第10号 - 華僑研究センター

拓殖大学海外事情研究所
華僑研究センター
Center of Overseas Chinese Studies
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No. 10
「世界海外華人研究学会」フランスで地域会議開催
華僑研究センター客員研究員 崔 晨
さる9月12日、フランスのパリにあるINALCO(Institut
るが、教育成果が高く評価され、1914年から1971年までは国立
National des Langues et Civilisations Orientales)学院で世界海
大学となっていた。このようにINALCO学院は歴史が長く、伝
外華人研究学会
統のある大学として自負が高い。現在のINALCO学院には、93
(The International
の言語以外に国際貿易、国際研究などの職業的専門科目及び22
Society for the
の研究センターが併設されている。
Study of Chinese
また、世界海外華人研究学会(ISSCO)は、1992年に発足し
Overseas: ISSCO)
て以来、香港(1994年)
、マニラ(1998年)
、台北(2001年)
、
の地域会議が開催
コペンハーゲン(2004年)
、北京(2007年)とほぼ3年毎に国際
された。
会議を開催してきた。そのほかに地域会議をオーストラリアや
キューバ、中国のアモイ、南アフリカなどで毎年開催している。
今年のINALCO学院で開催された地域会議は、地理的な関係も
パネル(分科会)の様子
あり、フランス国内だけではなくヨーロッパ諸国からの参加者
が目立ち、ヨーロッパでも中国の移民に関する研究に関心が高
本会議では、新しい中国移民に関するワークショップが設け
まっている現状を窺うことができる。
られ、主にヨーロッパ、アフリカを含めた各地域に向かう中国
移民と、当該地域で形成される華人コミュニティが議論の中心
になった。INALCO学院のManuelle Franc副学長が開会式で会
フランスの華僑華人概況
●中国からフランスへの移民
議の議長としてオープニングスピーチを行い、米国カリフォル
中国系のフランスへの移民は、19世紀半ばに始まったアジア
ニア大学のWang Ling-chi教授及び香港浸会大学社会科学院の教
の殖民地からの労働者受け入れがきっかけであったが、歴史的
授でもある香港中央政策組のChan Kwok Bun顧問が基調演説を
に見ると2つのピークがあると考えられる。1つ目は1950年代
行った。その後、4つのパネルに分かれて、発表者がそれぞれ
から1970年代におけるベトナムやラオス、カンボジアなど東南
のテーマに沿って発表し、議論を重ね、午後の6時すぎに閉会
アジアからの華僑・華人の移民で、2つ目は80年代以降の大陸
式が行われた。
からの移民である。フランスの植民地であったベトナムやラオ
今会議には発表者30名以上が参加し、それぞれ関心のある分
ス、カンボジアなどの華僑・華人は、1950年代からフランスへ
野で討議を行った。参加者にはヨーロッパ諸国の研究者が多く、
移住し始めた。特に、60年代のベトナム戦争の影響や70年代以
アジア系の研究者の数が少なかったのが今会議の特徴ともいえ
降のベトナムと中国との関係悪化により、これらの地域から華
る。近年ヨーロッパ諸国では移民問題への関心が高い。今会議
人難民が大量に流入し、フランスへの移住はピークを迎えた。
のヨーロッパ系研究者の参加にも、移民について長い歴史を持
1975年から10年間でフランスの華僑・華人の数は10万人以上
つ中華系の研究を自国の移民問題研究に取り込もうという動機
に増加し、この時期のフランスへの移民の半数以上が中国系で
が背景にあるようである。
あった。彼らは主にパリ13区に集中しており、急速にチャイナ
