ここ - 麻布学園

麻布学園
図書館だより
No.58 2016. 3. 4. 麻布学園図書館部
2015 年度 ブックフェア
特 集 建 築
目 次
ブックフェア 特集・建築
都市と建築 & オリンピック
校長 平 秀明 ������������������������������ 1
我が家は大丈夫か 建築雑感
理科 佐久間 道則 ��������������������������� 4
美しいと思う、懐かしいと感じる
社会科 水村 暁人 ���������������������������� 6
東
京
レ ガ シ ー
TOKYOLegacy1940,1964, そして 2020
社会科 濱田 博之 ����������������������������� 8
世界と測りあう-「建築」の役割-
数学科 柳生 一 ���������������������������� 10
あんな物やこんな物にも
英語科 中野 靖英 ��������������������������� 13
綱町三井倶楽部と麻布学園
英語科 増永 英夫 ���������������������������� 15
雪国の建築
体育科 山田 裕一郎 ��������������������������� 16
麻布学園周辺有名建築案内
国語科 大石 將朝 ���������������������������� 18
麻布校舎と新体育館建築
芸術科 彦坂 昌宏 ��������������������������� 22
120 周年記念体育館計画について
三菱地所設計 米田 充治 ������������������������ 24
建築の施工・建物を造る仕事
鹿島建設 新体育館工事所長 中島 正秀 ������������������ 26
“ 建築 ” 教員アンケートについてと、クイズ�������������������� 31
“ 建築 ” 教員アンケートの回答�������������������������� 35
“ 建築 ” の本
鳥居 明久(図書館)+大石 將朝(国語科)������������������ 42
図書館ブックフェア・“ 建築 ”講演会報告(講演者:藤村 龍至氏、三井 祐介氏) ��� 47
ブックフェア 特集・建築
都市と建築 & オリンピック
校 長 平 秀明 幼少の頃、西大久保の祖父母の家に芝白金三光町の自宅から父母・妹弟とよく遊びに行きま
した。初乗り 100 円のタクシーで明治通りを経由していました。道もすいていてガソリンも
安かったのでしょう、200 円もかからずに着きました。かれこれ 50 年近く前の話です。支払
いには板垣退助の 100 円札、もしくは鳳凰か稲穂の 100 円貨、あるいは大ぶりの 50 円ニッ
ケル貨が使われていたはずです。
ある日、「これが新しい 100 円玉と 50 円玉だよ」そう言って祖父が机の引き出しを開けて
現行の白銅貨を大事そうに見せてくれたことがありました。今から思うとそれは新硬貨が発行
された昭和 42 年のある日のはずです。光り輝く硬貨はスマートな感じがしましたが、従来の
硬貨に比べるといかにも安っぽい印象を受けたことを覚えています。
道行きの話に戻ります。途中、私は三つの景色を楽しみました。一つ目は道路中央をガタゴ
トと車と並走する都電。二つ目は渋谷の東映前でトロリーバスがカーブを曲がるとき、軌道上
に張り巡らされた架線と集電器の間から生じる放電の青いスパーク。そして三つ目は、東郷神
社を過ぎて左にカーブしながら緩い坂道を登る途中、眼前に現れる建物でした。鉄筋コンクリー
ト造りで大きなガラス窓を擁するその建物は、一つ一つの居住区画が直角に交差する桁の上に
のったブロックのような張り出し構造をしており、いかにも近未来を彷彿とさせる建物でした。
それを見ると子ども心にワクワクする気持ちが湧き起こってきたものでした。団地やアパート
はあっても、今のようなマンションがほとんどなかった頃の話です。
そのような経験があったので未だにその場所を通ると、周りには高いビルが建ち並び。街
の景観は大きく変わってしまいましたが昔ながらの佇まいを見せるその建物に心が惹かれま
す。このたび初めて現場に赴き子細に観察し、ネットでも調べてみました。その建物は VILLA
BIANCA という名称で 1964 年の建設、初期のデザイナーズマンションということでした。
今、戦後建てられた名建築が次々と解体され街の再開発が進む中で、素敵な造りの建物がそこ
にちゃんとあるのを見ると、ホッとするとともに、建築は消費財ではなく文化財であるとの思
いに駆られます。
この明治通りを挟んで外苑西通りの脇には国立(霞ヶ丘)競技場、そして西側、代々木公園の
-1-
南には国立代々木競技場があります。ともに 52 年前の東京オリンピックで会場として使われ
ました。これらは、東京オリンピックの記念切手にも武道館、駒沢競技場とともに登場します。
しかし、国立競技場は 2020 年開催の東京オリンピックのメインスタジアムを作るために昨年
取り壊され、今、そこは更地になっています。新規のスタジアムは一度採用された建築家の案
が、施工費が予想を遙かにこえる額になることが明らかとなり、世の批判を浴び不採用となり
ました。五輪エンブレムについても不透明な採用経緯や著作権上の問題が明らかとなって、当
初案がボツとなりました。
こんなお粗末な対応に、オリンピック組織委員会はいったい何をやっ
ているのだという思いが募ります。それとともに、当初採用された、いかにも超未来的なメイ
ンスタジアムのデザインは私には東京の街にそぐわない建物に映っていたので、採用されなく
て良かったと思っています。隣接する東京体育館でさえ、あのメタリックなUFOのような外
観は私には受け容れがたい建物です。
冬季オリンピックは降雪のある、中・高緯度の国々に開催国が限られ、スキー場やスケート
リンクなど大規模な施設が必要なことから先進国のみのスポーツの祭典となっています。低緯
度地方に多い開発途上国では冬季オリンピックの選手を育成することさえできません。夏季オ
リンピックの開催も多額の経費がかかるビジネスとなり、先進国でさえ支えきれないほどの巨
額の投資が必要となりました。いつからかオリンピック自体もアマチュア精神から大きくそれ
て商業主義がはびこってしまっています。
1964 年の東京オリンピックでは、素朴な楕円型の国立競技場、丹下健三の設計によるツイ
ンピークの代々木第一体育館、螺旋が天にそびえる第二体育館、法隆寺の夢殿を模したという
日本武道館、シェル構造の駒沢体育館など、デザイン性にも優れた立派な競技場が建てられま
した。代々木の体育館や日本武道館は 2020 年のオリンピックでも使われるようですが、果た
して国立競技場は建て直す必要があったのでしょうか。収容人員は限られるとはいえ、再びの
使用ができなかったものでしょうか。
手を加えれば耐久性も十分だったのではないでしょうか。
国立競技場は 1961 年 9 月 23 日と 1965 年 10 月 3 日に麻布中学・高校の運動会の会場とし
ても使用された思いの残る競技場でした。天皇杯サッカー選手権大会や高校サッカー選手権大
会の会場などとして使われたことから「サッカーの聖地」として記憶している方も多いでしょ
う。次回の東京オリンピックは新しい施設を次々と作るのではなく、前回の施設を受け継ぐエ
コで経費の負担が小さいオリンピックということを前面に押し出したアピールの仕方もあった
のではないでしょうか。ナチスドイツのベルリンオリンピック以来、スポーツの祭典が国威発
揚の場と変質してしまっています。このような愚はもうやめるべきときにきているのではない
でしょうか。
1964 年の東京オリンピックを戦後日本の復興の象徴として、その後、世の中は高度経済成
長時代に突入します。次々に古い家屋は壊され、新しいビルが建つようになりました。そのこ
ろ自宅二階の屋根によじ登ると、東京タワー、赤坂メディアビル(東京放送)、国会議事堂を
望むことができましたが、いつの頃からかそれらの眺望は建物に遮られて見られなくなってし
まいました。もっとも、亡き父は「昔は屋根の上から勝鬨橋が橋梁をあげたところが見えた」
-2-
と言っていましたが。
1968 年、日本で最初の超高層建築である霞ヶ関ビル(36 階・156 m)が竣工しました。
小学校の帰り、家の近くの三光坂上から見下ろす遙か先に、2 本のアンテナが特徴の日本一の
ビルが見えることが子ども心に嬉しかったです。その後、1970 年に浜松町に世界貿易センター
ビル(40 階・162 m)が竣工し日本一となりました。白い霞ヶ関ビルに比べると黒い世界貿
易センタービルはよいコントラストでした。やがて、1971 年に新宿西口に京王プラザホテル
(47 階・178 m)
、1974 年に新宿住友ビル(52 階・210 m)、新宿三井ビル(55 階・225 m)
と日本一のビルが新宿に作られていきます。その後、安田火災ビル、新宿野村ビル、新宿セン
タービルなどが 70 年代に建てられ、新宿西口は副都心として一応の完成を見ます。その後、
1978 年には池袋にサンシャイン 60
(60 階・239 m)が日本一の高さを誇りました。ここのア
ンテナ設置に技術者として関わった父の屋上部で撮ったヘルメット姿の写真が母の家の居間に
飾られています。新宿の高層ビルは旧淀橋浄水場の跡地、サンシャイン 60 は旧巣鴨拘置所の
跡地という、都内でも大きな空地を利用して建てられました。それらのビルの多くは低層に商
業施設があり、高層にはレストランや展望台があり、一般の人にも超高層からの展望を楽しめ
るように配慮したものが多くありました。
1980 年代は超高層ビルの建設は休止期に入ります。サンシャイン 60 は東京都庁第一本庁
舎(48 階・242 m)が建つ 1991 年まで日本一の高さを誇ります。向かいの新宿NSビル(1982
年・30 階・133 m)のレストランからよく新都庁舎の建設工事が進む様子を間近に興味深く
眺めました。外壁の部分はユニット化されていて、大型トラックからクレーンで吊り上げ、駆
体にはめ込んでいく工法は、まるでプラモデルを組んでいるように見えました。代々木のオリ
ンピック体育館と同じ丹下健三による建築です。今から思い返すと、新都庁舎はオリンピック
景気に始まった高度経済成長が行き着いた先のバブル経済を象徴する建物だったと言えるかも
知れません。
1993 年に横浜みなとみらい 21 地区に横浜ランドマークタワー
(70 階・296 m)が建ち、日
本一となります。このランドマークタワー建設の際にも、高所から吊り上げるクレーン架の資
材がバランスを保つよう技術者として関わったと父から聞きました。横浜ランドマークタワー
は 2014 年に大阪市のあべのハルカス(60 階・300 m)に追い抜かれるまで日本一の座を保っ
ていました。超高層ビルの建設には一定の空地が必要であることを考えると、もう東京には日
本一の超高層ビルを建てることは難しいことなのかも知れません。
1990 年代半ば以降、特に 2000 年代に入ると加速が付いたように都内に超高層ビルや超高
層マンションが建てられるようになっていきます。規制緩和が進んだためです。私はそのころ
から超高層ビルウォッチを止めました。年間に数十もの超高層建築物が建つスピードに付いて
いけなくなったのと、公共空間が排除されたビルが多くなったのも一因です。
土地は電波の周波数と同じように人類に与えられた限られた資源です。特に日本のように森
林が国土の 3 分の 2 以上を占める国では平野部の高度利用のためビルが高くなっていくのは
必然の流れとも言えます。
けれども、
臨海部に超高層ビルが建ち並び、海風が遮られることから、
-3-
夏に都心部の気温が上昇するヒートアイランド現象に拍車をかけたり、昔から有名な庭園の景
観が損なわれたりしています。東京一極集中の是正や地方の活性化が叫ばれる今日、乱開発と
も言える超高層ビルの建設には一定の規制が設けられるべきなのではないかと考えています。
建築は住む場や仕事場、祈りの場などとして使われる一方、その本来の機能から離れて、古
来から権威や権力の象徴としても機能してきました。今では超高層ビルは富と豊かさの象徴な
のかも知れません。文化が成熟し、民主的で豊かな社会を築いてきた今日の日本においては、
建築は建物だけがその存在を主張するのではなく、街や自然の景観との調和・共存が求められ
ているのではないかと思います。行政や市民、デベロッパーとで知恵を出し合い、永らく愛さ
れる街づくりを目指さなくてはならないと思います。
我が家は大丈夫か 建築雑感
佐久間 道則(理科・物理)
最近、マンションでの杭打ちの不正が話題になった。以前は構造設計での不正もあった。そ
ういった報道を見聞きする度に、我が家はどうなのだろうか?と思ったりもする。自分として
は努力したつもりでも、生兵法怪我の元…という不安はぬぐえない。
結婚して妻の実家近くの賃貸に引っ越したのだが、毎朝通る道の脇が更地になり、明らかに
建て売り…という感じがしたとき、すぐにリサーチした。実家からは 400 m、保育園は3つ、
児童館は2つ、はす向かいに病院…商店街とスーパーまで 500 mと、まぁ合格。
土地は川が近いものの坂の途中にあり、斜面の切土で赤土。赤土だけれど、手が入っていな
さそうなのでよしとした。若干、芋穴みたいなものがあったことも気になったが、それには目
をつぶることにして、仲介業者に連絡して各種資料をもらった。
地下一階が駐車場でその上に二階建てだったが、全て洋風。すぐに嫁姑同居の始まる私には
都合が悪いので、建設業者へ連絡をとらせ、設計変更の可能性を打診したところ、OKとのこ
とで、正式に決めた。
一階のリビングは和室に変更し、畳を入れてもなお床をフラットにし、窓は引き戸にするこ
と。また、この引き戸窓に手すりと屋根をつけること。リビングとダイニングの境目のあたり
に押し入れを作ってもらい、その部分に床下点検口を増設(駐車場の壁とダイニング部分の一
階基礎の部分の状況を見やすくするため)すること。玄関から二階への階段の手すりを廃し、
スケルトンでいいから筋交いを入れること。あわせてその筋交いの部分に必要な基礎を配筋す
ること。土台と大引きと玄関からの階段部分については、米栂ではなく、西川材の檜にするこ
とであった。これらが私の要望だったが、西川材という選択肢など、ある建築士の助言でかな
り助けられた。
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建て売り住宅を皆が買っているのだから、地盤さえそこそこならまず大丈夫…と思わないこ
ともなかったが、やはり心配だった私は、ネットなどで少し調べてみた。そこには『工事監理』
という私の知らない言葉があった。確かに、建設している途中で、仕様とあっているか、手抜
きをしていないかなどを随時チェックし、待ったをかける存在がいれば安心であろう。しかし
それが十分に機能していないから、様々な問題が生じているのだと思った。そこでその建築士
のHPを目にして、お世話になることにした。その人の考えは、施工主など一般の人が、自分
で『監理』をある程度行えることがよいことだというもので、5万円を払って、それなりの数
