1 感動と発見の学習 キングの“I HVE A DREAM” 岩井志ず子 はじめに

感動と発見の学習
キングの“I HVE A DREAM”
岩井志ず子
はじめに
Martin Luther King Jr.の 演説“I HVE A DREAM”に関して忘れられないのは、ず
い分昔になりますが、岐阜の研究会への新幹線車中で寺島先生のテキストに書き込みを
しながら全体を訳した時です。それ以前にもこの演説に接することはあったのですが、
これほど感動を覚えたのははじめてでした。テキストのヒントを見ながら揺れる車内で
立ち止まり訳を書き込んで行くにしたがってぐいぐいとひきこまれいつのまにか岐阜に
着きハッとして下車しました。テキストの写真、資料なども読みを深めてくれたのだと
思います。以来このテキストはキング演説を行うときにはなくてはならないものになり
ました。
キング演説は在職中にも扱ってきましたが、いつもあの有名な I have a dream that…..
の部分だけであり、また内容でも音声でもじっくり読むことが出来ずにいました。今回
やっと成人対象の英語教室で演説の全体を生徒さんたちと一緒に学び、感動を分かち合
うことができました。
この演説の実践報告はたくさんありますが、今回の実践の拠り所となったのは以下の
寺島先生の著書とその中に紹介されているビデオや本です。はじめにそれらを紹介して
おきます。(本文中の引用のため番号をつけておきます)
①寺島
隆吉(1989)『I HAVE A DREAM
②寺島
隆吉(1996)『キングで広がる英語の世界』あすなろ社
③寺島
隆吉(1997)『キングで学ぶ英語のリズム』あすなろ社
④寺島
隆吉(2000)『国際理解の歩き方』あすなろ社
Reading Marathon Series』
⑤寺島美紀子(1999)
『I HAVE A DREAM Independent Call のための Sense
Grouping の方法とその実際』
1.15 回、8ヶ月をかけて
わたしの英語教室は月 2 回で一回が 2 時間です。キングのスピーチにはどのくらい時
間がかかるか予想できませんでしたが、結果として15回で8ヶ月を要しました。
第一回
キングのスピーチを聞く
資料を読む:「キング牧師の軌跡とその意義」(寺島著書①の巻末資料)
本の紹介:『キング牧師』(岩波ジュニア新書、1993)
『キング牧師とマルコム X』(講談社現代新書、1994)
『アメリカ黒人の歴史』本田創造(岩波新書、1964)
『 報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』堤
1
未果(海鳴社)
ビデオの紹介:『立ち上がる黒人たち』
『キング牧師の遺産 いまアメリカの黒人は』1988 年イギリス
『苦悩するアメリカ』NHKスペシャル
“人種問題あらたに”60 分
“親の代より豊かになれない”60 分
『We Shall Overcome』40 分
第2回
資料を読む:「合わせ読み」について(寺島著書③から大学生のレポート)
演説本文のリズム読み開始
記号づけプリントで和訳の開始
第3回
~第 10 回
の計 8 回
リズム読み、記号づけプリントによる和訳
第 11 回 スピーチ全体を聞き、息つぎの部分にスラッシュを入れる(合わせ読みの準
備)
第 12 回と第 13 回
スピーチをスラッシュの区切りで読む練習(合わせ読みの準備)
反復部分にマーカーで線を引く
対比を見つける
寺島著書②の構造分けに従って各部の大意をつかむ
合わせ読みの練習
課題
各自自分の選んだ部分の合わせ読みができるようにしてくる
好きな段落を暗唱してくる
第 14 回
合わせ読み発表
(合格者なし)
暗唱発表(2 名)
新しい歌
第 15 回
合わせ読み発表
ドナドナ
暗唱部分の披露
感想文の提出
2.呼吸を
呼吸を深くしてリズム
くしてリズム読
リズム読み、訳してみて喩
してみて喩えのうまさや中味
えのうまさや中味の
中味の深さにためいき
リズム読み、記号づけ和訳プリントは寺島著書①⑤を使わせていただきました。15 回
のうち8回がリズム読みと和訳という作業です。全体で 188 行くらいですから 1 回で 24
行くらいになります。正味 1 時間 30 分の授業で行なう量としては少ないかもしれませ
