戦後沖縄 の (洗 骨〉習俗 の変化 ―伝統的 ジ ェンダー と女性 た ちの選択― 粟国恭子 は じめ に 人 はそれ ぞれ の 時間 を生 きて、誰 しも死 に行 く存在 で あ る。 人 の命 の 終 りは 、そ の 存 在 の 終 りではな く、生 きて い る者 た ちは 、様 々 な <死 >に 関わ る様 式 (遺 骸 の 処理 法 で あ る葬法や 儀 礼、霊魂観 。他 界観 及 び墓 制 な ど)を 通 して死 者 と向 き合 うこ とにな る。 そ の 向き合 い 方 の在 り様 は 、 自然環境や社 会空 間位 置 な どの 要素 と、 生 きる時代 の <死 >を 認識す る傾 向 と絡み合 い なが ら変化 し、そ の速度 の強弱 もふ くめて立 ち上が らせ る。 本 稿 は、従来 の研 究 にお い て詳細 に報告 され 、蓄積 も多 いテーマ で あ る沖縄 にお け る 葬法 の歴 史 ・ 分布 な ど多様 な在 り様 の デ ー ター 整理 分類 や 、霊魂観 の 変化 を説 明・ 解 説 す ることを 目的 には していない。今 回は沖縄社会 において近・現代 を通 して変化 した <死・ 葬 法 >と 社 会 的 コ ンテ キ ス トに注 目して い る。 そ して 人 の死 後 そ の 肉体 とそ こに宿 っ て い る とされ る霊 魂 の扱 い に関す る儀 礼 であ る葬送儀礼 において 、伝 統的重要な役割 を担 っ た 沖縄 の女性 たちに注 目して、伝統的 ジェンダー・ ポ リテ ィ クスの 問題 を取 り上 げ る。 ジェン ダー (gender)は 、社会科学 の 中で 「社会 的文化 的 な性 の あ り様 」 を意 味 して い る。社会 にお ける 〈男 〉〈女 〉の役割 の あ り様 を通 して 、 社会 問題 と して浮 上 して くる問題・ ポ リテ ィクス に焦点 を当ててい く。 1.沖 縄 の葬法につい て 一― 複葬 か ら火 葬 ヘ 1)沖 縄 の葬法 の特徴― 洗骨 と女性 この課題 に触れ る前 に 、沖縄及 び 日本 の葬法 につい ての基 本 的な点 を確認 しよ う。 死者 の葬法 は 、今 日では一般 的であ る火葬や 、風葬 、水葬 、土葬 、遺体遺棄 な どがある。 簡 単 に説 明すれ ば土 葬 は 、遺体 を木棺 や甕 な どに納 めて土 中 に埋 葬 し、古 くか ら 日本 全 国的 に行 なわれ た。火 葬 は遺 体 を火 で焼 き、短期 間 の うちに骨化 す る葬 法 で 、 かつ て 行 われ た <野 焼 き >な どは東 北地方 の 日本海 側 一 部、北陸、西 日本 各地 に散 見 してい る (た )。 近世期以前 の沖縄 で も火葬 の事例 は確認 で きるが 一般 的ではな い。 沖縄や奄美 地方 (近 代 以 降 は一 次埋葬 )に お い て一 般 的 な葬 法 は風 葬 で あ る。 遺体 を 入れ た棺 (時 にはそ の まま )を 洞窟や崖 下、墓 の 内部 に 置 き、 自然 の風 化 で死 者 を骨化 す る。 この 段 階 が一 次葬 で あ る。 数年 後 に骨 を取 り出 して 清 め 、厨 子 (骨 壺 )に 収納 し 弔 う改葬 (<洗 骨 >で 表現 され る こ とも多 い)す る複 葬 の特徴 を持 つ 文化 空 間 とされ て あ ぐに き ょ うこ (沖 縄 国際大学非 常勤講 師 ・那覇市 文化財調 査 専 門委員会委員 -1- ) きた。 この 沖縄や 奄美地方 で行 われ た段階 を経 て死者 を弔 う葬法 は、ある意 味 では死者 の 遺骨 に対 して複数 回 コ ンタク トす る <丁 寧 な >と い う表現 の理 解 も可能 で ある。 