創造都市のネットワークにおける芸術家の役割

セッション2
創造都市における芸術家の役割
創造都市のネットワークにおける芸術家の役割
アン・マークセン ミネソタ大学ハンフリー公共政策研究所教授/地域および産業経済プロジェクト担当ディレクター
Ann Markusen
1964年、ミネソタ生まれ。ジョージタウン大学卒業後、ミシガン州立大学文学修士課程・博士課程修
了(経済学博士)。ニュージャージー州立ラトガーズ大学教授を経て、現職。専門は芸術・文化と経済
開発、地域経済学および産業組織論。ウィリアム・アロンゾ記念賞を受賞。これまで、外交評議会上級
研究員、北米地域研究協会会長、国際貿易におけるダンピング関税に関する大統領諮問委員会メンバー
などを歴任。
文化産業と文化的職業
アーティスト(芸術家)というのは、創造都市において
とても重要な役割を担っています。私は、経済発展に関連
して各種の職業について研究をしているのですが、アンデ
ィ・プラットさんは、職業というのは要するに個人のテー
マであると言っていました。しかしながら、職業というの
は社会的に生みだされた存在であるということを申しあげ
働者ということになりますと、だいたい各州とも同じよう
な数字になります。こういう文化的労働者という人たちが
文化産業で仕事をしているのですが、文化産業だけを対象
として文化的労働者が仕事をしているわけではありません。
よって、文化産業と文化的労働者との間には重複している
側面がありますが、同じではなく、まったく重なりあうわ
けではありません。
たいと思います。その一環として芸術家というのは組織を
とおして、あるいは物理的な空間をとおして、お互いにた
くさんのネットワークをもっています。そこで、単に産業
という観点からではなく、芸術家という職業の観点からお
話をしていきます。
本日は、創造的職業が、いかに創造産業を有する創造都
市のネットワーク形成を促進しているか、また、中核的な
文化労働者として芸術家がいかに都市間のネットワークづ
くりに役割を果たし、その先兵役となっているかについて
お話しします。さらに、文化的職業が創造産業といかに相
互作用をもっているか、どのような戦略で都市や各地域が
芸術家を主たる文化労働者、ネットワーキングづくりの促
進者として活用できるか、育てられるかというお話をした
いと思います。
まず文化産業と文化的職業についてです。産業を切口と
して見ますと、産業とはさまざまな労働者を雇っている企
業から成っていて、労働者が何をつくるかという観点から
考えることができます。例えば映画産業、あるいは鉄鋼を
つくる鉄鋼産業という考え方です。しかし、職業という切
口から見ますと、同じ経済を見るにしても同じようなトレ
ーニングやスキルをもった人たちで、企業に対して労働力
を提供し、財やサービスを提供する。その一群の人たちが
ひとつの職業を形成するわけです。要するに労働者として
何をつくるかではなくて、どういう活動や役割を担ってい
るのかということから職業を見ることができるわけです。
それがとても重要だということを示したいと思います。
文化産業従事者と文化的職業の差異を見てみましょう。
それほど大きな違いはないということになるのですが、こ
れはニューイングランドのボストンを対象にした調査です。
44
ボストン地域において、労働者のうち4.1%が文化産業にた
ずさわる人たちですが、その全員が文化的労働者、あるい
は芸術労働者というわけではありません。ただ、文化的労
都市の芸術家たち
では、職業という切口からどのように創造都市を見たら
いいのでしょうか。まず芸術家、文化的労働者がどのよう
に近隣で生き、職業団体に所属し、組合をもち、社会での
ネットワークを形成し、自立した企業家として活動してい
るかといった側面から芸術家、あるいは文化的労働者を見
ることができます。また、芸術家というのはきわめて教育
のレベル、研修のレベルが高いので、さらに大学やいわゆ
る学校教育だけではなくて、特定の業界でスキルを磨く、
あるいはさまざまな業界を渡り歩く文化的労働者もいます。
また、文化的労働者というのは非文化産業の製作や生産に
も貢献するという特徴があります。さらに、文化的労働者
は直接自分の作品を市内であるいは市外で販売することが
できるし、地元の消費者、コミュニティの活力に大きな貢
献もできます。
創造都市については、その市場で消費活動だけではなく
都市に貢献するということです。アメリカにおける芸術家
