、俺とは器が違う!
こんなすげぇ船にこんなすげぇ帆を張る人だとは! これが俺の
船になる、と思うと歓喜が込み上げてきて抑えきれねぇ! こんな
ものを軽くよこすって事は、豊臣ってのはどれだけデカいんだ!? これが天下か? 天下人ってのはどれだけの力を持っているんだ
? まるで想像がつかねぇ⋮⋮︶
夢見心地で船を見上げる政宗。それを見て秀次は﹁計算通り﹂と薄
く笑っていた。
︵これで伊達との繋がりは完璧よ! 俺が排除されそうになったら
他の津島級で奥羽まで逃げる算段はついた! 仙台と言えばゴール
デンイーグルス。やはり黄金の鷲を描いたのは正解だったな⋮⋮安
易な発想だったがうまくいくもんだ。
最初は網で焼いている牛タンをでっかく描こうとか思ったが、さ
すがにやめて良かった⋮⋮。それにしても、この津島級、ガレオン
船はいろいろ役に立つ。四番艦は毛利に、五番艦も誰かに上げて俺
が逃げる場所を増やしておくか⋮⋮。
あ、江戸に港を造るんだから、当初考えていた津島より政宗の領
地のほうが近くなったのか。逃げやすいのは北だな⋮⋮いや、逃げ
ないけど。今の所逃げなきゃいけない事は起こってないけど︶
206
とりあえず、政宗と友誼を結ぶ事には成功した秀次。
伊達に豊臣の力を見せつける事によってある程度奥州を抑える算段
の出来た秀吉。
着々と天下統一の下地が出来上がっていく中、一つの報告が秀吉と
秀次のもとにもたらされていた。
忍城を囲んでいた三成が逆撃を受け、大きな被害が出たという報告
である。
207
決断
秀次は今、秀吉本陣にいる。石田三成率いる忍城攻略軍が被害を受
けたとの報告があり、秀吉は秀次と風魔小太郎を呼んだのだ。
﹁忍城を囲んでいた堤の一部が崩壊、その混乱につけいるように忍
城の者が討って出た。それにより三成の軍は被害を受けた、という
ことか?﹂
﹁おおむねその通りであります。加えて申し上げるならば、堤を破
壊したのは忍城の手の者で間違いないでしょう。堤の崩壊とほぼ同
時に忍城の手勢が出張っておりますゆえ﹂
﹁⋮⋮三成め、儂の模倣だけで城を落とせるとでも思うておったの
か。備中高松城の水攻めは官兵衛や小六が地理を調べ抜いた上で実
行した策、同じ事が他の地で出来るものか﹂
秀吉は不機嫌であった。
最早北条攻めは総仕上げの段階に入っている。遠くない時期に北条
は降伏し、小田原城は明け渡されると思っていた時期に、忍城とい
う小城一つに鮮やかに勝ちを拾われた。
︵あの程度の城に何を手間取っておるのか⋮⋮どれだけの兵を連れ
ていると思うておるのか。無理押しに力攻めでも良かったものを。
わざわざ小細工をするからこうなる︶
扇子でぴしゃぴしゃと膝を叩きながら、思案する秀吉。
﹁被害は具体的にどれくらいだ、小太郎﹂
秀次が聞くと、小太郎は即座に答えた。
﹁はっ。おおよそ二千ほどかと﹂
﹁二千か⋮⋮﹂
208
二千という数字は討ち取られた者だけではなく、戦闘不能となるよ
うな負傷を負った者を含めての数字だが、それでもかなりの被害で
ある。
堤の決壊に巻き込まれて命を落とした者や重傷を負った者が多かっ
た事を加味しても、忍城から討って出た部隊はかなりの損害を与え
ている。
︵並みの戦意じゃないな。いくら相手が混乱していても、大軍相手
に突撃して奮戦する事など、戦意の低い兵に出来る事じゃない︶
秀次も頭を抱えたくなった。ここだけ史実通りかよ、と⋮⋮。
しかし、そう思ってから気がついた。史実通りでも別にいいのだ、
と。
︵別に忍城が小田原城が陥落するまで持ちこたえたとしても、戦局
に影響はないよな。忍城の連中が包囲を破って小田原城に援軍とし
て糧食と共に入る⋮⋮ないな、絶対ない。
三成が持ってる兵力が確か二万三千、先の戦闘で二千の被害を受
けたから二万一千、それを打ち破って糧食や弾薬などを持ったまま
小田原まで来て、この小田原包囲網をかいくぐって城内に入るなん
て方法はない。風魔なら出来るかもしれんが、普通に考えればでき
ん︶
秀次は忍城は放置しても問題ないと判断した。事実、忍城がどれだ
け持ちこたえようとも、小田原城が落ちれば、この北条攻めは終わ
りである。
﹁関白殿下、忍城は三成に囲ませておきましょう﹂
﹁⋮⋮放置するか。確かに大局に影響はあるまいが⋮⋮仕方ないか。
今から援軍を送って落とせぬ事もないがのぅ﹂
﹁それでは三成の面目が立ちませぬ。ここは三成につけた手勢であ
209
の城を囲むに留めておけば良いかと﹂
﹁ふむ、そうするか⋮⋮小田原も、最早長くは持つまい。ならば小
城一つ、放置しても構わぬ。終わった後、その忍城とやらの者ども
を良くぞ戦ったと褒めてつかわそう﹂
︵ま、それがいいだろうな。小田原が落ちるまで耐えきった小城な
ら、称賛に値する。そうする事で関東の民が少しでも和らぐなら、
俺が関東に移ってからもやりやすくなるかもしれん︶
﹁では、三成には二重三重にも囲みを造り、忍城の者達を釘づけに
するように命じましょう﹂
﹁わかった。三成には儂から書状を出す。やれやれ、あの程度の小
城なら、三成で十分に落とせると思うておったが﹂
少し期待外れじゃわい、と言って秀吉は溜息を吐いた。
︵子飼いの中でも官吏として最も有能なのが三成だからな。武将と
しての才覚まで期待しておられたのだろうな。いや、才覚に期待し
ていたというより、忍城を落とした功績によって地位をさらに引き
上げる気だったのかも︶
そんな事を考えながら、秀次は秀吉の陣を辞した。
帰り道、秀次は小太郎に話しかけた。
﹁小太郎﹂
﹁はっ﹂
﹁一応、何人か、風魔の手の者を忍城を包囲している部隊に紛れ込
ませてくれ。もしまた相手が出てきたら、今度は大将首を狙ってく
るかもしれん﹂
忍城が囲み部隊を打ち破る最も良い手段は、司令官である石田三成
を討ち取る事である。そのために、また奇襲を仕掛けてくるかも知
れないと秀次は心配していた。
210
﹁御意。石田殿を含めた、主だった将の周辺に風魔の者を配しまし
ょう。迅速に現地の状況がわかるよう、連絡役を紛れ込ませてもよ
ろしいでしょうか﹂
﹁頼む。念のためだが、ここまで来て三成や長束、大谷を失いたく
ない﹂
﹁では早速、今晩にも出立させます﹂
その日の夜、小太郎の命を受けた数人の上忍と配下の忍びが忍城に
向かって闇の中に消えて行った。
その数日後、石田三成の下に秀吉から書状が届く。
﹁忍城は二万の兵で囲むだけで良い。無理に攻める事はせず、小田
原が落ちるのをそのまま待て﹂という内容であった。
三成は書状を読んで暗い気持ちになった。
︵自分は失敗したのだ︶
手柄が、功名が欲しかった。そのために関白秀吉に直訴してまで兵
を出して貰い、この忍城を落とす役目を与えて貰った。
︵関白殿下は私にこの忍城攻めの総大将となるように言って下さっ
た。本来なら私よりも本隊より選ばれた浅野長政や、武名高き榊原
様がその役目であるのが普通であるのに、わざわざ私を総大将にし
てくださった︶
期待に応えられなかった、期待に背いたと三成は自分を責めていた。
︵私には⋮⋮将の器はないのかも知れぬな︶
自陣の天幕で悄然としている三成の頬に、水滴が落ちてきた。
ふと空を見上げると、ぽつぽつと雨が降り出していた。
211
︵運もないか︶
堤防が完成してすぐに雨が降っていれば。そう思ったがそれも間違
いだと気がついた。
﹁雨が降ったために、堤防が崩れた。結局、水はこちら側に流れて
いたというわけだ。うまくいくはずもなかったか⋮⋮﹂
現在、決壊した堤防は修復作業が行われ、ほぼ元通りに復元してい
る。
︵どうするか︶
三成は考える。このまま関白殿下に従ってただ包囲を続けるのか。
だがそれでは三成はただ水攻めに失敗しただけの男になってしまう。
︵それとも⋮⋮︶
もう一度、忍城を落とす策を考え直すか。
その場合、時間を掛けずに落とす策を考えねばならない。小田原城
の陥落が迫っているのは三成にも分かっているからだ。
損害を出し過ぎてもいけない。ただの力押しで攻めれば例え一日で
落とせたとしてもこちらの被害も甚大な物になる。
八方ふさがりだと、三成はまた暗い気持ちになった。
しかしこのまま囲んでいるだけでは、自分は戦下手だと同輩に嘲ら
れるのは目に見えている。
﹁⋮⋮このまま、終わる事などできない⋮⋮﹂
三成の眼に光が灯った。決意の光が。
212
決断︵後書き︶
※忍城の水攻めは秀吉の指示という説が有力ですが、本作品では三
成の案という説を取っています。今回は短いですが、次回から三成
の忍城攻略戦になります。
213
忍城攻防戦
秀吉からの命令が書状で届いた日、三成は全軍に堤防の再度の点検
を命じた。同時に各将に﹁しばらく動く事はならん﹂と命じた。
二万一千の兵は忍城の背後に木根川を見る位置で、半月上に布陣し
ている。堤防さえ崩れなければすでに包囲は半ば完成していると言
える。
忍城を囲む各将はこれに同意。軍議はすぐに解散となった。
﹁やっかいな城だ﹂
榊原康政の呟きが現状を最も的確に言い表していた。
︵忍城攻撃に選ばれた時は、少々憂鬱だったが今はもっとだな。総
大将は関白子飼いの石田三成、他の将もそうだ。秀次様の配下であ
る木下殿もおられるが、積極的に動こうとはしないお人のようだ。
私がでしゃばるわけにもいくまい。徳川家の将が口を挟めば何かと
軋轢を生みかねん。それでもこの堤による包囲には反対しておくべ
きだったか? うまく行くとはとても思えなかったが⋮⋮何やらあ
の石田三成、妙に焦っておるな。大方、家内の出世争いであろうが、
見るべきものが見えなくなっておる。兵が憐れよ︶
奇襲を受けた時、榊原の部隊は後方にいた。それゆえに彼の部隊に
損害はない。闇夜に堤が崩れ、その混乱の中で受けた奇襲である。
いくら歴戦の榊原でも本隊の救援に向かう事は出来なかった。その
意志も無かったが⋮⋮。
︵ふむ、我が殿ならどうしたかな? 中々に難しい城ではあるが⋮
⋮︶
榊原はふとそう考えた。自らの主君、徳川家康がもしこの城の攻撃
指揮官だったら、と。
214
︵外から圧力を加えつつ、内応を促すか? 結束の固い城であろう
とも、どこからの援軍もない状況ではいつまでも士気は維持できま
い⋮⋮そういえば、忍城は妙に士気が高いな。少し異常なようにも
感じるが︶
自陣へと馬を歩かせながら、榊原はゆっくりと思考を纏めていく。
別に彼が城を落とす手段を考え、石田三成に献策する義理はないの
だが、長く戦場にいる武将としてのクセであろうか。彼は色々と考
え始めていた。
︵忍城を囲んだ軍勢は二万を超える。対して城の人数はどれくらい
だ? あの城の規模からして一万という事はないな。五千、いや、
三千そこそこか。それだけの戦力差に囲まれると中々に士気は維持
できないものだが。まして援軍が来る見込みはまるでない。何があ
の城を支えている? 攻めにくい城ではある、攻撃箇所は限定され
る上に、足場が悪い。まあ、足場はあの石田殿のおかげでさらに悪
