第 9章 マレーシアにおけるマレーグマの現状

第9章:マレーシア
第9章 マレーシアにおけるマレーグマの現状
Siew Te Wong
マレーグマは、マレーシアの低地の熱帯林に生息する唯
の面積が潜在的な個体群サイズを反映していると考えられ
一のクマである(写真 )
。
(
)によりマレー
る。マレーシアは、つの異なる地域から構成されており、
半島のマレーグマ(
)とボルネオ島の小がら
それは、マレー半島と東部マレーシアである。東部マレー
なボルネオマレーグマ(
)の 亜種に分類さ
シアはボルネオ島に位置し、サバとサラワクの 州を含む
れているが、ともにマレーシアに生息している。継続的な
(図 、
、
)
。マ レ ー 半 島 は 、サ バ は
生息地破壊と他の人間活動に起因するクマの死亡は、マ
である。それぞれの地
、サラワクは レーシアの森林に依存するこれらクマの未来に暗い影を投
域の %、
%、
%が多様な森林に覆われている(
げかけている。そのため、マレーグマの保全は最優先課題
である。
)
。森林被覆割合は高いよう
に思われるが、こうした森林の多くは理想的な生息地では
ない。それらの森林は、最近伐採された森林や、小規模に
生息状況
分断された森林、荒っぽい伐採作業や高い伐採率で伐採さ
現在の分布
れた森林あるいは二次林、そして狩猟や密猟の取り締まり
マレーシアでは、これまで詳細なマレーグマの分布は調
のない森林である。
査されてこなかった。しかし、過去 年間で行われた動物
現在の生息数推定
全地域などの保護区で限られた数しか生息していないこと
これまで、生息数を推定しようとする試みは一度もな
がわかった。マレーグマは森林に依存しているので、比較
かった。しかし、マレーシアとインドネシアにわずかにい
的攪乱のない大面積の森林が生息地になり、それゆえにそ
る研究者は、生息地内のさまざまな場所で生息密度を推定
Photo by Siew Te Wong
相の調査で、国立公園や森林保護区、野生生物保護区、保
写真9.
1:ボルネオ熱帯雨林で木にもたれて休むマレーグマの亜成獣
65
アジアのクマたち−その現状と未来−
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図9.
1:マレー半島の森林地帯における重要な3地域
Kawanishi et al.(20
03)に基づく
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図9.
2:サバ州の森林分布
66
第9章:マレーシア
凡 例
海
森林以外
森林
主要都市
国境
ブルネイ・ダムサラーム国
南シナ海
森林を含む保護地域
IUCNカテゴリーⅠ・Ⅱ
IUCNカテゴリーⅢ・Ⅳ
サラワク
カリマンタン
図9.
3:サラワク州の森林分布と伐採契約地域
している。クマの痕跡を用いた (
)以
マレーグマの狩猟は、マレーシアでは厳しく禁止されて
外の研究者はすべて、カメラトラップ法によるデータから
いる。しかしながら、場当たり的な密猟は、法的強制力が
生息密度を推定した。
(
)は、
ないため、いまだに起こっている。多くの許可された狩猟
国立公園(マレー半島)
で
∼ 頭 あるいは密猟活動は、パッチ状の森林に隣接したアブラヤ
と推定した。しかし、
(
)は、手法の欠
シ(
)農園で行われている。狩猟の対象種は、
点 が あ る た め こ の 密 度 は 信 頼 で き な い と し て い る。
イノシシ、ヒゲイノシシ、スイロク(ミズジカ)であるが、
(
)はサバでは 頭 、
狩猟者達は撃つ機会にめぐまれれば、ためらいなくクマを
(未発表)は、サバのウル・セガマ森林保護区(インドネ
撃つ。日中アブラヤシ農園に隣接したパッチ状森林に隠れ
シア側のボルネオ島)では 頭 、
(
)
ており、夜にアブラヤシ農園で採食するクマたちは、撃た
は、カヤン・メンタラン国立公園(ボルネオ島)では れやすい。アブラヤシ農園はクマたちにとって、ちょうど
頭 と推定し
頭
