中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 青文字系になぜ惹かれるのか 野間 ※※※ ※※※※ NOMA 中京大学現代社会学部現代社会学科 学籍番号 C11**** 1 . は じ め に 私が青文字系ファッションについて調査をしようと思ったのはまず自分が青文字系ファッショ ンを好んで着ているということ、さらにそれを着た時の周囲からの目線や評価が青文字系とは別 の系統のファッションをしているときとは違うことに気がついたためである。なぜ否定され、好 奇の目で見られる青文字系ファッションを好んで着る若者が存在し続けるのか。そしてそのファ ッションを取り扱う「街」が現れたのか。対立概念である赤文字系との比較から、雑誌のあり方、 ブ ラ ン ド の 存 在 の 仕 方 、 フ ァ ン の 存 在 と 様 々 な 観 点 か ら 研 究 し た 。 仮定として、彼らが好き好んで異端者扱いされる服装をしているのは「現実から、普段の自分 からの逃避」が目的なのではないかと考える。違う自分になりたい、人とは違う自分になりたい と い う 欲 望 の 表 れ で は な い か 。 この研究では、青文字系は小数派、日本の女性のファッションにおいて異端であるということ を大前提とする。これは、赤文字系と青文字系のファッション誌の売り上げ・発行部数を比較し た結果を根拠とする。ファッション誌売り上げランキングサイトによると、2012年12月の女性向 け フ ァ ッ シ ョ ン 誌 の 売 り 上 げ が 1 位 か ら 順 に MORE,non- no,sweet,InRed,seventeen,popteen,ViVi,JELLY,with,GLOW と な っ て い る 。 InRed と GLOW は一般的には赤文字系とも青文字系とも区別されてはいないため除外するが、この2誌以外のすべ て が 赤 文 字 系 で あ る こ と か ら 「 青 文 字 系 は 小 数 派 」 と 見 な し た 。 2 . 青 文 字 系 と は 1 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 研 究 を 始 め る 前 に ま ず 、 青 文 字 系 フ ァ ッ シ ョ ン の 概 要 に つ い て ま と め る 。 青 文 字 系 と は 具 体 的 に定義されたファッションでなく、コンサバファッションの総称「赤文字系」との対義語として 名付けられただけのものである。赤文字系というのは、コンサバファションを取り扱う代表 5 誌 が創刊から 1990 年まですべてタイトル(雑誌名)がすべて赤文字で書かれていたことからその呼 称がついた。対になるものとしてそれ以外のファッションを取り扱う雑誌、またファッションを 青文字系と呼ぶようななった。したがって青文字系の「青」に意味はない。ボクシングの赤コー ナ ー 、 青 コ ー ナ ー の よ う な 感 覚 で あ る 。 赤 文 字 系 雑 誌 は J J , V i V i , C a n C a m , R a y な ど を い い 、 青 文 字 系 雑 誌 は K E R A ! , Z i p p e r , mini などをいうが、JJ でモデルが着ている服を Zipper で違うモデルが着ることもまたその逆も あり、着ている服のブランドで赤文字、青文字を区分するのは難しい。ただ全身のコーディネー トのイメージとしては赤文字系は男性に好まれる現在一般的とされるコンサバファッション、青 文 字 系 は 異 性 の 目 は 排 除 し た 古 着 や ロ リ ー タ 、 ゴ シ ッ ク 、 パ ン ク な ど の フ ァ ッ シ ョ ン と な る 。 ブ ラ ン ド 一 覧 < 赤 文 字 系 > ブ ラ ン ド 名 L I Z L I S A C E C I L M c B E E d a z z l i n E G O I S T E M O D A M U R U A 系 統 コ ン サ バ コ ン サ バ コ ン サ バ コ ン サ バ コ ン サ バ コ ン サ バ < 青 文 字 系 > ブ ラ ン ド 名 M I L K f . i . n . t C a n d y S t r i p p e r h . N A O T O E m i l y T e m p l e C u t e H E L L C A T P U N K S X - g i r l 系 統 フ ェ ミ ニ ン レ ト ロ ス ト リ ー ト ゴ シ ッ ク ロ リ ー タ パ ン ク ストリート・スケータ ー おおまかにいえば赤文字系と青文字系ブランドは上記のようになる。赤文字系のテーマが決まっ てコンサバなのに対し、青文字系は同じ「青文字系」という部類にいながらブランドによってこ の よ う に ジ ャ ン ル の ば ら つ き が あ る 。 2 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 3 . 青 文 字 系 の 特 徴 ‐ 赤 文 字 系 と の 比 較 か ら ― 先 に も 述 べ た と お り 、 そ の 人 の 服 装 を 着 て い る 服 の ブ ラ ン ド だ け で 系 統 を 決 め る こ と は で き な いが、個々のブランドは大半がどちらかの系統に属する。