艶本 青春の噴門 - Ei Cohen

え ほ ん
艶本 青春の噴門
改定二版
英 紅 炎 作
淫 斎 白 繚 画
続篇
え ほ ん
艶本 青春の噴門 続編 改訂二版
続・青春の噴門
1
哲太郎は、車を走らせながら、隣の席で押し黙ったままうな垂れている冴子をちらちらと見やっていた。冴子の身体は曾てのような溌剌とした生気が影を潜め、七年余りの
内縁の妻としての張りのない生活の中で随分と老けたように見えた。冴子のそんな様子から、面と向かって問い掛けもならないような雰囲気がコンパートメントを支配していた。
「可哀想に、随分と苦労をしたんだろうな…」
哲太郎は、自分との繋がりが切れていた長い年月の間の生活と、それから蓄積される心理状態を想像していた。
「随分と老けて、おっさんのようになって…」
冴子は冴子で、相変らず「屈託のない茫洋とした様子」で車を運転している哲太郎をちらちらと見やりながら思っていた。十七年という歳月は、二人の間に簡単には元に戻
れない深い溝を掘ってしまっているようだった。それなのに、冴子は、哲太郎に連れ去られるままに身を任せて従いて来てしまっている自分に気付いて、内心、自分の気持ち
を訝った。
「非は全部自分にある…」
哲太郎は、率直にそれを認め、冴子を成り行きに任せたことを悔い、そんな目に遭わせざるを得なかった冴子がいじらしくもあり、不憫にも思われた。冴子が抗いもせず、
おとなしく従いて来てくれたことだけが僅かに救いだった。
ますとみ
哲太郎は、冴子をいきなり南伊豆に連れて行くのを止めて、増富の家の方に行くことにし、佐久甲州街道を南下して、海ノ口から清里を経て、韮崎の手前で塩川沿いの道を
再び北上して増富に向かった。
増富の家に着くと、哲太郎は、さちと過ごした想い出深い締め切ったままの居間を素通りして、奥座敷に冴子を招じ入れた。冴子は、がらんどうのこの旅館とおぼしき広い
空間を見て、訝った。
「後でちゃんと説明するから、じっとしていてくれ…」と云って、いつものように隣の旅館に挨拶に行き、序に、二人分の仕出しを頼んで
冴子のその訝しげな様子を察して、
直ぐに戻って来て、南伊豆の金田中と、下賀茂の金田中支店のサブと小料理屋「さち」の店を切り盛りしているよねに電話で「二日後に帰る…」と連絡した。
「疲れたろう…、今、隣の旅館で仕出しを頼んできたから、届くまで温泉の湯に浸かって身体を休めよう…」
哲太郎が冴子を誘った。
哲太郎は、さちの位牌に冴子を連れてきていることを報せるために露天風呂に面した側の襖を少し開けて、冴子と連れ立って湯に入った。
ひ と
けど、ここは、元は旅館だったんだ…、ある女性のためにそれを買い取って住いにしていたのさ…、
「後で詳しく話す
ひ と
性はいない…、だから今はもうこんな広い空間は無用の長物なんだが…、想い出深いので手放せない…、何れは、元のようにこじんまりした割烹旅館にして、
今 は も う そ の女
使おうかとも考えている」
哲太郎はしんみりした口調で冴子の耳元で囁くように云った。そして、冴子を抱え上げて自分の膝の上に乗せて、冴子を抱き締めて体中を擦った。哲太郎の怒張した玉茎が
冴子の広げられた股間の前で凛立して、冴子の臍の前で前後に脈動していた。冴子の気持ちが和らぐのに時間は掛からなかった。
2
続・青春の噴門
もたげ
長い年月閉ざされていた冴子の性愛への関心がその非日常的な現実の前に急速に擡げられてきた。そして、冴子は、哲太郎に伸し掛かって、両腕を哲太郎の太い首に回して
しがみ付いていった。冴子は、自然な動作で腰を上下に動かした。哲太郎の鈴口と玉茎の腹が冴子の空割の谷間を摺り動き、冴子は久しく忘れていた快感に打ち震え、目を閉
じて唇を噛み、首をのけ反らせて、
「ああ〜っ…」と、小さく声を立てた。
哲太郎は、回りくどい手続きを省いて、冴子の太股を抱え上げて、自分の凛立する玉茎の頭に冴子の火床口を被せるようにして、下に降ろした。この七年余り、修三との淡
泊な夫婦生活では味わったことのない強い衝撃で冴子の下腹部が貫かれた。冴子は、悲鳴に近い叫び声を上げて、細く長く引いた。
哲太郎は、この十七年間の冴子との間の空白を埋めようとするかのように、一気に激しく腰を動かした。それは、散々さちに言い含められたような「女に優しい」動作では
なかった。冴子は、あっという間に頂上に昇り詰めて、絶頂に達し、「ああ~っ、もうだめっ…、往くわっ…」と、叫んで、息を引きつらせて、急にぐったりとなった。
呼吸を合わせ損なって、哲太郎は急いで更に腰を煽って攻め立てたものの、冴子の火床は、以前のようには潤いに満ち溢れては来ず、内襞も哲太郎の玉茎を締め付けて来ず、
ぐったりなった冴子を抱えながら空しく摺動を繰り返して頂点に達して独りで精を噴射するしかなかった。
冴子は、内縁の夫との間の永年の熱情に欠けた夫婦生活の間に、すっかり性的に無関心になり、不感症ともいえるほど精神的にも肉体的にも気の昂ぶりの低い状態になって
いるようだった。
た。 冴 子 の 反 応 の な い ま ま、 哲 太 郎 は 独 り 摺 動 運 動 を 繰 り 返 し、
哲太郎は、冴子の中に入ったまま、冴子を抱き締めて身体中を擦り続けたが、冴子は一向に反応してこなかでっ
く
溜りに溜った精を噴射して、さしもの玉茎も萎えたところでようやく冴子の中から出た。それは、さながら木偶を相手に行った独り善がりの自慰にも似た性行為だった。
めがた
哲太郎は、期待したような冴子の反応が得られず、もどかしい思いで冴子を見詰めるばかりだった。永年の習慣からか、ことが終ると、冴子はもう哲太郎に関心を示さず、
哲太郎が冴子を抱きかかえて、その身体中に接吻し、撫で擦り、小核や空割を吸い続けても、冴子はただそれに身を任せているだけで、積極的に応えようとはしなかった。
今の冴子は、曾て哲太郎が「俺の雌型だ…」と云った冴子とは全く違っていた。十七年と云う時間の経過が、これほどの変化を人にもたらすのだと云うことを哲太郎は改め
て思い知らされた。
子で、同じような変化を俺の中に見ているのかも知れないな…」
「恐らく、冴子は冴
ひとりご
哲太郎は頭の中で独語ちた。
「十七年という長い間、冴子を放っておいた当然の報いを今受けているのだ…」
昔のように新鮮な感覚で接しられるように二人の間柄を修復するには、長い時間が掛かりそうに哲太郎には思えた。
「ご免なさい、哲太郎…、私はもう、昔の私ではないわね…」
哲太郎の訝る気持ちを察して、冴子はぽつりと云った。
「全ては俺のせいだ…、悪いのは冴子じゃあない…、責められなければならないのは俺の方だ…、「人は皆時と共に変わる…」ということを俺は計算に入れていなかった…、
ただひたすら、
「昔のままの冴子が俺を待っていてくれる…」と、浅はかにもそう思い込んでいた…、
お前も、俺の中に全く違った哲太郎を見ているのだろう…、だから、素直に昔のように俺を受入れられないのじゃあないか…、
俺としては、大いに悔やまれるが、過ぎたことを悔やんでばかりいても仕方がない…、二人とももうそれほど若くもない…、だから昔に戻ろうとするのではなく、これから
二人で共同の人生を築いて行こう…、承知してくれるな、冴子…、これまでのことは、後で寝物語で話す…、いいな、冴子…」
続・青春の噴門
3
冴子は、相変らず黙って、哲太郎を眺めて話を聴いているだけだった。
哲太郎が冴子の身体を拭いてやり、さちの使い残しの有り合わせの下帯と浴衣を出してきて着せてやり、自分も浴衣に着替えたところで、隣の旅館から仕出しが届いた。
二人は、どうしても拭い去れない気まずさの中で仕出しの料理を食べ了えると…、ことさらにすることもないまま、床を延べて、添い寝した。
哲太郎は、冴子を自分の内懐に掻き抱きながら、これまでの一部始終を話した。
偶然に出逢った自分より十五歳も年上のさちと云う女がいて、十四の時に初めて性愛を教わり、それ以来ずっと「世の仲」のこと、料理のことやその他の人生の様々なこと
を教わり、冴子との初めてのことがあった時には既に切っても切れない関係になっていたこと…、
うと思って何も話さなかったこと…、
そのことを冴子に話せば、冴子が傷付き悩むだなろ
りわ い
高校を卒業した年に、そのさちが近くの同じ生業をする女将にたった一つ手掛かりを残して行った以外、何も言わずに佐久の町を出ていってしまったこと…、
とうじ
納得がいかず気が狂ったようになり、高校を卒業すると、残されたたった一つの手掛かり「南伊豆の方に行く」と云う言葉を頼りに南伊豆に行き、そこの割烹料亭の板前見
習いになってさちを探し始めたこと…、
牛という鄙びた田舎町で、ようやくさちに再び偶然に出会えたこと…、
三年の月日が経って、もう諦めかけていた時に、下田と南伊豆の境にある田
その再度の出逢いが宿世の因縁のように思われ、入籍こそしなかったけれども、それ以来ずっと夫婦も同様の生活を送り、お互いに助け合って生きたこと…、
その生活は長くは続かず、その再会から五年ほどしてさちが子宮頚癌に冒されていることが判り、二人の必死の闘病生活が始まったこと…、
その必死の努力も空しく、発病から五年目の春にさちは哲太郎を独り残して、この世を去って往ってしまったこと…、
それから三年、さちの三周忌の法要を終えて、ようやくさちとのしがらみから抜け出し…、冴子との約束を果たしに佐久に戻り、今こうして冴子を抱いていることなど、そ
の後の来し方を話し、哲太郎は、冴子をひっしと抱き締めた。
冴子は、何も云わずに哲太郎の話を聞きながら、哲太郎の分厚く幅広い胸板に取り付いてさめざめと泣いていた。冴子は、そのさちと云う女と哲太郎の間には冴子が割り込
める余地はなく、冴子が山県の家の理不尽なまでに阻害された生活を強いられていなければ、再び哲太郎の胸に取り縋ることはなかったのだと判った。ただ恨むらくは、哲太
郎がもっと早く事実を話していてくれさえしたら、もっと別の人生を自分で決めて歩けた筈だと冴子には思えた。
哲太郎の約束を信じて、哲太郎に頼り切ろうとしたばっかりに、山県の家での生活をずるずると続けてしまったことも、冴子には悔やまれた。
哲太郎と冴子の間には、埋めることのできない暗く深い淵が口を開けているように見えた。だが、拍子のようにして哲太郎に従いて山県の家を飛び出してしまった今となっ
ては、もう後には引けなかった。山県の家での長く続いた受け身の生活の中で、独り生きて行けるだけの能力も力も一つも付けていなかったので、冴子は、何処までも哲太郎
の後に従いていくしかなかった。
え、冴子は、役所勤めと、
哲太郎の話から、哲太郎がこの十七年の間、喜びと悲しみに彩られた、随分と充実した「人らしい」人生を送っていたことが見て取れた。それに引きい換
たずら
山県の家での「内縁の妻」という、何れも受け身の、中身の充実しない人生を過ごしてしまっていた。冴子は、心身共に疲労感だけを蓄積させて、徒に歳を重ねてきたことこ
そ返すがえすも取り返しの付かないこと…」と思われ、悔いた。
哲太郎は、話し終えると、何も言わずにたださめざめと泣いている冴子を更に強く抱き締めて、顳顬から、額、頬から口元へ、更に喉元へと唇を這わせて、冴子の背筋から
尻を経て太股へとひたすら擦り続けた。
4
続・青春の噴門
たまぐき
冴子は、ただ哲太郎の為すに任せた。冴子の下腹には、哲太郎の怒張した玉茎が押し付けられて、冴子に何かを促すかのように蠢いていた。…が、冴子は無反応で、たださ
めざめと泣くだけだった。
「それほど冴子は傷付いているのか…、何に…、受け身だった故の不運な人生にか…、俺が何も報せずに長い年月放り出してきたことにか…、それもこれも含めて、冴子自身
の身の不運にか…、
それにしても、何故その間に冴子は俺や内縁の夫を見限って別の人生を歩こうとしなかったのか…」
冴子の身の不運につまされながら、哲太郎の想念も千々に乱れた。
哲太郎は、冴子の泪を舐め取ってやり、次第に唇を下のほうに移していった。顎から喉元へ、喉元から乳房へ、そして鳩尾から臍の周りへ、更に額口の半丘の生え際に至った。
そこは、曾てのような薄い生え際ではなく、手入れもされず、お構いなしの猥雑な姿をしていた。そこから、冴子が如何に性愛に無頓着な夫婦生活を送っていたかが読み取れた。
だが、哲太郎には、それを口に出して云うことは憚られた。冴子が生活の中でもっと性愛に関心を強めて、小奇麗で感度の良い反応をするように手入れをしない限り、無頓着
な姿のままだろう…と、思われた。
冴子は、哲太郎の前に自分の裸をさらけ出して、哲太郎の成すがままに身を任せていたが、殆ど無反応だった。哲太郎が小核を口に含んで舌の間で転がした時だけ腰から太
股にかけて僅かに震わせただけで、それ以上の強い反応は示さなかった。淫液も漏れ出ては来ず、空割も火床口も殆ど乾いたままだった。これでは性を交えても快感は得られず、
むしろ情交が苦痛になるはずだ…と思いながら、哲太郎は、なおも冴子の気を昂ぶらせようと空しい努力を続けた。が、やがてそれに倦んで、冴子と交接することなく愛撫を
止めて、ただ冴子を抱きかかえるだけだった。
「どうしたんだ、冴子…、俺のことが嫌いになって、受入れられないのか…」
暫くして哲太郎は訊いた。
「そうではないわ…、ただ気持ちが昂ぶらなくて…、身体も反応しないの…」
「さっき、湯の中でもいやいや俺に抱かれていたように見えた…、俺は、何だか中途半端で、最後まで昇り詰められずに終った…、それほどまでに、冴子が俺のことを恨んで、
撥ね付けたがっているのか…と、思わずにはいられなかった…、
冴子は、俺が迎えに行ったことを喜んではいないのか…、だったら何故、俺の云うなりになって婚家を放り出して俺に従いて来たのか…、俺には判らない…」
哲太郎は自分の疑問を冴子にぶつけた。
「ごめんなさい、哲太郎…、私は、山県の家での中途半端な内縁の妻の生活の中で、こんな風に反応の鈍い女になってしまったんだわ…、
哲太郎が一生懸命私を愛してくれているのに、私の体の方がそれに従いて行けないのよ…、
山県の家で、八年近くもの間自分を殺して生きてきたせいかも知れないわ…、
哲太郎がいつまでも迎えに来てくれなかったからといって、それは哲太郎のせいではないわ…、山県の家に足入れ婚をしたのは私自身だもの…、
そんな気の染まない生活をずるずる八年もの間続けたのは、私自身よ…、もっと早く婚家を出ていれば良かったのに…、世間体や両親の立場を気にして、煮え切らない生活
を続けてしまったのよ…、
続・青春の噴門
5
たった一つの願いが、哲太郎が飛んで来てくれて、以前のように強引に私をそこから連れ出してくれることだけだったのよ…、
そして、やっと哲太郎が飛んで来てくれて、私を山県の家から連れ去ってくれて…、嬉しくない筈はないのに…、身体も心も無感覚で、無反応なまま…、私にはどうにもな
らない状態なのよ…、
さっき、哲太郎のこの十七年間の話を聞いていて、私は羨ましかったわ…、そのさちさんという女性のことだけでなく、哲太郎のこともよ…、
哲太郎がそんなに夢中になって探して、そんなに全身全霊でその女性の命を助けようとしたと云うことは、それだけ沢山の幸せをその女性から貰って、満ち足りていたから
だわ…、亡くなったさちさんもきっと幸せで満ち足りて、女として輝いていた筈だわ…、
十七年前に、哲太郎は、私のことを「俺の女だ…」と云ってくれていたけど、違ったのよ…、