と内容の資料をもらって勉強するとともに、現場も含めてアドバイスをしてもらうことになっ
た。これには助けられたと思う。
しかしこれだけ変更があると、連絡事項だけでも大変である。しかも仲介業者を挟んでのや
りとりだから尚更である。それに加えて担当者の問題もあって、爆発した私は建設業者と話を
つけ、50 万円で仲介業者にはお引き取り願った。本当ならその数倍の手数料が発生したはず
なので、ある意味助かった。そんなごたごたもありつつ7月に完成した家には、すぐにスト
ーブを持ち込んでベイクアウトを繰り返し、入居後もしばらくは窓を全開で過ごしたりもした。
今年15年めで始めて塗装をやり直し、今に至っている。とりあえず今のところは、問題なく
過ごせていてほっとしている。
そういったこともあって、建築の本を何冊か読み、そこから他のものも読み…そして、街中
で目にする建設現場を見ると、これまずいんじゃないの?などと色々思ってしまったりする。
確かに、世の中には安全係数という考え方はあって、本当の不具合が生じるまでに相当の余力
を残してあるものだけれど、ものごとには限度というものがあって、踏み越えてはいけないラ
インというものがあると思う。それを越えたのが、最初に例に挙げたような事件ということだ
ろう。
その原因には様々なものがあるのだろうが、その一つには、
『事物には正当な対価がある』
という考え方が薄れていることがあるような気がしてならない。つまり、世の中心に『金』を
すえて、それを万物の尺度とする風潮が行き過ぎていないだろうかということである。
『安け
ればいい』
、
『安いことは正義だ』という考えが強烈な説得力をもっていること、切実さをはら
んでいることも理解できる。しかし、高くても、高いからこそ、長く大切に使うということを
忘れ過ぎてはいないだろうか。戦後導入された消費主義が拝金主義へ、物も人も使い捨て、さ
らに言えば教育も、サービスとして消費するものでよいということになっていないだろうか。
120 周年を迎えて立派な体育館が建設されたが、委員の一人としても色々思うことはあった。
それが今後どのように変わっていくかはわからないけれど、やはり、事物も、人も、己も、す
べて大切にしていきたい、大切にしていってほしいと思った。
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美しいと思う、懐かしいと感じる
水村 暁人(社会科・日本史)
私が日本の城の魅力に取りつかれたのは約 30 年前のことであった。たしか小学校 3 年生の
ころだったと思う。地元の書店で姫路城の写真のポスターを見かけた。そのとき、俗にいう「雷
に打たれたような」
衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。それは、
渡辺義雄・村井益男監修『写
(集英社、1988 年)という全 4 巻のシリーズ本の発売を予告する宣伝用
真紀行 日本の城』
ポスターであった。小学生の私は、そのポスターに映っていた姫路城に“一目惚れ”をしてし
まったのである。なんと美しい建物だろうと思った。白鷺城と呼ばれるその白亜の漆喰壁の天
守を、南西の絶妙な角度から撮影している優美な写真だった。そのときポスターに書いてあっ
たキャッチコピーまではっきりと憶えている。――「美しいと思う、懐かしいと感じる」。意
味は深く考えられなかったが、たしかに美しいだけではない、歴史的建造物の持つ重厚さや古
めかしさに不思議な感覚を味わったことを覚えている。
そのシリーズ本というのは、一冊 4,800 円の高価な写真集である。それが計 4 冊、季節ご
とに配本されることになっていた。
なんだか無性にほしくなってしまって、親にお願いした。
「今
年の誕生日プレゼントはこの本がほしい」と。変なおもちゃやゲームを買うよりはよっぽどマ
シだと思ったのだろう。親は快諾してくれた。以来一年間、季節ごとに写真集が届くのがとて
も楽しみだった。夕日をバックにした古城の写真や、雪の中の風情ある城の写真など彩りに富
んでいて、飽きることなく何度も眺めた。城を上空から映した写真が特に好きだった。城の縄
張りがどのように地形を利用して作られているのか、上空からだとよくわかる。人工的な構築
物と自然地形とがうまく融合した美しさが日本の城の魅力の一つだと思う。30 年近く経った
いまでもその写真集は私にとって宝物である。
姫路城との出会い以来、家族旅行といえば必ずどこかの城に連れて行ってもらった。天守閣
そっちのけで、石垣のアップや塀のつなぎ目部分などの写真を無我夢中に撮りまくる怪しい小
学生であった。特に石垣の美しさに魅せられた。日本の城の勾配は独特である。城によって勾
配の角度や積み方に個性があり、一つとして同じものがない。この巨石を一つ一つどのように
積んだのだろうかというところから想像がはじまり、300 年以上前の時代の息吹を感じること
に興奮を覚えた。まだ「オタク」とか「フェチ」という言葉が一般化していない時代であった
が、私はいわゆる「城オタク」
「石垣フェチ」の少年だった。
そんな小学生時代の私が大事にしていた城郭研究の基本文献は、
(小学館、
『城なんでも入門』
1980 年)。子供用に書かれた城の辞典のようなものだった。これを文字通り穴があくほど読
んだ。ぼろぼろになるまで読んで、もう一冊新しいのを買ったほどである。そこには城郭の縄
張りの諸形式、天守の類型、石垣の石積み方法などの違いが分かりやすく解説されていて、城
に関心を持ち始めた私にはうってつけであった。いまでもこの本ほどわかりやすく城郭の基本
-6-
を教えてくれるものはないと断言できる良書である。
中高生になっても、城の写真集を買ってみたり、各地の城を訪ねてみたりといった趣味は続
いた。そのころは西ヶ谷恭弘の監修する写真集がやたらたくさん出ていた印象がある。数ある
中で西ヶ谷恭弘『新・日本の城 100 選』(秋田書店、1991 年)をとりあえずおすすめしておく。
ちなみに城を訪ねる際に参考になるのは古写真である。最近は古写真ブームで、來本雅之・小
沢健志・三浦正幸『レンズが撮らえた幕末日本の城』(山川出版社、2013 年)など優れた古
写真集が数多く出版されている。これらの助けを借りつつ想像力を膨らませて実際の城をめぐ
ると楽しさ倍増である。
さて大学受験の頃になると、いよいよ学問として城郭の研究をしてみたいと思うようになっ
た。そのころは城郭研究というと、どちらかといえば理系(建築学・土木技術系)が主流で、
ド文系の自分には向いてないし、そもそも興味の方向性が違うなあと思っていた。そんなとき
(新人物往来社、1993 年)を読んで、
千田嘉博・小島道裕・前川要編『城館調査ハンドブック』
なるほど考古学的なアプローチで城の勉強をすることもできるんだと知った。自分がやってみ
たいのはこれだと思った。そんなこんなで大学は文学部の日本史学専攻にすすんだ。そのころ
読んだのが、小野正敏『戦国城下町の考古学―一乗谷からのメッセージ』
(講談社、1997 年)
や佐原真・小島道裕・千田嘉博他『城の語る日本史』
(朝日新聞出版、1996 年)などである。
しかし大学に入ってから、
紆余曲折を経て、
結局は城郭研究を専門とはせず、近世の民衆史(百
姓一揆など)について研究することになった。民衆史について学ぶなか、藤木久志『戦国の村
を行く』(朝日選書、1997 年)、同『飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日選書、2001 年)で提示
された「村の城」という概念には驚かされた。戦国時代、百姓たちは自分の村や財産を守るた
めに武装していたが、彼らはいざというときに立てこもる砦ともいえる「村の城」をかなり本
格的に準備していたというのである。中近世移行期の民衆のサバイバルの有様が生き生きと描
かれており、城郭研究というわけではないが一読をすすめたい書である。また同じく藤木氏は
(吉川弘文館、
2001 年)
という書で、中近世移行期の大名による城の破却=「城
『城破りの考古学』
破り(しろわり)
」についても明らかにしている。これは城郭研究に「城の破壊」という新た
な視点を提示した書であり、こちらも面白い。
以上、城にまつわる思い出を語るばかりで、
「建築」というテーマにどこまで寄り添えたか
は疑問が残る。お許しを乞う次第である。しかし思えば小学生の時に「雷に打たれたような」
感覚を味わえる対象と出会えたことは幸運であったように思う。何が「雷」になるのかは人そ
れぞれ違うと思うが、幼いころ受けた衝撃がその人の一生を方向付けることがある。私の場合、
書店でのあの姫路城のポスターとの出会いこそが、現在をかたちづくる原点の一つとなったこ
とはまちがいない。姫路城は最近ようやく全面改修が終わり、白亜の大天守も化粧直しをした
と聞く。ぜひ今度家族を連れて訪ねてみたい。息子(5 歳)や娘(3 歳)がいったいどんなリ
アクションをするか、じっくり観察してみようと思う。
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東
京
レ ガ シ ー
TOKYO Legacy 1940,1964, そして 2020
濱田 博之(社会科・地理)
ここ最近でもっとも話題を集めた建築物といえば、神宮外苑の国立競技場と断言しても良い
だろう。1964 年に行われた東京オリンピックのメイン会場として使用された国立競技場も、
老朽化に伴い解体され、2020 年に行われる二度目の東京オリンピックに向けて新たに建設し
直されることになった。
金額ばかりが注目されがちな国立競技場ではあるが、日本のスポーツ界における貢献につい
て忘れてはいけない。1958 年のアジア大会、1959 年の東京国体、1964 年の東京オリンピッ
ク、1991 年の世界陸上、1993 年のJリーグ開幕戦、さらには毎年のサッカー天皇杯決勝、サッ
カートヨタカップなど常に日本スポーツ界の中心にあった。聖地ともよばれ常に注目を集めて
きた国立競技場は、人々の記憶に残る場所であり、建築物であった。
国際オリンピック委員会(IOC)による 2015 年版のオリンピック憲章を紐解くと、その中
に「オリンピック競技大会の有益な遺産を、開催国と開催都市が引き継ぐよう奨励する」とい
う項目がある(第一章二項一四)
。すなわちオリンピックとは一過性の祭典ではなく、後世に
良い影響を残すものでなければならないというのである。これには競技場や施設などの目に見
えるものばかりではなく、人々の精神性など無形のものを含んでいる。このような項目が憲章
に明記されるようになったのは 2003 年版からだが、1964 年の東京オリンピックで完成をみ
た国立競技場は、まさにこの精神を早くに体現していたといえよう。興奮や歓喜とともに記憶
されるその場所は、まさに遺産(レガシー)の最たるものといってよい。
このような遺産は、果たしてどのように産み出されたのだろうか。後藤健生『国立競技場の
100 年』(ミネルヴァ書房、2013 年)には、1924 年に完成した初代国立競技場から、1958
年完成の我々のよく知る二代目、そして 2019 年に姿を見せるであろう三代目に至るまで、い
かなる経緯を辿って建設されたのかがまとめられている。そもそも宗教施設である明治神宮の
外苑に陸上競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場などのスポーツ施設が林立していること自体、
考えてみれば不思議である。外苑計画要領などの資料を遡ると、当初から重要な施設として競
技場の建設は決まっており、その是非については詳しく論じられることがないほどに自明のこ
ととして受け止められていたのだという。その理由として一つには外苑を欧米式の都市公園と
して整備していく中でスポーツ施設が必須のものであると考えられたこと、そして古来より神
前に相撲や演劇を奉納する伝統があり、近代スポーツを奉納する場として競技場が設けられた
ことがあげられている。まさに日本文化と西洋文化との接点として、国立競技場は外苑という
あの場所に誕生したのである。
1964 年の東京オリンピックの遺産は国立競技場だけではない。広義には東海道新幹線や首
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都高速道路が含まれもするのだろうが、それらはさておき競技に関係するものだけでも東京体
育館、代々木体育館、駒沢競技場、日本武道館、江の島ヨットハーバーなど数多い。いずれも
現在に至るまでオリンピックの熱気を伝え、日本のスポーツ文化の醸成に役割を果たしてきた
貴重な遺産である。オリンピック開幕の直前になってこれらの施設が相次いで開設された当時
の東京が、いかに期待と活気に満ちたものであったかは想像に難くない。ブルーガイド編集部
(実業之日本社、2015 年)は、1964 年と現在の
編『地図と写真で見る 東京オリンピック』
地図を左右に見比べる構成となっており、当時の街並みに思いを馳せることができる。当時の
写真や解説も掲載されており、地図から導かれる想像をより迫るものにしてくれる。地下鉄日
比谷線の工事現場に掲出された看板には「此の地下鉄はオリンピック迄に完成しなければなり
ませんので何卒御協力の程お願ひ申上げます」と大きく書かれており、オリンピックが錦の御
旗であり市民もそれを当然のこととして受け止めていたことがしのばれる。
遺産の一つ、
国立競技場に次ぐ第二会場として多くの競技を受け入れ、現在は駒沢オリンピッ
もともとはオリンピックのメイン会場となるはずだった。
ク公園として知られる駒沢公園だが、
ただし 1964 年のオリンピックではなく、戦前に予定されていた 1940 年のオリンピックであ
る。この年は東京での開催が決まっていたが、第二次世界大戦直前の緊迫した時局であり、よ
うやく勝ち取った念願のオリンピックだったにも関わらず、結局は開催権を返上してしまう。
そして第二次世界大戦に伴い、1940 年、1944 年とオリンピックは二大会続けての中止となっ
た。ほとんど準備が進まないうちに返上してしまったこともあり、このときに残された遺産は
多くない。埼玉県戸田市の荒川沿いにある戸田漕艇場が、競技施設としてはほとんど唯一のも
のといえる。この漕艇場は 1964 年の競技会場にもなり、現在も現役という希有な遺産である。
(KKベストセラーズ・ベスト新書、2014 年)では三
竹内正浩『地図で読み解く東京五輪』
つの東京オリンピックについて地図を交えながら紹介しているが、競技場以外の痕跡として港
区の埋立地に架かる五色橋があげられている。1940 年のオリンピックに向けては芝浦の埋立
地で自転車競技場の建設が進んでおり、アクセス道路として架橋されたものであるという。
このようにオリンピックの遺産は、競技に関係する建築物に限っても、よく知られたものか
ら、姿を消したもの、記憶に埋もれたものまで多岐にわたる。しかしこれらのいずれもが多か
れ少なかれ、我々の考え方や東京という街のありように影響を与えている。新しく完成する国
立競技場も、いずれ遺産となる日が来る。その時は幸せな記憶を抱えた遺産となることを願い
たい。
-9-
世界と測りあう-「建築」の役割-