んが、単語も英文も難しく、内容も高度ですから、これくらいが精一杯であり、適量で
もあったと思います。
リズム読みは、個々の単語の長さ、ところどころの文の長さなどこれまでより難しく、
皆最初はなかなか口がまわらないでもどかしい思いをしていました。呼吸の仕方も、浅
く短い呼吸では英文の区切りまで一気に読み切れず遅れてしまいます。
「息つぎまでもう
2
ちょっとがんばってこらえて」とかけ声をかけることもありました。
和訳については丁寧なヒントのおかげで難しい英文も訳しただけで意味がわからない
ということはなく、また内容を理解してゆくに従ってそのすばらしさに引きつけられて
ゆきました。難しい言葉といえば”Creative suffering”(創造的受難)という言葉が印象的
でした。これはテキストの説明でも十分に理解しきれないままに読み進みましたが、全
体を読み終わってから、黒人活動家がそれまで堪え忍んできた屈辱や苦難は今後のたた
かいを進める力となる意義のあるものだ、決して無駄な苦難ではない、という意味で創
造的と言っているのかと私たち流に納得しました。
またキング牧師の喩えのうまさ、憲法や独立宣言の言葉を「約束手形」”promissory
note”、漸進主義を「精神安定剤」”tranquility”、暴力行為を「恨みと嫌悪の杯を飲
む」”drinking from the cup of bitterness and hatred”など多くの的確なたとえの表現に
たびたび一同うーんと感心したものです。
各ページに掲載されている写真からその英文の内容も深まります。レストランでケチ
ャップやソースを頭からかけられているランチ・カウンター事件の写真、白いとんがり
頭巾の気味悪いkkk団の写真、先端に剣の付いた銃列の前を行進しているデモの人々、
デモ参加者に犬をけしかけている写真などひとつひとつが背景説明として格好の材料で
す。それらはまた生徒たちがあらかじめ回覧で視聴したビデオや本の内容と相俟って話
題も深まります。
こんな風に8回にわたって毎回リズム読みと和訳という同じパターンの授業でしたが、
生徒たちは飽きるどころかかえってますます興味と関心を深めていきました。英語の力
においては生徒間に力の差はありますが、この方法ではそうした差は何ら問題にはなら
ないし、内容がみなをぐいぐい引きつけていっているのを感じました。
3.マーカーの
マーカーの色が変わると
わると次の柱が見えてくる―――
えてくる―――反復
―――反復しらべ
反復しらべ
全体を訳し終えたところで全文がなるべく一目で見られるように全文を2枚のプリン
トにして配布し、生徒たちには何本かカラーのマーカーを用意してもらいます。そして
同じ表現の英文や多少表現はちがっても同じことを言っている英文に同じ色のマーカー
でしるしをつけてゆきます。
主な反復の英文をあげてみます。
①one hundred years later
4 ヶ所
②we’ve come here, we’ve come to など 4 ヶ所
③check 又は promissory note など 8 ヶ所
④insufficient funds, bankrupt など 3 ヶ所
⑤we refuse to believe など 2 ヶ所
⑥Now is the time, fierce urgency 7 ヶ所
⑦Cooling of, tranquilizing drug, rest など4ヶ所
3
⑧We must forever conduct our struggle…we must rise….we must pledge….3 ヶ所
⑨Let us not seek to satisfy…, We must not allow…..The marvelous new militancy
must not….4 ヶ所
⑩Physical violence (force) 2 ヶ所
⑪We can never be satisfied as long as…….6 ヶ所
⑫Some of you have come here…..3 ヶ所
⑬Unearned suffering, creative suffering, Narrow jail cell, storm of persecution,
wind of police brutality……など 5 ヶ所.
