研修報告 1 はじめに 私の住む本渡市は2001年から「陶芸のまちづくり」というイベントを毎年催して いる。国内外からの招聘作家も参加されるのだが、ポルトガルから過去に,ジョアオ・ カルキジェイロ氏、ベラ・シルバ氏、ソフィア・ベッサ氏の3氏が参加されておられ, その方たちとの交流する中、また昔から天草と縁の深い国ということもあり、海外研修 の場所としてポルトガルを選んだ。 ベラ・シルバ氏の紹介で入学したポルトガルの首都リスボンにある、「アルコ」とい うアートスクールの陶芸コースを拠点として、約5ヶ月間の滞在をしたが、学校の休み を利用して、隣の国のスペインや、陶芸のまちづくりで、同じく招聘作家として天草に お越しいただいたことのある、レオンハルト・カイ氏の御厚意で、ドイツのマイセンを 視察することが出来た。最初考えていたよりももっと広い視点で、ヨーロッパの文化や 陶芸について学ぶことが出来てとてもよい経験になった。 ‑1‑ 2 アルコ(ar.co)での研修 この学校は、私立のアートスクールで、陶芸のほかにも、グラフィックデザインや写 真等様々なコースがあり、リスボンの街の中心地と、郊外のアルマダに分かれて校舎が あり,陶芸コースは窯などの設備の関係上,郊外の方にある。 天草に招聘作家として来て頂いた、ベラ・シルバ氏が、以前臨時講師をしていたとの ことで、この学校を紹介していただいた。 生徒は、幅広い年代の方がおり、仕事を持っている人も珍しくない。3年で卒業にな るのだが、それ以後も研究生という形で残ることが出来る。 アルコでは、運良く私の滞在期間が、カリキュラムの前期に重なるため、比較的授業 に入りやすかった。 アルコ外観 ‑2‑ (1)楽焼 最初の課題はティーセットを楽焼で作るというものだった。 ギャラリーでポルトガルの作家の作品を見る機会があったのだが、楽焼の作品であ った。私自身、初めて楽焼をしたのが、ジョアオ氏の指導の下,天草でドラム缶の窯 を作った時だったので、かなりポルトガルでもポピュラーな焼き物のようだ。 色々な作り方はあるのだが、ここではまず土の塊を出来上がりの形に作ってから中 をくり抜くように指示さ れた。これは様々なレベ ルの生徒が外形を思いど おりに作ることが出来る 方法だが、とても時間が かかるやり方である。 授業は作陶と平行してスライドやデザインでも課題に沿った内容について取り上げ、 多方面から深く掘り進めていく方法で進められた。 使用する粘土は、スペインから輸入したもので、MAYORICAという名前だっ た。楽焼に使用するとあって、低火度用だった。質感は古信楽に似ているが、もっと 粘りがあり,伸びがよいような気がした。 素焼きは1000度まで上げる。本焼は2日間にわたって行われた。 仕上がった器でみんなで紅茶を飲んだ。TEAのことをポルトガル語でCHA(発音は 「シャ」)という。この国ではエスプレッソのような濃いコーヒーを飲むのが一般的であ るが,イギリスの紅茶文化のはじまりはポ ルトガルの商人が輸入した茶を、ポルトガ ルの皇女が嫁入り道具としてイギリスに持 ち込んだことからだそうだ。ポルトガルは 大航海時代に活躍したことからも、いろい ろな文化交流が想像できる。 ‑3‑ (2)アズレージョ 次の課題はポルトガルの伝統的な装飾タイル・アズレージョ(AZLEJO)の制 作だった。タイルなので当然同じ形を何枚も作る必要があり、まずは石膏型の制作か ら始まる。最初はMAYORICAで原型を作り,それに 石膏を流し型にする。こうすることで同じ形を何枚も作れ るのだ。 出来上がった型に少し大きめの板状の粘土をおく。四隅 を押さえ、次に布をかぶせ、ゴムづちで中心から円を描き ながら外に押し出すように叩く。その後は、糸きりで余分 な土を取って、さらに真っ直ぐな板の面を使ってきれいに 仕上げる。タイルの裏面の処理になるので、ひとまずきれ いに仕上げたら、壁に接着しやすいようにフォークで傷を つける。しばらく水分を石膏型に吸わせたあとに、四隅をゴムづちで叩き,土を浮か せる。そしてひっくり返せば出来上がりだ。 この方法で様々なタイルの制作が可能だが、絵付けや釉薬のかけ方によってさらに バリエーションに富んだタイルが出来る。 ‑4‑ アズレージョについて 14世紀にイスラム教徒によってスペインにもたらされたアズレージョは,1 5世紀にはポルトガルに伝わり,16世紀のスペイン領時代に各地で盛んに作ら れるようになる。そのためで、スペインやイス ラムの影響を受けた模様が数多く残っている。 また、オランダのデルフト焼の模様も流行で 入ってきたこともあり、ある時代の特色として、 四隅に花柄、中央にコミカルな動物の絵が描か れているものもある。 最近ではまたアズレージョ作りが盛んになり、古い建物に混じって、公共の場 所に、新しい現代的なアズレージョがアーティストの手によって作られ、設置さ れている。また、アズレージョ美術館もある。ここは、古いものから新しいもの まで展示されている。 私が気に入っているのは、動物の絵柄だ。バラエティに富んでいるので、多く の人の好みに合うものが見つけやすいと思う。 ‑5‑ (3)カモフラージュ アルコでの課題は,毎年違うのだが,チーフや他の先生との間で,新しいテーマの 課題が用意される。 前期のカリキュラムの最後の課題は、「カモフラージュ(擬態)」だった。粘土を 使い,カモフラージュに関する表現をするのが目的だ。 導入として始めに木の実や葉っぱや貝殻などのデッサンをした。物を作るときに、 自然の形からヒントを得たり、イメ ージを膨らませるための授業に制 作以外でかなりの時間をあてた。 スライドの授業では、色々な画家 の描いた人物や静物、を例に挙げ、 事物のとらえ方で同じテーマや物 でも全然違うということについて 学んだ。 驚いたことは、生徒が活発に自分の意見を言い合い、芸術についてそれぞれの考え を持ち、新しい,自分らしい個性を引き出そうとしていることがポルトガル語をよく 理解できない私にも伝わってきたことだ。 この他にも、うずらの卵を観察して、色粘土でまったく同じものを作る、植物を見 ながらデッサンした後にエッチングにする、次は植物写真の模写、実際に粘土を使っ ての模造、岩壁や木などの材質を紙に写し、自画像を描く等、様々な試みの中で、自 分のイメージを粘土に投影させる術を各々がつかめるような授業内容が続いた。 ‑6‑ いよいよ制作なのだが、ここでもいくつかの条件があり、自分の拾ってきた自然の ものをまずデッサンして、その中がどのようになっているかイメージする。そして自 分なりのイメージをさらに新しい何かに作り上げるというものだった。 正直この課題の趣旨を理解することに疲れてしまったが、陶芸コースのチーフであ るテレーザ氏に長い時間をかけて説明していただき、何とか制作に取りかかる事がで きた。 課題に沿って、どんな形にするか考えたのだが、近 くの木から落ちてきた、丸っこい茶色の木の実をモチ ーフに、想像してみた。中には木の実の成長のために 3本の突起物を持って内壁を押しながら動き回る細胞 がおり、成長を遂げると後は硬くなり中でコロコロと 残るというストーリーを持たせ、制作にあたる。アイ ディアも、プレゼンテーションが行われ、アドバイス や意見交換がある。 今回もあえて最初に出来上がりの形をつくり、後からくり抜く作り方をする。紐作 りで作る方が慣れていたのだが、忠実に最初のイメージを形に出来るような気がした からだ。 この時の素焼きも1000度だったが、今回はGRES(STONE WARE) という高温でも焼ける粘土を使った。楽焼に使用したMAYORICAとほとんど見 た目は変わらない。同じくスペインの土だそうだ。 テストピースをつくり、色を確かめた後に本番に臨んだのだが、思ったような色の 出方にならず、上から他の色を重ねて焼きなおすことにした。 ‑7‑ 最初から、希望の色は生地の特性と会わないだろうという指摘を受け、変更に変更 を重ねた色での失敗に、短期間でイメージどおりの釉薬で仕上げることの難しさを感 じた。しかし、今回の滞在中に使うものは、約1000度での本焼用なので、今まで 楽焼を除いて、1200度以下の焼成をしたことの ない私にとって、興味深いものだった。 年越しをはさんで、第二弾のカモフラージュの課題に入る。