つまり、赤文字系ブランドの服をひと つ身につけているからといってその人を赤文字系ファッションだということはできないが、その 人 が 着 て い る そ の ブ ラ ン ド 服 は 間 違 い な く 赤 文 字 系 だ と い う こ と だ 。 青 文 字 系 と 赤 文 字 系 の 比 較 対 象 と し て ま ず 青 文 字 系 ブ ラ ン ド は 『 J a n e M a r p l e 』 、 赤 文 字 系 ブ ラ ン ド は 『 L I Z L I S A 』 を 挙 げ る 。 フ ァ ッ シ ョ ン ブ ラ ン ド に は そ れ ぞ れ ブ ラ ン ド コ ン セ プ ト と い う ものが存在しそのコンセプトにそったデザインの服が展開されているが、この 2 つのブランドコ ン セ プ ト を 比 較 し た と こ ろ 大 き な 違 い が あ っ た 。 J a n e M a r p l e 『 既 成 概 念 、 社 会 的 制 約 に と ら わ れ な い 自 由 な 発 想 を 元 に 、 永 遠 の テ ー マ で あ る 、 歴 史 ・ 芸 術 ・ 自 然 を フ ァ ン タ ス テ ィ ッ ク に 、 そ し て ク リ エ イ テ ィ ブ な 提 案 を し 続 け ま す 。 』 J a n e M a r p l e D a n s L e S a l o n 『 古 典 的 、 伝 統 的 発 想 を 基 本 に モード を意識し明るさ、楽し さ 、 清 楚 さ 、 強 さ そ し て 不 思 議 さ を 表 現 し 追 求 し て い き ま す 』 L I Z L I S A 『 レ ト ロ と ト レ ン ド を 融 合 し 、 な お か つ 女 の コ ら し さ が 残 る オ シ ャ レ を 提 案 』 ( こ の 2 つ の ブ ラ ン ド を 取 り 上 げ た の に は 理 由 が あ る 。 J a n e M a r p l e と L I Z L I S A は 、 服 の デ ザ イ ン の 見 た 目 が 似 て い る 物 が 多 い の で あ る 。 上 に 示 し た L I Z L I S A の ブ ラ ン ド コ ン セ プ ト を そ の ま ま J a n e M a r p l e に あ て は め て も 問 題 は な い よ う に 思 わ れ る ほ ど だ 。 ) こ の 2 系 統 の コ ン セ プ ト の 特 徴 と し て 、 青 文 字 系 は 服 に 込 め ら れ た 抽 象 的 な イ メ ー ジ ・ 物 語 を 重視しており、赤文字系は服そのものの視覚的特徴、更にそれを着ることによって身体がどう見 え る か を 重 視 し て い る こ と が わ か る 。 他 の ブ ラ ン ド を 挙 げ て み て も 同 じ 事 が 言 え る 。 3 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート ブ ラ ン ド 名 系 統 CECIL McBEE 赤 dazzlin 赤 Candy Stripper 青 ViVienne Westwood 青 コ ン セ プ ト ある時はキュートに、セクシ ー に 、 エ レ ガ ン ト に 18 歳から 23 歳の学生・社会 人 OL をメインターゲットに、 ON から OFF まで幅広いシーン に対応する Sweet で Casual な ス タ イ リ ン グ を 提 案 。 着る人のセンスと着る人の楽 しみ方で変化する無限の可能 性 を 秘 め た 服 。 トレンドに全く惑わされず、 反逆性とエレガンスを兼ね備 えたアヴァンギャルドなデザ イ ン さ ら に 赤 文 字 系 を 青 文 字 系 の 特 徴 を 抽 出 す る た め の 比 較 対 象 と し て 扱 い 研 究 を す る 。 次 は 雑 誌 のモデルの扱いである。雑誌は青文字系は「Zipper」、赤文字系は「ViVi」を取り上げる。(ど ち ら も 2 0 1 2 年 5 月 号 参 照 ) 誌 面 に 登 場 し た モ デ ル の 数 は Z i p p e r が 1 1 人 、 V i V i が 1 2 人 と ほ ぼ 変 わ ら ず 。 し か し 、 モ デ ル が 1 冊の中で着る服の系統(ジャンル)の種類は zipper モデルのほうが少ない。つまり、カジ ュアルな格好ばかりするモデルもいれば、そのような格好は一切せずガーリーな服装しかしない モ デ ル も い る わ け で あ る 。 V i V i の モ デ ル は 若 干 の 役 割 は あ る も の の そ こ ま で 極 端 で は な い 。 系 統 別 に 分 け る こ と は 定 義 す る こ と が 難 し い た め 今 回 は 着 用 ボ ト ム ス の 種 類 で そ の こ と に つ い て 根 拠 を 示 す 。 モ デ ル パンツ着用カット数 ( % ) スカート着用カット数 ( % ) 藤 井 リ ナ 大 石 参 月 2 9 3 1 7 1 6 9 A M O A Y A M O 1 0 7 0 9 0 3 0 この結果は、赤文字系はモデルによってパンツとスカートの着用割合の差が少なく、青文字系は その割合の差がかなり大きいということである。