について少し重要な指摘をしたいと思います。アメリカの
全アーティストのうち、約45%は自営です。特定の雇用主
がいて賃金をもらって働いているのではありません。アメ
リカ全体においては、平均的に自営者は8%しかいません。
アーティストや文筆業者、あるいはパフォーマンスアーテ
ィストという人たちは集合作品をつくるわけです。さらに
ビジュアルアーティストも自営の割合が高いと言えるでし
ょう。創造都市として、その職業集団としてアーティスト
を見るうえで重要な特徴は、自営業者が多いということで
す。また、芸術家だけではなくて、関連する文化的労働者と
してデザイナー、メディアなどコミュニケーション分野の労
働者の人たちは、自営業者の割合は低いけれども、だいたい、
芸術家の2倍くらいの人数になると見積もられます。
創造都市との関連で、労働者全体に占める芸術家の割合
を見ていきましょう。おおよその感じとして、芸術家が特
体を批判するひとつの手だてとしたわけです。30年経って、
定の都市にどれほど集まっているか、集積しているか、ま
この若者が日本に2年間留学し、舞踏の師匠について勉強
たその理由は何かということを見ましょう。アメリカでは
し、いまはアメリカに帰って舞踏をやっています。東ヨー
ロサンゼルスにおいて芸術家の割合が、アメリカの主要都
ロッパなどでも公演をしています。ほかにも仲間がいて、
市の3倍になっています。そのほか重要な芸術都市サンフ
舞踏を指導してもいます。とても興味深いアーティスト同
ランシスコ、ニューヨークなどを見てみても同様です。ヒ
士の交流の例です。
ューストン、シリコンバレーといった急成長している都市
アフリカンアメリカンの女性からなる、「アーバン・プッ
はアーティストの割合は比較的少なく、古い産業都市、工
シュ・ウーマン」というグループがあります。彼女たちは
業都市に集積しているところもあります。ミネアポリス、
最近すばらしいプロジェクトをセネガルでおこないました。
シアトル、ワシントンなどの中規模都市、それからポート
セネガルでは全員男性のダンサーと一緒にコラボレーショ
ランドも芸術家が占める割合が高いといえます。ひとつの
ンしたのです。アメリカの都市に住む女性ダンサーと、セ
疑問はなぜかということでしょう。仮定としては、単に文
ネガルに住む男性ダンサーが一緒に、セネガルとニューヨ
化産業があるということだけではないということを申しあ
ークで共同公演をやっています。
げたいと思います。
チュニジア村落の大衆民族音楽のミュージシャンとして、
もうひとつ芸術家についておもしろい特徴は、これはリ
とても有名なMCライ(Rai)というチュニジア出身の若者
チャード・フロリダと私が同意する数少ないポイントのひ
がいます。彼はサンフランシスコに移って、そこでこの民
とつなのですが、それは移動率が高いということです。そ
族音楽をさらに新しくし、さまざまな若いミュージックシ
の他の諸国からやってくる移民という観点からも、アメリ
ーン、アメリカでさらに洗練されたものとし、現在では中
カ国内の話でも移動率が高いということです。比較的創造
東地域、チュニジアとアメリカの間を行ったり来たりして、
性の高い職業では、アメリカの各地、州と州、あるいは都
新しいかたちの音楽の公演をおこなっています。
市から都市へとどんどん移動しています。アート、デザイ
芸術家というのはいろいろなかたちで都市に貢献できる
ン、エンターテイメント、スポーツ、マスコミというのは、
わけです。例えば本を書く、そして、他の地域の出版社が
非常に移動率が高い職業です。95年から2000年にかけての
それを出版して世界地域から印税がはいるといった貢献も
割合を比較すると、ロサンゼルスではロサンゼルスに流入
あるでしょう。さらに、ハリウッドは文化産業として経済
してくるアーティストの割合が、流出していく人の2倍に
全体に貢献していることも明らかです。
なっています。このように芸術的に豊かな都市を形成して
また、文化産業以外の産業にも貢献します。例えば、ビ
いるということです。それからシカゴは流出する人の方が
ジュアルアーティストは、マーケティングというかたちで
多く、ミネアポリスも流入するよりも流出するアーティス
いわゆる文化産業以外の企業に貢献しています。また、パ
トの割合の方が多くなっています。
フォーマンスアーティストは企業のなかでロールプレーな
全体的に見て、世界のどこでも同じだと思いますが、若