柳生 一(数学科)
数学科の I 先生から、ブックフェアの原稿を書いてくれませんか、テーマは「建築」なんで
すが……と言われたとき、軽はずみにも二つ返事でオーケー、と言ってしまった。(言うまで
もなく)僕は建築のことなど門外漢だし、普段それについて話をするということもなかったの
だが。確かに、新体育館の外見がなんかのっぺりしていて高いお金をかけた割に美しくないと
か、旧体育館跡地に刑務所の運動場みたいな擁壁を作るくらいなら、代わりに斜面にしてお花
畑を作ったほうがいい…とか、そんな雑談を周囲の教員と話した記憶はある。そんな噂話に尾
ヒレ羽ヒレが盛大にくっついて、
「柳生は建築に一家言持っている」などという誤った認識が
流布した、というところだろう。僕は建築に造詣が深いわけでもないが、好きな建物や建築家
を問われればいくつかは挙げられるし、数年前には自宅を新築した。以下は、その辺りの経験
を参考にしながら、僕が素人なりに、なんというか、建築についての僕自身の捉え直しを試み
た文章である。
そもそも建築
(Architecture)
という用語自体が多義的である。広辞苑で調べてみると、
「家屋・
ビルなどの建造物を造ること」とある。建物を造ることが建築である、なるほど明確だ。建築
基準法には、建築の定義は「建築物を新築し、増築し、改築し、又は移転すること」。広辞苑
とあまり変わらない。英英辞典には Architecture は the style and design of a building and
buildings とある。
いずれにしても、これらは僕の理解からは少し離れている。建物の様式やデザインは確かに
重要なのだが、それが何を表現しているか、という側面を僕はより強調したいのだ。ここでま
ずは、建築を「建物の様式やデザインによって表現された意思」と捉えてみたい。少なくとも
建築に宿る意思というものは、我々が建物を鑑賞する際に意識の片隅に置いておくべき一つの
重要な要素には違いないのである。それを考えることで、我々は初めてその建物単独での属性
を超えて、その周囲に展開する文化や時代とのつながりに関連付けて相対化し、豊かに建築を
捉えることが可能になるからだ。
いくつか有名な建物を挙げよう。たとえばエジプトのピラミッド。絶対的な権威を永久に誇
示し続ける意思なのか、あるいはよく映画に見られるように、何らかの魔術的な意味を持たせ
たものなのか、それは想像に任せる他はないが、少なくともファラオにはそれを体現するため
の莫大な富と権力があった。そしてあのような大建築が、何の意思もなく自然発生的に出来上
がるわけはないのである。時代は下って 1420 年、ブルネレスキがフィレンツェの大聖堂のド
ーム建設に着手した。その方法は古代ローマの伝統的な建築手法に依っていたのであり、そこ
では西ヨーロッパにおける中世の長く停滞した空白期間を経て、かつての文化的黄金期を取り
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戻そうとする時代の意思とでも呼ぶべきものが彼を衝き動かしたと言えるだろう。また 20 世
紀半ば、ニューヨーク市マンハッタンに突如として威容を現した、建築家ミース・ファン・デ
ル・ローエによるシーグラムビル。外壁が鋼鉄とブロンズ色のガラスに覆われた天を衝く垂直
の高層ビルは、その後数多くの模倣を生み、都市における活動のフィールドを天空へと展開さ
せる原動力となった。
しかし、このような建築に宿る意思は、必ずしも建築家自身のそれと同義ではないというこ
とにも我々は注意しておくべきである。
その大きな理由は、絵画や作曲、工芸などの他の創作活動と異なり、建築には特有の制約条
件があるからだ。建物を建てるためには桁違いに多額の費用がかかる。高い技術も必要だし、
その他建物の形状や位置にかかわる法規制、建築をめぐる多数の利害関係者の思惑など、考
えていけば枚挙にいとまがない。その結果、むしろ多くの人の建築の捉え方は、建築の役割は、
これら多くの制約条件を考慮に入れつつ、求められる機能を備え、できるだけ多くの関係者が
納得する建物を建てることにある、というものになりがちである。一般人の投票によって最終
案が決定される場合すらある。そうしたやり方を全面否定するつもりはない。それが仕方のな
い場合もあると思う。ただ、そのような一連の民主的手続を経て建てられた建物は、結局のと
ころ必要な機能をぎゅうぎゅうに詰め込んだ単なる箱型の物体に過ぎないということだ。それ
が建築的にまったく無価値と言いたいわけではない。しかし、そうした建物が世代を超えた芸
術的価値を保ち続けることは稀である。もちろん、後年まったく関係のないところで別の意
味づけをされたり、何かの「象徴」になってしまったり、ということは往々にしてあるのだが
……。
歴史的な建物とて、それらの制約条件からまったく自由だったわけではない。ミースがマン
ハッタンにシーグラムビルを建てるための莫大な費用を自身で負担することができたかといえ
パ ト ロ ン
ば、そんな訳はなく、依頼主である事業家がいたのである。建築家が依頼主に自身の設計が最
良であると信じさせるために、どうすればよいだろう。依頼主の要望を整理し、自身の設計が
もっともよくそれを実現することができる、と論理的に説得できるならば、またそのような方
法が確立されているならば、それが最良だろう。しかし建築は創造を伴う活動である。その過
程にまったく論理的飛躍が生じないような設計などありえない。したがって、建築家がとる説
得手段はときに感情的になることもある。リートフェルトがシュレーダー夫人に夫人と三人の
子供達のための小さな家の設計を依頼され、革新的なアイデアを提案した時、シュレーダー夫
人は当時としては(現代でもおそらく)相当奇異に見えるそのデザインをどうして快く受け入
れたのか。リートフェルトはその後シュレーダー邸に自身のアトリエを置いているが、これは
二人の間に依頼人と建築家という関係以上のものがあったことを窺わせる。フランク・ロイド・
ライトは依頼人の妻と不倫関係になったために自身の建築家としてのキャリアを大きく後退さ
せることになり、落水荘(カウフマン邸)の完成まで 20 年以上も不遇の時代を過ごした。ま
あ自業自得なのだが。ところで落水荘は、コンクリートの強度を見誤ったため、建築後に地盤
沈下を起こし、後年修復維持のため多額の費用が必要になった。ライトほどの大建築家をもっ
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てしても、技術上の制約を事前にすべて見極めることは困難だったのである。シドニーのオペ
ラハウスは極めて優雅な数枚のスケッチのみによって公募コンテストで優勝した(現代ではま
ず考えられない)が、本人も実際に建物を建てるための技術のことまで考えていなかった。そ
れで実際に建てるために多大な苦労を乗り越えねばならなかった。
話を元に戻そう。ここまで僕が述べてきたのは、種々の制約はあるにせよ、すべての建築に
は意思が宿っている、それを考えることで我々は初めて建築を深く理解することができる、と
いうようなことであった。しかし、これはあくまで建築を芸術として捉えたときの話である。
一人の建築家の独創であろうが、民主的手続を経て建てられた箱物であろうが、実際に建物
が建てられたあと人々に使用される時、彼らは建物を美術館に収められた絵画のように芸術
作品としては捉えていない(と思う)
。設計に当たって何らかの意思というものがあったにせ
よ、使用者がそれを意識することはほとんどないし、長い年月のうちに当初の意味は風化した
り、まったく違った意味づけをされたりもする。
その一方で、建物は建てられた後、長い間人間の活動の舞台として人々を結びつける働きを
することになる。建築が持つもう一つの役割である。建物は芸術的創作として誕生すると同時
に、その後は長く人々が活動する場を作り出し続けるという社会的役割を果たすのである。な
ぜこのことをとりわけ強調するかといえば、図版に載るような歴史的建物の多くが、すでに人
が住まなくなって久しかったり、観光地化されたりしていて、そこで人々が活動していたとい
う当たり前の事実が忘れられがちであるからだ。シュレーダー邸はデ・ステイル運動の信念の
体現という意味を持っていたに違いないが、夫人と三人の子供達はそんな大層な建築家の意思
に関係なく、奇妙で風変わりな家だとしか思わず楽しく暮らしていただろう。そこで過ごされ
る時間と、家族のつながりの方が大切であったに違いない。
我々にとってもそうである。立派な家であろうとなかろうと、多くの人にとって自分の「家」
がもっとも重要な建物であると答えるだろう。それは、風雨から自分を守ってくれるという機
能や快適さ以上に、ともに暮らす時間の積み重ねによって、我々が家族との人間関係を常に構
築しているからだ。もしも「家」というものがなく、集団キャンプのような場所で共同生活し
ていたならば、家族との関係もずいぶん異なるものになるだろう。
「家」の在り方は家族との
関係の在り方に繋がっている。
「家」だけではない。我々が街を歩くとき、その街の雰囲気を形作っているのは家、商店、駅、
寺社、電信柱や看板、道路の敷石、などの建築的要素の集合である。それらは個々に、あるい
は全体として街の雰囲気を作り上げているが、重要なことは、人との関係もそれらの背景の中
で構築されるということだ。街ごと、建物ごとにそれぞれの雰囲気があり、その中で人間関係
が築かれる。我々は会話するときでも、純粋に相手だけを見ているわけではなく、相互に街や
建物によって作られる背景を媒介にして、よりはっきり言えば、それらの背景を相手に投影し
ながら会話しているのである。だから記念日には雰囲気のよいレストランを予約するのだ。建
築は、我々が世界(すなわち他者)と測りあう際の尺度に他ならない。
直接建築に関係があるわけではないが、最近読んだ文章で印象深いものがあった。以下に引
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みょうえ
用する。平安末期の歌人である西行が、明恵という坊さんに歌を詠む心について述べた言葉で
ある。
……読み出す所の言句は皆是れ真言にあらずや、華を読むとも実に華と思ふことなく、月を詠
ずれども実に月とも思はず、只此の如くして、縁に随ひ興に随ひ読み置く処なり。紅虹たなび
けば虚空いろどれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本明か
なるものにもあらず、又色どれるにもあらず。我又此の虚空の如くなる心の上において、種々
の風情をいろどると雖も更に蹤跡なし。……
西行の述べている通り、空にもともと彩りや明暗があるわけではなく、人は周囲の状態や心
情、あるいはそれを表現する言葉に応じて空に様々な印象を抱く。平安の時代には、現代とは
比較にならぬほど多くの歌が詠まれたが、歌を通して様々な感情を風景や恋人に投影するとい
うことが、人々の間の共通の素養として通用していたのだろう。その中で、和歌は、あたかも
現代において建築がしているように、言葉のみによって人々や場所に特定の感情表現を結びつ
み そ ひ と も じ
けるという偉大な役割を果たしていたのだ。現代では平安の昔のように、三十一文字の言の葉
のみによって自由自在に建築を行うような真似はもはやできない。それでも、我々がさきに述
べたような可能性を信じ、その価値観を共有するならば、建築によってより豊かな社会を構築
することもできるような気がする。
そのような大きな希望を建築は秘めている、と僕は信じたい。
あんな物やこんな物にも
中野 靖英(英語科)
自分の周りを見てほしい。きっと様々なものが目に入ることだろう。自分の部屋でこれを読
んでいる人は、机、本棚、ベッド、雑誌。トイレの人は、便器、鏡、手洗い場、扉。学校の教
室の人は、机、いす、ロッカー、窓。我々の周りにはとにかく様々な物がある。しかし、その
一つ一つをデザインした人がいることを意識することは少ないのではないだろうか。私もある
時まではそのことを意識せずに過ごしてきた一人であった。
2年半前に二世帯住宅を建てた。その更に2年弱前から土地探しやハウスメーカー選び。半
年程度かけて土地とハウスメーカーを決めた後には、おおまかな家の構造を考えていく事にな
る。どのような部屋をいくつ作るか。それをどのように配置していくか。先に書いたように二
世帯住宅なので、両親の要望も考慮に入れなければならない。限りあるスペースをいかに効率
的に埋めていくか。パズル的な発想を必要とする。当然ながら、建造物なので好き勝手に部屋
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を並べてできるわけではない。構造上の問題をすべてクリアした上で、我々全員の要望を極力
汲んだものにしなければならない。
その後はライトやコンセントの位置・数、床材、壁紙、ライトの種類、屋根材、窓枠の色・素材、
外壁材、etc.…と数え上げればきりがないほど選択しなければならないことがあった。ハウス
メーカーからブックレットやサンプルを見せられて、その中から選択していくことになるのだ
が、その時驚いたのは選択肢の数。厚さ 10 センチは下らないカタログを何冊か渡されて「来
週までに○○と△△を選んでおいてください。
」などとなるわけである。全て選択した後、そ
れらを組み合わせたものが一体どういうものになるか分からないまま素材を選んでいくという
作業は本当に大変だった。
例えば壁紙だが、私は白い壁紙であれば何でもいいと考えていた。しかし白い壁紙といって
もものすごい数があるのだ。サンプルを見せてもらうと、薄い壁紙が束になって 15 センチ程
度になったものがいくつもあった。その全てが微妙に違っているというのだから、こちらは困
惑(迷惑?)するしかなかった。壁紙をデザインした人にとってはそれぞれが違って見えるの
だろうが、素人からすると「あんま変わんねーじゃん」などという具合である。それでも何と
か決めた壁紙は、少しだけでこぼこの模様があるものだった。両親の世帯は別の壁紙を選んだ
ようだった。同じように白く、でこぼこの模様があるものだった。やはり大した違いはないよ
うに思えた。
「大した違いはないんだから、どれ選んでも一緒でしょ。」
そんな後ろ向きな気持ちを抑えながら全ての物を選択し終えて、後は建つのを待つばかりに
なる。そこからはあっという間。半年ほどでいざ建ち上がり、ドキドキの内覧である。苦労し
て選んだ素材が全て組み合わさって、なかなかに良い雰囲気に仕上がっている。ライトの数な
ども適正だし、使い勝手も良さそうだ。
私の住むスペースはなかなか上手くいったが、親の方はどうか、と見に行ってみる。これま
た雰囲気は違うが、なかなか良さそうだ。しかし、似たような素材を使い、どうしてここま
で雰囲気が変わるかな、と思う。確かに床材や柱の部分は私の方よりも濃い色を選択していた。
だがそれだけではないようだ。そこで当然のことに気づく。部屋の大部分を覆っているのは壁
紙だ。先に紹介した二種類の壁紙が、
全く違う雰囲気を作り出していた。壁紙デザイナーの「ほ
ら見なさい」という声が聞こえてきそうである。それ以外の素材も我々が意識しないような工
