08 税務課から帰国 [933KB pdfファイル]

烏山市での日高市職員研修 野口宗孝
研修レポート
研修日及び研修項目
2005年12月5日(月)∼12月7日(水)
税務課(税務行政、課標調査同行及び競売配当手続き見学)
事務内容
道税チーム、市税チーム、課標チーム、徴収チーム、税入管理チーム
研修内訳
○税務課へ。ソ課長さん、市税担当のホン係長さんに全般的な説明をしていただく。
地方税には、「道税」、「市税」があり、
「道税」は取得税、登録税、免許税、レジャー税、共同施設税、地域開発税、地方教育税がある。
中でもレジャー税は競馬、競輪、競艇事業者等が課税対象。日本で近いのはゴルフ場利用税か?
「市税」は住民税、財産税、自動車税、走行税、農業所得税、屠畜税、タバコ消費税、都市計画
税、事業所税がある。そのうち屠畜税は現在無し。走行税はガソリンや軽油にかかる税。住民税
の基準日は毎年8月1日現在となっている。そして住民税は担当が一人である。国税の所得税の
申告は全て税務署へ行ってもらうことから担当人数の違いが生じている。自動車税も日本は市税
なのは軽自動車のみである。
○窓口には税務大学校で勉強した方が請願窓口として専門に配置されている。
事務室
左がカウンター
○説明いただいた後、課の方々を紹介していただきました。そして、夕食を残業する皆さんと一
緒にいただいた。それぞれ担当によっては毎日10時過ぎまで残業している。
○課標担当(課税標準を算出する基礎となる調査担当)のオー
ジョングンさんとユー
ジェミョ
ンさんと道税担当のイー係長さんと一緒に来年度課税の基礎となる建物の外見調査に同行させて
いただく。烏山市ではGISを使って道路工事のデータを管理。その地図上に税情報である建物
のデータも入力し一括管理している。現場にはノートパソコンを持って行き、画面にGPSを使
って現在地を表示するとともに、GISデータが映し出され、画面に手書きで入力していく。ま
た、デジカメで写真を撮り、データに添付することで、わかりやすくしている。日本のように、
家の中まで細かく調査するのかは、今回、古い建物ばかりの調査だったのでわからないが、GI
Sで管理できる環境が整っているのはIT先進国である韓国らしいところだろう。ちなみに賦課
は、調査と計算の担当が分かれている。
イー係長さん・オー ジョングンさん・ユー ジェミョンさん
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住居表示
税務課専用公用車
タバコの看板
○昼食はミクラジ(どじょう)料理をいただく。てんぷらと鍋のどちらもほんとうにおいしかっ
た。
○洗馬洞事務所に寄っていただく。外見は見ていたが、中は初めてだった。所長さん、副所長さ
んに詳しく説明をしていただき、資料をいただいた。洗馬洞は一番人口が少なく、農家もあるが、
駅が完成すると、駅前の開発が始まり、人口も急速に伸びていくだろう。10月のクムビョンサン登山
でご一緒させていただいた方がいらっしゃったので、またお会い出来てうれしくなった。
○税務課の事務室で、google の地図(衛星からの画像だがリアルタイムではない)で、日高市庁舎
の位置と、私の自宅の位置を確認。自宅をプリントアウトしていただいた。自宅がくっきり写っ
ていることに、家の説明が出来てうれしかったが、衛星を使えば世界のどこにいても自分の位置
が確認できてしまうことの怖さを感じた。日本でも google 地図は見られるので、烏山市庁を日高
市の皆さんにも説明したい。
○競売配当の手続きのために検察庁の横にある法院まで同行させていただく。徴税担当のイ
キ
ョンボクさん、イ
ヨンソンさん、市税担当のチェ
大学病院までムン
ユンジョンさんが行くので一緒に。法院では、競売物件を時間になると 4 人
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キョンランさん、そして法院の近くにある
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の担当者が読み上げ、債権者が自分の該当物件について各々書類の提出、申請を行っていく。ち
