「中国の平和的台頭(崛起)」-話題、現象及び“懸念”

アジア文化社会研究センター主催講演会
「中国の平和的台頭(崛起)」-話題、現象及び“懸念”
平成26年3月13日(木)
私が今回話すテーマは、
第 2 次世界大戦が終わり、
戦後の中国の国家的
「平和的台頭(崛起)
」
という現象について、この現象は中国特有のものではないはずなのに、なぜ“中国の平和
的台頭”だけ特別に注目され、国際的な話題になったのでしょう?その理由を明らかにし
たいと思っています。また、これについてどのような深い意味があるのか、更に現在の中
国の平和的台頭についてお話しいたします。
これから以下のように 4 つに分けてご説明いたします。
1 これからも“中国の平和的台頭(崛起)
”について、話題の焦点となることについて
2 中国の平和的台頭は決して珍しくないということについて
3 中国の平和的台頭に関わる 4 つの理由について
4 中国の平和的台頭に相対する学術的な意見、類似する学術的な意見について
一般的に中国の平和的台頭は 1970 年代末期から 80 年代の初期にかけて始まったとされて
います。つまり、当時の中国政府が“改革開放”を基本的な国家経済政策として実施して
いた頃だと考えます。中国の経済発展、総合的な国力の上昇や国際社会への影響力が増強
するにつれ、欧米の政治理論家や学者たちは中国が現在、奇跡的で著しい経済成長を遂げ
たことに伴い、国際政治への影響が劇的に高まった現象を“the rise of China”と呼び始
めました。
その一方で、大国としての自信を持ち始めた中国に対する脅威論も沸き起こっていたの
です。それが、国際的な話題となり、特に近年、その傾向が顕著にあらわれています。た
とえば学者の論文の発表や著作物の出版、テレビやネット上での議論、また、それをテー
マにしたシンポジウムまで開催され、まさに一大ブームとなっているのです。
一方、中国国内においては 1990 年代中ごろに中国の平和的台頭が話題となりました。時
系列でいえば、欧米よりも話題になるのが遅かったのです。まるで“舶来品”のような扱
いです。
しかし、
「平和」という二文字が中国人自身が中国人の理念として提起したのです。
「台頭(崛起)論」が出始めた頃、中国政府は特に気にしていませんでした。しかし、
「台
頭(崛起)論」=「脅威論」として報じられるようになると、鄧小平の主導で平和的に発展
するするという理念に相反することから、2003 年、2004 年に中国の指導部でも話題になり
ました。2005 年、中国指導部は“平和的発展”という言葉より、
“平和崛起”を主張してい
ます。いかにも従順で質朴な“平和的発展”という言葉より、もっと強気な“平和崛起”
という言葉をを好んで使います。
“中国の平和的台頭(崛起)論”は、学術ニュースとして、国内外を問わず、この先も話
題となるでしょう。ある学者は、このような現象は、特に欧米諸国で中国の台頭に過度の
関心を払ったためだと考ています。2006 年、アメリカの政治学者 Minxin Pei は中国崛起よ
り一足早く巡ってきたのは誇張された噂だったと指摘しました。また、最近、イギリス学
者の Yongjin Zhang も中国台頭を分析した論文を発表し、このような現象を「中国不安症」
と呼んでいます。同時に欧米世界の懸念及びその危機感は中国の平和崛起ではなく、日ご
とに増大する中国の目的が原因であることだと指摘しています。
実は平和崛起というのは世界では特に珍しいことではありません。歴史的にいえばアメ
リカの台頭は単なる覇権の国-イギリスとの関係で考えればまさに平和崛起といえます。
第二次世界大戦後、日本とドイツは経済的な大国の代表であり、同様に平和崛起と言え
ます。もしそうだとすると、中国の平和崛起は現代社会の歴史上で、第三波か第四波とい
えます。他にも、インド、ブラジルも振興の平和崛起をした発展途上国といえます。中国
の平和崛起は東アジア地区における平和崛起の一部分だとみなされるべきです。アジア全
域において、今でも以前同様勢いは早く、依然として強大な日本をはじめ、韓国、シンガ
ポールなど『アジア四小竜』と呼ばれる新興工業経済地域もあります。そうすると、中国
は東アジアにおいて平和崛起の後継者であり、第三波の重要な1つの波と言えるでしょう。
仮に、アメリカの世界崛起はその時代の特例というのであれば、現在の中国の平和的崛
起は時代の流れの通則と言えるのではないでしょうか。つまり、比較的、平和と繁栄の時
代に応じて、崛起する基本的な要件-例えば実質的な経験をもっている国家(健全性のあ
る政府や、経済性があり、国内が安定している国)はある程度崛起できると思います。も
ちろん、様々なことを他国から学び、穏やかに付き合うことを前提とします。
ソ連の崩壊はある意味、平和時代において、イデオロギーに帰依して抗争すること、軍事