今までいろんな試みの 中で、私達の生活の中にある自然物や、それをモチーフにした作品について考えてき たことを生かして、実際に陶芸作品をある場所にカモフラージュさせてみようという ものだ。前期の最後の制作でもある。 作品設置場所として、アルコの入り口にある、暖炉のあるみんなの憩いのフロアを あてがわれた。ここに約15名程度の生徒の作品を設置することになった。 暖炉の火をカモフラージュする人、薪をカモフラージュする人、色々な作品ができ あがっていた。 私は、出窓になっているところに、白壁と、外からの光をカモフラージュした作品 を作ることにした。光が部屋の中に差し込み、 夕方になるとまた光が外に出て行くというサ イクルごと表現したのだが、今までしたこと のない視点からの制作が出来たことはとても 面白かった。 私の意図が見る人に伝わるのかどうか楽しみだったが、作品の展示は私が日本に帰 国した後に行うそうで、残念だったが、作品は他の何点かと一緒にアルコに残してき た。 ‑8‑ ‑9‑ (4)釉薬の実験 作品制作と併行して、釉薬の実験の授業があった。 釉薬調合の部屋があり、自分の作品に使う釉薬をつくることと、グループで指示さ れた釉薬実験をした。 (図1) A B C D E F G 1 2 3 4 5 6 7 1+2 1+3 1+4 1+5 1+6 1+7 2+3 2+4 2+5 2+6 2+7 3+4 3+5 3+6 3+7 4+5 4+6 4+7 5+6 5+7 6+7 (基礎釉薬) TR122 90g 1A−炭酸銅 4g カオリン 10g 2B−酸化クロム 2g シリカ 5g 3C−rutilo 8g ベントナイト 3g 4D−酸化鉄 8g 5E−炭酸コバルト 1g 6F−ジルコニウム 10g 7G−酸化マグネシウム 3g 3人でグループを作り、この実験をする。過去の実験結果もたくさん釉薬室にあり、 それを参考にして、作品の色選びをする。 ‑10‑ ‑11‑ 3 ドイツへの研修旅行 学校の冬休みを利用して、ドイツのマイセンに行くことにした。列車での移動のため、 途中、スペインやフランス、オランダなどで調整し,視察を盛り込みながらの旅となっ た。 (1)マドリッド 出発は12月16日。リスボンからマドリッドまでの夜行列車に乗る。到着は次の 日の朝になった。この日は精力的に美術館を巡る。プラド美術館、ティッセン・ボル ネミッサ美術館、国立ソフィア王妃芸術センター、もう少し余裕が欲しかったが、観 たいという思いでつい張り切りすぎてしまった。 (2)パリ また夜行に乗り込み、パリへと向かう。少しゆっくりしようと2泊の滞在にした。 美術館見学にほとんどの時間を費やしたが、ピックアップしていた所でさえすべて見 る事が出来なかった。 初日はオルセー美術館に行く。その日は木曜日だったのだが、この曜日だけは,夜 10時近くまで開いているのでたっぷり観ることが出来た。来場者が多いから出来る ことだと思うが、こういうサービスはありがたい。 次の日はピカソ美術館とルーブル美術館に行く。始めから、ルーブルを全部観る事 は到底不可能だと思い、先にピカソ美術館に行く。色々な画家や彫刻家の作品を観た 贅沢な数日間だったが、その中でも私の心に一番残ったのがピカソの作品だった。特 に、この美術館で初めて彼の陶芸作品に出会えたことがなにより嬉しい収穫だった。 手法や技術についての驚きというより、とにかく観ていて楽しいのだ。土のまだ未開 の可能性を感じられたからかもしれないが、いろんな作品を多岐にわたって残した彼 だからこそ出来る仕事なのかもしれないと思った。 (3)マイセン その後、オランダのアムステルダム、ドイツのベルリンと経由して、12月22日 にマイセンに到着した。デルフトの近くまで行きながら立ち寄れなかったのは残念だ ったが、アムステルダムの街のお土産屋さんに並ぶデルフト焼の商品や、いくつかの 陶器をおいてあるギャラリー・個人の工房もあり、陶器が身近にあるような印象を受 けた。 マイセンでは、国立マイセン磁器製作所のデザイナー兼ツーリストマネージャーの ‑12‑ レオンハルト・カイ氏のお宅にお世話になる。 ドイツに入って急に寒くなったのと、旅の疲れのせいか、体調を崩してしまった。 