ヴィーチ園芸商会によるベゴニア・ボリビエンシスの発見と 球根ベゴニア園芸グループ誕生にいたる育種活動の軌跡 椎 野 昌 宏 ▪ 19 世紀、ヴィーチ園芸商会の南米プラントハン 種子を採取し英国本社に送りましたので、「大木の 使者」(messenger of the big tree)と賞賛されまし ティング た。 その 1.19 世紀園芸界のトップを走ったヴィーチ 商会 最も有名なのは、英名でモンキー・パズル(猿も 木登りに困る)といわれる、チリからアルゼンティ ひとつの家族集団が歴史上、1 世紀にわたって、 ンにまたがるアンデス山脈に自生するチリ松です。 英国のみならず世界の園芸界に大きな影響を与えた チリ松はキノコ形の樹冠が異様で、現在絶滅危惧種 例はかつてなく、今後も現れないであろうといわれ となっています。1849 年からは北米に移り、西部 ています。ヴィーチ園芸商会は 1808 年にジョン・ 山岳地帯を歩き、世界の巨木として有名なウエリン ヴィーチ(John Veitch)によって創立され、ロンド ト ニ ア(wellingtonia)を 導 入 し ま し た。 こ れ は 別 ン市のチェルシーと南西部のエクセターの 2 箇所に 名ジャイアント・セコイア(学名 Sequoiadendron 栽培生産拠点をもち運営されました。同社の最大の giganteum)と呼ばれ、シエラネバタ山脈に自生し、 功績はたくさんの植物採集家を雇って、未知の世界 セコイア国立公園で保護されています。その他、フ の植物を発見し導入したことにあります。これらの クシャやラパゲリアなど多くのエキイゾティック 人々は熱意をもって危険な地域を踏査した植物界の な植物類導入でも成果をあげました。(注:兄弟の パイオニアであり、職業としてのプラントハンター Thomas Lobb もヴィーチ商会のプラントハンター の地位を確立させました。ヴィーチ園芸商会は、残 としてアジアに派遣されランやシャクナゲ類植物を 念ながら後継者の早死にが続き、第 1 次世界大戦の 多数収集しました。) 勃発した 1914年におおむね操業停止となりました。 プラントハンティング事業を行った約 72 年間に 23 その 3.ベゴニア・ボリビエンシス原種を発見し、 英国に送ったジーン・ピアース(1835 - 人のプラントハンターを世界各地におくり、導入さ 1868 ) れた未知の種と同園で新たに育種された変種、交配 種を加えると 1500種以上に及ぶといわれています。 次にヴィーチ園芸商会から南米に派遣されたプ 1906 年 に は ジ ェ イ ム ス・ ハ ー バ ー ト・ ヴ ィ ー チ ラントハンターはリチャード・ピアース(Richard (James Herbert Veitch)が同商会の歴史とプラント Pearce )でした。ピアースは 1835 年、英国南西部 ハンターと育種家の事績を詳細に記録した「Hortus のデヴォン州のデヴォンポート(Devonport)に生ま Veitchii」を限定出版しており、園芸学史の貴重な文 れました。他の園芸会社で経験を積んだあと、ヴィー 献として評価されています。 チ園芸商会に雇われ、1859 年 2 月に南米に植物、 種子、貝殻化石、自然史対象物等を収集するため派 その 2.ヴィーチ商会による南米のプラントハン ティング 遣されました。先ずチリに行き、アンデス山地に自 生する南極ブナ(fagus Antarctica)の群生を観察し、 15 世紀中頃から 17 世紀中頃にかけて大航海時代 eucryphia glutinosa(半落葉大潅木、密の香りのす が続き、南北アメリカやその周辺諸島を含む新世界 る白花)や azara microphilla(常緑低木、バニラの (New World)が歴史の舞台に登場しました。その 香りのする黄花)など、チリ原産の樹木などを収集 植民地などから色々な植物が西欧世界に導入され しました。またアルゼンチンでは優美なアマリリス ましたが、科学的視野をもって、事業として植物収 (hippeastrums)を、ペルーでは華麗なマスデバリ 集を手がけたのはヴィーチ園芸商会が初めてと考え ア(masdevallia)の花卉類を採取しました。引続き られます。