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2006 年 9 月 6 日
HPI 研究フォーラム
「広島・長崎への原爆投下に関する米国人の見方とその背景」
広島平和研究所
講師
ロバート・ジェイコブズ
報告を始める前に、本日の話が何を扱い、何を扱わないのかを、はっきりさせておきた
いと思います。今日の報告の主題は、
「広島長崎への原爆投下に関する米国人の見方とその
背景」です。つまり、原爆投下について米国人が信じていることや、彼らの姿勢を取り上
げますが、決して原爆投下を擁護するのが目的ではありません。アメリカ人の考えや意見
を明らかにするのが目的であって、その考えを擁護し、原爆投下を弁護するのが目的では
ありません。ずっと以前に、私は核兵器に大変恐怖を感じたことから、核兵器を勉強しよ
うと決心しました。核兵器を単に抽象的に怖がるよりも、その恐怖の中身を調べる方が、
重要であると感じました。広島・長崎への原爆投下についてのアメリカ人の世論を分析す
る際、私は次のことを信じています。つまり、いま私と同じ(広島の)街に住んでいる人々
が、理解しにくい事を、理解できるようになることは、大変貴重なことである、というこ
とを。そしてその理解しにくいこととは、なぜ彼らは、私の意見と同じように原爆投下は
戦争犯罪であると考えないで、違う考え方をしているのか、ということです。この問題に
ついて、私は本日、洞察力ある分析を皆さんに示したいと希望しています。しかし、私は
個人的には原爆投下が恐ろしい戦争犯罪である、と考えていることについて、どうか誤解
なさらないで下さい。
それではまず、今日のテーマの全体像から始めたいと思います。多くのアメリカ人にと
って、広島・長崎への原爆投下は米国の偉大さを示す物語なのです。米国の軍隊の偉大さ、
科学技術の偉大さ、そして政治指導者の偉大さです。原爆投下の決断とは、重要な人々が
重要な決断を下したプロセスなのです。今日、この基本的な物語は、
(必ずしも)全てのア
メリカ人にあてはまるものではなく、多くの人はいま、広島・長崎への原爆投下を戦争犯
罪だと考えていますが、その点については、後で改めて触れます。
第 1 の物語:戦争を早期終結させた
広島・長崎への原爆投下についてアメリカ人が自分達に語る第 1 の物語は、それが戦争
を終結させた、というものです。大半のアメリカ人がそれを信じているのは、米国政府が
1945 年にそのように国民に伝えたからです。トルーマン大統領は 1945 年 8 月 6 日、米国
民に原子爆弾について、あたかも魔法のような超自然的な言葉で紹介しました。すなわち
原子爆弾は「宇宙の基本の力」を解き放ち、「太陽がその物理的な力を引き出す力の根源」
となるであろう。そしてそれはアメリカの道徳的優位性ゆえに、神からアメリカ人に与え
られた、と。さらに、長崎への原爆が投下された 8 月 9 日、トルーマンは再び原爆につい
て米国民に語り、「原子爆弾が敵ではなく我々に与えられたことを神に感謝する。我々が、
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神の方法や目的のためにそれを使用できるよう、神の導きを祈る」と述べました。
このように、アメリカ国民は原爆について、それが神から与えられた、魔法のような秘
密兵器であり、1 週間以内で日本軍を降伏させて第 2 次大戦を終結させたものとして紹介
されました。しかし、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の長谷川毅(つよし)教授
らを始めとする最近の研究では、旧日本軍の降伏は原爆投下とはほとんど無関係で、ソ連
の対日参戦の影響がはるかに大きかったことが明らかにされています。さらにまた、広島
への原爆投下直前の数週間、駐ソ大使を通じて日本が降伏の条件を打診した経過が明らか
にされていますが、これらの点について多くのアメリカ国民は知らされていません。彼ら
は単に、原爆が投下され、日本が即座に降伏した、と受け止めているのです。
しかし、大半のアメリカ人は、この驚くべき新兵器がそれだけで日本帝国陸軍を打ち破
って降伏させた、と額面どおり受け取っています。彼らにとり、原子爆弾はトルーマンが
表現したように、まさに全能の兵器と考えられたのです。
第 2 の物語:人命を救った
