何のために

何のために
夏休みに中村文昭さんという方に出会いました。
この方は、三重県でウェディングレストラン「ク
ロフネ」を経営されている方で、本もいくつも書
かれています。
(代表作「お金でなく人のご縁でで
っかく生きろ!」サンマーク出版)レストラン経
営されている傍ら、全国を飛び回り講演活動を行
ったり、
「耕せニッポンプロジェクト」という全国
のひきこもりやニートの若者達を集めて北海道な
どで農作業活動を行ったりしています。今回直に
お会いして、ものすごい情熱を感じ、またそのお
話に感銘を受けました。そこで、その中村さんご
自身のエピソードを、私が知っているものから3つ紹介したいと思います。
中村文昭さんは三重県宮川村というかなり奥深い山中のご出身だそうで
す。そして、高校を卒業してすぐに東京へ出てきますが、普通なら東京へ出
てくるにあって「大学進学するから」とか「この仕事に就くから」とか何ら
かの理由があって出てくるはずです。理由がそこまではっきりしていなくと
もせめて「こんな夢を叶えたい」なんて思って出てくるでしょう。でも、中
村さんは「なにも夢とかやりたいという事がないけど東京に行って探せばい
いや」と家出同然で親を押し切り、先に東京に出て就職していた兄を頼って
東京へ出ます。
東京へ出てからは、昼間は道路工事などのアルバイトをし、夜は行きつけ
の焼き鳥屋さんで夕ご飯を食べて過ごすという決まったパターンの生活に
なっていました。「お金も貯まらないし、こんな生活で一生が終わるのか」
と思ったそうです。
ある日の夜、その行きつけの焼き鳥屋さんで田端俊久さんという人に出会
います。この出会いが中村さんの人生において大きな意味を持つものになり
ました。その焼き鳥屋さんで、田端さんに「何の目的があって、そんな三重
の山奥から出てきたのか?」と聞かれます。もともと目的が無く出てきた中
村さんですから「これから探すんです」なんて答えます。「じゃあ、今のア
ルバイトは何のためにしてるの?」「何もしなかったら食べていけないか
ら・・・」「じゃあ、食べていくために働いているんだね。で、これからも
その仕事続けるの?」「今のままじゃ情けないから、もっとお金の稼げるき
ちんとした仕事に就きたいです」そんな会話が続いた後、田端さんが重大な
質問をします。
「きちんとした仕事についてお金がいっぱい稼げたとしたら、
そのお金を何のために使うつもり?」「それはもう欲しい物をたくさん買い
ますよ。服とかバックとか。」
「それを買ってもお金はまだ余る程あるよ。他
には何のために使う?」「テレビとか車とか・・・、アパート借りて兄のと
ころから出て1人暮らしもしたいし・・・」「お金がいっぱいあるんだから
車も最高級のベンツ、家だってアパートなんて言わないで超高層マンション
の最上階を買えばいい。それでもまだお金は余っているんだ。そのお金を何
のために使う?」そう言われて中村さんは困ってしまったそうです。その中
村さんに田端さんがこう言いました。「あんたの口から出てくるのは『物』
ばかり。これから一生、『物』を買うためだけに働くつもりなのか?」と。
そしてこう続けます。「人は比較の中で生きている。あの人はこうなのに、
自分はこうだ。あの人はいっぱい給料もらっているけど、自分はこんなもの
だ。あの人は大きな家に住んでいるけど、自分のは小さい。なんてね。だけ
ど、そんな生き方をしていても、まったく幸せになんてなれないんだよ。お
金を稼ぐという事よりも、お金の出口を考える事が重要。何のためにお金を
使うのかが大切なんだ。自分の欲望や見栄のためだけにしかお金を使う事が
できなかったら、つまらない人生だぞ。」と。
その時、田端さんは26歳。若いですね!(ちなみに当の中村文昭さんは
18歳です)田端さんは、19歳にして起業した事業が成功しお金持ちにな
って、中村さんとの問答のように欲しい物は何でも買い、非常に傲慢(ごう
まん)な生活を送ったそうです。その後、親会社の倒産とともに自分の会社
も倒産し、借金だけが残ると、周りにいた友だちも何もかもが、自分から離
れていってしまったといいます。そんな過去の失敗体験が田端さんを若くし
て大きな人間にしたのだと思います。
その田端さんの強い思いが中村さんをひきつけます。「俺は人の役に立つ
人間になりたいんだ。人に喜ばれて満足できる人間になりたいんだ。おまえ
もそう言う人間になりたくないか?」と田端さんに聞かれた中村さんは即答
で「なりたいです!」と答え、その場で弟子入りしてしまいました。この時
のことを中村さんは『スイッチが入った』と表現されています。
つづく
0.2秒の返事
即決で田端さんの弟子入りをした中村文昭さんは、その日から田端さんの
家に住み込んで田端さんの仕事を手伝います。当時田端さんは軽トラックで
野菜や果物の行商をしていました。行商というのは、朝早くに市場に仕入れ
に行き、それをトラックに積んで売って回る仕事です。
弟子入りして最初に「おまえの仕事は返事をする事だ」と教わります。し
かも、「俺がおまえに何か言ったら、必ず0.2秒で返事をするように」と
言われます。しかも「返事はハイかイエスのみ」というのです。どうですか?