だって私は、あのまま人生から殆ど何も学ぶことなく、ぼやけたような人生を送って…、さちさんのように哲太郎が満ち足りて幸せに思うほど、何かを哲太郎に上げられな
いもの…、私は何もかも受け身のまま、ただ哲太郎を待っていたんだわ…、
十七年間は、哲太郎とさちさんにとってはさほど長くはなかったかも知れないけれど…、幸せが一杯詰まって充実した人生だった筈よ…、
だから私は、二人が羨ましい…、ただ羨ましいだけでなく、嫉妬心を感じるわ…」
そう云って、冴子は、一息吐いた。哲太郎は、そんな冴子の述懐のような話しに何も口を挟まずに、冴子を撫で擦りながら、黙って聞いていた。
「仮に、仮によ…、哲太郎…、もっと早く哲太郎が私を迎えに来てくれたとしても…、私は、さちさんのように充実した沢山の幸せを哲太郎に上げられなかった筈だわ…、
直ぐに底が見えてしまって、哲太郎の方が私に飽きてしまっていた筈だと思うわ…、そんな思いも私が哲太郎に腰が引けている理由かも知れないわね…、
これから私が努力したとして…、私は哲太郎に何をしてあげられるのかしら…、亡くなったさちさんの前で、私は女として、人として、完全に後れを取っているのを感じるわ…」
そこまで云って、冴子はまた口を噤んだ。
「そんな風に思う必要はないよ、冴子…、冴子は、以前のように飾らずありのままの冴子でいてくれればいいんだよ…、それで俺は十分満足だ…
後一日ここで休んで、少し冴子の気持ちが落ち着いたら、南伊豆に行って、新規巻直しで二人の生活を築いていこう…、さちも、
「 私 の こ と は で き る だ け 早 く 忘 れ て …」 と 云
って、俺が後ろ向きの人生を送らないように願ってくれていた…、俺はそうすることがさちへの一番いい供養になる…と思っているからな…、冴子も、時には俺の周囲にさち
の存在を感じることがあるかも知れないが、それは気にせずと、いつも前向きに俺との充実した生活を楽しんでくれ…、それが一番の俺の願いだ…冴子…、」
そう言って哲太郎は、また冴子を固く抱き締めた。
お互いに思っていることを話したので、冴子の気持ちは大分落ち着き、いつしか哲太郎の懐に抱かれたまま深い眠りに落ちた。哲太郎も自分の怒張した玉茎を冴子のすべす
べした太股の間に挟んで冴子の寝息を聞いているうちに寝入った。
明け方、哲太郎は鮮やかに記憶に残る夢を見た。それは、あのさちとの再会の後の情交で、二人とも番がったまま眠りに落ち、夢を見て溜りに溜った多量の精を爆発させた
時と同じ夢だった。
哲太郎は、目覚めて直ぐに実際に夢精を見たことに気付いた。発射された精は夥しい量だった。冴子の下腹の生え際や太股や下帯が哲太郎の精でまみれていた。
6
続・青春の噴門
冴子は、哲太郎の発射した精の刺激の強い栗の花の匂いで目覚め、自分が哲太郎の精で塗れているのに気付いた。そして、哲太郎の玉茎が自分の太股の間でなおも怒張を続
けて盛んに蠢いているのを知った。
哲太郎は、再びあの時と同じ夢を見て精を放ったことに怪訝な思いに囚われた。そして、冴子を精塗れにしたことで、確実に一歩冴子との関係が昔に戻った…と、思い、二
人がもっと全身精塗れになりたいという奇妙な願望に囚われ、冴子の尻と太股を抱え込んで、素股で摺動運動を繰り返して、何度も絶頂に達して大量の精を発射し続けた。
冴子は、哲太郎の行為が通常の情交で哲太郎を満足させられなくなっている自分の精神的肉体的な状態のせいだと思い、「哲太郎、ご免なさい…」と云った。
「さあ、冴子…、こうしてお前を俺の精塗れにさせたからな…、これでお前はまた一歩俺の女に戻ったぞ…」
哲太郎は冴子の思いとは全く別のことを云った。
「男にはそんな願望があるのか…」
冴子は、哲太郎の云ったことを訝った。
二人が精塗れになって抱きあっているうちに、また二人は微睡んだ。次に二人が目覚めたのは、陽が高くなってからだった。
哲太郎は、いつまでもそんな姿躰で横たわっているわけにもいかないと思い、冴子を抱え上げて座敷の内風呂に連れて行き、湯の中で互いに撫で擦り合いながら身体を清め、
冴子にもう一枚残っていた真新しい浴衣を下帯なしで着せて、自分は汗臭い服に着替えて隣の旅館に行って仕出しを頼んでから、車の手入れをした。
冴子は、この時初めて自ら主婦らしい役割を果たして、浴衣一枚の裾が割れて内股の奥が覗けるのも構わずに、汚れた衣類やシーツを洗濯して、屋内の物干しに掛けた。
仕出しの料理を食べた後、哲太郎は、給油を兼ねて冴子を韮崎まで連れて行き、二人の必要な衣類を買い整えて戻り、夕食に再び隣の仕出し料理を頼んで、後はまた、無理
に精を交えずに、露天風呂で裸で抱きあって時を過ごした。
その時冴子は、初めて哲太郎が生え際の毛を刈り込んでいるのに気付いた。そして、自分の生え際が「手入れされずにむさ苦しい…」と覚り、そのような気配りをする生活
をして来なかったことを悔いた。だが、
「普通の主婦は、それで当たり前…、」なのではないかとも思い、いつも性的なことに気を回していることに気恥ずかしさを覚えること
も事実だった。
何れにせよ、ようやく哲太郎と再会できてその腕の中に抱えられているというのに、今のような気の晴れない鬱屈した気持ちになっている状態から抜け出るためにも、意識
して自分の秘所を身ぎれいにしておく習慣を付けるのも良いのではないか…と、冴子は自分を納得させようとした。
*******
その翌日、幾分か冴子の気持ちが和らいで、打ち解けた状態になったと判断して、哲太郎は、冴子を南伊豆の自宅に連れて行くことにした。
増富から南伊豆の下賀茂までの道は、曾てラジウム温泉療法のために、毎週末さちを連れて通い慣れた道だった。それでも、朝の内に増富を出ても、下賀茂に着いたのは、
続・青春の噴門
7
もう陽がとっぷりと暮れた八時過ぎだった。
道中、哲太郎は、行き先の場所について冴子に詳しく話して聞かせた。増富でも、さちの位牌の入った厨子やさちの遺品のある仏間があり、さちの影が色濃く残っていたが、
行く先の家も、さちの経営していた小料理屋「さち」の二階だと云うことで、冴子はさちの影がしっかりと残っていることを覚った。
増富の家の仏間に飾ってある写真を見て、冴子は、哲太郎がさちの後を追って南伊豆まで行って探し回った理由が分った気がした。
濃い化粧をしていないにも拘わらず、さちは艶やかで美しい姿をしていた。そのうえ人生経験や知識が豊かだ…とあれば、「普通の女はとても太刀打ちできない…」と、思え
た。殊に、抗癌剤のために髪の毛の抜け落ちたのを隠すために始終着けていたのだという島田髷のカヅラを着けた和服姿のさちが、あどけないまでに屈託なく微笑んでいる若々
しく艶やかな美しさを見て、冴子は自分自身がみすぼらしい女のように感じた。そのように云うと、哲太郎は、
「そんな風に自分を卑下する必要はない…」と云ったが、そこに
現れている「女の違い…」は、厳然たる事実として、十分な説得力を持って冴子に突きつけられていることは抗いようもなかった。
「そんな風に云うと、俺の冴子に対する気持ちを疑うことになる…、
だいいち、さちはもうこの世には居ないし、俺の気持ちが吹っ切れたからこそ冴子との約束を果たすために迎えに行ったことまで疑うことになる…、
そんな風に斜に構えて俺のことを見ないで、もっと素直に俺を受入れられないのか…」
冴子がそのように、さちの前で自分の気後れする理由を話すと、哲太郎は憮然として云った。
「素直になりたくともなれないわ…、さちさんは未だ哲太郎の心の中に住んでいるわ…」
「いや、さちはもう俺の心の中に住んではいない、残っているのは過ぎし日の良い想い出だけだ…、
これからは冴子との間に良い想い出を作っていこうと俺は思っている…、その思い出が多くなればなるほど、さちとの思い出は遠くなって、小さくなっていくんだ…、
そんな風に僻んでばかり居ないで、冴子自身が自分から進んでおれとの想い出を大きく育てるようにしてくれないか…、
もっと前向きになってくれ…、以前の冴子は何処へ行ったんだ…、何もかも後ろ向きにしか見ていないじゃあないか…、 八年もの間の婚家での生活の中でそのような姿勢が身に付いたのかも知れないが…、冴子が元の冴子に戻るには、俺が冴子を迎えに行って、冴子が今俺の隣に居るという事
実だけで十分な筈じゃあないか…」
「そうだわね…、哲太郎を怒らせてしまって…、ご免なさい…、これからは、哲太郎と一緒に生活することに一生懸命になるわ…、そうすれば、私もまた元の私に戻れるかも
知れないわね…」
「当然だよ、冴子…、これからは、毎日一緒に生活するんだからな…、さちの影がどこかにあったとしても、そんなことは気にしないで、昔の冴子のようにおおらかな気持ち
でやり過ごしてくれ…、それが今の冴子に対するたった一つの願いだ…」
「そのように努力するわ…」
「うん…、ま…、こんな風に言い合いをしたのは初めてだが…、冴子が俺と言い合いすることができたことが、この三日の間の進歩だな…、何れにしても、下賀茂に行ってお
れと生活するようになれば、冴子は否が応でも板前の女房で、今、よねさんという女将が取り仕切ってくれている小料理屋「さち」の差配の仕方をよねさんから教わりながら、
若女将として切り盛りしていかなければならなくなる…、小さなことにあれこれ拘っている暇はなくなるよ…、これからは、冴子がさちの代わりになってくれなければ困る…、
8
続・青春の噴門
いいな…、冴子…」
冴子は、哲太郎と言い合いをしてまた少し気が晴れて、黙ってこくりと首肯いた。
車は、三島から伊豆長岡を経て天城を縦断する下田街道の葛折れの狭い道を二時間ほど走って下田に入ってから三十分余りで下賀茂温泉の哲太郎の住いに着いた。
冴子を二階の部屋に案内して、冴子に内湯の温泉に浸かってゆっくりするように云ってから、「さち」の店に顔を出して、よねに戻ったことを知らせ、直ぐに金田中下賀茂店
に行き、板長代理のサブに戻ったことを知らせて労いの言葉を掛け、仕出しを二人前届けてくれるように頼んで部屋に戻り、
「 金田 中 」の 女将 の八 千代 と板 長 の正 造に 電話 で 戻
って来たことを報せた。
部屋に戻ると、冴子は湯から上がって、韮崎で買い整えた浴衣に丹前を羽織って、鏡台の前で髪を梳き調えているところだった。
「腹が減ったろう…、今「金田中」の飛びきり旨い仕出しを頼んできたからな…、四畳半の棚にある茶菓子でも食べて、もう少し辛抱して居てくれ…、その間に俺も一風呂浴
びて、汗と埃を流してくる…」
そう云って、哲太郎は、露天風呂のような造りになっている湯殿に入って行った。
哲太郎が湯から上がって暫くして、仕出し料理が届いた。
「どうだ…、見るからに旨そうだろう…、うちの料理は、石廊崎周辺で獲れた魚を主材にした料理だから、「新鮮で飛びきり旨い…」と、評判をとっているんだ…、佐久や南
佐久のような山家では食いたくとも食えないものだ…、特にうちの店の料理はぴか一だ…」
、実際に冴子もこんな旨い料理は食べたことがなかった。
哲太郎は自画自賛しながら、大口で料理を平らげていた。
「疲れたから先に寝かせていただくわ…」
遅い夕食が終ると、冴子は口を濯いでから寝間に引き取った。
「俺も後を片してから行く…」と云って、哲太郎は仕出しの食器を洗いにお勝手に立った。
板前をしている哲太郎には、こういうことが苦にならないのだった。
冴子が床に就くと、下の店の方から誰かが爪弾く三味線の音が微かに聞こえていた。こういう雰囲気も、冴子には想像もつかなかった世界に身を置いていることを気付かせた。
冴子がうとうととしかし掛かった頃に、寝間着に着替えた哲太郎が冴子の後から添い寝してきて冴子を抱きかかえた。哲太郎の玉茎は、当然のようにおえ立っていた。だが、
冴子は一向に兆している様子がなく、哲太郎に背を向けたままだった。
哲太郎は、冴子を抱えて冴子を自分の方に向き直らせ、冴子の寝間着の裾から手を挿し入れて冴子の尻を抱えた。冴子は、今時の若い女には流行らない厚手の下履きを履い
ていた。下履きは、冴子の尻をすっぽり包み込んでゴム紐が腰の括れのところまで達していた。哲太郎は、ゴム紐に指を挿し入れて、下履きを脱がせにかかった。
「ご免なさい、哲太郎…、今日もそんな気になれないわ…」
冴子は閨のことを拒んだ。
「判っていたよ…、それでもおれたちの間に垣根のように立ちはだかるようなものがあるのは良くない…、俺はいつも冴子と肌と肌で触れあっていたい…」
続・青春の噴門
9
そう云って、哲太郎は強引に冴子の下履きを引き下げて脱がせ、冴子の太股の間に自分のおえ立った玉茎を挟んで、冴子の尻を自分の方に引き寄せ、そのまま冴子を強く抱
き締めた。哲太郎のおえ立った熱い玉茎が脈動して、冴子の空割の襞を軽く小突くように打ち続けた。
玉茎の刺激で、冴子の身体が少し反応をし初め、少し湿り気を帯びて来た。哲太郎は、腰を前後に動かしながら、玉茎で空割の谷間を擦り出した。そして、小核の辺りに雁
首がせり上がってきたら、そこに雁首で微細な震動を加えた。その雁首の刺激で、冴子の小核が勃起し、冴子は初めて反応して、「あああっ~…」と声を上げて、腰を震わせ始
めた。
その冴子の様子から、哲太郎は、冴子の気を昂ぶらせることができると判断して、冴子を抱えて仰向けになって冴子を自分の腹に乗せ、冴子の尻を抱えて前後に動かしなが
ら玉茎の腹で冴子の空割の襞を撫で擦り続けた。
哲太郎の玉茎の摺動の刺激で、冴子の気持ちの中の緊張が解れ、快感らしい感覚が背筋を走って、冴子は哲太郎と再会して初めて火床口から淫水を漏らした。
淫水によって滑らかになった玉茎の動きで、冴子の気が更に昂ぶって来て、冴子は思わず衣を裂くような声を上げて、哲太郎の肩にしがみ付いた。
ここまで来れば、もう冴子の心の垣根は取り払われたも同然だった。
哲太郎は、両膝を立てて冴子を抱え上げて雁首の先を冴子の火床口に当てて腰を突き上げて挿入を果たした。後は成り行きだった。
「ああ~っ、もう死ぬっ…」と叫んで、
摺動を繰り返す哲太郎の雁首の鰓の刺激で火床の内壁が膨らんで更に感度を増し、冴子は悶えるように身をくねらせ、頂上を極めて、
ぐったりとなって哲太郎の腹にへばり付いた。哲太郎は、その冴子の感情の昂ぶりに合わせて動きを早め、冴子に合わせて頂上に達して、どっとばかりに二度三度と精を噴射
させて、共に果てた。
「これでようやく元の二人に戻れそうだな…」
哲太郎は、冴子の身体中を撫で擦り、頬や項や喉元に接吻をして慈しみながら冴子の耳元で囁くように云った。
「また、哲太郎が強引に私を開いてくれた…」
哲太郎の声を何処か意識の遠くから聞こえて来る声のように聞いて、冴子は、心の中で呟いた。
哲太郎は、完全には満ち足りてはいなかったが、冴子が慣れない長時間の車の旅で疲れていることだし、「無理はすまい…」と自分を戒めて、後始末をして冴子と抱き合って
眠った。
夜が明けて、車での長旅と思わず頂上に達することのできた哲太郎との性愛の満足感で熟睡して、雀たちの啼く声で冴子は爽快な気分で目覚めた。
哲太郎との心の垣根が薄れて、冴子は、ようやく哲太郎への愛おしさが込み上げてきて、思わず哲太郎の肩口に顔を埋めて首筋を吸った。思えば、これが哲太郎との初めて
のまともな閨の褥の中での性愛だった。
「どうだ、良く眠れたか…」
