GKH021005

人 麻 呂 の枕 詞 「
ぬばたま の」 に つ いて
︹
要 旨︺ 人麻呂作歌と人麻呂歌集歌とに詠み込まれている枕詞 「
ぬ
ばたま の」 のはたらきに ついて'それぞれの歌 の文脈を考慮し っつ、
考究した。「
ぬばたま の」は、 いわゆる古枕詞 であり'後世に至 るま
でご- 一般的に用 いられている。 一方'人麻呂 の作品には、人麻呂 の
創作 にかかると考えられる新枕詞や古枕詞を改鋳した枕詞が見られ'
そ の豊かな表現力がしばしば注目されている。それに比して'人麻呂
の古枕詞 の用法 は'注目されることが少な い。けれども、人麻呂 の
「
ぬばたま の」 の用法 には'他 に見られな いも のもある。人麻呂は'
そ の使用にあた って'充分な丹精を込めていると考えるべきである。
人麻呂 の真意 に迫るべ-'考究を試みた。
︹
キーワード︺ 柿本人麻呂'古枕詞、新枕詞'被枕詞、ぬばたま の。
朝日 の
.
It
.'
た
そ叩き
枕詞 「
ぬ ば た ま の」 は' いわ ゆ る 古 枕 詞 で あ - 、 ﹃
古 事 記﹄ と
(
1
)
﹃
日本書 紀﹄ の歌謡 にそ のも っとも古 い例を見出す こと が でき る。
つぎ の、
● '●・● よ
- 青 山 に 日が隠 ら ば ぬ ばたま の 夜 は出 でなむ
たくづの
たL
J
む
き
笑 み栄え来 て 拷 綱 の 白 き 腕 沫 雪 の 若 やる胸を
人麻呂 の枕詞 「
ぬばたま の」 に ついて
羽たた ぎも
け
し
川
島
二
鞍著 せば 命 死なま し
甲斐 の黒駒
(
﹃
日本書 紀﹄ 八十 二
■
詞」 (
増井元 「
︽
古 代 文 学︾ 論 に つ い て の覚 え 書 き」 ﹃
論集 上代 文
ま さ し - 、枕 詞 の中 でも 代 表 的 な も の で あ り 、 「
ご - 普 通 の枕
「ぬば たま の」 が変 化 した 「
むば たま の」 は 二十例を 数え る。
平安 時 代 以 降 の勅撰 八代 集 にお いては ' 「
あ し ひき の」 は 八 十 例 '
の大 黒」 (一例)' 「
黒髪 山」 (
二例)' 「
黒牛 潟」 (一例)。ち な み に、
冠 せら れ る語 と そ の数 は以 下 のと おり であ る。 「
夜 (
よる ・よ)」 ・
よひ
きぞ
ゆ
ふへ
「宵 」 ・ 「昨 夜 」 (
五 十 二 例)、 「 夕 」 (一例)、 「
黒 髪」 (
十 三 例)'
くろま
ひL
.
「
髪 」 (一例)、 「
黒 馬」 (
三例)' 「
夢」 (
五例)、 「
妹 」 (一例)' 「斐 太
の 「ぬば たま の」 は そ れ に次ぐ 八十 例 を 数 え る。 「ぬば た ま の」 が
﹃
高菜 集﹄ にお いて、も っとも多 - 用 いら れ て いる枕 詞 は 「
山」
さ
ー
・「
峰 」 に冠 せられ る 「
あ し ひき の」 であ - 一〇八例を数え 、当 面
であ- ' 「
夜」、 「
黒き御 衣」'「
甲斐 の黒駒 」 に冠せら れ て いる。
ぬ ばたま の 甲斐 の黒駒
ま
な
叩 き愛 が- (
﹃
古事 記﹄ 三)
み
つ
ぷ
ぬばたま の 黒き御 衣を ま具 さ に 取 -装ひ 沖 つ鳥 胸見
ふ
さ
是 は適 はず (
﹃
古事 記﹄ 四)
る時
那
理
大
学
学
報
二
の加 わ って いな い古枕 詞が注目 される度合 いは'少 な いと言え よう。
天
学﹄第 一集)と言われ るべき枕詞 であ る。 こ の 「
ぬばたま の」が'
んだと いう こと は'現在 ま で の研究 が明らか にし つつあ る人麻呂 の
しかしながら'人麻呂が意を用 いることな-古枕 詞を作品 に詠 み込
人麻 呂作歌 及び人麻呂歌集歌 の枕 詞 に ついては' つと に浮浪久孝
作歌活動 一般から推 し て'考え がた いであ ろう 。古枕詞 の使 用 に当
人麻呂作歌及び人麻呂歌集歌 に'十例詠 み込まれ て いる。
﹃
高菜集 の作品 と時 代﹄ 「
枕 詞を 通 し て見 た る人麻呂 の独創 性」 に
た っても ' 一首 の文脈を こま やか に量り つつ意匠 が凝らされ て いる
「
ぬばたま の」 のよう な古枕 詞 のはたらさ に ついては'
お いて、古枕詞 の改鋳 '新枕詞 の創 造' 一首 の文脈 の充実を企図し
土橋寛 ﹃
古代歌謡論﹄ 「
枕 詞 の概念と種類」 「
枕詞 の源流」 にお いて、
あ る 一定 の語 にかか って'そ の語 の威力 を増幅 しようとす る'
はず であ る。
記紀歌謡 ・常葉集歌 の中 でも 人麻呂 の作品中 に、本質 的 には序詞 に
和歌 のきま り文句 が枕 詞 であ る。たとえ ば、 「
たらちね の」 や
た使用等 'そ の独創性 が説かれ て いる。それ以降 の論考 の中 では'
近-枕 詞的序 詞と呼 ぶべき 用言 に冠 せられ る枕詞が多 数存在 し'か
「
ははそは の」 が'常 に 「
母」 とかかわ って'下接語 「
母」 の
(
伊藤博 ﹃
常葉 の いのち﹄ 「
ひさかた の月」)
感性的意味を ふくま せる類 であ る。
つそ の描 写力 の優 れ て いる ことが指摘 され て いる。そし て、それら
の成 果を承け'稲 岡耕 二 「
人麻呂 の枕 詞 に ついて」 (
﹃
常 葉集研究﹄
I
∼)
第 一集 )以 下 の論考 にお いては'と- に人麻呂歌集略体歌 (
諺体歌
と いう よう に'説明しう るも のであ ろう。
同 じ-古枕 詞 であ る 「
あ しひさ の」 に ついては、拙稿 「
人麻呂歌
・古体 歌) ・人麻呂歌集非略体歌 (
常体歌 ・新体歌) ・人麻 呂作歌
の別など にも留意す ること によ って、 より こま やか に人麻呂 の枕 詞
