覆われた大嘗祭における秘儀のグ真相

1989
年、昭和天皇の死で凍りついたメディア状況の中で、
」 に迫った。
「自粛ム lド」を批判し、その空虚な実態を暴き続けた『噂の真相』が、
-秘儀を否定する 宮内庁の異例の見解
時間にも及 ぶ 記 者 会 見 を 関 い
4
て発表された儀式の概容は、ひとことでいえ
まるだしの中身、という表現で十分なものだ
ば、予想通り登極令を焼き直しにした神道色
「
hnつげぷみ
かねてより国会答弁等では〈秘儀〉に対す
る御告文にもそのような思想はない」
る否定的見解をのべたこともある宮内庁だ
ば、宮内庁が直接的に対応せざるをえないほ
ドを使
って
」 で寝具を天孫降
・折口信夫である。
のは
。
〈
秘儀 〉 が行われている、とい
ご存知のように民俗学者
この〈寝具の秘儀〉を最 初に指摘した
うのが最も有力な説として浮上してきた
ッ
特別の秘儀はなく、天皇が神前で読み上げ ど、「秘儀の存在」がある種のリアリティを
たことの方である。
朝にかけて新天皇が引き 縫ってとり行う儀式
らかになっているのは、秋にとれた穀物を皇
である。この中で行われている儀式として明
祖である天照大神に供え、共にこれを食べる
ま
ミズムからのアプローチが盛んになり、大嘗
大嘗祭の本義
「
折口は講演
これをうのみ
〈
福鋲供進の儀 〉 以外にない
。
祭が近づくにつれて
臨神話でニニギノミコトがくるまって地上に
〉に 見
にすれば、大嘗祭は毎年秋に行われる新嘗祭
〉
に必要不可欠な要素として提示したのが、
さらに折口、かこの 〈マドコオフスマの儀
式の存在を唱えたのである。
このベッドの布団に天皇がくるまる儀
〈マドコオフスマ
儀〉を活字にするマスコミも登場するように
・
にもかかわ
る一世一代の儀式なのだ。加えて、大嘗祭で
っている 聞 に〈天皇霊〉 が天皇の肉体に付着
天皇霊 〉の
〈
なる、というのである。つまり、天皇の肉体
し、そのことによってはじめて完全な天皇に
存在だ。大嘗祭で布団にくるま
は新嘗祭の約三倍以上もの長時間にわたって
、そん
共食〉以外に
〈
は霊魂の容れ物にすぎず、大嘗祭は霊魂が新
神との
。
状態 」の 風説は、この
天皇の肉体を借りて復活する、神性の継承儀
ランス
な疑惑が大嘗祭に関して浮かびあがってくる
ト
何か儀式が隠されて いるのではないか
「
式であると主張したのだ。
〈天皇霊〉が付着する時間を指している、と
前述の
のも当然のことだろう。
の中身のはずがない
ことになっている。だとすれば新嘗祭と同一
新天皇が悠紀殿・主基殿両殿内陣に引き簸る
らず 、大 嘗祭は天皇としての神格を継承させ
、
たて
降り立 った とされる
「
昭和天皇
稲作
と全く同一の内容、つまりは瑞穂の国
。
、
なった。また、海外のメディアまでがこの
。
々な風説が
強い関心を示しはじめている
何より、我々の問で、様
〈
秘儀 〉に
そして
L
「
深夜、大嘗宮の中で
天皇は大嘗祭で 窓きも のがついたように
「
まことしやかに流布しはじめているのだ。日
く
トランス状態になる」
女性と性的な行為をするらしい
‘
L
のミイラと一緒に寝る儀式がある」「稲穂に
..
