北里大学医学部ニューズ CONTENTS 第12回医学部ニューズ写真コンテスト応募作品「芝桜」 (華藤 誠さん) ■北里大学新病院プロジェクトと新大学病院のご紹介………2,3 ■平成26年度白菊会懇談会報告… ………………………………4 ■教授就任挨拶……………………………………………………5~12 ■ベストティーチャー賞・守礼敬人賞…………………………13,14 ■平成26年度白衣授与式報告… …………………………………15~18 白衣を頂き ■患者さんから学ぶ………………………………………………19,20 「患者さんから学ぶ」を受講して ■相模原市寄附講座「地域児童精神科医療学」の紹介………21 ■佐藤登志郎先生を偲ぶ…………………………………………22 2014.5 No.348 北里大学新病院プロジェクトと 新大学病院のご紹介 大学病院長 海 野 信 也 (教授・産婦人科学「産科学」) 呼吸器センター、腎臓内科、泌尿器科、臨床試験セン 北里大学病院は、本年、2014年4月20日に新病院開院記 ターが入ります。 念式典を行い、その後、病棟及び外来の移設を行った後、 5月7日に新病院における外来診療を開始しました。新病 ¾¾臨床実習の学生用のスペースは、今後の臨床実習重視 の医学教育カリキュラム改革を見据えて、各科外来及 院建設のこれまでの経緯とこれからの方向性について、い び病棟で大幅に拡充されています。 くつかのキーワードに沿って、ご紹介させていただきます。 ⃝新病院プロジェクトの今後の予定: ⃝新病院プロジェクトとは: ¾¾新棟の改修後、2015年1月には、消化器内科、消化器 ¾「新病院プロジェクト」は、北里研究所創立100周年、 ¾ 外科、整形外科、臨床試験センターが東病院から大学 北里大学創立50周年の記念事業の一つとして2005年に 病院に移設されます。 開始されました。このプロジェクトは、北里大学病院 の新築移転と北里大学東病院の全面改修、両病院の機 ¾¾その後、東病院の改修を行い、新東病院は2015年5月 25日開院の予定となっています。新東病院には、既存 能分担の全面見直し等で構成されており、相模原の両 の精神疾患治療センター、神経内科、神経耳科、心臓 病院が、今後、時代の要請、社会の変化に応じて、将 二次予防センターの他、新たに回復期リハビリテー 来に向けて発展し続けることのできる「成長する病院」 ション病棟、健康科学センター(人間ドック) 、在宅・ に生まれ変わることを目指しています。 緩和ケア病棟、小児在宅支援病棟が設置され、大学病 ¾¾1971年に開院した北里大学病院は、その後、1983年に 院と密接に連携して、高度先進・超急性期医療と地域 救命救急センター棟が、1998年に既存棟西側に新棟が とをつなぐ役割を果たすことが期待されています。 増設され、現在の構成となっていますが、建物の老朽 化、耐震化の絶対的必要性のため、病院西側の職員駐 ¾¾2015年には、上記と並行して既存棟の解体と外構整備 工事が行われ、2015年秋に、新病院プロジェクトが完 車場の敷地に新病院の建設が決定されました。検討の 成する予定です。 結果、これまでの大学病院と東病院の役割分担を見直 ⃝新大学病院の特長: し、大学病院に急性期機能を集約すること、東病院は 精神疾患治療センターとポスト急性期医療に特化し、 ¾¾4つの重点領域:新大学病院の計画は、以下の4つの 柱、重点領域を中心に進められてきました。 人としての尊厳の維持、自立支援・回復支援を理念と して全人的医療を推進する病院とすることが決まりま 救命救急・災害医療センター した。 集学的がん診療センター ⃝新大学病院の構成: 周産母子成育医療センター 血管治療部門 ¾¾新大学病院の工事は、2011年8月着工の後、順調に進 災 行し、2013年12月に地下1階、地上14階、屋上ヘリポー ¾¾ 害拠点病院:東日本大震災の経験は、地域における 大学病院の役割について、再検討を促すものでした。 トを有する免震構造の新病院(大学病院本館)が竣工 災害拠点病院として、大規模災害時のライフラインの となりました。 確保は非常に重要です。新病院では停電時にも通常稼 ¾¾北里大学病院本館は、6階までの低層階が縦横約100 働を3日間継続できる非常用電源設備を整備し、それ メートルという巨大な建物です。その上に7階から14 に必要な燃料を備蓄しています。また、飲料水を含め 階まで4つの四辺形が組み合わさった形の病棟が載っ 必要な水の85%を井水でまかなうことができる浄水設 た形になっており、非常に特徴的で印象的な病院とな 備を導入しました。新病院1階の医事課前のスペース りました。低層階の3階までの部分には、外来、検 と「けやきサロン(健康情報館)」は、トリアージス 査、放射線治療、集学的がん診療センターの通院治療 ペースとして活用できるよう壁内に医療配管を行って 室、血液浄化センターが配置されています。4階から あります。災害時には救命救急・災害医療センター、 6階は急性期医療に特化する新大学病院の重点分野を DMATチームを中心に、大型ヘリコプターが着陸可 担当する、総合手術センター、救命救急センターの病 能な屋上ヘリポートとドクターカーを活用し、 相模原・ 棟、ICU、周産母子成育医療センター、血管治療部門 県央地域だけでなく、より広域の災害支援にも対応し とリハビリテーションセンターが入っています。7階 てまいります。 から13階までが一般病棟ですが、脳卒中センターや無 菌室も設置されています。 ¾¾スマート・エコホスピタル:北里大学新病院の建設に 際しては、 「良質な医療環境」と「環境にやさしい病 ¾¾これまでの新棟は、本館への移設が完了した後、2014 院」というコンセプトを両立させることをめざし、病 年5月末から12月まで全面改修を行います。これによ 院・大学・エネルギー会社・設計事務所がチームと り、新大学病院が完成することになります。改修後は なって「スマート・エコホスピタルプロジェクト」を 大学病院1号館として、下層階に売店、職員ロッカー、 推進してきました。このプロジェクトは国土交通省の 病院管理部門等が入り、上層階に心臓血管センター、 − 2 − ケア支援、小児在宅支援の機能を持つことで、両病院 平成22年度住宅・建築物省CO2先導事業に採択されて が連携して患者さんの治療・回復過程を支える体制を います。完成した新病院では、省エネルギーのための 構築することにしました。当然のことですがこのよう さまざまな取り組みが行われています。主な装備・取 な取り組みは、両病院だけで完結するわけではありま り組みとしては、①「煙突効果」を利用した7階から せんので、地域の医療機関との連携がこれまで以上に 12階の病棟におけるエコシャフト自然換気、②集学的 重要になります。その流れを円滑に進めるのがトータ がん診療センターと14階特別病棟における井水熱+太 ルサポートセンターです。ここには、医療ソーシャル 陽熱利用の天井放射空調、③太陽熱+熱回収ヒートポ ワーカーが増員配置されており、トータルとしての患 ンプ給湯、④太陽光発電、⑤高効率LED照明、⑥脱臭・ 者さんへの医療の質の向上を図るとともに、両病院の 臭気センサー換気、⑦手術室のタスク・アンビエント 診療の効率化を実現する原動力の一つになることが期 空調、⑧厨房のスマートメーター換気量制御などがあ 待されています。 ります。これらの設備は病院の基本的構造に関わる部 ⃝次世代の医療人材養成:特定機能病院の役割は、高度先 分で、その効果は実感しにくいものです。省エネルギー 進医療の開発、提供とそれを担う医療人材の養成です。 への理解を深めるためには継続的な啓発活動が必要と 大学病院には、それに加えて、将来のわが国の医療現場 考えられます。新病院では、さまざまな省エネルギー、 を支える人材の養成という役割もあります。これからの 省CO2の取り組みについて、病棟・外来に設置したディ 医師は「地域包括ケア」の時代の医療を担っていくこと スプレーを用いて、広報活動を行うことにしています。 になります。その中では、総合診療、在宅医療の重要性 ¾¾高度先進・超急性期医療:各診療部門における高度先 がさらに高まっていくと考えられます。北里大学医学部 進医療の開発、提供を推進するためには最新の医療設 に2013年度に設置された相模原市寄附講座「地域総合医 備・機器が必要です。新大学病院では基盤となる中央 療学」は正に、そのような人材養成を目的としています。 診療部門機能の充実をはかりました。総合手術セン 今後、医学部、大学病院、東病院は連携して、この分野 ターには、20室の入院手術室、7室の外来手術室を設 における医学部学生、初期研修医の教育研修体制の充実 置し、血管造影装置を備えたハイブリッド手術室、手 を図ってまいります。 術支援ロボットda Vinci等を整備するとともに、高稼 働ができるように手術センター運営改革を行いました。 ⃝4つの座標軸:この日本で一番新しい大学病院で、私ど もは以下の4つの方向性を主な座標軸として、病院運営 放射線診断部門では、CT装置6台、MRI装置5台(う を行っていくことにしております。 ち3テスラ 3台)、PET-CT2台、SPECT-CT2台 ①高度先進医療の推進と地域医療貢献 を整備しました。放射線治療装置としては、わが国で ②教育研修体制の改革 はじめて、バリアン社のTrueBeamを2機導入しまし ③医療の質の向上と医療安全の推進 た。血管治療部門の整備を進めた結果、血管撮影装置 ④患者サービスの向上 は全体で6台となりました。これらの設備、機器を活 病院全体が目指す方向にしっかりと進んでいくためには、 用し、新しい医療を開発し、北里大学病院でなければ 沢山の医療専門職からなる教職員が相互に連携して、チー できない医療を提供し、次世代の医療を担う人材を養 ム医療を推進する必要があります。チーム医療教育は、北 成していきます。 里大学が全学で取り組んでいるものでありますが、私ども ¾¾地域医療連携:わが国の医療は、社会の超高齢化に対 は、チーム医療の高い水準での実践を通じて、この新病院 応する必要から「地域包括ケア」を推進することが求 を、将来にわたって発展し続けることができる、「成長す められています。高度先進医療を担う大学病院もその る病院」に育てていきたいと考えております。 例外ではありません。超急性期病院の立場からは、治 以上、新病院プロジェクト及び新大学病院について、ご 療後の患者さんをどのように地域に、在宅に戻っても 報告させていただきました。このプロジェクトの今後の展 らうか、が大きな課題となっています。北里大学新病 開に、ご関心を持っていただければ幸いです。 