⑭Go back to…..5 ヶ所
⑮I have a dream….9 ヶ所
⑯With this faith, we will be able to…など 7 ヶ所
⑰This will be the day……2 ヶ所
⑱Let freedom ring……10 ヶ所
⑲When this happen,…we will be able to…など 4 ヶ所
⑳Free at last 3 ヶ所
英文につけられた色が違い始めると内容が次の柱に移ったのだということがはっきり
します。マーカーで色分けした反復の英文は
上の①から⑳になり、それをつなげてゆ
くとキング牧師の演説の骨子になります。つまり上にあげた 20 個の文がキー・センテン
スのようになって演説の全体がくっきりと見渡せるのです。これは生徒にもわかりやす
かったようで生徒の石川さんも感想文の最初に演説全体のまとめを「自分なりに」と簡
潔に書いています。
また寺島著作②では著者が綿密な調査研究にもとづいて構造分けを行っていますが、
その構造分けもこの反復しらべで一層明確になりました。
4.拍手や
拍手や笑い、共感の
共感の叫びを呼
びを呼びおこす秘密
おこす秘密は
秘密は?
―――対比
―――対比や
対比や比喩、
比喩、applause 部分で
部分で演説を
演説を味わう
前にも述べましたがキング演説は”promissory note”(約束手形)のように的確でわか
りやすい比喩ばかりでなく、”a joyous daybreak”(喜ばしい曙) と “the long night of
their captivity”(束縛の長かった夜)、 “a lonely island of poverty”(貧困の孤島) と”a
vast ocean of material prosperity” (物質的繁栄の広大な海原)など詩的な表現に満ち
ていて圧倒されます。
また、テープからはたびたび熱狂的な拍手や同感の叫びが聞こえてきますが、字面で
見るとこんなに難しい表現を皆が理解して共感していることに驚きます。教会の説教な
どで聴衆にとっては馴染みの深い表現や言葉が多いのかもしれません。私たちは拍手や
笑いの起こっている箇所 22 カ所について、何故そこに拍手が起こっているのかについて
4
も調べてみました。
繰り返しの効果、幾度か同じ言葉を繰り返して段々高まってゆくところ
One hundred years later(100 年後の今日)5 度目で拍手
Now is the time(今がその時だ)4 回目と 5 回目に拍手
We can never be satisfied as long as(~である限り我々は満足しない)2 回
目 3 回目 4 回目 5 回目に拍手
I have a dream today(私はきょう夢見ているのです)2 回目 6 回目 8 回目
に拍手
With this faith, we will be able to (これを信じてこそ我々は・・・出来る
でしょう)3 回目に拍手
Let freedom ring(自由の鐘をならそう)7回目と 8 回目に yeah の声
free at last(ついに自由になったのだ)3 回目に拍手
比喩の的確さ、面白さ
insufficient funds(不渡り手形)bankrupt(破産)
同感
gradualism(漸進主義)
their destiny is tied up our destiny(彼ら白人の運命も我々の運命と固く結
びついている)
比喩のすばらしさと同感
let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of
bitterness and hatred (自由への渇望をみたすに、恨みと憎しみの杯を飲
み干すことを持ってしてはなりません)
自分達の実感、その上韻をふんでいる
our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the
motels of the highway and the hotels of the cities(旅の疲れでぐったりして
いてもハイウェイのモーテルやホテルで休めることができない)
こうしてみると改めてこの演説が何故このように感動を与えるのかその秘密の一端を
知ったような思いです。そしてこれを知るとほかの英語のスピーチに同様の手法が使わ
れているのを発見して、
「あら!これキングの演説みたい」と叫んでいたりします。キン
グが最初なのか、キングがそれまでの演説を研究してこのような手法を使ったのかはわ
かりませんが。たとえばマイケル・ムーアが映画 Sicko についてカリフォルニアの 1000
人の看護士たちにスピーチをしたことが Democracy Now に紹介されていました。
I am honored to be here today, to be able to join with us in a very
important movement. (中略)
There is no room for the concept of profit when it comes to taking care of
people when they’re sick. That question of how will this affect our bottom
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line? How will this affect our profit? That is an immoral question and it
should never be asked![cheering]. There’s no room for compromise here.