どのドラマをとおして労使関係を円滑にしています。アー
手の芸術家というのは自分たちの故郷である小さいまちを
トや文化は、域外への輸出という観点から見られがちです
離れて大都市に移る、中規模であったら大都市に移ってい
が、同時に自分自身の地域、地元において芸術、ビジュア
くという傾向があります。ミネソタでもそうで、地方にい
ルアート、あるいは舞台公演に行くことによって地元の消
る人は少なくなります。若手の芸術家というのは大都市に
費を促進し、芸術を促進することも可能です。
進んでいくものです。
市として文化ツーリズムに対して大きな貢献ができると
しかし、30歳以上になると反対になります。多くのビジ
したら、それは明確な、強力な芸術環境、まずその地域に
ュアルアーティスト、あるいはアーティスト全般が大都市
住んでいる芸術家を支援する環境を整備するということで
ではなくて中規模あるいは小都市といったもっと快適な都
す。そうすれば、外からわざわざ芸術家をよんでくること
市に移っています。さらに引退すると、アーティストはも
も、それほど必要ではなくなるはずです。
っと規模の小さいまちに移ります。もうすでに評判もあが
リチャード・フロリダが言っていることですが、その地
ったし実績もあるということで、ニューヨークやロサンゼ
域の快適性を高めるということ、さらに芸術家は安定化と
ルスといった大都会に住み続ける必要はなくなったという
活性化に役立ちます。多くの芸術家はアートを使って文化
ことです。
的なアイデンティティを生みだし、コミュニティの問題解
決にも一役買っていると考えます。
アーティストのネットワーク
ではネットワーキングをするアーティストについて、
芸術家にとっての3つの部門
個々のアーティスト、それからアーティストグループがネ
では、アメリカにおいて、彼らはどういった業界で仕事
ットワークをつくるうえでいかに重要かということをお話
しているのかを見てみます。まずビジュアルアーティスト
しします。シャーウッド・チェンという、第三世代の台湾
です。アメリカではそのうち27%が自営ですが、文化産業
系アメリカ人がいます。彼は若いころ、舞踏に関心があり
での仕事をしているわけではありません。次のふたつの大
ました。この舞踏はきわめてアバンギャルドな日本の舞踊
きな雇用分野が科学技術分野と専門的なデザインサービス
でして、第二次世界大戦後につくられたものです。
で、それぞれ20%と6%です。しかし、ロサンゼルスでは
これはいわば日本の第二次世界大戦における役割を考え
20%におよぶ、非常に多くのビジュアルアーティストが映
直すということであり、舞踏家のみなさんは日本舞踊の動
画産業で働いています。アメリカ全体においてはこの産業
き、踊りのスタイルをとって、それを逆さまにして社会全
の占める割合は2.7%くらいです。つまり、彼らは、文化産
国
際
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
﹁
新
・
都
市
の
時
代
︱
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造
都
市
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展
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め
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︱
創
造
都
市
に
お
け
る
芸
術
家
の
役
割
45
280名のアーティストから回答をえました。商業分野でほと
んどの収益をあげているという人は51%で、非営利部門か
らという人は32%、それからコミュニティ部門なのですが、
ここはほとんどお金になっていません。
芸術家のインタビューをとおしての調査からわかったお
もしろいことは、芸術家はこういう異なる3つの部門で仕
事をすることでどういうメリットがあるのかということで
す。まず、商業部門の仕事をすることによって芸術家とし
てのいろいろな習慣や慣例を学ぶことができるということ。
評判や知名度が高まるということ、また、今後の制作の機
会につながるようなネットワークがえられるということ。
収益率も高いことなどがあげられています。
非営利部門の仕事では、美的な満足感、新しいメディア