洗骨 を行 う文化 は、沖縄 ・奄美地方 だけでな く世界 で も確認 で きる。 そ の 中にあ つて沖 縄 ・奄美文化 で洗 骨 を行 う役割 が 、沖縄 では女性 に限定 され てい る こ とが 、社会 のジェン ダー (性 役割 )の 問題 として重要 な のである。 また 、沖縄 ・ 奄美地方 の小 さな島嶼社会 の 自然環境 か らすれ ば、古 い 時代 にお いて燃料 エ ネ ル ギー (木 材 な ど)を 必要 とす る火葬 は、島 の環境 に よつて は人 々 に積極 的に選択 さ れ る葬法 とも言 い難 い。 注 目す べ きは、改葬 (洗 骨 )を 伴 う複葬文化 を様式化 して い く過程 で 、女 た ちに改葬段 階 で <洗 骨 >す る役割 が付 随 し続 け られて いた ことが 、沖縄 ・ 奄美地方 の特徴 的 な在 り様 である。 この 点にお いて 民俗信仰 (宗 教 )を 軸 に した社会 が有す るジ ェンダー・ ポ リテ ィ クスの議論 が立 ち上が る。 2)火 葬 の導入 と普及 について 火葬 が 日本 の各地 に普及 したのは近 代以降 である。 地域 でのそのあ り様 は異 なるが、一 般的 には明治時代 は、土葬 が主流 で あ り、火葬率 は約 20∼ 30%で あ つた。 昭和期 に入 る と火葬率は土葬 を上回 り、 1980年 代 に入 る と火葬率 90%を 越 えて い る。 沖縄 にお け る火葬 の 取 り入れ は 日本 各地 と同様 に近代 以 降 で あ る 1。 近代 以 降 に流入す る県外 出身者 も多 い都 市部 の那覇市 で は、大 正 時代 に火葬場 (天 久 )2、 1915(大 正 4)年 には葬儀社 が設 置 されて い る 1939(昭 和 14)年 頃 には、行政 の後押 しで火 葬場設置 の動 きが本 島 (那 覇市 。西原村 )を 中心に確認 できるが、そ の流れ の勢 い は戦 中で 中断 され て 3。 い く。 しか し火 葬 は、戦前 の沖縄 では 一般 には さほ ど普及 していない。戦後 の火葬場設置 (名 護 市、那覇市、 大宜味村 喜如嘉 :1953年 )を 皮切 りに本格 的 に広 が り、 1950年 代 か ら急 速 に普及 した。 そ して 1970年 代 の終 わ りには、火葬率 は 90%を 超 える程 に広 く定着 して 、 へ 離 島 に も次 々 に火葬場建設 が計画 され てい る。 この従来 の葬法 か ら火葬 の変化 は、数値 的 には、 1980年 代 以 降 か ら他府 県 と比較 して も高 い 火 葬 率 (95%前 後 )を 示 して い る 4。 現在 で は沖縄本 島・ 主 な離 島に 22の 火 葬 場 が あ り、火 葬 率 も 100%に 近 い 状 況 で あ る この 100%に 近 い 火 葬 率 は、現在 世 界 で も上 位 の火 葬 率 で あ る 日本 の 国 内 にお いて さえ 5。 トップ クラス であ る。 つ ま り沖縄 は、世界 で も上位 の火葬地域 であ る ことを意 味 してい る。 2.戦 後沖縄 の女 た ち の選択― ジ ェンダ ー 的平等 ヘ ー 日本 の各地 にみ られ る土葬 か ら火葬化 へ の変化 は、戦後 の 地方 か らの 人 口都 市集 中 (現 在 一 部 の都 市 では土葬禁 止 )、 地方 の社会 生活変化 (都 市化 ・ 都 市計画 )、 公衆衛 生観念 の 浸透 、火葬場 (火 葬 エ ネル ギー の確保 )整 備 ・ 葬儀社 の 定着 な どの社会環境変化 要素 で説 明がな され る。 この説 明は、沖縄 で も同様 に従来 の葬法 か ら火葬 へ 変化 した要 因説 明 とし -2- て適 切 な もので ある。 