保育におけるケア 念の検討

保育におけるケア概念の検討
一養護と教育の一体性に着目して-
小林浩之*
(奈良教育大学)
A Study of Caring for Early Childhood Education and Care
Hiroyuki KOBAYASHI
(Nara University of Education)
要旨:本論文は、学校教育や保育における子どもの育ちを、実践における人とのかかわりの視点から把握するために、
ケア概念について検討した。先行研究の分析を通して、学校教育及び保育に関するケア概念として、教育カリキュラ
ムを見直す視点、授業における教師の指導性の視点、教育的ケアリングの視点が捉えられた。そして、保育実践にお
ける人とのかかわりとケア概念についてさらに考察するため、ミルトン・メイヤロフのケア概念について検討した。
その結果、ケア概念が「他者の成長を援助するかかわり」であり、 「プロセスとして変容していく」かかわりである
ことが提起された。さらに、メイヤロフのケア概念に関連する観点を検討していく中で、保育実践を一面的にではな
く、実践の文脈の中で一体的に捉えるための示唆を得た。
キーワード:ケア carmg、養護と教育の一体性 closerelationofcareandeducation、ミルトン・メイヤロフ Milton
Mayeroff
1.はじめに
総合的な専門的知識や技術だけでなく、ときに職務を
超えてひとりの人間として相手に働きかけることが、
``相手の「生きること」にかかわる援助- 「ケア」''
として位置づけられている2)0 「生きた」相手に対する、
私の「生きた」応答的かかわりが、対人援助職におけ
るケア概念の意味として捉えられる。
また、看護や福祉の実践における「ケア」は、ただ
相手の「面倒をみる」という専門性ではない。 「ケア」
を行うことによって、そのプロセスの中で、相手の自
立的な能力を引き出すことを目標としている。看護で
あれば治療、福祉であれば介助が「ケア」において
``一体的に展開している''のである。
ところで、幼児期の子どもは、大人に依存しながら
自立する。保育はその自立の過程を実現する、保育者
の実践である。保育者の子どもに対するかかわりにお
いて、保育知識・技術のみが優れていても、それだけ
で保育実践は成立しない。子どもは大人に一度依存し
て、自立する。そのために保育者は、固有の生活世界
や価値観を持った子どもの存在を尊重し、子どもとの
関係の中で働きかけ、子どもの「生(life)」を受け止
めなければならない。
子どもの「生きた」存在に向かい合うとき、保育者
1. 1.保育における専門性としてのケア
保育における「保育者一子ども」関係、また、 「子
ども一子ども」関係は、具体的な「生活(life)」と切
り離して考えることはできない。広い意味で、人間の
リアルな「生(life)」と本質的にかかわっている。そ
の中で、子どもにとって重要な保育者の働きかけは、
子どもに対する一方的なかかわりではなく、応答的な
かかわりとして成立する。保育者には、子どもの「生
(life)」と向き合い、複雑な価値葛藤の中で、主体的
に判断する能力が必要とされている。
同じように人間の「生活、生(life)」とかかわる専
門的な対人援助職に、看護や福祉の分野がある。看護
師や介護福祉士が携わる人間の「生(life)」にかかわ
る援助においては、 「ケア(care)」が不可欠な専門性
として捉えられている。例えば、看護場面では、 「想
定されている状況における看護師の応答に唯一の『正
解』やマニュアル的な答えはない。看護師に求められ
ているのは、固有の生活世界や価値観を持った患者に
対する的確な判断根拠に基づいた適切な応答であ
る」 1)。相手との個別的で応答的なかかわりにおいて、
*幼保GP特任助手(平成19年度文部科学省専門職大学院等教育推進プログラム「幼保統合の『保育実践知』教育プログラム」 )
141
小林 浩之
もひとりの「生きた」人間として働きかけることが求
められる。そして、保育における養護的側面が、子ど
もの「いまの生(life)」について責任を持って支えて
きた。さらに同時に保育は、子どもが「将来を生きる」
ための諸能力の発達を実現させていくという、教育的
らに、ねらい及び内容(5領域)の記述に関して、 「人
間関係」の領域のみならず他の諸領域においても、そ
の「内容の取り扱い」の中で「他児とのかかわり」に
留意することが新たに示された。このように新しい幼
稚園教育要領では、現在の幼稚園教育の課題として家
庭との連携や保育内容における「人とのかかわり」の
必要性が挙げられている。幼児期の教育が、幼稚園内
外での子どもの具体的な生活と不可分であることが捉
えられる。
このように、保育の場における人とのかかわりが、
側面の目標を持っている。幼児期の子どもを対象とす
る保育の実践は、養護的側面と教育的側面が子どもの
「生きる」ということにかかわって``一体的に展開し
ている''。保育もまた、看護や福祉で典型的に見られる
``相手の「生きること」にかかわる援助- 「ケア」''
の概念を不可欠な専門性とする実践であると考えられ
る。
現代的な保育の実践的課題として重視されている。そ
れは、単にコミュニケーションスキルという技術的側
面からではなく、子どもが現在の生活を豊かにし、将
1. 2.いま、ケア概念の検討が求められる背景
保育実践においてケア概念を不可欠な専門性として
把握することは、保育所保育及び幼稚園教育の区別を
問わず、現在の就学前保育において重要な観点である。
なぜならば、いま、保育実践における``人とのかかわ