を試すことができる。さまざまなアーティストとコラボレ
ーションができる。それから、自分自身の情緒的なニーズ
を満たすことができることがあげられています。したがっ
業以外のさまざまなところで仕事をしているということで
す。
て、非営利部門の仕事も非常に大切に思われています。
コミュニティ部門で仕事をするということも、コミュニ
また、アメリカでは音楽家の3分の1が宗教団体で仕事
ティの生活を豊かにし、文化的なアイデンティティを確立
をしています。アメリカで宗教団体を文化産業と見なす人
し、さらに社会正義という目標を達成するうえでも重要だ
はいないと思いますが、実際、多くのミュージシャンが宗
と考えられているということがわかります。商業、非営利
教団体で、例えばオルガンを弾く、コーラスの指揮をする
部門、コミュニティ部門という3つの部門に切り分けて、
というようなかたちで所得をえています。
そのなかでいろいろと仕事をするということは非常に興味
さらに、芸術家はとても重要な企業家にもなってきてい
深いポイントです。
ます。彼らがそれをできるかどうかは、どれだけ彼らが組
ハリウッドで、100本以上の映画で演奏しているスタジオ
織や自分たちの都市空間にきちんと組みこまれ、文化産業
ミュージシャンが、ロサンゼルスのふたつの地域交響楽団
以外の仕事もできるような状況になっているかにかかって
でも仕事をしているというケースもあります。スタジオミ
います。
ュージシャンはまったくリハーサルができないのだそうで
ある女性アーティストは、自分の作品を医療会社に販売
す。音楽は調子が完璧でなければならないのに、リハーサ
するようになりました。MRIの検査室、透析の部屋とい
ルなしに映画では演奏しなくてはならないわけです。さら
うように、患者さんたちが動けない状態になるところに飾
に、音楽1曲全体を演奏させてもらえるわけではなくて、
っています。アートというのは癒しの一部であるというこ
その映画の一部分、ほんのワンフレーズしか演奏できない
とです。とても興味深いうごきになっています。彼女は
ということで、本当にストレスを感じるそうです。
Impressions of Lightという企業をつくり、その作品はアメ
リカだけではなくさまざまな国の医療現場で使われていま
イノベーションをおこす芸術家たち
す。
この何年間か、私はカリフォルニアの財団のもとで、ク
何人かの芸術家のプロフィールをご紹介しましょう。彼
ロスオーバー(CROSS OVER)というプロジェクトをおこ
らからは、伝統を重要視しながらも、どんどんイノベーシ
なってきました。アーティストが営利部門、非営利部門、
ョンしていく姿勢が読みとれます。これまでオーセンティ
コミュニティ部門という3つのセクターそれぞれで、どの
ックなかたちで伝えられてきたものを変えてはいけないと
ようなキャリアをなしているかということを調査するプロ
いうのではなくて、どんどんイノベーションをおこしてい
ジェクトです。カリフォルニア州というのはアートに対す
て、それを他のコミュニティにも紹介しています。
る資金提供を本当にやめてしまったのですが、私はこのよ
ドリーナ・ブラウンというサンフランシスコの女優はア
うな研究をしていました。まず、このプロジェクトでわか
メリカン・コンサバトル・シアターのトップ女優で、現在、
ったことは、アーティストがこの3つの部門において、い
50歳くらいです。少し年齢が高いために、非営利部門の劇
ろいろやっているということです。
場の仕事だけでは十分な収入がえられないということで、
コマーシャルやビデオゲーム用のアフレコ(声優)をやっ
ています。彼女は、カルメン・サンディエゴ(Carmen
Sandiego)というマンガで声優をしました。彼女はアフリ
カンアメリカンの女性で、普通は皮膚の色などの制約があ
るのですが、商業部門での声優の世界ではそれは関係なく、
いろいろな役ができたと言っていました。
サンフランシスコ・オペラ劇場で音響技師をやっている
46
中華系の人は、ライオンダンスにもとり組んでいます。ラ
イオンダンスは中華系の男性がおこなう非常に闘争的なダ
ンスで、もともと女性は参加できなかったのですが、彼は
アーティスト育成のための戦略
それほど闘争的でないダンスにして女性も参加できるよう
にしました。
第二世代のフィリピン系アメリカ人で、UCLAに行っ
たジョード・ダシントさんは、フィリピンの舞踊などにつ
