た学僧である。 慧遠は仏教百科字典といわれる 『大乗義章』 の他に十四

観 無 量寿 経 義疏 ﹄ を中 心 と し て-
中 国 浄 土 教 に お け る 浄 影 寺 慧 遠 の貢 献
-﹃
田
中
ケ ネ
ス
﹃法 華 経 ﹄ 等 を 一千 回 唱 え、 戒 律 を守 り、 修 行 に励 ん で いる
り認 め ら れ て い る。 例 えば、 排 仏 中 の三年 間、 山 に遵 難 し、
し、 晴 にな って仏 教 が 回 復 す ると、 仏教 会 の重 要 な 地 位 に任
歴史的背景
浄 影 寺慧 遠 (五二一
三-五 九二)は 六世 紀 後 半 に大 き く 活 躍 し
命 さ れ た が、 職 務 に追 わ れ 修 行 に専 念 でき な いと 嘆 いた と い
一
た学 僧 であ る。 慧 遠 は仏 教 百 科 字 典 と いわ れ る ﹃大 乗 義 章 ﹄
う こと も 伝 え ら れ て いる の であ る。
一般 に慧 遠 は信 仰 を持 た な い単 な る学 者 と いう イ メー ジが
特 に前 者 (
﹃観経﹄) の註 が後 の註 釈書 に及 ぼ し た 影 響 は、 は
量 寿 経﹄ の註 釈書 と し て は浄 影寺 慧 遠 のも のが最 古 であ り、
の方 が有 名 で あ る。 し か し、 現 存 す る ﹃観無 量寿 経﹄ と ﹃無
中 国浄 土教 の歴史 の上 では、 こ の浄 影 寺 慧遠 よ り盧 山 慧 遠
(3)
の他 に十 四 にも 及 ぶ註 釈 書 を 著 わ し、 そ の大 部 分 が今 日 ま で
伝 え られ て いる の で、 北 朝 の 六世 紀 にお け る 仏 教 教 理 を 研 究
(1)
従 来 の研 究 に よ って強 く 打 ち出 さ れ てき た が、 実 際 に は、 彼
か り 知 れ な い。 これ はす で に先学 も 認 め る 所 で あ る。 又、
す る上 で不 可 欠 の貴 重 な資 料 を 提 供 し て いる。
は色 々な 面 で活 躍 し、 幅 広 い行 動 力 を 持 った 人 物 であ った と
﹃大乗 義 章 ﹄ に は ﹁浄 土義 ﹂ と いう よう な浄 土教 に 関 係 す る
(4)
見 る方 が 正 し いと 思 わ れ る。 慧 遠 が 北 周 武 帝 の排 仏 に対 し命
テ ー マに就 いて も 興 味 深 い見 解 が述 べ られ て いる。
九三
に浄 土 教 系 統 の宗 学 者 によ つて善 導 を謂 る ﹁正 統浄 土 教 ﹂ と
土 教 理解 は異 端 的 であ る と 見 ら れ て し ま つた。 日 本 で は、 特
と ころ が、 善 導 が 慧 遠 の立 場 を批 判 し たた め に、慧 遠 の浄
(5)
を かけ て反論 し た 事 は良 く 知 られ て い る こと であ るが、 これ
を 目 撃 し た上 統 曇 衛 は慧 遠 を ﹃浬 繋 経 ﹄ に説 かれ る ﹁護 法 菩
(2)
薩 L であ ると 賛 嘆 し て い る。
平成元年三月
ま た、 修 行 の面 で も かな り の関 心 を 持 って い た事 が は っき
印度學佛教學研究第 三十七巻第 三號
-605-
四、﹃無 量 寿 経 ﹄ と ﹃新 無 量 寿 経 ﹄(歴代三宝記)
九四
五、 ﹃無 量 寿 経 ﹄(静泰.衆 経目録 )
中国浄土教 における浄影寺慧遠 の貢献 (田 中)