り''のあり方が、ひとつの課題として焦点化されてい
るからである。平成20年に告示された新しい保育所保
育指針及び幼稚園教育要領で提起されている内容から、
その課題を読み解くことができる。
保育所保育指針改定の背景と要点は「『保育所保育指
来の自立的な生活を実現するという子どもの「生活
(life)」的側面からである。保育における保育者の子
どもに対するかかわりと子どもの「生(life)」との関
係が、いま必要とされている。それは、子どもの「生
きる」ことにかかわる「ケア」の視点である。しかし、
これまで、保育実践における人とのかかわりは、コミュ
ニケーションスキルとして分析されることが多く、そ
のことが広く浸透している。保育において子どもの発
達を支えるかかわりを、ケア概念の視点からの検討す
ることは、研究的及び実践的にもいまだ不十分である
と考えられる。
針』改定に関する検討委員会」の報告書3)に詳しい。
保育所をめぐる環境が変化する中で、保育所における
質の高い養護と教育の機能、及び、子育て支援の機能
が強く求められている。そして、改定の要点の一つで
ある「保育の内容の改善における『養護と教育の一体
1. 3.研究の方法
本論では、保育における人とのかかわりとケア概念
の関係について検討する。そのために、まず、子ども
の育ちとケア概念に関連する先行研究の分析を通して、
学校教育及び保育におけるケア概念の研究についてこ
れまでの成果を把握する。さらに、保育の専門性とし
的な展開』の明確化」の中で、健康・安全及び食青に
関して特に言及している。 「子どもの健康・安全及び
食青については、子どもの生命を保持し、健全な心身
の発達を図る上で欠くことのできない重要なものであ
て不可欠として考えられる"相手の「生きること」に
かかわる援助- 「ケア」''の概念を、ミルトン・メイ
ヤロフの原理的研究の成果から検討し、先行研究では
り、 『保育所保育指針』に明確に位置付けるべきである」
という。このように強調されることからも、保育にお
ける食青の課題は、 「養護と教育の一体的な展開」に
係る課題の典型を示しているものと考えられる。保育
者には、食べ物の与え方及び知識だけでなく、子ども
とのかかわりの中で、食を生きるための文化として伝
える実践的な力量が必要とされている。
明らかにされていなかった保育実践における人とのか
かわりの視点について考察する。
なお、本論では「ケア(概念)」という表現を用い
て、かかわりの手立てではなくかかわりの概念に着目
する。 「養護」、 「援助」、 「支援」などもケアと呼ばれ
るが、ここではそれらのかかわりも含め、主に対人援
また、幼稚園教育要領改訂の基本方針では、 ①近年
の子どもたちの育ちの変化や社会の変化に対応し、発
達や学びの連続性及び幼稚園での生活と家庭などでの
助の実践の中に含まれる、人間の本質的な人とのかか
わりの概念を「ケア(概念)」として述べていく。
生活の連続性を確保すること、 ②子育て支援と教育課
程に係る教育時間の終了後等に行う教育活動について、
活動の内容や意義を明確化すること、の2点が示され
ている4)。特に、後者の子育て支援に関して、幼稚園
が延長保育などの"保育サービス''を担い得ることが
明確にされた。また、子どもの園と家庭との生活の連
続性の視点から、基本的な生活習慣の形成に当たって
「家庭での生活経験に配慮すること」が示された。さ
2.子どもを育てる実践とケア概念の把握
2. 1.学校教育に関連するケア概念の研究
子どもの育ちとケア概念に関する先行研究に、近年
の学校教育に関連する議論がある。背景には、学級崩
壊などの「病理的」問題に対する、ケア概念(ケアリ
ング)への関心の高まりがある。そのような学校教育
142
保育におけるケア概念の検討
に関連するケア概念の近年の研究動向について、中野
接、指導、学習として捉え、ケアリングがその中で
啓明は『教育的ケアリングの研究』 (2002)の中で概観
を提示している5)。その提示された研究動向を分析する
「支援」としての役割を担うとしている。そして、 「ケ
アリングは、教育学的には、一般に『支援』と呼ばれ
るものに相当しているが、意味論的には『学習者の要
と、次の2. 1. 1. -2. 1. 3.のように、学校教育
にケア概念を導入することの視点と課題を捉えること
ができる。
求に応答すること』である」7)という。つまり、学習
者の要求に応答する教師のかかわりがケアリングであ
2. 1. 1. 「ケアリング」をカリキュラムに位置づ
ける
習」を成立させるための教師の「指導」は、 「教授」
り、授業における支援の側面であるという。また、 「学
ひとつは、佐藤学(1995)が主張する、近代の学校
と同等の「支援」 (ニケアリング)が必要であるとす
教育制度が「ティーチング」の機能を重視し、 「ケア
る。一人一人の子どもの学習活動を保障する授業を実
リング」の機能を担っていないという観点からの研究
践するとき、ケアが指導を支える不可欠な支援として
である。佐藤によれば、近代の学校教育は、中世まで
位置づけられることを提起している。
共同体での教育に内在されていた「ケアリング」とそ
斎藤は、一人一人が学習に取り組めるための支援が
れに付随する「ヒーリング」の内容を捨象して成立し
たという。そこでは学力形成、人格形成のための
十分でいないために、授業が成立しない問題があると
「ティーチング」のみが強調され、教師と生徒との
学習に結びつけるために、支援として「学習者の要求
指摘する。そして、教師の指導を子どもの一人一人の
「教授するもの-されるもの」という一方向的な権力
に応答する」ケアリングが授業に必要であることを述