くなったが⋮⋮それでも、城の防御力だけが心の拠り所としてここ
まで戦えるものか? 他に何かある、士気が落ちぬ要因は他にある。
それを知らぬ限り、手を出すべきではない。︶
調べるか、榊原はそう思ったが、すぐに苦笑した。
︵調べてどうするのだ。何かわかったとして、それをもとに策を練
り、敵を打ち破っても私の功績が大きくなりすぎる。徳川家から来
ている客将が城一つを、それも豊臣家子飼いの総大将を置いて落と
すわけにはいかん。いらぬ軋轢は生まぬこと。殿からもそう仰せつ
かっておる。私が積極的に動く事は出来ないな。さて、そうなると
石田殿がどうするかだが⋮⋮あの御仁、焦りが見える。戦場では外
に激情を放っても、心は冷静にならねばならん。それが指揮官の仕
事なのだが、分かっておるかな?︶
自陣に到着した榊原康政は、軍議の内容を聞いてくる部下の将に対
して、簡潔に答えた。
215
﹁このままだ。しばらく動かずに囲むのみ﹂
︵あまりおもしろくない戦になった。指揮官があの石田三成ではな。
優秀なのだろうが、それは戦場のそれではない。まあいい、我らは
後詰め。しばらくは言われた通り、おとなしくしておくに限る︶
榊原の考えはほぼ当たっている。
忍城には兵は3千を超える程度しかおらず、援軍の当てもなかった。
周囲の城が落ちた事も知っており、肝心の小田原城が大軍に囲まれ
ている事も知っている。
それでも彼らは戦う事を選択した。正確には、兵達に戦う事を選択
させた者がいた。
一人は城主、成田長親。のんびりとした印象を人に与える若き殿様
で、戦が始まる前までは領民から慕われてはいたが、それは民に優
しい、気さくなお殿様という評価でしかなかった。
豊臣方が大軍で関東に攻め寄せた時、自分達も戦おうと思った。だ
が、相手は一瞬で小田原城を囲み、補給を遮断。二十万を超える兵
に囲まれた小田原城は、時をかけて飢えていく。それは明白であっ
た。他の支城には上杉、前田、真田など名将達が北から支城を踏み
潰すような勢いで進軍してきた。誰が見てもこの忍城一つが玉砕覚
悟で戦ったとしても戦局に影響を与える事はないと思っていた。
しかし、彼の考えは違った。この戦は北条の敗けだ。しかし、大軍
に攻め寄せられながらも跳ね返した城が一つでもあれば、豊臣にと
っての完勝はなくなる。負い目が生まれる。少ないかもしれないが、
北条の名を残せる可能性はある。
︵命を賭ける価値はある︶
成田長親はそう判断した。
そしてもう一人。成田長親の姪、甲斐姫である。
216
成田長親は知略の限りを尽くして策を練り上げた。その間、甲斐姫
は自らの髪を切り落とし、覚悟を持って戦闘指揮官へと名乗りを上
げた。
敵は二万。指揮官は石田三成。配下に大谷吉継などがいるが、成田
長親は榊原康政の名を見た時には眼を見開いた。
﹁徳川の宿将が来ているというのか⋮⋮﹂
榊原康政が来ているなら、その配下の兵は精強な三河兵。これが主
攻となって攻め寄せられれば苦戦は免れない。
成田長親の戦略では、敗けてはいけないが勝ちすぎてもいけない。
彼はこの戦の目標をそう設定していた。
敗ければ城も自らの命も小田原以外の城が残ったという事実も何も
かも失われる。
だが勝ち過ぎれば、万が一、関白がさらなる援軍をこの地に送り込
んで来る事は考えられる。その場合、石田三成のような能吏として
名を馳せた者ではなく、よほどの戦上手が来ることになるだろう。
︵徳川家康、黒田官兵衛、豊臣秀次⋮⋮さすがに関白が小田原から
動く事はないだろうが⋮⋮。
東海の覇王たる徳川家康、天才軍師の名を欲しいままにしている
黒田官兵衛、かつて徳川家康を戦場で破った経歴を持つ豊臣家の重
鎮である豊臣秀次⋮⋮これらが兵を率いてくれば持たぬやも知れぬ︶
さらなる援軍が来ては敗ける。それには敗けてはならぬが、勝ち過
ぎてはならない、という微妙な采配が要求される。成田長親は今更
に己に背負わされたものの大きさを実感していた。
豊臣方が忍城に姿を現し、戦は始まった。
三成も最初は数に任せて大いに城を攻め立てた。だが、忍城は周囲
が沼や湿地に囲まれた防御に向いた城。自軍の損害ばかりが増えて、
城には取り付ける隙が無かった。
217
最初の攻撃を撃退し、敵を追い払った事により忍城の士気はいよい
よ上がった。それには最前線で兵と共に弓を取って戦う甲斐姫の姿
があった事も大きいであろう。
最初の攻撃から数日後、成田長親は豊臣方が堤防を築きだしている
のを見た。
︵何をする気か︶
不審に思ったが、すぐに理解した。水攻めであると。
成田長親は城に入っていた近隣の百姓に命じた。人足を募集してい
るはずだから、それに応じて堤防の事を見て来て欲しいと。
果たして、彼の予想は当たっていた。利根川を利用して、この城を
水の中に沈める気であると。
成田長親は先に見に行って貰った者とは別に、百姓や足軽を近隣の
村の住民として堤防工事に潜り込ませた。実際に彼らはこの地の人
間である。
人足として雇われるのは容易かった。
その上で、堤防工事は可能な限り手を抜かせた。不審に思われては
ならないが、地元の人間が﹁この辺りはよく地滑りがおきます﹂と
言えばそこに堤防を造るのは躊躇われる。
足軽には堤防の一部を壊れやすくするように命じた。彼らは成田長
親の期待に応えてくれた。
堤防が完成した後、褒美として出された兵糧は密かに忍城に運びこ
まれた。敵から糧食を差し入れてくれたようなものだ、と皆で笑っ
た。
そして夕方から雨が降り始めた日の夜、甲斐姫は馬上の人となった。
218
壊れやすく造られた堤防は、この程度の雨で決壊する。そう聞いて
いた成田長親は、討って出る事を決めた。
︵ただ城に篭っておれば良いという状況ではなくなった。敵が堤防
を築き、この城を水に沈めようというなら、その意図を挫く。ここ
が正念場だ︶
成田長親の決意の表情を見て、甲斐姫は自ら出撃する事を決めた。
これにはさすがに反対も起きたが、甲斐姫は押し切った。
﹁私は皆と共に戦います。この戦、我らの誇りを敵に見せつけるた
めのもの。なればこそ、私が先陣を斬ります﹂
彼女は命を賭けてこの突撃を成功させる気でいた。
突如として堤防が崩壊し、濁流が自分達に向かって流れ込んでくる
状況で、三成は忍城から出撃してきた部隊に大きな打撃を受けた。
死傷者、二千。三成はわずか千人ほどの突撃隊に、さんざんに翻弄
され多くの兵を失った。
三成の敗北であった。
三成はすぐに、守備を固めつつ堤防の修復を命じた。
この命令を後で聞いた榊原康政は周囲にこう漏らした。
﹁せっかく敵のほうから出てきたのだ。三千でよいから、退く敵を
追うべきだったな。うまく行けば城に入れたかも知れん。そこまで
いかずとも、追撃を受けている部隊を城内に収容するのは難しいも
のだ。それなりの損害は与えられたかも知れぬ。何より、やられっ
ぱなしでは士気に響くであろう﹂
この戦闘の結果は風魔の忍びによって秀吉と秀次の下に届けられた。
そして小田原城が落ちるまで囲んでいるように、との命令が関白秀
吉より三成に届いたのだ。
219
三成は突貫工事で修復された堤防の上から忍城を見ていた。
そして、ついに彼は決心した。
﹁沼地と湿地、地元の者でもない限りそれを避けて城に近づく事は
出来ぬ。ならば、私は道を造って見せる﹂
220
忍城攻防戦2
秀吉の本陣、そこに何人かの将が集まっていた。
﹁小田原も終わりですな﹂
発言した男は、座っている椅子だけでなく、杖にもたれ掛かってい
る。
黒田官兵衛。長く秀吉を補佐してきた名軍師である。
彼は小田原に使いを出し、その反応を探ったばかりである。酒や肴
を送った返答に届いたのは、弾薬であった。これを見た官兵衛は、
小田原は長くないと判断した。虚栄を張っているだけだと。
﹁自分達はまだまだ戦意盛んにして、降伏など考えてもいないと言
いたいのでしょうが、ちと必死さが滲み出てしまっております。実
際は毎日のように評定を開いては解散する事を繰り返しているのみ。
そろそろ城内でも一悶着ありそうな雰囲気です。まあ、その前に降
伏を受け入れてくれれば良いのですが﹂
はてさてどうでしょうかねぇ、と官兵衛は薄く笑った。さすがに長
く戦国の世を生き抜いてきた軍師である。凄味があった。
﹁黒田殿も黒田殿です。酒と肴を送ったそうですが、ついでのよう
に秀次様が手に入れられた、小田原城の見取り図を送り付けたとか
⋮⋮北条が少し可愛そうになってきますな﹂
そう答えたのは蒲生氏郷。黒田官兵衛と同じく豊臣本隊を構成する
武将である。
ちなみに話に出てきた秀次はと言うと。
︵そんな事に使ってたのか、あの風魔から貰った図面⋮⋮酒と肴を
差し入れておいて、開いてみたら小田原城の見取り図が出て来るっ
てどんだけ⋮⋮さすがに後世に聞こえた軍師、黒田官兵衛。やる事
がえげつねぇ︶
ドン引きしていた。
221
﹁ま、そろそろ頃合いという事かの、官兵衛?﹂
秀吉がそういうと、黒田官兵衛は秀吉に向き合って答えた。
﹁左様ですな。ここまでの戦いで残っているのは小田原城と忍城の
み。どちらも大軍に囲まれております。完勝と言ってよろしいかと。
北条氏直、氏邦の両者と主だった重臣を切腹、代わりに兵の命は全
て助ける、と言ったところでありましょう。忍城は小城、城を明け
渡せばそれだけ構わぬかと﹂
︵むっちゃ簡単に北条当主の切腹が決まったな。史実より余裕があ
るせいか、北条を助免する事はないか。つくづく戦国時代だな︶
そこでふと秀次は気がついた。北条が敗れ去った後、関東に入るの
は自分だと言う事に。
︵聞いたほうがいいのかな。関東で北条残党とか雇ったほうがいい
ですか、とか⋮⋮い、いや、後にしよう、うん。兵庫や宗茂に相談
すればいいや︶
﹁では、小田原城に降伏の使者を送りましょう。北条氏直、氏邦の
両者が責を負えば他の者は許す、と。残りは忍城ですが、これは小
田原開城後と言う事でよろしいですかな?﹂
徳川家康が穏やかに軍議を纏めに入った。
﹁⋮⋮ま、しょうがないの。三成がしくじったのが唯一の負け戦か。
何事も全てがうまくはいかんてことよ。仕方あるまい。官兵衛、使
者は誰か適当な者を遣わしておけ。城の引き渡しはお主が立ち会え
い﹂
﹁御意。早速に取り掛かりましょう﹂
こうして小田原城へと降伏の使者が入る事になった。小田原城が開
城するまであと僅か。最早、戦は終わった。皆がそう思った。
家康は来るべき秀次の関東移封に関して、尾張や美濃に誰が配され
るかを思案し、秀次は関東に尾張から皆ついてきてくれるかなぁ、
222
やっぱ江戸を中心に街を造るとこからだよなぁと未来に思いを馳せ、
黒田官兵衛は息子の長政はどうしているのかとふと気になったり、
秀吉は⋮⋮秀吉は、関東に秀次を移封した後、奥州仕置を行い、そ
の後は⋮⋮と重大な事を考えていた。
話すべき事もなくなり、各々が自軍へと引き上げる際、秀次はふと
思いついた事を秀吉に言った。