夫により、部屋の雰囲気づくりに寄与しているようだ。計画段階では気付かなかった素材のデ
ザインの重要性に、家が建って初めて気付かされた。
家以外の物も自然物を除けば全てが人間によってデザインされたものである。デザインは至
る所にある。最近出会った人の職業は「事務所のデザイン」をするという変わったものだった。
部屋の中にどのように机などを配置するか決めるのだそうだが、そのようなものにまでデザイ
ンする人がいるというのは驚きである。小さなものなら、トイレットペーパーひとつ取っても、
あの形になったのは誰かが用途に合わせてデザインしたからである。そんな事を意識して周囲
を見渡してみると、新しい見方や発見ができて面白いかもしれない。
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綱町三井倶楽部と麻布学園
増永 英夫(英語科) 麻布学園から韓国大使館方面に仙台坂を下り切ると、麻布十番、大通りに交差し、古川橋か
ら北に曲がり流れる古川に架かる二の橋を渡り、さらに直進して日向坂を、右に共用会議所、
オーストラリア大使館を見ながら登ると同じ並びに、立派な塀門の向こうから荘重優美な建築
物が眼に飛び込んできます。これが綱町三井倶楽部です。現地所表記は三田2丁目ですが、西
町や盛岡町と同じく、綱町も江戸・明治期の香りを残す旧町名です。謡曲「羅生門」や「酒呑
童子」などの鬼退治で知られる、源頼光の四天王の一人、渡辺綱(わたなべのつな)に由来し
ます。綱が産湯をつかったという伝説の井戸が倶楽部南側のルネッサンス風幾何学式庭園の隣
に残っています。
アプローチを学園側から紹介いたしましたが、独立小丘陵のために四方から坂を上ること
ができます。東の桜田通りからは、綱が手引坂(つながてびきさか)。北の中之橋からは神明
坂。現在も三井不動産の管理下に倶楽部会員向けにのみ現役活躍中ですので(週末、結婚式会
場としては一般使用可)
、残念ながら内部は一般公開されていません。敷地全体像を窺うには、
綱が手引坂から南にイタリア大使館を左に見て綱坂を下り、三田綱町パークマンションを迂回
して、オーストラリア大使館との間の無名坂を上がって正門に回るとよいでしょう。無名坂か
らは日本庭園が垣間見られます。敷地総計、約 1 万坪。北側約 4 千坪は、もと佐土原藩島津
家の敷地。南側約六千坪は、もと会津藩保科家の敷地だったもの。北側を今回紹介の建物と洋
式庭園が占め、南側は京都の茶匠薮内節庵設計の広大な和風庭園になっています。建築設計は、
洋式庭園を含め、ジョサイア・コンドル(1852 ロンドン生、1877 来日、1920 東京没)です。
コンドルは明治初期に多数招聰された、いわゆる御雇外国人で、現・東京大学建築科の基礎を
築き、日本の西洋建築の創成に貢献しました。近年、東京駅大改修で脚光を浴びている辰野金
吾は、その第 1 期の弟子になります。数多く手掛けられた近代建築物群を大雑把に 3 期に分
けますと、欧化政策の象徴となった鹿鳴館(1883)は初期であり、ニコライ堂(1891)の実
施設計に関わった中期を挟み、後期は岩崎久彌茅町本邸(1896 現・旧岩崎邸)から島津忠重
邸(1915 現・清泉女子大学本館)です。三井倶楽部はこの後期末期になり、竣工は 1913 年
です。最後のものはやや異色な 1917 年の古河虎之助邸(現・旧古河庭園大谷美術館)です。
岩崎彌之助高輪邸(1908 現・三菱開東閣)を含め、これらの邸宅群は皆よく似ていますが、
三井倶楽部は住邸宅ではなく、三井家の接客専用迎賓館として建てられたのが特徴です。煉瓦
石混造スレート葺き、地下一階付き二階建て。他の邸宅と比べ、やや大ぶりに建造されていま
す。延べ面積 2876 ㎡。正面のステンドグラスに彩られた玄関扉からホールに入ると楕円形の
吹き抜けがあり、見上げれば対照的な円形のステンドグラスのドームが輝いています。色々な
様式が融合調和した格調高い佇まいで、ルネサンス風を基調にしています。家具、什器、調度
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品も豪華ながらも落ち着いており、ロダンの彫刻、ターナーの絵画などもさりげなく館内を飾
っています。目立たないところで純日本風の意匠が施され、見逃せません。例えば、暖炉の大
理石の構えに雅楽や能を題材にした見事な浮彫が見られます。コンドルが画家河鍋暁斎に学び、
「暁英」という号を与えられたほど日本文化に傾倒したことにも由るのでしょう。
最後に、学園の現・旧教室棟とのささやかな繋がりを記しておきます。前校長氷上信廣著、
麻布文庫 15『汝の馬車を星に繋げ 下巻』Ⅳ補遺〈歴史〉に、学園創立時より関わっていた
エドワード・ガントレット(1968 ウェールズ生、1890 来日、1956 東京没)が紹介されてい
ます。その中に「ある少年を引き取って養育し…この少年は後に建築家として大成した」とあ
ります。この大成した建築家こそが、コンドル第 1 期生の辰野金吾と同期であった曾禰達蔵
の建築事務所(関東大震災後の慶応義塾三田キャンパスを設計)に勤務していた麻布卒の古橋
柳太郎、旧教室棟を設計した、その人なのです。麻布学園も御雇外国人や欧化近代化と深く連
なり合っていたことがわかり、その先人の偉業が偲ばれます。
(注:本稿は 2013 年 10 月発行の『麻布の丘に 第 16 号』に「麻布風土記 建物編 第 3 回
綱町三井倶楽部」として掲載された原稿を、本特集に合わせ、一部修正を加えた上で転載し
たものである。転載の許可をいただいた増永先生に感謝いたします。)
雪国の建築
山田 裕一郎(体育科)
近年は暖冬が多くなり、故郷である新潟県柏崎市でも昔より雪が積もらなくなった。とはい
え、積もると膝から腰。車で 30 分走ると胸まで積もる場所もある。そこで雪国の建築の特徴
を書こうと思う。
まずは、屋根。落雪式・融雪式・耐雪式の3種類がある。
1つ目は落雪式。屋根の急勾配、又は滑りやすい屋根材を用い
て雪を自然に滑り落とすものである。私の実家はこの落雪式で
ある。雪を滑り落とすため落雪と雪を積むスペースが必要であ
る。家のそばに雪室という部屋を作り、雪を保存し、冷蔵庫代わ
りにしたり、夏にはクーラー代わりにしているところもある。また、
落下雪による事故への配慮も必要となってくる。小学生の頃は先
生方に口酸っぱく「屋根の下には入るな。近づくな。
」と、言われ
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た記憶がある。
2つ目は融雪式。灯油や電気などのエネルギーを用いて熱を
起こしたり、生活排熱を用いて屋根雪を融かす方式。敷地に余
裕がない場合に適しているが落雪式に比べて装置の設置費用や
ランニングコストがかかってしまう。ただ、新潟でも融雪式の
屋根を住宅ではあまり見たことがない。エネルギー使用による
環境負荷も問題視されている。
3つ目は耐雪式。2~3メートル程度の積雪荷重に耐えられ
るようになっている。融雪式と同様に敷地に余裕がない場合に
適しているが、骨組みの強化などで建設費用が増大。設備交換
も必要である。柏崎市では耐雪式を稀に見るが、豪雪地帯だと
雪が溶けず、積もり続けるので適していない。
このように関東では気にしない屋根にも雪国では気を遣って建築されている。落雪の事故や
トラブルも未だ多くあるようだ。
次に暖房設備。真っ先に浮かぶのは床暖房。今、雪国ではほとんど使われている。ホットカ
ーペットの様なイメージ。床暖房を使うと犬が動かなくなるほど暖かい。炬燵は今でもよく見
かけるが子供の頃にあった囲炉裏や石油ストーブはほとんど見なくなった。そして、最近、増
えてきたと思われるのが、高気密高断熱住宅である。私の実家もそうなのだが、夏も冬もほと
んど冷暖房器具を使わずに過ごせる。携帯の電波をやや遮断するほどである。初めて住んだ際
に、夏・冬は家に引きこもりたいと思った。窓を雪囲いしている家もある。
住んでいるときに気が付かなかったのが、玄関の特徴。関東のように高低差のない玄関だと
すぐに雪で出られなくなってしまう。そのため高床式になっており、玄関が2階にある。もし
くは 50 センチ~1メートルは高いところに玄関があり、階段を登らなければならない。また、
窓もそうだが玄関の扉が2重になっていることもある。というのも扉と扉に風除室というもの
を設け、外気を入れないようにするのだ。
このように関東ではあまり見られない家の作りをしている。暖かいところとは勿論全く違う。
雪国の中でも地域性により違ってくる。どれだけ東京は住みやすいか。どんなことでも工夫し、
適応することが大切。と、文章を書きながらブックフェアを通し再認識した。
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麻布学園周辺有名建築案内
大石 將朝(国語科)
建築について知るには本を読むよりも実物を見ることが一番である。麻布学園の周辺にも有
名建築がたくさんあるので、生徒諸君にいくつか紹介する。
まずは麻布生の多くが通学に使っている広尾駅から始めよう。広尾は「東京体育館」や「ス
パイラルビル」などの建築で知られる建築家、槇文彦が街づくりに関わっているため、彼の作
品を多く見ることができる。広尾駅を出てすぐの所にある円形の「三菱東京UFJ銀行広尾支
店」、その背後にそびえ立つ「広尾タワーズ」や隣にある「ガーデンプラザ広尾」は全て槇の
設計である。槇は代官山の街づくりにも関わっているのだが、圧迫感のない低層の商業施設が
横に延びているさまは、たしかに「代官山ヒルサイドテラス」にちょっと似ている。広尾には
他にも「代々木第一体育館」や「東京新都庁舎」を設計した丹下健三が手がけた「東京聖心イ
(立
ンターナショナルスクール校舎」があったのだが、最近解体されてしまったようである。
入禁止なので確かめることができない。
)
次に学校から麻布十番駅方向に向かってみよう。仙台坂から左の横道に入っていくと、
「西
町インターナショナルスクール」の敷地に歴史を感じさせる洋風の建物がある。これは「山の
上ホテル」や「東洋英和女学院」を手がけた(そして後の「近江兄弟社」を設立して「メンソ
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レータム」を普及させた)ウィリアム・メレル・ヴォリーズが設計した「松方ハウス」である
(元々は創立者の父・松方正勲の自宅であり、後に校舎に改修された)
。1921 年に建てられた
この建物は改修を重ねつつ今も校舎として使われている(ちなみに隣にあるコンクリート打ち
っ放しの新しい校舎は「さいたま新都心駅」などを手がけた、
「西町」OBの鈴木エドワード
が設計したものである)
。そのまま麻布十番方面に歩いて行くと、学校のグラウンドからもよ
く見える塔状の茶色い巨大マンション「元麻布ヒルズフォレストタワー」がある。「元麻布ヒ
ルズ」は「六本木ヒルズ」などを運営する森ビルが開発した高級マンション群だが、フォレス
トタワーのデザイン監修は「世田谷美術館」などを手がけた内井昭蔵が担当している。八角形
で上に行くほど広がっていくあの不思議な形態は、窓からマンションの外壁や隣の家のベラン
ダが見えないようにするためらしい。麻布十番駅まで行くと、駅に直結した複合オフィスビル
の「ジュールA」がある。これも先に挙げた鈴木エドワードの設計だ。メタリックなファサー
ドに入ったいくつもの亀裂が印象的。いわゆるディコンストクショニズム(脱構築主義)建築
ということなるのだろうか。
こんどは学校から六本木駅方面に歩いてみよう。少し行くと森ビルが運営する大型複合施
設「六本木ヒルズ」に到着する。森ビルの初代社長森稔は、ル・コルビジェの「輝く都市」計
画に強く影響を受けたらしく、その開発地域において、屋上緑化や人車分離に力を入れている。
敷地内には「テレビ朝日新本社」があるが、これも先に紹介した槇文彦の設計。言われてみれ
ば円形の建物によって角地を外に開くという手法が「三菱東京UFJ銀行広尾支店」と似てい
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る。一般開放されている六層吹き抜けのガラス壁のアトリウムは中から見ると迫力があるの
で、入ってみることをおすすめする。テレビ朝日の正面に森タワーを取り巻くように広がって
いる「六本木ヒルズ商業エリア」はまるで迷路のように動線が複雑で、私はよく迷子になるの
だが、これを手がけたのは「博多キャナルシティ」や「なんばパークス」を手がけたショッピ
ングモール建築の帝王、ジョン・ジャーディ。館内を彷徨わせる曲線型の動線の設定が非常に
巧みであり、日本のショッピングモール建築に多大な影響を与えている。学校からもよく見え
る「森タワー」はコーン・ペダーセン・フォックスというアメリカの設計事務所の作品らしい
(よく知らない)
。デザインは日本の甲冑をイメージしているとのことだが、専門家に言わせる
と、特筆すべきは高層ビルとしては異例のその太さ(横幅)のようだ。六本木ヒルズ内のけや
き坂を下りていくと途中に「ルイ・ヴィトン六本木ヒルズ店」がある。これは「青森県立美術館」
などを手がけ、世界中で「ルイ・ヴィトン」の店舗設計を任されている青木淳の設計。三万本
のガラスチューブによって構築された外壁が印象的で、夜になるとそれが光輝きとても美しい。
けやき坂を下りきって道路を反対側に渡り、鳥居坂を登ると、
「東京文化会館」などを手がけ
た前川國男、
「神奈川県立近代美術館」などを手がけた坂倉準三、「奈良国立博物館」などを手
がけた吉村順三という日本のモダニズムの三巨匠が夢のコラボを果たした「国際文化会館」が
ある。これは日本のモダニズム建築の中でも相当に評価が高い建築なので、ぜひ見ておきたい。
建物の中から外の日本庭園(作庭は京都の「無鄰菴」などを作庭した小川治兵衛)を眺めてみ
れば、すぐにその空間設計の素晴らしさが分かるはずである。
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六本木ヒルズに戻って今度は乃木坂駅方面に歩いて行くと、波打つようなガラスのカーテン
ウォールが強い印象を残す「国立新美術館」がある。これは「国立民族学博物館」や「青山ベル・
コモンズ」を手がけた建築家、黒川紀章が構想 20 年の末に完成させた遺作だ。この建築も中
から見ると三層吹き抜けのガラスのアトリウムや、逆円錐型の巨大コンクリートの上にレスト
ランが乗っかっている様子などがなかなかの迫力なので、中に入ってみることをおすすめする
(展覧会場に入らなければ無料)
。六本木交差点を通って乃木坂駅方面に行く途中には三井不動
産が運営する大型複合施設「東京ミッドタウン」があるが、敷地内にある「サントリー美術館」
は「新歌舞伎座」や「根津美術館」を手がけ、紆余曲折の末に 2020 年東京オリンピックの新
国立競技場を設計することに決まった建築家、隈建吾の作品。近年の隈が得意とする和のテイ
ストを多く取り入れた建築になっている。デザインや建築の展覧会がよく行われている
「21_21
DESIGN SIGHT」は「住吉の長屋」や「光の教会」で知られ、最近は「表参道ヒルズ」や「東横線・
