統 伝 と 史 歴 の 年 〇 九 二

二
九
〇
年
の
歴
史
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伝
統
国
指
定
重
要
無
形
民
俗
文
化
財
八重
戸要
藩無
開形
藩民
3 俗
5 文
0 化
年財
指
定
10
1
周
年
記
念
は
ち
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へ
2014
31 4
7
▲
月
8
月
8 A 8 8 R
月
月 月
13 T 13 10 A
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市
民
広
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市
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広
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[八戸三社大祭本部臨時電話]
(期間:7/31∼8/4)
[
午出
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1
時式
30 ]
分
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お
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新徒
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…
[八戸三社大祭運営委員会・事務局]
公益社団法人 八戸観光コンベンション協会内 TEL.0178-41-1661
び
中
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街
山
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後
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中
心
街
0178-45-6633
2014
◆神明宮
か
ぶ
き
ぶ
よう
しゃっきょう
【城下附祭】歌舞伎舞踊 石橋
はつ ゆめ きょう げん
あら ひと がみ
そ
がの
ご
ろう とき むね
【廿六日町山車組】初夢狂言 荒人神 曽我五郎時致
新春歌舞伎で演じられた市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)の歌舞伎狂言組十八番のひとつ
「矢の根」
を主題に福
の神を配置し縁起の良い山車としました。上段に元禄(げんろく)見得きる五郎と、正面下段に裸馬を奪って乗り込み一
目散に駆け出す五郎の二体を主役として勇ましさを表現しました。
すず
か
ご
ぜん
【新井田附祭振興会】
【新荒町附祭若者連】鈴鹿御前
鬼の棲家として伝えられる伊勢の国・鈴鹿山。
そこで暴れまわる
「大嶽丸(おおたけまる)」
「悪事の高丸」
ら鬼たち。
山麓
に住む天女「鈴鹿御前」
は
「藤原俊宗(ふじわらのとしむね)」
と契りを交わし共に力を合わせ、鈴鹿御前の神通力(じん
つうりき)と俊宗の武勇さらに毘沙門天(びしゃもんてん)と千手観音(せんじゅかんのん)の加護を享け鬼たちと戦う。
せき へき
たたか
か
けい
じん
【上組町若者連】赤壁の戦い ∼火計の陣∼
曹操群(そうそうぐん)数十万に対し、孫権軍(そんけんぐん)はわずか数万の軍で戦いを挑む。決戦の日、東南の風が吹
き風上に陣取っていた曹操軍に黄蓋(こうがい)は偽りの投降をし、
自船に火をつける火計をしかけ見事に成功させる。
曹操軍は一瞬にして炎に包まれ壊滅し戦いに勝利した場面。
みなもとのよしつね ほっ ぽう でん せつ
【根城新組山車組】源義経北方伝説 ハンガンカムイ
歴史の上で、義経は1189年4月、平泉で藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に攻められ、
