11 月 27 日に、内藤廣先生の記念講演を聞きました。 すでに、かなり時間がたちましたが、先日、聴講する機会にめぐまれまし た内藤廣先生の講演会について、考えさせられたことなど・・ いまだに、次のふたつの点について、刻まれた感がしているので、自分で いうのもなんですが、私個人に、インパクトのあるものだったと、思ってい ます。 まず、ひとつめ。 それは、東日本大震災の復興についてです。 大規模なかさ上げ事業を、写真を提示しながら、説明されました。これま で、あまり、考えたことがなかったのですが、内藤先生の問題提起は、「今 後、東南海・南海地震が発生し、津波被害が起こった場合、同じように、こ うした大規模なかさ上げ事業をするのか? 準備するだけで、100 億円かかり ました、というような大きな予算が、東日本大震災よりも被害エリアが大き くなるようなことが予想される中で、同じスタンダードの復旧工事ができる のか」という趣旨のものでした。内藤先生の予測では、「そんなに大きな負 担が発生すれば、それは、財政として成り立たない」というような趣旨の予 測をおっしゃっていました。その点について、あまり、考えたことがなかっ たので、非常に、驚きましたのと、確かに、東南海・南海の地震に備えた復 興イメージの構築の中で、そうした考え方を入れていかないといけないのだ、 と、意識した次第です。その答えのひとつに、内藤先生は、「土木的解決だ けではなく、建築的な解決のほうが、より低価格でできる場合もある。例え ば、低層部のつくり方など。」といった趣旨の発言をされておりまして、そ うしたことを、考えていく必要があるのだ、という提案でした。これを踏ま えまして、今後、復興にかけられている現在の工法、別の道がないのか、と いう視点をもった研究も必要であると実感しました。 ふたつめは、「成熟しない建築」ということで、渋谷の例をあげて説明さ れていました。 看板だらけで、派手なんだけど、もし、看板をはずしたら、ほんとうに、 たいしたことのない建築物がたっているハチ公前を取り囲む環境が、そうは いっても、あの、乱れた状況が、渋谷の活力につながっているんだし、それ が、成熟したというか、落ち着いた建物が並び、シックな空間になってしま ったら、それは、若者と呼応する渋谷という空間がだめになる、という趣旨 のものでした。人というものの活動があって、その活動と建物や空間の作ら れ方というものは、きってもきれないもので、建築家が考えるシックで、成 熟したような、落ち着いた、かっこいい建物だけが、常に正解、というもの ではないんだ、ということを、主張されていました。 これも、考えさせられることがありました。それは、私の大好きな街、秋 葉原です。秋葉原でも、ビルの建て替えがすすみ、特に、中央通りぞいなど、 まさに、成熟した建物が増えている感じです。でも、それだけだと、秋葉原 ではない気がしていました。まだまだ、裏通りにいくと、秋葉原らしい活気、 街並み、雑多な感じが残っているものの、今後、そうした部分も、圧縮され ていくのではないか、と心配になります。かわってほしくない、「らしさ」 をよく理解して、一方的な建築の価値観を押し付けてはいけない、という警 鐘を、内藤先生は、発しているのかな、と思い、実に、これも、深いテーマ だと、思った次第です。
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