副都心線渋谷駅」の設計も手がけた安藤忠雄の作品。半分地下に埋まっている建物と折り曲げ
られたような屋根が印象的である。ミッドタウン近くの乃木坂駅(外苑東通り側)入り口近く
には、トイレメーカーとしておなじみのTOTOが運営する建築専門のギャラリー・
「間(ま)」
がある。建築ファンにとっての聖地ともいうべきこのギャラリーでは、入場無料で定期的にさ
まざまな建築家の展覧会をやっているので、建築に興味を持ったら一度は行ってみることをお
すすめする。
(map・イラスト:村本 ひろみ)
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麻布校舎と新体育館建築
彦坂 昌宏(芸術科・工芸)
麻布校舎の老朽化問題と手狭さに対応するため、今後数十年の長期に及ぶ校舎建築構想が学
園理事会から示されている。新校舎建設にあたっては、建築中に学校を移転させて他施設を
借用することはせず、現在の敷地内で既存建物解体と新施設建築を繰り返していくことになる。
現在の校舎は、普通教室棟(1932 年・1937 年建築)、芸術技術棟(1965 年建築)、講堂・理
、100 周年記念棟図書館(1995 年建築)、120 周年記念
科棟・教員棟・事務棟(1973 年建築)
。すべての校舎の耐震補強工事は完了しているとはいえ、図書館棟と
体育館(2015 年建築)
新体育館以外は老朽化が甚だしく、順次改築していかなければならない。しかし古さの際立つ
普通教室棟は「港区の歴史的建造物」として港区報に紹介され、歴史的文化的価値が高い。か
つては時計台であり、現在校章が取り付けられている塔の内側内部の中央階段室の回遊式階段
などが特徴とされていて、コの字型配置及び地上 3 階建ての構成は、学校教室棟として衛生上、
安全上理想的であるとも言われている。築後 80 年以上も経っているが、極めて頑強でまだま
だ大丈夫らしい。しかし、さすがにいくらかの不具合箇所は見つかっていたので、コンクリー
ト中性化抑止工事、窓枠取り替え、内外壁塗装等を実施し、今後さらに数十年間を持たせる工
事を完了した。そこで、この教室棟と、図書館、新体育館を除いた校舎を次々に建て替えてい
くことになる。
麻布学園は 1995 年に、創立 100 周年記念事業として施設の拡充を計った時、新図書館建
設か、新体育館建設かが検討され、最終的に新図書館中心の施設に決定されたという経過があ
る。次は新体育館の建設という流れの中で、2009 年に、創立 120 周年記念事業として 2015
年に新体育館竣工という計画を発表し、どのような体育館にするかの検討を始めた。数十年後
の未来の麻布の校舎群とグラウンドを含めた全体構想を見据えながら、新体育館のサイズ、機
能、建築場所を検討することになった。
他校の体育館を見学することから始めた。古いものから新しいものまで、中学高校を中心に、
大学、企業の施設までも見学した。体育施設を建てた学校管理経営者側と、実際に授業で使用
する一般教員側とでは、使用している体育館の評価が微妙に違うことにも気がついた。お仕着
せで造られる建物になったり、業者の言いなりになってはいけない。実際に使う者の身になっ
て慎重に検討しなしなければいけないと考え、一般教職員の意向を十分に反映させた使い勝手
の良い体育館を目指した。
バスケットボール授業など現在の体育館で行われている授業は継続させ、さらに、バレーコ
ートの場所に建てるのなら、そこで行われているバレーボール授業も同時に行える広さがなく
てはならない。その結果、アリーナ部分の広さは、バスケットボールコート 1 面+バレーボ
- 22 -
ールコート 2 面の旧体育館の約 2.5 倍が、
麻布にとって最低限必要なサイズという目標ができた。
プールをどうするか。他校では、屋内地下温水プールや、屋上プール、麻布のような屋外に
プールを設置している学校もあれば、プールを校内に設けず、外部施設を利用して水泳授業を
行う学校まで様々だ。屋内プールは天候に左右されることなく授業時間が確保され、授業計画
は立て易い。麻布のプールは水の汚れが酷く、年に何回も水を入れ替えるが、屋内であれば一
回で済む。ゴミも入らず衛生的だ。大型浄水装置を設置して、緊急時には生徒全員分の飲料水
にするという学校もある。しかし、どの学校も水泳授業は、一年の半分ぐらいしか行われず、
秋冬は使用しないため、年間での稼働率は相当低い。さらに、湿気が建物全体に及ぶのを防ぐ
ために、プールを使用していなくても空調を回し続けるための費用など、維持管理の困難さと、
建物全体を傷めかねないリスクを考えて、屋内設置を見合わす学校は多い。屋上プールについ
ては、先の東日本大震災時の横揺れで、屋上プールの水が溢れて下の階が水浸しとなり、しば
らく階下の施設が使用できなくなったという被災報告を複数校から聞いた。麻布における水泳
授業のあり方と、メリットとデメリットを慎重に検討した結果、プールの併設は見合わせるこ
とにした。
グラウンド北側端に建つのなら、近隣への日影規制の制限上、相当な部分は地下に埋め込ま
ざるを得ない。屋上にテニスコートを造るのなら、ボールが近隣に飛び込まないように天井ま
でネットで覆わなければならない。さらに講堂として使用できるような機能を持たせるか等々、
都内屈指の規模と最新設備を備えた新体育館への学内構想をまとめるのに 2 年半を要した。
2012 年夏に設計業者コンペを行い、設計を三菱地所設計に、2013 年夏に施工業者入札の
結果、鹿島建設に建設工事をお願いすることになった。三菱地所設計には、私たちが 2 年半
かけてまとめた学内構想を巧みに受け入れた、無駄なく機能的にまとめあげた新体育館の設計
図を描いていただいた。鹿島建設は、地下を掘り始めた直後に、1 階床(地下 2.8m のアリー
ナフロアー)をまず造り、そこを起点に地下工事と地上工事を同時に進行させる工法を採用し
て、当初の予定から全く遅れることなく竣工させていただいた。
新体育館は 2015 年 4 月より体育授業、クラブ活動、各種イベント、スポーツ大会会場とし
てフル活用されている。メンテナンス上の問題がいくつか生じてはいるが、使い勝手について
は、予想以上に評判の良い多目的ルームをはじめ概ね良好だ。しかしいずれ生徒は代わり、教
員も代わり、時代も変化する。現状の体育館がベストであり続けることはないので、今後の変
化を読み取り、ソフトとハードの両面から改善をされていくことをこれからの皆さんに託した
い。
麻布教育において、創立 100 周年記念棟図書館が、この 20 年を振り返れば、知力と優れた
人格を養う空間となっているように、創立 120 周年記念体育館が、今後、体力と健やかな人
間性を育む空間として大いに活用され発展することを願う。
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120 周年記念体育館計画について
三菱地所設計 米田 充治 はじめに
120 周年記念体育館の設計を担当した三菱地所設計です、今回はこのような記念事業に係
わらせていただいたことを光栄に思います。今回の設計を通じ考えてきたことをまとめました。
麻布生の皆さんがこの体育館を使うときに思い出していただければ幸いです。
意匠計画
今回の計画では限られた敷地の中で、大きなボリュームの体育館をどこに収めるかを検討す
る際、教室からの移動を考え、最も近い現位置に決定しました。また、都市計画上日影規制が
あり、周りの住宅地への影響を最小限にするため建物の大半を地面に埋めています。
建物内にはアリーナの他、柔剣道場、多目的室、ロッカー室、部室等を階に分け、平面的に
も大きな部屋と小さな部屋をゾーニングしています。
アリーナ内の壁面はコンクリート打ち放し壁にグラスウールマットを貼りました。平行に向
かい合った固い壁の仕上げだけではフラッターエコーという発生音の残響時間が長くなる現象
が起こるのを低減します。
外装、内装のデザインは極力シンプルに素材感を出そうと心掛けました。外から見ると白い
箱、中に入るとコンクリートの質感で信じられないぐらいの大きなアリーナ空間、それだけで
使う人に充分インパクトを与えられたと思います。
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構造計画
限られた敷地を生かすため、体育館はできるだけ部屋を積
層し、さらに屋上も皆さんがスポーツで使えるようにしてい
ます。アリーナ内部の梁はプレストレスコンクリート構造を
採用し、門型の架構により大きな空間を確保し、屋上で運動
しても床振動が起こりにくい配慮をしました。地下が深い建
物は土の浮力で浮き上がる可能性があります、その浮力を建
物躯体で相殺するような計算も行いました。
設備計画
各室内には空調設備を設けています。また屋上に排気口を設け、温まった空気が上昇する性
質を生かし、大きなアリーナ空間の換気も行うことができます。普段あまり使わない部屋につ
いては人感センサーを設置しメインの照明には LED を用いるなど、省エネルギーにも配慮し
ました。
地下室が多いため建物周囲にドライエリアを設け、地下水による湿気がこもらないような工
夫もしています。
最後に
建物は竣工し皆さんが使い始めたときがスタートです。建物は愛情を持って使うと長持ちし
ます。これからも末永く使い続けてください。
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建築の施工・建物を造る仕事
鹿島建設東京建築支店 麻布学園新体育館新築工事 所長 中島 正秀 建築は、立地場所、敷地形状、土質、地下水位平面形状、高さ(深さ)、建物構造、仕上げ
仕様など一つとして同じ条件の建物はありません。また、建築時の社会状況、季節等も異なり、
どの建物の施工(造り方)も同一の条件はありません。そのような意味から、建築の施工は大
変な点も数多くありますが、一方で、非常におもしろいものであると考えています。
私も、会社に入り約 30 年経過し、これまでに様々な場所で多くの建物を造ってきました。
その一部を紹介します。
写真1.集合住宅(地上 14 階、RC壁式免震構造)
写真2.高等学校校舎(地上 3 階、RC造)
写真3.キリスト教会(地上 2 階、地下 1 階、RC造)
写真4.大学校舎
(地上 6 階、地下 1 階、塔屋1階、SRC造)
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写真5.地下高速道路換気所
(地上 14 階、地下 11 階、RC・SRC造・S造)
写真6.麻布学園体育館
(地上 4 階、地下 1 階、塔屋 1 階、RC造)
1)建物を造るために必要な項目
建物を造るためには、大学で学ぶ技術的な項目が基本となりますが、それに加えて多種の知
識・技能が必要となります。社会に出て初めて習得する項目も多く、実地の経験を積むことが
重要です。是非建物の世界にも興味を向けて頂きたいと思います。
① 建築技術に関する項目
材料工学……構造材料(鉄筋、鉄骨、コンクリート)
、仕上げ材料(防水材、塗装材、
金属板材、内装材)
構造工学……構造力学、構造架構計画、応力計算、構造断面計算
設備工学……電気設備、給排水・衛生設備、空調設備、環境(音、熱、光)
施工資機材・施工方法……施工機械、仮設資材、施工手順
② 施工管理に関する項目
品質管理……精度、品質を確保するための計画・管理業務
予算管理……決められた予算で建物を造るための計画・管理業務
工程管理……決められた工期(期間)で建物を造るための計画・管理業務
安全管理……事故・災害を発生せずに建物を造るための計画・管理業務
環境管理……産業廃棄物の適正処分、騒音振動
③ 建築関連法規に関する項目
建築法規……建築基準法、建築基準法施行令
消防法規……消防法、消防法施行例
労働安全法規……労働安全衛生法
環境関連法規……環境基本法、都民の健康と安全を確保に関する条例(環境確保条例)、
騒音規制法
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廃棄物の処理及び清掃に関する法律、資源の有効な利用の促進に関す
る法律
④ 図面の読解・作成に関する項目
建築工事標準仕様書、社内技術指針
CAD技術
⑤ コミュニケーションに関する項目
建築主、設計事務所、所轄官庁、協力業者との打合せ
情報伝達ツールの活用
2)麻布学園新体育館の施工
麻布学園新体育館の工事は、地下 1 階地上4階のRC造でしたが、1 階床は GL-2.9m、地
下 1階床は GL-8.7mと実質地下 2階の建物であり、深さ 10.6mの掘削工事と階高 5.8mの
地下躯体工事が、当初より工程の問題点となることが予想されました。また地上階のアリーナ
の天井梁は、スパン長 33.0m、700mm × 1500mmのPC鋼製内蔵のRC梁が 3.3mスパン
で配置され、かつ天井高さ 14.1m の化粧打放し仕上げの吹抜け空間であり、地上躯体の施工
に関しても難易度が高く予想以上の工期がかかることが懸念されました。
このため、当現場の施工方針は地下工事に逆打ち工法を採用し、1階床施工完了後すぐに地
上躯体工事に着手することで地上・地下工事を併行させ、掘削工事と地下躯体工事を工程のネ
ックから外すと共に、地上躯体の工期を十分確保することを狙ったものです。これにより順打
ち工法採用時には 20 ヶ月を要すると考えられた工期を 17 ヶ月と、3 か月の工期を短縮する
ことが可能となりました。
図1.逆打ち工法の流れ
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図2.順打ち工法採用時
全体工程
図3.逆打ち工法採用時
全体工程
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一方、アリーナの平面 43m × 33m、高さ 14.1m のRC吹抜け空間をいかに安全に、かつ
施工性を向上させるかがもう一つの大きな課題でした。幸い、逆打ち工法の採用により地上躯
体の施工期間を 7.0 ヶ月確保することができることとなったため、R階スラブ下 2.6m(1 階
床上 11.5m)の高さで、アリーナ平面積の約1/3 の範囲をカバーする乗入構台を移動式とし、
R階躯体を 3 工区に分割して順次施工することとしました。
これにより、R階躯体工事の安全性向上。施工品質向上、2次掘削及び地下躯体工事の施工
ヤード確保の双方を満足させることが可能となりました。
図4.移動式構台平面図
写真7.移動式構台状況
図 5.移動式構台の移動
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“ 建築 ” 教員アンケートについてと、クイズ
ブックフェア・建築に際して、教員へのアンケートを行い、下記の質問にご回答いただきま
した。お忙しいなか、ご回答いだきました皆様には心よりお礼申し上げます。
① あなたの思い出の、あるいは好きな建築・建造物(国内外を問わず)をお書きくだ
さい。できれば、その理由もお書きください。
② 一見の価値がある(
「ひどい」も含めて)建築・建造物(国内外を問わず)をお書き
ください。