自害したことになっている。
しかしひ
そかに平泉を脱出し八戸に滞在後、青森県内を通り三厩(みんまや)から北海道に渡った。北海道での義経は、
アイヌの
人からハンガンカムイ、
オキクルミホンカンカムイなどと言って崇拝されていた。
このことは、徳川光圀が編集した
「大日本
史」
にも記述されている。山車は、義経がアイヌの神様だったと言う伝説を中心に、展開部には三厩から竜馬に乗って北
海道に渡る場面と、海上の大蛇、大蛸、竜神と戦う場面。
中央下段はアイヌの伝説的なお祭りのイオマンテを再現。
中央
上段は義経、弁慶、静御前。
こく せん
や
「石橋」
は中国の伝説が起源といわれ、
中国の清涼山(せいりょうざん)という山の奥に
「石橋」
という伝説の橋にまつわる
話が能の
「石橋」
の基になっています。
山車は豪華に獅子が舞い踊る場面を表現し、
上段に主役の頭の白い
「親獅子(お
やじし)の精」
を両脇に獅子と牡丹を並べて配置し、
中段中央部には獅子が仕える
「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」
を配置し
ている。
「文殊菩薩」
の両隣には頭の赤い
「子獅子(こじし)の精」
を配置。
下段は
「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」
と
「連獅子(れんじし)」
の場面として
「弥生」
「狂言師
(右近、
左近)
「
」親獅子,
子獅子の精」
を配置する構図としている。
いずも
いな
さ
かみ あり づき
や
お よろず の
かみ がみ
しあわせえん むす
日本神話 出雲稲佐の神在月
「八百万乃神々∼幸縁結び」
今年は、神々の縁結びの場面で山車全体に名だたる神々を配置。
出雲大社での旧暦10月10日の神在月。大社龍蛇神
(おおやしろりゅうじゃしん)を先導に稲佐から出雲大社へ。
山車中央に天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)夫婦、
その先
導役の猿田毘古神(さるたびこのかみ)夫婦を配置。展開部には天照(あまてらす)の弟・須佐之男命(すさのおのみこ
と)、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)の夫婦、恵比寿様大黒様と、
男女の縁、神々の縁、天照は父・伊耶那岐神(い
ざなぎのかみ)、母・伊耶那美神(いざなみのかみ)と共に縁結びを見届け、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、神々のご
縁を見守る。
山車全体を夫婦愛・人間愛の場面とした。
【青山会山車組】∼天翔ける心∼ヤマトタケル
タケルは兄殺しの罪により父である帝から東国(とうごく)の平定を命じられる。
叔母の倭姫(やまとひめ)より伊勢の神宝
「天叢
雲剣(あまのむらぐものつるぎ)」
を与えられ、東国平定への旅へ出たタケルは、旅の途中、
同行していた弟橘姫(おとたちばな
ひめ)を走水(はしりみず)の海上で亡くすもタケヒコ・ヘタルベという仲間も出来、
次々に東国を平定していく。
東国平定後、大和の国への帰還の途中、尾張の国造(くにのみやつこ)の館へ立ち寄り、
そこでみやず姫と出会い妻とする。
そ
して最後の戦いとなった伊吹山の山神をあなどり、神剣をみやず姫に預け山神征伐になったため、
山神の毒気にあたり敗れ
てしまう。
タケルは
「大和は国のまほろば」
と大和を慕い力尽き、
天翔る大きな白鳥となって天へ旅立っていく。
そん
ご
くう
【朔日町附祭】西遊記 ∼孫悟空 分身の術∼
がっ せん
【賣市附祭山車組】国性爺合戦
韃靼(だったん)の謀反で国を失いそうな大明国(だいみんこく)を救うため、
日本から大明国へ旅立つ和藤内(わとうな
い)。道中、猛虎を手懐けたり、仲間を増やしながら関を次々と押し破り、南京城(なんきんじょう)を攻めたて、韃靼勢を
討ち、
幼い太子を皇帝に即位させて、見事大明国を取り戻す。
観音菩薩の命を受け、
お経を得るために天竺を目指す三蔵法師(さんぞうほうし)は、喧嘩がめっぽう強い猿の孫悟
