親鸞聖人の人生において、最も悲しい事実、逆縁といってよいと思いますが、 それは承元の法難、つまりご流罪に遭われたということです。これは外側から加 えられた事件ですが、あえてもう一つ言うならば、内側の事件としての善鸞事件 が挙げられるのではないでしょうか。真実の法のためとはいえ、我が子を義絶さ れた。この2つの事件が、聖人の人生における大きな逆縁であったことは間違い ないことです。 承元の法難というのは、簡単に申しますと、越後に流罪になられた事実ですね。 今年(平成19年)は、その流罪の年から800年目に当たります。ちょうど流罪800 年の年だから、このご縁というものもかみしめてみようではないかということで、 共通テーマが決められたようですが、梯先生と瓜生津先生から、学問的にキッチ リと押えたお話があったことと思いますので、私は少し別の視座から申上げてみ たいと思います。 法難とか流罪とか言われる時、一般的にはお気の毒なこと、おかわいそうなこ とというニュアンスで、何となく受け取られます。それも同情心に基づく一つの受 け取り方ではありますが、それで済ませてしまってよいものかとも思います。その 法難という事実が、単におかわいそうなこと、お気の毒なことというだけのこと なら、その人が説いた教えも、お気の毒なことに遭われた方の、おかわいそうな 人のための宗教ということにもなりかねません。その程度のことで、大きな流罪 の事実ということを済ませてもよいものでしょうか。 一生忘れられぬ悲しい出来事に遭われたということは確かですが、それで終 わってしまってよいものかと思います。仏法の真実を知らない、時の権力者がこ のようなことをしたということについては、聖人も当然ご立腹になったはずです が、私どもが尋ねるべきことは、この承元の法難ということを、親鸞聖人はどの ように受け止められたのか、人生における逆縁というものに、どのように向かわ れたのかということです。聖人は、その逆縁に押しつぶされ、権力者に文句を言 って終わった人ですかということです。そのあたりから、少しずつ押し上げてみた いと思うことであります。(中西智海)
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