このようなボトムスの比較の他、着用ブランド でも同じことが言える。あるブランドの特集ページで使われるモデルは赤文字系はそのブランド が取り上げられるごとに違うのに対し、青文字系は何度そのブランドの特集を行っても起用され る モ デ ル が 変 わ ら な い こ と が 多 い 。 4 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート つ ま り 赤 文 字 系 モ デ ル と は そ の 名 の 通 り 「 モ デ ル 」 着せ替え人形に等しく、赤文字系雑誌は 同じモデルに全ての服を着せあらゆる読者に「掲載されているスタイル全てが正しい」と発信す るマニュアル誌なのである。それに対し青文字系モデルは自身の趣味(系統)が自分の中で確立さ れておりさらに誌上でもそれがそのまま表現されている。個々の持つ価値観が顕著に現れ、その 価 値 観 を 服 の コ ン セ プ ト 自 体 に 託 す こ と が 出 来 る の が 青 文 字 系 の 特 徴 と い え る の で は な い か 。 4 . 青 文 字 系 の 特 徴 次 に 相 対 的 で は な い 青 文 字 系 の 特 徴 に つ い て 挙 げ る 。 こ こ で は 青 文 字 系 ブ ラ ン ド を 「 青 文 字 系 」 と み な し て 研 究 し て ゆ く 。 私 が 青 文 字 系 ブ ラ ン ド で 大 変 特 徴 的 で あ る と 思 う の は 「 路 面 店 と し て の 本 店 」 の 存 在 で あ る 。 青 文 字 系 ブ ラ ン ド に は 「 本 店 」 と 名 乗 る 路 面 店 が 多 く 存 在 す る 。 K a t i e , M I L K , C a n d y stripper などである。これらは全て日本人デザイナーが手がける日本のブランドである。これら のブランドは大型ショッピングセンターに入っていることはあまりなく、Katie にいたってはセ レ ク ト シ ョ ッ プ で 数 点 扱 わ れ る ほ か は 東 京 の 本 店 で し か 展 開 さ れ て い な い 。 は た し て 、 こ の メ リ ッ ト と は 何 で あ ろ う か 。 ま ず 考 え ら れ る の が 「 そ の 場 所 に 足 を 運 ば ざ る を 得ない」ということだ。通販など様々な方法はあるものの、実際に手に取りそのブランドの商品 にかこまれるにはそこに行くしかない。さらに重要なのが、「そのブランドを好むモデルが確実 にその場所に行っている」ということである。これはそのモデルのファンはモデルと同じことが 出 来 る チ ャ ン ス に な る 。 そ こ か ら 更 に 考 え ら れ る の が 「 店 員 が 変 わ ら な い 」 こ と で は な い だ ろ う か 。 多 く の 百 貨 店 に 出 店しているブランドでは、店員は「このブランドの○○店の店員」としか認識されない。しかし 路面店展開の店ではデザイナーや店長がショップの店番をしていることが多い。店員の数は極端 に少ないし同じ空間に店がないため店員の印象が強くなる。Katie を例に挙げると、そこではデ ザイナーのリンダ、店長のヒロコ、店員でありショップアイコンのリサといったようにそのブラ ンドイメージをそのまま背負っているのだ。モデルがその店に行き接客を受けると(既にモデル自 身は店員とも顔見知りであるため『友達と服を選ぶ』という感覚が近いかもしれない)、それを知 ったファンは自分もそこに行けば確実にモデルと同じ対応が受けられると思い同じように足を運 び 服 を 買 う の だ 。 しかしこれはモデルのファンの話で、純粋にブランドのファンからしてみれば良くない傾向で ある。店舗が少ないブランドは客の影響を受け易いため、モデルのファンで集客できれば更にモ 5 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート デル好みの服を作りファンの来店を増やそうとするであろう。そうなれば元来のブランドファン が 離 れ て い く の は 必 至 だ 。 こ う 見 た と き 青 文 字 系 の 抽 象 的 コ ン セ プ ト は 良 く も 悪 く も 自 由 で あ る 。 だが、ブランドファンにももちろんメリットはある。「VIP 感」だ。「自分の愛してやまない ブランドのためにわざわざ店舗に足を運び店員と会話をする」、ここに喜びを感じるのであろう。 こちらは純粋に「店員と仲良くなりたい」という願いも含まれている。実際に名古屋から東京ま で週末に必ず買い物に向かうというブランドファンも存在している。自由に出入りして必要なも のだけを買うというものとは違う、近代以前の上流階級の買い物の仕方のようである。これはど こに行ってもあるような店では味わえない感覚だ。異端、特別である青文字系ブランドはこうい っ た 工 夫 を 行 う こ と に よ っ て 更 に 「 異 文 化 」 と し て 確 立 さ れ 集 客 す る の で あ る 。 他 に 気 に な る 特 徴 の 一 つ と し て 、 先 に 述 べ た 「 フ ァ ン 」 の 存 在 で あ る 。 