小於 にみ雪降り来 る
集冬雑歌 四首」 (
﹃
常葉集 研究﹄第 二十 二集) にお いて'人麻呂歌集
きし
の具体相 が明らか にされ つつあ る。また、当面 の人麻呂作歌 及び人
まきむく
さ 巻 向 の 崖 の
二三一
(
0
1 二三 一五)
)
歌 であ る つぎ の'
あ しひさ の山かも高
(
0
1
- に用言 に冠 せられ る新枕詞 や人麻呂 によ って改鋳 された古枕詞が
を対象と し て'言及した。 二首 の枕 詞 「
あ しひさ の」 には、時 には
三
麻 呂 歌集 歌 の 「
ぬば た ま の」 に つ いて の論 考 と し ては'岩 下武 彦
「
人麻 呂 におけ る枕 詞 ﹃
ぬば たま の﹄ の用法 と表 記 に ついて」 (
東
京女 子大学 ﹃
日本文学﹄ 七十 七号) が挙げられよう 。
注 目を浴 び論ぜられ る場合 がしば しば であ る。そう い った描写力 に
神 そ のも のでもあ る山 に対す る古代 人 の讃款 や畏敬と い った念が込
あ しひさ の山道も知 らず白檀 の枝もとをを に雪 の降れれば
優 れた枕詞 が注 目を浴 び る のは'それはそれ で当然 のこと であ るけ
められ ており'それが詠 み込ま れ て いる歌 に陰影を与え て いると言
右 に挙 げた論考等 にお いては'人麻 呂 の創造 にかか る新枕 詞、と
れども 'そ れ に比 し て、当面 の 「
ぬばたま の」 のよう な人麻呂 の辛
え よう C 二三 二 二にお いては、枕 詞 「
あ し ひき の」 によ って'思 い
がけず に雪を降ら せた高 い 「
山」 への畏敬あ る いは讃歎 の念 が歌 い
込 められ ており'それが'思 いがけな い降雪 に出会 った際 の驚き の
感情を裏 打ちし て いると 理解 でき よう 。 二三 一五にお いてはう強 い
はず の 「
白 檀 の枝」ま でもが擁 む ほど の 「
雪」 によ って 「
山道 も」
ど こにあ る のか判らな-な ってしま って いる情 景と'そ れを現出 さ
せた降雪 の様 への驚き の感情 が歌われ て いる。枕 詞 「
あしひき の」
には、そう い った雪を降ら せる自然 への畏敬 の念 が込 めら れ て いる
古
の 浦 週
うら み
の 砂
(9
(9
一七九七)
一七九人)
一七九九)
も にはひて行 かな妹も触 れけむ
に
まなご
に妹 と我 が見 しぬばたま の黒牛潟を見 ればさ ぶLも
へ
いにし
玉津島磯
(
9
二〇〇八)
国 ぬばたま の夜霧 に隠り遠-とも妹 が伝 へは早く告げ こそ
(
10
(
1 二三八九)
㈲ ぬばたま のこ の夜 な明けそあからひく朝行-君を待 たば苦し
も
囚 ぬば たま の黒髪 山 の山菅 に小雨降りしきしくしく恩 はゆ
と'理解 でき よう 。枕 詞 「
あ しひき の」 が冠 せら れる こと によ って、
「
山」 の本然 が'冠せられな い場合 よりも色濃く'表 に押 し出 され
(一七九八) ・回が人麻呂歌集非略
御歌」と知られ る。非略体 歌 は、略体歌 が作者名を明 らかにす るこ
体) の例 であ る。ただ し'回 に ついては'題詞 によ って 「
舎人皇子
体歌 (
常 体 ・新 体)、㈲・
囚 ・佃 が 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 (詩 体 ・古
右 に挙げ た のは'仰 ・回 ・
困
(
1
2 二八四九)
ており'それぞれ の歌 の文脈 に陰影を与え て いると言えよう 。
き
-を
(
1 二四五六)
あ
的 ぬばたま のそ の夢 にLも見継げり や袖乾 る日なく我が恋 ふら
次節 以降 にお いてはう具体的 に人麻呂作歌 及び人麻呂歌集歌 に詠
疾
と
み込ま れ て いる枕 詞 「
ぬばたま の」を取り上げ、それぞれ の歌 の文
脈 におけ るはたらきを明 らかにし てゆきた い。
二
川 ぬば たま の夜 きり来 れば巻向 の川音高 Lも あ ら し かも
と が 1切な いのに対 し て、題詞 にそ の作者名を 掲げ る場合 が存す る。
しかも'そ れは'す べて人麻呂 以外 の作者 の場合に限られ ておりう
一70 1)
回 ぬば たま の夜 霧 は立 ち ぬ衣手 の高 屋 の上 にたな びく ま で に
そ のこと は'作者名を掲げ な い歌が人麻呂 の詠作 にかかるも のであ
(7
一七〇六)
ると の理解を導- であ ろう 。 こ の理解 は'表 記 ・表 現 ・作歌事情等
(9
吊 も みち葉 の過 ぎ にし児 らと携 はり遊 び し磯 を 見 れば悲 しも
の問題 に ついて の論究を積 み重ね て来た歌集研究 の成 果 に鑑 みて、
三
現在 におけ る共通理解 であ ると言 って誤 る ことはな いであ ろう (
阿
一七九六)
(9
塩気立 つ荒磯 にはあ れど行-水 の過ぎ にし妹 が形見と そ来 し
人麻呂の枕詞 「
ぬばたまの」に ついて
天 理
大
蘇瑞枝 ﹃
柿 本 人麻
学
学
﹃
報
古
考﹄
、
﹃
渡瀬昌忠著 作集﹄ 第 1巻∼第 五巻'稲
人麻
呂の表現世 界-体
歌から新体歌へー﹄'
﹄
呂 論
岡耕 二 ﹃
高 菜 表記 論
歌 人 の研究﹄等参 照)
。ただ し '人麻呂 の作 で
四
つぎ に'とも に 「
夜霧」 に冠 せられ て いる回と国を見 てみよう 0
ただし、先 に見た よう に'回 は舎 人皇 子 の作 であ る ので、あくま で
参 考ま でに見 てみた い。 こ の二例 以外 に 「
ぬばたま の」 が 「
夜霧」
廷
橋本 達雄 ﹃
高菜宮
に冠 せられた例が 二例あ る ので' つぎ に挙 げ る。
ぬばたま の夜霧 の立ち でお ほほし-照 れる月夜 の見 れば悲 しさ