力により他国に対して崛起を実現しようとし、失敗した“特例”と考えられるでしょう。
(簡単に言うと、
“好戦的な崛起”ともいえます。
)
中国は目下、平和的な崛起の進行中で、到達に至るまでにはまだ時間がかかるでしょう。
中国は確かに“rising”であり、
“risen”でないと、イギリスの学者 Barry Buzan は言っ
ています。
(国際的な政治 第 3 巻 2010 年の中国ジャーナル)
平和的崛起が依然として続いているとしても、過去 30 年の成功が、必ずしも未来の 30
年と同様であるとは断言できないでしょう。張 勇進も同じ観点から見ていますが、中国
に現存した様々な「誤った議論と矛盾した怪奇現象だとしたら、この崛起は不確実な謎で
ある」と指摘しました。
上記のような悲観論に対し、非常に楽観論もあります。たとえば、アメリカの学者 John
Mearsheimer は、大国が最終的に覇権の確立を目指すものではないかと、
「中国は平和的に
台頭することができますか?私の答えは NO!ここ数十年は中国が経済成長を遂げるので、ア
メリカは中国との競争により激しい戦争が起こりえるかもしれない。
」とロジック的に予期
しています。
(John Mearsheimer 中国の不穏な台頭 2006)
これに対して、イギリスの政治学者マーティンの見方は正反対で、世界のために中国政
府は欧米と全く違う新しい統治システムにすると考えています。(Martin jacques 中国は、
世界的な政治政策を変えるでしょう 2013)
では、台頭が始まったばかりなのに、なぜ各諸国からの疑念を持たれ、警戒されるのか?
“いたるところで噂が広まり”これほど脚光を浴びたのか?また、平和的崛起中の他のブ
リックス諸国(発展途上大国であるインドやブラジル)に同様の関心を引き起こさないの
はなぜか?このような現象は、ただ単に確実・確定性理論では解釈できないでしょう。
さらに、欧米諸国の関心事である“懸念”という言葉を考察するため、最近の欧米学者
の著作物より引用し、理由を解釈してみます。
第 1 に、中国の経済発展のスピードと、その規模は驚異的であることです。30 年で 9%
という高い GDP を維持しながら猛スピードで成長し続け、その数字は既に日本を抜いて、
世界第 2 位になりました。1 人当たりの GDP はまだ低いのですが、多くの経済指数は世界で
も目を見張るものがあります。また、中国のように人口が多く、面積が広い国であるにも
かかわらず、驚異的なスピードで発展した国は、歴史上多くありません。たとえ今のよう
なスローな発展でも、
これからの 30 年間で、
必ずアメリカを越えて世界一になるはずです。
最大の発展途上国から最大の先進国へ変身することは可能です。2008 年のリーマンショッ
ク時に、アメリカの役人が発言した“G2(Great Two)
”というジョークは本当の意味で実
現するかもしれません。
第 2 に、中国の歴史と文化(Chinese culture)についてご説明します。中国には長い歴
史があり、辛酸をなめながら独特な文明国となりました。2000 年余りの伝統を持ち、東ア
ジアの中心として献上制度により、周辺諸国とも付き合ったのです。
しかし、1842 年後、東西とも侵略され、分割されたこともあります。そのため中国人は
“2000 年の輝く文明”と“100 年の屈辱”という記憶を併せ持っています。現在は 1 つの
民族国家として、国際社会ルールを守っています。ただ、文明+国家という特性を持って
いて、一般的な発展途上国とは異なっており、国際社会の地位を支配する欧米諸国とも異
なっています。
第 3 に、中国の特色あるスタイルです(Chinese Model)。中国の経済成長スタイル、特
に全体的な管理システムには欧米の現代的な要素を取り入れていますが、自身の歴史と現
実的な特色(Chinese Characteristics)を根強く維持しています。そのうち最も主なもの
は、中国共産党の恒久性と法律的な執政地位(One Party System)で独裁(Authoritarianism)、
国と社会関係および政府と市場関係という方式は、欧米諸国のような自由民主選挙スタイ
ルとは異なります。それは決して正反対ではありませんが、ある部分では根本的に違いま
す。
第 4 に、中国の資源力と権力は転化するということです(Chinese Power)
。経済と文化、
政治の特性をまとめて考えると、中国はおおむね今のスピードと規模によってさらに成長
し、高まる経済力や文化の力を軍事競争力に転化し、国際的な発言権と国際ルールの決定
権を握れば、欧米諸国や全世界に対する影響力も強力なものになるでしょう。世界がパニ
ックにならないよう、事前対策は必要ではないですか?