赤 文 字 系 の モ デ ル の フ ァンがそのプロポーションや顔のパーツへの憧れを抱くいわゆる顔ファンであるのに対し、青文 字系モデルのファンはモデルの服装や考え方、自分の信じるファッションへの気持ちに対して共 感したり憧れたりするのだ。ファン、つまり 青文字系の女の子 が求めるものこそ自分らしさ、 個性である。青文字系支持者は一貫した「自分のファッション」を持っており、似た世界観を持 つモデルに憧れ似た世界観を展開するブランドに固執し個性を追求し確立させ極め続ける。青文 字系ファッションを好む人々が増える理由の一つに「憧れの対象」の存在はかなり大きいことが わ か る 。 さ ら に こ の 研 究 を す る に あ た っ て の 大 前 提 で あ る の が 「 青 文 字 系 は 少 数 派 」 と い う 特 徴 だ 。 少 数派である根拠は街に出てみればすぐわかることであるし、雑誌の売れ行きからも容易に理解で き る 。 青 文 字 系 フ ァ ッ シ ョ ン の 中 に は ロ リ ー タ 、 ゴ シ ッ ク 、 パ ン ク 、 フ ェ ア リ ー 、 古 着 、 ロ カ ビ リ ー 、 キッズなど様々な種類があるが 1 種類のファッションに沿うブランドは1つしかないといっても 過言ではない。そしてそのブランドは今後増えないと思われる。たとえばロリータブランドとい え ば 『 B A B Y , T H E S T A R S S H I N E B R I G H T 』 で あ る が 、 も う ひ と つ ロ リ ー タ ブ ラ ン ド が 新 し く 出 現したとしても「ロリータブランドといえば」という言葉に続くことは無いということだ。その 理由のひとつに「信者」の存在がある。自分の信じたブランド以外は排除するのだ。ロリータや パ ン ク フ ァ ッ シ ョ ン を 格 安 で 扱 う 『 B O D Y L I N E 』 と い う ブ ラ ン ド が あ る が 、 こ の ブ ラ ン ド の 服 を 着てロリータファンの輪の中に入れば非難が集中することは間違いない。(実際にそういった傾 向 は 存 在 す る ) こ れ は B O D Y L I N E の 盗 作 疑 惑 な ど 様 々 な 理 由 も あ る が 、 1 フ ァ ッ シ ョ ン に 1 ブ ラ ンドの法則に逆らったものであるためではないか。青文字系ブランドが今後増えないと考える理 6 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 由として、このように1ファッションの特徴が顕著なゆえにそれを極めたブランドが大いに支持 さ れ そ れ 以 外 は 排 除 さ れ る と い う 傾 向 が 上 げ ら れ る 。 ゆ え に い つ ま で も 少 数 派 に 過 ぎ な い の だ 。 「 今 で 言 う 赤 文 字 系 が 少 数 派 、 青 文 字 系 が 一 般 的 に な ら な か っ た の は な ぜ か 」 と い う 疑 問 で あ るが、これは完全に順番の問題である。ファッションとして出現し浸透したのが赤文字系のほう が 早 か っ た か ら だ 。 こ れ に つ い て 詳 し く 調 べ て い っ た 。 青文字系が少数派になった理由としては日本人のアイデンティティの問題にあるのではないか と 考 え ら れ る 。 「わたしとは何であるか」を語る上で不可欠な自己物語の創出だが、この物語は他者に向けて 語ることによってやっと存在する。かつて「日本には高度経済成長、中流化という『大きな物 語』が登場した。そこでは、戦前のムラと軍隊という共同体が企業という『生産共同体』として 再編され、かつその従業員は『消費共同体』としての家族を形成し、二つの共同体が相互に補完 しあいながら、社会を発展させる推進力となった。そこで国民はその二つの共同体への所属感情 を持つことによって、自らのアイデンティティを獲得した。つまり、仕事と消費が戦後日本人の アイデンティティとなった」1のである。しかし今そのような仕組みは失われ、かつてのように大 きな物語に支えられながらアイデンティティを持つことは出来ない。自ら物語を創出しなければ ならないのだ。そこで自分らしさという小さな物語を服、ファッションに託したものは多いだろ う 。 し か し 、 個 人 の 感 性 や 主 体 性 を す ぐ に 発 見 で き る か と い え ば そ れ は 難 し い 。 大 き な 物 語 を 失 っ た 1970 年代に赤・青ともに今あるブランドをすべて原宿の街に詰め込んだとする。私という人間 を任せられるファッションはどれか?と模索し、もしかしたらその結果ロリータが台頭したかも しれない。しかしそうなる前に、そうすることのできない消費者のためにある雑誌が現れたのだ。 それが JJ である。JJ の創刊号の表紙には「初夏のビューティ大特集」「甘ったれファッション を捨てよう」「あなたはもっと食べなければヤセられない」という言葉が飾られている。これが 現 在 の 赤 文 字 系 雑 誌 の 先 駆 け と な っ た 「 マ ニ ュ ア ル 誌 」 で あ る 。 物語性を失った時代に出現したマニュアルに人々が食いつくのは当然のことで、そこにロリー タが掲載されていなかったのは偶然のことなのだ。