食いしん坊の国際関係論

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食いしん坊の国際関係論
‐ 国際人は胃袋が強い? ‐
和田昌親(わだ・まさみ、S 昭 46)
略歴:1971 年 3 月東京
外国語大学スペイン語科
卒。同年日本経済新聞社
に入社。国際報道部門に
長く在籍。ブラジル、欧
米駐在などを経て日経常
務取締役を務める。著書
に「ブラジルの流儀」
(中
公新書)
、
「逆さまの地球
儀
複眼思考の旅」(日
経出版社)
、
「蒼天に生きる 新生モンゴルの素顔」
(日
経新聞社)など。2010 年から日経HR社長。
生来の食いしん坊のようである。食えないもの
はまずない。幕の内弁当や何とか御膳のどれから
先に食べるかの順番はあっても、嫌いなものはな
い。何でも食べさせた親に感謝すべきか、単に食
い意地が張っていたのか、それはわからない。娘
たちから「エーッ、それは無理!」と嫌われるが、
イルカの食習慣のある小田原に生まれたことと関
係があるのか、などと考えてみたりする。
世界中行く先々で土地のものを好んで食べた。
日本企業の海外駐在員はそれぞれの国・地域で
様々な料理を食べているはずだが、食べ物への好
奇心の無い人、食の細い人にとっては難行苦行と
なる。しかし私はそうではなかった。郷に入って
は郷に従えなどと言われなくても、自然にそうし
ていた。
新聞記者を志したきっかけも食い物だった。高
校生になったころ、朝日新聞の本多勝一記者によ
る連載ルポ「カナダ・エスキモー」が始まった。
本多記者はエスキモー(イヌイット)が捕獲する
動物カリブーやアザラシなどを彼らと同じように
生で食べる。味、食べ方まで生々しい。こんな記
事が書ける記者になりたいと思った。
狙い通り新聞記者(ただし朝日ではなく日経)
になり、サンパウロ特派員、ニューヨーク編集デ
スク、欧州総局長(ロンドン)と、3カ所に延べ
4回駐在した。国際記者の端くれだが、スペイン
語科卒の遠い記憶がどこに行ってもラテンへの磁
力となった。とりわけラテンアメリカには一宿“一
飯”の恩義があるので、いつもそちらの話を優先し
てしまう。
日本には、食に関する雑学屋、にわか食通がワ
ンサカといる。そういう人たちとグルメぶりを競
って世界の観光案内をするつもりはない。タレン
トを使った絶賛型の「世界食べある記」に至って
は真偽自体があやしい。
そうではなくて「舌より頭」が刺激される媚薬
のような食の楽しみを大声で訴えたいのだ。その
至福の領域に入り込むと、舌感覚の何十倍もの満
足感が得られる。ちょっと短絡かもしれないが、
これだけは言える。土地の食い物を知るとその国
や人の理解が相当楽になる。
ここは大上段に振りかぶって「食いしん坊の国
際関係論」といきたい。東京外語大は 2012 年か
ら言語文化学部と国際社会学部に分ける構想を描
いている。だったら、こんな地球“丸かじり”の講
座があったっていい。
アンデス原産が世界に伝播
ペルーのアンデス高原でコロンブス以前の「プ
レ・インカ」の食べ物に思いを馳せてみる。ジャ
ガイモのルーツはアンデスにある。今でも大小色
とりどりの不揃いのジャガイモが山岳地帯で採れ
る。味はおおむね「濃い」ように思う。
その原種のようなジャガイモの中で最も栄養
価の高い種類を米航空宇宙局(NASA)が宇宙食
に採用したという。コロンブス以前の世界の食ま
で調査した米国当局もイキなことをする。そうい
えば同じ中南米原産のトウモロコシもアンデスに
はさまざまな色、形がある。チチャという“地ビー
ル”はインカ時代からこれでつくっている。
よく話題になるのがジャガイモが欧州に伝わ
らなかったらドイツ人は何を食べていたか。16 世
紀に中南米原産のトマトが伝わるまで、イタリア
ではどんなパスタを食べていたのか。コロンブス
の新大陸到達は確かに世界史を変えたが、先住者
のインディオを蹴散らし、略奪の限りを尽くした
「負の側面」がある一方で、人類に食料増産とい