しか しそれ だけ の説 明は、重要 な要因を語 つて はお らず 、沖縄 な ら で は の事情 を考慮 に入れ な くては い けな い。 沖縄 の特徴 を理 解す るた めに、多様 な時代 ・ 社会 の コ ンテ キス トを考 えてみ よ う。 1)短 い変化時期― 戦後 の約 20年 間― 沖縄 では 、風葬 (複 葬 )か ら火葬 へ と変 化 したあ り様 は 、 日本 の他地域 の 多 くに認 め ら れ る近代 以降 の緩や かな変化 ではな く、戦後 の 1950年 代 か ら 1970年 代 の約 20年 間 に急 激 に広が り火葬 が定着 した特徴 がある。 そ の時間は、短期 間に圧倒 的な <死 者 >の 在 る戦時 中・ 直後 の社会 の経験 を経 て 、米 国 統治 下で基地建設 が本格化 した 時期 の 1950年 代 に始 ま る。 それ か ら 1972年 の <日 本復帰 >、 そ の後 の 沖縄海洋博覧会 が 開催 され た時期 と重 な ってい る。 この 時期 は、本格 的な観 光地 ・ 沖縄 が整 備 され た 20年 間 とも重 な ってい る。 沖縄 戦 に よる多 くの 死者 と対 峙す る 経験や 、そ の後 の基地建設過程 で墓地移転 と移転地確保 の 問題 は 、 <死 者 の 眠 る >空 間変 化 も加速す る要因の一 つ であろ う。墓地移転 を機 に、墓 に眠 る遺体や改葬後 の遺骨 が火 葬 にふ され た。 2)戦 前か らの改良運動 の継続― 女性 たちの運 動― さらに沖縄 の風葬 か ら火葬 へ の変化 は、戦前 の火葬場設 置推 進 の流れ か ら繋 が る要 因 が あ る。戦前 に展 開 され た村政革新運動や戦後 の生活 改善運動 によ つて火葬 へ の移行 が行 わ れ た点である。運動 を支 えたのは 、伝 統的な生活文 化 に対す る <変 革 >へ の人 々 の希求 で もある 6。 女性 た ち と葬法 の 変化 の 関 りを とらえた優 れ た先行研 究 に堀場 清子 「洗骨廃 上 の悲願 」 (『 イナ グヤナナ バ チ ー 沖縄 女性 史 を探 る一 ど)、 が あ る 7。 そ の 中 で 沖縄本 島大宜 味村喜如 嘉 の洗骨廃 止 運動 を通 して戦後女性 た ち (婦 人組織 の運動展 開)の 葬送儀礼 へ の コ ン タク トを多角的 に論 じてお り、戦後展 開 され た喜如 嘉 の 「洗骨廃 止 」運動 は、あ る意 味で戦後 の女た ちの価値 を象 徴 して もい る。伝統的葬法 <洗 骨 >に 向き合 う女性達 が 、「洗骨廃 止 」 の直接 的表現ではな く、沖縄 では 「火葬場設置運動」 とよ り間接 的 に表現す るこ とを堀場 は指摘す る。 ある意 味では、 ジェンダー・ ポ リテ ィ クスの構造批判 を回避す る この あ り様 に 、民俗信仰 の変化 問題 の複雑 さがある。 近代 国家 日本 に組 み込 まれ た 1879年 以 降、沖縄 の伝 統 的文化 (遺 骨 へ の 直接 的 コ ン タ ク ト)が 、衛 生観念 上 か ら否 定的 に捉 え られ る風潮 は少 な くな かった。 この 日本 とは異 な る民俗信 仰 (葬 法 )の 違 いがベ ー ス とな って起 る <他 者 か らの嘲笑的 な >評 価 へ の対応 と して 、 自らの生活文 化や価値 に <改 良 >を 強 い る意識 が後押 しす る。 こ うした戦前 か らの意識 に加 えて 、戦後 には農業改 良普及事業 の一 環 と して農 ・漁村 の 生活 の 改善運動 が展 開 され てい く。