なみに烏山市の配当申請件数は、一ヶ月に 10 件くらいあるそうです。帰りに私の希望で近くにあ
る水原(スウォン)市の2002ワールドカップスタジアムへ連れて行っていただき、見学。雪が降っ
た後だったので、とても寒かったが、デザインや色使いに感激した。
○勤務時間外に税務課では月に 1 度、誕生日祝いのピザパーティーが行われている。仕事が大変
な分、士気を高め、同時にアットホームな雰囲気を作るために大事な会であると思った。勤務す
る人を大切にするから、賦課・徴税等で国から報奨金が出る優秀な成績を残せるのだろう。やは
り仕事は人だと思った。
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研修日及び研修項目
2005年12月8日(木)
ウバンAPT老人会会長との対話
研修実績
自治行政課のオ
ホテクさんにお願いしたウバンAPT老人会の김 기태(キム ギテ)会長さんと
お会いし、烏山市の老人福祉会館でお話を伺った。
○経緯=私は、社会福祉課長さんの計らいで「第1回敬老会」見学時にお会いした日本語を話す
ウバンAPT老人会の会長さんである김 기태님(キム ギテさん)に、片言の韓国語で挨拶をしました。
その時、キム
ギテ会長さんが日本語で、
「日本の若い人が、韓国語を勉強してくれるのは本当に
うれしい」と言ってくださったことから、何度も何度もその言葉の意味を考え、私が 김 기태님(キ
ム ギテさん) の立場だったとき、同じことが言えるのか?と自問自答しました。
(以前、신 선교님(シン ソンギョさん)のお宅で食事をご馳走になったときに、たとえ話で出た内容は、
日本(大切な家族)のために第2次世界大戦時の日本の兵隊は日本国が出した命令を守った。そんな
命令を出した国が悪い。命令を守った日本人は許す。と言ったように解釈しました。私は、国と
個人を別に考えてくださるその心に感激しました)
私は、日本が取り返しのつかない過ちを犯して、たくさんの苦しみや悲しみを韓国のかたがた
にさせてしまった事実(現実)に対して、少しでもその心を癒し、これからの韓国と日本の関係を
より近くなるように、何をするのが一番なのか?自分に何が出来るのかを知るために、私が韓国
語を勉強してくれるのはうれしいと言ってくださった 김 기태님(キム ギテさん)のお話が伺いたい
と思いました。後日、オ
ホテクさんに、もう一度キム
ないか聞いていただきたいとお願いした。すると、オ
ギテ会長さんにお会いすることが出来
ホテクさんは、社会福祉課に連絡を取り、
社会福祉課の김 현희님(キム ヒョンフィさん)と調整した下さった結果、12月8日(木)にお会いできる
ことになったと研修先の税務課まで伝えに来てくださいました。
○김 기태(キム ギテ)会長さんの紹介。
김 기태님(キム ギテさん)は、小学校の頃、父親が日本の関係者と親しかったので、推薦状を書い
てもらい、その時韓国内に4校しかなかった日本人学校に4年間通ったとのこと。日本人学校で
は韓国人(当時は違う呼び方をされた)だということで、大勢にいじめられ、学校へ行きたくないと
父と兄に訴えたが、厳格な人だったので、女々しいからやられるんだと叱咤され、いやいや通う
うちに、友達が出来て仲良くなったそうです。そして、第2次世界大戦が終戦を迎えると、韓国
から日本人は退去。その後韓国は独立。日本語を使うことがなくなり、話すことがはばかられた。
60年たった今も、小学校時にしっかりした日本語の基礎を学んだので、覚えているそうです。(小
学生のときは、家では韓国語。学校では日本語を話し、英語も日本語に近いくらい上手に話すそ
うです) お話からは、若い頃に苦労をされたようでした。今は、次男家族と奥さんと一緒に烏山
市内のAPTで暮らしているそうです。現在は、住んでいるAPTの老人会長をしていらっしゃ
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研修レポート
います。
○김 기태님(キム ギテさん)は、わかりやすく説明してくださいました。
まず、韓国と日本の祖先は同じだということ。中国も然り(渡来人)。川は遠くへ流れ、やがて