空、食欲旺盛な豚の猪八戒(ちょはっかい)、冷静沈着な河童の沙悟浄(さごじょう)をお供にします。旅の途中には幾多
の困難が待ち受けますが、三蔵法師の強い意志とお供三人の力によりそれらを乗り越え、
ついに天竺へ辿り着くので
した。
孫悟空が分身の術により行く手を阻む妖怪を退治している場面を山車としました。
【吉田産業グループ山車組】
きっ ちょう
吉兆 三社の神々と福の神 ∼八戸の祭礼を楽しむ∼
およそ290年の歴史と伝統を誇り、豊作祈願と報恩の為に始まった古式ゆかしい神社行列とそれに従う豪華絢爛な
山車行列が魅力の八戸三社大祭。約800年前に始まったその年の豊年を願い舞う八戸えんぶり。山車は、
中央に神
明宮行列の猿田彦(さるたひこ)、大神楽、駒踊り、稚児(ちご)、展開部にはおがみ神社の虎舞い、法霊神楽、笹の葉踊
り、新羅神社のえんぶりを配置し三社の神様と七福神が八戸の祭礼を楽しんでいる場面を製作した。
しん
もも
た
ろう
め
ぎ
じま
おに でん せつ
【白山台山車組】新・桃太郎 ∼女木島 鬼伝説∼
昔、讃岐を荒らしていた温羅(うら)一族がおり、大和朝廷(やまとちょうてい)はとても頭を悩ませていた。
おじいさん、
お
ばあさんの愛情を受け、
とてもたくましくなった稚武彦命(わかたけひこのみこと)(桃太郎)
は、大和朝廷の命により犬
飼部(いぬかいべ)の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部(さるかいべ)の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥
飼部(とりかいべ)の留玉臣(とめたまおみ)を従え、温羅一族征伐に女木島(鬼が島)へと向かう。温羅一族も女木島へ
の上陸はさせまいと、海岸線上で待ち受け、
激しい戦いが繰り広げられる。
◆長者山新羅神社
とう りゅう もん
【八戸市職員互助会】登龍門
中国の後漢書(ごかんじょ)、李膺伝(りようでん)の故事による。黄河の上流に龍門山(りゅうもんさん)を切り開いた龍門
という激流があり、
その下に鯉が集まり、
ほとんどが登れないが、
もし登ったなら龍になると伝えられる。
その言い伝え
から、人の立身出世(りっしんしゅっせ)の関門(かんもん)を登竜門というようになった。
山車は将来有望な若者たちが
鯉にまたがり、
激流の龍門に挑む姿を神仏や仙人たちが見守る場面を製作しました。
あか しょう き
わ ら べ
【吹上山車組】赤鍾馗 童子の成長 端午に願う
端午の節句になじみのある、邪気を払うと言われる赤鍾馗をはじめ、桃太郎、坂田金時(さかたのきんとき)、弁慶牛若
丸、
豊臣秀吉、
加藤清正らを配し、
その周りで親が子供達の健やかな成長を願う山車とした。
たい りょう き
がん
かぶ しま べん ざい てん
はち のへ
た
ろう
【八戸共進会山車組】大漁祈願 蕪嶋弁財天と八戸太郎
◆おがみ神社
だい どう てん きゅう
そん
ご
くう
えん
ま
でん
おお あば
【十一日町龍組】大鬧天宮 孫悟空 閻魔殿で大暴れ
孫悟空といえば、
日本では孫悟空が三蔵法師(さんぞうほうし)のお供をして天竺へ旅をする道中の冒険を思い浮かべ
がちですが、今年の山車の場面「大鬧天宮 孫悟空」
は、孫悟空が三蔵法師や仲間たちに出会うよりずっと前の物語で
す。花果山(かかざん)で
「サルの王様」
を名乗り、子ザル達を従え、天界で大暴れをしていました。
もっと強くなりたいと
願う悟空は、龍宮へ赴き、海を支える柱を如意棒(にょいぼう)に変え、金の鎧兜を龍王から貰います。
そして、不老不死
を願う悟空は、人の寿命が書かれた閻魔帳から自分の名前を消そうと閻魔大王のいる閻魔殿へ乗り込み、閻魔帳の
自分の名前を塗りつぶしてしまい大暴れをするのです。
山車はその場面。
閻魔大王から帳を奪い、書き消す悟空・分身の悟空達、閻魔大王以下、天界のスーパースター二郎真君(じろうしんく
ん)や䬟䆣太子(なたたいし)、
四天王と閻魔殿を舞台に大暴れする場面。
に
ほん しん
わ
こ
じ
き
かみ がみ
もの がたり
八戸浦と言えば蕪島。
その主神は弁財天と昔から伝えられてきた。八戸浦に住む大きな鯨が鰯や鯖などを浜に追い込