関係が形成された。その中で、教育の場におけるスト
べている。教授内容の定着を支えるものとして支援の
レスの行き場がなくなり、現在のような「病理的」な
役割を位置づけ、教育における「指導」の両輪を「教
教育問題が起きたという。佐藤は「教育の実践が実践
授」と「支援」として捉えている。したがって、教育
として成立しているところには、そのどこかで『ケア
的かかわりにおいて、いかに教授方法の知識や技術が
リング』と『ヒーリング』の復権がはかられている」 6)
と述べ、 「ティーチング」に加えて「ケアリング」及
優れていても、教師による支援-ケアとしての人との
びそれに付随する「ヒーリング」という3つの観点の関
藤の教育とケア概念に関する議論は、授業で学習が成
係から、現在の学校教育を捉え直すことの重要性を提
立するためには「相手の要求に応答する」ケアリング
起している。
が不可欠であり、教育的なかかわりが一方向的な関係
ではないということを提起している。
かかわりがなければ、子どもの学習は成立しない。斎
佐藤は、近代化された学校教育において、本来教育
2. 1. 3.学校教育とケア概念の実践的な課題
が学んでいた「ケアリング」の機能が捨象され、その
結果、教育実践が成り立たなくなっていると指摘する。
佐藤及び斎藤の研究に見られるように、近年の学校
教育に関連するケア概念の議論は、学校教育の内側か
したがって、教育実践が成立するためには、 「ティー
チング」だけでなく「ケアリング」の導入が必要であ
ら求められて生じたものである。そして、現状の教育
ると主張する。このことは、学校教育におけるカリキュ
ラムの課題に関係する。 「いかに合理的に教授するか」
実践の課題を克服し、より実践の質を深めようとする
方向性を持っている。学校教育のカリキュラム改善と
ということに、近代的な学校教育のカリキュラムでは
いう視点、授業における教師の指導性という視点から、
焦点があてられて来た。しかし、そのような学校教育
いま学校教育におけるケア概念の必要性が提唱されて
いる。学校教育の実践において、教育とケア概念(千
では教育実践が成立しない現状に対して、 「子どもと
大人がいかに学び合うか」というケアを前提にした学
どもの育ちにかかわる養護的側面)が、結びつけて考
校教育のカリキュラムが求められている。佐藤の教育
とケア概念に関する議論は、実践におけるケア概念の
えられるようになってきているといえる。
しかし、これらの研究成果について、大きな課題が
位置づけを指摘することで近代学校教育のカリキュラ
残ることを中野は指摘する。それは、ケアリングを学
ムを批判的に捉え直し、教育実践が成立するための新
校教育に「どのような形で導入するのか」についてま
では明らかではないということである8)。佐藤の論か
しい学校教育カリキュラムの必要性と方向性を提起し
ている。
らは、ティーチングに対するケアリングの必要性は指
2. 1. 2.授業における支援としての「ケアリング」
もうひとつは、斎藤勉(1998)が主張する、授業の
摘されるが、学校教育に導入する場合の具体的な切り
枠組みの中にケア概念を位置づけようとする研究であ
た、斎藤の論からは、指導において教授と並んで支援
る。授業という教育の具体的な場面において、個性を
持った一人一人の子どもが、学習にじっくりと取り組
が必要であるときに、 「『ケアも行え』とするならば、
教師がケアを行うのは、どこまですればよいのかといっ
めるようにするために、ケアリングを導入する必要が
た、教師が行うケアリングの内実を明らかにして行か
あるという。斎藤は、授業に含まれる要素を教授、支
ねばならない」 9)0
口や方法についての観点を見出すことができない。ま
143
小林 浩之
中野は、佐藤や斎藤の学校教育とケア概念の先行研
究の動向を踏まえつつ、さらに、学校教育だけでなく
保育を含めた子どもを育てる実践的な場において、ケ
アリングの内容及び方法のあり方を明らかにする必要
性があるという。
子どもに対するケアリング、 ②子ども同士のケアリン
グ、 ③保護者へのケアリングという3つの項目に分け
られている。そして、アンケート分析は、各項目にお
いて共通する因子の抽出を目的として、因子分析によっ
て行われた。
例えば、項目① 「保育者の子どもに対するケアリン
グ」に関しての因子分析の結果、中野は以下の通り15
2. 2.学校教育及び保育の実践とケア概念の研究
前節2. 1.で述べた学校教育に関連するケア概念の
研究は、現状の学校教育の課題としてケア概念へ注目
することの必要性やその役割について、カリキュラム
及び授業の要素という視点から提起した。しかし、教
育におけるケア概念の研究において、教師の具体的な
姿である、教育実践の場でのケアリング(内容と方法)
が明らかにされていないことが課題として明らかになっ
た。中野は、この``実践''の観点が欠落していること
を問題意識として捉え、前出『教育的ケアリングの研
因子を抽出した。
<保育者の子どもに対するケアリング>
1.はめる
2.子どもの話を詳しく聞く
3.抱きしめるスキンシップ
4.触れるスキンシップ
5.叱り方
6.自尊心への配慮
7.励まし
究』 (2002)において、学校教育実践及び保育実践にお
けるケア概念(「教育的ケアリング」)について論じて
いる。その研究の特徴としては、次の2点が挙げられ
る。
2. 2. 1.教育的ケアリングへの着目
中野は学校教育及び保育に関連するケアリングの研
究が、研究視点の違いから3パターンに区別して捉え
8.乳児へのスキンシップ
9.声のかけ方
10.観察の位置、姿勢
ll.主に関ろうとする子