院プロジェクトでは、大学病院と東病院の機能分担を 見直し、急性期機能を大学病院に集約する一方、東病 ・北里大学病院 http://www.kitasato-u.ac.jp/khp/ 院が、新たに回復期リハビリテーション、在宅・緩和 新大学病院外観 − 3 − 平成26年度白菊会懇談会報告 太 田 博 樹 (准教授・解剖学) 北里大学白菊会懇談会が4月23日(水)、小田急ホテル 棺の際の学生達の真剣な面持ち、さらに当麻山無量光寺境 センチュリー相模大野8Fフェニックスで執り行われまし 内の北里大学医学部納骨堂前で行われた墓前祭と納骨式の た。本年度は182名の会員の皆様(うち同伴47名)にご出 模様が紹介されました。 席いただきました。本会は本学医学部学生と白菊会会員の つづいて、本会の主目的である白菊会会員の皆様と医学 皆様の懇談を主な目的としており、昨年9月から11月末ま 部3年生との歓談へと進みました。学生達が人生の先輩方 で解剖学実習を行った現3年生113名全員が出席しました。 である会員の皆様から様々なお話を伺うことができるまた 懇談会は午後2時に開会し、まず東原正明医学部長が挨 とない機会です。なかには恋愛の極意を伝授され大喜びの 拶されました。人体解剖についてご自身の学生時代にお使 学生もおり、和やかな時間を過ごしました。最後に、毎年 いになっていた解剖学の教科書の現物をご持参され、医学 解剖学実習が終了した際に学生全員が書く感想文『解剖学 教育における解剖学教育の重要性を述べられました。つづ 実習を終えて』を2名の代表者、小田豊士君と瀬戸沙月君 いて阪上洋行・解剖学教授が挨拶され、解剖学実習の概要 が、自分が書いたものを朗読、会員の皆様に披露し、午後 を分かりやすく紹介された上で、医学倫理教育的な意味の 4時に閉会となりました。 重要性について述べられました。 昨年、解剖学実習では31名の「死」が献体という尊い志 このあと毎年恒例の講演会へと会は進行しました。今回 として次の世代への「生」へと受け継がれました。学生達 は北里大学名誉教授・勝岡憲生先生が「皮膚を診て全身を が実習で得た人体に関する科学的知識と畏敬の念は、彼ら 知る」との演題でご講演下さいました。2006年に京都大学 が将来医師になってから多くの命を救う礎になることと期 の山中伸弥教授らによってマウスの皮膚からとった線維芽 待されます。彼らが今後どのように「死」と「生」を見つ 細胞から作られた人工多能性幹細胞(iPS細胞)のエピソー め、医師として成長してゆくのかを見極めていくことも私 ドからスタートし、さまざまな疾患の皮膚に現れる症状、 達医学教育スタッフの責任と考えます。白菊会会員の皆様 皮膚病変など研究と臨床の両面から幅広い知見を、一般に には、受け取らせていただきました次の命のためのバトン 分かりやすくご紹介下さいました。 を未来に繋いでゆくため、どうか今後とも学生諸君の成長 講演会に続いて、昨年の解剖学実習の様子がスライドで と北里大学医学部の発展を見守っていただきたいと願って 紹介されました。実習初日、初めてご遺体を前にして緊張 おります。 した学生達の表情、あるいは初めてメスの刃をセットする 最後になりましたが、肉眼解剖学教育に対してご理解と 様子をとらえた写真がプロジェクターに映し出されました。 ご支援を頂いております白菊会会員の皆様への感謝ととも 実習室内での写真ばかりで無く、実習期間中に執り行われ に、来年もお元気なお姿を拝見できますことをお待ち申し た合同慰霊祭の様子、3か月以上に及んだ実習の終了と納 上げております。 勝岡憲生名誉教授 白菊会会員との懇談の様子 − 4 − 教授就任挨拶 浅 利 靖 (教授・救命救急医学) 平成26年2月1日付で医学部救命救急医学の主任教授を 医療の支援を行う貴重な経験をしました。 拝命いたしました、浅利靖と申します。よろしくお願い致 高度救命救急センターの運営が軌道に乗り、原発事故へ します。 の支援活動が落ち着いた平成26年1月、教授の1期目の任 少し自己紹介をさせていただきます。昭和35年生まれの 期(10年間)終了とともに弘前大学を辞し、母校北里大学 53歳、東京都渋谷区出身です。昭和61年に北里大学医学部 へ戻らせていただくこととなりました。 を卒業し、同年、医学部に救命救急医学、大学病院に救命 弘前大学医学部には弘前大学出身の母校愛が強い教授が 救急センターが設立されたこともあり、大和田隆初代教授 多く、このような教授たちに囲まれて10年間を過ごす中で の門下に入り救急医を目指しました。研修医1年目は内科 自然に自分にも北里大学を愛しく思う気持ちが湧いてきま の各分野を、2年目は外科、麻酔科、放射線科をローテー した。北里大学病院在籍の18年間には感じなかった気持ち トして診療の基礎を学び、3年目に初めて救命救急セン でした。母校に戻りたいと思ったのは、自分を育ててくれ ターで勤務し、6か月間、隔日で当直を課せられ厳しい先 た北里大学医学部・大学病院への恩返しと後輩たちを育成 輩方のご指導のもと多くの症例を経験しました。4年目に したいという気持ちがあったためでした。 は長野県の厚生連北信総合病院外科に出向し、多くの手術 さて、今後の抱負ですが、昨年10月に名称が変更された と術前術後管理の修練を積みました。5年目は救命救急セ 新たな救命救急・災害医療センターを「今までの伝統を守 ンターでチーフレジデントを1年間勤め、過酷なレジデン りつつ、時代の先頭を走るアクティブ、アグレッシブな救 ト生活を終えました。その後も現場主義で朝から晩まで救 急・災害医療の砦」にしたいと考えています。 急漬けの毎日を過ごしていましたが、体ばかりではなく頭 昭和61年に設立された北里大学病院救命救急センター も鍛えろと大和田教授の指導を受け、2年間、鹿取信教授 は、第三次救急に特化し、地域の重症傷病者を多数受け入 の薬理学教室でラット敗血症モデルでのTNFαの分泌に れ、救命救急専従医と各診療科から派遣されている専門医 関する研究をさせていただきました。この研究論文を学位 がチームを組んで初期治療とその後の集中治療までを行っ 論文とし平成8年3月に医学博士を取得し同年4月には講 ていました。当時の日本の救急医療は、各診療科の専門医 師に昇任しました。 が自分の専門分野の治療を行い、それが終わると別の専門 救急医を目指し始めた頃より常に心に引っかかっていた 医を呼ぶという施設が多かったので、北里大学は質の高い のは、救急医とは?救急医の専門性は?救急医のidentity 救急医療を展開していたと思います。その後、救命救急セ と は? と い う こ と で し た。Subdivisionと し て 救 急 外 科、 ンターの普及に伴いこのような体制は日本中で構築されま 急性中毒、集中治療、災害医療などを学ぶ中で自分なりの した。救命救急医療体制が完備されると次に我が国では北 イメージは構築してきましたが、まだまだ明瞭な答えには 米型ERに注目が集まりました。北米型ERは安心と便利さ 辿り着いていません。さらに今後も探究していきたいと を求める市民とcommon diseaseの診療訓練を受けたい初 思っています。 期研修医に喜ばれ、現在、北米型ERは普及の一途にあり 医師となって18年目の平成16年2月、弘前大学医学部救 ます。さらに今後、我が国の専門医制度が変更される予定 急・災害医学講座の教授に選出され、大雪の中、弘前大学 で、現在のような外科専門医と救急専門医のようなダブル 医学部に赴任しました。弘前大学医学部附属病院にも救急 ライセンスの取得が相当困難なものになることが予想され 部はありましたが、入院ベッドは持たない部署で北里の救 ています。そうなると、外傷患者の手術は誰がするのか? 急とは大きな違いがありました。そこで、弘前大学にも救 市民からは外科専門医による手術が望まれ、救急専門医は 命救急センターを作りたいと考えていたところ、青森県に 北米型ERに舵を切らざるを得ないかもしれません。この は原子力発電所と核燃料再処理施設があったため当時の学 ように現在は時代変動の時期にありますので、今後の救急 長が緊急被ばく医療に対応できる高度救命救急センターの 医療の方向性をしっかりと見極めていくことが必要だと思 設立を決意され、平成22年4月には高度救命救急センター います。 が開設されました。青森県内での原子力災害に備えた訓練 命を救うために、よりアグレッシブな救急を目標に今後 などを行っていたところ、平成23年3月11日、東日本大震 の救命救急・災害医療センターを運営して行きたいと願っ 災、福島第一原発事故が発生し、同年8月末までに延べ30 ています。皆様、今後ともよろしくご指導のほどお願い致 日間、Jヴィレッジ医療センターなどで被ばく医療・救急 します。 − 5 − 教授就任挨拶 北里大学医学部皮膚科学単位の 発展のために 天 羽 康 之 (教授・皮膚科学) 2014年4月1日、学校法人北里研究所、北里大学医学部 研究のみでなく広い視野を持つ機会ですので、日本の将来 皮膚科学単位の教授を拝命いたしました天羽康之と申しま を担っていく北里大学の学生や若い先生方が少しでも多く、 す。私は神奈川県横浜市の泉区(私の生まれた当時は戸塚 留学の機会を持って頂けることを強く望んでおります。 区の一部でした)で生まれました。その後、藤沢に引っ越 私は現在も、教育、臨床、研究を両立することの難しさ し、神奈川県立湘南高校を卒業後、北里大学医学部へ入学 を感じながら日々、時に悩み、時に楽しみながら大学の多 させて頂きました。1996年に北里大学医学部を卒業後、皮 くの先生方と一緒に努力を続けております。最近では、若 膚科学単位に入り、北里大学病院に就職させて頂きました。 い先生方が臨床のみでなく研究にも興味をもって研究室で そして、多くの諸先輩方のご指導の下、教育、臨床、研究 一緒に研究して頂けるようになり、少しずつですが若い先 に従事している間に、臨床につながる研究に全力で取り組 生たちと発展的な研究に向けた展望が開けるようになって むという目標が見えてくるようになりました。 きたように感じることができ、うれしく思っております。 大きな転機になったのは勝岡憲生名誉教授より、私の前 また、私は現在医学部4学年のクラス主任をさせて頂いて に留学されていた齊藤典充先生(現横浜労災病院皮膚科部 おり、学生の皆さんと一緒に喜んだり、悩んだりしながら、 長)の後を引き継いで、2003年から3年間、アメリカ、カ クラスの皆さんが良い医師になってほしいと思う毎日を過 リフォルニア州のサンディエゴにあるカリフォルニア大学 ごしております。 サンディエゴ校(UCSD)医学部に留学する機会を頂いた 診療におきましては、北里大学の臨床の先生方に皮膚科 ことです。UCSD医学部外科学教室のロバート・ホフマン の専門性をご理解して頂き、我々の力の及ばない部分をサ 教授は日本から多くの留学生を受け入れており、最先端の ポート頂いていることに大変感謝しております。さらに、 in vivoイメージングに焦点をおいて腫瘍学、再生医療、感 基礎の先生方には、私たちが現在積極的に取り組んでいる 染症学を中心に多彩な研究を進めています。私に与えられ 毛に分布する幹細胞の研究を中心に、基礎研究を支えて頂 た研究テーマはマウス毛包からの幹細胞分離実験でした。 