見えないところまで流れていく。戦争も同じ、今に始まったことではなく、昔から続いているこ
と。
今も日本には、百済が蒔いた“種”を受け継いで育て、今も文化財として残していること。(先
日、安東市へ行ったときに KIM,GI-WON 님(キム ギウォンさん)が、バスの中で、韓国は何度も何度
も戦争(による侵略)で、文化財がみんななくなってしまったから残っているの文化財は少ないと説
明してくれた言葉が頭をよぎった)
日本は、豊臣秀吉が加藤清正を引き連れ、南から侵攻してきた。韓国の人たちは、米を作るこ
ともままならず、東の山の中へ逃げるしかなかった。食べるものも無く、ひもじい思いを強いら
れた。
いきなり攻めてきて、食物などを強制的武力により、その土地の人の了解もなしに略奪してい
く行為が戦争であり、起こってしまった歴史は変えることは出来ない。
だから、未来を見つめることが大切。今やこれからの時代を担っていく若い人が、しっかりと
未来を見つめること。そして、世界に対し、そのルーツが同じ韓国と日本の人たちが、お互いの
良いところを教えあい、学びあい、その中から友好関係を育み、世界に見せていくことが大切。
相手を言葉で責める以前に、起きてしまったことを忘れてしまえば、シンプルで簡単。
お互いに“息が溶け合う”ようにすれば、東アジア(韓国、中国、日本)は変わってくる。東ア
ジアをリードしていくこの3国が協力し、ITなどの技術研究などを交換して、お互いに成長し
ていけば、昔みたいに争うことは絶対に無いし、またそうしなければならない。
企業も、労働者と使用者が争わない、日本のトヨタ自動車のようになることが望ましい。(韓国
の企業も労使関係がいい企業がたくさんあると思うが、例えとして日本の企業を出してくださっ
た)そのノウハウを学ぶことが重要とのこと。
私は、韓国での生活の中で教えていただいた大切なことがあることを伝える。IT技術の普及
は、ハード(PC、 携帯電話 、MP3、PC반(室) )もソフト(ゲーム、音楽、学校での学習教
材など etc)もそれを使いこなす韓国の人たちの能力の高さを表すものであり、ホームページが充
実していることや、携帯電話を使いこなす人が中高年でも多いことに驚いたことなど。そして技
術面だけではなく、心の面でも大切なものを学びました。 韓国の方たちが電車やバスの中で老人
にすぐ席を譲ることや、年長者を敬う心、そして3ヶ月もの長い間、毎日心配してくださる情の
深さ。 日本人に全く無いとは思いませんが、今の日本人の多くが忘れてしまっている大切な心を、
韓国の烏山市のかたがたから教えていただきました。私はこの研修期間、こちらに住むことで感
じられたと思っています。2,3日の研修では見えなかった大切なものである。そして、それを 김
기태님(キム ギテさん)へ伝えました。
김 기태님(キム ギテさん) が、仕事で日本へ行ったときに、夜9時頃タクシーで田舎の道を走っ
ていると、自動車も人もいない交差点の赤信号で、タクシーが止まったそうです。韓国なら赤で
も止まらない人が多いから驚いたと言っていました。人がいないところでも交通法規を守る。法
律を守ることの大切さを学んだと。韓国に帰って、その話をしたときに、法律を守らない人が多
いから韓国が侵略されたんだと言ったそうです。心を学べと。
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研修レポート
国や言葉が違っても、人として通じていくものがある。お互いに良いところを学びあい、進歩
していくことが大切である。年寄りは考えが変わらない人もいるが、韓国の若い人は違うと。
김 기태님(キム ギテさん)と話して感じたのは、韓国の方々が、未来に向かって広い心で、たくさ
んの努力(悲しみに耐える努力、日本人を許す努力、)をしてくれていると言うことです。あくまで
も 김 기태님(キム ギテさん)の個人としての意見だったとしても、少なくても一人はそう考えてく
ださる方がいらっしゃる。
私もこの研修期間中、時々感じることがある。それは、烏山市にいるのに、日本にいるような
錯覚。食事や細かいところは違っても、言葉が違うだけでこんなに同じところがいっぱいある国
は他に無いのではないか?