12.叱る場所
13.けじめのつけ方
14.保育者の感情の表出
られるとする。それは、 ①教育学的ケアリング、 ②ケ
アリング教育、 ③教育的ケアリングである。 「教育学
的ケアリングとは、教師による子どもへの直接的なケ
アリングのことである。また、ケアリング教育とは、
子どもにケアリング能力を形成していくことに焦点が
ある。一方、教育的ケアリングとは、子どもにケアリ
ング能力を形成していくために教師が何を行うのかと
いう視点に立ったケアリングのことである」 10)。
そして、これまでの学校教育に関連するケア概念の
研究が、教育の具体に迫れなかったことを踏まえ、重
15.援助のスタート
このようにして、保育者へのアンケート調査から、
保育実践に見られる教育的ケアリングの事実を抽出す
る試みがなされた。実践に即したケアリングとして、
保育者の行動のカテゴリーが明らかにされた。
2. 3.子どもを育てる実践とケア概念の研究課題
学校教育及び保育の実践において、教師・保育者の
かかわりの内実は、 「子ども一教師・保育者」の相互
視すべきは「③教育的ケアリング」の研究であると中
野は主張する。子どもの育ちにかかわる実践を把握す
るためには、 「大人一子ども」の相互に影響を及ぼし
合う関係を捉えなければならない。教育的ケアリング
への着目は、そのような実践の性格を踏まえ、子ども
の活動(学びや遊びの内容)の視点と、その活動を実
現するための教師及び保育者の働きかけ(方法)の視
点の2つの課題を関連づけて明らかにしようとする点
で、重要な意味を持っている。
2. 2. 2.教育的ケアリングの分析
中野は教育的ケアリングの研究において、現実の学
校教育及び保育実践に即したケアリングを明らかにす
る目的で、保育者のケアリング行動についてアンケー
ト調査を行った11)。調査の内容は、質問事項としてケア
リングの内容を100間設定(4段階評価)し、調査用紙
を公私立の保育所・幼稚園の保育者に配布している12)。
に影響を及ぼし合う関係の中で捉えられる。行動とし
ては同じ現れ方をしたとしても、実践的に捉えられる
人とのかかわりの意味は、個々の文脈に依存する。 「子
どもの能力を形成するために教師が何を行うのか」と
いう中野の「教育的ケアリング」の研究視点は、その
ような実践における「子ども一教師(保育者)」の関
係性を踏まえ、人とのかかわりにおけるケア概念を捉
えている。しかし、実践の事実からケアリングを明ら
かにすることを目的として行われたアンケート調査及
び因子分析の結果は、 「子ども一保育者」の関係性を
捨象することによって得られた。そのため、保育者の
行動レベルでケアリングのパターンは示したが、子ど
もを育てる実践における「子ども一保育者(教師)」
関係を踏まえた、ケア概念の意味を見えにくくしてし
まったと捉えられる。中野の教育的ケアリングの議論
は、ケア概念における関係性を捉えようとする一方で、
このとき設定されたケアリングの内容は、 ①保育者の
144
保育におけるケア概念の検討
表1 学校教育及び保育に関連するケア概念研究概要
佐 藤 学 (1 9 95 )
導入
背景
問題
意識
研究
成果
斎 藤 勉 ( 19 98 )
学校 教育 の 「
病 理的 」問題
(学 校 教 育 )
近代 の学校教 育
ング」 の機能 のみ
ア リ ン グ 」 の機 能
の結果 、教育 実践
なった0
は、 「
テ ィーチ
教室
を 重 視 し、 「
ケ 「
教授
を 捨 象 した 0 そ く、 一
が 成 立 しな く
取 り組
Le )
中 野 啓 明 (2 00 2 )
本研 究
ケ ア リング論の研 究
保 育 と ケ ア (c ar e ) の 関 係
(保 育 )
保育 にお け るケアの
専 門性
(保 育 )
での 「
学 習 」 の不 成 立 は 、
佐藤 、斎 藤の 学校教 育 に関連す
保 育実 践にお け る
」と 「
指導 」だ けで はな
るケ ア 概 念 の 研 究 か ら は 、 教 師 の 子 ど も の 育 ち と、 人
人 ひ と り の 子 ど も が 学 習 に 具 体 的 な 姿 が 明 らか に され て い な と の か か わ りの 視 点
め るため の 「
支援 」 が必
か った。
を ケ ア 概 念 か ら明 ら
か に す る0
「
教 育」 には元来 、 「
テ ィーチ
教師 の ケア リング は、授業 にお
教 育 的 ケ ア リン グ の視 点 か ら 、
ケア概 念の理 論的
ング」 「
ケ ア リ ン グ 」 「ヒー リン け る 「
学 習 者 の 要 求 に応 答 す る こ 子 ど も の 活 動 と 教 師 の か か わ り を 把 握 に よ っ て 、 保 育
グ 」 の 機 能 が あ っ た 0 これ ら3 つ
と」 と して の 「
支 援 」 に位 置 づ
関連付 けて捉 えた。
実践 にお いて人 との
の関係 で学校教 育 を見直す 必要 が <
ア ン ケ ー ト調 査 に よ る 、 ケ ア リ か か わ りを 理 解 す る
視 点 、 か か わ りを 育
あ る と した 。
ン グ行 動 の 分 析 を 行 っ た 0
て る視点 を捉 えた0
3.ミルトン・メイヤロフのケア概念
その関係性を捨象することによって実践におけるケア
概念を明らかにしようとした点で、矛盾する課題を残
した。
ケアリングの内容を実践のかかわりの中で明らかに
する場合、重要なことは、ある学校教育及び保育の活
動(内容・方法)において典型的なケアの視点を、関
係性を踏まえて明らかにしていくことである。そうす