戦後 の米 国 の 占領地沖縄 で展 開す る <衛 生 >政 策 も関 係 は深 いが 、紙面 の制約 上今 回は指摘 で止 めることにす る。 3)共 同墓 の変化 ―戦時下 の死 をめ ぐるポ リテ ィクス さか の ばって戦時下で人 々 に倹約 が求 め られ た時期 には 、墓 を新設す る際、従来 の 門中 -3- や親族 で使用す る共 同墓 は規制統制 され た。加 えて地域 に よる共 同墓 建設 が推進 され作 ら れ るよ うにな った。 この共 同墓 の性質 の 変化 で女たち が行 う<洗 骨 >は 、近 しい死 者 (親 族 )の み ではない事態 も起 こる。 つ ま り、それ まで の各 自に訪れ ていた <死 者 >と 向き合 う私的 な問題 (文 化 )が 、公共的 な役割 を持 つ 意 味 を帯び るよ うにな つ た。 この時 期展 開 され た <共 同化 >は 、地域 (地 縁 )共 同墓 の推進 だけではな く、様 々 な共 同体制 、共 同作 業、共同炊事、 共 同保 育 な どの面 で も捉 え られ る。 伝統的 ともい えない この状況 に加 えて 、戦時下 で死 者 が増 加 し、戦後 の栄養失調 ・ 流行 病 な ど<死 >は 人 々の暮 らしの近 くにあ つた。 当然 に女性 た ちが洗骨 を施す タイ ムスパ ン が短 くな る (「 墓 が あふれ て 」 とい う表現 8)。 暮 ら しの 中 で死 が近 くにあ りす ぎ る この過 酷 な状況 で 、女 た ちは近親者や地域 の人 た ちの洗骨 を行 うこ とにな る。女 た ちに <洗 骨 > 習慣 に対す る強 い負 の感情 (嫌 悪感 )が 広 が る ことは 無理 もない。 しか し、長 く続 いて き た民俗信仰 の価値 に 「死者 が焼 かれ る」 ことを受入れ がた い 人 々の根強 い意識 もあ る。 そ の 間 で女達 の意識 も揺れ 、 そ して葛 藤 と、強 い <否 >の 感 情。 そ の感 情 の連続 を転換 で き る事態は、全 く新 しい葬法 (火 葬 )の 導入 で しか訪れ ない。 火葬 へ の移行 を促す女性 た ち のエ ネ ル ギー が 高 ま つてい く。 4)戦 後 のジェンダー・ ポ リテ ィ クス ー 多様 な女性 た ちの共有す る価値 ヘ ー こ う した戦時下及 び終戦 間 もな い 時期 に死者 の増 加す る状況 に加 え、戦後 の人 ロバ ラ ン スの不均衡 も考慮 しなけれ ばな らない 大 きな要因 であ る。沖縄戦直後 の沖縄 は、成年 (20 ∼ 50歳 )人 口比 率 が 女性 7:男 性 3と 女性 が圧倒 的 に多 い社会 で ある 9。 この男女 の人 口 バ ラ ンスの極 端 な非対称性 は戦後 沖縄 の社 会 文化 を理解 す る上 で重 要 な意 味 を持 ってい る。 つ ま り戦後沖縄 の女た ちの存在 は、戦時 中に生 き残 り、戦後 を生 き抜 きな が ら、社会 の 営みや復興 を支 える 中心的な担 い 手であ る。換言すれ ば戦争 が もた らした多 くの死 (男 性 ) は、戦前 に も増 して よ り強 く伝統 的な役割 (洗 骨 をす る)を 女性 た ちに無言 で強 い るこ と になる。加 えて戦後復 興や家族 にお ける働 き手 として、新 しい経済的 な労働 力 の担 い 手 を 強 い る社会状況下 のジェンダー・ ポ リテ ィ クスの構造 が ある。 しか も戦後沖縄社会 には、戦前 日本や 台湾、朝鮮 、満州 、南洋 な どに移民 していた様 々 な価値観 を持 ち生活 し、戦後 の 引き揚 げで地元 に戻 つた女た ちも少 な くな い。 多様 な価値 を持 つ 沖縄女性 た ちが、改 めて互 い に一つの伝統的 な価値 を固持す る状況 で もない。