広島・長崎への原爆投下に関して多くのアメリカ人が信じている第 2 の物語は、原爆投
下がアメリカ人の兵士たちだけでなく、日本人の兵士や市民たちの人命を、実際に救った
というものです。その理由づけは以下のようになります。もし原爆が投下されなかったら、
米軍は日本の本土に上陸せざるを得ず、そうなれば米軍だけで 100 万人の死傷者を生じさ
せ、日本軍にはそれ以上の、また日本の市民には数え切れないくらいの死傷者を生じさせ
ていたはずだ、と。しかしここで思い起こしてもらいたいのは、すでに日本帝国陸軍は降
伏寸前まで追い詰められていたことを、当時のアメリカ国民は知らされておらず、その後
も今日まで米国内でほとんど議論されてこなかったことです。したがって米国人たちは、
原爆投下に変わって戦争の終結をもたらすのは、日本への本土上陸だけだと考えたのです。
また「100 万人」という数字は、米国政府の官僚が記者団と会談中、根拠もなしに口にし
たもので、米軍による実際の米兵死傷者の推計は 25 万人前後というものでしたが、この
数字は当時公表されず、今日まで米国ではほとんど知られていません。
したがって、米軍による日本本土上陸を防ぐ唯一の手段は、原爆投下であり、原爆投下
は数十万人にのぼる市民を殺したが、その数は本土上陸で予想された死者の数よりも少な
かった、ということになります。また、日本人は最後の一人になっても降伏しないで戦い
続ける、ということが当時も今日も、アメリカ国内で語られていますが、そうだとすれば、
戦争終結までに、米軍は全ての日本軍兵士だけでなく、何百万人もの日本の市民を殺さな
ければならないことを意味します。こうした理由から、一部のアメリカ人は、広島と長崎
への原爆投下を「人道的行為だ」とすら表現するに至ったのです。
広島への原爆投下に至る最後の数ヵ月間は、太平洋戦争で最も流血の激しい戦闘の多く
が戦われた時期で、日米双方とも、数日間や数週間で数万人を失うようなことが繰り返さ
れていたことを、忘れてはならないと思います。アメリカの報道機関により、日本軍は常
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に最後の一人まで戦った、ということがいつも報じられていました。先ほど私が述べたよ
うに、報道機関によって、日本の非戦闘員の市民もまた、最後の一人まで戦うだろう、と
報じられていました。この種の誇張された主張は主に、非戦闘員の大量殺戮についてのア
メリカの世論を和らげる役割を果たしました。なぜなら、もし全ての日本市民が上陸した
米軍と戦えば、全ての日本の市民は戦闘員と見なす事が出来るからです。そのことは、広
く報道されていた日本本土都市への空襲により、数万人かそれ以上の死者が生じたことも、
非戦闘員ではなく戦闘員の殺害と見なす事ができ、原爆投下も同じように解釈できること
を意味します。
さらに、トルーマン大統領は広島を日本の重要な陸軍基地だと表現しました。当時、広
島は日本の主要な軍港の一つだと報じられましたが、1945 年 8 月 10 日付のニューヨーク
タイムズ紙に掲載された地図を見ても分かるように、港湾部は原爆の標的とはされず、む
しろ明らかに非戦闘員の人口が集中している都市中心部が標的とされました。
広島・長崎への原爆投下が「第 2 次大戦を終結」させ、
「双方の人命を救った」という
二つの物語は今日もなお、アメリカで大変広く信じられている物語です。高校生向けの標
準的な歴史教科書は通常、主要な戦闘や重要な日付だけを年代順にならべ、それらに関す
る分析はほとんど、あるいは全く記されていません。第 2 次大戦の終結に関する一連の記
述は、こんな感じです。
「1945 年春から夏にかけ、太平洋の島々で戦闘が戦われたが、広
島および長崎に原子爆弾が投下され、ついに戦争が終結し、日本本土決戦による流血が避
けられた」。非常に単純です。そして、アメリカ人の大半ではないにせよ、その多くが、こ
の単純な物語を信じているのです。
なぜそれほど多くのアメリカ人がこの物語を信じるのでしょうか。なぜなら、彼らにと
り、この物語は、アメリカの偉大さ、アメリカのノウハウ、そしてアメリカの「やる気」
(やれば出来ること)を物語っているからです。第 2 次大戦を終結させ、米国に勝利をも
たらすための悲惨で流血を伴う本土上陸作戦に直面し、アメリカの科学者・技術者らはわ
ずか数日で戦争を終らせることのできる卓越した科学技術をもちいた秘密兵器を考案した。