﹁そういえば、関白殿下。風魔がもたらした情報によりますと、忍
城には何やら姫武将がおるらしいですぞ﹂
﹁ほぉー、それは初耳じゃな。ふむ、城主の娘か何かかの?﹂
﹁甲斐姫、と呼ばれておる姫のようです。成田氏長の娘のようです。
なかなかの女傑らしく、彼女に率いられた忍城の戦意は大いに高ま
っておるようです﹂
﹁⋮⋮やれやれ、三成め、このままでは女にやられたという悪評ま
でがついてしまうのぅ。何か考えるか⋮⋮﹂
秀次がこんな話をしたのは、甲斐姫が歴史上では秀吉の妾になって
いたからである。
︵ひょっとしたら甲斐姫が秀吉のお気に入りになれば、秀頼が生ま
れない可能性があるかも⋮⋮無理かも知れないが、一応耳には入れ
ておこう。たぶん、興味を持つはずだ︶
この秀次の読みは半分は当たっていた。秀吉は確かに甲斐姫に興味
を持った。
︵ふむ、その甲斐姫とやら、少し調べてみるか。成田一族の姫なら
関東の名家。秀次の側室に置けば、後々、関東を纏めやすくなろう。
三成を非難しようとする者も、敗れた相手が秀次の側室では何も言
えまい。うむ、一考の価値はあるな︶
秀次と秀吉、微妙にずれた考えを持ちつつ、彼らは各々の陣に戻っ
223
て行った。この時点では、北条が根を上げるのがいつかという事に
しか興味はない。
だが、戦は終わっていない。
正確に言えば、忍城を囲んでいる石田三成の戦はまだ終わっていな
かった。
石田三成は一つの策を考え付いた。
この策を完成させるために、関白秀吉から書状が届いて以来、彼は
寝ていない。
そして、ついに策は完成した。
︵必要な物資はかき集めた。兵は二万ほど、私が率いる部隊と大谷
吉継が率いる部隊が最終陣となる。それ以外の将が率いる兵には道
を造らせる︶
三成の本陣には大量の物資が集められていた。近隣の村から挑発し
た戸板や藁、いくつもの民家を買収し、それらを崩して持ってきた。
それ以外にも乾いた土、周辺の木を切り倒して造った丸太が何十本
と並んでいる。
これらを差配したのは三成である。配下の兵を総動員し、見事な采
配で効率的かつ短期間で膨大なこれらの資材を集める事に成功した。
無論、このような動きをしている事は忍城に知られている。三成は
そう思っている。地元でこれだけ動けば、忍城に情報が入らないは
ずはない。
︵だが、これらの物を集めているという情報が忍城に入ったとして
も、奴らは動けない。堤防が壊れた夜に、襲撃を受けたが、もはや
堤防に頼るのはやめた。我らが囲んでいる限り、忍城は何も動きよ
224
うがない。出て来ても戦力差がありすぎる。問題はない。それより
も⋮⋮︶
三成には気がかりな事があった。
︵小田原城が落ちるのはいつになるだろうか? おそらく近いうち
に関白様は小田原城を開城させる。北条が降伏すれば、忍城と戦っ
ている我らは⋮⋮忍城に開城させ、城を明け渡させ、受け取るだけ
の事になる。それは避けたい。なんとしても、この城は私の手で落
とす! 私が落とせば、関白様の此度の関東出兵は完全な勝利とな
る。関白様の威は全国に知れ渡る。天下は関白様の下で治まる。そ
して、豊臣家がこの日本を動かしていく。それには私の力が役に立
つはず。この城を落とせば、私の戦下手という評価も覆ろう。やる
しかないのだ。時間がない︶
秀吉達が小田原へ降伏の使者を送る事を決めた日、三成は諸将を自
らの本陣に集めた。大谷吉継、浅野長政、長束正家、榊原康政など
全ての将が三成の本陣で軍議に参加する。
諸将は困惑していた。つい先日、関白殿下からの書状で忍城は囲む
だけ、と決まったのではないか。いきなり本陣に集まり軍議を開く
とは何か起こったのか⋮⋮。
︵あいつ、何か馬鹿な事を考えておらんだろうな⋮⋮︶
三成の親友、大谷吉継は不安を感じていた。
︵常の三成なら関白殿下からの命令があれば、それを忠実に確実に
実行するだろうが、何やら三成配下の兵がしきりと動き回っていた
とも聞く。何か策でも思いついたか⋮⋮どんな策であれ、今は忍城
を囲んで置くことが最善だと思うが⋮⋮︶
﹁急にどうしたのか、治部少輔は⋮⋮﹂
225
長束正家が訝しそうに隣の浅野長政に尋ねた。
﹁さて、何も聞いておりません。囲みに問題が出たとは思いません
が﹂
そんな会話を聞きながら、榊原康政はじっと眼を閉じていた。その
雰囲気に誰も榊原には話しかけられない。
︵石田三成、何かやるな︶
榊原はそう思った。三成配下の者が様々な物を周辺から集めている
とは彼も聞いている。そしてこの軍議、三成は何か策を思いついた
という事だろう。
︵ここで石田三成という男の器量、計れるな︶
榊原康政は徳川家の武将である。自らの主君である徳川家康は未だ
に天下人への執着を捨てていない。今はおとなしく豊臣家の下につ
いているが、今後どうなるかはわからない。榊原康政は豊臣家の子
飼い武将達の能力や器量を自分なりに見極めようとしていた。いつ
か来るかも知れない、豊臣との決戦のために。
︵豊臣家の構造は単純だ。絶対的な権力者として君臨する関白秀吉。
それを補佐する中納言秀長、そして羽柴秀次⋮⋮この三人が豊臣の
頂点にいる。が、どうやら中納言秀長は長くないとも聞こえてくる。
となれば、今後ますます羽柴秀次は家中で重きを成す。問題はそれ
以外だ。福島正則、加藤清正などは秀次公と仲が良いらしい。元が
尾張出身だからなのか、寧々様とも繋がりが深い。尾張から出てき
た者達は、ある程度分かっている。武勇はあっても天下の趨勢を見
て動けるほどの器量はないと見た。分からぬのは、秀次公と余り繋
がりのない、石田三成や長束正家だが⋮⋮天下を治めていくに必要
な人材足り得ているのか? 福島や加藤は前線で戦う武勇の者、そ
れを支える者が石田や長束だと思っていたが、さて、かつて我が徳
川軍を撤退に追い込んだ秀次公のような、天才的な軍事の才がある
か?︶
もしそうなら、非常に面倒な存在だと榊原康政は思っている。前線
226
に猛将を、後方に策士がいるとなれば、豊臣家はいよいよ盤石に見
えてくる。しかも、彼らは全員若い。
︵若き世代に有能な者が揃っておれば、徳川家のみでは抗しえない
⋮⋮いや、判断を急ぐ事はない。下の者達がどれほどの力量を持っ
ているか、じっくりと見極めてやろう︶
ほどなくして、三成が軍議の場に入ってきた。
彼の姿を見て、諸将は驚いた。眼の下に黒い隅を作り、少しやつれ
ている。
﹁各々、お呼び立てして申し訳ない。此度、忍城を陥落せしめんた
め、各々に協力頂きたい﹂
声ははっきりと、強烈な意志を持った瞳で諸将を睨みつけるように
三成は言った。
﹁⋮⋮関白殿下からの書状には、忍城は囲むに留めよとあったので
はないのか?﹂
大谷吉継が三成を見ながらそう言った。
﹁確かに。確かに、関白殿下からの書状にはそうありました。しか
し、あの程度の小城、これだけの軍勢で囲んで落とせないという事
があって良いものか。我らはこの地に物見遊山に来たのではない。
堤を築いて水攻めにする策は敗れました。しかし、我々は敗けては
おらん﹂
三成は言い切った。諸将は落ち着きなく周囲の者と眼を見合わせた。
︵三成、焦っておる⋮⋮︶
︵焦っておるな︶
大谷吉継と榊原康政はそう思った。前者は心配そうに三成を見て、
後者は興味深そうに見ていた。
227
﹁私はここ数日であの城を落とす策を考えた。あの城の周囲は沼と
湿地、流れ込んだ水によりぬかるみはさらに深くなっている。堤防
は既に一部を壊し、水は抜いているが、人馬が進軍するにはそのぬ
かるみが最大の障害となる。私はこのぬかるみを克服するため、忍
城まで続く道を造る事を考えている﹂
﹁道?﹂
﹁道を造るだと?﹂
長束正家と浅野長政が同時に声を挙げた。
﹁三成、道を造るとはどういう事だ﹂
大谷吉継が不安を押さえながら聞いた。
︵こいつ、何かとんでもない事を考えたのではあるまいか。武勲を
得る事を第一に考えすぎて、いや、関白殿下から任されたこの戦の
重責から、おかしな事を考えたのでは︶
大谷吉継の不安は的中する。
三成が語ったのは、正に﹁道を造る﹂事であった。
ぬかるんだ地面に対して、人海戦術で道を造る。無論、石畳のよう
な道を造るのではない。
忍城に最も近い堤防から、三成が集めた藁や砂、砕いた石や木を投
げ入れていく。その上に戸板や丸太を並べて行き、強引に人馬が通
れる道を造るという物であった。
﹁もちろん、作業は日が落ちてから始める。今日の日が落ちてから
始めれば、明日の日の出には、ある程度道は進んでいる。そこから
は盾と竹束を並べつつ、さらに進める。一つではなく、複数の道を
忍城へと至らせる。後はその道を進み、城に取り着いて落とす﹂
228
﹁無謀にもほどがあるぞ、三成! 敵がそれを黙って見ているはず
はあるまい! 日が出てからの作業は大きな損害を伴うぞ! それ
にそんな道を人馬の集団が渡れるかどうか、わからぬではないか!﹂
大谷吉継が悲鳴のような抗議の声を挙げるが、三成は冷たい眼で言
った。
﹁渡れる。既に敵から見えぬ場所でやってみた。十分に人馬が渡れ
るわ。城に取り着いてしまえば、この大軍だ。一日で落とせる﹂
﹁馬鹿な⋮⋮﹂
﹁吉継、お主と私の軍は先鋒だ。道が完成次第、我らが城に取り着
く。木下殿と長束殿、浅野殿の兵は道造りをお願いしたい。榊原様
の軍は後詰をお願いします﹂
﹁三成!﹂
大谷吉継は今度こそ悲鳴を上げた。
﹁無茶だ、うまくいくとは思えぬ。このまま囲んでいれば⋮⋮﹂
﹁吉継、この戦の指揮官は私だ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁私の指示に従ってくれ。必ずあの城を落とす。私を信じてくれ﹂
︵無理だな︶
榊原康政はそう断じた。無論、口には出さなかったが。
︵これが策と言えるのか。石田三成、功名に気を取られ、この程度
の策にすがるか。まあいい。私は後詰に回された。後方で高みの見
物をさせて貰おう。撤退の援護くらいはやってやろうか︶
榊原が何も喋らない間、大谷吉継や長束正家、浅野長政らが三成を
説得しようと試みたが、三成の意志は固く、ここの指揮官は自分だ
という三成に、ついに他の将も折れた。
﹁責任は私が取る﹂
そう断言する三成に、長束正家や浅野長政らは引き下がった。大谷
229
吉継はなおも食い下がったが、
﹁吉継、頼む、今回は私に従ってくれ。私に力を貸してくれ﹂
そう頭を下げられ、ついには吉継も折れた。
深夜、命令を受けた兵士達が一斉に藁や砂を詰めた米俵、その他様
々な物を投げ込んで行く。ぬかるみは深く、それらはゆっくりと沈
んで行くが、かまわず次々と物が投げ込まれ、その上に筏のように
組まれた丸太が置かれる。
その作業は夜を徹して行われた。丸太の上に身軽な恰好をした兵達
が乗り、その先へとまた物を投げ込んで行く。さらにその上に丸太
を置く。これをひたすらに繰り返した。
︵具足を脱いだ兵達は乗れるだろうよ。だが、わかっているのか?