極端 に い えば 、従来 の 生活感情 と しての伝統的な共 同感覚 が共 有 で きな い 、女 た ちの それぞれ の事情 があつたので ある。 この よ うな新 しい 局面 で生 きる戦後沖縄 の女 たちには、戦前 の生 活状況 の葬法 へ の価値 観 の違 い を超 えて 、 さらに都 市や農村部 での暮 らしぶ りを超 えて、あ らゆる女た ちのジェ ンダー 的平等 の 実践 が必要 とな る。 そ の選択 の 時期 が 、複葬 か ら火葬 へ と変化す る先述 の 20年 間 ともい える。 この よ うな戦 中・戦後 を通 して何様 に も生まれた女た ち の状況 は、戦前 か らの 単的 な < -4- 改善 >へ の価値 と、戦後 の <や む に止 まれ >ず 立 ち上が る複数 の価値 との <共 振 >に よっ て 、 <死 >に 関わ る伝統 的 ジェンダー・ポ リテ ィクスの構 図 の停 止 を 自ら選択 した とい え る。 5)い くつ もの コンテ キ ス トか らの理解 この洗骨 の担 い 手 の <停 止 >を 導 い た主 体 は、政治的 な活動 では婦人 団体活動 のネ ッ ト ワー クで展 開 され た。 この <洗 骨廃 止 運動 >は 、 当時 の抑圧 され る人権 問題 (女 性 の権利 拡大運動 )や 男女不平等 な どを議論 の争点 に主に語 られ 、重要 な役割 を果 た してい る。 堀 場 が 「悲願」 と表 現す る、 こ うした 団体 に支 え られ た女性 たちの根気強 い運動 を展 開 した 活動 も大 きな要 因にな っ た戦後 の洗骨廃止運動 ではある。 が 、 しか しこの一 つ の要 因だけ で文 化 は変 革 で きるもの で もな い。 上 記 に述 べ た 、様 々 な社会 。時代 の あ り様 が 作用 しあ い なが ら、女性 が担 った <洗 骨 >習 慣 は急速 に消 えて いつた ので ある。沖縄 の人 々 が 旧来 の伝統的葬法 と火 葬 とを どの よ うに折 り合 い をつ けて きたか の独 自の在 り様 (変 容 と持 続 ) は、 幾重 に も重 なる時代状況 とコ ンテ キ ス トか らの 多角的視ザ 点か らの理解 が必 要 で あろ う。 おわ りに 一 葬法 の 自由の行方 ― 1990年 代 か らは 、 死 をめ ぐる語 りに <葬 法 の 自由 >が 注 目され て新 た な傾 向 が登 場す る。今 日では多様 な実践 が展 開 され て 、 自らの死 を演 出・ 決定す る <終 活 >を 考 える動 き も活発 である。例 えば 、海や川や 山に散骨す る 自然 回帰法や遺骨 を上 中に直接埋葬 し、墓 標 のか わ りに 目印 と して花木 を植 える樹木葬 な どで ある。 この <葬 法 の 自由 >の 実践 を求 め る新 しい流れ の葬法 いずれ に して も、遺体 の火葬化 が前提 にあるこ とは注 目す べ きであ る。 約 100%に な っ た 現在 の 沖縄 の <死 >を め ぐる葬 法 の火葬。 葬 法 で あ る土・火・風・水 の 代表的な四葬 での選 択性 は可能だ ろ うか。例 えば <自 由 >の 中 で <洗 骨 >は 、選択 可能 か とい えば 、そ の 実践 は極 めて難 しい状況 にあ る。現代 の <葬 法 の 自由 >で は、個人 が どの 様 に遺 骨 の処理 を望 も うとも、「火葬 が前提 にある状況」か らは 自由ではない。 女性 が <洗 骨 >の 担 い 手 で あ る とい う伝 統 的 ジ ェ ン ダ ー・ ポ リテ ィ ク スの構 図 も無 く な った 現在 、沖縄社会 の男女が <死 >を め ぐって 向 き合 う問題 は どの よ うな ものか。