アメリカ人らは、原爆によって殺された大勢の人々のことではなく、自国の優秀な科学者
たちと英雄的な空軍兵士のことを思い浮かべるのです。この一握りの人たちが、原爆がな
ければさらに 1 年の月日と 100 万人もの兵士の生命を犠牲にしなければ達成できなかった
であろうことを、わずか 1 日で達成することができた。多くのアメリカ人にとり、それは
あたかも、アメリカが「宇宙の力」を解放する秘密のボタンを押して血生臭い戦争を終ら
せたかのように思えるのです。トルーマンが原爆を表現した言葉どおり、それはまさに魔
法のようでした。ある日、誰もが戦争はあと 1 年は続くと思っていたら、その翌日には戦
争は終っていた。何て偉大な国家、何て偉大な科学技術、何て偉大な軍隊なのだろう。と
いうわけで、ご覧になったように、多くのアメリカ人にとって、これはアメリカの偉大さ
の物語なのです。
この基本的な物語はアメリカで 60 年以上もそのまま維持されてきました。大半のアメ
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リカ人はこの単純な物語を学校や両親、あるいは歴史番組から教わります。他の国の文化
では、国の偉大さに関する古い物語は薄められていくのに、原爆の物語は、アメリカの偉
大さに関する古い物語を補強します。アメリカ人は、北米大陸を横断する白人の移動を、
インディアン虐殺の物語ではなく、
「西部征服」の物語と見なします。世界の未開の人々を
文明化させ、恩恵をもたらす、というのがアメリカの神話です。その神話は、たとえばイ
ンディアンの虐殺やアフリカ人の奴隷制度のような、醜い歴史上のさまざまな実態から目
をそむけることを許す物語なのです。その詭弁は今日でも、アメリカの対イラク戦争で見
ることができます。アメリカ大統領は国民に、
「アメリカはイラクに民主主義を伝えている」
と語ります。わかりますか。イラク人は明らかに自分達で民主主義を実現できないほど遅
れているので、あたかも賢い年長者が無知な子供を教えねばならないように、アメリカは
彼らに民主主義を伝えねばならない。アメリカ人はこうした物語を好み、基本的には自己
利益のために行なうさまざまな行動の説明に、それを用います。そうすることで、自分達
を私利私欲の追求者ではなく、野蛮人に文明をもたらす偉大なアメリカ人として描き出す
のです。この行動は、1920 年代や 30 年代に日本がアジア諸国を占領した時期、これが帝
国の基本生命線である、と自らに言い聞かせたのと同じです。
広島と長崎の原爆投下自体について、アメリカ人は、卓越した科学技術の文明的な応用
を通じて、平和をもたらし、戦争に終結をもたらした、と考えました。多くの米国民が、
戦争の早期終結手段を発見した自分たちに対し、日本人は感謝すべきだ、と考えました。
もちろん彼らは、仮に原爆を投下しなくとも戦争はまもなく終っていたはずだ、という事
実を認めません。それは、事実がアメリカの物語と矛盾するからです。
しかし、原爆投下について、このようには考えなかったアメリカ人が多くいたことも、
指摘しておく必要があります。投下直後の 1945 年 8 月段階ですでに、広島・長崎への原
爆投下は残虐行為であり、ナチスのホロコーストにおける非戦闘員の大量虐殺に匹敵する
戦争犯罪だ、と叫ぶ声が存在しました。ノーマン・カズンズ氏のような多くの人道主義者
たちに加え、多くの宗教界の指導者らが、原爆投下直後、同じような声明を発表しました。
ナチスを打ち破った事による道徳的優越感に浸ろうとした多くのアメリカ人は、原爆投下
という第 2 次大戦の最後に行なわれた米国の残虐行為が、
同大戦での米国の勝利に対して、
道徳的な暗雲を投げかけた事に気づいたのです。それに続くソ連との冷戦のおかげで、そ
うした懸念を明確に持ち続けたのは、アメリカの左翼陣営に属する人たちだけでした。し
かし、冷戦とマッカーシズムの時期に吹き荒れた反共旋風は、1950 年代を通じてそうした
左翼陣営の声を効果的に沈黙させました。
しかし、1960 年代に軍への反発が強まると、そうした声が再びアメリカで大きくなりま
した。反戦運動に加わった多くの学生は、広島への原爆投下が戦争犯罪であり、核兵器開
発に従事する科学者は戦争犯罪人であるとみなしました。原爆投下に関するアメリカの公
式の物語を疑問視する米国人研究者グループが現れました。二人の代表的な研究者がいま
す。その一人が、歴史家で政治経済学者のガー・アルペロビッツです。