マニュアル通りでは嫌だ、と言う人のため、 選択の自由として ViVi や CanCam が出現したわけだが同じ系統の雑誌が増えたことによってさら に「何冊かのマニュアルから 1 冊を選び、目立ちすぎない個性を磨け」というマニュアルのマニ 1 上 野 千 鶴 子 編 「 脱 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 」 第 三 章 三 浦 展 著 「 消 費 の 物 語 の 喪 失 と 、 さ ま よ う 自 分 ら しさ」103 ページより引用 7 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート ュアルが生まれたのである。それが今も引き継がれている。自己を語るにあたり他者からの承認 は不可欠であり、そもそも他者に語りかけなければ存在すらしないのであればこうした事態にな る の は 必 然 の こ と だ ろ う 。 個性の無い赤文字系が現ファッション界で一般的とされている理由は、他でもない「自分らし さ」を過剰に求めすぎた日本のかつての風潮にある。ゆえに青文字系の人口は少なく異端なので ある。赤文字系ファッションがマニュアルである、つまり他人志向という点から考えれば、その 逆 で あ る 青 文 字 系 が 異 端 と い う 結 論 に 辿 り 着 く の も 納 得 だ ろ う 。 5 . 原 宿 青 文 字 系 フ ァ ッ シ ョ ン は 一 概 に は 言 え な い も の の そ の 多 く が 「 原 宿 系 フ ァ ッ シ ョ ン 」 と 呼 ば れ る。これは原宿に青文字系ブランドが軒を連ねそのブランドの服を着た青文字系ファッションの 若者が多く存在していることからこう言われているのだが、原宿が今のようなファッション街に なったのはなぜなのか。日本流行色協会のサイトにある 2009 年 5 月 19 日のコラムから調べてみ た 。 昭 和 3 0 年 代 の 、 文 教 地 区 に 認 定 さ れ る 前 の 原 宿 は 風 俗 店 も あ り 、 田 畑 も 広 が る の ど か な 田 舎 町 であった。竹下通り周辺には狸も出るほどであったらしい。原宿が文教地区に認定されると、風 俗店などは排除され他の繁華街とは違った発展を遂げるが激変したのは 1964 年、旧アメリカ軍の 宿舎「ワシントンハイツ」(現・代々木公園)が東京オリンピックの選手村として生まれ変わっ てからのことだ。これにより原宿に海外の人々が行き来するようになると、そのファッションを 真似た「原宿族」が出現する。(確かに現在の原宿系ファッションの人の憧れは外国の少女であ ったりすることが多い。)その後、セントラルアパートを中心におしゃれな街へと発展していっ た 。 セ ン ト ラ ル ア パ ー ト に は 、 昔 か ら 文 化 人 や 画 家 、 音 楽 家 な ど が 多 く 住 ん で い た 。 東 京 オ リ ン ピ ック後に原宿がオシャレな街へ変貌するとそこはますます人気が高まり、しだいにもっと芸能寄 りのミュージシャンや写真家、コピーライターなどが移り住むようになり、ファッション関係者 も た く さ ん 出 入 り す る よ う に な っ た 。 そ し て 1 9 7 0 年 に 、 セ ン ト ラ ル ア パ ー ト 脇 に 「 M I L K 」 が オ ー プ ン す る 。 こ れ が 現 在 の カ ワ イ イ 系 フ ァ ッ シ ョ ン の 起 源 と な る 。 1 9 7 7 年 に は ア ー ス ・ デ ー を 記 念 し て 表 参 道 全 域 で 歩 行 者 天 国 が 始 ま る 。 す る と 、 ど こ か ら と も なく竹の子が生えてくるようにストリート・パフォーマーたちがたくさん出現。彼らのファッシ 8 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート ョンの発信地はウラハラ地区にあった店だったようで、これが「竹の子族」の原型といえる集団 だった。歩行者天国の代々木公園脇から明治通りまでの地域では「竹の子族」や「ローラー族」 がもの凄い勢いで増殖しニュースにもなる社会現象となった。この頃竹下通りにも店舗が増え、 J R 原 宿 駅 の 周 辺 も 栄 え 始 め た 。 竹 の 子 族 が ひ と 段 落 す る の と 前 後 し て 、 D C ブ ラ ン ド ( デ ザ イ ナ ー ズ & キ ャ ラ ク タ ー ズ ブ ラ ン ド)ブームがやってくる。現在自らを DC ブランドと呼ぶブランドはほぼなく過去の総称となって い る が 、 前 に あ げ た M I L K や C a n d y S t r i p p e r は デ ザ イ ナ ー が 企 画 か ら 服 の 製 造 ま で 関 わ る デ ザ イナーズブランドである。原宿にはこうした DC ブランドが多く立ち並んでおり、そのブームでは 人 々 の 関 心 を 多 く ひ き つ け る こ と と な っ た 。 原 宿 で 誕 生 し た M I L K の よ う な フ ェ ミ ニ ン 系 ブ ラ ン ド た ち も 、 7 0 年 代 以 来 、 進 化 し 受 け 継 が れ 、 この頃ロリータ・ファッションとして開花する。