これを使って攻めるとなると具足を纏った兵に馬に乗った者、攻
城のための道具まで運ぶ事になる。たかだか二間ほどしかないこの
筏の列で城に取りつけると思っているのか?︶
堤防の上から作業を見ていた榊原はそう思いながらも、何も口には
出さなかった。
︵⋮⋮確かに、かつての戦では似たような事をしたことがある。山
城を攻めるにあたって、敵の正面、大手門から攻めつつ、城の裏に
回る。大抵、城の裏手は川や高く切り立った壁のような山があるが、
稀に裏手は湿地だった城もある。その場合、藁や土をかき集めて湿
地に叩き込み、なんとか馬が通れるようにして、我らが城の裏手か
ら少人数で奇襲するというやり方はあった。だが、ここは山城では
ない。平城だぞ。いくら夜から作業を始めるといえど、日が昇れば
忍城から丸見えよ。当然、彼らは妨害してくる。沼にはまり込めば
動けぬ兵など、いい的だ。仮に、その道が忍城まで届いたとして、
それからどうする気だ? たった二間ほどの道が敵の城まで届いた
だけで、そこから多くの兵を突撃させるわけにもいかぬ⋮⋮これは、
230
後詰めとして敗残兵の収容に当たったほうが良さそうだな︶
榊原は冷めた目でその場を去った。配下の兵に十分に休息を取らせ、
弓と鉄砲の用意を怠るなと厳命して。
日が昇ると、忍城からも敵が何をやっているのか、すぐに分かった。
すぐには攻撃が届くような距離ではなかったため、忍城の兵達はあ
りったけの弓を用意し、徐々に迫ってくる道を待ち受けた。
射程に入ると、大量の弓矢が三成の兵に降り注ぐ。木の盾を上方に
かざしながら、兵達は砂や藁を投げ入れ続けた。
忍城の城壁の周囲はさすがに深い湿地ではない。そこまで辿りつけ
ば攻略の足掛かりに出来る。三成はそう信じていた。
もう少しで城壁まで道が届こうかという箇所まで道が進んだのは、
日が真上を通過して西に少し傾いた頃であった。この時点で幾人も
の死傷者が出ている。
作業中に弓矢で射ぬかれた者、足を踏み外して沼に落ち、動けぬ所
を狙い撃ちされた者、城壁に迫ってからは大きめの石などが飛んで
くるようになった。
︵あと少し、あと少しなのだ︶
三成も既に馬上の人となり、自らの策によって造られた道の上に立
っている。彼にしてみれば、城壁に道が届いたその時、配下の兵を
一斉に押し渡らせる。その機を待っていた。
突如、忍城の城壁から瓶が投げ落とされた。
いくつかの瓶が落とされ、盾を構えてた者はその衝撃に倒れ込む。
だが、身を守るために倒れながらも盾を構えると、その盾にびっし
ょりと油が着いている事に気がついた。
兵は城壁の上を見る。そこには火矢とたいまつを構えた兵が並んで
いた。
231
﹁て、撤退だっ!﹂
思わず兵は叫ぶが、まるでその声が合図だったように、城壁から火
の洗礼が降り注いだ。
身を守る為に持っていた盾が焼けるだけではない。足元の丸太や藁
に降り注いだ油は、一斉に燃え上がった。
燃える足元から逃げるため、兵達は沼に飛び込む。そこは具足をつ
けた者が動けるような場所ではなかった。次々と矢に射掛けられて
倒れていく。
混乱した兵は我先に元来た道を戻って行く。
﹁ひるむなっ! ひるむなぁ!﹂
三成の絶叫も意味をなさない。造った道の先端は燃えている。転げ
落ちた兵達は、足を沼に取られて身動きが取れなくなっている。
﹁お、おのれ⋮⋮﹂
三成は馬に鞭を入れて駆け出そうとした。この策まで失敗すれば自
分はどうなるのか。二度と浮かび上がれないのではないか。焦りが
彼に無謀な突撃を決断させようとしていた。
だが、馬に入れようとした鞭は、側にいた足軽に軽く止められた。
﹁お退き下さい。総大将が退かねば、兵はいたずらに混乱するだけ
です﹂
足軽はそう言うと、三成の乗る馬をぐるりと回転させ、戦場と反対
側に向け、三成から奪った鞭で軽く馬の尻を叩く。
﹁ま、まてっ!﹂
三成が抗議の声を挙げるが、すぐに他の足軽が二人、三成の馬を引
いて無理やり連れて行った。
それを確認すると、最初に三成を止めた足軽は具足を全て外すと沼
地に降りて、その姿を消した。
232
三人の足軽は、秀次が心配してつけた風魔の者である。彼らは三成
が危険な場合、それを守れと命じられている。
あのまま突撃でもされたら守りきれなくなるため、彼らは三成を退
かせたのであった。
その後、策が失敗し失意の三成の下に秀吉本陣からの書状が届く。
﹁小田原城、開城せり﹂
233
閑話∼忍城へ∼
﹁三成、正家らを迎えに行ってくれ。処置は任せる。言うまでもな
いが、小田原が落ちてなお、持ちこたえた城じゃ。丁重にな、秀次﹂
小田原城開城の数日後、三成より届いた書状を見た秀吉は、甥の秀
次を名代として忍城に派遣する事にした。
秀吉にしていれば、本丸とも言える小田原城が落ちた今、ただ一つ
残る支城などに興味はない。彼らがどう足掻こうと、北条の滅亡は
避けられない。ならば、今後この地を統治する秀次に事後処理をや
らせ、心証をよくしておく事のほうが重要と見た。
秀次は了承し、配下の部隊を率いて忍城へと出発していった。
﹁再度、攻撃を仕掛けて、失敗か⋮⋮﹂
道すがら、秀次は風魔よりもたらされた書状を読んでいた。
内容は石田三成が行った、忍城攻防戦である。
﹁⋮⋮関白殿下からの命は、包囲に留めて置く事だったはずだが⋮
⋮﹂
秀次は書状からちらりと傍らに跪く巨漢の男、風魔小太郎に聞いた。
﹁それは間違いありませぬ。しかし、石田様は自ら策を練り、再度
攻撃を仕掛けました。結果はそれに﹂
﹁⋮⋮う∼ん、湿地や沼地に材木やら藁やらをぶち込んで道を造る
か⋮⋮無理だろうな、無茶すぎる。ふむ、もう少し策を練る時間と
準備期間があればなんとかなったやも知れぬが、例えば木を伐採し
てそれらを泥に並べてその上に⋮⋮まあ、それはいいか。しかし、
関白殿下の命を無視してまで動くとはな。それほど三成は功に焦っ
234
ていたのか。三成達は皆、無事なのだな?﹂
﹁はっ。主だった将には我ら風魔の者がそれとなく警護しておりま
した。石田様、大谷様など皆様は無事であります﹂
﹁被害は﹂
﹁総崩れになりましたが、相手も湿地に足を取られる故、追手はあ
りませんでした。忍城に肉薄した時にやられた者は百人に登ります。
それ以外は大した被害はございません。無論、忍城には何の被害も
ないでしょう﹂
はぁ、と秀次は溜息をついた。
︵ただ囲んでおけば終わった戦だったものを。三成、よほど武功が
欲しかったのだろうな。しかし、一度失敗しているのだ。関白殿下
に囲むだけにせよと命が下った後に、これだけの攻勢をかけて失敗
したとなれば、なんらかの処置が取られる可能性はある。難しいな。
あいつは間違いなく有能な官吏なんだ。豊臣政権を切り盛りしてい
くには、あいつの手腕が必要不可欠だ⋮⋮︶
﹁三成が戻るのはいつだ?﹂
﹁明日の昼には、関白殿下に拝謁する予定です﹂
﹁⋮⋮ふーむ⋮⋮ま、俺からも取り成しておこう。あいつは豊臣家
に必要な男だ。権力を持つ者は英雄で良いが、実際に権力を振るう
体制を作り上げるのは、あいつの仕事だからな⋮⋮﹂
︵しかし、少しばかり難しくなった︶
秀次はそう内心で呟いていた。
︵三成が武断派、つまりは正則や清正などと距離が離れていくのは
朝鮮の役くらいからだと思っていたが、この調子だと三成の武功に
対する劣等感はかなり強いかもな⋮⋮史実通り、囲んでいる間に終
235
わっていたなら何も問題はないが⋮⋮あいつの名誉を回復してやる
必要があるか?︶
そこまで考えて、秀次は傍らの小太郎に聞いた。
﹁⋮⋮小田原城は開城した。俺は今後、論功行賞によって関東八州
を領土とする事が決まっておる﹂
﹁それはおめでとうございます﹂
﹁まあ、それはいいのだが、関東の運営には旧北条家の者を使いた
い⋮⋮成田氏長、この男はどうだ?﹂
﹁領民から慕われており、まず名君と呼んで良い男にございます。
戦においてはそれなりに使える、といった所でございましょうか﹂
秀次はまた考え込む。
︵成田家を中心に、取り込むしかないか。娘の甲斐姫は、史実では
秀吉の側室になる女。関白殿下の側室が一族の登用を求めた、それ
に関白が答え、かつての旧領の新たな主となった甥に面倒を見させ
た。良し、筋は通るな。この線で行こう︶
ちなみにこの線は当然ながら、秀吉によってまったく違う結果にな
ってしまうのだが、それはまだ秀次にはわからない。
﹁小太郎、頼みがある﹂
﹁何なりと﹂
﹁江戸、という場所が関東にあろう。たぶん、小さいながらも城が
あると思う。関白殿下よりそこを居城として関東を発展させよとの
仰せがあった。風魔の中から何人か先んじて送り込んで、民達に我
らの事をそれとなく噂として広めてくれ﹂
﹁御意﹂
︵江戸はこれでいいだろう。風魔の者が行商や農民に扮してこちら
に敵意がない事を宣伝してくれれば、少しはやり易くもなる⋮⋮小
236
田原城、どうしよっかな。立派な城だし、もったいないよなぁ⋮⋮
誰か、城代として入れるか。周囲の土地ごと与えても、維持が大変
になるだけだ︶
﹁まあ、大体決まった。後は兵庫や宗茂、吉政に話してから決める
事だ。とりあえず、さっさと三成達を回収しに行くか﹂
﹁もう戦は終わっちまってるんだよなぁ。出番はなさそうか⋮⋮﹂
秀次のすぐ横で馬に乗り、槍を肩に掛けていた、可児才蔵が不満そ
うに呟いた。。
﹁まったく、お前は⋮⋮﹂
秀次は苦笑するが、実は可児は戦がないのが不満なように見せてい
るだけである。
主君と軽口を叩きながら、周辺に視線を配らせている。
︵小太郎はさすがにどこにいるのかわかんねぇな。隠れて着いてき
てるのか、それともこの行軍の中に混じっているのか︶
小太郎が陣営に加わってから、表の警護は可児才蔵、裏の警護は風
魔小太郎となっていた。
大柄で槍の名手として知られる可児才蔵は、秀次の側にいる将の中
でもひときわ目を引く。ゆえにもし、秀次を襲う計画を練る者がい
た場合、まずこの可児才蔵が難関となる。
が、実際は可児の役目は、実際に暗殺者が秀次に迫ってきた時であ
る。可児が人目を惹きつけている間、風魔小太郎率いる﹃風魔一族﹄
はあらゆる場所から秀次の警護についている。
進んで行く隊列の先頭付近に数人、中ほどにも数人、秀次本人がい
る周辺に数人、隊列の後方にも数人、といった具合に小太郎配下の
忍びが配置されている。
それ以外にも、隊列に先回りして襲撃や罠がないかを確かめる﹃先
導団﹄と呼ばれる中忍以上で構成された精鋭、隊列には加わらず、
土地の者に変装し隊列からつかず離れずの距離で警戒している上忍
237
達。
その上、風魔の誰にも、秀次にさえも風魔小太郎は自分の所在を告
げていない。
﹃警護の計画を立てるのは当然の事だ。そこに私は入らない。お主
たちは計画通りに万全の警備を。私は秀次様の周囲に潜む﹄
小太郎の所在は風魔ですら知らない。仮に警護計画が外に漏れた場
合、そもそも警護計画にいない者がどこかに潜んでいるというのは
襲撃者にとっては悪夢であろう。。
︵三成か⋮⋮功を急いだ。急ぎ過ぎた。おそらく、あいつはこの北
条征伐後の事を考えているのだろうが⋮⋮この関東平定が成れば大
きく大名が領地替えで動く。動かざるをえない。豊臣政権に忠誠心
高き者、徳川家のように力を持つ者、豊臣家本領として抑えておか
ねばならぬ土地。差配は殿下と俺、秀長様が取り仕切るのだが、そ
の実務部隊は三成や正家になる。そういった、官僚的な能力を持っ
ている者が豊臣家にはあれらしかいないと言うに⋮⋮︶
秀次は馬上で頭を掻く。
︵別にこの北条征伐、三成や正家は糧食の手配や各将の陣の差配、
それらをこなしておれば良かった。殿下はそれを功として彼らに十
万石ほど与えようと思っていただろうし⋮⋮三成は、それでも”武
功”に拘ったか。いや、今後の事を考えるに、戦国時代を生き抜い
てきた猛者達に弁説で立ち向かう立場になれば、武功に拘るのもわ
からないでもないが⋮⋮︶
秀次は三成の能力を良く知っていたため、武功に拘らずに本陣で仕
事をさせようと思っていたのだが、三成の強い願望を読み間違えた。
いや、史実を知っている彼からすれば、真にまずいと思ったのは﹁
238
三成が忍城攻略軍の責任者となった﹂と聞いた時であるが。
︵忍城、か。その時点で止めていれば⋮⋮止める理由がないな。い
きなり﹁あ、やっぱ俺が行く﹂とか言えるわけもない。それでも史
実通りに一撃食らって後は囲んでいるだけだと思ったのだがなぁ。
まさかさらに出撃して被害を増やすとは⋮⋮ともかく、なんとか三
成を取り成さないと。せめて史実通りに出世してくれれば、豊臣政
権の骨造りはまあ、たぶん進むだろうが︶
その三成の失態をどう取り成すのか、それが秀次の悩みどころでは
あった。
︵なんとか取り成さないとな⋮⋮殿下も怒っていらしたが、さすが
に頭が冷えれば極端な罰は与えないだろうし︶
結局、忍城を実際に見て、開城させてから三成の件は考える事にし
て、秀次率いる三万の兵は忍城へと歩みを進めて行った。
239
閑話∼忍城へ∼︵後書き︶
短いですが、区切りが良かったので今回はここまでとさせて頂きま
す。
⋮⋮書籍版より長くはならないよな?
