平成 18鋼 月 1日 」ICA帰 国専門家連絡会かながわ 会報 Jica Expert Conference Kanagawa JICA帰 国専門家連絡会かながわ 第 6号 」ECK2005年 下半期活動 」ECK臨 時総会の開催 10月 22日 (11)JICA横 浜 国際 セ ン ター に於 い て、」 ECK臨 時総 会 を開催 しま した。 開催 の 主 旨 は、JECKを 母体 に」ECKか ら分派す る形 で よ り実 践 的 な国際交流 に 関 わ るNPO法 人設 立につ い て、広 く会 員 の 意 見 を伺 う とい うもの で、 活 発 な意 見交換 が 出来 ま した。 なお、 本NPO法 人はその後 開催 され ま した設立総 会 にて 16名 の 発起 人に よ り正式 名称 「特 定非営 利活動法 人JECKア ソシエ イツ」 と して産声 を Lげ ま した。 「横浜国際フェスタ2005」 に参カ ロ これ まで 山下公園沿 いの 産業 貿 易会館 で 開催 して い た「横浜 国際協力 まつ り」が地域 国際協力 団体 だけ でな く国際交流 団体 を も迎 え入れ、 新 たに2∞ 5年 か らは「横浜国際 フェス タJと して、 会場 を横浜 み な とみ らい 地 区 の パ シフ ィコ横浜 に移 して廂大 に開催す るこ とにな りま した。 第 一 口1目 の 本年 度は2005 横浜国立大学 /At開 講座 横 浜国立大学 の ご好 意 に よ り、」ECK会 員 3名 が講 師 となって-1党 市民 、外「J人 留学生 、学 生 を対 象 に して「国際技 術協力 にお ける技術移 転 の 問題点 と課題 ― 元」ICA専 門家 の現 地活 動報 :iF一 」 とい う講座名の一般 公開講座が H月 121J(11)11後 1時 よ り横 浜国iL大 学 工 学 部C講 義棟 101室 で 開催 され ま した。 当 日は、谷 保茂樹」 ECK事 務 局長か らのJECK活 動紹 介 を 皮切 りに、以下の 内容 の 講義 を行 い ました。 l胡 椒 の 栽培 か ら見た地球 の温暖化 講師 :後 藤降郎 」ECK会 員 2.質 量検定技 術 と品質管理 講師 :山 1日 敏夫 JECK会 員 3金 属加 工技 術分野 の 国際技術協力 講師 :菊 池正夫 」ECK「 業技術部 会長 保土 ヶ谷国際交流の つ どいへ の参加 2CX15年 (平 成 17年 )11月 27日 (日 )に 横浜市岩 間市民 プラザ (横 浜市保■ ヶ谷 lg)に お い て、 16回 第 保土 ケ谷 区国際交流の つ 竹 縦紹 馘 f骰 昏 ナ 本書 縁 ゝ 鵠 溜 ,翻 鰊 線 ;犠lさ れ酢 1同 行わ れている 行 Ё 言な 二 膳 ′ま![i7:,18こ礁 bLTば '』!輪 ぷち F吊 穐 ちを 千ξ 罪2x虜 畷 瞥 r看 増 翻こ ま :[寒 いう た あっ 。 」と 評 価を 受けた :う │‖ ;1早 P(「 li夕 11主 l〈 ]ナ c '「 」ECK創 立 4周 年記念 第三回シンポジウム・ 新年会 2006年 の」 ECKの 活動 は、1月 21日 (上 )15時 か らJICA横 浜国際 セ ンターの第一会議室 にお ける第三 回 の シ ンポ ジウム か ら 始 ま りました。 内容は以 ドの とお りです。 1.「 フ イリピンの籾殻発電について」 2.「 国際協力における基礎教育」 物部 宏之 汐崎 郁代 会員 会員 3。 「TVデ ィレクターの仕事」 佐藤満寿 哉 会員 当 日は生・ liilの 雪 で したが 、今回は会 員 の 他 に、初 めて シニ アボ ラ ンテ ィアを活 かす 会神 奈川 県支部 の 方 々 も参加 して くだ さ り、終 了後 の恒 例 の パ ー テ ィで も相互の情 報交換 が和 やか な 雰囲気 の 中 で 行 われ、 JECKも 一 歩 づつ タト部 に対 して 開かれて いっているJ「 を感 じさせ ま した。 「JICA横 浜新年会」 に参カロして NPO法 人 ニ ュース (第 一 回) 今回か ら本誌 の一 部 を利用 して」ECKか ら生 まれたNPO法 人 の活動 につ い て報告 させ ていただ きます。 ::言:i] CKか らの愛情 を受 け つつ 、親 孝行 な娘 となる よ う育 :`:' フ ィ リピン にお け る籾 殻 発 電 実 証 試 験 の 一 事 例 物部 宏之 会員 1 /7N後 背 it 日本は 年 間11億 トン以 Lに 及ぶ 炭 酸 ガス削減 をり〔施す る必要があるが、原 子力、風 あ り、20∞ 万 ト 水力、1れ 林、省エ ネ、では限度力` ン分は達成不 能 とされて い る:そ こで途上1司 に 設備投資 を して、得 られた削減効 果を権利 として 「1本 が 11い IFtる 、 とilう ビジネスの可能性が出て きた:筆 者らは経済 │な 業省の補助令 を得て、 フ イ リピ ンに 農産 バ イオマ ス (Lと して籾投 )有 効利 ガス 用による 化発電 と炭化のりこ証試験 を実施 している1東 1朽 アジアの 米生 ,な 量 は 5億 トン、 l ll殻 1億 トン、 日本の5()倍 程度あ るが バ イオマ スは 般 的 に離 散的 にイ F在 してお り、運搬 等課題が 多い (注 バ イ マ ガスは同化 スの で発生す る炭峨 オ 燃焼 作用の逆で、総 ttを 変化 させ ない :カ ー ボ ンニ ュー トラルとい う)= 2 籾殻 の 利用 方法 1切 投 には 4111り の 利用 方法があ る 1)ガ ス化 : l ll投 を ドラム 1庁 状 の タン クに入れて、僅か に送触tし て燃焼 さ せ る と内書 1度 が LJIし 、6()()度 く らいか らガスが 出始め る 温 1支 を上 げす ぎる と燃 えて灰になるので、lll 投が 炭化す る程度の80()度 ∼9()()度 に な る よ うに 御す る .