INALCO(Institut National des Langues et Civilisations
Orientales)学院は、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、アフリ
タウンが形成されていったのもこうした背景がある。
80年代後半から、中国の対外開放政策により、中国大陸から
カ、
ラテンアメリカ諸国の言語(93種)及び関連国の地理、
歴史、
の留学生や移民がピークを迎えた。現在フランスに居住してい
制 度、 政 治、 経 済、 社 会 な ど に つ い て 学 ぶ 大 学 で あ る。
る華僑・華人は20万から30万人と言われており、80%以上がパ
Langues' O(東方言語)の名称で著名であるが、学院の前身は
リに集中している。13区にベトナムなど東南アジア系の華僑・
1669年Collbertが通訳養成機関として創設した青年言語学校で
華人が多いのと対照的に、大陸からの新移民は13区以外に10、
あったが、その後、学派によって学校が2つに分かれた。1795
11、19区及びパリ北部の近郊にも散在している。特に19区とパ
年にアラビア語、トルコ語、タタール語、ペルシア語、マレー
リ北部には準チャイナタウンが形成されつつあり、輸出入貿易
語などの東洋言語を中心に国立図書館の敷地内に新たに学校が
業を営む者も少なくない。
設立され、現在のINLCOの基礎となった。現在は私立大学であ
1
Center of Overseas Chinese Studies
●フランスの華僑・華人の職業
350人 に 達 し て い
飲食業や雑貨、革製品や洋服などの伝統的な労働集約産業が
る。潮州会館はフ
フランスの華僑・華人の主な職業である。13区のAvenue de
ランス社会で影響
Choisy とAvenue D' Ivryにはベトナム料理や様々な中華料理、
力のある社団組織
タイ料理の店が並んでおり、多くの観光者の足を止めさせる。
の1つ で あ り、 フ
食料品店や有名な陳氏兄弟の大型スーパーマーケットなども13
ランスの観光ガイ
区ににぎやかさを増している。
ド に も 紹 介 さ れ、
近年、一部の華人はIT業、金融業などの業種にも進出してい
パリ13区の景観の
る。第1世代の移民と違って、2世、3世の華僑・華人たちの多
1つとなっている。
くが高等教育を受け、フランス社会へ順調に融合しているよう
パリ13区の中華レストラン
に見える。また、80年代以降からフランスへ移民してきた華僑・
華人の一部は、中国の経済発展により輸出入貿易業などを営み、
法華工商聯合会は1993年パリの11区に設立された純粋なビ
服装や革製品の加工業では、中国で生産し、生産コストと価格
ジネス組織である。設立の主旨は華商たちの団結や交流、協力
の優位性により、フランスやほかのヨーロッパ諸国への卸し業
及びフランスの工商業界、中国の工商業界との協力、交流など
を中心に安い製品を市場へ投入し拡大している。このような状
の促進である。これまで、フランスと中国のビジネス業界との
況は、現地の同業種に打撃を与え、問題化しているのも事実で
間に多くの交流活動や現地考察、展示会などが行われており、
ある。パリ北部の地区には多くの華人たちの卸倉庫が集中して
両国の企業と企業家たちの橋渡しの役割を果たしている。法華
おり、2007年のフランスの暴動では、そうした倉庫が焼き打ち
工商聯合会は多くの若手企業や企業家から構成され、聯合会の
に遭う被害もあった。
統計によると、皮製造業者が全会員数の38%を占めており、服
●華僑華人の社団組織
装業は22%、食品や飲食業は24%、弁護士や会計、保険、不動
フランスにおける華僑・華人の社団組織は少なくはない。お
産業は16%となっている。会員の50%が中国から製品を輸出し、
よそ50以上の社団組織が存在しているが、主に出身地による会
フランスに卸し販売している。また、両国の経済に優れた貢献