天皇が精液をかける儀式が大嘗祭の骨子だ
OL6t ρし・
-霊魂が新天皇に付着するけ
殿内部には天皇と神の席がしつらえられてお
いえなくもない。実際、狂信的な神道家の間
の構造、だ。両
共食 〉を することにな
〈
そして着目されたのが、内陣
り、ここで対座して
とりしきったといわれる古神道家
・
川面凡児
ているらしく、例えば、昭和の大嘗祭で福岡
つまりベッドなのだ。そしてこのべ
は部屋全体から見ると片隅に追いやられてお
、
が主基斎田に勅定、された際、すべての祭事を
の寝座
り、内陣の中心・大部分を占めるのは八重畳
では天皇の霊能力なるものが本気で信じられ
らの風説は、あながち無根拠というわけでも
、これが中心儀礼の割に
。
って いる 。ところが
部分もあるのだ
、
主基殿の閉ざされた 内陣 に 夕刻から
・
大嘗祭の中心儀 礼は大嘗宮に建 てられた悠
るとさえいえる
ない。むしろ 、ある種の本質をいいあててい
単なる無責任なデマ、としか思えないこれ
礼、というこ とになる。しかし
国家の祭紀王たる天皇による単なる収穫儀
、及び腰なが らも〈秘
ず、宗教学、民俗学、歴史学といったアカデ
ならない。実際 、昭和天皇の死去以降、
もって語られはじめていることの裏返しに他
された。延々
その式次第がこの 叩月ゆ日、 宮内庁より公表
が、マスコミに対して、しかも具体的な根拠
皇室の公的行事として強行することが決定 ろう。それよりもこの会見で注目されたの
されたのみで、中身については一貫して秘密 は、記者の質問を受ける形で宮内庁幹部が大を提示する形で 「ない」と断言したのはきわ
嘗祭における〈秘儀〉の存在を正式に否定し めて異例といえるだろう。これは言い換えれ
裡に準備進行されていた天皇明仁の大嘗祭
、
編集部が未だこれを超える天皇論は存在しないと自負する慧眼の批判研究。
「
大る
嘗祭
翌年、明仁天皇の即位に際して天皇家最大の秘密であ
唯
紀殿
-1
0
4
1
0
5
一ー の ! ル に
覆われた大嘗祭における
秘儀のグ真相μ
天皇制 ② ヴェ ールに 覆われた大嘗祭 における秘儀の ご 真相 ミ
天皇帝IJ ② ウ・エ ールに 覆われた大嘗祭 における秘儀の ξ 真相 ミ
などは天皇が大嘗祭はおろか、毎日朝夕に
た 」。生き返るのか、別
かを判別する必要があ
と
の肉体に魂が 移るの
ったのだ。そこでも
している
もっとも
。
、物理的に考えれば、 〈崩御
〉か
らかなりの時間を経過している大嘗祭で前天
ってい
(H先帝の死体)
」なる トランス状態に陥るとい
の天皇霊のついていた肉体
「イメ
る。天皇の霊魂がたえず霊界と現界を往来し
皇の死骸と共寝する、と いう のは不可能に近
先帝同会〉説を真正面から継承し
折口 〈
(H新天皇)を
るのが
、
、
「ミイラ
っていると想定して行われる儀
、
っ たとし、
から 、フ ランスやダライ
様の例があ
の
ラマの場合にも 同
・
〈
先帝同会 〉 説を補強
く漂
っ ており
この
、
ま
むしろ大
日目
〈
崩御 〉 の際も
。
日日目 から ω
、昭和 天皇の
〈
殖宮の儀 〉 として死後
聞 に実際に 前天皇 の死骸と
での長期にわたってとり 行われた
嘗祭よりも、この
ではないか 、と いうのだ。
った
ではなく、両殿の北にある廻立殿だ
み
とになっている
。
天
つまりシモジモ風にいえば
「
小己むの湯」という湯を使い、体を清めるこ
お
為の対象として見る西郷信網は、その根拠と
「
淫風 L が平安
皇は両殿に引き箆もる儀式の前に、ここで
」 したという
して「国造が新任の日に、神官の采女と称し