組 成 は C02 5° 。 .水 素 5%、 メタン 3%な どで、 ‐ ガス 3∼ 4 nl十 で lkヽ ヽ、1刀 殻20kgで l可 │`i卜 li」 10kWの 発itが 可能 (図 2) 炭化 : ガス化炉 では反応,1lt度 を低 く抑 えた場 合に1ガ 投 は炭の形 で排 出 される=エ ネルギーの 13は 炭の 中に残 るので炭 自体有効 な 燃 お│と なる=更 に肥十1や 土壌改良斉1に lt用 す ることで、石油系の 尿素 な ど化学肥料使用 を抑 える事が出来る[燃 や して炭化 l量 を少 な くすれ ば灰が1曽 える この灰は粒子が 4ヽ さくシリコン羽 として 利用価値があ る 精 米所が炭化炉 を設置1す れば、」ほtを 用 いて蒸 気 ター ビン発電 と籾の乾燥 に使用 で きる 籾投 1ト ンを炭化 させ るツト 熱 で 1(Xlkwの 発電 と10ト ンの籾 を乾燥 (石 ,││1lЮ 相 ,:1)l11来 る llし て発1七 を行 う場 合に最 もポ ピュラー 燃焼 : バ イオマ スを利 サ い る手法である ガス化発1し に比べ て人 して で、技術的に も確立 1 規模 (タ ー ビンでは籾投 13tの 燃焼で 100()kw発 lLが 可能 )で 設備イ も小型で も3億 円以 11必 要 となる 電力買取 制度が ない と電力 J「 業 としては成立 しない しか し集積が1ヒ 較的容易な農産物 、た と ‐ えば バ ガ ス (砂 llli黍 絞 りかす )で は 1000k、 クラスの本気 ター ビン llや 籾 発電が多数あ って工場動力全 量をまかなっている[本 気利 り 乾燥 な どコ ジェネレー ションによる効率向 11の 動 きは需んになっ て きたc 4) エ タノール発酵 : セ ルロー ス系 バ イオマ スのアル コー ル発酵 は 1殊 な酵 爆 17t、 蒸煮処理1を 経て リグニ ンとセ ル ラーゼ に分劇[し てキ ′ 鍛 室段 階、将来技 術である 家畜排泄物 の メタ 素に よ り行 うが り ン発酵や ごみ 処分場 の メタンによる発 ↑ Lも CI)Mの 1対 連で は出りι メタン ンマーで つつ ミャ 発lEを 画中 らは 豚 し あ り、筆 者 「効に利 この ようにバ イオマ スとい って も廃棄物 に近 い もの がイ ホ F開 発が進 んで いる 用 されて地球 暖化防 l卜 に役 こつ よう技 イ 2) Iン │:卜 : 国 際 協 力 に お け る基 礎 教 育 の 重 要 性 汐崎 郁代 会員 'i‖ (右 か ら 2番 目)と 日本 側 メ ンバ ー カ ウ ン タ ーパ ー トの Hartln先 生 は責 任 感 が 強 く大 変 な努 力 家 、 日本側 ス タ ン Hamn先 生 JICAの 「 イン ドネシア初中等理数科教育拡 充 計山iJプ ロジェ ク トは、将 来教師 となる学 41を 育 11の 実 力強化 を目的 とし、 日 てる、教育大学 の先 ′ 本の 大学教 itを 派遣 して研究活動や学 f立 収得 の支 ′ 援、教千1[与 作 り、学 11の 指導方法 の助 :│、 また 日 リ 1修 生 のlll薦 を行っていた 教育その もの 本へ のイ を目的 とした点でなかなか ltい 企 l「 と思 う. の イ│:tiは 、 日本側供 りの物理学実験教材 の、 型、 j単 使い ノ Jと 指 方法 を教 える ことであつた しか し2∞ 1年 10り lに 清 f■ し ` て先ず驚 いたのは、 卜数以 卜の機│イ が 米使用の まま放 1置 されて いるこ とだった [プ ロ ジェク トの スター ト以 来ltに 211経 つてお り、lT^万 1]を 超す予算をか けた機材 は、 早い時期 に設ri'斉 みの筈だが │:Il「 にあ 色 々訊 くうちに判 った点 は 2つ ある, つ は まさにお役所イ い ),11化 出 (合 とは云わな に合法的に 理的 を川 l限 内 り、交付 された 〕 '算 ′ 来れ ばそれで成功、 とす る1‖ けiに ある.