哲太郎は、冴子が首筋を吸う唇の刺激で目覚め、冴子を抱きかかえて微笑みながら訊いた。
「……」
、
冴子は微笑み反して、黙って首肯いた。
10
続・青春の噴門
「さあ、それじゃあ、今日は午前中に南伊豆町の「金田中」本店に行って、女将と板長に挨拶して、当分の間仲居見習いをさせてもらうように頼むとしよう…、冴子には、こ
ういう水商売の仕来りや作法に慣れてもらわないといけないからな…、
その後、俺が仕切っている「金田中下賀茂店」に行って、板前や仲居達に引き合わせてから、最後に此処に戻って来て、「さち」の女将のよねさんや他の仲居達に冴子を紹介
しよう…、何れは、冴子が「さち」を切り盛りして行かなければならないからな…、よねさんからいろいろ教わらなければならない…、
それが済んだら、下田に行って、和服を何着か買ってこよう…」
その日の予定を話すと、哲太郎は、冴子を抱えて内湯に入り、身を清めてから、着替えて外に出た。「さち」は、まだ店を開けていなかった。
*******
「金田中」では、八千代や正造や志津を初め、みんな哲太郎が水商売にはずぶの素人の女を連れて戻って来たのを見て驚いた。
哲太郎は、そんなみんなの思いには頓着せずに金田中で仲居見習いとして水商売の世界の仕来りや作法を教えてやって欲しいと八千代に頼んだ。
「俺の女房として何れは「さち」を切り盛りさせるから…」と云って、そのつもりで「水商売のいろは」を仕込ん
八千代には、事情を話して、当分入籍はできないけれども、
で欲しいと頼んだ。
八千代は、冴子が既に三十五歳になっていて、田舎町で八年もの間内縁の妻として、どっちつかずの生活を送っていたことに難があると思ったが、他でもない哲太郎の強い
思い入れによる頼みとあって、不承不承ながら引き受け、
「明日と云わず、今日の夕方から来ておくれな…」と云った。
「哲ちゃんが遠い昔に冴子と別れたままにしておけば良かったのだ…」
八千代は内心そう思った。
ひ と
「さちさんとのことは良く解るがねえ…、今度の女性は何処が良かったのかねえ…、とかく男と女の間のことは当人同士にしか解らないもんだ…」
八千代は、頭の中で呟いた。
「冴子の年齢と雰囲
「金田中下賀茂店」でも「さち」でも、みんな似たり寄ったりの反応を示した。冴子がまだ十代だったら、みんな違った反応を示したに違いなかったが、
気が水商売にこれから入るには向かない…」
、と思われた。
哲太郎にもそれは判っていた。冴子もそれを自覚して、困難を乗り越えて、「水商売に染まって」くれることを願うしかなかった。
「俺はあくまで冴子を支えて行く…」と誓った。
そしてその願いを冴子に話して、
冴子は、自分が適所に居ないことは、最初に哲太郎から話しを聞いた時から解っていたし、実際に来て見てますますその感を強くした。が、今更後には引けない事情がある以上、
哲太郎の支えを頼りに、自分を励まして、自ら変身し切るしかなかった。
「元々何でもなかったのだし…、どんな世界に入ったって、その道の素人でしかないのだから、とにかく始めて、辛抱するしかないわ…、
人がやれることなんだから、私にやれないとは云い切れないし…」
続・青春の噴門
11
冴子は自分の気持ちを奮い立たせようとした。
「それに、哲太郎に頼ってばかりいないで、自分が人生のいろんなことを覚えて、もっと強くなって逆に哲太郎を助けてあげられるようにならなければ…、まだ入籍していな
くても、今度こそ正真正銘の夫婦なんだし…」
冴子は自分の立場の自覚を自分に促した。
日をおいて二人は、金田中の女将の八千代と板長の正造を立会人として吉佐見神社で形ばかりの祝言を挙げたが、婚姻届を出すのは先送りにした。
冴子が正式に妻として入籍していなかったとはいえ、突然出奔する形で山県の家を抜け出したために、ほとぼりが冷めるまでは郷里の佐久からおいそれと正面切って戸籍謄
本を取り寄せることはできかねたからだ。厳格な父に知られたら、どんな結果になるか知れないと思い、冴子は母親の志乃にも居場所を知らせられなかった。
こうして、哲太郎と冴子の変則的な夫婦生活が始まった。子供ができたわけでもないので、取り敢えずは哲太郎の籍に入ることは冴子には問題にはならなかった。
ちょうこくじ
牛の長谷寺に行ってさちの墓前に冴
とうじ
金田中での仲居見習いの修業は、決して楽ではなかったが、哲太郎に毎日車で送り迎えしてもらえ、哲太郎の大きな体に「包まって」眠り、いつも哲太郎に寄り添って暮せ
るだけで、冴子は十分に幸せだった。
う三月の二十三日、奇しくも彼岸の中日に当たるさちの命日に哲太郎は冴子を連れて田
それから半年が経ち、梅の花と桜が同時に咲き競
じゅうじ
子との婚姻を報告した。久方ぶりに顔を合わせた住持は、哲太郎が妻を迎えたことを喜んだ。
「恐らくさちさんも喜んで居られるじゃろう…、さちさんは生前からそのようなことを云って居られたからのう…、それに残された者が生き生きと生活していることを知らせ
るのが仏への何よりの供養じゃよ…」
住持は二人を代わる代わる眺めながらそう云った。
それから更に半年が経ち、佐久から姿を消して一年目に、冴子は恐る恐る実家に電話を入れた。
昼日中の時間帯だったので父親が応答せずに母親の志乃が出てくれることを予測して応答を待った。だが三分近くも待って誰も応答しないので、「留守だ…」と思って受話器
を置こうとした瞬間にカタリと、受話器を取り落とす音が聞こえた。
「母だ…」と思い、直ぐ掛け直した。
それで、
今度は間を置かずに志乃が出た。
「お母さん…、冴子よ…、お父さんに気付かれないように話してえ…」
冴子はくぐもった声で云った。
「冴子っ…、冴子なのっ…」
冴子の願いも空しく、志乃は金切り声を上げて、叫ぶように電話の主を確認しようとした。
「そう、冴子よ…、お父さんに気付かれないように話してえ…」
冴子は慌ててもう一度念を押すように云った。
12
続・青春の噴門
「お父さんは今家には居ないから安心しなさい…、あなた、今何処から掛けているのっ…、あなたが突然居なくなって…、山県の家からは散々悪く云われるし…、父さんはか
んかんになって怒るし…、世間には顔向けならなくなるし…、随分肩身の狭い思いをしたんだよっ…、今何処で何をしているのよっ…、
一時は寝込むほど随分と心配したのよっ…」
志乃は畳みかけるように話した。
「ごめんなさい、心配掛けて…、まだ何処に居るか云えないけど…、私はずっと元気にしてたわ…、詳しいことはもっと後で…、そう、もっと年月が経ってから話すわ…、取
りあえず今日は、私が生きていて、元気に…、幸せに暮していることをお母さんだけに知らせたくて電話したのよ…、
こんな仕方を選んだ私のこと…、許してえ…、それで、お母さんは元気なの…」
冴子は涙声になって、途切れ途切れにせっつくように話した。
「私は、さっきも云ったように、あなたが居なくなってから暫く寝込んだけど…、あなたが無事なことだけを祈って、稲荷神社にお百度参りをしてから元気になって、今は風
邪一つ引かないほど達者だよ…、それよりねえ…、最近になってお父さんが「体調が悪い…」と云い出してねっ…、検査のために入院しているのよ…」
「それなら尚更お父さんには私のことを話さないでえ…、お母さんが元気だと聴いて安心したわ…、
ひ と
性と幸せに暮しているから…心配しないでね…、また時々電話をするわ…、これで電話を切るからね…、さよ
私はさっき云ったように元気で、多分お母さんも知っている男
うなら、お母さん…」
志乃は哲太郎のことは知らなかったが、冴子は母を安心させるために口から出任せを云って電話を切った。
なろうことなら、すぐにも飛んで帰って、母に姿を見せて安心させたかったが、今は自重しなければならないと思い、じっと堪えた。
「お義母さんはどうだった…、元気だったか…」
哲太郎は、帰ってくるなり訊いた。
「ええ…、私が居なくなって暫くは寝込んだらしいけど、今は風邪一つ引かないほど達者だって…、ただ、お父さんは体調が悪くて検査で入院しているんだって…」
「そうか…、お義母さんの方は安心だが、お義父さんの方は心配だな…、大事がなければいいが…」
哲太郎は、検査入院をしてすぐ大手術をする羽目になったさちのことを思いだしながら付け加えて云った。
「今度折りを見て俺が実家に帰って、密かにお義母さんを訪ねて詳しく聞いて見ようか…」
「止めて頂戴っ…、何が因で騒動が蒸し返されないとも知れないから…、私が時々お母さんに電話を入れるだけで十分よ…」
「そうか…、冴子が嫌なら仕方がない…、俺はいつでも大っぴらに実家に帰れるし…、白っとぼけて様子を探ることもできるから、いつでも云ってくれ…」
「頃合いの時が来たらね…」
*******
続・青春の噴門
13
だが、それから三月立って、温暖な南伊豆でも師走の冷たい風が吹く頃になって、また金田中に重大事が起こった。
女将の八千代が唯一頼りにしていて元気の塊みたいだった板長の正造が突然脳内出血を起こして、そのまま帰らぬ人になってしまったのだ。いつものように正造が仕事から
上がって一風呂浴びた後の八千代との房事の後、眠りに就いて直ぐの真夜中のことだった。
八千代は狂乱状態になって急いで近くの診療所の医者の往診を頼んだが、十五分ほどして医者が来た時には、正造は既にこと切れていた。
八千代は、
暫く茫然自失の放心状態で泪も出さずにただ正造の胸板に取り付いていた。だが、そんな状態が続いて小一時間も経った頃に、
八千代はいつもの気丈さを取り戻して、
直ぐに哲太郎に電話を掛けて急を知らせた。
哲太郎は、寝入り端に叩き起こされるようにして急な知らせを聞き、冴子に一言知らせて直ちに行動を起こした。
直ぐにサブに電話を入れて急を知らせ、金田中に行くように云い、金田中の八千代の居宅に電話をして、志津と葬儀社に電話をしたかどうかを確かめ、もっと人手が要るか
どうかを訊いた。
流石に世慣れた八千代は、志津にも葬儀社にも連絡をしていた。
哲太郎は、念のためよねにも電話で知らせて、金田中に応援に行ってくれるように云い、冴子には寝ているように云って、金田中に車を飛ばした。
金田中の八千代の家に行くと、八千代は、気丈に堪えていた悲しみと行く先の不安がどっと吹き出たのか、哲太郎を見るとその胸にすがって大声で泣いた。
哲太郎は、八千代の肩を軽く叩きながら暫く泣くに任せたが、やがて八千代を促して正造の横たわる閨に案内させ、正造の枕辺で手を合わせて冥福を祈り、取りあえず明日
からの金田中の営業をどうするかを八千代に訊いた。
。
そこへ葬儀社がやって来て、お寺さんやら葬儀の格式やら段取りやら細かい手筈について八千代と相談して、概略話しが付いたところで一先ず準備のために帰って行った。
それから程なくして、サブや志津、よねが次々にやって来て、それぞれ八千代と相談しながらてきぱきと必要な準備に取り掛かった。
「本店も支店も営業は休まずに続け、本店の板場は俺と秀次と正平の三人で切り盛りして、さぶに支店の板場の責任を持たせ、石廊崎魚市場の鮮魚の仕入れは俺とサブが行く
ようにしましょう…」
哲太郎は、八千代がただ悲しんでいるよりも、金田中の経営第一に忙しく働いている方が女将のためにもいいと考えて提案した。
八千代は哲太郎の意図を察して頷き、板場の方は哲太郎の云う通りにして、座敷の方は四十九日の法要と納骨まで、出産の時と同じように仲居頭の志津に女将代行を勤める
ように頼んだ。
「手が足りないようだったら、暫く「さち」の営業を休ませて、よねさん以下「さち」の五人の仲居を手伝いに来させましょう…」
哲太郎は付け加えて提案した。
そうこうしている内に夜が明けて、登校の仕度をした子供達が二階から降りてきた。
「お父さんが急に亡くなったのよ…、こちらに来てお祈りをしなさい…」
八千代は、涙声で云って、正造の遺体の前に子供たちを連れて行って座らせ、顔の覆いを取って二人に見せた。
二人は突然の父親の死が理解できない様子だったが、母親に云われるままに手を合わせて拝み、朝食を摂り、事情を話して早めに帰してもらえるように学校に伝えるために
14
続・青春の噴門
従いて行かせることにした女中の八重と連れ立って学校へ向かった。
そうこうしている内に八千代の居宅に葬儀社が再びやって来て、「お寺さんは真言宗の最福寺にお頼みしました」、と云い、新仏の湯潅を済ませて祭壇を設えた。
一方、金田中の舖の方では、仲居や女中達、板前たちが次々に出勤してきて、大広間に集められ、八千代から聞かされた板長の急な訃報に触れてみんな驚きで固まった。
「お舖は閉めずに営業を続けますので、いつも通り働いてください…、夜に入ってから伽僧が来て宅の方でお通夜をしますが、仕事が終ってから供養してやってください…」
八千代はみんなの不安を察して云った。居宅の方は二重三重に高い生け垣で遮られているため、舖の玄関側からは見えないようになっていたが、高張提灯なども控えめに立
てるように葬儀社に頼んだ。
び
八千代は、一家の主人の死に相応しく、盛大な葬儀を営んでやりたいと思ったものの、割烹料亭「金田中」の経営があることを思うと、それも憚られるため、万事略式にして、
客の居ない平日の昼日中に葬儀を行うことにし、その通りに事が運ばれた。
毘 に 付 し、 帰 宅 し て 仏 前 で 初 七 日 の
だ
よねをはじめ正造とと直わ接関わりのない「さち」の仲居達に金田中の留守を頼んで、三日後の日中に居宅で葬儀を行い、町営の火葬場で 荼
法要をし、正造との永遠の別れをした。
その後八千代は、一回忌を兼ねた四十九日の法要と納骨までは喪に服して、一家の大黒柱を失った悲しみと先行きの不安に暮れる日を送ったが、それも済むと、また旧に復
して気丈に店の経営を取り仕切り出した。
そんな折りも折り、冴子が体調不良を訴え出した。哲太郎は、さちのことがあるので慌てて冴子を南伊豆病院に連れて行った。結果は冴子の妊娠だった。
哲太郎は驚くと同時に大喜びした。
「高齢妊娠のため、冴子にも胎児にも悪い影響があってはいけない…」
哲太郎は腫れ物に触れるようにして、冴子を労った。
「これで公然と父にも知らせられる…」
冴子はそう考えて早速実家に電話で知らせた。
「お母さん…、元気にしてるう…」
「ああ、元気だよ…、随分とご無沙汰だねえ…、こちらからは連絡のしようがないから気掛かりでならなかったよ…」
「それで、お父さんの具合はどうなの…」
「一進一退のようだよ…、それで、あんたはどうなのかい…、元気なのかい…」
、お母さん、聞いて~…、私ね…、このところ体調が優れないので、お医者さんに見てもらったらねえ…、赤ちゃんができてるんだって…
「ええ、元気よ…、ねえ
うまずめ
」
三カ月ですって、私は石女じゃあなかったのよ…、
続・青春の噴門
15
ひ と
「ええ〜っ、そうなのかい…、良かったねえ〜…、それで誰の児なの…」、
「私が高校の時から好きだった男性の子よ…、今では大きな料亭の板前の頭よ、去年二人の勤め先のご主人夫妻に立ち合ってもらって、近くの神社で二人でだけの祝言を挙げ
たの…、戸籍謄本が取りづらくて婚姻届は出していないけど…、私、嬉しくって…、嬉しくって…、
阻のせいなんだって…、これで、お父さんにもこれまでのことを話して、許してもらえると思うわ…」
つわり
気分が優れないのは悪
「そうかい、そうかい…、本当に良かったねえ、冴子…、これで山県の家の者を見返せたねえ…、良かった…、良かった…、本当に良かった…、今日、病院に行って、お父さ