あ ると確定 は でき な いけれども 、略体歌と ても人麻呂と無関係 であ
るとは考え られな い。 ここでは'略体歌も含 め て'考察 を進 めた い。
れ遠く 隔 てられた織女 から の言伝 が早く届 けられ るよう願 われ て い
まず '非略体歌 の伸 から見 てゆきた い。伸 にお いては、夜 の到来
のあ る歌」 (
斎 藤茂吉 ﹃
柿 本 人麿﹄ 評揮編巻 之 下)と 評 さ れ て いる。
る。 「
ぬばたま の夜霧 に隠- -」 に ついては' 一般的 には、 「
暗 い夜
(
6 九 八 二)
(
3)
年 にあり て今 かま-らむ ぬば たま の夜霧隠り に遠妻 の手を
こ の歌 におけ る 「
ぬばたま の」 が冠 せられ る 「
夜」 は'作者を し て
の霧 に こも って-」 (
﹃
常葉集 全 註 樺山)' 「
暗 い夜 の霧 にす っぽり隠
と共 に速- な った巻向 川 の流 れが聴覚 によ ってとらえら れ、そ の理
巻向 川 の流 れ の激 しさを聴覚 によ ってのみ感知せしめtか つ'嵐 の
さ れた -」 (
﹃
高 菓集揮注﹄)と いう よう に'説 明 がなされ て いるだ
(
0
1 二〇三五)
風を激 し-吹 かせ川音を高く立 てさせ る自 然 への長敬 の念を より色
け であ る。 しかし'そ れだけ では、 「
ぬばたま の夜 霧-」 の表 現 に
由 が嵐 の風 の激 しさ に求 められ ており' 一首 は 「
夜 の暗黒と山河 の
濃 いも のにす る役割を担 って いると理解 でき よう 。枕 詞 「
ぬばたま
込 められた人麻呂 の意 図を充分 に汲 み取れ て いな いのではな いであ
当 面 の国は、七夕歌 であ -'彦 星 の立 場 から'「
夜 霧」 に こめら
の」 が冠 せら れてこそ'深 々と した夜 の暗 さと自然 への畏敬 の念を
ろう か。当面 の表 現は、枕 詞 「
ぬばたま の」 の重 みを勘案 し、深 々
河波 の音と山風 の来襲 と相交錯 Lt流動的'立体的 で不思議 に厚 み
起 こさせ る現身 のたよりなさと が、たしか に歌 い込 めら れ るはず で
と した 「
夜」 の暗 さと 'それ に加え ても のを包 みこめる 「
霧」と が'
様 が表 現され て いると '理解 でき るであ ろう 。
「
夜」 の暗 さ の中'立ち こめ嵩を増 し てきた 「
霧」 に包ま れ てゆく
彦星 の焦慮 が'切迫 したも のと し て歌 い上げられ て いるわけ である0
(
A
)
回 の舎 人皇 子 歌 の場 合 も'高 殿 であ る 「
高 屋」 が、深 々と し た
そ の表 現 に応 じ て、結び の下 二句 におけ る織女 の言伝を待ちかね る
織女を遠-隔 てて いる ことを言 って いると、理解す べき であ ろう 。
あ る。
常葉人 が いだ いた 「
夜」 の暗 さから生ず る現身 のた より なさあ る
(
2
0 四 四l
二六)
いは心細 さと い ったも のは、 「
昔年防人歌」 であ る。
わ
我 れを何時来まきむと間 ひし児 ら は
闇 の夜 の行 -先知らず行 -
も
よ 、つ
。
の' 「
行 -先 知 らず」 の枕 詞 「
闇 の夜 の」 に典 型的に見 る こと が で
き
岩下前掲 「
人麻呂 における枕詞 ﹃
ぬばたま の﹄ の用法と表記」 に
やはり人麻呂歌集 の吊と古集 の 111
四 lの例があるだけ である。
お いては、「
ぬばたま の夜霧 -」が持 つ表 現力 が有効 に活かされ て
お いては、吊 の 「
ぬばたま の黒牛潟」 に ついて、回 の 「
ぬばたま の
今見た人麻呂歌集歌 の場合 に較 べて、まず'坂上郎女 の九 八二に
いるとは'言 いがた い面があ る のではな いか。九 八二にお いてはう
黒髪山」 の用法 に通う はたらきがあ ると'説かれて いる。そ の吊 の
歌意はただ最後 の 一句 のみであ る。併 し名もな つかし い黒髪山'
「
夜霧」が立ち こめること によ って 「
月」 の光 が 「
おほほしく」照
「
月」を こめる 「
霧」 が表立 っており'深 々とした夜 の暗さを表現
それは若 い女を恩はしめる。-蓋 し序詞 の用を極点ま で効果あ
用法 に ついては' ﹃
高菜集全樺﹄ に、
しうる 「
ぬばたま の夜霧」と いう表 現は充分 に活かされておらず、
らしめたも ので、恋 になやむ人 の姿が目に浮んで来るやう に詠
って いる情景 が措 かれ て いる。そ の 「
月夜」 の情 景 にお いては、
「﹃
不精 照月夜﹄ の句 によ って ﹃
鳥 玉﹄ の効 果が相殺 され て いる」
まれ て いる。
とあり、さら に' ﹃
日本古典文学全集高菜集﹄ に、
(
岩 下前掲 「
人麻呂 におけ る枕 詞 ﹃
ぬばたま の﹄ の用法と表 記」
)
と言う べき であ ろう。
場から、深 々とした 「
夜」 の暗さと 「
霧」 にこめられた中'今まさ
び起 こされる若 い女性 の豊 かな黒髪 のイメージ」をもたらすも ので
とある のに賛意を示し'「﹃
ぬばたま の黒髪﹄ の連合表現 によ って喚
黒髪 の語 に'相手 の女性 のさまが象徴されて いる。
に彦星が 「
遠妻」 であ る織女 の 「
手」を 「
巻」 いて いるであ ろう こ
あると、説 かれて いる。吊 にお いて、枕詞 「
ぬばたま の」 によ って、
作者不明 の七夕歌 である二〇三五にお いてはう地上 の第三者 の立
と が、思われ て いる。同じ七夕歌 であ る国 の表 現を学び つつ (﹃
常
「
黒」 の本然が' この場合は女性 の髪 の豊 かで官能的な 「
黒」が強
「
ぬばたま の」 によ って 「