企 画・ 機材 の選定 と購 入・輸 送設 rt等 の 手続 きが流れ産業的 に進行 し、そ こまでの段 階では、現地 指導 に当たる専門家が まだf千 命す らされて い なかった様 だ:だ か ら 例 えば、 日本で検杏i斉 みの 機材 も、 イ ン ドネシアで い きな り250Vの lt湖 :に 接続 し、瞬 lに 壊 して しまう 専 l家 の付添 い もな く、 日本語 : J′ │“ 1円 の:3ι ttil:の み添 えて送 ら フに今 も信頼 され てい る れて きて、 1瞬 の うちに 壊 れれば、 日本は最初か ら壊 れ た 品物 を よ こ し た、 と不イ キたれて :i感 をオ もイ│:方 が ない 第 1は 、 いわゆるプロ フェッショナ ルの 人 々を 教育す る 4Nl難 である 自 分 も大学 の 先生である と のプラ イ ドが、同 じ大学教 師の 日本 人の指導 を素 三に受 け入れ ない 教育関係 プロジェク トに限 らず、様 々なプ ロ ジェク トの派遣専門家が、 供 り^し た諸設 ll・ 機械類 を、現地 の 人 々が 自分で管J里 出 来るよう指導 って きたようだ す る過程で、同様の壁 に突 き 「 ′'1た それで も、 自 こな しの供 チはそ の国の力 とな らないし 角教育 を1‖ った計山│で あるな らば、J ll想 とす るのは国の次代 を担 う若年 1,1を 対象 とし、自紙 の状態か らの教育 を施せ る協力のイ│:方 が望 ましい「 教育は か るもので、教育 を身につ けた人 々がその 同の ll台 となるま 時 │IJが 卜 ` でには、「:抱 強 い援助努力が必要である ことは云 うまで もない │「 1り l・ テ レ ビデ イ レク ター の 仕 事 佐藤 満寿哉 会員 ^体 、テ レビデ ィレクター とは どんな仕J!「 をす るのだろ うか いつ もこん な質問を受 けることが多いのですc 答えは、なんで もLヽ とい えばいいので しようか あ らゆる を的確 に対処 して 自分のや りたい番組 を具体的に放送 されるまで、様 々な問題を処J里 し て最終 的 にオ ンエ ア ー にた ど り若 くliと な りま す 企山 予算、出演 者、技術 者、 スタジオ、作 ‐ ‐ 家、「1楽 家、な どやることは限 りな くあ ります ..そ の つ つ が同 じ くらいの ウェ イ トを占め ます た本的 には ジヤーナ リス トであるべ きなのです ただ し、 り ^番 大 liな のは ‖ iの 中の出来事や、時代の流れ、孝え方、人々が今、何 11活 しているのかを、いつ もキチ ンと見つめて番利1に をとえどう思 って′ t本 的なテ レビデ イレクターのあ り方だと思 っています 反映 させるJ「 が』 この こ とは、 ニ ュー ス も‖t道 番組 も教 fJ・ 教 養番組 も、ドラマ や 音 」に必 要と 楽番判tも 同 じなσ)で す デ イレク ターになるには何か を絶 力 い う1手 もあ りません Jこ んな物 を作 りたい とい う情熱があればいいの 「 1分 の得意な分 が つ あれば大きな武器になる ことは です ただ し : `│「 i、 . : lli・ 確 かです それは、読 it卜 で も、動物好 きで も、食べ 歩 きでもいいのです「いつ か 必ず役に 立つ 時が来 ます.私 はむしろ、学校 で lJt送 クラブなどより、建築 に興味があった1)絵 lllliを 見るのが好 きな方が いい とさえ思 ってい ます そ して 日常的に、物作 りの 中で常 に要求 される ことは、決脚iす るこ ‐ とです「 何十 人の 人 々がllll一 つの 方向 に進むには 瞬一 瞬の決 llが 絶 対 に必要です ..そ れは当然 なが ら、その 人rlの 人│11性 全てが明 らかに なって きます liま れる し、反対 の ケー スも出て きますら そ こにli頼 や安心感 も′ での仕 J「 は メキシコで 2年 余で した プロデユーサー・デ lt期 の海タト ィレク ター・テ クニ カルデ ィレク ター 合同のプ ロ ジェク トチーム とし て、lTい │の 放送研修所 で現地の インス トラク ター と共に プロのための ( 研 │夕 を11当 しました アジアや ヨーロ ノバではあ まり感 じなか ったソ 文化 とい う言葉が初 めて実感で きました =日 本民族 とは根本的に異な るラテ ン系民族 の陽気 さや、即物的な人生観、そ して 日本 人と先祖 を同 じくす る といわれているア ステカやマ ヤ民族 の 後命たちの死生 感、ど つ を とって も、これ まで の 自分の 人生には無か った もので、興味 ■‐ オ は限 りな く広 まっていったのを今で も覚 えてい ます 中之薗 賢治 会員 横浜 Iド 水道局は、 スマ トラ沖大地震で特 に大 きな津波被害の大 きか ったアチ ェ州で水中ポ ンプが有効活用で きる ことか ら、災1与 対策用の 水中ポ ンプ15台 をアチ ェ州 に供 ′ iす ることとしました.水 中ポ ンプ設 置場所 の選定 な どの技術協力 のため、9月 18Hか ら10月 18日 まで私が 専門家 として派遣 され ましたので報 告 します。 地 の状況 つ ― 私が現地 に入った時は被災か ら約 9か 月が経過 して い ましたが、破 壊 された家屋の大 部分 は復興 されてお らず、 多 くの被災住民 はバ ンダ アチェ市郊外 に建 設 された被災 作月1仮 設住宅や ド1分 の上地 に仮設テ ン トを張 ってい まだに住んでいる1人 況で した.私 が被害状況 を見て印象 に残 ったのは、発電ナバー ジ船が海岸か ら 3kmの 住宅地 まで運 ばれ ていた こと、漁港の近 くでは漁1合 が民家の 2階 ベ ラ ンダに乗 っていた ことで した これ らの風 景か ら津波の凄 さを感 じ取 ることがで きまし た1こ の バ ー ジ船 については永久保存すべ きである とい う ^部 の住民 か らの強い声 もあが ってい ます. ポ ンプの設置 場所 ― 方法 につ い ては、 バ ンダ― 水中ポ ンプの活用 アチ ェ 市長、同 rh水 道公社局長、公共事業省災ir復 興水道 11当 者な どと協議 し、浄水場 内 の配水池か ら給水車 へ の給水 に使用す ることにな りました.