き、大変感謝しております。 幸いに、留学期間中に皮膚毛包から分離した毛包幹細胞が 北里研究所は、北里大学病院新病院の開院まであとわず 神経細胞・グリア細胞・角化細胞等に分化することと、末 かとなり、また、2012年、北里大学が創立50周年を、2014 梢神経や脊髄損傷部を再生する能力を有することを発見す 年には北里研究所が創立100周年を迎える非常に大事な時 ることができました。 期にあります。北里大学のさらなる発展のため、皮膚科学 私は留学後、北里大学医学部皮膚科学単位に戻り、臨床、 という分野から国内外へアピールを続け、多くの将来が期 学生教育と並行して倫理委員会の承諾の下、末梢神経や脊 待される学生の方々に入学して頂き、北里大学に入ってよ 髄損傷に悩む患者様の治療へ向けた研究を、ロバート・ホ かったと思われるような教育を行い、さらに、患者の皆様 フマン教授と共同で進めております。現在では北里大学が に喜んでいただけるような医療を行うため、これからも微 中心となり、臨床応用に向けた基礎研究を進めておりま 力ですが全力で努力を続けてまいりますので、北里大学の す。留学後も親密な関係を継続できる研究機関に留学でき 諸先生方には今後も引き続いてのご指導を頂きますよう、 たことは私にとって素晴らしい幸運でありました。留学は よろしくお願い申し上げます。 2014.5 No.348 − 6 − 教授就任挨拶 田 邉 聡 ⎛教授・新世紀医療開発センター⎞ ⎝ 先端医療領域開発部門 ⎠ このたび、平成26年4月1日付けで新世紀医療開発セン おける低侵襲内視鏡治療の開発と、産業界と大学との産学 ター先端医療領域開発部門低侵襲光学治療学教授を拝命い 連携による内視鏡関連機器の開発であります。超高齢化社 たしましたので、この場をお借りしてご挨拶申し上げます。 会を迎えるにあたり、より先進的な低侵襲内視鏡治療を開 私は、昭和58年に三重大学医学部を卒業後、当時岡部治 発する重要性は今まで以上に増していくと考えられます。 弥教授(現名誉教授)が主宰する北里大学病院消化器内科 この次世代型内視鏡治療を実現するため、内科系・外科系 の研修医となりました。元々厚木で生まれ、幼少期を相 を超えた内視鏡治療の開発に従事したいと考えています。 模大野で過ごしており、北里大学との縁を感じておりま 現在すでに外科の腹腔鏡手術と内科の消化器内視鏡治療を す。西元寺克禮教授(現名誉教授)のもと主に上部消化管 組み合わせた腹腔鏡内視鏡合同手術が開発され、臨床の場 の診断と治療に従事し、なかでも内視鏡治療を中心に診療 で普及しつつあります。すなわち、両者の長所を併せ持っ を行ってまいりました。内視鏡治療へのきっかけは、病棟 た治療を実現することにより、安全かつ患者さんに優しい 医2年目の時に西元寺克禮教授より消化管出血に対する内 治療を展開することが可能となります。この目標を達成し 視鏡的止血法のテーマをいただいたことで、小泉和三郎現 ていくためには、高い技術力を有する企業と密に連携する 教授にご指導をいただき、学位論文を作成しました。以後、 ことが必須と考えます。 内視鏡的止血法と同時に、上部消化器癌の内視鏡治療の導 一方、腎不全や肝硬変、抗血栓療法施行例など通常の内 入と開発、普及に努めてまいりました。 視鏡治療が困難な患者さんが増加しています。このような 入職当時は、胃癌のほとんどに対して外科手術が施行さ ハイリスク患者に対して、以前よりアルゴンプラズマ凝固 れていましたが、内視鏡治療の進歩に伴い、現在では早期 焼灼治療の検討を行ってきました。本治療法は早期の消化 胃癌の2/3は内視鏡治療により完治することができるよう 管腫瘍に対して、安全かつ短時間での治療が可能ですが、 になりました。幸いにも相模原地区は競合する医療機関が 未だ保険収載されておりません。現在、私が中心となり、 少ないため、年間200件以上の早期胃癌を担当することが アルゴンプラズマ凝固焼灼治療を行った早期消化管腫瘍の できる環境にあり、全国でも屈指の症例数を誇っておりま 治療成績を遡及的に調べる研究会を立ち上げ、多施設共同 す。消化器内視鏡診療は、診断から治療へと目覚ましい進 研究を行っていく予定です。最終的には、本検討を基に保 歩・発展を遂げ、今日の消化器診療において必要不可欠な 険収載へつなげていきたいと考えています。 ものとなっています。特に我が国の早期消化器癌の診断と 今後は新世紀医療開発センターという新たなコンセプト 治療は、諸先輩方の努力により、まぎれもなく世界のトッ の部署に配属となりますが、教育につきましては今まで通 プを走っており、後述します低侵襲治療へと高度に進化し り、消化器内科医、内視鏡医としての立場で行っていきた ています。 いと考えています。卒前、卒後教育を通じて、高い臨床能 ここで新世紀医療開発センターのご紹介をさせていただ 力、探究心、国際性を備えた人材の育成に努めていく所存 きます。同センターは、先端医療領域と横断型の臨床医学 です。内視鏡教育では、技術の習得と向上はもちろんです 領域を支援し、将来の医学教育に資することを目的として、 が、技術のみならず、人間性にあふれた、患者に寄り添え 平成25年4月に設置されました。多様化する臨床医学にお る内視鏡医の育成に努めていきたいと思います。 いては、専門を深く追求する「先端的医療」と、複数の専 最後になりましたが、今回の昇任にご理解をいただきご 門領域が密接に連携する「横断的医療」が求められており、 尽力をいただきました諸先生方、またご指導いただきまし 新大学病院の活性化と臨床教育の充実を行っていくことが た小泉和三郎教授に感謝の意を表しますと同時に、皆様の 期待されております。 ご協力、ご支援をよろしくお願い申し上げます。 私の新世紀医療開発センターにおいての目標は、学内に − 7 − 教授就任挨拶 -痛みの奥に見えるものまで- 金 井 昭 文 ⎛教授・新世紀医療開発センター⎞ ⎝ 横断的医療領域開発部門⎠ 皆さん、ご機嫌よう。北里大学医学部附属新世紀医療開 は平凡ですが、組織の中で気持ちが繋がり、力が重なれば 発センター・横断的医療領域開発部門で「疼痛学」の教授 効果は絶大となります。待ったなしです。研究よりも教育 を仰せ付かりました金井昭文で御座います。当初は「緩和 です。研究はいつやるのか、 「後でしょ」 。このことは医学 医療学」の教授を拝命しましたが、個人的意向により改名 部長に内緒にして下さいよ。 させて頂きました。時世を鑑みますと「緩和医療学」が望 これまで、痛みは感覚的かつ感情的な体験であるにも拘 ましいところですが、私の仕事内容からは「疼痛学」が適 らず、痛みの研究も臨床も感覚に偏って関わってきました。 当かと考えました。これまで支えて頂きました関係者の皆 幾多の有望な研究結果が慢性痛患者に還元されないのは感 様には心より感謝申し上げます。今後も変わらぬ御支援を 情を忘れているからに他なりません。如何なる痛みも感覚 宜しくお願い致します。 と感情が共存し、共に診る態度が最低限必要であると後輩 私は相模原に生まれ、相模原に育ち、相模原にある北里 たちには教えています。しかし、痛みを持つ者はこれだけ 大学で二十年間働いています。地元密着型の人生となりま では済まず、睡眠障害や便秘などの痛み反応、安静や通院 して、如何にも根強い地元愛をアピールする成行きですが、 などの痛み行動が誘導されます。やがて対人関係に歪みが 実は都会好きです。偉人が犇めき、雑多な文化が入り乱れ 生じ、複雑な苦痛へと変貌します。不愉快な日常から逃避 る東京に惹かれています。若い頃、無理して恵比寿に住ん するため、無意識が拵えた痛みの模倣(虚像)、経済的利 だことがあります。しかし、朝五時に家を出て夜十時に帰 潤や法的責任回避のための痛みの捏造(虚偽)もあるとさ 宅すると、何時も真っ暗な恵比寿と相模原の差が分からな れます。ストレス社会の産物か、恵まれぬ家庭の共鳴か、 い。やはり近郊から東京を伺うのが宜しいですね。感情の はたまた満たされぬ自身の鏡像なのか、痛みの奥に潜んだ 右往左往は御座いましたが、今は地元で働ける幸運に感謝 元凶ごと、丸々治して進ぜよう。そんな先進医療を目指し しています。北里に骨を埋める意気込みです。 ております。 教授に就任しまして、優雅な気分に浸ることもなく、懸 私の医療舞台は①周術期疼痛管理(主に急性痛診療) 、 念通りの不安と緊張の幕開けです。教授選考会では教育、 ②ペインクリニック(主に慢性痛診療)、③緩和ケア(主 研究、診療の抱負の大風呂敷を広げて参りましたが、ここ にがん性痛診療)になります。緩和ケアでは、痛み以外の では初な心情を慎ましやかに語りましょう。 身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルな 我が道を邁進する私にとって、教育活動での難渋は容易 苦痛があり、緩和ケアチームとして結束して臨みます。緩 に予想されました。それを察して頂いたのか、麻酔科学主 和ケアチームの面々には多少風変わりなところもあるか 任教授の岡本浩嗣先生はジョン・C・マスクウェル氏の著 も知れませんが(私が最も風変わり) 、正に精鋭揃いです。 書「人の上に立つために本当に大切なこと」を贈呈して下 緩和ケア室長として当代随一の緩和ケアチームに仕立て進 さりました。私の妻は花まる学習会代表の高濱正伸氏の著 ぜよう。 書「部下は徹底的に可愛がれ!」をプレゼントしてくれま 先日の新病院開院式典祝賀会に出席しました。神奈川県 した。早々に読み耽り、現実に照らし合わせてみました。 知事と相模原市長のご挨拶、高度先進医療を担う医療者集 高濱さんは異性の壁をよく理解することが重要であると力 団の豪華絢爛、そして有名歌手、平原綾香さんのコンサー 説しておられました。女性は「許せないボックス」を持っ トに、改めて偉大な病院に居ることを実感しました。皆様 ていて、そこに入れられると一巻の終わりだそうです。私 のお力添えのもと、我が「疼痛学」が大舞台で発展するこ は既に何人かのボックスに入っている気がしてならないの とを御期待ください。 ですが、何とか抜け出して教育活動に邁進します。私の力 − 8 − 教授就任挨拶 集学的がん診療チームの誕生と そこから派生する研究と教育 佐々木 治一郎 ⎛教授・新世紀医療開発センター⎞ ⎝ 横断的医療領域開発部門⎠ 平成23年4月1日に呼吸器内科学准教授として北里大学 しました。新世紀医療開発センターは、本年5月より本格 医学部に入職させていただき、平成25年9月30日まで、主 稼動する新病院における先端医療と横断的医療を医学部側 に病院の化学療法センター部専従医師として活動して参り から支え、診療を中心に次世代の北里大学における「患者 ました。北里大学に着任するまでの経歴については、この 中心の医療」を担う人材の育成と医療技術の開発をミッ 医学部ニューズにすでに寄稿しておりますので、ここでは ションにもった組織です。