おそらくこれが、欧米諸国が「中国不安症」になる原因だと思います。欧米諸国の「中国
不安症」や「中国の平和的崛起に対する懸念」は既存する著作物を見れば確かなことだとい
えます。そのことに中国人も同じ立場で考えてみれば理解できることです。
例えば、なぜイギリスはアメリカの台頭を支持したのでしょうか?なぜ戦後アメリカと
欧米諸国は日本とドイツの台頭を扶助したのでしょうか。また、なぜ現在のインドとブラ
ジルの台頭に特に関心を払わないのでしょうか。
以上、4 つの重要な項目とは別に、中国崛起に関し、欧米学者たちから見た視点で研究し、
これらの分野で実りのある研究成果を上げています。見る角度、理論やその方法、価値観
の違いにより彼らはまだ“中国の台頭(崛起)に関する現象・懸念”について、共通の認識
は形成されていないようです。全体からみると“唯一の共通認識は共通認識がないこと”
と考えられます。
彼らの研究にはそれぞれ長所があり、中国崛起とその影響に関する予測に関しては十分
な根拠があるかもしれませんが、理論の仮説と価値の推測はあまりにも単一であるため、
願望性的な考えを持っているようです。例えば「中国経済は崩壊する」、「歴史は終結する」
、また、侵攻性現実主義的に「中米は権力制覇のために戦争がおこる」更には、
「中国は世
界のルールを変える」など、どれも自己予言的なことを論じています。
もし、欧米学者の提言する“中国不安症”の主な内容が“中国の平和な崛起とその影響”
とすれば中国学者の不安なポイントはむしろ“中国の脅威とその影響”であると思います。
この言葉が適切なのかはわかりませんが、中国の学会、マスコミや政府に至っては“中国
の平和な崛起”が発展する過程の中で生み出されたことに大きな関心を払ったとみなして
います。
また、中国でも欧米諸国でも既存する中国発起に関する考え方にも異論があります。“外
側から”
、または“内側から”すなわち、
“世界は中国を変える、または中国は世界を変え
る”という考え方は、ある意味で間違っており、矛盾であるとも思っています。
学術研究と戦略思考を深めることは、
“外側から”または“内側から”の研究がいずれに
せよ必要不可欠だと思いますが、ただ中国と世界は連携関係にあり、互いに立場を理解し、
平和な世界を保ち、中国にあった平和発展をすべきだと唱えます。その連携は理念更新の
過程であり、立場と規則に対し、行き過ぎた行為過程を調整するためであると思っていま
す。時期や出来事により、この中での各個主体が受けたあるいは実施した結果を反映する
ものだと思っています。
今日、4 つの問題について話をし、それなりの結論にも達しました。
①中国の平和的台頭は学術界のトップニュースとして中国国内、国際社会で話題の焦点と
して継続する。
②中国の平和的台頭は少し意味は違いますが決して珍しいものではない。
③国際社会、特に欧米諸国が「中国の平和的崛起」に関心を持ち、「懸念」をした理由には
十分な経験や根拠がある事だと思います。
④最後に、中国の平和的崛起に関する研究はたくさんの方法があります。例えば「外側から」
または「内側から」だけではなく、さらに“世界は中国を変えられるか、または中国が世界
を変える”というような考えを避けるべきだと思います。