第18号 - 華僑研究センター

拓殖大学海外事情研究所
華僑研究センター
Center for Overseas Chinese Studies
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ニューズレター
No. 18
シンポジウム「在日コリアンと在日チャイニーズの過去・現在・未来」開催
2012年10月6日(土)14:00~16:30、拓殖大学文京キャンパ
スC201教室において、本センター主催のシンポジウム「在日
コリアンと在日チャイニーズの過去・現在・未来」が約130名
の参加者を迎え、澁谷司センター長と荒木和博・海外事情研究
所教授の共同司会により開催された。在日外国人のうち、朝鮮
半島出身者を「在日コリアン」と表現することはかなり一般的
になってきたと思われる。それとの比較という視点から、今回
のシンポジウムでは「在日華僑・華人」を特に「在日チャイニー
ズ」と表現し、アイデンティティ等における両者の類似点およ
び相違点を探ることを目指した。
在日コリアンは、長年にわたり日本の外国人登録者として最
大数を誇ったが、過去20年で減少傾向にある。それに対し、
在日チャイニーズは、中国の改革開放政策以降のニューカマー
の増加によって約4倍となり、2007年についに在日コリアンの
数を抜いた。なお、法務省の統計によると、2011年末の登録者
数は、在日コリアン545,401人、在日チャイニーズ674,879人と
なっている。
シンポジウムでは、澁谷センター長の開会の挨拶の後、鄭大
均氏(首都大学東京大学院人文科学研究科教授)と野村進氏(拓
殖大学国際学部教授)による基調講演が行われた。
鄭氏は、在日コリアンのアイデンティティの変容に関し、韓
国・朝鮮籍を持つ約40万の「特別永住者」を基準に、1945年
か ら 現 在 ま で を「 Ⅰ 期(1945年 ~1965)
」
、
「 Ⅱ 期(1965~
1991)
」
、
「Ⅲ期(1991年~現在)
」の3つの時期に分け、個人・
家族、団体、本国、在日論の4つの観点からそれぞれの時期の
特徴を分析し、彼らのアイデンティティや国籍に関する意識の
変化を指摘した。
野村氏は、
『コリアン世界の旅』
(1997)で第28回大宅壮一
ノンフィクション賞を受賞し在日コリアンにも詳しいが、2011
年に在日チャイニーズに取材した『島国チャイニーズ』を上梓
している。今回のシンポジウムでは、
「在日チャイニーズは“反
日”か」というタイトルで、ノンフィクション作家としての豊
富な取材経験を通した「新しい在日チャイニーズ像」を示すと
ともに、在日外国人留学生の6割以上を占める中国人留学生を
「知日派」として育成する必要性を訴えた。
両氏の基調講演に続いて、本学国際学部教授の呉善花氏、横
浜の中華会館事務局長の関廣佳氏がそれぞれ在日コリアン、在
日チャイニーズの立場からコメントを述べた後、4氏によるパ
ネル・ディスカッションが行われた。フロアーからの質問に対
する回答を含め、国籍変更やアイデンティティに関する問題を
中心に活発な討論がなされた。
在日コリアンと在日チャイニーズの比較は初めての試みだっ
たが、両者はともに日本社会にとって無視できない存在であ
る。日本の華僑・華人研究においても、こうした視点の有効性
を感じさせる有意義なシンポジウムとなったのではないだろうか。
(文責・華僑研究センター客員研究員 玉置 充子)
左から関廣佳氏、野村進氏、呉善花氏、鄭大均氏
ロンドン五輪の中国系女子卓球選手
華僑研究センター長 澁谷 司
2012年夏、第30回ロンドン・オリンピックが開催された。
連日深夜、日本人アスリートの熱戦・激闘で日本列島は感動の
渦に包まれた(時差の関係で、競技は日本時間の夜中から朝方
にかけてテレビ放映されている)
。今回の五輪は、特に女子ア
スリートの頑張りが注目された。
ところで、日本時間7月28日(日)から始まった卓球競技で、
われわれは、奇妙な光景を目の当たりにしている。
日本卓球女子は、石川佳純(19歳)
・福原愛(23歳)
・平野
早矢香(27歳)の史上最強の3選手が出場した。
個人戦では、7月30日深夜(現地時間29日)
、世界ランキン
グ7位の福原愛選手が、女子シングルス3回戦に登場した。福
原は、ロシアのチホミロワに勝ち、次の4回戦でオランダの
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リー・ジエを倒した。準々決勝(ベスト8)で、福原は、世界