横断的医療開発部門は、文字通 その後のことを中心に、私の属する新しい部門についてご り臓器横断的あるいは職種横断的なチーム医療における診 紹介したいと思います。 療・教育・研究を担う部門であり、その中で臨床腫瘍学は 3年前、震災直後という独特の雰囲気の中で始まったこ 主にがん薬物療法およびがん患者に対するトータルケアを こ北里大学での診療・教育・研究生活は、海外留学先であっ 診療・教育・研究の中心に据える分野であります。 た米国ヒューストン以外九州熊本から一歩も出たことのな がん診療はここ10年で大きく変化しました。縮小手術・ かった私にとって、実に大きな不安とともに始まりました。 内視鏡手術の進歩、放射線療法の発達、新規抗がん剤の開 肺がんの患者がいない外来化学療法室、ほとんど誰も使っ 発、有害事象を制御する支持療法の発達、早期からの症状 ていなかった細胞培養室、内からも見えないがん診療拠点 緩和治療・ケアの普及など医療そのものが急速に変化・進 病院業務など、前任地で行っていた活動とのギャップ、医 歩し、分子標的治療に代表されるように治療対象患者の個 療環境の違い、診療や研究に関する「文化」の違い、など 別化(細分化)と投与方法の多角化(内服抗腫瘍剤の増加) 戸惑うことが数多くございました。しかし、益田典幸教授 など、大きなパラダイムシフトが生じています。また、北 をはじめとする呼吸器内科スタッフ、肺がん診療でご一緒 里大学病院は平成19年4月施行のがん対策基本法に基づく する早川和重教授・佐藤之俊教授、看護部、薬剤部、事務 地域がん診療連携拠点病院に認定され、相模原医療圏のが 部の皆様、そして前部長の蔵並勝先生をはじめとする化学 ん診療の中心施設として活動する責務を担っています。こ 療法センター部のスタッフのご助言・ご指導により、大き のような状況の中で、横断的医療領域部門が具体的にどの な不安は徐々に小さくなり、そしてとても有意義で大きな ように機能し、臨床腫瘍学分野が何を目指して診療・研究・ 充実感へと変わっていきました。自分で言うのもおこがま 教育を担っていくのかが、今問われていると思います。 しいですが、今ではここにもう10年以上勤務するような錯 私は、診療におけるミッションとして、新病院での集学 覚にとらわれるほど馴染んでおります。これもひとえに皆 的がん診療センターのスムースな運用開始をまず第一に掲 様のご指導の賜物と心より感謝しております。ありがとう げています。集学的がん診療センター (以下がんセンター) ございました。 は、60床の通院治療室を有しており、国内の一流がん専門 私は、本年2月1日付で、医学部附属新世紀医療開発セ 病院に引けを取らない規模を有しています。ハード面ばか ンター横断的医療領域開発部門臨床腫瘍学教授を拝命いた りでなく人的にも、がん薬物療法に長けた看護師・薬剤師・ 集学的がん診療センター通院治療室の治療ベッドです。 20台を設置しています。長い治療専用です。 集学的がん診療センター通院治療室のリクライニングシートです。 40台を設置しています。フルフラット対応で座り心地の評判は上々です。 − 9 − 医師を集約し、高い専門性を持った診療チームを組織しま その成果を世界に発信していきたいと思います。 した。日本中から見学に来ていただけるような安全・安心 がんセンターを中心にした診療、そこで生まれた臨床的 の通院がん薬物療法を提供できると自負しております。さ 疑問を解決する臨床研究、そしてやはりがんセンターでの らに、専従のがん専門看護師2名を有するがん相談支援室 実務を基盤とした教育体制の提供が与えられたもう一つの を立ち上げ、より積極的にがん患者の様々な支援を提供し 重要なミッションです。本年度、ようやく日本の内科領域 ます。他にもがんセンター内にレジメン管理室とがん登録 の卒前教育に臓器横断的な腫瘍内科のカリキュラムが付録 室を設置し、がん薬物療法レジメンの登録および運用の監 として加わることになりました。日本臨床腫瘍学会のがん 視体制および北里大学病院におけるがんの診断・治療に関 薬物療法専門医取得のためには、乳癌、血液がん、肺癌、 する登録データを診療科へフィードバックする試みを開始 消化器癌の4つの領域を網羅した標準的薬物療法の症例要 する予定です。 約が必要です。地域がん診療拠点病院としてもがん薬物療 がんセンターを中心にした包括的ながん診療の提供によ 法をはじめとするがん診療に関わる卒後教育研修の提供が り、我々は全く新しい研究リソースを得ることができます。 義務付けられています。このように臓器横断的がん診療に 我々の研究はこの診療に根差した臓器横断的・職種横断的 関する教育の必要性が叫ばれている今こそ、新病院におけ な領域において進めていきます。進行肺癌患者に対する意 るがん診療チームをそのまま教育チームとして活かせるよ 思決定支援研究は、院内の9名のがん専門看護師と呼吸器 うな環境整備が必要であり、その具体化・実現化が私に与 内科医師の協力の下、すでに患者登録50%を達成していま えられた使命と感じております。 す。門前の保険薬局との病薬連携を基盤にした内服抗がん 北里研究所開設100年が経過し、次の100年を見据えた挑 剤のアドヒアランス調査研究も開始準備を整えました。分 戦的な医学・医療の中で、私に新世紀医療開発センターと 子標的薬による皮膚毒性の管理を、地域連携パスを用いて 集学的がん診療センターという素晴らしい場を与えていた 皮膚科診療所と行うという前向き観察研究も計画していま だいたことに深く感謝を申し上げます。医学部と新病院に す。看護師・薬剤師・医師が研究分担者となり、通院治療 おけるこの2つのセンターの立ち上げに関わる人間として、 室における抗がん剤の曝露状況を調査する研究では、結果 100年後の後輩から後ろ指を指されないように日々精進し の一部が優秀演題として学会表彰される程度まで成果をあ てまいります。引き続きご指導ください。 げています。今後もこのような横断的臨床研究を主として ◆新世紀医療開発センター 部 門 分 野 名 低侵襲光学治療学 先端医療領域開発部門 周生期麻酔・蘇生学 神経耳科学 小児外科学 疼痛学 臨床腫瘍学 横断的医療領域開発部門 健康科学 集中治療医学 感染制御学 手術管理学 − 10 − 教授就任挨拶 竹 内 昭 博 ⎛教授・医学教育研究開発センター⎞ ⎝ 医療情報教育研究部門 ⎠ 平成19年4月1日、医学部附属医学教育研究開発セン じかもしれませんが、私は少しは勉強しました。当時は必 ターが「医学部の基本理念に則り、医学教育を取り巻く変 修科目でもあったラテン語で記憶した解剖学用語は、一生 革の現状を踏まえ、時代に即した医学教育の研究開発を行 ものとなりました【不撓不屈】 。難解だった生理学教科書 い、もって医学教育の発展と向上に寄与する」ための組織 の代わりを探し、共立全書の「生理学通論Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ」を として設置されました(糸満盛憲、医学部ニューズ 第285 読んでいました。このようなものを書けるようになりたい 号、平成19年5月31日発行)。現在までに5部門(医学教 と思い、以後、生理学領域がライフワークとなっています。 育研究部門、医学原論研究部門、医療安全・管理学研究部 系別総合はよい教育方法であると思いますが、他大学の同 門、医療技術教育研究部門、学習支援研究部門)が置かれ、 窓会報に「自分の受けた教育がよかった」旨の記述を散見 それぞれの領域での教育・研究が行われています。この します。様々な教育方針・技法があるにもかかわらず、そ 度(平成26年4月)設置された医療情報教育研究部門では、 れぞれがよかったと思うのはなぜだろうと考えると、自分 1)従来の情報の集積・業務効率化の支援から医療の質改 がその方法を受け入れ、学問・知識を自分のものに消化で 善支援へと質・量ともに変化している医療情報の現状を俯 きたか否かによるのではないかと思います。 瞰し、2)医師として医療情報を正しく扱えるように教育 在学中、コンピュータのプログラムを作る旨の「学生論 を行うとともに、3)実験や臨床研究、医療・病院情報の 文」を選択し、 故佐藤登志郎名誉教授(元北里学園理事長・ データ解析を支援し、時代に即した医療情報教育の研究開 北里大学学長、当時医学部教授)の研究室で池田憲昭先 発を行います。 生(前医療衛生学部医療情報学教授、当時医学部講師)の 具体的には、低学年の時から1)医師としての倫理感を 下で、ミニコンでのプログラミングを始めました。自由・ 持たせる、2)個人情報や医療情報を扱うことを自覚させ 放任の大学院では、心臓・循環生理学の実験研究のため る、3)データを活用・分析できる技術を修得させること のプログラムを書いていました。コンピュータ(MS-DOS, 等を考えています。卒後教育、研究では、医学・医療で生 Windows 2.0,3.1,98,Xp,7、ガラケー、スマートフォン) じる情報(実験データおよび診療・臨床検査・画像データ の発展に合わせて、「プログラマー35歳定年説」に抵抗し など)の分析・解析、加工・変換や、動画データの画像処 つつ、アカデミックなアプリケーションを作成しWeb上 理による特徴抽出・認識などにより、新たな医学的知見を にも公表してきました【叡智と実践】。医学・医療系の大 生みだしたいと思います。また、ネットワークトラブル、 学教員で、日本医療情報学会に所属していながらユーザの コンピュータウィルス、アプリケーションの設定・トラブ ためのアプリケーションを作成できる方は稀です。経験 ルなどの細かなユーザサポートも部門の仕事の一つと考え したプログラミング言語は、FORTRAN,Basic,Pascal, ています。気軽に相談下さい。 Turbo Pascal,Turbo C,Borland C,MS-C,Visual 私が今までコンピュータ・情報分野の教育研究に従事し Basic,VBA,SAS,MATLAB,Java,ImageJ、サーバ・ てこられたのは、北里大学医学部で情報を扱う先生方に巡 デ ー タ ベ ー ス 系 で はPHP, MySQL, Active Server Page, り合い、自由な勉学・研究を許容してくれたからだと、改 HTML, CSS, JavaScriptなどです。でも、C言語(*p++ = めて思います【報恩】。私は、昭和47年に北里大学医学部 *q++;)が好きです。初老期のためか、プログラミング用 に入学し、昭和53年に卒業した第3期生です。学生の時か 語がごちゃ混ぜになりつつも、昨年からAndroidの㊙アプ ら約40年間相模原キャンパスの緑を見ながら、同期にそっ リの開発を始めました【開拓】。終活までは、後輩の研究 くりの子息をみて時の流れを感じつつ、医学部生理学実習 のために様々なアプリケーションや解析手法を開発したい や講義を担当してきました。学生が怠けるのは今も昔も同 と思います。 奇抜なアイデア・難問をお寄せください 【報恩】 。 − 11 − 教授就任挨拶 東洋医学教育研究部門 創設について 花 輪 壽 彦 ⎛教授・医学教育研究開発センター⎞ ⎜ 東洋医学教育研究部門 ⎜ ⎝所長・東洋医学総合研究所 ⎠ 本年4月1日付で上記、東洋医学教育研究部門の教授を の工夫により、 「経験知」を「科学知」に置き換えてインター 拝命しました。 ネット端末からの情報で、診療支援システムを構築するこ 私は1980年に浜松医科大学を卒業し、2年間の内科研修 とをめざしています。もう1つは、安全で高品質な日本型 の後、1982年より、社団法人北里研究所附属東洋医学総合 生薬生産体制を整え、日本ブランドの産業育成に結びつけ、 研究所に勤務し、隣接する北里研究所病院の病棟医も兼務 海外輸出も視野にいれたグローバルビジネスの開発拠点に し、漢方の研修をスタートしました。 なることをめざしています。 白金にある東洋医学総合研究所は1972年に創設された、 診療面については、白金にある東洋医学総合研究所では 我が国で最も歴史のある東洋医学の近代的研究所で、初代 「百味箪笥」から生薬を合匙(ごうひ)で計量するという 所長・大塚敬節先生、二代所長・矢数道明先生、三代所長・ 伝統的な漢方煎じ薬治療や伝統的な鍼灸経絡治療を行って 大塚恭男先生は漢方界を代表する日本漢方のリーダーでし います。このような伝統をきちんと継承している施設は全 た。私は矢数道明、大塚恭男の両先生に学び、1996年より、 国的にも珍しく、 良き伝統は守り、 発展していきたいと思っ 大塚恭男先生の後任として四代所長に就任し、今日に至っ ています。 ています。 相模原の大学病院や北里研究所病院、北里大学メディカ 2001年より、漢方医学教育がコアカリキュラムに導入さ ルセンターにおいては「統合医学」として漢方診療を行っ れ、医学部や薬学部で漢方医学の教育にも関わってきまし ています。今後も他科との連携を密にして現代医学との相 た。平成22年度改訂版(2011年3月31日付)から「*17) 互補完医療の充実に努めたいと考えています。 和漢薬(漢方薬)の特徴や使用の現状について概説できる」 東洋医学総合研究所では「漢方ドック」を白金で行って と卒業までの必須科目になりました。 います。西洋医学の人間ドックが部分(パーツ)の異常の 教育の一番の目的は医学に対するモチベーションを高 早期発見を目指すのに対し、漢方の人間ドックはグレー めることであると考えています。いわゆるearly exposure ゾーン(未病)の状態において、生体のホメオスターシス によって漢方医学を異質な医学と誤解しないように正しい の乱れをバイオマーカーなどで測定し、早期に漢方治療や 現状と問題点を教えるように心がけたいと考えます。学生 鍼灸治療で快復するプログラムを提供する仕組みを発展さ が主体的に学べるように多様なテキストやDVDなど動画 せたいと思っています。また漢方や鍼灸は生活習慣病、ア を作成しました。学生に親しみを持って学んで頂けるよう レルギー疾患、肩こり、腰痛、膝関節痛などロコモティブ に教える工夫が必要であると考えています。 症候群、メンタルストレスなどに有用です。さらに緩和ケ 研究面では私はmental stressに有用な気剤について代 アにおいても漢方や鍼灸の役割が注目されています。 表的方剤である香蘇散と半夏厚朴湯について基礎的研究と これらについて将来的には東病院で東洋医学の診療を展 臨床的研究の両面から研究してきました。また、抗がん作 開していきたいと考えています。 用の研究として種々の漢方薬の効果を検証し、現在は麻黄 白金の東洋医学総合研究所では伝統医学的手法を堅持し、 湯の中の麻黄の特定の成分に抗腫瘍、転移抑制、癌性疼痛 相模原など4病院では統合医療をめざす、というのが東洋 緩和作用を見いだし物質特許の申請を終了しました。臨床 医学総合研究所の基本的な考えです。 研究として種々の漢方薬の「証」を考慮したRCTによる この度、医学部の中に「東洋医学教育研究部門」が出来 エビデンス作成を行っています。 たことを大変、光栄なことと感じています。学生や教職員 昨年11月には文部科学省COI-T(革新的イノベーション の皆様に東洋医学の魅力を理解していただけるように努力 創出プログラムトライアル) 「安全高品質な漢方ICT医療 したいと考えています。なお、 白金の東洋医学総合研究所・ を用いた未病制御システムの研究開発拠点」に採択されま 所長も兼務いたします。 した。このプログラムの1つは10年後の日本の漢方医療を どうぞ宜しくお願い致します。 見据えて、診断システムのICTの導入、特にセンサー技術 − 12 − ベストティーチャー賞・守礼敬人賞 は教育に限らず全ての社会を見る際の立脚点でもあります。 ベストティーチャー賞を受賞して それを教えて下さったのは、恩師の一人である馬場信也先 生。 「世界を動かしているのは大国のパワーでもインフル 授業や実習をどう構築していくか エンスでもなく、人類一人一人のアイデンティティである」 原 敦 子 ( 「アイデンティティの国際政治学」東京大学出版会)とい (講師・病理学) う、まさにぶっ飛ぶような斬新な世界の見方を教えていた こんにちは、医学部病理学の原でござ だき、それが今でも下から目線として身体に染みついてい います。最近楽しいこと、ありましたか? る次第であります。②褒める。どんな小さなことでも褒め ヤクルトは低迷しているし、今後の楽し る。ある意味、褒め殺しに近い状態かもしれません。常日 みといえば夏場所での鶴竜の星取りくら 頃感じることですが、学生さんは褒められたがっています。 いですかね。あっ、あと憲法9条のノー そして褒めると着実に成長すると私は確信しています。③ ベル平和賞受賞も多いに楽しみです☺。 「本質」を伝える。たとえば受精(=知識)について教えます。 さて今回、医学部第39回卒業生の諸君からベストティー さらに「命はいつ始まるの、受精したとき?胎児になった チャー賞をいただきました。まことにありがとうございま とき?(=本質) 」についても考えさせる。結局、大学の す。何故私が受賞したのか、それは謎です。そもそもベ 6年間でどんな素晴らしい専門知識を身につけても、すぐ ストティーチャー賞って何?北里大学のFD通信によると、 に時代遅れになってしまうのが今の医学界。我々教員は、 「教育内容の良かった教員を学生が選出し表彰する制度」 学生さんに知識のさらに深い所にある本質を見出す力、さ とのこと。他学部でも行われていますが、面白いのは医学 らにcritical thinkingを身に付けさせる義務があるのです! 部では完全に学生主導である点。選出のためのアンケート 何はともあれ卒業生諸君、諸君等に栄光あれ! を含め事務室は内容を全く把握しておらず、選出結果のみ 学生さんから連絡がくるらしいです。学生さんの「生の声」 ベストティーチャー賞を受賞して か・・と思うと、ありがた味も倍増です。さらに私なんぞ こ が受賞して良いのかという畏怖の念さえ生まれます。重 ~思い出す、あの娘のこと ね重ね、卒業生の諸君、thank you so much for choosing me!!! ティーチャーと聞いて、かつて多少なりとも教師を 目指していた頃を思い出しました。ルソーやデューイの著 猪 又 孝 元 (講師・循環器内科学) 作を紐解いていたあの頃。手元に残っているのは中学と高 30年近くも前のことです。 校の社会科教員免状くらいですが、現在の職場をクビに 体育会系で染まり続けた自分が、なん なったら社会科教師も悪くないなー・・。(ここまででやっ と演劇にハマった(恥ずかしい)一時 と600字。あと900字書かねばならず、さらに内容が菲薄化 期がありました。市政100周年を記念し、 します。) 社会人や学生、素人も玄人も、さまざま 医学部そして病院の底辺で働く私でございます。諸先 な人間が参加し、ミュージカル劇団が結 生方のような素晴らしい教育哲学など持ち合わせておりま 成されました。前年に友人のアングラ演劇を見て感激した せんが、学生さんに対する自分なりのスタンスは多少なり 私は、なりふり構わず応募し、運良く劇団員に滑り込みま ともございます。たとえば①「下から目線」からの授業や した。それからは、大学の授業と剣道部の稽古が終わると、 実習の構築。自分が学生ならこうしてほしいだろうなーと そそくさと市民ホールの演劇練習室へ通う毎日。発声に始 いうスタンス、教師からの「上から目線」でなく学生さん まり、歌、セリフ、演技、タップダンス、クラッシックバ からの「下から目線」で授業や実習を構築するよう心掛け レエまで。当時からミュージカルではNo.1だった在京劇 ております。かつて私が医学生だった頃、沢山の先生方と 団から監督さんが派遣され、 「医学生さんよ-」といつも お目にかかったわけですが、時に一方通行の授業やパワハ 叱られっぱなしでした。今から思うと、解剖やポリクリし ラまがいのBSL実習(オバサン呼ばわりされたり、空き缶 ながらよくやってたねって感じです。 を投げつけられたり)に吸引力は感じませんでした。同じ そんな劇団員2年目の夏、新たなミュージカル演目が決 思いを学生さんにしてほしくない。それなら自分が学生の まり、新団員が募集されました。多くの応募者の中に、そ 立場になり、こんな授業や実習だったら絶対面白いはず! の娘はひっそりとたたずんでいました。というより、存在 と思えるものを構築すれば良いだけの話です。この「下か 感がなく、途中まで名前も顔も知りませんでした。不器用 ら目線」 、別名「アイデンティティ目線」 、実は私にとって そうで、セリフは棒読みで踊りもたどたどしく、失礼な − 13 − がら見栄えも麗しいとは言えない、クラスにいたら埋も 守礼敬人賞を受賞して れ、男子にも相手にされないような、そんな地味な娘でし 39回生と守礼敬人賞 た。 「何で、ミュージカルやろうと思ったのかなあ」「まあ、 すぐに辞めてしまうだろう。」-ほぼ全ての劇団員がそう 思っていたはずです。しかし、その娘は一度たりとて練習 を休むことはありませんでした。いつも黙々と歌い、踊り、 小 川 元 之 ⎛准教授・医学教育研究開発センター⎞ ⎝ 学習支援研究部門 ⎠ 演技をし続けていました。一心不乱といった激しさはなく、 39回生の皆さん、趣向を凝らした素晴 楽しそうな表情も見せず、ただ黙々と、黙々と、稽古を繰 らしい謝恩会にて、守礼敬人賞を頂戴し、 り返しました。 有難うございました。そこで、皆さんか 3か月ほど経ったころでしょうか、あれっ、とみなが目 ら守礼敬人賞を頂いた経緯を振り返って を疑う、そんな瞬間が訪れました。舞台道具の一部にすぎ みたいと思います。 なかったようなあの娘が、壇上で突然輝き始めたのです。 皆さんとの最初の出会いは、4年生の 森の精たちの踊りの場面では、4人の精たちを引っ張る存 CBT対策講義でしたね。皆さんの学年からCBTの進級基 在になっていました。そのうちに、踊りやセリフを作り上 準が上がり、大変でしたね。