ることによって、子どもの学習活動と教師及び保育者
の働きかけの関係がケアリングの視点から実践的に明
確になり、学校教育及び保育の実践におけるケア概念
の検討が深まる。そして、実践的にケア概念の検討を
行い、人とのかかわりにおける「典型的なケアの視点
を、関係性を踏まえて明らかにしていく」ためには、
行動の意味を読み解くためのケア概念の理論的理解が
必要である。中野の実践的な研究の観点には、子ども
を育てる実践における、かかわりに関連したケア概念
についての理論的な検討が不十分であった。
以上の先行研究の把握より、保育実践における人と
のかかわりとケア概念について理解するためには、実
践における関係性の視点を踏まえて、ケア概念の理論
的な検討をすることが必要であると考えられる(表1
参照)0
1. 1.節で述べたように、保育における専門性とし
てのケア概念は、 ``子どもの「生きる」こと''に関連
した概念である。そして、保育は実践において養護と
教育が一体的になって展開される。そのため、実践は
ミルトン・メイヤロフ(MiltonMayeroff)は、 1960
-70年代、ケア(ケアリング)について先駆的に理論
的な成果を発表したアメリカの哲学者である。その成
果は、後に展開されるバルト(RichardE.Hult,Jr.)早
ノデイングス(NelNoddings)のケアリング研究に影
響を与えている。メイヤロフはその著書``OnCaring
(1971邦訳書『ケアの本質』 1987)において、自ら
のケアについての原理的考察を行った13)。そこでのメ
イヤロフのケアに関する考察から、ケア概念と人との
かかわりの視点について把握していく。
3. 1.メイヤロフのケアの基本的形式
メイヤロフは、ケアとして捉えられる人のかかわり
について、形式的及び表面的な行為ではないこと、ま
た、ケアをする人にとって自己犠牲的な概念でないこ
とを主張している。つまり、ケア概念にはかかわりの
質があり、相手とのかかわりの相互性があることをケ
アの基本的形式として提示する。メイヤロフによれば
ケアとは、ケアする人が相手を「私自身の延長」とし
て感じ取り「他者の成長を援助する」かかわりである。
そして、 「展開を内に学んだ一つの過程」としてのか
かわりであるという。
3. 1. 1.基本的形式①:相手の成長を援助するこ
ととしてのケア
メイヤロフは、他者に対するケアとは「最も重要な
複雑な価値葛藤を争み、 「生きた」関係性の中で保育
者の主体的に判断する能力を必要とする。このような
保育実践の本質的な視点が、保育者のかかわりの重要
性を意味している。先行研究で示された実証的な行動
の分析からだけでは、保育者の実践的なかかわりとケ
ア概念を関連づけて捉えることは十分にできない。そ
こで、ケア概念の理論的把握を行い、保育実践のかか
わりと関係するケア概念の観点の検討を試みる。
意味で、他者が成長し、また、自己実現することを援
助する」14)かかわりであると提起する。このとき、ケ
アにおける「私」 (ケアをする人)と他者である相手
(ケアをされる人)との関係は、 「私」が相手を優越
する力を持つ支配的な関係ではない。メイヤロフは、
「私」がケアにおいて相手の成長を援助するとき、そ
の成長の方向性を、相手との信頼の関係性の中で「私
145
小林 浩之
自身の延長のように身に感じとる」 15)と述べている。ケ
(1)知る(Knowing)
アするときの「私」は相手が持っている存在の権利に
( 2 )発想を変える(Alternating Rhythms)
(3)忍耐的に待つ(Patience)
かけがえのない価値を深く感じとり、さらに、相手の
存在の権利が持つ可能性と成長の欲求に対して、 「私
は、他者がその成長のために自分を必要としている、
(4)誠実である(Honesty)
(5)信じる(Trust)
と感じとる」 16)。
(6)開かれている(Humility)
ただし、相手の成長の方向性を「私自身の延長のよ
(7)ねがいを持つ(Hope)
うに身に感じ取ること」が、 ``相手がなるままに''と
(8)勇気を持つ(Courage)
いう他者への迎合と混同してはいけないとメイヤロフ
は指摘する。 「``相手がなるままに''というかかわりは、
このような諸概念とケア概念との関係を明らかにす
私が私自身とも他者とも本質的にかかわりを失ったあ
るという方法によって、メイヤロフはケア概念を展開
る種の妥協である。そうではなくて、他者の成長に追
する。そのとき、ケアとしてのかかわりの行動に着目
随的であることによって、私は自分自身により応答的
するのではなく、行動の意味に着目して、かかわりの
(responsive)になることで相手の成長を援助するこ
とができる」17)。つまり、ケアとしてのかかわりは、
中でどのようにそれら諸概念が捉えられるのかを考察
相手の権利を尊重し、それと同時に、 「私」自身の内
している。そこで、 「知る(knowing)」及び「信じる
(trust)」という概念についてのメイヤロフの考察か
面にも応答的になることであり、自己と他者の相互的
ら、ケアにおける諸概念の捉え方について把握する。
な関係性の上で成り立つ。
3. 2. 1. 「知る(Knowing)」
メイヤロフによれば、他者の成長を援助することと
3. 1. 2.基本的形式(令:ケアは過程であり、発展
していく
してのケアにおいて、他者との応答関係を成立させる
また、メイヤロフは、ケアとしてのかかわりについ
て「それだけで切り離された感情でもなく、つかの間
ためには、 「私」は多くの知識を「知る(knowing)」
必要があるという。そして、ケアに本質的にかかわる