、ブランガン森林保護区では ワナのようなものである。また農園周辺のパッチ状の森林
ている。生息地が縮小(生息地への脅威の項を参照)して
は個体のたまり場となっている。場当たり的な密猟に加え
いることを考えると、マレーグマ個体群は急速に減少して
て、過去数年間にタイやカンボジア、ベトナムなどからよ
いると考えられる。
く組織された外国人密猟者によって密猟が行われ、国立公
園やマレー半島の保護地域におけるマレーグマを含むマ
個体群に対する脅威
レーシアの野生生物の生存に脅威となっている。マレーグ
非合法な狩猟と貿易、森林の択伐、個体群の分断、そし
マの肉と掌は利用価値があり、またそれほど一般的ではな
て生息地破壊の複合効果は、マレーシアにおけるマレーグ
いが、マレーシアのいくつかの都市では旅行者や地元の
マ個体群の主な脅威となっている。しかしながら、こうし
人 々 に と っ て の 珍 味 と な っ て い る(
た要因がどのように死亡率や個体数の増減に影響を及ぼし
私信)。マレーグマの爪と犬歯は、悪霊を取り払うと
ているかはわかっていない。
信じられており、サバの宝石商や骨董店で依然として販売
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アジアのクマたち−その現状と未来−
されている。サラワクでは伝統的な生活様式を続け、自家
%(
)がアブラヤシ農園のために使われ、こ
消費のためにこうした野生生物を合法的に捕獲する必要の
の割合は、次の数年間で倍になるであろう。現在では、商
ある原住民には、狩猟の許可がなくても撃つ権利が認めら
業的森林の 万 のほとんどは著しく伐採されている。
れている(
)。この管理されていない狩猟のた
めに、サラワクのマレーグマは肉や胆のう、爪、歯の商取
生息地への脅威
引のために過剰に撃たれ、非常に少なくなっており、多く
森林破壊は、マレーシアのマレーグマが直面するもっと
の地域で絶滅している(
も深刻な脅威である。これらの森林は、林業生産にとって
)
。
高い価値があると評価されており、現在急激に皆伐されて
農園や人間の居住地にとって変えられつつある。択伐もま
生息地の特徴
た、多くの原生林を二次林へ変えた。マレーシアでは、輸
マレー半島とボルネオ島の熱帯雨林は、高い生物多様性
出による外貨獲得を通じて国の収益を生み出す戦略基盤の
を有することで有名であり、地球上でもっとも多様な生態
つとして林業を考えている。つまり、マレーシアは現在、
系の つである。こうした熱帯雨林では、フタバガキ科の
熱帯の広葉樹林の世界一の生産国であり輸出国である。伐
樹木が優占している。マレー半島では、最も生産性の高い
採は、マレーシアにおいて、いくつかの保護地域を除く低
低地のフタバガキ科の森林は、都市化と農業的利用により
地の森林に影響を与える。年間の森林破壊率は ∼
失われた(主にアブラヤシ農園とゴム農園)
。
年には、
年から ∼ 年の間に約 %はね上がり、結果
マレー半島の %(
)が、アブラヤシ農園とし
として 年以来、毎年森林の %、平均して て利用された(
)。さ
が失われている(
)
。それに対して、その他の東南
まざまな状況下の森林(全土の約 %)は、ティワングサ
アジアの国々は、
年代に年間森林の %、つまり
山系、グレート・タマンネガラエコシステム、そして南部
を失ったのみである(
)
。伐採活動は、マ
森林地帯など、標高の高い山地や国立公園、その周辺の森
レーグマの生息地を縮小させるだけでなく、伐採期間中に
林でみられた(図 )。これら ヶ所の地域はマレー半島
整備される林道網を通じて密猟者の森林への侵入を許した。
だけではなく、東南アジアのすべてのマレーグマの生息範
マレーグマは、伐採された森林においても確認されてい
囲における、もっとも重要な生息地である。
)が、原生林を二次植生に変えること
る(
サバでは、低地性フタバガキ科森林の約 %が市街地あ
のクマへの影響は知られていない(
)。マレーシ
るいは農地(主にアブラヤシ農園)へ変えられてきた。