現 在 の バ ン ダアチ ェ市 の給水状況 は、 バ ン ダアチ ェ l打 水道公社 のLambaro浄 水場 (約 35,0∞ m3′ 日)か ら、30%の 市民 へ 配水管 で 供給 してい ます .残 りの7()%の 市民 へ は Lanlbaro浄 水場 とユニ セ フが 緊急 支援 のため築造 し たЫron浄 水場 (約 1.7∞ m'FI)の 配水池か ら、給水車 で運搬 した水に頼っている状況です。 画浄水場 とも、 配水池か ら給 水車へ の給水 に水 中ポ ンプ を使用 して い ましたが、 このポ ンプ は イン ドネシア軍所 有で [│ 中 しか 使 きない ため、24時 間使り ││で きる水中ポ ンプが必要 'llで となってい ましたこ これ ら 2か 所 の 浄水 │〕 場 へ 2台 ず つ ポ ンプ を設置 し、 一 日延21Xl台 の給水車へ 給水が可能 と な り、い まだ水道が使えない 多 くの l'民 に水 を運ぶ ことが 出来 ましたc なお、給水 中は、 イ ン ドネシア国内及び近隣の 睡│々 か らの協力 で供 与 された もの を活用 してい ます。 このほか 、アチ ェ ヘ ポ ンプ 2台 、アチェ州の他 Iド 町へ 7台 を供与 し、給水車へ の給水 のためポ ンプ を使用す ることとしました。残 り 2 台 の水中ポ ンプについては、 メダン市水道公社が緊急月1に 保管 し、継 続 して故障時な どの対応 を行 うことにな りましたこ ― ― 一メ ダ ン 市 水 道 公 社 の 協 カ ー 今回の水中ポ ンプ設置 に当 って、横浜市水道局のみの実施では 現地 での作業 な どで困難が予想 されたため、 これ まで交流実績がある メダ ン水道公社 に対 して協力要請 を行った ところ、局長、オ 支術部長、経理 かつた ことな どか ら、全面協 ′ 剪 帰 縫喜曹 :│に 嬉 ff2寡 箸雪雪 多 メダン│ド 水道公社 には、水中ポ ンプの通関 手続 きをは じめ、 トラ ッ ク・ 乗月l卓 及び運転手の提供、電気技術 者 の派遣 などで絶大 な協力を ││∫ `だ ii[ii′ i:]墾 11ま ittililζ ]を li[]:li これは横 浜市 とメダン市の技術交流で培 われた信頼 の賜物であると tili2NIilil「 単 彙 「 會 li]iillク ::`:〔 ::[}:[:i:│]iま li幕 i」 [り :』 ]李 :さ [条 1 白石 康 会員 (鹿 児島在住 ) は い え て 教 せ ん フ ュ ま の 。 村 た 子 供 ち は 親 だ 占 :許 き li算 具 ι だ キ 嗽山 端か 戦 :喬 ζ ∠ 『 り 合下 ttEI全 響 採 ξ 察 鴛 F積 瞥 換 督 影 EttF婿 」 準 夕 百 漕 あ 言 進 実 株 豪 表 系 i:[│IFr「 :l膚 ││:な 哲 存 繋 ,ATttr念 ?ア 条 ザ ぁ ′ 「 倉基 票 源 桑 キリス ト教で もイギリスのルーテル教会が主みたいです !!計 ][l「 釜 この辺で私の本題に入 ります。 ` 私は、灌漑の専門家で此の国に赴任 したので マ リ島 ラ リ 4マ 1紺抱役■竃 雪 すが、何せゼロか らのスター トで した。 ″ 亀 鶏 オ↑ 菖 繁 31■ β 響 達 晏 せ 楚 県 :自 薪 ?岳 協 fこ ご た ↓ 認 手 礎 逸 て 設 を 計 図 作 成 し 、 作 κ 87禁 療 言 ξ 響 量 ∫彿 澁 鱗吻 甫棚 l〔樽驚 業陸稲を水 稲に替える為に、水の確保が必要不 れ の 流 0ヽ る 観酬を ン 利 用 し 、 ポ プ を 設 Fき を 製 李 メ 占 I」 躍 l[::il 析 想 暴 撃 F6奢 基 欠 嘉 婿 置 葎 tT概 皇 鳥 ili[│1鮮 lili‖ 11[輝 た。 皆 さんは、 ソロモ ンの海は、青 いスカイブ 、深 さ癖 ぃの ロ 今IJ、 JECKの 意向受けてソロモ ン諸│::EIIに 注漑 専PI家 として派遣を承 りました 2万 %∞ kが 1 ]可 . 輔デ 1燃饗 Fヾ ルー と皆 さんは思いで しょうけど、フュ村 の 海のサ ンゴ礁は全部死んで、よって1、 も余 り も種類が多 くな く沢山は泳 いでい ませんで し たし 村の 人たちは、夜魚 を取 りに行 くみたいで す=こ こで少 し私が住んでいたフュ│」 の 人た ちの生活をlu‖ l見 ることにしましょう 憶[鋏F銹脚ぷ 7]を 11;jttir:土 [倉 : ′ 月 た 子 じまζ 絆 万 ふ Z;ξ 事 :最 倉 f 部 謝1饒、 勢聾製 子 羊 う :な l]」 li:言 1 0勁 ャ プ テ ク トを行う瀬 錨 む と[芽 響響た1跡 湖 れて人Fり が生 き埋めになることれ 、 己で したけ ど無事 円 成功 しまき留 吸]│す るホー スが 日本か らの物は、全然使い物 にならない 代場をし蒼 「 [::1111「 :│lζ i[lililll:IIili[l:il 任国あんなこと!こ んなこと ! 「酋長の娘と戦艦大和」 隆郎 会員 ) バ 「 い の の 1930年 のラ 頃に流行し、 さん♪と う 酋長 娘」 歌が ♪私 子供のころに回ずさんだことを思い出す。それは実業家杉山隼 人氏 と酋長の娘 ロサ ンの恋物語を石田一松作詞作曲によって唄 にしたもので場所 は、現在のパ ラオ共和国である。