て百姓の女と婚
初期まで続いていたこ とをあげている。
。
に立っている。ことに山折は比較王権の視座 寝る秘密の風習が、天皇家には残っているの
この説
」
〉 が大嘗
なのだろうか。
一方では この 〈先帝同会
。
〈
残 〉の 儀礼である。天武天皇の時
先帝同会 〉 に直接 的なイメー ジを与えてい
〈
ているのではないか、との噂もある
祭ではなく、〈崩御〉の直後に実際に行われ
しかし
の風説はやや飛躍しすぎ
式、というわけだ。では、前出の
座に績たわ
靴をおいてあるのもそのためで、前天皇、が寝
れは模擬儀礼であるとしている。寝座の側に
ているひとりである歴史学者の洞富雄も、こ
。
と新しく霊のつくべき肉体
、片方 に 前 天皇の死 体を置
、
復活とそれを果たせない
天皇霊〉の移動が行われる、という
〈
。
〉説は当時からかなり広範
い
天皇は霊界をも統治しているという説であ
」復活のための儀式を行っ
「一つ会で覆うて
その後、生死の区分が明確化してくるにつ
たのだという。
ス九
ないが 、本 質 的
れて二つの肉体を別々の場所に置くようにな
る ことは
さすがにここまでマッドな説になると、ま
〉 論もこの種の奇説と同一なの
ったと思われる
る。もともとは
場合は
るが趣旨は同様で
き、もう一方に新天皇が入る。表は別々とな
のはそのためで
大嘗宮主殿が悠紀殿と主基殿に分かれてくる
一つしかなか
儀式の意 味 づけを行った 折口 の
ともにとりあげら れ
、
には〈天皇霊
だ。そして
〈天皇霊 〉 の存在そ
、
今や 神道界では常識と なっている
、
意図とは全く関係なく
のものが
という。
-新天 皇は前天皇の死体と同会か
この〈先帝同会
のが 折口 の唱える説の概容だ
天
「
には 二年 二 カ月にも及んだと記録されてい
〈
秘儀 〉
フスマ 〉〈天皇霊 〉 を深
に流布され ていたらしく、折口以外にも
〈マ ドコオ
に関する
折口 の
っ
この儀式は復活儀 礼として の性格 が色濃
化 発展さ せ る形で、その後
「
生きてゐるのか、
っ きりわからなか
、
る
こ
」 といった説
照大神の 死骸 (い ったいそんなもの、がどこに
あるんだろうか?〉と 同 会する
〉 説もそ
古代人 の思考
「
他 ならぬ 折 口 信 夫 自 身 が
様々な考察が登場した。 〈先帝同会
のひとつである。
は
も
を唱える 神道 家もいたという。現 代 でも
、
一、山折哲雄など、民俗学・宗教学
大嘗祭の本義 」 講演の翌年、
「
。
先帝同会〉を支持する学者は多く、谷川健
〈
いる
の基礎 」と題された講演でこの説を開陳して
、
ゐ る の か
平安期でも
折口によれば、古代には生死を明確にする
死んで
意識がなく
-大嘗祭の本質は性的行為なのか
〈マドコオフスマ〉の延長線上に浮かびあが
西官記 」「江家次第 」 等
「
にはここで天皇が 〈天羽衣
風呂場だ。そして
という記述が登場する。折口はこの〈天羽
一方、性的行為 の相手を神だとする説もあ
る。穀神に擬せられた王と穀母神に扮した花
衣 〉 があろうことかフンドシであるとし
るもうひとつの〈秘儀〉説に(聖婚儀 礼 )が
嫁が交わり、豊穣を祈るという習慣が古代オ
立殿の儀ではじめてこれを解き、性の解放を
、
廻
って いる
ある。 〈
聖婚〉というのはもってまわったい
リエントをはじめ、日本以外でも広くおこな
するという 。そ して、フンドシを解くのが、
〉 をまと
い方であり、要するに大嘗祭で天皇による性
われていることは、文化人類学の成果として
のだ。
吉本隆