③ 実際に見知ってはいないけれども、ぜひ実物を見たい建築・建造物(国内外を問わず)
をお書きください。
④ 家(共同住宅も含め)を借りたり、買ったり、建てたりした時のことなども含め、
建築・建造物に関することをご自由にお書きください。
その回答を掲載するに先立って、クイズをしたいと思います。以下の写真は、ご回答いただ
いた先生方が回答のなかで挙げられていた建築・建造物ですが(回答にあるすべての建築・建
造物に対応しているわけではありませんが)
、その建築・建造物が何であるか(名前など)が
わかりますか。
それぞれの写真の下に付された符号(数字とアルファベット)が、先生方からの回答に付さ
れた符号に対応しています(回答の中で複数の建築・建造物が挙げられている場合は、ヒント
だと思ってください)
。なお、写真は、国内のもの、国外のものの順です。さて、どれだけわ
かるかな。
①- A
①- C
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①-E、②-E
①-F、②-J、③-D
①-G、③-G
①-H
②-B
①-L
③-B
②-F
- 32 -
③- C、I
③- F
③- H
③- J
①- N
①- M
①- P
①- O
- 33 -
②-N
③- P、Q、R、W
③- L
③- O
③- S
③-T
③- U
③- W
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“ 建築 ” 教員アンケートの回答
①あなたの思い出の、あるいは好きな建築・建造物(国内外を問わず)をお書きください。で
きれば、その理由もお書きください。
(国内、国外の順。それぞれの中では順不同)
A.中山法華経寺(千葉県市川市)
生まれ育った場所にあり、よく遊んでいた。30 年ほど前から大改修工事が始まり、それが
終わって再び姿を現したときの懐かしさと、自分の記憶のある姿との違いに対する淋しさの
入り交じった感情が思い出である。
(村本ひろみ・社会科/世界史)
B.中学生の時に経験した家の建て替え
築 100 年を超える家に住んでいて、自分の部屋もなかったところから、はじめて自分の部
屋ができるようになり、骨組みができたところでは、はじめて上に上がって、餅撒きをしま
した。いろいろな思い出の詰まった場所です。(渡辺敬介・数学科)
C.旧東京都美術館(設計:岡田信一郎)
小中学生の頃、ここに書の作品が展示されたことが何度かあった。大階段とエンタシスの列
柱の威容が今も記憶に残っている。
(星野新次郎・芸術科/書道)
D.北軽井沢山荘(設計:建畠嘉門)
バリアフリーとは対極の階段の多い別荘。住むには不便、たまに訪れるには楽しい家。(彦
坂昌宏・芸術科/工芸)
E.旧朝香宮邸(東京庭園美術館内)
美術館めぐりか何かの機会に、
庭園を見に行ったら、印象的な建物があったので。(太田昌孝・
技術/情報科)
F.金沢 21 世紀美術館(設計:SANAA・妹島和世、西澤立衛)
学生時代に、プラン・着工・完成と間近で見ることにできた建築物であります。市民にとっ
て身近な美術館を目指して、街の中心部に建てられた円形状の建物で、多方向から出入りで
きる、街に開かれた公園のような美術館です。(尾崎真悟・芸術科/美術)
G.青森県立美術館(設計:青木淳)
、黒石ほるぷこども館(設計:菊竹清訓)
妻の郷里である青森の建築物から 2 点。前者は開館(2006 年)以来毎年必ず訪れている唯
一の美術館なのでひときわ思い入れがある。隣接する山内丸山遺跡を意識したトレンチ構造
(地層と建築を凸凹に組み合わせたもの)による空間それ自体に魅力があるため、大したこ
とのない展覧会でも素晴らしく見えてしまう。後者は児童書で知られるほるぷ出版が黒石市
に寄贈し、菊竹清訓が設計した児童図書館。たいへん小さな建築だが、図書館を訪れる子供
たちが楽しく過ごせるような配慮が隅々までなされていて、見学した際には本当に感動した。
菊竹は磯崎新によって「東京五大粗大ゴミ」とまで批判された「江戸東京博物館」のような
巨大建築が有名だが、彼の本領は「スカイハウス」やこの図書館のような小さな建築物にあ
るのではないかと思う。
(大石將朝・国語科)
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H.広島平和記念資料館(設計:丹下健三)
、基町高層アパート(設計:大高正人)
先頃亡くなられた鳥越先生との思い出がある広島の建築から2点。前者はもはや説明不要の
丹下健三の傑作。東日本大震災から既に5年が経とうとしていることを思うと、原爆投下か
らわずか 4 年で(原爆ドームまでの軸線も含めた)この空間の構想を打ち立てた丹下の構
想力には驚嘆するほかない。毎年 8 月 6 日にテレビ中継される広島平和記念式典の荘厳さは、
この空間なくしてはありえないだろう。後者は原爆スラムを解消するために建てられた巨大
高層住宅。一度写真で見て以来その独特の外観にすっかり魅了されてしまった私は、鳥越先
生と学年行事の下見で平和記念資料館に行った際、少しだけ寄り道してこの建築を見学させ
てもらったのだった。私たちが子供の頃にマンガなどを読んで頭に思い描いていた未来の住
宅をそのまま具現化したようなその外観に、鳥越先生も「確かにすごいね!」とおっしゃっ
ていたことをついこの間のことのように思い出す。(大石將朝・国語科)
I.日本の城
小学校低学年頃からなぜだか好きになった。特に石垣の勾配フェチの小学生であった。歴史
の現場にいるような臨場感に興奮したのだろうと思う。(水村暁人・社会科/日本史)
J.麻布学園の旧体育館、旧柔剣道場
自分の学舎であったので、なくなってしまった今、とても懐かしい。
地下剣道場。文化祭、運動会の実行委員の会合がよく行われている場所であった。これもな
くなるのは淋しい。
(太田隼・数学科)
K.瀬戸大橋
故郷と本州を繋いでくれたかけがいのない橋だから。橋を渡ると寂しい想いがしたり、夕日
を見ながら考え事をしたり、
「瀬戸の花嫁」を聴くと懐かしく思ったり、いろんな思い出を
運んでくれたから。
(今田光彦・数学科)
L.岡山県の吉備津神社
意匠ということを思わせてくれる建物です。日本の神社仏閣のなかでは個性を感じます。
(山
岡幹郎・社会科/公民)
M.パプアニューギニア独立国の「ハウスタンバラン」
私の思い出の建造物です。パプアニューギニアのほとんどの国民はクリスチャンですが、キ
リスト教が広まる数年前は土着宗教が主でした。自然界すべてに精霊が宿り、山や川、森、
動物などを崇める日本の神道に似たアニミズムが現代の生活にも根付いています。その象徴
的な存在が精霊の家を意味する「ハウスタンバラン」で、村の中心に建てられています。立
派な彫刻が施された高床式の藁葺き屋根の建物です。観光客が入ることが許されず、女人禁
制で、成人のイニシエーションも行われる、神聖な「ハウスタンバラン」に招かれることは、
その部族に受け入れられ、認められたと感じたのでした。(藤田光秋・技術/情報科)
N.インド・エローラのカイラーサ寺院
石窟をよく訪れる。中国の三大石窟と呼ばれる洛陽龍門石窟、大同雲崗石窟、敦煌莫高窟は
すべて訪れたし、ベゼクリク千仏洞にも行った。インドのアジャンター石窟・エローラ石窟、
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トルコのカッパドキア地下都市にも行った。これらは建造物とは言えないかもしれないが、
エローラのカイラーサ寺院には驚いた。一つの岩山を彫刻してできあがった寺院であり、階
段、手すり、部屋自体から、内部にまつられているシヴァ・リンガまで一つながりの岩なの
である。建造物の概念を超える建造物と言えるだろう。(青木隆・国語科)
O.カナダ国会議事堂
初海外一人旅の思い出だから。夕方にアレクサンドラ橋から見た景色がとても綺麗だったか
ら。
(今田光彦・数学科)
P.エルサレムの岩のドーム
端正で美しい建物です。
(山岡幹郎・社会科/公民)
② 一見の価値がある(
「ひどい」も含めて)建築・建造物(国内外を問わず)をお書きくださ
い。
(国内、国外の順。それぞれの中では順不同)
A.軍艦島にある建造物群
小さな面積の中にたくさんのマンション等が建ち並ぶ姿は、まさに産業革命という感じがし
ます。
(渡辺敬介・数学科)
B.国際子ども図書館(上野公園・旧帝国図書館、設計:久留正道)
(星野新次郎・芸術科/書道)
C.瀬戸内直島ベネッセハウス・ミュージアムホテル(設計:安藤忠雄)
美術館の中にホテルがあり、美しい瀬戸内海の景色とともに夜の美術館も楽しめる。(彦坂
昌宏・芸術科/工芸)
D.東京スカイツリー
科学技術への過信、驕りの象徴。地震国なのに恥ずかしい。(佐々木潤・社会科/公民)
E.旧朝香宮邸(東京庭園美術館内)
外観もさることながら、
内部のアールデコ様式の粋を尽くした造りが、一見の価値がある。
(太
田昌孝・技術/情報科)
F.養老天命反転地(設計:荒川修作、マドリン・ギンズ)
とにかく訳のわからさが印象的な建造物。一見無駄なものに見えなくもないが…、その発想
と大胆さにあっぱれ。
(尾崎真悟・芸術科/美術)
G.代々木第一体育館(設計:丹下健三)
日本のモダニズム建築の代表作として。詳述は避けるが、外観にせよ内部空間にせよ動線に
せよ、知れば知るほど完璧な建築である。前回のオリンピックの際にはかくも素晴らしい建
築を日本が生み出せたのだ思うと、2020 年のオリンピックをめぐる現在の日本の惨状が悲
しくなる。
(大石將朝・国語科)
H.中銀カプセルタワービル(設計:黒川紀章)
メタボリズム建築の代表作として。エレベーターなどが入った2本のコアの周囲に交換可能
なカプセルの部屋をボコボコ貼り付けて、
「生物のように新陳代謝する建築」というメタボ
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リズムの理念をたいへんわかりやすく表現している。もうすぐ壊されるという噂も耳にする
ので、今のうちに見ておいたほうがよい。歩いて行ける距離にある「静岡新聞・静岡放送東
京ビル」
(丹下健三)もほぼ同様の発想でできているので、ついでに見ることをお勧めする。
(大石將朝・国語科)
I.M2(設計:隈建吾)
ポストモダニズム建築の代表作として。
「ひどい」と聞いて最初に思い浮かんだのがこの建
築であった。
(ただし
「ひどい」
は褒め言葉である。)ひときわ目立つ巨大なイオニア式オーダー
をはじめ、ポストモダン建築らしく西欧古典建築の様々な引用を組み合わせてあるのだが、
とにかく外見が奇怪。近年は周囲の環境に「負ける建築」を主張し、新国立競技場コンペで
も日本の伝統素材である木材をふんだんに用いた競技場を提案して見事に設計を勝ち取った
隈氏が、この環八沿いの奇怪なコンクリートの塊を「黒歴史」にしないことをM2ファンと
して切に願う。元々はマツダの社屋だったのだが、現在は葬儀場になっている。(大石將朝・
国語科)
J.金沢 21 世紀美術館(設計:SANAA・妹島和世、西沢立衛)
(ⅰ)重厚さを排した軽快な形態で、
(ⅱ)内部空間のヒエラルキーを排し、(ⅲ)周囲の環
境と調和する、という近年の建築のモードの代表として。もう一つ挙げるならば、「せんだ
いメディアテーク」
(伊東豊雄)であろう。
(大石將朝・国語科)
K.豊島五丁目団地ツインコリダー棟およびV字棟(日本住宅公団)
日本住宅公団の代表作として。ツインコリダー型とは二つの棟を廊下側でくっつけて真ん中
を吹き抜けにしたもの。その片側を少し外側に開くとV字型になる。大友克洋『童夢』の舞
台のようなこの巨大団地群の圧倒的な崇高美には団地マニアならずとも魅せられるに違いな
い。この建築を自宅の窓から眺められる場所に住んでいることが私のひそかな自慢なのであ
る。
(大石將朝・国語科)
L.スイスアルプスの山々に登る鉄道、ケーブルカーなどの交通手段
4000 ~ 5000 m級のところまで、一気にレールを敷いてあること自体がすごい。(村本ひ
ろみ・社会科)
M.タージ・マハル、アンコールワット
前者は、
インドの皇帝が愛妃のために建てたもの。後者は、カンボジアの王朝が建てたもので、
その規模の壮大さと美しいシンメトリーに、初めて見たときに思わず息を呑みました。双方
とも近くで見ると、緻密な彫刻やきらびやかな装飾を施しており、時間が許すかぎり隅々ま
で見ていたいと思いました。
(藤田光秋・技術/情報科)
N.トルコのアヤソフィア、インドのタージ・マハル、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城
美しさではこれらが忘れられない。
(青木隆・国語科)
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③ 実際に見知ってはいないけれども、ぜひ実物を見たい建築・建造物をお書きください。
(国
内、国外の順。それぞれの中では順不同)
A.通天閣
実は大阪に行ったことはなく、東京タワーやスカイツリーが話題になる中で、必ず引き合い
に出されていた。果たしてマスコミが煽っているのか、実際に通天閣の熱のようなものがあ
るのか、実感してみたいから。
(村本ひろみ・社会科/世界史)
B.兵庫県の竹田城
そこが日本と思えないような、
「天空の城」らしいです。近くにいる間に見よう見ようと思
いながら、結局行かず終いでした。
(渡辺敬介・数学科)
C.桂離宮
(星野新次郎・芸術科/書道)
D.瀬戸内直島ベネッセハウス・オーバルホテル(設計:安藤忠雄)、金沢 21 世紀美術館(設
計:SANAA・妹島和世、西沢立衛)
、アルハンブラ宮殿
(彦坂昌宏・芸術科/工芸)
E.世界最古の木造建築である法隆寺、五重塔
中学の修学旅行で見た気がしますが、地震大国日本で 1300 年も経て現存している構造は、
スカイツリーの制震技術にも応用されており、ぜひそういう視点でじっくり観察したいと思
います。
(藤田光秋・技術/情報科)
F.会津さざえ堂(福島県会津若松市の飯盛山、1796 年)
テレビで見ただけですが、
六角三層のお堂で、内部は二重らせんのスロープになっている。
(太
田昌孝・技術/情報科)
G.青森県立美術館(設計:青木淳)
、東京ジャーミー(モスク)、西芳寺(苔寺)
(尾崎真悟・芸術科/美術)
H.旧大分県立中央図書館(設計:磯崎新)
磯崎新の初期の代表作であり、
「プロセス・プランニング論」の着想の元になったこの建築
の実物を見ていないことは、建築好きとして大いなる負い目である。(大石將朝・国語科)
I.桂離宮
伊勢神宮と並び日本建築の傑作としてさまざまな建築家に論じられてきたこの建築も、一度
は見たいと思いつつ、見学許可を取るのが面倒でまだ見たことがない。(大石將朝・国語科)
J.安土城の天守閣(当時は天主)
タイムスリップして天守閣(天主)から城下をながめてみたい。(水村暁人・社会科/日本史)
K.首都圏外郭放水路
壮大な建物(地下施設)であるらしい。その一様で広い空間の中に入り込んで、大声で叫ん
でみたい。
(今田光彦・数学科)
L.バチカンのサン・ピエトロ大聖堂とメッカのカーバ神殿など
世界宗教の聖地とされる場所に行ってみたい。(村本ひろみ・社会科/世界史)