す る偏向 的 な 立場 が 採 ら れ、 慧 遠 を 軽 視 す る傾 向 が 主 流 を占
以 上 の如 く、 ﹃大 ﹄ と いう 字 を 含 む 題 名 は な く、 当時 の目 録
(12)
め て来 た。 こ のよ う な宗 学 を代 表 す る 徳 川 末 期 の学 僧、 霊 唯
は ﹃観無 量寿 経 講 記 ﹄ にお いて 二十 二 の科 目 を 挙 げ て善 導 と
に よ る限 り ﹃大無 量寿 経﹄、﹃無 量寿 大 経 ﹄ 又 は ﹃大 経 ﹄ は こ
(6)
の経 典 の ﹁正 式 ﹂ な題 名 で は な か つた よう であ る。
(7)
慧 遠等 の違 い を明 ら か にし て いる。 霊 唯 の こ の理 解 は現 代 の
回 のみ ﹃無 量寿 大 経 ﹄ と呼 ん で い る。 も し後 者が 慧 遠 の知 っ
慧遠 は ﹃観 経義 疏 ﹄ に於 いて十 一回 は ﹃大 経﹄ と呼 び、 一
中 国浄 土教 の研 究 に も根 強 い影 響 を 与 え て いる。 従 って、 慧
遠 の浄 土思 想 の正 し く知 る為 に は従 来 の見方 を 越 え、 慧 遠 の
書 物 を客 観 的 に捉 え る ことが 必 要 と な る の であ る。
て いた完 全 な 題 名 であ った とす れ ば、 ﹃大経 ﹄ と はそ の 最 後
の 二字 を取 った略 名 だ と考 え て よ いであ ろう。 こ の 可 能 性
は、慧 遠 が 他 の経 論 を ﹃浬 繋 ﹄、﹃地 論 ﹄、﹃観 経﹄ や ﹃地 持 ﹄
﹃大 経 ﹄ と い う 略 名 の 最 古 の 用 例
の如く、 題 名 を 二字 に省 略 す る事 が 通 常 であ った こと で裏 付
二
﹃大 経﹄ と は浄 土教 の重 要 な 経 典 の 一 つ で あ る ﹃無 量 寿
け ら れ る。
で は、 こ の ﹃大 経 ﹄ と いう略 名 の中 で ﹃大 ﹄ が使 用 さ れ た
経﹄ の略 名 と し て採 用 さ れ てき た。 道 緯 や善 導 等 の中 国 浄 土
証 ﹄ に おけ る如 く 頻 繁 に使 用 さ れ てき た。 又、 近 代 で も マ
理由 は ど こ にあ った のであ ろう か。 そ れ に つ いて は 二 つの事
教 学 の論 書 にも こ の略 名 は見 ら れ、 日本 で は親 鷲 の ﹃教 行信
ック ス ー ・ミ
ユラ ー は サ ソ スリ ヅト本 を英 訳 す る に あ た り、
で あ る。 ﹃大 経﹄ は 外 は こ の経典 は ﹃大 本﹄、﹃寿 経 ﹄、又 は、
敬 称 であ つたと いう こ と で あ る。 但 し、 慧 遠 及 び、 彼 の周 辺
て そ の経 典 が 同 じく ﹃大 経 ﹄ と呼 ば れ たよ う に、 ﹃大 経 ﹄ は
が予 想 さ れ よう。 ま ず 第 一は、 ﹃浬藥 経﹄ の支 持 者 達 に よ つ
﹃隻 巻 経 ﹄ と いう、 他 の略 名 でも呼 ば れ てき た よ う であ る。
に いた者 に よ って は、 ﹃無 量 寿 経 ﹄ が最 も重 要 視 さ れ て い た
﹃The
LargS
eu
rkhavativyい
uう
h題
a名
﹄と
を付けて いるの
こ の経 典 の題 名 を知 る為 に、 六、 七世 紀 の目 録 にあ た って み
能 性 が考 え ら れ る。 こ の ﹃阿 弥陀 経﹄ と の区 別 の為 に使 用 さ