受けるやさしさやご恩は、言葉が違ってもわかります。だからこそ、今始まったばかりの職員
相互派遣研修から徐々に、市民に伝え、今まで見えなかった韓国の烏山市の人の心と文化を知り、
そして理解し、これからの両市の友好関係を築いていくことが大切なんだと思います。そのため
に私が出来る全てをかけて取り組んでいきます。お話を伺えて本当に良かったです。たくさんの
日本人に聞かせたいと思いました。
老人会組織図から抜粋
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研修日及び研修項目
2005年12月9日(金)
財団法人
自治体国際化協会 Seoul 事務所(CLAIR Seoul)主催研修及び韓国在住地方公務員等連
絡協議会に参加
研修実績
ソウル市内を流れる「清渓川(チョンゲチョン)」の復元事業について
研修内容
○当初予定にはなかったが、自治行政課のヤン係長さんの計らいで、ソウル特別市の鍾路区鍾路
1街1番地にある教保ビルまで地下鉄を乗り継ぎ、財団法人
自治体国際化協会 Seoul 事務所
(CLAIR Seoul)が主催する研修及び韓国在住地方公務員等連絡協議会に参加(神奈川県から京畿
道庁へ派遣されている「中川
慶太」さんの紹介)。会場で配られた名簿には、日本から韓国に派
遣されている公務員37名の名前が記載されていた。
ホームにも扉があり安全
障害者用リフト完備
シンギル駅で乗り換え
CLAIR ソウル事務所入口
教保ビル前
所長さん
金講師(左)・司会森川さん(右) パワーポイントで解説
○研修内容は、ソウル市内を流れる「清渓川(チョンゲチョン)」の復元事業についてでした。講師は、
復元事業に携わったソウル特別市の職員である金
敬吾さん。復元以前の「清渓川(チョンゲチョン)」
は、日本帝国軍占領時代にその河川周辺に都市貧民が集まりだし、河川汚染、洪水により人命や
財産被害が毎年続いた。大韓民国として独立後、被害を食い止める意味も含め、「清渓川(チョンゲチ
ョン)を覆蓋。その上に4車線の高架道路を建設。
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○復元事業の当初は高速道路の老朽化による補修事業からスタート。その後、2002年のソウ
ル市長選で、
「清渓川(チョンゲチョン)」復元を公約にした市長候補者が当選。その時、補修設計の96%
が完了していたが政策変更により頓挫、公約実現のため復元事業が実行された。
○復元の必要性として環境・文化・経済的な「生活の質」の向上
・ 自然と人間が中心になる環境型都市空間を作り出す
(車の交通中心から人を中心に・・・例)ソウル市庁舎前に広場を作った。また CLAIR Seoul
がある教保ビルの前の 4 車線道路には 30 年間横断歩道がなかったことなど)
ふくがい
・ 清渓(チョンゲ)高架や覆蓋道路の安全問題を根本的に解決する
・ 600年の古都、ソウルの歴史性や文化性を回復する
(1988 年のソウルオリンピックや 2002 ワールドカップで世界的な都市となったソウルに歴史
性や文化性での魅力を取り戻すことで、観光面等での付加価値を高める)
・ 将来的な長期周辺開発により、江南・江北の均衡ある発展を図る
ハンガン
(漢江の北と南では格差が大きい。例)APTの値段の比較=江南 10 億¥ に対し江北 2,3 億¥ )
○都心部の工事であることから、事業期間を最小限に抑え、復元事業を遅滞なく完了させるため、
「清渓川(チョンゲチョン)」の周辺で営業する商店、露天商との折衝に重点的に取り組む(それまでは
国家事業などでも周辺住民との間で利害関係が一致せず、事業が頓挫することもしばしばあった
ため)。具体的には、事前調査を約6万の店舗で実施。商人に対して各職員チームが区域を分け、
1年間に約 4,200 回の訪問・説得を続けた。そしてその際、商人の身になって話し合い、午後 9
