47号(PDF:437KB)

つながる
人権便り
◆
Since 2013
第 47 号
2014.7.1
三田市立長坂中学校
人権教育委員会
I have a dream.“私には夢がある”
今日は 7 月 1 日。今から 56 年前、三田町と三輪町が合併して三田市が成立した日だ。長坂の
周辺は、このときはまだ三田市に編入される前で本庄村や広野村と言われていたらしい・・・。
さて明日は 7 月 2 日。今からちょうど 50 年前の 1964 年 7 月 2 日、アメリカ合衆国で「公民権
法」という法律ができた日だ。
「公民権法」とは「人種や宗教、性、出身国による差別を禁止」す
る法律。なぜそのような法律が必要だったのか・・・?
アメリカ合衆国といえば「自由」「平等」を国是に掲げ、民主主義国
家の代表のような国だが・・・、50 年前まで「自由」と「平等」がすべて
のアメリカ国民に保障されていたわけではない。ヨーロッパからの移民
として渡ってきた白人が住民の多数を占め、アフリカ大陸から白人に奉
仕する奴隷として強制的に連れてこられた黒人をはじめとした有色人種
に対する差別が、この頃「合法」とされていた。たとえば、当時のアメ
リカでは学校やトイレ、プールなどの公共施設、バスなどの公共交通等
においては白人と非白人は異なる施設を使うことが容認されていた。そ
キング牧師
んな理不尽な差別を解消するため黒人をはじめ、良識をもった白人たち (マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)
も含めてたくさんの人々が社会運動をはじめた。その結果、成立したのがこの「公民権法」とい
う法律。さてこの運動に尽力した一人に“キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)”
がいる。
キング牧師は 1929 年、ジョージア州アトランタで牧師の
息子として生まれる。幼少の頃、隣に白人の家族が住んでお
りその家族の同年男子 2 人と遊んでいたが、キングが 6 歳の
とき、白人家庭の母親が「黒人とは 2 度と遊ばせない」と宣
言した。これがキングにとって人生で初めての差別体験だっ
た。その後さまざまな差別を経験する。高校時代には討論大
会で優勝した帰り道にバスの中で、白
「有色人種専用待合室(COLORED WAITING
人から席を譲れと強制された。ボスト
ROOM)
」と書かれたバス停の看板
ン大学に在学中に飲食店に入った際、
キングが黒人という理由で、白人の店員が注文を取りに来なかった。おな
じころ、アメリカ国内では黒人に対してさまざまな不当な扱いが頻発して
いた。黒人と白人の結婚を違法とする州や黒人の投票権を制限する州があ
った。また白人による黒人のリンチ事件や黒人が経営する商店への放火、
警察による黒人の不当逮捕や裁判所によるえん罪判決などなど。そんな中
1955 年アラバマ州のモントゴメリーで黒人女性のローザ・パークスが公営
ローザ・パークス
バスの「白人座席」に座ったことに対して、白人運転手
が白人客に席を譲るよう命じたが、パークスがこれを拒
否したため、警察官に逮捕され投獄されるという事件が
起こった。この事件に抗議してキング牧師は 1 年間にわ
たるバスボイコット運動を呼びかける。多くの黒人や有
色人種をはじめ、白人までもが共感して運動に加わった。
この運動は全米に大きな反響を呼び、反人種差別運動が
高まった。この運動はアメリカ合衆国市民(公民)とし
て法律上平等な地位を獲得することを目的にしていたの
ワシントン大行進
“I have a dream”
の演説をするキング
で「公民権運動」と呼ばれるようになった。
キングの提唱した運動の特徴は「非暴力主義」だ。インド独立の父マハトマ・ガンジーに啓発さ
れ、自身の牧師としての素養も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫いた。一方、黒人を差別する
白人たちは暴力で黒人たちを抑圧しようとした。たとえばアラバマ州バーミンガムで公民権運動
をすすめる丸腰の黒人青年に対し、白人たちは警察犬をけしかけ襲わせたり、警棒で滅多うちに
したりした。キングも抗議デモに参加したことで逮捕され、投獄された。それらの映像が映し出
されると、世論は「どちらが正義か」を冷静に見極めるようになった。
1963 年 8 月 28 日。公民権運動が最高の上げ潮を迎える。同日、キングを先頭にあの有名なワ
シントン大行進が行われ、キングはリンカーン記念堂の前で「I have a dream」の名文句を含む
歴史的な演説を行った。
“I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the
sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.”
「私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつて
の奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。」
“I have a dream that one day thise nation will rise up and live out the true meaning of its
creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
「私には夢がある、つまりいつの日か、この国が立ち上がり、
『我々はすべての人々は平等に作ら
れている事を、自明の真理と信じる』というこの国の信条を真の意味で実現させることだ。」
”I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not
be judged by the color of their skin but by the content of their character.”
「私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か肌の色ではなく人格そのものによっ
て評価される国に住めるようになるという夢です。」
”one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands
with little white boys and white girls as sisters and brothers.”
「将来いつの日か、幼い黒人の少年少女たちが、幼い白人の少年少女たちと兄弟姉妹として手に
手を取ることができるようになるという夢です。」・・・・・・
キングをリーダーに行われた地道で積極的な公民権運動の結果、
ついに 1964 年の 7 月 2 日、ジョンソン大統領が公民権法に署名し、
同法が制定された。これによりアメリカ建国以来、200 年近く続い
た「法の上における人種差別」は終わりを告げることになった。
キングは「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための
非暴力抵抗運動」の多大な貢献が評価され 1964 年度のノーベル平
和賞に輝く。
ホワイトハウスで公民権法施行の
文書に署名するジョンソン大統領
残念ながら 1968 年 4 月 4 日、キングはテネシー州メンフィスで遊説活動中に暗殺される。し
かし彼が残した「自由」
「平等」や「差別撤廃」の精神は、その後のアメリカで生き続けることに
なる。今まで少数派であったインディアン、ヒスパニック、アジア系や中東系アメリカ人の地位
向上への動きも始まった。
その後・・・・・・。
レーガン大統領はキングの栄誉を称え、1986 年に彼
の誕生日(1 月 15 日)に近い毎年 1 月の第 3 月曜日を
「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア・デー」と
して国の祝日に指定した。
そしてなによりも、キングの死から 40 年後、アメリ
オバマ大統領夫妻
カ人とケニア人の混血であるバクラ・オバマ大統領が就
任した。ミッシェル・オバマ夫人は黒人奴隷の子孫であるため、アフリ
カ系アメリカ人初の大統領とファーストレディーが同時に誕生したのだ。
キングが”I have a dream”で言った「かつての奴隷の子孫たちとかつ
ての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができると
いう夢」
「いつの日か肌の色ではなく人格そのものによって評価される国
に住めるようになるという夢」は実現したのだ・・・。私たちも声を大にして言おう。「私たちにも
夢がある。世界で差別が完全になくなる日が必ず来ることを!」 一人一人がそう念じて行動し
ていこう。そして差別を私たちの手で無くしていこう。