この流れはさらにゴスロリへと進化した。現在 の原宿には、こうした長い歴史が詰まった様々なファッションが同居している。古着系、裏原ガ ーリー系、ゴスロリ・パンク・ロックなどの過激ファッション系、新たなスタイルを模索する不 フェアリー系や姫ギャル、ギャルロリ、V ホス、その他まったく新しいトレンドを生み出そうとす る人々も多く集まっている。原宿には昔からそういったフロンティア精神に燃える若者が集まり、 手作りで服を作ったりリメイクしたりすることが盛んに行われていた。日本で初めてのブティッ ク(自分で作って自分で売る店)マドモアゼルノンノンも、マンションメーカー(マンションの 一 室 で 作 る 小 規 模 メ ー カ ー ) の 先 駆 け と な る ア ト リ エ ・ ケ ー ト も 原 宿 か ら 生 ま れ た 。 原 宿 で こ の よ う な 多 様 な フ ァ ッ シ ョ ン が 同 居 し 発 展 し て い っ た 所 以 に は 原 宿 の 住 民 の 力 も あ る 。 原宿の住民達はもともと下町気質の人が多く、そういった情熱を持った若者達を受け入れ、店先 や物置、駐車場を貸すなどとても協力的であった。他の市街地が、まずファッションビルを建て、 そこにお店を勧誘するやり方とはまったく違う。お金がなくても店を出せるという環境はデザイ ナーたちが本当に作りたいものだけを作るというアーティスティックな創作活動を可能にするの だ 。 こ う し た 様 々 な フ ァ ッ シ ョ ン の 同 居 、 デ ザ イ ナ ー の 創 作 活 動 の 表 現 場 所 と い う 特 徴 は 「 青 文 字 系」と「原宿系」をイコールで結ぶ根拠であり、青文字系の発展には原宿の街がとても大きな存 在 で あ る と い う こ と が わ か る 。 6 . 青 文 字 系 の 誕 生 9 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 原 宿 の 街 で 発 展 を 遂 げ た 青 文 字 系 だ が 、 そ の 誕 生 の 経 緯 は ど ん な も の で あ っ た の か 。 数 あ る 青 文字系ファッションの中から、赤文字系との違いが極端なロリータファッションを取り上げるこ と に す る 。 ロ リ ー タ フ ァ ッ シ ョ ン の 歴 史 は 、 1 9 7 0 年 の M I L K の 誕 生 か ら 始 ま っ た 。 M I L K の デ ザ イ ナ ー が 一 人 独 立 し 、 1 9 8 0 年 に J a n e M a r p l e や E m i l y T e m p l e C u t e , そ の 後 更 に B A B Y , T H E S T A R S S H I N E B R I G H T と 、 次 々 に ブ ラ ン ド が 立 ち 上 げ ら れ 、 1 9 9 0 年 代 前 半 に 「 ロ リ ー タ フ ァ ッ シ ョ ン 」 と い う 表 現 が 使 わ れ 始 め た 。 ち な み に M I L K や J a n e M a r p l e は ロ リ ー タ ブ ラ ン ド と し て 発 表 さ れ た 物 で は な く 、 あ く ま で ロ リータの先駆けとなったファッションを展開しているだけである。ロリータはロココ調ファッシ ョンをアレンジして誕生した。ロココとは 18 世紀フランスで最盛期を迎え、優雅なサロンの雰囲 気を集約させたまさに女性のためのファッションであった。不健康で弱々しいことが女性の「美 しさ」とされていた当時、コルセットで締め上げられゆがんだ身体、デコルテで露出し充血した 胸元、青く透き通る血管 これらが特に大切にされていた。これを叶えるのがロココファッショ ンであったのだ。スカートが大きく膨らんでいるのもよりウエストを細く見せるためで、さらに 頭飾のボリュームを増せば非常に不安定な見た目になりより「美しく」なれたという。ここに幼 児 的 、 少 女 的 な 要 素 を 増 や し た の が 今 日 の ロ リ ー タ フ ァ ッ シ ョ ン と い う こ と に な る 。 こ の 時 代 、 ロ リ ー タ フ ァ ッ シ ョ ン の 表 現 が 生 ま れ る の と 同 じ タ イ ミ ン グ で 現 れ た の が X J A P A N や M A L I C E M I Z E R を 代 表 と す る ビ ジ ュ ア ル 系 バ ン ド だ 。 彼 ら の 真 似 を す る フ ァ ン に よ っ て ゴ シ ッ ク、パンクファッションは広まったとされる。このようなゴシックでパンクなファッションとロ リータは一見対極で無関係なものに見えるが、ロリータの流行に大きく関係している。ロリータ を着る理由のひとつに、「王子様を追いかけるお姫様なりたいから」というものがある。ここで いう「王子様」とはビジュアル系バンドのことである。ロリータブランドが誕生し始めた頃にち ょうど現れたビジュアル系バンドによって、ロリータファッションの発展に拍車がかかったので ある。また、その逆(お姫様に追いかけられる王子様になりたい)という気持ちもあってゴシッ ク パ ン ク は 発 展 し て ゆ く こ と に な る 。 