みなさんならできますか?なぜそうなのか、田端さんは説明します。「人は
誰でも返事をする前に、自分にとって得か損かを考えるもの。そして、返事
をする前に自分の都合を言う。やる前からできない言い訳をする。これは最
低な人間だ」と。そして「とにかく受け入れる事から始めろ」と言います。
そして最初の日、早朝2時30分に起こされた中村さんは市場に連れて行
かれ、仕入れを済ませて行商に向かいます。ついた先は団地でした。そこで
師匠の田端さんが中村さんに言います。
「おまえはまだ野菜の知識もないし、
売るのは無理だから客引きをやってもらう。」そしてキュウリ2本を持って
きて「おまえのはちまきに挿して、トラックの屋根に登って踊れ!」と言っ
て、大きな音で音楽をかけたのだそうです。そういわれた中村さんは恥ずか
しくてもじもじして「そんな事やったことないし・・・できません。」と言
ってしまったそうです。それを聞いて田端さんは言いました。「おまえ自分
の都合を考えているだろう。そんな格好してみっともないとか、笑われると
か。とにかく、やりもしないうちからできないと言うな。おまえの返事はハ
イかイエスだけだ。」と。それに対して中村さんが「でも・・・」と言った
とたんにまた怒られます。「おまえは、でもでも星人か!弟子入りした初日
から言い訳しているようじゃどうしようもない。辞めてしまえ!」
実は田端さんのそれは「歌って踊れる行商軍団」といった感じで、紅白に
塗り分けられた目立つ軽トラ3台を使って、4人の若者が田端さんの元で働
いていました。そして、売りに行った先で田端さんが踊れと言えばすぐに踊
り、歌えと言えばみんなすぐに歌います。まさに0.2秒の返事でした。そ
して、そこへ集まったお客さんとも和やかに言葉を交わし、『絆』を作って
いくのが田端流でした。
「辞めてしまえ!」と言われた中村さんに声をかけてくれたのが、行商軍
団の先輩の1人でした。「ひょうきん者のおまえでも、いきなり人前で踊れ
はびっくりしただろう。俺も最初はきつかったよ。」と。そして「俺が弟子
になった時、人前で話そうとすると「あ、あ、あ、あの・・・」と言葉がな
っちゃうし、すぐに顔が真っ赤になっちゃう性格だった。その俺に社長(田
端さん)が何をしたと思う?いきなりカラオケに連れて行かれて7時間ぶっ
通しで歌わせられたんだ。そして「人前で話すのがこわい、歌うのがこわい
って避けていたら、いつまでたっても後ろ向きの性格だ。できない事があっ
たらまず1つできるようになれ!自分にとって一番嫌な事が克服できれば、
あとは楽になるぞ。」って言ってくれた。社長は、俺たち1人1人の成長も
考えて行商をやっているんだ。」と励ましてくれたそうです。確かにやって
いる事は荒っぽいですけど、それは弟子の事を考えた田端さんの方法でもあ
ったのです。それを知って中村さんは、田端さんについていこうと決めます。
田端さんの言う事にはきっと意味があるのだろうから、何も考えず0.2秒
の返事を心掛けようと決めるのでした。
つづく
夏に出会った中村文昭さんから教わった事
○ 弱点をネタにした時、強くなる!
人は誰しも1つや2つ、弱点を持っているもの。その弱点は普通隠そうと考えて
しまう。でも、その弱点をネタとして人に話せるようになった時に、一回り大きな
人間になれる。
※これは、ここで書いたカラオケに連れて行かれた先輩の話に通ずる事ですね。
○ 長所を伸ばせ!
人には長所と短所があるのが当然。こういう場合、短所を改善しようするのでは
なく、長所をもっと伸ばす努力をすると良い。長所が伸びきった時に、短所はその
人の味わいになって生きてくるものになる。
○ スイッチはウィークポイントのすぐ横にある!