の関係でもなく、単にある人をケアしたいという事実
知識は「一般的なものであり、かつ個別的なもの」と
でもない」のであって、 「相互信頼と、深まり質的に
いう両義的な特徴を持つという20)。ケアというかかわ
変わっていく関係とをとおして、時とともに友情が成
りにおいては、物事を貫く普遍的で一般的な知識と、
熟していくのと同様に成長する」18)ように、過程
個々の特殊に見られる個別的な知識が、対立するので
はなく相互に補い合うものとして捉えられる。また、
(process)として捉えられるという。ケアとは相手を
「自分自身の延長」のように身に感じとる中でのかか
そのような他者との応答関係を成立させるための「一
わりであり、一方的に相手に好意を持って接したり、
般的であり、かつ個別的」という知識は、 「知る」と
慰めたりという単純な思いやりやその場限りの``やり
いうことの内実に、一面的ではない多面的な方法を必
とり''としてのかかわりではないということを指摘す
要とする。
例えば、ケアにかかわる知識は、単純に言語化でき
る。
ケアをかかわりのプロセスとして捉えるとき、専心
て言葉だけで説明され得るものに限定されない。その
(devotion)が本質的に影響しているとメイヤロフは
ため、ケアとしてのかかわりにおいて「知る」ことは、
述べる。他者への専心を通して、ケアが実質と固有性
``明確に知ることと、暗黙的に知ること''という次元
を帯びる。そして専心が障害や困難から退かない「私」
があることを理解する必要がある。さらに、その他に
のケアの一貫性を示し、それらを克服する過程の中で
も、 ``何かを知っていることと、何をどうすればよい
ケアが発展していく。つまり、他者の成長を援助する
かを知っていること''という「知る」の次元、 ``間接
こととしてのケアは、かかわりの過程として捉えられ、
的に知ることと、直接的に知ること''という「知る」
ケアの本質である専心とそれによって示される一貫性
の次元が、ケアにおける「知る」という概念では重要
の中で発展していく。
とされる。
「私たちは時に習慣的に、知識を言語化することの
できるものだけと勝手に決めつけて捉えてしまう」 21)
3. 2.ケアの構成要素としての諸概念
のであるが、ケアにおいて「知る」ことの意味には、
ケアの基本的形式に関する記述は、人間現象におけ
るかかわりの一般的(generalized)な概念であるとメ
イヤロフは述べる。そして、そのような基本的形式の
上述のように多様な次元が含まれるとメイヤロフは述
概念を踏まえ、ケアの主要な構成要素(Major
知ることとは、暗黙的に身に感じとる側面、知ってい
ingredients)として重視すべき8つの概念を挙げてい
る19)。
ることを活用する側面、直接的に向かい合って理解す
べる。他者の成長を助けることとしてのケアにおいて、
る側面をも含む、包括的な概念として捉えられる。
3. 2. 2. 「信じる Trust」
146
保育におけるケア概念の検討
「信じる(trust)」という概念は、ケアとしてのかか
育及び保育の実践におけるケアリングを「子ども一教
わりの中で、相手の存在の独立性を尊重するものとし
師・保育者」の相互関係から明らかにする必要性を主
張していた。このように先行研究によって提起されて
いた、ケア概念を「子ども一教師・保育者」の関係を
てメイヤロフは位置づけている。 「信じること」とは、
「相手がその人自身の時間と方法の中で成長すること
に確信を持って期待すること」22)であり、相手の自由
踏まえて具体的に捉える視点が、ケア概念の理論的把
握からも確かに手繰り寄せられた。
そして、他者の成長を援助するときに相手の存在を
を活かすことであるという。相手の自由を活かすとい
うことは、ケアする人が相手の成長の展開に従うこと
であり、そのために冒険的な要素と未知への跳躍をも
「自分自身の延長のように身に感じとる」というケア
概念の自他の関係性の把握は、保育実践において、子
どもの主体性を保育者とのかかわりの中で育てるとい
含み、勇気を伴うと捉えられる。
一方、他者の成長を援助するために相手を鋳型には
め込むように強制的にかかわり、結果の保障を求める
う点で重要な意味を持つ。なぜならば、幼児期の子ど
もの主体性は、子どもとの関係を妥協した保育者の「押
しつけ」や「子ども任せ」の保育ではなく、子どもと
ような場合は``過剰なケア''であり、それは「信じる
こと」が欠如しているとメイヤロフは指摘する。また、
過保護に見られるように相手に異常に依存することも、
の関係の中での保育者の主体的なかかわりによって育
つからである。保育者の主体性は、固有の生活世界や
価値観を持った子どもの存在を尊重し、さらに子ども
「信じること」の欠如を示しているという。なぜなら
ば、そのようなかかわりをしている「私」は、 「相手
に自立のきざしが少しでも見えると、それを脅威とし
の存在が「自分自身の延長」にあるものとして身に感
じとる関係の中で発揮される。
て感じ」23)とり、相手の存在の権利を尊重することが
できないからである。
ところで、相手の成長を信頼して自由を活かすとい
4. 2.深まり変容する過程の視点とかかわりの質
他者に対するケアとしてのかかわりは、 「単純な思
いやりやその場限りのやりとり」ではなく、他者への
うことは、ただ無責任なのではなく、相手が成長する
方法を見つけてそれを実現するために、ケアする人の
適切な働きかけや環境の構成を必要とする。このとき
専心を本質とする「かかわりの過程」であるというこ
とが、ケア概念の理論的把握によって提起された。ケ
