4. 供給者(医師)誘発需要 4.1. 一般的な医師誘発需要仮説 ●【医師誘発需要仮説】 →情報の非対称性が医療サービスの取引に与え る影響に関する仮説 ⇒医療経済学の歴史の中で繰り返し議論されてき たトピックス (1)存在,程度,社会的影響等についての研究者 の間でコンセンサスがない (2)医療費の高騰に苦しむ先進国が医療費を抑制 する手段 政策立案者の関心 1 「一般的な医師誘発需要仮説」 人口当たり医師 数増加→所得減少を防ぐため情報の非対称性を 利用して医療サービスの需要を誘発する 価格 S1 D2 D1 E3 P1 E1 E2 P2 O Q1 Q2 Q3 図 1 医師誘発需要仮説 患者と医師の間に情報の非対称性 4 4.2. プリンシパル−エージェント関係 医師誘発需要仮説では,患者と医師の間での情報 の非対称性が重要な役割を果たす.ここではそれ を前面に出したプリンシパル−エージェント理論を 使い説明する. ●情報の非対称性下では,患者は診断や治療を 専門家の医師に委ねる.医師が代わりに需要する. プリンシパル(依頼人)は患者,エージェント(請負人) は医師. S2 P3 「一般的な医師誘発需要仮説」では,医師の所得 低下に対して,医師自身は需要を誘発し需要曲線 を右にシフトさせる.図1においては,需要誘発後 の均衡はE3となる.このときの医療支出はP3×Q3. P3×Q3> P2×Q2となり,医師が需要を誘発するこ とで医療支出は増加し,医師の平均所得も増加す る. 医療サービス 2 ●競争的な市場では,D1とS1の交点E1で均衡し, P1の価格でQ1の医療サービスが取引される.ここ で医療サービス市場に新たに医師が参入し,供給 曲線がS2へとシフトしたと想定しよう.新しい均衡 はD1とS2の交点E2である.この点では,P1よりも低 い価格P2でQ1よりも多いQ2の医療サービスが取 引される. ●医療サービスの需要の価格弾力性が1より小さ いなら(必需品),価格の低下により医療支出は減 少.つまり,P2×Q2の面積はP1×Q1のそれよりも 小さくなる.医師が増加しても医療支出は減少する 3 から,医師の平均所得は減少する. ●治療成果に不確実性がなく,成果が医師の努力 水準のみに依存するとしよう.患者は医師の努力 水準は観察できないが,成果は観察できて,それ 5 に応じて医師に報酬を支払う. 努力水準の決定 医師は努力水準を1単位増加さ せるためにかかる費用(限界費用)と,努力水準を 1単位増加させたときに得られる追加的収入(限界 収入)が一致するように自らの努力水準を決定.患 者は医師への報酬(成果1単位あたりの価格)を変 えることで,最適な努力水準を医師から引き出せる. ●ところが実際は治療成果に不確実性が伴う.平 均的には医師の努力に依存するが,医師が制御 できないさまざまな要因にも影響を受ける. ⇒図2をみよ. 6 1 4.3. 医師誘発需要モデル(3種類のモデル) 4.3.1. 供給独占モデル 供給者は1人の医師のみ→同時に医療サービスの生産 者→医師は利潤を最大化.これは,独占企業(医師)の利 潤最大化問題に他ならない. 確率 H L 図3において,縦軸は「医療サービス価格」,横軸は「医療 サービスの量」.供給独占の市場では,限界費用と限界 収入が一致する生産量で独占企業の利潤は最大に. 成果 O ML A MH 図 2 成果の分布 Dは市場の需要曲線を,MRは限界収入を表している. MRは財・サービスを1単位余分に生産したときに得られる 追加的収入.独占企業の限界費用曲線MCは生産量に関 係なく一定であるとする.独占企業は利潤が最大になる生 産量,つまりMCとMRが交わるB点で生産量を決める.よっ て,最適な生産量はQ1で価格は需要曲線上のP1. 7 この図は,治療成果が医師の努力だけでなく,不 確実性にも依存するときの「成果分布」. 横軸は「成果」で,縦軸は「成果が実現される確率」 である. ●患者が観察した治療の成果がAであったとしよう (ML<A<MH).患者は治療の成果は評価できるが, 医師の努力を評価する手段をもっていない. ●したがって,Aの成果が発生した背後にある分布 がHなのかそれともLなのか識別できない. ⇒高い努力を払ったが運悪くAに止まった等!! 8 ●不確実性がない場合と同様に,治療の成果に応 じて報酬を支払うとしよう.いろいろ考えられるが, 例えば,努力しても十分な報酬が得られないので あれば,医師は次回以降努力せず手を抜くかもし れない.このように情報の非対称性が存在する場 合,治療の成果に応じた報酬のスキームは医師の 努力の低下を誘発する可能性がある. ●実際の治療費→成果ではなく,患者に対する直 接的な治療行為そのものに払われる.たとえば, 「出来高払い」の下では,報酬は直接的には治療 成果と関係がない.