中村さんは田端さんと出会った時にスイッチが入りました。その中村さんは、今
は人のスイッチを入れる名人級です。その秘訣が「ウィークポイントの真横のスイ
ッチを押す事」だそうです。
たのまれ事はためされ事
師匠の田端さんには1つ夢がありました。六本木に店を出す事でした。そ
の夢に近づく日が来ました。六本木に格安の物件(お店となる建物)が見つ
かり、田端さんが手に入れたのでした。そのことを、ある日の行商から帰っ
た夜に弟子達に話しました。弟子達は喜びました。そして、田端さんは言い
ます。「今から3ヶ月後に店を開く。中村、おまえは人好きがするから、カ
ウンターに入ってバーテンダーをやれ!」あれ以来0.2秒の返事を心掛け
てきた中村さんですが、この時ばかりは「無理です」と言ってしまいました。
すると田端さんは「やる前から何が無理だ。やって無理ならやり直せばいい。
何かをする前に無理だと言っていたら勝てるものも勝てないじゃないか。」
と予想していた通りの返事が返ってきました。そして「勉強しに行く手配を
しておいたから」と言われ、中村さんはその後、日本でも3本の指に入る有
名ホテルのレストランにアルバイトに行く事になりました。
アルバイト先では、ずっと皿洗いでした。明けてもくれても毎日毎日皿洗
いばかり。これではバーテンダーの仕事を教えてもらえそうにありません。
ある日そんな弱音を田端さんに吐いてしまいました。すると田端さんは「お
まえは日本一の皿洗いを目指しているのか?」と言いました。これまでの中
村さんは、ただ手もとに来た皿を洗うだけでした。単純な仕事でつまらない
し、何枚洗おうと給料は同じだし、そんな競ってまで洗おうなんて思った事
もありませんでした。ですから、この師匠の言葉にハッとさせられたのでし
た。師匠はこんな事も言いました。「頼まれ事は試され事なんだ。今はおま
えには皿洗いが与えられている。その皿洗いを誰の予想も上回るくらいにや
ってみろ。
」その翌日から中村さんは人が変わったように皿洗いをします。
時計を見て、超高速で皿を洗っていきます。周りの人がみんな驚きました。
最初は「あんなにムキになってやったって給料は変わらないのに」なんて言
って笑う者もいましたが、そんな言葉も気にすることなくひたすら真剣に超
高速で皿を洗い続ける中村さんにすごさを感じ、中村さんに対する周りの従
業員の見方もどんどん変わっていきました。
そんな時にエピソードが起こります。いつも厳格な料理長が突然「キャベ
ツが足りない。誰かすぐに買ってこい!」と千円札2枚をテーブルにたたき
つけて言いました。すると中村さんがすぐに「ハイ!」と言ってお札を拾い、
一目散にキャベツを買いに走り出したのです。この時中村さんは、「チャン
スだ!頼まれ事は試され事。絶対に予想を上回って見せます!」と心の中で
つぶやいたそうです。そして超高速で走って汗まみれになって買って帰って
きた中村さんに料理長が言いました。
「ありがとう助かった。」これまでにお
礼の言葉など部下にかけた事のない料理長が、この時ばかりは本当に心から
お礼の言葉を発したのです。
それから料理長は中村さんのことを「サル」と呼び、たまにお酒を飲みに
連れて行ったりしてかわいがってくれたそうです。そのある日、なんでこの
アルバイトをしているのかと言う話になり、中村さんはこれまでのいきさつ
を話しました。そして六本木にもうすぐオープンする店でバーテンダーをし
なければいけない事を伝えたところ、次の日からホテルのバー・カウンター
に入れるように料理長が計らってくれたのです。それを聞いた周りのみんな
も「中村ならしょうがない」と、出世を追い越された事を誰も恨む者はいな
かったそうです。むしろ、みんな応援をしていたと言います。
そしてついに六本木の店のオープンの日が来ました。これから店を開けよ
うという時にミスがあった事に気づきました。何と食材の注文を1日間違え
て明日届くようにしてしまってあったのです。これではお客さんに出す料理
が作れません。そんなところにホテルの料理長がお客を装ってやってきてく
れたのです。「初めての日だから何があるかわからないと思って、とりあえ
ずホテルの料理を持ってきてみたよ」と言って包みを渡してくれました。そ
して「いつでも手が足りない時は言ってくれ。今日は店が終わるまでその隅
で飲んでいるから。」とも言ってくれたのです。
この後、田端さんと中村さん達の店はとても繁盛し、2号店、3号店と規
模を拡張していきます。そして中村さんが21歳の時に田端さんから独立し、
故郷の三重県にショットバー「クロフネ」をオープンします。
中村文昭さんにはまだまだたくさんのエピソード(中村さん自身はネタと
言います)がありますが、今回は私が読んだ本や講演会等で聞いた話の中で
中村さんの生き様として感動した3つのエピソードを、私の記憶を元に書き
綴ってみました。自分の1つしかないこれからの人生の参考にしてもらえた
らうれしいです。
<参考文献>
・「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!」中村文昭著(サンマーク出版)
・「コミック版 お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!」中村文昭著(サンマーク出版)
・「私が一番受けたいココロの授業 講演編」比田井和孝・比田井美恵著(ごま書房)
・中村文昭さん講演CD・・・非売品