アに残存した森林のほとんどは、選択的に伐採されてし
年には、サバの約 %(約 )がアブラヤシ農
まったか、あるいは近い将来伐採される予定になっている
園として利用されていた。この数字は、近い将来増加する
ため、マレーグマは将来、伐採された森林に大きく依存す
と予想される。サバの約 %(
)が森林として
ることになるだろう。高い択伐率でわずかな木しか残って
残されている(図 )ものの、その %(国土の %)
いない状態の林、乱暴な伐採方法によってひどく損傷して
のみが何らかの形で保護されているにすぎない(
しまった林から、まだ多くの大径木が手つかずで残ってお
)。残存する森林の %(国土の %)
りあまり攪乱されていない林まで、一口に「伐採林」といっ
が伐採予定地で、そのほとんどは択伐されたか 年まで
ても、それが指す林の状態はさまざまである。状態の良い
に伐採される予定の、商業的森林保護区である(
伐採林は、たいてい、急峻な地形の林か、影響緩和伐採法
)。
のような環境にやさしい伐採が行われた比較的小さな面積
サラワク州政府によれば、サラワクの %以上が自然林
の林である。サラワクの多くの場所で見られる伐採でひど
に覆われている
(図 (
)
)。しかし、たっ
く損傷した森林をマレーグマが利用するかどうかは非常に
た約 %(
)が、国立公園や自然保護区、野生生
疑問である。
物保護区としてなんらかの保護形態をとっているにすぎな
い(
)。長期間の土地利用計画を考慮し
人間とクマの関係
て、サラワク州政府は :
:政策をとっている(
万
は農地と居住地、
万 は商業的森林、
万 は
クマの地域固有の呼び名
保 護 区)(
)。
年 に は、サ ラ ワ ク の
マレー語でマレーグマは、ハチミツがおそらくクマの大
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第9章:マレーシア
好物であるため「
」すなわち「ハチミツグマ」
マレーグマに関わる行政府、
研究者、
NGO のリスト
である。中国系マレーシア人の間では、おそらく犬のよう
マレーシアでは、つの地理的に異なった地域ごとに、
に身体サイズが小さく体毛が短く頭部が小さいという理由
異なる行政府がマレーグマ保全のために責任をもってい
からだと思われるが、
「犬グマ」と訳される「
」
る。それらは、マレー半島野生動物・国立公園局、サバ州
として知られている。またマレーグマは、脅威にさらされ
野生生物局、サラワク林業局である。世界自然保護基金
ると大声をあげるため、そう呼ばれる。
(マレーシア)や野生生物保全協会(マレーシ
アプログラム)、マレーシア自然協会()などの、い
人間との軋轢
くつかの国際的あるいは地域的な環境保全 が設立さ
マレーシアでは、スマトラトラ、アジアゾウ、ボルネオ
れ、ここ数 年間に多くの野生生物種の保全プログラムを
オラウータンの方がマレーグマより人間との軋轢が大き
確立し実行してきた。しかし、や公的な教育プログ
い。アブラヤシ農園周辺に生息しているマレーグマはアブ
ラムは、これまでマレーグマ保全に焦点を当てたことはな
ラヤシの種子を採食することが知られている(
かった。著者は、これまでマレーグマの研究と保全活動に
)が、マレーグマは生息数がわずかであり、捨てら
活動的に参加した唯一のマレー国籍の研究者である
れ地面に落ちた種子のみを食べるため、農園の所有者はク
(
)。
マの採食に対して寛容である。にもかかわらず、農園で働
く者たちはいつも、特にクマが家の近くで採食するように
提 言
なると、クマに出会ったときの身の安全を考える。そのた
め地元の行政府、あるいは村住民たちは、作物被害のため
マレーグマは、いまだにマレーシアと東南アジアでは
ではなく、身の安全のためにクマを殺すのである(
もっとも関心をもたれていない大型哺乳類である。マレー
)
。
グマは、過去数年間ボルネオで生態に関する研究がいくつ
か行われてきたにもかかわらず、依然としてもっとも未知
のクマである(
印刷中
現在の管理システム
印 刷 中
マレーグマの法的位置づけ