若 い女性 の豊かな黒髪 のイ メージ」がも
-押し出され て いると'理解 できよう 。本稿も、吊 にお いて'枕詞
葉集全注﹄第 六巻)'地上 の人間 の心もとな- 二星を思 いやる心情
が巧みに描かれ て いると'言えよう。
つづ いて、巻九挽歌部 に収められて いる 「
紀伊国作歌 四首」中 の
て、妻 のこと が偲 ば れ て いる。そ の第 三首 にお いて'「
ぬばた ま
おそらく行幸 に供奉 した折 であ ろう'共 に訪れ遊んだ紀伊国にお い
ており'そう いった例は、他 に見あたらな いも のであ った。たしか
吊 にお いて'枕詞 「
ぬばたま の」 は回と同じよう に地名 に冠せられ
しかし、そ の同じ用法を'吊 に認めることができるであ ろうか。
たらされ て いると いう考え に'賛意を示すも のである。
の」は、地名 の 「
黒牛潟」 (
現在 の和歌山県 海南市黒江) に冠 せら
に'「
黒」を共有 し共 に枕詞 「
ぬばたま の」が冠せら れ て いる。け
回 の例を見 てみた い. 四首 にお いては、妻を亡-して後'か って、
れ て いる。「
ぬばたま の」が地名 に冠せられる のは'他 には'「
黒髪
れども、女性 の黒髪を直ち に想起しう る 「
黒髪山」とそう ではな い
五
山」 (
現在 の奈良市 北部'佐保山 の 一部 かとも言う) に冠せられ る
人麻呂の枕詞 「
ぬばたまの」について
理
大
学
学
報
六
い「
砂」 に染ま って行 こうと歌 い納められ て いる のに対応し て いる。
天
「
黒牛潟」と では'もたらされる意味合 いが異な ってくる のではな
四首 の構成 に ついては'
構成は'歌 の形が第 一首と第 三首と似 ており'例 の流下型対応
(
5
)
構造 のよう でもあるけれども、心情 の推移は起承転結型 である。
いであ ろうか。
吊 における 「
ぬばたま の黒牛潟」 の意味合 いを理解す るためには'
一七九八 の文脈を'さらには 一七九六∼九 の四首 の文脈を押さえ て
と の発言が成され て いる。先 に見たような 一七九六と 一七九八と の
(
﹃
高菜集樺注﹄)
一七九八にお いては、「
古 へに」亡妻とか つて共 に見 た 「
ぬば た
構成 における対応を、認めることが できよう 。そ の対応する構成 か
おく必要があるであ ろう 。
ま の黒牛潟」を見 ること によ ってお こされる皆 々たる心情が 「
さぶ
九 八 の 「いにし へに妹 と我 が見 し ぬばたま の黒牛 潟」 に相 当 Lt
き妻とか って手 に手を取 って遊んだ磯が提示され て いる のは' 一七
じ であ る。 「
も みち葉 の過ぎ にし児 らと携 はり遊びし磯」と今 は亡
「
寂しも」と嘆かれて いるわけ である。そ の文脈 の中で、枕詞 「
ぬ
し て詠み込まれており'それ故 にこそ、そ の地を見ること によ って
一首 の文脈 にお いても'「
黒牛潟」は亡き妻と共 に見た形見 の地と
に手を取 って遊んだ形見 の地とし ての 「
磯」 にあたること になる0
らすれば、「
ぬばたま の黒牛潟」 は' 一七九六 における亡き妻と手
「
見れば悲しも」と上 四句 で提示された 「
磯」を見 ての詠嘆がなさ
「
黒牛潟」 の地 に ついては'他 にもう 一例
ばたま の」 のはたらきを考え てみる必要があるはず である。
潟」 に対し ての 「
見ればさ ぶLも」 に相当し て いる。今見た 二首 の
黒牛 の海紅 にはふももしき の大宮人しあさりすらしも
れ て いる のはt l七九 八 の上 四句 で提示 さ れた 「
ぬば たま の黒牛
対応は、 一七九七と 一七九九 の二首 に目を向 けること によ って、 一
い存在 である 「
砂」 が提示されて いる のに相当し て いる。そし て'
の砂 にも」と磯辺 の美しくはあるけれどもあり ふれたと るに足らな
も って提示され て いる のは' 一七九九 にお いて' 「
玉津島磯 の浦 廻
気立 つ荒磯 にはあれど」と潮気を含 んだ荒涼たる 「
荒磯」 が逆接 で
した様を強く押し出し、そ の地を讃歎した のである。それは'もち
呂は'枕詞 「
ぬばたま の」 によ って、そ の 「
黒牛潟」 の地 の黒 々と
言葉 の上だけ のことだとし ても、黒色が意識される地である。人麻
はふ」衣裳と対比 され て いる。す なわち' 「
黒牛潟」は'ある いは'
に詠 み込まれ ており' 「
黒牛」 の 「
黒」 が行幸 供奉 の女官 の 「
紅に
二 二 八)
「
行-水 の過ぎ にし妹 が形見とぞ来し」と、そう い った 「
磯」 では
ろん'亡き妻と共 に見愛 でた形見 の地 であるから であり'そ のこと
7
(
あ ってもか って共 に遊 んだ亡妻 の形見 の地とし てや って来たと歌う
が'人麻呂をし て、他 に見られな い古枕詞 「
ぬばたま の」と 「
黒牛
層確 たるも のとし て認 められる であ ろう 。 一七九七 にお いて、「
塩
のは' 「
にはひて行 かな妹も触 れけむ」と、亡妻も触 れたはず の白
潟 」 と の結 び つき を 成 さ し め た と '考 え ら れ る 。
最 後 に' 佃 に つ いて考 え て みた い。 正 述 心 緒 部 の恋 歌 であ り ' 女
性 の立 場 か ら 二人 です ご す 夜 の明 け ぬ こと が 願 わ れ て いる。 こ の歌
にお け る 「
夜 」 は' 男 女 が と も にすご す 満 ち 足 り た夜 であ る。 そ の
本 然 を 色 濃 - し強 - 押 し出 し う そ のこと によ って 一首 の文 脈 の充 実
が 図 ら れ て いる こと を ' 見 て来 た 。 次 節 では、人麻 呂 作 歌 におけ る