大嘗宮正殿の中にまで入れる人間はきわめ
的行為がおこなわれる、というも
すでに明らかにされているところだ
丹波から送りこまれた処女であり、天皇はこ
いずれにしても、大嘗祭がある種の性的な
〈
共同幻想 〉 として同
。
て限定されている。そのしつらえを見ると
明も神の代理として の女性と「性行為」を行
、
御座 (天皇の席)と神座をのぞけば、関白 の
うことで〈対幻想〉を
ヲねめ
座と宮王の座、そして数人の采女の座しかな
致させようとする模擬行為と見ている。
意味合いをおびている、とす
の代表ひとりで 、残りの人間は外陣 にとどま
っている。そして内陣と外陣はカ
ない。実をいえば、折口信夫もまた 、性 交儀
礼 の存在を示唆してい るのだ。しかし
「
引用されている
にもかかわらず、
口の展開した説は、マスコミ
、同
じ
・
この部分は
やアカデ ミズム
完全に黙殺されている。そして、たしかに折
が黙殺せざるを得ない ほど大 胆なものだっ
た
・
主基殿内陣の寝座
折口が性行為を示す場所として推定したの
は自らが着目した悠紀殿
即位礼 の本質を賢所大
に 。そう いう 意 味
〈秘儀 〉 否定の舞台裏
〈
秘儀 〉 に関す
る論考の多くは 、結 局 、折口 をその出発点と
霊魂、性、血・;。様々な
-宮内斤
性格をあ らわしている 可能性はあるだ ろう 」
では廻立殿の儀が性交儀 礼とし ての大嘗祭の
前 の儀が表わしているよう
していることが多い。
りも、その直前の儀 礼 が全体の本質をあらわ
想を もらす。「天皇の儀式では中心の儀礼よ
不明だが、ある神道研究家の一人はこんな感
いったい何が学説的根拠となっているかは
の処女と性交する、と説くのである。
い。しかも内障にまで入れるのは天皇と采女
る ことにな
ってさえぎら れている 。大嘗祭と
る 研究は少なく
ーテンによ
は、また、男女が二人きりで夜をすごす儀式
同じく采女を性行
天皇霊
折口の
。
」 論がいたるところで紹介
でもあるわけだ。
「
宮
この采女を性行為の相手として見るのが、
歴史学者の岡田精司らである。采女とは
中で炊事・食事などをつかさど った女官 、大
」
。つま
化以前は地方の 一家
族の子女 か ら 選 ん で 奉
(岩波古語辞典 〉ら れた女性である
わ せ た服属儀礼との説だ
り、子女と性交することで、豪族に服従を誓
ヴt
Aリ
-1
0
6-
天皇制 ② ヴ ヱ ー ルに覆われた大嘗祭における秘儀のご真相 ミ
、
昭和
カ月後に控え
月のことであ る 。 こ の 年 は 同
3年 9
、
「三 ・一五事件
」 と呼
ところが、平成の大嘗祭に際して、宮内庁
、
し
で
れない。その永田さんを更迭した、というの
う」(宮内庁詰め記者)
そして永田の後任として新たに外部から送
はこの〈秘儀〉の存在を全面否定した。〈秘は政府・宮内庁が象徴天皇制 の下で大嘗祭の
性格を変える必要がある、と考えたためだろ
儀〉だけならまだしも 大嘗祭は「穀物が豊
心
「天皇が神と一体化するという儀式ではな
治安維持法の最高刑が十年から死刑へ かに実りますように、との祈願が中
、
2
している。折口が講演「大嘗祭の本義
L を発
た
表したのは昭和の大嘗祭を
時に
改められた年であり
うとしていた昨年秋、宮内庁で行われたある
、
。
現在の自民党政
秘儀 〉を否定したのである
〈
前述の記者会見では鎌田自身が
、
根拠をあげて
う。そして
トチ l ムによって準備進行されているとい
者を中心とした委嘱の掌典によるプロジェク
い 」とその神性をも完全否定したのである。 り込まれたのが、鎌田純一祭杷課長である。