240
忍城開城
田中吉政は普段から余り無駄口を叩かない性質であるが、忍城への
行軍中は普段に輪を掛けて無口であった。
本人の評価はともかく、秀次の家臣団では主君に言いたいことを言
う御意見番とみなされていた。
武功もあり、軍才も十分にある男だが、家臣の中で筆頭家老とでも
言うべき地位に置かれ、気を抜くと仕事を部下に放り投げる主君を
持った彼は、まごうことなく苦労人であった。
︵関東移封︶
彼の頭の中はその事で占められていた。
︵関東八州、二百万石以上。検地をせねば正確な石高はわからぬが、
その検地をする人材すら事欠く。私に宗茂、兵庫などの親類縁者は
ことごとく召し抱えるのは当然として、足りぬ。金も米もあるが人
はそうそう増やせぬ⋮⋮やはり北条の遺臣、これを使うのが良いだ
ろう。しかしこの戦で散った者も多い。どれだけ集められるか⋮⋮
忍城の成田、これを中心に北条残党と言うべき者を集めるか。成田
長親、なかなかの人物らしい。成田氏長ともども召し抱えるか。十
万石か二十万石与えれば色々集まって来よう。小太郎殿に妙な輩が
入り込んでいないか見張って貰えば良いな。うむ、当面はこれでな
んとかするしかあるまい︶
敗軍の将を召し抱えるのに十万単位の石高が出て来る当たり、吉政
も主君に染まっているようである。
241
︵他にこちらから声をかけたほうが良い者はいるだろうか? 重臣
として小太郎殿が一族全てを率いて協力してくださるが、風魔には
検地の他に、領内の動揺を抑える役もある⋮⋮秀次様の警護も、だ
な。関東移封に伴って、家臣団の序列や家老職を再考する必要があ
る、か。新規家老に風間殿は決まっているのだが⋮⋮他が⋮⋮私が
筆頭家老で宗茂と兵庫がそれぞれ次席家老⋮⋮でいいのか? 風間
殿、官位だけでいえば我らより上だが⋮⋮ああ、そうか、官位を成
田氏に用意する手配もしなければ⋮⋮それに江戸に港を造ると秀次
様は仰っていたが、津島からどれだけの人材を持ってきて、どれだ
けを残すのか、それも決めねばならん。尾張や伊賀から関東に移動
して田畑を持ちたい者もおるだろうな。田舎の三男や四男、なんら
かの理由で村から出たい理由を持つ者もおるだろう。これらの受け
入れ先はどこか新規開拓地を確保せねば⋮⋮津島の商人達も、江戸
に来るな。それも考えねばならん︶
やる事が多すぎて、一つを考える間にそれに関連する新たな問題が
浮かんでくる。さらにそれを解決する方策を考えようとすると、別
の問題が、という思考に沈む田中吉政であった。
関東に移っても、彼の苦労は続きそうである。
秀次の率いる三万の軍勢は忍城に到着した。
石田三成を総大将とした忍城攻略軍がおよそ二万。忍城という規模
で言えば小さな城に、実に五万もの大軍が出現していた。
秀次は三成を連れて、実際に戦が行われた場所を見て回っている。
崩れた堤防、三成が造った即席の道⋮⋮それらを実際に戦闘に加わ
った者から話を聞きながら歩いていた。
242
﹁申し訳、ありませんでした﹂
着陣してすぐに、秀次本陣設営中に現れた三成は、その場で土下座
すると、絞り出すように、しかしはっきりとそう告げた。
﹁此度の失態、全て私の責任です。策を立て敗れた事、関白様の忠
告を無にしてしまった事、全て、全てこの三成の一存にてやった事。
責を負うべきなのは私一人です。いかような処分でもお申し付け下
さい﹂
︵⋮⋮真面目だなぁ、こいつ⋮⋮︶
三成は切腹もありえると悲壮な覚悟で秀次の前に出た。が、秀次は
言い訳や責任転嫁をしない三成の事を、やはり今後の豊臣政権で必
要な人材だと思った。
﹁三成﹂
﹁はっ!﹂
﹁沙汰は追って関白殿下より下される。まあ、なんだ、今回は運が
悪かったな。この忍城、そう簡単に落ちる物ではない。そこまで気
にするな﹂
これは秀次の本心である。史実の忍城攻城戦を知っているのもある
が、実際に城を見て素直にそう感じた。
︵城の周囲はほとんど沼地。大手門に繋がる道がほぼ唯一の行軍に
適した道だが、本気で落とそうと思えば、全軍を最初から一気呵成
に叩き込むくらいしか方法は無かったように思える。兵庫や宗茂な
ら何か手を思いついたかも知れないが、俺では囲んで日干しにする
くらいしかできないだろうな︶
243
秀次の下には風魔からの情報も入っている。それらを見るに、成田
長親に甲斐姫は十分な傑物であろうと思われた。さらに堤防工事な
どで徴集された地元の農民達も、率先して忍城を守る事に協力して
いたという。
︵正攻法では落ちない城、ってとこだな︶
﹁まあ、お主の処分は先ほども言った通り、関白殿下より下される。
私からも意見を添えて置くので、そこまで心配はしなくていいが、
なんらかの形に残る罰は下されるだろう。形式ではあるが、これよ
り忍城の開城に関する事、私が総大将となる。三成、忍城へは開城
勧告は送っているのだろう?﹂
﹁はっ、昨日中に返書が届きまして御座います。これに﹂
そう言って三成は書状を秀次に渡す。
﹁城主、成田氏親からの書状に御座います﹂
秀次は書状を開いて眼を通す。そこには、城主である成田氏親の首
を差し出すので城内全ての兵の助命を願う、とあった。
︵⋮⋮ま、普通はこういう形で終わらせるようにするだろうが、今
回は関白殿下の指図をある。俺が直接行くか︶
﹁忍城へ入る。三成、正家、吉継、榊原殿は供に来るように。兵庫、
宗茂! 手勢を率いてここで待て! 才蔵、お主は供に来い!
吉政! お主も登城だ﹂
そう言うと、秀次は馬を忍城のほうへ進めていく。
244
すぐに可児才蔵と田中吉政が十人ほどの手勢を率いて秀次の背後に
ついた。秀次は気がついていないが、才蔵の手勢の中には風魔の手
の者が一人、従者の振りをして入り込んでいる。才蔵と小太郎は城
内に入る際、警備という観点から協力しているのだ。
なお、忍城は開城勧告を受け入れており、正門は開け放たれている。
篭城していた兵は約三千人。それらはまだ城の中にいるが、この三
千人の中にすら、風魔は既に忍を紛れ込ませている。
大きく開け放たれた正門前に、門番が立っている。その門番に対し
て、列の先頭にいる秀次が名乗った。
﹁正三位権中納言、羽柴秀次である。忍城の受け取りに参った﹂
官位を名乗ったのは儀式的な意味だけではなく、朝廷からの使者で
もある、という意味を持っている。
秀吉が関白として発した関東惣無事令が北条征伐の大義名分である。
関白として命じた事は、朝廷として命じたに等しい。その理屈で進
めて来た戦であるので、秀次は官位を名乗る事により﹁この先は朝
廷の使者として振る舞う﹂事を宣言したのである。
実際は、官位を名乗らなくても城の受け取りに何の影響もないのだ
が、ただ単に秀次が﹁一度でいいからあの長い官名を名乗って見た
かった﹂だけなのだが。
門番が一礼して下がると、まもなくして死に装束を纏った男が進み
出てきた。
245
︵成田氏親、だな。そして⋮⋮︶
男のやや後ろに同じく死に装束を纏った女性が続いている。髪を短
く切ったその姿は凛として、何恥じる事なく真っ直ぐに立っていた。
︵甲斐姫、か。伝承の類でしかないかとも思っていたが、やはりい
たのだな⋮⋮︶
正門を通り抜けた所で、成田氏親と甲斐姫がその場に伏して、頭を
下げた。
﹁お初に御目にかかります。この忍城で城代として指揮を取ってお
りました、成田氏親でございます。この者は成田氏長が娘、甲斐に
ございます。城主、成田氏長が不在ゆえ、同席をお許しください﹂
﹁よかろう。成田氏長、甲斐姫、此度の戦は天晴であった。関白殿
下も忍城の戦いぶりは関東一よと褒めておられた。今後の事である
が、成田氏親よ、甲斐姫と共に関白殿下の下へとお送りする。最終
的な沙汰はそこで成田氏長と共に下される。忍城には一時的に城代
として長束正家が入る。何か存念はあるか﹂
﹁はっ! 我らは仰せのとおり、関白殿下の下へと行きまする。さ
れど、この城に残る将兵は周辺の村より集まってくれた義の者。ど
うか寛大な措置を﹂
﹁うむ、忍城の将兵については特に罰する事はない。この秀次の名
で明言しておく。それで良いな?﹂
﹁ありがたく!﹂
246
︵正三位権中納言、羽柴秀次。そう名乗られて来られたという事は、
この約定が破られる事はない。無駄では無かった、この戦は無駄で
は無かった⋮⋮負けたとは言え北条の、成田家の意地は見せられた
⋮⋮︶
成田氏親。この後、甲斐姫と共に豊臣本陣の秀吉の下に送られる事
になる。
忍城の一時城代として長束正家が入り、秀次から糧食などを譲られ、
忍城周辺の安定を第一に任される事になった。
こうして忍城の開城と城の受け渡しは終わった。
本来、この程度なら秀次が行く必要はないのだが、﹁最後まで抵抗
し、武勇を示した城とその城の将兵﹂に対して、関白秀吉が配慮し
て、甥の秀次を送ったのである。
忍城の受け渡しが済んだ事により、北条征伐は幕を閉じる事になる。
247
北条征伐の終わり、奥州仕置の始まり
忍城開城後、北条氏直、氏邦、さらに小田原城に篭城していた主立
った重臣が切腹した。
豊臣秀吉、羽柴秀次、徳川家康、黒田官兵衛、上杉景勝、前田利家
などが並ぶ中での見事な最期であった。
﹁見事﹂
秀吉が一言、そう呟いた後、秀次から遺体は丁寧に葬る事、場所は
早雲寺との宣言が成された。
北条早雲より五代、戦国乱世の幕を揚げた北条家はここに滅ぶ事に
なる。
同時に、豊臣秀吉に取って、遂に天下に手が届いた瞬間でもある。
未だ東北は揉めているが、伊達が恭順した今、豊臣政権に歯向かえ
るような勢力はない。
後は奥州に向けて勅使を送り関白への恭順を取り付けるだけである。
この奥州仕置の総指揮官となるのが、秀次である。
北条征伐のために連れてきている兵、豊富な糧食、道案内に伊達政
宗。
どうせならこのまま行くほうがいい、と判断したのである。
とはいえ、さすがに﹁では出発﹂とは行かない。
兵達に休養を与え、行軍の手配を整える時間はいる。
連れて行く武将を誰にするかを考えねばならなかったし、出立を一
月後とした。
248
秀次本陣。
奥州仕置きに連れて行く者、関東を治めるために秀次不在の間、諸
事を行う者を決めねばならなかった。
﹁とりあえず、田中吉政! お主を私が奥州滞在中の代将とする!