7 . ま と め 青文字系は服の物語や世界観を重視していること、青文字系ブランドは限られており今後増え ないこと、つまりそのブランドに強い憧れを持っていること、青文字系が少数派なのは「他人志 向」のマニュアル世界において他人志向ではない(異端である)こと、ロリータが広まったのは王 10 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 子と姫の役割作りからということ、ロリータファッションのイメージは昔の貴婦人に影響されて 出来上がりさらに行動までも強く影響されているということ。これらを総合すると人々が青文字 系 を 好 む 理 由 が 見 え て き た 。 まず、青文字系は「憧れの連鎖」で成り立っているということだ。店の形態やロリータが昔の 貴婦人に影響されていること、雑誌に見られるモデル独自ファッションのクローズアップから、 それに影響されたモデルに影響されるのも当然の話である。ロリータファッションに影響された モデルが誌面に登場しそこに自分の世界観に似たものを見出した読者がモデルに影響されたファ ッションをする。そしてその読者は自分の個性と言うものを完成させる。この憧れ(影響)の連鎖 が青文字系には必ず存在している。一見唯一のものに見える青文字系ファッションは実はそうで は な い の で あ る 。 ここで他人志向でないということが大事になってくる。青文字系ファッションが既存のものから のアレンジ、奪い合いであるにも関わらず一般社会全体から見たときに「異端」であると言われ ること、つまり否定という「承認」によって自分という唯一の世界が確立されている、と思い込 むことが出来るのだ。つまり、青文字系は少数派であるからこそファッションとして楽しまれる の で あ る 。 では逆に同じ青文字系支持者の中から自分を見てみたときはどうだろう。たとえば青文字系ファ ッ シ ョ ン 街 で あ る 原 宿 で は 楽 し み は 感 じ ら れ な い の だ ろ う か ? ここにはアイデンティティの問題が戻ってくる。同じ日本人、赤文字系が他者からの承認を望 んだのと同じように青文字系にも同じ気持ちがある。ビジュアル系の追っかけに見られる王子と 姫の役割分担は、演じることによって「姫」という自分を承認させるためであり、また原宿に集 まるのは皆同じ「青文字系」であるという仲間意識、所属感情によって自分を肯定させるためな のである。世界から否定された青文字系という町には否定の概念が無い。各々が相手を利用して 自己を肯定しているからだ。ゆえに原宿の街には人が溢れ青文字系ファッション街としての性格 を 持 ち 発 展 を 続 け た の で あ る 。 このことを説明するために青文字系の団体の存在は不可欠である。そのひとつに「Fashion 団 体ぐりーど。」がある。ぐりーど。は東京・大阪・名古屋(大須)で活動する青文字系ファッショ ン団体である。高校生のみの「りとるぐりーど。」を合わせ現在全 203 名が所属し各地で活動し ている。主にファッションショーやスナップを行っており、ファッションという切り口から地域 の 活 性 化 、 社 会 貢 献 、 青 文 字 系 の 文 化 構 築 を 目 標 と し て い る と あ る 。 ぐりーど。名古屋メンバーであるハンドルネームかきぴさん(18 歳)とゆうたすさん(22 歳)か 11 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート ら話を伺うことが出来た。かきぴさんは主に白や生成りのファッションを好んで多く着ているそ うだ。なぜファッション団体に入ったのかという質問には「自分の可能性がどこまでいけるか試 したかった。名古屋、大須を盛り上げたい気持ち優先で入った」と答えてくれた。そもそも青文 字系が好きな理由が「自分の世界観を見て欲しかった」という彼女であるが、自身が他から好奇 の目で見られることに関しては「自分は自分であり、他人に言われて変えるつもりは無い」との こ と 。 ゆうたすさんにも同じ質問をした。彼女は黒ロリ(ゴシック調の混ざったロリータファッション のこと)を好んでよく着ている。ファッション団体に入った理由は「自分と同じ価値観を持った人 の中で自分の個性をさらに追求したかった。大須の街をもっと皆に知ってほしかった」からだと い う 。 他 人 か ら の 目 に つ い て は 一 切 気 に な ら な い 。 む し ろ 楽 し い と い う 。 青 文 字 系 を 支 持 し 団 体 に 所 属 す る 理 由 は 考 察 し て き た 通 り で あ る が 、 彼 女 た ち の 言 う 「 大 須 を 盛 り 上 げ た い 、 知 っ て も ら い た い 」 と は ど う い う こ と か 。 大 須 は 1 9 7 0 年 代 後 半 に ア メ 横 ビ ル や 家 電 量 販 店 、 パ ソ コ ン シ ョ ッ プ な ど が 集 ま り 始 め 電 気 街 と しての発展を遂げた。秋葉原、日本橋と並ぶ日本3大電気街となりその後オタク街としての性格 を強めていく。大須商店街の特徴を、大須商店街公式ホームページでは「ごった煮」の文化だと している。その紹介で「大須は街全体に年齢性別国籍を問わずさまざまな人々を受け入れる雰囲 気があります。