ばれる共産党への大弾圧も行われた。
国学院出身で祭紀学の学者でもある鎌田は、
かつては小学校の教科書にさえ 〈大神と天皇
そんな中で、かくも異様な儀式の存在を暴
永田とはうってかわってきわめて柔軟な人物
とが御一体になりあそばす御神事v と明記さ
いた説が放置されていたのはい ったい何故
か。いや、取締の対象とならなかっただけで れていたものと全く同一の儀式を、である。 といわれる。今回の大嘗祭はすべて、この人
・
研究
このことは大嘗祭の準備が本格的に始まろ 物を中心に本来の掌典とは別の、学者
。
はない。折口の説はその後、国家神道推進の
中心人物によ って堂々と紹介されてもいる
だが、中でも最も古く、中心人物と考えられ
近代神道の創始者であり、内務省神社局考証 人事と無関係ではない 。大嘗祭の祭 杷をつか
課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で さとるのは天皇家の私的使用人である掌典職
「天皇霊L論を 講義したのである。
に対する位置づけの延長線上にあ
おそらくこうした動きは
府の天皇制
にめざしているわけではない。もちろん、そ
るのだろう。現政権は戦前天皇制復活を単純
これは、つまり、〈秘儀〉説が現人神とい ていた永田忠興掌典補が更迭されたのだ。永
う明治憲法下の天皇制にとって都合の悪いも 田はまた、掌典職 の中でも最も強硬な伝統墨
守派で、ことあるごとに政府 ・宮内庁の妥協
、という事実を意味してい
のではなかった
的な動きと衝突してきた人物でもあった。
リークし続けていたのもこの永田さんだとい 主流はむしろ、女性誌による皇族の芸能人化
われてますね。ただ、宮中祭紀については最 などを利用しながら国際 化社会と象徴制に対
「 派ジャーナリズムに宮内庁批判の情報を ういう勢力が存在していることは確かだが、
右
る。むしろ 、国家体制にあ る 種 の イ デ オ ロ ギ
〈天皇霊〉論をはじめとする
ー基礎として歓迎され、積極的に流布された
、
秘儀〉に関するあらゆる考察は、天皇に神
〈
のだ。事実
認、されており、答察官僚出身の藤森昭一を宮
した論文はこれがはじめてといえる。しか
説となっていた折口 の論考を真っ 向から否定
だ。それはともかく、あらゆる分野でほぼ定
人間がいるとすれば、彼ぐらいだ ったかもし
だ。事実、桜井はこの問、岡田論文を補強す
活動を開始したのではないかと推定されるの
表、反折口説のイデオロ
意を受けてさらに大きな論文
は岡田にバックアップを約束し、岡田はその
後藤田正晴を中心にして、こうした路線は確
、
強 化 していこう
性を与えるという意味においても、ミステリ も詳しい人物だったし、今回の大嘗祭も永田 応しうる形で天皇制を維持 ・
という方針だと思われる。
アスな部分を増幅させるという意味において さんがとりしきると考えられていた。〈秘
儀〉の有無についても天皇以外に知っている 事実 中曽根内閣時代に当時の官房長官 ・
、有効に機能してきたのは確かな のであ
内庁長官にすえ、侍従職の大半を官僚出身者
も、それは「天皇霊 」の 存在が常識 化 してい
も
にぎりかえるなど、皇室を政府のコントロー
る神道界から、中でも折口、が祖と呼ばれる国
る。
ル下に置く作業が着々と進められてきた。そ
るような発言を神社本庁関係の一肩書をあえて
グとして本格的に
・
単行本等を発
してこれまでの代替り儀式は時代に対応した
学院神道から出てきたのである。大嘗祭を研
み、常に
「
伝統墨守
」 を叫んできた極右団
それにしても、戦前の天皇制復活を目論