筆頭家老として、関東八州の下地造りに精を出せ﹂
﹁御意。居城は江戸に、とのおおせですが、縄張りは終わらせてお
きましょう。それと、成田家の者を召し抱える許可を願います﹂
﹁ああ、それは当然だな。他の北条遺臣や関東八州の名家より先に
召し抱えておこう。単純な序列にはなるだろう﹂
秀次は吉政の案に、すぐに許可を出した。
︵最後まで奮戦した忍城の成田氏、さすがに関東の名家よ、その武
勇に知略、あたら死なせるには惜しい⋮⋮的な事を言って配下に加
えるって事ね。⋮⋮ほとんど形式⋮⋮つか、プロレスだな︶
﹁成田氏を一族で召し抱える事が出来れば、少しは領国経営にも取
り掛かれるだろう。吉政、お主の裁量で何人か雇っておいてくれ﹂
﹁は、それでは幾人かに接触してみます。と、里見氏の件ですが⋮
⋮﹂
﹁それは関白殿下の沙汰次第だ。惣無事令を破った形になっている。
一応、上総と下総を没収されているが、安房は残っているが、追っ
て沙汰を決めると殿下は申された⋮⋮関白殿下がどうされるのか、
それからだ﹂
249
史実では里見氏は惣無事令を破った事が、秀吉の怒りを呼び、家康
に仲介に入って貰っているのだが、史実ほど家康の影響力がない現
状、里見氏をどうするのかまで秀次には決められる権限がなかった。
︵一応、義父殿が仲介に動くなら稲を経由して何か言ってくると思
うけど、まあ、それは後だ︶
ちなみに秀次としては、里見氏は助命したかった。単純に関東での
影響力を考慮した訳ではない。
︵⋮⋮里見八犬伝を知ってる身からするとなぁ︶
後世、講談として人気が出るほどの題材である。この時代に伏姫は
もういないだろうが、それはそれとして歴史好きとしては見逃せな
いという至極、俗な理由であった。
秀次の奥州出立の前、陣払いの準備が進む秀吉本陣に、秀次が呼び
出されていた。
﹁早かったの、秀次﹂
﹁もともと、こちらへ向かう途中でした。使者に会いましたが、相
談があるとの事ですが﹂
﹁ま、ちこう寄れ。酒も用意しておる。まずは北条を潰した事を内
々に祝おうぞ﹂
そう言って秀吉は座った。酒と簡単なつまみが用意されている。
﹁では、一献﹂
250
秀次が秀吉に酒を注ぐ。その後、秀吉が秀次に酒を注いだ。
お互いに軽く口を付けた所で、秀吉が口を開いた。
﹁北条氏直、氏邦に重臣数名は既に切腹し、北条は役目を終えた。
それ以外の者は生かす。それが終われば、論功行賞じゃ。秀次、お
主には関東八州を治めて貰うぞ﹂
﹁⋮⋮謹んでお受けします﹂
﹁うむ⋮⋮分かっておるだろうが、お主は関東八州、二百万石を超
える領主となる。西に徳川、北に伊達がおるが、東北はお主に考え
があるようじゃから、そちらは任せる。だが、徳川は常に警戒せよ。
儂が大坂に、お主が関東におる限り、徳川は豊臣に挟まれている状
態じゃ。そう簡単には動けまい。軽々しく動くような狸ではないだ
ろうがの⋮⋮﹂
これには秀次も苦笑する。
﹁稲とはうまくやっております。徳川殿も今の状況で何か策動する
ような、簡単な御仁ではありますまい⋮⋮今は、豊臣政権の中で深
く、静かに力を蓄えようとしているのではありませぬか﹂
﹁ま、そんなところじゃろう。で、それとは別に⋮⋮いや、別でも
ないか、お主が関東に動いた後の尾張と美濃の事じゃ﹂
﹁⋮⋮ああ、確かに私が動くと空きますな。伊勢と伊賀もですが﹂
﹁伊勢と伊賀はそれなりの者を適当に配そうと思うておる。そうじ
ゃな、九鬼を伊勢にでも置くか。伊賀は中村一氏でも置いておけば
まあよかろう。お主が整備した道もあるゆえ、それほど苦労はする
まい。で、尾張と美濃の事じゃ﹂
﹁誰ぞ、妙案がありましょうか? 徳川殿と領地を接する尾張は特
に能力のある者が必要かと思いますが﹂
251
﹁うむ⋮⋮美濃はの、本来は三成を考えておったのだが⋮⋮さすが
にのぅ﹂
不機嫌そうにそう言う秀吉。秀次も苦笑するしかなかった。
﹁確かに、美濃一国を三成に与えれば、諸将から不満が噴出しまし
ょうな⋮⋮京に近い穀倉地帯である美濃を差配するには、三成は適
任ではあるのですが﹂
﹁やれやれじゃよ。忍城なんぞに手間取ったどころか、敗けておる
からの。三成に美濃を与えるのは無理じゃ。かと言って、美濃を細
かく分けて儂の子飼いの者達に一万石ずつ、などもどうかと思うて
の﹂
秀次はしばし考えるが、その意見には反対した。
﹁それはおやめになったほうがよろしいかと。豊臣家の支配が盤石
であれば良いのですが、国内には未だに不満を抱く者、徳川殿のよ
うに深く、静かに機を狙っておるお人もおりましょう⋮⋮尾張は、
そうですな、福島正則はどうです?﹂
﹁む、正則か。正則は勇猛果敢、戦場では頼もしき将であろうが、
治世の部分はどうじゃ。あやつ、身内の儂から見ても、激しやすく
一度感情が噴出してしまえば、止まる事のない男じゃぞ﹂
︵正則の評価低いなー︶
﹁確かに激しやすく、感情が制御できぬようなところはありますな。
が、意外に家臣団からは慕われております。現状、三河と隣接する
尾張を押さえておくのなら、あれくらいの気性があったほうがよろ
しいでしょう。正則は剛直、殿下に弓を引くくらいなら自刃する気
性です。こういった猪武者のほうが、調略は通らないものでは?﹂
﹁⋮⋮ふむ、正則の後ろに置く者を考えれば、それもありか。飛騨
にも儂の子飼いを置けば⋮⋮美濃には、家格が高い者を置く事で周
252
囲の行動を縛り、監視させるか﹂
﹁家格が高く、徳川殿にも怯まぬ、それでいて美濃一国を与えて統
治できる御方。そう多くはありませんな﹂
﹁京にも近いからの。朝廷に安心感を与える人選でなければのぅ。
つまり、一人しかおらぬな﹂
﹁⋮⋮確かに。では細川殿は国替えですな﹂
細川家の当主は既に細川忠興であるが、前当主である幽才が健在で
ある。
朝廷に顔も利き、足利幕臣としての歴史もある。おまけに秀吉が光
秀を討った時から今まで、秀吉に好意的な家でもある。
︵しかし、それにしても一門と呼べる者が少ない。分かってはいた
が⋮⋮︶
九州から関東までを制した秀吉だが、どんどんと広大になる領土に
対して、それを任せられる一門衆、つまりは親族やそれに類する者、
譜代の家臣が絶望的に足りていない。
農民から戦国時代という舞台を駆け上がってきた秀吉は、当然なが
ら﹃家﹄というものを持っていない。
親族と呼べるのは秀長、秀次を除くと正室の寧々の実家である杉原、
浅野。羽柴という苗字を名乗る前の木下姓に至っては、杉原の名乗
りを謝絶されたため、杉原の遠縁にあたる木下性を名乗らせて貰っ
た、というだけでありとても親族とは言えなかった。
最も、木下性の者にさしたる才のある者が無かったという理由もあ
253
るが。
譜代、と呼べる者は蜂須賀、仙石、山内、中村、堀尾などである。
竹中半兵衛亡き後の竹中家も譜代と言えるだろうが、親の功だけで
大国を任せるにはつらい。まだこの時点では、戦国時代は終わりが
見えてきたばかりなのだから。
︵これらを除くと、秀吉に好意的な家かそうでないかと言うくくり
でしか残らん。知ると見るでは大違いか。なんという綱渡りの政権
運営。史実で秀吉が様々な人物に豊臣の名乗りを許した理由も分か
るというものだ︶
絶対に自分を裏切らない、と信頼を預けるにたる者が少ない。それ
でも秀吉が存命の間は天下は治まっていた。
︵それが英雄、か︶
秀次の正直な感想であった。同時に自分ではとても天下は⋮⋮と思
うのも当然であった。
︵史実とは大分異なった歩みをしている。が、切腹を免れたとして
も、豊臣秀吉亡き後、その天下を秀頼が継承できるのか? 治まっ
てこその天下。足利幕府のように名のみが残っても天下には⋮⋮い
や、今はまだ考える時ではないか。秀頼は生まれてすらいない︶
まだ日本全てが秀吉に頭を下げたわけではない。東北が残っている。
︵奥州は魔境だ。政宗がある程度整理したとはいえ、あそこは名家
どうしが延々と婚姻と抗争を続けてきた土地。土着している勢力を
まとめて引き剥がす必要がある。降れば良し、降らぬ家は潰す気で
行かねばならんが、面倒は御免だ。九戸は先に手を打つか︶
254
本来なら同格であるはずの南部家を主家として、九戸家を家臣とし
て扱ったのが九戸政実の乱を引き起こしている。
奥州に二度も行きたくない秀次は、九戸家に対して手を打つことに
決めた。
秀次は奥州仕置に立つ前に、九戸政実に一門全てを自らの下で召し
抱える事、関東に国替えとなるが十万石を約束する事を書状として
送る事になる。
これが奥州仕置の始まりであった。
255
宇都宮評定
下野国、宇都宮城。史実と同じく、ここから奥州仕置は始まった。
秀吉、秀次が宇都宮城で行った事は朱印状の発行である。
まず、常陸の佐竹。次いで陸奥北部に地盤を持つ南部らが朱印状を
賜る事になる。
本来、同格であったはずの南部と九戸であるが、史実では南部を大
名とし、九戸をその配下として扱った事により叛乱に繋がるのだが、
既に秀次が九戸を自らの臣下として十万石で迎える事を通達してい
る。九戸を奥州から引き剥がし、豊臣の陪臣にする事によって、奥
州の複雑怪奇な情勢に少しでもメスを入れたかったのである。
そして津軽、秋田、相馬、戸沢は所領安堵。会津は蒲生氏郷が転封。
史実では葛西大崎が木村吉清が置かれているが、ここで一揆がおこ
る事は秀次も知っている。
一般的にこの葛西一揆の裏には、伊達政宗がいたとも言われるが、
政宗は隙を与えなければ動かないと判断。
︵木村吉清は、こういった調略戦に向いていない。他の奴を置くの
もいいが、蒲生が史実通りの会津だと俺の背後を押さえるには少々
足りん。伊達家に臣下の礼を取っていた葛西、大崎は手をつけんで
もよかろう︶
葛西、大崎が小田原に挨拶に来なかったのは、政宗の配下であり、
その資格がなかったから。秀次は秀吉にそう報告。
256
秀吉は伊達政宗に対して、葛西、大崎の名がある士分台帳を提出さ
せる事で公式に両名を政宗の陪臣と認めた。
肝心の伊達家は史実通り、陸奥出羽13群に減封。
石川家、江刺家、黒川家、田村家、白川家、和賀家、稗貫家は改易
となった。
これら改易大名とそれに伴い生まれた浪人達は、秀次の命で蝦夷地
へと送られる事になる。
所領安堵となった蠣崎氏を通じて蝦夷地の開発を命じたのだ。
︵これ以上、無駄な浪人を国内で遊ばしておくべきではない。何を
するか分からん。もう一度、一旗揚げるかと考えられるよりは、切
り取れば大名に返り咲ける場所を用意してやるべきだ。蝦夷っつー
か北海道には確か泥炭があったはず⋮⋮あったよな? ま、まあ樺
太まで辿り着ければうん、将来的には油田とか⋮⋮今は使いようが