館、同郷会、文化交流会、ビジネス協会などに分かれている。
をした会員の一部の企業家たちは、パリ市政府から表彰を受け
純粋なビジネス組織は5分の1程度である。ここではいくつか
ている。
の社団組織を紹介したい。
パリの3区にあるフランス華人青年企業家協会はフランスの
華僑華人会はフランスで最も古い社団組織である。前身は
華人青年企業家、企業管理者及び科学技術者たちによって2001
1949年に成立された旅法華僑工商互助会で、1998年に改名し、
年に成立した組織である。メンバーの経済交流、経営管理ノウ
現在のフランス華僑華人会になった。互助精神を基に文化交流
ハウや経営管理上の問題点などの解決の促進、フランスと中国
を中心に活動を展開しており、パリの近郊に文化センターを持
との間の経済貿易における協力などを目的としている。協会で
ち、中国語学校も開設している、比較的影響力のある華人組織
は、教育基金会も設立し、優秀な中国の留学生に奨学金を与え
である。
ている。
パリ13区のチャイナタウンには、潮州会館や広東会館、華僑
ほかにも多くの華僑華人社団組織が存在しているが、以上の
商会などがある。特に潮州会館はフランスの華僑華人の半数以
ような社団組織からみると、時代の背景によって、1世移民と2
上を占める潮州人たちにとって中心的な存在となっている。前
世、3世移民は、職業や組織などにおいて異なる活動を行って
身は1986年に正式に設立された潮州同郷会であった。会館の中
いることがわかる。フランスの華人移民社会は新・旧世代の交
には仏堂や大礼堂などがあるが、その立派さだけではなく、仏
代が進んでおり、今後は2世、3世の移民が主役となって、フラ
像や壁の絵画などの芸術性の高さにも驚かされた。会館内の4
ンス社会の中で摩擦を生じながらも融和が進んでいくに違いな
つの教室では中国語の補習コースを設けており、学習者は現在
いだろう。
世界海外華人と文献収蔵機構聯合会(WCILCOS)
華僑研究センター客員研究員 崔 晨
「世界海外華人研究学会」と肩を並べるもう1つの国際的な華
京UFJ銀行)に入行し、香港等で長年勤務した。アジアと米国
人に関する研究機関が、
「世界海外華人と文献収蔵機構聯合会」
との交流に尽力した功績により、オハイオ市から名誉市民の称
(WCILCOS:The World Conference of Institutes and Libraries for
号を贈られた。邵氏の寄付によりオハイオ大学の海外華人研究
Chinese Overseas Studies)である。WCILCOSは米オハイオ大学
センターが設立された経緯もあり、WCILCOSの国際会議も邵
図書館に設置されている「邵友保博士海外華人研究センター」
氏と子息のダニエルShao博士の多大な支持と資金提供により
(The Dr. Shao You-Bao Overseas Chinese Documentation and
「海外華人研究と文献収蔵機構国際会議」は、2000年に米オ
り設立された、非営利、非政治的な国際的な学術機関であり、
ハイオ大学において第1回が開催された後、2003年に香港、
主に華人研究、文献の収集、シンポジウムの開催などの活動を
2005年にシンガポールで計3回開かれた。次回の第4回国際会
行っている。
議は、2009年に中国・広州の 南大学とオハイオ大学との共催
邵友保博士(1911‐1996)は、1943年神戸大学の前身である
神戸商業大学卒業後、横浜正金銀行(後の東京銀行、現三菱東
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開催されている。
Research Center at Ohio University Libraries, USA.)の提唱によ
により、 南大学において以下の通り開催される予定である。
Center of Overseas Chinese Studies