『原爆外交――広島
とポツダム』と題する彼の学位論文は 1965 年に出版されましたが、この中で広島への原
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爆投下についての新しい見解を提起しました。すなわち、広島への原爆投下は第 2 次大戦
の最後の行為ではなく、冷戦における最初の行為である、というものです。言い換えれば、
原爆投下は日本に降伏を強いるためではなく、戦後世界におけるソ連の立場を牽制するた
めだったという見方です。アルペロビッツは、ヨーロッパ戦線が終結し、太平洋戦争はま
だ続いていた 1945 年 7 月に行なわれたポツダム会議の記録を調べ、アメリカの政策決定
者らが原爆投下の決定をした時点で、日本はすでに敗北して降伏直前の状態であることを
知っていた事を明らかにしようとしました。アメリカによる原爆投下の唯一の目的は、ス
ターリンを戦線に引きずり出し、戦後世界における米国の優位に服従させることだった、
と彼は主張しました。
最初の出版以来、彼の主張はアメリカの左翼に広く支持され、広島への原爆投下に関す
る米国内の最近の多くの議論の中心に位置付けられています。もしアルペロビッツの議論
が正しければ、アメリカは将来の敵であるソ連に断固とした態度を誇示するため、何十万
人もの日本の非戦闘員を殺したことになり、原爆投下は明らかに戦争犯罪となります。今
日、アメリカの大学レベルの歴史の講義で広島への原爆投下問題が議論される時、しばし
ば次のような形を取ります。
「あなたは原爆投下が第 2 次大戦の最後の行為だと考えるか、
それとも冷戦における最初の行為と考えるか」
。
このような質問は、学生たちに歴史的な契機や関与する人々の動機を考えさせることに
なります。だが大抵の場合、質問はむしろ「あなたはアメリカが日本に原爆を投下すべき
だったと考えるか」という形をとり、議論は異なる方向へと導かれます。この質問では、
原爆投下が冷戦の行為としてなされたという視点が除外され、原爆が人命を救ったという
主張か、日本が真珠湾を攻撃したのだから原爆投下は正当な報いだ、という主張が繰り返
されます。
(この主張は、真珠湾は軍事基地だったのに対し、広島は非戦闘員が集まる都市
だった、という点を無視しています)
。こうした質問を投げかける事で、問題は伝統的な「ア
メリカの偉大さ」という観念の枠組みに入れられ、重要人物が、いかに切れ味鋭い科学技
術に関する重大な決断をしたか、という問題になるのです。日本上陸に備えることの方が
人道的ですか、それとも原爆投下による戦争終結を急ぐべきですか、という風に。問題が
このように提示されると、冷戦の問題は無視することが可能です。さらに「米国の賢明な
指導者は、世界を日本人も含む全ての人々にとってより良くするため、何をすべきか」が
問題となります。こうなると、アメリカの偉大さの物語であり、歴史の仲裁者であること
の責務に関する物語になります。アルペロビッツは、アメリカの指導者が自己利益のため
に行動したと指摘しました。しかし、
「アメリカは原爆を投下すべきだったか否か」と問い
かけることは、アメリカ人が関係する全ての人間にとって「正しい」決断を心がけており、
我々は文明の後見人なのだ、ということを暗に示しているに他なりません。
広島と長崎への原爆投下に関するアメリカ人の多くの見方を変えさせる文献を発表した
第 2 の研究者は、ロバート・リフトンです。リフトン氏は 11 月に広島平和研究所が主催
する国際シンポジウムの基調報告者ですので、是非、シンポジウムを聞きに来て下さい。
リフトンが 1967 年に出版した『生命の中の死』はアメリカ文化の様々な面に深い影響を
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与え、1968 年の全米科学書籍賞を受賞しました。
『生命の中の死』は、1960 年代初期・中期のリフトンによる広島の被爆者調査に基づく
心理学的研究の成果です。この本は、被爆後 20 年あまり経った時期の被爆者に関する研
究所として圧倒的に有名ですが、その重要な点はいくつもあります。第 1 に、この研究は
近代心理学研究においてトラウマ(心的外傷)という分野を最初に確立した研究です。今
日、多くの人が PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉を聞いたことがあるでしょ