アとしてのかかわりは、他者への専心を通して実質性
ケアする人は、 「ケアをする私自身の力量についても
信頼しなければならず、かかわりの中での自分自身の
判断や反省的に学ぶ能力に対して自信を持たなければ
と固有性を持ち、ケアをする「私」の一貫性に支えら
れて、プロセスとして捉えられる。このことによって、
ケアとしてのかかわりはその実践における実質性に焦
ならない」 24)という。ケアにおいて確信を持って相手
の成長を信じてその実現を援助するためには、ケアに
携わる「私」自身の判断や行動に対しても確信を持た
点があてられ、さらに、実践におけるかかわりの質の
変容、ケアの内実の変容が、他者との具体的な関係に
おいて重要になる。
なければならないとメイヤロフは述べている。
4.ケア概念の理論的把握と保育実践にかかわる検討
子どもを育てる実践とケア概念に関する先行研究か
らは、ケアのかかわりの質という視点は明らかにされ
ていなかった。保育実践におけるかかわりの具体に迫っ
4. 1.相手の存在を自分自身の延長として身に感じ
とる視点と関係性
た中野のケアリング行動の因子分析は、むしろかかわ
りの過程や質を見えにくくした。 「ケア概念にはかか
わりの質がある」という理論的把握に基づくことで、
メイヤロフは、他者の成長を援助するケアというか
かわりにおいて、相手の存在を「自分自身の延長のよ
うに身に感じとる」と述べた。ケアとは相手の成長の
今後より実践的な観点でかかわりの具体的な姿を分析
するための示唆を得ることができると考える。
また、ケアとしてのかかわりが実質性と固有性を持
ために働きかけるのであるが、それは、相手の存在の
権利の価値を深く感じとりつつ、そのうえで「私」と
いう主体が働きかける、という。ケアとしてのかかわ
ち、プロセスとして捉えられるという観点を、保育実
践における「子ども一保育者」のかかわりと結び付け
て考えたとき、保育者の子どもに対するかかわりの質
りは、相手に対する「私」の主体的な働きかけの中に、
常に相手の存在が入り込んでいる。このように、ケア
概念におけるかかわりの理論的把握は、他者の成長を
が、子どもの発達の姿を変化させるということが分か
る。保育者のかかわりは、目の前の子どもとの関係に
おいて実質性と固有性を持ち、子どもの現在及びこれ
援助する実践における自他の関係性について明らかに
している。
実践におけるかかわりを関係性の中で捉える見方は、
た。中野は、 「子どもに能力を形成させるために、教
からの発達を実現させるために働く。文脈に依存しな
い道具的なかかわりの技術ではなく、実践の文脈の中
で子どもへの専心に基づいた固有なかかわりの意味が、
師・保育者は何を行うのかという視点」から、学校数
子どもの「生きること」にかかわる保育実践の視点と
中野の「教育的ケアリング」への着目でもなされてい
147
小林 浩之
5. 2.保育実践におけるケア概念の理論的把握
保育実践における人とのかかわりとケア概念につい
て検討するために、メイヤロフのケア概念の研究を把
握した。ケアとしてのかかわりは、相手との応答的関
係の中で成長を援助し、かかわりの質が変容するプロ
セスとして捉えられた。これらは、保育実践における
「子ども一保育者」の関係性と通底するものであった。
メイヤロフは保育実践とケアの関連について直接的
に述べていない。しかし、子どもの「生(life)」に本
質的にかかわる保育実践において、人間の「生(life)」
にかかわるケア概念の理論的把握は、保育の実践的な
課題を克服する観点を提起している。
今後の課題として、人間の本質的なかかわりの概念
であるケアと、保育において本質的な「保育者一子ど
も」及び「子ども一子ども」の関係について、保育内
容や方法の具体に踏み込んだ検討をしていく必要があ
る。
して重要である。
4. 3.ケアにおける諸概念の意味と保育者の実践
メイヤロフのケア概念における主な構成要素となっ
ている諸概念は、例えば、ケアにおける知識が「一般
的であり、かつ個別的である」というように、それぞ
れ一見すると矛盾する意味を内側に争みつつも、実践
の中でそれが統合的に捉えられる。このことから、ケ
ア概念における構成要素の諸概念の意味を理解するこ
とで、実践において文脈に依存する具体的なケアとし
てのかかわりの意味を記述的に捉える観点となり、実
践を読み解く視点となり得ると考えられる。また、実
践を読み解く視点は同時に実践をつくる視点にもなる。
中野の行ったケアリング行動の分析では、因子分析
によって保育実践におけるかかわりの関係性や文脈が
捨象され、実践の具体の場からケアの実践的視点を掬
い上げて明らかにすることができなかった。ケアとい
うかかわりの実践的な視点を明らかにするために、例
えば、ケア概念の主な構成要素の理論的把握よって、
実践を検討するための観点を見出すことができると考
える。
注及び参考文献
1)山口恒夫「看護におけるケアリング」中野啓明・
伊藤博美・立山善康(編著) 『ケアリングの現在
そして、幼児期の子どもを対象とする保育実践は、
子どもの「生きる」ということにかかわって、養護的
側面と教育的側面が一体的に展開する。そのような特
徴を持った保育実践を読み解くために、また、そのよ
うな実践をつくっていくためには、実践の活動の中で
具体的なかかわりの意味を明らかにしていかなければ
ならない。保育実践の文脈に依存する保育者のかかわ
りを具体的に捉える観点及び実践をつくる観点には、
ケア概念におけるメイヤロフの構成要素の諸概念に見
られるように、原理的考察が不可欠であると考える。
一倫理・教育・看護・福祉の境界を越えて-』晃
洋書房 2006, pp.39-40.