会議日程:2009年5月9-11日(使用言語:英語・中国語)
中国語ホームページ http://202.116.13.5:8080/
メインテーマ 「インタラクションと革新:華僑華人の
連絡先: 南大学会議事務局(担当者:徐雲)
研究における多様性の展望」
住所:510632 広州 南大学図書館華僑華人文献信息中心
会議に関する英語ホームページ 電話:020-85220287,13660402487 FAX:020-85220287
http://202.116.13.5:8080/eng/index.php
E-Mail:[email protected]
タイの華人団体における盆行事 -潮州系慈善団体の「盂蘭勝会」と「施孤」
華僑研究センター客員研究員 玉置 充子
「お盆」は言うまでもなく日本人にとって最も身近な年中行
事の1つであるが、台湾や香港、東南アジアの華人社会におい
ても盂蘭盆の行事は広く行われている。華人は旧暦7月を
「鬼月」
災害救助、医療、教育、貧困者救済等幅広い活動を行っているが、
それを支えるのは、主として一般市民からの寄付である。
華僑報徳善堂の盂蘭勝会は、毎年旧暦7月1日の「開孤門」
や「鬼節」と呼び、地獄の門が開いて死者があの世から戻って
から7月30日の「関孤門」までの1ヶ月間にわたって行われ、
くると考えている。日本では新暦8月に行われることが一般的
宋大峰祖師を祀る
「報徳堂」
には参拝者がひっきりなしに訪れる。
になったものの、この時期に死者の霊魂が戻ってくるという観
今年の盂蘭勝会は8月1日から8月30日まで開催された。期間
念は共通する。
「鬼月」の「鬼」は、日本人がイメージする「赤
中は、通常の現金による寄付に加えて盂蘭勝会用の供物セット
鬼・青鬼」ではなく、死者の霊魂を指す。祀ってくれる子孫が
が販売される。セットの内容は値段によって異なるが、例えば、
いる霊魂はよいが、鬼月には「孤魂」と呼ばれる無縁仏もこの
米4キロ1袋と竹笠、金紙、線香のセットは120バーツ(約420円)
世に出てくる。主に家庭内で先祖供養を行う日本に対して、華
で売られていた。この米と竹笠は、最終的に施孤で配給される。
人社会の盆行事では、この孤魂を供養する施餓鬼(
「普度」
、
「超
資金力のある報徳善堂は、盂蘭勝会の施孤を2回行う。1回目は
度」
)が中心となる。祀る者のいない孤魂は、人々に災いをも
バンコク近郊の「山荘(中国人墓地)
」で行われるもので、毎
たらしかねない危険な存在であるが、それを慰め、平穏にあの
年4000人程度が配給品を受け取りに来る。2回目は、本堂で行
世に戻ってもらうため、華人は、店先や家の前にご馳走を並べ
われる施孤で、こちらのほうが規模がずっと大きい。今年は8
るだけでなく、寺院や廟等で一連の施餓鬼行事を行うのだ。本
月28日(旧暦7月28日)に行われたが、それに先立つ同23日か
稿では、筆者が今年(2008年)の夏に実見したタイの潮州系慈
ら27日には、
「超度無主孤魂」として、バンコク市内の有名中
善団体における盆行事の様子を紹介したい。
国寺院から僧侶を呼んで、毎日読経が行われた。初日の23日は、
普段の行事には姿を見せない胡玉麟理事長を始め報徳善堂の
タイの華人団体の盂蘭勝会
タイでは旧暦7月になると、各地の華人団体や寺廟において
トップも大峰祖師に参詣し、施孤の無事終了を祈願した。施孤
当日の28日には、徹夜組も含め3万人近くが行列を作り、早朝
「盂蘭勝会」と呼ばれる盆行事が行われる。盂蘭勝会は、日本
から周囲の道路が封鎖されるほどであった。配布されたのは、
で言う盂蘭盆会同様、仏教における目連尊者の救母伝説に基づ
1人当たり米4キロ、食用油、ミネラルウォーター、魚の缶詰、
くものだが、このほか道教に由来する「中元節」という呼び方
インスタント麺、サンダル、竹笠等30種類以上。米は約27,000
もされる。いずれにせよ、餓鬼道に落ちた孤魂を救済するため
袋準備され、総経費は1000万バーツ(3,500万円)を超えた。
