ミャンマー通信 2 号 2007 年 4 月 26 日 わくわくガイア 横森健治 わたしは、2006 年 12 月からミャンマーに滞在している。日常の仕事は、保健医療の 政府間協力プロジェクトにおいて管理運営の業務に従事しているが、休日・祝日、勤務 時間外には、少しずつ<NPO わくわくガイア>の活動をはじめた。 1. 日本語教育 ミャンマーに来るまで自分が日本語教師になるとは考えなかった。今は、ヤンゴン市 内のコウタジ−寺にて、毎週日曜日 14:30−16:30 まで日本語初級クラスを受け持っ ている。 生徒数は 10∼15 人で、年齢は 17∼52 歳。男性がやや多いが、高校生、医学生、公務 員、無職まで多彩である。日常的な日本語会話の習得を目的にしているが、生徒はまじ めで学習意欲がビンビン伝わってくる。 教えることになったキッカケは、「地球市民の会」という NGO で働く日本女性の紹介 だった。彼女が上級クラスを受け持っており、初級クラスはどうかとわたしを誘ってく れたのだった。 軽い気持ちで引き受けたが、やり出すと夢中になってきた。日本語についていかに無 知かがわかったし、それを学生の興味を引くように教えるのがオモシロイ。少しずつで も学生が日本語を話せるようになると、元気が出てくる。 そこからわくわくガイアの活動として日本語教育導入を思いついた。初級クラスの学 生は日本語をほとんど話せないが、上級者になると日本語を何とか使えるようになる。 日本の若者がミャンマーに来たら、即、ボランティアの日本語教師になることができる のだ。特段、教授法を身につけていなくても、発音や日本文化に関しては「先生」とし て人の役に立つ。 自分が役立つという実感を得ると、自尊心・自己肯定感が高まるのではないか。そん な発想から、自身の日本語教授法を磨きながら、元気の出るわくわくガイアの活動の 1 つとして日本語教育を検討して行きたい。日本語教育を通して、日本の若者が元気にな り、ミャンマーの人びとが日本に近づけるかもしれない。 2. 連携パートナー探し ミャンマーにおいて、わくわくガイアの活動場所および連携パートナー探しを続けて きたが、以下に述べるように、メイミョという町に存在する 3 組織が連携相手として適 していると思われる。 21. 活動現場は高原の避暑地メイミョ(ピンウールイン) メイミョとは、イギリス統治時代に駐屯したメイ将軍の町(ミョ)の意味である。熱 帯にありながら標高が高いので、避暑地として有名である。その名所、カンド―ジ公園 には一年中色とりどりの花が咲き、客が絶えない。涼しい気候では勉学も進むようで、 受験塾が林立している。特に有名な 2 つの塾には全国から生徒があつまり、寮生活を送 る。 当国では、高校最終学年である 10 年生のテストで大学入学先が決定するシ ステムなので、このテストに向けてモウベンするのである。 交通の便もよく、首都ヤンゴンから古都マンダレーまで飛行機で 1 時間、そこから車 で 1 時間半で到着する。洞窟滝、瞑想寺院、カンドージ公園などの観光地の他に、イチ ゴ、コーヒー、ヨーグルトの産地としても国内に知れており、農畜産業に適した地とい える。 過日、40 度近い猛暑のヤンゴン、マンダレーからメイミョに到着したとき、頭の芯 から冴えわたる涼気に包まれ、なんともいえない心地良さだった。 22. 3つの連携可能なパートナー 221. ドーピン孤児院 ドーピン孤児院について、ミャンマー通信 1 号では、500 人の孤児収容と書いたが、 大学生、修行僧まで含めると 600 人が生活するという。今回は、この孤児院の所有者兼 指導者であるアシンパダワ僧侶にお会いすることがかなった。 彼は現在 49 歳。21 歳で僧籍に入り、20 年以上、同孤児院を運営する。毎日午後から は村々を回り、最大の課題である食料集めの寄進を大型スピーカで呼びかける。親のな い子をほかの子が見下げてバカにするのをみてから、孤児院開設を思い立ったという。 2 歳から大学生までの男児が一緒に暮らすため、実によく食べる。1 日の生活費は 2 万円を越える。これを支えるため、田んぼと野菜畑を有すが、寄進が主たる収入源であ る。 わたしが以前訪問した際は、水が不住しているとの情報を修行僧から得たが、今回は きれいな水が豊富にあった。