んに話すよ…、いいだろう」
志乃は、泪を啜りながら、おろおろ声で云った。
「本当なら、私の口から云って、今までの非を詫びるのが筋なんでしょうけどね…、いいわ…、事実だけを話してくれて…」
「戸籍謄本を取って送るから、住所を教えて頂戴…、山県ん家の倅は後添えを貰ったって云うし…、もうこそこそ隠れていなくてもいいだろう…」
「戸籍謄本は自分で郵送で頼んで取り寄せるから大丈夫よ…、でも近い内に気分の良い時にお父さんとお母さんには、手紙でこれまでのことを話して、詫びるつもりだから…」
「もう済んだことだし…、詫びてなんか貰わなくてもいいよ…、私は、とっくにあなたの気持ちが解っていたわ…、お父さんだって世間体があるから怒ったような振りしてい
たけれど…、本当はあなたのことが気掛かりだったんだよ…、しょっちゅう「冴子は何処でどうしているのかなあ…」って、云ってたんだから…、
それから暫くして、暮れも押し詰まって、冴子は実家に当てて手紙を書いてこれまでの一部始終を話し、同時に南佐久市の戸籍課から郵送で戸籍謄本を取り寄せた。
あなたが最初に電話してきた時に「元気で、幸せに過ごしている…」って云っておいたから、二人でほっとしてたんだよ…」
「お父さんには話さないで…」って云っておいたのに…、もう話していたの~っ、口が軽いんだから~、お母さんは~っ…」
「まあ~っ、
明けて一月八日、哲太郎と冴子は揃って南伊豆町役場で婚姻届を出して、入籍を済ませた。
立春のころ正造の四十九日と一回忌の法要と納骨が済んだ後、哲太郎は、改めて冴子の妊娠の事実と、二人が婚姻届を出して入籍を済ませたことを八千代に話した。
「あら、そうなの~、それはおめでとう…、それじゃあ、岩田帯でも贈ろうかねえ…」
かこつ
八千代は、これまでになく冷めた目で哲太郎を見て云った。八千代のそういう冷めた態度は、金田中の板長になった哲太郎がもっと自分に近付いてくれることを内心期待し
たのに、逆に遠ざかって行くように見えることへの反発からだった。
五十を過ぎたとは云え、容姿の美しさでは群を抜いている八千代は、まだまだ花も実もある「飛び切り熟れた女…」だった。孤閨を託つにはまだまだ若過ぎた。かといって
立場上男漁りもならず、さりとて昵懇の常連客の中から誰か「良い旦那」を見付け出そうとするのも面妖なことだった。
哲太郎が板長として金田中本店の板場を仕切るようになると、再び仲居達が活気を帯びてきた。
だが、曾てのように哲太郎が板長の手許を見ているか、命じられる雑用をする以外にすることもなかった時代と違って、哲太郎は早朝から深夜まで多忙を極めたので、哲太
郎に雑用の手を借りて甘えかかるなどは望むべくもなかった。それに哲太郎には女房もいるし、その女房が身重ながら同じ座敷で働いているので、目を盗んで哲太郎にちょっ
かいを出すわけにもいかなかった。そんなわけで、仲居達の関心は若い板前の秀次や正平や、最近入って来た見習いの方に移って行き、お座敷と板場の接点になる配膳口では、
16
続・青春の噴門
始終若い男と女達のフェロモンが入り交じり、艶いて活気のある雰囲気が醸し出され、みんな和やかに冗談口や軽口を云い合いながら仕事をするようになった。
四月に入って、妊娠七カ月になると、哲太郎は、冴子を金田中での仲居見習いの仕事から外させ、よねの切り盛りする「さち」の店で若女将として無理の掛からない仕事に
就かせることにして、女将の八千代の承諾を得た。それは、八千代にとっては哲太郎に「隙」ができたことを意味した。そして、八千代と哲太郎が大人の男と女の関係になる
のに多くの時間は要らなかった。
「片が付いたら私の帳場に来て…」
その日八千代は、曾て正造との時と同じように、哲太郎が遅くまで独り包丁の手入れや翌日の仕込みをしている板場に来て一声掛けた。哲太郎もすでに予期していて、八千
代の濡れて輝く目を見返して、静かに首肯いた。
「女将さん入ります…」
云いもって、哲太郎が帳場に入ると、八千代は独り手酌で呑んでいた。
「まあ、そんな端近に突っ立っていないで、私の前に座って、哲っちゃんも一杯おやりよ…」
目尻にほんのり赤みの差した流し目で哲太郎を見た。側の長火鉢には鉄瓶が架かっていて、もう一本銚子が燗に浸かっていた。八千代は、自分の猪口を哲太郎に渡して、手
ずから銚子の酒を注いだ。猪口には、八千代の紅い口紅がのっていた。それは、八千代が既に兆していて、哲太郎を受け入れる気でいることを示していた。哲太郎は猪口に口
を付けて口紅を舐め取るようにして酒を啜った。
に大分酔っているのか、上体をふらふらと前後左右に揺らせながら、哲太郎に愚痴を聞かせるように話した。
八千代は、既
ひ か
籍された元の旦那が死んで、やっとその重荷から解放されて、文字通り私の身体を張って手に入れたこの舖を切り盛りするようになって、兼ねてお互いに気の合
「私はね、落
った同士で、哲っちゃんも知っての通り板長の正造さんと所帯を持てて…、二人の子を設けて女としての幸せも手に入れた…、それなのに、たった十四年で、大黒柱の正造さ
んに突然前触れもなくあっさりと逝かれてしまって…、その幸せも中途半端になってしまったわ…、
子供達はまだ幼いし…、仕事は気骨が折れるし…、私も女としては終っていないし…、どんなに気丈にしていても、女は弱いもの…、心細くなって、誰かに支えてもらいた
くなるんだよ…、
」
「女将さん、云いたいことは良く解ります…、女にそれ以上言わせては、俺の男が廃ると云うもんです…、女将さんの気持ちは、正造旦那が亡くなった折から分り過ぎるほど
良く解っていました…、おいらが独り身だったら、すぐにでも女将さんの肩を支えられたんだけれど、もうじき身二つになる曰く因縁のある女房もいるし…、大っぴらにはそ
んなわけにもいきません…、ですが、こんなおいらで良かったら…、それで女将さんの気が休まるんだったら…、女房を裏切ることになったとしても、おいらは構いません…」
「私は悪い女になろうとしているんだねえ…、これが私の女の性なのかねえ…」
「人皆それぞれですよ…、良いか悪いかは結果が決めるもんでしょう…、八方丸く納まって、幸せなら…、それに越したことはないと思いますよ…、功徳のためなら、おいら
は不貞も厭いません…、女だとて妙に道徳張っていては、身体に良くはありません…」
「改まってそんな風に云われると、気が削がれるねえ…、余計な愚痴を聞かせたりして…、流れが自然でなくなってしまったねえ…」
「女将さん、おいら、此処に入って来た時から、その気でいましたよ…、男は一旦その気になったら、なかなか後には引けないもんです…、もう一度口紅のついた猪口に酒を
続・青春の噴門
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注いでいただけませんか」
八千代は、哲太郎の裳裾が開けて、哲太郎の了え勃った玉茎が下帯から透けて見えているのに気付いた。そして「今宵は行き着くところまで行くしかない…」と思いながら、
自分の猪口を哲太郎に渡して、銚子の酒を注いだ。
哲太郎は、その猪口にのった口紅を舐め取るようにして猪口の酒を飲んだ。そして空の猪口を八千代に渡した。
八千代がその猪口を受け取ると直ぐ、哲太郎は八千代の酒気を帯びてほんのり紅みの差した白くて細い腕を掴んで自分の方に引き寄せた。八千代は、「あっ…」と小さく声を
立てて、弾みで哲太郎の胸元に引き寄せられた。瞬間広くて分厚い哲太郎の身体に抱きかかえられて、八千代は頼もしい安心感に包み込まれるのを感じた。
哲太郎が太い腕で抱きすくめると、八千代は身体がふにゃふにゃと哲太郎の身体に溶け込んでしまうように感じた。哲太郎が乱れた裳裾から腕を差し込んで、下帯の中の
八千代の裸の尻を抱えて引き寄せると、八千代は大きく息を弾ませて、狂ったように哲太郎の下帯の中の玉茎を両手で握った。
哲太郎が八千代の尻から掌を前に差し入れると、そこは昔芸者時代からそうしていたのか脱毛されて、額口の半丘の上側を除いて、すべすべだった。哲太郎が中指で空割の
谷間を弄ると、八千代は、腰を煽り上げるようにして、ますます逸り立ち、火床口から滴り落ちるほどの淫水を溢れさせた。
さちに教え込まれた哲太郎の性愛の手技が八千代の感覚を支配し、八千代は千々に乱れた。哲太郎は女もこのように発情して逸り立つのだということを始めて知った。後は
何も余計な手続きは要らなかった。
哲太郎は、八千代の上体を左手で抱えて、右足を立て膝にしてその膝頭に八千代の左膝を抱え上げて、横取りの姿勢で一気におえ立った玉茎を淫水の溢れる火床口に沈めた。
八千代は、曾て経験したことのないような大きな容量で自分の下腹が満たされるのを感じて、高く澄んだ声を長く引いて、哲太郎にしがみ付いた。八千代は火床の中も何や
ら得体の知れないふにゃふにゃした感じで、哲太郎にこれまでにない感覚を与えた。哲太郎が腰を動かして摺動運動を始めると、八千代は新内か清元でも謡うように、高く澄
んできれいな声を上げて身体を細かく奮わせて悶え、乱れに乱れた。
「ああ~っ…哲っちゃん、もうだめっ…、往くわっ~…」
合わせて、哲太郎も頂点に達し、どっと精を噴射して八千代の腰を更に強く自分の股間に押し付けた。哲太郎はそれから更
八千代が一層強く哲太郎にしがみ付いて来たのあに
ぐ ら ざ
に三合、玉茎を抜き出すことなく、精を交え、胡坐座になって八千代を茶臼に抱きかかえて八千代の全身を撫で擦った。八千代は、全身がしびれたような無感覚になり、ぐっ
たりとなって、哲太郎の腕の中で眠った。
小一時間も経った頃、哲太郎は、そろそろ手石港の魚市場に行く時間だと思い、八千代を揺り起こして、まだ萎え切っていない玉茎を抜き出し、八千代の股間の始末をしてやり、
抱きかかえて湯殿に行き、残り湯で二人の身体を洗い清めて身支度を整え、八千代の帳場の乱れも調えて、まだ朦朧としている八千代を居宅に送り届けてから魚市場に向かった。
哲太郎は、道々、八千代の身体の不思議な感触を頭の中で反芻していた。あの身体の外も中も蕩けるようにふにゃっとした感触は、さちにも冴子にもない感触だった。哲太
郎がのめり込んださちの身体も随分と柔らかかったが、八千代ほどのことはなかった。
哲太郎が魚河岸に着くと、直ぐ後を追うようにサブもやって来た。サブも板長として支店を切り盛りするようになって、支店独自の仕入れをするようになり、近頃は随分と
成長して貫録が付いて来ていた。
魚河岸では、競りや仕入れに加わる仲買人や、大きな料理屋の頭たちが挨拶を交わして、思い思いに気に入った魚を仕入れ、一息入れながらお互いに情報交換をしたり、世
間話に一時花を咲かせてからそれぞれ家路に散って行くのがいつもの習慣だった。
18
続・青春の噴門
最近の河岸での世間話での関心の的は、正造を亡くした後の金田中の女将の八千代のことだった。五十路に達したとはいえ、八千代がまだまだ花も実もある「女盛り…」だ
ということをみんな知っていたから、当然と云えば当然のことだった。八千代との情事の記憶も生々しい哲太郎にとっては、早番話題に上すのを願い下げにしてもらいたいと
ころだが、女将が独り身でいる限り、何やかやと噂に上るのは仕方のないことでもあった。
それにしても、淫水を滴らせて、逸りに逸って哲太郎の身体を求めてきた八千代の欲情した姿は、八千代の美しい姿からは想像がつかず、八千代の中に何やら別の魔物が棲
んでいるような気さえした。
一方八千代は八千代で別の思いを噛みしめることになった今宵の仕儀に自ら驚いていた。
八千代は哲太郎に支えられて居宅に戻ると、直ぐに自室の布団に潜り込んで綿のような眠りに落ちた。だが、平常朝が早く、寝起きの良い八千代は、三時間も眠るとすっき
りとして目覚めた。ちょうど子供達が学校へ行く仕度をして降りてきて、朝食を取ろうとするところだった。八千代がそんな時間まで寝ていたことに子供達もその世話をする
女中達も訝しく思ったが、取り立てて気にもしなかった。
「行ってきまあ~す…」
子供達が八千代に声を掛けて出て行く姿を見遣り、
「道草せずに気を付けて行くんだよっ…」
母親に戻って子供達の背に向かって注意をした後、八千代は、湯殿に入って、朝湯を使った。
八千代の居宅は、万事和風の設えになっていたが、風呂と便所だけは洋式だった。殊に風呂は広くてゆったりしたバスタブが据えられていて、ガラス窓越しにこぢんまりし
た庭が望め、その先が料亭の南側の広い和風庭園に続いていた。八千代は、バスタブに浸かって、窓越しにその庭の佇まいを眺めると気持ちがぐっと和らぐので、その時間と
空間が殊のほか気に入っていた。
バスタブに浸かりながら、八千代は哲太郎との一儀を頭の中で反芻した。同時に、いまだに自分の下腹が巨大な塊で占領されているような感覚が残っていて、それが哲太郎
の道具立ての逸物ぶりを思い起こさせていた。そして、哲太郎の能力も予想を超えて人並み外れていた。哲太郎は、八千代の多くの経験でも類を見ない「豪の者」だった。哲
太郎は、魚河岸に行くことと、早出の従業員のことを気遣って途中で切り上げたようだったが、八千代は、腰が立たないほど疲れさせられたのを思い起こした。
「まともに付き合っていたら女が壊されそうだわ…」
「じ~ん…」と、痺れのような疼きが走り、そこに刻み込まれたあの質量感が甦ってきた。
そう思いながら、そっと自分の秘所に掌を押し付けた。
八千代は手鏡を取り出して、そこがどうなっているか調べた。常よりは紅みが差して、腫れぼったい感じはしたが、炎症は起こしていないようだった。暫く適当な軟膏でも
塗って、様子を見ることにした。
「この感覚が長く続くようだったら、医者に診てもらわないといけないな…、そうなると地元の医者には行けないから、横浜か、東京に出なければならないし…、少し厄介だ
ひ と り ご ち
な…」 「それにしても、若い時のように情に任せて激しい精を交えるような歳ではないのだから、自重しなければいけないよ…」
り言ちた。 八千代は頭の中で独
続・青春の噴門
19
た ち
ふ ぐ
幸い、八千代は一旦満ち足りると気が昂ぶるようになるには間が開く性質だったが、「河豚の毒にのめり込まないように…」と、、自らを戒めた。
だが、三日も経つと、あの股間の重い感じが薄れ、大事なくやり過ごせたようだった。
「哲太郎との情事は、情の昂ぶりに任せて一気に突っ走ってはいけない…」
八千代は改めて自分を戒めた。
おしとねごじたい
八千代と哲太郎の「大人の付き合い」が八千代のリードで続けられた。哲太郎は、さちが生きていたら…、八千代より一つ若いだけだったから、同じように気を遣って、
こうして、
大事に、労りながら情を交えなければいけなかった筈だから、八千代が云うことは良く理解できた…、同じようなことは、冴子にも言える筈だった。
*******
「お褥御辞退…」などと称して、殿さまとの情交を断ったようだし、
「三十三歳は女の大厄…」だとしたのも、あながち故無
「昔は、将軍や大名の奥方は、三十歳を過ぎると、
きことではなく、老いて行く愛する女を労らなければいけない…と、いうことに他ならない…」
愛しい女たちのことを気遣って、哲太郎は思った。
「高齢出産」と云うことで、早めに入院するように勧められた。
七月に入って、七夕を過ぎると臨月に入り、冴子は、