ランク1位の丁寧(最終的に銀メダル獲得)と対戦し、1セッ
トも奪えず敗退した。だが、福原は5位入賞を果たす。
同日深夜(現地時間29日)
、今度は、世界ランキング6位の
石川佳純選手がやはり女子シングルス3回戦に登場した。石川
は次々と強豪を撃破し、準決勝まで進み、最終的にベスト4と
いう素晴らしい記録を作った。
ただ、驚くべきことに、石川の相手全部が中国系の選手で
あった。3回戦、石川選手の相手は、オーストリアのカンビン・
リー(李嬙冰)という中国系オーストリア人だった。石川はリー
を破り、4回戦に進んだ。次の石川の相手は、ポーランドのチェ
ン・リーというやはり中国系ポーランド人であった。石川はリー
も撃破し、堂々と準々決勝(ベスト8)へ駒を進めたのである。
石川の相手は、シンガポールのワン・ユエグ(王越古)選手
だった。ワン選手は元々、中国遼寧省鞍山市出身だが、2004年
にシンガポール国籍を取得している。石川は、このワン選手も
退け、ついに準決勝(ベスト4)へ到達した。日本人としては
前人未踏の快挙だった。
準決勝では、石川は中国の李暁霞(最終的に金メダルを獲得)
と当たり、1セットしか奪えず敗れた。そして、石川は三位決
定戦に臨んだ。石川は、この三位決定戦で、シンガポールのフェ
ン・ティエンウェイ(馮天薇)と対戦し、ストレートで負けて、
メダルを逃した。このフェン・ティエンウェイも、中国黒竜江
省ハルピン市出身であった。フェンは、一時、日本のサンリツ
に所属し、2006年「日本卓球リーグビッグトーナメント第15
回大会」で準優勝している(優勝は福原愛)
。その後、フェン
は2007年にシンガポール国籍を取った。フェンは、前回2008
年の北京オリンピックでは、女子団体戦で、見事、準優勝を飾っ
ていた。
結局、石川佳純は、ロンドン五輪女子シングルスで5回戦っ
たが、すべて中国人ないしは中国系選手と対戦したのである。
きわめて不思議な状況が生じた。
オリンピックでは、それぞれの競技に、
(個人種目の場合)
国の代表として1名ないしは2名、あるいは3名が選出される。
当然、1競技に出場できる選手の数は制限されている。そのた
め、ある国で、いくら世界レベルの実力があっても、その競技
に出場できるとは限らない。そこで、国内選考にもれた選手は、
海外へ行って外国籍を取得し、同国のオリンピック選手になる
こともある。
中国卓球界には、世界トップレベルの優秀なプレイヤーが数
多くいる。そのため、国内から海外へ飛び出して、新天地でオ
リンピック出場を目指す。その典型的成功例が、女子シングル
スに出場したシンガポール選手、ワン・ユエグと銅メダルを獲
得したフェン・ティエンウェイだろう。いくらシンガポールが
華人国家と言っても、やはり中国とは異なる別の国である。
2008年北京オリンピックでは、男子シングルス・女子シング
ルスともに、中国の選手が金・銀・銅を独占した。中国は男子
団体・女子団体でも金メダルを獲得し、卓球において完全制覇
を成し遂げたのである。
北京五輪女子団体では、シンガポールが銀メダルを獲得して
いるが、その3人のメンバーは、先のワン・ユエグ、フェン・ティ
エンウェイ、リー・ジアウェイ(李佳薇)であった。ワンやフェ
ンだけでなく、リーも中国生まれであり、後にシンガポール国
籍を取得している。
このシンガポール3選手は、北京に続き、ロンドン・オリン
ピックにも出場した。だが、彼女らは日本女子団体(石川佳純・
福原愛・平野早矢香)と準決勝で対戦し敗れた。だが、彼女ら
は三位決定戦で韓国に勝ち、銅メダルを獲得している。
結局、ロンドン五輪では、元中国籍だった中国系卓球選手男
女40人が、20ヶ国の代表として出場した。中国が制した卓球
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女子団体戦終了後、国際卓球連盟(ITTF)のアダム・シャララ
会長は、強すぎる中国について「スポーツにとって、いいこと
ではない」と憂慮を表明している。
以上のように、今度のロンドン五輪では、他国へ帰化した元
中国人国籍の卓球選手が多数参加した。確かに、中国人であっ
ても、別の国に帰化すれば、すでに中国人ではない。
だが、本来の五輪の姿からすれば、国家・民族が異なる選手
が同一種目で競うのが理想だろう。あるスポーツで、きわめて
偏った民族で競うのは、興ざめである。
その点、かつて日本のお家芸であった柔道は、今や世界の