世界 の トップ クラスの火葬 が実 践 され てい る現在 の沖縄 は 、小 さな島嶼社会 とい う、環境 は何 も変 らず 、それ は未 来 も同 じで あ る。 先述 した 「小 さな 島嶼社会 の 自然環境 か らすれ ば、 古 い 時代 にお い て燃料 エ ネ ル ギー (木 材 な ど)の 必要 な火葬 は 、人 々 に積極 的選択 され る 葬 法 とも言 い難 い。」 の意 味 を深 く考 え、少 しの疑 いの浮 かばないか に見 え るハ イ エ ネ ル ギー が必 要 とされ る火葬 を前提 とした現在 の 沖縄 の <死 >を め ぐる文化 につ いて 、 これ か ら死 にゆ く者 た ちは 、環境 の 問題 も含 め命 の終 わ りの不 自由 さの意味 を深 く考 えてみ るこ とも必 要 か と思 う。 -5- 1『 伊江朝睦 日記』 1810(嘉 慶 15)年 10月 13日 に伊江親方 の両親 の洗骨 が行われている。沖縄の各 地よ り火葬普及が早か つた那覇・ 首里地区 でも近世期か ら昭和期 まで洗骨が行われ ていた。 2安 謝葬祭場 と同 じ場所 で、一部 の人が利用 していた (佐 久田繁『沖縄の葬式』、名嘉真宜勝 らが報告 時中 縄 。奄美 の葬送 ・墓制』 している) 31915年 8月 21日 『琉球新報』。嘲 [覇 市史』 (1968)収 録。 4沖 縄県環境保健部編『衛 生統計年報』各年を参考。火葬率 に関 しては、加藤正春 (2010、 詳細 は 註 5参 照)も 参照。 5奄 美 。沖縄 の火葬文化 については、堀場清子 の先行研究 と同様 に加藤正春『奄美沖縄 の火葬 と葬墓 制 一変容 と持 続 ―』 (裕 樹書林、 2010)の 優れた研究 がある。従来研究を踏 まえ、多角的且 つ 詳細 に論 じられている。火葬や葬墓制に触れた既存 の調査報告 (民 俗学、歴史学、考古学 )や 関連資料 の情報 (250件 以上)を 網羅 して整理、分類 。類型化 を試みることで、単調でない地 域各様を明示 する。 またその検討過程で、従来研究 が「洗骨・ 銘書改葬習俗 と崖葬墓や石造墓群研究 に力点 が置 かれていた」 こと、その研究動 向が 「火葬以前 の葬送・ 墓制は洗骨改葬を伴 った複葬制」 と理解 さ れて く一般化 〉 され、近年の認識 に繋 が るとの指摘は注 目に値す る。 更 に従来研究で議論 の少な い「一 人用 一 次葬墓」を沖縄 の墓で最 も多い形状 とい う独 自の理 解を提示 している。 (死 〉 の様式 の戦後庶民生活史 でもある。 6堀 場清子『イナグヤナナバチ ー沖縄女性史 を探 る』(ド メス出版、1990)の 第 1章「洗骨廃止の悲願」。 その一部 は「 『イナグヤナナバ チ・… …』 ―沖縄 の葬制を変 えた婦人会運動」『新沖縄文学』 63・ 64 中 号 (1985年 3月 ・ 6月 )に 掲載 された。 その他『習俗打破 の女 たち』(ド メス出版、 1998)の「イ ` 縄女性 に とっての 近代 、」でも 〈洗骨廃止〉運動 にふれている。 7堀 場 は戦前 の村政革新運動 における社会主義思想を核 とす る男たち とその運動に呼応す る女性 たち の活動 を、関係者の心情に寄 り添 いつつ 喜如嘉 の歴史文書 を紐解 く丹念な解説 を行 つている。同様 に洗骨廃止運動 について男たちの無関心をも鋭 く指摘 している。 8宮 里悦編『沖縄 。女たちの戦後 一焼土か らの出発―』、『やんばる女一代記』 9沖 縄朝 日新聞編『大観沖縄』650頁 、 日本通信社、 1953年 -6-
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