海外の商品を販売する店舗や外国人が集まる店舗などが多くあり、名古屋にいな がらにして、さまざまな国々の文化やファッション、グルメに触れることができる多国籍な街と いう側面も持っています。また、老若男女問わず、安価な洋服やおしゃれ小物、古着を求める 人々が多く訪れるファッションの街でもあり、毎日多くの買い物客で賑わいます。」2とあるよう に、大須は現在更にそのごった煮の雰囲気を強くしている。元は家電を求めにくる若者をターゲ ッ ト に 服 を 置 き 始 め た の だ が 、 今 や 立 派 な フ ァ ッ シ ョ ン 街 で あ る 。 そ の 名 古 屋 の 代 表 的 な 商 店 街 を 盛 り 上 げ よ う と す る 「 ぐ り ー ど 。 」 で あ る 。 強 い 個 性 を 持 ち そ の「ごった煮」の雰囲気にも合っている青文字系でなければファッション「だけ」で地域に立っ てその場を盛り上げることはできないだろう。大須の街が彼らの存在によって活気を保っている ことは大須に出掛けてみれば容易に分かることであるが、彼らがなぜ集団に所属してまで街を活 性化させようと動いているのか。やはりこれにも自己と他者の問題が大きく関係していると考え る 。 2 大須商店街公式ホームページ「大須の由来」より引用 http://www.osu.co.jp/what_osu/yurai.html 12 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 彼らは大須が一電気街である頃から活動しているわけではない。既に自分達が認められる場で 仲間を作り名前をつけ、更に仲間を増やす。つまり、自分達が異端で目立つことを利用し大須に 同じ趣味を持った人々を集め、それによって結果大須が繁栄しているように見せ(または本人達も 勘違いし)人々に受け入れられていると実感するのだ。ぐりーど。のように街の代表になり集客す る側も、またされる側も同じ「受け入れられる場所で、そこにいる理由がほしい」だけなのかも し れ な い 。 他にロリータ愛好者はロココの様式を意識してお茶会を開きファッションについて語り合うこ ともあるそうだ。既に解散したが外務省認定ポップカルチャー発信使(通称カワイイ大使)青木美 沙子率いるロリータ協会では世界に日本のロリータ文化を広める活動を行っていた。これも大須 が 世 界 に 変 わ っ た だ け で 同 じ こ と だ 。 ここまでの研究で私が受けた青文字系ファッションの印象は「自己中心的ファッション」であ る。異性に媚びず、しかし同性にも認められず。ただ自分だけが楽しければ構わないというポリ シーにもかかわらず、中を覗いてみれば他人に自分を見て欲しいという欲が強く現れている。私 が 最 初 に 感 じ て い た 「 異 世 界 へ の 逃 亡 」 で は 、 と い う 推 測 は 間 違 っ て い た こ と に な る 。 以 上 か ら 、 一 般 か ら 見 て 異 端 で あ る こ と の 「 他 と は 違 う 」 と い う 自 己 の 確 立 と 、 承 認 さ れ る 自 己 の 確 立 が 同 時 に で き る た め 人 は 青 文 字 系 に 強 く 惹 か れ る の で は な い か と 考 察 す る 。 13 中京大学現代社会学部加藤晴明ゼミナール 年度末個人研究レポート 参 考 文 献 上 野 千 鶴 子 ( 2 0 0 5 ) 『 脱 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 』 勁 草 書 房 千 村 典 生 ( 2 0 0 1 ) 『 フ ァ ッ シ ョ ン の 歴 史 』 鎌 倉 書 房 松 浦 桃 ( 2 0 0 7 ) 『 セ カ イ と 私 と ロ リ ー タ フ ァ ッ シ ョ ン 』 青 弓 社 井 上 俊 ・ 長 谷 正 人 ( 2 0 1 0 ) 『 文 化 社 会 学 入 門 』 ‐ 加 藤 祐 治 「 シ ョ ッ ピ ン グ の 文 化 」 ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 参 考 サ イ ト 「 ロ リ ー タ の 歴 史 」 h t t p : / / a s i a n b e a t . c o m / j a / f e a t u r e / i s s u e _ l o l i t a / h i s t o r y . h t m l 「 一 般 社 団 法 人 日 本 流 行 色 協 会 j a f c a 」 『 色 の 話 題 フ ァ ッ シ ョ ン の 街 「 原 宿 」 を 知 る 』 ( 2 0 0 9 年 5 月 1 9 日 ) h t t p : / / w w w . j a f c a . o r g / c o l u m n / j c c 1 . p h p 「 F A S H I O N M A G A Z I N E 」 h t t p : / / w w w . m a g a z i n e - d a t a . c o m / w o m e n - m e n u / r a n k i n g . h t m l 14
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