「そうか…、いよいよ生まれるか…、医者がそう言うのなら、早めに入院していた方が安心だ…、
毎日見舞いに行くし、時間の許す限り側に付いていてやるから…、俺に遠慮せずに入院した方がいいよ…」
「陣痛が始まるぎりぎりまで家にいる…」と云う冴子の重い腰を押して入院させてから僅か四日後に、冴子は哲太郎に瓜二つの色白の大きな男の児をいとも簡単
そう云って、
に生んだ。冴子が入院して二日後に、母親の志乃が始めて南伊豆の冴子の元にやって来て、病院に付き添った。
とうた
身体の小さな志乃は、見上げるように大きな哲太郎を見て、初めは驚いたが、その懐の深い茫洋とした姿を見て、「この男なら冴子を不幸にはしない…」と確信し、「冴子を
さら
浚ってくれて、ありがとう…」と、礼を言いさえした。
哲太郎は、お七夜に息子を藤太と名付けて、役場に届けた。
「母子とも健康で、順調…」と云うことで、八月に入って退院することになった。
冴子の産後の肥立ちも思ったよりも良く、
「お父さんのことが心配だから…」と云い、「お父さんに見せたい…」とて、親子三人を並べてインスタントカメラで写真を撮って、
それで志乃はすっかり安心したと見えて、
出産十日後に佐久に引き返して行った。
志乃の帰りさに、冴子は、哲太郎の押す車椅子に赤ん坊を抱いて乗り、帰って行く志乃を病院の玄関口まで見送った。
「秋になって涼しくなったら、三人揃って里帰りするから…ね、
そう云ってお父さんを元気づけてあげて頂戴…、気を付けて帰ってねっ…、」
冴子が志乃の背に声を掛けた。
八月も終りに入って、つくつく法師が鳴き、朝夕の空気に秋の気配が感じられるようになった頃、志乃から電話が入った。
20
続・青春の噴門
「藤太は、どうだへ…」と、志乃は先ず孫の育ち具合を聞いた。
「うん…、お乳をたくさん飲んで、哲太郎に似て勢いの良い児よ…、退院して二週間目の定期健診で計ったら、身長は普通の男の児よりも三センチも大きいのよ…、体重なんて、
もう五キロを超えているの…」
「そうかへ…、それは頼もしいね…、ところで、お父さんがねえ…、藤太と婿殿に早く会いたいんだって…、長いこと入退院を繰り返して、病状が一進一退だから、「何時死
ぬとも限らないから…」
、なんて云ってねえ…、あなた、哲太郎さんに勤めの方のやり繰り付けてもらって、早く里帰りしてきておくれでないかねへ…、なんだか私までお父さ
んのことが心もとなく思えてきてねえ…、孫の顔でも見たら、元気付くんじゃあないかと思ってねえ…」
「もしかして、お母さんの云う以上にお父さんの病状は良くないんじゃあないかしら…」
冴子は、そんな風に努めて何事もないかのように云う志乃の声の様子に、何やら不安な気持ちになった。
「お母さん…、ほんとのところ、お父さんの病状はどうなの…、お母さんの云っている以上に悪いんじゃあないの…」
「お父さん、だんだん痩せてきているし…、お医者さんは、私にははっきり云わないんだけれど…、康平たちの様子を見ると…、康平には違った風に云っているんじゃないか
と思ってねえ…、私は、お父さんが癌を患っているんじゃあないかと疑っているんだよ…、
だから一時も早くあなた達に会わせて上げたいと思っているのさ…」
「そう…、分ったわ…、哲太郎に話して、できるだけ早く帰るようにするわ…、はっきり決まったら知らせるわ…、お父さんにそう話して励ましてあげて…」
冴子は電話を切った。冴子はもう何年も父親の顔を見ていないことを思い起こした。そして急に父が慕わしく思えてきて、「早く会いたい…」と、思うようになった。
そう云って、
哲太郎はいつものようにその夜更けに戻って来て、冴子の背後から添い寝をしてきた時、冴子はちょうど藤太に乳を飲ませ了えたばかりだったので目覚めていた。
哲太郎が背中から抱えてくると、冴子は哲太郎の方に向き直って、その懐に身体を埋めて、志乃との電話のやり取りを話した。
い つ
「そうか…、それなら早く帰って藤太を見せてあげた方が良さそうだな…、今日女将と話して、何日にするか決めよう…、ここのところ俺も働き詰だから、一週間ぐらい休み
を貰ってもいいだろう…、冴子とも随分とご無沙汰だしなあ…」
哲太郎はあらぬ方向に話を逸らして、冴子の額口の生え際を掌で弄りながら云った。冴子は額口の生え際を短く刈り込んでいた。
「久方ぶりに俺を迎え入れたい気分になっているんだな…」
哲太郎は、それに気付いて云った。
「哲太郎の女ですもの…、少しはお相手をしないと、他の女に盗られちゃうでしょう…、あなたは女なしでは居られないようだしね…」
冴子は哲太郎の指の動きに反応して、
腰を前に突き出しながら云った。哲太郎は冴子の言い草に一瞬どきりとして、「冴子は、俺と女将との関係に気付いているのではないか…」、
と思った。だが、直ぐにそんな邪推を追い払って、哲太郎は、夜着の中に潜り込んで、冴子の両膝を抱え上げて空割に唇を押し当てていった。
「ああっ~っ…」と声を上げて、冴子は腰を悶えさせた。冴子のそこは、あの当事のように甘い匂いはなかったが、ずっと熟れた女の艶めかしい匂いがした。その匂いは、
八千代のものとも違っていた。
哲太郎の舌と唇の動きに連れて、冴子は腰と太股を小刻みに震わせ、しゃくり上げるようにして腰を突き上げた。哲太郎が唇で小核をとらえて舌の中で転がすと、冴子は悲
鳴のような甲高い声を上げて、息を詰めて最初の頂上に昇り詰めてぐったりとなった。
「暫くご無沙汰している間に、随分と感度が良くなっているんだな…」
続・青春の噴門
21
タイミングを全く外されて冴子独りに頂上に昇り詰められて、憮然としながら哲太郎は思った。
最近の冴子は、一度果てるとなかなか気が昂ぶらなくなっていた。結局、哲太郎は、冴子を腹の中に抱きかかえて、自分のおえ立った玉茎を冴子の太股の間に挟ませて、眠
りに就くことになった、そして二時間ほども眠って目が覚めた時には、もう魚河岸に向かう時間になっていた。
時間がずれたりすると、なかなか一緒に気を入れて性愛に没頭できない事情が多くなるな…」
「生活のしがらみの中で、共有する
ていしこう
哲太郎は、まだ明けやらぬ道を手石港の魚河岸に向けて車を走らせながら思った。
その日魚河岸から戻ると、哲太郎は、八千代に事情を話して一週間ほど休みをくれるように云った。
「その間、板場は、サブをこちらに呼び戻して仕切らせ、秀次と正平に助けさせれば、料理の質も品格も保てます…」
八千代を納得させようとして、哲太郎は自分の考えを云った。
クーペで三年ぶりに佐久に戻った。
「本当は哲っちゃんに長いこと休まれると、中が締まらなくなるので困るんだけどね…、この時期は、一息入ってお客の方もそれほど多くないからねえ…、板場さえしっかり
守ってもらえるように差配しておいてくれるなら…、哲っちゃんもここのところ働き詰めだし…、私は構わないよ…」
八千代は、不承不承の態を装って、哲太郎に同意した。
*******
と云うことで、その三日後に、冴子は、親子三人で、買い替えたばかりの哲太郎愛用の黒塗りのポルシェ
冴子の父親の康作は佐久中央病院に入院していた。
「三日前から待ち焦がれていた…」
冴子たち親子三人が病室に入ると、康作はベッドの上に起き直って、顔を紅潮させて三人を迎えた。康作は、想像していたよりは元気そうに見えた。
三人部屋の狭い病室のうえ、大きな哲太郎が入ってきて、尚更身の置き所もないほど狭くなり、初対面の挨拶もそこそこに、康作は、とにかく冴子と、その連れ合いの哲太
郎と孫の藤太に会えたことを喜んだ。康作には、多くを語らずともそれで十分だった。
「大男だ…」と、志乃から話しを聞かされていて想像してはいたものの、実際にベッドの端に突っ立っている哲太郎を目の前にして見ると、山のように聳えて見え、その茫洋
とした風貌と共に、
「成るほど聞きしに勝る男振りじゃわい…」と、一時の怒りなど吹き飛んでしまったかのように、すっかり気に入った様子だった。
その哲太郎の腕の中に抱かれて小粒のように見えていた藤太も、実際に康作が腕の中に抱いて見ると、丸々と肥えて大きく、ずしりと持ち重りがした。そして、父親に似て
色白で茫洋とした風貌がすっかり気に入ってしまい、
「良かった…、良かった…、冴子がこんな子宝に恵まれて…、ほんに良かった…」と、康作は涙ぐまんばかりにして喜んだ。
「娘夫婦たちと孫の誕生を祝いたいので、一時退院させてもらいたい…」
冴子たち親子に会えたことが気持ちの張りを与えたのか、俄に元気付いて、康作は主治医に申し出てその日の内に一時帰宅した。
22
続・青春の噴門
その翌日、康作は、哲太郎の両親と康平夫婦も招いて、藤太の誕生と冴子たち夫婦と両家の対面を祝う多少儀式張った宴を催した。それは、同時に、康作にとっては冴子た
ち一家との永遠の別れの宴のつもりでもあった。
哲太郎の両親も、予め哲太郎から話を聞かされてはいたものの、冴子とその両親と孫の藤太に会うのは初めてだった。だが、冴子との「略奪結婚」の話は哲太郎から聞かさ
れていたとはいえ、保守的な空気の強い田舎町のこととて、大っぴらに祝えるような筋のことではなく、終始神妙な姿勢を保っていた。
精一杯元気そうに見せ、陽気に振る舞っていた康作だったが、宴席が撥ねたその夜さりに、再び具合が悪くなり、救急車で病院に舞い戻った。そして、康作はそのまま帰ら
ぬ人となった。
哲太郎は、急遽金田中に電話して、事情を話し、郷里での滞在を冴子の父親の初七日の納骨まで延ばすことを了承してもらい、両家の家族だけの密葬で慌ただしく葬儀を行って、
十日目に南伊豆に戻った。
その間に冴子は、既に歳老いて来ている母の志乃の処遇をどうするか、志乃を交えて康平と兄妹で話し合った。冴子は、志乃に一人暮らしをさせるに忍びなかったので、兄
の康平一家が家に戻ってくることを提案した。だが、
「わたしゃ、それほど老け込んじゃあ居ないし、独りでお父さんの墓前を弔っている方が、気楽でいい…」
康平の嫁の時枝と折り合いの良くない志乃は、肯んじなかった。康平も嫁姑の間の不仲なことを知っていて、二人の板挟みになって余計な気苦労が増えるのを嫌がり、結局
康作の遺した遺産は、全部志乃が継ぐように決めて、志乃の願いを叶えることにした。志乃は、何れ折りを見て遺産を処分して、冴子たちと一緒に住みたい腹でいたが、身体
の動く間は住み慣れた佐久の町を離れたくなかったのだ。
*******
こうして、再び南伊豆での生活が続いた。
哲太郎と八千代の密かな関係はその後も続いた。だがそれは、八千代の「女自身」が我慢できなくなる時に限られた。八千代は、二人の関係が大っぴらになるのを嫌ったので、
それも翌日が金田中の休業になる日と決められていた。
そんな時は、八千代は哲太郎との初めての時と同じように、抑えの利かないほど発情して、哲太郎を求めた。哲太郎は、八千代の年齢を考えて、八千代の気の昂ぶりに調子
を合わせて八千代を翻弄して八千代の「女」を傷つけてしまわないように気を遣い、八千代が気をやった後は、専ら居茶臼のまま抱き合って眠るようにした。それに、八千代
との情事の可能性がありそうな時は、前の日に気を入れて冴子と契り、自分の精力を分散するようにもした。
八千代は、頂上に達した後、まだ萎え切らない哲太郎の玉茎を迎え入れたまま居茶臼で抱き合って眠ることがいたく気に入っていた。密かな関係でなければ、どこか温泉地
にでも行って秘湯に浸かって、そのようにして哲太郎の大きな身体に抱かれながら眠りたかったが、それはならなかった。二人の関係が大っぴらになれば、全てがめちゃめち
あうん
ゃに壊れてしまうことは火を見るよりも明らかだったから、そんな子供じみた真似は避けなければならなかったのだ。
吽の呼吸を合わせて、暫しの間八千代の「女自身」を宥め、静
その上、八千代自身、哲太郎との関係がそれほど長く続くとも思っていなかった。哲太郎も八千代も互いに阿
まらせること…に意を注いだ。
続・青春の噴門
23
八千代がそのように気を昂ぶらせる時は、何時も、初めの時と同じように、身体をぐにゃぐにゃに蕩かせて、哲太郎に全身を預けた。その八千代の姿態は、哲太郎に何とも
表現し難い感覚を呼び起こし、八千代と溶け合ってしまうような気分にさせた。それは、腰骨の髄から沸き起こる、痺れにも似た感覚だった。そして、哲太郎は、八千代と居
茶臼で抱き合って眠りながら、何度も精を噴出させた。その時哲太郎が無意識の内に腰を動かしているらしく、八千代は、「丁度良い刺激…」で、
「女が壊れる心配をしなくて
良い…」と云って、それで満足していた。
*******
翌年、和香代が十五歳になると、八千代は、和香代を高校に上げず、金田中で家庭教師を付けて教育を受けさせ、箏三絃を習わせながら、自分の監督の元に志津に付いて少
しずつ若女将としての修業をさせることにした。理由は、地元に高校がなく、下田の高校に通わせるか、東京か横浜の全寮制の市立高校に入れなければ成らず、目が行き届か
ずに「悪い虫が付く…」のを恐れたためだった。
このところの八千代の関心の中心は、歳頃になってきた子供達を「厳しく躾けて…」次の代の金田中の経営を担って行けるようにすることだった。正太は、十五歳になったら、
東京の一流の料亭で十年ほど板前修業をさせる心積もりで、
今から曾て贔屓にしてもらった「八百膳」の旦那に渡りを付けていた。その後南伊豆に戻って来させて、哲太郎の下で、
金田中独特の料理のコツを学ばせれば、
「旨い具合に金田中の板場を引き継いで行ける…」、と八千代は踏んでいた。
むつき
哲太郎も、茫洋とした性格ではあっても、その辺りのことはある程度計算に入れていたが、その後自分らがどうするか…までは考えてはいなかった。そんな折しも、冴子が「ま
た妊もった…」
、と知らせた。
そしてその翌年の春まだき、節分会が過ぎて間もなく、冴子は二人目の男の児を産んだ。
うぶすながみもうで
志乃は、冴子の二度目の妊娠を知ると、
「よい切っ掛けだ…」とばかりに岩田帯など抱えてすぐさま飛んで来た。そして半年後の一月末には、産土神詣の着物やら、襁褓や着
替えや玩具などを大量に送り付けると同時に、
「冴子の産後の面倒を見させてくださいな…」と云って、自らも早々とやって来た。
たおやか
二人目の児は、誰に似たのか、色白のうえに顔つきやら姿貌が女の児と見紛うほど華奢で優しく、嫋かに見えた。
「歌舞伎役者にでもしたら、女形として随分と人気が出そうだ…」
志乃は、そう表現した。哲太郎は、どことなく容貌がさちにも似ているような気がした。
「さちとの間に子ができていたら、このような姿貌の女の児ができていたかも知れないな…」
と思ったが、
「その内に男の児らしくなるさ…」と云って、自分の名前の一字をとって、「哲也」と名付けた。だが、哲也は日が経つに連れて目鼻立ちがはっきりしてくると、
ますます女の児のような容貌になっていった。
「いっそのこと女の児として育てて、踊りや音曲を習わせて、歌舞伎役者の家で内弟子として、女形の役者に育ててもらったらどうかねえ…、本気でそう思うんだったら、昔
贔屓にしてもらった三升屋さんに頼んであげるよ…」
24
続・青春の噴門
八千代はそんな風に真顔で云う始末だった。
「あれまあ~、里のおばあちゃまにそっくりだわ…」
さつき
。「哲太郎は知らないだろうけどね、おばあちゃまと云うのは、あなたのひ
哲太郎の両親が尋ねてきた時に、哲也を見た瞬間、母親の皐が素っ頓狂な声を張り上げて云った