There’s no room for the health insurance company in an emergency room.
There’s no room for a health insurance company in a hospital room. There’s
no room for them in the executive headquarters of their own companies,
because I believe that we have to eliminate the private health insurance
companies from our health care system. We have to get rid of ‘em once and for
all. It is time for them to go. It is time for them to go! It is time for them to go!
今盛んに報道されているアメリカ大統領選予備選挙の民主党候補のひとりもこうした
手法を使い、大衆に受けているということをテレビでも言っていました。
それはともかく私たちは対比や比喩、拍手喝采の部分を検討しながらキング演説をた
っぷり味わうことが出来ました。
5.口もまわるようになって合
もまわるようになって合わせ読
わせ読みへ
合わせ読みは最後までを全員で何度か練習したあと、最初の 8’段落までを一人ひとり
が発表し、それを録音することにしました。録音には一方でキング演説を音を小さくし
て流しながら口元近くに録音機をおいて録音しました。
既にリズム読みで何回も練習しているので長い単語や早くなる部分もどうにかついて
ゆくことができるようになり、口がまわらなくてもどかしい思いをしたところもだんだ
ん慣れてきました。終わってみるとテープの英語に併せて読み始め、同時に終わるとい
う合わせ読みは考えていたほど難しくなかったかなとも思いましたが、何万もの人々を
前にした力強い熱狂的なスピーチを静かな部屋の中で少人数の前で言うのですからどう
しても朗読調になってしまい、違和感がないとはいえません。
合わせ読みのほかに各自自分の好きな段落を暗唱することにしました。第 15 段落が一
人、第 38 段落が一人、第 29 段落が一人でした。第 38 段落をえらんだ倉木さんはこの
部分がイザヤ書第 40 の中にあると言ってそれの入ったメサイヤ(ヘンデル)のCDを持
ってきてくれました。暗唱部分の発表は一段落だけにしましたが、石川さんは何度も読
んだり聞いたりしている内に最初の部分を暗記してしまったと言っていました。
私自身はこの授業を始める前と終わった後で好きな部分が変わってきました。以前は
有名な I have a dream that….が気に入っていましたが、いまではそれ以前の1段落か
ら27段落までの緻密に計算された構成とその肉付けの表現がすごいなと感嘆します。
6.「知
「知る楽しさを学
しさを学んでいます」
んでいます」
このキングのスピーチを勉強して私の英語教室は一段グレードアップしたような気が
しています。生徒たちも「ほんとに英語を勉強してるって感じ」と毎回充実感を味わっ
ているようでした。又英語を通して様々なことを学んだ生徒は「知る楽しさを学んでい
6
ます」と感想に書いています。まさに「キングで広がる英語の世界」です。最後に二人
の生徒の感想文を紹介しておきます。
I HAVE A DREAM を勉強して
松山
百合
私はまず最初に印象的に思ったことは、彼の亡くなった日と年齢についてです。彼の
亡くなった日は 1968 年 4 月 4 日で 39 才だったそうですが、私は 1968 年の 4 月生まれ
でこの勉強を始めた年齢が 39 才でした。ただの偶然だとは思いますが何かとても身近に
感じました。
それから彼の演説の内容がものすごく比喩が多いことにも驚きました。多分当時の黒
人はあまり学校などにも行かせてもらえなかったのではないでしょうか。そのようなひ
とびとに難しいことを言ってもわからないので、あえて同じ内容をいろいろな表現方法