に供物を捧げ、経を読むことが行事の中心となる。さらにタイ
華僑報徳善堂では、春節(中国正月)から旧暦10月末の宋大
の華人社会においては、供物として寄付された米などの大量の
峰祖師生誕日まで、年間9回の「勝会(祭り)
」が開催されるが、
食料品が、
最後に貧困者に配給される。これは「施孤」と呼ばれ、
なかでも盂蘭勝会は、春節に並んで規模が大きく、重視されて
一連の行事の締めくくりとして重視されている。
いることが窺える。
筆者は今年8月、バンコクの「華僑報徳善堂」とバンコク近
●チョンブリー市の明慧善壇
郊のチョンブリー市の「明慧善壇」の盂蘭勝会に参加した。
「善
華僑報徳善堂ほどの規模ではないが、旧暦7月中には、タイ
堂」と「善壇」は、
ともに潮州(広東省東南部)出身の華人によっ
各地の華人系慈善団体で同様の盂蘭勝会が行われている。その
て設立された民間慈善団体である。後述するように設立の経緯
一例として、チョンブリー市の潮州系慈善団体「明慧善壇」の
は異なるが、中国伝来の民間信仰に基づき、積善の実践として
盂蘭勝会を紹介しよう。チョンブリー市は、バンコクの東南
慈善活動を行うという点で、一般の華人廟と慈善団体の中間的
100キロに位置するチョンブリー県の県都である。同県はタイ
な存在と言える。こうした慈善団体による盂蘭勝会は、華人社
湾に面し、かつては漁業と農業が中心産業だったが、1980年代
会にとっては伝統的な宗教的行事の1つであるが、同時にタイ
以降、政府の工業開発区として発展している。元々華人が多く
社会にとっては、
「施孤」における食料配給を通して、貧困者
住む地域で、チョンブリー市内には歴史の古い華人団体がいく
に対する民間の福利事業の一環となっている。
つもある。明慧善壇の前身は、1924年に潮州系華人によって設
●華僑報徳善堂
立された「萬佛歳(チョンブリー)仏教社」で、戦後に「泰国
華僑報徳善堂は、100年以上の歴史を持つタイ最古かつ最大
仏教衆明慈善聯合会(明聯)
」と呼ばれる華人系慈善団体の連
の華人系民間慈善団体だ。中国・潮州地方の善堂は、
地方神の
「宋
合組織に加盟した。
「明聯」は、呂洞賓を中心とした道教由来
大峰祖師」を信仰する宗教・慈善結社であったが、その流れを
の「八仙」を祀り、
「扶 」
(中国伝来の神下しの占い儀礼)を
汲む華僑報徳善堂は、潮州出身の華人によって20世紀初めにバ
盛んに行う扶 結社でもある。
ンコクのチャイナタウンに設立され、華人の相互扶助団体から
明慧善壇では今年、8月15日から17日まで盂蘭勝会が開催さ
タイ社会全体を対象とする総合的な慈善団体に成長した。現在、
れた。15日には特に行事は行われないが、本堂前に「孤魂之位」
3
Center of Overseas Chinese Studies
と書かれた祭壇が設けられ、供物が並べられていた。盂蘭勝会
ていた。新中国成立後に潮州地方の善堂はすべて閉鎖されるが、
が本格的に始まるのは16日の夜で、7時から2時間以上にわた
改革開放後の1980年代以降、続々と復興している。存心善堂も
り本堂において潮州の伝統楽器の伴奏付きの「念経(読経)
」
1990年代にタイの華僑報徳善堂の支援を受けて復活したが、組
が行われた。チョンブリー市内には立派な中国寺院もあるのだ
が、僧侶を呼ぶことはなく、善壇の「経楽組」メンバーが伴奏
も読経も行う。彼らは専業ではなく、普段は商売をしている人
織内部の問題等で再び閉鎖され、2003年にようやく政府系NGO
「汕頭慈善総会」の下部組織として再復活を果たした。
再復活後の存心善堂の発展は目覚しく、筆者が最初に訪問し
が多いとのことだ。
しかし、
読経は年季の入った堂々たるもので、
た2007年1月には4000人前後だった会員は、今年8月の訪問時
楽団のメンバーの中には元潮州劇団のプロ奏者もいて、なかな
には1万人に増加していた。盂蘭勝会も毎年旧暦7月末に5日間
か聴き応えがあっ