ひと
いお祖母様でね…、何でも若い頃は芸者さんだったとかでね…、品の良い顔立ちで姿のきれいな女性だったのよ…、私は、踊りやなんかを教わって、随分可愛がってもらった
記憶があるわ…、この子を見ていると、何だかおばあちゃまの生れ代わりのような気がするわねえ…」
皐はさも懐かしそうに哲也を見詰めながら云った。
「姿貌だけでなく、芸事の才能も受け継いでいるのではないか…」と思い、「いっそのこと女の児として育てて見ようか…」などと
それで冴子は、納得して、気が楽になり、
本気で思い始めた。
「役者さんの家ではね、おむつが取れたら直ぐに音曲を聞かせて踊りを習わせ、大抵の場合三歳ぐらいで初舞台を踏ませるそうよ…、だから、役者を目指して内弟子にするん
なら、養子に出すぐらいのつもりで早くから手放す覚悟が必要なのよ…、そのつもりで居るなら、三升屋さんに口を利いてあげても良いいわ…、先方でなんと云うかは知らな
いけどね…」
「将来歌舞伎の女形に育ててもらえるよう子供の内は女の児として育てようかと思い始めている…」と云う冴子に八千代は、歌舞伎の世界の仕来りが生易しくないことを話し
て聞かせた。
それを聞いて、冴子の気持ちはたじろいだが、それでも折角資質を持って生まれているのなら、それを発揮できる方向で育ててやりたいと思った。
「養子に出すまでしなくても、役者になれる道がないのかどうか、三升屋さんとやらに訊いて見て頂けませんか…、母親としては、せめて小学校か中学校を卒業する頃までは、
手許において育てたいと思いますので…」
冴子は親心を吐露して付け加えた。
翌年、哲也が完全に乳離れしていない内に、冴子は、三人目の子を妊った。そのため母親の志乃は、「空き家のままにしておくのは良くない…」とて、年に一度祥月命日に康
作の墓詣りを兼ねて戻る以外は郷に戻らず、そのまま居続けて冴子の世話を焼くことになった。
「老け込んでいる暇がない…」
志乃はそう云いながら喜んでいた。
哲太郎は相変らず休日以外は働き詰めの生活を送っているのに、どこにそんな暇とエネルギーがあるのか…、冴子を次から次へと妊らせている哲太郎の「豪の者ぶり」に、
志乃は改めて感心して哲太郎を見ていた。
その翌年の桜の散る頃、冴子は、透き通るほど色白の可愛い女児を生んだ。
哲太郎は娘を志保と名付けた。
いたいけ
志保は、目鼻立ちがはっきりしてくるに連れて、いかにも幼気な女の児然とした風情を備えてきて、その華奢な容姿に、見る者みんなが「胸がキュン…」となった。
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「この児も、哲也と同じで、おばあちゃまに瓜二つだわ…、哲也と二人振袖でも着せたら、何れ何方が何方か見分けが付かなくなるわよ…」
程なく訪れて来た哲太郎の母親の皐は確信に満ちた声でて云いさえした。
*******
その後子供たちは、次々と成長していった。当然のことながら、大人たちは老けていくのは仕方のないことだった。だが、哲太郎も、八千代も気持ちの上で老け込むような性
ほんてん
質でもなく、活力溢れる姿勢で、金田中の本舗を初め、三ヶ所の料亭の経営とそれぞれの子供たちの養育に心血を注いだ。その活気のある生活態度は、必然的にそれぞれの従業
員ばかりでなく、冴子や志乃にも影響して、共に日々若々しい張りのある生活を送っていた。
かねて
冴子が哲也を生んだ翌年、八千代は芸者時代に八千代の贔屓だった四代目八百膳を頼って、十五歳になったばかり長男の正太を築地の料亭八百膳に調理師見習いとして預けた。
これは、金田中の調理場を継がせる目論見から、正造の生前から予て心積もりしていたことで、まだ幼さの残る正太に因果を含めて、親元を離れての修業に就かせたのだった。
八百膳は江戸の昔から百五十有余年続く老舗の大料亭、その調理場での厳しい修業によく堪えて正太は成長し腕を上げていった。
よしちょう
築地は、江戸の台所、魚市場ややっちゃ場を控えて、近隣に柳橋、葭町、浜町と昔からの江戸三花街に新橋の隣接する東京の粋筋の中心地とあれば、当然正太は、成長するに
及んで艶修業にも精を出して経験を積み、江戸伝統の粋と意気を身に付けた調理師に育っていった。
のは、やはり名にしおう柳橋の羽織芸者の流れを汲む気っ風のいい浜町の芸者小せんだった。それ以後、正造譲りの
正太の筆下ろしをして、世の仲の道の最初の手解きをした
あまた
股間の三つ揃えの逸物が粋筋の女達の評判をとり、引く手数多の寵愛を受けて、調理と色道の二股架けた達人として名を轟かせていった。
志保が生まれた年、哲也はまだ誕生二歳だったが、八千代の奨めで歌舞伎役者の道を歩ませようと、女の子のように振袖を着せられて、和香代と同じ師匠に従いて早くも筝三
絃に「をどり」を習い始めた。その二年後に藤太が六歳になって小学校に入り、また、その年、和香代は二十歳になって、八千代と仲居頭の志津の後見を受けながら、本格的に
若女将としての修業に入った。
それから二年、八千代は還暦を迎えたが、体質というのか、身体はしなやかで、肌の色つやも張りも十歳以上若く見られるほど若々しく、色香も横溢して、頻度は減ったとは
いえ、依然として哲太郎の助けを必要とした。
だが、四十の半ばを過ぎたばかりの哲太郎は、相変わらずその勢いが衰える気配を見せず、まともに相手をされては自分が壊されてしまうことは目に見えているので、八千代
は近頃では哲太郎の玉茎をしゃぶってその精をたっぷりと呑んでからでないと交接しようとしなかった。
哲太郎も、病で体力の衰えたさちとの経験で、その辺りは十分心得ていたので、特に厭うこともなく八千代の気の向くままに任せていた。
それから六年、時代は高度成長経済政策に乗って、大都市ばかりでなく地方の鄙の町でも次第に豊かになり、世代間を超えて、老いも若きも観光に関心を強めるようになって、
26
続・青春の噴門
金田中の経営も従来とは違った体質を持つようになってきた。相変わらず「一見さんお断り」の姿勢は崩してはいなかったものの、今までのように懐の豊かな仕事人間の男達だ
けの享楽の場ではなくなり、経済的な自由を手に入れた女達、特に独身貴族と云われる若い世代の女達も、社員旅行などできっかけを得て、その後「プチ贅沢」と称して「ちょ
っぴり贅沢」を満喫する風潮に乗って、
「一見さんお断り」と云う謎めかした雰囲気の贅沢な施設で「グルメ」を堪能できるとて、女達だけがグループで利用するようになり、
従来通りの曰くあり気な接待旅行だけではなく、こういった客層が増えるに従って、明るく健全な観光の拠点として、新鮮な海産物と哲太郎率いる一統の調理人たちの腕で勝負
することで評判をとるように仕向けていった。
た ち
質で、全幅の信頼をおいている一世代若い哲太郎の新しい発想に
女将の八千代は、身体が柔らかいだけでなく、ものの感じ方、時代の風潮を掴む感、物事の考え方も柔軟な性
基づいた改善の提案を素直に受け入れた。そして、世の中の「健康指向」と「温泉ブーム」を巧みに捉えて、フアンの会を旅行会社に組織させるなど、隣接する下賀茂温泉郷を
リンクさせたスポーツ フィッシングや、女性だけのゴルフコンペとなどの選択肢と「グルメ」を抱き合わせにした「グリーンで健康な」観光を提案して、経営の安定につなが
るアイデアを次々に実現していった。
その年には、若代も二十五歳になって、すっかり若女将の役割が身に付いてきて、大女将になった八千代と、八千代より十歳若い年来の相棒の女中頭、志津と共に、改装した
帳場を華やいだ雰囲気に変えていた。
しかん
この年、哲太郎と冴子の長女、志保が六歳になって小学校に通うようになり、古稀を三つ超えた志乃も、毎年連れ合いの康作の祥月命日に墓参と供養のために佐久に戻って行
く以外は、冴子の元に居ずっ張りになり、
「毎日温泉に浸かれて体調もよく、若々しくしていられる…」とて、かくしゃくとして孫たちの面倒を見たり、進んで家事をこなした
りしていた。
かねて
その翌年、藤太が中学校に進み、またそれから二年後に哲也が十二歳になって中学校に入ると同時に、予の方針通り八千代の口利きで哲也を歌舞伎の中村芝翫の元に内弟子と
たおやひめ
して入門させた。哲也は、また振袖だけを着せられて女形として育てられ、その翌年中村紫雀の名で、歌舞伎の初舞台を踏んだ。それ以来、親に似ぬ細身の嫋姫のような居住ま
いと声変りする前の乙女のような声と、そして生来の艶気を含んだ眼差しがたちどころに評判となり、ことに少年少女たちの間で人気者になっていった。
冴子は、折りに触れて哲也に電話を入れたり、母親の志乃と、大女将になって時間の融通の利くようになった八千代と三人で連れ立って、ちょくちょく哲也の舞台を観に行き、
楽屋を訪ねたり、芝翫家に挨拶に行って哲也の生活ぶりを見たりして、まだ幼い哲也との親としての心の触れ合いに気を使った。哲也は日常的にも振袖を着て長い髪の毛を結っ
たり垂らしたりして女の子以上に女の子らしい立ち居振舞いをするように躾けられて、気持ちの上でもその方が落ち着いていられるようだった。
「哲也ちゃんは、見かけだけじゃあなくて、心の中まで女の子女の子して、今どきの女の子よりもよっぽど女の子らしく生まれ付いているみたいだから、根っから女形に向い
ているようだわねえ…、芝翫師匠の内弟子になって僅か一年余りでこんなに嫋かに艶っぽくなるなんて…、女形として大成しそうだわ…、それに、今に大勢の芸者衆に可愛がら
れそうだわ…」
それに引き換え、藤太の方は哲也と全く正反対の、父親譲りの男っぽい生まれ付きだった。哲也が歌舞伎の初舞台を踏んだ年に、藤太は下田の高等学校に進学した。藤太は中
かつて粋筋での生活に浸って育った八千代は、哲也の行く末が見通せた気がして、「先行き、安心できるわよ…」と冴子に云った。
続・青春の噴門
27
ていし
いろうざき
学校に入る頃からスポーツ万能で、子供ながら全身弾けそうなほど筋肉質で強靭な体躯の持ち主だった。数ある競技の中で、藤太は特に水泳に熱中した。夏などは、しばしば遊
び仲間と一緒に手石や石廊崎まで行って、周辺の潮の引いた岩場で素潜りをして、ヤスで小魚を獲って遊んだ。
そして高等学校に進むと、水泳部に入って勉強そっちのけで水泳に興じた。だが藤太は、狭いプールの中でスピードだけを競う競泳には、次第に興味を示さなくなり、海の大
自然の中でサーフィンをしたり、素潜りで魚介類を獲ることの方に関心を移し、哲太郎に手石港の魚市場に連れて行ってもらったことが切っ掛けになって、父親と同じ調理師の
道を進むことを密かに決意していた。
それから二年、志保が中学校に入り、ますます姿貌のよい嫋かな娘に育ってきた。そして「テレビで観て気に入ったから…」と、京都に行って舞子になりたい…と言い出した。
その翌年、哲太郎は、高等学校を卒業して「調理師になりたい…」と云う藤太を八千代に断って自分の下で調理師見習いとして働かせることにした。
八千代は、古希を迎えてなお妖艶に美しく、何かと母親頼りの和香代を叱咤激励して、きびきびと金田中の経営に打ち込んでいたが、調理場のことは万事哲太郎に任せきりに
していた。
そんなところへ正太が「三十になってちょうど八百膳での修業も一区切り付いたから…」とて、ひょっこり戻ってきた。
正太は、中学校をでるとすぐに、八百膳に奉公に出され、親元を離れて辛い調理師の修業をさせられたことが影響したのか、早くから「女の味」を覚えて、女出入りが絶えず、
身持ちの悪い人生を歩んでいた。正太は、調理師としての腕は悪くはないようだったが、親父の正造に似ぬその身についた「女にふしだら」な性格が八千代には気に入らなかっ
た。そのため、八千代はどこか突き放したような目で正太を見ていて、哲太郎に金田中から身を引いてもらって正太を金田中の板場の頭として仕切らせるなどということは「論
外の沙汰」だと思っていた。
「正さんが生きていたって、きっとそう云うはずだわ…」
八千代は、正造が願っていたような手筈で正太に金田中の板場を任せることができないことに忸怩たる思いを抱きながらも、正太に対してはあくまでも厳しかった。
「どうやら金田中を継がせられそうだ…」と思っていたところへもってきて、調理場は頼りにしている哲太郎が盤石
このところようやく和香代の女将家業も板に着いてきて、
の構えで部下を取り仕切って「金田中の料理の伝統の味」を守ってくれている上に、親父そっくりの屈強な体躯をした藤太を「自分の下で調理師見習いをさせたい…」と言い出
して、
調理場の方での次の世代への見通しが出てきていたので、
いくら「正さんの種」の総領だといっても、そんな正太を金田中に受け入れることはできそうにもない相談だった。
一方、正太は正太で、初めから「金田中には自分の居場所がない…」と悟っていた。
伊豆に戻ってきて暫く母親の八千代の元に居候をしながら、
「さて、どうしたものか…」と考えていたところだったが、踊りと三味線の稽古で金田中にやってきたまだ幼い志
保を見て一目惚れしてしまった。
邪険にするわけではなかったが、身持ちの悪い男に育ってしまっている正太の扱いに困っていた八千代は、その正太の願いを聞いて、正太が自分で生きていく道を決めてくれ
さりとて、八千代や親父の哲太郎の目の光っているところで、正太は自分の歳よりも半分以上も歳の差のある志保にどうこうするわけにもいかなかった。
ところが、たまたま志保が「舞妓になりたい…」と云っているのを聞いて…正太は一計を案じた。
「ここには俺の居場所がなさそうだから、どこか気に入った場所で料理屋を開いて生計を立てていきたいから、財産分けとしてゴルフ場を二つ三つ譲ってくれないか…」と、
正太は八千代に切り出した。
28
続・青春の噴門
たことが嬉しかった。そして、その正太の言葉は、八千代にとっては、「まさに渡りに船…」だった。
「八百膳で修業して腕も磨いた…、それに八百膳の料理の伝統の味も身に着けているだろう…、だからお前さんが料理屋を開けば、場所さえ良ければ繁盛もするだろうし、生
きていくには困ることはあるまいよ…、だけど、正太、一番大事なのはその場所選びだ…、それで、お前さんには、もうどこか心当たりがあるのかへ…」
八千代は、何を考えているのか判らないような眼差しで自分を見詰めている正太を見ながら云った。
「京都だ…」と閃いたんだ…」
「どこといって、まだ決まった場所があるわけじゃあないんだが…、母さん…、この間志保ちゃんが「舞妓になりたい…」と話しているのを聞いて、
「京都には、名のある花街が五ヶ所あるんだ…、そのうち上七軒町以外の四花街はごく近くに踵を接するようにして並んでいるんだ…、
八百膳には出前料理…てエのがあって、お客の希望する所へ行って、お客の希望する料理をその場でお任せで造って出すサービスがあるんだ…、俺も何度か、指名された板長
や兄貴分に連れられて行って、京都の花街のお座敷で料理を造って出したことがあるんだ…、その当時世話になったお茶屋何ぞにも知り合いがあるから…、腕さえ確かなら、京
都ならいい客を掴めると思うし、評判になれば繁盛間違いなし…だと思う…」
初めは漠然とした構想だったが、正太は、話している内にだんだん構想が煮詰ってきて、いかにも確信あり気に目を輝かせ始めて、八千代を説得しようと熱っぽく話した。