英国のコンウオール地方出身のウイリア エクアドル、ボリビア、アンデス山地と踏査し、つ ム・ロブ(William Lobb 1809 - 1864 )を雇用し、 いに重要なベゴニア原種のボリビエンシス発見(B. 1840 年 11 月にリオデジャネイロ向けの船で渡航さ せ、南米植物採集の第 1 歩を踏み出しました。ロブ boliviensis )に到達しました。1864 年のときです。 早速本国に送られ、栽培され、1867 年 5 月のパリ は 1848 年まで、ブラジル、アルゼンティン、ペルー、 国 際 園 芸 展 示 会 に 初 め て 飾 ら れ、 翌 1868 年 か ら エクアドル、パナマなどを踏査し、多くの針葉樹の ヴィーチ園芸商会から販売されました。植物雑誌に (39 ) —3— ボリビエンシス デヴィシイ ヴィーチイ 掲載された図譜には、フクシオイデスタイプの浅緑 色の葉で、深紅色の小さな垂れる花をつけると解説 ・ヴィーチイ(B. veitchii ) 1867年にピアースがペルーのクスコ付近3,750m しています。発売後一般の反響はあまりなかったが、 の高地で発見した 3 番目のベゴニアで、実質的に球 園芸家には高く評価されました。ピアースは 1866 根ベゴニアの丸い花形を生んだ祖先と言われていま 年にヴィーチ園芸商会との契約を終了し、一旦英国 す。植物雑誌にはユキノシタのような縁毛を持った に帰りました。そしてロンドンのウイリアム・ベル 鮮やかな朱紅色の花をたくさん着け人目をひくベゴ 社と新たに契約を結び,翌 1867 年に再渡航しまし ニアであると表現しています。 た。しかし残念ながらパナマで蚊に刺されて黄熱病 に罹り 33 才の若さで死亡しました。前記の「Hortus ・ロサフローラ(B. rosaeflora ) 1867 年にペルーのアンデス山脈 3 , 600 m の高地 Veitchii」誌では、ピアースを「植物収集家として一 で、イェイチ商会(Messrs.Yeitch)によって発見さ 流の人物である。彼の早すぎる死は世界の園芸界に れました。植物雑誌に葉脈の際立つ丸い葉で、赤い とって大きな損失である」と称えています。 丈夫な葉柄と花柄を持ち、たくさんの紅色の花を着 けると記録されています。ただあまり後代の球根ベ ▪引き続く球根性ベゴニアの重要原種の発見 ・ピアルケイ(B. pearcei ) つぎにピアースによってボリビアのラパスで発 ゴニアの育種素材としては用いられませんでした。 (注:現在はロシフローラ(B. rosiflora )の名前で 表現され、前記のヴィーチイと同じ種であるとも言 見され、1866 年に英国に導入された球根性ベゴニ われています。) アは、彼の名前をとってピアルケイと名付けられ ま し た。 植 物 雑 誌 に は 2 . 5 cm 径 の 黄 色 い 花 を 咲 ・デヴィシイ(B. davisii ) ヴィーチ商会のデイヴィス(Davis)によってペ かせ、葉はベルヴェット光沢を放つ濃緑色と解説 ルーのチュペ(Chupe)付近の 3 , 000 m の高地で発 されています。 後代の球根ベゴニア園芸グループ 見され、英国に導入後 1876 年 7 月チェルシー園で (Tuberhybrida Group,以下球根ベゴニアと記する) 初めて開花しました。そして 1879 年から販売され、 の貴色の色彩はピアルケイから由来していると考え 同年英国の花卉委員会から第 1 級の証明書をうけま られています。 した。植物雑誌にはデヴィシイは矮性種で平滑で光 ピアルケイ フロエベリイ 沢ある葉を持ち、直立した花柄に鮮やかな緋紅色の 花を豊かに着けると記述されています。その形態が 交配種に受け継がれ、コンパクトでアップライトで 1881 roseflora × B.Seedling 1882 davisii × B.Seedling ( 注: 上 記 交 配 品 種 の ʻSedeniiʼ ʻChelsoniiʼ 八重咲きの品種がたくさん生まれました。 ʻ I n t e r m e d i a ʼ ʻ S t e l l a ʼ ʻ Ve s v i u s ʼ ʻA c m e ʼ ・クラルケイ(B. clarkei ) 英国ダベントリーのトレバー・クラーク大佐がペ ʻMonarchʼ などは現在残っていない。) ルーのヘンダーソン商会から取得し、1867 年に開 ▪多彩化への育種活動経過 花させたのが始まりです。