いては関心がなかったのですが、伝統的なフィリピンの踊
りを知るようになってフィリピンに帰り、アメリカに戻っ
てきました。フィリピンの村で舞われていた伝統的なダン
スを、いかにロサンゼルスの観客に見せるかということで
苦労したようですが、いまや成功しています。
現在、ロサンゼルスにあるアメリカ最大のフィリピン社
会奉仕団体の代表をしているヒロ・コザカさんは、京都育
ちの仏教寺院第22代僧侶です。もともとはマルチメディア
アーティストなのですが、アメリカに行ってみて、本当に
表現的でなくてはならないと気づいたそうです。アートと
いうのはきわめて内生的なものだと思っていたので、ショ
ックを受けたということでした。それでいったん京都に戻
って、78年にアメリカのロサンゼルスに戻り、日系のコミ
ュニティで自分のアートを日本のイベントを祝うために使
うようになりました。とても創造的な活動をくりひろげて
います。
ロサンゼルス全域で活動なさっていて、さらに日系アメ
リカ文化センターのアートディレクターとして日系コミュ
ニティの方々と一緒に仕事もしています。そのコミュニテ
ィでは、日系の高齢者の方々に木版画を指導して、日本の
故郷の地図づくりをしてもらっているそうです。コミュニ
ティの若い人たちもまたこのようなプロジェクトをとおし
て、年配の日系の方々の経験を理解できるということでし
た。その後フィラデルフィアに行き、そちらの日系コミュ
ニティでも同じようなプロジェクトをなさったそうです。
マーカス・シェルビーは、ジャズ・ベーシストであり、
ビッグバンドのリーダーです。ビッグバンドの伝統に基づ
いて、それを維持しつつ、それ以上の革新をおこなってい
ます。また、ビジネスパートナーと一緒に、「カフェロイヤ
ル」というカフェをサンフランシスコに開設しています。
そこにはアートスペースもあります。まず壁にはビジュア
ルアートが飾られていて、1週間に1回、パフォーマンス
をとおしてコミュニティサービスとしてジャズの歴史を教
えています。彼はもうひとつ重要な非営利活動をやってい
ます。彼がつくったビッグバンドの楽曲はCDになってい
るのですが、ポートシカゴがテーマです。ポートシカゴと
いうのは第二次世界大戦中にアメリカでおこった災難で、
400人のアメリカのアフリカ系水夫が、爆薬が爆発して船と
ともに沈んでしまったのですが、その後、アフリカ系アメ
リカ人の水夫たちが労働条件の改正を求めて抵抗したため
に、みんな辞めさせられてしまったという事件です。彼は、
カリフォルニアその他でこれをテーマにしたCDを発表し
て貢献しています。
キース・ナイトという若いマンガ家は、iPodのアセンブ
リーライン(製造ライン)を描いた漫画のように、すばら
しい作品を描いています。彼はBeginner's Guide to Communi-
ty-Based Artsというマニュアルも書いています。営利目的の
マンガ家として成功しているだけではなく、コミュニティ
活動もしているのです。
それでは都市がどのような戦略のもとにアーティストを
育成し、ひきつけることができるのかということについて、
より具体的に話をしてみたいと思います。いろいろなアー
トフォーム(芸術形式)は個人を主体にするものですので、
大学をこえる意味でのトレーニング、あるいは育てるとい
う意識が必要であろうと思います。
アーティストには空間が必要ですので、それを提供する
ということ。また、アーティストを雇用するセクター間の
協力も必要で、クロスオーバースタディーを終えた段階で
12ほどのセクターにレコメンデーション(推薦書)をだし
ております。それぞれアーティストのために何ができるの
か、行政や財団としてアーティストに資金を提供するとい
った、セクター間の協力をいかに進めることができるのか
ということがあります。またアーバンデザインとプランニ
ングというものも、文化の結節点(Node)づくりというこ
とにおいては重要ではないかと思っております。
もう少しそれを詳しく見ていきましょう。みなさん、ジ
ェーン・ジェイコブスの著書 The Death and Life of Great
American Citiesをどれくらいお読みになったことがあります
か。ジェーン・ジェイコブスはニューヨークのリトルイタ
リーやチャイナタウン、ソーホー、グリニッジビレッジな
どについていろいろ書いています。彼女は、それらの地域
が人々をひきつけていると言っています。すなわち、穴が