しかし、私の体調にあわせて、マイセン社の美術館や、見学者用の工房を案内してい ただいたり、ちょうどクリスマスということで、伝統的なクリスマスも味わうことが 出来た。 マイセンの名前は日本にもよく知られているが、本物を目にする機会は今回が初め てだった。マイセンは,もともと東洋のものだった磁器を、ヨーロッパで1708年 にドレスデンで発明したのがはじまりであるが、その他にも、絵付けの色からすべて 自社開発のものが使われており、磁器メーカーの中でも非常に完成度の高い製品を作 っている。美術館に所蔵されて いるものはすべて今でもオー ダーできるようになっており、 しかも絵付けはすべて熟練さ れた職人の手描きで、プリント は一切使っていない。この徹底 したものづくりの姿勢は、マイ センの街の美しさにも、表れて いるような気がする。 ‑13‑ カイ氏は以前日本で焼き物を教えていたこともあり、日本の焼き物にも詳しいのだ が、クリスマスも含め、彼の家族とともに、普段の食卓を囲めたことも、良い体験に なった。日本と器に対する考え方や使い方が違うのも、また陶芸のあり方も、そこに ある暮らしとのかかわりの中で随分と変わるものだと身をもって感じることができた。 (4)ドレスデン・ミュンヘン マイセンでの滞在を終え、ポルトガルに向けての出発するにあたって,カイ氏から 視察場所についてアドバイスを受けた。マイセンから少し離れたドレスデンに行き、 そこからはまた一人での行動となる。ミュンヘンが見所が多いということで、パリに 戻る途中で経由することにした。 ミュンヘンに行く前にまずドレスデンに行く。マイセンとかかわりの深い土地なの で、焼き物に関する見所も多い。 ツヴィンガー宮殿というバロック建築の中には、陶磁器コレクションがあり、観覧 する事ができる。初期のマイセンの磁器の他に中国や日本の陶磁器など、約2万点に のぼる収蔵品がずらりと並んでいる。展示品を観、マイセンの美術館でたくさんの作 品を観たことを思い出しながら気づいたのだが、研修に来る前までは、磁器の型物に はあまり興味が無かったのだが、今回、マイセンの磁器に触れることで、日本のもの も含めて好きになっていた。実際に見ること、手にとってみること、使ってみること、 これは作り手側にいる私だが、あらためて大切にしたいと感じたことである。 その近くに、カトリック宮廷教会がある。その中にとても珍しい、マイセン磁器で 出来た祭壇とキリスト像があった。抽象的な表現のキリスト像であったが、その巨大 なことといい、教会にあると思えないシンプルかつ奇抜な形といい、いい意味で驚か された。他にも、屋根の構造が楕円になっているなど、工夫が凝らされたなかなか興 味深い教会であった。 ここは、第二次世界大戦の被害を受けた街で、どちらの建物も、修復を重ねている そうだ。外観に、違う色の真新しい石が混じっている建物もある。 ミュンヘンに着き、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテークという二つの美 術館を観覧する。グリプトテークというギリシア彫刻の美術館も見ることが出来た。 このような、少し小さな都市になると、観光客というより、休日をゆっくり美術館で 過ごそうという人たちが多く、観覧しやすいように思われた。 翌日は、レジデンス博物館に行く。きらびやかな宮殿を利用した所で、展示スペー スもかなり広く、歩いて回るだけで、疲れるほどだ。興味を惹かれたのは、カトリッ クに関する様々な宗教道具である。ポルトガルはカトリック信者が多い国で有名だが、 ポルトガルで見たものと似かよったものがいくつかあったのだ。 ‑14‑ 同じ宗派なので、当然といえば当然だが、ヨーロッパの文化を理解するには、宗教 抜きには考えられないと、この視察旅行をしながら痛感するようになっていたので、 このような小さな発見が、とても貴重な体験のように感じた。 パリに着いて、リモージュ焼の店を3軒見に行った。マドリッド、リスボンへの帰 路は、年末年始にぶつかり、観たいところは閉まっている所がほとんどで、思うよう に視察できなかった。その分、色々な寺院、教会を回り、どっぷりとヨーロッパの年 末年始を味わった。 ‑15‑ 4 ボルダロ・ピニェイロについて ドイツ旅行の後,ポルトガルの有名な工芸の工房を,いくつか訪ねる機会があったの だが,カルダス・ダライーニャというところにある,ボルダロ・ピニェイロには行くこ とができずじまいであった。残念なことに,リスボンにある彼の美術館も現在閉鎖され ていたのだが,学校図書の中に彼の作品集があったので,それを参考にしたり,クラス メートに質問したりしながら,彼の作品を自分なりに受け止めることができた。 ポルトガルの代表的な芸術家であるボルダロ・ピニェイロは、造形作家として19世 紀に活躍した造形作家である。彼は1884年に陶磁器メーカーを作り、今日もなお続 いている。彼は風刺漫画家としても有名で,陶器の作品も世相を反映させたものが多い。 なぜ取り上げたかというと、彼の作品はとてもポルトガルらしいと感じるからだ。 本物そっくりに作った海老や、果物が盛られている皿、使うということを拒否した、 それらの作品は、ほかの日用陶器と ともにお店で売られている。お土産 物屋でも気軽に買えるのが、菜っ葉 の形をした陶器や、かぼちゃのかた ちを少しデフォルメした陶器など で、元の形を、出来るだけ再現した ものがほとんどだ。 大量生産品にもかかわらず、簡素化するデザインではなく、リアルに表現する部分を かなり残している。結果的に、このことが素朴さや洗練されきっていない独特の雰囲気 を出している。絵画を見たり、アズレージョを見たり、他にも住んでみて感じた共通す る「ポルトガルらしさ」は、ポルトガルの時にグロテスクとも言える表現方法だったり、 あるものをあるがまま受け入れようとするおおらかさだったり、良くも悪くも、変える ことを拒み、古いものを大切にする姿勢だった。 5ヶ月というのは長いようで,まだまだ、ポルトガルについて未知の部分がたくさん あり、私の持った感想は、的確なものではないかもしれない。しかし,ボルダロの作品 を通してポルトガルについての印象が少し確かなものになった。 ‑16‑ 5 アズレージョ工場の視察 1月28日、今回のポルトガル研修で大変お世話になった、ベラ・シルバ氏の計らい で、VIUVA LAMEGOという陶器工場の視察をする事ができた。ここでは、ポ ルトガルらしく、かなりの規模でアズレージョも制作していた。 お店の看板としても需要のあるアズレージョの依頼品の仕事をする人、緻密な絵付け をする人、プリントによる大量生産品を作る人、お みやげでよく目にするポルトガルらしい陶器など もすべて分業で効率よく仕事が進められていた。 ベラ・シルバ氏は、タイルや、粘土を使う作品の 他にも、画家としても活躍しており、一年の半分は ニューヨークで活動しているアーティストである。 その彼女が、今回リスボンの地下鉄の駅のアズレー ジョを担当することになり、ここの工場で制作に当たっていた。 ポルトガルの地下鉄構内の壁面は、一駅ごとに一人のアーティストが担当し、駅のイ メージアップや、周辺の土地柄を反映したようなアズレージョで飾られている。 彼女は、ALVALADEというまだタイルを施していない駅のひとつを担当してい た。私が工場視察できたのも、半分は,彼女の仕事のお手伝いということで、同行できた からである。 彼女の仕事は、まず原画を描くこと。それを拡大したものを、職人がタイルに転写す る。そして、原画に近い色を専門の人と話し合いながら決める。同じ色で広い面積を塗 る時などは他のスタッフが作業を進める。最終的には彼女の筆が入り原画と同じような 仕上がりになる。 拡大図を素焼きのタイルに写す時 は、木炭の粉を拡大図の線上に等間 隔にあいたミシン目に押し付け、描 いていく。色の描き分けは、塗らな い部分に赤セロファンを貼り、絵の 具の侵食を防ぐ。セロファンだと、 下地の絵が良く見え、カットしやす い利点がある。筆で塗るには広すぎ ‑17‑ る部分の色塗りは、筆でさっと塗った後にスポンジを使いむら無く仕上げていた。 私も、絵の一部の色塗りを手伝わせていただいた。今年(2004年)の4月中にも 施行は済み,地下鉄構内に、ずっと飾られるかと思うと、うれしくて、ただ失敗だけは しないように集中して描いた。 既に焼きあがっている何枚かを見ても、かなり原画と近い出来なので、焼成温度を尋 ねたところ、925度ということだった。