杉山氏 は事 業を始める以前 は南洋庁のパ ラオ本庁に勤務 し父とは面識があ った。父は南洋庁の農業技師で在郷軍人の陸軍少尉であった。 1920年 、日本は国際連盟の委任統治国 としてカロ リン群島 (パ ラオ、ヤ ツプ、 トラック、ポナペ、ヤルー ト)を 委任 され、パ ラオ島に本庁を置きその他の島々に支庁を置いた。私はコロー ル町の生まれである。 これらの群島はダー ウインの進化論によ るサ ンゴ礁が進化 した島 々で土地は肥沃で ミカンが良 く生育 し ていたのを思い出す。常夏であ り砂浜は真 っ自で海水は透き通 り、島の湾では珍 しい魚が見られ水族館のようであった。1943 (昭 和18年 )当 時のパラオは平穏な島で、ある土曜日の午後には 公園の近 くのテニスコー トで島民の踊 り見ることが出来た。当 時の踊 る女性の_L半 身は丸出しで色 々な型をしたパパ イヤが並 び、腰にはヤ シの葉を細か く切 り裂き幾重 も厚 く合わせたもの を腰に着け足 を上げても中身は見えず、男性はフンドシ姿で踊 っていた。果物のパパ イヤはパパ インとい う酵素を含有 してい (後 藤 るので、すき焼 きの料理 をするときは、青呆の皮をはぐと乳液 が出るのでその_Lに 肉を置 き、白い果肉も切 り刻み料理に使い、 また、漬物 にすることを母 に教えられた。その事がその後の海 外生活の知恵 として役立った。当時、パ ラオの人達を島民 と呼 び公学校で日本語教育 を教えていた。現在のパ ラオ語の50%位 は日本語と言われパ ラオ共和国は親日的である。 へ 毎月一lnl、 日曜 日に父 と私たち子供二人で南洋神社 参拝 して 日中は暑 にあった。 いた。神社 は高台にあ り家か ら3kmの 位置 いので薄暗い時刻 に家を出発 し途中で日の出を迎えた。神社か らパ ラオ湾を一望することが出来、父が 「沖に停泊中の軍1監 は 大和だよ」 と言 ったのを昨 日のように思い出す。戦艦大和 は内 地で改装のため トラック島を1943年 5月 8日 出港 しているので その時期 と推測す る。聯合艦隊司令長官山本五十六大将の乗 っ た飛行機が撃墜され、当時、古賀峯一大将が司令長官であった。 1944年 のパ ラオ島は平穏であったが、中継地であつたパ ラオの ☆次回から特集テーマを決めて掲載します。☆ マニアの投稿大歓迎 H 「ジャズの音はクリスタルシテイ。 ニュいオルリンズから」 (そ の2) (高 濱 清 会員) ニ ー ンズは ズの王 ュ ル ご存知のとお り、 オ リ 、ジャ 様アームス ト ロングを生んだところであり、アフリカ系米国人音楽家による正 当派のジャズを心行 くまで堪能することが出来ます。町に目をや 「欲望 という名の電車」 という映画で有名になった路面電車 れば、 が、多くの観光客を乗せて映画「風 と共に去 りぬ」 にでも出てき そうな大きな樫の木々に囲まれた町並みの中をゆったりと走って いています。他方、市内のマーケットには、私が勤務した頃は、 豊富な魚介類、新鮮な野菜果物が所狭 しと並んで、食生活の豊か さを感じたものでした。日本食も健康食品的イメージで人気が高 くその評判は今も変わらないようです。 ここで当市 と日本の関係上特記すべ きことを紹介します。一つは 怪談などの作者で有名なラフカデイオハー ン (小 泉八雲)と の関 係です。彼は1877年 から10年 間ニューオルリンズに記者 として滞 在し、1884年 に同市で開かれた万国産業博覧会で見た日本文化に あこがれ、訪日し多くの功績を残しましたが、現在はハーンが滞 在した島根県松江市が1994年 3月 、同市 と姉妹都市、友好都市関 係を締結し、民間交流を進めています。 次に、日本の科学者高峰譲吉博士と同市の係わり合いです。同博 士は、1884年 の万国産業博覧会の 日本政府代表の一人としてこの 地を訪れそこで生涯の伴侶となる米国夫人と出会い、そこで長い 米国での生活の一歩 を踏み出したのです。同博士は、ア ドレナリ ンのタカジヤスターゼ発見の大偉業 を成し遂げると共にニユーヨ ークに最初の 日米協会 と日本倶楽部を作 り、更にはワシントンの ポ トマック河畔に桜の本を植えるべ く運動し、日米交流の架け橋 となった人物です。 現在、米国で二番目に大きいニユーオルリンズ港から飼料穀物、 化学製品などの多くが日本に輸出されていますが、日本か らは化 学工場や自動車 メーカー (ミ シシッピー州)が 進出しています。 ー 因みに日本総領事館は、ルイジアナ州の他にケンタッキ 、テネ シ、 ミシシッピー、アーカンソー州の 5州 を管轄する責任を持っ ています。皆 さんが旅行される際の参考にして下さいc最 後にカ トーリナによる被災からニューオルリンズ市が一刻も早く立ち直 ることを祈念し同市の紹介を終えたいと思います。(了 ) 公園に休憩 している日本の陸軍部隊が見られるようになり、あ る日、樹形 lmの カポックの木陰で倒れている兵隊に水を掛け ているのが見られた。夕方、帰宅 した父は葬式のために軍服 に 着替 えて出かけた。 2月 に父が海軍に77集 され一旦 日本へ帰国す るため飛行場で見 送 った。残された母 と兄と私の三人は集団引き揚げの貨物船 に 乗 り、沖で見たものは10艘 の船団 となり、毎 日、その周 りに駆 逐艦または掃海艇が護衛 し、港か ら港への船旅であった。