何度も説明しているように,情 報の非対称性下では,患者がある治療行為が適 切かどうかの判断は下せない.よって,医師は裁量 9 を働かせ需要を誘発し所得を増加させる. 10 価格 A P1 C B E O MC D Q1 医療サービス MR 図 3 独占的行動 医師の独占利潤→□P1ABC ●医師は需要を誘発することでより多くの独占利潤を得ら れる. ●誘発需要→需要曲線外側にシフト→MRも外側にシフト 11 生産量増加 独占利潤拡大 ●最も基本的な供給独占モデルでは,誘発すればするほ ど独占利潤が大きくなるので,誘発需要の大きさを決定で きない.誘発のためのコストがゼロなので,いくらでも需要 を誘発しようとして,均衡が存在しない. ●誘発のための費用がかかるとしよう.例えば広告宣伝 費.MC曲線が上にシフト.新しいMC曲線と広告によって 誘発された需要曲線のMR曲線の交点で生産量決定.医 師はコスト(広告費用)と収入(広告による収入増加分)の 両方を考慮に入れて利潤を最大化するように広告の程度 を決める.このように,需要を誘発するための費用負担を 課せば,無制限に需要が誘発されることはなく,供給独占 モデルであっても均衡は存在する. 12 2 4.3.2. エバンズモデル 次に「独占的競争」モデルとして知られるエバンズ モデルを取り上げる. 図4はエバンズモデルの図解である. 所得 I1 U1 独占的競争市場 同様の財を供給する企業が多 数存在しているが,個々の企業の製品は他の企業 のものと少しずつ異なるため,完全に代替的でない (密接な代替財)市場 例 「ブランド品市場」 各企業が供給する製品は 差別化されているが,密接な代替財も供給されて いる⇒価格引き上げ→需要減少→でも需要を完全 に失うわけではない 13 「ある程度の独占力を企業はもつ」 エバンズモデルも,通常の財を「医療財・医療サー ビス」に置き換え分析.医師が生産するサービス は,少しずつ異なるが密接な代替財と仮定.医師 は効用最大化. ●ポイント 医師は所得からは正の効用を得るが,需要を誘 発することからは不効用を感じる.つまり所得をY, 誘発需要量をDとすると, U=U(Y, D) ただし,∂U/∂Y>0, ∂U/∂D<0 14 ●医師の所得は全需要量(裁量前需要+誘発需 要)に1単位あたりの利潤をかけた金額.πを医療 サービス1単位あたりの利潤,Qを誘発しないとき の需要量とすると,Y=π(Q+D)とあらわせる. 所得を増やすには需要を誘発しなければならない が,需要を誘発するとかえって効用は低下するの で,結果,誘発需要に歯止めがかかる.医師の効 用最大化問題は max U=U(Y, D) s.t. Y=π(Q+D) 15 U2 Y1 A I2 Y2 B π1Q1 C π2Q2 O D1 D2 誘発需要 図 4 エバンズモデル 16 ●縦軸は「所得Y」,横軸は「誘発需要D」.無差別 曲線上では効用は一定.よって,誘発需要が増加 することによる効用の低下を,所得の増加による 効用の上昇で相殺しなければならない.そのため 「右上がり」に描かれる.また,同じ程度の誘発需 要であれば,所得が多いほど効用は高くなるから, U1>U2.つまり北西方向ほど効用高い. ●次に予算(所得)制約線である(I1とI2).医療サー ビス1単位あたり利潤をπ1,誘発需要がない場合 の需要量をQ1とすると,需要を誘発しないときの所 得はπ1Q1.縦軸切片はπ1Q1. 17 ●当初のエバンズモデルの均衡はA点.このとき D1の需要が誘発され,医師の所得はY1となってい る.つまりここでの均衡は,需要を1単位誘発したと きの限界的な所得の増加分(π1)と,所得と誘発 需要の主観的な交換比率である限界代替率が一 致することによって特徴付けられる.翻っていえば, 予算線の傾き=無差別曲線の接線の傾き. 18 3 ●次に新規参入によって医師が増加したとしよう. 既存の医師の患者の一部はこの新規参入者に奪 われるから,既存の医師が直面する需要曲線は左 にシフトする.その結果1単位あたり利潤はπ2に低 下.未誘発時需要量もQ2へと低下.よって新規参 入により,予算線はI2 へと下にシフト.またπ1>π2 なので,予算線の傾きもよりフラットに.効用最大 化の結果選ばれる均衡はB点になる. 医師の増加により,既存医師の所得はY2へと低下 し,誘発需要はD2 へと増加する.⇒新規参入によ る誘発需要の増加 19 ●無差別曲線の形状によっては,誘発需要が減少 するケースも考えられる.例えばC点で無差別曲線 と予算線が接するとすれば,誘発需要はかえって 減少することが確かめられる.すなわち,エバンズ モデルでは,無差別曲線の形状次第で誘発需要 が増えるケースも減るケースも起こり得ることにな る. 20 4
© Copyright 2024 Paperzz