校長室だより No.5 平成 27 年 5 月 15 日(金)発行者 定井則 久 東大阪市立池島中学校 頑張ってます 池中生 TEL:072-987-6320 〒579-8064 : 東大阪市池島町 3-10-1 ラグビー部は現在、人数が少なく、意岐部中、孔舎衙中と一 緒に合同チームとして活躍しています。 その3校で 4 月 29 日(水)にニュージーランド代表、サモ ア代表として活躍されたティモ・タガロアさんにラグビーを 教えていただきました。ティモさんはとても体が大きく、迫 力のある方でしたが、指導はとても楽しく、2 時間があっと いう間に過ぎていきました。試合にずっとレギュラーとして 出ている 2 年生 4 名(2-1 敲森・宮本、2-3 松下・山本) にとって、ラグビープレイヤーとして、より大きく成長する きっかけになれば嬉しいなと感じました。 (川﨑健一) 第 40 回中河内地区中学校春季ソフトボール大会報告 4 月 29 日(水) 結果: 池島中 8-4 成法中 中河内 第 3 位 1 年生が入部し、9 人がそろい、単独チームとして出場することができまし た。 初戦は玉手中学校、秋の中河内大会で準優勝しているチームです。終盤に得点 を重ねられ、1-6で敗れました。しかし、敗者復活戦で勝つことで、順位を 上げていくことができました。敗者復活戦では、 1 回戦 池島中 10-2 大正中(5 回コールド) 2 回戦 池島中 9-1 柏田中(5 回コールド) 3 回戦 池島中 9-1 龍華中(5 回コールド)と勝ち上がり 3 位決定戦へ進出しました。3 位決定戦の 相手は成法中、春の研修大会で敗れている相手でしたが、終盤に得点を重ね、8-4 で勝利し、3 位入賞を 勝ち取りました。 第 67 回中河内地区中学校春季柔道大会 柔道男子 90 ㎏超級の部 5 月 2 日(土) 優勝 米野匡将(3-2) 本校には柔道部はありませんが、3年生の米野君はずっと柔道をしており、柔 道の大会にも出場しています。団体は出場できませんが、個人男子の部には試合 を申し込めば参加できます。今回、中河内大会に出場し、90kg 超級の部で優勝を 収めました。 米野君は学校が終わるとすぐに大阪城公園内にある修道館クラブ (北 京五輪の金メダリスト石井慧選手が所属している)に行き、厳しい練習を積んで いるそうです。本当におめでとうございます。 3年生 沖縄修学旅行 5月9日(土)~11日(月) 沖縄修学旅行に向け、3年生は平和学習に取り組んできました。日本で地 上戦のあった唯一の場所沖縄でその爪あとの有様を自らの目で確かめ、学習 してきたことを深め、沖縄の豊かな自然に触れ、伊江島の民泊で、沖縄の生 活文化を味わい、体験学習を通して民家の人たちとのふれあいを深めるため の修学旅行でした。 一番よかったのは欠席者なく全員で出発できたことです。 (修学旅行 1 日目) 2日目・3日目は次回に 今年も集合時間はとても早く、6時10分中庭集合完了でした。修学旅行実行委員の田上さんが挨拶をして くれ、出発式が行われました。添乗員さんと写真屋さんの紹介の後、私からは前日の事前指導の時に①健康第 一、元気で出発し、元気で帰ってくること。②第1の目標は平和学習。現地で今まで学習してきたことを肌で 感じ、平和の尊さを確かめてほしいこと。③伊江島の民泊で沖縄の風土、習慣を知り、民家の一員となったつ もりで積極的に活動し、民家の人とふれあってほしいということ。④修学旅 行はたくさんの金額がかかっていて、お家の人が負担してくれているので、 感謝の気持ちで、修学旅行の思い出をお土産にしてほしいこと⑤仲間との団 体生活なのでルールや時間を守り、仲間の良い所を見つけ、修学旅行を成功 させ、次の行事である運動会につなげ、最終的にはみんなで進路に向かえる 力をつけてほしいことなどを話しておいたので、前日の話を思い出してもら うようにしました。さあ出発です!休みの日、しかも早朝にもかかわらず、 他学年の先生方がたくさん見送りに来ていただいていたのは本当にありがた いことです。バスに乗り込み、関西国際空港から飛行機に乗って沖縄那覇空港に向かいました。飛行機に乗る のが始めての人もおり、離陸・着陸の時に声をあげている人も少なくありませんでした。飛行機ではトラブル もなく快適な空の旅でした。那覇空港からバスで平和祈念公園へ向かいながら、バスガイドさんから沖縄の特 色をいろいろ話を聞きました。1日目は平和学習です。まず、平和祈念公園にある『平和の礎[いしじ](沖縄 戦で犠牲になられたすべての方々の名前が刻まれているある石碑群のある場所) 』 で平和セレモニーを平和委員 が中心となって進行し、小学校や幼稚園、中学生 全員が心より平和を願いながら折った折鶴やパネルを奉納しました。その後、平和祈念資料館に入り、長田勝 男さん(87 歳)の沖縄地上戦の体験談を聞き取りました。 (話の内容は下に記します)聞き取りの態度はとて も素晴らしく、長田さん (長田勝男さんの話) 長田さんは学生(沖縄師範学校)の頃に鉄血勤皇隊の中の野戦築城隊として徴兵され、 壕を掘ったり、地雷を撤去したり、死んだ人を運んだり、爆弾を橋にくくりつけて爆 の迫力ある語りに全員聞 き入っていました。 破するなど色んな仕事をさせられたそうです。アメリカ軍ははじめ南部から上陸する ちゃたん よみたん と見せかけ、実際は滑走路を手に入れるため、北谷、読谷から上陸し、南部へ進撃を 始めました。日本軍の作戦はアメリカ軍を上陸させ、おびき寄せ、攻撃する予定だっ たのですが、アメリカ軍の攻撃はとんでもなくすさまじく、鉄の暴風と呼ばれるくら いの爆撃を受け、日本軍は南へ南へと敗走しました。シャーマン戦車からの火柱が飛 んで来たり、火炎放射器で攻撃されると形を残さないほどでありました。日本の兵隊 や住民そして、学徒隊の長田さんたちは壕に身をひそめていました。しかし、長田さ ん達は水を汲みに行ったり、食べ物(さつまいも、さとうきびなど)を確保するため、 昼間は見つかるので、夜に壕の外へ出されました。照明弾が上がり、その後、「バラ バラバラ・・ッ」と銃撃を受けます。その攻撃をかいくぐって暗いとこへ逃げた恐怖 その後の平和祈念資料 を語っていただきました。一番印象に残っているのは暗闇で足をつかまれ「孫を 2 人 館の見学では、学習して 連れて行ってくれ」と足がねじれ動けなくなったおじいさんから頼まれたが、自分の きた沖縄戦を自分のもの 事で精一杯だった長田さんは逃げだしたことや死んだ人間から水筒を奪ってでも水 にすべく、 熱心に見学し、 を確保した事が「戦争が人間を鬼にする」と一生懸命訴えられていたことでした。最 後に「戦争をするのもしないのも人間である」「このように修学旅行に来れることは 豊かさと平和のあかしであり、平和の灯をともしていくのはみなさんです。どういっ た人間になるかを考えていくことがみなさんの宿題です」と締めくくっておられまし た。 丁寧にメモをとっていました。20 分の見学時間では足りず、時間がきてもまだ、 調べ学習をしている生徒が多かったのには驚きました。 (次号に続く)
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