み漁師たちに大漁をもたらした。漁業の町八戸に再び大漁をもたらす様に祈願して弁財天と共に鯨(八戸太郎)を山車
に乗せたものである。
なん
おか
まん さく
はま だい りょう
き
ば
ぐん だん
ふ
しょう ふく しち ふく じん
【長横町粋組】陸は満作・浜大漁 招福七福神
今年の山車は創作の縁起物を集めた祝い物の山車にした。
山車上部には満面の笑みを浮かべた弁財天(べんざいて
ん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、布袋様(ほていさま)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)を配置。
山車下部は、
船に乗って漁をする恵比須(えびす)、
大黒様(だいこくさま)を配置し縁起の良い場面を表現した。
だい
古事記とは、
日本最古の歴史書。
その中から7つの話を山車に表現しました。
まずは、主役であるイザナギ イザナミの
国生み。
あまのぬぼこを持ち国生みをする場面。
インパクトを出すため鳳凰の上に配置しました。両脇に2人が生み出
した子供の神々を配置。
中段、下段にうみひこ やまひこ物語。
中央にとよたまひめを両脇にうみひこ 海神の神。下
段に鯛から釣り針を奪うやまひこ。展開部にはスサノオノミコトが活躍するやまたのおろちとアマテラスの天岩戸。
引き
出しに、
このはなのさくやひめ、
おおくにぬしの、
いなばのしろうさぎ。
だ
なお ふさ
今年は八戸藩立藩三百五十年の年にあたり、八戸藩初代藩主南部直房公を主役に配置し、
それを祝う神々と七福
神。
地元題材で八戸らしさを表現した創作山車。
【塩町附祭組】日本神話 古事記 神々の物語
せん ごく さい きょう たけ
ぶ
【糠塚附祭組】八戸藩初代藩主南部直房公と七福神
どう みょう おう
な
ごん おおともの み ゆ き
りゅう
ご
しき
ほう ぎょく
【六日町附祭若者連】竹取物語より
「大納言大伴御行と龍の五色の宝玉」
昔々、輝くように美しい娘、
かぐや姫がいました。
かぐや姫の評判は村から町へ、町から都へ伝わりました。
そして、
身分
の高い五人の男達がかぐや姫に求婚しました。
かぐや姫は、五人の男たちに難題を出し、最初に品物を持ってきた男の
人と結婚すると言いました。
その中の一人、大伴御行(おおとものみゆき)への課題は海の神様、龍の持つ黒・青・赤・
白・黄の五色の光る宝玉を取ってくることでした。
しかし、龍退治に失敗し、宝玉を持って帰ることは出来ませんでした。
山車は大伴御行と家来が船に乗って龍退治をする場面です。
【下大工町附祭】戦国最強武田の騎馬軍団と不動明王
天文10年家督を相続し、19代甲斐武田家当主となる。幼少より不動明王を崇めた。名は晴信(はるのぶ)、信玄とは出
家後の法名である。
同11年、信濃の諏訪など積極的に攻略。
これにより越後の上杉謙信と対立することとなり、
川中島
合戦へと続く。
信玄は風林火山の軍旗を掲げ、
当時戦国最強とうたわれた騎馬軍団を率いて戦いをした。
山車は信玄と騎馬軍団が不動明王に見守られながら敵陣に攻めている場面。
げん ぺい ふじ
と
がっ せん
せん じん
さ
さ
き
もり つな
【下組町山車組】源平藤戸合戦 先陣 佐々木盛綱
現在の岡山県倉敷市で源氏が海峡をはさんで対岸に陣をとる平家軍を攻めた藤戸合戦。
佐々木盛綱を先頭に土地の
漁師から聞き出した浅瀬を馬で駆け抜け攻める源氏と、
あわてて応戦する平家の場面を製作しています。
先陣をきって
行くので主役の盛綱を前方に配し、
近年見られなくなった配置の仕方とし、
中段には騎馬軍、
上段には総大将範頼(のり
より)を、
左側にはあわてて応戦する平家を表現しています。
ほう りょう さん
おがみのかみ
【内丸親睦会】法霊山 䍐神
高䍐神(たかおかみのかみ)は闇䍐神(くらおかみのかみ)と同一の神、
または対の神とされ、
その総称が䍐神である。高
䍐神は法霊山䍐神社の主祭神(しゅさいじん)であり、
日本における代表的な水の神と言われ、祈雨(きう)・止雨(しう)・
灌漑(かんがい)の神として全国で信仰されている。法霊山䍐神社には高䍐神の他、法霊大明神、