う。リフトンの研究は、そうした概念および、トラウマを抱える被爆者の研究と治療とい
う分野全体を確立したのです。また、広島の原爆投下の被害者らは非戦闘員だったことを、
多くのアメリカ人に明確に認識させたのも、彼の研究でした。リフトンが描いた、被爆者
による生き地獄の経験と、被爆者がその経験を抱えながら生きる事で生じる心理的喪失感
やトラウマについて読んだ読者らは、原爆投下が戦争犯罪以外の何物でもないと確信した
のです。リフトンが聞き取りを行ない、記した大半の人々は兵士ではありませんでした。
リフトンの文献は被爆者を、近代科学技術による戦争の究極の被害者であると位置づけ、
被爆者の経験が、その後のトラウマの分野に関するあらゆる心理学研究の計測基準となり
ました。
今日のアメリカ社会で多くの人々は、将来の戦争での非戦闘員に対する核兵器の使用に
反対しています。しかし、同じ人々の多くが広島と長崎への原爆投下を戦争犯罪とは見な
していません。なぜそうなるのでしょうか。アメリカ人が、日本に現実に核兵器が投下さ
れた例を除外して、核兵器は戦争で使用すべきでない、と考えることができるのはどうし
てでしょうか。この二つの信念の矛盾はほとんど分析されたことがありません。第 2 次大
戦において、核兵器は明らかに敗北した敵に対して使われたのに、なぜ核兵器の正当な行
使と見なされ得るのでしょうか。核兵器の日本への行使を正当だと信ずることは、米国政
府の過去の行為についての批判的な判定を拒否することに他なりません。過去における核
兵器の行使を正当化する一つの手段として、アメリカの国民感情が戦争におけるさらなる
核兵器の行使に賛成しないことを、とりあえずここでは、歓迎すべきだと仮定しておきま
しょう。
しかし個人的には私は困惑しています。アメリカ人の大半は今日、戦争での化学兵器の
使用は戦争犯罪だと見なすでしょう。生物兵器の使用も同じです。彼らは同様に、核兵器
が使用されれば、戦争犯罪と見なすでしょう。その彼らが 1945 年の日本における核の使
用については、依然として正当であると感じているのです。ここには次のことが明らかに
示されています。つまり歴史家が、歴史は明確な論理に沿って展開するとか、国民は自国
の歴史を扱う時に理性的に考え行動する、などと期待するのは賢明でないということです。
それでは、核兵器をめぐる世界の現状に対して、以上のような物語はいかなる影響を与
えているのでしょうか。そうした物語は、アメリカの核兵器に関する全ての考えや行動に
色濃く影を投じています。そのカギは、
「アメリカの偉大さ」であることを思い起こして下
さい。
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今日、核不拡散問題に関して米国は、自分の国のみが、どの国が核兵器を保持でき、ど
の国が保持できないと決めることが出来ると信じています。広島と長崎への原爆投下後の
数年間、アメリカは核兵器の保有を独占しようと格闘しました。ソ連が 1949 年に核兵器
を保有すると、ソ連は明らかにスパイを通じて核兵器を手に入れた、ということがアメリ
カで声高に叫ばれました。しかし、なぜスパイを通じる必要があったでしょうか。それは、
アメリカだけが核兵器を独力で開発・製造できるほど賢いと考えていたため、ソ連がアメ
リカの設計図を盗まないで独力で核開発できるほど発展しているとは信じられなかったの
です。このため米国内では、
「原爆スパイ」がソ連に核の秘密を手渡した、とする社会的ヒ
ステリーが起きました。広島と長崎に投下された原爆が製造されたロスアラモス研究所で
戦時中、所長を務めていたオッペンハイマーは戦後、
「原爆に秘密などなく、原爆が実際に
爆発することが秘密だったが、いったん原爆が爆発したら、その秘密もなくなった」と語
っています。それ以外は、技術上の問題だけでした。アメリカ軍の専門家は、ソ連の原爆
開発に 20 年かかるだろうと言いましたが、科学者の大半は 5 年から 10 年だろうと予測し
ました。しかしここでも我々は、アメリカだけが魔法の兵器を作れるのだ、もし誰かが作
ったとしたら、それはアメリカから秘密を盗んだに違いない、という「アメリカの偉大さ」
についての物語を見ることができます。確かに、ロスアラモス研究所からスパイがいくつ
かの重要な設計上の情報をソ連に手渡したことは事実ですが、せいぜいそれは、ソ連の原