時、午前 2 時、午前 5 時、午後 2 時など営業時間に訪ねて「商人の代弁者」として認めてもらえ
るまで対話を重ねたとのこと。その他にも高速道路撤去後の交通対策や、周辺対策の徹底とこれ
からの都市計画の進め方がとても参考になった。時間の関係で、現場を歩くことは出来なかった
が、バスの車窓から見た眺めは、とても美しく、22ある橋全てのデザインが違うことも目を楽
しませてくれる。そして、増水を想定した許容量の増加のために2m深く掘り下げたことや、景
観を大切にするため、河川沿いの建物を 河川から離して建設するように基準を設け、 長期的な
視野で復元したことが伺える。そして市民の理解を得る努力の一つとして、「清渓川(チョンゲチョン)
文化館」は無料で見学でき、その歴史的経緯が目で見えるようになっている。
「清渓川(チョンゲチョン)文化館」にて
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高架道路があったことを伝えるために橋脚が残されている
都市貧民が生活している様子
覆蓋工事の様子
覆蓋後
高架道路があった頃
○懇親会へ。初めてということもあり、全員とは話す時間がなかったが、所長さんの前に座った
おかげで、烏山市と日高市が行った少年サッカー交流の記事を、(CLAIR Seoul)のホームページ
に掲載していただく約束をした。少しでも多くの方々に両市が交流している事実を知ってもらい
たいので、研修に参加した甲斐があった。
○他の派遣職員は、6 ヶ月から 2 年間と様々で、1 年間の交流が多いようである。言葉が分からず
に韓国に来たかたは、仕事をするよりも言葉を学ぶために学校へ行っていると言っていた。やは
り来る前に勉強して来ないと仕事をすることは難しい
○ゆっくりしていたら、烏山市までの終電車がなくなり、一つ手前の병점(ビョンジョム)駅から
タクシーで烏山市庁舎へ。APTまでの説明が出来なかったので、烏山市庁舎までにした。韓国
のタクシー料金は本当に安く、深夜にも拘らず 10,000¥ で帰ってくることが出来た。
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研修日及び研修項目
2005年12月12日(日)∼20日(火)
自治行政課
研修報告書作成
研修実績
10 月 3 日からの研修期間に書き留めた全日程の研修日誌を作成。
○毎日メモしておいたものを見返すと、その瞬間が昔のような今のような不思議な感じで思い出
され、メモをどんどん膨らましてくれ、なかなか前に進まない。全てが事実であり、感じたこと
なので、ひととおり記載したいので、読んだ人にはつまらないものになってしまうかもしれない
が、頭と心の中には、たくさんの歓迎をいただいた記憶と、感謝の気持ち、そして決意が詰まっ
ている。もし心の中を全部見せることが出来たなら、あっという間に終わってしまうのに。これ
から 1 週間、出勤から退勤まで、自分の中で楽しいが苦しみながらの報告書作成になる。
○20日の昼食に、わざわざ時間を作っていただき、李副市長さん、姜自治行政局長さん、李地
域開発局長さん、そして、研修でお世話になった文化公報担当官室の權課長さん、社会福祉課の
ジョン課長さん、企画監査担当官室の李課長さん、議会事務課長のペ課長さん、税務課長のソ課長
さん、副市長さんの秘書のユ
ボクヒョンさんと、そして自治行政課の梁係長さん、カン係長さ
んと一緒に食事をしていただきました。烏山市の印象に残ったことを3つ挙げなさいと權(グウォン)
課長さんに振っていただいたのですが、とっさに出てきたのは、烏山市の方が親切なのが1点、
道路が広いのが2点、そして都市計画が先進的だという点が3点でした。本当は、青少年教育に
ついても、充実していると言いたかったのですが、緊張とあせりで出て来ませんでした。日高市