たくさんの色を、思いどおりに出すには、や はり低い温度の方が簡単で、適しているのだろう。 工場内を見て回ったのだが、窯場がとても広く、素焼きのストックの多さにも驚いた。 何万枚というようなタイルの素焼きの山、たくさんの壺があった。また、ベルトコンベ アーで釉薬がけから窯詰めまで行われていた。 ‑18‑ 6 ヴィスタ・アレグレ(陶磁器メーカー)の視察 知り合いの紹介とポルトガルの日本大使館のご協力で、ポルトガルで一番大きく、歴 史も古い、陶磁器メーカー、ヴィスタ・アレグレ社の視察をする事が出来た。 行く前に、気になったことがあった。クリスマスの時期に、リスボンでもたくさんの イルミネーションや、化粧品や服のブランド物のポスターが街に飾られていたのだが、 あちこちのバス停留所の広告用のパネルに、ヴィスタ・アレグレの広告が貼られていた のだ。モデルも起用したこの宣伝方法は、人々が、高級磁器に魅力を持っている証拠だ。 ヴィスタ・アレグレは、リスボンより北、ポルトよりも少し南の、アベイロの近くに ある。1824年創業で,もともとガラスの工房だったのだが、1835年から陶磁器 もはじめた。創業者の息子が仏のリモージュで学び、そこから技術者をポルトガルに連 れてきたこともあり、飛躍を続け、創業者の孫の時代になると世界的に有名になってい く。現在では、国からの公的な仕事を請け負い、海外支店を持つ、世界でも7番目の生 産ラインを持つ大きなメーカーである。このような、創業から現在までの変遷を、博物 館では、そのコレクションと共に観ることが出来るようになっている。 この時は、通訳の方に来てもらい、サポートしてもらったので、色々な質問が出来て、 とても有意義な視察になった。 工場のすぐそばには、ここのシンボル的存在の小さな教会も建ち、中にはすばらしい アズレージョが施されていた。キリストの誕生の場面が祭壇に祭られているのは唯一こ こだけだと案内の方に教えられた。 周りはとてものどかなところで、白壁に黄色の縁取りがかわいい家々が立ち並んでい る。この色使いは、ヴィスタ・アレグレ独特のもので、ここに勤める従業員の住む家な のだそうだ。敷地内には消防署、病院、従業員食堂、託児所まで整えられている。した がって、代々勤める人が多いそうだ。 一番楽しみだった工場の見学は、ここの従業 員食堂での昼食後となった。従業員は1ユーロ で食事ができるようになっていた。いろんな面 から見ても良い労働環境のように感じた。その 分、社員教育も行き届いているのか、みんなて きぱきと行動していた。 工場は思ったよりもきれいで広く、色々なも のが作られていた。それぞれの持ち場の人が手 際よく作業を進めており、感心させられた。 ‑19‑ 乾燥は24時間、素焼きは24時間焼成で900度、本焼は24時間焼成で1300 度。このうち、不良品は全体の2.5%だそうだ。100m以上もあるトンネル窯をフ ル回転させて焚いていた。 次は絵付けの見学。完全に他の部署から隔離された絵付けの部屋は、絵の具の独特の においがした。絵付けのテーブルは少し高めになっていて、いすも少し高い。絵付けの 仕方によって、調整するようだ。他にもテーブルには感心するような工夫がたくさん仕 掛けられていて、私が興味を示すと実演してくれた。残念なことに、絵付けの部屋だけ は撮影禁止になっていて、後から思い出そうと色々メモを取った。ここは禁煙になって いて、徹底した管理に好感がもてた。 ‑20‑ 7 スペインでの視察 2月に入り、帰国も間近になり、課題の制作も落ち着いた頃、スペイン(バルセロナ、 バレンシア)に、行くことにした。 まずバルセロナに行き、陶器美術館に行く。ここではスペイン各地の陶器の変遷を観 ることが出来た。しかし、ポルトガルもスペインも大まかな歴史は似通っている。 イス ラム文化の影響を受け、19世紀末〜20世紀初頭には、アールヌーヴォーの影響を受 けるなど、作品を見比べても、区別のつきにくいことがあった。ポルトガルがスペイン 領となった16世紀より少し前からは特にそうだった。 