)。マレーシアでは、あまり強制力のない
マレーグマはマレーシアも加盟している野生動物相の絶
法津上の保護以外に特別な管理行動は何もとられてこな
滅危惧種の国際取引に関する会議(
)において、附
かった。クマの分布や個体群動態、個体群の傾向、飼育さ
属書Ⅰに登録されている。マレーグマの国際取引、あるい
れているクマの数、人為的な死亡、商業取引活動、あるい
はその身体の一部の取引は、正式な許可なしには禁止され
はクマの身体の部位の利用に関して、何も信頼できる調査
ている。
はない。さらに、マレーグマに特に着目した保全、あるい
マレーグマ は、マレー半島における野生生 物 保 護 法
は一般人を対象にした教育のプログラムや、保全のための
(
)
(
)とサバ野生動物保全
生息地管理計画は何もない。また、適切な林業がどこでも
法(
)のもと「完全な保護種」とし
ふつうに行われているわけではない。つまり、森林地帯
て登録されている。狩猟、捕殺、飼育、商業取引は禁止さ
は、農園の発展のために皆伐されているし、多くの伐採の
れている。
実施は持続的ではない。マレーグマに関する基本的な情報
サラワクでは、マレーグマは、野生生物保護令(
)
の欠如と残存する森林を保護する政府の関与の欠如は、マ
で保護種として登録されている。マレーグマの飼育、狩
レーシアのマレーグマの保全努力とその長期的な存続を阻
猟、捕殺、生け捕り、商取引、輸出入さらに体の部位の所
害する大きな要因となっている。
有には、許可が必要である(
)
。そ
マレーシアのマレーグマの保全と管理のための提言は、
れにもかかわらず、ペットとして飼育されているクマは数
以下のとおりある。
知れず、また 年代後半に法律が実施される前からクマ
(
)分布図の作成と生息状況調査:残存するパッチ状の森
を所有していた者がいるため、サバとサラワクでは少数だ
林における、マレーグマの生息の有無に関する国レベル
の分布調査。調査では、
)マレーグマの長期的な存続に
が合法的に飼育されている。
とって障害となる生息地要因とマレーグマ保全ユニッ
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アジアのクマたち−その現状と未来−
ト、
)各ユニットにおける保全の位置づけ、
)各保全
ユニットにおける個体群と密度の推定、
)各保全ユニッ
トにおける保全活動を明らかにすること。
(
)クマの体の部位や繁殖可能個体の取引に関する調査の
実施:マレーグマとその体の部位の取引に関する国レベ
ルの調査を実施するため (例えば
)と連携することと、マレーシアにおいて飼育され
ているクマの状態を明らかにすること。
(
)研究:生活史や繁殖生物学、個体群遺伝学、クマの存
続に重要な資源を明らかにするために、多様な生息地タ
イプ(伐採された森林を含む)における生態学的研究の
実施。
(
)伐採活動の改善と残存する森林地域の保護:影響緩和
伐採法のような環境にやさしい伐採活動を促進し、マ
レーグマの生息地における重要な資源(イチジクの成熟
木、カシのパッチ状の林、穴のある木々など)を伐採か
ら保護する。もっとも理想的な状況は、伐採活動と熱帯
林の農園化の停止である。
(
)教育:一般住民や学生のマレーグマに対する保全意識
を促進するとともに、発表、ポスター、パンフレット、
ウェッブサイトにより、クマを利用する地域住民に対す
るマレーグマの法的位置づけを周知する。
(
)法執行力の強化:野生生物に関連した違反者や密猟者
に対する刑罰を増やす。保護区や人気のある猟場におい
て、武装した法的強制力を持つ管理官によるパトロール
回数を増やすことである。
謝 辞
マレーシア連邦政府経済計画部、サバ州野生生物局、ダ
ヌンバレー管理委員会に、サバのマレーグマに関する研究
の許可をいただいたことに感謝の意を表する。私のマレー
グマのフィールド調査と保全プロジェクトの資金は、
、
、
、
、
、
、
、
、
の援助による。
引用文献
70
印刷中
印刷中
’
第9章:マレーシア
71
(福田夏子訳)