に勤務していた時も、なかなか市長さんや助役さんと食事をする機会が無いので、ましてや尊敬
する副市長さん、局長さん、課長さんたちの前で緊張が頂点に達し、汗が止まりませんでした。
でも、このような機会を作っていただけたことに、副市長さんのお心遣いが胸にしみました。本
当にありがとうございました。必ずまたお会いしたいです。
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研修日及び研修項目
2005年12月21日(水)
自治行政課
関係課室等への挨拶及び帰国準備
午前中はお世話になった課に挨拶。
研修日及び研修項目
2005年12月22日(木)
自治行政課
関係課室等への挨拶及び帰国準備
いよいよ帰国。朝、イ ワンギュ係長さん、オ ホテクさんと運転手さんにハイブリッドカーで
迎えに来ていただき、81日間過ごしたAPTとお別れをしました。
ハイブリッドカーの公用車「ヒュンダイ ベルナ」
いろんなところに行けました。感謝 !!
5団地502棟804号室
そして市庁舎へ。たくさんのかたが自治行政課に来てくださり、お世話になった職員の方々の
顔を見るだけで涙が出てきました。
コ ヨンジェさん
ノー デュヤンさん
イー ワンギュさん・キム ヒョナさん
イー ワンギュさん・イー ミンウさん
パク スンチョルさん
イム ミョンヒさん
イー ヘジョンさん・コ ヨンジェさん イム ヒョンジュさん・シン ギョンファさん
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キム ガンヒョンさん
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李副市長さんをはじめ、お世話になった姜自治行政局長さん、李地域開発局長さんにご挨拶。
李副市長さんと
自治行政課 安課長さん、ヤン係長さんと
そして、玄関前で写真を撮っていただいたとき、權(グウォン)課長さんから、男は生まれた時、結
婚した時、親が死んだ時の3回しか泣いてはいけないと教えていただきました。私は男ですが、
涙もろいため守れませんでした。
社会福祉課 イー係長さん・女性会館イー館長さん・キム係長さん キム ヒョンヒさん・モ チョンウさん
イー係長さん・イー ジェグさん・ホン ジェヒさん
自治行政課 シン ソンギョさんと
キム ジフェさん
イム ヒョンジュさん
イー ミンジョンさん
キム ヒョナさん
イー ヘジョンさん
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シン ギョンファさん
イー ヘジンさん・キム ヨンテクさん
秘書課のお二人( お名前を伺えませんでした)
キム ギョンマンさん
アン ミョンソブさん
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滞在中の 12 月に雪が 2 度降りました。
イー
係長さん
イー ミンウさん
いつも声を掛けてくださった農協のチェ ウンソンさん
写真を撮れなかった、たくさんのかたがたに心から感謝しています。
自治行政課のみなさんに玄関で見送られながら、またお会いすることを約束し、仁川空港へ。
来た時と同じで、ヤン係長さんとオ ホテクさんが最後まで見送ってくださいました。必ずまた
お会いすることを約束し、日本へ。
機内では烏山市のかたがたにいただいた真心を思い出し、ほんとうに一生かけて少しずつでも
お返ししていきたいと思いました。そしてこれからも友好関係が続くような架け橋になりたいと
心に誓いました。
成田空港では、天野課長さん、中山課長さん、新主幹さん、駒野主査さんが出迎えてください
ました。シム係長さんとはお会いすることが出来ませんでしたが、これからの交流で是非お会い
したいと思いました。
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