枕詞 「
ぬ ば た ま の」 のはた らさ を 、 見 てみた い。
桝 あ か ね さす 日 は照 ら せ れ ど ぬば た ま の夜 渡 る月 の隠 らく 惜 し
三
し出 さ れ て いると ' 理 解 でき よう 。 そ の上 に' こ こ で は ' 「
ぬ ばた
よう な 「
夜 」 と し て の本 然 が 、枕 詞 「
ぬ ば たま の」 によ って強 く 押
ま の」 と 「
夜 」 の間 の 「こ の」 の語 の存 在 が 注 目 さ れ る。 「ぬ ば た
ま の」 と 被 枕 詞 の間 に ' 「こ の」 で は な く 「
そ の」 が 挿 入 さ れ る 例
も
(
2 一六九 )
つ
ま みこと
佃 - 玉藻 なす
寄りか
-寄り な びかひし 夫 の命 の た
に
ぎは
つ
る
ぎたち
た な づ- 柔 す らを 剣 太 刀 身 に漆 へ寝 ね ば ぬ ば た
か
だ
肌
は' 「ぬばた ま のそ の夜 」 (
三九 二㌧ 七〇 二、 三 二六九 )' 「ぬば た ま
春鳥 の
逢 ふ や と 思 ひ て 一に云ふ、 「
君も連ふ
旅 寝 かも す る
(2
達 は ぬ君故
夕
自 た への
れば
侍 へど
神葬
いま だ 過 ぎ ぬ
百 済 の原 ゆ
一九 九 )
高く
七
(
2
常 宮と
嘆 きも
い這 ひも と はり
さま よ ひ ぬ れ ば
言 さ へ-
-
城 上 の宮を
鎮 ま りま し ぬ
あ さも よ し
いま だ 尽 き ね ば
葬 り いま せ て
した て て 神 な がら
偉
す 日 のことごと
ふ
へ
に至 大殿
御 門 の人も
皇 子 の御 門 を 1に云ふ、 「
さす竹の皇子の御門を」
装 ひま つり て 使 は し し
を
一九 四)
玉 垂 の 越 智 の大 野 の 朝 露 に 玉 藻 は ひ づ ち 夕
けだ し- も
慰
ま の 夜 床 も 荒 る ら む 一に云ふう 「
荒れなむ」 そ こ故 に
神宮 に
図・
・
・ 我 が大 君
霧 に衣 は濡 れ て 草 枕
やと」
め かね て
のそ の夢 」 (
二八 四九 ) に みら れ るけ れど も 、 「こ の」 の例 は他 に見
の
旅
高 菜集﹄ の
すべての枕
詞 にお/い
ては う 他 に
あ た ら な い。 ﹃
/
)
r
J
)
(
I
放けなむ こと放 けば 家 に放 けな む
こと放 けば 国に
●
●● ナ
さ
草枕 こ の朴 に 妻 放 く べL や
天 地 の 神 し恨 め し
(
1
3 三 三 四六 )
に のみ見 る こと が でき る。 こ の 「こ」 ・ 「こ の」 に つ いては、 渡 瀬
・「
人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 の臨 場表 現」 (
﹃
国 語 と 国文 学 ﹄ 昭 和 五
昌忠 「
巻 七雑歌 ﹃
詠 月 ﹄ 歌 群 の構 造・
-臨場表現から-」 (
﹃
常 葉﹄ 一〇
八号)
「
場 の喚 起 力 」 が指 摘 され て いる。 「ぬば たま の」 と ' 「こ の」 に よ
ひ得 ね ば
麻 衣着 て 埴 安 の 御 門 の原 に あ かね さ
しし
・ ・・ ・ ・ ゆ
鹿 じも の い這 ひ伏 し っ つ ぬば た ま の
って' 二人 がす ご す満 ち 足 り た 「
夜 」 が強 く 押 し出 さ れ ており ' 枕
に 思ひも
十 八年 九 月 号 ) な ど にお いて' 現 場 指 示 の 「こ」 ・ 「こ の」 が持 つ
詞 「
あ から ひく」 が 冠 せ ら れ て いる後 朝 と の対 比 が成 さ れ て いるわ
り
振 り放 け見 つ つ 弟 なす
け であ る。
以上 、 人 麻 呂 歌 集 歌 にお いて、 枕 詞 「ぬば たま の」 が' 被 枕 詞 の
人麻呂 の枕詞 「
ぬばたま の」 に ついて
報
1
\
ノ
ただし'枕詞 「
ぬばたま の」 の被枕詞 であ る 「
夜床」に ついて∼
学
桝は'日並皇子尊 (
皇太子草壁皇子) のいわゆる夜宮挽歌長短歌
いく つか の理解 のあり方 が存す る。まず' 一つは'泊瀬部皇女 の夜
学
三首 の結 び の 一首 であ る。 「
日に並 ぶ皇 子草壁 の死を月 の隠 れ て見
寝 る床 であるとす る ﹃
商業考﹄以来多く の注釈書等 が採用する説 で
大
え ぬ こと に誓 え て嘆 いた歌。月と夜 の枕 詞 の対 比 がよ-効 いて い
ある。そし て、それに対し て' ﹃
高菜集全註揮﹄、西郷信綱 ﹃
商業私
理
る」 (
﹃
新潮 日本古典集成﹄)と評され ており' 一首 の内容と文脈 は
記﹄'稲 岡耕 二 「
人麻呂 の表 現意 図」 (
﹃
文学 ・語学﹄九十 三号)等
天
異な るけれども'人麻呂歌集略体歌 の回 にお いて、「
ぬばたま の」
は、河島皇子 の墓中 の死 の床 であると説-O
しかし、身崎 毒 「
柿 本 人麻 呂献呈 挽 歌」 (
﹃
高 菜 集を学 ぶ﹄第 二
と 「
あからひ-」とが対比的 に用 いられ て いた のに'共通す ると こ
ろがあるO この歌 における 「
夜」は、菱じた日並皇 子尊 が替えられ
隻) に説 かれるよう に' 「
挽歌 にお いては'死者 の居所など生前 ゆ
﹃
夜床﹄ があ ろう はず がな い」と言う べき であ ろう。また'当面 の
な って」お -' 「
妻 であ る泊 瀬 部 と の ﹃
床﹄を 離 れ て河島 だ け の
た 「
月」が照らす べき 「
夜」 であ るQ価 の長歌 には'皇子尊 による
の
天 の下
かり深か った所 の荒廃し て いく のを嘆- のが'発想 の型 のひと つに
の 尊
みこと
将来 の治世が'
-我が大君 皇子