「それにおいらが先に乗り込んで行って、幾つか置家と渡りを付けておけば、おいらが後見人みたいな顔をして志保ちゃんをうまく売り込めるし…、志保ちゃんを見て「嫌」
という置屋の女将何ぞ居そうもねえから、後々おいらが志保ちゃんの旦那に収まるのにも都合が良かろう…」
正太は、八千代に京都の花街のことを話しながら、そんなことを考えていた。
「正太に自信があるんだったら、やって見たらいい…、お前さんが一本立ちしてやって行けるんだったら、ゴルフ場の一つや二つ、熨斗付けて譲ってやるよ…、志保ちゃんは
まだ子供だから、舞妓になりたい…と云ったって、本気かどうかも判らないし,当てにはならないが,実際に本気で舞妓になろうとするんだったら、お前さんが先に行っていて、
いい置屋の女将に渡りを付けてもらえればあの娘も楽だろう…、でも、正太、お前さん、これまでの行状を改めてもう少し身持ちを堅くしないと、花街じゃあ信用されないよ…」
八千代は、正太の本気度を確かめようとするように、苦言めいた言い方をした。
「そいつあ〜、おいらにもよく判ってるサ…、料理屋開いて一本立ちして定着するんだって…容易じゃああるめえ…、女出入りに現を抜かしてられる暇もねえかも知れねえ…
ぐらいのことはお見通しだよ、母さん…」
「そう云うことが分かって、覚悟ができてるんなら、何も言うことはない…、早速弁護士の佐々木さんに云って、取り敢えずゴルフ場二つを譲る手続きをしよう…、結構な額
の譲与税が掛かるはずだから、先に売ってから現金を譲る方がいいのかどうか…、佐々木さんにいい方法を考えてもらおう…」
バブルが弾けて、世の中の景気がはかばかしくない時節柄か、ゴルフ場を財産分与の形で正太に譲って、それを正太に売らせて正太が自立して料理屋をやって行く資金にする
という計画は、なかなか二人の思惑通りには行かなかった。そこで八千代は二の手の策を考えた。
それは、八千代の死んだ元の旦那の財津善三郎が、八千代名義で残して行ってくれた沢山の株式の内、優良株式以外のもので、石油ショックに続くバブルの弾けたおかげで、
経営が怪しくなってきていた会社の株式を売り払ってその金の半額を正太の開く料亭の筆頭株主として八千代が出資し、残りの半額をその運転資金として、月割りで無利子で融
続・青春の噴門
29
資して焦げ付かせるという方法だった。
もちろん、八千代にはそんな悪知恵が回るはずもなく、財津が南伊豆の鄙の地に不似合いな料亭金田中を八千代に持たせて経営させた頭初から、八千代の法律顧問として付け
てやった弁護士の佐々木秀一郎の「財津流」の法の網の目を潜り抜ける手法だった。財産分与などという面倒くさいやり方よりもその方が八千代にはよほどすっきりして見えた。
それに、八千代自身の金田中の経営方針と結びついているゴルフ場を人手に渡すよりは、ずっと都合が良かった。
また、事の序でに、八千代は、佐々木弁護士に頼んで、正太の手頃な料亭向けの物件の入手と、有限会社としての登録と開業までの一切の法的な手続きをしてもらった。
卯の女将染香の口利きで、宮川町に手頃な物件を紹介してもらう
いちう
痛めた我が子だし、正造の思惑を入れて八百膳での辛い板前修業に出したまま、母親らしい愛
正太は、なんだかんだ言っても、思い出深い正造との間の長男として自分の腹を
はなむけ
情で接してやれなかった…という負い目もあって、八千代は、正太の一本立ちの餞としてできるだけのことはしてやるつもりになっていた。
正太の京都の花街での自前の料亭の開業は、幸運に恵まれてとんとん拍子に進んだ。
それには、一面では正太の欠点でもあった女出入りの遍歴が逆に役に立った。
かつて出前料理を板長と一緒に引き受けたことがあって、曰く因縁のある予て昵懇の祇園のお茶屋兼置屋、一
ことができたのだ。
染香は、祇園の芸妓の頃には、東京からも出張のお座敷が掛かるほどの売れっ子で、舞妓時代から名妓の誉れが高く女っぷりの良い芸妓だった。
ひ か
井上流京舞や三味線、長唄の伎倆もさることながら、床上手の名器の持ち主としても数多の芸妓遊びの通人たちを痺れさせ、虜にしたことでもその道で誰知らぬ者もなかった。
板前修業の身ながら、女出入りの噂の高かった正太も「味見をされ」、「味見をし」てお互いの名前を記憶に刻み込んでもいた。
ひ か
籍されて、祇園のお茶屋「一卯」の女将に納まる一方で、付属する屋形で後輩の舞妓芸妓
そんな染香だったが、二十歳半ばを過ぎて早々と京都でも一二を争う富豪の旦那に落
の育成に余念が無かった。
かわべり
染香に紹介された物件は、吉井勇の「かにかくに…」の歌碑の近くの川縁にあった。それは、染香の妹芸妓だった豆香が、旦那に落籍されて小料理屋兼和風バーを経営してい
たのだったが、旦那が身罷って資金的な後押しがなくなったため店を手放して、何でも故郷の富山の温泉地に引っ込んで、適当な買い手を探していたという物件だった。
一卯の女将染香の引きで、正太の京花街での料亭の開業の準備は順調に進んだ。
そして、八坂神社や清水寺周辺の東山の稜線や、
嵐山、
佐々木弁護士の要領を得た法的な手続きと、
嵯峨野といった幽玄な雰囲気を醸す里が樹々の紅葉に彩られる頃、祇園に隣接する宮川町に正太の小さな料亭「しほ」が開業した。
八千代は、和香代と志津にお座敷を、哲太郎に調理場を任せて、何はともあれ開業祝いに佐々木弁護士と一緒に京に飛んで来た。門口の灯籠作りの表示灯の名前を見て、八千
代はすぐに正太の考えていることを直感した。
「そうか、正太の奴、女出入りの絶えなかった十五年の年月を経て、三十の坂を越えてあの幼気な少女の志保を見て本物の恋をしたんだな…、正太は本気なんだ…、志保を抱
き締めて生涯放さない気でいるようだ…、これで正太の女偏歴に幕が下りるか…」
そんなことを思いながら、八千代は正太の顔を見詰めた。
30
続・青春の噴門
ちょうじ
一通りの祝いの挨拶をして、八千代が全員にお祝儀をはずみ、正太の引きで一卯から舞妓芸妓を呼んで、「しほ」で祝儀の祝いをした後、八千代は、祇園の料亭「丁子」で初
めて自らがお客になってお座敷遊びを堪能した。見せる側としてお座敷に関わったのはもう半世紀も前の昔のこととはいえ、身に染みついたお座敷芸は八千代の能くする所だっ
だしもの
たが、東京と京都では、その文化の違いと同様に何から何まで、根本的に違って見えた。殊に京舞の「をどり」は、東京の歌舞伎踊りに似た動的な踊りに比べ、どこか能の仕舞
に似た静的な所作が強く印象に残った。
*******
「祇園の料亭のお座敷と同様に金田中のお座敷でも、このような伝統芸の文化的な演技物をお客に観せることによって、新たな客層を惹き付けられないか…」
「京舞」や三味線、鼓や長唄、小唄などの伝統芸を駆使して、客もてなしに精いっぱい真心込めて努めている若い芸妓や舞妓たちを見ていて、八千代は、そんなことを考えていた。
それから二年、哲太郎と冴子を驚かせるようなことが二つ起こった。
「 高 等 学 校 に は 進 ま ず に 京 都 に 行 っ て 祇 園 の 技 芸 学 校 に 通 っ て 舞 妓 に な り た い …」 と 云 い 出 し た こ と だ っ た。 冴 子 も 志 乃 も 目 を
その一つは、志保が中学校を卒業する直前に、
丸くして志保を見詰めた。
「何故舞妓になりたいんだい…」
哲太郎が訊いた。
「テレビで舞妓さんたちを観ていて、若い舞妓さんたちが日本の伝統芸能に打ち込んでいるのを知って、ただ素肌を曝してちやほやされているだけで、ゴシップ塗れになって
いる女優やタレントやモデルになるよりは、ずっといいと思ったの…、私と同い年ぐらいの舞妓さんでも、どこか一本芯が通ってて、素敵だな…と思ったの…、それでずう〜っ
と舞妓になりたいと思っていたら、修学旅行で京都に行って自由行動の時に祇園に行って、古めかしいお家から出てきた本物の舞妓さんに「どうしたら舞妓さんになれるの…」
って訊いたの…、そしたら、
「うちらの通うてる八坂女紅場学園…、いう所があるよってに、そこで詳しく聞きよし…、うちらも今お稽古にそこへ行くとこやよって、一緒に従
いて来たらええわ…」って云うから、一緒に行ってそこの人に聞いたの…」
「お屋形」いう舞妓さんの見習いを預かって、一人前の芸妓さんになるまで舞妓さんを育てているところがあって、そこのお母さんと呼ばれる女将さんの所に住み
「そしたら、
込んで、礼儀作法や花街の話し言葉なんか舞妓の基礎的なことを教わりながら、その学校に芸事の稽古に通って行ったり、お母さんに稽古を付けてもらったりしながら、芸事だ
けでなく、祇園の花街のしきたりや、心構えや、京言葉なんかを一通り身に着けさせてもらったり、お姉さん芸妓に従いてお座敷に出たりして、お客さんの前で芸事をお見せで
きるようにしてもらえる…」って、説明してくれたから、私でも舞妓になれると思ったのよ…」
なよなよしていて、頼りなげに見えるけれど、結構しっかりした考え方をして、それに従って目的を追求しようという行動力もついてきているのを見て、三人とも改めて志保
を見直した。
「そうか、芸事だったら、金田中の八千代おばさんの専門だ、哲也を歌舞伎の師匠の所に弟子入りする道を付けてくれたのも八千代おばさんだし、きっといい知恵を貸してく
れるよ…、ちょうど明日は金田中が休みだから、みんなで一緒に行って意見を聞いてみよう…」
続・青春の噴門
31
哲太郎が志保を抱き包むような表情と言葉遣いで云った。
「相変わらず哲太郎は人あしらいが上手だわ…、決して人の気持ちを傷つけない…」
冴子はそれを聞きながら思っていた。
翌日、朝早くから手石の磯に素潜りに出かけた藤太を除いて、四人揃ってぞろぞろ出掛けて来たのを見て、八千代は何事かと訝ったが、今や自分の孫も同然の志保のことだと
分かって、相好を崩して志保を抱き締めながら、みんなを部屋に招き入れた。
「志保ちゃんは、見かけによらずしっかりした考えもってるねエ〜、祇園の八坂女紅場学園なら、私も知ってるよ…、東京の花街の芸者衆の見習いの半玉や仕込みっ子には、
そんな学校はないけどねえ、京都に五つある花街には、どこもみんな自前の技芸学校を持って舞妓や芸妓を教育しているんだよ…、だから、右も左も分からなくて、「舞妓にな
りたい…」と思ってるだけの娘たちにも、どこに行けばその願いが叶えられるか分かるんだよ…、
道で出会った舞妓に連れられて志保ちゃんたちがその技芸学校に行って、解決の道筋を訊いたのは良かったんだ…」
「それにねえ、うちの正太が二年前に祇園のすぐ隣の宮川町に料亭を出したのを知ってるだろう…、
それも、志保ちゃんの希望を聞いたか、察したかして、そんなことが実際に志保ちゃんの口から言い出されたときには、何とか叶えてやろうと思っているらしい節もあるんだ
よ…、正太は、置屋の女将たちの何人かとも昵懇だし、第一正太の料亭の名前が「しほ」というのが臭い…と、開業祝いの時に行って私ゃあ思ってたんだ…、正太に頼めば、置
屋探しに苦労は要らなさそうだよ…、きっと二つ返事でいい女将を探してくれるよ…」
「それから、志保ちゃんが将来何になるか考えて、自分の姿貌から考えて、女優か、タレントか、モデルか、と思ったときに、どれも素肌をありったけ曝して人前でちやほや
されるのが嫌だ…と思って、その上で日本の伝統芸能に打ち込んでる舞妓や芸妓の方が自分に合って見えて素敵だと思ったのは、志保ちゃんの年ごろの女の子としては立派な見
識だと思うよ…、だから、志保ちゃんの希望を叶えてやるようにしたらどうかへ…」
八千代は、初めから結論は決まっている…と云わんばかりに、確信を持って云った。
調理一徹の哲太郎にしてみたら、芸事の世界のことは全く不調法、芸の世界では大先輩で、現に哲也を歌舞伎の女形として一流になれるように道を付けてもらったこともあって、
八千代のその一言で哲太郎も冴子も腹を決めた。冴子も志乃も初めから志保が芸事の世界に入ることを望んでいたので、志保の望みはすんなりと叶えられることになった。
志保は中学校を卒業すると、すぐに冴子と志乃と八千代に付き添われて、京都に行った。
「前に紹介してもらった一卯の女将の染香に志保ちゃんを引き受けてもらえるように頼んで、八坂女紅場学園に入る手助けもしてやるように…」
八千代が正太に予め電話で伝えておいたので、京都に着いてからの段取りにも滞りはなかった。。
二年ぶりに見る志保は、少女から大人の女に変わる代わり目の歳頃とて、また一段と正太の恋心が燃え立った。三人も瘤付きでやってきたので、正太は素知らぬ顔で四人を迎
えたが、内心では、もうすっかり本気で志保を自分の女にする気になっていた。
32
続・青春の噴門
正太に前もって話は聞かされてはいたが、染香は志保を一目見るなり大層気に入った。
二を争うええ舞妓はんにならはる…」
「修業次第で、祇園でも一、
染香は志保をじっと目を据えるように見詰めながら云った。
その現実を丸呑みして対処するしかなかった。
もとより、周り中のみんながそれを知って驚いた。世の仲の道のことは、当人同士だけが関わること…と、思っている八千代も哲太郎も、何も言うべき言葉ももたず、ただ
八千代と哲太郎を驚かせたもう一つの出来事は、和香代と藤太がいつの間にか女夫の関係になり、しかも秋になって和香代が妊っていることが分かったことだった。二人は
みょうと
*******
「志保の養育をよろしくお願いします…」
ようやく十五になる前の、年端もいかない娘を手元から手放してしまうのは、なんとも口惜しい気がせぬでもなかったが、冴子も志乃も、志保が芸人として大きく育ってくれ
ることを願い、私情を捨てて染香に志保の身柄を預けて、南伊豆に戻って行った。
翌年新春の祝いと同時に和香代と藤太の祝言を挙げた。和香代が金田中の跡取りということもあって、形の上では藤太が瀬川和香代の元に婿入りしたことにして、届けを出し
た。哲太郎の佐久の実家の大竹の家は弟の晋作が継いでいるので、哲太郎は、二人が大竹姓を名乗ることには特に拘らなかった。
い舞妓姿で、また哲也が、歌舞伎の藤娘の衣装を着けて、参列した。
祝言には、正太の他、志保が半だらりの帯を結んだ見し習
じゃく
そめや
」の舞いを披露した。二人は、予め稽古もせずに即興で舞ったのだが、紫雀の巧み
この披露宴の席で始めて、哲也と志保が、それぞれ紫雀と染弥の名で「二人藤娘」と「水き汲
っかけ
な誘導で、その優美な舞姿が観る者に大きな感動を与え、その後二人がしばしば共演する契機になった。
この年、真夏の暑い盛りに、和香代は、男と女の双子を産んだ。和香代が高齢出産ということで、母子の安全を図って、帝王切開による分娩だった。女の児の方が大きくて先
に取り出され、男の児の方が小さくて取り出されたのは後からだった。
八千代は古稀を過ぎて文字通り「おばあちゃんになれた…」と云って喜んだ。そればかりではなく、「女将と調理場の頭の跡継ぎが同時にできた…」ことも「幸運だった…」
といって、相好を崩した。
うことで、お七夜の祝いもせず、和香代の枕辺に身内四人だけが集まって、哲太郎に代わって八千代が二人の名付け親になっ
和香代が退院するまでには二、三ヶ月掛かるとてい
つふ み
た。八千代は、女の児に「ふじ」と、男の児に哲文と名付けた。
八千代は、古稀を三つ過ぎていたが、まだまだ活力と色香に溢れ、二月か三月に一度は、哲太郎の肌を求め、「女の苛々」を静めようとした。