1
トに行なわれてきたといっていいだろう。い
ニングポイン
形で、操作を加えながら極めて巧妙かつソフ
る。
岡田さんの登場は完全にタ
「
体
たり、海外メディアの好奇の自に閲されたり
怪奇な儀式として反対勢力の攻撃材料にされ
作用しかねない、との政治的判断でしょう。
「戦前は有効だった折口説も、現代では逆に
・
神社本庁までが大嘗祭における神性継承
トとなった。論旨自体はたいしたことはない
|
使わずに何度かおこなっている。
る論 文
今回の大嘗祭はその集大成なのだ。
、
る 操作とあ
的性格を否定しはじめたのはなぜだろうか
L
〈
秘儀 〉 がどんどん否定
が、神道界からああも完全否定されるとね。
学説的には今はもう
される方向に向かいはじめている
。
究する若手歴史学者はその辺の事情をこう語
わば
- 神社本庁によ
しかし、常に右派勢力からの圧力にさら、さ
れてきた宮内庁がここまで〈神性〉否定を明
言できたのは、最近になってスイ星のごとく
たしかに、最近も〈秘儀 〉 否定のイデオロ
何よりカタチを重視しますからね。形式さえ
ということになりかねない。神道というのは
ーグとしてマスコミに
おそらく、岡田の出現は偶然ではないだろ
伝統に則 って いれば、意味づけで後退しても
も登場し 、宮内庁見解
あらわれた若手学者の存在に負うところが大
岡田精司とは別人)がその人で、まさに神道
う。それは、神道界本流、つまり神社本庁全
きい。国学院大学助教授・岡田壮司(前山山・ に格好のお墨付きを与える形となっている。
界本流に位置する新進気鋭の研究者である。
』 に掲載したのは昨年の夏のこ
の〈秘儀 〉を否定してはいない。無名の若手
しかも、神社本庁は公式には何ら神性継承
いい、との判断です 」(神社本庁関係者)
〉〈天皇
吋
国学院雑誌
がはじめて折口説を否定するとく短い論文を
体の意志だ、と見る向きも少なくない。岡田
〈マドコオフスマ〉〈寝具の儀
岡田は昨年からいくつかの論文を発表、折
霊威を
「
〉論をすべて根拠のないものと断じ、完全
口の
霊
否定した 。さらには 大嘗祭で天皇が
に隠れたまま、〈秘儀〉説安二時的に隠蔽し
学者をプロパガンダに使うことで、自らは陰
そして、宮内庁の〈秘儀〉否定もまた、神
ようとしているだけなのだ。
り、今も神道界に大きな影響力を持つといわ
れる桜井勝之進が岡田を呼び、二人が会談し
とである。この直後、神社本庁の前統理であ
たという情報がある。つまり、この席で桜井
享受する L とはしながらも、神と一体化する
のである。右翼民族派がよく黙っているもの
ことはない、とその神性付与すらも一蹴した
一 108 一
- 1 09 一
社本庁・桜井勝之進の働きかけによるものと
もいわれている。また、やはり国学院で教鞭
もとっている掌典・鎌 田純一が岡田を招き
、
野の神道 研究家が語る
。
、
「
大嘗祭によらず、天皇家には一世一代の秘
事口伝があるというのは常識です。つまり
天皇から天皇へと直接伝え
、
ぃ。神聖祝される神社の洞内部が実はカラツ
どのようにでも語ること
カタチだけだ。
、
ポであるように、そもそも大嘗祭には中身な
、
どない 。あるのは
それゆえに時の国家権力や時代状況によっ
のできる
られる送り事がある。セックスの処理、密教
第三者を 介 さず
秘儀 〉否定の流
一連の 〈
も〈国民の平和を祈念する行事〉にもなりう
て〈大神と御一体になりあそばす御神事〉に
いずれにしても、
勉強会を開いたとの未確認情報もある。
といわれています。その中にはおそらく大嘗
秘伝の出産コントロール法などもそのひとつ