の日程で盛大に行われている。今年は8月26日から30日まで開
た。ただし、この
催された。内容は基本的にはタイの善堂と変わらないが、初日
日の念経は基本的
の「開口」に続いて、読経する金剛上師と呼ばれる法師(存心
にメンバーしか参
善堂の蔡木通理事長が務める)を先頭に、この世に迷い出た孤
加せず、盂蘭勝会
魂を集めるための「招孤」と呼ばれる「市内パレード」が行わ
の中心行事はやは
れた。また2日目の27日夜には、蓮の形の灯篭を近くの川に流
り最終日17日午後
す「放水灯(灯篭流し)
」が行われ、堂内は幻想的なムードに
の施孤と言える。
包まれた。日程の関係で筆者は最後まで見ることができなかっ
たが、最終日には
明慧善壇の施孤
やはり施孤が実施
され、善堂の敷地
施孤は、市内中心部にある本堂ではなく、市郊外に最近建設
内に積み上げられ
された「懐思堂(納骨堂)
」の敷地で行われた。配られるのは
た米袋や麺等の食
華僑報徳善堂のように多種類ではなく、1人当たり4キロの米1
糧品が貧しい人々
袋だけであったが、午後1時すぎに筆者が経楽組メンバーと共
に配布されるそう
に到着した時には、広い敷地内はすでに米を求める人々であふ
だ。
れかえっていた。用意された米1万袋は1時間ほどですべて無
くなり、その後は米の代わりに1人100バーツずつが渡された。
存心善堂の盂蘭勝会
経費は全体で120万バーツ(約420万円)だったという。かなり
遠くからトラックの荷台にすし詰めになって乗ってきていた人
現在、潮州地方では数100の善堂が復興、創設されており、
もいたが、バイクや自家用車の人もいて、善壇メンバーも認め
スワトウ市の存心善堂だけでなく、各地の善堂でも盂蘭勝会が
ていたように、米をもらいに来る人すべてが貧困者とはかぎら
開催されている。筆者は、タイ以外の華人社会や潮州地方以外
ないようだ。
の中国の盂蘭勝会の状況を把握していないため、
他地域でも「施
孤」と呼ばれる供物の配給が行われているのかは定かではない。
中国スワトウ市の善堂における盂蘭勝会
こうした盆行事は近年、改革開放政策が進む中国本土でも南
あるいは潮州独特の風習なのかもしれないが、少なくともタイ
においては、盂蘭勝会という華人の伝統行事において、施孤は、
部を中心に復活しつつあるようだ。最後に、多くのタイ華人の
華人社会とホスト社会を結びつける機能を果たしているように
出身地(僑郷)である中国・潮州地方の善堂における盂蘭勝会
思える。またスワトウ市の例でも、盂蘭勝会の開催は、地域コ
についても触れておきたい。前述のように、宋大峰祖師を祀る
ミュニティの連携を強化するとともに、施孤を通して地域の福
タイの善堂は潮州からタイに伝わった。潮州地方では、清末の
祉にも役立っている。スワトウ市政府もこうした点を認めて、
社会混乱期に善堂が各地で設立され、民国期に大きく発展した。
盂蘭勝会の開催を表立って奨励はしないにせよ、容認している
特に潮州地方の中心都市であったスワトウ(汕頭)市では、
「五
ようだ。
大善堂」と呼ばれる5つの善堂があり、活発に活動していた。
なかでも今回紹介する存心善堂は、地域最大の善堂として、災
害救助、病院、学校運営等の活動を行い、大きな影響力を持っ
[参考文献]
松本浩一(2006)
『中国人の宗教・道教とは何か』
PHP研究所
拓殖大学 華僑研究センター ニューズレター 第10号
お問い合わせ先: 拓殖大学海外事情研究所華僑研究センター
〒 112-8585 東京都文京区小日向 3-4-14
TEL 03-3947-2293/03-3947-9352
FAX 03-3947-2397
http://www.cnc.takushoku-u.ac.jp/~kakyonet/index.html
平成20年10月31日発行 発行人 拓殖大学海外事情研究所華僑研究センター
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