〔ルペルティエ案〕 モンターニュ派を代表する公教育計画は,ルペルティエ(Lepeletier, M.:1760-93)が作成し,ロベスピエール (Robespierre,M.:1758-94)によって 1793 年 7 月に国民公会に提出された「国民教育計画」である. この法案の特徴は,およそ次のようである. 1 平等と統制の原理.子どもは国家の所有物とされ,5 歳になるとすべて「国民学寮」と呼ばれる教育・生活施設 に収容され,全員同一の衣服・食事そして教育を受けることが構想された. 2 徳育の重視.規律正しさや勤労心・愛国心の育成が目指されるとともに体育が重視された. 3 民衆による教育管理体制.父親たちで構成される教育委員会によって国民学寮の教育管理がなされることが構想 されていた. マクシミリアン・ロベスピエールによって国民公会に提出されたミシェル・ルペルティエの国民教育計画(革命暦 1 年メシドール 25 日 1793 年 7 月 13 日) 第 1 条 すべての児童は,男子は 5 歳より 12 歳まで,女子は 5 歳から 11 歳まで,共和国の費用で育成される. 第 2 条 国民教育は,すべての者に平等となろう.すべての者は,同じ食料,同じ衣服,同じ教育,同じ取扱いを受 けることとなろう. 第 3 条 国民教育はすべての者に対する共和国の負債となり,すべての児童はその教育を受ける権利を有する.両親 は,児童にその権利を行使させる義務から免れることはできないであろう. (Chevallier,P.Crosperrin,B.,L’EnseignementfraçaisedelaRévolutionnosjours,tomeII) ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト『共和制度についての断片』 (一部) 男児の初等学校は農村におかれる 男子は三歳から十六歳までむしろの上で寝させる. 女子は母親の家で育てられる. 五歳から十歳までの子供のための学校が農村に設けられ,地区ごとおよび小郡(canton)ごとに一校おかれる. 学校には,革命の敵の財産を充当する. 五歳から十歳までの子供は,読み方,書き方,泳ぎ方を学ぶ. 彼らは四季を通して麻布を着用する. 彼らはパン,野菜,チーズ,水のみを常食とする. 十歳から十六歳までの子供のための学校が,地区ごとおよび小郡ごとに一校おかれる. 十歳から十六歳までの子供の教育は,軍隊式かつ農業的に行われる. 彼らは中隊に分けられ,歩兵と騎兵の訓練を受ける.彼らは言語を学び,収穫期には農場に配属される. 十六歳から二十一歳までの子供には技能を身につけさせる. この技能は農場や工場で実習を受け,教えこまれる. 農夫,工場主,手工業職人,商人たちが彼らの教師である. 彼らは二十一歳まで教師のもとに留まるものとする.さもなければ,市民権を一生剥奪される. 子供たちは厳格にしつけられ,寡黙に育てられる.大げさな言葉を使う遊びを禁じ単純な真理に慣れさせるよ うしなければならない・・・ 公教育の父 コンドルセ(1743-94)MarieJeanAntoineNicolasdeCaritat,MarquisdeCondorcet. 侯爵の子としてピカルディに生まれた。初め、 「積分論」などを著し、数学者として名声を得た。のち、テュルゴ、 ヴォルテールなどに接近して経済論文を書いた。 「百科全書」の経済学の項目を執筆するなど刊行に協力し、1782 年、 アカデミー・フランセーズの会員になる。また、夫人はサロンを開いた。 革命では、立憲王党派の立場を取ったが、ヴァレンヌの逃亡後、王政廃止に傾く。立法議会では財務委員を務め、 公教育委員会委員長として公教育の組織に関する法案を発表し、これがその後のフランスの教育制度の基礎となっ た。 国王裁判では、処刑に反対し山岳派との対立を次第に深めた。1793 年、ジロンド派憲法の草案を起草し、ジロン ド派追放ではジロンド派支持のパンフレットを発刊してロベスピエールらから非難された。 いずれの党派にも属さなかったが、恐怖政治の下では、ジロンド派に属すると嫌疑をかけられ、逃亡潜伏を続けた。 逃亡中「人間精神進歩の歴史概観」を執筆していたが、完成間際に逮捕され獄中で服毒自殺 〔コンドルセ案〕 1971 年 9 月に制定されたフランス憲法を受けて立法議会に 1972 年 4 月に提出された公教育の組織計画が, 「公教 育の一般組織に関する法案」である.法案の報告者をつとめたコンドルセ(Condorcet, M. de:1743-94)の名を冠 して「コンドルセ案」と呼ばれている. この法案およびその他の著作に見られるコンドルセの公教育思想の特色は,次のようである. 1 教育の自由の原則の主張.学ぶ権利と教える権利の自由な行使が強調される.ここには,強制的な意味での義務 教育の思想はまったくみられない. 2 公権力に国民教育の組織・整備を義務として負わせることの主張. 3 教育の機会均等の原則.すべての人に教育の機会が平等に開かれていることが強調される.それゆえ,彼は単線 型で男女共学,無償の公立学校制度を提案している. 4 知育のみに限定された学校教育.人間の理性が承認できる知識のみを教えることが主張され,そのため教育課程 は数学や自然科学がほとんどを占めることとなる. 5 教育の中立性の主張.優秀な学者によって構成される国立学士院が公教育の指導・管理にあたることが構想され, 公教育の政治的・宗教的中立性が主張されている. ※コンドルセは公教育によって国民教育制度を組織すべきだとしても,教育の独立,教育の自由を守るために,価値 観や思想の統制を排し,親に教育の選択の自由を認めるというものでその理由は, 「教育に関するすべての公権力の 独占的影響は,自由にとっても,また社会組織の進歩にとっても危険であるからである」という. ( 『公教育の原理』 )
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