開いているように、境界をこえてどんどん人がそれらの地
域にひきつけられていき、文化的なパフォーマンスを近隣
区で経験して、また自分の住んでいるところに戻っていく。
こういう分散化した文化の節目が街中にあるということで
す。
その一方で、ニューヨークで言うならばシビックセンタ
ーのような、中央化した場所についても述べています。そ
こにはまったくいいレストランもなく、車で行かなくては
ならず、地下駐車場に車をとめなければなりません。ニュ
ーヨークのリンカーンセンターには、そのまわりにあまり
いいレストランがないし、デッドスペースになってしまっ
ています。そのような中央の1カ所に集めたようなかたち
が本当にいいのかということで、このふたつを対比してい
ます。つまり、ローカル対リージョナルな参加ということ
と、例えばビルバオのようなかたちで、アートセンターを
ツーリスト相手につくるのかという対比も考えることがで
きると思います。
そこで、3つのスペースについて話します。都市のなか
には、市の行政、NPOをつうじて、あるいはアーティス
ト自身が連携をすることによって、創造的に使うことがで
きる既存のスペースがあると思います。例えば、ミネアポ
リスにあるオープン・ブック(Open Book)というアーテ
国
際
シ
ン
ポ
ジ
ウ
ム
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新
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都
市
の
時
代
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都
市
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展
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携
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め
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造
都
市
に
お
け
る
芸
術
家
の
役
割
ィストセンターには、ロフトやリテラリーセンターがあり
ます。ここでの集まりは、30年以上前にミネソタ大学の詩
人たちがはじめたもので、大学を去った後、いろいろ詩に
ついて語りあうところが欲しいということで設けられまし
た。また、ミネソタ書物芸術センター(Minnesota Center
for the Book Arts)というところがあります。誰でも参加で
き、作業に専念できるスペースには、アーティストがデザ
インした家具が置かれています。閲覧室などで本を読んだ
後、こういったところに集まって人が話をする、語りあう
47
わけです。そしていろいろな講習クラスも提供しておりま
新しくジャン・ヌーヴェルが設計しましたガスリー・シ
す。アマチュア向け、あるいはプロの小説家向けというク
アターは、資源をあまりにも大きなものに投じた結果でき
ラスもあります。作家の人たちもお金をもらってものを教
た、巨大スペースです。シアターが3つあり、実験的なシ
えるという機会をえることができますし、また、ものを書
アターを近隣にもっていますが、なかなか満席にはなりま
く人たちに使ってもらえるスタジオ、つまり喧噪から離れ
せん。また、ミネアポリスにツーリストとして来る人も少
て、家庭や職場から離れて静かに書き物ができるスペース
なく、人が集まりません。われわれ地域住民も、こういう
を提供しております。電話もなく、コンピューターもない、
ところに行くには結構お金がかかります。そして、こうい
座りやすい椅子と机、ちょっとした荷物をしまえるロッカ
ったものは非常に威圧的な建築で、なかなか近寄りがたい
ーがあるだけのスペースです。
ものです。
ミネソタ出身で韓国系の作家、ジェーン・ジョン・トレ
ミネアポリスには、「獣の心劇場(Heart of the Beast
ンカ(Jane Jeong Trenka)は、孤児としてアメリカに連れ
Theater)」と呼ばれる小規模なシアターもあります。以前
てこられ、ロフトやリテラリーセンターで勉強した後、『血
はポルノをやっていたのですが、いまは人形劇の劇場にな
の言葉』というタイトルで、韓国系アメリカ人として養子