一見ヴィーチイに似て 前述のようにヴィーチ園芸商会のセデンはピアー いますが、性質がやや弱く、植物雑誌に葉は 15 ~ スによって発見されたボリビエンシス、ピアルケイ、 20 cm 径の暗緑色、花は 5 cm 径の鮮やかなローズ ヴィーチイの 3 種とロンドンのヘンダーソン商会に レッドと記述されました。ロサフローラと同様あま よって導入されたキンナバリーナ、クラルケイを用 り育種には使われませんでした。 い、交配作業を続けました。特にセデニイ(ʻSedeniiʼ) ・フロエベリイ(B. froebelii ) スイス、チューリッヒ出身の B. ボエズル(B.Boezl) は重要な株となり、自身の交配親としてのみならず、 が エ ク ア ド ル で 発 見 し、 園 芸 家 の フ ロ ー ベ ル パの他の育種家たちの材料としても使われ、目覚し (Floebel)によって 1872 年に導入され栽培されまし い成果をあげました。以下多彩化への経過を辿って ヴィーチ園芸商会が一般に販売したあと、ヨーロッ た。植物雑誌にフロエベリイは非常に矮性で、 葉柄 みます。 と花柄が球根部分から別に直接派出する、花は小さ * 1874 年にヘンダーソン商会がセデニイに南アフ いが鮮紅色で非常に美しく、葉は通常三角状となる リカ産のドレゲイ(dregei)を交配して白花を作出 と記述されています。他種とはあまり交雑しないが、 し ʻWhite Queenʼ と命名した。 種つきがよく、自家受粉を繰り返しながらより良い * フ ラ ン ス の ヴ ィ ク ト ー ル・ ル モ ア ン ヌ(Victor 形質を作りだす傾向があり、また冬に開花する生態 Lemoine)が 1870 年代にセデニイ、ヴィーチイ、ピ を持っているので、それらの特徴が球根ベゴニアに アルケイを使って黄花や八重咲きを作出した。 生かされていくことになります。 *その後、英国、フランス、べルギーの園芸業者た ちによる球根ベゴニアの育種競争が繰り広げられ、 ▪最初の球根ベゴニアグループの作出、発表 多様な品種が生まれた。特に 1901 年に創業したブ ヴィーチ園芸商会でもっとも有名な育種家で職長 ラックモアー&ラングドン社は、名前のつけられた のジョン・セデン(John Seden)によって、ベゴニ 高品質の八重咲き球根ベゴニアを生産、販売し、市 ア・ボリビエンシスを使った最初の交配種セデニイ 場を拡大した。 (Begonia × Sedenii)が作出されました。セデニイ *ハンガリーの F. ライネルト(F.Rinelt)が 1935 年 の親となったボリビエンシスとの交配相手のアンデ 米国カリフォルニア州、キャピトーラ(Capitola)に ス産球根性ベゴニア名は明らかにされませんでした 移住し、球根ベゴニアの栽培、改良に着手し、米国 が、開花段階での厳密な選別をへて、セデニイ以外 の球根ベゴニア生産の拠点を築いた。 にも 17 品種作られました。セデニイは 1869 年に *球根ベゴニア市場による綿密な選別と淘汰の結 一般に公開され、初めて開花した最高の新しい植物 果、3 つのグループが代表的なものとして認められ として王立園芸協会のシルバーメダル賞を受賞しま た。 した。その美しい濃密なローズ色が魅力で、種つき ・フィンブリアータ・グループ(Fimbriata Group) が良く、花粉親としての価値が高く評価されました。 大輪、八重咲き、波打ち、かがり花弁 以下セデンによるヴィーチ商会の球根ベゴニア創生 ・ペンデュラ・グループ(Pendula Group)垂れる 段階の交配履歴の主なものを列記します。 花茎 1872 boliviensis × ʻSedeniiʼ ʻChelsoniʼ ・ムルティフローラ・グループ(Multiflora Group) boliviensis × ʻSedeniiʼ ʻIntermediaʼ 小輪~大輪の多花性、八重咲き 1874 ʻSedeniiʼ × veitchii ʻStellaʼ 花容には、一重、半八重、八重、波状ウエーブ、 1875 clarkei × ʻSedeniiʼ ʻVesviusʼ クレステッド、フリンジド、ローズホームド、水仙 ʻChelsoniʼ × cinnabarina 咲き、カーネーシヨン咲きがあり、花色も白、桃、赤、 ʻSedeniʼ × pearcei 黄、オレンジ、サーモンピンクとあり、花弁のふち 1876 ʻIntermediaʼ × ʻSedeniiʼ ʻAcmeʼ ʻSedeniiʼ × ʻIntermediaʼ ʻMonarchʼ 1880 clarkei × ʻChelsoniiʼ に彩りがあるピコティ、花弁に斑のでるマルモラー タなどを加えて、戦前までに変化の幅を示す形態が 概ね出揃いました。 (41 ) —5— ◀球根ベゴニアの図譜 ( 横浜植木の大正時代のもの) ▪現代の球根ベゴニアの問題点 現在も人気の高い品種はドイツのベナリー社の開 発したノンストップ・シリーズです。冬期も夜間電 照栽培を続けることによって生育させ、1 年中開花 させるシステムを開発し、集客を目的としたベゴニ ア植物園で取り入れています。 歴史の古い老舗の英国ブリストルのブラックモ アー&ラングドン社もカスケード・シリーズなど、 現在でもたくさんの優秀品種を発表しています。そ のほか、イルミネーション、パノラマ、ピンナップ シリーズも人気があり盛んに流通しています。 日本では夏場の高温多湿の気候が球根ベゴニアの 栽培に適せず、木立ち性や根茎性ベゴニアに較べ一 般には普及していません。絢爛たる花ですから、夏 の気候に耐える品種の開発が求められています。長 野県の吉江清朗氏(故人)がその目的にかなう品種改 良に努力しましたが、志半ばで終わりました。これ からの課題として残されています。 世界的に見ても、 広く温帯地域の屋外で Bedding Plant として栽培可 能な品種の開発が望まれています。 一方、ボリビエンシス原種など、球根性ベゴニア の栽培ですが、筆者のようなベゴニア栽培家は、他 の木立ち性や根茎性と同じように親しく栽培してい ます。そのうちフロエベリイやクラルケイは殆ど流 通しておらず、自生地における保存が必要とされて ▪球根ベゴニア栽培と流通の変遷 います。 英国の著名な植物学者でありチャールス・ダー アンデス系球根性ベゴニアの園芸化への潜在的可 ウィンの親友でもあった、ジョセフ・フッカー卿(Sir. 能性を予想し、後代にその夢を大きく実現させてく Joseph Hooker 1817 - 1911 )が 1867 年に、アン れた、ヴィーチ園芸商会によるプラントハンティン デス系球根性ベゴニアが登場した直後「この植物は グと育種活動の功績は世界の園芸史に燦然と輝いて 寒さに強い性質を持っているから、必ず将来の庭園 います。 植物として歓迎されるであろう」と予言したように、 1875 年にはセデニイは庭園で栽培され、他の球根 参考文献 ベゴニアも英国やフランスなどでも屋外栽培される 「ベゴニア百花」 誠文堂新光社 2003 年 ようになりました。親がアンデス山系の高地産であ 「Hortus Veitchii 1906、Begonias」 Mark C Tibbet るため、寒さに強い性質を持っており、夏は涼しく、 2005 年 湿度が高く、風通しがよければ立派に成育し、冬の 写真は、名古屋農業センター撮影提供。 寒冷期には冬眠しますので、英国北部や、米国のサ ンフランシスコ湾岸地帯や、ニュジーランドでは露 原稿募集 地植え栽培が行われてきました。然し園芸業者は絶 会員の皆さんの本誌への投稿を募集しています。 えず高級品種提供を目指しており、原則として温室 お寄せいただいた原稿や写真は、校正 ・ 編集等を 栽培植物として位置付けて扱ってきました。 経て掲載されます。 また初期の段階では、球根による生産と販売を ▷手書き原稿の方は…ファックスで伊東まで 行ってきましたが、1879 年にフランスの園芸業者 ☎ 0466 - 36 - 4360(FAX 兼用) が ʻErecta Superbaʼ の名前で、種子販売を始めたの ▷パソコンで作成される方は…メールで清野まで が始まりで、以後幅広い色彩をもった名称つきの種 子販売が流通の主流となりました。球根による販売 も輸送効率と栽培者が育て易いという利点で並行し 編 集 部 て行われてきました。 —6— [email protected] 次号の原稿締め切りは、12 月 20 日です。 (42 )
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