台湾 の高雄に入港 したときパ ラオが空襲になったと船内放送があり、 また、日本近海で台湾が空襲に見舞われたと聞かされ戦争は私 たちの後に迫 り4月 19日 、無事門司港へ 入港 した。それは 一ケ 皆様 、桜 は御覧 にな つたで しようか。 今年 は寒か つたせいか、桜の花 が近年 にな く美 しく咲いたよ うに 思われ ます。先 日、谷岡会員 の紹介で横浜の ある コミ ュニテ イで話 をする機会 があ りま した。最近 は、 この よ うな地域 の ボラ ンテ イア の集 ま りが多 くな り、会 の世話役の父母 さん方 が熱心 にさまざまな 問題 に取 り組 んでいる話 を伺 い、とか く他者 との 関 わ りが薄れ てい る現代 、新 しい地域社会 が確実 に生まれているよ うで とても心強 く 月の船旅であつた。 下 さい。 編集後言 思 いま した。 この春 、」ECKの 中 に新 しく生 まれ る NPOも 、い つの 日か大 き な花 が咲 くことを願 つて います。 この NPOに 新会員 を是非 お連 れ (佐 藤 ) 」lCA帰 国専門家連絡会 かながわ会報 行 2006年 4月 発行者 JICA帰 国専門家連絡会かながわ (JECK) 発 事務局 谷保 茂樹 (e_mail:StanihoCaol.com) 横浜市青葉 区青葉台 3‐ 9 l.Ylv - * > v Pl tfu\ A&r.r 1‐ -r - 編集委員会 佐藤満寿哉 (編 集責任 ) 谷保茂樹 物部宏之、 中之蘭賢治 (代 表幹事 )、 鈴木千明、 横浜リテラ(URL:http://www.yokohamalitera.com/) (e― mail:infoCyokohamalitera cojp) 横浜市戸塚区上矢部町2039‐ 2 饒 部会長 菊池正夫 第 4回 総 会 にお いて設置が承認 され、昨年 4月 か ら活動 を行 ってい る本部 会は これ まで に 6回 の部会 を開催 し、SV経 験 を活 かす 会 の メ ンバ ー に も討議 に参加 して頂 きオ ー プ ンな運営 に努力 して い るc昨 年 10月 に発行 され た会報 第 5号 ‐ で報告 した以 降 の 活動状 況 を以下 に報 告す る。 1.神 奈川県海外技術研修員、 ビラキ ッ トさんの研修 支援 」ECKが 推薦 し、 タイか ら来 日して 日産の技術 開発試作部 で鋳 造 プ ロセス の コ ンピュー タ解析技 術 につ い て研 修 して いた 、 ピ ラ キ ッ トさんの研 修成果 を一層確 か な もの にす るため、金型 メー カー、 ダイカス トメー カー 、 エ ンジ ン部 品鋳 造 工 場 、鋳鋼工場 、生 産技術 開発 セ ンター な どの見学 と技lf討 議 を コー デイネー トした。 3月 17日 県庁 で 中之薗代表幹事 も出席 して研 修修 了式が行 われ、松沢知事 よ り修 了証 と地 球 市民 メ ッセ ンジ ャー 委嘱状 が手渡 さ れた c同 君 は 3月 23日 に帰 国、1月 21日 の創 立記念 日の パ ー テ ィー で交流 した、」ECKの 皆 さん に よろ しくとの こ とであ った。 彼 は未 だ29才 と若 いが大変有能 な人材 であ り、将来,工 業技術 分野 にお け る 日本 とタイの協 力 関係 を発展 させ て ゆ くため のキーパ ー ソ ンに育 ってゆ くので はないか と期 待 して い るc 2.県 立工業高校でのJICA専 門家現地活動報告 と支援 昨年 11月 12日 に横 浜 国立大学公 開講座 に参加 して行 われ た、」ICA専 門家現地活動報告 に続 い て、JICA専 門家 と しての活動経験 を活 か した、次の よ うな県 の工 業高校 へ の協力 ・ 支援 活動 を行 った。 (1)県「11業 教育研 究会電気部会 の研 究発表会 にお ける講演 (各 60分 ) “国際技 術 協力 の現場 か らみ た工 業技術教育 へ の提 言" 12月 8H開 催、講師 吉 田博 至 ・ 菊池正夫、於 神奈川工業高校 (2)県 i li業 教育研究 会機械部 会 の研 究発表会 におけ る講演 (90分 “海外か ら見た 日本の ものづ くり産業 の 強 さと危 うさ" ― これか らの工業 高校 の 課題― 1月 6日 開催、於 神 奈川総合産業 高校 (3)県 立神 奈川工 業高校電気科 1年 生 、キ ャリャー教 育へ の協 力 “国際技術協 力 の現場 か らみ た、 H本 の物 づ くり産業 "(90分 ) 一 物 づ くり産業 の若手技術 者 をめ ざす皆 さんへ の提 口 3月 23日 開催、講師 菊池正夫、於 神奈川 工 業 高校 ) 3.専 門家 の海外派遣 と技術研修生の研修受入れへ の支援 外部 か らの要請 に応 えて、次 の事項 を コー デ ィネー トして 関係者 に喜 ばれた。 (1)エ ジプ トの大 学 へ 派遣す る電 気 工 学講師 の推薦 (2)エ クア ドルか ら来 日す るカウ ンターパー トに対す る水 質試験技術研修先 の紹介 4。 人材 バ ン ク登録票の整 備・ 充実 地域 の 国際交流 ・ 国際支援組織 との連携 を深 め、前項 で紹 介 した よ うな活動 を一層 円滑 に進 め るため に、 フオーマ ッ トを改罰 し た新 しい 人材 バ ンク登録票 に よってデ ー タベー ス化 を推進 して い るc皆 様方 の 更 なるご協 力 をお願 い した い。 