っています。オリジナルの音楽をとりいれながら世界中の
になった経験を書いた本をだしています。いまでは彼女は
いろいろなアートの形態をとりいれて上演しています。そ
ミネソタと韓国を行ったり来たりしています。
の周りにラテンコミュニティができ、それもとりこんで、
脚本家のためのセンター、プレイライトセンターもあり
最終的に、シアターの劇場のすぐ真向かいの建物をラテン
ます。脚本家を志す人たちがシナリオを書くことを学ぶた
の商人たちが、自分たちの営業地区のなかにコミュニティ
めに来ることができるわけです。そこには、「オーディエン
の一部としてとりいれています。
スを歓迎するためにスペースをつくってくれてありがとう」
というポスターが貼ってあります。プリントメイキング・
センターと呼ばれているものもあります。これらはすべて
アーティストがアーティストのためにつくったもので、ア
最後にあと2∼3、お話ししたいと思います。いったい
ーティスト同士お互いに教えあったり、あるいはお互いに
これから創造都市に対して何ができるのか。アーティスト
いろいろなものを制作することができる場です。
はどのように育てていけばいいのかということですが、ま
染色・繊維関係のテキスタイルセンターもあります。
ず、都市に関して言えることは非常に多様であるというこ
インターメディアアートというマルチメディアセンター
とです。アーティストの分布を見ると、ロサンゼルスにア
は、ビデオから出発したのですが、いまでは非常に多様な
ーティストたちが非常に集中しています。また、人口比で
コミュニティに場を提供しています。
見ると西ハリウッドにも集中しています。アーティストの
ここで強調したいことは、こうしたアーティストセンタ
集中度は全米水準を上まわっています。
ーが分散しているということです。ひとつのところに集中
興味深いのは、その分布が分野別に分かれていることで
しているわけではなく、分散していることによって非常に
す。舞台芸術家の多いところは、ハリウッドなどです。ミ
豊かな環境が生まれているわけです。ツインシティの間に
ュージシャンはもっと分散していますし、ビジュアルアー
劇場も分散しております。いくつかまとまったところもあ
ティストも分散しています。ハリウッドにももちろんビジ
りますが、それで相乗効果をえることもできます。都市の
ュアルアーティストもいますし、物書きもいます。ハリウ
役割というのは、こういう建物をまず提供することです。
ッドというのは脚本と映像が合体したところですので、同
しかし、それを運営するのは、NPOであったり財団であ
じように集中しています。
ったり、あるいは会費を徴収することで運営されています。
ラテンのコミュニティが少しありますが、ほとんどがミ
誰でも参加できる。誰も差別しない。また、自分の作品を
ュージシャン、マリアッチの演奏家であったり、レストラ
見せたければ、常にどこかにそうした場をもつことができ
ンで演奏する人たちです。したがって、ロサンゼルスの文
る、そういったことがとても重要なのです。
化政策は、郡にしても市にしても大規模なアートファンド
もうひとつご紹介したいスペースは、アーティストの
をもっていて、非常によくやっていると思います。いろい
食・住のための建物です。セントポールの空き物件で、天
ろなアーティストを育て、活動させているということはま
井が落ちてしまっていたのですが、Artists Space Inc.という
ちがいないと思います。
NPOがそれをひきうけて、全米的につくったアーティス
都市のレベルにおいて重要なことは、独特の文化産業に
ト向けの住宅には、いろいろなアーティストが集まってい
ターゲットをおいて、職業や芸術形式を育てていくことだ
ます。デ=ジュニウス・ヒューズ(De Junius Hughes)とい
と思います。そして、都市にとっては大規模な劇場を有名
う映画制作者らが中心となって、アートクロールというツ
な建築家に建ててもらうということ以外にも、その財源を
アーもおこなわれています。オープンハウス的にいろいろ
つぎこむところは他にいくらでもあると思います。規模的
なものに市民が触れることができ、また可視性(visibility)
にも、また趣味としても、独特の文化をその地域に提供す
もえることができるうえに、アーティスト同士も集まりや
るという意味では、まだまだほかにいくらでもやることが
すいというのが、こういう食・住の建物の特徴です。同じ