題名 で も称 さ れ た ﹃阿 弥 陀 経﹄ と の区 別 の為 に使 用 さ れ た 可
﹃大﹄ が 長さ を示 し、 特 に、当 時 同 じく ﹃無 量 寿 経 ﹄ と いう
と いう 証 拠 はど こ にも 見 当 ら な い。 第 二 の理由 と し て は、
一、﹃新 無 量寿 経 ﹄ と ﹃無 量寿 経 ﹄(出 三蔵記 集)
(8)
る と、 次 のよう に 記 さ れ て いる。
(9)
二、 ﹃無 量寿 経 ﹄ と ﹃新 無 量寿 経﹄ (
法 経。衆 経目録)
(10)
三、 ﹃無 量寿 経﹄ (彦綜.衆経目録)
-606-
名 で知 ら れ て いた こと か ら、 ﹃大 ﹄ が こ の経 典 と 対 比 し た も
陀 羅 の両 漢 訳 は ﹃小 無 量 寿﹄、又 は ﹃小 無 量寿 経 ﹄ と い う 題
れ た 可能 性 が 考 え ら れ る。 こ の ﹃阿 弥 陀 経 ﹄ の羅 什 と求 那 践
こ の論 書 は目 録 にお い て は ﹃往 生 論 ﹄ や ﹃浄 土 論 ﹄ と は記
は 道 紳 の ﹃安 楽 集﹄ に見 ら れ る のが 最 初 であ ると 思 わ れ る。
いる の であ る。 こ の論 書 のも う 一つ の略 名 であ る ﹃浄 土論 ﹄
ど 早 く著 わ さ れ た慧 遠 の ﹃観 経義 疏 ﹄に
れ た のも唐 の初 期 であ ると いう説 が あ る が、 実際 は半 世 紀 ほ
(16)
の であ った かも しれ な い。 し か し、 慧 遠 は ﹃阿 弥陀 経﹄ に就
入 さ れ て お らず、 ﹃無 量寿 経 論 ﹄ ま た は ﹃無 量寿 優 波 提 舎 経
(13)
いて ﹃観 経 義 疏 ﹄ と ﹃無 量 寿 経 義 疏 ﹄ の中 で 一度 も言 及 し て
諭 ﹄ と な って い る。 又、 曇 鶯 によ る こ の論 書 の註 釈 書 にも 略
(18)
の略 名 が使 わ れ て
いな い ので、 彼 が ﹃阿 弥陀 経﹄、つま り ﹃小 無 量 寿 経 ﹄ を 意
(71)
識 し て ﹃大 経 ﹄ と 呼 ん だ か ど う か は明 ら か で はな い。慧 遠 よ
名 は 使 わ れ て いな い。 し かし、 慧 遠 が ﹃往 生 論 ﹄ と いう 略名
(14)
り や や半 世 紀 ほど後 の道紳 は ﹃安 楽 集 ﹄ で六 つ の浄 土経 典 を
を使 用 し た後 は、 そ の用 例 が 智 顕 が 著 わ し たと さ れ る ﹃浄 土
(19)
挙げ る中、 ﹃大 経﹄ と ﹃小 巻 無 量寿 経 ﹄ を述 べ ﹃大 ﹄ と ﹃小 ﹄
十 疑 論 ﹄ や 迦 才 の ﹃浄 土 論 ﹄ 等 にも 多 く 見 ら れ る よう にな っ
(15)
﹃十 地 経 論 ﹄ を 尊 重 し た 地論 宗 の学 僧 達 に ﹃往 生 論 ﹄ に興 味
親 が ﹃往 生論 ﹄ の著 者 であ る こと 自 体 が、 同 じ世 親 に よ る
周 辺 で既 に使 わ れ て い たと いう こと が あ げ ら れ る。 ま ず、 世
慧 遠 が こ の略名 を使 用 し た理 由 と し てと ま ず そ れ が 慧 遠 の
てく る。
(20)
と いう区 夙 を し て いる、
し か し慧 遠 に限 つて言 え ば、 こ の略 名 を 採 用 し た理 由 は、