同僧侶によると、今必要なものは食べ物の他には以下のも のだという。 1) 子供たちの宿舎と教室 現在は、老朽化した木造の宿舎にごろ寝状態。寝具も不足し、衛生的にもかなり汚い。 また、教室が暗く、汚れており、床にノートを広げて教師のことばを写している。 2) コンピュータセット コンピュータ 5、6 台そろえ、子供たちに使い方を教えるとともに、仏典の保存とプリ ントアウトをしたい。 この孤児院からは大学生も輩出されており、大学卒業後の就職の世話もしているため、 働き始めた者は給料から寄進するという。上部ミャンマーの各地から少数民族、ミャン マー族を問わず生活困窮家庭の子供が送られてくる。僧侶、警察、兵士、村長が連れて くるのだが、断ったことは一度もない。だが、将来にわたり彼らを支えられるか不安に ならないのだろうか。わたしなら、まず、その責任の大きさにおののくのではと想像し た。 100 人中2、3人の子供はここの生活が嫌で逃げ帰る者もいる。「食事がまずい」「寝 るところが汚い」が理由という。アシンパダワ僧侶は「2つとも満足させることは難し い」といって豪快に笑う。逃げていったけれど、再度、入門を願い出る子がいるが、そ の子を必ず受入れるとのこと。彼らには、「真面目に勉強すること」を必ず約束させて いる。 当方からの依頼事項も打診しておいた。 ―8 月に数人のスタディツアーを受け容れてほしい。 ―畑で野菜・ハーブの有機栽培をさせてほしい。 ―子供たちに対する日本語教育をさせてほしい。 同僧侶からはどれも快諾をいただいた。スタディツアーの来客は孤児院内に宿泊も可能 とのこと。寝食を共にして子供たちと語り合う機会になろう。 222. セレシアン・シスターズ修道院女学校 ドーピンから車で 5 分の距離にある同校では、修道院に女学校、幼稚園、学習塾を付 帯している。訪問のたびに、ビルマ料理だけでなく、他民族の料理も調理して出してく れる。女学校生徒に女性の心得、栄養・調理実習、裁縫・刺繍・編物、保健教育を提供 している。 以前訪ねたときは、給水タンクへのひび割れを修理したいという要望を受けた。今回 も同じニーズを感じたが、近くには川があるし、急を要するほどの問題ではなさそうだ。 それよりも、女学生たちが 2 年間の寄宿生活を終えるとき、一人 1 台ずつプレゼントさ れる足踏みミシンを支援することの意義を感じ取った。1 台分約 5000 円で彼女たちの 生活を支えることができるかもしれない。それがかなわなくても、家族や親戚の繕いも のは可能になる。なにより、2 年間の「修行」を終えて出身村に帰った彼女たちは、そ の達成感とともにミシンを村人に披露するらしい。そんな支援にガイアが関われたら支 援者にも功徳が戻ってこよう。 この学校でのボランティア作業としては以下のものが可能であると責任者のステラ 修道女の返答をいただいた。 ―野菜畑での野菜の植え付け ―生徒との歌の交換 ―調理実習 子供と親との関係もこの学校のおかげで改善しているらしい。幼稚園に来る子供に対 し、ゴミ箱へゴミを捨てるように指導しているが、家が汚く散らかっている家庭におい て、子供が親に注意して、ゴミ箱を使うようになった例も報告されている。同校が、貧 しい家庭の衛生住環境向上に大いに貢献しているという印象を持った。 223. ニェーヤ盲学校 今回は、責任者のニェーヤ僧侶が不在だったが、補佐役の職員(健常者)の説明で、 星占い研修、その実践、日本式指圧等を体験することができた。 星占いは、ヤンゴンから講師を呼んで 10 日間の集中講習。約 30 人の研修生が講師の 説明を聴講し、記録していた。盲人は点字を刺し、数名の健常者もノートをとる。西洋 式・インド式など何種類かがあるようであった。 その後、この学校で星占いが一番できる先生にわたしの星をみてもらった。生まれた 年、月、日はスイスイ答えられるが、曜日の計算は大変だ。さて、時間となるとさらに 難しい。確か夜だったと聞き覚えがあるが・・・。彼のお告げは次のとおり。「仕事は 自分ひとりで決めると成功する」「緑の服を着なさい」「すっぱいものはダメ」「仏の 出る夢をみるでしょう」。ミャンマー人は、いろいろな占いを好む。この学校では星占 いのほかにタロットも取り入れている。