それもあって、毎日毎日、ぎっ げる指示出し役にまで抜擢されました。目標を持ち続けた しり講義とテストがあるにもかかわらず、5限目の講義に ひとがひとたび自信をつけると、あっという間に別人にな がんばって出席してくれました(その甲斐あって国家試 るのですね。川の流れのように、成長していきました。 「さ 験の合格率がよかったですね!)。そして、6年生。6年 すが、監督さん。 」と感心し、あの娘を豹変させた指導の 生では、集中講義をはじめとして、特別プログラムに合宿、 決め手を聞いてみたら、「何もしてないよ。」とそっけない そして最後に、東京ドームホテルツアー。それから忘れ 返事。表面上は、本当に何をした訳でもなかったようです。 てはいけない、「懇親会」も結構やりましたね。と、この そして最後まで、あの娘の本音は聞けず終いでした。でも、 ように盛りだくさんかつ相当密度濃く皆さんと一緒に過 「教育とはどうあるべきか。」と尋ねられると、私は今でも ごした1年でした!このように39回生の皆さんに接して あの娘のことを思い出すのです。 いて、非常に「粘り強い学年」だなという印象があります。 教育は、若者の中に潜む優れた資質を見出し、ともに育 卒業試験も国家試験も最後まで諦めず、一生懸命勉強して むことかもしれません。求められるモデル像は画一でなく、 おられましたね。医師になられてからも、色々な困難に直 望ましい教育の在り方とは何かを考えさせられた十数年で 面されるかと思いますが、この「粘り強さ」で頑張ってく した。ただ一方的に学生や医師を鼓舞しても、資質が開花 ださい! するとは限りません。共通の場を作り、ともに考え、とも このように39回生の皆さんと一緒に素敵な1年間を過ご に新しきを知る。そして、一端自らの才能に目覚めると、 すことができたのも、6年次だけでなく、4年生から継続 興味や自信をつけ、活き活きと走り出す。それができる学 してコミュニケーション取ることが出来ていたおかげだと 生、できない学生、様々です。今回、1年生のクラス担任 思います。コミュニケーション、そして飲みニケーション にご推挙いただき、先日河口湖までオリエンテーション合 (国試が終わってからも行きましたね。 ) 、大事ですね。お 宿なるものに参加してきました。包丁をうまく使えず、薪 互いの真意がわからないと、相互の立場を尊重し、良い人 に火を点すのにもふた苦労し、おまけに初対面の担任先生 間関係を築くことはできないと思います。そして、良い人 に対しタメ口で接された際には、さすがにどん引きしまし 間関係は一朝一夕にはできませんね。1回1回のコミュニ た。でも同時に、こんな若造たちが、これからの6年間で ケーションの場の積み重ねが大切で、特に講義では、単に、 どんな人間になっていくのか、何だか他人事のような楽し 教員が一方的に講義をして教室からそそくさと立ち去るの みすら感じました。 ではなく、学生さんが授業の質問をしてくれたり、気軽に 桜の開花が新たな門出を祝福するかのような、3月末の 感想をコメントしてくれたりする雰囲気作りが大切だと改 卒業謝恩会の華々しい壇上で、ベストティーチャー賞を授 めて考えさせられました。 与していただきました。この賞は、私個人というより、循 このように、教員と学生はお互いに相手の真意を知ろう 環器内科全体への医学教育への取り組みが評価されたもの と努力し、共に成長していくことは、「守礼敬人」の一つ と理解しています。この紙面を借りまして、当科スタッフ の形ではないかと思いました。 全員、そして、関係する諸先生方、スタッフの皆さんに感 この原稿を書く機会を与えて頂きまして、改めて、 「守 謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございま 礼敬人」とは何かを考えることができ、ありがとうござい した。 ました。そして、そのお陰で、非常に大事なことに気付く ことができました。このことを今後の教育現場に「守礼敬 人の精神」を活かしていきたいと思います。 39回生のみなさん、39 ! (Thank you!) − 14 − 平成26年度白衣授与式報告 第5学年クラス主任 戸 田 雅 也 (講師・麻酔科学) 平成26年3月28日、第6回白衣授与式がL1号館6Fの大 の臨床実習への意気込みが確かに感じられました。 講堂で開催されました。これからの50週以上にわたる臨床 白衣授与の興奮も冷めやらぬ中、社会保険相模野病院婦 実習を前に、医学部同窓会より寄贈された白衣が手渡され 人科腫瘍センター長の上坊敏子先生の特別講演がありまし る大きな節目となる式典です。臨床実習用の真新しいユニ た。臨床実習とその先にある医師になるにあたって、実体 フォームを身に付けた医学部新5年生120名が参加し、保 験を基に講演は進みました。北里大学病院で初期研修を行 護者を含む来賓の方々が見守る中、厳粛な雰囲気の中で式 い、医師として臨床だけでなく主婦、育児をされてきた上 典は進行しました。 坊先生の言葉一つ一つに重みがあり、新5年生には大変参 はじめに東原正明医学部長から病院での臨床実習を巡る 考になる講演でした。 諸環境および医の倫理綱領についての説明があり、臨床の 講演終了後に酒井希天君と黒子由梨香君が学生を代表し 現場に出るにあたっての責任の重大さが伝えられました。 て、臨床実習に臨む誓いの言葉を述べ、新5年生全員で唱 続いて大内孝文医学部同窓会長が、医学部同窓会のモッ 和しました。誓いの言葉は声高らかで、力強く大講堂全体 トーでもある「叡智と実践」について述べられました。そ に響き渡り、臨床実習に向かう決意の大きさを感じさせる して海野信也大学病院長の、医師としての倫理をふまえつ ものでした。 つ、何のために医師になるのか、という医師のアイデンティ この原稿を書いている4月上旬、すでに臨床実習が始 ティに関する講話をいただきました。最後に菊池史郎東病 まっています。大学病院既存棟内は5月の新病院開院を前 院長からベッドサイドでの学び方、臨床実習の心構えにつ にして、その準備に大忙しです。その中で、医療の現場で いてユーモアを交えながらの説明をいただきました。どの 慣れないながらも懸命に臨床実習に励む新5年生の姿があ 内容も長く臨床と教育に携わってこられた先生方の思いが ります。4年生までの座学中心の講義とは全く違う、生身 込められており、印象に残るものでした。 の患者さんに学びながら、毎日新鮮な日々を送っています。 場内の雰囲気も臨床実習に向ける意気込みで満たされた 何人かの5年生と話す機会がありましたが、医学を学ぶこ 頃、壇上でメインイベントとなる白衣授与が行われました。 とに貪欲に、かつ医療への真摯な態度で臨床実習に向き 海野信也病院長から昨年度の北島賞を受賞した酒井希天さ 合っているのが感じられました。 んと並木萌子さんの2名を筆頭に、ひとりひとりに白衣授 新病院開院で北里大学全体が新世紀の医療に活気を持っ 与が行われました。名前を呼ばれ壇上で白衣を受け取る新 て励んでいるなかで、新5年生には誓いの言葉を胸に、毎 5年生の様子は、緊張のためか表情を硬くする者もいれば、 日少しでも多くの事を学びとっていただきたいと切に願い 海野信也院長と笑顔でツーショットを撮る者もいます。そ ます。 の表情には喜び、不安、照れくささ、笑顔が入り混じり、 そのために自分を含め教員全体が良き模範となるよう 実に様々ではありましたが、「Sophia kai Ergon」の刺繍 日々精進しなければなりません。 の入った白衣に袖を通した後の凛とした姿には、これから 東原正明 医学部長 大内孝文 医学部同窓会会長 − 15 − 平成26年度白衣授与式報告 いよいよこれから臨床の現場へ! 第5学年クラス主任 竹 内 一 郎 (講師・救命救急医学) 北里大学医学部の第6回白衣授与式(医学部41回生)が 野病院婦人科腫瘍センター長の上坊敏子先生にお願いし、 3月28日L1号館大講義室にて開催された。医学部新5年 バリバリの臨床・研究活動と子育てをはじめ家庭をも完璧 生にとっては今までの教室における受動的勉強からいよい に両立させてこられた上坊先生のお話は心に響くもので よ能動的に学ぶべき臨床に入っていくことを実感するもの あった。北里大学病院としても女性医師の仕事と家庭の両 である。我々クラス主任(学年主任の心臓血管外科学 宮 立は大きな課題である。大学病院も新病院として新たなス 地鑑先生を筆頭に、Aクラス主任の腎臓内科学 竹内康雄 タートを切るうえで参考になる点が多く、また実践に裏打 先生、Bクラス主任の心臓血管外科学 北村律先生、Cク ちされたお話だけに心に響く。参列されたご父母の皆様に ラス主任の麻酔科学 戸田雅也先生、Dクラス主任が救命 とってはまた違った角度(子育ての面)からも興味深いお 救急医学から私)にとっても、緊張な面持ちの学生と一緒 話しであったと思う。 に過ごす時間は日々の臨床とはまた一味違った感慨深いも さて、医学部5年生はいよいよ医学部教育の最終章であ のであった。同時に自分自身の診療にとっても卒後15年以 る臨床実習を始める。今までのように自分だけの世界では 上たった現在を振り返る貴重な機会でもある。あらためて ない。相手は患者さんという「人間」である。 自分自身が医師を志した気持ち、はじめて臨床現場にでた 臨床に長く身をおいてきた一先輩からのメッセージとし 気持ちを思い出し、自戒をこめて学生の誓いの言葉を聞か ては、ぜひこの日の「初心」を忘れず過ごしてほしい。医 せていただいた。 師になればたとえ半人前でも「先生」と呼ばれる。しかし 誓いの言葉は酒井希天君、黒子由梨香君が代表し41回生 これは敬称というより慣習であることをわきまえ、初心を 全員で行った。本年の誓いの言葉はなかなかユニークなも 忘れず日々精進していってほしい。 のであり、参列していただいた海野信也大学病院長、菊池 無事臨床実習を終え、一人前の医師となった君たちと一 史郎東病院長にも好評であった。特別講演は社会保険相模 緒に仕事をできる日を楽しみに待っています。 海野信也 大学病院長 上坊敏子 相模野病院婦人科腫瘍センター長 菊池史郎 東病院長 − 16 − 白衣を頂き 酒 井 希 天 第5学年 白衣に袖を通すこと。「ついにこの時が来たか」と自分 真面目くんは少ないですが、闘志みなぎる熱い男は多い学 は感じました。一般の人から見れば、それはもう立派な 年だと感じております。そして、これからの現場での戦い “お医者さん”。現場に出るということは、周りからはプロ は、そんな人間が必要なのではないでしょうか? の一員とみなされるでしょう。「プロなんだから、治療で 白衣授与式で誓った言葉は、ただ単に綺麗事を並べるだ きて当然」そんな声が聞こえてきます。病棟でスタッフの けでも良かったでしょう。北里大学の建学理念のアレとか 邪魔になったらどうしよう?邪魔で怒られたらどうしよ 盛り込めば、まぁそこそこな文章にはなるでしょう。 う?邪魔だけならまだしも、患者さんを傷つけたらどうし が、そんな訳のわからない妥協はしていません。