リスボンにあるグルベンキアン美術館のイスラム陶器(アズレージョを含む)の所蔵 品を思い起こしても、アラビア文字を配したものや、幾何学模様、ラスター彩(焼きあ がった白地の陶器の上から、金属の酸化物か硫化物で絵付けをして低火度の還元焔で再 度焼成する技法)、ミーナーイー手(白地に様々な色絵付けを描き、この上に透明釉を かける技法)という、イスラムの陶工が創始したという技法による陶器を見ると、ポル トガルや、スペイン陶芸の発展の基礎を見ているような実感があった。もっとも、15 〜18世紀に発達したのは、西方イスラム世界であるスペインのアンダルシア、バレン シア地方なので、ポルトガルはその後にようやく、という感じもする。 しかし、今回は14世紀以前ののびのびした素朴なカタルーニャ地方独特の絵付けに 魅力を感じた。その土地の特性や、生活の中から生まれてくるものにパワーを感じたか らだと思う。単に好みの問題なのかもしれないが、いい作品をつくることと、技術の関 係について考えさせられた。とかく技術面から優劣を つけがちだが、この土地らしさについて伝わってくる 何かが在るほうが、私にとって大事なことだったのだ。 この日は、ここの他に、隣接する装飾美術館と、バ ルセロナ現代美術館、カザ・ミラに行く。 翌日は、サグラダ・ファミリアとピカソ美術館に行 く。サグラダ・ファミリアは、上まで螺旋階段で登れ るようになっていて、その途中で立ち止まり、たくさ ん足場が組まれている,いまだ建設途中の内部を見な がら移動できる。ガウディの未完の傑作として有名だ が、今なお、つくる現場であるということが、刺激的 な場所にしている気がした。使用されている20種類の 石材が展示され、適材適所に使い分けられている説明 ‑21‑ 書きがあったり、重力を利用した構造、ねじりによる強度のある柱などなど、自然の摂 理を利用した数々の工夫を、パネルや模型で解り易く見る事が出来た。その中で、アル コで模造の課題で使った木の実が、ガウディの作る 尖塔のモチーフによくなっているものだったと知 り、意図的に使ったのか確かではないが、ヨーロッ パに広く彼の思想が浸透しているように思えた。 ピカソ美術館は、今回パリでも行ったので、2ヶ 所目になる。ここには、幼年時代から晩年まで、幅 広い所蔵品が一堂に並ぶ。彼はありとあらゆる描き方を試しており、作品が成長してい るように思えた。ここでも陶芸作品を観る事が出来た。 慌しい滞在になるが、バレンシアにも足を運んだ。ここには国立陶器博物館があり、 バレンシアの三大陶器といわれる、パテルナ、マニセス、アルコラ、ほかにもトレド、 セビーリャなどの陶器も展示されている。ラスター彩や、装飾タイル、いろいろな時代 のスペインの陶磁器があった。 ‑22‑ 8 ポルトガルでの視察 リスボンに滞在中、学校が休みの日を利用して、ポルトガル国内の視察をした。よく 通ったのは、リスボンにある、グルベンキアン美術館である。絵画をはじめ、エジプト、 ギリシアなどの古代美術、イスラム美術、陶磁器に関しても、中国のものがたくさん展 示してあった。ここは、石油王だったグルベンキアンの寄贈品による世界的美術館であ る。図書館や広い公園もあって、市民の憩いの場だ。 ここには、現代美術の展示が別棟にあり、常設の他に、企画展やワークショップも行 われる。滞在中にアルコが主催した新作のジュエリー・アクセサリーの展示会があり、 前夜は無料開放のオープニングパーティーがあった。こういう機会はグルベンキアン美 術館に限らず頻繁に催され、画家や、陶芸家、写真家といった分野の違う人たちや、ア ルコの生徒、一般の人にとっても大切な社交の場となっている。 ベレン文化センターも広い展示スペースのある近代的な美術館だ。個人でも行ったが、 一度授業でも訪れた。センターのあるベレン地区は、ジェロニモス修道院やベレンの塔 などの世界遺産の建築物がある、見所が多いところだ。 少し離れて、国立古美術館があり、狩野派の南蛮屏風を見る事が出来た。ポルトに行 った時にも、美術館で見たのだが、それと比べてみても、状態もよく、懐かしい気持ち にもなりながらじっくり鑑賞した。ポルトガル人の友人にそのことを話すと、「日本で もビョウブはビョウブというのか?」と驚いていた。 