を使って理解してもらおうとしたのだと私は思うのですがいかかがでしょうか。
黒人の人々の自尊心をとりもどし、自分の土地で自立して頑張っていこうという呼び
かけはとても大事なことだと思います。誰かを共通の敵にすれば人々は結束しやすいで
すがそのような卑怯な手を使わずに本当の幸福を見据えた視点からの演説は勉強してい
てとても有意義な内容でした。
最後に I have a dream の CD を何回も聞いていたらアメリカ人の英語を聞く力が少
しついてきたような気がします。なぜなら英語のニュースが時々聞き取れるようになっ
たからです。早い速度の英語ももっと聞き取れるようにがんばっていきたいです。
「私には夢がある」を読んで考えたこと
石川
弘子
1) キング牧師のメッセージ
私はかってマーチン・ルーサー・キングという人物がおり、彼が公民権運動に尽くした人であ
るということぐらいは知っていた。しかし、特別深い興味を抱いていた訳でもなければ、彼につい
て詳しかったという訳でもなく(「I have a dream」 を学ぶにあたって俄か勉強をしはしたけども)、
また他のスピーチを読んだこともなく、スタンダードなスピーチがどういうものかも知らない。そう
いう素人がこのスピーチをどう読んだのかという立場でこの感想文を書きたい。
このスピーチを私なりにまとめてみると、こういうことになろうか。
① 奴隷解放宣言に謳われたにもかかわらず、百年たった現在もまだ解消されない不公正さ
と差別意識の中にいる黒人の現状を説明しながら今日このワシントン広場に集まった意義
を述べる。また今日ここに集まったことは、結果ではなく始まりを意味している。
② しかしその」公平を求める戦いに際し、道を踏み外し恨みによる暴力で解決すべきではな
いし、黒人対白人という構図で捉えることなく、志を同じくする白人とも共に自由を求めて
7
歩むべきである。真の公正さと正義が全うされるまで歩み続けよう。
③ 例え長く苦しい受難の歴史があろうとも、必ずや是正されることを信じて進んで行こう。
④ 黒人が肌の色で差別されず兄弟愛のもとに共に手をとりあう日のことを夢見て、全ての人
は平等であるということが実現されることを信じて
⑤ それぞれの土地へ立ち帰り、共に働き、祈り、闘おう。そして自由の鐘を鳴り響かせよう。
近い将来、全ての人が手を取り合って生きる社会を実現させよう。
これは五十年以上も前にスピーチされたのであるが、現代の日本に住む私が読んでも深い
感銘を与える。それは何故だろうか。一読してみて、このスピーチを格調の高いものにしている
のは、彼の非暴力の思想ではないだろうか。例えば次のようなくだりである。
「自由への渇望を満たすに、恨みと嫌悪の杯を飲み干すことを以ってしてはならないー中略
―この創造的抗議行動を物理的暴力行為へと堕落させてはならない」。彼はこの趣旨を繰り返
し強く聴衆に訴えかけている。
2)非暴力は時代遅れか
これも俄か勉強のひとつだったが、「キング牧師の死後三十年を検証する」という内容のドキ
ュメンタリーを見た。彼の死後、彼の目指したものがどれだけ実現したかを問うたものだった。確
かに黒人が様々の分野に進出して要職を得て裕福になる人々も多く出たが、それは黒人社会
の格差が広がった分だけ富のみならず人々の同胞意識すらも大きく乖離してしまった部分も多
いことを報告する内容だった。そういう社会的背景を踏まえた上で、この部分を改めて見てみた
い。
よく災害のあった地域で、黒人の暴動が起き、建物を打ち壊し、商品や家財の盗難が相次ぐ
というニュースを目にすることも多い。それらの人々を映し出すフイルムを見ていると、彼らの表
情の中に、持てるものから多少のものを奪ってなにが悪いという開き直りに似たものを感じる。そ
れはキングの目指したものと相反するものだ。昔のフイルムをみれば、あんなにも整然と公民権
運動が行われ、盛り上がり、支持されていたことは確かなのに・・・・・
人々は待てなくなったのだろうか。十分待った。なのに歩みは鈍く成果は薄いということなのだ
ろうか。それとも教育の機会も与えられることなく、暴力にさらされて大きくなった子供たちがまた
親となり、同じような環境の中で自分と同じような人間を作りだしていく負のスパイラルが生まれ