この学 よう??患者さんに損害を与えて、訴えられたらどうしよ 年のカラー、この学年の声、この学年の決意。そして、こ う???考えただけでも足が震えます。 の学年はやればできる!という事を伝えたかったのです。 自分達は、まだまだひよっこ医学生。そんな偉そうにで 眠くなって忘れてしまうような誓いなど必要ない。そんな きる資格はないです。それぐらいわきまえています。でも、 誓いなら、やらないほうがましだ。泥臭いけれども、心に ひよっこ医学生でも、患者さんの声を聴いてあげることは 残る熱い誓いをするべきだ。そう思って作成しました。賛 できます。資格はなくても、忙しそうな担当医や看護師さ 否両論あると思いますが、自分はこれを硬く信じ、決断し んのお手伝いをすることはできます。そして何より、現場 ました。 の医師と同じ思考と診察方法で、患者さんを診る事ができ 最後に、今まで指導をしてくれた先生方や、育ててく ます。 れた親たちへ。この学年は反抗的に見えるかもしれませ 資格もないし、知識も技術もない。しかし、病院のスタッ ん。口は汚いかもしれませんし、態度も悪いかもしれませ フの一員として、行動しなければならないのです。白衣を ん。こんな連中が面と向かって感謝することは無いでしょ 着るということは、医療の最前線に身を投じるのと同じこ う。でも、心の中では深く尊敬し、感謝しています。ただ、 とです。もう逃げることはできない。戦うしかないのです。 照れてなかなか言えないだけです。これまでもお世話に 白衣授与式をご覧になられた方は、おそらくギョッとし なりましたが、これからもよろしくお願いします。そして、 たことでしょう。例年はもっと厳かな雰囲気の中で、行儀 これからの将来に期待してください。きっといつか恩返し 良く誓いを立てます。なぜ、今年はあんなに過激だったのか。 して見せます。 この41期生は、態度が悪すぎると言われ続けてきまし そして、学生諸君よ!共に叫んだあの言葉を忘れずに実 た。数々のトラブルを起こし、某先生からは「モラルハザー 習に励もう!これで終わりではない!始まりなのだ!テ ドの学年」と評されたほどです。確かに “真面目な” “行 ストなんてつまらない物は忘れて、医学全般に興味を示そ 儀良い” 学生は少ないでしょう。でも、この学年の学生は う!我々は、この白衣を着て、ベッドサイドへ馳せ参じる やる時はやる人間です。遊びも勉強も本気です。頭の固い のだ!!! − 17 − 白衣を頂き 黒 子 由梨香 第5学年 今まで私たちにとって白衣とは、1年生までは物理、化 実際に臨床実習が始まり、これまでの4年間と劇的に違 学、生物、2年以降は解剖、組織、生化学、微生物学など うことがあります。患者さんにお会いして、お話を聞くと の「実習」で着るものでした。しかし、これから先は病棟 いうこと。そこで、問診や診察の難しさを痛感します。問 で医療チームの一員として着ることになります。実習で着 題集であれば、文の中に疾患のキーワードは必ず載ってい ていたときは、清潔の意味しかなかった白衣も、病棟で着 るけれど、患者さんからそれを聞き出せるかは、自分の聞 ればさらに違う意味を持ちます。医師という職業である、 き方次第なのです。たびたび自分の知識の幅の狭さや、あ という制服としての役割。そのように表示をすると、患者 いまいさを思い知らされます。白衣を着た先生方はそれが さん、医療従事者にもわかりやすいですが、何より自分自 当然できるわけで、一層白衣に対する尊敬の念が芽生えま 身がその自覚を持つことができます。また白衣を着ただけ した。また初めて「医療者として見られている」という自 で少し威厳が出て、専門家らしく見えるという効果。白衣 我が芽生え、振る舞いを考えるようになりました。さらに、 授与式で少し誇らしげに白衣をまとって、普段とは少し雰 知識やコミュニケーション以外でも、わかりやすいプレゼ 囲気の違う同級生たちを見て、改めてそれを感じました。 ンテーションの仕方やカルテなどの個人情報の扱いなど、 このたびの式は私たちが初めて「医師」としての白衣を頂 今まで考えたことがなかったような気配りが必要になりま く場となりました。 す。そういった「医師に必要な内面を磨く」一年の最初の 白衣授与式には、「まずは形から」「その形に見合った中 区切りとして、気持ちが引き締まる式になったと思います。 身の人間になりなさい」という意味がこめられていると思 白衣を頂きながら、おそらく一人一人が臨床実習のこと います。すなわち、医師に必要な内面を磨きなさいという はもちろん、自らが医師になった時について思いを馳せた ことです。知識はもちろん、診察の手技、コミュニケーショ でしょう。そして各々が「こんな医師になろう」と具体的 ンのとり方、病院の職員としての義務、そして患者さんと にイメージするきっかけになったと思います。臨床実習を 真摯に向き合う人間性など、医師に必要なものはたくさん 通してその思いは変わるかもしれませんし、実習が始まっ ありますが、座学で学ぶことができるのはほんの一部です。 た今、2年後に自分が白衣を着ている姿はまだまだ想像が 5年生の臨床実習の一年を通して、会話から症状や背景を つきませんが、この最初のイメージは忘れることがないよ 聞き出し、診察をし、知識を患者さんの症例に当てはめて うにしていきたいです。 考え、生の知識にするという、医療に必要なプロセスを学 最後に、白衣授与式を開催してくださった皆様、祝辞を んでいきます。 述べてくださった先生方にお礼申し上げたいと思います。 − 18 − 「患者さんから学ぶ」について ALSの方をお迎えして 守 屋 利 佳 (准教授・医学教育研究部門) 医学部4年生には医療安全や感染予防の知識、基本的な 線に出て行く学生へ、メッセージを送って下さいました。 診察技法など、臨床実習に必要な技能、態度を学ぶ機会(臨 講演の最後には文字盤で学生と会話をしたり、いろいろな 床実習入門)があります。この中の “患者さんから学ぶ” 質問に答えてくださったりされ、貴重な時間を共有させて というプログラムでは、患者さんが講義をしてくださいます。 いただきました。この日に向けて体調をしっかりと整えて 平成26年2月7日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患 くださった三井さん初め、ご協力くださいましたさがみ緑 者さんである、三井敏照(みいとしあき)さんにいらして 風園の方々、万が一に備えてスタンバイをしてくださった いただきました。三井さんは、人工呼吸器を装着し、さが 救命救急医学、神経内科の各先生方、撮影と上映を担当し み緑風園で生活をされています。発病からこれまでの経過、 てくださったAVセンターの方、皆様に感謝をいたします。 これまでに接した医療者のことなど、これから医療の最前 以下に学生のレポートを紹介させていただきます。 「患者さんから学ぶ」を受講して ~ALSの方と話そう~ 原 木 望 第5学年 4年生時の臨床実習入門で、ALSの方が私たち4年生の なかった。次に“か”の文字を指したが、 同じく反応は無かっ ために講義をしてくださった。名は三井敏照さん。東病院 た。このようにして、50音の一段目を順に指していって、 の裏にあるさがみ緑風園という障害者施設で暮らしている。 “は” の文字でついに三井さんが眼球を縦にふった。その 講義の内容は、ALSという病気はどのようなものなのか、 後に、 は行を順に指で示していき、 “ほ” の文字で反応があっ ALSとどのように生きてきたのか、などについてだった。 た。これで、 一文字目が “ほ” であることがわかった。私は、 ALSという病気は講義では習ってはいたが、実際の患者 少しほっとした。そして、二文字目を知るため、もう一度 の方とお会いするのは初めての機会で、教科書だけではわ “あ” から順番に示していった。しかし、なかなか反応が からなかったこともたくさん知ることができた。ALSは、 無く、少し不安になったが、一番最後の行にあった、“ ゛ (濁 筋萎縮性側索硬化症といい、全身の筋肉が動かなくなる病 点)” の時に反応があった。まだ、一文字目が終わってい 気である。三井さんは病気が進行していて、手や足だけで なかったのだ。つまり、 一文字目は “ほ” ではなく、 “ぼ” だっ はなく顔面の筋肉も動かなくなっていて、話すこともでき たのだ。これで、本当の一文字目がわかった。この安心感 なくなっていた。そのため、講義では施設の方が代読した。 からか、指の震えも収まり、ゆっくり時間をかけて、返答 質疑応答の際には文字盤を使用した。文字盤は、透明な板 をいただいた。“ぼ” “ら” “ん” “て” “い” “あ” “の” “お” “ん” “が” に小学生の時に習う50音表が書かれていて、質問をする人 “く” “か” “い”。「ボランティアの音楽会」三井さんからの が文字に指を這わせて、三井さんが伝えたい50音が来たら、 返答が完成したとき、とても感動した。音楽会だけではな 三井さんが目の動きで反応する。その作業の繰り返し。そ く、“ボランティアの” 音楽会と、“ボランティア” を強調 の50音をつなぎ合わせることで、言葉が伝えられる。 していた。ボランティアの活動が、緑風園の入居者の方々 文字盤を使っての質疑応答の時間では、私も、三井さん に大きな影響を与えているのだと肌身に感じた瞬間だった。 と、文字盤を実際に使って会話をさせていただいた。私が 私は、個人的に緑風園へボランティアに行かせていただ 質問をした。 「緑風園のイベントの中で何が一番楽しいで いたことが何度かあった。音楽会に参加したことは無かっ すか?」そして、私は、施設の方の手伝いの下、文字盤を たが、緑風園で行っているレクリエーションの手伝いをさ 使って三井さんから返答をいただいた。私はまず、文字盤 せていただいた。三井さんと会話をしたことで、また、ボ の裏から “あ” の文字に指をあてた。私は、少し緊張して ランティアに参加させていただきたいと強く感じた。 いて、少し指が震えていた。三井さんの眼の動きに変化は 三井さん、ご講義、本当にありがとうございました。 − 19 − 「患者さんから学ぶ」を受講して 幸せを感じて生きる 藤 井 麻 子 第5学年 臨床実習が始まる5年生を目前に控え、私たちは2月か ようにコミュニケーションをとるための技術は進歩してい ら臨床実習入門という実習に参加しました。その中で、実 ます。それと同じように、ALSを完治に導く治療法も早く 際に病気と向き合い生活を送っている患者さんからお話し 見つかってほしいと願うばかりです。 を聞く「患者さんから学ぶ」という講義がありました。 自分の筋肉が萎縮していき今まで送っていた生活が出来 お話し下さった三井敏照さんは、筋萎縮性側索硬化症 なくなる、それは想像を絶するくらい辛いことだと思いま (ALS)という難病を患われている方です。ALSは、神経 す。