爆開発を 1 年か 2 年、早めたに過ぎないでしょう。
アメリカはイギリスとフランスの核兵器開発を支援しましたが、それはそれら同盟国を
核兵器クラブに加える価値があるとアメリカが考えたからです。しかし今日、アメリカは
誰が核兵器を持ち、誰が持たないかを決める仲裁者たらんとしています。イランの核兵器
開発能力に関する、ここ 10 年間のアメリカのヒステリックな態度を見てください。アメ
リカは、核武装したイランを世界が容認しないと宣言しています。そうした声明を発表し、
決定を下すアメリカとは何者でしょうか。現在、1 万発以上もの核兵器を保持するアメリ
カが、どうして他の国に同じ科学技術を開発することは許されない、と命じることができ
るでしょうか。自ら任命した核拡散の門番という役割のどこに道徳的正統性があるのでし
ょうか。アメリカは自国が世界を文明化する強制力を有していると考え、だからこそ、核
兵器を保持しても信頼できる国がどこかを決定できると考えているのです。
アメリカは、イラクが核兵器を開発している可能性を根拠に、イラク攻撃を自国民に正
当化しました。それが嘘だったことは、ひとまず無視し、それが本当だったとしましょう。
それではアメリカは、自国が大量に持っている兵器をある国が保持する権利はないと考え
たからといって、主権国家であるその国に先制攻撃を仕掛けて戦争しても構わない、とど
うして信じることができるのでしょうか。次の点にも注意が必要です。アメリカ国民は当
時、それを開戦に足る正当な理由だと受け入れたのです。彼らは今や、それはブッシュ大
統領が戦争に持ち込む口実に用いた嘘だと考え、イラク戦争に反対しています。しかし、
彼が最初にそれを開戦理由に掲げたとき、正当と見なされたことを物語っています。アメ
リカ国民が、アメリカが核兵器を持つのは構わないと考えるのに、その同じ核兵器の開発
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理由に他国を攻撃できると考えるのは、どうしてでしょうか。それは、彼らはアメリカが
イラクとは異なり、脅威国家ではなく、文明をもたらす国だと信じているからです。露骨
で挑発的な戦争行為は、野蛮なイラク人に高度な文明をもたらす行為として正当化されま
す。それは、アメリカが偉大な文明の伝達者であり、誰が核兵器を保持し、誰が保持しな
いかを選択できるからです。これは、アメリカの偉大さに関する、もう一つの投影なので
す。
ブッシュ大統領の報道官で FOX ニュースの元コメンテーターだったトニー・スノーの
次の言葉を紹介します。スノーは、なぜブッシュ大統領があれほど激しく最近の北朝鮮の
テポドン 2 号ミサイル発射実験に反対したのに、直後のインドのアグニ 3 号ロケット発射
実験について何も言わなかったのか、と質問を受けました。その時スノーは「インドと北
朝鮮の間には、重要で顕著な違いがある。インドは周辺国に脅威を挑発しないためにミサ
イル計画を遂行している。この点に関し、インドは事前にアメリカに情報を提供したし、
協定に基づきパキスタンにも通報した。インドは明白で脅威を招かない方法で行なった」
と述べました。
インドとパキスタンはこれまで数十年の間に 3 回も戦争をし、過去数年間に核を巻き込
んだ紛争寸前まで行ったことは、申し上げるまでもありません。どうしてスノーは、彼ら
が周辺国に脅威を招かない形で兵器の実験をしていると言明できるのでしょうか。これも
アメリカが、どの国がそれらの兵器を開発でき、どの国が開発できないかを決めることが
できると考えている、一つの例です。アメリカは自国より劣る国々を監督し、核拡散の管
理人を務め、自国の聖なる祝福を与えているのです。自らの偉大さに基づいて行動し、偉
大さを示しているのです。
それでは、パキスタンからの核兵器技術の世界への流出をどう考えればいいのでしょう
か。そこにアメリカの核関連技術が関わっているのは明らかです。アメリカは想像上のイ
ラクの核兵器やリビアのかつての核兵器計画、北朝鮮やイランの核兵器に対しては怒りを
露わにしましたが、核がそれら今名前をあげた全ての国に拡散するためにパキスタンが果
たした役割に関しては、奇妙なまでに沈黙を守っています。なぜでしょうか。私にも分か
りませんが、ここで読み取れるのは、どの国が制裁を受け、どの国が拡散を見逃してもら
えるかを決める権利を持っているのは自分だ、とアメリカが考えていることです。そして、