占いが盲人の職業の一つになっているから、こ のような研修ニーズがあるのであろう。 次に、日本式指圧。日本人の指圧師から 6 ヶ月間教わったという男性に実際に指圧を してもらった。彼はミャンマーのマッサージもできるそうで、その違いは、ミャンマー のほうが筋をよく揉むとの返答だった。日本式指圧をお願いしたのだが、これはあまり 気持ちよくなかった。押し方が強くて耐えられないほど痛い。うめきそうになるので、 強くしないでくれと何度もお願いした。このとき感じたのは、さらなる研修の必要性だ。 客が少ないことも技能低下を招く。日本から講師を招き、研修を実施しながら、日本か らの来客に、どこをどのように揉むと効くのかについて、感想を訊くような工夫もした いところだ。そうすれば、日本からの客にもミャンマーの客にも対応できる指圧・マッ サージが可能になる。 最後に、この盲学校にどのような支援が可能かを同校職員に尋ねた。 点字用のパソコンおよびプリンターがほしいとのことだった。そのプリンターを使うと 点字がくっきり、はっきり飛び出すのだった。これはわたしも確かめたが、確かに凹凸 がはっきりしていた。学習結果や生活記録の保存にも使えるのでこのような需要は妥当 だと思われた。 3. ヨガ修行 わくわくガイアでは、これまで何度もヨガ講習を行ってきたが、ミャンマーではヨガ は知名度が低い。ヤンゴンにてヨガのクラスを探したが、2 つしか見つからなかった。 1 つはアメリカ人男性が講師のクラス。こちらは欧米人の参加者が多い。一度参加した が、鳥小屋のような狭い金網の部屋で蚊に刺されながらヨガをするのだから、全くリラ ックス効果は現れなかった。 もう 1 つは、ヤンゴン旧市街のヘルスクラブ。エアロビクス、マッサージ、散髪とな らんでヨガクラスも設置。毎週土・日の 17:00∼18:30。ひと月 8 回で 400 円だから 値段もお得。それでも一般市民には高いようで、お金持ちのお嬢さんが多い。男性参加 者は 2 名。わたしと 50 代のおじさん。 講師は若い女性。彼女の前に担当した講師が産休に入ったので、一番弟子の彼女が講 師になったとのこと。 毎回、摂氏 30 度以上のフロアーにおいて、汗が滝のように流れる中で数々のポーズ を修得している。参加者には体格のいい女性が多いのであまり難しいポーズはとらない が、みんな、背骨をそらせるポーズが苦手のようだ。レッスン後は、みんなでお喋りす るかと思ったが、あっさり帰るのが意外だった。 上述のメイミョでの活動は始まれば、僧院や修道院、盲学校にてヨガを導入するのも 一案である。普段使わない筋肉を使い、呼吸法をマスターし、仏教の座禅とヨガの瞑想 を比べるのもリラックス法の探求として意義深いと思われる。ただし、うら若き女性講 師が僧院でヨガのポーズを取ることを僧侶が許すかどうかはわからないが・・・。 4. 今後の展望 1)2007 年 8 月には、わくわくガイアの会員からなるスタディツアーを組んでヤンゴ ンおよびメイミョを訪れ、プロジェクトの可能性を検討する。活動地域はメイミョが想 定されるが、特にドーピン孤児院を拠点にして、有機農業、日本語教育等の活動ができ るかどうか、わくわくガイアとしての方針を決めたい。 2)その結果、活動開始の決定がなされた場合には、現地スタッフを雇用して暫定事務 所を開設する。正式にはミャンマー政府の許可を得なければならないので、暫定的では あるが、ドーピンに拠点を構え、有機農業、日本語教育の事業に着手する。 3)実施体制が整ったら、日本から研修員を受入れ、野菜・薬草・ハーブ・果樹を植え、 収穫する。同時に、日本語教室を開設して、孤児たちに日本語を教え、日本の歌をとも にうたい、風光明媚な滝にみんなでそろってピクニックに行くといったヴィジョンを描 いている。 4)政府への活動許可申請については、ミャンマーに長く居住する日本人ビジネスマン や元国連職員の方々に相談しながら、どの省庁の下で活動していくべきかといったポイ ントを慎重に検討し、協定文書(Memorandum of Understanding)を作成し、署名する ことになる。 以上
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