自分の病気を受け入れて、そこからまた頑張って生き が障害されることによって全身の筋肉が徐々に萎縮し、そ ていこうと明るく前向きに生活している三井さんにお目に のために呼吸や運動、そして嚥下や発声などにも障害をき かかり、とても感銘を受けました。ご飯を食べられること、 たす進行性の病気です。原因は未だにわかっておらず、治 家族とお話しすること、そのような当たり前と思ってしま 療法は確立されていません。ちょうどこの講義を受けた時 うような小さなことが、大きな幸せであったとおっしゃっ 期にALSを題材にしたドラマが放送されていました。世 ていました。私もこの日々の生活が当たり前ではなく、恵 の中にもALSという病気が前よりも知られるようになっ まれた環境であるということ、そして家族、友達、先生な たことと思います。しかし実際に三井さんにお目にかかり、 ど、周りの人に支えられて生きているということを改めて そしてお話しを聞き、やはりドラマでは表現しきれない多 感じ、今後も大切にしていかなければと感じました。 くの苦しみや悩み、葛藤と共に生きてこられたのだと感じ 三井さんのお話しの中で、自分の採血をしにきた研修医 ました。 が何度も点滴を失敗したにも関わらず何の言葉もかけずに 三井さんはもうほとんどの筋肉をうまく動かすことが出 去って行ったという体験を話して下さいました。そしてそ 来ません。そのため、コミュニケーションをとるにはわず のような医師にはならないで欲しいと。私たちは5年生に かに動かせる顔の筋肉を使います。一つは、文字盤を使う なり、いよいよ臨床実習が始まります。これまでの机上の 方法です。三井さんが目で文字盤を追い、それを読み取っ 勉強とは違い、これからは患者さんと接する機会が増える ていきます。実際に体験させてもらっている学生もいまし ことと思います。医師となるための知識を増やしていくの たが、さがみ緑風園の方のようにはうまくいかず、とても は勿論ですが、それと同時に、患者さんに寄り添い信頼し 難しそうでした。そしてもう一つは、額に圧力のセンサー てもらえる医師になれるように日々精進していきたいと思 をつけパソコンを操作する方法です。これによって、イ います。 ンターネットやメールも楽しめるようになったといいま 最後に、私たちのためにさがみ緑風園から講義にいらし す。今回の講義もその方法で三井さんが作成したスライド て下さった三井さん、スタッフのみなさんに心より御礼を を、緑風園の方が代読するという形で行われました。この 申し上げます。有難う御座いました。 − 20 − 相模原市寄附講座 「地域児童精神科医療学」の紹 介 井 上 勝 夫 (特任講師・地域児童精神科医療学) 平成22年4月1日、神奈川県相模原市は政令指定都市に 年度も合計5名の医師が研修を継続します。また、系統講 なりました。これに伴う神奈川県からの事務移譲によって、 義の資料が、書籍として、まもなく出版される予定です。 児童相談所や精神保健福祉センターなどを相模原市が独自 相模原市の児童の精神保健に関わる嘱託業務、具体的に に設置することになりました。子どもの精神医療に対する は、療育施設「陽光園」 、発達障害支援センター、児童相 需要がさらに高い状況になり、人材確保、関連事業の充実 談所、一時保護所、青少年相談センター、精神保健福祉セ が課題となりました。こうした背景から、平成24年度より ンターなどに関わる多くの業務を寄附講座で引き受けてい 3年間、相模原市寄附講座「地域児童精神科医療学」の開 ます。嘱託医業務を引き受けられる児童精神科医をすぐに 設に至りました。この寄附講座は、相模原市と学校法人北 は見つけられずに困っている地域がしばしば見受けられる 里研究所の初の協定による設置で、画期的な出来事とみな ことを考えると、大きな利点になっているといえるでしょう。 されているようです。 啓発活動ですが、平成25年度は、合計7回の講演を実施 日本の児童精神科医療は、いくつかの大きな課題を抱え しました。参加者は、一般市民、中学校校長、小中学校教 ています。まず、専門とする医師が多くありません。平成 員(生活指導担当・養護教諭) 、支援教育コーディネーター、 26年現在、日本児童青年精神学会認定医が約200人で、人 学校カウンセラー、発達障害児童に関わる市の機関の専門 口比でみても先進各国の中では最低の水準です。充実した 職で、発達障害、子どもの情緒的発達、小中学校の児童生 専門研修を受けられる医育機関も殆どありません。北里大 徒のメンタルヘルス全般、小中学生の自傷・自殺に関わる 学医学部精神科学では、一般精神科の臨床研修を踏まえつ 事柄など、 多岐に亘る内容を扱いました。 参加者のアンケー つ、児童精神科の研修を受けられるシステム構築の努力が トの結果をみると、好評のようです。 宮岡等教授によってなされていました。寄附講座は、これ 地域連携について、当初は、大学病院と地域の診療所の を力強く後押しする形となりました。 連携を模索しましたが、相模原市には連携先のクリニック 協定の主な内容は、専門医師の育成、相模原市での子ど が殆どないとの厳しい現実につきあたりました。そこで、 もの精神保健に関わる啓発活動、そして、地域連携です。 平成26年から、相模原市学校電話相談事業を開始しました。 寄附講座の構成員は、宮岡等精神科学教授(特任教授兼任) 、 子どもの個人情報を保護しながら、学校教員が直接児童精 石井正浩小児科学教授(特任教授兼任)、井上勝夫特任講師、 神科医に電話相談する事業です。現在、試験運用の段階で 神谷俊介特任助教、小林実花特任助教(臨床心理士)、そ すが、かなり役立つとの反応を得ています。 して、勝見千晶特任非常勤講師です。 この寄附講座は平成26年度が最終年度になりますが、相 進捗状況ですが、医師の育成は、平成24年度、精神科後 模原市の意向次第で、もうしばらく継続されるかもしれま 期研修医4名が専門研修に参加、平成25年度は、精神科後 せん。相模原市は若年人口の増加が多いこと、まだまだ子 期研修医3名が継続、1名が新規参加、小児科医1名も新 どもの精神保健を充実させる必要があることを考えると、 規参加しました。1回90分、年間約50回の専門的な系統講 寄附講座の延長は必要なことと思われます。 義と、外来診療のトレーニングを実施しています。平成26 児童精神医学専門研修講義の様子 ⎛左から順に 平井ゆり先生、二井矢綾子先生、小林実花特任助教、⎞ ⎝井上勝夫特任講師、吉林利文先生、神谷俊介特任助教、夏山卓先生⎠ − 21 − “April shower brings May flower” は、米国北東部でこの時期に使われる言葉ですが、 近年の関東地方の気候にもよくあてはまります。相模原にも風薫る季節が近づき、いよ いよ待望の新北里大学病院が開院します。現在、多くの病院職員が最終段階の作業に追 われていますが、開院を待つ新病院を目の当たりにして、教職員や学生の目にも希望が みちあふれています。 さて、入れ物は完成しました。次は中身です。この病院を世界に誇れる診療、教育、 研究施設として発展させていくためには、今のモチベーションを切らすことなく維持して いく事が大切です。 大変大変といいながら、この時期、この場所にいられることを感謝する今日この頃です。 (M・I) 佐藤登志郎 先生 を偲ぶ 東 原 正 明 医学部長 佐藤登志郎先生(顧問・元北里学園理事長)のご 開設されるなど、学園の発展に多大なる貢献をなさい 逝去に慎んで哀悼の意を捧げます。佐藤先生は、昭和 ました。社会活動では、全国医学部長病院長会議会長、 30年東京大学医学部を卒業され、昭和48年に北里大 日本私立大学協会副会長、大学基準協会理事を歴任 学医学部教授に就任、同じ東大出身の西山茂夫先生、 されました。平成23年春、このような長年にわたる教 塩谷信幸先生、設楽哲也先生方と共に医学部の黎明 育・研究への功績と、我が国の学術振興の発展への 期、成長期においての基盤造りに尽力されました。医 貢献に対して旭日中綬章を受章されました。医学部主 学部長在任中には、現在定着している教員教育研修 催の祝賀会の後、病に倒れられ約2年間闘病を続けら 会(FD)開催や研究業績に応じた研究費配分を開始 れていましたが、この度のお別れに傷心いたしており されています。また低迷していた医師国家試験の合格 ます。学祖北里柴三郎博士を彷彿させる風格と豊かな 率向上を達成されました。平成6年より9年間の長き 包容力をお持ちであり、多くの関係者が適確で心温ま にわたり学長・理事長を務められ、大学院医療系研 るご助言、ご指導を頂戴しておりました。真に有難う 究科、北里生命科学研究所および感染制御科学府を ございました。合掌。 編 集 後 記 ブラジルで開催されるサッカーワールドカップが6月からい よいよ始まります。先日、ワールドカップ日本代表選手の発表 があり、サプライズ招集で大久保嘉人選手が選出されました。 その日は、偶然なのか昨年亡くなった大久保選手のお父様の命 日でした。お父様の遺書には「もう一回日本代表に選ばれろ」 とありました。そこから大久保選手は、遠ざかっていた日本代 表へ戻るために奮起し、J1得点王を獲得し、見事にワールドカッ プ代表の座も掴み取りました。海外で活躍するレベルの高い日 本代表選手が多い中、そこに再び選ばれるには並の努力ではな かったでしょう。本当に尊敬します。ワールドカップが楽しみ ですね。 そして、5月に北里大学新病院も開院しました。2011年に着 工した工事が順調に終わり、2014年5月7日に外来診療を開始 することができました。本号のまず最初には、新大学病院につ いてその特徴や地域医療連携、次世代の医療人材養成について など、これからの方向性が書かれた記事が掲載されています。 他には、ベストティーチャー賞を受賞された先生の記事では、 授業に対する姿勢や熱意が感じられ、私自身とても勉強になり ました。白衣授与式についても、白衣を手にした学生の不安と 期待の入り混じった素直な気持ちが綴られています。 医学部ニューズでは、学生が様々な体験を通して感じたこと や伝えたいことを読者の皆様に知っていただくために、各学年 の記事を偏りなく掲載しようと構成を考えています。北里大学 の学生が、毎日どのようなことを学び、吸収して成長している のか、伝えていけたらと思います。(M・S) 医学部ニューズ〔第348号〕 http://www.med.kitasato-u.ac.jp/ - 未 来 科 学 の 創 造- 2012年北里大学創立50周年 ●発行責任者 東 原 正 明 2014年北里研究所創立100周年 ●編集責任者 井 上 優 介 〒252-0374 相模原市南区北里1-15-1 北里大学医学部内 医学部ニューズ編集委員会 TEL.042-778-8704 (直通) FAX.042-778-9262 E-mail [email protected] ●発 行 日 平成26年5月31日発行
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