JUDOとなっている。それは、ロンドン五輪で日本男子が一つも
金メダルを取れなかったことに象徴されよう。日本人としては不
満であっても、柔道が地球レベルで普遍化したのは確かである。
オリンピック精神からすれば、各国や各地域が、その国・地
域の国旗・地域旗を背負って各種競技に出場しているはずであ
る。もちろん一部の元中国籍の卓球選手は帰化した国のプライ
ドを賭けてオリンピックに出場しているだろう。だが、それ以
外の選手は、新天地である国の誇りをかけて、五輪に参加する
とは考えにくい。
いくら優秀な中国人卓球プレイヤーでも、国内には、自らよ
り強い人達がごまんといる。そのため、彼らのほとんどは中国
代表として出場できない。だからこそ、欧米代表あるいはアジ
ア代表としてオリンピックに出場する。けれども、それはあくま
で個人として五輪にチャレンジしたいからだけではないだろうか。
国際卓球連盟は、世界選手権の場合、帰化したアスリートに、
3年間の出場を禁じている。だが、オリンピックの場合、帰化後、
1年間経てば、五輪への参加資格が与られる。当然、オリンピッ
クの方が世界選手権よりも、明らかに格上である。五輪メダリ
ストは世界選手権メダリストよりも尊敬される。オリンピック
のメダルの価値は、世界選手権メダルのそれよりはるかに高
い。したがって、少なくとも卓球に関しては、世界選手権に比
べ、五輪が短い帰化期間で出場できる現行制度の見直しを検討
したらどうだろうか。
ところで、伝統的に、中国は多くの有名な卓球選手を輩出し
ている。なぜ、中国では、卓球が国技並みになったのか。一説
には、1950年代に、毛沢東が国民に卓球を奨励したからと言わ
れる。
現在、中国には「中国卓球プロリーグ」がある。スーパーリー
グ(
「超級リーグ」
)を頂点として、Aリーグ、Bリーグ、Cリー
グ、Dリーグとピラミッド型に存在する。スーパーリーグは、
男女各10チーム(40~50名・外国人を含む)
、Aリーグは男女
各16チーム(60~80名)
、
Bリーグ以下は、男女各32チーム(128
~160名)いて、常に切磋琢磨している。
一方、我が国には日本卓球リーグがある。あくまでも実業団
であり、プロではない。ただし、福原愛は、10歳の時、国内で
史上初の女子プロ卓球選手となっている。
話は変わるが、猫ひろしという芸人がいる。猫は、芸能人の間
では素晴らしく足が速く、
フルマラソンでは2時間30分台で走る。
2012年ロンドン・オリンピック開催の数ヶ月前、日本国内で
は、猫ひろしがカンボジア国の代表として、フルマラソンを走
るかどうか、芸能ネタになった。
猫は、ロンドン五輪直前(2011年10月)
、慌てて日本からカ
ンボジアへと国籍を変更した。だが、国際ルールでは、国籍変
更後、1年以上経過しないと帰化国の代表としては認められな
い。結局、世界陸連は、カンボジアへ帰化した猫ひろしがカン
ボジア代表として、マラソンに出場することを認めなかった。
特別規定(①連続した1年の居住実績、②国際陸連理事会によ
る特例承認のいずれか)が猫には適応されなかったのである。
猫のオリンピック出場の夢は断たれた。
かりに、猫が2011年6月までに、カンボジア国籍を取得して
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いれば、彼は胸を張ってロンドン五輪に同国代表として、ロン
ドン市内を走っていた公算が大きい。確かに、猫の出場は必ず
しもルール違反ではない。だが、大方の日本人は、猫のカンボ
ジアへの帰化に対し、五輪精神を踏みにじる行為として、違和
感を覚えたに違いない。
ちなみに、猫とカンボジアとの関係がいかなるものか想像の
域を出ない。だが、決して深い関係ではなかった。かりに、猫
の奥さんがカンボジア人ならば、カンボジアへの帰化理由とし
ては十分に説得力を持つ。
しかし、猫の奥さんは日本人である。
また、猫のルーツ(祖先)がカンボジア人である場合にも、あ
る程度納得できる。
事実は、これも当てはまらないようである。
あるいは、猫自身がカンボジアをこよなく愛していて、一生
涯、同国に住むつもりだったら、日本人やカンボジア人、それ
に世界の人々に理解されただろう。だが、どうも猫はそうでは
なかったように見受けられる。ロンドン五輪出場の夢が断たれ
た猫は、すぐさま日本国籍再取得へ動いたからである。
つまり、猫の行為は、五輪出場を果たす目的ならば、どんな