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M.ピサの斜塔
現代のように、
地盤調査がきちんとできなかった時代の建築物ならではという感じがします。
(渡辺敬介・数学科)
N.落水荘(設計:フランク ・ ロイド ・ ライト)
(星野新次郎・芸術科/書道)
O.パリのルイ ・ ヴィトン財団美術館(設計:フランク・ゲーリー)
(彦坂昌宏・芸術科/工芸)
P.スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア(設計:アントニ・ガウディ)
月並みですが、着工から 100 年以上も経っているのにまだ未完で、2026 年に完成するとい
う話です。死ぬまでに 1 回は、完成形を見てみたいと思います。(藤田光秋・技術/情報科)
Q.サグラダ ・ ファミリア(設計:アントニ・ガウディ)
テレビで見ただけですが、ガウディの、有名な建築途中の教会です。曲線を多用した造形は、
構造力学的にも調和している。
(太田昌孝・技術/情報科)
R.スペインのサグラダ・ファミリア(設計:アントニ・ガウディ)
一度は行ってみたい。
(青木隆・国語科)
S.クンストハウス・グラーツ美術館(設計:ピーター・クック、コリン・フルリエ)、ビルバオ・
グッゲンハイム美術館(設計:フランク・ゲーリー)、ダリ劇場美術館
(尾崎真悟・芸術科/美術)
T.サヴォア邸(設計:ル・コルビジェ)
「近代建築5原則」
(ピロティ・屋上庭園・自由な平面・水平連続窓・自由な立面)を具現化
したモダニズムの出発点であるこの建築はやはり見ておきたい。(大石將朝・国語科)
U.ベルリン・ユダヤ博物館(設計:ダニエル・リベスキンド)
ホロコーストの「表象不可能性」それ自体を建築として「表象」したこの傑作もさまざまな
建築家によって論じられているのだが、実際にその空間を体験したことがないため。(大石
將朝・国語科)
V.九龍城砦
かつて香港にあった超巨大スラム建築。アジア的混沌の極致ともいうべきこの建築をいつか
見てみたいと小さい頃から夢見てきたが、1994 年に解体されてしまい、決して適わぬ夢と
なった。
(大石將朝・国語)
W.ドイツのケルン大聖堂、スペインのサグラダ・ファミリア(設計:アントニ・ガウディ)
いずれも完成までにかなりの年数を費やしているところにロマンを感じる。
(太田隼・数学科)
X.南極ドーム基地(正式名称は「ドームふじ基地」)
『面白南極料理人』
(西村淳著)という本を読んで興味をもった。(太田隼・数学科)
Y.国際宇宙ステーション
いつか宇宙で滞在し、そこから地球を見たい。(今田光彦・数学科)
- 40 -
④ 家(共同住宅も含め)を借りたり、買ったり、建てたりした時のことなども含め、建築・
建造物に関することをご自由にお書きください。
・学校建築の典型例というものをいろいろと見回りたいと思います。日本の教室は、正面(黒
板)に対し、左に窓、右に廊下という構図が多いですが、これは右利きの人を対象にした造
りだそうです。住居とは違いますが、一日のうちの大半を若者が過ごす空間について興味が
あります。
(村本ひろみ・社会科/世界史)
・建て売りを購入したが、基礎打ち前だったので、筋交いの位置も含め、いろいろ注文をつけ
た(洋室を和室に変更。畳の厚み分をフラットにするための床面下げ。窓を引き戸に。洋室
に押し入れを追加し、内部には床下への入り口を追加。土台の大引きを檜に変更。地下駐車
場の壁面に基礎鉄筋を曲げ入れ)
。
その際、
仲介業者の担当者の能力差に困り、ハウジングメー
カーに相談の上、直取り引きとさせてもらったことが思い出される。(佐久間道則・理科)
・増沢洵の「9坪ハウス」や安藤忠雄の「住吉の長屋」など、いわゆる狭小住宅にも建築の面
白さが詰まっているように思う。
(星野新次郎・芸術/書道科)
・子供の頃から自分の生活空間を考えるのが好きで、実家も自宅もアトリエも自ら基本計画を
たて、工夫してきた。今も増築を思案中。芸術棟の建替えプランも作りたいが、もう去りま
す。
(彦坂昌宏・芸術/工芸科)
・なぜ日本の家(街並み)はこれほど雑然としていて、汚いのか。(佐々木潤・社会科)
・私が中学生の時に実家を新築しました。
その工程を毎日見に行くのが楽しみでした。特にかっ
こいいと思ったのが、けがき線を描くときに使う墨壺でした。「パシーン!」と小気味よい
音をたてて、まっすぐな線を描く技術は、職人そのものでした。最近ではあまり使われなく
なったと聞きましたが、
そういう職人技が衰退するのは残念です。(藤田光秋・技術/情報科)
・家は、費用の面もあり、直線的な合理性での造形に制限されてしまうが、そのためか、曲線
的な建築・建造物に魅力を感じる。
(太田昌孝・技術/情報科)
・庶民の手の届く範囲で、広さとゆとりのある住宅にしたいと思っています。また、光がきれ
いな(採光のよい)ところで生活したい。
(尾崎真悟・芸術科/美術)
・私は長らく本を読むこと以外の趣味がなかったのですが、建築を見るようになって、人生の
楽しみが大分増えました。旅行に行くときには寺社仏閣や文学碑以外に、必ずその地域の有
名な建築を見るようにしています。外から見る分にはお金もかからず、懐に優しいですし、
読書と違って体を動かすので、健康にも良さそうです。(大石將朝・国語科)
・現在、戸建てに住んでいます。私が家を購入したときの土地選びの決め手の1つは、その土
地の下に縄文時代の遺跡があったことがわかったからでした。自然とともに暮らした縄文人
は、地形的に良い所に住む傾向がありました。縄文人が選んだ土地ならば、間違いないとい
うことで、その土地に決めた次第です。
(水村暁人・社会科/日本史)
・何 も詳しくなくて勝手に書きますが、採光技術や通風技術をうまく取り入れ、防災の観点
から半地下であって、自然エネルギーの自家発電ができる、将来そのような住宅が増えると
いいなあと思います。
(今田光彦・数学科)
- 41 -
“ 建築 ” の本
鳥居 明久(図書館)+大石 將朝(国語科)
麻布学園図書館が所蔵する建築についての本をピックアップして紹介しよう。
(出版社と請
求記号を付してあるが、カウンター前の新着図書コーナーの書架に移動してあるものもかなり
ある。請求番号の前に「R」が付いているものは、参考図書であって、原則的に貸出禁止になっ
ている。著者記号がひらがなのものとアルファベットのものがあるが、図書館では著者記号を
アルファベットからひらがなに変更中なので、ご了解ください。)
1.入門書として
まずは入門書から。建築について分かりやすく面白い本を書く人というと、
「建築探偵」シ
リーズで知られる建築家・藤森照信と、建築史家の五十嵐太郎の名がまず思い浮かぶ。藤森照
(ち
信の本は『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書、520- ふ)、
『フジモリ式建築入門』
くまプリマー新書、520- ふ)
、
(淡交社、521.8-Fu)、
『日本建築集中講義』
『日本の近代建築上・
(岩波新書、523- ふ -01,02)
、
下』
『日本木造遺産』(世界文化社、521.8-Fu)が、五十嵐太郎
の本は『現代日本建築家列伝』
(河出ブックス、523.1-I)、
(光
『現代建築のパースペクティブ』
文社新書、523- い)が図書館に入っている。これらのうちで興味が湧いたものを読んでみる
とよいだろう。
あるいは、ギャラリー・間編『世界の建築家581人』(TOTO 出版、520-Gy)、三宅理一
(鹿島出版会、520.28-Mi)
、都市建築編集研究所
編『現代建築を担う海外の建築家101人』
編『素顔の大建築家たち1・2』(建築資料研究社、520.2-Ni)などをめくって、著名な建築
家の名前と作品をとりあえず覚えるというのもいいかもしれない。単なる趣味を超えて建築
学科への進学を真剣に考えている人は、安藤忠雄編『
「建築学」の教科書』(彰国社、520-A)、
(学芸出版社、520.7-I)、鈴木博之編『近代建築論講義』
五十嵐太郎編『ようこそ建築学科へ!』
(東京大学出版会、520.2-Su)などを読んでみるとよいだろう。
2.建築散歩のために
建築について多少の知識を得たら、今度は実際の建築を見に行こう。その際に大きな助けに
なるのが、ギャラリー・間編『建築 map 東京』
(TOTO 出版、523.1-Gy)だ(『建築 map 横浜・
鎌倉』、『建築 map 京都』
、
『建築 map 大阪 / 神戸』も図書館に入っている)
。これを片手に東
京の建築を見て歩こう。他にも、倉方俊輔・齋藤理監修『東京建築ガイドマップ 明治・大
、志村直愛編『東京建築散歩 24 コース』
(山川出版社、
正・昭和』(エクスナレッジ、523.1-Ku)
523.1-Sh)
、小林一郎『ここだけは見ておきたい東京の近代建築1・2』
(吉川弘文館、523.1-
- 42 -
Ko-01,02)など、建築散歩の本が図書館にはたくさん入っている。宮本健次『世界に誇れる東
京のビル100』(エクスナレッジ、523.1-Mi)、建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』(洋泉
社、523.1-Ke)
、森まゆみ『東京遺産』
(岩波新書、521- も)、
(岩波書店、
『東京たてもの伝説』
523.1-Mo)なども建築散歩の助けになりそうだ。廃墟マニアの人には、
栗原亨『廃墟の歩き方』
(イースト・プレス、523.1-Ku)もある。
3.日本の建築家の本
次に、日本の著名な建築家の本を紹介しよう。建築家は自分の建築の魅力をクライアント
に説明しなければならない立場にあるので、言語能力の高い文章家が多い。全部はとても紹
介しきれないが、おおまかに上の世代から順に並べてみる。堀口捨己『桂離宮』
(毎日新聞
社、521-H)
、西山卯三『現代の建築』
(岩波新書、520-N)、吉村準三『吉村準三のディティー
、丹下健三『丹下健三 一本の鉛筆から』(日本図書センター、523ル』(彰国社、520.8-Yo)
Ta)
、芦原義信『街並みの美学』
(岩波書店、520-A)、大谷幸夫『都市空間のデザイン』
(岩波
書店、520.2-O)
、原広司『空間〈機能から様相へ〉
』(岩波書店、520.4-Ha)、槇文彦『建築か
(岩波書店、520.4-Ma)、安藤忠雄『連戦連敗』
(東京大学
ら都市を、都市から建築を考える』
出版会、520.4-A)
、
(東京大学出版会、520-A)、伊東豊雄『建築の大転換』
(中
『建築を語る』
沢新一との共著・筑摩書房、520.4-I)
、内藤廣『内藤廣対談集』(INAX 出版、520.4-Na)、隈
、
(岩波新書、520-Ku)、
研吾『自然な建築』(岩波新書、520-Ku)
『小さな建築』
『負ける建築』
(岩波書店、
520.4-Ku)
、石上純也『建築のあたらしい大きさ』
(青幻舎、520.4-I)、藤村龍至『アー
、
(NTT 出版、520.4- ふ)。
キテクト 2.0』(彰国社、520.4-Fu)
『批判的工学主義の建築』
なかでもおすすめしたいのが、日本の建築家の中でも傑出した理論家であり、文章家でもあ
る磯崎新の著作である。
(岩波書店、520.8-I-01 ~ 08)が図書館に入っ
『磯崎新建築論集1~8』
ているので、建築を理論的に考えてみたい人はぜひ手にとってもらいたい。どの巻を読んでも
自分の思考を強く刺激してくれるはずである(ちょっと難しいと感じたら、インタビュー集で
ある『日本建築思想史』
(太田出版、523.1- い)から入るとよい)
。磯崎門下の建築家には理
論家が多く、青木淳『原っぱと遊園地』(王国社、520.4-A)、八束はじめ『思想としての日本
近代建築』(岩波書店、523.1-Ya)も単なる建築本の枠を超えたスケールの名著である。
4.海外の建築家の本
海外の建築家の本も、
モダニズム建築の創始者ル・コルビジェ『建築をめざして』
(鹿島出版会、
520.4-C)や現代建築の最重要人物であるレム・コールハース『錯乱のニューヨーク』
(筑摩書房、
523.5-K)など、建築史を語る上では絶対に外せない名著が麻布の図書館には入っているので
読んでみるとよいだろう。
「衣錦尚褧」
(図書館通信)において「21_21 DESIGN SIGHT」
(ミッ
ドタウン・ガーデン内)での「フランク・ゲーリー展」を紹介したフランク・ゲーリーが語る
(エクスナレッジ、523.5- げ)も挙げておく。
『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』
また、著名な現役建築家であり、建築史家でもあるケネス・パウエルが、ブルネレスキ、ジャ
- 43 -
ハーン、エッフェル、ガウディ、ライト、ル・コルビュジエ、ゲーリー、丹下健三、ファウラー、
隈研吾など、世界の先駆的建築家 40 人の業績を中心に、その独創的な代表的作品を取り上げ、
豊富な図版とともに建築家を紹介する『世界の建築家図鑑』
(原書房、R520.2-P)もある。
5.世界の建築(建築の歴史)
まずは、シリーズものを紹介する。『図説 世界建築史 全 16 巻』
(本の友社、R520.2-W-01
~ 16)は、第 1 巻の「原始建築」から第 15,16 巻の「近代建築」までを歴史的に追って説明
してくれる。次は、現代建築における公共的施設をジャンル(「劇場・ホール」、
「医療施設」、
「教
育施設」
、
「スポーツ・レクリエーション施設」
、「宗教施設」など)に分けて紹介している『現
代建築集成 全 15 巻』(メイセイ出版、R-520-Ge-)で、世界各国の公共的建築を一望できる。
現代の建築家に焦点を当てたものとしては、『秀逸建築家シリーズ 10 選』(SIGMA UNION、
R520.8-Sh-01 ~ 10)というものがあって、日本人の建築家としては黒川紀章が入っている。
単行本としてのものを建築のジャンルに即していくつか紹介する。チャールズ・スティーヴ
ンソン編『世界の城の歴史文化図鑑』
(柊風舎、R520.2-S)は、ヨーロッパの城だけでなく、
インドの城郭、中国の城壁、日本の城、北アメリカの要塞も含めて、古代から 20 世紀初頭に
いたる 150 の“城”を取り上げ、平面図・配置図で詳しく解説している。ヨーロッパに限定
したものとしては、
(クレオ、R523.3-Ka)がある。ヨーロッパの歴史的
『ヨーロッパの古城』
な建築と言うと、城と並んで貴族の館があるが、イギリスについては、元理事長の田中亮三氏
の著書で、まさに『英国貴族の館』
(講談社、R523.3-Ta)というタイトルの本がある。
以上は参考図書コーナーの本だが、一般図書の中からもいくつか列挙しておく。「1.入門
書として」にも紹介した五十嵐太郎の本で『世界の名建築』(光文社新書、520- い)、古市徹
(岩波新書、520- ふ)、古代のオベリスクから東京スカイツリー
雄『世界遺産の建築を見よう』
に至るまでを時代背景とともに考察した河村英和『タワーの文化史』(丸善出版、520.2-Ka)、
ヒトラー、スターリン、フセイン…建築にとりつかれてゆく権力者たちと自らを売り込もうと
する建築家たちを描いた、ディヤン・スジック『巨大建築という欲望 権力者と建築家の 20