う「貢献」を果たす意味はあった。
テレビの旅行番組が好きそうな話を少しだけ
すると、今のラテンアメリカには珍獣、珍魚の類
がいっぱいいる。ピラニア、ワニ、ピンタード(大
ナマズ)
、ピラルクー(アマゾンの大魚)
、ドラド
(サケに似た大魚)
、アルマジロ――。みんな食べ
たが、味は人様にお勧めするほどではない。ただ
し、絶品の魚をお教えすると、ボリビア・チチカ
カ湖で獲れた川マスの塩焼きとペルーのセビッチ
ェ(魚のレモンじめ)
。ほとんど豆とイモだけのア
ンデス取材旅行の中で一服の清涼剤だった。
チリの養殖サケから魚類の不思議な性質を知
った。南半球には天然のサケは存在しない。稚魚
を放流してもサケは川に帰ってこない。水産会社
の専門家によると
「サケには北半球をめざすDNA
が埋め込まれており、赤道を越えようとしてみん
な死滅する」そうだ。北半球と南半球では魚類の
生態系がはっきり異なる。人間も似たようなもの
で、赤道を境に「北は寒い」から「南は寒い」と
いう正反対の地理感覚に変わる。
さて、欧米人の肉への異常な執着は何だろう。
「なぜ鯨を食べるのが野蛮で、牛を食べるのがス
マートなのか」といった根源的な疑問をハナっか
ら受け付けようとしない。だからシー・シェパー
ドのような反捕鯨テロリスト集団が日本の捕鯨船
に攻撃をしかけても欧米人は黙認する。
BSE(狂牛病)があろうがなかろうが巨大ステ
ーキを平らげる米国人には圧倒される。BSE 発生
時、ニューヨーク・タイムズ紙は 1 面ではなく、
中のほうの目立たない場所に小さくニュースを載
せただけだった。確かに米国産やアルゼンチン産
牛肉は柔らかい赤身で味も極上だ。
「肉が主食」
の
ような国では BSE や口蹄疫はほとんど無視され
る。
ロンドンの料理がうまくなった
政治が食を変えた典型例がロンドンだ。21 世紀
に入り、欧州統合が進み、ヒト、モノ、カネが自
由に、大量に国境を越えた。イタリアやフランス
のシェフが需要の多い英国に出店、まずいと言わ
れたロンドンの料理を劇的に変えた。
英国産シーフードなどを使ってフランス料理
風に仕上げる「ニュー・ブリティッシュ」が増え、
ミシュランの星付き店も多い。イタリア料理の層
も厚い。英国が誇るローストビーフの老舗シンプ
ソンなどは全くインパクトがなく、これでは新興
勢力にやられる。もう唯我独尊や孤立主義はダメ
だ。
「世界一のグルメ大国」などとフランスは偉そ
うにしているが、この国も国境の壁が低くなった
欧州統合の恩恵を受けている。野鳥料理の珍味ラ
イチョウはスコットランドから、フォアグラもハ
ンガリーからの輸入品が多いそうだ。(ライチョ
ウは日本では天然記念物だが、あちらは養殖もの
でクセが強い)
。
世界を旅していると、食えない人たちがいっぱ
いいることもわかる。東西冷戦真っ盛りの 70 年
代後半に中国南部に極秘裏に入ったことがある。
硬い水牛に、野菜が少し、穀類は味がないし、麺
はぼろぼろで粉くさい。
あの貧しかった国の 13 億人が立派な食料を摂
取し始めたらしい。そうなると世界の食料不足が
心配になる。地球人口はすでに 70 億人、50 年に
は 90 億人を超す。最近貴重な食料である大豆や
トウモロコシでバイオ燃料をつくる国が増えてい
るが、暴挙としか言いようがない。
肉食系(狩猟)が衰え、草食系(農業栽培)が
増えてきたのが人類の食材調達の歴史。人類を救
うのは農業しかない。ブラジルは灌漑農法を成功
させた実績があるが、その方法を日本と共同でア
フリカのモザンビークに移植しようとしている。
こんな形でアフリカの食料自給が可能になったら、
奇跡に近い。
突然、理屈っぽい話になってしまったが、食い
物という「軸」があると、話題は際限なく広がっ
ていく。だから食の話はおもしろい。
新聞社には「ゲンコウ(原稿)よりケンコウ(健
康)
」という自戒を込めた教えがあるが、世界を知
るなら「原稿より胃袋」だ。でも、世界を食い散
らかした“ツケ”が回ってきたのか、私の消化器は
ひどく傷んでいるらしい。