慧 遠 の著 作 を 見 た 限 り で は明 確 にな ら な い。 いず れ に せ よ、
﹃大 経﹄ を 示 す テ ク スト と し て は慧 遠 の ﹃観 経義 疏 ﹄ が が 最
も 古 いも の であ り、 謂 る 正 統 浄 土 の枠 外 で始 め て こ の浄 土 経
典 の略名 が 使 用 さ れ た 事 は ほぼ 明 か であ る。
を持 た せた と、 考 え られ る。 事 実、 こ の地 論 宗 の 一員 で あ
と 伝 え ら れ て いる。 こ の註 釈 書 は現 存 し て い な いが、 こ の記
﹃往 生 論 ﹄ と い う 略 名 の 最 古 の 用 例
世親 著 と さ れ る ﹃無 量 寿 経 優 波 提 舎 願 生 偶 ﹄ は通常 ﹃浄 土
述 によ る 限 り、 地論 宗 の間 で はす で に ﹃往 生 論 ﹄ な るも のが
三
論 ﹄ 又 は ﹃往 生 論 ﹄ と いう 略 名 で今 日ま で知 ら れ て来 た。 こ
の周 辺 で は こ の論 書 を ﹃往 生 論 ﹄ と 呼 ん で い た 可能 性 は高 い
慧 遠 の時 代 以 前 か ら注 目さ れ て い た筈 であ る。 つま り、 地 論
(21)
り、 慧 遠 の先 輩 でも あ る霊 裕 は ﹃往 生 論 ﹄ の註 釈 を著 わ し た
の テ ク スト は、 曇 驚 によ って そ の註 釈 書 が 著 わ さ れ た事 で示
と 考 え られ る。
九五
す よ う に、 これ は中 国 浄 土 教 に於 い て最 も 重 要 視 さ れ た イ ン
ド の諭 書 であ る。 こ の ﹃往 生 論 ﹄ と いう 略 名 が 最 初 に使 用 さ
中国浄土教 における浄影寺慧遠 の貢献 (田 中)
-607-
中 国浄 土教 における浄影寺慧遠 の貢献 (田 中)
次 には、 ど ん な理 由 で こ の論 書 が ﹃往 生論 ﹄ と 略 称 さ れ て
凡 夫 観 の再 検討
九六
慧 遠 は ﹃観 経﹄ を凡 夫 の為 で は な く聖 人 の為 の教 え であ る
四
﹃無 量寿 経論 ﹄ と しな か った と いう疑 問が 起 き て く る。 ﹃無
き た か を 検討 し て み よう。 まず 何 故略 称 す る か に 当 っ て、
量 寿 経論 ﹄ と呼 ぶ方 が ﹃往 生論 ﹄ と呼 ぶ よ りも 自 然 であ り、
め に ﹃此 経 正 為 章提 布説。 下 説 章 提 是 凡 夫。 為 凡 夫 説 ﹄ と 言
と 見 て い た と通 常 言 わ れ て い るが、 慧 遠 は ﹃観 経 義疏 ﹄ の始
る。 こ の他 に考 え ら れ る 略名 と し て は、 正 式 な題 名 の最後 の
べ て い る。 こ のよう な 誤解 が 生 じ た背 景 に は慧 遠 が こ の経 典
い、 ﹃観 経 ﹄ が 凡 夫 に適 し た 経 典 と 見 て いた こと は明 確 に 述
(24)
上 記 の目録 もそ の略 名 で こ の諭 書 を記 入 し て い る か ら で あ
二、 三字 を取 つた ﹃願 生偶 論 ﹄ あ る い は ﹃願 生 論 ﹄ が あ る
の聞 手 であ る章 提 夫 人 を聖 人 と見 た と いう 誤 った考 え が 存 在
第 一に、 こ のよう な考 え の 一つ の理由 と し て は、 慧 遠 の九