ないから無駄か。と、とにかくまとめて蝦夷地へ送り込む事だ︶
そこまで考えて、最上ってどうなった? という疑問が秀次に湧い
てきた。
史実では家康に取り成して貰っており、政宗よりも後から来たにも
関わらずしっかりと本領安堵されている男である。
︵史実では確か最上の姫様が俺の⋮⋮側室というか、側室になりか
けていただけで殺されているんだよなぁ︶
﹁殿下、最上についてですが⋮⋮﹂
秀次がそう聞くと、秀吉が満面に笑みを浮かべて言った。
257
﹁本領安堵じゃ﹂
﹁ほう⋮⋮さようですか﹂
︵遅れたけど、やっぱり家康殿の取り成しがあったって事か? で
も今の徳川殿の取り成しで本領安堵まで貰えるとは思えないけど︶
﹁不思議かの、秀次﹂
﹁はぁ、まぁ。伊達より遅参した事は事実。いささか、伊達との扱
いに差があるような気が致しますが。徳川殿から取り成しがあった
とも聞いていますが﹂
秀吉は軽く首を振った。
﹁ま、家康殿からは確かに取り成しはあった。が、それは領土を全
ては取り上げないでくれ、という嘆願での。伊達の小僧と同じく、
削ってやろうかと思っておったが⋮⋮最上義光、人質を差し出して
きおった﹂
﹁人質ですか。大名から取るのは至極当然のような気もしますが⋮
⋮﹂
くっくっく、と秀吉は人の悪い笑みを浮かべている。
﹁なかなかに張り込んだぞ、最上は。自らの娘をの、お主に嫁がせ
て欲しいそうじゃ﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
﹁駒姫、という名のようじゃ。もちろん、側室じゃぞ。徳川殿の養
女を押しのけて正室などありえん。なかなかの器量良しのようじゃ
からの。それで本領安堵よ﹂
258
︵俺の意志はどこへ⋮⋮無視ですかそうですか︶
﹁ま、最上の意を汲んでやる形での側室入りじゃ。問題はない。清
和源氏の血が入ると思えば、最上の領土など安いものであろう。
ああ、まだ九歳らしいでの。手をつけるのはしばらく後にせいよ﹂
﹁当たり前でしょう! ⋮⋮受けたのですね、その話﹂
﹁うむ、まあ、手元で養育した者を側に上げるなど、ありふれた話
じゃ。気にする事もあるまい﹂
﹁⋮⋮殿下には摩阿姫がおりましたな﹂
﹁あれは儂にとっては我慢したほうじゃぞ﹂
︵胸張って言える事かよ⋮⋮︶
﹁ま、お主は立場上、側室は持たねばならん。この際だから言って
おくが、徳川殿の養女だけが子を成せば良いというわけには行かぬ
からの。それでは徳川との縁が強くなりすぎるわ﹂
﹁⋮⋮余り多くの側室を抱える気はありません。職責の範囲では努
力しますが⋮⋮﹂
﹁お主は儂に似ず、女色にはとんと疎いの。お主が婚姻を結ぶ事に
よって最上という家が我が一門に加わる。名家は数多くあれど、最
上のように時勢を見て、成り上がりの我らに娘を側として送り込ん
で来るのは珍しい。伊達の減封が利いておる証拠でもある。しっか
りと養育せい。我らには譜代の家臣や一族衆が少ない。側を取れる
のはお主か儂しかおらん。秀長はまだ大和で療養中じゃでの⋮⋮﹂
秀吉の顔に少し陰りが浮かんだ。弟である羽柴秀長は大和の居城で
病に臥せっている。北条征伐中も何度も書状をやり取りしていたが
259
あまり楽観はできないと、お抱えの薬師から秀吉の下に報告が来て
いる。
﹁まあ、お主のいう通り、改易した奥州大名は蠣崎を通じて蝦夷に
送る。伊達の小僧に取りまとめさせれば良かろう。ふむ、蝦夷開発
の件はお主が主導せよ。大坂まで報告に来るより、関東のほうが近
かろう。がれおん、といったか、あの南蛮船はこれからも造り続け
よ。交易だけでなく、他の船よりも足が速く、いろいろと使えるか
らの⋮⋮﹂
︵蝦夷開発にもガレオン船は使うべきだろうし、使わないと物資の
運搬が陸路になって面倒になるな⋮⋮江戸から石巻、そっから宇須
岸までは今でも海路はあるか⋮⋮函館、きちんとした港にさせるか。
こっちが金出して整備してやれば蠣崎氏も蝦夷内部を開拓する者た
ちからの貿易拠点として旨みはかなりあるはず。港は整備してない
とガレオン船も使えないからな。これは全国の港も同じか︶
﹁その件は承りました。駒姫の件は⋮⋮承りました。稲には私から
説明します⋮⋮﹂
﹁うむ、まあ、輿入れはお主の奥州検地が終わってからよ。その後
は関東に戻り、関東八州、見事治めて見せよ。頼むぞ、秀次﹂
宇都宮城での評定後、秀次を主将とした奥州仕置の部隊が出立した。
総大将に羽柴秀次︵正三位権中納言︶。
副将に舞兵庫︵従五位上相模守に内定︶、同じく副将に立花宗茂︵
従五位下伊豆守に内定︶。
260
将として初の正式参戦、風間小太郎︵従四位下検非違使︶。
会津に転封となる蒲生、道案内役として伊達、能吏として石田三成、
増田長盛、浅野長政。
そして豊臣が奥州を粗略に扱わぬ、従えば厚遇するという事を見せ
るための最上義光。
さらに上杉、徳川から応援の兵力を入れて、総数五万。
北条征伐に持ってきていた糧食や物資を奥州仕置にそのまま持って
いく形である。
田中吉政を代将として江戸に入れ、築城と港の整備を始めるよう命
じ、稲姫も江戸へと送り出した秀次は、奥州仕置に出発した。
261
宇都宮評定︵後書き︶
駒姫が側室入りです。
262
奥州仕置
﹁奥州とは巨大な家なのです。それぞれがそれぞれと手を取り、反
対側の手でまた別の手を取る。利害が一致する事は積極的に行いま
すが、利害の一致が見られない場合、争いになります。が、戦いを
仕掛けた相手の親戚には必ず自らの一族がいる。そこから手打ちの
打診が来て、一応の決着という事で矛を収める。結果として何も変
わっていない。そんな事を延々と繰り返して来たのが、奥州という
土地でした⋮⋮﹂
そう秀次に語るは、伊達家の家老、片倉小十郎。
﹁そして奥州には多くの名家があります。出自の怪しい大名、とい
うのはいません。と、これは中納言様をという事ではなく⋮⋮﹂
﹁農民出身、現在は正三位が、源平藤橘に連なる者では絶対にない
から安心しろ﹂
﹁⋮⋮失礼しました。そのような情勢で延々と微睡みの中にいたの
が、奥州と言えるでしょう。政宗様がそれを破壊しました。奥州の
統一、そのために伊達家は⋮⋮﹂
伊達政宗はその状況を打破するために、奥州統一を完成させるため
に動いていたのだ、と片倉は言葉に力を込めた。
﹁そのために実の父すら、か?﹂
片倉の眼に険しさが増した。思わず秀次を睨むように見てしまう。
﹁そうでもしないと、ずっと小さな勢力同士が、決着をつけない戦
263
いをやっていたわけだ。おまけに名家意識が高く、自分の土地を誇
りとして土着している⋮⋮政宗は正しい事をしたとは思うぞ﹂
﹁⋮⋮正しい、ですか?﹂
﹁ああ、もし政宗が何もせず、奥州がそれ以前の状態であったら、
我らは北条を攻めると同時に奥州へも討伐軍を送り込まねばならな
かった。そうなれば、奥州の大名は全て滅ぼされるか、寺に入れら
れてただろう。奥州の名家の代わりに、豊臣家から3から4家くら
い転封して上方のやり方をそのまま押し付ける事になっていただろ
う。治まるまでどれくらいの時間がかかったか⋮⋮﹂
考えたくもない、と秀次は思った。おそらく旧主主導の一揆や逃散
が相次いだだろう。奥州を更地にするくらいのつもりでかからない
と終わらない事業など、冗談ではない。
﹁それにこの時代だ、親殺しなど珍しい話ではあるまい? 甲斐の
武田信玄、弟を排した信長公、主君を殺した明智光秀⋮⋮片倉殿、
伊達家が大分整理した事により、我らは北条征伐時に、挨拶に来て
臣従するかどうかの猶予を与える事が出来た。ま、蘆名は余計だっ
たがね。惣無事令は関白の命によるもの。関白の命とは、そのまま
かしこき所の意志である。そこを考える事だ﹂
秀次が語っているのは︻分かりきった建前︼である。惣無事令は秀
吉が出したものだが、﹁認めるなら臣下に、認めぬなら朝敵として
討つ﹂という最後通牒である。もちろん、かしこきところの意志で
はなく、秀吉の意志である。
︵まあ、国内はこれで終わりだ。その先を考えたくはないが⋮⋮︶
﹁中納言様?﹂
264
﹁ん、ああ、すまん、少し考え事をな⋮⋮石川、黒川ら改易大名は
全て蝦夷行きだ。流刑地などと勘違いされると困る。開発のための
援助は豊臣の名で行う事を言い聞かせてやらんとな⋮⋮伊達家も蝦
夷開発には協力してもらうぞ。まあ、最初は港だな。大型船が入れ
るようにしてくれ。石巻とかその辺り﹂
﹁畏まって御座います。が、蝦夷との通商により益が出るとお考え
でしょうか?﹂
﹁大丈夫だろ。蝦夷は広い。ああ、先住民がいるから、揉めないよ
うにしないと。その辺りもしっかりと説明しないとなぁ﹂
︵史実の秀次も同じように奥州仕置に行ってるんだよな。結果とし
て本人の預かり知らぬ所で一揆が起こったりとか苦労はしたんだろ
うけど、蝦夷にまで手を伸ばす事を決めている俺と、どっちが苦労
してんだろう⋮⋮︶
面倒事は多そうだ、そう思いながら秀次は大軍を率いて奥州を進ん
で行った。
奥州仕置、その内容は決まっている。検地などの実作業は三成ら能
吏が差配して、抵抗の気配を見せた者は攻め潰す。それだけである。
最も、十万の軍勢に対して決起するような大名はなく、改易と検地
は順調に進んだ。
改易された大名を政宗の居城に集めた秀次は、蝦夷開発の方針を申
し渡す。
当面の責任者を伊達政宗とし、蝦夷に移り、その地を開墾せよと命
265
じたのだ。
合わせて蠣崎氏に港を整備する事を命じる。勝山に近い港と、宇須
岸の港の拡張である。
この工事のために大谷吉継が残る事になり、第一次開発費用として
二十万貫に金一万両が与えられた。
蝦夷に入る諸大名には﹁現地の先住民と争わぬ事。先住民の信仰や
文化を否定せぬこと。長い時をかけて日ノ本に同化させること﹂を
言い聞かせる。
﹁先住民とうまくやることによって、より大きな利益を生む。なる
べく武力は使うな。一応、鉄砲などの武具は支給するが、使うのは
決定的に相手と拗れた時のみとせよ。政宗、しっかりと頼むぞ﹂
話を振られた政宗はにやりと笑いながら言った。
﹁わーってるよ、秀次さんよ。ただ、この武器を使って俺が蝦夷を
取って豊臣に弓を引くかもしれねぇぜ?﹂
﹁殿っ!﹂
片倉が厳しい口調で政宗を嗜めるが、秀次はあっさりと言った。
﹁出来るなら、やってみろ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁俺、徳川殿、上杉に蒲生、それらを踏み潰してなお、その先にあ
る大坂を倒せると思うなら、な﹂
︵残念だが、お前の考えている蝦夷開発、お前の代では終わらんよ。