それにはアメリカとどの国が武器の取引があり、どの国がないか、と言う事と関係がある
のではないか、と私は疑っています。
アメリカの核兵器保有について見てみましょう。1946 年以来、アメリカ国内でも反核運
動がありましたが、アメリカの核兵器貯蔵量は固有の論理に基づいて増減しており、批判
者の要求に応じてはいません。かつては 3 万発以上でしたが、現在では 1 万から 1 万 5 千
発の間と考えられますが、いずれにせよ核兵器の大量貯蔵庫という表現がふさわしい数で
す。次に、これら核兵器の規模について見てみましょう。アメリカは、イラクやイランの
ような、せいぜい核兵器を 5 から 10 個持つかもしれないような国とは戦争をする用意が
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あります。それらの核兵器は核分裂兵器で、広島型や長崎型と同じく爆発の威力が 15 キ
ロトン前後のものです。これに比べ、アメリカが保有する大半の核兵器は核融合兵器で、
爆発の威力が 10 メガトン前後の水素爆弾です。それらは、核分裂爆弾に比べて数千倍の
威力を持っています。その違いを理解する、ある方法があります。アメリカの最初の運搬
可能な核融合兵器の実験は 1954 年のブラボー実験で、それにより日本の漁船「第 5 福竜
丸」の乗組員やビキニ環礁の数百人の島民が被曝しました。アメリカ政府は 1955 年に行
った研究により、次のような結論に達しました。もしフィラデルフィアの中心部に同じ(ブ
ラボー実験と同じ)核兵器が投下され、同様の風が吹いたら、二つのことが予測できる。
第 1 に、フィラデルフィア市民は全員、爆風と熱線で死亡する。第 2 に、放射性降下物に
より首都ワシントンやボルチモア、ニューヨークの市民全員と、ボストンの半数の市民も
また死亡する。そしてその放射性降下物は、まだ完成度の低い水素爆弾がもたらすもので
す。つまり、そうした水素爆弾の一発でアメリカの東海岸地域全体を破壊できることにな
ります。しかしアメリカにとって、1 発ではまだ不十分でした。アメリカは、そしてソ連
も、MIRV ミサイルを開発しました。MIRV とは、複数目標を同時に標的とする多弾頭ミ
サイル(個別誘導複数目標弾頭)のことです。つまり、地下のミサイル発射台や潜水艦に
おかれたアメリカのミサイルには、複数の水素爆弾の弾頭が取り付けられており、実際に
は 1 発のミサイルに 10 発以上の核弾頭がつくよう設計されています。したがって、いっ
たんミサイルが軌道に乗ると、ミサイルの先端から 10 発の別々の弾頭が現れ、別々の標
的に向かって飛び、その一つひとつがブラボー爆弾と同じくらい強力なのです。それぞれ
が、一つの大陸の人間の大半を消滅させることが可能なのです。そしてアメリカは、そう
したミサイルを数百発も持っています。
初歩的な核兵器の開発を試みる小国を非難する国家が、どうしてそんな核兵器を製造し、
保持できるのでしょうか。なぜならアメリカは他の国と違って、偉大な国家であり、文化
の伝達者であり、文明開化の担い手だからです。アメリカは、世界のすべての人の善のた
めに権力を行使するため、そうした兵器が必要だと信じているのです。日本への原爆投下
が人道的だと考えるのと同じように、アメリカは、怪物のような核兵器の貯蔵庫を、世界
のすべての文明人に恩恵をもたらすため効果的に権力を行使する道具だと考えているので
す。核兵器の貯蔵のおかげで、アメリカは世界の警察官の役割を担い、どの国が核兵器を
持つことができるかを決め、どの国が攻撃を受けるかを決める権利を持っていると信じて
いるのです。この非人道的な兵器の貯蔵のおかげで、アメリカは他のすべての国々に対し、
賢明なるアメリカの助言に耳を傾け、それに従わせることができるのです。
アメリカのこの権力と慈悲に関する妄想を、偉大な研究者ロバート・リフトンは「核兵
器主義」(Nuclearism)と名付けました。核兵器主義は、政府とその指導者に対し、核兵器
が世界の出来事と国々の運命を支配する強大な力を持っている、という幻想をもたらしま
す。核兵器主義は、核を持つ政府に対し、自分の欲求と命令に従って世界を作り変えるこ
とが出来る、という幻想を創り出します。アメリカの場合、自分たちこそが、全ての人々
の幸福のためにこの力を使うことができ、世界の遅れた国々を文明化するためにこの力を