が、 これ ら の略 名 も ﹃往 生論 ﹄ よ り は自 然 であ った と 思 わ れ
品 往 生 中 の、上 の 三品 を、 聖 人 と位 置 付 け た こと が良 く 挙 げ
す る か ら だ と思 わ れ る。
し か し、 実 際 は ﹃往 生論 ﹄ が 採 用さ れ た。 こ の理 由 を 考 え
られ る。 そ こ で は、 上 上品 は 四地 以 上 と し、 上 中 品 は初 地 か
る。
る に当 って慧 遠 の ﹃無 量寿 経義 疏 ﹄ の次 のよう な 文 章 はそ の
(22)
生偶 ﹂ で は なく、 ﹁往 生 す る こと に就 いて の偶 ﹂ 即 ち、 ﹁往 生
る。 慧 遠 の解 釈 に よれば、 九 品 往 生 の人 々 は観 仏 の対 象 であ
の見 方 で は正 しく ても、 慧 遠 の解 釈 で は 成 り 立 た な い のであ
こ の九 品 往 生 の人 々を卑 提 夫 人 と 一致 し て 見 る のは、 善 導 流
る。 慧 遠 が こ の よう に九品 を、 高 く 見 た の は事 実 であ るが、
(25)
ら 三地 と し、 上 下 品 を 種性 と解 行 の位 と位 置付 け た の で あ
示 唆 を 与 え る と考 え られ る。
門日。天親作往生偈。女人根歓及 二乗種皆 不得生。
偶 ﹂ で あ った。 普 通、 ﹁偶 ﹂ に対 し て解 説 の部 分 を ﹁論 ﹂ と
る。 ﹃観 経 ﹄ で は章 提 夫 人 と 阿 難 に十 六 種 の観 察 の方 法 が 説
こ の慧 遠 の文 章 によ る と、 世 親 が 著 わ し た のは明 ら か に ﹁願
いう こと か ら、 諭 の部 が ﹁往 生 論 ﹄ と 称 さ れ る よう にな った
かれ て い るが、 慧 遠 は九品 往 生 を対 象 と す る最 後 の の三観 を
為令世人知其生業上下階降修 而往生。所 以勧観。
彼 ら に実 行 さ せ る理 由 と し て次 のよ う に答 え て いる。
﹁我 作 論 説 偶 ﹂ と述 べ て い る こと は、 これ を 裏 付 け て く れ
の テ ク ス ト全 体 を ﹃往 生 論 ﹄ と
と いう 可能 性 が 考 え ら れ る。 世 親 が ﹁偶 ﹂ の部 分 の 終 り に
(2
3)
る。 だ から そ の後、 次 第に
呼 ぶ よう にな った と いう 推 測 が 成 立 す る。
こ のよ う に、 九 品 往 生 を観 察 す る こと に よ って成 る可 く 高 い
-608-
九 品 往 生 の人 々と そ れ を 観察 す る章 提 夫 人 等 は、 レベ ルに お
レベ ルの往 生 を 目 指 す こと を勧 め て いる の であ る。 従 って、
は こ の こと を ﹁仏 力 見 ﹂ と言 い、 章 提 夫 人 が 仏 力 に頼 って い
を見、 無 生法 忍 を得 る必 要 は な か った はず であ る のに、 慧 遠
又、 も し初 地以 上 の高 度 な聖 者 であ れ ば、 仏 力 によ って浄 土
た と解 釈 し、 彼 女 が 凡 夫 であ る こと を 認 め て いた の であ る。
(31)
い て、 は っき り と 区 別 さ れ る べき であ る。
第 二 の理由 と し ては、 慧 遠 の次 の発 言 が 挙 げ ら れ る。
従 って、 ﹁大 菩 薩 ﹂ が 何 を 指 す のか は現 在 の研 究 で は明 ら か