(紀伊國屋書店、520.2-S)
。ヨーロッパの現代建築については、コンパクトに網羅的に
世紀』
紹介しているギャラリー・間編『ヨーロッパ建築案内』全 3 巻(TOTO 出版、523.3-Fu-1 ~ 3)
がある。
アジアの建築の本としては、皇帝建築、宗教建築、民居装飾、風水、色彩など 20 の中国建
築文化を紹介する楼慶西『中国歴史建築案内』
(TOTO 出版、522.2-Ro)、韓国の歴史的建築
についての鎌田茂雄ほか『韓国古寺巡礼 新羅編と百済編』(日本放送出版協会、522.1-Ka)
と金奉烈ほか『韓国の建築 伝統建築編』(学芸出版社、522.1-Ki)、イスラム圏の建築につい
ての飯島英夫『トルコ・イスラム建築紀行』
(彩流社、522- I)、インドについての神谷武夫『イ
(TOTO 出版、522.5-Ka)などがある。また、東アジアの近代建築についての
ンド建築案内』
(筑摩書房、522-Fu)という大部の本もある。
藤森照信『全調査 東アジア近代の都市と建築』
さらに、膨大な写真と資料を公開し、ロシア建築の魅力に迫った言われるリシャット・ムラ
- 44 -
(TOTO 出版、523.3-M)という本もある。
ギルディン『ロシア建築案内』
6.日本の歴史的・伝統的建築
日本独特の建築といえば、城郭や寺社ということになろうから、城郭の本として『日本の
城』(集英社、R521-Ni-1 ~ 4)をまず挙げておく。参考図書コーナーにある、やや古い本だが、
新しい城郭というものはないので(復元を除いてだが)、問題はない。全 4 巻は、
「1.東山道」、
「2.東海道、北陸道」
、
「3.山陽道、山陰道」
、
「4.南海道、西海道」という構成となってい
て、網羅的に編集されている。コンパクトな城案内としては『図説 日本の名城』(河出書房新
社、
521.82-Hi)がある。また、
貴重な写真集と言える『レンズが撮らえた 幕末日本の城』
(山
川出版社、521.82-O)という本もある。日本の城をめぐって書かれた最近の本としては、萩
(山と渓谷社、528.1-Ha)、
(岩波新書、
原さちこの 2 冊、
『わくわく城めぐり』
『お城へ行こう!』
521- は)の他に、小和田泰経『天空の城を行く』
(平凡社新書、521- お)を紹介しておこう。
次に寺社についてだが、西岡常一、宮上茂隆『法隆寺 世界最古の木造建築』
(草思社、
521-Ni)がある。復元修理の責任者となった宮大工の棟梁と第一線の研究者とによって、日
本建築についての基本的な理解が得られよう。西岡常一の本としては、『木に学べ』(小学館、
521-Ni)
、
(日経新聞社、521.8-Ni)もある。西岡と
『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』
同じく宮大工の棟梁である松浦昭次の本も紹介しておく。
(祥伝社、
『宮大工千年の「手と技」』
521.8-Ma)と『宮大工と歩く千円の古寺』(祥伝社、521.8-Ma、)である。また、上田篤『五
(新潮社、521.8-U)は、まさに書名のとおりに、さまざまな観点か
重塔はなぜ倒れないか』
ら五重塔の神秘に迫っている。
屋根に注目して(寺社に限らず、伝統的な日本建築においては屋根に目が行くものである)
日本の建築を概観した本として原田多加司『屋根の日本史』
(中公新書、524- は)もある。著
者は、国宝等の修復を数多く手がけてきた桧皮葺職人である。
なお、
日本建築について
「手わざ」
という視点から教えてくれる
『聞き書き・日本建築の手わざ』
全 3 巻(平凡社、521-Ni-1 ~ 3)もあり、
「第 1 巻 堂宮の職人」
、
「第 2 巻 数寄屋の職人」
、
「第 3 巻 家作の職人」という構成になっている。日本のみならずヨーロッパ、中国も含めて、
ノコギリ・ノミ・カンナなどの手道具で木の建築物を造り上げてきた歴史を追った、遠藤晶『大
(吉川弘文館、525.5-Wa)という本も
工道具の文明史 日本・中国・ヨーロッパの建築技術』
紹介しておこう。
道具の使い手である大工さんに関する本としては、親子三代の名棟梁が語る、前場幸治『大
(廣済堂出版、525.5-Ze)、笠井一子『棟梁を育てる
工という生き方 男の中の男の仕事!!』
(草思社、520.7-Ka)などがある。
高校 球磨工高伝統建築コースの 14 年』
日本建築と言ってはいけないが、ちょっと変わったところとして、小林法道『今も生きるア
イヌ建築』(風土デザイン研究所、521.8-Ko)という本もある。
- 45 -
7.個人住宅(日本を中心に)
30 年くらい前になるが、「物語 ものの建築史」(鹿島出版会、520.2-Mo-)というシリーズ
で出された本がある。第 1 巻目の山田幸一『日本壁のはなし』に続いて、
「台所のはなし」、
「建
具のはなし」
、
「便所のはなし」……となっていく。近代の個人住宅に限った本ではないが、住
宅のさまざまな要素の歴史的展開を写真や挿絵を示しながら教えてくれる。歴史的展開を知り
ながら、今とは違った住宅の趣きも知ることができよう。全 12 巻のようだが、図書館には残
念ながら 8 巻しかない。通史的に近代の個人住宅の歴史を知るには、内田青蔵編『新版 図
(鹿島出版会、521.8-U)がある。また、木造の清純さに日本的モダニ
説 近代日本住宅史』
ズムの手法を見出したと言われる吉田鉄郎が、建築家の眼で日本の住宅を図解し、1935 年に
ドイツで出版され、
欧米でロングセラーとなった幻の名著の復刻である
『建築家・吉田鉄郎の『日
(鹿島出版会、
521.8-Yo)もあり、
木造のデザインを理解する絶好の本である。「1」
本の住宅』
』
で挙げた藤森照信の本としては『藤森照信の原・現代住宅再見1・2』(TOTO 出版、527Fu-01.02)がある
また、さまざまな視点から個人住宅について書かれた最近の本を以下に挙げておく。松井晴
(エクスナレッジ、527-Ma)。外山知徳『家族の絆をつくる家』
子
『建築家が建てた 50 の幸福な家』
(平凡社、527-To)
。吉田桂二『間取り百年』
(彰国社、527-Ya)。岡村泰之『建築バカボンド』
(理論社、527-O)
。本間至『最高に楽しい<間取り>の図鑑』
(エクスナレッジ、527.1-Ho)。
最後に、世界中の変てこでユーモラスな個人住宅ばかりを集めた写真集である黒崎敏編『可
(二見書房、527-Ku、)も紹介しておこう。
笑しな家 世界中の奇妙な家・ふしぎな家 60 軒』
8.現代の建築構造・技術
最後に現代の建築構造・技術に関する本を列挙しておく。
(ナツメ社、
齊藤祐子『建築のしくみ』
520-Sa)
、
(ナツメ社、
524-Ya)、
(エ
山口昭夫監修『構造計算』
瀬川康秀『建物ができるまで図鑑』
クスナレッジ、524.5-Se)
、深澤義和『耐震設計ってなんだろう』
(彰国社、524.9-Fu)、高山
峯夫『耐震・制震・免震が一番わかる』(技術評論社、524.9-Ta)、辻本誠、大宮喜文共『火
(オーム社、
524.9-Ts)
、
(サイエンス・
災に向き合う建築学』
平塚桂『東京スカイツリーの科学』
アイ新書、526-Hi)
、小林克弘、永田明寛ほか編『スカイスクレイパーズ 世界の高層建築の
、喜入時生、松本幸大監修『建築材料が一番わかる 建築技
挑戦』(鹿島出版会、526.9- こ)
(技術評論社、524.2- き)、菊地至『建築設備が一番わ
術の発展を支える建築材料を理解する』
、五十嵐
かる 上下水道、給排水、空調換気、電気通信などを解説』(技術評論社、528- き)
(技術評論社、
太郎、佐藤考一ほか『高層建築が一番わかる 建設・保守・解体を基礎から学ぶ』
526.9- い)
- 46 -
図書館ブックフェア・ “建築” 講演会報告
「社会を建築する」
藤村 龍至氏 三井 祐介氏 2015 年度のブックフェア“建築”に合わせ、2月13日(土)に大視聴覚教室にて建築家
の藤村龍至氏(藤村龍至建築設計事務所代表・東洋大学専任講師)と三井祐介氏(日建設計)
をお招きしての講演会が行われました(司会進行:図書館部主任、大石將朝・国語科。図書館
部員、彦坂昌宏・芸術科)
。以下にその様子を簡単ながらレポートします。
まず前半は、お二人の建築家による“建築”についてのレクチャーが行われました。
三井氏は建築家の安藤忠雄や塚本由晴にふれつつ自らが建築家を志した経緯から語りおこ
し、自身が設計に携わった「東京スカイツリータウン」と「灘中学校・高等学校新校舎」を例
に、建築物がどのようなプロセスを経て完成していくのかを多くのスライドを交えながら丁寧
に説明されました。スカイツリータウンについては、全長 400m に及ぶその規模と周辺に渋
滞を引き起こさないための駐車場の設計が大きな課題であったとのことでした。また、大手建
築組織に所属しているという自らの立場については、営業や構造の担当者が社内にいるため仕
事がスムーズに進む反面、中東など全く生活環境の違う地域での建築設計を担当することもあ
るため、さまざまな苦労もあるとおっしゃていました。しかし、そのような苦労がありつつも、
さまざまな国・社会に建築を通じて貢献することで、自分自身も成長できることが建築の魅力
であると語られました。
藤村氏は、やはり自身が建築家を志した 90 年代半ばの時代の雰囲気に触れつつ(当時は優
秀な理系は建築ではなくIT系に行ってしまうという時代だったそうです)
、建築が形成され
るプロセスを、単純な形態から出発し、そこにさまざまな要求が課されることで形態が複雑化
していくものであると説明されました。そのうえで、すべての要求をふまえて決定された最終
的な建築の形態だけを提示するのではなく、一回の要求ごとに模型によって形を提示しながら
建築設計を進めていくという、氏独自の「超線形プロセス」という建築の方法論について語ら
れました。
(
「超線形プロセス」の詳細については藤村氏の著書『批判的工学主義の建築』を参
照してください。図書館にも入っています。
)さらに、それをひとつの建築物だけではなく都
市の設計に拡大した試みとして、自身が手がける「鶴ヶ島プロジェクト」を紹介されました。
「鶴ヶ島プロジェクト」の背景には経済成長と人口増加の時代を過ぎ、社会保障予算の拡大と
比例して建築予算が減少し、高度成長期に形成された町の公共施設が老朽化を迎えているとい
う現在の日本社会の現実があるとのことでした。そういう縮小社会の条件のなかで、いかに住
民たちが合意を形成しながら、学校をはじめとした公共施設を整理・統合していくかが今後の
日本社会の課題であり、鶴ヶ島においては限られた予算と市民の要求をもとにさまざまな建築
設計案をそのつど模型を通じて提示し、議論や投票などの開かれたプロセスを経て自治体の規
模を自分たち自身の手で縮小し、それを維持するための試みを行っているとのことでした。
- 47 -
郊外再生に取り組まれている藤村氏が主に俯瞰的・歴史的・抽象的観点から建築を語り、都
市部の巨大建築を手がけた三井氏が主に実務的、現場的、個人的な視点から建築を語っていた
だいたことで、抽象的な思想から具体的な実務までを含む建築の多面性や、資本の集中する地
域と撤退する地域といった現在の建築が対峙する世界の多様性が浮き彫りとなりました。
このようなレクチャーに引き続き、後半は、麻布生との質疑応答となりました。麻布生から
は、
「建築を通じて公共圏を作り出すことは可能か」「建築家特有の認知のあり方とはどのよう
なものか」「3・11 以降の建築の課題とはなにか」
「巨大建築が持て囃される現代において小
さな建築にどのような価値を見出すべきか」
「建築が大きなビジョンを出せなくなった現代に
おいて大きな思想的ビジョンを提示することにはどのような意味があるのか」といった鋭い質
問が次々に出され、予定時間を超過する活発な質疑となりました。( ちなみに、体育館建築の
責任者であった司会の彦坂先生からの「設計と施工の分離についてどう思うか」というきわめ
て現実的な質問もありました。
)
最後に、講演者のお二人が講演後にツイッターに書き込んだ当日の感想を紹介して、このレ
ポートを終わりたいと思います。
(大石將朝)
Ryuji Fujimura on Twitter ‟ 今日の麻布学園でのレクチャー楽しかった。高校生
はさすがだったが、中学生の質疑応答ですらそこらへんの建築学生より全然シャープ
だったりする”‟ 建築の資質とか公共圏の再構築戦略について、思想的に建築を捉
えることの現代的な意味についてなど、難しく刺激的な質問がたくさん出る。さすが
麻布生。
”
(https://twitter.com/ryuji_fujimura)
Yusuke Mitsui on Twitter ‟ 麻布学園でのレクチャー、楽しかった。コミュニティ
& 建てない派を批判的に牽制しつつ東浩紀さんや宮台さんに触れながら「日本として
のビジョン」について質問する高校生、フォスターや日建を対局に置きつつ縮小社会
の建築について質問する中学生など、非常に的確かつ建設的な質疑が続き、スリリン
グでした。麻布生すごい。
”
(https://twitter.com/mmitsuii)
”
講演会でのお二人
講演後に江原記念室にて(OB、在校生とともに)
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〈図書館より〉
◆ 今年度の図書館ブックフェアのテーマは、すっきりと決まりました。麻布では創立
120 周年を記念する新体育館が4月に無事竣工しましたが、新国立競技場建設をめぐっ
ては大きな論議が起こり、一旦決まった建築案が白紙撤回されるという事態がありまし
た。32 回目を迎えたブックフェアですが、今までテーマとはならなかった“建築”は、
今年度を待っていたようにも思えました。
◆ テーマが建築となったことに呼応するかのように、図書館部の主任(大石先生・国語科)
と建築のプロである三井祐介氏(日建設計)との出会いがあり、三井氏との縁によって、
「ゼ
ロ年代の建築家」の一人として注目される藤村龍至氏(藤村龍至建築設計事務所代表)に
もご出席いただき、久しぶりに外部講師による講演会が行われました。その報告は、紙
幅の都合上この冊子にごく簡単にしか載せられませんでしたが、講演会の録画記録があ
りますので、ぜひ図書館に申し出て、見てください。
◆ 先生方からの寄稿やアンケーへの回答は、バラエティに富んだものをいただくことが
できて、
とても喜んでいます。改めてお礼申し上げます。そのアンケートの回答をもとに、
建築物当てクイズを出してみましたが、いかがでしたか。全問正解はとても無理だった
でしょうが、半分でも当てられれば、たいしたものだと思います。
◆「図書館だより」は、生徒からの投稿も受け付けているのですが、うっかりしていて、
今回は、そのことを宣伝するのを忘れていました。申し訳ありませんでした。来年度は、
ぜひ投稿をよろしくお願いします。
◆ 図書館には、中高の図書館としては珍しいほどに、建築の本がたくさんあります。こ
の「図書館だより」でもその一部を紹介してありますが、新着図書棚の特設コーナーや、
520 番台の書架へ行って、ぜひ手に取ってみてください。
(鳥居)