実際、八千代は不思議な身体をしていた。気が昂ぶって来ると、相変わらず滴るほど多くの淫液を漏れ出させ、哲太郎の巨大な玉茎を迎え入れると、ふにゃふにゃとした火床
続・青春の噴門
33
壁の襞でそれを包み込むようにして揉みしだいて、哲太郎を快美の絶頂に上り詰めさせた。
「自分の雌型…」だと思っていた冴子の火床が近頃乾きがちで、哲太郎の巨摩羅を迎え入れることに苦痛を感じているらしく、抱き合って眠ることはあっても、
それは、曾て、
性を交えることは殆ど無くなっているのとは大きな違いだった。
てんたん
哲太郎自身は、相変わらず性欲旺盛だったが、だからといって、既に初老の域に達している二人の女以外に、性欲の捌け口を求めるようなこともせず、恬淡としていた。そう
云う哲太郎を見て、冴子よりもむしろ八千代の方が哲太郎を気に掛けていた。
「冴子はもう「女を上がっちゃった」みたいで、添い寝して素股で処理する以外に手はねえんだが…、たまに…にせよ、こうやって女将さんと情を交わして、若え時分と変ら
ずに気を遣らせてもらえるだけで「結構間に合ってる」んですよ…」
続編 了
哲太郎は屈託なく云って、八千代の尻を抱え込んで、身体中を撫で摩り、くちづけの雨を降らせるのだった。
34
続・青春の噴門
エピ ロ ー グ
として弟子入りした志保は、約一年後に染弥の名で舞妓として見世出しし、本格的に祇園の花街にデビューした。
中学を卒業して祇園の屋形「一卯」の染香の下に「仕込み子」
すがたかたち
志保は、その時すでに、その持って生まれた嫋かでしなやかな姿皃と鴬のような声で、多くの客の注目を浴びていた。「好きこそものの上手なれ」の喩え通り、自ら積極的にな
りたいと思って目指した技芸の道とあって、志保の打ち込みようは一方ならず、感の良さも手伝って教わる諸芸に日進月歩の才を発揮し出した。とりわけ京舞では、しなやかな
肢体と相まって舞妓仲間で群を抜いて上達していき、師匠の染香はもとより井上流家元の五世井上八千代師の寵愛も受け、稽古での気の入れようもひとしおだった。多くの贔屓
客が付き、しばしば付けられる『お花』の数で同じ屋形ので姉さん舞妓を出し抜くことさえあった。
正太は、志保の贔屓ではことさら表立った行動は取らなかった。それというのも、京都に小料理屋を出すに当たって、昔なじみの染香に何やかや手数を煩わしているうちに、
昔なじみの間柄とて、自然に焼きぼっ杭に火がついて、互いに気が昂ぶれば、大人同士の囚われのない世の仲の付き合いを楽しんでいたからだった。だが、それはそれとして、
正太は、折に触れて陰でしっかり志保の心を抱き留めて自分につなぎ止めることは怠らなかった。
舞妓のデビュー「見世出し」から二年後、十七歳の年に、志保は、幾人かの贔屓の旦那衆によって共同で水揚げされた。その中には、当然のようにして正太がいた。その正太
は志保にとって最初の男だった。結局五人の旦那衆に水揚げされたその三年後の秋に、志保は、その旦那衆の共同の後ろ盾を得て襟替えをして一本の芸妓として独立、それから
更なる精進をして、華々しい技芸活動の道を進んでいった。それから三年後、二十四歳になった年に、染弥は、一卯の女将染香の名取り名、井上染香を襲名し、二世井上染香と
して、押しも押されもしない井上流京舞の名取り芸妓の列に連なり、さらに舞いの精進をすると共に、その活動の幅を広げていった。とりわけ大阪、名古屋、東京などへの出張
おやま
のお座敷や舞台出演の声掛かりが増えた。
形、中村紫雀とコンビを組んだ舞いが大いに評判を取り、テレビ全盛時代とて、多くの青少年のフアンを惹き付けていった。
舞台では、実兄の歌舞伎の若手女
それから更に五年、志保と正太は、それぞれの道で努力を重ねる一方で、世の仲の道では、水揚げ以来着かず離れずの関係を続けた。その間に志保は、恋多き女になり、正太
以外の他の旦那衆との関係も切れず、更に若手の歌舞伎役者や映画俳優たちともそれぞれ束の間の浮き名を流し、その度に相手の男から多くのことを吸収し、女として、芸妓と
して一周りずつ成長していった。正太は、そんな志保の恋の遍歴を見て見ぬふりをして、それでもなお心底惚れ抜いた女として、がっちりと志保の心をつなぎ止めていた。それ
には、正太の若い時分の女遍歴から得た世の仲の道の奥義と、性愛の機微を知る心と女あしらいの優しさが役立っていた。
この間に、南伊豆では、志乃が九十歳で永眠した他は、皆が活動的に歳を重ねて居た。
が、歌舞伎の同門、中村時蔵の二女の美和と「出来ちゃった」結婚をし、紫雀に心酔していた少年少女フアンを落胆させたが、生れたときの哲也にそっくりの
東京では、哲也
かおかたち
嫋か気で綺麗な顔皃の長男哲和が半年後に生れ、その二年後に初舞台を踏んだことが報道されると、一人立して舞台に立つ日を期待して、また少年少女フアンの関心が哲和の方
に靡いて、騒ぎが加熱した。
続・青春の噴門
35
志保が二十五歳になった年に、正太は、再び八千代から融資を受けて、舞鶴や小浜、果ては塩釜や南伊豆の石廊崎などの産地直送の鮮魚・活魚を使った大きな江戸前の高級海
ひ か せ
鮮料理屋を祇園で開いた。それを契機に、染弥を落籍せて、元の宮川町の料理屋跡に居を構えて所帯を持ち、同時に志保に、そこで二世井上染香の看板を掲げさせて、京舞の師
匠となって芸道を究めながら後輩の指導に当たらせた。
染弥の引き祝いは、正太が精いっぱいの贅を張って、華やかで豪勢なものだった。その祝いの後には正太と志保の祝言の宴が当てられ、南伊豆から、哲太郎と冴子に、大女将
の八千代が駆けつけたのは当然だった。
それから二年後の秋に、志保は二十七歳で、正太四十五歳との間の長女を産んだ。志保は、舞いの習得と研鑽の過程で世話になり、技芸の道で心酔している師匠でもある一卯
の女将染香の名前から一字を貰って、長女に「香り」と名付けた。この時、八千代は八十五歳、哲太郎は古希を迎え、冴子は六十九歳になっていたが、いずれもかくしゃくとし
て、自らの生活に勤しんでいて、三人そろって大喜びして二人の間の子供の誕生を祝いに駆けつけた。
完
36
続・青春の噴門
作者後書き
この「青春の噴門」の続編は、本編と共に十年以上も前に書かれたものだが、本編の後書きにも書いたように、その後コンピュータの故障
によりハードディスクから読み出せなくなってしまった経緯がある。
尤も、本編そのものもまだ社会的環境もITの環境も十分整えられていない時期に書かれ、実際に作者のホームページで公開できるように
なったのは他の一連の「艶本」と共に二〇〇九年の二月のことだった。
その間に、記憶に残る続編の筋書きを思い起こしつつ、何度も書き替え、また何度も中断しながら、なかなかひとつにまとまらずに、四年
半ほどの時間が過ぎてしまい、結局、細かな筋書きと物語の展開を続けるのを諦め、このような短編のような、「急ぎ足の」物語にすることに
落ち着いた。
この続編の物語には、実在の人物や施設名と類似の名前が出てくるが、この物語自体が、本編と共にあくまでも仮想の物語であり、これら
の名称は単に仮借した名称であって、その当の人物や施設の真実とはなんの関係もないことをお断りしておく。
この物語の終盤で、主人公の娘が自らの意思で京都祇園の舞妓になる下りが出てくる。これは、ちょうど二〇〇〇年に入った頃から、京都
の花街以外の地方の町で育った娘たちの中に、テレビなどの放映で観た舞妓たちの姿と心意気に魅せられて、少しずつそのような娘たちが現
れてきたことを反映する。
筆者の記憶では、まさに丁度その頃、インターネット上で初めて京都の花街の一つ上七軒町のお茶屋・市のホームページが公開され、その
中で市まめさんと云う新米舞妓さんのブログが載せられてネット上で一つのニュースとして報道された。ツイッターやフェースブックはもと
より、2チャンネルなども普及していない時期のことで、筆者自身もホームページの公開を模索中だったが、まだまだその実現には遠い頃の
ことだった。
筆者は、市まめさんのブログの公開と云う発想が面白かったので、その後しばらくフォローしていたが、舞妓の仕事の方が忙しすぎるのか、
ブログの更新の頻度が減り、やがてそのブログはなくなり、現在では「市」のホームページも既に二年ぐらい更新されなくなっている。
その後京都の花街を取り巻く事情も変わり、京の花街の中の屋形で生まれ育ったり、養子縁組したりして、幼いときから舞妓として仕込ま
れる生粋の舞妓さんがほとんどいなくなり、地方から舞妓志願をしてきて仕込みっ子として舞妓に育てられ、芸妓になっていくこのようなケ
ースが主流になってきた。
彼女たちの活動の場も京都の花街の中だけにとどまらず、他の都市からの招聘を受けて、出張公演を行うように、活動形態も変わってきて
もいる。
この物語では、単にこのような潮流を反映させて、物語の中で話を展開させたわけだが、九十を超えて京都祇園の今も現役の芸妓三宅こま
めさんや元芸妓の岩崎峰子さんなどの自伝風の作品その他の京都の花街での芸妓舞妓の実態を記述した作品をいくつか参照させていただいた
だけで、筆者が京都の花街の実情に詳しいわけでもなく、また今どきの京の舞妓、芸妓の生活をドキュメンタリー風に追ったり、虚構の物語
を書いたりすることには興が湧かないため、さらりと筋を展開させるだけにとどめた。
現実の生活を生き写しにすることはドキュメンタリー作家のすることであり、「平成の戯作者」をもって自認する筆者の手掛けるべきことで
はないと思うからである。
平成二十四年壬辰
初稿
平成二十三年辛卯 文月晦日
長月晦日
改訂二版公開
英 紅炎
表明
この作品は、パーソナルコンピュータ上で日本語ワードプロセッサーを使用して書かれ、Adobe Acrobat*1 を使用して電子的に PDF(Portable
Document Format) ファイル形式 *2 で編集され、インターネット上で公開することを意図した創作物です。従って、PDF ファイルとして編集されたこの
作品は、広い意味で、一種のソフトウエアと考えられます。
この物語をインターネット上でお読みになるには、お手許のパーソナルコンピュータに Adobe Acrobat Reader*3 が搭載されている必要があります。
この作品のインターネット上での公開に至るまでには、著述、推敲、校正、編集構成 / 校正など、多段階に亙る長い時間と労力と、費用がかけられています。
従って、作品の出来不出来の如何によらず、そのことを念頭に置いてお読みください。
なお、この物語をお読みになるに当たっては、以下の事項がご承認頂けていることをご確認ください。
○
先ず初めに、
この物語は、
現実の事象とは如何なる関係もなく、
単に作者の想像の中で生まれた純然たる創作であり、
その意味で全くの「絵空事」
であるということ。従って、現実に実在した ( あるいは実在する ) 人物または施設に類似する名称等があるとしても、それとは一切関係がな
く、時代背景や地名なども単に物語の背景として仮借されているに過ぎないということ。
○
次ぎに、この物語の中では、現在の一般的に承知されている習俗や習慣と相容れない習俗や習慣が描かれている場合がありますが、何れも十
分研究されていないにしても、史実として我が国の社会の中に現実として有った ( または行われていた − 作者は、今なお残渣として行われ
ていると疑っていますが ) ことであるということ。
○
冒頭で述べた理由で、
この物語は有償で ( ソフトウエアの利用料を支払って )「講読」していただくことを意図していますのでご承認ください。
但し、インターネット上で読むことの出来るダイジェストはその限りではありません。
「希望購読料」は、物語の巻末の「奥付」で表明され
ています ( 何れも些少です )。その支払い方法は、別途ホームページ上の案内に従って下さい。
○
この物語の「講読」に当たっては、次の事項をお守り頂くことをご承認ください。
a)
性の道徳主義者のアクセスをお断りします。
b)
筆者の事前の承諾なしに、何らかの手段で勝手にファイルをダウンロードしないこと。
「講読」希望の際には、ホームページ上の
物語は、児童福祉法が適用されない年齢層が対象であるということ、つまり「二十禁」であるということ。対象外の人、および
案内に従ってお支払いの上ダウンロードして頂くこと。
c)
この物語の「講読」に際して、一つの物語につき利用できるのは、一台のコンピュータシステムに限られるということ、従って、
許可なくファイルを複製して同時に複数のコンピュータシステムで利用したり、第三者に頒布したりしてはならないことをご承
認頂くこと。
d)
この物語の (PDF ファイルの様態を含め ) 如何なる内容も改竄してはならず、また個人の非営利的な作品 / 執筆物の中での引用を
除き ( この場合も事前に引用箇所をご通知ください )、如何なる方法でも、複写、複製、引用等に利用してはならないことをご承
認頂くこと。
e)
著者は、
この物語の
「講読」
に際してお手許のコンピュータシステムのハードウエアおよび / またはソフトウエア、
あるいはインター
ネット上のシステムによって引き起こされる可能性のある一切の不具合または物理的な損害に対して責任を負うものではなく ( 無
害免責条件 )、筆者が責任を負うのは、あくまでも物語の筋と内容、構成、乱 / 落丁などに限られるということをご承認頂くこと。
f )
悪意のある、為にする批判、誹謗、中傷、非難キャンペーンなどに類いする一切の行為を行わないことをご承認頂くこと。
但し、筆者は、善意の温かいご批判やご指摘は、今後の改訂のために傾聴することは吝かでなく、大いに歓迎します。
この物語の著作権に関わる全権利は、作者の英紅炎が保有します。
初版 2008 年 8 月 1 日
2012 年 10 月 30 日 改訂
コーエン イー ブックス (Cohen eBooks)
英 紅炎
注 )*1,*2,*3 のソフトウエアは、何れも Adobe Corporation が知的財産権を保有する製品、登録商標またはプログラムシステムの名称です。
英紅炎(はなふさこうえん、Ei Kohen/Ei Cohe とも呼ぶ)はこの物語の著作権保持者の名称で、それ自体が商標(無登録)です。
コーエン イー ブックス (Cohen eBooks) は、英 紅炎の Web 上で公開される著作の発行主体の対外的に使われる呼称です。何れもこの名称を流用する
ことを禁じます。
えほん
著者 表紙作画
PDF編集 発行者 電子版発行 初版 改定二版Web公開 英 紅炎
淫斎白繚
)
アドビー イラストレータ CS3で描画
神田 拓
コーエン・イー・ブックス
〒二〇ニー〇〇〇二 東京都西東京市ひばりが丘北四ー五ーニ四
神田 拓
平成二十四年三月十五日
平成二十四年十月三十日
WebSite :
http://eikohen.com
艶本 青春の噴門 −
続編 改定二版 希望購読価格 二百円 税
(込
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何人も、その正規に表明された許諾なく作品の全部または一部をエ営
利目的で流用してはなりません。
右 表明す
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