知 らしめせ ば 春花 の 貴
よも
四方 の人 の 大
天 の下
「
夜床も荒 るらむ」と いう情景にも っとも近 い例としては'夫婦 の
- (
2
が挙げられ て いる。まさしく'当面 の歌 の 「
夜床」はこの 「
玉床」
(
2 二 一六)
立場は逆 であるけれども' いわゆる泣血哀働歌 の
ほ
か
家 に来 て我が屋を見れば玉床 の外 に向きけり妹 が木枕
一六七)
仰ぎ て待 つに
からむと 望月 の たたはしけむと
船 の 思ひ顧 みて 天 つ水
と歌 われ ており、そ のよう には 「
貴く」 「
たたはし」く な い闇 の夜
に誓えられるべき状況が、 この歌 における 「
夜」 であ ると理解出莱
る。「﹃
ぬばたま の﹄ が夜 の闇を印象づける のに有効 に働 いて」お-'
「﹃
あ かねさす﹄と ﹃
ぬばたま の﹄ の対比 によ って闇 の深 さが強く
う。また'そ のよう な'「
夜床」 であるからこそ'「
そこ故 に慰めか
共寝す るそ の夜 のしとね」 (
身崎前掲論文)と理解するべき であ ろ
にあたるも のであ-' 「
た んな る夜 の寝床 と いう だけでな-男女 の
つづ いて、佃は'河島皇子が裏じた際に、妻 である泊瀬部皇女と
ね」'夫君を探し求 め て難渋 し っつ 「
旅寝」をす る (
岡内 弘子 「
人
印象づけられ」 (
岩 下前掲論文) て いると、言えよう。
そ の同母兄 であ る忍壁皇 子と に献呈 された挽歌 であ る。 「
夜床」 に
(
6
)
冠せられる例は'他 にはな い。乗 じた夫君 であ る 「
夫 の命」 が妻 の
麻呂 ﹃
献呈挽歌﹄ の論」 ﹃
和歌文学研究﹄第 四十 八号)と考え ら れ
さら に'稲 岡耕 二 ﹃
常葉 集 全 注﹄第 二巻 にお いては'稲 岡前 掲
る。
「
たたなづ-柔肌す らを」 「
身 に漆 へ」 て共寝す ることがなくな っ
た こと によ って'「
ぬばたま の夜床も荒 るらむ」と いう 状況 にな っ
た こと が'歌 われ て いるo
す ることも'墓中 の長夜 の床と解す ることも' この文脈 にふさわし
した のを撤 回Lt 「﹃
ぬばたま の夜床﹄ を皇女 の夜床 に還元して理解
「
人麻呂 の表現意図」 にお いて河島皇子 の墓中 の死 の床 であると解
れ て いた。岩下説 には従 いがた いと'考え る。
ても' 「
本来自分もとも に居るはず の夫婦 の ﹃
夜床﹄」 であると説か
たよう に皇子と皇女とが共寝を重ねたしとね であ-'稲岡説 にお い
たま の」 は'「
夜床」 に直接 に冠せられ て いる。「
夜床」は'先に見
最後 に'高市皇子 の窺宮挽歌 の回 の例に ついて考え てみた い.刺
-な」-' 「
本来自分もとも に居 るはず の夫婦 の ﹃
夜 床﹄を求 め つ
つ'それが求められず に野をさま よう状態」 であ ると解されて いる0
に ついては'稲岡前掲 「
人麻呂 の枕詞に ついて」にお いて、以下の
よう に説かれ て いる。
しかし'か つて 「
生前河島 が泊瀬部と抱きあ い寝た ﹃
床﹄」 (
身崎
前掲論文) であ ってこそ'そ の 「
夜床」 の 「
荒」 れ てしまう ことが
れ方 であり'文字通り残光 の時 であ ろう 。従 って'事実描写と
- 一九九 では'「
大殿を振-さけ見」 て いるのだ から'状景と
それ では、枕詞 「
ぬばたま の」は、 この 「
夜床」 の語 に対し て'
し てはタ マカギ ル ・ユフベで差支えなか ったと思われるのだが、
嘆 かれ 「
慰 めかね」 るはず であ る。「
夜 床」 に ついては'身 崎説 に
ど のよう なはたらきを成 し て いる のであ ろう か。 「
夜床」 の 「
夜」
敢え て人麻呂に ヌバタ マノを選ばせた のは' ヌバタ マノによ っ
し て闇 や暗 さと結び ついて いるわけ ではな い。 「
暮」 は日 の暮
は'先 の理解からし て'男女が共寝をする時間とし ての 「
夜」 であ
て斎らされる暗 い印象 の故 であ った。 こう説明すると妙 に面倒
拠 るべき であると考え る。
り'河島皇 子と泊瀬部皇 女 と が逢 瀬 を重 ね た 「
夜」 であ る。枕 詞
なよう に聞 こえ るだ ろう が' タ マカギ ルに玉 の微光 のイ メージ
ノには闇や累 のイ メージが濃厚 に付き纏 っていた のでありそれ
が強-伴 って いたよう に'聴者もしく は読者の側 にも ヌバク マ
「
ぬばたま の」は、そう い った時間としての 「
夜」 の意味合 いを、
より色濃 いも のとし て いると理解 でき るであろう 。
岩 下前掲論文 にお いては'「
夜床」 の理解 に ついては稲岡説 に拠
二人が幽明境を異 にLt互 いに引き離され、「
そ こ故 になぐ さ
質的な暗さ ではな-'心理的 ・情緒的な闇がヌバタ マノと いう
とし て夜 の如-暗 か った ことを表現して いるわけではな い。実
を人麻呂が利用した のだと言う に過ぎな い。再言すれば、実景
めかね て」と いう心情表 現 に続-晴海 たる描写 は、「
ぬばたま
枕詞によ って暗示され る。そう いう効果を人麻呂はねら ってい
り つつ'
の」 のイ メージと重ね合わされ て'暗 い心情 の表 現として独自
る。それこそ 一九九 の挽歌 に要請されたイ メージ であ ったわけ
で'そ の故 に 「
タ マカギ ル ・ユフベ」とは言わなか った のだと
の達成を示し て いる。
と説かれて いる。しかし'当然 のことながら挽歌 であ るこの 一首 に
解 される。
九
お いては 「
晴海たる描写」 が成 されては いるけれども'枕詞 「
ぬば
人麻呂の枕詞 「
ぬばたまの」について
理
大