ているということなのだろうか。アメリカの事情に疎いわたしにはなかなか判断のつかないところ
だが、似たような人々を日本でも多く見かけるようになってきていることも事実である。そしてまた、
キングのもっとも特徴的な非暴力という手法と同様に日本の非核、非武装という主張が非現実
的で絵空事のような幼稚な意見として冷笑的に多く語られることも、またアメリカと歩みを共にし
ているように思われる。これらの非暴力という考え方は、色あせた時代遅れの考えなのだろうか。
ここに毅然として理想を高くかかげて誇り高く屹立する人がいるーとする。近くに寄ってみれば、
彼の立派な振る舞いが見え、落ち着いた語り口も聞こえる。彼を知れば、どんな苦難を乗り越え
た上でここで静かに訴えているのかも理解する。
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しかし、その彼に銃を向ける者には、彼は標的でしかない。遠く機械を操作して彼の立つ広
場に砲弾を撃ち込む者にとっては、それは着弾点でしかない。それは「彼」が見えていないから
だ。彼には優しい新婚の妻がいるかもしれないし、年老いた父や生まれたばかりの子供がいる
かもしれない。そう思いを馳せること、同じ「人」として共感を持つことーそれらが欠けているから
人に暴力を振るい、人を殺すことができるのだと私は思う。
3)このスピーチをどう読んだか
私がこのスピーチの中で秀逸だと思うところは、次のようなところである。彼はこの不公正さが
必ずや是正されることを信じて進もうと呼びかける。それはきちんとまとめられているが、まだモノ
クロの絵のようなものである。そこに彼は次々と具体的に豊かな彩色をしていく。
「ジョージアの赤い丘の上でかっての奴隷の息子たちと奴隷主の息子が、兄弟愛というテー
ブルに一緒になって腰掛ける日。もっとも圧力的で差別のひどいミシシッピー州で自由と公正さ
のオアシスの中で憩うことの出来る日。彼自身の四人の子供たちが皮膚の色でなく、人間の中
身によって評価される国に住む日。悪意に満ちた言葉を標榜する知事をいただくアラバマ州で
黒人の子供たちが兄弟姉妹のように白人の子供たちと手をとりあえる日。全ての人が公平に扱
われて同じ神の子として神の栄光を見る日。そんな日を実現させよう。こんな日が来ることを信じ
て進もう。」と次々と具体的に述べることによって人々に想像を喚起させ、一幅の彩り豊かな絵を
描いてみせるのだ。
この部分を省いてスピーチを読んでみれば、彼の具体的に描いてみせた彩りがどんなにか
豊かなものであるかが分かるだろう。
彼が具体的に語っている箇所をもう一点あげたい。あくまで公正さと正義を希求する黒人た
ちに「もう十分ではないか。何時になったらおまえたちは満足するのだ」と尋ねる声に対して、彼
は黒人が受けている不公正さを、差別を、具体的に描いてみせる。黒人だけが不当で残虐な
警察の仕打ちにあっていること、どんなに疲れていても宿に休むこともできないこと、黒人が住
む場所は制限され、白人のみが優遇され、ミシシッピーの黒人には参政権もなく、例え参政権
があるニューヨークですら黒人の権利のために働いてくれる政党も候補者もない。そんな黒人
の置かれている現状を描いてみせる。
黒人にとってはそうだ、そのとおりだとの声を代弁し、状況を知らぬ者にとってはそ
うか、そうだったのかと認識させる力。これこそが時代を超えて、スピーチを聞く者も
読む者をも同じ地平の上に立たせ、同じ視点を持たせるのだ。そして同じ視点に立って、
相手に思いを馳せる力が、結果的に非暴力になるのではないか。そのささやかな個人に
委ねられている小さいけれども強い力こそが、五十年前の公民権運動のみならず現代の
お互いの差異にばかり目をむけ、角を突き合わせて争いを生んでいる社会の問題を解決
する力になりうるものだと思う。そしてキングが結びの言葉とした「神の子すべてが、
黒人も白人もユダヤ人であろうがなかろうが、新教徒も旧教徒も手をとりあって」、自由
の歌を歌うという日が実現される近道なのだということを示しているように思われる。
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