ビルクリーニング - 双葉メンテナンス工業

巻頭エッセイ
明日のビルクリーニングに思う
「一人ひとりが主役になろう」
経営理念に込めた思い
双葉メンテナンス工業株式会社 代表取締役社長
山下 耕平
ビルメンテナンスに深い愛着を抱き、明日の発展を願って業界や企業を導くリーダーが、将来のあるべき姿、そのビジョンを語る。
商品は人そのもの、自らを磨け
り、どうしようかというときに父に声を掛けられて
弊社の創業は、昭和34年12月、私の祖父である
この業界に入りました。
山下六郎が生家のある祇園祭の鉾町、四条烏丸の地
この業界に入ってはじめに感じたのは、一度契約
で双葉ビルクリーナー㈱を発足したことに始まりま
が決まれば毎月決まったお金をお客様から振り込ん
す。もともと家業は京都の伝統産業である西陣の織
でいただける、なんて安定した商売だろうというこ
物屋で、帯の製造を行っていましたが、祖父は六男
とでした。販売代行業は毎日売ってなんぼで、皆の
ということもあり、いわゆる暖簾分けも難しく、復
給料が稼げるかどうか、明日はどうなるかわかりま
員後、進駐軍の接収したビルの管理を任されたこと
せん。しかし、このビルメンテナンスという仕事
を契機に創業しました。
は、洋服のように一つのモノを売って終わりではな
自転車にリヤカーをくくりつけ、ワックスとモッ
く、生涯お客様の関係性を深めていくということ、
プを積み、映画館の定期清掃の仕事から始まって、
お客様との約束を果たしつづけていくことが求めら
以降、地元企業にご愛顧いただき、私が生まれた昭
れます。
和50年には社名を現在の双葉メンテナンス工業㈱
さらに、提供する商品が人そのものであり、お客
に変更し、また、52年には滋賀地区を分離独立さ
様の会社や事業所で過ごすスタッフ一人ひとりの言
せて、滋賀双葉ビル整備㈱を設立しました。その翌
葉や態度、表情、しぐさなどすべてがお客様に提供
年の53年、祖父の急逝に伴い、現会長である父が
する商品であることを理解したとき、この仕事は、
20年間の商社勤務を辞めて社長に就任し、それか
仕事というより、自身の考え方や生き方を定め、磨
ら28年を経た平成19年、父が65歳となったことを
いていくことであると考えるようになりました。
節目に、私が社長業のバトンを受け継ぎました。
当初、まったく跡を継ぐ気がなかった(笑)私
2
らったのですが、3年で百貨店からの撤退が決ま
「主役」の意味を共有するために
は、大学卒業後アパレルメーカーに勤務し、百貨店
31歳の若輩で(いまも変わらずですが)社長を
やファッションビルで好きな洋服の販売の仕事をし
交代した私は、大勢の社員にあらためて会社の考え
ていました。2年後、会社に不満を抱き、メーカー
方を伝える必要がありました。弊社の社是は、すで
から販売専門の販売代行業という形で独立させても
に先代が創ったものがありましたが、自分の言葉で
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伝えたいという思いから、父の思いは受け継いだう
えで新たにすることを決めました。
人を知り、人を幸せにできる仕事
その理由は2つあり、1つは旧来の社是は言葉の
幸い、多くのご縁に恵まれ、経営者の集う会や青
意味が難しく、社員がいまひとつ距離感を持って感
年会議所、JBQの先輩やメンバーからたくさんの
じていたことでした。もう1つは、社長交代の前
ことを教えていただき、同じ経営者の先輩、仲間た
年、同い年で高校時代はサッカー部キャプテンを務
ちに相談しながら少しでも良い会社にしたい、人の
め、誰より屈強な体を持っていた友人がガンで逝去
役に立てる社員、人間を育みたいと奮闘中です。
し、それから立て続けに2歳下の親戚、創業時から
どのような経営、経営者が正しいのかはわかりま
お世話になりこの業界や仕事を教えてもらった協力
せんが、私の信条として、機会があれば「なんでも
会社の社長に同じくガンがみつかり、あっという間
喜んで」の精神で、任されたことは身の丈に合わな
に息を引き取るということが重なりました。身近な
いかなと思うことでもやってみる、引き受けてみる
人が亡くなり、それまで他人事だった死というもの
ことにしています。自ら大きな責任を引き受けるこ
を現実に感じました。当然のことですが、命は有限
とが成長に繋がると思いますし、自分が社訓を掲げ
であり、自分の1日の時間で最も多くを占めるのが
たのですからやらないと嘘になります。この会社に
働いている時間なら、その時間にこそやりがいや生
入ったことを契機に、ずいぶん自分の性格が変わっ
きがいがなくてはと強く思うようになりました。
てきたように思います。
たった一度きりの人生、誰かの脇役ではなく自分
最近では、人の意識、無意識を知る探求と、メン
の人生を主役として生きよう。自身も、また、とも
タルヘルスチェック義務化の背景から1年半かけて
に働く社員も――と考え、
「一人ひとりが主役にな
NLP(神経言語プログラミング)のマスタープラ
ろう」を経営理念としました。
クティショナーという資格を取りました。またカウ
ここでの「主役」とはどのような意味かを伝える
ンセリングの技術を、現場主任やスタッフとともに
ことに工夫しています。まずはその言葉に触れる回
勉強しています。ビルメン業界を含むサービス業界
数を増やし、入社式はもちろん、従事者研修、朝
は、お客様の求めるもの、なんとなく心地よい、安
礼、主任や責任者が集まる会議、すべての研修をと
心するといった深層心理の洞察力や見えないものを
おして言葉に馴染んでもらいます。それから、本来
見ようとする努力を要する仕事であると思います。
の言葉の持つ意味について、さまざまなスライドや
そのような意味で、人を知り、人を幸せにできる
写真を見せたり、自分の琴線に触れたエピソード
仕事ですから、各社が独自のお客様や社員に対する
や、会社で創った経営理念の動画を用いたりしなが
考え方や理想を追求し、愚直に実践していくこと
ら伝えていきます。
「主役になる」というと、自分
で、この業界が世間に一目置かれ、尊敬されるよう
中心に好き勝手に行動することと誤解されがちです
になればと思います。弊社はまだまだ発展途上で課
が、自分にこうしたい、こうなりたいという強い理
題もたくさんありますが、京都の小さな企業から
由があり、それができることを「自由」といい、単
「一人ひとりが主役になろう」を理念に実践してま
なる自分の好き勝手は「欲」だそうです。抽象的な
いります。
ものだからこそ、会社の大きな目的、経営理念の説
明は時間をかけてこだわって自ら担当しています。
また、経営理念が浸透するよう日常業務以外に毎
年単年度でチームを創り、永年勤続表彰式・ふたば
アワードを中心に、お客様との交流ソフトボールや
レクリエーションなど、社員がリフレッシュしたり
称えあえるよう、「成長・貢献・感謝」の社訓実践
を目的に、社内で企画を練ってもらっています。
P r o f i l e ● やました こうへい
1975年7月京都生まれ。小学校からクラ
ブチーム紫光クラブでサッカーを始め、小
中学校で全国大会出場、大学時代は監督兼
キャプテンを兼務。卒業後、アパレル会社
勤務を経て、販売代行会社を起こし、独立。
2002年双葉メンナンス工業入社。2007
年代表取締役社長就任。社訓である「成
長・貢献・感謝」を日々実践中。
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