(27)
(32)
では な いが、 そ れが 霊 唯が 主 張 す る よう な 聖 人 と いう 意 味 に
第五段中 ﹁告章提希汝是凡夫﹂彰其分斎。 ﹁不能 遠観﹂彰 所不堪。
章提夫人実大菩薩。 ﹁
比会即得無生法忍 ﹂明知不小亦化為 凡。
最 後 に、 慧 遠 の凡 夫観 か ら就 い て の誤解 す る 理 由 と し て
は思 え な い のであ る。
は、 彼 が ﹃観 経﹄ の宗 趣 と し て主 張 した観 仏 三 昧 が挙 げ ら れ
これ にお い て霊 唯 は、 ﹃浄 影 ハ韋提 ヲ初 地 已上 ガ 法 身 ノ 大 菩
フト 云 フ﹄ と 述 べ、 慧 遠 にと って は章 提 夫 人 が聖 人 で あ った
薩 ト定 メテ仮 リ ニ現 二凡 身 二
而 観 経 ヲオ コス所被 ノ機 成 リ タ マ
(28)
る。 こ の観 仏 は凡 夫 の為 で は な いと よ く 理解 さ れ てき た が、
(29)
と見 る のであ る。 こ の観 仏 に は、 真 身観 と 応身 観 と いう 三種
慧 遠 は ﹃観 経 ﹄ で は、 凡 夫 であ る希 提 夫 人 に観 仏 が説 か れ た
と解 釈 し てお り、 こ の見 解 は現 代 の学 界 に も見 ら れ る のであ
る。
類 があ り、 ﹃観 経 ﹄ は後 者、 即 ち、 応 身 観 を説 く と慧 遠 は 言
し かし、 慧 遠 が 言 う ﹁大 菩薩 ﹂と は霊 唯 が 主 張 す る よう な
初 地 以 上 の法 身 の大菩 薩 と いう高 度 の意 味 を持 って いた と は
では低 い方 の ﹁始 ﹂ 即 ち、 ﹁鹿浄 信 観 ﹂ を説 く と 見 て い る の
い、更 に、 応 身 観 の中 でも ﹁終 ﹂ と ﹁始 ﹂ と に分 け、 ﹃観 経 ﹄
であ る。 従 つて、 慧 遠 は こ の経 で説 かれ る観 仏 は 一番 低 い レ
思 わ れ な い。
まず、 通 常 ﹁菩 薩 ﹂ と は、十 地 の聖 人 に限 らず、 十 地以 下
結
と 見 た ので あ る。
五
語
ベ ル のも のであ って、 聖 人 ので はな く 凡 夫 の為 の観 仏 であ る
の解 行 から 種 性 の位 も 含 み、 慧 遠 はさ ら に下 の善 趣 の位 も 菩
(30)
薩 と見 て い る の であ る。 次 に、 ﹁大菩 薩 ﹂ の ﹁大 ﹂は 従 来 ﹁極
め て高 度 ﹂ と いう よう に理 解 さ れ てき た が、 慧 遠 自 身 が そ の
よ う な意 味 で理 解 し て い たと いう 根 拠 は彼 の書 物 の中 で は明
以上 のよ う に、 慧 遠 の中 国浄 土 教 に於 け る貢 献 度 は 極 め て
確 で はな い の であ る。 そ れ はま ず、 上 述 の慧 遠 の引 用 文 を 見
ても 明 ら か のよ う に、 慧 遠 は ﹃観 経﹄ が 章 提 夫 人 の浄 土 を 見
高 いも ので あ り、 そ れ は、 先 学 に よ って 既 に指摘 さ れ て い る
九七
る こと が 不 可能 であ る こと を 全 面 的 に認 め て い る のであ る。
中国浄土教 における浄影寺慧遠 の貢献 (田 中)
-609-
15
且
大 正 四 七巻 一九 a。
大 正 五〇 巻 三 三 二b、 五 五巻 一五 七 a。