月読命(つくよみのみ
こと)、応神天皇(おうじんてんのう)、
瀬織津姫(せおりつひめ)が祀られている。
三社大祭は法霊山䍐神社の豊作祈願から始まったものである。
ふあ むー らん
【柏崎新町附祭】ムーラン 花木蘭
北魏(ほくぎ)(西暦300年後半∼中国)
は柔然(じゅうぜん)に国境を侵攻され苦しんでおり、役人が天子の命令として
男子の従軍を募る。小さいころから父より武術の手ほどきを受けたムーランは、病弱の父に代わり女性であることを隠
し男装して出征する。途中、孟鉄剛(もんてぃえがん)ら若武者と出会い思慕の情を深めていたムーランだったが、想い
をとどまらせ戦場に向かう。柔然軍に包囲された北魏の元帥賀廷玉(ほーてぃんゆー)の窮地を救い、
さらに柔然の王
虎烈児(ふーりえある)と戦い、
ムーランは決戦に勝利し都に凱旋する。
男たちと堂々と肩を並べて戦う大胆なヒロイン
が見所。
この話は中国民衆にこよなく愛され、
さまざまな芸術によって描かれてきたお話のひとつ。
山車は主役をムーラ
ンに戦いの場面を再現。
こう ふく しょう らい
おんな しち ふく じん
【淀山車組】幸福招来・女七福神
雅楽の美しい音色に合わせ、美女七人が恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・布袋(ほてい)和尚(おしょう)・福禄寿
(ふくろくじゅ)・毘沙門天(びしゃもんてん)・寿老人(じゅろうじん)・弁財天(べんざいてん)の持ち物を持ち、豊年満作、家
内安全、
商売繁盛の福を願う場面を独自に創作いたしました。
八戸の発展を祈願した山車です。
【類家山車組】
はち のへ はん かい はん さん びゃく ご じゅう ねん
き
ねん
はち のへ さん しゃ たい さい しん
ら
じん じゃ
む
しゃ ぎょう れつ
ゆ
らい
八戸藩開藩三百五十年記念・八戸三社大祭新羅神社 武者行列由来
文政8年(1824)、
ときの寺社奉行(じしゃぶぎょう)でお目付け役であった八戸藩の重臣 野村軍記(のむらぐんき)が
町々に働きかけ、祭を盛大にした。
この年9月、騎馬参拝を行い甲冑に身を固めた騎馬や徒歩武者が新羅神社で武運
長久(ぶうんちょうきゅう)を祈願し行列に参加したことが現在の武者行列(武者押)の始まりと言われる。
山車は御祭神
(ごさいしん)の新羅三郎義光命(しんらさぶろうよしみつのみこと)の見守る中、三社大祭武者行列と八戸の発展を祈
願する野村軍記を配した場面である。
たけ とり もの がたり
かがよ
ひめ
てん
かえ
【十六日町山車組】竹取物語 耀うかぐや姫 天へ還る
美的・幻想的な物語・かぐや姫の昇天の場面を制作。配置は主役かぐや姫を上段に、背景は輝く大きな満月、
中段に
は天馬に乗った帝、
そしてその周りには天馬を随(したが)える沢山の天女、回転の左右には阻もうとする兵隊、小太鼓
の左右には別れを惜しむ翁(おきな)・嫗(おうな)を配置した。
ぎ
けい こう ぼう
き
【鍛冶町附祭若者連】義経興亡記
兄・源頼朝に平家討伐を命じられた義経は、一の谷で勝利をおさめ、壇ノ浦(だんのうら)で平家を滅ぼしました。
しか
しその後は、兄・頼朝の不興を買い、幾多の苦難を体験します。
山車上部中央は、一の谷で勝利を納めた馬上の義経。
対する平家は向って右下に壇ノ浦で入水した安徳天皇と二位の尼。左に、大物浦(だいもつのうら)で義経を海に引き
ずり込もうとする平知盛の亡霊。
中央には知盛を調伏する弁慶を据え、主従の深い結びつきも浮き彫りにしています。
中央下は、
こうした源平の栄枯盛衰を語る琵琶法師(びわほうし)で、世の無常を伝えます。
◆華屋台
行列の最後には風情ある華屋台。
名調子
「八戸小唄」
が余韻を残す。
華屋台は明治時代、鮫や小中野の芸者たちの唄や踊りを奉納したいという思いに、酒造会社老舗の河内屋が屋台を
寄進し、
おがみ神社行列に参加したのが始まりといわれています。
当初は数曲披露されていましたが、次第に代表曲
「八戸小唄」
だけが演じられるようになりました。現在の華屋台は華屋台運営委員会が中心となり、
日本舞踊の西川
流、若柳流、
泉流、花柳流、
藤間流、水木流の師匠筋の方々が美しい舞を披露しています。