2)同上書、 p.41
3) 「保育所保育指針」改訂に関する検討委員会『保
育所保育指針の改定について(報告普)』厚生労
働省 2007
4)文部科学省『幼稚園教育要領解説』 2008
5)中野啓明『教育的ケアリングの研究』樹村房 2002,
pp.1 -17.
6)佐藤学『学び その死と再生』太郎次郎社1995,
5.まとめ
p.164
7)斎藤勉「学校づくりを活気づける、校舎、ケアリ
5. 1.実践的視点を明らかにするためのケア概念の
理論的把握
本論では、保育実践における人とのかかわりとケア
概念の視点を明らかにするために、先行研究を通して
学校教育及び保育におけるケア概念研究の課題を明ら
かにし、その課題を踏まえつつ、ケア概念の理論的把
握による検討を試みた。
先行研究においては、保育におけるケアの具体を実
践的に明らかにするために、ケアリング行動について
の分析・調査が行われたが、因子分析の結果、実践的
なかかわりの意味が捉えにくくなっていた。そこで、
ケア概念の理論的把握を行い、先行研究との関係につ
いて検討した。ケア概念の理論的把握によって、先行
研究において不十分だった、ケア概念を実践的に捉え
るかかわりの観点が提示された。実践的視点を明らか
にするために、ケア概念の理論的把握から示唆を得た。
ング、力量」 『現代教育科学』明治図書1998,
p.39
8)前掲書5), p.4
9)同上書 p.ll
10)同上書 p.16
ll)中野啓明「保育者によるケアリング行動の分析」
『新潟青陵女子短期大学研究報告』第31号 2001,
pp.49 - 70
12)ケアリング内容の設問は、全国社会福祉協議会発
行の『「保育内容等の自己評価」のためのチェッ
クリスト』を参考に、中野によって作成された
(前掲書5)、 p.134)。例えば、 「子どもの話はう
なずきながら聞いている」 「上手にできたとき、
子どもをはめている」 「子どもサイズの洋式トイ
レがある」など。また、中野が教育的ケアリング
のアンケート調査を保育者に対して行った理由は、
148
保育におけるケア概念の検討
「小学校や中学校よりも、ケアリングに満ちてい
ると考えたからである」としている(前掲論文11),
p.49)c
13)メイヤロフは、著書``OnCaring"の議論の中で、
2つの主題を設定している。ひとつは「ケアにつ
いて一般的に記述すること」であり、もうひとつ
は「ケアがどのように人間現象において包括的な
意味を持ち、人間の生活を秩序づけるか説明する
こと」である。まず、ケアの基本的な形式を提起
し、いくつかの構成要素からなる一般的な概念と
してケアについて述べている。そして、ケア概念
の枠組みを理解することで、人間の生活の意味が
「生(life)」を中心に再構成されていくというこ
とを論じている。
14) Milton Mayeroff ``On Caring" Harper & Row
1971,pJ
15) MiltonMayeroff ``OnCaring" ,p7 (田村真・
向野宣之(釈) 『ケアの本質』ゆみる出版1987,
p.18 参照)
16) Milton Mayeroff ``OnCaring" ,pp.8-9. (邦訳
書, pp.20-21.参照)
17) Milton Mayeroff
``OnCaring ,p.10
18) Milton Mayeroff
``OnCaring" ,pp.1-2. (邦訳
書 p.14 参照)
19) Milton Mayeroff
``On Caring , pp.19-35.
20) Milton Mayeroff
``On Caring" , pp.19-20. (邦
訳書, p.35 参照)
21) Milton Mayeroff
``On Caring , p.21
22) Milton Mayeroff
``OnCaring ,p.27
23) Milton Mayeroff
``OnCaring" ,p.28 (邦訳書,
p.52 参照)
24) Milton Mayeroff
``OnCaring ,p.29
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