九八
よう に、 天台 智 顕 の著 作 とさ れ る ﹃観 経疏 ﹄ への影 響、 新 羅
中国浄 土教 におけ る浄影寺慧遠 の貢献 (田 中)
浄 土 教 への影響、 又 は、 ﹁定善、 散 善、 正 報、 依 報 ﹂等 と い
大 正 三 七巻 一八 三 a、 一八 四 b。
大 正 四 七巻 七 c。
神 子上 恵 龍 ﹃往 生 論 註 解 説 ﹄ 一 三頁。
大正 五 五巻 一四 一a二 六九 b、 四〇 七 c、五 四 一a、 九 四 一
16
う 浄 土教 要 語 の初 め て の使 用 と いう 実 績 か らも 明 ら か で あ
18
26
25
24
23
22
21
大 原性 実 ﹃善 導 教 学 の研 究 ﹄、二 二 一頁、 広瀬 呆 ﹃観 経 疏 に
大 正 三七 巻 二七 九 a。
﹃真 出
不全 書団﹄ 五巻、 二 二 b-一三三a。
大 正 三七 巻 一八 二 a。
大 正 三七 巻 一八 二 a。
大 正 三七 巻 一七 三 a。
大 正 二六 巻 三三 二b。
大 正 三 七 巻 一〇 七 c。
大 正 五 〇 巻 四 九 七 c。
大 正 四 七巻 七 八 c、 九 一c等。
a。
27
銘
30
大 正 三 七巻 一七 九 a。
大 正 四 四巻 八〇 九 b。
﹃真 宗 全書 ﹄ 五巻、 一六 頁。 大 原 ﹃善 導 教 学 ﹄ 一三 七-一 四
一。藤 原 ﹃念 仏 思 想 の研 究 ﹄ 二 一四 - 二二
一頁。
(助 教 授 Instio
tf
u
Bt
ue
ddhi
Ss
tt
udi
Be
es
rkel
Ce
ay
l,
ifornia)
33 大 正 三七 巻 一九 三 b-c。
< キ ー ワ ード>浄
影 寺 慧 遠、 ﹃観 無 量 寿 経義 疏 ﹄
32
31
学 ぶ ﹄序 分 義 二、 九 九 頁。
29
20
19
17
る。 又、 慧 遠 が往 生 の方 法 の 一つと し て称名 も認 め て いた こ
と か ら、 中 国浄 土教 の発 展 と いう 課 題 に就 いて は、 今 後、 善
導 流 の謂 る正 統 浄 土教 の枠 を越 え た研 究 を進 め る こ と を も っ
と 必 要 さ れ て く る であ ろ う。
1 横超慧 日 ﹃中国仏教 の研究﹄第 三、 一五三頁を参 照 さ れ た
い。
2 大正 五〇巻 四九〇 c。
3 大正五〇巻 四九〇 c、四九 一a、c。
4 藤原凌雪 ﹃念仏思想 の研究﹄ 一二 五頁。恵谷隆戒 ﹁晴.唐時
代 の観経研究史観﹂﹃塚本博士頒寿記念仏教史学 論 集﹄ 一二五
大正 五五巻 一五八 c。
大正四九巻 五〇b、 八九 c、九 一b。
大正 五五巻 一九 一b。
藤田宏達 ﹃原始 浄土思想 の研究﹄ 一〇四-一〇七頁。
頁。
5 大正 四四巻 八三四-八 三七。
6 ﹃真宗全書﹄ 五巻、 一-二九 八頁。
7 結城令聞 ﹁観経疏 に於ける善導釈義 の思想史的 意 義﹂﹃塚本
博士頬寿記念仏教史学論集﹄九〇七-九 二四頁。大原性実 ﹃善
導教学 の研究﹄ 六 一-六 五頁。
8 大正 五五巻 一一c一二a、 一四 a。
9 大正 五五巻 一一七 c、 二一九b。
10
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13
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