行使するのだ、というのが、国の神話や妄想の全てになっています。それによれば、アメ
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リカはソ連の独裁を終わらせることができ、アメリカの企業の繁栄をヨーロッパや日本に
もたらすことができ、ベトナムへの共産主義の波及を食い止めることができ、今や中東に
民主主義をもたらすことが可能なのです。
しかし、どうかアメリカの普通の市民たちを非難しないで下さい。彼らがそうした悪事
を行ったのではなく、彼らは政府からその歴史を受け継いでいるだけなのです。確かに多
くのアメリカ人は、それを疑問視していませんが、たいていの国々では、市民の大半は政
府が過去に行った行為に疑問を持ったり個人的な責任を感じたりしていません。世界に住
む多くの人々は、自分たちが住む地域社会の中できちんとした生活を送ろうと努力してお
り、アメリカの人々もまた同じなのです。多くの人は家族を愛し、地域社会で尊敬され責
任を果たす一員としての、素朴できちんとした生活をしています。それが、彼らが過去に
ついて聞かされてきた物語であり、人々はそれを額面どおり受け止めています。
今日の私の報告から、アメリカ人には統治や外交や戦争に関する道徳的感覚が全く欠如
している、とは思わないでください。確かに 9・11 同時多発テロの直後、アメリカ国民は
ブッシュ大統領の言葉を内心疑いながら信用したかもしれませんが、今や国民の大多数は
イラクでの戦争に反対しています。
改めて申し上げたいと思います。アメリカが社会全体として、広島・長崎への原爆投下
を戦争犯罪だと結論付けることができないからといって、アメリカ市民の良し悪しを判断
しないで下さい。大半のアメリカ人は、決して核兵器の使用がもたらす力を信じたり、そ
れを容認したりはしていないのです。もちろんアメリカ社会の中には、第 2 次大戦を戦っ
た退役軍人たちや、核兵器の将来の行使をもくろんでいる現在の米国政府などのように、
原爆投下の英雄物語を弁護しようと躍起になっている集団もいます。しかし、大半のアメ
リカ人は、普通の日本人が第 2 次大戦における日本の戦争犯罪について、あまり考えない
ように、原爆投下について、単にあまり考えることがないだけなのです。人々は、自分自
身の生命や、これから起きる出来事など、将来のことを考えがちです。過去を振り返るの
は、歴史家や歴史に関心のある市民のすることであり、アメリカのそうした人々の間では、
広島への原爆投下に関する議論は盛んに行われています。
私の経験では、アメリカでも歴史に関心のある人々や左翼系の人々の多いほとんどの地
域では、8 月 6 日のヒロシマ・デーの行事が守られています。アメリカにいる私の多くの
友人や家族らが最近、手紙をくれ、彼らの住む地域でヒロシマ・デーの行事がきちんと行
われていることを伝えてくれました。これほど多くの人々が、加害者の国でこの恐ろしい
出来事の記憶を消滅させまいと努力していることに、私は心を動かされました。ヨーロッ
パや世界の各地でも、同じように 8 月 6 日の行事が守られていることを知っています。継
続し拡大する核拡散の脅威からくる危険が地球を脅かしているため、世界中の人々が核兵
器の危険を知るため、広島の教訓を忘れまいと一生懸命に努力しています。
今夜この場で、
「アメリカ国民は一致して広島と長崎への原爆投下が戦争犯罪だと考えて
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いる」と皆さんに報告できればどんなにいいことだろうと思います。確かにそれは戦争犯
罪なのですから。歴史とは時に、物語がぶつかり合う過程でもあります。将来いつの日か、
アメリカ国内で、広島への原爆投下が示すアメリカの偉大さの物語を堅固に守ろうとする
利害・力関係が弱まれば、アメリカ全体がこの戦争犯罪についての真実に向き合うことが
可能であると私は思います。アメリカはこれまで、北米大陸の原住民に対する虐殺や黒人
の奴隷化などの歴史をきちんと扱わずにきましたが、今はそれに目を向ける方向に動いて
います。そして私は人間を心から信じています。61 年前に広島で起きた出来事の記憶を守
ろうとする私たち全員の努力が、原爆を落とした国においても、最終的には勝利すること
を私は心から信じています。
(仮訳:水本和実)
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