かぼちゃのことを天草の方言で「ぼうぶら」という が、ポルトガル語とほぼ一緒の発音だった。共通の 言葉を挙げればきりがない。他の展示品には有田焼 もあり、昔からの文化の往来を思う。 あと、忘れられないのが、世界遺産にも指定され ているエヴォラへの視察だ。小さな街であるが、町 並みも美しく、治安も良いようで、散策するのにと てもよい街だ。 ここは、とてもキリスト教の信仰が厚いように思 われた。時間を基準にしているのだろうが、一日に 何度も教会の鐘があちこちで鳴り響いていた。それ は夜中も続く。 いくつかの教会に行ったのだが、エヴォラ大聖堂 はとてもすばらしかった。この教会は、1584年 ‑23‑ に、天正遣欧少年使節団が訪れたところである。ここでパイプオルガンを弾いたとされ るが、実際にパイプオルガンを見たとき、すこし彼らの気持ちに近づけたような気がし た。リスボンにあるサン・ロケ教会も、彼らが数日間滞在したようだ。 彼らは帰国後数奇な運命をたどるが、活版印刷機をもたらすなど、天草とは関係も深 い。私が帰国した日に、千々石ミゲルの墓が発見されたこともあり、勝手に何かの縁を 感じてしまった。これからも、関心を持ち続けていきたいと思っている。 ポルトには、ジョアオ・カキジェイロ氏や、ソフィア・ベッサ氏が住んでいるので、 何度か行く機会があった。それぞれの仕事場を見学し、日本ではわからなかった彼らの 仕事ぶりや、考え方に触れることが出来た。当然といえば当然だが、同じ陶芸の仕事に 携わっていても、それぞれの土地でだいぶん違うものなのだなと感じた。ソフィア氏は、 オブジェの制作が多いのだが、政治、社会に対するアンチテーゼを主題にした作品等を 見せてもらった。ジョアオ氏は、映像の仕事もしているそうで、違う分野で、表現の幅 を広げようとしていた。 大量生産の工場と、個人で活動している陶芸家の両方からポルトガルでの陶芸の仕事 のありようを見たが、両者の関連性が薄く、陶芸家が器をつくるというより、デザイナ ーの工業的な仕事のようだ。 ポルトでは他に、最近立ち上げたというアズレージョ工房に視察に行った。2人で経 営している小さなところだが、清潔で、設備もちゃんとしており、いい工房だった。数 年、職人としてタイル工場で働いてから独立したそうだ。こういうパターンで仕事を始 めた方に、ポルトガルで初めて会ったので、お話をうかがえてとてもよかった。 ‑24‑ ポルトガルといえば、アズレージョが有名なのだが、私の感想では、リスボンよりも、 ポルトや、アヴェイロ、コインブラ(白地に青絵の具で動物の絵付けがされた焼き物の 街として有名)など、北の方が美しいものがたくさんあるように感じた。昔から、タイ ルの工房がこの周辺にあるとも聞いたので、そういう理 由からかもしれない。 ‑25‑ 9 研修を終えて 言葉も通じない初めての土地で、5ヶ月生活することには、実はあまり心配は無かっ た。しかし、そういう状況の中で、有意義な研修にするために、私がどこまで柔軟に行 動できるか不安があった。 学校でも、言葉の問題もあり、けっして、すべてがスムーズに運んだとはいえないが、 ものを作ることで、意思の疎通ができるということもわかった。 この研修を、無事に終えることが出来たのも、ベラ・シルバ氏、ジョアオ・カルキジ ェイロ氏、ソフィア・ベッサ氏、ドイツのレオンハルト・カイ氏のおかげである。その 他にも、たくさんの方々の助けのおかげでよい経験をさせていただいた。この機会を生 かし、これからもポルトガルと関わりを持ち続けたい。また、滞在期間中には消化しき れなかったこともたくさんある。新しい興味の幅も増えた。今後、この経験が、実を結 べるようにしていきたい。 最後になりましたが、この研修にあたって、 推薦してくださった、熊本県伝統工芸館、本 渡市長、天草陶磁器振興協議会、丸尾焼の金澤先生、また、この制度への応募を勧めて下さ いました九州電力天草営業所の瀬音所長のご厚意に感謝いたします。 そして、九州電力株式会社により、このような貴重な機会を与えていただいたことに心よ りお礼申し上げます。 ‑26‑
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