手段(他国へ帰化するという非常手段)を弄しても良いという
ことになる。
以上のように、猫ひろしのカンボジアへの国籍変更騒動は、
中国系卓球女子選手同様、オリンピックと国籍(帰化)の関係
を改めて考えさせられた事件だった。
第5回「海外華人研究と文献収蔵機構国際会議」概要
華僑研究センター客員研究員 崔 晨
2012年5月16日~18日の3日間、カナダのバンクーバーにあ
るブリテッシュ・コロンビア大学(The University of British
Columbia:UBC)において第5回「海外華人研究と文献収蔵
機構国際会議」が開催された。
本会議は、
「華人の北アメリカへの移民ロード」
をテーマとし、
主に北米地域への移民および同地域で形成されたコミュニティ
が議論の中心となった。開幕式では、UBCアジア図書館の袁家
瑜館長が「本会議を通じて、海外の華人研究、交流などを推進
することがアジア図書館の目標の一つだ」と歓迎の意を述べ
た。また、UBCのJohn's Collegeの余全毅院長が、19世紀から
20世紀に広東、福建および香港などの地域からの移民が太平洋
国家の構造や社会・文化へ与えた影響について、基調講演を行っ
た。
今大会は13カ国・地域から200名以上の研究者、図書館員、
学生および華人団体の代表などが参加し、3日間にわたり、28
のパネルに分かれて各分野での研究発表を行い、議論を重ね
た。18日に行われた閉幕式では、中国のアモイ大学南洋研究院
の庄国土院長が、近年の福建省から米国への移民の概況と発展
について講演を行った。
今大会はカナダのUBC図書館と米国オハイオ大学図書館の共催
で行われた。
「世界海外華人と文献収蔵機構聨合会
(WCILCOS)
」
による国際会議は、2000年に米オハイオ大学において第1回が
開催された後、2003年に香港、2005年にシンガポール、2009
年に中国・広州の曁南大学にて開催され、今回は第5回目となっ
た。次回は中国のアモイ大学にて開催される予定である。
「世界海外華人と文献収蔵機構聨合会(WCILCOS)
」の本部
は、米オハイオ大学図書館に設置されており、非営利、非政治
的な国際的な学術機関として、主に華人研究、文献の収集、シ
ンポジウムの開催などの活動を行っている。
UBCのアジア研究センターにあるアジア図書館は、カナダ最
大規模のアジアに関する蔵書を誇る。同図書館には中国語、日
本語、韓国語など9カ国語による総計50万冊以上が所蔵されて
いる。日本語蔵書は15万冊を超え、北米でも有数の日本語書
籍コレクションになっている。また、アジア研究センターの建
物は、1970年の大阪万博の三洋館だったが、万博終了後、国際
親善、日加友好の絆としてUBCへ寄贈されたものであり、日本
との関係も深い。
第5回「海外華人研究と文献収蔵機構国際会議」の
研究発表の模様
ホーチミンの華人
華僑研究センター客員研究員 玉置 充子
2012年8月末、華人団体の盂蘭盆行事を調査する研究者に同
行して、ベトナムのホーチミン市を訪問した。同市を訪れるの
は実に15年ぶり。道路にバイクが溢れる様は変わらないが、
自家用車の増加や以前はなかった公共バスの普及を目にして、
1986年のドイモイ(刷新)実施から25年以上を経て発展を続
けるベトナムの活気を肌で感じた。ホーチミン市の「チャイナ
タウン」であるチョロン地区も、ドイモイ以降、中国との窓口
として重要性が高まっているようだ。
チョロン地区は、行政区域では第5区を中心に第6区、第10
区、第11区に当たる。チョロンは「大きな市場」を意味する
ベトナム語で、中国語では「堤岸」と書く。華人によってチョ
ロンの開発が始まったのはフランスがベトナムを植民地化する
前の18世紀後期で、中心部の第5区には、当時創建された華人
の同郷会館――穂城会館(広東)
、温陵会館(福建)
、義安会館
(潮州)
、瓊府会館(海南)等――が今も残る。これら同郷会館
は、ベトナム政府から「国家級歴史文化遺跡」に指定されてい
る貴重な歴史的建造物であると同時に、チョロン地区有数の観
光スポットとなっている。なかでも、広東人の穂城会館は海の
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福建系の温陵会館。
「観音廟」としても知られる
女神・媽祖を祀る「天后宮」として有名で、外国人観光客にも
人気が高い。
ベトナムで華人は「ホア族」として民族分類される。歴史的
に中国の影響を強く受けてきたことから、ベトナム語には漢字