学
学
報
一〇
歌 われ て いるわけ である。当面 の 「
ぬばたま の夕」は'そ の文脈 に
天
稲岡説 にお いては'枕詞 「
ぬばたま の」が回 にお いてのみ 「
夕」
添 って理解 しなければ いけな い。そ の際、以下 の例が参考 になるで
に行-
(2
す るかも
に 侍 宿 し
と のゐ
と 侍 宿
と のゐ
に冠せられ ることを押 さえたうえ で'「
心理的な暗さが強-印象 さ
御門
つ
れ」 (
﹃
高菜集全注﹄第 二巻) る表現 であ ることが説かれて いる。
とこ
ば 常
橘 の島 の宮 には飽かねかも佐 田の岡辺
み はか
(Z
一七九)
一九 二)
音
のみ
ね
ふる 山科 の 鏡 の
日のことごと
御 陵 仕
昼はも
を 泣き つつあり てや もも しき の 大宮人は 行き別れなむ
山 に 夜 はも 夜 のことごと
やす みLL 我ご大君 の 恐きゃ
朝 日照 る佐 田 の岡 辺 に鳴 -鳥 の夜 突 き か へら ふこの年 ころを
(Z
一七四)
あ ろう。
よ
そ
外 に見 し真弓 の岡も君ませ
しかし'はたし て、そ のよう なはたらきを'「
ぬばたま の夕」 の
歌旬 に認め ることが でき る のであ ろう か。当面 の文脈 は'「
自た へ
の麻衣」を着た 「
御門 の人」が残宮時 に高市皇子 の宮殿 に設けられ
日のことごと」以下 四旬 と 「
ぬばたま
た 「
仮 の残宮」 (
﹃
高菜集揮注﹄) に奉仕 し て いると いう 文脈 であ る。
そ の様 子は'「
あ かねさす
の 夕 に至れば」以下四旬 とを対句 に仕立 てたう え で'「
鵠 なす
は
も
(
遺骸 の周囲を突 いて葡 い廻りながら死者を悼 む礼)
い這 ひもと り 侍 へど 侍 ひ得ねば」以下に収赦させ て描かれ て
し
し
「鹿 じ
の い這 ひ伏 し っつ」
、「
鵠 なす い這ひも と はり」
いる 。
は' 「
葡旬礼
ば たま の夕 べに至 れば」以下 によ って描 か れ、合 わ せ て 「
御門の
「
あかねさす 日 のことごと」以下によ って、夕方以降 の奉仕が 「
ぬ
宮舎人等働傷作歌廿 三首」 のうち の三首 である。 「
真弓 の岡」 (一七
1七 四' 1七九t l九 二は、「日並皇 子尊 残宮之時」 の 「
皇 子尊
一五五)
人」 のね んご ろな奉仕が歌われ て いるわけ である。そ の文脈 の中 で'
四)は'陵墓 が築 か れる地 であ り'そ の南 端 の 一部 が 「
佐 田 の岡
(
7
)
辺」 (一七九、 一九 二) でありそ こには残宮 が設けられ て いる。三
(
2
「
あかねさす」と対応す る 「
ぬばたま の」 に 「
心理的な暗さ」を読
首 から は'そ の 「
君」が座 す 「
佐 田 の岡 辺」 の残宮 に舎 人 たち が
を投影す る表 現」 (
﹃
高菜集移住﹄)と考えられよう。日中 の奉 仕 が
みと ることが でき るであ ろう か。「
夜」 の語 に'たとえば' 「
闇 の夜
「
侍宿」 に でかけ'境宮 の期 間 であ る 「こ の年 ころを」 「
夜 突き」
また' 一五五は'天智 天皇 の 「
従山科御陵退散之時」 の額 田王 の
の行く先知らず」 (
四四三六) のよう に'「
闇」 の語と結び つけ て心
に存す る。しかし、 ここでは'高市皇子 の死と いう暗塘たる状況 に
作 であ る。天皇 の場合'皇子皇女 の場合とは異なり、残宮 は生前 の
し てすごした ことが'うかがえ る。
直面しては いるけれども'そ の高市皇子 の尭去故 にこそ'皇子 の魂
宮 に設けられる。天智 天皇 の場合'近江宮 の 「
新宮」 (
天智 紀十年
理的な不安感 や暗 さと い った意味合 いがこめられる場合 は'たしか
を鎮め るためにねんごろに額宮時 の儀礼 がとり行われて いる様子が
四
以上、人麻呂作歌 ・人麻呂歌集歌 の枕 詞 「
ぬばたま の」 のはたら
十 二月突亥朔発酉) におけ る 「
夜宮 の儀 の進行と並行 し て、そ の近
親者 は定 められた山陵 の地 に仮底を作り、山陵造営 のこと に奉仕 し
き に ついて、 それぞれ の被枕詞 の内実 に留意 し つつ'検討を加え て
そ の内実 はそれぞれ の歌 の文脈 の中 で異な って いた。それは'男女
の時間 のはじまり であ る 「
夕」 の場合'おなじ 「
夜」 であ っても、
て いた」 (
笹 山晴 生 「﹃
従 山科 御陵 退散 之 時 額 田王作 歌﹄ と 壬 申 の
日 のこと
き た。たとえ ば' 「
ぬば たま の」 が冠 さ れ る 「
夜」あ る いは 「
夜」
昼はも
乱」 ﹃
国文 学解釈 と教 材 の研究﹄ 昭和 五十 三年 四月)と考え ら れ る。
夜 のことごと
音 のみを 泣き つつあり てや」と措 かれ て いる。
そ の奉仕 の際 の様 子が 「
夜 はも
ごと
当 面 の桝 の枕 詞 「
ぬばたま の」は、 「
夕 に至 れ ば」と あ る夕 方 以降
てね んご ろな奉 仕 が行 わ れ て いた こと が知られ る。 であ るならば'
天皇 や皇 子 に仕え て いた宮人 によ って昼は昼 の間中'夜 は夜を徹 し
応 し い陰影 を 付与 し て いたわ け であ る。人 麻 呂 は'古 枕 詞 であ る
し て押し出す べ- 「
ぬばたま の」を冠 Ltそれぞれ の歌 の文脈 に相
であ る。 そし て'人麻呂 は、 それぞれ の 「
夜」 の本然をより色濃-
時間 であ ったり、頚宮時 の奉 仕が行 われ る時 間 であ ったりす るわけ
の逢 瀬 の時 間 であ ったり、自然 への畏怖 あ る いは畏敬 の念 が際立 つ
のそ の夜を徹 し ての奉 仕 にかかわ って用 いられ て いると考えられ る