5。 工 業技術部会会則 の制 定 12月 1日 付 で 中之南代表幹事 の正 式 な承認 をえて、部会活動 の基 本 ルー ル を定 めた 会貝Jが 制定 された。 6.平 成 18年 度 の活動計画 従 来か ら行 って きた活動 の他 に、次の活動項 目を追加す るこ とを検討 して い る。 (1)技 術懇談 会 の 開催 ゲ ス トメンバー の参加 を要請 し、特 定 テ ーマ に よる座 談会形式 の懇談会 を実施す る (2)Tl業 高校 の 図書室 ・ 蔵書充実活動 へ の 支援 以上 」ICA帰 国専門家連絡会かながわ 会員名 相野 浩史 青井 久幸 赤星 静雄 秋山 保男 秋山 義博 安食 和博 足立 久美子 阿部 徹 安部 信幸 荒川 勇 荒木 伸也 有賀 勲 有賀 正 石丼 信行 石原 平八郎 岩崎 輝行 植岡 龍太郎 内倉 和雄 越後 滋 大久保 卓次 大田 勝郎 太田 辰幸 大平 ―昭 岡田 靖夫 緒方 順― 岡松 孝男 奥澤 信二郎 小谷 泰三 小原 亨 加藤 賢―郎 加藤 博通 金木 克公 金谷 尚知 川崎 陽―郎 菊池 正夫 北嶋 秀明 木戸 宏 栗林 浩 小泉 由紀子 後藤 隆郎 小林 伸好 小林 ― 小林 宏 昆野 宅男 )軍 り 直子 斎藤 潔 斎藤 健 斉藤 宏 坂井 隆之 酒丼 尚孝 坂田 武穂 桜丼 邦夫 佐々木 員― 笹山 弘 佐藤 満寿哉 佐藤 義隆 佐分利 重隆 汐崎 郁代 渋谷 進 清水 和樹 白丼 克典 杉下 恒夫 鈴木 重雄 鈴木 千明 鈴木 幸敏 関口 秀俊 関口 克 高垣 泰雄 高遠 宏 高橋 功夫 高濱 清 高久 景― 田口 忠彦 竹内 純― 田篭 勝美 田中 治 田中 和雄 田中 健夫 田中 秀幸 谷岡 潔 (2006年 4月 現在) 谷保 茂樹 田畑 敏正 千葉 雅広 辻本 誠 冨樫 潤― 徳永 達己 冨田 祥之亮 冨永 秀雄 豊田 徹 長井 義樹 中谷 政義 中之薗 賢治 中村 孝― 中山 満男 野村 寛 西野 重雄 西宮 洋 野飼 和弘 野澤 昭典 野村 康 林下 幸造 原田 洋一 肥後 照雄 福田 信一郎 藤井 尚子 藤推卜洋子 細野 豊 堀田 政亨 本多 泰洋 増渕 清 増渕 悌次 丸山 秀樹 三島 宗浩 二 宮 慶三 三竹 育男 村上 義雄 物部 宏之 森寄 成宏 森島 紘史 森田 雅裕 八重尾 直忠 安延 義弘 山崎 清人 山下 市子 山田 信一 山田 敏夫 吉田 芳夫 吉武 泰弘 米沢 耕三郎 若林 敏雄 □田 浩明 不 渡部 頴― 渡部 耕司 蝙 会員 栗林 餃 ‐ 自) ・ 亨二け 浩 O● ● 鬱 磯 鬱 機 機 鞭 鰺 機 磯 艤 醸 鰺 颯 脩 鍮 鰺 ■■■JECK(ジ ェック)の ミッション■■■│ : 艤 鶉 脩 鬱 艤 鰺 醸 機 醸 颯 脩 鰺 鰺 畿 撥 醸 艤 鰊 颯 ●ECK(ジ ェック)の ポテンシャルを │■ ご利 用 ください。 ・ NGO等 団体 の み な さん :途 11国 の い ろ い ろ な問題 解 決 に つ い て 手 を差 し伸 べ よ う と 日 々 努 力 さ れ て い る 中 で 、 JECKの 幅広 い専 門技 lΥ 力 と現場 で の 実践 経験 を ご利 用 く だ さい。 /「 ・ 業 ・ 学 校 関係 者 の み な さん :技 術 協 力 を通 じた途 上 国 の 実践 や異 文 化 理解 に つ い て セ ミナ ー 、 ワ ー ク シ ョップ、 講義 な どお受 け します。 」 ECK(ジ ェ ツ ク )の 会 員 に な り ま せ ん か 71 ェ JECK(ジ ック)で は、新 規 会 員 を随 時募集 して い ます 。 技 術 協 力 を通 じた途 上「]へ の 支援 に興 味 の あ る 方 な ら誰 で も賛助 会 員 と して大 歓 迎 で す 。 入 会 の 詳糸 ‖につ い て は、 事 務 局 までお 問 い 合 わせ くだ さい 。 隕 国 際 協 力 の 理 解 者 と して 、 ODA現 場 の 体 験 者 と して 、 また、 多 文 化 共 生 の 実 践 者 と して 、 神 奈 川 県 にお け る さ ま ざ まな活 動 に取 り組 み 、 国 際協 力 ・ 交 流 の 促 進 に 貢 献 します 。 機 蜻 手 と して 開 発 途 L国 の 最 前 線 で 長 年 に わ た り活 躍 して き た専 門家 の 神 奈 川 にお け る ネ ッ トワー ク、 そ れ が 」ECK (ジ ェ ック)で す。 現 在 123名 の 専 門家 が 会 員 とな って 活 動 して い ます 。 会 員 の 専 門 分 野 は 、 農 業 ・ 畜 産 ・ 水 産 業 か ら鉱 工 業 まで 、 イ ン フ ラ整 備 か ら品 質 管 理 まで 、 水 分 野 か ら教 育 ・ 医 療 ・ ITま で 、 とて も広 範 囲 にわ た って い ます 。 会 員 が 派 遣 され た 国 々 も、 ア ジア ・ 中東 か らア フ リカ ・ ラテ ンア メ リカ ・ 太 平 洋 諸 国 や 東 欧 諸 Fは で 、60カ 国以 上 にの ぼ ります。 醸 蝙 」ECK(ジ ェック)と は ? │││││││││‐ ■ │││‐ ICA(独 立行政 法 人 国際協 力 機構 )の 技 術協 力 の担 い 」 鑢 辣 ⑬ 埒 鬱 隋 鬱 褥 2001年 10月 。 秋 の あ る晴 れ た 日、 初 め て の 任 国 ア ルゼ ンチ ンの 首 都 ブ エ ノス ア イ レス に着 い た。 