あると思います。
空間を共有することによって、それが可能になるわけです。
48
文化産業へのスペース提供
また、助成金についてですが、シアトル市の場合には、
元印刷工場が、アーティスト向けの食・住の建物になっ
音楽と映画の助成オフィスを設置しています。若者たちを
た例もあります。ほかのふたつの建物を使いたいとアーテ
ひきつけるためにそのふたつの分野が非常に重要だという
ィストが言ったときに、この近隣区に建ててくれればそれ
ことを認識してのことであります。他の都市でそれほどま
を後押しすると言ってくれたところがあったからです。
でのことをやっているところはありません。
ふたつ目に、アートや文化的職業を、小規模でもいいの
マイノリティのカルチャーというものがいかに苦しんでき
で分散化したかたちで、適当なスペースを提供することに
たかを考えたうえで、スペースを提供しなければいけない
よって育成していくことが重要です。例えば、いろいろな
ということだと思います。
かたちで、スペース、機械、道具などもシェアしていくわ
けです。ネットワーキングが、アーティスト間でおこるよ
うなかたちにもっていくことが重要なわけです。これは外
部のアーティストもとりいれていく。有名なビジュアルア
ーティストや、有名なライターたちすべてに耳を傾けるよ
うな機会を与えるということも重要だと思います。多くの
アーティストにとってどれだけの苦難が待ち受けているの
か、有名な人であってもどれだけ苦労したのかということ
を知らない人たちも多いので、ふれあいをつくることが重
要です。
3つ目に、大きなものを集中してつくるよりも、小さな
分散化した文化ノード(結節点)をつくるべきです。4つ
目に、地方自治体、パトロン、ファンダー(基金寄付者)、
そしてアーティストの組織といったものの強みと弱みを理
解し、文化産業、企業を巻き込むことが必要です。
私は20くらいの都市を研究対象にしており、どれだけ文
化産業が苦しんできたのか、いまどういうアクションプラ
ンをおこなっているのかということもわかっています。今
朝でたようなすばらしいアイディアを実現するために、自
分たちがいかに難しさを感じているのかを理解しなければ
ならないと思います。
また、都市間のネットワーキングということに関しては、
独特な文化、アートの業績というもの、お互いに理解しあ
う、鑑賞しあうということが意識として重要です。競争で
はなくてお互いに賞賛しあうということだと思います。み
んなアメリカのニューオリンズが好きなのは、そういった
文化がミックスしているからだと思います。
大阪でも、みなさんの都市で活躍するアーティストたち
は非常にすばらしい資産をもっているはずです。ですから
彼らのアイディアを使って、さらにネットワークを進めて
いかなくてはなりません。実験をしながら、伝統にも留意
して、イノベーションにとりくむ必要があります。
ネイティブアメリカンの文化というのは、実はサンタフ
ェやその他のアメリカ南西部でおきたことを反映していま
す。ネイティブアメリカンのアーティストは、かたや自分
のアートで生計をたてることに苦労しておりました。白人
の人たちは「伝統アートにだけに集中すればいい。あなた
たちの伝統を守りなさい」と言い続けてきました。しかし
今度は、「あなたたちはモダンアーティストにならければ助
けてあげられない」と言われたわけです。そのときに彼ら
は「自分たちはどちらにもならない。別に伝統的なアート
だけでもなく、モダンアートだけでもなく、自分たちのや
り方でやる」と言い続けて、アメリカンインディアンのア
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ートセンターというすばらしいものが、そこにできあがっ
たのです。それがネイティブアメリカンのアート活動のセ
ンターにもなっているのです。
アメリカの白人の若いアーティストは何をやってもいい
わけですけれども、私の地域に住んでいるネイティブアメ
リカンは、かわったことをすると、「それは伝統的なアート
ではない。もっと伝統に戻れよ」と言われるか、あるいは
「それは単に伝統をなぞっているだけではないか。イノベー
ティブではないから、もう資金はあげられない」と言われ
てしまうわけです。ですからわれわれにとって重要なのは、
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