起源の語が多数含まれており、
「ホア」とはつまり「華」のベ
トナム語読みだ。現在のベトナムの華人人口は、推計で100~
140万人(総人口の2%以下)だが、そのうち約30万人がチョ
ロンに暮らすとされている。現地の華人の話では、1975年のサ
イゴン解放前は、チョロンの住民のほぼ全員が華人だったが、
現在は7割程度にまで割合が減っているという。
チョロンでは広東人が多数派のため広東語が共通語として通
用していると聞いていたが、今回訪問して、若者から老人まで
思いのほか中国語(いわゆる「北京語」
。東南アジアの華人社
会では「華語」と呼ばれる)が通じることに驚いた。中国語は、
南ベトナム時代は学校でも教えられていたが、南北統一以降は
厳しく制限され、華人は私塾のような場所で細々学ぶしかな
かったという。ドイモイ実施以降、中国語教育に対する規制も
徐々に緩和され、現在では幼稚園から高校まで正規の授業とし
て学べるようになっている。こうした状況を反映して、調査で
訪問した華人廟・団体はもちろん、筆者が逗留したチョロンの
はずれの中級ホテルでも、フロントの若いスタッフが皆流暢な
中国語を話した。
今回、チョロンで訪問した華人団体の1つ「明月居士林」を
紹介したい。明月居士林は、広東省東部の潮州出身の華人が結
成した民間宗教的な慈善結社「明月善社」を前身とし、戦後の
1947年に在家仏教徒の団体として改編された。現在は、ベトナ
ム唯一の仏教宗派である「ベトナム仏教会」に所属し、正式な
仏教団体として認められているが、設立時からの潮州伝来の民
間信仰的な要素も残している。チョロンにあるのが「総林(本
部)
」で、メコンデルタに5つの「分林(支部)
」を持つ。その
ほか、海外に移住した関係者によって、米国、カナダ、オース
トラリアにも海外分林が設立されている。
明月居士林は、真言宗豊山派の総本山である奈良県の長谷寺
と関係が深く、今回我々を迎えてくれた幹部のMさんも、数年
前に長谷寺で数カ月間修業をしたそうだ。現在の会員は100人
程度だが、盂蘭盆の先祖供養の行事では、会員以外にも数100
人が先祖の名前を書いた紙製の位牌や短冊を奉納する。この奉
納者は華人に限らず、ベトナム人(キン族)や外国人もいると
いう。このほか盂蘭盆には、東南アジアの華人団体の例にもれ
ず、
「施孤(供物の米などを貧困者救済として配布すること)
」
も行われている。
ベトナムの社会主義化以降、南ベトナムから難民として海外
に流出したいわゆる「ボートピープル」には多くの華人が含ま
れていた。ドイモイ後のベトナム社会の変化を受けて、彼らの
一部はベトナムに戻って来ている。筆者が今回、明月居士林で
出会った華人のなかにも、元難民の女性がいた。彼女が著者に
語った「激動の半生」は以下のようなものだ。彼女は1970年
代末から何度も出国を企てるが失敗し、1990年にようやく中国
経由で香港の難民キャンプにたどり着く。米国など第三国への
渡航を望んだが希望はかなわず、英語ができたためキャンプ内
の診療所で通訳の職を得て、そこで知り合った華人難民の男性
と結婚した。1997年
の香港返還でキャン
プが閉鎖されたのを
機に家族でチョロン
に戻り、現在は、居
士林の活動に積極的
に参加するなど、平
穏な日々を送ってい
るそうだ。出国した
年代から言うと、彼
女は「経済難民」に
分類されるのかもし
れない。しかし、難
民となるに至った状
況や思いは複雑で、
短い時間ではとても
語りつくせないよう
だった。
ホーチミン市チョロン地区の
明月居士林
【参考文献】
小高泰監修(2010)『ベトナム検定(ASEAN検定シリーズ ベトナ
ム検定公式テキスト)』めこん
芹澤知広(2009)「海外華人社会のなかの日本密教―潮州系ベトナム
華人の居士林をめぐる実地調査から」奈良大学総合研究所『総合
研究所所報』第17号
拓殖大学 華僑研究センター ニューズレター 第18号
お問い合わせ先: 拓殖大学海外事情研究所華僑研究センター
〒 112-0012 東京都文京区大塚1-7-1 (G館研究室)
TEL 03-3947-2293/03-3947-9352
FAX 03-3947-2293
http://www.cocs.takushoku-u.ac.jp
平成24年11月30日発行
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発行人 拓殖大学海外事情研究所華僑研究センター