紫 色 の 花 を付 け た ハ カラ ン ダの大樹 が 私 を迎 えて くれ た。「秋」 と書 い たが、 春 で あ った。 日本 とはν Ч季 が逆 で あ る。 ブエ ノスア イ レス は ヨ ー ロ ッパ の 大都市 に似 た竹 まいの 街 で、広 い 公 園 と銅 像 が至 る ところにあ る。建物 や イ ンフ ラはか な りくた びれて い る。 仕 事 が軌 道 に乗 り始 め た 12月 中旬 、予 期せ ぬ こ とが起 こった。 政府 に抗 議 す るデモ隊が暴 動 に まで発 展 した ので あ る。 なにせ 失業 率 が20∼ 30%で 、 ペ ソが ドル と 1対 1の 固定制 で あ ったか ら、 国民 に とって、 物価 は割 高 な感 じが して いた 。 暴徒 は大 型 店 を襲 い 、 商 品 を略 奪 。 肉牛 の 骨付 き脚 を担 い で逃 げ る男 、 大 型 テ レビや 冷 蔵庫 を奪 って 車 に積 み込 む若 者 。 銀 行 は バ リケ ー ドをめ ぐらせ て 封 鎖 、 マ ク ドナ ル ドは焼 き討 ち ・ ・ ・ 。 これ らの映像 が テ レビで 放 映 され た c何 回 間か ホテ ル に 缶詰 にな った。 日本 の 私 の 家族 は「お 父 さん は大 変 な ところ に行 った ん だ」 って心 配 して くれ た。 テ レビは一 番 ひ どい場 面 しか報 道 しな い 。 これが 全 上 に拡 が ってい る、 と思 って は な らない 。 暴動 が起 こるの は、 あ る特 定 の場 所 だ け な ので あ る。 彼 らは夜 行 4/Fで 、 デ モ は夜 の 10時 ころか ら始 ま る。 ラテ ン系 だか ら陽気 で、 鍋 や フ ラ イパ ン を叩 きなが ら行 進 す る c そ の う る さ い こ と とい った らな い 。 警 官 隊 の 警 備 に感 情 的 に な るの もラテ ン系 だか らで あ ろ うか、 ゴム弾 や催 涙 弾 や梶 棒 の犠牲 に なった ひ とび とが、 確 か25∼ 6人 だ った と思 うが 、亡 くな って い る。 大 統 領 が 12月 か ら翌 年 にか け て、5人 も代 った。 ペ ソは変 動 制 とな り、 ま もな く2.8∼ 30ほ どで 落 ち着 い た。旅 行者 に とって は、 ドルの価 値 が 3倍 ほ どに な った わ け で あ るcこ れ で 割 高感 はむ しろ割 安 感 に変 った。 私 の仕 事 の 関係 の 友 人 た ち は、 給 料 遅 配 、 銀 行 閉鎖 で 困 って い たが 、 基 本 的 に は なん とか な る とい う楽 観論 を持 って い た。 政 府 に依 存 せ ず 、 自衛 す る生 活 態 度が育 ってい るの で あ る。 4度 日の 訪 間 は2005年 で あ った。 大 11の 世 界市場 で の 高値 が この 国 を救 った と も ilわ れ て い るc基 本 的 に は何 も変 っ て い な い が 、為替 は 落 ち着 き、 コ ロ ン劇場 で は ヨー ロ ッパ の 名演 奏 家 が舞 台 に立 って い る。 バ レー ・ オペ ラが L演 され、 千 円 も出せ ば良 い 席 が 買 え る。 国立 美 術 館 に は 日を瞳 る印 象派 巨 匠 の絵 が た くさん il1/ん で い て、入場 料 は無 料 c陽 気 さ も変 って い な い 。 肉 は廉 い し、 ワ イ ンは美 味 い 。 :女 ′ 性は美 形 。 これ か らは ア ルゼ ンチ ン・ フア ンが さ らに増 え る に違 い な い と思 う。 ヽ rr ■ ■二三:T「連絡「 丁 i i■ 三T TT′ 丁二 「JICA帰 国専 会か なが わJの 英 文名「Jica Experts' i IHJ家 ヒII土 」 Llri■ :ヒ fLlぜ 」i■ 核 Conterence of Kanagawa」 の頭文 字 をつづ った略称で、親 しみ ! やす くJECK(ジ ェ ック)と 呼 んでい ます。 │ _______J `二 ‐ ■■■ 」ECK(ジ ェック)の 活動■│■■││ セ ン ター の 開所 が 契 機 とな って平 成 15年 1月 24日 に発足 し、現 !在 3年 目の活動 を迎 えた 団体 で ヽ _________― … … 二 L_______― j ―― 」ECKデ スク 〒231‐ 0001 横浜市中区新港 2-3-1 」ICA横 浜国際センター 代表幹事 事務局 中之薗賢治 谷保 茂樹 3F 国 際 協 力 連絡 室 内 (ナ カノソノ (夕 ニホ ケンジ) シゲキ) 鰺 [J贋 孔 悪 I二 月 属II属 轟藤¬ f■yi31」 尻1∫ ア ∪RLihttp1//www.leck ip/ 隕 。国 際 協 力 に 関す る理 解 促 進 活 動 ・ シ ン ポ ジ ウ ム の 開催 、地 域 研 究 会 の 開催 、イベ ン ト参 加 、 講 師派遣 な ど ・」ICA(横 浜 )事 業 へ の 支 援 ・ 地 方 公 共 団 体 や 国 際 協 力 ・ 交 流 団体 へ の 協 力 ・ 県 海 外 技 ar研 修 員 受 入 の 協 力 、 NGOへ の 技 術 相 談 、 専 門家 派 遣 な ど
© Copyright 2024 Paperzz