天下を望む暇もあるまいさ︶
﹁⋮⋮お見通しかぁ。ま、なんとなくあんたには勝てそうにない。
だが、蝦夷はしっかりと取らせて貰うぜ﹂
﹁いや、お前も開発するのはいいけど、石川、江刺、黒川、田村、
白川、和賀、稗貫の領土はきっちり割り当てろよ⋮⋮そもそも、お
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前も先に石巻の港を整備しろよ⋮⋮﹂
﹁わかってるさ。ま、その辺りはまかせてくれ、秀次公﹂
一抹の不安を感じながらも、秀次の奥州仕置はひとまず終わった。
後は能吏達が改易した領土を検地し終われば仕事は一段落である。
それらの差配を取り仕切りながら、二ヶ月後、秀次は帰路についた。
まず向かったのは、出羽山形。
招待を受けている最上義光とその娘、駒姫に会うためである。
267
羽州の狐
﹁庄内、ですか﹂
﹁はい。秀次様から取り成しては貰えぬでしょうか?﹂
出羽に着いて最上義光との会談に臨んだ秀次。歓待を受け、礼節の
伴った挨拶を受けた後、酒宴となり、明けて次の日に義光から内々
に話がしたいと申し出があった。
表向きは駒姫の側室入りの件であるとして、義光は僅かな近侍だけ
を伴って秀次との会談に臨んだ。
秀次も舞兵庫、立花宗茂の両名のみを伴っての会談である。無論、
部屋の外には可児才蔵や風魔小太郎が控えてはいるが。
そこで切り出された話は、庄内地方を最上家に取り戻せないか、と
いう事であった。
﹁元は大宝寺の領土で、上杉の後見を受けて奪還に来たのが経緯だ
ったとか?﹂
﹁おおむね、その通りです。かの政宗が大崎との戦に及んだため、
私は援軍を出していました。政宗との和議は成った後ですが、動け
ぬ隙を突いて上杉景勝の後見を受けた大宝寺に奪われました。
無論、戦国乱世。隙を見せた私と隙を逃さずに動いた景勝殿の差
と言われればそれまでですが、私が問題としているのはその時期で
す。その時期、既に関白殿下は惣無事令を発しておりました。さら
に申せば、私は羽州探題に任じられています﹂
268
最上が上杉に庄内を奪還されたのが天正十六年の八月。それより前
の五月に秀吉は最上義光を羽州探題に任じている。
︵つまり、惣無事令を破ったのは上杉の後見を受けた大宝寺であり、
羽州探題に任じられていた自分の面子が立たない、と。ついでに惣
無事令を発した秀吉が、それを無視して庄内地方を上杉の領土と認
めたのに納得がいかないわけか。それにしても、それならなぜ俺の
側室に駒姫を⋮⋮齢九歳でしかない愛娘を送り込む? むしろ豊臣
とは距離を取るように思うが⋮⋮︶
秀次が覚えている史実では、最上義光は母の葬儀によって小田原へ
は遅参したが、徳川家康に取り成されて特に問題なく所領安堵を受
けている。
︵家康が秀吉に史実ほどの影響力を持っていないとしても、別に最
上は政宗のように惣無事令を破ったわけではない。遅参の理由も真
っ当だ。取り成しがなくても所領安堵でいいと思うが、秀吉は俺に
最上の領土は少し削ろうかと思ったと言っていたな。何か理由でも
あるのか?︶
秀次は確かに史実を知っていたが、各大名の遍歴や豊臣との関わり
を全て知っているわけではない。
︵ぶっちゃけ、最上とかそこまで知らねーんだよな⋮⋮︶
最上義光の妹が伊達政宗の母、そう言った視点から語られる事が多
いためか、今一、印象に残っていない大名なのである。
﹁義光殿、庄内ですが、私は当時その件に関わっていないのです。
269
詳しい経緯をお聞かせ願いますか?﹂
﹁私は関白殿下に徳川殿を通じて庄内を我が領土として認めて頂く
ように取り成して貰ったのです。が、上杉家の家老である直江兼続
が石田三成という者と通じており、我が見解は通りませんでした﹂
﹁なるほど、三成はその当時から殿下の側近でしたからな﹂
︵⋮⋮三成と兼続の繋がりか。見えてきたな︶
徳川家康を通じて庄内の領有権を主張した最上義光と、直江兼続と
友誼のある石田三成を通じて領有権を主張した上杉景勝。
結果として、秀吉は三成の言を入れて上杉家の領有を認めた、とい
うところである。
︵が、正論としては最上が正しい。惣無事令を発したのは秀吉だ。
大義名分を通せば、惣無事令を破った上杉家には何らかの罰があっ
ても良かったくらいか。しかし実際には上杉家が庄内地方を取った。
酒田港などを考えれば、失った場所が痛すぎるか⋮⋮。秀吉、最上
はいつか豊臣家に敵対とは言わないものの、隔意を抱くには十分と
思ったか? 三成を通じてある程度家内の様子がわかる上杉のほう
が組し易いだろうからな︶
家康を通しての嘆願より、三成の言を入れたのも、おそらくは家康
の影響力が増すのを防ぐため⋮⋮秀次はそう判断した。
実際、大大名である事に変わりはない家康は、豊臣政権下で最大の
外様である。東北の取り次ぎ役になられて、影響力を行使されては
困ると思ったのだろう。
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︵⋮⋮徳川殿を通じて、俺に話を持ってきていたら、また結果は違
ったかも知れないが⋮⋮︶
秀次の正室は家康の養女である稲姫である。そちらから話を秀次に
持ち込まれたら、秀吉と言えども上杉に肩入れする事は無かっただ
ろう。
最も、その場合は上杉が三成を頼むに足りぬと判断しかねないが。
︵駒姫を側室として送り込んできたのも、庄内地方を取り戻すため
⋮⋮というよりは今後の生き残りを考えて、か。関東八州を治める
事になった俺に娘を側室としてつける事ができれば、豊臣は今後、
最上家を疎かには扱えない。というか、外から見れば俺って秀吉の
後を継いで幼君を後見する、いわば中継ぎの立場に見えるだろうか
らなぁ。後々にまで影響力を残せると考えたか? 外戚と考えると
分かりやすいか︶
実際、外戚どころか清和源氏である名門、最上の姫と秀次の間に子
が生まれれば、豊臣と最上の子である。出来たばかりとは言え、形
式上は源平藤橘に並ぶ姓なのだ、豊臣とは。
正室は徳川家の養女。奥の序列を変えるような事がないとすれば、
側室の生んだ子には豊臣秀次の後継にはならない。だが、名門を取
り込んだ婚姻から生まれた子は、豊臣の分家を興すにはちょうどい
いだろう。
︵血統を考えれば、もう一つ家が興せる。豊臣政権で秀次殿が頼み
にする家が⋮⋮︶
最上義光はそこまで踏み込んで考えていた。
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そのために秀吉が最上の遅参を少し咎めるような口振りだったのを、
わざと大きく捕らえて秀次に側室をと申しこんだのだ。
秀吉は名家たる最上家が慌てて誼を結ぼうとする様に満足し、秀次
に側室がいない事もあってその場で駒姫との縁談を纏めてしまった。
︱︱徳川家の養女が正室なのはかまわないが、それだけではいかん。
そこにきて東北名家の最上家の姫なら側室として家の格は十分。関
東に移る秀次も東北大名の取り次ぎ役として最上が使えるのはあり
がたかろう︱︱
秀吉の思惑は十分に政治的判断と言えるが、それ以上に自らの生ま
れが卑しい秀吉は名家が頭を下げ、幼き娘まで豊臣のために差し出
してくる様に満足を覚えた。
そこまで計算して駒姫の側室入りを願い出て、側室入りが決まった
後に、庄内の件を義理の息子となる秀次に直訴する。
次代の豊臣政権を担う者と縁戚になり、その縁を持って上杉から肥
沃な庄内平野と酒田港を兵を使う事無く取り戻そうとしている。
表向きは惣無事令と羽州探題の任を建前として。
裏向きは秀吉の甥である秀次の義父として。
﹃羽州の狐﹄﹃奥羽の驍将﹄とまで呼ばれる最上義光は、この手の
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政治感覚を持った大名としてはまさに傑物と言えた。
秀次にしてみれば、駒姫の側室入りは決定事項である。秀吉が決め
た事なのだから。
︵しかし、庄内を上杉から最上に返還するように命じる⋮⋮いまさ
ら? 上杉が従うか? 最低でも上杉には代替地を用意しないと⋮
⋮いや、奥州も関東も土着している国人を整理したんだ。この際、
上杉には別の領地を与えるか? 越後からどこか別の地へ⋮⋮それ
にしても何か秀吉を説得できるだけの理由付けがいる⋮⋮いや、庄
内の件は終わった事だと突っぱねることもできるが⋮⋮︶
秀次は考える。上杉を越後から加増して国替えし、庄内を最上家に
戻すか。
庄内の件は既に関白秀吉の裁定が出た話であるとして、この話を突
っぱねるか。
︵どちらにせよ、今ここで俺が決めれる事ではない、か︶
秀次は腹を決めた。上杉に国替えを飲ませるだけの理由をなんとか
用意し、秀吉に提案してみようと。
だめならだめで、最上に庄内の件の替わりを用意できないかと。惣
無事令を持ち出されているのは政権側なのだから。
︵上杉の国替えがダメなら、庄内だけを最上に返還させるわけには
いかん。官位などで手を打ってくれるといいが⋮⋮相談だな︶
﹁一度、大坂に戻った時に殿下に上奏します。返答は駒姫様の輿入
れ時でいかがでしょうか?﹂
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﹁有り難き幸せ。では、輿入れの際に私も伺わせて頂きます﹂
そういって深々と頭を下げる最上義光。
︵また妙な宿題を⋮⋮︶
秀次は頭を抱えたくなったが、なんとか自重した。
その後、義光に呼ばれて部屋にやってきた駒姫から、
﹁駒にございます。ひでつぐこうには、ごきげんうるわしくぞんじ
ます﹂
と少々舌足らずな口調で挨拶を受け、ほっこりしたので先ほどまで
の胃の痛い話は忘れる事にした。
しばし駒姫と歓談し、輿入れの時期は大坂へと報告に行き、関東に
戻って来た後とする事を決め、秀次は奥州からの帰路に着いた。
︵いろいろ疲れたな︶
それが秀次の感想であった。
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羽州の狐︵後書き︶
長くなってきた⋮⋮まだ奥州から帰ってきたところ⋮⋮だと⋮⋮
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n2046bc/
腕白関白・改定版
2015年3月23日10時06分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
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