の記者会見を聞いた時の出来事である。折口
秘儀 〉否定
さらに興味深い のは宮 内庁が 〈
の
〉 にもなりうる天皇制の
〉と
し
呼び、柄谷行人は 〈ゼ
、
〈ゼロ 〉 に我々がどう対処していくか
ちらも国民の税金なのだ)ではない。この恐
(あるにきまってる)、内廷費か宮廷費か(ど
問題は、大嘗祭に宗教色があるかないか
ってきたのである。
かも時の権力の有効なイデオロギー装置とな
ロ〉であるがゆえにしぶとく生き永らえ
ロ記号〉にたとえた。そして天皇制は〈ゼ
制を 〈空虚な中心
本質でもある 。か つてロラン・バルトは天皇
じるマイホームパパ
これは 〈大元帥 〉にも〈一家でテニ スに興
だ。
再復活す る可能性も 十分に残されている
る。今は否定されている折口〈天皇霊〉論が
れは、神社本庁|岡田壮司宮内庁の巧妙な
ある穫の操作をしなければ、現在の環境下で
信夫がかフンドシを解くことで天皇が性交に
祭における〈秘儀〉も含まれているはず」
したのかもしれない。そして彼らは何より
、
一切いえな
宮内庁は
向かう ω とした廻立殿の小思の湯の儀につい
お湯を使う、ということ以外は
主基殿の儀についてはかなり詳細
・
に根拠を示し、〈秘儀〉を否定した宮内庁の
悠紀殿
い」とつっぱねたのだという。
「
も、天皇制というカタチの延命をとりあえず
こうした体制下で行われる天皇明仁
〈
秘 儀 〉 を行うのか げ
て、ある新聞記者からの質問に
、
一変した態度を考え
、小忌 の湯の儀にあ
の大嘗祭にはもはや〈 秘儀 〉など存 在しない
る種の 性交儀礼の名残りが残っている可能性
ると
のだろうか。たしかに 、無個性な平成 の新天
。
〈
秘儀〉
はあるのかもしれない
しかし、結論めいたことをいえば
るべき
〈
秘儀 〉があ
の有無というのはさして大きい問題ではない
そもそも
の情報もある。また
〈
敬称略 〉
.一九九 O 年十二月号より / 本誌特別取材班
の主体性ヲ」そが関われているのである。
たとしても農耕民族の祖という偽装にすぎな
のではないか。仮に〈秘儀〉があったとして
、
一般的だ。
ったとしても、すでに平安期において形骸化
との見方が
礼 であっ
もそれは神の偽装にすぎず、収穫儀
、
いし、天皇自身が式の簡略 化 を望んでいると
皇とおどろおどろしい〈秘儀〉は結びつかな
では
- 明仁天皇は
優先させたのだろう。
この大嘗祭を強行することは難しい、と判断
ろだろう。つまり、天皇護持勢力がこぞって
連携プレーであることはほぼ間違いないとこ
、
年の皇太子妃決定に際しでもマスコミは皇室タブーを前に、
しかし、その一方ではこんな説もある。在
しているだろう
1993
噂されていた
、
ひたすら 「おめでとう」の大合唱を繰り返すばかりで、当時
。
雅子妃の男性関係については一行たりとも報進しようとしなかった
そんな中、『噂の真相』は外務省で同僚だった本命の恋人の存在を突き止め、
「スーパープリンセス雅子さん」「一途な愛
-強固な拒否の意志がなぜ
実った」
。
を貫き通した皇太子さま 」「 6年間の純愛が
コミはくる日も
1月 6日、皇太子妃内定 の第一 報が流れて
のマス
以降、この国のすべて
同 じ内容の情報をま
えているスーパーウ
っ たく
ー マンであるか、彼女に
唱EA
唱EA
ハU
和田雅子という女性がいかに知性と美貌
った小
同じ論調で報じ続けている。妃に決
ま
くる日もまったく
その結婚じたいが国家機関を総動員した根回しの結果であることを指摘。
血の連続のために総力をあげた天皇制システムの本質をスクープしたのである
、