「
ぬばたま の」を 用 いるにあた っても、 そこに充分な丹精を込め て
右 の例からは'夜宮時 に夜宮 にお いてあ る いは陵墓 の地 にお いて、
のではな いであ ろう か 。 つまり ' 「
日」 に冠 せら れ る枕 詞 「
あ かね
いたと認められ るであ ろう 。
-・
-」 (
﹃
高菜集研究﹄第七集、後 に ﹃
高菜集 の作品と方法﹄に 「
枕
詞 の変質-枕詞 ・
被枕詞による欺きの形象-」として所収)
、「
人麻呂歌
﹃
五味智
集と巻十 一・巻十 二出典不明歌 の位相-枕詞史のために-」 (
英先生古希記念上代文学論争﹄
)
'﹃
常葉集全注﹄巻二など。また'筆
者も旗尾に付して' い- つかの枕詞に ついて、以下にお いて論じ
(
2) 「
人麻呂 ﹃
反歌﹄ ﹃
短歌﹄ の論」 (
﹃
高菜集研究﹄第二集)
'「
転換
期 の歌人 ・人麻呂-枕詞・
被枕詞の転相-」 (
﹃
日本文学﹄昭和五十二
年六月号)
、「
人麻呂歌集略体歌 の方法 (
二)-枕詞による嘆きの形象
(-) ﹃
古事記﹄ ・ ﹃
日本書紀﹄ ・ ﹃
商業集﹄ の本文は'新編古典文
学全集に拠 った。
注
さす」 は、 日中絶え ることな-宮人 によ る奉 仕 が行 われ昼間 が充足
し て いること に'枕 詞 「
ぬばたま の」 は'夕方 にはじま る夜 の時 間
が やはり宮人 によ る奉仕 によ って充足し て いること に関わ って用 い
られ て いると'理解 でき るあ ろう。あわ せ て'亡き皇 子 の魂を鎮 め
るため の奉仕 がね んご ろに行われ て いること が'歌 われ て いるわけ
であ る。
以上'人麻呂作歌 にお いても'人麻呂歌集歌 の場合と同様 に'枕
詞 「
ぬばたま の」 は被枕詞 の本然を色濃-し強く押し出し ており、
そ のこと によ って T首 の文脈 の充実 が図られ て いると'理解 でき る
であ ろう 。
人麻呂 の枕詞 「
ぬばたまの」について
理
大
学
学
報
一二
-」 (
﹃
高菜﹄ 百十号) ・ 「
人麻呂 ﹃
献 呈挽歌﹄ の論」 (
﹃
和歌 文学
天
た。 「﹃
夏草 の思ひ萎え て﹄考」 (
﹃
山遠道﹄第 三十 三号)
'「﹃
露霜 の
研究﹄ 四十八号) に説-と ころであ る。
(
7) 皇 子皇女 の残宮 の設営場所 に ついてはt F
高菜集致証﹄、和 田草
置き てし来れば﹄考」 (
﹃
山遠道﹄第三十五号)'「﹃
射目人 の伏見﹄
考」 (
﹃
山 遠 道﹄第 三十 七 号)
'「
石見 相 聞 歌 の前 奏 部 に つ いて」
「
残 の基礎的考察」 (
﹃
史林﹄ 五二巻 五号'後 に森 浩 一 F
終末期古
柿本朝臣人麻呂作歌﹄ への考察」 (
F
国文目白﹄十号)
'身崎寿前掲
ついては、和 田草前掲 「
頬 の基礎的考察」
'平舘 英子 「﹃
残宮之時
めぐ って-」 (
﹃
稿﹄ 二号)参 照。また、天皇 の残宮 の設営場所 に
墳﹄所収)
'身崎蕎 「
残宮挽歌論序説 (
そ の 一)-残宮 の設営地を
(
F
山遠道﹄第 四十号)、「
人麻呂歌集冬雑歌 四首」 (
﹃
商業集研究﹄
第 二十 二号 )。
「
よぎりごもれる」 の訓 みもあ るけれども'そ の訓 みに拠 ると、
(
3) 第 四旬 の 原文 「
夜 霧 隠」 に ついては、 ﹃
高 菜集 童 豪抄﹄以来 の
「
夜 霧 に包 ま れ て いる のは遠 妻 のみ にな り、状 況 が判 然 と しな
「
残宮挽歌論序説 (
そ の 一)-頼宮 の設営地をめぐ って1」
、武藤
「
朝日照る佐 田 の岡辺」参照。
辺」 の位 置 関 係 に つ いては、渡 瀬 昌 息 ﹃
渡 瀬 昌 息著 作 集﹄ 六巻
南大 学紀 要﹄文 学篇 三十 六号)参 照。「
真 弓 の岡」と 「
佐 田 の岡
美也 子 ・風間力 三 「
人麻呂挽歌 の ﹃
頬宮 之時﹄を めぐ って」 (
r
甲
い」 (
﹃
常 葉 集全 注﹄第 十巻 )と考 え ら れ るOよ って' ﹃
常葉集 私
注﹄ の創案 による 「
よぎりごもりに」 の訓 みに従 った。
(
4) 「
高屋」 に ついては、地名と見て'旧河内国古市郡高屋 (
﹃
商業
たい
え
商 家
(
﹃
高菜集注樺﹄)など に比定す る考え方もあ る。しか し'当 面 の
者﹄以来)'旧大和国城上郡高屋 (
﹃
古事記侍﹄ 以来)'桜井市
「
ぬばたま の夜霧」は' 一七〇四 の 「
多武 の山霧」にかかわ って
歌は'直前 の 「
舎人皇 子献歌 二首」 (一七〇四∼五)に応じた作 で'
﹃
高菜集全 註樺﹄'窪 田空穂 ﹃
高
詠 み出 された歌旬 と考え られる (
「
高屋」は'地名 ではなく'「ここは高 い屋 の意 で'多武 の山 の辺
菜集評樺﹄' ﹃
古典集成高菜集﹄t F
高菜集 秤注﹄
)。 であ るならば、
り にあ る皇 子 の邸 を さしたも のと取 れ る」 (
窪 田空 穂 F
高 菜集 評
樺﹄)と考えられるであ ろうO
おけ る贈答歌-波紋型対応の成立-」 (
﹃
美夫久志﹄第十 四号'後 に渡
(
5) 流 下型 .波紋型対応構造 に ついては'渡瀬昌忠 「
柿本 人麻呂 に
瀬昌忠著作集第 八巻 ﹃
高菜集歌群構造論﹄所収。
)参照。
つ
ま
つ
ま
(
﹃
高菜﹄ 二十 四号) に従 い'原文 「
嬬 乃命 乃」 の 「
嬬」を 「
夫」
(
6) 「
夫 の命」に つ いては'大 野保 「
嬢 の命 のた た な づ - 柔 膚」
(
河島皇 子)と Lt「
命 の」 の 「の」を主 格と解す る。「
命」が付
い神名的呼称 であることは'岡内弘子 「F
命﹄考-高菜集を中心 に
された 「
夫 の命」が'泊瀬部皇女 ではなく河島皇 子 にこそ相応 し